2012年7月16日月曜日

ハイドン:交響曲第63番ハ長調「ラ・ロクスラーヌ」(アダム・フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン・オーケストラ)

標題付きのこの交響曲は大変親しみやすいので、何度も聞きたくなる。第1楽章の印象的な主題は、快活で明確なソナタ形式を保持しており、長さも丁度良い。このような曲を聞くとハイドンを聞く喜びを感じるが、実はこの曲は歌劇「月の世界」序曲と同じである。しかもその序曲はまた別の劇音楽からの転用とされ、この交響曲の他の楽章はその劇音楽の場面からつぎはぎ(パスティッチョ)に付けられた曲ということである。

手元のイタリア語辞典で「pasticcio」をひくと「(オーブンを用いる)パスタ料理」(ラザーニャなど)とかかれ、「いいかげんな仕事」とも書かれている。なるほどイタリア語は素晴らしい。今夜も我が家はパスタだったが、実にこれは手抜きの証拠であり、しかもソースはインスタントである。「転用」あるいは「つぎはぎ」などと訳される音楽用語には、このような意味があるのだろう。

だがハイドンは歌劇場の火事により楽譜が多く喪失してしまった。やむにやまれず他の作品を転用して作曲に勤しんだのかもしれない。その元となった劇に登場する名前をとったのが第2楽章の「ロクスラーヌ」ということだそうだが、この楽章は私に第100番の交響曲「軍隊」の第2楽章を思い起こさせた。何となく曲調が似ているように感じたのは私だけだろうか。

第3楽章にはオーボエのソロが活躍する。私はかつて三鷹で茂木大輔のコンサートを聞いたことがあるが、彼はこの作品を取り上げたのもこの第3楽章のオーボエの良さを知らせたかったのだと思う。第4楽章は速い曲で、勢い良く曲が終わる。

アダム・フィッシャーの全集においてこの第63番の演奏については、かなり成功している部類だと言える。ドラティと比べてみたが、メリハリが効いている上に古楽奏法の影響も感じられ、そのことが新鮮な味わいを増強している。


0 件のコメント:

コメントを投稿

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(The MET Live in HD Series 2025–2026)

荒唐無稽なストーリーを持つ歌劇《夢遊病の女》を理解するには、想像力が必要だ。主役のアミーナ(ソプラノのネイディーン・シエラ)は美しい女性だが、孤児として水車小屋で育てられた。舞台はスイスの田舎の集落で、そこは閉鎖的な社会である。彼女は自身の出自へのコンプレックスと、閉ざされた環境...