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2026年7月30日木曜日

バルトーク:管弦楽のための協奏曲(小澤征爾指揮シカゴ交響楽団)

有名曲でもどうにも馴染めない曲というのがある。私にとってバルトークの代表作「管弦楽のための協奏曲」は、まさにその一つだった。他にはストラヴィンスキーの「火の鳥」、R・シュトラウスの「ドン・キホーテ」、あるいはベートーヴェンの「荘厳ミサ」も加えていいかもしれない。馴染めない要因は定かではないが、往々にしてあるのは「いい演奏」に出会えていないというケースだ。自分にとってしっくりくる演奏、魅力を再発見させてくれる演奏を「いい演奏」と呼ぶのなら、出会うまでとにかく探し続けなければならない。

ところでバルトークは、私とよく似た血液疾患を患い、それが原因で亡くなった作曲家である。しかも「管弦楽のための協奏曲」は、自らの死期を悟っていた闘病中に一気に書き上げられた作品だ(当時は病名が本人に知らされることはなかった)。アメリカへ亡命したものの生活に馴染めず困窮していたバルトークを心配し、多くの音楽仲間が支援を申し出た。ボストン交響楽団の指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキーもその一人である。

わずか数か月で書き上げられたこの曲はクーセヴィツキー(の財団)に献呈され、彼の指揮で初演された(1944年)。短期間で作曲されたとは信じられないほど充実した内容であり、バルトーク晩年、いや生涯における最高傑作の一つである。40分にも及ぶ5楽章構成の楽曲は、多彩な楽器が組み合わされた大規模な編成となっている。

第1楽章(序奏)は静かに始まるが、やがてほとばしるような勢いを増し、性急な音楽へと変化する。「死・絶望」と解説されることもあるが、実際この曲は、亡くなったクーセヴィツキー夫人への追悼作品として委嘱された経緯を持つ。金管楽器が入り乱れ、特に終盤における全金管楽器によるカノンは大きな聴き所だ。

第2楽章(対の遊び)は小太鼓のリズムが印象的で、ここで主役となるのは木管楽器群である。遊び心が垣間見え、諧謔的なムードが漂う。金管楽器は音量を抑え、弦楽器もピチカートを多用する。続く第3楽章(エレジー)は、8分に及ぶ弔いの音楽だ。とはいえ、そこはバルトーク。不協和音によって悲しみは湿度を失い、むしろ悲痛な叫びを表現しているかのようだ。そして第4楽章(中断された間奏曲)に入ると、リズムの面白い東欧の民謡風な楽曲となる。バルトークが優れた民俗音楽の研究家でもあったことを思い出させてくれる、短いながらも変化に富んだ楽章だ。

ホルンによる印象的な重奏で始まる終楽章(フィナーレ)は、まずこの冒頭がどれほど鮮烈に響くかが聴き所となる。続いて、急速なテンポによるヴァイオリンの迫力ある合奏(無窮動)が打ち寄せる。ここでもハンガリーの民族的なメロディーが溢れているが、テンポの速さも相まって聴く者は次第に興奮を禁じ得なくなる。

初演後、数多くの録音が残されたが、その多くは米国のオーケストラによるものだった。当時、米国の主要オーケストラの指揮者はほぼすべてヨーロッパ出身者であり、その多くがハンガリー系、つまりバルトークと同郷の演奏家たちであった。ジョージ・セル、アンタル・ドラティ、ユージン・オーマンディ、そしてフリッツ・ライナー。同じ白血病で亡くなるフェレンツィ・フリッチャイもそうだ。後年にはゲオルク・ショルティがシカゴ響と名演を残している。

私は1980年頃の『レコード芸術』の裏表紙に掲載されたデッカ(DECCA)の広告を今でも忘れることができない。だが、期待して聴いたこのショルティによる演奏は、私にさほどの感動を残さなかった。この曲の録音史においてはシカゴ交響楽団による演奏が軸となっているように思えるが、フリッツ・ライナーによる1955年の名録音(ステレオ)と双璧をなす……いや、それ以上に私の心を捉えて離さないのが、当時35歳だった若き小澤征爾の演奏である。1970年に録音されたこの盤は、ちょうどライナー盤とショルティ盤の端境期に位置している。

私が長年探し求めてきたこの曲の決定盤は、最終的にこの小澤盤へと行き着いた。今聴いても湧き立つような興奮を覚え、もの凄い集中力で一気に迫ってくる。ハンガリーの民族的なリズムが強調された表現は、実に鮮やかで見事だ。もし最初にこの演奏に出会えていたら、もっと早くこの名曲を好きになれていたに違いない。

2026年6月15日月曜日

NHK交響楽団第2067回定期公演(2026年6月14日NHKホール、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン指揮)

優れた指揮者のもとでは、一体化したオーケストラの響きが、まるでひとつの楽器になったかのように3階席にまで鮮やかに届く。90年代前半、この席の常連だった私には信じられないことだが、最近のN響は本当に巧くなった。。

今シーズンのN響Aプログラム最終回を指揮したのは、オランダの指揮者ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン。ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督を務めるなど、世界各地の名門オーケストラを率いてきた国際的な指揮者だが、日本ではその実績の割に知名度が高いとは言えない。

私はかつて、彼が香港フィルハーモニー管弦楽団を指揮したワーグナーの「ニーベルングの指環」の録音を聴き、その確固たる音楽作りに目を見張ったことがある。しかし実演に接する機会はなかなかなかった。興味深いことに、彼は香港のみならず台湾や韓国などアジア各地のオーケストラのシェフを務めてきたほか、フランスやアメリカにも活動の拠点を置いてきた。熱心なファンが少なくないのも頷ける。

その音作りは、史上最年少でコンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを務めた経歴からも想像できるように、弦楽器を中心に据えた精緻で明晰なものだと思っていた。しかし実際に接してみると、予想以上に情熱的な指揮者だった。3階席から見ても、その大きな身振りはよく伝わる。音響の天才的なバランス感覚のもと、各楽器は見事に溶け合いながらも埋没せず、大きな振幅を描く。音楽を聴く喜びをこれほど味わわせてくれるコンサートも珍しい。

