2019年12月31日火曜日

J.S.バッハ:クリスマス・オラトリオBWV246(S:グンドラ・ヤノヴィッツ、A:クリスタ・ルートヴィヒ、T:フリッツ・ウンダーリヒ、Bs:フランツ・クラス、カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団、管弦楽団)

普段東京で仕事をしながら、忙しい生活をしていると、バッハの宗教作品などなかなかまとまって聞くことなどない。ゆとりある時間や何にも邪魔されない静寂な環境、それに継続的に安定した心理状況がないと、バッハに耳を傾ける状況にはなれない。名曲の宝庫と言えるバッハは、私にとってなかなか近いものではない。

我が国におけるキリスト教徒人口はせいぜい200万人足らずで、人口に占める割合は1.5%程度に過ぎない(文化庁「宗教統計調査」2017年)。従ってクリスマス前後と言えども通常通り仕事をして、いっとき家族で食事をしたり子供にプレゼントを贈ったりはするものの、26日にもなればもうお正月を目指して師走終盤の日々を迎える。普通の日本人の生活様式が、私の生活からもクリスマスを遠ざけている。

多忙でそれどころではない生活は、バッハ自身にも当てはまるのだという事実は、それでも私を少し安堵させる。少なくとも10人の子供を養育する必要から、毎週欠かさずカンタータの作曲に勤しみ、オルガン奏者や音楽教師も務めたバッハは、その崇高な音楽を締め切りに追われながら作曲した。そう考えると、何も肩ひじを張らず聞けば良いとさえ思う。

ヨハン・セバスティアン・バッハは生涯に200曲以上にのぼる数のカンタータ作品を作曲しているが、それらはみな1回限りの、いわば使い捨ての作品として作曲された。バッハ自身、さすがにこのことには不満だったようだが、実際200曲以上のすべての作品に耳を傾けるだけのゆとりはない。そこでこれらを集めたダイジェスト作品はないものかと思うのだが、「クリスマス・オラトリオ」はまさにそういう作品で、その多くがそれまでに作曲されたいくつかの作品から編集された作品である。

ここでバッハがパロディとして用いた作品は、自身のカンタータ3作品が中心で、繰り返し演奏されることにより、親しみやすさを感じられるようにとの思いを込めたものだったようだ。クリスマスというキリスト教最大の年中行事を題材にしていることからも、それは明らかである。私たちは2時間半に及ぶこの作品により、バッハが残した膨大なカンタータ作品の、いわば入門者向けアンソロジーを聞くような気持で、音楽を楽しむ事ができる。キリストの降臨節から顕現節に至るまでの聖書のストーリーに従って、預言者による語り付きの美しい音楽が付けられているから、ごく自然に聖書の世界を知る事ができる。

カンタータの寄せ集め作品が「オラトリオ」と名付けられた。この「クリスマス・オラトリオ」は6つのパートから成り立っている。全部で65の曲があり、12月25日の1月6日頃まで、6回に及ぶ祝日に分けて演奏された。現在では一気に演奏されたり、2日ないしは3日に分けて演奏されることが多いようだ。我が国ではメサイアやマタイ受難曲に比べても演奏される機会は多いとは言えない。私も実演に接したことはない。

私はこれまでに、いくつかの演奏によりこの作品に接してきたが、あいにく心を揺さぶるものに出会うのが遅かった。最初のガーディナー盤はどこがいいのかさっぱりわからず、アーノンクールも面白くない。シャイーによる目の醒めるような速い演奏で、私の心を掴みかけたがそれは最初の曲のみであった。シャイーは「バロック音楽の本流はイタリアにあり」と言わんばかりに、伝統あるライプチヒの演奏家を手玉に取って見せるが、彼はバッハをロッシーニと勘違いしているようだ。結局この演奏も単調なだけで、深みに欠ける。

そんな中、我が鈴木雅明がバッハ・コレギウム・ジャパンを率いて録音したものは、この作品の真価に迫る真面目で崇高な演奏である。一方、ヘルムート・リリンクによる定評ある録音も、記憶に残っている。このほかにもいい演奏は沢山あるのだろう。だが、これらオリジナル楽器による演奏は、作品の魅力を小さくしているように思える。クリスマスに聞くオラトリオは、もっと豊穣で大規模なものが好ましいと私は考えている。

結局、どう考えても、あのカール・リヒターによる歴史的名盤こそ、この作品の演奏の中で一等秀でた地位を確保しており、それは少し聞けば明らかである。今もってこの演奏に及び得るものはないとさえ思える。モダン楽器による演奏も、その深々とした味わいは今日かえって新鮮であり、少し古くなったものの各楽器や歌手をよく捉えたアナログ録音の暖かみと、作品に寄り添った厳粛な音楽がうまく調和して、厳しさと慈しみを併せ持つ稀有の名演となっている。

以下、リヒターによる演奏を聞きながら、「クリスマス・オラトリオ」(BWV248)の各部をみて行こう。演奏ははミュンヘン・バッハ合唱団、管弦楽団、1965年のステレオ録音(アルヒーフ)である。

  1. 第1部は合唱曲「歓呼の声を放て、喜び踊れ」で始まる。カンタータ「太鼓よ轟け、ラッパよ響け」(BWV214)によるメロディーが高らかに歌われる。続いて登場するテノールのエヴァンゲリストは、36歳の若さで事故により急死する直前のフリッツ・ウンダーリヒによる貴重な録音で、あの若々しく澄んだ声が収められている。最初の聞きどころであるアルトのアリア「備えせよ、シオンよ、心からなる愛もて」(第4曲)はカンタータ「岐路に立つヘラクレス」(BWV213)からの借用である。アルトを歌うのはウィーン生まれの歌手、クリスタ・ルートヴィヒ。どこかで聞いた曲のような気がするのは「マタイ受難曲」によく似た曲があったように思うからだ。一方、バスのフランツ・クラスが歌う第8曲「大いなる主、おお、強き王」もまた、カンタータBWV214の作品だそうだ。トランペットの響きに心が洗われる思いがするが、このトランペットは何とあのモーリス・アンドレが特別に参加しているという。
  2. 第2部冒頭のシンフォニア(第10曲)は、この曲で唯一、管弦楽のみによるものだが、単独で演奏されることも多い落ち着いたメロディーである。就寝前のひとときをこの曲で過ごす人もいるようだ。第2部の聞きどころは、テノールのアリア「喜べる羊飼いらよ、急げ、とく急ぎて行けや」(第15曲)で、フルートの仄暗い響きが印象的なホ短調。アルトのアリア「眠りたまえ、わが尊びまつる者、安けき憩いを楽しみ」(第19曲)は、冒頭で「Schlafe(眠りたまへ)」と歌う時、その一点の濁りもない美声が遠くの方から次第に近づいてきて、それはまるで光彩を放ちながら救世主が降り立つような響きであり、一度聞いたら忘れられない印象を残す。
  3. 年末最後の曲である降臨節第3祝日用の第3部は、力強い合唱曲「天を統べたもう者よ、舌足らずの祈りを聞き入れ」(第24曲)に挟まれている。リヒターの演奏は一歩一歩着実に天に昇っていくかのようなテンポで、高らかにこの合唱を進める。レチタティーヴォを交えながら、しばらく合唱曲が続く。このあたりから崇高な気分になってゆく。第29曲はソプラノとバスの二重唱である。オーボエ・ダ・モーレの響きに乗せて歌い始めるのは、クンドラ・ヤノヴィッツである。一方、第31番のアリアはアルトによって厳かに歌われるが、ここにはヴァイオリン独奏のみが加わる。ロ短調。曲にも様々な楽器や調性により、微妙な変化がもたらされる。いい演奏で聞くと、そのあたりの妙味が味わえるのだが、最近の速い演奏で聞くとあっというまに終わってしまい、どんな曲を聞いたか印象に残らない。第24曲の合唱が、最後に再び登場して心が洗われるようになって、年末用の曲を終える。
  4. 年が変わって元日には第4部となる。第36曲「ひれ伏せ、感謝もて、讃美もて」(合唱)は比較的長い曲である。ホルンの響き印象的である。第4部は短いが、第39曲のソプラノによるアリア「答えたまえ、わが救い主よ、汝の御名はそも」は透き通った歌が、染み入るような気分にさせられる。ここで合唱が群衆のこだまと重なり、「いいえ」とか「そうだ」などと掛け合うシーンが印象的だ。第41番の二つのヴァイオリンを主体とする弦楽器のフーガとなるテノールのアリア「われはただ汝の栄光のために生きん」は、最大の聞きどころの一つだと思う。そして最後の第42曲の「イエスわが始まりを正し」で再びホルンの音が活躍し、3拍子の美しいコラールで幕を閉じる。
  5. 第5部は新年最初の日曜日に歌われる。軽快だが長い合唱曲「栄光あれと、神よ、汝に歌わん」で始まる。リヒターの演奏は7分近くもあるが、楽しくていつまでも聞いていたくなる。第47番はバスのアリア「わが暗き五感をも照らし」。オーボエ・ダ・モーレのソロに乗って、通奏低音の響きが特に印象的。この曲は、また別のカンタータ「恵まれたザクセン、おまえの幸をたたえよ」(BWV215)からの借用である。だがこんな曲も「クリスマス・オラトリオ」に使われなかったら、知られることもなかったような気がする。ということは他のカンタータにも隠れた名曲がいくらでもあるということだろうか。第51曲目にはヴァイオリン独奏に乗って、珍しい三重唱「ああ、その時はいつ現るるや?」がフーガ風に歌われ、やがて短いコラールで終わる。
  6. さていよいよ最後の第6部になった。この第6部はトランペットが大活躍するのが聞きどころである。まず最初の合唱曲「主よ、勝ち誇れる敵どもの息まくとき」(第54曲)は、まずこのトランペットが高らかに歌い、やがって合唱と絡みながら次第に高みにのぼっていく。第57曲、ソプラノのアリア「その御手のひとふりは」と第62曲、テノールのアリア「さらば汝ら、勝ち誇れる敵ども、脅せかし」を経ていよいよ終曲「今や汝らの神の報復はいみじくも遂げられたり」。再びトランペットが透き通るような音色でキリストの勝利を宣言し、いよいよ確信に満ちた合唱と組み合わさって賛歌が続く。神を得た人間の力強い嬉しさが、込みあがって来る。
2019年の大晦日。快晴の東京には夕方になって冬型の季節風が吹き付けて来た。天災に見舞われ、個人的にも不調な日の多かった今年も残りわずかとなった。来年もまた、無事一年を過ごせるようにと祈りながら、この文章を終える。

