2022年3月21日月曜日

京都市交響楽団第665回定期演奏会(2022年3月13日京都コンサートホール、広上淳一指揮)

新型コロナウィルスの爆発的流行を受けて、中止や公演内容の変更を余儀なくされた演奏会は数知れない。京都コンサートホールで開催された広上淳一を常任指揮者とする最後の公演も、その一つである。演目がマーラーの交響曲第3番から第1番へ変更されたからだ。これは出演を予定していた少年合唱団が、練習できなくなったことによる。そういうアナウンスがあったのが2月の下旬、公演の数週間前のことである。この最終公演を楽しみにしていたファンは多いだろうと思う。ただ、曲目に変更があったとしても、開催できたことを喜ぶべきかも知れない。そしてこの公演は、その前評判に違わず忘れ得ぬ名演となった。

私は昨年(2021年)の秋、東京で開催された京響の演奏会を聞いて、広上の指揮するマーラーの演奏が大変面白く、また的を得たものであることを初めて経験したことは、このブログにも書いた。その時演奏されたのは、ベートーヴェンとマーラーの、いずれも交響曲第5番という意欲的なプログラムで、まずはこのオーケストラの演奏水準に驚くと同時に、広上の楽天的でユニークな指揮に惹きつけられた。京響だけでなく彼は、どのオーケストラでも同様に、曲の表情を全身を持って表現する。一見、滑稽にさえ思われるその指揮姿も、曲のニュアンスを演奏者に伝える手段として大いに機能している。そしてそれが見ていても面白いし、聞いていてもツボを得ている。

マーラーの交響曲第5番が、これほどにまで雄弁に真実味を持って私に迫ってきた演奏を聞いたのは初めてだった。東京での最終公演となるその演奏会でマイクを握った指揮者は、京都に是非聞きに来てくださいと述べた。その最終公演が、今回の第665回目となる定期演奏会で、そのチケットは2月に発売された。

私は遅まきながらこのチケットを知った時、もう売切れてしまっていることを覚悟していた。ところが2日あるどちらの公演も、まだ多くの席が残っていたのである。週末のマチネとあらば、東京ならこのような記念すべき演奏会はたちまち売り切れる。しかし京都では絶対的なファンの数が少ないのだろう。だから当日になってからでも、思い立ってコンサートに出かけることができる。ニューヨークでもどこでも、これは普通である。私は大阪の出身だから京都でのコンサートとなると誘うことができる人もいる。そういうわけで、初めての京都コンサートホールに出かけることになった。

例年になく寒い冬が続いた今年も、3月に入って急に暖かくなり、特にこの週末からはまるで初夏を思わせる陽気となった。3月11日から関西入りした私は、仕事を休んで古都の小旅行となった。2日間奈良のホテルに宿泊し、斑鳩や飛鳥の里を散策しては古寺を訪ね、外国人も修学旅行生もほとんどいない閑散とした中で世界遺産、国宝、それに重要文化財の数々を見て回った。奈良では旧い友人に会い、万延防止措置の出ていない街で遅くまで飲むことができた。

そういう充実した日々の最後に京都に移動。地下鉄を北山駅で降りるとすぐそこにコンサートホールはあった。まだ新しいクラシック専用のホールは、京都にこそ相応しいと思うが、そういうホールができたのは最近になってからである。そしてその館長にも選ばれたのが、2008年からシェフを務める広上氏である。東京生まれの江戸っ子が、古都のオーケストラを指揮するのは面白いが、これがピタリと上手く行ったのだろう。京響はメキメキと実力をつけ、「今や世界に誇れるオーケストラ」にまでなったと、開演前のプレトークで紹介された。

マーラーの交響曲第3番に代わって演奏されることになったのは、広上の師匠でもある尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃(いし)のうへ」と「子守唄」。それに藤村美穂子(メゾ・ソプラノ)を迎えてのマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」、それに交響曲第1番「巨人」である。そもとも出演を予定していた合唱団(京響コーラス)は、わずか2週間でこの合唱曲に対応したそうである。一方、藤村はわずかこの2日間のコンサートのためだけにドイツから帰国し、隔離生活も終えて会場入りしたと紹介された。