4段階評価なら迷わず星4つを付けられる演奏会に、私はこれで3日連続で通ったことになる。東京のクラシック音楽界は、それほどまでに充実している。実際、この週にはチケット完売のため行くことがかなわなかった演奏会(エベーヌ四重奏団によるベートーヴェン・チクルス)まであった。

プログラムの冒頭は、ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲。この曲は祝祭的な名曲としてたびたび演奏されるが、ヴァン・ズヴェーデンの指揮で聴くと、その充実ぶりがひと味違う。N響の豊かなサウンドが冒頭から満開である。彼がワーグナーを得意としているからこその選曲なのだろう。だが、このような指揮者なら、どんな作品を振っても聴いてみたいと思わせるものがあった。

続いて舞台中央に置かれたピアノの前に、ピアニストのコンラッド・タオが登場する。中国系アメリカ人で、自ら作曲も手がける音楽家だ。

モーツァルトのピアノ協奏曲第17番が始まると、その伴奏からして絹のようにしなやかでエレガントな音色に圧倒される。さらに、広大なNHKホールの3階席にまで十分届くピアノの美しいメロディーが、耳を洗い心を揺さぶった。「この曲はこんなにも魅力的だったのか」と、何度聴いたか知れない作品でありながら発見の連続である。

第1楽章のカデンツァは、まるでベートーヴェンが弾いているかのようだった。これは彼自身によるものだろうか。そして第2楽章のカデンツァには、どこかバッハを思わせる趣があった。久しぶりに実演で聴くモーツァルトだったが、これは私の経験した演奏のなかでも最も完成度の高いものとして長く記憶に残るだろう。

アンコールで演奏されたラヴェル「マ・メール・ロワ」より「妖精の園」も、このピアニストの才能を鮮烈に印象づけた。特に終盤、鍵盤上を左右に行きつ戻りつしながら展開される演奏は、ダイナミックでありながら綿密だった。

私は長年、バルトークの音楽を苦手としてきた。民族音楽を題材にした初期作品くらいしか聴かなかったのである。しかし彼の代表作の多くは、むしろ晩年に書かれている。

今回プログラムを読んでいて知ったのだが、バルトークは私と同じ骨髄性白血病を患っており、「管弦楽のための協奏曲」を作曲した頃にはすでに闘病生活のなかにあったという。これで一気に親近感が湧いたというと語弊があるかもしれないが、「これは聴かなければならない」と思ったのである。

「食わず嫌い」という言葉があるが、私にとって「管弦楽のための協奏曲」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、そしてR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」は、いわば「聴かず嫌い」の代表格だった。しかしヴァン・ズヴェーデン指揮のN響によって、その状況を克服する絶好の機会が巡ってきた。そして舞台にずらりと並んだ大編成のN響から聴こえてきたのは、紛れもなく世界最高水準の音楽だった。

今やN響は、欧米の有名オーケストラと比べても遜色のないレベルに達していると思う。聴いていて惚れ惚れするその演奏は、後方の弦楽器奏者でさえ身体を揺らし、ときに管楽器群は号砲のような響きを放つ。全奏で鳴り響いても濁りはなく、その一方でヴィオラや第2ヴァイオリンが独特の風合いを添え、音楽に繊細な彩りを与える。

オーケストラを聴く楽しみとは、まさにこのような音の万華鏡を味わうことに尽きる。優れた指揮者のもとでは縦の線が整い、千変万化するテンポにも迷いがない。ヴァン・ズヴェーデンは職人的な厳密さと情熱を兼ね備え、この大作を見事に引き締めていった。

終楽章のアレグロが感動的なフィナーレを迎えると、満場のブラボーが飛び交った。本人もよほど手応えを感じていたのだろう。何度もカーテンコールに応えるなかで、少し茶目っ気を見せながら客席に手を振っていたという。もっとも、私の席からはその様子を直接見ることはできなかったのだが。

2024年12月31日火曜日

バルトーク:ピアノ協奏曲第2番Sz95(P: マウリツィオ・ポリーニ、クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団)

今年世を去った音楽家のひとりに、イタリア人ヴィルテゥオーゾ、マウリツィオ・ポリーニがいる。彼の演奏するディスクが発売されるたびに大きな反響を呼び、私も数多くの録音に接してきた。しかし実演となると、接したのはわずかに1回。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会のうちの一夜のみである。ポリーニの数あるディスクの中で、特に面目躍如たるディスクを選んでみた。

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今年中に何とかバルトークのピアノ協奏曲について語ろうと思ってきた。しかし12月になってもなお、私は第2番についてでさえ書くことができないでいる。そうこうしている間に大晦日になった。このまま年を越すわけにはいかない。今年亡くなったポリーニの演奏を取り上げる予定でいるからだった。

大晦日の夜10時になって、私はいつものように散歩にでかけた。北風が吹く寒い夜に、歩く人はほとんどいない。そびえる数多くのタワーマンションにも約半数の部屋には灯りがともり、紅白歌合戦などを見ているのだろう。私は少しほろ酔い気分で、いつものコースを歩いている。時折千鳥足になるが、気分がいい。モノレールが轟音を立てて、上空を通り過ぎてゆく。そして耳にはポリーニの演奏するバルトーク。

妻が仕事を持ち、毎日疲れて帰宅するとき、彼女はしばしば愚痴をこぼし、最悪の場合には癇癪を起すことが判明した。気持ちが高ぶって怒りに燃え、その矛先を私を含むいろいろなものに向けるのである。私は仕事を持つ大変さを理解しているからできるだけ理性的にふるまうのだが、それでもハチャメチャな言動はしばしば常軌を逸する。そんなある日、バルトークを聞いた。ピアノ協奏曲第2番であった。正直に言うとそれまで、私はバルトークが理解できなかった。そして思った。もしかするとこれは、彼女の音楽ではないか、と。