2019年12月4日水曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」(フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

まだクラシック音楽を聞き始めた頃の私は、一般的な聞き手がそうであったように、ドヴォルジャークの交響曲は「新世界より」しか知らなかった。第2楽章ラルゴのメロディーは特に有名で、この部分は歌詞を付け「家路(Going Home)」などと呼ばれていた。ボーイスカウトに入団していた私は、キャンプファイヤーの時などによく歌わされたものだった。「遠き山に日は落ちて…」と。

どういうわけか夕暮れ時の、とても静かで懐かしい旋律として小学校の下校時の音楽に使われるのも、この曲を有名なものにしている。ほとんどの日本人が、この部分と、それに第4楽章の冒頭のメロディーを知っているのではないかと思う。これは最も日本人に馴染んだクラシック音楽と言えるのかも知れない。

中学校の音楽の教科書に載っていた「家路」を、私も習った。そしてその日の音楽の授業では、この歌の原曲を聞いてみましょう、ということになって先生は資料室から一枚のLPレコードを音楽室に持ってきた。「今からレコードを聞きます」と言って先生は、そのLPに針を落とした。すると大きなスピーカーから、有名なメロディーが流れて来た。「ここで使われる楽器は、チャルメラのような音がします。イングリッシュ・ホルンと言ってオーボエに似た楽器です」先生は音楽を聞かせながら、このような解説をした。

私はクラスで、クラシック音楽が好きだと称するごく少数の仲間と、やれ「ジュピター」だの「英雄」だのとやっていたから、当然このような基礎知識は持っていた。私が先生に気に入られ、目立つための手段は、こう質問することだった。「このレコードの演奏は誰によるものですか?」すると、その女性教師は、なかなか通の質問をする生徒もいるものだ、などと感心しながらジャケットに書いてある文字を黒板に写し始めた。

「ドボルザーク作曲、交響曲第5番ホ短調作品95『新世界より』…」

私はこの曲がかつては第5交響曲として知られていたことを知っていた。それでこのことにはあまり驚かなかったが、それでももう70年代にもなって、未だに第5番と呼ばれているLPが存在することに関心した。

「ラファエル・クーベリック指揮…」と書き始めたところで先生は躊躇し呟いた。「何フィルハーモニーか書いてないやないの?」(私は大阪の普通の公立中学校の生徒だった)

クーベリックが指揮したオーケストラは、ロンドンにある「ザ・フィルハーモニア管弦楽団」のことである、と直感した。かつてEMIの録音用オーケストラとして創設され、若きカラヤンやクレンペラーが往年の名演を残した楽団である。もちろん今でも存在する。

この演奏とは別に、クーベリックは後年ベルリン・フィルとの間で故国ドヴォルジャークの交響曲全集を残している。ウィーン・フィルとの演奏もある。だがあれから40年以上たった今、いくら検索してもクーベリックの指揮するフィルハーモニア管弦楽団との「新世界交響曲」は検索できない。本当にそんなレコードが出ていたのだろうか、それとも先生の言うように、どこのフィルハーモニー管弦楽団かが記載されていなかったのだろうか、今でも謎である。

さて、新世界交響曲はドヴォルジャークがアメリカに出張中に作曲された。「新世界」とは米国を含むアメリカ大陸のことで、通天閣界隈のことではない。この作品には従って、ネイティブ・アメリカンの民謡の旋律が用いられている。先生もそのような説明をした。けれども中学生の私には、それがどの部分かわからず、アメリカの音楽と言う印象は全くなかった。むしろチェコのメロディーが、日本人に親しみやすいものであることに関心していた。

「新世界交響曲」は4つの楽章から成り、その部分も極めて親しみやすく、スーパーな名曲であることに疑いの余地はない。世界中のオーケストラと指揮者がこの曲を演奏している。第1楽章の沸き立つような主題は、マンハッタンを空撮するヘリコプターから見た摩天楼にマッチし、第2楽章では故郷を懐かしむドヴォルジャークの心情が胸を打つ。第3楽章ではリズムの変化に酔いしれ、第4楽章に至っては迫力も満点。この曲の聞きどころは数えきれない。思いつくままにこれまで印象に残った演奏を記すと、カラヤン指揮べリリン・フィルのビデオ、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの若々しいエネルギーに溢れた歴史的名盤、爽快で迫力満点のシルヴェストリ指揮フランス国立放送局管弦楽団、我が国では特に名高いケルテス指揮ウィーン・フィルなど枚挙に暇がない。

そんな中で、一等光彩を放ち、今でも色あせない名盤は、フェレンツ・フリッチャイによるステレオ最初期のベルリン・フィル盤であろう。今もってこの演奏に勝る印象を私に残すものはない。多芸に秀でた職人的演奏は、今では聞かれない類のものだろうか。余白に収められた「モルダウ」同様、来ていて唖然とする歌いまわしに、最初聞いた時はノックアウトされた。録音もこの時期にしてはいい。特に第3楽章のトリオの部分などはぐっと速度を落とし歌うので、何か落語の名人気に接しているような気がしてくる。

それ以外の演奏では、小澤征爾がボストン響とプラハを訪れ、有名なスメタナ・ホールでのガラ・コンサートをライブ収録したビデオに大いに感心した覚えがある。第2楽章のみの演奏だが、隅々にまで神経が行きわたり、こんなに美しいこの曲を聞いたことがない、とさえ思った。また第4楽章はドゥダメルがローマ教皇の御前演奏をしたものを収録したビデオが秀逸である。気合の入った第4楽章は圧巻で、カラヤンのあの70年代のビデオ演奏を彷彿とさせる。なお、私がこの曲を最初に聞いたのは、カルロ・マリア・ジュリーニがシカゴ響を指揮したグラモフォン盤だった。誠にしっかりとした正攻法の立派な演奏だが、多少面白みに欠ける。

2019年12月2日月曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第8番ト長調作品88(マリス・ヤンソンス指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団)

ドヴォルジャークの次に取り上げる交響曲第8番で、その思い出の一枚にマリス・ヤンソンスによる演奏を取り上げようと準備をしていた。そうしたら昨日になって、何とヤンソンスの訃報が飛び込んで来た。何ということだろうか。享年76歳。まだ元気な指揮者だと思っていたからショックだった。

私は3回実演に接している。最初は1996年のニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会で、バルトーク「弦チェレ」とブラームスの交響曲第2番を、2回目は2005年に横浜でバイエルン放送響とのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番とショスタコーヴィチの交響曲第5番を、そして3回目にはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の東京公演で、ドヴォルジャークの「新世界交響曲」とストラヴィンスキーの「春の祭典」だった。どの演奏もプロフェッショナルな名演奏。聞き惚れている間に終わってしまうほどで、完成度が高すぎて印象にも残りにくい。CDで聞く演奏でも、それは同じだった。

そのヤンソンスはドヴォルジャークを得意にしていた。特に第8番の演奏は、私がこの指揮者に触れた最初の演奏でもあり、またこの曲の、もっとも素晴らしく演奏された何枚かの一枚であることは疑いようがない。その演奏は、あのジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団との演奏(特に最晩年のEMI盤)を彷彿とさせるものであり、同じレーベルから出た同じ曲の名演として、もしかするとその焼き直しを意識して製作されたのではないか、とさえ思わせるほどだった。

特に第2楽章の微妙なリズムと、そこにかぶさる木管の歌うメロディーが、しっかりと息づきながらも落ち着きを失わず、晩秋の野道を行くようなしっとりとした味わいは筆舌に尽くしがたい。これは厳格の中にほのかに宿るロマンチシズムを感じさせるセルの演奏に通じるものであり、理性と情熱を程よく併せ持つ大人の音楽である。第3楽章の哀愁を帯びた旋律も、決して情に溺れることはなく、かといって醒めてもいない。

