2013年11月30日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19(P:ピエール=ローラン・エマール、ニクラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)

限りない数の録音が存在するベートーヴェンのピアノ協奏曲でも、この第2番はもっとも人気のない地味な作品である。けれども私はこの第2番が結構好きである。特に第2楽章。ここのロマンチックなメロディーは、映画か何かの映像作品で使いたくなるようなメロディーだ。モーツァルトに似ているとも言われる初期の作品ながら、ここには紛れも無くベートーヴェンが存在している。

ベートーヴェンはこの曲を第1番より先に作曲している。それは1786年から1795年にかけてとされていて、1786年と言えばまだ16歳、ボンにいた頃である。だがベートーヴェンがこの曲を初演するのは1795年のことで、この時25歳。楽聖はウィーンにいて、はじめての演奏会、すなわちデビューを飾ったのがこの曲によってであった。

この後に初演されたピアノ協奏曲第1番ハ長調のほうがもっぱら明るく快活で、若々しさに溢れている。ともすれば第2番はその陰に隠れてしまっている。けれども、第2番は第1番より先に作曲された。ベートーヴェンのボン時代の作品はほとんど知られていないが、この曲はベートーヴェンの音楽がすでに個性を発揮していたことを良く表している。ところがベートーヴェンはこの曲を出来損ないだと考えていた。何度も改訂を重ねた挙句、取るに足らない作品だと決めつけてしまったのだ。

だが、そんな良くない曲に、私には思えない。特に今回、ピエール=ローラン・エマールがピアノ弾き、ニクラウス・アーノンクールの指揮するヨーロッパ室内管弦楽団の演奏で聞いてみると、この曲の素晴らしさがひしひしと伝わってくる。エマールは大変幻想的に、しかも十分な構えをもってこの曲を演奏し、かといって重くならない繊細さを持っている。何かシューマンの曲を聞くような感じである。そこにはすでにロマンチックな解釈が、この作品に適用可能であることが明確に示されている。

何度も何度も聞いているが、そのたびに好きになり、飽きるどころかはまっていく。録音が美しいので、ヘッドフォンで聞くにも相応しい。ヨーロッパ室内管弦楽団の素晴らしいソリストが、アーノンクールの意図を的確に汲みとっていて、ピアノと綺麗に噛み合っている。完成度が高い。

私はこの演奏を、被災地に向かう朝の東北新幹線の中で聞いていた。晩秋の関東地方は雲ひとつない快晴で、遠くに雪を頂く富士山が美しい姿を見せていた。これから向かう三陸海岸は東日本大震災から2年半以上が経過した今でも、復興はままならないと聞く。まだ旅行したことのないリアス式海岸の街を、思い切って訪ねてみようと思った私は、何曲かのクラシック音楽を携帯音楽プレーヤーにコピーした。そのひとつがこの演奏で、それを朝日を浴びる関東平野を過ぎ去る時間に聞いてみたくなった。

その音楽は私の心象風景とよく合っていた。久しぶりに出かける休暇は、私を自由な気分にさせたが、その目的地に被災地を選んだことで、その足取りは明るくはなかった。すこし曇ってきた福島県の中通りを通過するとき、この心理はまだボンにいて音楽家を夢見るベートーヴェンの不安感と、少しは似通っていたのかも知れない、などと浅はかなことを考えた。だが、かつては何日もかかったみちのくへは、たった2時間足らずで到着した。雲の合間から明るい陽射しが差し込むたびに、オーケストラの間に響くピアノの音に、うまく呼応しているように感じられた。軽やかさとほのかな翳りが入り混じった不思議な時間であった。

2013年11月29日金曜日

シューベルト:交響曲第7番ロ短調D759「未完成」(アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

他にも多くの未完成作品があるというのに、なぜシューベルトの交響曲第7番(旧第8番)だけが「未完成」として有名になっているのだろう、と誰もが考えたであろう。私もその一人であるが、今ではこの曲が、若きシューベルトの心の風景を反映しているかのような作品だからだろうと思う。わずか31歳で夭逝したシューベルトの中でも、この曲を聞くときほどその心の気持ちが淋しくなる時はない。

特に第2楽章に入ると、フルートが、オーボエが、あるいはクラリネットが、次々と物憂げなメロディーを奏で、それに聴き込まれていくうちに、何かとても長い時間が経過したかのように感じる。どこか違う風景の中を旅しているような、しばし身近な事を忘れてしまう時間が来るのである。かつては、そういう演奏ばかりだった。

だが最初にこの曲を聞いた時は、ステレオ装置が壊れているのではないかと思ったものだ。なかなか音楽が始まらず、始まってもボリュームが大きくならない。A面の「運命」はいきなり「ジャジャジャジャーン」だし、おおよそ交響曲の出だしというものは、そういうアレグロだと信じていた私は、何故この曲がこんなに静かな曲なのにそれほど有名な作品であるのか、理解できなかった。序奏が終わっても静か、そしてとうとう第2楽章に至っても、緩やかな三拍子の物憂いメロディーが続く。