時に気違いじみたような音階の分離。リズムに脈略はなく、そのような部分が現代人の心理状態を表している。私のバルトーク理解の第一歩はこのようなものだった。

妻の心理状態が時に理解不能に陥るように、バルトークの音楽は理解不能と思うことにした。「理解できない」ということを理解できるようになると、どういうわけか少し理解できるような気がした。今ではこのポリーニとアバドの古典的名演奏を含め、このような支離滅裂に思える音楽が、極めて理性的に演奏されていることが理解できる。これはこれで、そのような状況を楽譜に書かれた音符から忠実に再現しているのである。時代劇のチャンバラシーンと同じである。

だから今となっては、上の考えは修正する必要があると考えている。妻にも大いに失礼でもある。実際ピアノ協奏曲第2番は「難解すぎた」第1番の反省から「大衆にとっての快さ」を希求した作品であると語っている。バルトークの音楽は、このように一見キチガイじみた印象を残すが、次第に体に馴染んでいくようになる。

3つの楽章から成っている。第1楽章と第3楽章はアレグロ。この2つの楽章は、作品を構成する対称構造をなしていることからも、同じムードを持っていると言える。金管楽器も大活躍し、ピアノとの奇妙で丁々発止のアンサンブルが面白い。このピアノ・パートはほぼ休みなく続き、ピアニストをして大いに疲れさせ、しばしばけいれんを起こすほどだと聞いたこともある。だがポリーニはこれをあっさりと弾きこなしてゆく。アバドの伴奏がまた、こなれた音楽のようにさらさらと流れてゆく。このことがもしかしたら、バルトークらしい粗野で野蛮なイメージを薄めている。

バルトークの音楽的構造がどのようなものかを理解するのは難しく、相当な音楽的知識があってもそれを音楽史の中に正確に位置付けられるだけの教養が必要ではないか。ピアノの超絶的な奏法はいうに及ばす、加えて民俗音楽を研究しつくした意味で、ハンガリーあるいはその周辺地域の地理的、文化的特性をも知っておく必要があるだろう。彼が後年アメリカへ移住したことも。だがそうでなければバルトークの音楽を楽しめないか、というとそうではない。素人的な聞き方でいえば、この曲の持つ「ピアノの打楽器的用法」であるとか、前衛的なリズムなど、感覚的、情緒的に聞くことも十分可能である。

さて、私が夜の散歩をしながら聞き入るのは第2楽章である。アダージョとはなっているが、それ自体が三部構成になっていて中間部はプレスト。ひとしきり遅く荘重なリズムが続いたあとで、速く疾走するような音楽が出てきて興奮する。ポリーニ&アバドの真骨頂が示される。ここではトーン・クラスターと呼ばれる、或る音域の音符を一気に同時に(掌で)弾く奏法を聞くことができる。

バルトークの音楽はインターナショナルであると思う。ハンガリーの民俗音楽に拠る作品も残しており、それらはもっと聞きやすいが、彼はそこから発展し十二音技法などとはまた別に、ロマン派後期から現代音楽に至る橋渡しをしたと言える。その前衛性がなかったら、後世の残る音楽家にはなれなかっただろうとも想像がつく。そのバルトークの音楽を、ハンガリーの土着性と結び付ける解釈から昇華して、今や古典的な音楽たらしめるまでに研ぎ澄ませることに成功したアバドとポリーニによる演奏は、今もって驚異的であると言える。 

2023年4月18日火曜日

バルトーク:管弦楽曲集(アダム・フィッシャー指揮ハンガリー国立交響楽団)

前にも述べたように、私はバルトークが苦手だった。しかしこの舞曲を中心とした管弦楽曲集に接した時、これは聞けると思った。ハンガリー生まれのアダム・フィッシャーがハンガリー国立交響楽団を指揮したCDである。このCDはNimbusという黒いジャケットのレーベルから発売されていた。Numbusというレコード会社は、しなしながらいつのまにか倒産し、私のCDを含め多くが廃盤、入手不可能となってしまった。私は中古屋を巡り、何とかあと1枚のCDを買い求めた。

バルトークの音楽は、ハンガリーやジプシーを題材にした複雑なリズムが特徴である。ピアニストとして有名だったので数々のピアノ作品を手掛けたが、それらのいくつかは管弦楽曲に編曲された。「ルーマニア民族舞曲」もその一つである。「棒踊り」「帯踊り」「踏み踊り」「角笛の踊り」「ルーマニア風ポルカ」「速い踊り」の6つのパートから成っている。タイトルを見るだけでわくわくする。ルーマニアはかつてハンガリー王国の一部だった地域が存在する。そこの民謡を題材に選んだ、と解説にはある。難解で万人受けしないバルトーク節はここには不在で、大変親しみやすい。7分足らずの短い曲だが、それぞれに独特の表情付けがある。何といってもクラシックの世界では、ルーマニアなどといった国は未知の国で、どのような音楽が存在するのか興味深い。私はもちろん行ったことはないが、健康な体でなくなった今となっては、もう一生行くこともないであろう。

一方「舞踊組曲」は、この中では最も有名な曲ではないかと思う。この曲は最初から管弦楽曲として作曲された。ハンガリーの首都、ブダとペストが合併して50周年を記念する年に委譲されたというのが作曲の経緯である。18分ほどの曲は6つの部分からなり、音楽は切れ目なく演奏される。「ルーマニア民族舞曲」ほど気さくな作品ではないが、バルトークの特徴が程よく現れていて親しみやすい。ファゴットやトロンボーン、ハープなどが活躍し、コル・レーニョと呼ばれる弦楽器の奏法(弓の木の部分で弦を叩く)やグリッサンド(ハープなどで滑らせるように弾く)なども見られる。

