2023年3月29日水曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2023年3月28日サントリーホール、大野和士指揮)

ハンガリー系ユダヤ人作曲家リゲティは1923年生まれで、今年生誕100周年。そのことを記念して都響は今シーズンの最後の定期演奏会に「リゲティの秘密」と称する意欲的なプログラムを組んだ。私はそのことをわが家に届いたダイレクトメール(葉書)で知ったが、今月はすでに5回ものコンサートに出かけており、特に都響は2回に及ぶ。だからこれはパス、と決めていたのだが気になって仕方がない。どうやら前評判も上々のようで、同じプログラムが2回。いずれもサントリーホールで開催されるというのも珍しく、オーケストラはかなり自信があるのだと思われる。そこで2日目にあたる3月28日、仕事を早々に片づけてまたもや赤坂アークヒルズへと急ぐ。スペイン坂の桜が満開を迎え、ライトアップされて見事に咲き誇っている。

プログラムは4つの曲から構成されている。まず前半は「虹」という作品の本邦初演。「ピアノのための練習曲集(第1巻)」からの1曲だそうで、アブラハムセンという人がオーケストラ用に編曲した。「虹」はわずか4分ほどの短い曲で、原曲は1985年の作品。現代音楽を聞く時の関心事のひとつは、舞台上の楽器配置である。そして驚くのは弦楽器の少なさ。これに比べ、管楽器や打楽器が舞台の後方にずらりと並ぶ。解説書によれば、この作品では「ポリリズム」と呼ばれる複数の拍子のリズムが同時に(ピアノなら右手と左手)弾かれるという複雑なもので、それが編曲により各楽器に割り振られ、ばらばらの拍の音楽が絡み合うというものだそうだ。「虹」というタイトルが後からつけられただけで、「虹」を音楽で表現したものではないとのことだが、ポリリズムを各楽器に分解したために、音楽が極めてカラフルなものとなった。それを「虹」と表現したのだろう。

このたびの私の座席は、舞台を向かって左手間横から見下ろるLDと呼ばれるA席の最上列で、後に席がないため身を乗り出して見ることができる。この位置からのオーケストラの音は、思った以上に良かった。サントリーホールでは1階席よりも2階席の方がいい音に聞こえるような気がする。会場には比較的若い人が目立ったのも今回の演奏会の特徴だ。学生が半額になるというのも魅力的だが、新しい音楽にこそ人気があるというのも嬉しい。もしかすると音楽を学んでいる学生なのかも知れない。私の隣の席もカラフルな衣装の学生だったし、前の男性はオペラグラス片手に舞台に見入っている。

舞台上には様々な楽器が並んでいた。次の曲「ヴァイオリン協奏曲」は1990年の作品で、独奏はソビエト(モルダヴィア)生まれのパトリシア・コパチンスカヤ。こういった曲は彼女の独断場だが私はもしろん初めて聞く。面白いのは弦楽器の少なさで、ヴァイオリンは第2を合わせても4人、他は各2人、コントラバスはたった一人。それに対し木管はほぼ2人ずつに加え、リコーダーやオカリナと呼ばれる子供用の笛までもが登場する。また鍵盤楽器が舞台右に陣取り、マリンバ、シロフォン、鉄琴、ビブラフォンといった学校の音楽室にあった楽器がずらり。打楽器の種類に至ってはここに書ききれないほどである。

コパチンスカヤが舞台に登場し、チューニングを始めたと思ったらそれが音楽の始まりだった。音楽とも雑音とも区別のつかないようなギリギリの旋律を、弦楽器と独奏ヴァイオリンが一見無茶苦茶に演奏しているのではないか、と目を疑ったが、これは「変則調弦(スコルダトゥーラ)」と呼ばれる手法を用いて本来の音とは異なる音が出るように操作されているとのことである。Wikipediaで「スコルダトゥーラ」と検索すると、その手法が用いられている主な曲が紹介されていて興味深い。

リゲティの刺激的なヴァイオリン協奏曲は全部で5つの楽章から成り、各楽章には特徴があって面白い。第2楽章には「ホケトゥス」などと書かれているが、これは中世の作曲家マショーの作品に登場する「しゃっくり」のような音楽である。一方、目まいや動悸にも似た生理現象を過激に強調したような部分も少なくない。この結果、ヴァイオリンが有り得ない速度のトレモロで急上昇や急降下を繰り広げるシーンや、それが木琴や太鼓と重なったりする。百家争鳴の音の饗宴とでも言おうか。

楽章が進むにつれて、コパチンスカヤの動きは次第に活発になってゆく。弦楽器のセクションをぐるっと回って、指揮者が二人いるような状況を作り出し、会場に向かって何やら叫んだり。さらには終楽章で長大なカデンツァに挑んだ。これはもう彼女の独断場だった。音楽が終わると割れんばかりの拍手となったが、アンコールにはコンサート・ミストレスとして長年活躍した四方氏とのデュオで、やはりリゲティの「バラードとダンス(2つのヴァイオリン編)」という曲が演奏された(とHPに掲載されている)。

ここで私は解説書から以下の点を記載しておかなくてはならないことに気付く。四方氏は都響に加わる前、西ドイツのケルン放送交響楽団(現WDR響)に所属していたそうだが、このリゲティのヴァイオリン協奏曲を初演したのが1990年のケルン放送響(ベルティーに指揮)で、これは丁度彼女のキャリアと一致する(1987年入団とある)。特に紹介されてはいなかったが、もしかすると彼女は初演時にこの曲を弾いているのではないかと思われる。

休憩時間が過ぎてオーケストラが倍増。通常配置ながらコントラバスだけで10人はいるか。バルトークの名曲「中国の不思議な役人」の全曲版である。この曲は通常、より短い組曲版で演奏されることがほとんどだが、今回はオルガンと栗友会合唱団が入る。このため通常のP席は空けられていた。組曲版は最後の3分の1がカットされているだけである。今月聞く都響の公演中、もっとも巧いと思ったのがこの「中国の不思議な役人」で、どうしてそう思ったのか、客観的にそうなのか、よくわからないのだが、とにかくも私は初めて実演で聞くこの曲の演奏に聞き入った。リゲティの刺激によって、オーケストラもリスナーも耳の垢がそぎ落とされたのだろうか?

音の洪水のような曲ばかり聞いてきたが、最後に演奏されたリゲティの「マカーブルの秘密」についてもまた多くを書かなければならない。この曲はもともとオペラ作品として作曲されたようだ。しかし本番直前に主役ソプラノ歌手が歌えなくなり、そこをトランペットで演奏したことによりこの曲が生まれる。わずか10分足らずの作品だが、今回の演奏(演技)は極めて印象的だ。楽団が登場したときに各奏者には新聞紙が配られ、それをクシャクシャにして放り投げるところから演技が始まった。コパチンスカヤは体中にポリ袋と新聞紙を巻き付け、異様な姿で舞台に登場。靴を脱ぎはだしになって何やら話す。マイクを通してその声は会場に伝わるが、何を言っているのかよくわからない。以降、この歌でもなければ話でもない「声」には、丁寧に対訳がブックレットに記載されているが、解説を読んでも意味不明である。

この「意味不明」の意味することは何か?おそらくゲシュタポ(秘密警察)の大いなる皮肉ではないか、などと想像がつくが、これを舞台上で徹底的に茶化しながらやっているコパチンスカヤ、のみならずオーケストラ、さらには遅れて登場する指揮者までもが演技を行う。「もうやってられないよ」などと大野が客席に向かって叫び、コパチンスカヤは仰向けになって演奏する、という具合。結局どこまでが楽譜に書かれ、どこまでがアドリブなのかもわからない不条理世界。だから笑ってしまうしかないのだが、それもこの時代と政治背景が生んだもの。バルトークからリゲティへとつながる戦前・戦後・冷戦時代の東欧がこの音楽の背景にある。