「未完成」であるために、この曲の演奏は通常、第2楽章で終わる。何か煮え切らない気持ちがしたものだった。だが私はトスカニーニによる演奏を聞いて、少し考えが変わった。それなりに緊張感をはらみ、アクセントを強調すれば、フォルテもクレッシェンドもある曲だったのである。そして演奏によっては、何か例えようもない位に心を揺さぶる。音楽を聞いてこのような経験は初めてだった。確かその時は、ジョゼッペ・シノーポリの演奏(最初のフィルハーモニア管弦楽団とのもの)だったと思う。

いまこの演奏を聞いても、少し風変わりな演奏だと思う。そしてこのブログを書くにあたって数々の演奏を聞いていくうち、やはりこの演奏に行き着く、というのが、アンドレ・クリュイタンスが指揮したベルリン・フィルの演奏だ。録音は59年頃で私も生まれる前、当然ながら少しノイズがある。だがこの演奏は隠れた名演だと思う。ベートーヴェン全集の付け足しのように録音されたようだが。

ベルギー生まれのクリュイタンスは、ベルリン・フィルから明るい音色を引き出している。しかしそれがシューベルトの暗さと奇妙にマッチして、そこはかとない寂寥感を湛えている。今では珍しくなったルバートをかけるが、それがもたれることもなく、むしろ整っている。溺れそうになるような演奏ながら、理性が優っている。何か、大河ドラマのシーンに流れるような感じで、たっぷりと歌っている。

誰にも認めてもらえないような孤独感。若者の諦観。そういったものがこの曲には溢れている、と私は感じている。秋の深まる季節、木々の葉が木枯らしに揺らされて舞い落ちる。夕方、学校から帰ってくると、私はそのまま机に向かい、試験勉強に明け暮れたものだった。だが、その間中、私は音楽を聞いていた。その音楽は、日が暮れていくと共に深く心の底に入ってきて、私の胸を締め付けた。

シューベルトの孤独。それはこのロマン派の音楽を語る上で欠かせない。父親に見放され、今で言うニート生活をしながら、彼は音楽史に残る名曲の数々を作曲していった。シューベルトにも音楽的な野心がなかったとは言い切れない側面がある。だが、多くの素晴らしい作品は、彼のもっともパーソナルな側面に対して装飾的な想像力を掻き立てる。どういう聞き方があってもいい。だから「未完成」は多くの個人にとって青春の音楽になっている。その苦しさは、全く個人的な胸の底にしまわれた、自分にしか理解できないものであればあるほど、そっとしておいて欲しい。その気持をちを、いつもは忘れているが、この曲を聞く時は思い出す。だから、大人になると「未完成」を聞く機会は減るし、その時には覚悟がいる。

2013年11月17日日曜日

ベルリン・フィル3D “音楽の旅”

2年前の2011年末、新宿の映画館で見た「ベルリン・フィル3D “音楽の旅”」が、いつのまにかブルーレイなどでリリースされている。この作品の感想などを書き残していたので、ここに転記しておく。曲目はマーラーの交響曲第1番「巨人」と、ラフマニノフの交響的舞曲、シンガポール」でのライヴである。

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いつもは目にしない夕刊の映画館のお知らせコーナーを、どういうわけか久しぶりに見ていたら「ベルリン・フィル3D “音楽の旅”」という映画?の上演が新宿であるのがわかった。サイモン・ラトルが指揮をしたマーラーの「巨人」とラフマニノフの「交響的舞曲」となっている。ただのコンサートなのか、それともドキュメンタリー風のビデオ作品なのか、それは定かでないが「3D」とあるので、眼鏡をかけた映像の初体験となるだろう。3500円はちょっと高いが、職場の近くだし少し無理をすればなんとかなる・・・。

 年末の予算編成に忙しいこの時期に私はわざわざ午後の休みを取って、雨の中を新宿3丁目まで歩いた。平日とはいえ結構な人出だが、そもそも新宿3丁目にバルト(Wald)などというドイツ語の映画館なんてあったっけ。何でも13階建て、全部で10以上もの会場がある、そんな大規模な映画館のひとつで上映されている。さすが天下のベルリン・フィルである。

ところが、何と400人以上入る館内に客はたったの15人程度。ロビーへ上がる前に1階の端末にクレジットカードをかざせば、席の予約と決済、それに発券までできるので大変便利。その席を取ろうとしたら、20分前というのに3席しか表示がない。何かの間違いではないかと思ったが、そうではなかった。すぐそばのスターバックスなど空席がないというのに、なんという落差。

