2018年9月18日火曜日

ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサート1983(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮)

クラシック音楽の鑑賞にまだ映像メディアが珍しかった頃、外国の指揮者の演奏姿はNHK教育テレビで放映される来日オーケストラの公演くらいでしか目にする機会はなかった。しかも来日するオーケストラは、バブルの前までは年に数団体に過ぎず、音響のいいホールもなかった。最初はVHDなどと称するビデオディスクや、あるいはVHSのビデオ・テープでカラヤンの映像があるとわかると、それはさぞや素晴らしい演奏だろうと心をときめかせたものである。

カラヤンは、自らの映像を収録することに特に熱心だった。ユニテルというヨーロッパのクラシック映像を一手に担う会社が、奇抜な配置でベートーヴェンの交響曲全集やブラームス全集を収録したのは1970年代が中心ではなかったかと思われる。これらの作品は、カラヤンのみに焦点が当てられ、オーケストラのメンバーの姿はほとんど見えない。コンサートマスターが少々出るくらいで、あとは楽器のアップ。それにカラヤンの左横からの目を閉じた指揮姿である。一部の曲では「ライブ」の様相を呈しているが、これはカメラアングルにのみ観客(を演じる人々)を配置していたとのことである。ティンパニの殴打に伴って飛び散るホコリを、横から当てた光が強調するのも、演出上の効果を狙ったものだ。

そういう不自然な演奏は時代を感じさせるが、全アングルフルでフィルム収録され、編集されているから、手がかかっており完成度は高い。映像の時代を先取りしたカラヤンの姿勢は、実験的な要素も多分にあったわけで、今ではオーケストラ収録時のカメラワークに歴史的な影響を与えているとも思う。

80年代に入って映像作品が珍しくない時代になると、予算の関係もあって収録はライヴが中心となった。CDと異なり編集が容易ではないから、同じ時にリリースされるCDとビデオでは、演奏が少し異なる。そして晩年のカラヤンは自らビデオ制作会社を設立し、主要なレパートリーを再び収録していった。

そのような中に、ベルリン・フィルが大晦日のマチネで演奏するポピュラー名曲集とも言えるビデオが何点かある。私がこのたび中古のレコード屋で見つけ、わずか500円という価格で入手したSONYのDVDが1983年のコンサートである。いまさらカラヤンの、それも衰えを感じさせる晩年の管弦楽名曲集なんて、と思うとこの素晴らしい演奏を聞き逃す。それほど今となっては貴重で、しかも懐かしいビデオである。ここでは完全にライヴ収録されているが、歩くにも苦労していたカラヤンの指揮台へのアプローチは省略されている。

私は最近NHK交響楽団の演奏でヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「うわごと」を聞いたが、そういえばこの曲はここに収録されていることを思い出した。それがこのたびこのDVDを取り出して聞いた直接の理由である。ここでのカラヤンの演奏は完璧と言うほかはなく、奏者の集中力を伴った力強い音が、カラヤンの一挙手一投足に合わせて変化する様は、見ていて嬉しくなってしまう。

記録によれば、この日のコンサートは「未完成交響曲」ではじまり、「ラデツキー行進曲」で終わったようだ。これらは省略されているが、ベルリン・フィルのゴージャスなサウンドが、ロッシーニやシュトラウスのような作品で如何なく表現されている様は見事である。アバドやラトルの時代の民主的なベルリン・フィルとは異なる。当時は現代的に見えたカラヤンの指揮する一音一音が、時代がかってもいて面白い。音楽は非常に丁寧で、フレーズの一つ一つが映像と調和している。昨今の「自然な」ライブ感とは異なるこの映像は、時折見てみたい。オーケストラを聞く醍醐味がリビングで味わえる。スメタナの「モルダウ」やシベリウスの「悲しきワルツ」の、フレーズをたっぷりとった弦楽器の調べにも舌を巻くが、最後の「ジプシー男爵」序曲もカラヤンの得意としてきた曲である。

メロディーの緩急と強弱の見事さ。そしてそれを表現するベルリン・フィルの底力。このビデオは、いまとなっては過去の遺産、カラヤンとしては最新版としての映像作品である。ビデオディスクで見る楽しみのひとつは、こういった今では体験できない指揮者やオーケストラの雰囲気を懐かしく思い出しながら、新たな発見をすることである。


【収録曲】
1.ロッシーニ:歌劇「ウィリアムテル」序曲
2.スメタナ:交響詩「モルダウ」
3.シベリウス:悲しきワルツ
4.ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」
5.ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲

2018年9月17日月曜日

「3大テノール 夢のコンサート」

1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会は、地元のイタリアが初戦でカメルーンに敗れるという波乱の幕開けだった。私はこの直後の夏、スイスに2か月滞在したが、それが終わって9月にバルセロナへ行くと、そこには1992年バルセロナ五輪の特設会場が設けられ、たしかSONYだったかの大規模なスクリーンに、3大テノールの映像が流れていたのを鮮明に覚えている。

そもそもオペラ歌手と言うのは大変ライヴァル意識の高い職業で、音域の同じ歌手が共通の舞台に立つことはまずない。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、それにルチアーノ・パヴァロッティという、当時最高水準にあったテノール歌手が、一同に会するというのは、それだけで大事件であった。だが、カレーラスの病気復帰と慈善活動への寄付、さらにはサッカーと言う共通の趣味が、この3人を結び付け、決勝前夜のローマ、カラカラ浴場跡で開かれたコンサートに結実する。

もっともこの時のタイトルは「3大テノール」ではなくて、指揮者のズビン・メータも加え「カレーラス・ドミンゴ・パヴァロッティ・メータ」となっていたように思う。メータが入っているのは、こういう場面におけるエンターテイメント役としてはうってつけの指揮者で、その大ぶりの指揮が歌手3人に引けを取らない程見ごたえがあったからだ。私はカラカラ浴場で「トスカ」を見た経験もあり、このビデオ(LDだった)が発売されると真っ先に買い求め、楽しんだことを思い出す。