会場からは割れんばかりの拍手喝采が続き、本日を限りに引退する四方氏への花束贈呈も加わって舞台は大いに賑やかとなった。プログラム冊子にはその四方さんのインタビュー記事が載っていて、音楽の話かと思いきや漫才や野球の話が続き、同じ関西人として共感すること多し。サントリーホールを後にしたのは21時をとっくに過ぎていたが、何か不思議なものを見た今日のコンサートだった。

2023年3月26日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団創立50周年特別演奏会(2023年3月25日すみだトリフォニーホール、上岡敏之指揮)

誤解を恐れず言えば史上最も美しい音楽を作曲したのは、ブルックナーではないかと思う。だからブルックナー以降の作曲家は、美しい音楽を書く勝負ができなくなった。そのブルックナーの作品の中で最も美しいものはと聞かれたら、私は第8交響曲の第3楽章と答えるだろう。この「深い思索性を湛えた長大な緩徐楽章で、特に動きが少なく息の長い旋律がゆったりと歌われる第1主題」での、ハープの加わる瞬間!ここのメロディーを実演で聞くとき、果たして涙を禁じえようか。もちろんどんな演奏でもいいというわけではない。だが、ブルックナーの音楽はそれほど難解なものではない、むしろそれとは真逆の、極めて分かりやすい音楽のように思う。いや、今回初めて第8交響曲の、私のブルックナー鑑賞史上最高の演奏に接して、そう思ったのだ。

まだ公演の感動が冷め切らない時間に、これから書く文章がどれほど的を得ているか、いささか自信はない。だが、冷静に考えることができたとして、今回の演奏は現在望むことができる最上の演奏のひとつだった。いやそれは世界的に見ても、である。まず、新日本フィルがこれほど上手いと思ったのは初めてだ。こんないい音がしていたことは、少なくとも私の知る限り、ない(と言っても今回がわずかに10回目の経験に過ぎないいのだが)。上岡敏之という指揮者は、2度目である。前回は今から4年前の2019年で、この時はワーグナーを聞いている。その演奏も非常に印象的だったとブログには興奮に満ちて書き残している。久しぶりに読み返してみると、次はブルックナーが聞きたいと書いている。

そのブルックナーは、コロナ禍によって延期を余儀なくされた。上岡自身もこの間に新日フィルの音楽監督を辞任し、いつのまにか佐渡裕に変わってしまった。コロナの非日常は上岡のブルックナーを聞く機会を、ついに奪ってしまったかのように思われた。が、何と今回、新日本フィルは創立50周年記念の特別演奏会に彼のブルックナーを企画し、コロナ禍で中止を余儀なくされた交響曲第8番をプログラムに組んだのだった。

そのことを直前に知った私は、ダメもとでチケットを検索したところ3階席が新たに売り出されていることが判明。もう売り切れと覚悟していた私は、何と直前にチケットにありつけたという次第。場所は錦糸町のすみだトリフォニーホール。朝から冷たい雨の降る土曜日の午後に合わせ、私は体調を整え、万全を期して会場へと足を運んだ。

会場の入り口では熱心なファンがポスターなどの記念撮影をしており、今回の演奏会がいつもとは違う雰囲気に包まれていることがわかった。特別演奏会なので、特に聞きたい人だけがチケットを買い求め、その演目がブルックナーの第8番となれば、よほど経験豊富な音楽好きだろうと思う。スター指揮者の来日公演とも違って、ミーハーな金持ちもいない。東京でのブルックナーの人気もワーグナーを凌ぐのではないかと思うほどで、かつてはヴァントやチェリビダッケのような指揮者が名演奏を繰り広げて語り草となっている。私はと言えば、残念ながら購入したチェリビダッケの演奏会がキャンセルになり、ヴァントの来日公演はプレイガイドの電話がつながらず断念。第8番はかつてニューヨークで聞いたバレンボイム指揮シカゴ響の落ち着かない演奏と、スクロヴァチェフスキー指揮NHK交響楽団によるものだけで、こちらの演奏もNHKホール3階席で聞いたこともあり、印象がほとんど残っていない。

公演の始まる午後2時になって席に着き、やがてオーケストラが入場してチューニングが始まると、一気に会場は静まり返った。季節の変わり目のこの時期、花粉症や風邪で咳をする人が後を絶たないことも多い中で、今日のコンサートにおける客席の静かさは特筆すべきものだった。おそらく90分近い演奏時間中、楽章間の継ぎ目を含め、一切の咳が聞こえてこなかったのである。そうして長い時間、ずっと緊張感が維持されることとなったのだ。このことが演奏に与えた影響は少なくなかったと思う。今日のコンサートの成功の一つの理由は、この聴衆の水を打ったような静けさと、演奏に対する熱い期待であった。

ブルックナーはピアニッシモからフォルティッシモに至るまで、とことん綺麗な音で響かないといけない。これはオーケストラに技量だけでなく、かなりの重圧を強いることとなるように思う。しかもそれがただ美しいだけではなく、音の重なりが最適でひとつの弧を描くようなつながりで表現される必要がある。長いフレーズの間中、音楽が途切れたりしてはならない。ブルックナーに特徴的な長い休止(いわゆるブルックナー休止)も、その意味で音楽の一部である。その休止を挟んで、音楽は「途切れなく」続く。だからこの休止において、客席からノイズが聞こえてはならないのだ。

私がニューヨークで聞いたバレンボイムの演奏は、(ニューヨークではいつもそうなのだが)聴衆が騒々しい。そういうことがあると、音楽もそのように雑然としはじめる。するとマーラーと違ってブルックナーの音楽は簡単に壊れてしまい、散漫な音の洪水が起こるだけになってしまう。いや、そういう壊れやすい音楽の機微を知っている聴衆が演奏家とともに作り上げることができれば、そこに少々の演奏上のほころびがあっても大丈夫だ。だから音楽の良し悪しを決めるのは、音楽に向き合う聴衆と演奏家の真摯な共同作業ということにつきるだろう。そして今回の演奏会は、その必要条件を冒頭からクリアしていた。

第1楽章の第1音が鳴った瞬間から並々ならぬものが感じられ、それは上岡の得意とする微弱音の時も丁寧に維持された。細部にまで念入りに神経が行き届き、音色はフレーズごとに表情を変える。微妙な変化を静寂の中で聞き取る。するとそこにはヨーロッパの最も美しい風景が目の前に広がってくる。山に光が当たり、その明るさは時間とともに少しずつ変化する。調和を保ちながら、壮大な調べが世界にこだまする。第1楽章が消え入るよに終わった時にはもう、会場にいたすべての聴衆が、深いため息をついたに違いない。

第2楽章はスケルツォ。私はすみだトリフォニーホールに足を運ぶことは極めて少ないが、それはこのホールで聞いた演奏にこれでいいものがなかったたらである。多くが新日フィルであることは言うまでもないが、もしかするとホールのせいだろうかとも思った。でもそれは間違いだったようだ。今回聞いたブルックナーでの残響は、休止の間に消えてゆく音の減衰速度まで綺麗に聞こえたのだ。上岡のブルックナーは遅いことで有名だそうだが、この第2楽章はその違いが良く表れると思う。手持ちのショルティの演奏などここはめっぽう早いが、私は遅いのが好みだから上岡の演奏には大いに好感が持てるのである。

