2021年1月24日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(5)ヘルベルト・フォン・カラヤン(1987)

それまで割と地味なコンサートだったウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに、何とあのヘルベルト・フォン・カラヤンが登場すると発表されたのは衝撃的だった。これは1989年に死去する2年前にあたる。カラヤンは晩年、特に健康を害して指揮台に登場することも少なくなっていた。また、かねてからベルリン・フィルとの諍いが絶えず、その代わりにウィーン・フィルへの登壇が増えていた。80年代に入ってからリリースされたビデオを見ると、体調の衰えは顕著で、70年代以前の、あの颯爽とした指揮姿とは見違えるほどで、カラヤンと言えども、年齢には逆らえないものだと思ったほどである。

そんな当時のカラヤンがニューイヤーコンサートを指揮するという。この模様は全世界へ衛星生中継されるので、途中で何かあった場合に取り返しが付かないことになる。それまでバレエ音楽やオペラの序曲集など、小品を中心とするポピュラー作品の指揮にも熱心に取り組み、ベルリン・フィルとは何種類ものウィンナ・ワルツの録音があるカラヤンとしては、何としても一世一代の晴れ舞台に応じないわけにはいかなかったのだろう。それにしても本当に指揮台に立つのだろうか?この様子を元日のテレビで見ないわけには行かない。1987年のお正月のニューイヤーコンサートは、今とは比べ物にならないくらいの一大関心事だった。

ニューイヤーコンサートは、実際のところは前日の大晦日に、同じプログラムが演奏される。またその前から入念に練習が繰り返される。後から調べたところによると、カラヤンは万全を期してウィーン入りし、自らの提案でもあった「アンネン・ポルカ」での、スペイン乗馬学校の馬術を撮影したビデオとの音合わせにも熱心に取り組んだようだ。2時間余りにわたって指揮台に立ち続けるだけの体力が持つか、ということも心配されたという。しかし、そのような情報がリアルタイムで伝わってくるような時代ではない。ニューイヤーコンサートのテレビ中継は第2部からとされていたから、それまでは半信半疑の気持ちで待ち続けなければならない。そしてとうとう午後8時から(日本時間)、NHK教育テレビでコンサート中継が始まった。

第2部、すなわちテレビ中継の最初の演目は、喜歌劇「こうもり」序曲だった。その冒頭が鳴り響いた時、音声がモノラルだったにもかかわらず、やはりカラヤンの音だと思った。中継映像は、カラヤンが登場する時にはいつもそうだったように、舞台真横(左側が多い)の定位置からカラヤンをアップで映し出す。だが、照明を暗くして指揮者にだけスポットを当てる、あのベルリン・フィルとのやや不自然なフィルム映像とは違い、あくまで華やかなムジークフェラインザールである。その中に、80歳にもなろうとしているカラヤンが立っていた。

カラヤンと言えばウィーン・フィルと録音した「こうもり」の豪華な全曲盤がある。そのことを思い出させるように、カラヤンのプログラムは自らが得意としていた曲のオン・パレードで、有名作品ばかりを並べた豪華なものであった。このようなプログラムは、後にも先にもカラヤンだけである(強いて言えばカルロス・クライバーだが)。例えば、第1部は喜歌劇「ジプシー男爵」序曲で始まり、「天体の音楽」、「アンネン・ポルカ」、「うわごと」と続く。後半は「こうもり」序曲で始まり、「アンネン・ポルカ」(ヨハン・シュトラウス1世のほう)、「観光列車」、「皇帝円舞曲」と続く。そして、「雷鳴と電光」で大いに盛り上がったところで何と、キャサリン・バトルが登場するではないか。

赤いドレスに身を包んだ彼女は朗らかに「春の声」を歌い(この曲はもともとソプラノ独唱が付いている)、そうでなくても十分華かやな会場の雰囲気が頂点に達した。アンコールの第1曲「憂いもなく」へなだれ込む。そして固唾を飲んで見守る中、「美しく青きドナウ」の序奏が聞こえてきたときは、会場から少し遠慮がちに拍手が起こった。カラヤンは、慣例に従って指揮を止め、会場に向かって挨拶をした。この時のことはよく覚えている。毎年、同じことが繰り返されているにもかかわらず、カラヤンが放つオーラには特別なものが感じられた。テレビ映像に時折バレエが差し挟まれるのも同様だった。そして最後の曲「ラデツキー行進曲」になると、カラヤンは舞台の方に耳をそばだて、「拍手が聞こえませんね」とでも言わんばかりに愛嬌を振りまいた。これに安心した聴衆は、一気に大きな拍手を合わせた。

カラヤンは大きくなり過ぎた拍手を、中間部では静かにするように指示し、会場はそれに応えた。すっかり打ち解けて和気あいあいとなったコンサートは無事終了した。後日、この模様は繰り返し放映され、そしてCDとビデオが発売された。家庭用のビデオはまだ普及の途上にあったから、多くのファンはCDを買い求めた。CDはドイツ・グラモフォンから発売されたが、当時はコンサートを1枚に収めることが通常で、そのために一部の演目がカットされた。カラヤンの1987年のコンサートでは、冒頭の「ジプシー男爵」序曲と「皇帝円舞曲」がこの犠牲になった。