当日券に並ぶ多くの人たちも無事客席に着いて、舞台背後の客席にディスタンスを取って女声合唱団が入場した時、これから始める曲が何とマスクを装着したまま歌われることを知った。これは驚きだったが、どこか春霞でもかかったような効果があったのかも知れない。尾高の曲は、オーケストラによる伴奏で演奏された。特にわずか24歳で夭逝した立原道造の詩による「子守唄」には「靄(もや)に流れる うすら明(あか)り」という歌詞がある。「眠れ、眠れ」と繰り返されるその歌詞を聞きながら、これは昨年2月に亡くなった尾高に対する広上の鎮魂歌だったと思う。

藤村美穂子が登場し、会場が一層晴れやかになった。マーラーの歌曲「リュッケルトの詩による5つの歌曲」を、彼女は心を込めて歌った。すでにCDも出ている藤村のこの作品への愛着は、配布されたプログラムに掲載されていた歌詞対訳が自らの翻訳であることからもわかるような気がする。交響曲で言うと丁度第5番のあたりに書かれ、あの有名な「亡き子をしのぶ歌」の頃である。もっとも「亡き子をしのぶ歌」は、リュッケルトが書いた詩10作品に対して作曲されたもののうち5つが採用されており、残りの5つが「リュッケルト歌曲集」である。ここで管弦楽による伴奏が付けられたのは4曲であり、「美しさゆえ愛するのなら」だけはピアノ伴奏版しか残されていない(従って、通常はブットマンによる編曲版が用いられる)。

曲順の指定もないようだが、今回の演奏では「美しさゆえ愛するのなら」が先頭に置かれ、続いて「私の歌を見ないで」、「優しい香りを吸い込んだ」、「真夜中に」と続き、次第に深淵な世界へと入ってゆく。最後の「私はこの世から姿を消した」では、やはりマーラーの「死」への拘りが最高点に達するが、このような順序は実際の演奏会でも聞いていてよくわかった。藤村のこの作品への思いが、終演後にも見てとれた。彼女は感極まって、涙を浮かべていたようにも見えた。深々とお辞儀を繰り返す彼女に、客席からは大きな拍手が続いた。マーラーの交響曲第3番では、わずか6分しか出番のなかった彼女が、そのためだけにドイツから帰国するのも相当なものだが、この「リュッケルト」に変更されたことで私たちは、より長く、そして深く彼女の歌を味わうこととなった。

休憩を挟んで演奏されたマーラーの交響曲第1番は、新たな出発の音楽である。私の知人も自らの通夜でこの曲を流していた。まだ駆け出し音楽家だったマーラーの最初の交響曲(最初はカンタータ)であるこの曲には、すでにマーラーらしい着想に溢れ、後年の9曲に及ぶ交響曲の先駆けに相応しい内容を持っている。広上は丁寧にこの曲を指揮し、特に第3楽章の中間部という最大の聞きどころでは、コントラストを浮き上がられて少年時代を回想し、終楽章のトゥッティでは一瞬止まって音楽を爆発させる要所を抑えた指揮ぶり。ツボを心得た指揮ぶりが、彼の真骨頂である。

オーケストラも弦楽器奏者の最後列に至るまで体を揺さぶる熱演に、聞いている方も力が入るが、決して力み過ぎないところが広上のいいところだろう。コーダの部分ではホルンだけでなく、トランペットの奏者も起立してより迫力を増し、圧倒的なアンサンブルが炸裂、会場が沸きに沸いた。

何度も呼び戻される指揮者は、各パートを回って奏者を立たせた。そして何度目かの登場で遂にマイクを持ち、10年以上にも及ぶ京響での活動を総括した。アンコールに尾高の「子守唄」をもう一度、ということになり再び合唱団が登場、合わせてこのたび対談する2人の奏者への花束贈呈など、盛沢山の演出が終わったのは、もう5時を過ぎていたように思う。