そういえば我が家にもあったセルによる最晩年の演奏は、我が国では特に評価の高いものとして有名だった。なぜならそれは、1970年の大阪万博の年に初来日したこの組み合わせによるプログラムと同じ曲で、実演に接した評論家は、従来CBSからリリースされてきたどこか硬くて厳しさの前面に出た演奏とはやや異なる、情緒的なセルの一面を垣間見た、などと口を揃えて語っていたからだ。セルはこの来日演奏の直後に急死し、その追悼盤として発売されたのが、我が家にもあった来日演目と同じドヴォルジャークの交響曲第8番とシューベルトの「グレイト」交響曲の2枚だった。この2枚は、EMIによって録音されたこともあって、ややエコーのかかったようなアナログ録音が特徴でもあった。

そのLPレコードは、丸で宝物のように取り扱う必要があった。私はこのレコードを聞くたびに、あともう何回か聞くとすり減ってしまうのではないだろうか、などと恐れたくらいだ。けれども程なくしてCDの時代が訪れた。CDは永久的に音が劣化しないというふれこみだった。LPは安物の針を落とすたびにノイズを加えてしまったので、無残な音がしていた。CDとして真っ先にセルの「ドボ8」を買いなおしたのは当然だった。だがそのCDは2800円もしたにもかかわらず、見事にひどい録音だったことを思い出す。LPで聞いたいぶし銀の演奏、摩耶山から見る冬の神戸の夜景のような演奏が、CD化によって化粧を剥がされ、無残な姿として現れたのだった。

今ならリマスターされ、もう少しましな録音に蘇っているものと推測するし、あのCBSへの録音でさえも、もっと生き生きとしたものとして幾度となく再販されている。セルの人気は、今でも根強く続いている。モーツァルトもブラームスも、セルによって蘇り、セルによって真価を表す。だがそうなるまでの少しの期間を、一体どの演奏がドヴォルジャークの第8交響曲を思い通りに再現してくれるのか、私はいろいろ試す旅に出なければならなかった。定評あるクーベリックも、 枯れ葉のような晩年のジュリーニも、都会的なカラヤンも、朝の散歩のようなアーノンクールも、私を満足させてはくれなかった。ただ一枚だけ、ヤンソンスによる演奏のみが、かつてのセルを思い起こさせてくれる演奏だと思った。このヤンソンスによる演奏によって、私は第8交響曲の魅力を再体験することになった。

交響曲第8番はかつて「イギリス」というタイトルが付けられていた。けれどもこの曲がイギリスで出版されたということ以外に、英国とは何の関係もないのが事実である。ところがジャケットに落ち葉と並木が映っているだけで、私はそこが秋のハイドパークだと想像し、音楽までもがイングランドの片田舎の風情を表しているのだと勘違いした。ブルーノ・ワルターが演奏した第3楽章は、私を「イギリス」に誘った。

第4楽章の中間部に設けられたハンガリー風のリズムによって、この曲の東欧風の響きが強調され、ようやく中低音の楽器が多用されたチェコの音階を持つ交響曲としての全体像をつかむことができるようになった。今では私にとって、チェロ協奏曲と並んで最も愛すべきドヴォルジャークの管弦楽曲であり、その魅力は「新世界より」を凌駕している。実演ではN響を指揮したサヴァリッシュの演奏が忘れ難いが、これは少しざわざわとした、丸で小雨模様の都会の夕方のような演奏である。演奏によって様々に表情を変える。この曲の魅力は、そういうところにあるのかも知れない。

なおセルによるドヴォルジャークの交響曲第8番のディスクには、余白に「スラブ舞曲」の第3番と第10番が収録されていた。この2曲は合わせても10分程度で、アンコールのように付録されたものだが、交響曲と同様、輝かしい魅力に溢れた2曲であった。スラブ舞曲にも数多くの名演奏が存在するが、このような小品にもやはりセルの風格と感性を感じるものとして永く記憶に残っていることを付け加えておきたい。

2019年11月27日水曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第5番ヘ長調作品76(イルジー・ビエロフラーヴェク指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団)

ドヴォルジャークの第5交響曲の冒頭は、序奏がなくいきなりクラリネットの主題で始まる。牧歌的でヘ長調と言えばベートーヴェンの「田園」を思い出すが、この曲の第1楽章はもっと起伏に富み壮大である。どことなくワーグナーを思い出すようなメロディーも登場するが、これ以前の交響曲で見られる明らかなワーグナーの影響からは、むしろ脱却している方だという。

第2楽章もアンダンテとなっているが、それなりに壮大で、続く第3楽章も似たような感じである。つまりこの曲は、ずっと同じように適度に起伏を持ち、自然と民謡が溶け合うドヴォルジャークの特徴と相まって、ボヘミア地方のなだらかな風景を見続けているような気持になる。重々しい旋律もその底流は明るく、骨格もしっかりしているので、初めて聞く曲でも飽きることはなく楽しい。ただ後期の交響曲と比べると、どうしても見劣りがしてしまう。第5番から第7番まで聞いてきて、やはりこの順に音楽的な完成度は向上し、ドヴォルジャークの作風が自信とともに確固たるものになってゆくのを目の当たりにする。すなわち、第8番が第7番に続き、そして第9番「新世界より」で出世街道の大団円を迎えるというわけである。

チェコ人の指揮者であるイルジー・ビエロフラーヴェクは、首席指揮者だったチェコ・フィルを指揮して、ドヴォルジャークの交響曲全集を録音している(2014年、デッカ)。思えばドヴォルジャークの交響曲全集は、かつてデッカにハンガリー人だったイシュトヴァン・ケルテスが残したものが有名で、おそらく9曲全部というのは最初ではなかっただろうか。その後、ラファエル・クーベリックがベルリン・フィルと残しているのも記念碑のような名盤だ。けれども、チェコ人によるチェコのオーケストラとの全曲演奏は、思いつくところヴァーツラフ・ノイマン以来ではないだろうか。

ここで聞ける最近のチェコ・フィルは、ボヘミア的というよりはよりインターナショナルな響きである。けれども録音の良さと言い、演奏の完成度といい申し分なく、現在望みうる最高のドヴォルジャーク交響曲全集である。そのビエロフラーヴェクは、次に来日したら聞きに行ってもいいななどと思っていたのだが、知らない間に亡くなっていた。2017年のことだという。享年71歳。指揮者としてはまだまだ若い方である。

実は1994年のN響の第九で、私は一度だけこの指揮者に接している。今となってはこれといった記憶がないのだが、記録によればこの演奏会のソプラノは、やはり今年61歳の若さで亡くなった佐藤しのぶだった。そういえば、今年も残すところあと1か月となった。まことに年月の経つのが早い、と実感するこの頃である。

2019年11月24日日曜日

NHK交響楽団第1926回定期公演(2018年11月22日NHKホール、指揮:ヘルベルト・ブロムシュテット)

ブロムシュテットがN響の指揮台に立つたびに、失礼ながらもうこれが最後なのだろうか、と思ったものだった。だが今年も巨匠は東京へやってきた。A/B/Cの3つのプログラムをそれぞれ二日ずつこなし、しかも台風被害の爪痕が残る北関東各地への演奏旅行にも同行して指揮したのだ。しかしいくらなんでも93歳ともなれば、現役指揮者としての制約が感じられるのが普通である。ところが指揮台に手助けも必要とせず歩いて向かい、立ったまま指揮をするというのだから、それだけでもう神に感謝するしかない。矍鑠というのでもなく、ごく自然なのである。そこが凄い。

勿論、演奏される音楽が悪かろうはずがない。ブロムシュテットほど若い頃から音楽が毅然と、劣化することなく流れてくる指揮者はない。今回聞いた最後の演奏会も、堂々たるモーツァルトに聞き入った記録をここに書いておこうと思う。プログラムの前半は交響曲第36番ハ長調K425「リンツ」で、後半はミサ曲ハ短調K427である。いずれもモーツァルトがザルツブルクへの帰郷に際して作曲された同じ時期の作品ということになる。

「リンツ」を実演で聞くのは、実は初めてである(と思ったら一度だけ、南西ドイツ交響楽団の演奏で聞いている!記憶に全くないのだが)。モーツァルトの交響曲作品を聞くことも最近ではめっきり少なくなり、一体何年ぶりだろうと思いながら、冷たい雨の降りしきる渋谷をNHKホールへ向かう。今日土曜日のマチネーは、最安値のE席(自由席)が早々と売りきれてしまったようだ。数あるN響の定期公演でも、巨大なNHKホールに関していえば極めてまれで、私の聞く限りでも、一昨年のピレシュの引退演奏会以来だったのではにだろうか(この時の指揮もブロムシュテットだった)。

今回はC席で3階の左端である。ここは3階ではあるものの比較的舞台に近く、値段の割には音響は悪くないという印象である。今回も、それは例外ではなかった。「リンツ」の小編成のオーケストラからは、実にきれいなモーツァルトの音が引き出された。冒頭の序奏から、この曲はさほど楽しくない雰囲気に満たされている。冊子「フィルハーモニー」の解説によれば、それはモーツァルトのザルツブルク帰郷が、いかに憂鬱なものだったかを示しているということだ。