そして全体の白眉であり、頂点でもある第3楽章については、もはや何を語ってよいのかわからない。舞台袖に構えた2台のハープからは、それは心を洗われるような音色が弦楽器に溶け込んだ。上岡の音楽は遅いだけではなく、ちゃんと各楽器が明瞭に聞こえてくる。それも雑味のない音である。音楽が最高潮に達したシンバルの音も、ちゃんとオーケストラの中に溶け込み、「音楽」として鳴った。満を持しての大音量だった。これほど綺麗なフォルティッシモを私は聞いたことがない。ただひたすら美しい音楽は白痴的ですらある。しかしその美しさが際立つと、どういうわけかこの上なく幸せな気分が心に充満し、胸が熱くなって涙腺が緩んでいくのである!このような体験は、ブルックナーで稀に起こる現象だと言える。過去を振りかえり、苦しさや寂しさを思って泣ける音楽もあるが、ここでの涙は少し違う。

90分近くに及ぶこの曲の演奏では、もちろん休憩はない。しかし幾分長めの休止時間を取ったあと第4楽章に入った音楽は、最後の最後まで完璧な演奏を繰り広げた。それまで聞いたことがなかったニュアンスも私には堪能できた。この終楽章は第3楽章に負けず長いので、この両楽章だけで1時間近くに達する。力強く、勝利の音楽は迫力満点だが、それを弛緩させずに聞かせるだけでも想像を絶する技量だと、素人の私はただただ関心するのみ。なぜならそれだけの緊張感を維持できない演奏が多いからだ。力づくでは何ともならないブルックナー独特の特徴が、演奏の良し悪しを分かつのである。しかしこの日の新日フィルは、相当な練習量と気合が入っていたことに加え、上岡のこの曲に対する明晰でゆるぎない理解がオーケストラのすべてのプレイヤーに浸透していた。結果生じた音楽は、最後まで聴衆を頷かせるに十分なものだった。

演奏が終わり、ブラボーが叫ばれる。何度目かのカーテンコールでは、オーケストラの合間を分け入って、木管や金管楽器の奏者とも熱く抱擁を繰り返す指揮者に、会場からは惜しみない拍手が送られた。楽団員が全員退席しても、総立ちの客席の拍手が鳴りやまないのは当然のことだった。コンサートマスターに肩を押されて再度舞台に上がった指揮者は、何度も何度も頭を下げた。この日の演奏は現在聞くことができる日本人によるブルックナー演奏の最高点に達していたと思う。できれば録音して発売してほしいと思ったが、録音マイクはセットされていなかったようだ。残念ではあるが、音楽とはしょせん消え去るもの。どれほど技術が進歩しても、この空気感までをも再現することはできないだろう。まさに一期一会の演奏だった。

2023年3月24日金曜日

オーケストラ・アンサンブル金沢第39回東京定期公演(2023年3月22日サントリーホール、広上淳一指揮)

さわやかな春の風が吹き抜けていくコンサートだった。かねてより一度は聞いてみたいと思っていたオーケストラ・アンサンブル金沢は、定期的に東京でも演奏会を開いているので、聞こうと思えばチャンスはいくらでもある。特に2018年に芸術監督となったミンコフスキとの演奏には、私も大いに興味を抱いていたのだが、コロナ禍で演奏会がどうなったかもわからず、気が付いてみると広上淳一が「アーティスティック・ディレクター」とやらに就任していた。

広上と言えば、このコロナ禍に私が何度か出かけ、名演奏に酔った日本人指揮者のひとりである。京響とのマーラーや都響とのベートーヴェンが記憶に新しい。ハーモニカを片手にリハーサルを行い、全身をくねらせて踊りながら指揮をするユニークな姿も印象的だが、そのようにして表現される音楽が極めて正統的でしかも生気に溢れ、耳だけでなく目が離せない。明るく陽気な音楽であることも素敵だが、生理的な説得力がある。音楽はまず楽しくなければならない、という感じである。

その広上の指揮するシューベルトの交響曲第5番、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番(独奏:米元響子)、それにベートーヴェンの交響曲第2番がプログラムである。例年よりずいぶん早く桜が満開となった東京で、何と素敵なプログラムだろうと思った。直前にコンサートがあることを知るのはいつものことだが、もちろん今回も当日券があることがわかり、その座席を調べるとP席を含め安い席がまだ売り出されている。サントリーホールはどこで聞いてもいい音がするから、今回はむしろ指揮者が良く見える席にしようと、2階左手の真横に陣取ることにした。

ここのところ2日に1回のペースでコンサートに来ているが、オーケストラの第1音が鳴ったとたんに、広上の音は素敵だと思った。音に艶があって、光っている。オーケストラの技量もいいからか、開放的で弾けている。そうだ、やはりこのようでなくては。どうしても比較してしまうが、大野和士の都響やバッティストーニの東フィルからは聞こえなかった清涼感とリズム感が耳を打つ。これは指揮者の腕だと思う。

そういうわけで、シューベルトがわずか19歳の時に作曲した第5交響曲に私は聞きほれた。まるで小川に水が流れていくように、さらさらと進む音楽は、それ自体非常に瑞々しいのだが、その一音一音の音の表情付けが、また聞いていて嬉しくなるほどに面白いのだ。第2楽章になると、そのことがいっそうよくわかる。

ヴァイオリニストの米元響子は、プロフィールによれば史上最年少でパガニーニ・コンクールに入賞したとのことである。1997年のことだから、もう20年以上も前のことになるのだが、私はこれまで聞いたことがなかった。日本人も今や多くのプレイヤーが国際的に活躍しており、そのすべての人の演奏を聞くことは不可能に近い。白いドレスで登場した彼女は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を丁寧に演奏した。面白かったのは、ヴァイオリニストが体を揺らしながら演奏するそばで、指揮者も同じように踊っている姿である。だが笑うというのではない。なぜなら聞こえてくる古典派の音楽は、決して歪でもなければ、変に局所を強調するわけでもない。にもかかわらず、細部にまで表情が豊かであることは、その指揮姿と実は表裏一体であろう。

第4番のコンチェルトは、その前後の2曲に比べると地味で目立たないが、この作品も作曲家が19歳の時の作品である。新しい発見だったのは、この曲の各楽章に印象的な独奏部分(カデンツァ)が挟まれていることだ。米元も含め、肩ひじ張らずに自然体の演奏を繰り広げる。何の小細工もない。が、とても新鮮。演奏が終わって拍手が続くと、彼女は何とパガニーニの奇想曲から第24番をアンコールに演奏した。

休憩を挟んでいよいよベートーヴェンとなる。私がここ数年聞き続けてきたベートーヴェンの交響曲も、いよいよ第2番の番となった。この曲、私は大のお気に入りで、とりわけ第2楽章のラルゲットのメロディーを愛するのだが、この曲がまた春の音楽である。第1楽章冒頭の一音から広上節がさく裂し、序奏が終わると一気にほとばしり出る主題は、手を向ける方向を少し変えると音の表情も見事に変化。このシーンはそのまま録画して何度も見てみたいと思うほどだ。ティンパニの強打が心地よく、木管楽器の味わいも絶妙である。

それにしても広上の音楽は、速かったり遅かったりすることがなく、その印象的な指揮姿とは対照的に極めてオーソドックスである。にもかかわらずこれほどの興奮を覚えるのは一種のマジックと言ってよい。ライブではないと味わえないものがあるとも言える。オーケストラも乗ってくる。会場は8割程度の入りで、いつもとは違う客層だった。ネクタイをした人が多く、何となく聞きなれていない感じ。もしかするとスポンサー企業の招待客や地元金沢の人が大勢来ていたのかも知れない。にもかかわらず静まり返った聴衆からは、終演後の大きな拍手が贈られ、一部にはブラボーも飛んだのはコロナが終息してきている証拠である。