最終公演と言っても広上は「別に今生の別れではない」とおどけ、これからもコンサートを指揮すると言う。そして遭えなく変更となったマーラーの交響曲第3番を、そのうちリベンジ演奏したいと宣言した。

公演が終わったら私は、一緒に出掛けた義妹としばしお茶をしたあと地下鉄に乗り、京都駅へと急いだ。コロナ禍であるというのに人でごったがえず地下街でお弁当を買い込み、新幹線「のぞみ」で東京までの2時間。心地よい余韻に浸りながら、新幹線から夜の車窓風景を眺めた。東京と関西を往復しながらコンサートに通うのは、ちょっとした贅沢である。でもなかなか捨てがたい魅力である。もうちょっと交通費が安ければいいのに、といつも思うのだが。

2022年3月18日金曜日

東京フィルハーモニー交響楽団第966回定期演奏会(2022年3月10日サントリーホール、ミハイル・プレトニョフ指揮)

 「高い城」は峻厳に聳え、「モルダウ」は急流を下って大河となり、「ボヘミアの森と草原」はまるで飛行機から眺めるように広大である。「4度目の正直で実現」となった今回のミハイル・プレトニョフ指揮によるスメタナの連作交響詩「わが祖国」(全曲)演奏会は、引き締まったテンポと一糸乱れぬアンサンブルで、あっという間に私たちをボヘミアの大地へと誘い、聞き惚れているうちに終わってしまった。曲間の休息をほとんどおかず、丸で1つの連続した曲であるように演奏した結果、集中力は持続され、すべての楽器から深い息遣いと、明瞭な音色のコントラストが聞き取れた。

プレトニョフは東フィルととても良好な関係を保っているように思われた。プログラムによればその関係は、2003年から20年近くに及び、特に2015年からは特別客演指揮者の地位にあるという。今シーズンの定期演奏会にも、この3月に続いて5月にも登場する。しかしコロナ禍によって今回のプログラムは、3度に亘って延期されたようだ。私はそのことを知らなかったが、彼はプログラムをそのまま維持し、やっとのことで今回の演奏にこぎつけたのだ。演奏する側も聞く側も、それなりの思い入れがあっただろうと思う。だからというべきか、平日のプログラムにもかかわらず、客席は満席に近かった。

私にとってプレトニョフの演奏に接するのは2回目である。初回は彼がまだ若いピアニストとして名声をほしいままにしていた時期、丁度ソビエトが崩壊してロシアが混乱を極めていた頃に設立したロシア・ナショナル管弦楽団を率いての来日公演があった。だがここでの私の印象は薄い。どことなく慌ただしい演奏で、オーケストラのプレイヤーは実力者揃いであるものの、アンサンブルはまだ成長の余地を残していたように思う。混乱した政治情勢下で、自立して収入を確保することはたやすいことではなかっただろう。次々と落ちぶれてゆくかつての名オーケストラに代わって、新しい時代の息吹を感じさせてはくれたが、彼自身がピアノで見せる斬新さには及ばなかった。

そのピアニストとしてのプレトニョフは、私にとって瞠目のディスクだったベートーヴェンのユニークなピアノ協奏曲全集が何といっても記憶に残る。特に「皇帝」はこのブログでも触れた私の同曲の愛聴盤である。そこで聞かれる奔放でしかも考え抜かれた表現は、この曲の新しい境地を開いたようにも思う。この時プレトニョフは、ピアノがいい、と思った。CDではピアノ演奏に徹するためか、別に指揮者を置いている。

スメタナの「わが祖国」は、チェコにゆかりの演奏家によって演奏される以外は、あまりお目にかかることがない。愛国心の塊のような音楽に、なかなかアプローチがしにういのだろうか。我がコバケンも「プラハの春」でチェコ・フィルを指揮しているから十八番であるのは当然で、私もその演奏を一度聞いている。それ以外では、ピンカス・スタインバーグがN響を指揮した演奏が思い出に残っているが、いずれにしても曲の魅力を十全に引き出したその演奏は、曲の魅力を伝えて止まない名演だった。