このコンサートの大成功によって彼らは、ワールドカップの大会ごとに舞台に登場し、1994年ロサンジェルス、1998年パリ、それに2002年東京とコンサートを行った。さらあにはワールドツアーも行われ、ロンドン、ミュンヘン、ウィーン、ラスヴェガス、ニューヨーク、それに南アフリカのプレトリアでもコンサートが行われた。しかしこの興行路線に走る彼らのコンサートは、巨大なスポーツスタジアムに多数の観客を動員し、大盛況のうちに終わるものの、あのローマでの、ややぎこちないながらも即興的にコンタクトを取り交わし、緊張感をはらみつつお互いを気遣う、一期一会だと皆が思ったはずの演奏会ほどの感興を与えてはくれない。

指揮者はいつのまにか、マルコ・アルミリアートやジェイムズ・レヴァインに交代され、レパートリーも陳腐化していく。本日東京写真美術館で上映された「3大テノール 夢のコンサート」と題された映像作品は、そのような世界ツアーで歌われたコンサートから29曲を並べたもので、個々の歌はそれなりに感服するものの、新しい新鮮味には乏しい。過去にリリースされたロサンジェルスでの公演ほど悪趣味ではなく、わずかにインタビューなども挟まれているが、パリの公演のビデオほど楽しませてはくれない。

私はこの作品を、ローマでの成功を収めたドキュメンタリー作品だと勘違いしていた。だからこの映像からは、新たな感動は得られない。コンサートは東京大会の頃にはすでに盛り上がることもなく、テノール歌手としての声の衰えを感じるばかりであった。会場は華やかな衣装を身にまとったお金持ちで溢れたが、オペラについてどれほど知っている人がいたかも疑わしい。高価なチケットを買いあさり、巨大スピーカーからしか聞こえてこない音声を有り難く聞くのは悪趣味である。

ドミンゴはその後、バリトンにレパートリーを変え、時に指揮もこなす活躍をしているし、カレーラスもまだ歌っているが、最高齢だったパヴァロッティは2007年に死亡してしまった。もとはパバロッティが世界各地で大規模リサイタルを開いていたので、これらのコンサートもそれが下地になっているようなところがある。だがこの映像作品からは、上演にこぎつけるまでのエピソードや、パヴァロッティ亡きあとの彼らの活躍にも触れていない。

もはや20年以上も経過した過去のテノール歌手の、その衰えが顕著になりはじめる頃の映像を、2800円も支払って見に行く価値はないだろう。それでも「3大テノール」を味わいたいという人は、同時に上映されているローマでのコンサートを写した作品「3大テノール 世紀の競演」を見ると良い。ここには人間味あふれる映像が、メータの若々しい?姿とともに映し出される。誰しもが、もうこの1回だけにしけおけば良かったのに、と思うだろう。

2018年9月16日日曜日

NHK交響楽団第1891回定期公演(2018年9月15日、NHKホール)

記録によれば、これまでに300回近い数のコンサートに出かけてきたが、喜歌劇「こうもり」を除けば、ヨハン・シュトラウスを代表とするウィンナ・ワルツの演奏を聞いたことはほとんどなかった。お正月恒例のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを始めとして、知っている曲は数多く、CDやDVDの類もかなりの数所有しているにもかかわらず。

その理由の一つは、これらの曲がポピュラーすぎて、クラシック音楽としての風格に欠けるため、通常のコンサートではほとんど取り上げられないことである。また今一つは、ウィーン訛りのワルツを演奏することに対する遠慮だと思う。どんなにいい演奏しても、通はこう言うに違いない。「やはり本場の演奏にはかなわないね」。

でも思い起こしてみると、これら当時の「流行音楽」は、ご当地のウィーンにおいてでさえお正月のようなごく特別な時に、しかもマチネで演奏されるだけである。もしかするとウィーンでは身近過ぎるのかも知れない。結局、ウィーン・フィルのワルツを聞こうと思えば、今では日本人観光客が主流のベラボーに高価なパック旅行に参加する以外に方法はない。何もウィーン・フィルでなくてもいいではないか、と言われるかも知れないが、だとしてもこれらの曲はやはりウィーンに行って、モーツァルトのような恰好をしたアルバイトの学生から当日のコンサートチケットを買うか、さもなければお正月に大挙して来日するご当地の団体の「ニューイヤーコンサート」に法外な大金を払って聞きに行くしかない。

そんな、意外に実演に接する機会のないシュトラウスの名曲が、NHK交響楽団の定期公演で取り上げられるとわかったから、私は発売されると同時に1階席を買ってしまった。しかも指揮は首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。さらに素晴らしいのは、後半にはマーラーの交響曲第4番が演奏されるということだ。こんな贅沢なコンサートは、すぐに売り切れるに違いない、と私は確信した(実際には当日券もあったから、わからないものだ)。

そんな異色の取り合わせのコンサートを、一言で言うなら、ヤルヴィはこの組み合わせによって、ウィーンの持つ古き良き時代を暗黒の世紀末の奥に置くことにより、光と影を際立たせた。21世紀の現代から100年以上前の時代を見渡すと、ヨーロッパの輝かしい貴族文化が、異様な影を帯びて見えてくる。シュトラウスが陽とすれば、マーラーは陰の音楽である。この両者が共存していた19世紀末という時代に思いを巡らせるとき、明るく陽気である円舞曲の中に、静かに忍び寄る恐怖と絶望を、あえて見ようとしない楽天性が恐ろしくなってくる。もしかしたらこれは現代に通じることではないか?

それでもマーラーがシュトラウスの音楽を愛好し、大反対を押し切って「こうもり」を宮廷歌劇場で上演したと聞くと、何かほっとする。人間は苦悩だけを背負って生きるわけには行かない。喜怒哀楽の様々な要素が生活の中にはあり、音楽にもまたそれを反映したものだからである。

ヤルヴィのシュトラウスは、喜歌劇「こうもり」序曲のわくわくするような演奏で始まり、「南国のばら」の底抜けに明るく豪華な香りとともに進んでいった。1階席前方で聞くN響の音は、やはり違う。最近、私は前方の席で聞くコンサートの音と3階席のそれとでは大きな違いがあることを発見した。両者が距離にして3倍離れているとしよう。例えば1階席の10メートルの位置と、3階席前方の30メートルの地点を比べてみるといい。音の大きさは物理法則から距離の二乗に反比例するから、3階席は1階席の九分の一の大きさの音を聞いていることとなる。でも実際にはそれほど小さな音には聞こえない。これは反射による音が加わるからで(残響と言ってもいい)、ということは両者は、同じ音楽でも実に異なる音を聞いているものと思われる。

