最近は良くないニュースばかり耳にする。地域紛争に多くの難民。テロや不正、貧困を苦にした自殺など、まさに世界は混迷の時代へと向かう中、それに先んじるかのように英国がEU離脱を決め、アメリカでも国民的な分裂が大統領選挙を歴史的な混乱に引き込んでいる。暗い毎日に嫌気がさし、テレビのニュースどころか新聞も読みたくない日が続く。だがわが国では、憲法改正を影の争点にしながら、経済問題は空前の先送りで誤魔化し、原子力問題はおろか、有権者からすべての関心をそらし、問題点を何ら鮮明に示さないような選挙が行われようとしている。
大きな不安を前にしながら、落ち込むこともできないような閉塞感にも慣れっこになりつつある日々の中で、たまたま耳にしたモーツァルトの、何と美しく可憐なことか。そのような表現はもう陳腐どころか、吐き気を催すと言われても、事実だから仕方がない。ある日、私はいつものような何か月かに一度、栃木県へと向かう東北本線の列車内で、今日もWalkmanから流れる音楽(それは私が意図して持ち出したものではあるのだが)を聞いている。
ピアノ協奏曲第19番は第14番から続く6曲の作品群の最後の作品であり、それぞれ味わいのある作品だが、第20番以降の、音楽史に燦然と輝くスーパーな曲に比較されると、どうしても地味な存在であると言わねばならない。とうてい他の作曲に見ることはできない、モーツァルトの孤独な心の淵をこれでもか、これでもかと表現するような晩年の作品群の中でも、特にピアノ協奏曲の分野はその真骨頂とも言えるだろう。
この第19番に関しては、第3楽章は主題が示された後いきなり始まるフーガに、その特徴を見出すことができる。一通りオーケストラによる音楽が続いた後、今度はピアノが登場して音楽に絡んでいく。相当複雑な音楽なのだろうが、そう感じさせないところがモーツァルトの凄いところだ。第1、2楽章はとても心が落ち着く音楽である。私はこの第2楽章がとても好きだ。この音楽はその後に続く20番以降のピアノ協奏曲の第2楽章に見られるような、何か底抜けのするような寂寥感に襲われることはない。20番以降では唯一そういう音楽である第26番に近い。そうしているからというわけではないのだが、メロディーがきれいなので、車窓風景を眺めながら聞く音楽に相応しい。
ところで第26番を引き合いに出した理由はもうひとつある。この第19番は「小戴冠式」と呼ばれることがあるからだ。第19番と第26番は1970年のレオポルト2世の戴冠式のために、モーツァルト自身によって演奏された。
マレイ・ペライアはアシュケナージやバレンボイムと同時期に、丸で競うようにモーツァルトのピアノ協奏曲全集を録音した。丁度アナログ録音からデジタル録音に移行する70年代から80年代の初め頃だったと思う。これらの演奏に共通するのは、弾き振りであるということだ。そしてペライア盤はその中でももっとも完成度が高く、曲による出来不出来のムラも少ないと思っていた。私はだから、この全集がボックス・セットで安売りされたとき、迷わずこれを購入した。信じられないくらい安かった。
だが今ではもう、録音から30年以上が経過した。演奏の方はまったく色あせることはなく、今でも「戴冠式」などはベストな演奏の一つだと思うが、このCDの最大の欠点はその録音にある。少し大人しく、そして硬いのである。CDが発売され始めた頃に言われた最大の欠点が、この硬さではないかと思う。もしかするとリマスターすることによって、その欠点が補われる可能性がある。だが今のところ、SONYから発売されたボックス・セット以降、再発売されたという話は聞かない。
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