そこにプレトニョフは、曲の魅力だけでなく、新しい演奏のアプローチを試みた。ロシア人の彼がボヘミアに寄せる思いはどういうものか、よくわからない。もしかすると同じスラヴ民族という共感が、彼のこの曲へのこだわりを形成しているのかもしれない。純音楽的な意味においても、この曲は魅力的である。「モルダウ」こそ有名だが、その他の交響詩、とりわけ後半の3つは、本来の重心がここにおかれるべき音楽的霊感に満ちたものである。全6曲中、私は「ボヘミアの森と草原から」が最も好きである。

プレトニョフの演奏は、俯瞰的にこの音楽を眺め、バランスの良い構成に仕上げていたように思う。そして彼の真骨頂は、従来の慣習にとらわれない曲の解釈と、メリハリの付けた音の構築にあると思う。テンポは常に少し早めでありながら、急ぎ過ぎている感じはしないのは、アクセントがきっちりと保たれ、力を入れる音と、少し抜く音が明確にされている。そのことが音楽に呼吸を与える。長距離ランナーが有酸素運動によって安定した走りを持続するように、彼の音楽は健康的で力強い。安定して集中力が維持される結果、演奏家も高度なソロ部分を雄弁に表現できるような気がする。「モルダウ」におけるフルート、「シャールカ」におけるクラリネット、「ボヘミアの森と草原から」におけるオーボエや弦のフーガなどである。

私はこれまでに聞いて来た「わが祖国」とは少し異なる新鮮なものをこの演奏に感じることができた。プレトニョフの指揮による東フィルの演奏が、これほどにまで人気があるその理由がわかったような気がした。同じ思いだった聴衆も多いのだろう。その熱烈な拍手に応えて、定期演奏会としては大変珍しいことに、彼はバッハの「G線上のアリア」をアンコール演奏した。この曲に、一体どのような意味が込められていたのだろうか?2年以上に及ぶコロナ禍を経験した社会への慰め、不幸にして亡くなった人々への哀悼、そして昨今のウクライナ情勢に端を発する平和への祈り。それぞれがいろいろな意味を考えたことだろう。弦楽アンサンブルが、ここでも見事なコントラストを見せながら、私はこんなに表情豊かで美しい「G線上のアリア」を聞いたことはなかったと思った。

とても速い演奏のように思えたが、終わってみると9時近くになっていた。赤坂アークヒルズの夜景も徐々に日常を取り戻しているように思える。明日からは休みを取って奈良、京都を巡る。古寺を訪ね、友人と会食を楽しむ予定である。京都では、広上淳一の指揮する京響最後の公演を聞くことも予定に入っている。早朝の新幹線に乗るため、早く床に就くことにしようと、足早に会場を後にした。

2022年3月9日水曜日

ジャパン・ナショナル・オーケストラ(特別編成)演奏会(2022年3月6サントリーホール、ギター:村治佳織、ピアノ:反田恭平、デスピノーザ指揮)

不祥事が絶えない東芝が、今でもクラシック音楽の普及に務め「東芝グランドコンサート」を年1回開催してくれていることは、誠に喜ばしいことである。今年でもう41回目となるこの冠コンサートに、私は久しぶりにに行くことになった。久しぶりと言っても1985年の第4回以来なので、40年近くの間隔が空いている。この時は若干30歳のサイモン・ラトルがフィルハーモニア管弦楽団を率いて来日公演を行った。

会場で売られていたプログラム(内容の割に1000円と高い。だが価格は昔と変わらない。これは何とかしてもらいたい)には、これまでのすべての招聘アーティストが記載されていた。私は第2回のコーロディ指揮ブダペスト・フィルと、第3回の小林研一郎指揮アムステルダム・フィルの演奏会にも出かけている。当時まだ高校生だった私にもチケットが買える海外からのオーケストラ・コンサートとして、大変貴重な存在だった。