最新のビデオ・ディスク
カラヤンの登場は、事件だった。クラシック音楽が今よりも注目を浴びていた時代に、カラヤンはその「帝王」として世界中の関心を集め続けた。1987年のニューイヤーコンサートへの登場は、そのようなカラヤンの、最後の晴れ舞台だった。2年後の1989年、カラヤンは自宅でソニーの会長と商談中に倒れ、帰らぬ人となった。後日、そのソニーから発売されたビデオ・ディスクには、あのテレビ中継で見たのと同じ映像が収録され(バレエも同じ)、第1部を含め完全な形で、このときの模様を見ることができるようになった。

カラヤンの登場の結果、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、新年最初のクラシック界の一大イベントとして、世界中の注目の的となる。この年を境に、ウィーン・フィルも毎年、異なる指揮者と共演することになった。翌年は誰が登場するのか、その話題で一年が始まる。その最初に選ばれたのが、何とイタリア人のクラウディオ・アバドだった。

インターナショナルなイベントになったニューイヤーコンサートには、同じ指揮者が連続して登場することはなくなり、以降、今日に至るまでこの状況は続いている。カラヤンを分水嶺に、1988年以降に登場した指揮者には、あの格別なものが感じられない。だからこれ以降は年代別ではなく、指揮者別に少しの記憶を残しておこうと思う。またシュトラウス一家の有名曲については、その後で少し触れておこうと思う。

 

【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
3. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「アンネン・ポルカ」作品117
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
5. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
6. ヨハン・シュトラウス1世:フランス風ポルカ「アンネン・ポルカ」作品137
7. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
8. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
9. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:ピチカート・ポルカ
10. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
11. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
15. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDは喜歌劇「ジプシー男爵」序曲、「皇帝円舞曲」などが省略されている。

2021年1月23日土曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(4)ロリン・マゼールの時代(1980-1986)

1979年に勇退したボスコフスキーに代わり、ニューイヤーコンサートの指揮台に立ったのは、当時ウィーン国立歌劇場の音楽監督だったロリン・マゼールだった。マゼールは音楽監督の職を辞した1984年からもしばらくは、毎年お正月恒例のコンサートを指揮した。

マゼールがワルツを指揮することに興味を覚えなかった人は多い。よりによってなぜ、というわけである。なぜならマゼールは、若い頃からウィーンと関係がそれなりにあったにせよ、オーストリア人ではない。ワルツの名演奏をする指揮者なら、他にも沢山いそうなものである。なのに、国立歌劇場の音楽監督であるという理由で、マゼールが指揮することになった(このあたりのいきさつはよくわからない)。まあ当時はまだローカルなコンサートでもあったので、いまのようなセンセーショナルなものでもなかったし、年末年始の日程をウィーンに拘束されることにも耐えなければならない。そしてマゼール時代のニューイヤーコンサートは、やはり特に目立ったこともなく、単に毎年恒例行事のように行われるコンサートに登場し続けたという感じだった。

だが今から考えて見ると、マゼールの時代に起こった変化が、実は今日にまで続いていく演奏のスタイルを方向づけた感がある。CDなどの新しいメディアの登場に伴い肥大化する音楽業界の波を受けながら、地域色の強いものだったワルツの演奏もまた、インターナショナルなものへと変化した。方言に共通語のアクセントが持ち込まれるように、円舞曲のリズムも客観的で精緻なものとなり、細やかな表情付けがなされるようになった。マゼールの長い手と、時計のように正確なタクト裁きで、ワルツはこういう風に演奏する曲なのです、と説教されているような感じが、やや嫌味にも感じられた。

しかし現在、ニューイヤーコンサートに登場する指揮者はみな、この系統と同様な指揮を披露する。すなわちゆっくりと深く呼吸したうえで、流れるような三拍子がどこからともなく聞こえてくるような静かな序奏。そしてメリハリの効いた主題へと発展する。精密に分析をした上で、新たに組み立てられたウィーンの伝統音楽は、普遍的な音楽へと発展した。ウィーン・フィルもまたそのような緻密な指揮に対応し、最新のワルツ演奏を年一回披露するのが、このコンサートとなった。マゼールの時代に生じた変化は、今にも受け継がれているように思う。

オーストリア第二の国歌とも言われる「美しく青きドナウ」の冒頭で、楽団員が新年の挨拶をするようになったのもこの時代である。最後の「ラデツキー行進曲」で、指揮者が客席に向かって拍手をも指揮するのはマゼールが始めたことだ。最初このシーンを見たときのことをはっきり覚えている。客席が自主的に行っていた拍手をも支配下に置こうとする独裁者は、民主的で自由な新年のコンサートとは相いれないのではないか、などと思っていたのだが、これはカラヤン以降にも継承されて今に至っている。