だが私はこの「リンツ」が、かつては最も好きな交響曲だった。それはブルーノ・ワルターによる演奏が大変に優れていたからだ。ワルターの演奏で聞く限り、この曲はとても優雅である。それに比べるとクライバーの映像など、神経質すぎて聞く気にもなれない。だが、モーツァルトの心の内はクライバーの方に近かったのかも知れない。クライバーの方が、曲に込められた作曲者の心象風景をより的確に反映しているのだろうか。

ハ長調ということもあると思っている。「ジュピター」や他の作品がそうであるように、ハ長調のモーツァルトは、あの抜けるような明るさや、乾いた淋しさが感じられない。わずか4日で作曲されたという事情もあるのかも知れない。だが今回のブロムシュテットの演奏は、そういったモーツァルトの憂鬱な旋律を覆い隠す方の演奏だった。昔の(例えばドレスデン時代のブロムシュテットを私は好むのだが)演奏からほとんど変わらない幸福感が演奏から感じられる。90歳を過ぎてこんなにもスキッとした演奏を聞かせるのだから、神業である。N響が実にうまく、二つ以上の楽器の重なりも、まるでひとつの楽器のように聞こえてくる。

その「リンツ」で私がもっとも愛するのは第2楽章である。ここのメロディーはいつまでも聞いていたい。そして嬉しいことに今回の演奏は、第1楽章から最後まで、繰り返しを一切省略しないバージョンで演奏された。いつもはもう終わってしまうのか、と思うようなところがことごとく繰り返され、そのたびに私は幸せな気分になったのだった。決して主張するのではない、曲そのものの魅力をそのまま表現することに徹する真摯な姿勢は、モーツァルトのような純度の高い音楽でこそ真価を発揮したと言うべきだろう。

だとすれば休憩を挟んでの大ミサ曲が、悪かろうはずがない。ソプラノのクリツティーナ・ランツハマーの澄んだ声が、最初のキリエで鳴り響いた時、それはまるで歌声が天から舞い降りてくるような美しさだった。

新国立合唱団は、曲の途中で何度もポジションを変えるという珍しい光景にも出会った。そのパート、パートで求める音響が異なるということなのだろう。そしてトロンボーンは合唱団を挟んだ高い位置に分かれて配置されていた。チェロとコントラバスが左に配置され、ティンパニと他の金管は右、オルガンは左、というように左右で高低の音がまじりあうような配置は、この曲に限ったことではなく最近よく見られるのだが、ミサ曲においては、残響の多い教会のように常に会場をまんべんなく満たし、その広がりを表現するという見事な効果を生み出していた。広すぎるNHKホールにおいても、比較的ムラなく音楽が鳴ったと思う。

だが、私はこのような優れたミサ曲は、やはりより狭い空間で聞いてみたい。モーツァルトが作曲した短調のミサは、「自身の内面の苦悩が反映されている」(「フィルハーモニー」11月号)らしい 。例えば私は今、ヘレヴェッヘの指揮するシャンゼリゼ管弦楽団による演奏を聞きながらこのブログを書いているのだが、ここで聞かれる小編成の古楽器演奏などは、透き通った中に細かい部分まできっちりと聞こえてくる。ライブならでは良さも、身近に聞いてこそ感じられるのだろう。とくにモーツァルトのような音楽では。

もう一人のソプラノ、アンナ・ルチア・リヒターは昨年、ヤルヴィの指揮するマーラーの交響曲第4番で、非常に美しい歌声を聞かせた歌手で私は大いに期待した。その歌声は、やはり同様に素晴らしいものだったが、もしかすると同じソプラノでも、ランツハマーとは声の質が少し違う。むしろメゾ・ソプラノに近い翳りの声がまた、曲の中でうまく溶け合っていたような気がする。なお、テノールはティルマン・リヒディ、バリトンは最後にやっと登場するが、日本人の甲斐栄次郎。

それにしてもブロムシュテットのミサ曲は自然ななかにも敬虔さに満ちており、何か幸福な気分に満たされた。曲が終わらないうちに拍手が始まったのには閉口し、聴衆が興醒めにさせられたのだが、その拍手も次第に大きくなり、最後にはオーケストラが立ち去っても成り止むことはなかった。指揮者はひとり舞台の袖に登場し、軽く手を振っていたが、それも老人のそれではなく、まるで普通の日常の光景のように振る舞っていたのが印象的だった。

前日の朝から降り出した雨は止むことを知らず、明日まで降り続くという。この寒い雨は、羽田空港に降り立ったローマ教皇にも降り付けていたようだ。丁度演奏会の途中の出来事だった。

2019年11月22日金曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第7番ニ短調作品70(ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ドヴォルジャークの交響曲第7番は、独特の趣きを持った作品である。楽天的で明るい第6番とは対照的に、ほの暗く、内に秘めた情熱を感じる。これはブラームスの交響曲第3番に影響を受けたからだ、と言われている。確かによく似た感じがする。もっともブラームスの交響曲第3番はヘ長調であるのに対し、このドヴォルジャークの交響曲第7番は二短調である。

第1楽章アレグロ・マエストーソは八分の六拍子。暗いメロディーにもっともブラームスを感じるところかも知れない。ただ、暗いだけでなく、どことなく憂愁を帯びた情緒が垣間見られ、しかも次第に熱を帯びてゆく。交響曲としての風格は、しっかりとしたものがある。第6番が朝の明るい音楽さとすれば、第7番は午後の曇った陽気である。

第2楽章を聞いた時は、この曲が「新世界より」のあの有名な第2楽章の前触れのような作品だと思ったことがある。「新世界」ではイングリッシュ・ホルンが、確信的に哀愁を帯びた「家路」のメロディーを奏でて聞くものをしんみりと懐かしさに浸るのだが、ここではクラリネットやオーボエが控えめに旋律を奏でる。物淋しげだが、展開されてゆくと独特のドヴォルザーク節である。フルートやホルンの印象的なソロと弦楽器が重なり合ってゆく。第2楽章はいい演奏で聞くと本当に味わい深い。

第3楽章のスケルツォはスラヴ舞曲である。ただここでのリズムは、特徴のあるアクセントで進み、しばしば穏やかである。賑やかな祝祭的音楽とは一線を画す。この曲を初めて聞いて以来、忘れることはない。ぐっと内省的な感じがしてくる渋さは、第8番や題9番「新世界より」にはない、また別の魅力である。第4楽章のフィナーレは力強い曲で、壮大に終わる。その重なり、煮詰まっていく感じは、やはりブラームスを思い出してしまう。

この曲の今一つの特徴は、複雑なリズムにあると思う。独特のアクセントを伴っているのは、第3楽章だけではない。そういう音楽をきっちりと、職人的な感覚で指揮ができる指揮者がいい。そこで私は長年、コリン・デイヴィスによる演奏を聞いて来たが、今ではマゼールがウィーン・フィルを指揮した演奏が気に入っている。80年代初期のデジタル録音。この頃のマゼールはウィーン国立歌劇場の音楽監督であり、しばしばベルリン・フィルにも客演するという活躍ぶりだった。

マゼールによるこの曲の冒頭の演奏を聞いていると、何かシベリウスを聞いているような気がしてくる。そういえばここ数日は、急に寒くなってきたような気がする。秋の短かった今年は、いつのまにか11月も終わりかけている。例年なら紅葉を楽しみにしている時期なにだが、どういうわけか北国からは雪の便りも聞こえてくる。どうもよくわからないムードの中で、年末を迎えるのだろうか。


2019年11月16日土曜日

ドヴォルジャーク:交響曲第6番ニ長調作品60(トーマス・ダウスゴー指揮スウェーデン室内管弦楽団)

チェコの作曲家、アントニン・ドヴォルジャーク(我が国ではドヴォルザークと書くことが多いが、ここでは原音に忠実にドヴォルジャークと記す)は、その音楽史における功績以上にファンの多い作曲家とみなされている。憂愁を帯びた親しみやすいメロディーは、遠い田舎の記憶をよみがえらせるようで忘れ難い。けれども9曲ある交響曲の、前半のものなるとほとんど聞くことのない作品となる。第1番から第5番までは、実際私も聞いたことがない。

ドヴォルジャークの交響曲は第9番「新世界より」が最も有名で、番号か下るにつれて次第に演奏されなくなる。だがそれもせいぜい第6番まであろうか。実際、この交響曲第6番ニ長調作品60は、かつては交響曲第1番と呼ばれていた。

交響曲第6番は、しばしばブラームスの交響曲第2番の影響がみられると言われる作品である。調性が同じニ長調ということもある。そしてブラームスの交響曲第2番はまた、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」に例えられる。大作曲家が残した牧歌的で伸びやかな交響曲作品のつながりが、ここに見て取れる。それではドヴォルジャークの交響曲第6番を聞いていこう。

第1楽章はソナタ形式。ここで最初に思いついたことは、何かスメタナの「わが祖国」に登場する交響詩「ボヘミアの森と草原から」を思わせるようなメロディーだということだ。第2楽章アダージョも牧歌的な魅力を伝えてやまない。しっとりと詩的な情緒を湛えている。