「ハンガリーの風景」はピアノ曲からの編曲(5曲)。全体が非常に描写的で親しみやすいが、面白いのは「トランシルヴァニアの夕べ」でのオーボエ(もしかするとコール・アングレ)の牧歌的なメロディーに五音音階が用いられていることもあって、非常に日本風の響きがすることである。ここでハンガリーはアジア系、などといい加減で陳腐なことを持ち出す気はないが、バルトークの別の面を見る思いがする。「2つの映像」はドビュッシーの影響を受けた幻想的な管弦楽曲で、「花盛り」「村の踊り」の2曲から成る。それぞれ10分程度の曲。特に「花盛り」はドビュッシーそのものの作風で、間違えそうなほどだ。バルトークにもこのような作品があったのかと思った。

アダム・フィッシャーの指揮はメリハリが効いて録音も大変良い。独特の透明感とややくすんだ東欧風の色彩が感じられる、とてもチャーミングな一枚。


【収録曲】
1. ルーマニア民族舞曲 Sz.68
2. 舞踊組曲 Sz.77
3. ハンガリーの風景 Sz.97
4. 2つの映像 作品10, Sz.46
5. ルーマニア舞曲 Sz.47a

2023年4月8日土曜日

バルトーク:ピアノ協奏曲第1番Sz83(P: ジャン=エフラム・バヴゼ、ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック)

週末の早朝に、熱いミルク・ティーを飲みながらバルトークを聞いている。家族はまだ寝ているから、大音量で音楽を流すわけにはいかない。久しぶりにSONYの高級ヘッドフォンを取り出してパソコンに繋ぎ、先日実演を聞いたばかりのフランス人ピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼの演奏に耳を傾けている。セーターがなくても寒くない陽気だが、今日は朝から雨雲が立ち込め、路面が濡れている。今年の春は桜があまりに早く散ってしまい、4年ぶりに日常を取り戻したというのに、何か拍子抜けしたような新年度の始まりであった。

バルトークは3つのピアノ協奏曲を作ったが、その最初の第1番は1926年夏に作曲されている。和暦では大正15年のことで、音楽関係ではNHK交響楽団の前身である新交響楽団が設立されている。2つの世界大戦に挟まれた不安定で暗黒のような時代、とこれまで私などは考えてきた。マーラーの死がひとつの音楽史における区切りと考えると、そのあとの時代、すなわちロマン派が終わってラヴェルやストラヴィンスキーの時代に入ってゆくのだが、バルトークもまたそのような時代にハンガリーで活躍した。

バルトークは民族音楽の収集と研究がライフワークであったようだ。彼の作品にその影響が色濃く反映されているという。私は専門家ではないし、ハンガリーの民謡にもまったく無知なので、どれがどうということは言えないが、リズムが千変万化するあのブラームスの「ハンガリー舞曲」や、リストの「ハンガリー狂詩曲」などに親しんでいるから、親しみやすい音楽だと思って聞いてみるのだが、これが一向にそうではなく、むしと難しくてよくわからない、というのが第1印象だった。

バルトーク自身そのことを認めていて、ピアノ協奏曲第1番についても「難点といえば、たぶんオーケストラにとっても、聴き手にとっても、非常に難しいというところでしょう」と述べている。民俗音楽をそのままの体で作品に反映させるだけの時代は終わり、20世紀の音楽としての傾向を踏まえないと、クラシック音楽としての存在感は主張できない。バルトークはそれを実践した。同じハンガリーの同世代コダーイやチェコにおけるヤナーチェクと同様の位置づけと言えるだろうか。

そのバルトークはピアニストでもあった。そして彼の最初のピアノ協奏曲は、バルトークが新古典主義の趣向を強める最初の作品と位置付けられている。とはいえ、私が聞いた印象ではやはり土着的な匂いがする。メロディーもほとんどなく、とらえにく。けれども私にとってストラヴィンスキーが常にそうであるように、ある時演奏次第では、耳にしっくりくるときがあるものだ。

ブーレーズが3人の異なるピアニスト、オーケストラと共演・録音した豪華なCDは私も買っていたが、これはどういうわけかほとんど聞いてこなかった。ブーレーズのCDとしては、ストラヴィンスキーやドビュッシーなど、新たな録音がリリースされるたびに大いに評判を呼び、私も興奮して何枚も買ったのだが、どういうわけか心に響かない。これは演奏が悪いというのではなく、もしかしたら録音によるものなのかも知れない。なぜなら実演で聞いた演奏では、めっぽうヴィヴィッドで躍動的だったからだ。録音ではどういうわけか立体感が失われ、醒めた冷たいものになっている。録音上の演出がそこにあるのではないかと疑っている。

第1楽章はピアニストが思いっきり低いキーを連打し、それに打楽器を主体とするオーケストラが絡むシーンから始まる。ブーレーズによるこの曲のCDではツィメルマンが独奏を担っているが、来日時の公演映像が残っていて、そこではポリーニが見事な競演を繰り広げている。そのポリーニが鍵盤の端っこに指を置いて、指揮の合図を待つシーンが印象に残っている。ブーレーズとポリーニよるライブ映像は、もはや老人とも言える年齢の二人が、このような難曲でもそつなくやってのける円熟の極みに感嘆するが、ここで取り上げるのはバウゼが2009年に録音したCDで、快速の演奏はもはやこの曲が、こなれた「通常の」クラシック音楽として、まるで難しさなどないかのように「普通に」演奏されてしまっている。

ソナタ形式、と言われてもピンとこないが、よく聞くと第1楽章は主題が再現される。リズムに合わせて踊りだしたくなるような曲がノセダの指揮によって洗練されたものになっている。一皮むけたかっこいい演奏だが、これは後から聞くとブーレーズの「完璧に」板についた演奏から続く道の上にいるうなところがある。なるほどブーレースの演奏を再認識するきっかけにも、私の場合、なったのである。