それどころか、マゼール時代の演奏を記録したディスクはいまなおプレスされ出回っている。これは驚くべきことで、1980年代前半のニューイヤーコンサートの演奏水準は決して低くはなく、むしろ今もって新鮮でさえある。新しい様式のワルツやポルカは、マゼールによって打ち立てられたのかも知れない。例えば私の最も好きな曲の一つである「ウィーンの森の物語」の序奏の、丸で朝のウィーンの公園を散歩しているかのような感覚は、他の演奏には代えがたい魅力がある。今もってこの曲の代表的名演と言えるが、マゼール自身も得意だったようで、以降、何度も何度もプログラムに登場している。

1980年のニューイヤーコンサートでは、初めてオッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲が演奏された。従来、シュトラウス一家とそれに関連の深かった演奏家、あるいはウィンナ・ワルツの作曲家しか取り上げられなかったこのコンサートに、新しい試みがもたらされたのは言うまでもない。これに対する批判も多かったようだ。だがこの「天国と地獄」序曲は名演奏である。ウィーン・フィルはボスコフスキー時代よりも正座して演奏している。マゼールへの批判は多かったかもしれないが、このまま惰性的に演奏を続けていたのでは、成し遂げられなかった方向付けがなされたのだろう。そういうことを含め、このウィーン出身ではない指揮者にシュトラウスのような軽い曲の演奏をも託したあたりが、いかにもウィーンという街のセンスを感じる、などと言ったらほめ過ぎだろうか。

なお私は1983年のコンサートを記録したディスクを所有しており、その演奏を久しぶりに聞いてみた。そこに記録されている演奏は、クラウスともボスコフスキーとも異なる新鮮なもので、今もってそのセンスは輝きを失っていない。例えば、本ディスクのタイトルにもなっているヨハン・シュトラウス2世のワルツ「ウィーンのボンボン」(ボンボンとはお菓子のことで、金持ちの息子のことではない。念のため)では、 しっとりとした情緒がウィーンの休日を思わせる。私にとっては、この曲がこんなに香りを放って聞こえたことはなかった。このほか、マゼールたしい巧みなリズム変化と、一見わざとらしくも音楽的な表情付けを楽しめる作品が続くのは玄人好みといったところ(喜歌劇「インディゴと40人の怪盗(千夜一夜物語)」序曲など)。現在につながる先進性は、マゼールが90年代以降のニューイヤーコンサートにもしばしば登場していることからも明らかだろう。

このディスクには、上記のようにどちらかというと演奏回数の少ない曲ばかりが収められている。超有名曲は「ウィーンの森の物語」くらいであり、何かわざとそうしたのではないかと勘繰ってみたくなる。プログラムにはあった「皇帝円舞曲」、あるいはアンコールの定番「美しく青きドナウ」が省かれているのである。これらの曲はあまりに知られ過ぎていて、他にも沢山の演奏があるから、レコード会社としてはあえてこれらを外したのだろう。しかし、マゼールはこれらの、どちらかと言うと地味な曲でも、恐ろしく真面目に魅力を引き出そうとしている。こういった演奏の傾向もまた、後年に引き継がれていった傾向であると思う。

 

【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「ウィーンのボンボン」作品307
2. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「自転車」作品259
3. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「とんぼ」作品204
4. ヨハン・シュトラウス2世: 「ハンガリー万歳」作品332
5. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
6. ヨハン・シュトラウス2世: 喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲
7. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「百発百中」作品326
8. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「レモンの花咲くところ」作品364
9. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「遠方から」作品270
10. ヨハン・シュトラウス2世: 喜歌劇「インディゴと40人の怪盗」序曲

2021年1月17日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(3)ウィリー・ボスコフスキーの時代(1955-1979)

お正月が開けて20日頃だったと思う。私は新聞のテレビ欄で、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの特別番組があることを知った。小学生の頃だったから1970年代の後半のことだ。NHK総合テレビが夜10時から放送したのは、オーストリア放送協会から送られてきた録画映像だった。まだ衛星中継が貴重だった時代、音楽会などというものは録画というのが当たり前だった。元日に収録されたウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、それでも開催されてから1か月以内にオンエアされているわけだから、随分早い方である。旬の音楽だから、鮮度が落ちないうちに、ということなのだろう。

私が見たその放送は、絢爛豪華な上に色とりどりの花を会場いっぱいにあしらえたウィーン楽友協会(ムジークフェラインザール)で行われたマチネーで、指揮はウィリー・ボスコフスキー。プログラムの後半のみ、約1時間半程度の番組だった。当時のテレビ音声は当然、モノラルだった。私は両親が寝ているそばで、我が家に1台だけあったテレビを点け、イヤホンで外に音がもれないように気を使いながら見てていた。どういうプログラムだったかは皆目覚えていないが、ときおり楽団員が故意に楽譜とは異なる音を出したり、普段は使わない楽器を使ったりといった、通常のクラシック音楽のコンサートでは考えられないようなパフォーマンスがなされていたのを記憶している。