1階席前方で聞くシュトラウスの音楽は、勝手なことを言えば、一流の海外オーケストラを聞いているのに遜色がないばかりか、おそらく彼らにしても同様の音響効果のもとに評価されることを思い起こさせた。ヤルヴィの楽しそうな指揮は、ツボを得た統制とN響の自発性がよくブレンドされたことによって、DVDで見るウィーンの演奏に引けをとらない。いや音楽は、やはり実演ほどいいものはないと改めて思う。

ポルカ「クラップフェンの森で」に続き「皇帝円舞曲」となると、もう贅沢極まりない気分である。ウィーン・フィルの演奏でも最近は特に、知っている曲が続くことはない。「皇帝円舞曲」の名演は古くはフルトヴェングラーからカラヤン、アーノンクールなど枚挙に暇がないが、この名曲をしっとりと実演で味わう魅力には変えられない。そして最後にはヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」が演奏された。手元にあるディスクを探してもほとんどお目にかからないこの曲は、「天体の音楽」と並ぶヨーゼフの名曲である。よく探せば、私の持っているディスクではアーノンクールが2003年にニューイヤーコンサートで取り上げている。

休憩を挟んで演奏されたマーラーの交響曲第4番は、これ以上のものは望めないのではないかというほど素晴らしかった。ヤルヴィとN響は、ことあるごとにマーラーを取り上げてきたが、私も第1番の名演を忘れることが出来ない。今回の第4番は、それ以上に深い印象を残した。よく言われるように、この曲はマーラーの交響曲の中では小規模で、比較的目立たない存在である。だが、これまでに何度も聞いてきた演奏は一体何だったのだろうか(その中には、コリン・デイヴィスによるニューヨーク・フィルの演奏も含まれる)。

とりわけ指揮者が重点を置き、また表現上も相当意味深いものだったのが第3楽章である。「安らぎに満ちて」と指定されたこの静かな音楽を、私はこれまで何と美しいムード音楽なのだろうと思ってきた(小澤征爾指揮ボストン響のCDなどそういう感じだ)が、それ以上の深いものだったことが分かったような気がした。向かって左下から眺める指揮を見ていても、その表現へのこだわりがわかる。第2ヴァイオリンやヴィオラ、あるいはチェロのパートに対し、旋律を際立たせて丁寧に、かつ集中力を絶やさず振るタクトに揺れ、音楽が木管の愛称を帯びたメロディーに溶け合う様は鳥肌が立つほどに美しい。

実に様々な表情を見せる長い曲だと思った。だがその時間は永遠に続いてほしいとも思った。マーラーの交響曲は、その長い演奏時間の間に、聴衆をどこか遠い世界への旅に連れて行ってくれることである。私は初めて、第4交響曲でもそのようなことがあるのだと思った。この第3楽章の持つ微妙な変化について、実際にはあまり語られていない。終わりころになって、突如大きな音が鳴り響き、何か重大な変化でも来るのかと思うと(このようなことはよくあるが)、薄いピンクのドレスを着た女性が舞台袖から登場した。

何と見事な演出か知れないが、このまま緊張感を持続して第4楽章に続くのだろう。ドイツの若いソプラノ歌手、アンナ・ルチア・リヒターが、ヤルヴィのタクトをゆっくり下ろすと、その歌声の何と素晴らしいこと!「完全に死に絶え」たあとの「天上の生活」は、鈴の音色にかき乱されることを繰り返しながら、明るく澄み渡って行く。3階席でどう聞こえたかはわからない。舞台を見ると第1ヴァイオリンのスコアがもう最終ページに差し掛かっている。ここから先はチェロや第2ヴァイオリンが担うのだ。陰影に満ちた第4楽章は、消え入るように去って行った。この美しい静寂の時間を、3000人余りの聴衆は、身動きひとつせず、物音ひとつ立てず、静かに「聴いて」いた。その時間を私は目を瞑っていたからよくわからないが、最低30秒はあったと思う。信じられない瞬間が、永遠に続くかのようだった。

やがて拍手が沸き起こり、何度もカーテンコールが進むうちに、熱狂的なものとなっていた。指揮者がソリストを順番に立たせていくと、私の位置からもやっとプレーヤーの顔を窺うことが出来た。 驚いたことに、オーボエもフルートもいつものN響の面々とは違っていた。今度テレビで放映されたら確認してみようと思う。そしてブルーレイディスクに録って、再度見てみたいと思う。ヤルヴィのマーラー・シリーズは、いよいよ中盤にさしかかかった。来年2月には、ブルックナーの弟子でマーラーに少なからぬ影響を与えた夭逝の作曲家、ハンス・ロットの交響曲が演奏される。この曲は、私もCDで聞いて大変気に入っているので、いまから大いに楽しみである。

2018年9月10日月曜日

プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」(2018年9月8日、新国立劇場・二期会公演)

フィレンツェを舞台にした歌劇「ジャンニ・スキッキ」で歌われる唯一有名なアリア「私のお父さん」は、コマーシャルでも使われたほどで大変人気がある。しみじみと抒情的なメロディーがあどけない歌声で歌われると、丸でフィレンツェの情景が目に浮かぶように、結婚に反対している父親に切々と訴えかける。ラウレッタが「もしリヌッチョと結婚できないなら、私、ポンテ・ヴェッキオからアルノ川に身投げしてしまうわ」と、娘としての覚悟を訴えるのである。

ここだけを聞いていたため、このオペラは父親と娘の愛情を描いた作品だと(私も長い間)勘違いしていた。でも本当は、恋人リヌッチョとの結婚もさることながら、リヌッチョの叔父ブオーゾの膨大な遺産を、自分の家のものにすべく遺言状を偽造してくれと頼むシーンなのである。

公文書の偽造は、最近の日本では罪にも問われないらしいが、イタリアでは手首を切り落とされたらしい。だからあの美しい青空を見えげて「フィレンツェよ、さらば」と手を振ることはできなくなるという。実際この作品の元になったダンテの「神曲」の「地獄篇」では、実在したジャンニ・スキッキは地獄に落とされたことになっている。

だが娘に請われ、ブオーゾの親類縁者から要請を受けたジャンニ・スキッキはものの見事に死んだはずにブオーゾになりすまし、医者も公証人もだましてしまう。すべては自分の都合のいいように、新しい遺言状を完成させて、無事リヌッチョとラウレッタは結婚が許される。1時間足らずのドタバタ喜劇は、前作の2つのあとに上演されるお口直しでもある。観客はどこかほっとして、この軽妙な話を楽しんでいる。プッチーニの作品がオペレッタと融合してミュージカルに流れて行く道ができていく。

