2019年12月31日火曜日

J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオBWV246(S:グンドラ・ヤノヴィッツ、A:クリスタ・ルートヴィヒ、T:フリッツ・ウンダーリヒ、Bs:フランツ・クラス、カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団、管弦楽団)

普段東京で仕事をしながら、忙しい生活をしていると、バッハの宗教作品などなかなかまとまって聞くことなどない。ゆとりある時間や何にも邪魔されない静寂な環境、それに継続的に安定した心理状況がないと、バッハに耳を傾ける状況にはなれない。名曲の宝庫と言えるバッハは、私にとってなかなか近いものではない。

我が国におけるキリスト教徒人口はせいぜい200万人足らずで、人口に占める割合は1.5%程度に過ぎない(文化庁「宗教統計調査」2017年)。従ってクリスマス前後と言えども通常通り仕事をして、いっとき家族で食事をしたり子供にプレゼントを贈ったりはするものの、26日にもなればもうお正月を目指して師走終盤の日々を迎える。普通の日本人の生活様式が、私の生活からもクリスマスを遠ざけている。

多忙でそれどころではない生活は、バッハ自身にも当てはまるのだという事実は、それでも私を少し安堵させる。少なくとも10人の子供を養育する必要から、毎週欠かさずカンタータの作曲に勤しみ、オルガン奏者や音楽教師も務めたバッハは、その崇高な音楽を締め切りに追われながら作曲した。そう考えると、何も肩ひじを張らず聞けば良いとさえ思う。

ヨハン・セバスティアン・バッハは生涯に200曲以上にのぼる数のカンタータ作品を作曲しているが、それらはみな1回限りの、いわば使い捨ての作品として作曲された。バッハ自身、さすがにこのことには不満だったようだが、実際200曲以上のすべての作品に耳を傾けるだけのゆとりはない。そこでこれらを集めたダイジェスト作品はないものかと思うのだが、「クリスマス・オラトリオ」はまさにそういう作品で、その多くがそれまでに作曲されたいくつかの作品から編集された作品である。

ここでバッハがパロディとして用いた作品は、自身のカンタータ3作品が中心で、繰り返し演奏されることにより、親しみやすさを感じられるようにとの思いを込めたものだったようだ。クリスマスというキリスト教最大の年中行事を題材にしていることからも、それは明らかである。私たちは2時間半に及ぶこの作品により、バッハが残した膨大なカンタータ作品の、いわば入門者向けアンソロジーを聞くような気持で、音楽を楽しむ事ができる。キリストの降臨節から顕現節に至るまでの聖書のストーリーに従って、預言者による語り付きの美しい音楽が付けられているから、ごく自然に聖書の世界を知る事ができる。

カンタータの寄せ集め作品が「オラトリオ」と名付けられた。この「クリスマス・オラトリオ」は6つのパートから成り立っている。全部で65の曲があり、12月25日の1月6日頃まで、6回に及ぶ祝日に分けて演奏された。現在では一気に演奏されたり、2日ないしは3日に分けて演奏されることが多いようだ。我が国ではメサイアやマタイ受難曲に比べても演奏される機会は多いとは言えない。私も実演に接したことはない。

私はこれまでに、いくつかの演奏によりこの作品に接してきたが、あいにく心を揺さぶるものに出会うのが遅かった。最初のガーディナー盤はどこがいいのかさっぱりわからず、アーノンクールも面白くない。シャイーによる目の醒めるような速い演奏で、私の心を掴みかけたがそれは最初の曲のみであった。シャイーは「バロック音楽の本流はイタリアにあり」と言わんばかりに、伝統あるライプチヒの演奏家を手玉に取って見せるが、彼はバッハをロッシーニと勘違いしているようだ。結局この演奏も単調なだけで、深みに欠ける。

そんな中、我が鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパンを率いて録音したものは、この作品の真価に迫る真面目で崇高な演奏である。一方、ヘルムート・リリンクによる定評ある録音も、記憶に残っている。このほかにもいい演奏は沢山あるのだろう。だが、これらオリジナル楽器による演奏は、作品の魅力を小さくしているように思える。クリスマスに聞くオラトリオは、もっと豊穣で大規模なものが好ましいと私は考えている。

結局、どう考えても、あのカール・リヒターによる歴史的名盤こそ、この作品の演奏の中で一等秀でた地位を確保しており、それは少し聞けば明らかである。今もってこの演奏に及び得るものはないとさえ思える。モダン楽器による演奏も、その深々とした味わいは今日かえって新鮮であり、少し古くなったものの各楽器や歌手をよく捉えたアナログ録音の暖かみと、作品に寄り添った厳粛な音楽がうまく調和して、厳しさと慈しみを併せ持つ稀有の名演となっている。