アンコールの2曲目になって「美しく青きドナウ」の旋律が聞こえてくると、自然に拍手が沸き起こる。指揮者はいったん演奏を止めて、最初からやりなおす。すると音楽はさらに打ち解けて自然な流れを形作り、最後には「ラデツキー行進曲」を観客が一緒になって拍手するという行為が行われた。私はそれが慣例とは知らなかったが、字幕の解説によれば、このようなことが毎年繰り返されているとのことであった。クラシック音楽のコンサートでも、こんなに楽しい雰囲気で行われるものもあるのだと知った。

この時のコンサートは、おそらく1979年のボスコフスキーによる最後のニューイヤーコンサートだったと思う。というのは、翌年、私は再びこの放送を楽しみにしてカセット・テープに録音することにしたのだが、その冒頭の曲が、オッフェンバックの「天国と地獄」序曲だったからだ。この曲は、ニューイヤーコンサートがロリン・マゼールの時代になって、最初の年の後半の冒頭に演奏されている。ということは、私がテレビで見たのは、25年間続いたボスコフスキー時代の、記念すべき最後のコンサートだったことになる。

ニューイヤーコンサートを1939年に始めたクレメンス・クラウスが死亡して、急遽お正月の指揮台に上がったのは、当時コンサート・マルタ―をしていたウィリー・ボスコフスキーだった。ボスコフスキーは指揮台においてもヴァイオリンを手に持って、かつてヨハン・シュトラウスがそうしていたように振る舞った。1955年のことだった。存亡の危機にあったニューイヤーコンサートが、このようにして新しい時代を迎え、それが1979年まで続くことになる。

この間にテレビ放送が始まり、録画されて全世界に配信されることになってっゆく。記録によれば我が国での最初の放送は1973年からだったようだ。今ではハイビジョンでの、衛星生放送が当たり前になっているが、当時は録画放送。それも後半のプログラムのみだった。この傾向は90年代の手前あたりまで続いていた。今でも後半のみを中継する国は多いようだ。このため全ヨーロッパ向け放送のテーマ音楽(ヘンデルの曲)は前半と後半にそれぞれ流れる。最近、NHKはこの部分から放送をしてくれるのは麗しい。

ボスコフスキーのワルツとポルカの演奏は、リラックスした肩の凝らないものだった。クラウス時代の優雅さを残しつつも、音色は華やかでウィーン・フィルの美点を明るく表現している。今のように、生真面目な指揮者が緊張して指揮をすることはなく、ウィーン・フィルもいつになく打ち解けて自発的であり、丸でダンスを踊っているかのようだ。指揮者が難しいことを言わなくても、ここはこうするのだ、といった阿吽の呼吸がウィンナ・ワルツにはあって、このウィーン訛りとも言うべきようなものが、そこはかとなく表現されている。その自然な伸びやかさが、今となっては懐かしい。

ボスコフスキー時代は長く続き、その間に多くの曲目が演奏された。これらを録音したのは、当時ウィーン・フィルが専属だったデッカである。そこでデッカは、これらニューイヤーコンサートの演奏を編集したワルツ・ポルカ全集とでも言うべきレコードをリリースしている。これはCD時代にも再発売され、現在では12枚組、全13時間余りにも及ぶものとして入手可能である。このディスクで聞くボスコフスキーの演奏は、確かに今では失われてしまったものが収録されてはいるが、全体を通して聞くにはちょっと退屈である。もっともボスコフスキーのウィンナ・ワルツは、手を変え品を変え、様々なダイジェストとして売り出されているから、全集にこだわる必要は全くない。

しかし敢えて一枚、ということになるとやはり、1979年のコンサートをライブ収録したCDということになるだろう。私がテレビで見た演奏会だが、このCDには第1部の曲目も収録されている。そしてこのCDが、実はデッカ・レコード最初のデジタル録音だった。以降、ニューイヤーコンサートは、レコード会社や放送局が技術を競うものとなっていく。いかに早く録音を編集してプレスし、店頭に並べるかという競争はますます過熱し、今ではビデオを含めて1月中には世界中の店頭に並ぶ。もっともオンライン配信が中心の現在では、1月8日には配信が開始されている。長距離のテレビ伝送技術もまたしかりであり、ハイビジョン規格の回線を何重にも用意して海底ケーブルで海を渡る。1989年のクライバーの頃までは衛星が使われていたのだろうか、時折画像が乱れるようなことがあった。

デッカより発売されている1979年のライブ盤は、80分近くにもわたってコンサートの模様を伝えている。ワルツ「女、酒、歌」などでは前奏部分がカットされているなどの点はあるが(さらには「天体の音楽」も削除されている。収録時間の関係であろう)、拍手も収録されていて雰囲気は満点である。後半に向かうにつれて興に乗ってくるのは今も昔も変わらない。最近は聞かなくなったアンコール再演のシーンも、確か、ポルカ「狩り」であったと記憶している。

