2012年6月23日土曜日

ハイドン:交響曲第43番変ホ長調「マーキュリー」(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


久しぶりにニックネーム付きの曲である。だがこの「マーキュリー」という名前(「水星」)は、どういう意味があるのかさっぱりわからない。モーツァルトに「ジュピター(木星)」というのがあったが、これも何のことかよくわからない。関連があるのかもわからない。

さてその曲だが、直前の42番と同様に、ハイドンの交響曲の中では大人しい曲である。ソナタ形式の実験とか、唯一の変イ長調の話とかいろいろ言われてはいるが、ただ聞くだけではよくわからない。そういう音楽的な探求は専門家に任せるとして、素人の自由な立場でこのマーキュリーを聞いてみる。するとどうだろう、この曲はあまり面白い作品には聞こえない。何となく中途半端でパッとしないのだ。まだ42番の方がましかも知れない。

第1楽章は、それでもアレグロの生き生きした感じがある。けれどもどこか物足りない感じがする。他に刺激的な作品を聞きすぎたからだろうか。第2楽章は弦楽器のみで、弦楽四重奏の趣き。まだこの曲の方がしっとりと味わいがある。第3楽章のメヌエットと第4楽章のアレグロは、あまり特徴を感じない。

結局、標題付きながら辛い評価しかできなかった。もっといい演奏に出くわすか、それとも新たな魅力を発見する時が来るのかも知れない。けれどもこの曲を次に聞くのはいつになるか、その方が怪しい。


0 件のコメント:

コメントを投稿

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD Series 2025–2026)

荒唐無稽なストーリーを持つ歌劇《夢遊病の女》を理解するには、想像力が必要だ。主役のアミーナ(ソプラノのネイディーン・シエラ)は美しい女性だが、孤児として水車小屋で育てられた。舞台はスイスの田舎の集落で、そこは閉鎖的な社会である。彼女は自身の出自へのコンプレックスと、閉ざされた環境...