1918年と言うと第1次世界大戦の頃の凄惨なヨーロッパの時代だが、プッチーニはコミカルで洒脱な作品をニューヨークに持ち込んだ。ドラマは音楽に乗せて歌われるというより、台詞として語られることのほうが多く、音階もいっそう20世紀的である。現代的な響きの多いオペラの中に、突如として始まるアリア「私のお父さん」は、「歌に生き、愛に生き」を突然歌いだすトスカを思い起こさせる。

「外套」「修道女アンジェリカ」で使用された、放射状に配置されたのコンテナは、そのままカラフルなドナーティ家の邸宅となっている。居間にはテレビも置かれ、大人の話(遺産相続)になると、子供はヘッドフォンを付けさせられて「トムとジェリー」なんかを見させられる。ベッドには亡くなったドナーティが横たわり、そこに医者が訪ねてくるあたりが笑いの最高潮だった。

邸宅の部屋は最終場面で壁が崩れ、本来のコンテナの風景(すなわち「外套」のシーン)が蘇る。スキッキは外套を着て口上を述べるあたり、なかなか凝った演出で飽きることがない。ジャンニ・スキッキを演じた上江隼人は、「外套」での主役ミケーレと二役をこなす。方や悲劇、方や喜劇。一方小柄な娘ラウレッタは新垣有希子。間髪を入れず歌いだす「私のお父さん」は、とても綺麗で会場いっぱいにこだまし、大きな拍手が沸き起こった。またラウレッタの恋人で、ドナーティの甥リヌッチョ役は、テノールの新海康仁(テノール)。

ド・ビリーの指揮する東フィルの演奏は、ここでも誠に申し分ない。そして、ミキエレットが述べているように、この3つのオペラは、優れた一人の台本作家によって創作されたことを忘れるべきではない。ジョヴァッキーノ・フォルツァーノである。今年新国立劇場の音楽監督に就任した大野和士も、台本作家の重要性を強調している。音楽と原作に挟まれ、あまり気にしてこなかったのだが、プッチーニの音楽がいまあるのは、優れた台本作家を探し求めた結果なのだという。特にこの「ジャンニ・スキッキ」では、名前以外に具体的なことはほとんど書かれていない人物と、その注釈というわずかの情報に想像を加え、こんなにも楽しい劇が創作された。

最後に、フィレンツェについて。「ジャンニ・スキッキ」の舞台であるこの美しい中世都市は、私も2回旅行している。その観光の中心とも言うべきポンテ・ヴェッキオとアルノ川を写した画像が見つかったので、ここに掲載しておきたい(1987年夏)。またフィレンツェと言えば必ず紹介されるドゥオモを、少し高いところ(ミケランジェロ広場)から眺めた写真を、私もご多分に漏れず撮影している(1994年冬)。どちらの時も天気が大変良く、レンガ色の屋根が「青い空」に映える素晴らしい一日だった。それが「ジャンニ・スキッキ」の台詞に何度か登場するので、やはり昔から、この町は「青い空」が相応しいのだろうと思った。

2018年9月9日日曜日

プッチーニ:歌劇「修道女アンジェリカ」(東京二期会公演・新国立劇場、2018年9月8日)

歌劇「外套」が終わると休憩時間があるとばかり思っていたら、何と拍手が消えても舞台が明るくならない。そればかりか、先ほどまでジョルジェッタを演じていた北原瑠美が、そのままの衣装で貨物に腰掛けている。「外套」で荒らされた舞台に散乱するゴミや、ばらまかれた水もそのままで、コンテナも配置は変わらない。ところがそのコンテナは、側面が開いて、内部が洗濯場と修道女の部屋になっている。


修道院といえば聞こえはいいが、この雰囲気はどうみても刑務所である。それも女性のみが収監されている女子刑務所である。ここで過去に罪を犯したアンジェリカは7年もの間、贖罪の日々を送ってはいるが、実際には結構世俗的でもあって、みな様々な欲望を口にしたりしている。

ある日のこと、アンジェリカの伯母と称する公爵夫人がやってきて、アンジェリカと面会する。夫人は妹の結婚に際し、彼女の遺産をすべて放棄して妹に渡すよう告げる。アンジェリカは過去に、親の望まない子を産み、そういったことがどうやら修道女に入っている理由らしかった。引き離された我が子に7年間も会うことができなかった彼女は、伯母に消息を訪ねる。だが伯母は「2年前に病気で亡くなった」とつれなく告げ去ってゆく。彼女はすべてを失って絶望する。アリア「母もなく」は唯一といっていいほどのこのオペラの聞きどころだが、確かに胸にぐっとくるものがある。最後の望みまで絶たれたアンジェリカは、とうとう最後の罪を犯す決意を固める。自殺を図ろうとするのだ。

ところが、生死の間を彷徨う時、奇跡が起こる。天使に召された彼女は、天国の門の前で息子と再会し、心安らかに息を引き取るのだ。そして何と面白いことに今回の演出では、死んだはずだった7歳の息子が、生きていたという設定になっていて、舞台に現れたのだ!死んだ、というのは公爵夫人の嘘だった、というのである。驚く聴衆は、みな救われたような嬉しい気持ちになったに違いない。ブックレットでミキエレットが述べているように、聴衆はみな「罪人の味方」なのである。

このオペラは女性のみが登場するという変わったオペラである。「外套」で描かれたヴェリズモとは違い、修道院とそこに起こる奇跡という、いわば古典的なオペラのような題材を用いながら、音楽は近代的な印象がある。未完に終わった「トゥーランドット」を除けば、これは最後の完成されたプッチーニの作品だが、「トゥーランドット」よりも現代的な音楽だと思う。それは次の作品「ジャンニ・スキッキ」で顕著である。

なお、標題役の北原瑠美の他に、公爵夫人は中島郁子(メゾ・ソプラノ)が歌った。(この舞台では)子供が死んだなどと嘘をつくような冷徹な役だが、そういう憎らしさには少し乏しいと思った。続けて上演された2つのオペラが終わり、30分の休憩となった。だがここでもカーテンコールはほとんどなく、この公演では3つの作品を一体のものとして上演することにこだわっているのだと思った。