ボスコフスキーのニューイヤーコンサートは当時でも映像化されていたため、これを編集したビデオ・ディスク(DVD)も売られている。こちらは私はまだ見たことはないのだが、貴重な遺産と言える。とにかくどんな曲であっても、その曲が持っている本来の楽しさは、まずこのボスコフスキーの演奏が標準である。例えば「春の声」というワルツがあるが、クラウスが表現した、まるで弦楽器が踊りだすような楽しさは、最近では聞かれないようになって久しいが、ボスコフスキーの演奏にはその名残をとどめている。また「我が家で」での、昔を懐かしむようなしっとりとした情緒は、自然で打ち解けた気分でないと表現できないものだが、ボスコフスキーの演奏ではこれが実感でできる。ここで聞くことのできる古き良き時代の演奏は、当時でこそ至って平凡だったかも知れないが、あれから40年を経た今となっては懐かしいものである。

 

【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス1世: ワルツ「ローレライ=ラインの調べ」作品154
2. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「お気に召すまま」作品372
3. エドゥアルト・シュトラウス: ポルカ「ブレーキかけずに」作品238
4. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「酒・女・歌」作品333
5. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「モダンな女」作品282
6. ツィーラー: ワルツ「ヘラインシュパツィールト」作品518
7. スッペ: 喜歌劇「美しきガラテア」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「わが家で」作品361
9. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「小さな水車」作品57
10. ヨハン・シュトラウス2世: チック・タック・ポルカ 作品365
11. ピツィカート・ポルカ
12. ヨーゼフ・シュトラウス: ポルカ「ルドルフスハイムの人々」作品152
13. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「狩り」作品373
14. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「浮気心」作品319
15. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
16. ヨハン・シュトラウス1世: 「ラデツキー行進曲」作品228

2021年1月12日火曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(2)クレメンス・クラウスの時代(1939-1954)

ウィーンに馴染みのある指揮者であろうとなかろうと、今もってウィンナ・ワルツ演奏の規範であり、リスナーとしても常に意識すべき存在として、最後のウィーン・フィルの常任指揮者クレメンス・クラウスを抜きに考えることはできないだろう。ウィーン生まれのクラウスこそがウィンナ・ワルツ演奏の原点であり、ニューイヤーコンサートを始めた人である。1941年、それまでローカルな音楽だったシュトラウス一家の音楽を、年に一回、お正月のお昼に演奏するコンサートを開催することになった。

打ち解けて華やいだコンサートだった当時の様子は、いまでもライブ収録された音源で聞くことができる。そこでは、人気のあるメロディーが聞こえてくると自然に拍手が沸き起こり、その曲を繰り返すといったことが自然に行われている。こういう演奏を聞いていると、どうして今はできないのだろうと思ってしまう。今の演奏がつまらないのは、あまりに形式にとらわれているからではないだろうか。オーケストラも伝統の継承を要求し、指揮者も否応なしに(相応しくないと感じつつも)従わざるを得ない。そういう姿は見ていて痛々しい。

クラウスは54年に亡くなる年のニューイヤーコンサートまで、お正月の指揮台に立った。ただし、1946年と1947年のみヨゼフ・クリップスが指揮をしている。これはクラウスがナチス時代も演奏を続けたことで、戦後の一時期に指揮活動が禁止されていたことと関係があるのだろう。しかしそもそもニューイヤーコンサートは、オーストリア人を慰安するために、ナチスによって始められてことを忘れるべきではない(興味深いことに、シュトラウスはユダヤ人だった。ユダヤ人の音楽を排斥したナチスは、シュトラウスのワルツについては演奏を認めていたことになる)。

私はCDを集め始めた頃、どうしてもクラウスのワルツが聞きたくて、当時1枚3500円もしたモノラル録音のCDを3枚とも購入した。このCDはその後売ってしまったが、後程再発売されたDeccaの2枚組を、圧縮なしのWAV形式で保存してある。どの曲を聞いても、自由自在でありながら自信たっぷりにアンサンブルを保つその演奏のそつのなさに驚かされる。ここに収録されている29曲は、シュトラウス作品の基本的なレパートリーとしてニューイヤーコンサートにしばしば登場する有名作品ばかりである。喜歌劇「こうもり」序曲から、ワルツ「わが人生は愛と喜び」に至るまで、すべてが現在のすべての演奏の規範になっている。

さらに54年のコンサートをライブ収録した録音も聞くことができる。ラジオ放送を音源としたCDに耳を傾けてると、ひとつひとつの演奏が珠玉の如き光彩を放ち、沸き立つ聴衆に応えて何度もアンコールを繰り返す興奮に満ちた様子が、手に取るようにわかる。これを聞いていると、カルロス・クライバーなどは、クラウスの演奏を再現しようとしているにすぎないようにさえ思えてくる。ワルツはオーケストラが自発的に乱舞し、ポルカは跳ねるように速い。

しかし、あまりに過去の演奏にのみこだわっていると語ることがなくなってしまう。毎年、お正月にはテレビでニューイヤーコンサートを楽しんでいる立場としては、この先の、国際的年中行事と化して久しい、苦悩に満ちた演奏についても触れないわけには行かない。フルトヴェングラーのベートーヴェンが、トスカニーニのヴェルディが、そしてベームのモーツァルトがそうであったように、過去の良き時代の遺産は、とりあえず隣の棚に収納しておこう。そして、クラウスの突然の死の翌年から、シュトラウスがそうしていたのを再現するように自らヴァイオリンを持ち、ニューイヤーコンサートの指揮台に立ったのが、当時のコンサートマスター、ウィリー・ボスコフスキーだった。私のニューイヤーコンサートに関する思い出話は、ボスコフスキーが指揮するものから始めようと思う。私が生まれて初めてテレビで見た演奏が、1970年代のボスコフスキーによるものだった。