第2楽章では、静かな中に独特の雰囲気が醸し出される。ここでも打楽器がピアノに絡む。いや良く聞いてみると、ここの楽章に弦楽器が登場しない。バルトークの新しい響きが、彼自身のオリジナルかどうかは知らないが、打楽器の活躍によるところが大きいと思う。不協和音と時に乱れる楽器群。それでも太鼓が足取りを刻む。夜の音楽。

バウゼ/ノセダの組み合わせで聞く第3楽章は極めてカッコいい。快速で一気に駆け抜けるノリのいい演奏に、もはや古い演奏に見られる澱みはない。バルトークの音楽の一種の面白さが堪能できる。あっという間の7分弱。それにしてもこの曲が初演された時、指揮者は何とフルトヴェングラーだったらしい。ちょっと想像ができない。

2023年3月29日水曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2023年3月28日サントリーホール、大野和士指揮)

ハンガリー系ユダヤ人作曲家リゲティは1923年生まれで、今年生誕100周年。そのことを記念して都響は今シーズンの最後の定期演奏会に「リゲティの秘密」と称する意欲的なプログラムを組んだ。私はそのことをわが家に届いたダイレクトメール(葉書)で知ったが、今月はすでに5回ものコンサートに出かけており、特に都響は2回に及ぶ。だからこれはパス、と決めていたのだが気になって仕方がない。どうやら前評判も上々のようで、同じプログラムが2回。いずれもサントリーホールで開催されるというのも珍しく、オーケストラはかなり自信があるのだと思われる。そこで2日目にあたる3月28日、仕事を早々に片づけてまたもや赤坂アークヒルズへと急ぐ。スペイン坂の桜が満開を迎え、ライトアップされて見事に咲き誇っている。

プログラムは4つの曲から構成されている。まず前半は「虹」という作品の本邦初演。「ピアノのための練習曲集(第1巻)」からの1曲だそうで、アブラハムセンという人がオーケストラ用に編曲した。「虹」はわずか4分ほどの短い曲で、原曲は1985年の作品。現代音楽を聞く時の関心事のひとつは、舞台上の楽器配置である。そして驚くのは弦楽器の少なさ。これに比べ、管楽器や打楽器が舞台の後方にずらりと並ぶ。解説書によれば、この作品では「ポリリズム」と呼ばれる複数の拍子のリズムが同時に(ピアノなら右手と左手)弾かれるという複雑なもので、それが編曲により各楽器に割り振られ、ばらばらの拍の音楽が絡み合うというものだそうだ。「虹」というタイトルが後からつけられただけで、「虹」を音楽で表現したものではないとのことだが、ポリリズムを各楽器に分解したために、音楽が極めてカラフルなものとなった。それを「虹」と表現したのだろう。

このたびの私の座席は、舞台を向かって左手間横から見下ろるLDと呼ばれるA席の最上列で、後に席がないため身を乗り出して見ることができる。この位置からのオーケストラの音は、思った以上に良かった。サントリーホールでは1階席よりも2階席の方がいい音に聞こえるような気がする。会場には比較的若い人が目立ったのも今回の演奏会の特徴だ。学生が半額になるというのも魅力的だが、新しい音楽にこそ人気があるというのも嬉しい。もしかすると音楽を学んでいる学生なのかも知れない。私の隣の席もカラフルな衣装の学生だったし、前の男性はオペラグラス片手に舞台に見入っている。

舞台上には様々な楽器が並んでいた。次の曲「ヴァイオリン協奏曲」は1990年の作品で、独奏はソビエト(モルダヴィア)生まれのパトリシア・コパチンスカヤ。こういった曲は彼女の独断場だが私はもしろん初めて聞く。面白いのは弦楽器の少なさで、ヴァイオリンは第2を合わせても4人、他は各2人、コントラバスはたった一人。それに対し木管はほぼ2人ずつに加え、リコーダーやオカリナと呼ばれる子供用の笛までもが登場する。また鍵盤楽器が舞台右に陣取り、マリンバ、シロフォン、鉄琴、ビブラフォンといった学校の音楽室にあった楽器がずらり。打楽器の種類に至ってはここに書ききれないほどである。

コパチンスカヤが舞台に登場し、チューニングを始めたと思ったらそれが音楽の始まりだった。音楽とも雑音とも区別のつかないようなギリギリの旋律を、弦楽器と独奏ヴァイオリンが一見無茶苦茶に演奏しているのではないか、と目を疑ったが、これは「変則調弦(スコルダトゥーラ)」と呼ばれる手法を用いて本来の音とは異なる音が出るように操作されているとのことである。Wikipediaで「スコルダトゥーラ」と検索すると、その手法が用いられている主な曲が紹介されていて興味深い。

リゲティの刺激的なヴァイオリン協奏曲は全部で5つの楽章から成り、各楽章には特徴があって面白い。第2楽章には「ホケトゥス」などと書かれているが、これは中世の作曲家マショーの作品に登場する「しゃっくり」のような音楽である。一方、目まいや動悸にも似た生理現象を過激に強調したような部分も少なくない。この結果、ヴァイオリンが有り得ない速度のトレモロで急上昇や急降下を繰り広げるシーンや、それが木琴や太鼓と重なったりする。百家争鳴の音の饗宴とでも言おうか。

楽章が進むにつれて、コパチンスカヤの動きは次第に活発になってゆく。弦楽器のセクションをぐるっと回って、指揮者が二人いるような状況を作り出し、会場に向かって何やら叫んだり。さらには終楽章で長大なカデンツァに挑んだ。これはもう彼女の独断場だった。音楽が終わると割れんばかりの拍手となったが、アンコールにはコンサート・ミストレスとして長年活躍した四方氏とのデュオで、やはりリゲティの「バラードとダンス(2つのヴァイオリン編)」という曲が演奏された(とHPに掲載されている)。