以下、リヒターによる演奏を聞きながら、「クリスマス・オラトリオ」(BWV248)の各部をみて行こう。演奏ははミュンヘン・バッハ合唱団、管弦楽団、1965年のステレオ録音(アルヒーフ)である。

  1. 第1部は合唱曲「歓呼の声を放て、喜び踊れ」で始まる。カンタータ「太鼓よ轟け、ラッパよ響け」(BWV214)によるメロディーが高らかに歌われる。続いて登場するテノールのエヴァンゲリストは、36歳の若さで事故により急死する直前のフリッツ・ウンダーリヒによる貴重な録音で、あの若々しく澄んだ声が収められている。最初の聞きどころであるアルトのアリア「備えせよ、シオンよ、心からなる愛もて」(第4曲)はカンタータ「岐路に立つヘラクレス」(BWV213)からの借用である。アルトを歌うのはウィーン生まれの歌手、クリスタ・ルートヴィヒ。どこかで聞いた曲のような気がするのは「マタイ受難曲」によく似た曲があったように思うからだ。一方、バスのフランツ・クラスが歌う第8曲「大いなる主、おお、強き王」もまた、カンタータBWV214の作品だそうだ。トランペットの響きに心が洗われる思いがするが、このトランペットは何とあのモーリス・アンドレが特別に参加しているという。
  2. 第2部冒頭のシンフォニア(第10曲)は、この曲で唯一、管弦楽のみによるものだが、単独で演奏されることも多い落ち着いたメロディーである。就寝前のひとときをこの曲で過ごす人もいるようだ。第2部の聞きどころは、テノールのアリア「喜べる羊飼いらよ、急げ、とく急ぎて行けや」(第15曲)で、フルートの仄暗い響きが印象的なホ短調。アルトのアリア「眠りたまえ、わが尊びまつる者、安けき憩いを楽しみ」(第19曲)は、冒頭で「Schlafe(眠りたまへ)」と歌う時、その一点の濁りもない美声が遠くの方から次第に近づいてきて、それはまるで光彩を放ちながら救世主が降り立つような響きであり、一度聞いたら忘れられない印象を残す。
  3. 年末最後の曲である降臨節第3祝日用の第3部は、力強い合唱曲「天を統べたもう者よ、舌足らずの祈りを聞き入れ」(第24曲)に挟まれている。リヒターの演奏は一歩一歩着実に天に昇っていくかのようなテンポで、高らかにこの合唱を進める。レチタティーヴォを交えながら、しばらく合唱曲が続く。このあたりから崇高な気分になってゆく。第29曲はソプラノとバスの二重唱である。オーボエ・ダ・モーレの響きに乗せて歌い始めるのは、クンドラ・ヤノヴィッツである。一方、第31番のアリアはアルトによって厳かに歌われるが、ここにはヴァイオリン独奏のみが加わる。ロ短調。曲にも様々な楽器や調性により、微妙な変化がもたらされる。いい演奏で聞くと、そのあたりの妙味が味わえるのだが、最近の速い演奏で聞くとあっというまに終わってしまい、どんな曲を聞いたか印象に残らない。第24曲の合唱が、最後に再び登場して心が洗われるようになって、年末用の曲を終える。
  4. 年が変わって元日には第4部となる。第36曲「ひれ伏せ、感謝もて、讃美もて」(合唱)は比較的長い曲である。ホルンの響き印象的である。第4部は短いが、第39曲のソプラノによるアリア「答えたまえ、わが救い主よ、汝の御名はそも」は透き通った歌が、染み入るような気分にさせられる。ここで合唱が群衆のこだまと重なり、「いいえ」とか「そうだ」などと掛け合うシーンが印象的だ。第41番の二つのヴァイオリンを主体とする弦楽器のフーガとなるテノールのアリア「われはただ汝の栄光のために生きん」は、最大の聞きどころの一つだと思う。そして最後の第42曲の「イエスわが始まりを正し」で再びホルンの音が活躍し、3拍子の美しいコラールで幕を閉じる。
  5. 第5部は新年最初の日曜日に歌われる。軽快だが長い合唱曲「栄光あれと、神よ、汝に歌わん」で始まる。リヒターの演奏は7分近くもあるが、楽しくていつまでも聞いていたくなる。第47番はバスのアリア「わが暗き五感をも照らし」。オーボエ・ダ・モーレのソロに乗って、通奏低音の響きが特に印象的。この曲は、また別のカンタータ「恵まれたザクセン、おまえの幸をたたえよ」(BWV215)からの借用である。だがこんな曲も「クリスマス・オラトリオ」に使われなかったら、知られることもなかったような気がする。ということは他のカンタータにも隠れた名曲がいくらでもあるということだろうか。第51曲目にはヴァイオリン独奏に乗って、珍しい三重唱「ああ、その時はいつ現るるや?」がフーガ風に歌われ、やがて短いコラールで終わる。
  6. さていよいよ最後の第6部になった。この第6部はトランペットが大活躍するのが聞きどころである。まず最初の合唱曲「主よ、勝ち誇れる敵どもの息まくとき」(第54曲)は、まずこのトランペットが高らかに歌い、やがって合唱と絡みながら次第に高みにのぼっていく。第57曲、ソプラノのアリア「その御手のひとふりは」と第62曲、テノールのアリア「さらば汝ら、勝ち誇れる敵ども、脅せかし」を経ていよいよ終曲「今や汝らの神の報復はいみじくも遂げられたり」。再びトランペットが透き通るような音色でキリストの勝利を宣言し、いよいよ確信に満ちた合唱と組み合わさって賛歌が続く。神を得た人間の力強い嬉しさが、込みあがって来る。
2019年の大晦日。快晴の東京には夕方になって冬型の季節風が吹き付けて来た。天災に見舞われ、個人的にも不調な日の多かった今年も残りわずかとなった。来年もまた、無事一年を過ごせるようにと祈りながら、この文章を終える。