 

【収録曲】(Decca盤 録音: 1951-54)
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
3. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「わが人生は夢と喜び」作品263
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「とんぼ」作品204
7. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「騎手」作品278
8. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
9. ヨハン・シュトラウス2世:「ハンガリー万歳」作品332
10. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
11. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ
12. ヨハン・シュトラウス2世:「エジプト行進曲」作品335
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「観光列車」作品281
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「小さな水車」作品57
16. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「憂いもなく」作品271
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「町と田舎」作品322
18. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「狩り」作品373
19. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
20. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「鍛冶屋」作品269
21. ヨハン・シュトラウス2世:「騎士パスマン」作品441より「チャルダーシュ」
22. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
23. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
24. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「休暇旅行で」作品133
25. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「わが家で」作品361
26. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
27. ヨハン・シュトラウス2世:「アンネン・ポルカ」作品117
28. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「おしゃべりなかわいい口」作品245
29. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲】(ニューイヤーコンサート・ライブ1954)
1. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「剣と琴」
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「ルドルフスハイムの人々」
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「とんぼ」
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「休暇旅行で」
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「5月の喜び」
7. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「おしゃべりな可愛い口」
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「我が家で」
9. ヨハン・シュトラウス2世:新ピチカートポルカ
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「ハンガリー万歳」
11. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラップヒェンの森で」
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「狩り」14. ヨハン・シュトラウス2世:常動曲
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しき青きドナウ」
16. ヨハン・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲

2021年1月10日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(1)プロローグ

コロナ禍で外出もままならないお正月を迎えた。元日恒例、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートも、たとえ無観客であったとはいえ、予定通り開催できたことは嬉しいのだが、お正月の華やいだ気分に浸れるものではなかった。ただ、映像で見るコンサートとは違い、録音されたメディアで聞く演奏は完成度が高いように感じられる。特に6回目の登場となるムーティの指揮は、特筆すべき水準に達している。この模様は早くも1月8日に配信されており、私はその演奏を聞きながらこの文章を書いている。

思い起こせば、私たちの手元には過去のニューイヤーコンサートの音源がある。外出を控え、自宅に留まらざるを得ない日々こそ、これらに耳を傾ける時間である。そこで、過去から最近までのニューイヤーコンサートについて、私なりに語ってみたい。ヨハン・シュトラウス一家のワルツやポルカを中心とした曲目について、まとめて記すまたとない機会に、この異常な日々を利用してみたい。

最初に断っておくことがある。それはウィンナ・ワルツの演奏として、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートが最高であり、それしか考えられないというのは完全な誤りであるということだ。自らも作曲家であったロベルト・シュトルツが残した大全集(CD12枚組、演奏時間は14時間以上に及ぶ)は、ベルリン交響楽団とウィーン交響楽団を起用しているが、この演奏こそ最高の歴史的な録音である。この演奏で聞いていると、つまらないように見える曲であっても、演奏次第で楽しい曲になることがわかる。中学生の時に心を躍らせたこの演奏については改めて書いてみたい。

ニューイヤーコンサートに登場した指揮者であっても、他にもっといい演奏をしている指揮者も多い。例えばヘルベルト・フォン・カラヤンは、87年元日に学友協会の指揮台に立ち、一生に最初で最後のニューイヤーコンサートを指揮したが、この記念碑的な事件の頃にはすでに体力の衰えは隠せなかった。この日の映像と録音は、いまもって評価も高く、私も所有しているが、カラヤンのワルツはベルリン・フィルと録音した一連のディスクの方が、より完成度が高いことは言うまでもない。

ニクラウス・アーノンクールもまた、ベルリン・フィルやコンセルトヘボウ管との間で、刺激的でエポック・メイキングな録音を残している。オーストリア人でもある彼は、ウィーン・フィルでなかったからこそ、自分の音楽を思うがままに演奏させることができたのかも知れない。2001年と2003年のニューイヤーコンサートは悪くはないが、少し真面目過ぎてリラックスしていない。

若くして亡くなったヤコフ・クライツベルクは、もう一つのウィーンの伝統的オーケストラ、ウィーン交響楽団を指揮して、真摯で正統的なワルツのCDを残している。このブログでも取り上げた。また、イギリス人には珍しくウィンナ・ワルツの演奏を残したジョン・バルビローリもまた、ハレ管弦楽団と愛すべき演奏を披露していて興味深い。

オーストリア人の指揮者、あるいはオーケストラでなくてもウィンナ・ワルツの名演奏は多い。その代表はフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団のものだろう。オーマンディがフィラデルフィア管弦楽団を指揮したものも素晴らしい。これらより新しいものとしては、ウィーンで学んだエリック・カンゼルがシンシナティ・ポップスと録音した2枚の演奏が、テラークの効果音満載のエンターテイメント精神に溢れていて、現代のシュトラウス演奏に相応しい効果を上げている。やはりそのうち触れてみたい。

