2021年7月28日水曜日

ハイドン:弦楽四重奏曲作品77(第81番ト長調、第82番ヘ長調)、作品103(第83番ニ短調)(アマデウス四重奏団)

一連のハイドンによる弦楽四重奏曲の最後を飾る「ロブコヴィッツ四重奏曲」(作品77)は、1799年に作曲された。この頃のウィーンにはすでにベートーヴェンがいて、ピアノの名手として名を馳せていた頃である。ベートーヴェンが記念すべき交響曲第1番を初演するのは1800年である。そのベートーヴェンはまた弦楽四重奏曲を数多く作曲しているが、その最初の作品18は、ハイドンの作品と同様にロブコヴィッツ侯爵へ献呈されている。このことは興味深いことである。ハイドンの最晩年の弦楽四重奏曲とベートーヴェンの最初の弦楽四重奏曲は、いずれも同じロブコヴィッツ侯爵の依頼によって作曲された。ハイドンは70代にさしかかろうとしていたのに対し、ベートーヴェンはまだ20代の若者だった。

ハイドンの生涯はモーツァルトを包含し、ベートーヴェンに重なっている。交響曲と弦楽四重奏曲という分野において、この事実は3人の作品が互いに影響を与え合うことになった。弦楽四重奏曲のスタイルを確立したのは紛れもなくハイドンであるが、ハイドンはまたモーツァルトによりプレゼントされた「ハイドン・セット」から影響を受けた。交響曲の分野ではハイドンがモーツァルトやベートーヴェンに与えた影響は計り知れない。モーツァルトによる輝かしい弦楽四重奏曲については、また別の機会に触れなければならいし、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、ハイドンの古典的スタイルから次第に脱皮し、交響曲同様、新しい極致を開拓している。これについても数多くのことが書かれているし、私も取り上げないわけにはいかないだろう。

だがここで私が聞いているのは、ハイドンが最晩年に作曲した2つの弦楽四重奏曲で、ハイドンによる弦楽四重奏曲はこれ以降は、未完に終わった作品103だけである。ハイドンがロブコヴィッツ侯爵に献呈した最晩年の2つの作品を聞いて感じることは、これらの作品が実に落ち着いているにもかかわらず、軽やかであることである。自然に音楽が体に入って来る感覚。一般に晩年の作品ほど自然体に近い感覚にとらわれる作品を残す作曲家は多いが、常に襟を正しているような格式のあるハイドンの作品で、このような感覚を持つのは異例である。交響曲の最後の作品を聞いてもそのようには感じないし、この「ロブコヴィッツ四重奏曲」と同時期に作曲されたオラトリオ「天地創造」などは渾身の力のこもった作品である。またその後に作曲されたオラトリオ「四季」はハイドン最高峰の作品だと思っているが、ところどころに音楽が自然に身に沁みとおる感覚はあるにせよ、何せ規模が大きく、そして凝っている。

それに対し、弦楽四重奏曲作品77の2曲はどこをどう聞いても、ここにはもう他にどのような曲になるかも考えられないような必然的な音楽が、恐るべきことに何の余分な力も入らない形で、しかもハイドンらしい節度をわきまえた感覚で私の前に存在している。もうこれ以上どこに向かうこともできないような、それでいて行き詰まり感などのない世界。信じられないことに、音楽の完成度という点においてこれ以上のものはないのではないだろうか?そしてそれはモーツァルトのような天才性というのとも少し違う。同様に無欠の完全性を持つ作品であったとしても、ハイドンのそれは、長い試行錯誤の末に築き上げられた努力の結晶ともいうべきものだからである。だから私はハイドンの作品に、モーツァルトにも増して親近感を覚える。そしてまたベートーヴェンがこの先を発展させざるを得なくなる苦悩に対しても。

弦楽四重奏曲第81番ト長調(作品77-1)は、スタッカートのような跳ねるようなリズムで始まるのが印象的である。丸で鞠で遊ぶようなおどけたようなメロディーは、第1楽章を通して聞かれる。一聞、イージーに書かれたような印象を与えるが、決してそうではないと思わせるようなものを持っている。

第2楽章が秀逸で、無駄なく、しかもしっかりと音楽がそこに存在している。そして重要なことは、ハイドンの音楽が決してスピリチュアルではない点である。むしろそれとは対極的に音楽としての存在を主張する。第3楽章の速いメヌエットの中間部では、スケルツォのような激情も登場するが、それもしかしベートーヴェンのように破綻するものではなく、きっちりと中庸の器の中に間隙なく収まっている。第4楽章に至っても無理なく自由である。

一方弦楽四重奏曲第82番は、結果的に完成されたハイドンの弦楽四重奏曲の中で、最後になった作品である。その感想を一言で言えば、第81番同様に無理のない中にも高度な完成度を感じることに加え、さらに深みを覚える作品である。また第2楽章は前作のアダージョとは異なり、メヌエットが置かれている。そのリズムの処理は諧謔的。第3楽章の長いアンダンテが尻切れトンボのように終わると、終楽章のソナタが始まる。

ハイドンはロブコヴィッツ四重奏曲を当初6曲から成る作品として作曲を開始した。しかし完成を見たのは2曲のみである。ハイドンの意欲は、むしろこの時期にはオラトリオ「四季」に費やされた。その作品から3年が経過し、ハイドンは作品103(第83番)として知られる次の弦楽四重奏曲の作曲に取り掛かった。しかしわずか2つの楽章のみを作曲しただけで未完成のままとなった。現在聞くことのできるのは、第2楽章と第3楽章のみということになっている。私もこの機会にこの作品に接して見たのだが、先入観のせいかそれ以外の作品のような優雅さにいささか欠けるような気がする。ハイドン自身、この作品には満足できるものではなかったようだ。だが、それは歳のせいであるとわかっていたハイドンは、そのことを素直に告白して、この作品を未完成のまま出版した。そういうところがハイドンらしいと思う。彼は自分の作品が一定の完成度を持たないといけないと考えた。音楽は常に明るく、楽しいものなくてはならない。そして彼は、出版された楽譜に、そのことをわざわざ告白している。

すでに老いたしまったハイドンは、これ以上の作品を生み出すだけの力を発揮することはなかった。これに代わって6曲から成る弦楽四重奏曲をロブコヴィッツ侯爵に献呈したのは、ベートーヴェンだった。息子よりも若い世代の活躍にハイドンはどう感じていたのだろうか。しかしモーツァルトであれベートーヴェンであれ、彼らの才能をいち早く認めていたのは、ほかならぬハイドンだった。古く懐かしいが、いまなお評価の高いアマデウス四重奏団のセットを聞きながら、コロナ禍が続く2021年の暑い夏を静かに過ごしている。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...