さて上映が始まると、港の夜景が映し出された。向こうには高層ビル群。ベルリンにこんなところがあったっけ?と思っていたら、そこは何とシンガポールである。その風景に乗って早くも「巨人」の第1楽章が始まる。普通にスクリーンを見ると、二重に重なっているので慌てて眼鏡をかける。するとタイトルの文字が浮かび上がって幻想的。やがて館内の演奏風景へとスイッチすると、サイモン・ラトルが指揮をしている。ずらりと並んだホルンは、後ろにいくほど遠くに感じられるし、そうかこれは最終楽章のコーダで立って吹くな、などと考えていたら目の前をコンサートマスターの梶本大進の姿が通りすぎていく。

そもそもマーラーを聞くのに3Dという映像効果が必要なのかどうかは不明である。だいたい映像で見るクラシック音楽の演奏風景は、カメラがとらえている楽器をどうしても聞いてしまうので、それだけで少しバイアスのかかった聞き方を余儀なくされるのが普通である(オペラでもそうだ)。今はここに注目しなさいよ、とわざわざ教えてくれるのだ。それを煩わしいと感じる作品は、下手なカメラワークの作品で、NHKのテレビ中継などに多いのだが、さすがはEurodiscの作品だけある(もっともNHKは協賛会社のひとつであるようだ)。

というわけで、3Dの映像に付き合っているだけで疲れてしまい、果たしていい演奏だったかどうかはよくわからない。敢えて言えば、この作品はもっと聴かせどころの多い作品だと思うが、どうもラトルの演奏が中途半端である。合わないような気がする。ベルリン・フィルはさすがだし、音響も見事なのだが、かつてCDで聞いた決定的演奏のハイティンク盤、音楽監督就任時に録画された印象的なアバドの映像などに比べるとあまり進歩がない。

だが、もう一つのプログラムであるラフマニノフで、この組み合わせは本領を発揮した。第1楽章の「真昼」。その迫力ある音楽は、3D効果の挿入画像に不思議にマッチして、何とも楽しい。シンガポールの人々の様々な生活シーンが、遠近感のある大画面に演奏と交互に登場する。 第2楽章「黄昏」は、リラックスした音楽が特に素晴らしく、第3楽章「夜中」にいたっても集中力はものすごい。
ラトルとベルリン・フィルの組み合わせに良く合っているが、このロシアの音楽が熱帯雨林気候の映像と組み合わさるのが不思議に面白い。会場につめかけていたのは、多くが若い人々でブラボー満開の拍手喝采の様子に、シンガポールのようなところにも立派なホールがあるものだと感心させられた。

わざわざ買ってまで見る作品でもないが、ラフマニノフは会心の出来栄えで満足度が高い。3Dである必要もないが、3Dのために作成したビデオ作品として、試行的な位置づけのものとしては話のネタにはなるかも知れない。それにしても大画面をほとんど独り占めのような状態で見ることのできる経験は、私にとってとても貴重であった。コンサートもこのようにして見る時代なのだろうか。

2013年11月13日水曜日

ワーグナー:「ニーベルングの指環」(抜粋)(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、他)

もし私が音楽評論家か音楽家、あるいは少なくともドイツ文学の専門家なら、ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」の演奏について、かなり慎重な書き方をするだろう。金字塔ともいうべきショルティ盤よりも、同じセッション録音ならカラヤン盤の方がいい、などというためには、それなりの論理の展開、理由付け、説得性を持つ言い方をしなければならない。だが、私はワーグナー初心者の単なるファンにすぎず、その経験も多くはないので、ここでは簡単に持論を展開できる。ブログのいいところである。

「指環」のセッション録音は、未だに2つしかない。それがウィーン・フィルによるショルティ盤と、ベルリン・フィルによるカラヤン盤である。デジタル録音が主流になる80年より前には、このほかにライヴ盤としてベームによるバイロイト盤があるだけで、この3組が常に議論の的となってきた。最近になって、ショルティより前にカイルベルト盤が正規録音されていたことが発掘されて、ビデオ盤のブーレーズと合わせれば計5種類が、この時代の録音ということになる。

この中で私はベーム盤のみ全集を持っているが、ショルティとカラヤンについても触れておかないわけには行かない。それがたとえ抜粋による「サンプラー」だったとしても、である。そして今回改めて聞き直してみても、私の結論はやはり変わらない。それはショルティ盤に比べ、圧倒的にカラヤン盤がいいのである。ショルティ盤が、どうしても「性に合わない」ということは先に書いたが、同じ音楽を少し聞き比べただけで、カラヤンの音楽づくりが比較にならないほどいいということがわかる。それを一言で言えば、音楽性がある、のである。

デッカがウィーンでの「指環」全曲録音を始めた時に、まだ若手だったショルティを起用したのは、これほどの長い時間を拘束でき、しかもプロデューサーの意向を反映させやすかったからであろう、と想像する。だがこの企画の最大の功績は、このことによってカラヤンが、ベルリン・フィルを使って自らの「指環」の全曲録音に乗り出したことだろう。マーラーの第9交響曲がバーンスタインのライブに触発されたように、このドイツの帝王は自分が常に音楽界の中心にいないことに我慢ができなかった。