ウィーン・フィルにしばしば登場しながら、ニューイヤーコンサートを指揮していない指揮者も多い。かつてニューイヤーコンサートは、今ほどのイベントでも何でもなかったからである。代表例としては、カール・ベームだろうか。ベームはオーストリア人ではあっても、グラーツという田舎出身だったこともあり、その腰の重いワルツは優雅さに欠けるが面白い。それでも「南国のばら」は名演だろう。

古いところでは、ハンス・クナッパーツブッシュがウィーン・フィルとのワルツの演奏を残しているし、もっと古いところでは、エーリヒ・クライバーの素晴らしい演奏が残っている。これら往年の巨匠の珍しい録音(ほとんどがモノラル録音)は、ウィーン・フィル設立150周年を記念してドイツ・グラモフォンからリリースされた13枚組のうちの2枚により知る事ができる。ここに登場する歴史的指揮者は、ボスコフスキーより前に活躍していた指揮者で、古き良きウィンナ・ワルツとはどういう音楽であったのかを示している。

時代は変わって今では世界的な指揮者が次々とニューイヤーコンサートの舞台に立つようになった。オーケストラのメンバも入れ替わり、ウィーン風のワルツがどういうものでなければならないのか、といった頑固な意見は、グローバルな広報活動を前に影を潜めつつある。私も特段、ウィーンにこだわりのある方ではないから、純粋にワルツやポルカを楽しめればそれでいいと思っている。しかし、それでもシュトラウスのワルツは、ただの3拍子で演奏してもつまらない音楽であることは確かだ。それほど音楽的に高度なものではないし、世界最初の流行音楽とも言えわれるように、高度に芸術的なものでもない。

ニューイヤーコンサートを見ていると、もともとローカルな文化だったものが、新しい商業的活動を強いられるに至って、どうやってその価値を保つべきか、といった問題に思いを馳せてしまう。ニューイヤーコンサートに見る頑なな保守性は、メジャー・オーケストラとしての国際的活動と、地域文化の維持との間で揺れ動いている。それはとりもなおざず、私たちのコミュニティでも生じている問題と同じ側面を持っており、ウィーンという街が長い年月の間、常に格闘してきた問題でもある。このことが象徴的に表れるのがニューイヤーコンサートであると言える。
 

【収録曲】(ウィーン・フィル創立150周年記念盤、括弧内は指揮者、録音年)
1. ワルツ「親しき仲」(喜歌劇「こうもり」より)(エーリヒ・クライバー、1929)
2. アンネン・ポルカ(クレメンス・クラウス、1929)
3. ワルツ「美しく青きドナウ」(ジョージ・セル、1934)
4. 皇帝円舞曲(ブルーノ・ワルター、1937年)
5. ポルカ「浮気心」(ハンス・クナッパーツブッシュ、1940)
6. 常動曲(カール・ベーム、1943)
7. ポルカ「観光列車」(クレメンス・クラウス、1944)
8. ワルツ「天体の音楽」(ヘルベルト・フォン・カラヤン、1949)
9. 皇帝円舞曲(ウィルヘルム・フルトヴェングラー、1950)
10. ワルツ「春の声」(クレメンス・クラウス、1950)
11. ピツィカート・ポルカ(クレメンス・クラウス、1952)
12. ワルツ「オーストリアの村つばめ」(クレメンス・クラウス、1952)
13. ラデツキー行進曲(クレメンス・クラウス、1953)
14. 喜歌劇「くるまば草」(ウィリー・ボスコフスキー、1956)
15. 加速度円舞曲(ヨゼフ・クリップス、1957)
16. ワルツ「ウィーンの森の物語」(ハンス・クナッパーツブッシュ、1957)
17. ポルカ「狩り」(ヘルベルト・フォン・カラヤン、1959)
18. ワルツ「南国のバラ」(カール・ベーム、1972)
19. ワルツ「酒、女、歌」(ウィリー・ボスコフスキー、1978)
20. 喜歌劇「こうもり」序曲(ロリン・マゼール、1980)
21. 仮面舞踏会のカドリーユ(クラウディオ・アバド、1988)
22. トリッチ・トラッチ・ポルカ(ズビン・メータ、1990)
23. 皇帝円舞曲(ヘルベルト・フォン・カラヤン、1987)

2021年1月9日土曜日

audio-technicaのイヤホン ATH-CKS550XiS

特にスマホなどに差して持ち運ぶイヤホンは、安物のなかからそこそこのものを選ぶのがいい。日々持ち歩いていると、痛んでしまうことも多い。スマホ(に内蔵されているイヤホン用のアンプはたいていひどい)との相性の問題や、同じ音を聞いていると飽きてくるということもある。高価なイヤホンは、こういう時交換しにくい。失くした時のダメージが大きい。