2019年12月4日水曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」(フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

まだクラシック音楽を聞き始めた頃の私は、一般的な聞き手がそうであったように、ドヴォルジャークの交響曲は「新世界より」しか知らなかった。第2楽章ラルゴのメロディーは特に有名で、この部分は歌詞を付け「家路(Going Home)」などと呼ばれていた。ボーイスカウトに入団していた私は、キャンプファイヤーの時などによく歌わされたものだった。「遠き山に日は落ちて…」と。

どういうわけか夕暮れ時の、とても静かで懐かしい旋律として小学校の下校時の音楽に使われるのも、この曲を有名なものにしている。ほとんどの日本人が、この部分と、それに第4楽章の冒頭のメロディーを知っているのではないかと思う。これは最も日本人に馴染んだクラシック音楽と言えるのかも知れない。

中学校の音楽の教科書に載っていた「家路」を、私も習った。そしてその日の音楽の授業では、この歌の原曲を聞いてみましょう、ということになって先生は資料室から一枚のLPレコードを音楽室に持ってきた。「今からレコードを聞きます」と言って先生は、そのLPに針を落とした。すると大きなスピーカーから、有名なメロディーが流れて来た。「ここで使われる楽器は、チャルメラのような音がします。イングリッシュ・ホルンと言ってオーボエに似た楽器です」先生は音楽を聞かせながら、このような解説をした。

私はクラスで、クラシック音楽が好きだと称するごく少数の仲間と、やれ「ジュピター」だの「英雄」だのとやっていたから、当然このような基礎知識は持っていた。私が先生に気に入られ、目立つための手段は、こう質問することだった。「このレコードの演奏は誰によるものですか?」すると、その女性教師は、なかなか通の質問をする生徒もいるものだ、などと感心しながらジャケットに書いてある文字を黒板に写し始めた。

「ドボルザーク作曲、交響曲第5番ホ短調作品95『新世界より』…」

私はこの曲がかつては第5交響曲として知られていたことを知っていた。それでこのことにはあまり驚かなかったが、それでももう70年代にもなって、未だに第5番と呼ばれているLPが存在することに関心した。

「ラファエル・クーベリック指揮…」と書き始めたところで先生は躊躇し呟いた。「何フィルハーモニーか書いてないやないの?」(私は大阪の普通の公立中学校の生徒だった)

クーベリックが指揮したオーケストラは、ロンドンにある「ザ・フィルハーモニア管弦楽団」のことである、と直感した。かつてEMIの録音用オーケストラとして創設され、若きカラヤンやクレンペラーが往年の名演を残した楽団である。もちろん今でも存在する。