マイクを持って挨拶をした指揮者は、このオーケストラが岩城宏之によって創立されたことなどを紹介し、アンコールにレスピーギの曲を演奏した。18時半といういつもより早く始まったコンサートも21時になり、私も幸せな気分でアークヒルズを後にした。

オーケストラ・アンサンブル金沢は、石川県を拠点に活躍する有数の室内オーケストラだが、その設立が1988年とかなり古い。そのことを私は最近知ったのだが、これほど有名になったのは、演奏を記録したCDなどがリリースされ始めた頃だったと思う。それから20年以上が経過し、私も初めて耳にしたその演奏は、世界に引けを取らないほど艶のある魅力的な音色にあると思った。私はこのコンビで、是非ビゼーの交響曲やプロコフィエフ、それにハイドンの作品を聞いてみたい。金沢に住んでいれば、定期会員になりたいとも思った。

2023年3月22日水曜日

東京都交響楽団第401回プロムナードコンサート(2023年3月21日サントリーホール、大野和士指揮)

立て続けに都響の演奏会へと足を運んだ。この日のプログラムは、前半がバルトークの「舞踊組曲」とピアノ協奏曲第1番(独奏:ジャン=エフラム・バウゼ)、後半がラヴェルの「クープランの墓」、ドビュッシーの交響詩「海」と盛沢山。指揮は音楽監督の大野和士が今回も登場する。休日のマチネは「プロムナードコンサート」と題された1回限りのものだが、名曲ばかりとは言えなかなか魅力的なプログラムも多く、ここのところ外れがない。バウゼのバルトークは、ジャナンドレア・ノセダとの録音があって、これがなかなかいい演奏である。そしてそれを生で聞ける!

そもそも私はバルトークが苦手だった。しかし初めて「舞踊組曲」を聞いた時、これは行ける、と思った。大学生の頃だった。この時の演奏については別に触れるが、ハンガリーだけでなく、東欧、さらにはアラビア風の民俗音楽までも取り込んだ祝祭的な作品で親しみやすい。舞台の真ん中にはピアノが置かれていて、これは次の曲で使用される。「舞踊組曲」にもピアノが使われるが、これは舞台右奥にあるピアノが使用された。全体に無難な演奏。

20分ほどの曲が終わってオーケストラが引き上げると、曲の途中としては大掛かりなレイアウト変更がなされた。まずティンパニーがピアノの正面(舞台向かって右)に移動。他の打楽器群(小太鼓、大太鼓、シンバルなど)が舞台左手、ピアニストの後に陣取る。普段は奥の方にいて、1階客席からはあまりはっきりとは見えない打楽器群が、ピアノを取り囲むように配置されたのだった。これはバルトークの指示に基づくものだそうだが、実際にこのような配置で演奏するとは限らないようだ。けれども曲が始まると、この配置が相当な効果を生むことが実感できた。

曲はピアノと打楽器のための協奏曲といった風で、複雑に動くリズムと不協和音がどう絡み合っているのかを追うのも困難。それを楽譜通りに演奏する難しさは相当なものだと思う。丁度「春の祭典」(ストラヴィンスキー)を初めて聞いた時にも同じことを思ったが、このような現代音楽の入口にいるような曲を聞くには、全体を大きく把握して、しかも細かい部分にも神経を行きわたらせる必要がある。いわばいかに曲全体を体で覚えているか、といったことが試されてしまう。そしてバウゼのピアノは彼自身が楽器のように体を揺らし、時に手を挙げ打楽器のタイミングに合わせたりする。

そういった打楽器との掛け合いを、私は前から13列目という絶好の位置から楽しむことができた。打楽器とピアノだけが目立つのだが、後の方ではトロンボーンやファゴットのような楽器も相当難しいメロディーを弾いている。そして乗ってくるとこの曲の「カッコ良さ」が実感できる。演奏が終わって相当満足した様子のピアニストは、指揮の大野とともにピアノの前に腰掛け、アンコールに「マ・メール・ロア」の終曲(第5曲「妖精の園」)を連弾で弾くというおまけがついた。

休憩を挟んだ後半には、ピアノと打楽器群が占拠していた舞台から消え、指揮台が前に。通常のオーケストラの配置となったが、面白かったのは前半の対向配置とは違っていたこと。コントラバスは左奥から右奥に移動しており、舞台右袖も第2ヴァイオリンではなくヴィオラ。バルトークとラヴェルで音色を変えるという趣向だが、「クープランの墓」はもう少しメリハリの利いた音色で楽しみたかったというのが率直な印象である。一方、プログラム最後のドビュッシーは大いなる名演奏だったと思う。

しかしそれにしても、何故か腑に落ちないのは、このコンビによる演奏があまり感動を私にもたらさない点である。どこか都響の音も冴えない感じがする。もっともそれは私だけのことかも知れず(そうである可能性は大きいのだが)、特に毎年3月は季節の変わり目ということもあり、毎年体調が悪い。ここのところ寝不足も続いている。それでもコンサートに出かけるのは、例えばこの日のバルトークのピアノ協奏曲第1番などは、もう次にいつ聞けるかもわからないからだ。ドビュッシーの「海」だって、私は過去に一度しか聞いていない(シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)。まあ東京に住んでいなければ、そもそもこれほど多くの演奏会があるわけでもないので、クラシック音楽というのは時間もお金もかかる趣味だと実感した次第。今月は懲りずにあと2回は演奏会に出かける。そのことについてはまた、あとでここに書かねばならない。 

2023年3月19日日曜日

ベルリオーズ:死者のための大ミサ曲(レクイエム)(T: 宮里直樹、アンドレア・バッティストーニ指揮東京フィルハーモニー交響楽団ほか、2023年3月18日新宿文化センター)

2年前のブログで私は、ベルリオーズの「レクイエム」を取り上げた。2020年と言えばコロナ禍の真っただ中で、ほぼすべてのコンサートは中止になった頃だ。その中で、このような大規模な合唱を伴うような大曲を実演で聞くことは、もう一生ないだろうと書いた。あれから2年余りが経ち、パンデミックも大分落ち着いてきた感がある。そしてベルリオーズの「レクイエム」を実演で聞くチャンスは、案外早く訪れた。東京フィルによるコンサートでこの曲が取り上げられのである。

久しぶりに私は、コンサートに出かける前からそわそわし、あのベルリオーズの大曲が聞けることが嬉しくてたまらなかった。この年になってこういう経験はそうあるものえはない。朝から冷たい雨の降る初春の一日は、このようなコンサートにうってつけである、とも思った。そして前日から睡眠をしっかりとって、満を持して新宿文化センターに出かけた。

このホールは初めてである。そして東フィルはたまにここで合唱の入る大規模な曲のコンサートを開催しているが、これは東フィルの主催によるものではなく、このホールを運営する財団によるものである。新宿文化センターはアマチュアの合唱団を構成し、年に何回かのペースで演奏会を開いてるらしい。ベルリオーズの「レクイエム」は空前規模のオーケストラを必要とするから、アマチュアの合唱団との共演というのは、コストを考えると現実的なものである。それでもオーケストラは東フィル、指揮は首席指揮者のアンドレア・バッティストーニであるから不足はない。

だが最初に言えば、私はこの演奏会を楽しむことができなかった。最近出かけたコンサートで、このような経験は珍しい。その理由は、私が今月に入ってからなぜか極度に疲労感が強く、体調が万全とは言えない状況であることを差し引いても、納得のいくものではない。その理由を簡単に書いておきたいと思う。