ここで私は解説書から以下の点を記載しておかなくてはならないことに気付く。四方氏は都響に加わる前、西ドイツのケルン放送交響楽団(現WDR響)に所属していたそうだが、このリゲティのヴァイオリン協奏曲を初演したのが1990年のケルン放送響(ベルティーに指揮)で、これは丁度彼女のキャリアと一致する(1987年入団とある)。特に紹介されてはいなかったが、もしかすると彼女は初演時にこの曲を弾いているのではないかと思われる。

休憩時間が過ぎてオーケストラが倍増。通常配置ながらコントラバスだけで10人はいるか。バルトークの名曲「中国の不思議な役人」の全曲版である。この曲は通常、より短い組曲版で演奏されることがほとんどだが、今回はオルガンと栗友会合唱団が入る。このため通常のP席は空けられていた。組曲版は最後の3分の1がカットされているだけである。今月聞く都響の公演中、もっとも巧いと思ったのがこの「中国の不思議な役人」で、どうしてそう思ったのか、客観的にそうなのか、よくわからないのだが、とにかくも私は初めて実演で聞くこの曲の演奏に聞き入った。リゲティの刺激によって、オーケストラもリスナーも耳の垢がそぎ落とされたのだろうか?

音の洪水のような曲ばかり聞いてきたが、最後に演奏されたリゲティの「マカーブルの秘密」についてもまた多くを書かなければならない。この曲はもともとオペラ作品として作曲されたようだ。しかし本番直前に主役ソプラノ歌手が歌えなくなり、そこをトランペットで演奏したことによりこの曲が生まれる。わずか10分足らずの作品だが、今回の演奏(演技)は極めて印象的だ。楽団が登場したときに各奏者には新聞紙が配られ、それをクシャクシャにして放り投げるところから演技が始まった。コパチンスカヤは体中にポリ袋と新聞紙を巻き付け、異様な姿で舞台に登場。靴を脱ぎはだしになって何やら話す。マイクを通してその声は会場に伝わるが、何を言っているのかよくわからない。以降、この歌でもなければ話でもない「声」には、丁寧に対訳がブックレットに記載されているが、解説を読んでも意味不明である。

この「意味不明」の意味することは何か?おそらくゲシュタポ(秘密警察)の大いなる皮肉ではないか、などと想像がつくが、これを舞台上で徹底的に茶化しながらやっているコパチンスカヤ、のみならずオーケストラ、さらには遅れて登場する指揮者までもが演技を行う。「もうやってられないよ」などと大野が客席に向かって叫び、コパチンスカヤは仰向けになって演奏する、という具合。結局どこまでが楽譜に書かれ、どこまでがアドリブなのかもわからない不条理世界。だから笑ってしまうしかないのだが、それもこの時代と政治背景が生んだもの。バルトークからリゲティへとつながる戦前・戦後・冷戦時代の東欧がこの音楽の背景にある。

会場からは割れんばかりの拍手喝采が続き、本日を限りに引退する四方氏への花束贈呈も加わって舞台は大いに賑やかとなった。プログラム冊子にはその四方さんのインタビュー記事が載っていて、音楽の話かと思いきや漫才や野球の話が続き、同じ関西人として共感すること多し。サントリーホールを後にしたのは21時をとっくに過ぎていたが、何か不思議なものを見た今日のコンサートだった。

2023年3月22日水曜日

東京都交響楽団第401回プロムナードコンサート(2023年3月21日サントリーホール、大野和士指揮)

立て続けに都響の演奏会へと足を運んだ。この日のプログラムは、前半がバルトークの「舞踊組曲」とピアノ協奏曲第1番(独奏:ジャン=エフラム・バウゼ)、後半がラヴェルの「クープランの墓」、ドビュッシーの交響詩「海」と盛沢山。指揮は音楽監督の大野和士が今回も登場する。休日のマチネは「プロムナードコンサート」と題された1回限りのものだが、名曲ばかりとは言えなかなか魅力的なプログラムも多く、ここのところ外れがない。バウゼのバルトークは、ジャナンドレア・ノセダとの録音があって、これがなかなかいい演奏である。そしてそれを生で聞ける!

そもそも私はバルトークが苦手だった。しかし初めて「舞踊組曲」を聞いた時、これは行ける、と思った。大学生の頃だった。この時の演奏については別に触れるが、ハンガリーだけでなく、東欧、さらにはアラビア風の民俗音楽までも取り込んだ祝祭的な作品で親しみやすい。舞台の真ん中にはピアノが置かれていて、これは次の曲で使用される。「舞踊組曲」にもピアノが使われるが、これは舞台右奥にあるピアノが使用された。全体に無難な演奏。

20分ほどの曲が終わってオーケストラが引き上げると、曲の途中としては大掛かりなレイアウト変更がなされた。まずティンパニーがピアノの正面(舞台向かって右)に移動。他の打楽器群(小太鼓、大太鼓、シンバルなど)が舞台左手、ピアニストの後に陣取る。普段は奥の方にいて、1階客席からはあまりはっきりとは見えない打楽器群が、ピアノを取り囲むように配置されたのだった。これはバルトークの指示に基づくものだそうだが、実際にこのような配置で演奏するとは限らないようだ。けれども曲が始まると、この配置が相当な効果を生むことが実感できた。

曲はピアノと打楽器のための協奏曲といった風で、複雑に動くリズムと不協和音がどう絡み合っているのかを追うのも困難。それを楽譜通りに演奏する難しさは相当なものだと思う。丁度「春の祭典」(ストラヴィンスキー)を初めて聞いた時にも同じことを思ったが、このような現代音楽の入口にいるような曲を聞くには、全体を大きく把握して、しかも細かい部分にも神経を行きわたらせる必要がある。いわばいかに曲全体を体で覚えているか、といったことが試されてしまう。そしてバウゼのピアノは彼自身が楽器のように体を揺らし、時に手を挙げ打楽器のタイミングに合わせたりする。