カラヤンはイースターの時期にザルツブルク復活音楽祭を始めるのは「指環」を上演、録音するためだったと言っていい。60年代にはこの2つの企画が同時に薦められ、カラヤン盤はドイツ・グラモフォンから発売された。この2つのセットは、長年「指環」の2大横綱だったが、先行したショルティ盤の方が、往年の大歌手を揃えていることに加え、レコード会社の販売戦略も功を奏し、はるかに大きなポジションを占めている。

だが、私はカラヤンによる演奏が好きである。この抜粋版CDはわずか1枚に収められているので、1000円もしなかったが聞きどころ満載、このコンビの絶頂期が満喫できる。ザルツブルク音楽祭に合わせてひとつづつセッション録音されたため、歌手の一部は入れ替わっているが、統一的な音楽づくりによってカラヤン美学が堪能でき、違和感がない。

初めて聞いた時、私はカラヤンのワーグナーがこれほどにまで美しく心を打つことに感激した。他の演奏では感じなかった魅力が、この演奏には溢れている。力強いワーグナーも悪くはないが、心を落ち着けて聞く深い味わいは、上質のワインと料理のように、歌と音楽の見事なブレンドを醸し出す。ショルティ盤と違い、バイロイトを意識してか、少しエコーのかかったビューティフルな音色で統一されている。

ベルリン・フィルの豊穣で、かつ重くなりすぎない音楽が、もしかしたらこの録音の主役かも知れない。それも含めてカラヤン流で固めたワーグナーは、もし北海道の一軒家にでも移り住むことができれば、今日は「ラインの黄金」、明日は「ワルキューレ」などと毎日のように全曲を、朝から一日中鳴らして過ごしたい、などという夢のような思いを掻き立てる。 カラヤンがこの時期に「指環」を完成させていたことを神に感謝すべである。これはカラヤン芸術のひとつの頂点であると思う。


【収録曲】

1. 楽劇「ラインの黄金」より「ラインの黄金」
2. 楽劇「ヴァルキューレ」より「冬の嵐は過ぎ去り」
3. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴァルキューレの騎行」
4. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別」
5. 楽劇「ヴァルキューレ」より「魔の炎の音楽」
6. 楽劇「ジークフリート」より「溶解の歌」
7. 楽劇「ジークフリート」より「ブリュンヒルデの目覚め」
8. 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデ!聖なる花嫁」
9. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートの葬送行進曲」

ヴォータン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、トーマス・ステュアート
ジークムント:ジョン・ヴィッカーズ
ジークリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
ジークフリート:ジェス・トーマス
ブリュンヒルデ:ヘルガ・デルネシュ

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

2013年11月12日火曜日

ワーグナー:「ニーベルングの指環」(抜粋)(ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、他)

ワーグナー・イヤーの今年、持っているワーグナーのCDをできるだけ聞いて書き留めておこうとしている。そしてとうとう「指環」の抜粋盤を取り上げる時が来た。その中に、レコード録音史上最大の遺産であるショルティの演奏を避けて通るわけには行かない。だが、そもそもこの演奏はそんなに素晴らしいのだろうか。これを書くことは大変な勇気がいる。他にも無数の人がコメントを書いているからだ。

以下は私が初めてこの抜粋版のCD(2枚組)を聞いた時に書いた文章だが、この時の感想に今もさほど違いがない。このときはあまり意識しなかった大歌手たちも、なぜか迫力に乏しいと感じているのは私だけかも知れないが。たとえば「ワルキューレ」におけるヴォータン役のハンス・ホッターも、第3幕ではまるでジルダを愛するリゴレットのようだし、相手のブリュンヒルデを歌うビルギット・ニルソンってこんな声だったのか?と思ってしまった。何せオーケストラが、あちこちから事あるごとにでっかく顔を出す。

さらには「ジークフリート」のタイトル・ロールを歌ったヴォルフガング・ヴィントガッセンも録音のせいか、時に弱く感じる。録音が時に音飛びがするような色あせも見えるし、それをものともしないショルティの終始強引な指揮は、それが一貫しているということを良さと考えるべきか、一本調子と考えるべきか悩む。

これはまだ「指環」をきっちり聴きこんでいない私の、現時点での感想である。歌手について、もう少し頑張って聞けば、理解が進むのかも知れない。けれども音楽の陶酔が得られない点はどうしようもない。アルコールの入っていない炭酸飲料のような録音は、隅々にまで明瞭で迫力も十分だが、ラインの川底であれワルハラ城であれ、同じ場所にいるように聞こえる。