まず合唱団がアマチュアであることにより、この曲の命とも言うべき歌声の清涼感や躍動感が少し期待外れに終わったことは紛れもない事実である。だがそれは、あえて言えば織り込み済みである。むしろ私が終始奇妙に思えたのは、合唱団の全員がマスクを付けていたことである。このことによって歌声の輪郭がぼやけ、ただでさえ厚ぼったい声に、さらに霞がかかった。

バッティストーニの指揮は果たしてベルリオーズに相応しいのだろうか。この曲は規模が桁違いに大きいにもかかわらず、実際のところは極めて精緻で、静かな部分も多い。ベルリオーズの作品は多くがそうなのだが、音の微妙な重なりとその平衡が維持されることによって醸し出される美しい響きが、旋律を際立たせる。そういう職人的テクニックを要するように思う。ところどころで聞かせ所はあったものの、終始全体像を捉え切れていないように思われた。これは合唱も同じ。

一方、特筆すべき素晴らしさだったのはテノールの宮里直樹で、出番は少ないのだが、舞台向かって右手のオルガンの位置に立って発せられた「サンクトゥス」の歌声は、会場の空気を一変させるに十分だった。

舞台には8名、計16台のティンパニと、大太鼓2つを含む打楽器群、舞台左右の袖と合唱団のさらに上にずらりと並んだ金管楽器が壮観。混声合唱は200名を上回り、オーケストラと合わせると出演者は400名近くに上った。演奏に休憩はなく、約100分の演奏が終わると長らく拍手が続いたが、私は早々に会場を後にした。そういうのも滅多にないことだった。期待をして出かけただけに、少し残念な結果に終わった。

2023年3月17日金曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2023年3月16日サントリーホール、大野和士指揮)

大きな物体を全体に写そうとすると、被写体を縮小して表示させる必要がある。ディスプレイの大きさは限られるからだ。あるいは地図で、より大きな範囲を一定の表示領域に印刷しようとすると、縮尺は小さくせざるをえない。マーラーの「復活」は、当時拡大傾向にあった「巨大ホールという楽器を目一杯鳴り響かせるべく、マーラーが20世紀に送り出した、新時代のための交響曲だった」(プログラム「月刊都響」3月号より)。だから、全体像を把握しようとすると、音楽はどうにもちいさくなりがちではないか、などと思った。少なくとも第1楽章の、あの長い交響詩「葬礼」の音楽は、ちょっとぎこちないように感じた。そしてここをあまりに気宇壮大に鳴らすと音楽が徐々に弛緩し、あるいは極度に集中力を高めると、エネルギーが後半に続かない。私が過去に接した演奏も、この曲が内在する問題点を浮き彫りにしていたように思う。ただそれも、1時間余りを経て到達する終楽章の圧倒的なスケールを前にすると、まあそれも仕方ないし、どうでもよい、という風になるのだが。

大野和士の指揮する音楽の特徴は、私の感想でいうと、その見通しの良さにあると思っている。彼はオペラのような長い作品であれ、まずは全体の大きさを把握し、その次に構成を考えている。その結果、非常にバランスよくまとまって破綻がない。全体像を見えやすくすると、しかしながら各箇所を取り出してみたときに、ちょっと物足りない。これは対象物(音楽)に起因するものであって仕方がないと思う。先発完投型の投手が、時にヒットを打たれたりすることと似ている。要所を抑えれば勝てるので、破綻しなければいいのだ。

だがこの日の「復活」は、第1楽章こそ「立ち上がりのぎこちなさ」を感じたものの、特に第3楽章以降はしり上がりに調子を上げ、終楽章にいたってはテンポを速めたり遅くしたりして大いに聞きごたえのある演奏になっていった。とりわけ私が驚いたのは、合唱の見事さである。この曲の合唱と二人の独唱に、これほど聞き入り、そして感動を覚えた演奏はなかった。これは大野の指揮が、やはり合唱を含めた全体像を的確に把握し、その要点を抑えているからに他ならないのだろう。例えば、ソプラノが合唱の中からすうーっと浮き上がる。隣でメゾソプラノも歌いだす、といった細部が、大きな全体の中でハイライトされ聞き手に届いた。こういう体験はこれまでになかった。聞き手である私に「復活」の全体を見通すゆとりが醸成されたから、というよりも、やはりこれは指揮と歌手の力量によるものだろうと思う。以上が、この演奏に関する私の「客観的な」感想である。

コロナ禍により幾度かにわたって中止を余儀なくされたマーラーの交響曲第2番「復活」の演奏会が、第970回定期演奏会として開催されることになり、同じプログラムがサントリーホールでも演奏される(都響スペシャル)とわかって以来、この演奏会を楽しみにしていた。前評判がいいのかチケットは早々に売り切れたものの、私のところに届いた電子メールには、追加発売があると書かれていた。これは何かの縁だろうと思った。この日は野球の試合などもあるが、「復活」には代えられない。そういうわけで手にしたS席は、1階後方の最前列。2人のソリストに中村恵里(ソプラノ)、藤村美穂子(メゾ・ソプラノ)という世界的に活躍する歌手を配し、合唱は新国立劇場。申し分がない。

毎週木曜日は、朝から新宿のオフィスへ出社することになっていて、この日は会社の帰りにあたる。久しぶりのサントリーホールには大勢の人出で、仲には「チケット求む」のプラカードを持った人までいる光景は、長らくお目にかかっていない。嬉しいことにマスクの着用もうるさく言われなくなって(そもそも音楽鑑賞中は言葉を発しないのに!)、ようやく日常を取り戻した感のある光景にしばし気持ちがやわらぐ。ここ数日の東京は初夏を思わせる陽気が続き、しかも天候が良い。日差しも明るくなって、私もコートを着ていない。そういう期待の高まる演奏会は、大変な名演だったようで演奏者が退場しても拍手が鳴りやまず、「復活」でこれほど感動したことはない、などといった感想を言う人が非常に多い。だが、音楽とは難しいものである。私個人の感想としては、そうではないことを言わねばならない。ただ、それがすべて演奏に起因するわけでもなさそうなのだ。

これは個人の日記であって、しかるべき公平性を求められているわけではない。そういうことは音楽評論家、もしくは音楽ジャーナリストに任せておけばいい。ただ、人の目に触れる文章であることは事実であり、私もすべてをここに赤裸々に綴るわけにもいかない。以下、非常に個人的な内容になることをお断りした上で、筆を進ませていただく。

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私は今月の初めに、幼馴染の友人を亡くした。これは急なことで、正月に知らせを受けたときには、もう幾日も余命がないとのことだった。私は慌てて手紙を書き、写真集などを送って励ました。しかしそれどころではない様子で返事は来ず、この間ずっと気になっていた。今月初めになって急に奥さんからメッセージが届き、家族に看取られて旅立ったとのことだった。私は関西まで通夜に出かけ、その足で実家にも帰省した。家族思いの彼は無類の歴史好きで、高校生の私を歴史散歩のようなことに誘って歴史好きにさせたことは、ついこの前のことのようである。私は20年以上前に大病を患い、何度か生死の間を彷徨ったのだが、いまでも辛うじて生きながらえている。その私より先に、まだ元気だった彼が逝くというのは意外であった。私は病後の体調維持と気分転換に歴史散歩を再開し、それは日本各地に及んでいる。全国に散らばる旧い友人を訪ねつつ、老後は旅行に励もうと考えている。その時、近畿地方南部の拠点として彼を訪ね、一緒に楽しく過ごそうと考えていた。その思いが果たせなくなった。