この演奏とは別に、クーベリックは後年ベルリン・フィルとの間で故国ドヴォルジャークの交響曲全集を残している。ウィーン・フィルとの演奏もある。だがあれから40年以上たった今、いくら検索してもクーベリックの指揮するフィルハーモニア管弦楽団との「新世界交響曲」は検索できない。本当にそんなレコードが出ていたのだろうか、それとも先生の言うように、どこのフィルハーモニー管弦楽団かが記載されていなかったのだろうか、今でも謎である。

さて、新世界交響曲はドヴォルジャークがアメリカに出張中に作曲された。「新世界」とは米国を含むアメリカ大陸のことで、通天閣界隈のことではない。この作品には従って、ネイティブ・アメリカンの民謡の旋律が用いられている。先生もそのような説明をした。けれども中学生の私には、それがどの部分かわからず、アメリカの音楽と言う印象は全くなかった。むしろチェコのメロディーが、日本人に親しみやすいものであることに関心していた。

「新世界交響曲」は4つの楽章から成り、その部分も極めて親しみやすく、スーパーな名曲であることに疑いの余地はない。世界中のオーケストラと指揮者がこの曲を演奏している。第1楽章の沸き立つような主題は、マンハッタンを空撮するヘリコプターから見た摩天楼にマッチし、第2楽章では故郷を懐かしむドヴォルジャークの心情が胸を打つ。第3楽章ではリズムの変化に酔いしれ、第4楽章に至っては迫力も満点。この曲の聞きどころは数えきれない。思いつくままにこれまで印象に残った演奏を記すと、カラヤン指揮べリリン・フィルのビデオ、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの若々しいエネルギーに溢れた歴史的名盤、爽快で迫力満点のシルヴェストリ指揮フランス国立放送局管弦楽団、我が国では特に名高いケルテス指揮ウィーン・フィルなど枚挙に暇がない。

そんな中で、一等光彩を放ち、今でも色あせない名盤は、フェレンツ・フリッチャイによるステレオ最初期のベルリン・フィル盤であろう。今もってこの演奏に勝る印象を私に残すものはない。多芸に秀でた職人的演奏は、今では聞かれない類のものだろうか。余白に収められた「モルダウ」同様、来ていて唖然とする歌いまわしに、最初聞いた時はノックアウトされた。録音もこの時期にしてはいい。特に第3楽章のトリオの部分などはぐっと速度を落とし歌うので、何か落語の名人気に接しているような気がしてくる。

それ以外の演奏では、小澤征爾がボストン響とプラハを訪れ、有名なスメタナ・ホールでのガラ・コンサートをライブ収録したビデオに大いに感心した覚えがある。第2楽章のみの演奏だが、隅々にまで神経が行きわたり、こんなに美しいこの曲を聞いたことがない、とさえ思った。また第4楽章はドゥダメルがローマ教皇の御前演奏をしたものを収録したビデオが秀逸である。気合の入った第4楽章は圧巻で、カラヤンのあの70年代のビデオ演奏を彷彿とさせる。なお、私がこの曲を最初に聞いたのは、カルロ・マリア・ジュリーニがシカゴ響を指揮したグラモフォン盤だった。誠にしっかりとした正攻法の立派な演奏だが、多少面白みに欠ける。

2019年12月2日月曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第8番ト長調作品88(マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団)

ドヴォルジャークの次に取り上げる交響曲第8番で、その思い出の一枚にマリス・ヤンソンスによる演奏を取り上げようと準備をしていた。そうしたら昨日になって、何とヤンソンスの訃報が飛び込んで来た。何ということだろうか。享年76歳。まだ元気な指揮者だと思っていたからショックだった。

私は3回実演に接している。最初は1996年のニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会で、バルトーク「弦チェレ」とブラームスの交響曲第2番を、2回目は2005年に横浜でバイエルン放送響とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とショスタコーヴィチの交響曲第5番を、そして3回目にはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の東京公演で、ドヴォルジャークの「新世界交響曲」とストラヴィンスキーの「春の祭典」だった。どの演奏もプロフェッショナルな名演奏。聞き惚れている間に終わってしまうほどで、完成度が高すぎて印象にも残りにくい。CDで聞く演奏でも、それは同じだった。

そのヤンソンスはドヴォルジャークを得意にしていた。特に第8番の演奏は、私がこの指揮者に触れた最初の演奏でもあり、またこの曲の、もっとも素晴らしく演奏された何枚かの一枚であることは疑いようがない。その演奏は、あのジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団との演奏(特に最晩年のEMI盤)を彷彿とさせるものであり、同じレーベルから出た同じ曲の名演として、もしかするとその焼き直しを意識して製作されたのではないか、とさえ思わせるほどだった。