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クラシック音楽鑑賞を趣味とする者にとって、一生に一度は手を出さないわけには行かない録音というのがある。その代表例で、おそらく最高峰のひとつがショルティを起用してウィーンで行われた史上初のスタジオ制作の「指環」である(同様の「必聴盤」にはフルトヴェングラーの「第九」、ワルターの「田園」などがあるが、これらはどちらかというと我が国固有の現象である。ショルティの「指環」は世界的規模のそれであって、そういう意味ではカラスの「トスカ」などに相当するが、それらですら及ばない規模の企画であった)。

宇野功芳という音楽評論家がいるが、彼はその著書「宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版」の中で、指環のCDを取り上げている。その中で推薦盤として、往年のクナッパーツブッシュやクラウスの演奏、あるいはベーム盤を取り上げるかと思いきや、わき目も振らずこのショルティ盤がいい、というのである(この本の面白さはその意外な推薦盤である。ちなみにこの時点でまだカイルベルトの正規録音は発売されていない)。

だがこの「リング」、批判を恐れずに言えば少し過大評価されているようにも思うのは私だけだろうか。その原因はひとえにショルティの指揮にある。彼は果たしてワーグナーに相応しい指揮者だったのか、ということである。

この演奏を聞くたびに、ワーグナーってこのような音楽だったのかな、と思う。独特の陰影に乏しく、メロディーの流れが自然に聞こえない。細部までクリアに聞こえるのは録音のせいだとして、それが自然に耳に馴染んでいかないのである。もっとも抜粋盤は、その中でも聴きどころを集めた、言ってみれば「プロ野球ニュース」のようなものだから盛り上がるシーンの連続とは言え、やや無理な興奮のしっぱなしかも知れない。これが何時間も続くとき、何かしっくりこないのである。歌手もぎこちなく歌いにくいのではないか。ドイツの深い森に入り込む雰囲気がしないのだ。酔わない、とでも言おうか。

ウィーン・フィルはここでも素敵だが「リング」の演奏がウィーン・フィルである必然性はない。ホルンの美しさなどはさすがだが、いつまでも浸っていたいような音色ではない。なんとなくうるさすぎるので、歌手の声に集中できないことがある。第一級のワーグナー歌手を揃えているし、それがこの録音の魅力であるのだが、それが引き立つかと言えば、私の聴き方が悪いのかもしれないが、カラヤンやベームの録音に軍配が上がる。

カイルベルトによる55年の正規録音は、世界初とされていたこの「指環」のステレオ全曲録音の存在を曇らせるものだった。実際、このカイルベルト盤はほとんど試行段階のステレオ録音ながらその音色は色あせていない。だが発売間もないCDで高価である上、抜粋盤も出ていないようだ。

話をショルティ盤に戻すと、このディスクがやはり世評の高いものであるとするなら、私にとっては「性に合わない」という結論になるのではないかと思う。ショルティの指揮がダイナミックで、特に「神々の黄昏」では物凄い盛り上がりを見せる(このメイキング・ビデオも発売されていた。モノラルのBBCドキュメンタリーで、ショルティはチャンバラ映画を早送りしたような身振りでウィーン・フィルを奮いたたせている)。

歌手、ウィーン・フィル、そして独特の効果音を散りばめた録音芸術の集大成を敢行したプロデューサーのカルショウ、と他の追随を許さない魅力があることは確かだが、ワーグナーに必要な何かが欠如していると思えてならない。ショルティはバイロイトに招かれたが、わずか1年しか指揮台に立たなかったことが思い起こされる。

結論的言えば、デジタル以前に録音された「リング」に関する限り、独自の洗練をみせるカラヤンを別格にすれば、ワーグナーの自然で十分に熱狂的な演奏は、ベームのライヴ盤に勝るものがないのではないだろうか、ということになる。

以上が抜粋盤を聞いた現時点での私の総括である。それぞれにそれぞれ特徴のある「リング」のディスクも、デジタル録音や映像が主流となる80年代以降の分を合わせて考慮すると、状況はより複雑となる。ただ「指輪」ともなるとどの演奏を選んでもきっちりと念入りに作成され、それなりの評価を持っているので飽きるということはない。ショルティの演奏も、それをどう評価するかは、一通り聞いてみた後でないと決められないし、もしかするとより多くの魅力を見逃している可能性もある。

【収録曲】

1. 楽劇「ラインの黄金」より「前奏曲」、「ヴァイア・ヴァーガ」
2. 楽劇「ラインの黄金」より「ヴァルハラ城への神々の入城」
3. 楽劇「ヴァルキューレ」より「冬の嵐は過ぎ去り」
4. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴァルキューレの騎行」
5. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」
6. 楽劇「ジークフリート」より「鍛冶の歌」
7.楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」
8. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートのラインへの旅」
9. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートの葬送行進曲」
10. 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」

ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ヴォータン:ハンス・ホッター
ミーメ:ゲルハルト・シュトルツ
ジークムント:ジェームズ・キング
ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン

ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2013年11月9日土曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第12回目(1986年3月)