2018年9月8日土曜日

プッチーニ:歌劇「外套」(2018年9月8日、新国立劇場・二期会公演)

今年2018年は、プッチーニの「三部作」がニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演されてから丁度100周年だそそうである。東京においても二期会によって、新国立劇場、日本オペラ振興会との共催で上演された。「三部作」とは言うまでもなく、歌劇「外套」、歌劇「修道女アンジェリカ」、そして歌劇「ジャンニ・スキッキ」という3つの1幕物の総称で、プッチーニはこの順で上演されることを望んだと言う。今では揃って上演されないことも多いが、今回のダミアーノ・ミキエレットの演出は、その三作品を統一した舞台の上で上演する新鮮味に溢れたものだった。

以下3作品の鑑賞記録を、それぞれ独立して書き記すことにするが、初めに断っておくと、私がこれらの作品に触れたのは今回が初めてであり、そして人生に残された時間を考えると、今後ももう二度と実演で触れる機会はないだろうということである。プッチーニの作品は、完成されたものとしてはこれが最後となったようだが、鑑賞する側としても、一生にそう何回も同じ作品に触れることはない。つまり毎回が貴重な機会である。だから、批評と言うよりはどちらかというと感激した記録となる傾向が強い。

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歌劇「外套」はパリ・セーヌ川が舞台である。序奏もなく幕が開くと、舞台の上には、貨物列車に載せるような金属製のコンテナが、等角投影法で表現する時のような形で並べられている。このコンテナに作業員が登ったり下りたりするが、新国立劇場の素晴らしい照明に映えて、様々な色に照らされる倉庫街が、無機的ながらも綺麗である。

ここで作業員のボス、船長のミケーレは、妻ジョルジェッタとかつては幸せな日々を送っていたようだ(このくだりは後になってわかるのだが)。しかし生まれてすぐに子供が急死し、そのあたりから夫婦関係が一変してしまった。ジョルジェッタがミケーレのもとで働く若者ルイージと密かに恋仲となっているのである。

ルイージはあるとき船を下りたいと言い出すが、それはこの生活を清算したいというよりはジョルジェッタと駆け落ちすることを意図したからなのだろうか。そのあたりはよくわからない。ただ二人は再度あいびきの合図として、マッチの火をつけることを約束している。

舞台ではジョルジェッタとミケーレの夫婦の会話となるのだが、私にはここがたいそう痛ましい部分に聞こえてしまう。ジョルジェッタはまだミケーレとの生活を諦めていないのかも知れない。だがよりを戻そうとすれば、それはまた喧嘩になるという有様。ミケーレが点けた火をあいびきの合図と勘違いしてルイージが現れ、ミケーレに見つかってしまう。ミケーレは思い余ってルイージを絞め殺し、外套で覆う。そこにジョルジェッタが現れ、ルイージの死体を発見するところで幕。

このオペラはヴェリズモ・オペラの性格を帯びている。まず罪を犯したのはルイージとジョルジェッタだが、ルイージを殺したのはミケーレである。そういう意味で、3人には3通りの罪が存在する。

この罪を巡って、三部先は関連した話として展開するのが今回の演出の見どころであった。とはいえ一つの作品が終わったのだから、ここでは拍手とともに、カーテンコールがあるものだと思っていた。しかし幕が再び開くと、そこにはジョルジェッタが立方体の箱に腰掛けている。「外套」で散らかったゴミや水で濡れた床もそのままである。コンテナがさきほどと同じ形態で置かれている。もちろん休憩はない。つまり舞台はそのままに、次の作品「修道女アンジェリカ」になったのである。

二期会はダブルキャストで「三部作」の公演を4回行った。私が行った9月8日は、ミケーレが上江隼人(バリトン)、ルイージが樋口達哉(テノール)、それにジョルジェッタが北原瑠美(ソプラノ)であった。3人とも良かったが、特に樋口のテノールは一層輝かしい声で会場を魅了したと思う。いまや売れっ子のテノールだから、私も生で聞けて大変うれしい。けれどももっとも拍手の多かったのは、主役の上江だった。そして上江と北原は、それぞれこの後の作品の主役として、一人二役の出演をするのである。

最前列とは言え3回席で聞くプッチーニの音楽は、やはり声が直接聞こえてこないような気がする。これは1階の前方で聞くことと比べるとよくわかるからだ。一方、オーケストラはすべての楽器が良く見える。ベルトラン・ド・ビリーは東京フィルハーモニー交響楽団から手堅くもドラマチックな情景を引き出し、私が聞いた東フィルの演奏としては最高の部類に入るのではないかと思われた。

2018年9月6日木曜日

ミュージカル:「コーラスライン」(2018年9月5日、東京国際フォーラム)

1990年3月下旬、生まれて初めてニューヨークを旅行した私が目にしたのは、1975年に初演され、1976年にトニー賞に輝いた人気ミュージカル「コーラスライン」が、その15年に及ぶ史上最長のロングランに幕を下ろすというものだった。その時は数多くのオペラ、コンサートには出かけたが、ついにブロードウェイには足を運ぶ時間(というかお金が)なく、ミュージカルというものに触れるのは再度ニューヨークを訪れた1995年までお預けになってしまった。

その1995年には、「コーラスライン」に変わって最長記録を打ち立てた「キャッツ」が話題の中心だった。「キャッツ」は私も見たが、どこがいいのかよくわからない。ただこれもアンドリュー・ロイド=ウェッバーによる音楽がきれいな英国製の作品である。だがこれも過去の話題となり、その後「ライオン・キング」が「キャッツ」の上演回数を上回り、さらにその上を行くのが「オペラ座の怪人」である。私はこれらの作品がそんなにいい作品とは思えない。好き嫌いかも知れないが、だとすれば好みの作品ではない。

さて、私はその時から「コーラスライン」を見逃したことを少し悔やんでいた。この作品を映画作品として見たのは、1990年代のことだった。映画化は1985年のことで、監督は英国人のリチャード・アッテンボローである。この時思ったのは、この作品が有名な音楽「One」に合わせて踊るダンスが、とてもシリアスだということだ。底抜けに明るいアメリカ製のミュージカルが多い中で、この作品はオーディションに仕事を求める若者たちの赤裸々な生い立ちを告白するシーンの数々によって、むしろ心理描写にも焦点が当てられ、よりストーリー性に深みが増してゆく作品である。