第3楽章はスラヴ舞曲。フリアントと名付けられている。フリアントとは変則的なリズムと急速なテンポが特徴のチェコの民族舞曲のことである。最後の第4楽章フィナーレは、アレグロ・コン・スピリート。幸せな気分で大団円を迎え、45分に及ぶ交響曲が幕を閉じる。

国民楽派と名付けられる後期ロマン派の一時期にあって、ドヴォルジャークは生まれ故郷ボヘミアを愛し、その民族的曲調をあらゆる作品に付け加えた。どの作品も哀愁と幸福感に満ちているあたりが、交響曲作品に深い精神性を求める聞き手には物足りないのかも知れない。けれども私のようなお目出度い聞き手は、このような親しみやすい音楽を好む。

全体的にしっとりとした抒情性と、スラブ風の快活なメロディーに溢れる作品だが、従来のシンフォニックな演奏よりも室内楽的な集中力で、この作品の新たな側面を切り取った演奏がお気に入りである。デンマークの指揮者トーマス・ダウスゴー指揮によるスウェーデン室内管弦楽団による演奏は、Opening Doorsと名付けられたBISレーベルのシリーズで、数々の作品に新たなスポットライトを浴びせている。このドヴォルジャークの第6交響曲においてもまた、SACDのクリアーな響きが耳に新鮮だ。 まさにドアを開けて、さわやかな朝の風を受け、広がる明るい風景を眺めたくなるような気持になる。小規模なオーケストラながらも迫力を持ち、この曲の魅力を十全に引き出している。

ドヴォルジャークの交響曲第6番は、最初に出版された作品であることは先に触れたが、作曲順ではこの前に、交響曲第3番として発表された第5番がある。一般にドヴォルジャークがボヘミアのメロディーを作品に取り入れだすのは、交響曲第5番からだと言われている。であれば、第5番を聞いてみたくなる。 ただ、その前に交響曲第2番として発表された交響曲第7番に、先に触れておきたいと思う。

2019年11月9日土曜日

アンドラーシュ・シフ/カペラ・アンドレア・バルカ演奏会(2019年11月8日東京オペラシティ・コンサートホール)

かつて私をときめかせたハンガリーの若いピアニストも、もう六十代の後半にさしかかっていた。それでもまだ十分聞き手を魅了して止まないシフの演奏を、私も生きているうちにライブで聞くことのできる機会が訪れたことは、今年最大の出来事であった。

東京にようやく晴天の続く本格的な秋空が戻り、街路樹も次第に紅葉しはじめたここ数日の間、私はもう何日も前から臨戦態勢で仕事をやりくりし、体調を整えてきた。11月8日は金曜日で翌日は会社が休み。そういうベストな状態で、この日を迎えた。私は最初に誘った妻が所用で行けなくなり、急遽、高校時代の友人に声をかけた。とても嬉しいことに、一緒に出掛けてくれることになった。

今宵のプログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の全曲演奏会のうちの2日目で、第1番ハ長調と第5番変ホ長調「皇帝」である。伴奏は、彼がソリスト・クラスの演奏家を集めて結成した室内オーケストラ「カペラ・アンドレア・バルカ」である(その中にはベルリン・フィルなどで活躍し、今ではシフの妻となった塩川悠子もいる)。シフは今回、この仲間たちとともにアジア各国を回るツアーの途上にあり、特に大阪と東京ではベートーヴェンのピアノ協奏曲ツィクルスを開催するようだ。

満員のホールに現れたシフは、ゆったりとした足取りでピアノに到達し、手を広げてオーケストラを指揮し始めた。ベートーヴェンがかつてそうしたように、今日のコンサートは弾き振りで、編成は初演当時のように小さく、弦楽器にも独特の渋みが加わっている。これはビブラートを抑えた効果によるものだろう。コントラバスは二人しかおらず、両翼に分かれてシンメトリックな配置を構成している。その中央にピアノ。上から見るとやや斜めに置かれている。ピアノは反射板を開け放たず、聴衆の方に向けられている。

ピアノ協奏曲第1番は、ベートーヴェンのデビューを飾る曲の一つだ。瑞々しい感性と若々しいエネルギーが溢れている。ボンの片田舎からウィーンに出て、技巧派のピアニストとして名を馳せてゆく。まだ耳もよく聞えていた頃のことだ。けれどもこの曲を聞いていると、ベートーヴェンが晩年にまで持ち続けた実直な心と、飾り気のないロマン性といった個性を早くも感じる。その趣向は、後年深化することはあっても、決して消えなかったベートーヴェンそのものの感性である。

ハ長調、聞いてよくわかるソナタ形式、長大なカデンツァはそれ自体がまるでソナタの一楽章に匹敵するような規模を誇るのも異例だ。第2楽章の歌うようなメロディーは一度聞いたら忘れることはない。第1番からすでに、結構な規模とロマンチシズムを湛えた曲を書いていたのだと驚く。この時点でまだシンフォニーは一曲も作曲されていない。

シフは、ときおり立ち上がってオーケストラの方に向かって手を振り上げる(それもベートーヴェンがやっていたことだ)だけでなく、しばしば左手が空いているときなどは、右手では旋律を弾きながら、左手で細かい表情を伝えて行く。そういったやりとりもみどころだったが、驚くべきことは、この有機的な室内オーケストラが、まるでひとつのクァルテットのような自立性を持っていることだ。シフのピアノが常に同じ表情なのかどうかは、他の演奏を聞いていないのでわからない。だが、少なくともどんなピアノのフレーズになったとしても、それを受けるオーケストラは、即興的にその細かい表情を見逃すことがない。

齢50も過ぎると、この先何年音楽を聞き続けることができるのだろう、などと考える。音楽は書物と違って、読み飛ばすことができない。演奏される速度でしか、聞くことができない。私は特に、過去に2度の大きな病気をしているから、なおさらである。この曲をあと何回、じっくりと聞くことができるのだろうか、と考える。

もしかしたら、これは演奏家も同じではないだろうか?演奏家の場合、練習を重ねて弾きこなせるようになる必要があり、その意味では、もっと事態は深刻である。音楽は一度限りのものだから、同じ時間を再現することもできない。だとすると、一度一度の演奏が、演奏家にも聞き手にも、時間という制約を意識させ、限られた時間を共有することの大切さを思い知らせる。この時間は二度と味わえないのだという共通意識が、そこに無意識に存在する。音楽の、いや命の儚さを潜在意識の中に持ちながら。

第5番「皇帝」の、これまで何度聞いたかわからない有名曲を、第1番以上に堂々と、溌剌と演奏する。華麗で、幸福感に満ち、淋しく、そして儚い。私自身、一体何度実演でこのわずか5曲の名曲を聴いたことがあっただろうか。第1番、第3番ではわずかに一回、有名な第4番や「皇帝」でも片手の指が余る。第2番に至っては、おそらくゼロ。そして、今後もこの調子だと、あと一回がせいぜい・・・。

「皇帝」のまるで天国にいるような第2楽章から、一気に突入する第3楽章への移行部分は、圧巻であった。シフのピアノは、確かに若い頃に比べると少し衰えているようにみえるものの、その分円熟した雰囲気があった。どの音もおろそかにせず、綺麗に聞こえてくる。ハンガリー人特有の、クリアで情に溺れないモダン性は、ディスクで聞く演奏と同じだった。 もしかしたら私は、あまりにシューベルトの印象が強いでいか、ベートーヴェンにもシューベルトのような、一瞬の内面を垣間見せるメロディーの変化を意識して聞いていたのかも知れない。

そう、私がシフに親しむきっかけとなったのは、デッカから発売されていたシューベルトだった。その演奏は今でも色あせないばかりか、未完成作品の多い作品を含め、ほぼすべての曲を網羅した全集は同曲のスタンダードとして広く聞かれている。

「皇帝」の第3楽章にける変奏の妙は、ゆったりと、そしてたっぷりと私を魅了した。これまで聞いてきたベルナルト・ハイティンクの指揮によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集は、ドレスデンのオーケストラのいぶし銀の響きと、テルデックの優秀録音によって、限りない魅力を湛え、名盤のひしめく同曲中のディスクの中では、最高位にランクされるものだが、たとえそれがシフ最高時の演奏を記録したものであったとしても、今日、コンサートホールで聞いたシフの生演奏は、私に様々なことを考えさせた。それは同じように年を重ねて行く私も、また音楽を楽しんで行きたいと思う共感にも似たものだった。

「皇帝」が終わっても冷めやらぬ拍手に応えて、何曲ものアンコールが演奏された。ここにその曲を順に書いていくが、驚くべきことはその最初が、何と協奏曲第4番ト長調の後半、すなわち第2、3楽章だったことだ。そしておそらくその演奏が、全体の中での白眉だった。第2楽章の例えようもないような静寂と緊張。その一音一音に神経が行き届いている。オーケストラとの阿吽の呼吸によって、この奇跡的なトランジションは、最高潮に達した。まるでそうと意図したように、コンサートの全体の最高点がそこにあった。なだれ込むような第3楽章。けれども老巨匠は今や、一音一音を大切にしながら悠然と音符を進めてゆく。