そのコンサートが未だに続いていて、先日も社長が辞任したばかりの東芝が、このコンサートをいつまで続けてくれるのかわからないが、今年のプログラムは大変魅力的に思われた。まずオーケストラがスペイン国立管弦楽団(指揮はダービッド・アフカム)、と来ればプログラムはスペイン物が中心となり、その中に「アランフェス協奏曲」が含まれるのは当然のことである。このギター・ソリストが村治佳織である。一方、もう片方のプログラムには、昨年ショパン・コンクールで見事に第2位に輝いた反田恭平が凱旋公演を行うというもの。私は日程の都合から、日曜日にサントリーホールで行われる村治佳織の方を選んで、妻の分と2枚のチケットを買った。実は私にとって村治は、是非とも一度は聞いてみたい音楽家だったからだ。

東京・台東区生まれの彼女はまだ10代の頃から世界的に活躍し、東京でも数多くのリサイタルを行っているから、これまでに聞く機会がなかったのが不思議である。彼女がナヴィゲータを務めるFM番組は私も良く聞いていたし、CDでも数多く触れてきた。しかし2010年代に入って、彼女は大きな病気を患っていることを告白し、長い闘病生活に入った。これは私のとってもショックだった。丁度私も同じような闘病をしてきたから、他人ごとではないと思ったからだ。

その彼女が見事に復活し、再びCDや演奏会で演奏を披露することができるようになった時、私は大変嬉しく思ったのである。ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」というのも実演で聞いたことはないし、何せギターという楽器のコンサート自体、私にはこれまで縁がなかった。そういうわけで私が選んだプログラムに大いに心待ちにしていたのは、当然のことだった。

ところがアクシデントが発生した。折からのコロナ禍でスペイン国立管弦楽団の来日が中止になったのである。私の家にも郵便が送られてきたのは1月頃だった。他にも数多くのコンサートが中止を余儀なくされるような中にあって、もはやショックというよりは諦めに近い感覚が私を襲った。だが、よく読んでみると主催者がとった行動は大変喜ばしいものだった。何と2つのプログラムが融合し、2人のソリストによるそれぞれの協奏曲が、同じ舞台で聞けるというものだったのだ。もちろん希望すれば払戻しにも応じると書いてある。そして案内のよれば、冒頭にロドリーゴの「アランフェス協奏曲」(独奏:村治佳織)、後半にショパンのピアノ協奏曲第1番(独奏:反田恭平)、さらにはその間にメンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」が演奏される、とある。意外にもずべての曲が、私にとっては初めて実演に接する曲である。

オーケストラは反田が主宰する「ジャパン・ナショナル・オーケストラ」なる団体を特別編成したものとなっている。指揮はイタリア人のガエタノ・デスピノーザ。これだけ盛沢山のプログラムとあっては、チケットをそのまま保持し、会場に駆け付けた人は大変多く、私にとってはコロナ禍にあって初めての満員の演奏会になった。会場に女性の姿が多い。東京マラソンが2年ぶりに開催された快晴の東京で、待ち遠しい春を感じるコンサートに、私はウキウキしながら足を運んだ。

村治佳織は赤いドレスに身をまとい、指揮台左手に備えられた椅子に腰かける。その前にはマイクがセットされており、指揮台の前にはスピーカーが。ギターという楽器の性質上、どうしても音量にバランスを欠く本作品において、独奏楽器の音量を補正することは半ば当然の措置であるようには思われた。

ギター独奏で静かに始まる序奏とオーケストラによる主題は、いつもながらこれから遠足に出かけるときのようなウキウキした気持ちにさせられる。村治は慣れた手つきで弾く。木管楽器を始めとしてオーケストラもなかなかうまく、若い演奏家が中心のこの団体の実力を感じさせる。第2楽章のコーダ部分が、染み入るように消えて行くと、おもむろに開始された第3楽章は再び心地よいリズムのロンドとなる。拍手に応えて彼女は、モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」という曲をアンコール演奏して客席に応えた。