数十人の応募中から、厳しい審査によってわずか8人が選ばれる。その非情であからさまな合格発表によって幕が下ろされる時、米国社会のシビアさとドライさが浮き彫りにされる。徹底した実力社会に立ち向かう無名の若きダンサーたちは、このオーディションに合格したからと言って、将来が約束されるわけではない。なぜならこのダンスは、主役を引き立てるために踊られる脇役に過ぎないのだから。

後味はむしろスッキリしない。けれども物語が終わったその後に再度「One」が踊られる。物語の内容とは違い、一級のダンサーが踊るのだから悪かろうはずがない。鏡を背後にカラフルな照明に照らされて、様々な人種や容姿のダンサーが、次から次へと踊る。ダンス中心のミュージカルを、堪能することとなる。

ミュージカルはオペラのように、同じ作品をあちこちで上演するのではなく、都度結成され、演出されるのが通常である。だから見逃してしまうと、もうそれに触れる機会はなかなか訪れない。日本では劇団四季が、人気作品を俳優を変えて何度も上演しているが、本場でもそのようなことはない。だから私が、JR大崎駅構内で「コーラスライン」のポスターを見た時には、これを見逃す手はない、と思った。30年前に見逃した作品を、やっとのことで見ることができると思ったのだ。

その上演は、東京国際フォーラムで行われた。ところが会場に入って驚いた。何とオーケストラ・ピットに誰もいないのである。イタリアのオペラ・ハウスではしばしばこのような光景が見られると言うが、その理由はストライキである。だが今回の公演がキャンセルになったという話は聞かない。だからこうやって多くの客が入っているのだ。

どうなるのか思った音楽がいつのまにか舞台の袖から聞こえてきたが、それはまるでテープ収録された音楽で踊るバレエの来日公演のようである。台詞の合間に歌が挟まれるため、音楽はどこかで演奏しているのだろうと思う。だがそのプレイヤーはついに最後まで姿を見せなかった。もちろん指揮者もである。

舞台は踊りと台詞のみで進んでいった。両脇に字幕があるので、英語のわからない観客は字幕を追うのが忙しい。ストーリーが半ばどうでもいいオペラと違って、セリフは結構重要である。しかもダンスに見とれていると、字幕に目を移すのが大変である。今回はしかも、1幕構成だった。これも常識外れで、通常ミュージカルは比較的長い第1幕と、短い第2幕の間に休憩時間がるのが通常である。出演者も大変だと思ったが、客席も戸惑うばかり。

最初はどうかるかと思ったが、中間部でオーディションに募集したひとりひとりへの面接が始まると、複雑な生い立ちや家族関係に話が及んでいく。その中にディレクターのかつての恋人、キャシーもいる。このミュージカルの面白さは、この部分でのやりとり。そこに米国社会の側面を感じることができる。そう考えると、最近のミュージカルにはそのような社会性や同時代性が失われていることに気付く。

「コーラスライン」はもう半世紀前の作品で、今となっては古い作品になってしまった。客席に若い人もいたが、結構中高年の姿が目立つ。ブロードウェイでも2006年にリバイバル上演されたが、2年ももたなかったようだ。かつて一世を風靡した作品も、いまや純粋に共感できる層が減ったのだろうか。そう考えると米国だけでなく世界の社会風潮も変わってしまったのだろう。そんなことまで考えながら、何か懐かしい感じのする2時間の公演を見ていた。もしそうでなければ・・・(実際私はそう希望するのでが)この公演自体が物足りないものだったからかも知れない。もし1990年、本場で見ていれば、私も20歳の若さだったし、もっと強烈な印象を残す経験になっていたのかも知れない。

2018年9月3日月曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(The MET Live in HD 2017-2018)

「トスカ」は過激な歌劇である。嫉妬深い歌姫と純情な画家の青年、「歌に生き、恋に生き」や「星も光りぬ」のような有名アリアというところだけ見ると、とても美しい物語のように思えてくる。しかし音楽は冒頭からドラマチックであり、凝縮された人間ドラマがわずか2時間足らずのうちに劇的に進行し、音楽は結構賑やかである。私が初めて見た歌劇こそ、ローマ・カラカラ浴場跡での「トスカ」だった。ローマで見た「トスカ」は私の一生の思い出でもある。

最終シーンでトスカが飛び降りるのは、サンタンジェロ城である。ここはテレべ川のそばに立っていて、屋上からはバチカンにそびえるサン・ピエトロ寺院が目の前にある。ローマ市内を一望すれば、ここが中心であることもわかる。城はかつて監獄としても使われたが、今では観光名所となっている。もちろん屋上に出て写真を撮ることもできる。ここの屋上で、カヴァラドッシは銃殺される。芝居だと思っていたにもかかわらず実弾が込められていたのだ。舞台は急展開を見せる。悪党スカルピアを暗殺し、通行証まで手に入れていたトスカは、悲哀に暮れる間もなく駆けつける兵隊たちに取り囲まれ、とっさに城の屋上から投身自殺を図るのだ。

この他にも見せ場は多い。第2幕では拷問のシーンとスカルピア暗殺のシーンが、迫真の演技を持って展開される。音楽は起伏に満ち、一挙手一投足にも興奮する。第1幕では何といっても大聖堂のテ・デウムのシーン。幕切れで歌われる聖歌と、それに混じる脱獄者を追う警視総監の悪態、トスカの嫉妬とカヴァラドッシの友情、そういった様々なものが混然一体となって舞台を盛り上げる。

「トスカ」の魅力を語りだすときりがないが、これほどにまで完成度が高く、見事なオペラは「サロメ」くらいしか思いつかない。プッチーニの歌謡的なメロディーと、セクハラ・パワハラが満開の下劣なストーリーも、どういうわけかその中に入り込んで見入ってしまう自分がいる。第1幕にだけ登場するアンジェロッティを含め、主要な登場人物は全員壮絶な死を遂げる。

METライブの「トスカ」は、約10年ぶりの新演出だった。演出はデイヴィッド・マクヴィカー。指揮はフランス人、エマニュエル・ヴィヨーム。「トスカ」の演出なんて、どうせ陳腐な安物かと思うと期待を外す。丸で映画のシーンを見ているように美しい各幕の情景は、この歌劇のそもそものイメージ通りである。思えば音楽自体はあれほど原典回帰が盛んなのに、どうして演出だけが凝った、時には考えすぎのもので溢れているのだろう。今回のMETの「トスカ」は、そんな最近の演出重視の風潮に、程よい冷や水を浴びせた。