そういった打楽器との掛け合いを、私は前から13列目という絶好の位置から楽しむことができた。打楽器とピアノだけが目立つのだが、後の方ではトロンボーンやファゴットのような楽器も相当難しいメロディーを弾いている。そして乗ってくるとこの曲の「カッコ良さ」が実感できる。演奏が終わって相当満足した様子のピアニストは、指揮の大野とともにピアノの前に腰掛け、アンコールに「マ・メール・ロア」の終曲(第5曲「妖精の園」)を連弾で弾くというおまけがついた。

休憩を挟んだ後半には、ピアノと打楽器群が占拠していた舞台から消え、指揮台が前に。通常のオーケストラの配置となったが、面白かったのは前半の対向配置とは違っていたこと。コントラバスは左奥から右奥に移動しており、舞台右袖も第2ヴァイオリンではなくヴィオラ。バルトークとラヴェルで音色を変えるという趣向だが、「クープランの墓」はもう少しメリハリの利いた音色で楽しみたかったというのが率直な印象である。一方、プログラム最後のドビュッシーは大いなる名演奏だったと思う。

しかしそれにしても、何故か腑に落ちないのは、このコンビによる演奏があまり感動を私にもたらさない点である。どこか都響の音も冴えない感じがする。もっともそれは私だけのことかも知れず(そうである可能性は大きいのだが)、特に毎年3月は季節の変わり目ということもあり、毎年体調が悪い。ここのところ寝不足も続いている。それでもコンサートに出かけるのは、例えばこの日のバルトークのピアノ協奏曲第1番などは、もう次にいつ聞けるかもわからないからだ。ドビュッシーの「海」だって、私は過去に一度しか聞いていない(シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)。まあ東京に住んでいなければ、そもそもこれほど多くの演奏会があるわけでもないので、クラシック音楽というのは時間もお金もかかる趣味だと実感した次第。今月は懲りずにあと2回は演奏会に出かける。そのことについてはまた、あとでここに書かねばならない。 

2016年1月15日金曜日

ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート2003(ピエール・ブーレーズ指揮)

リスボンにある世界遺産・ジェロニモス修道院を新婚旅行で訪れた。1996年12月のことである。ヴァスコ・ダ・ガマとエンリケ航海王子。香辛料貿易によって得た巨大な富は、大航海時代を代表するこの二人を称え、さらなる航海における修道士たちの精神的な支えを得る場所となった。だがポルトガルの繁栄は長くは続かなかった。大航海時代の主役はスペイン、そのあとオランダへと取って代わられ、リスボンの街は天災も重なって大きな苦難を味わうことになったのだ。

ジェロニモス修道院はそんなポルトガルの短いながらも大きな繁栄を象徴する場所である。サンタマリア教会を中心に2つの博物館、それに航海時代を偲ばせる装飾的な彫刻の施された、マヌエル様式といわれる建物で構成される回廊と中庭からなる巨大な建築物である。航海を終えてテージョ川の河口に入ると見えるその姿は一層、航海士たちを励ましたに違いない。

ベルリン・フィルの創立記念日である5月1日に行われるヨーロッパ・コンサートは、ドイツ統一の翌年1991年から始まった。このコンサートはヨーロッパ各地の歴史的建造物で行われ、わが国でも放送されるしDVDなどで発売されている。2003年のこのコンサートはリスボンのジェロニモス修道院で行われた。大病を患い療養中だった私には、大きな残響をともなって響く音楽と映像自体が大変新鮮でおおいに感慨を持ちながら見たのだが、その時の指揮者が何とピエール・ブーレーズであった。それまではアバドやバレンボイムが担当していたコンサートに、何とブーレーズが招聘され、しかもモーツァルトを振るではないか。ピアニストはポルトガル生まれのマリア・ジョアン・ピレシュであることが決定的だった。すなわちこのDVDを手元に置いておきたいと思ったのである。

ビデオで見るジェロニモス修道院は、私が訪れた時とは違って修復され、中庭の植物も芝生に変わってしまったようである。このほうが見栄えは良いのかも知れないが、往時の繁栄を偲ばせる雰囲気が損なわれてしまったような気もする。そんなことを考えながら、このビデオを久しぶりに見た。ブーレーズの訃報に接したことを機会に、追悼の意を込めて取り上げる録音は何がいいかと考えたからである。

私は一度だけブーレーズのコンサートを聞いている。ロンドン交響楽団を指揮したストラヴィンスキーの「春の祭典」などである。この演奏は凄かった。オーケストラが丸で巨大な戦車のように思えたのである。 同時にブーレーズの音楽が、一般的なCDで聞くときの、やや平べったくて大人しい、ややもすればちょっと息苦しいような演奏とは全く異なることを発見したのだ。もしかするとその音作りは、CD制作会社の創作の結果ではないのか。ミキシングにおける「ブーレーズの音」の編集方針があらかじめ決まっているのかも知れない、とさえ思ったのだ。

「古い友人に会ったような気がする」とどこかの批評で読んだのは、90年代ドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、何十年ぶりかとなる「春の祭典」の録音が登場した時のことだ。クリーヴランド管弦楽団を指揮した旧盤の「春の祭典」は、特に「生贄の踊り」の部分の正確さがほかの演奏の追随を許さないほどに完璧であると言われていたし、私も中学生時代に聞いて大いに感動していたのだが、そのあとはブーレーズはむしろ作曲に専念し、メジャー・レーベルの録音からは遠ざかっていた。

その後私はバイロイト音楽祭を録画したシェロー演出の「ニーベルングの指環」で初めてワーグナーを知った。一連のマーラーの作品はどれも名演で、何枚かを買って持っている。最近では珍しい「嘆きの歌」をザルツブルク音楽祭で演奏し、その模様はブルーレイ・ディスクで発売されている(私はこれも買った!)。というわけで私はブーレーズの演奏の、さほど熱狂的ではないがファンであると思っている。そうそうあの最速の「パルジファル」も!