メンデルスゾーンの「イタリア交響曲」は演奏の難しい作品ではないだろうか?本来はドイツ音楽ながら、イタリア風の流れるようなメロディーが主流を占める。この両者のバランスがどちらに偏ることなく両立する演奏を、私はアバドのもの以外に知らない。デスピノーザの演奏も悪くは決してないのだが、どことなく全体に力が入っていて、饒舌すぎるのか何なのかわからないまま曲が終わってしまった。先日聞いた井上道義を思い出す。どことなく似ているような気がする。

休憩に入った時点で1時間以上が経過し、後半はショパンのピアノ協奏曲のために舞台上にピアノが運ばれてきた。反田恭平が登場すると客席からひときわ大きな拍手が起こった。私も本来聞けないはずだった彼の登場に喜び、初めて聞くショパンの協奏曲に耳を傾けた。何度聞いてもこの曲は、胸が締め付けられるような青春の音楽で、紅茶とケーキの香りがする「ザ・クラシック音楽」と私はいつも感じている。

かつてよく指摘されたオーケストレーションの平凡さも、最近ではそれをカムフラージュする演奏が多く、感情を込めて弾くこの曲のオーケストラ部分もなかなか素敵な演奏が多い。そして今回の演奏は、そのようなオーケストラの真摯な共感に支えられて、ピアノが全く完璧に鳴り響く圧倒的な演奏だった。

私はこれまで、オーケストラの演奏と共演する数多くのピアニストの演奏を聞いて来たが、前評判に比してさほどでもないと感じた演奏は多い。これは運が悪かったのだと思っているが、今回聞いた反田の演奏は、過去のどの演奏よりも素晴らしく、そのダイナミックな表現がまるでベートーヴェンのように聞こえた。ピアノという楽器の力を十分に発揮しているのである。「ブラボー」が禁止されている会場で、オーケストラの終わるのを待たずして拍手が始まった聴衆の熱狂的な拍手に応えて、「英雄ポロネーズ」をアンコール演奏した。その表現がまたユニークで説得力があり、満場の拍手を再びさらうと、今度はマイクをもって話し始めたのである。

会場に再び村治佳織が登場し、今回偶然にも共演することになった同じコンサートのために、2人でアンコールをやるという知らせに、もう終わるのだと思っていた会場が再び沸いた。しかもそこにマエストロまでが登場、ピアソラの「アヴェ・マリア」を3重奏で演奏するというオマケが付いた。

コンサートが終わったのは5時前で、すでに3時間が経とうとしていた。スペインのオーケストラは聞けななかったが、それを補って余りある充実したコンサートに聴衆は満足した。休憩時間には曇っていた空が、再び明るく青くなった。いつのまにか5時を過ぎても太陽が残っている。春はもうそこまで来ている。ビルの合間に吹く乾いた心地よい風を頬に受けながら、家路についた。

2022年3月6日日曜日

東京フィルハーモニー交響楽団第964回サントリー定期シリーズ(2022年2月25日サントリーホール、井上道義指揮)

今年は初めて東フィルの定期会員になった。東フィルのシーズンは1月から始まるから、10月までの計8回の定期演奏会をサントリーホールで聞く。今シーズンのプログラムはなかなか魅力的で、私好みの指揮者、そして曲が多い。仕事で行けなくなる日は、空いていれば同じ定期の別の会場に振り替えてくれる。そういうわけで、90年代にN響や読響の定期会員だった時以来、実に30年ぶりに特定のオーケストラの演奏を定期的に聞くことにした次第である。