歌手が素晴らしい。警視総監のスカルピアを歌ったバリトンのジェリコ・ルチッチは、本役のいわば定番で、安定した悪徳ぶりは見事なものだが、主役の二人は、何とこの舞台がデビューだそうだ。カヴァラドッシを歌うイタリア人ヴィットーリオ・グリゴーロと、トスカ役のソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァである。二人ともこの役になりきり、心から役を演じることを楽しんでいることがわかる。
 
特にグリゴーロは、何十年もカヴァラドッシを歌いたいと思っていたらしく、今回の出演への意気込みは相当なものだったようだ。幕間のインタビューからもそれは手に取るようにわかるが、第3幕の冒頭で歌う「星も光りぬ」が、これほどまで見事だったことは私の経験でもない。どんなに眠く、集中力を欠いていても、ここのアリアが聞こえてくるとき、グリゴーロの歌声は満点の星空にこだまし、それはまるでローマ市内に轟くかのようだ。

聞きなれた音楽、見飽きる程何度も触れたストーリー、「またもトスカか」などと半分冷ややかに見始めた舞台は、細部にまでこだわった舞台と迫真の演技、それに胸に迫りくる歌に触れて行くうちに見入ってしまい、あっというまの2時間だった。


※写真は1994年に訪れたサンタンジェロ城と、その内部から見たローマ市内。同じ風景が今回の舞台でも再現されていた。

2018年9月2日日曜日

ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」(The MET Live in HD 2017-2018)

「セミラーミデ」のストーリーは複雑だ。舞台進行にとらわれずに書いた方がわかりやすい。15年前に、王族のアッスールを国王にするという約束で、夫である国王を殺害したバビロニアの王女セミラーミデ(超技巧が要求されるソプラノ)は、王の後継者(つまり新しい夫になる人物)に、かねてから好意を抱いていた若き軍人アルサーチェを選ぶ。ところが彼こそが、国王の死の直前に復習を託された息子(はすなわち、王女の息子でもある)だった!アルサーチェは、父親(前の国王)の信託に従って復讐を遂げるが、殺したのは何と母親セミラーミデだった!過去のしがらみを断ち切り、無事アルサーチェは新国王に就任する、というところでハッピーエンド。

上記はあらすじの骨子ではあるが、実際にはここにアゼーマ姫(あまり歌わない美女)に対する三角関係が絡むのでややこしい。アルサーチェ(ズボン役でメゾ・ソプラノ)と暗殺の首謀者アッスール(バス・バリトン)、それにインドの王イドレーノ(超高音を轟かせるテノール) がみなアゼーマ姫と結ばれることを望んでいる。当のアゼーマ姫は、アルサーチェを希望しているのだが・・。

「セミラーミデ」の序曲は長い。かつて良く聞いた序曲集では、必ずと言って取り上げられていた本曲の充実ぶりはちょっとしたものである。だがその曲が、こういうシーンで使われていたのだ、と初めて知った。序曲を聞くだけでは区別がつかないロッシーニのオペラ・ブッファとオペラ・セリアは、いずれも美麗で耳をあらわれる洗われるようなメロディーと、めくるめくクレッシェンドの連続である。違いは実際に笑いがあるかどうか。歌われる歌詞がどんなに悲劇的な内容でも、音楽だけを聞けばその違いはあまりない。

「セミラーミデ」の歌は物凄い。この作品は、そもそも歌う歌手がそろわず、なかなか上演されることがない。本格的に上演されたのは1990年になってのことで、その偉業を果たしたのがMETということらしい。ところがそのMETでも本作品を上演するのは1993年以来らしい。演出は同じジョン・コプリー。第1幕だけで3場面あり二時間。さらに第2幕は第6場まであって1時間半。その舞台は、なかなか見ごたえのある豪華なもの。音楽同様、重厚で、見せる!

さて、主役のセミラーミデは、アンジェラ・ミードというアメリカ人の大柄な女性だった。彼女はまさにこの役のためにいるのではないか、というようにピタリとはまっている。 いくつかあるアルサーチェとの二重唱(第1幕第2場「その愛を永遠に」、第2幕第4場「よろしい、さぁ、手を下しなさい」)は息もピタリと合って、聞くものをゾクゾクさせる充実ぶり。アルサーチェの役に果敢に挑むのは、エリザベス・ドゥショングという小柄な歌手。彼女は美しい声の持ち主だが、ここでは男性の役なので威勢よく振る舞う。小柄なこともあって、恋敵のアッスール(ロシア人のイルダール・アブドラザコフ)、高僧のオローエ(アメリカ人のライアン・スピード・グリーン)、それにセミラーミデに囲まれるとまるで子供のようだが、実際、セミラーミデの息子なのだからわかりやすい。

もっとも拍手が多く、圧巻の出来栄えはインドの王子イドレーノを歌ったメキシコ人ハヴィエル・カマレナだった。彼はフローレス等と並び称される超高音テノールの一人だが、ここでの役の決まり方はその容貌も含め満点で、私はフローレスよりも一枚上手のような感じがしたくらいである。このイドレーノは、物語の主たる内容とは関係なく存在しているように感じるが、歌だけは滅法素晴らしいものが使われており、見る者を飽きさせない。

ロッシーニの音楽の充実ぶりは、この作曲家をして野心的とも思わせるくらいに見事で、その序曲の気合の入れようからも端的にわかるが、次々と繰り出される重唱にこそ、その真骨頂があると思う。これだけ長く、かつ見どころの多い作品を統括するのはさぞ大変だろうと思う。だが指揮者のマウリツィオ・ベニーニは、少し早めにテンポを取り、緊張感を持続させながら、次から次へと的確に音を繰り出してゆく。ベルカント作品を指揮するMETの常連の手腕は、ここでも見事のひとことに尽きる。

映像はしばしば指揮者と、それに呼応する木管楽器奏者の技巧的なソロ・パートを映し出す。場面の転換で最初に弾かれるフレーズは、歯切れよく緊張感を持ちながら、流麗さを失わない手さばきである。オーケストラピットと舞台を行き来するカメラワークもまた、この作品の見どころだった。