大学入試が終わり合格発表までの間に、別の大学の入学金の締め切りがやってくる。このため第1志望の学校に合格する可能性があっても、もし不合格だったら入学する可能性のある第2志望の学校に、入学金を納めなくてはならない。この詐欺まがいの習慣のため、私は数十万円をバッグの中にしのばせ、東京の同じW大学に合格した予備校の友人2人と、夜行列車に乗って行く事になった。入学試験の時には新幹線で上京した私たちも、今回は時間が十分にある。しかも他にすることもない。2人は熱心という程でもないが、鉄道旅行が好きだということだったので、私たちは1泊で出かけることになった。

大学の入学手続き会場は9時頃に開くので、私たちは朝4時台に到着する大垣夜行に乗っても、6時間近くを東京近郊で過ごす必要があった。このため私たちは用事もないのに、開通したばかりの京葉線の始発列車に乗って、当時の終点だった千葉みなとまで行き、さらに引き返して南船橋から武蔵野線に乗って、満員の通勤電車を武蔵浦和まで。そこから埼京線に乗りかえて池袋に行くというマニアックな計画を立てた。これで高田馬場にある大学へは、朝ごはんを食べても一番に到着できる。帰りはいくらなんでも新幹線で、この時その後どのようにして時間をつぶしたかは思い出せない。

問題は大垣を出発する夜の10時頃まで、どうやって過ごすかということである。「青春18きっぷ」は日付が変わってから丸一日が有効なので勿体無い、ということになり、誰が決めたか忘れたが、丹後半島をローカル線の旅をしようということになった。大阪駅に集合した私たち4人は、たしかそのまま姫路に向かい、そこから播但線に乗って豊岡へ出た。この区間は結構な混み具合で、春とはいえ肌寒い中をコトコトと走る。窓ガラスが曇り、私も眠っていたと思う。

豊岡からは宮津線の乗り換え、丹後半島を一周する。現在は北近畿タンゴ鉄道というそうだが、当時は国鉄宮津線で、ここも結構混んでいた。峰山という一番大きな駅を通ったのを覚えている。ここは野村克也の生まれたところである。

終点の西舞鶴から舞鶴線で綾部に出て、そこからは京都まで山陰本線。これで夕方になった。どの線も結構な混雑で私はなんでこんなことをしているのだろうと虚しくなった。同行の連中もみなおしだまったまま、東海道本線に乗り換え、列車は夜の大垣に着いた。

大垣発の夜行普通列車は、このあとJRになってからも2回ほど利用している。1回目は大学3年生の春で、自動車運転免許取得のための合宿に向かう1990年の3月だった。私と高校時代の友人のU君は、山形県の赤湯温泉の宿舎に滞在することになり、やはり出費を抑えるべくこの列車を利用した。嬉しい事に朝一番の東北本線に乗ることで、福島から奥羽本線に乗り換えて午後には赤湯駅へ到着した。

その次は同じ1989年の7月であった。このときはインドへの海外旅行の出発時で、私が利用する航空会社の飛行機は成田空港発着だった。私は料金を安くあげる必要と、午前11時には空港へついていなければならないことなどからこの列車を利用したのだった。ただこの時は片道のみの利用だったから、私はグリーン車を利用した。

大垣夜行はこのようにJR時代になっても走っていたが、とうとう2009年には臨時列車となってしまった。愛称も「ながら」というもので、長良川からとった名称だとは思うが私には愛着を感じない。いやそもそも鉄道旅行という変な旅行も、私が大学に入るとあまりしなくなってしまった。高校生の時とは違って、ただ鉄道に乗るだけの旅行は、もはや楽しみではなくなった。加えて全国のローカル線が廃止の憂き目に合うことの寂しさがあ、このことを助長した。大学に入ると私は、かねてから行きたかった北海道へ旅行し、これがほとんど最後の鉄道旅行となった。国鉄最後の日は、私が大学に入学した日には、わずか1年後に控えていたのだった。

2013年11月7日木曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(1990年3月19日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)

アレクサンダー・ヴェルナーという人が書いたカルロス・クライバーの伝記「ある天才指揮者の伝記」には、この指揮者のすべての演奏の記録が詳細に記述されている。私はクライバーの演奏会を2度経験しているので、その項を図書館で借りて読んでみた。その一つが1990年3月のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「オテロ」公演である。

そこには当時の新聞評からの抜粋として、「メトロポリタン歌劇の長い偉大な歴史の中でオーケストラがこれほど緊張と興奮に満ち、感動的な演奏をしたのをだれも聴いたことはなかった」と書いてある。私はその5回に及ぶ公演のうちの最終回を、1階のオーケストラ席後方で見ることができたのだった。だが、これは幸運であった。