通夜の翌日、私は生まれて初めて堺市にある大仙古墳群などを精力的に回り、堺市旧市街にも足を延ばした。気温が20度を超える初夏の陽気で、貸自転車をこぐ私も汗まみれとなったが、告別式の時間中、そういうことをして時間を過ごした。私はずっと彼のことを考え、そして自分や彼の家族に与えた彼の存在の意味を問うた。つい1週間前の出来事を、私は「復活」の第1楽章を聞きながら思い出していた。これは死の音楽である。

通夜の間中、彼が好きだったビートルズの音楽が流れていた。私は自分の葬儀に、どんな曲を流してほしいか考え、そしておおよそその曲を決めている。このブログにも書いたが、それはモーツァルトのピアノ協奏曲K595で、演奏はエミール・ギレリスのピアノによるもの(カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)。この思いは今も変わらないが、ここに「復活」の第2楽章も加えたいと思った。この楽章はレントラーと呼ばれる南ドイツの舞踊音楽で、「きわめてのどかに」と書かれている。死者が復活するまでの時間遷移において、春の野を行くような音楽が奏でられる。K595の第2楽章に私はその雰囲気を感じるのだが、これは単なる陽気な踊りではない。したがってそのことを意識してか、これまでの名だたる名演奏の録音も、ただ明るい音楽にはなっていない。唯一(私が知る限り)小澤征爾の演奏が、陽気なセレナーデだと思う。でもそれでもいいのではないか?私のこだわりは、むしろそのときの静謐さにある。だからマーラーは第1楽章から間をおいて(最低でも5分!)この曲に入るように指示した。実際の演奏会で、どうしてこれを遵守しないのか、不思議である。

今回の演奏を聞きながら、私はそういうことをとりとめもなく考えていた。大変美しい演奏ではあったが、集中力がなく、どことなく落ち着かない感じでもあったように感じられたのは、私の方に原因があるのだろうか。ただ都響の音の響きが、ちょっと艶に欠ける。そのことが惜しいとも思った。

合唱とソリストが登場したのは、第3楽章に入る前だった。以降、3つの楽章はポーズを置かずに演奏された。第3楽章の「流れるような」音楽は秀逸だった。このあたりから、音楽にメリハリが出てきたように思う。友人の葬儀が終わって実家に帰省した私は、この間に叔父が亡くなっていたことを知る。私の病気に時にはいろいろ気遣って東京にまでお見舞いに来てくれた叔父だから、そういうことがあれば駆けつけたいと思っていたが、知らせがなかった。私はそれが少しショックだった。第3楽章の「子供の不思議な角笛」のメロディーに耳を傾けながら、私の心はちょっと乱れていた。

翌朝早々に実家を出て、私は20代の頃まで過ごした大阪北部の街を歩いていた。まだ行ったことのなかった道や公園に足を向けた。汗ばむ陽気はこの日も続いていた。私は小学生以来大学生になるまで一緒だった友人に30年ぶりに会った。コロナ禍の前、彼に何度か会おうとしたが、実家で母親を介護する彼にその時間は取れなかった。その後コロナ禍となり、私も連絡を控えていたが、その母親は亡くなり彼にも時間ができたようだ。一人っ子の彼は、母親の我儘を無視できず、献身的に介護したのだろう。だがそれは尋常なレベルではなかった(と彼は言った)。そのことが原因かはわからないが、会社を辞める直前までいったらしく、離婚もしたようだ。ここで私は、親子の関係、あるいは最後の看取り方について考えた。昔と変わらず穏やかに話す彼の表情からは、そのような身内の介護の実態は伝わってこない。けれども辛い日々だったのではないかと想像する。母親への鎮魂歌とはいったいどのようなものだろう。心の闇がそのまま墓場まで持って行かれる。もしかすると当事者でさえ、その闇を自覚することなしに。

にわかに低いメゾ・ソプラノの声が会場にこだまするとき、私はいつもはっと驚く。長い「復活」でこんなに印象的な瞬間はない。我が国を代表するワーグナー歌手である藤村美穂子の歌唱が、これにうってつけであることは間違いがない。このあたりから音楽が引き締まってくる。「復活」の第4楽章。「原光」と題されたその歌に、闇の中に差し込む光を見る。死者復活までのトランジション。ここでの「復活」とはイエス・キリストの神としての復活だから神々しい。そして音楽はそのまま長大な第5楽章へと流れ込む。だが、終楽章に入っても合唱が加わるまでには、まだしばらく時間がかかる。オーケストラのみの音楽が、時に舞台裏からも聞こえ、会場にこだまし、盛り上がっては静かになる、といった起伏を繰り返す。それはあのマーラー独特の(というよりは現代人としては日常の)神経症的かつやや分裂気味の音楽である。私の心情は、このような音楽に非常にマッチしていた。私はこのたび多くのことが私の心に押し寄せ、気持ちにゆとりを欠いている。さらには何年も続く体調不良と死に対する不安、そしてこの時期にあっては花粉症や長く続く口内炎、腰痛、白内障といったものすべてが、私の音楽鑑賞をより困難にしているという事実に直面している。

マーラーの音楽はこのように、私の心を投影しているかのようだ。ただ少なくとも第1番「巨人」から第5番あたりまでは、まだ錯綜した感覚が少ない。第6番あるいは第7番あたりが、ちょっと錯乱気味の心理に合っている。大野和士は来シーズンの幕開けを第7交響曲で飾るようである。その演奏会にも出かけてみようかと思いながら、その前に予定されている2つのハンガリー系音楽の演奏会(バルトークとリゲティ)にも注目している。そのような音楽の方が、大野和士の音楽に似合っているような気もしているからだ。

2023年3月15日水曜日

シベリウス:交響曲第3番ハ長調作品52(ロリン・マゼール指揮ピッツバーグ交響楽団)

まだNHK-FMにクラシック音楽番組がたくさんあった頃、初めてシベリウスの第3交響曲を聞いたときのことを良く覚えている。ある平日の午後のことで、たまたま耳にしたその音楽は、とても静かだと思っった。時間だけがたっぷりあって、それでいて焦燥感に苛まれる若者の心に、この曲は不思議な平穏を心にもたらした。シベリウスの大規模な交響曲しか知らなかった私は、作風が意外だったこともあって深く印象に残り、そしてちょっと感動した。

シベリウスの交響曲第3番は、3つの楽章から構成されている。第1楽章はリズミカルで田舎風のメロディーが心に残る。のどかな風景を眺めながら、北国のローカル線を行くイメージ。それもそのはずで、この作品にはシベリウスが英国を旅した時のイメージが音楽になっているらしい。一方第2楽章になって、いっそう素朴で味わいが増すのも不思議である。ドラマの一シーンを回想するような気持ちになる。終始弦楽器に支えながらフルートが奏でる陰音階風のメロディーは、どこか日本風でもある。

終楽章になっても、音楽はずっと平衡を保ったように進む。スケルツォ風で時に起伏がそれまでにくらべると大きくなるが、それでも大人しい方である。全体で30分のこの曲は、実演で演奏される機会がほとんどない。地味すぎてプログラムに乗せにくいからだと思われる。だが、見落としてしまうにはあまりに惜しい。実演で是非とも聞いてみたい、室内楽風の曲である。

シベリウスの第一人者ユージン・オーマンディは、この曲と第6交響曲を「理解できない」として録音しなかったことで有名だ。何を持って理解することができるのか、その必要条件を聞いてみたい気もするが、私tろしてはこの曲に関する限り、大変印象的で親しみやすい。

大学生の頃にFMで聞いたこの時の演奏は、ロリン・マゼールがピッツバーグ交響楽団を指揮した(当時の)新譜で、1990年代初頭のものである。マゼールのシベリウスと言えば、1960年代にウィーン・フィルを指揮して録音したデッカの全集が、今もって代表的な録音とされているが、この時のまだ30代の頃の演奏から随分月日が経っての再録音だった。私は再録音の方しか知らなかったが、ソニーの響きとどこか冷めた中にも熱いものが感じられる不思議な感覚が、シベリウスに面白い魅力を与えている。