私にとってはロッシーニのオペラ・セリア体験の2回目だった。そして完全に打ちのめされたと言ってよいだろう。METライブ・シリーズで私が得た最も貴重なもののひとつは、このようなベルカント作品への開眼だった。我が国はおろか、世界でも滅多に上演されない作品を、このような歴史的高次元で体験でき、かつそれが邪魔にならない日本語字幕と、細部まで捕らえたカメラによって実感できる。それは、この時代に生きていてよかった、とさえ思わせるに十分なものだった。

2018年9月1日土曜日

デア・リング東京オーケストラ・デビューコンサート(2018年8月31日、三鷹市芸術文化センター)

音楽を聞くというよりは、音響を楽しむというコンサートだった。

デア・リング東京オーケストラという聞きなれない団体によるメンデルスゾーンとベートーヴェンである。それもそのはずで、このオーケストラは録音のみを専門とする特別編成のもので、主宰人でもあり指揮者を務める西脇義訓という人物は、レコーディング・エンジニアとして日本のレコード会社に勤めていたという経歴が紹介されていた。本公演はそのデビュー・コンサートだということだ。

私はもう長い間、我が国のレコード雑誌である「レコード芸術」(音楽之友社)を読まなくなっているが、もしこの雑誌を購読していたら、あるいはこのオーケストラの存在を知っていたかも知れない。2013年に設立され、すでに6枚ものCDをリリースしているこの団体が、なぜ今頃になってステージ・デビューすることになったか、その理由を指揮者は自らマイクを手にして説明した。

それはこのオーケストラ独特の、音響に対するこだわりによる。この音の良さは、実演で接しないとわからない、と忠告されたからであるとのことである。ではその音とはどのようなものか。それを知るには、この団体のホームページを見るといい。驚くのは、その楽器配置である。特に決まっているわけではないようだが、曲に合わせて実に様々な形態に配置を変える。たとえば今回のプログラム最初の曲、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲では、オーケストラのメンバーが全員前を向いて、まるで小学校の教室にいる児童のように整列している。現れた指揮者は、何と観客席を向いてタクトを振り始めた・・。

各自に譜面台が配置され、必ずしも指揮者を凝視しないプレイヤーは、自らの音感でアンサンブルを構成してゆく。指揮は最低限の出だし、あるいはテンポを指示するのみである。おそらく練習の時には、ああでもない、こうでもないと細かい試行錯誤を重ねてはいるのだろう。だがその先にあるのは、各人が自ら把握した音楽をそのまま再現する。まさにそれは録音を専らとするから可能なものなのだろう。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の場合には、オーケストラのメンバーが散在している。たとえば3人いるコントラバスは、最右、最左、中央奥に散らばっている。二人のホルンも両端に分かれている。第1バイオリンも第2バイオリンも、勝手にバラバラではなく、意図された配置についているが、その配置は従来のオーケストラのように、各パートが固まっているわけではないのだ。

しかもこの曲では、全員が起立して演奏する。その結果成り響いた音色は、(私が勝手に例えるなら)あのクレンペラーの演奏を生で聞くような音がしているのだ。オーケストラが全体に持ち上がり、相当な空間的広がりを持っている。このような経験は初めてである。

休憩時間にはその演奏が早くもロビーに設置されたオーディオ装置で再生され、多くの人が聞き入っている。これはオーディオ・マニアが自ら自分の音を追い求める究極の娯楽である。ただ面白いのは、オーケストラの音をいかに忠実に再生するのか、ということではなく、かつてアナログ・レコードで聞いた音をいかに舞台で再現するか、という真逆のアプローチであることだ。これはいわばアマチュアにのみ許される暴挙ではないか。だが誰も思いつかなかったことでもあろう。

ベートーヴェンのロマンスは指揮者なしで、すなわち独奏を担当した森岡聡によってアンサンブルが奏でられ、そのあとは第7番の交響曲となった。この演奏で、私はカラヤンによる最後のベートーヴェン全集の演奏を思い出した。なぜカラヤンやクレンペラーを思い出すのか。それを解くと、かつてEMIやDeccaに存在した伝説的なプロデューサーにたどり着く。ウォルター・レッグやジョン・カルショーといった名レコーディング・エンジニアは、デジタル録音とともにその存在価値を消失していった。ここで西脇が目指したのは、こういった昔の、レコード上でのみ存在したオーケストラ音の再現ではないか。

カラヤンやベームといった指揮者の演奏を聞いてクラシック音楽に開眼した世代は、舞台上で繰り広げらっる実際のオーケストラの音とも異なるこういった録音の技術による音楽に、むしろその原点がある。そういう意味では、私もその一人なのかも知れない。ただ西脇が述べているのは、バイロイトでの響きのことである。ここで舞台の真下に隠れているオーケストラの音が、いくつかの壁に反射して鳴り響く音を理想としている。それはあたかも霧のように天井から降り注ぐかのような音がするというのである。

私はバイロイトに行ったことがないし、ワーグナーともなれば広い舞台に多くのプレイヤーを集めて演奏しなければならないから、今の編成では不可能だろう。だが、「ニーベルングの指環」から取られたオーケストラの名称を考えると、やがてはワーグナーを聞いてみたいとは思う。いやこの編成なら、「ジークフリート牧歌」くらいは可能だろう。あと聞いてみたいのは、ビゼーの交響曲だ。

この演奏会は、私にとって懐かしい三鷹市文化芸術センターで行われた。残響が多いこのホールでは、ちょっと音楽がやかましい気がしないでもない。同時に一人一人に手渡された第6弾のCD(モーツァルトのパリ交響曲とハイドンのロンドン交響曲などが収録されている)も聞いてみようと思う。若いメンバーが多いオーケストラの響きは、大変よく練習したこともうかがえ、だからこそこういう大胆な演奏が可能であることを思わせた。

本公演をわずか2日前に教えてくれた弟と、雷雨の去った三鷹駅への道を歩きながら、かつてこの近くに住んでいた時と変わらない街並みを楽しんだ。音楽が常に会場を満たし、どのような小さな音色のときでも音の美しさを表現されると、なぜか非常に疲れた気がした。だがこのような面白い演奏も、一愛好家の私にとっては歓迎である。なお、アンコールにはバッハの「マタイ受難曲」からコラールの一節が演奏されたことも付け加えておく。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...