当時大学生だった私は卒業旅行と称してアメリカ各地を周り、最後には伯父の住んでいるニューヨークへ向かった。ボストンから乗るはずだったグレイハウンドのバスがストライキで運休となり、あろうことか満員で立つ人までいたアムトラックに5時間近く揺られてマディソン・スクエア・ガーデン近くのペンシルヴェニア駅に着いたのは、もう夕方だった。伯父が迎えにきてくれたが、彼は私をウェストチェスターの家に連れて行ってくれただけでなく、1週間以上にも及ぶ滞在を許してくれたのだった。伯父もクラシック音楽が好きで、単身赴任の間は毎日のようにコンサートに通っていたから、当時の出し物は把握していた。そして丁度その時にクライバーを迎えての、ゼッフィレッリ演出のヴェルディの歌劇「オテロ」を上演中だったのである。

一連の公演のうち最終回の日に、私はマンハッタンに出向き、伯父のはからいでリンカーン・センターに出かけた。もちろん席はすべて売り切れだった。クライバーは前年ロンドンで、やはり「オテロ」を指揮し、圧倒的な成功をおさめていた。この時の演出はモシンスキーであったが、歌手は同じだった。すなわちプラシド・ドミンゴの外題役、カティア・リッチャレッリのデズデモナ、それにフスティノ・ディアスのイアーゴという、豪華三役揃い踏みである。

伯父は劇場の前にたむろしていたダフ屋の一人に声をかけ、120ドルだったかの席を200ドルくらいで買ってくれたのだと思う。伯父はそのまま6番街のオフィスへ戻り、私は8時の開演時間を待った。人生二度目のオペラ体験は、ローマでの「トスカ」に続き何とクライバーの「オテロ」だった。

第1幕の冒頭でいきなり嵐のシーンが鳴り響き、一気にヴェルディの世界に引き込まれるこの歌劇は、ただでさえ迫力満点だが、何せクライバーである。私はストーリーもあまり知らず、当時のメトにはもちろん字幕などないにもかかわらず、ノックアウトされたような興奮に襲われたことを鮮明に覚えている。上記の書物によれば、クライバーが「竜巻の猛威」で「オテロ」を開始した時、ヴァイオリン奏者の女性は、「あおられて立ち上がらんばかりになった」。アンネ・ゾフィー・ムターもこの上演を見て「驚嘆に値します」と興奮気味に語っているという。

メトのオーケストラとクライバーはとても素晴らしい関係にあったことを、この伝記はまた伝えている。そしてクライバーは同じ1990年の秋に再びメトの指揮台に立ち、ジェームズ・レヴァインの計らいで「ばらの騎士」を指揮したことが記されている。だが、これがクライバーのニューヨークでの最後の公演となった。クライバーの「オテロ」は、ソニーが録音を計画しながらも、ドミンゴのスケジュールが合わなくて断念したことも、この伝記によって知った。私がクライバーを見たのもこの時が最後であった。

第3幕が終わったのは11時半を回っていた。ウェストチェスターに向かうメトロ・ノースの最終電車は、グランド・セントラル駅を12時半には出発する。このため私はカーテンコールもそこそこに地下鉄に飛び乗った。治安の悪さで悪名高いニューヨークの地下鉄も、ブロードウェイの劇場が一斉に跳ねる夜半前後だけは安全だと聞かされていた。私はドミンゴ、リッチャレッリとともにカーテンの前に姿を現したクライバーの記憶が鮮明に焼き付いている。だがその音楽は、興奮のあまりか、よく覚えていない。CDもDVDも発売されていないので確かめる術もないと諦めていた。ところが最近、YouTubeに全編がアップされていることを発見した。この映像を私は迷わずダウンロードし、大切にハードディスクとDVDに収録した。

2013年11月4日月曜日

チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

チャイコフスキーの最も有名な歌劇「エフゲニー・オネーギン」を見る際に留意しなければならないことのひとつは、この作品がまだロシア帝国時代の農村を舞台にした物語であるということだ。プーシキンの原作によれば1820年頃である。当時のロシアの農民は悪名高い農奴制による搾取の中で貧困にあえいでいたが、姉妹の育ったラーリン家は多くの小作人を擁する家庭だった。

姉のタチアーナが読書好きで、夢見がちな少女だったことからは、彼女は字が読めて書ける教養を身につけることができるだけの裕福さがあったことがわかる。しかしタチアーナは16-17歳、妹のオリガは13-14歳頃だろうか。その年老いた乳母が結婚をしたのも、その年頃だった。妹オリガにはもう婚約者がいて、その婚約者の友人オネーギンに一目惚れしたタチアーナは、第1幕第2場の冒頭で乳母に、過去の恋愛体験を訊ねる。だが、「私の時代はそういうものとは無縁だった」と語るシーンがなぜか心に残った。