アンコールの2番目はピアノ・ソナタ第24番嬰へ長調「テレーゼ」全曲だった!この10分程度の曲を、聴衆は聞き入った。何かとても個人的なプレゼントをもらったような時間だった。何度も舞台に呼び戻され、オーケストラが去っても消えない拍手にひとり舞台に現れる。こういうシーンは、常にあるものではない。コンサートの模様はNHKによって録画され、来年にはオンエアされると掲示されていた。

会場を出るとビルの間を秋の風が吹いていた。早くもクリスマスツリーが広場に飾られ、そのそばのパブで、しばし友人とのひとときを過ごした。たっぷりと時間を過ごしたコンサートだったが、その音色のように湿度は低く、さわやかなコンサートだった。

2019年10月26日土曜日

NHK交響楽団第1923回定期公演(2019年10月25日サントリーホール、指揮:トゥガン・ソヒエフ)

ビゼーが若干16歳にして交響曲ハ長調を作曲したことを、神に感謝しなければならない。なぜならこんなに瑞々しい音楽を、今私たちは聞くことができるのだから。たとえ若書きの習作とは言え、この交響曲には他の作品にない魅力に溢れている。全編にみなぎる若々しい感性とエネルギー、そしてまるで春の南仏を思わせるような憂いに満ちたメロディー。その作品をビゼーは生前聞くことなく世を去った。

特に第2楽章のオーボエが歌謡性に満ちたソロを吹き、それをバイオリンが繰り返すときの、時がまるで止まったかのような世界は、何と例えるべきだろう?そんな音楽を、一度生の演奏で聞いてみたいと随分前から思っていた。そうしたら、いま私がもっとも贔屓にしているロシア・北オセチア出身の指揮者、トゥガン・ソヒエフがN響定期で演奏することがわかり、私は迷わずチケットを買った。嬉しいことに、ベルリオーズの作品(「ファウストの劫罰」から「鬼火のメヌエット」「ラコッツィ行進曲」、それに交響曲「ロメオとジュリエット」からの抜粋)、さらにはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」までもが演奏されるというお得で豪華なオール・フレンチ・プログラム。場所はサントリーホール。

ソヒエフは先週ロシア・プログラムを聞いたばかりだが、いずれも細部にまで神経を行き届かせ、曲の持つ魅力を最大限に引き出しながら組み立てる構成力の天才的な才能に唖然とするばかりである。タクトを使わない、一見わかりにくそうに見える指揮姿からは、想像できないような音楽が聞こえてくる。あたかも初めて聞くかのような錯覚を随所で経験することになる夢のような時間は、どんな曲についても当てはまる。その様子から「魔術師」といった声まで聞かれるが、今回の4つの作品の演奏もまたそのようなものだった。

「ファウストの劫罰」からいつもとは違う輝きを放つN響の音色に満ちていたが、私にとっての最大の白眉はビゼーの交響曲で、この曲の魅力がいかに引き出されてゆくのか、別に引き出されなくても十分魅力的なのだが、さてその演奏はいかに?期待が高まった時に流れ始めた音楽は、丁寧でしかも新鮮さを十分に保ち、ほれぼれするような半時間だった。

ビゼーの交響曲の演奏には、簡単に言って速い演奏と遅い(標準的な)演奏があるように思う。アバドやオルフェウス管弦楽団、古くはマルティノンによる颯爽とした(速い方の)演奏が、従来の私の好みだった。泉から湧き上がるような第1楽章こそ理想的だと考えていた。ところが最近は歳をとったせいからか、もう少しゆったりした演奏がむしろ好ましいとも思い始めていた。そしてソヒエフはまだ若い指揮者だが、むやみに速くしたりはしない演奏だった。実際これまでに聞いた他の曲でも、テンポに関する限り常に中庸であり、どこかのフレーズを強調したりといった外連味を示すこともほとんどなく、むしろ極めて標準的とも言える。

にもかかわらずソヒエフの指揮する音楽は、すべてが新鮮で音楽的である。演奏家もどう操られていくのか、まるで魂が乗り移ったようにいい塩梅となる。そのアンサンブルの素晴らしさがサントリーホールだと2階席でも非常によくわかる。音に濁りがなく、綺麗なことも特徴だ。特にフランス音楽の明晰な音色には威力を発揮する。そしてビゼーの交響曲の第2楽章の美しさといったら!私はうっとりとオーボエのソロに聞き入り、白内障でそもそもよく見えない舞台も、さらにかすんで夢のように見える。もしかしたら涙さえ出て来たのかも知れなかった。体を揺らすソリストに合わせて、こちらも体がくねる。

このようにして第3楽章のトリオを含む印象的な部分も夢心地のまま進み、第4楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェに至ってはもう魔法のような時間だった。どの音も他の音と違っているのは見事と言うほかはない。弦楽器が主題を再現する時、音色は明らかに変わっていた。その微妙な違いは調性によるものだろうか。私にはよくわからないが、いずれにせよ非常に細かい部分にまで神経を行き届かせ、短時間で自分の音楽にオーケストラを染め上げてゆくのは、並大抵のことではないはずだ。N響との長いつきあい、相性にもよるのだろう。それに比べると過去の名演奏とされるものでも、よく聞けばフレーズが曖昧なままにされているものは多い。

このような演奏だから、休憩を挟んで演奏されたドビュッシーの短い曲「牧神の午後への前奏曲」が、精緻に満ちた素晴らしい演奏であったことは言うまでもない。様々なソロの中でもとりわけ活躍するのは、この曲ではフルートである。様々な音色の楽器が組み合わせを変えて千変万化するフランス音楽を、これだけの集中力と余裕を持って聞かせるのは並大抵のことではないとも思う。前半ではやや不安の残ったホルンなども、ドビュッシーでは見事であり、鉄琴やハープも入って静かで美しい時間が過ぎて行った。

プログラムの最後は35分間にわたって、ベルリオーズの交響曲「ロメオとジュリエット」からの抜粋が演奏された。この曲はそもそも歌入りの長い作品だが、ここでは管弦楽のみの部分が演奏されたようだ。私は原曲を一度しか聞いたことがないので、どの部分がどうだったかを記すのは難しい。ただここでのN響の音は、この曲の間中ずっと、大変に見事であった。どの音のどの瞬間も、これ以上ないくらいに磨かれ、そしてブレンドされていた。前半に打楽器も活躍する派手な部分があり、後半にもあるのかと思っていたが、何か曲が尻切れて終わったかのような印象を残した。これは抜粋プログラムの宿命だとは思われるが、ちょっと残念でもあった。

非常に大きな拍手に何度も呼び戻されるソヒエフとオーケストラは大変満足そうな表情で、もっとずっとこの音に浸っていたいと思わせる演奏会も、気が付けば9時を過ぎており、足早に会場を後にした。ここのところの東京はずっと気候が悪く、今日も冷たい雨が降っていた。ソヒエフには指揮してほしい曲がいくつもある。思い浮かぶだけでも「展覧会の絵」「ペトルーシュカ」「ハンガリー狂詩曲」「スラブ舞曲」あるいはレスピーギ…。できればN響の音楽監督、あるいは次期首席指揮者に、という思いを持つリスナーは多いだろう。だが今や彼はあまりに有名で、スケジュールを拘束するのは大変な指揮者になりつつある。大指揮者になったときに、かつて若い頃よくN響で聞いたなあ、などと話すのが楽しみである。もっともその頃まで、私が生きていればの話なのだが。

2019年10月20日日曜日

NHK交響楽団第1922回定期公演(2019年10月19日NHKホール、指揮:トゥガン・ソヒエフ)

ロシアの若手指揮者トゥガン・ソヒエフは、N響と最も相性の良い指揮者のひとりであり、もう5年も連続で指揮台に立っているらしい。私もあるときテレビで一目見て、これは良い指揮者に違いないと直感してから、もう4年連続で定期公演に通っている。手兵のトゥールーズ・キャピトル管弦楽団との公演を合わせると、もう6回目である。どの公演も、まるで初めてその曲を聞くような新鮮さに溢れ、細かい音符の隅々にまで神経を行き渡らせた音楽は、いっときも飽きることなく引き付けられ、深い感動と音楽を聞く喜びに溢れた好演であった。最近ではベルリン・フィルを始めとするメジャー・オーケストラへの客演もしばしばのようで、その躍進ぶりが納得できる。

今シーズンの客演は10月の2公演で、両公演とも魅力的であり、どちらに行こうかと迷っていたところ、サントリーホールのB公演にもチケットがあることがわかり、結局、両方とも出かけることにした。A公演の井上道義の分を含め、今月は3公演とも聞きに行く予定である。N響を聞き始めて四半世紀以上になるが、こういうことは初めてではないか。

しかもオーケストラはやはり前方で聞くに限る。NHKホールの場合、これがなかなかむつかしく、両翼はやはり音が悪いし、正面になると奥まって来る。唯一、1階正面がいいとは思うが、ここは傾斜が緩く、幅も狭いので少し窮屈である。来年度にはNHKホールの改装が予定されているから、少し改善するならいいのだが(この間の定期公演A,Cプログラムは、東京芸術劇場で行われるようだ)。