思えば90年代以降のオーケストラ録音はすべてが話題であった。晩年のブーレーズはもはや超一流のオーケストラとしか共演することはなく、無表情に見える指揮から紡ぎだされる音楽は構造が正確この上ない。その表現が面白いかはともかく、近代以降の音楽の演奏のにおけるひとつの模範ともいえるものではないかと思ったりしている。

そんなブーレーズのレパートリーはせいぜいロマン派後期あたりから始まるわけで、それ以前の演奏を聞いたことがなかった。ところがこのDVDでは何とモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調K466を指揮しているのである。このモーツァルトは何もしていないようなまったく自然な演奏だが、それがピレシュの自発的で素朴な真摯さと組み合わさって、とても充実した見ごたえのある演奏になっている。

ブーレーズとベルリン・フィルの演奏はプログラムの最初にラヴェルの組曲「クープランの墓」と、モーツァルトをはさんだ最後にバルトークの「管弦楽のための協奏曲」である。このいずれの作品も私はこれまででもっとも共感を得ながら聞くことができた。特に「クープラン」はあまり聞かないが、これほどよくわかる気がしたことはない。一方、短いコメントの後にドビュッシーの「夜想曲」より「祭り」が演奏され、これは誠に素晴らしい演奏である。

ジェロニモス修道院は天井が高い教会コンサートにありがちなように、とても残響が大きいのだろう。マイクは近めに設置されている。そのため各楽器がメリハリを持って弾かれている。前の残響を打ち消す必要があったのだろう。

ブーレーズはフランスを代表する現代音楽の作曲家もあった。だが彼は作曲家としてではなく指揮者として後世に残るだろうと思う。彼自身が現代音楽の限界を知っていたと考えるべきだろうか。音楽の知識に乏しい一ファンが安易なことを書くのはよそう。けれども私にとってのブーレーズは、ストラヴィンスキーとワーグナーそれにマーラの、他に比肩しうることのない名演奏をする指揮者であった。

2015年4月1日水曜日

バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」(The MET Live in HD 2014-2015))

兄弟も両親も、さらには婚約者までも捨てて殺人魔の住む古い城に嫁いだ謎の女性ユディットは、執拗にも暗い闇の中で7つの扉を開けるようにと要求する。「愛しているから」とせがまれてしぶしぶその要求を一つずつ飲み、開けていくその扉の中には・・・。

「イオランタ」から一変、この不気味で異様なまでに陰湿なオペラを見ているうちに気分が悪くなったのであろう。METライブの上演中に席を立つ人が何人かいたのは、その対比があまりに残酷で耐えられないほどだったことを意味しているように思えた。だとすればこの二つの対立的な作品を続けて上演することを提案した演出家マリウシュ・トレリンスキという人の才気あふれる解釈は、見事のその効果を発揮したというべきかもしれない。

彼は幕間のインタビューで、この二つの作品の共通点について触れている。いずれも寓話のような作品ながら、一方では娘を溺愛する以上に監禁してしまう父親の心理を、他方では理由も定かでないながら不気味な男の心理に憑かれていく女性の心理を、まるでホラー映画のように仕立てることにしたというのである。指揮は同じくワレリー・ゲルギエフ。謎の女性ユディットにソプラノのナディア・ミカエル、青ひげ公にはバスのミハイル・ペトレンコ。緊張感を失わず一気にモノクロ世界の中に展開する光を印象的に表現する。

7つの扉の中に現れた光景を、私は何の予習もなしに見た。そしてそれらが人間の男性の深層心理を表していることに疑いはなかった。第1の扉は拷問部屋で、そこの壁は血だらけであった。第2の扉は武器庫で、その武器は血で染まっている。第3の扉の中には宝が戦利品の如く溢れる。勿論血のついた宝物である。

それにしてもこのようにしてまで男性の深層心理を知ろうとする女性は、どういう存在なのだろう。だが確かにそういう人はいる。丁度娘を所有して離さない父親がいるように(「イオランタ」の父レネ王のことである)。音楽は特に印象的な旋律があるわけでもなく、強烈な不協和音の連続で聞く人をも混乱させる。そして二人だけが常に登場する舞台で歌われる歌は、重苦しく時に劇的でもある。

第4の扉の中は秘密の花園で、やっと一息つけるかと思いきやその土には血が染み込んでいる。優しさにも犠牲が潜んでいるのだ。第5の扉。広大な領土。征服欲を表している。ユディットはここまで来ると、残る二つの扉も開けるようにと迫るのだ。青ひげ公は、自分を愛しているのなら扉をあけないようにと願う。そうしておけばよかったのだろう。だが彼女は開けてみたくてたまらず、とうとう彼女に根負けしてしまうのだ。

第6の扉の中には涙の湖があって、孤独で悲しい心の一面を覗いてしまった彼女は、いよいよ最後の扉をも開けるようにと迫る。青ひげ公は過去の女を次々と殺してきた。その噂をユディットは感づいていたからだ。音楽がどのようだったかはよく思い出せない。CDを持っていれば聞くところだが、持っていないし持っていてもあまり聞く気はしないだろう。でもこの文章を書きながら、機会があればもう一度見てみたいとも思った。

第7の扉を開けると3人の女が生きたまま現れ、そしてついにユディットもその中の一人になってしまう。彼女がどうなったかは語られない。そのまま消えてしまうのだ。彼女が最も美しい、と言う青ひげ公は「これで完全に闇の中」と言って城の生活に戻る。

1時間が非常に長く感じられた。この日の上演は聖バレンタインの日にあたり、このような公演を見たカップルはどうなるの、などとインタビューのジョイス・ディドナートは嘆く。「イオランタ」とともに深い人間心理に挑んだ二作品だったが、美しい旋律の「イオランタ」よりは「青ひげ公の城」のほうが何かずっしりと心に残っている。でもはやり歳をとると、こういう作品は見るのがつらいような気がする。ファンタジーの世界も一歩違えば恐ろしい側面を見せる、いや確信犯的に見せつけられた今日の上演だった。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...