特に第2楽章の微妙なリズムと、そこにかぶさる木管の歌うメロディーが、しっかりと息づきながらも落ち着きを失わず、晩秋の野道を行くようなしっとりとした味わいは筆舌に尽くしがたい。これは厳格の中にほのかに宿るロマンチシズムを感じさせるセルの演奏に通じるものであり、理性と情熱を程よく併せ持つ大人の音楽である。第3楽章の哀愁を帯びた旋律も、決して情に溺れることはなく、かといって醒めてもいない。

そういえば我が家にもあったセルによる最晩年の演奏は、我が国では特に評価の高いものとして有名だった。なぜならそれは、1970年の大阪万博の年に初来日したこの組み合わせによるプログラムと同じ曲で、実演に接した評論家は、従来CBSからリリースされてきたどこか硬くて厳しさの前面に出た演奏とはやや異なる、情緒的なセルの一面を垣間見た、などと口を揃えて語っていたからだ。セルはこの来日演奏の直後に急死し、その追悼盤として発売されたのが、我が家にもあった来日演目と同じドヴォルジャークの交響曲第8番とシューベルトの「グレイト」交響曲の2枚だった。この2枚は、EMIによって録音されたこともあって、ややエコーのかかったようなアナログ録音が特徴でもあった。

そのLPレコードは、丸で宝物のように取り扱う必要があった。私はこのレコードを聞くたびに、あともう何回か聞くとすり減ってしまうのではないだろうか、などと恐れたくらいだ。けれども程なくしてCDの時代が訪れた。CDは永久的に音が劣化しないというふれこみだった。LPは安物の針を落とすたびにノイズを加えてしまったので、無残な音がしていた。CDとして真っ先にセルの「ドボ8」を買いなおしたのは当然だった。だがそのCDは2800円もしたにもかかわらず、見事にひどい録音だったことを思い出す。LPで聞いたいぶし銀の演奏、摩耶山から見る冬の神戸の夜景のような演奏が、CD化によって化粧を剥がされ、無残な姿として現れたのだった。

今ならリマスターされ、もう少しましな録音に蘇っているものと推測するし、あのCBSへの録音でさえも、もっと生き生きとしたものとして幾度となく再販されている。セルの人気は、今でも根強く続いている。モーツァルトもブラームスも、セルによって蘇り、セルによって真価を表す。だがそうなるまでの少しの期間を、一体どの演奏がドヴォルジャークの第8交響曲を思い通りに再現してくれるのか、私はいろいろ試す旅に出なければならなかった。定評あるクーベリックも、 枯れ葉のような晩年のジュリーニも、都会的なカラヤンも、朝の散歩のようなアーノンクールも、私を満足させてはくれなかった。ただ一枚だけ、ヤンソンスによる演奏のみが、かつてのセルを思い起こさせてくれる演奏だと思った。このヤンソンスによる演奏によって、私は第8交響曲の魅力を再体験することになった。

交響曲第8番はかつて「イギリス」というタイトルが付けられていた。けれどもこの曲がイギリスで出版されたということ以外に、英国とは何の関係もないのが事実である。ところがジャケットに落ち葉と並木が映っているだけで、私はそこが秋のハイドパークだと想像し、音楽までもがイングランドの片田舎の風情を表しているのだと勘違いした。ブルーノ・ワルターが演奏した第3楽章は、私を「イギリス」に誘った。

第4楽章の中間部に設けられたハンガリー風のリズムによって、この曲の東欧風の響きが強調され、ようやく中低音の楽器が多用されたチェコの音階を持つ交響曲としての全体像をつかむことができるようになった。今では私にとって、チェロ協奏曲と並んで最も愛すべきドヴォルジャークの管弦楽曲であり、その魅力は「新世界より」を凌駕している。実演ではN響を指揮したサヴァリッシュの演奏が忘れ難いが、これは少しざわざわとした、丸で小雨模様の都会の夕方のような演奏である。演奏によって様々に表情を変える。この曲の魅力は、そういうところにあるのかも知れない。

なおセルによるドヴォルジャークの交響曲第8番のディスクには、余白に「スラブ舞曲」の第3番と第10番が収録されていた。この2曲は合わせても10分程度で、アンコールのように付録されたものだが、交響曲と同様、輝かしい魅力に溢れた2曲であった。スラブ舞曲にも数多くの名演奏が存在するが、このような小品にもやはりセルの風格と感性を感じるものとして永く記憶に残っていることを付け加えておきたい。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...