第1楽章を、定評あるベルグルンドの演奏などと比較してみると、速めにテンポを設定し颯爽と音楽を進めていく。ややビブラートを抑えているのだろうか、弦楽器の響きが新鮮である。また第2楽章のほの暗い気分も、マゼール節によって名人芸的にムード音楽になりきっている。第3楽章においてもマゼールのリズム処理の上手さとそこから転じる穏やかな迫力からは、冷ややかな熱狂が感じとれる。これはマゼールが好きな人にはたまらない演奏だろうと思う。

2023年3月13日月曜日

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47(Vn:ヴィクトリア・ムローヴァ、小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

ニューヨークにはかつて、2つのクラシック音楽専門FM局が存在していた。1つはWNCNで確か104.7MHz。民間放送でCMも入れば、ニュースや天気予報もある。そのような時でも背後に流れるのは、バロックやバレエ音楽だった。だからどの時間にチューニングしても、何らかのクラシック音楽が聞こえる。毎正時からはシンフォニーのような長い曲がかかり、そのあとはピアノ曲やちょっとした歌が挟まれる。この選曲が実に見事で、いつどんな曲がかかるかは雑誌が定期的に郵送されてくるから、予め聞きたい曲をチェックしたり、あとから演奏家を調べることもできる。もちろんまだインターネットがない80年代のことだった。

このFM局は、私が2回目にニューヨークを訪れたときにはハード・ロック専門局に変貌しており、クラシック音楽専門のFM局はもう一つのWQXRのみとなっていた。WQXRはニューヨーク・タイムズの放送局で、やはり一日中何らかのクラシック番組が放送されている(今ならインターネットで聞ける)。番組によってはちょっとしたナレーションも入るし、ニュースもある。そして土曜日の午後にはお待ちかねのMETライブが放送される。このオペラハウスからの生中継は、今のMet Live in HDシリーズのさきがけでもあったが、熱心なファンも多く、子供の時代はこれを聞いていた、などとインタビューに答える歌手も結構いる。

ラジオは手軽で人気のあるメディアで、世界中の都市にクラシック専門ラジオ局が存在するにもかかわらず、わが国にはクラシックはおろか、J-POPであれロックであれ、専門的な放送局は存在しない。このため、ある気分に浸りたいと思っても、そこにFM放送が選択肢にない。ところが、ラジオの魅力は同時性の感触だと思っているから、ごくわずかなナレーションでもいい、「いま雪がちらついてきました」などとやってほしいと思っている。有線放送や音源配信サイトにはこれがないのである。日本のFM局は、洋楽専門局などを目指した放送局もいっとき存在したが、いつのまにかつまらないトークばかりの番組になってしまった。これでは聞きたい放送など存在しない(だから時差があってもインターネット放送を聞くしかない。まあそれができるようになったのは革新的なことだが)。

前置きが長くなったが、そのような海外のFM放送が珍しかった時代、私はニューヨークで聞いていたWQXRのナレーション入りの放送を適当にカセット・テープに録音して、帰国してからもニューヨーク気分に浸ろうと考えた。そしてある時、ラジカセで番組を録音したものを東京に帰って聞いていたら、その中にシベリウスのヴァイオリン協奏曲が含まれていたのである。その演奏は、1991年に録音されたギル・シャハムによるものだった。この演奏は私をいっときくぎ付けにしたほど魅力的な演奏でだった。伴奏はジョゼッペ・シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。この伴奏がまだ素晴らしく、とても快活でヴァイオリンの即興性にもうまく合わせて、ちょっとした興奮状態が連続する。私は長年、この演奏こそが自分にとっての第1だと考えていた。

ところが今回、このブログを書くにあたり、それまでの私の愛聴盤だったヴィクトリア・ムローヴァの演奏にも久しぶりに耳を傾けてみた。この演奏は小澤征爾が指揮するボストン交響楽団との共演で、フィリップスから発売された当時、比較的早い時期に自分のコレクションに加えた。とても録音がいいさわやかな演奏で、ボストン響のエレガントな響きも魅力的だが、何といってもまだデビューした直後のムローヴァの、ちょっと真面目で控えめな演奏に好感が持てた。まるで教科書のような、目立たない演奏だと評価することも可能だが、私はアジア人として、ちょっとこの曲にはどこか繊細で遠慮がちなものを期待する方だから、某評論家がチョン・キョンファの演奏を絶賛するように、まだ若かったムローヴァが生真面目な小澤と組んだ一枚が大いに気に入っていた。

なお、シベリウスの音楽にアジア的な要素を期待することを見当違いだと批判する人もいるかも知れない。そもそも音楽をどう聞こうと勝手であり、趣味の領域を出ない以上、放っておいてくれ、ということになるのだが、フォンランドという国は北欧にあって、ヨーロッパというよりはアジアとの関連を強く持つ国だということは指摘しておきたい。かつてフィンランド航空は、わが国からもっとも近いヨーロッパがフィンランドであると広告を打っていたし、言語学的にはフィンランド語はアジア系の言葉に近いとされている(だからと言って、フィンランドがアジア系の国だとするのは間違っている)。

そのムローヴァも、最近では若いことの演奏とは違って、随分テンポを揺らした特徴的な演奏をするように変化した。私は何年か前に、彼女の演奏するベートーヴェンを聞いたが、かつての若い頃の(「退屈な」と彼女は言った)演奏とは異なり、溜をうったり、音符を吹きのばしたり、強弱を強調する。ここでは、そのように変貌を遂げる前の、清楚で穏やかなイメージの彼女の演奏が聞ける。11月の寒いある日の夕方、私は居間でこの演奏を聞いていた。そばには同居していた祖母がいて、彼女はおおよそクラシック音楽など聴かないのだが、どういうわけかこの演奏の直後に、「なかなかいい曲やね」と言った。これには意外だった。クラシック音楽を聴いたのは、これが最初で最後ではないか。そんな祖母を惹きつけた何かが、この録音には存在するのである。

さて、シベリウス唯一のコンチェルトであるヴァイオリン協奏曲は、1903年から1905年にかけて作曲された。これは交響曲でいえば、丁度第2番と第3番の間にあたる。ヴァイオリン協奏曲の系譜としては、何といってもベートーヴェンを先頭に、ブラームスやチャイコフスキーなどの名曲が数多く存在しているが、一般に有名曲とされているヴァイオリン協奏曲の中では、もっとも新しいものである。20世紀に入ってから登場したシベリウスのヴァイオリン協奏曲には、膨大な数の録音が存在している。それだけ演奏家にとってもリスナーにとっても魅力的な作品ということになるが、それはメロディーの親しみやすさに加え、ヴァイオリンの魅力を堪能できる自由な形式と、それを目立たなく支えるオーケストラとの見事な融合にあるのではないかと思う(まあ他のヴァイオリン協奏曲はみなそうなのだが、それまでの数多くの名曲の後でも、まだこのような曲が存在するのか、という驚きは確かにあるのだ)。

第1楽章ではいきなりカデンツァではないか、と思わせるような技巧的パッセージが続く印象が強い。ただ、これは私だけの個人的な印象かもしれないのだが、演奏によって曲の聞こえ方が違う。これはヴァイオリン協奏曲に限らず、シベリウスの曲全般に言えることかも知れないが、演奏のヴァリエーションが多彩という印象が強いのは、そのような表現上の自由さを曲自体が持っているからだとも言える。取り上げた2つの演奏でも、シャハムの高カロリーな演奏(昔は多かったヴァイオリンが前面に強調された録音)で聞くのと、飾り気の少ないムローヴァの演奏で聞くのとでは、随分異なるように思う。そして私は、ムローヴァの方が、この曲のヴァイオリンの魅力がより感じ取れるような気がしていて、今ではこちらの方が気に入っている。