さて、台風19号が猛威を振るって東日本を駆け抜け、大きな被害を出してから1週間が経過した。さすがに10月ともなると少し秋めいては来たが、まだどこか天候が不順である。天候が定まらない雨季と乾季の入れ替わる時期に、なぜかチャイコフスキーの音楽がよく取り上げられる。悲愴交響曲などは6月によく聞いたものだった。今回のソヒエフによるロシア・プログラムでは、第4番の交響曲が取り上げられた。この曲は、チャイコフスキーが作曲した7曲の交響曲の中では、比較的良く取り上げられる方だと思う。その内容は、抒情的な第1楽章と第2楽章、ピチカートと管楽器のみによる第3楽章、そして爆発的な第4楽章と言った風に特徴があり、親しみやすい側面がある。だが私は、何かチャイコフスキーの不安定な情緒が反映している感じがして、あまり好きになれない。CDで通して聞くことなどほとんどない。

実演なら、とは思ったが、実はコンサートでもほとんど初めてである(一度、アマチュアのオーケストラで聞いている)。そして、2管編成のオーケストラから出てくる音楽もどことなくくすんでおり、チャイコフスキーの他の色彩的な音楽(例えば「白鳥の湖」は私が最も好きな作品だ)に比べると、どうしても見劣りがしてしまう。そういった面をはねのけ、ソヒエフがどうこの曲を料理してくれるか、そこがポイントである。

ソヒエフによるチャイコフスキーの交響曲第4番の印象は、曲のどうしようもない不安定さを克服し、非常に明快でしかも聞きどころを押さえた演奏だったということだ。演奏の観点では、これ以上の巧さを望むのは難しいと思う反面、そのことが曲の持つ味わいの浅さを露呈したような気がする。そしてNHKホールの音響空間的限界もまた、その結論に貢献してしまっている。もっとも大きなブラボーが沸き起こったのが3階席であることが、もしかしたらこのことを示している。これらの安い席では、最初から音の悪さ覚悟して聞いているからだ。

ソヒエフの指揮するN響のアンサンブルについては、もう何も言うことはないであろう。冒頭の金管楽器のハーモニーも無難にこなし、時折覗かせるオーボエやファゴット、あるいはフルートの印象的なフレーズにもあっけにとられる。指揮にメリハリがあって、特に終楽章のコーダなどは、技ありの圧倒的な迫力だった。

多くの人がより感銘を受けたと語るチャイコフスキーの第4番だが、私はむしろ前半のラフマニノフにより感銘を受けた。ピアノにアメリカ生まれのニコラ・アンゲリッシュを迎えての「パガニーニの主題による狂詩曲」である。この曲をこれほどにまで味わったことはなかった。第18演奏の甘美なカンタービレが突出して印象的なこの曲は、1934年、ストコフスキーが指揮するフィラデルフィア管弦楽団によって初演されている。

アンゲリッシュというピアニストを聞くのは初めてだったが、聞いた最初の印象は、ピアノの音がとても大きくてはっきりと聞こえるということ。もしかしたら聞いた位置によるからではないかとも思うが、まずとても音がよく届き、オーケストラとうまく合わさっている。そしてオーケストラのリズムと溶け合って、ロシア的でありながらしばしば都会的な雰囲気を持つラフマニノフの面白さが味わえたことだ。もしかしたら少し物足りないと感じた人もいるだろうか。70パーセントくらいの力でこの曲を弾いていたのかも知れないし、まあ素人が変な詮索をするのは良くないことだ。ただ私はそういう演奏にも関わらず、私は非常にこの曲を楽しみ、そして感動した。

ソヒエフの指揮するオーケストラの、時に深く立ち止まって目いっぱい静かに奏でるメロディーに、私は深くため息をついた。そこにピアノもうまく合わされていたのかも知れない。どの変奏も味わい深く、このな部分もあったのかなあという発見に満ちていた。もちろん第18演奏も。待ってましたと固唾を飲む聴衆に、しっとりと甘いメロディーが押し寄せてくる。意外にあっさりとした演奏には、よりロマンチックなものを期待する人もいたとは思う。アンゲリッシュはまだ50歳にも達していないとは思われないような老練な足取りで何度も現れ、ショパンのマズルカからの1曲をアンコールした。

ソヒエフの音作りが冴える演奏会。冒頭のバラキレフによる「イスメライ」(リャブノーフ編)という10分足らずの曲については、私は初めて触れる曲だったのでよくわからないのだが、ラフマニノフの音楽に酔い、チャイコフスキーの演奏に納得した今日のコンサートだった。

来週はBプログラムをサントリーホールに聞きに行く。私にとってはこちらが本命で、大好きなビゼーの交響曲ハ長調や、ソヒエフの精緻な音色がこだまするドビュッシー、それに生誕150周年のベルリオーズの作品が取り上げられる。路面の濡れた公園通りを下って渋谷へと向かう。いつもの雑踏の中に緑のシャツを着た外国人が多いのは、ラグビー・ワールドカップの準々決勝(アイルランド対ニュージーランド戦)が行われているからだ。

2019年10月19日土曜日

NHK交響楽団第1921回定期公演(2019年10月6日NHKホール、指揮:井上道義)

ほとんどの曲をレコードやCDで最初に聞いていた若い頃とは違い、最近でははじめて聞く曲も実演から、ということが多くなった。音楽の聴き方が多様化し、どのような音楽でも手軽に聞けるようになった時代にもかかわらず、私のようなこの傾向は、音楽の伝統的な聴き方に回帰している現象である。皮肉なことに、実演で聞かなければ、おそらく二度と聞く機会を持たなかったであろうと思うことがよくある。実演で聞くことがその曲を知るきっかけとなり、そこでストリーミング配信などの新しい聞き方が加わって、音楽生活がより楽しくなる、というのが続いている。聞き古した曲でも、ライブ演奏によってはじめてその魅力に接するようなことが、実のところ多い。音楽とはやはり生に限ると思う所以である。

フィリップ・グラスの「2つのティンパニ奏者と管弦楽のための協奏的幻想曲」という、わずか20年前に初演された作品も、そして、この日の後半のプログラムで演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第11番ト短調「1905年」という作品も、私にとって初めて触れる作品だった。後者、すなわちショスタコーヴィチの交響曲は、今ではかなり演奏され、名演とされるディスクも数多く存在する。かつては第5番しか話題に上らなかったこのソビエトの作曲家も、そのソ連邦の崩壊に伴って「解放」された数々の作品が、普通に演奏されるようになって久しい。にもかかわらず、私は今日、コンサートで聞くまでちゃんと聞いたことはなかった。

フィリップ・グラスは、難解な曲の多い現代音楽においてひときわ異彩を放ち、しかも親しみやすい作曲家だと思う。これまでヴァイオリン協奏曲やいくつかの管弦楽作品を聞いて来たが、そのどれもが親しみやすくて興奮に満ち、一種の陶酔的な感覚にも染まっていくような、まるでスポーツのような音楽である。「ミニマル音楽」と呼ばれる領域の代表でもあるグラスは、ティンパニ協奏曲というのを書いた。ここで使われるティンパニは2台。今回のN響の定期公演では、N響の2人のティンパニスト、植松透と久保昌一が舞台の最前面、指揮者を挟んで左右に並んでいた。

通常オーケストラの最上段にいて、4つ程度の太鼓を叩いているのは通常の光景だが、今回二人が叩く太鼓は、それぞれ6種類から8種類もあって、奏者のまわりをぐるりと囲んでいる。私は生まれて初めてストラヴィンスキーの「春の祭典」を聞いた時、ティンパニ奏者が二人もいることに興奮を覚えたが、いまではそんな作品は珍しくない。たった一人の奏者が叩くティンパニでも、「第九」や「幻想」のような作品では、ここぞとばかりにティンパニの切れ味鋭く、目いっぱいその音を轟かせるとき、ただならぬ緊張と予感を感じざるを得ないのだが、そのようなティンパニ奏者が二人もいて、しかも曲の最初から最後までリズミカルに掛け合い、360度あらゆる方向からこの楽器を鳴らしまくる音楽の、その楽しさと言ったら何だろう。

一種のラテン的なリズムにも通じるようなメロディーで始まる第1楽章は、見とれているうちにあったいうまに過ぎ去り、緩徐楽章へと進んでもその面白さは失われない。オーケストラの中の数多くの打楽器群、あるいは金管楽器との溶け合いも面白いが、ティンパニ協奏曲となると普段は管楽器に集中する耳も打楽器を中心に聞いているから面白い。そのティンパニ2台によるカデンツァは、第2楽章の終わりに位置している。

叩いているだけとはいえ、打楽器奏者の職人技が堪能できるが、これだけ多くの太鼓を、何種類ものバチを取り換えつつ一気に聞かせる技も圧巻である。指揮者の井上道義が楽しそうに合わせている様子は、3階席からもよく見える。

カデンツァから続く第3楽章は一気に早いリズム(♩=176となっている)による4拍子と7拍子が交錯したアジア的祝祭感に満たされた曲(解説による)。そういえばそう聞こえるが、私は初めて聞いた時は、どこかラテン的な感じがした。私はこの興奮に満ちた曲をもう一度聞いてみたくて、Spotifyへアクセスした。すると、NAXOSから発売されているカンザス大学管楽アンサンブルによる演奏がみつかったので、それを聞いている。YouTubeでも見られるので、映像のほうが楽しいだろう。やはり実演で接した演奏に、ネットであとからフォローする、というのが専ら私の最近の聴き方である。