定期会員になることのメリットは、何といっても1回あたりの料金が安いことだが、定期演奏会ほどオーケストラが真剣に取り組む演奏会はないのではないか、と思うほどに充実したものが多いということも魅力である。プログラムはオーケストラが特にこだわって選んだ選曲で、玄人好みのものが多いのも特徴だ。これとは別に開催される名曲プログラムが手抜きであるとは思わないし、有名曲をどのように聞かせるかを体験する楽しみもないわけではないが、過去の定期会員の経験から、初めて聞く曲、あるいは指揮者がこだわって演奏する曲こそが、プロの奏者の本領発揮、腕の見せ所となることが多いように思う。

定期会員になることで、1回だけの演奏会なら敬遠するプログラムでも否応なしにチケットが送られてくるので、無理にでも行く羽目になる。ところが上記の理由などにより、演奏が大変よかったり、初めて聞く曲の魅力を発見したりと、その意外性も含めてなかなか魅力的なのである。聞く側の姿勢と音楽に対する造詣が試される、という側面があるのだ。演奏する側も聞く側も、真剣勝負となる。

さて、そのようなわけで今年の東フィルの定期演奏会は、まず1月に名誉音楽監督のチョン・ミュンフンがマーラーの交響曲第3番を振る予定だった。ところがオミクロン株を主体とする新型コロナウィルスの蔓延を受けて(いや、正確に言えばそれに伴う入国制限措置を受けて)、このコンサートが遭えなく中止されてしまった。合唱団を含め、大変な調整が必要だったに違いなく、そのために練習を重ねてきた出演者の苦労を思うと残念でならない。

チケットは払戻しの対象となり、私は仕方なく次の2月の定期を待つこととなった。2月のプログラムは、指揮が井上道義で、彼はここのところ日本中のオーケストラから引っ張りだこである。しかし東フィルの定期への登場は6年ぶりとのことである。2年後に引退を表明している井上のこだわりの選曲は、いずれも20世紀の曲が並ぶというもの。まずエルガーの序曲「南国にて」(1904年)。次に今年生誕100周年のギリシャ生まれの作曲家、クセナキスのピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」の日本初演。そして最後に十八番のショスタコーヴィチから交響曲第1番。私にとってはほとんど初めて聞く曲ばかり。正直に言えば、定期会員になっていなければ、チケットをまず買うことのない演奏会であることを告白しておく。

まずもっとも作曲年代の古いエルガーの序曲「南国にて」がプログラムの最初である。といってもその冒頭が鳴り響いた時、気合十分の演奏に胸が熱くなった。丸でリヒャルト・シュトラウスの豊穣な曲を思わせるような感じ。私は「ドン・ファン」を思い出したが、「ドン・ファン」はこの曲の16年ほど前の作品である。

井上の指揮は饒舌で、派手な身振りで聴衆の目を奪いながら、丸でレーシングカーのようにオーケストラをドライブしてゆく。冒頭から全力投球なのが彼のいいところである。だがあまりに力が入り過ぎているのか、どのような曲かの輪郭がなかなかつかめないのも事実である。

この曲はそのタイトルが表すように、イタリアに題材を取った作品である。イタリアに滞在して新しい感化を受け、作品に残した作曲家は少なくない。エルガーも紛れもなくその一人だったということだが、ここで興味深いのは彼がイギリス人だということだろう。イギリス音楽と言っても、どちらかと言えば大陸風の、つまりはドイツ風の音色を持つエルガーの側面が良く出た作品だと思った。

1857年生まれのエルガーは、1903年に家族を伴って北イタリアの地中海沿いの町アラッシオに滞在した際に受けた霊感をそのまま音楽にした、と解説にはある。私はアラッシオにこそ行ったことはないが、イタリアの地中海岸沿いの街がどれだけ美しいかは、それになりに想像することができると思っている。どこまでも高い南ヨーロッパの太陽と、どこまでも深い地中海の、冷たく青い海が織りなすコントラストだけではなく、そこに住む人々の陽気さと哀しさ、そして食べ物や文化の豊かさ、遠い過去への思い、そのようなものが混然一体となって風景に溶け込んでいる。