時折前面に出てくるオーケストラは、ボストン響の木管楽器の木目調の響きと、小澤のリズム感が魅力である。第2楽章の途中から、そのオーケストラのドラマチックな部分を経てヴァイオリンの音色が変わる。まるで人にささやきかけるような静かで繊細なメロディー。その時に2つの弦を同時に弾く奏法が使われている。第3楽章に入っても、親しみやすいメロディーの中に、フラジオレットのような超絶技巧が埋め込まれている。これを小澤もムローヴァも、さらりと通り過ぎてゆく。ついでながら、シャハムの演奏はシノーポリの伴奏とともに健康的で明るく、まるでヘブライのダンスを聞くようなところがあるが、そのあたりの違和感が今はちょっと耳障りである。やはりこの曲は「極寒の澄み切った青空」とその心象風景を表現してほしい。

なお、このディスクは他の多くのものと同様、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を併録している。こちらの方は、もっと録音数も多く、従って名演奏も数限りない。悪い演奏ではないが、何もムローヴァ・小澤でなくてもいいのである。そういうわけでディスクとしての魅力は、もっぱらシベリウスに依存する形であり、そういう点でちょっと目立たず、損をしている点を指摘しておかなくてはならない。

2023年3月5日日曜日

シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

シベリウスの交響曲第2番は、全7曲中で最も有名かつ親しみやすい交響曲だと言われてきた。録音の数も多いし、私が最初に聞いたのもこの第2番だった。名曲解説のような書籍には、シベリウスの交響曲といえばこの第2番のみが取り上げられていることも多く、この作品がシベリウスの特徴を最も良くあらわした優秀な作品と思っていた。だが、そうではない。むしろ交響曲第3番以降にこそ、真のシベリウスらしさが感じ取れる。けれども第3番以降の作品を聞く機会はそう多くはなく、たまにFM放送で流れることがあくくらいだった。かつてシベリウスはまだ、良く知られていない作曲家だった。

その交響曲第2番の解説では、どうも北欧の風景や気候に関連して語られることが多い。フォンランドらしいムードが、この代表曲において鑑賞すべきポイントのごとく言われ、なるほどそういうものかなどと思っていたのだが、必ずしもこの指摘は的を得ていない。なぜならこの曲は、シベリウスがイタリアを旅行した際に書き始められているからだ。ニ長調という元気で明るい調性で書かれていることもある。元来イタリアを旅し、イタリアに触発された作曲家は数知れず、古くはヘンデル、モーツァルトからブラームスやチャイコフスキー、それにワーグナーやリストに至るまで、名作曲家と言われるにはイタリアを知らなければならないとさえ言えるほどだ。そしてシベリウスも北欧から、イタリアを目指した。

そのシベリウスが、この曲のどの部分にイタリア的なるものを取り入れたかは、音楽の専門家に譲るとして、素人の私が感じるのは作品が持つ楽天的な明るさだと思う。第1楽章冒頭の、まるで春の野を行くような浮き浮きしたリズムと旋律は、何故か一度聞いただけで忘れることがない。また第2楽章は、フィレンツェやローマでの印象が影響しているそうだ。なるほどそう思って聞くと、このピチカートで始まる第2楽章の、しっとりと美しいメロディー、とりわけ第2主題が繰り返される最終部分での落ち着いた部分は、懐かしく淋しい。急速で荒々しいスタートを切るのが第3楽章で、スケルツォと言ってもいいのかも知れない。ここからはフィンランドに帰って作曲したシベリウスの、北欧節が始まる。とはいえトリオの部分では、まるで第2楽章のような美しいメロディーが回顧される。

私が初めてこの曲を聞いたのは、第4楽章の一部をバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによって、であった。時間はわずか50秒程度だったが、広大に広がるその旋律に大きな感動を覚えた。一度通して聞いてみたいと思った私は、我が家の数十枚ほどのLPレコード棚を漁ってみた。するとそこには、カラヤンがフィルハーモニー管弦楽団を指揮した初期のステレオ録音のレコードが見つかった。ジャケットはまだ若い(40代?)カラヤンの写真だった。だがこの写真自体も古めかしく、どこか絵画風。演奏も左右の分離が悪く、冴えない演奏に聞こえた。流れるようなカラヤンの音楽が、無骨な角を削り、薄っぺらな演奏に思えたのだった(あとからこの演奏を聞いてみると、これはこれで聞きごたえのある名演だと思った)。

当時の音楽雑誌などで、シベリウスの2番と言えば、何と言ってもオーマンディである。この頃、まだパーヴォ・ベルグルンドのような指揮者はほとんど知られていない。カラヤン・コンクールに優勝したフィンランド人のオッコ・カムが、ベルリン・フィルと演奏したレコード(これは廉価版だった)が評判ではあったが、あとは我が国の第1人者渡邊暁雄くらい。そして私は、オーマンディの演奏を聞いてみたいと思った。オーマンディは個人的にもシベリウスと親交があり、ある時アメリカで車を運転していたシベリウスが、ラジオから聞こえてくる自分の曲の演奏に感心し、それがオーマンディの演奏だったというエピソードはこかで聞いたことがある。

オーマンディのシベ2には新旧2種類の演奏が存在し、どちらが良いかは意見の分かれるところである。方やCBSから、方やRCAから、それぞれリリースされていたが、後を受け継いだSONYとBMGが統合され、両者は単一のボックス・セットに収録されてリリースされることとなった。ここでリマスターにより音質が向上したかどうかが、コレクターの注目点のようだが、私はそこまで詳しくはない。かつて私が中学生の頃、豊中市の図書館に出かけてオーマンディのLPを発見したとき、それは確かCBSソニーの、すなわち古い方の録音だった。さっそく我が家のオーディオ装置で聞いた限りでは、いかにも平凡な演奏に感じたが、それはオーディオ装置があまりに貧弱であったからだ。

あれから半世紀以上が経ち、他にも沢山の演奏がディスコグラフィに掲載されているが、新旧2つのオーマンディの演奏は、今もって色あせることなく高評価を得ているのは驚くべきことだ。私も久しぶりに、古い方の演奏を聞いてみた。改めて思うのは、この曲の親しみやすさである。どこかベートーヴェンの第5交響曲を思わせるような、各楽章に印象的なモチーフをうまくアレンジしていく様や、第3楽章と第4楽章を切れ目なく演奏し、第4楽章の主題が次第にクレッシェンドしながら、急に明るく登場するあたりである。大団円を迎える終楽章の、喜びに満ちた音楽は果てしなく雄大で、いつまで聞いていたくなりような勝利の音楽である。

オーマンディの演奏に関して言えば、緩徐楽章の美しさは新しい方の(1972年)、第3楽章以降の引き締まった感覚は旧い方の演奏(1957年)がいい。どちらにせよフィラデルフィア・サウンドが楽しめる。北欧の音楽に米国の華麗な演奏は、変わった取り合わせのように思った時もあったが、古いヨーロッパではなく、新しいヨーロッパ感覚に近いのはアメリカ文化だと思う。ペンシルベニア州を私もくまなくドライブしたが、フィラデルフィアのような大都会(ここは独立当時の首都だった)から少し離れると、アパラチア山脈に牧歌地帯が広がる。南部と北部の境界は、ピッツバーグを経て中西部まで延々と続く。目立たないが、アメリカの大動脈がここを貫いている。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...