ロシアでも西欧の自由に目覚める風潮が、徐々に影響を及ぼしてきた時期である。ロシアの農村風景は、このラーリン家の屋敷からは直接見えない。だが、今回のビデオでは各幕の最初に背景となったロシアの風景を映し出す。秋の終わり頃、作業を終えた農民たちの合唱が響く。貧しくともそれなりに平和な風景ということになっている。タチアーナはその夜、夜を徹して恋文をしたためる。ここが有名な「手紙の場」である。タチアーナを歌ったアンナ・ネトレプコは、まだ若い村の娘の揺れ動く心境を、十数分にわたって母国語でたっぷりと歌いあげた。その堂に入った演技はまさに「ネトレプコの歌」であった。

だがオネーギン(バリトンのマリウシュ・クヴィエチェン)は、タチアーナの告白を受け付けない。ここのやりとりなど、実にストレートで見ていてよくわかるストーリーは、常に神話がかるワーグナーや、挿話の多いヴェルディなどにない「良さ」である。加えてチャイコフスキーの叙情的なメロディーが美しく、すぐに口ずさめる歌こそないものの、しみじみと聞き応えがある。

オネーギンはタチアーナを拒否するのだが、ここでの彼の振る舞いは事前に読んだ「あらすじ」よりももっと思慮深いもののように思えた。彼はあくまでタチアーナに対し丁寧であった。オネーギンとて24歳の若者である。彼が自分を結婚に相応しくないと自覚していたからこそ、彼女に対して丁重であったと思う(私は結構オネーギンに同情的である)。

妹のオリガ(メゾソプラノのオクサナ・ヴォルコヴァ)の婚約者レンスキーは、クヴィエチェンと同じポーランド人のテノール、ピョートル・ベチャワによって歌われた。一途な詩人ということになっているが、あまり詩人という感じではなく、むしろ普通の好青年である。だが彼も若すぎた。その自尊心故に、第2幕の「決闘の場」においてオネーギンに鉄砲で打たれるのだ。対角線上に離れ、振り向いて鉄砲を撃ち合うシーンは、戦慄を覚えるような迫力満点で、歌の見事さもさることながら、演技の上手さが光る。おそらく歌の自信が演技にも余裕を与えたのであろう。

指揮者のワレリー・ゲルギエフの指揮ぶりは何も言うことはないが、そのゲルギエフのインタビューは簡潔ながら大変興味深い。ゲルギエフはネトレプコを見出した指揮者だが、彼女ほど熱心に練習をした歌手はいなかったと付け加える。デボラ・ワーナーの演出は、舞台を台本通りの時代設定のままとし、各場面において主張しすぎないものの、十分に歌手を引き立たせる効果的なものだった。

第3幕になると舞台は一転、冬のサンクト・ペテルブルクの社交界である。何本もの宮殿の柱がそびえ、その合間を縫うように有名なポロネーズに乗って舞踏会が開かれる。チャイコフスキーの音楽は、独特の陰影を持ちつつも華やかである。数年間の放浪の旅を終えたオネーギンは、偶然にもタチアーナに出くわす。今やグルーミン公爵の妻となったネトレプコは、ワインレッド色のドレスを身にまとい、貫禄ある夫人として登場する。この変化も見事だが、最後のシーンで再び揺れ動く心境の変化を見事に歌い上げるのは、オネーギンも同じである。再開した2人によるドラマチックな二重唱は聞く者を惹きつける。それでも「過去は呼び戻せない」と、今度はタチアーナがオネーギンの願いを拒絶する。

一瞬、音が途切れ空白の時間が過ぎる。最後の圧巻のシーンは、ここに書くのが惜しい。この幕切れを、オペラとしての充実度に乏しいとする意見に私は反対である。少なくとも今回のワーナーの演出で見たラスト・シーンは、私を硬直させるほどの感動に導いた。

このオペラの主役はタチアーナだという人がいるが、わたしはやはり標題役のオネーギンだと思いたい。彼は自分の立場が不幸だと嘆きながら、より不幸となってしまう宿命を帯びている。自己憐憫の塊のような主人公を、なぜか私は憎めない。思うに次々と変わっていく女性に比べると、男というのはいつまでたっても変われない不器用なものだと改めて思う。彼はそのことが最初から少しわかっていたから、タチアーナを拒絶したのではないか。若いということが、実はこれほどの悲劇を生むという危険性を宿しているという点で、このオペラに「カルメン」と同様なものを感じる。

思えば声が非常にアップで録られ、実際にはこんな風には聞こえないというビデオ収録である。何となく「口パク」の雰囲気もなきにしもあらずだ。だが、そんな心配は最初の30分しか感じなかった。ロシア物を自分の音楽として演じる3人のベテラン歌手たちと、チャイコフスキーの第1人者ゲルギエフの指揮によって、とかく馴染みのなかった「ロシア物」への扉が開かれた。今年のMETライブはこれに続きショスタコーヴィチの「鼻」、ボロディンの「イーゴリ公」、さらにはドヴォルジャークの「ルサルカ」と、スラヴ系オペラの見どころが続く。レヴァインの復帰が予定される「ファルスタッフ」や「コジ・ファン・トゥッテ」と並んで今から待ち遠しい。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...