「南国にて」はそのようなイタリアの多彩な光景が、熟達したオーケストレーションによって輝かしく描かれている。初めて実演で聞く曲だったが、中間に配置されたヴィオラの独奏による哀愁を帯びたメロディーなど、聞いていて多くの発見があった。東フィルの各楽器の秀逸な表現も特筆すべきだと思うが、あまりに語ることが多くてエネルギーが絶えず押し寄せてくる様に、私は少々戸惑った。

2番目のプログラム、クセナキスのピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」については、私は何を書いてよいのかわからない。1986年に初演されたこの作品の日本初演ということだが、まず驚くのは冒頭からの騒音のような開始である。ここで何が示されているかは、解説がないとよくわからない。標題付きであるとは言え、絶対音楽である。そこでクセナキスのとった方法は、数学的な理論に基づく音楽の構成である。

工学を志したギリシャ生まれのクセナキスは、彼独特の確率論や図形の論理を楽譜に持ち込んだ。そこでピアノがどの程度「楽譜」によって導かれているのか、よくわからない。大雑把に聞いた感想で言えば、この曲はピアノ協奏曲というよりは、「管弦楽のための協奏曲」といった感覚だった。ピアノが隠れてしまい、むしろ独奏楽器が順番に活躍する。ピアノはまるで勝手にオーケストラと交わりながら、独自の音色を奏でているように思う部分も少なくない。

この「音のバラマキ」のような曲のピアノを担当するのが、大井浩明というピアニストで、私と同年代。しかも工学部に学んだという異色の才能の持ち主。やはり工学部に進んだ私と同じ関西の出身だが、実にこれまでそんなピアニストがいたことを知らなかった。京大を中退するまで彼は、大学のオーケストラでチェロを弾いており、その時に井上が指揮をした時のエピソードなどが解説に掲載されていて大変興味深いが、もっと驚くのは彼が独学でピアノを習得し、それがヨーロッパで認められていることだろう。クセナキスの3つのピアノ協奏曲を、彼が初めて世界で演奏したということになるそうだ。

そんな現代音楽を聞きながら、いろいろなことを考えている間もなく、音の洪水にまみれ気が付いたら音楽が終わっていた。やはり井上が好みそうな曲だなと思った。

後半はショスタコーヴィチ。井上の十八番で、全曲演奏も残している交響曲の最初の作品を井上は思いを込めて演奏したに違いない。若干19歳のショスタコーヴィチは、この複雑極まる音楽をロシア革命のさなかに書き始めたということだろうか。丁度、この日はロシア軍がウクライナに侵攻したまさにその日で、井上は終演後に客席に向かってこう言った。「戦闘は舞台の上だけにしてほしい」。

兎に角この日の演奏の素晴らしさは、東フィルの技量によるところが大きいように思った。ショスタコーヴィチに至っても、舞台上に一斉に並んだ大オーケストラが、常に緊張感を保ち続け、全力投球で挑んだ演奏会。井上の指揮は饒舌すぎて、私はいつも戸惑うのだが、さすがはショスタコーヴィチだと思った。今シーズンの最初の定期演奏会が中止となり、出鼻をまたもやくじかれた2022年の幕開きとなった今回のコンサートは、指揮者も独奏もオーケストラも一体となった演奏会だった。

このような20世紀の曲ばかりを並べた演奏会にもかかわらず、客席は結構な人手だった。何度も舞台に呼び出される井上は、定期演奏会としては異例のアンコールでこれに応えた。「南国を題材にしたもう一つの曲」としてヨハン・シュトラウスのワルツ「南国のバラ」からの後半を、彼は踊りながら演奏したのである。絶妙なワルツのリズムを巧みに表現する、この時に見せた井上のおどけたような指揮から、彼の「ニューイヤーコンサート」も一度聞いて見たいと思った。誰よりもナルスティックな指揮者である井上は、彼独特のおどけた表現でこれを指揮するに違いなく、そのような方面の音楽は、彼のもっとも良い側面を表すに違いないと思った。次に井上ミッキーで聞くべきは、ポピュラー・コンサートである。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...