私はこのような考えから、3000円位で音質のなるべくいいものを買うことにしている。かつては1000円台でも結構いいのがあったが、最近はマーケットが拡大して、値段相応になっているような気がする。3000円というのはちょっと中途半端な価格帯だが、各社のラインナップでは下から2番目といったところ。次が5000円クラス、さらに7000円クラスと続く感じ。私は同じ3000円前後の価格帯のものを視聴してみて、一番よさそうなものを選ぶことを楽しみにしている。有線タイプにこだわるのは、その方が使い勝手がいいからで、いちいちペアリングしたり充電するのは、私の好みに合わない。失くしそうになるし、Bluetoothタイプは試聴もしにくい。

さて、コロナ禍の最近は、試聴というのにもハードルが高い。感染のリスクがあるからだ。そこで私は開店と同時に量販店へ出かけ、場合によっては自ら消毒するという手法を用いて、限られた数点を試聴した。SONYやPioneer、それにJVCなどの同価格帯のイヤホンを試聴したところ、これまで見向きもしなかったaudio-technicaのイヤホンが圧倒的に優れていると感じた。これはATH-CKS550XiSという機種で、スマホ用としてマイクまで付いている。

様々な色が用意されているのも嬉しい。私はシャンパン・ゴールド色のものを買ってきた。その音は、すっきりと中高音が伸びるもので、かといって低音がおそろかにはなっていない。これをスマホに内蔵のイコライザーで調節すると、Spotifyの音源でも結構なサウンドに染まってきた。音が隅々にまで広がり、各楽器が明瞭に聞こえる。また、Walkmanに接続してみても、この傾向は顕著にわかる。それまで聞いて来た音楽を、改めてもう一度聞いてみたくなる。

帰宅してレビューを見ると、コードがものに触れた時に耳障りな雑音が聞こえるとのことである。これはコードの材質により、私もかつてそのようなイヤホンを持っていたが、次第に気にならなくなっていった。ただ、この要素だけは試聴する時に見落としやすいのは事実である。このコメントを購入前に読んでいたら、躊躇したかも知れない。だが、そうしてしまうとこのイヤホンとの出会いはなかったし、改めて気に入るものを探し直すことになるわけで、結局それでは時間もかかり、どちらがいいのかわからない。

2021年1月2日土曜日

「失われた楽しみ(ラジオ編)」開設のお知らせ

このブログは、今では楽しむ人の少なくなったクラシック音楽、海外旅行、短波放送などの魅力について、個人的な思いをまとめているものです。これらの趣味は、インターネットを中心とするネット社会の到来によって、若者からは見向きもされません。

このブログでは、しかしながら音楽関連の記事が主流となり、ここにラジオ放送の話題を含めることは記事の統一性が損なわれ、管理するにも不便となることが予想されました。そこで、思い切ってブログを独立させることとしました。

短波放送を中心とするラジオに関する話題は、以下のページに掲載することとしましたので、お知らせします。

https://diaryofjerry2.blogspot.com/

よろしくお願いいたします。


2021年1月1日金曜日

謹賀新年

2021年の年頭にあたり、新年のご挨拶を申し上げます。

昨年は新型コロナウィルスの世界的流行を受け、歴史的にも例を見ない異様な年でした。音楽会も全世界で中止され、アーティストの往来もほぼなくなりました。そのような中、私はSpotfyで聞く音楽の時間が多くなり、様々な新しい録音にも出会いました。例えば、2015年ショパン・コンクールの優勝者、チョ・ソンジンの奏でるモーツァルトは特に印象に残っています。優しくも新鮮なソナタもいいですが、ヤニック・ネゼ=セガンと共演したピアノ協奏曲第20番の演奏は、名演がひしめく同曲の新しい側面を発見する思いでした。

同じくショパン・コンクールの覇者クリスティアン・ツィメルマンの弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番は、競演するサイモン・ラトルとロンドン交響楽団の目を見張るような伴奏とともに、やはり同曲の新しい境地を示しています。ツィメルマンは弾き振りをしたウィーン・フィル盤、ラトルはフォークトとのフレッシュな旧盤が有名ですが、ともにそれらを過去のものに変えた演奏と言えます。

年末にはムーティの指揮するシカゴ交響楽団との「第九」で締めくくりました(YouTude)。これは6年も前の映像ですが、巨匠風のゆっくりとしたベートーヴェンは、今では聞くことの少なくなった堂々たる演奏でした。ややもったいぶった感じがなきにしもあらずで、生真面目の遅い演奏に退屈する時もありますが、久しぶりにこの交響曲を通して聞き、生誕250周年を締めくくりました。

ムーティと言えば、今年のウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートは無観客で行われ、その様子が全世界に生中継されました。閑散とした学友協会の大ホールに、赤々と照らされるシャンデリアの照明が、むなしく感じられました。例年同様に差し挟まれる各地の風景やバレエが、特に印象的でした。楽団長とムーティはいつになく長い挨拶を英語で行いました。このような異常事態の中でも、文化、とりわけ音楽の存在する意味を語り、そしてそれは勇気と楽天主義を与えるものだと強調したのが印象的でした。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...