さて。井上道義という指揮者は、私にとって少し不思議な指揮者だった。これまでの実演は3回。いずれも悪くはないのだが、かといって心に残らない。最初に聞いた東フィル定期でも、そのモーツァルトの音色の綺麗なことには驚いたが、それだけ。2回目のマーラー(一千人の交響曲)では、圧倒的な熱演ではあったがどこか心に響かない。それはつまりどういうことかと自問自答するのだが、よくわからない。けれども今回、ショスタコーヴィチの交響曲を聞いて、もしかしたらこれは指揮者の音楽を体現するオーケストラの力量に問題があったのではなかったのだろうか、と思った。このたびのN響との演奏は、N響の過去の名演奏と比較しても十指に入るような驚くべき名演奏で、それは個々人のソロだけでなく、アンサンブル、そしてそれを統率する指揮者の並々ならぬ集中力によってもたらされた神がかり的なものだった。歴史的演奏と言っても過言ではない。

その様子をここに記すことは、たやすいことではない。私の文章力と、それに何といってもショスタコーヴィチの交響曲に対する浅い理解では、とうてい太刀打ちできないものだからだ。ただそういった予備知識なしでも、今回の演奏の尋常ではない興奮ぶりは伝わって来たと思う。会場にいた聴衆の、普段は醒めた拍手を常態とする、年配者中心の日常が、どういうわけかあっけにとられて、そこに沸き起こる最大級のブラボーの嵐に大きく凌駕されてしまったのだ。

コンサート・マスターはライナー・キュッヘル氏だった。前半のプログラムに合わせてやや奥まった場所に位置するオーケストラが、広大なNHKホールでは少し小さく見える。「1905年」の第1楽章は、静かでゆっくりとしたイントロダクションで始まる。これは冬のサンクトペテルブルクの宮殿を意味しているのだ。弱音器を付けた不気味なトランペットのファンファーレ。このモチーフは今後しばしば登場する。

「1905年」とはロシア革命の発端となった「血の日曜日事件」を意味する。ここで平和的なデモ行進を行う民衆に向かって銃口を向ける皇帝軍。それは後のロシア革命へと続く皇帝の権力の失墜を意味していた。革命はデモによって開かれ、成し遂げられた。6万人とも10万人とも言われるデモ参加者のうち、何千人が死亡したかはわからないようだ。ロシア革命はソビエトを樹立させ、以降、半世紀にわたって社会主義諸国のリーダとして君臨することとなる。

だがこの曲は、1957年に初演されている。この頃のソビエトは、スターリン死後フルシチョフが登場し、東西の「雪解け」が叫ばれた時代だった。だがそのような中、ハンガリー動乱を鎮めるべく出兵した事件は、私も教科書で習った。ショスタコービッチがこの交響曲に込めた思いは、今一度革命の原点を振り返り、スターリン以前の社会主義理念へと立ち返ろうとしたからだ(それがたまたまハンガリー動乱重なって予期せぬ政治的含意そ示唆することとなった)という(コンサート解説書「Philharmony 10月号」より要約)。

従ってこの標題音楽には数々の革命歌が引用されている。その具体的な曲名は、数々の解説書に詳しいのでここでは割愛するが、中学生の頃、モスクワ放送などを趣味で聞いていた私でもなじみのあるものはない(むしろこの当時のモスクワ放送ではショスタコーヴィチのような音楽はあまり流れず、チャイコフスキーやロシア民謡が多かった)。

1時間にも及ぶ音楽は続けて演奏されるから、静かな第1楽章が言わるといつのまにかアレグロの第2楽章へと入っている。井上は一糸乱れぬアンサンブルでここの巨大な音楽的描写を進ませる。それは民衆の請願行進を意味する行進曲であり、そして一斉射撃、壮絶な死へと転落してゆく。

音楽は切れ目なく第3楽章のアダージョへと続く。ここは死者を追悼するレクイエム。そしてやがて革命への音楽へと変わっていく。怒涛のような音楽、打楽器を多用した賛歌と行進曲、圧倒的なクライマックス、高らかに歌われる社会主義賛歌。これらが混然一体となってアンサンブルを形作る。井上の集中力は、神がかり的と言ってもいい程に研ぎ澄まされ、オーケストラがそこに食らいついていく様は、3階席にも怒涛のように押し寄せてゆく。見ていて、何か目のくらむような錯覚と、そしてそれに負けまいとする精神力がこちらにも必要となる。

だがこれで曲が終わるわけではない。第4楽章はこういった賛歌であると同時に、同時に帝政ロシアに対する警鐘を意味しているという。そのメロディーは後半に登場するイングリッシュ・ホルンのソロによって明確に表されている。N響のオーボエ主席が持ち替えて奏でるイングリッシュ・ホルンの響きは、何と印象的なことか。いやそれだけでない。この日のN響の、時に不安定さを見せる金管がほぼ完ぺきと言っていい出来栄え。私はこんな演奏を聞いたことはない。弦楽器のN響が、重厚でいまやヨーロッパの第一級のオケに引けを取らない水準にあることは、だれも疑わない事実である。

コーダで再び行進曲がクライマックスを築き、途切れるように音楽が終わると、会場からどっとブラボーの声が噴き出した。私はこんな興奮に満ちたN響定期を知らない。楽団員も指揮者も、そして客席も、疲れ果てたと同時に何かをやり切った充実感のようなものが感じられた。何度も呼び出される指揮者は、長い手を振りながらバレエダンサーのように客席を振り返った。彼はまたオーケストラの楽団員の中に分け入って各奏者と握手を繰り返し、その時間は10分以上は続いただろう。私はこの演奏を、テレビで見てみたい。細かい部分まではさすがに3階席ではよくわからないからだ。だが、このような興奮は、おそらくテレビでは伝えきることはできないと確信する。ショスタコーヴィチが自分自身だと語る井上の面目を見た今日のコンサートは、定期としては1回限りだった。だが、他の作品においても同様な演奏が期待できる井上に、是非、他の曲も振ってもらいたい。おそらく同じ思いを、その場に居合わせた聴衆は感じただろう。

蛇足ながら一言。私はこの演奏を聞きながら、あの「天安門事件」を思い出した。人民解放軍が、歴史上はじめて民衆に発砲をしたのだ。あれから30年が経過したが、不安な世界情勢は変わっていない。共産主義と資本主義が「1国2制度」というまやかしのもとに存在する中国では、香港で民主デモが毎日のように行われ、そに向けた当局の締め付けは一層激しさを増しているようだ。社会主義の誕生からまだ1世紀を経てもいない世界で、社会主義運動そのものが博物館入りを果たしたのだろうか。ショスタコーヴィチを聞きながら、格差のますます拡大する今の世界に照らして考える時、その複雑な情勢は私の心を一層暗鬱なものにさせてる。

2019年10月15日火曜日

読書ノート:「宝島」(真藤順丈、2018)

生まれ故郷の大阪、あるいは関西を舞台にした小説のいくつかに限って、このブログにその感想などを書き記してきたが、この「宝島」についてはどうしても触れておきたいという思いが、読後半年以上たっても冷めやらず、次第に記憶が薄くなってしまう前に、思いついたことなどを書いておこうと思った。初めて読んだ沖縄の小説。しかも戦後の占領地時代を舞台にしたもの。正直に言おう。基地問題や戦争の爪痕を考えるという意味で、これほど気乗りしないものはなかった。沖縄の問題は、本土に住む日本人にとっても、他人ごとではない重みを持っている。だが、そのことに正面から向き合い、正しく理解しようとすればするほど、その難しさ、どうしようもない重さを思わざるを得ない。つまり早い話が、避けて通りたくなる。

基地問題、あるいは沖縄問題を扱ったルポやノンフィクションは少なくない。だが、それらは、すでに沖縄問題に関心を抱いている人にはアピールしても、そうではない普通の人々には、なかなか伝わらない側面を持っているように思う。沖縄に関係の深い人、あるいは沖縄の人によってこれらが語られることは重要ではあるが、一方で沖縄に全くと言っていい程縁のなかった作家がいて、彼が沖縄の方言を駆使しながら見事な小説を書いたのだ。

作者は真藤順丈。東京生まれ東京育ちの彼が、どうして沖縄を舞台にした小説を書き、その鮮やかなタッチで感動的な作品を生み出すことになったかは、実のところよくわからない。この直木賞を受賞した作品が持つ意味は、しなしながら非常に大きい。沖縄に縁のない小説家が書いた沖縄の物語は、勿論小説である。そのことが沖縄問題を考えるうえで、大層身近に感じられるのである。ストーリーはフィクションだが、そこに登場する人々は実在だった人物もいるし、それに本作品はSFではない。従って、戦後の沖縄はこんなふうだったのだと説得させるものがある。その残酷なまでの事実を、作者は若者の群像の中に生き生きと描き出す。その文章の迫力。

私はこの小説を家の近くの書店で購入しようとしたときの店員の顔が忘れられない。「あなたもこの小説を読むのですね!」という共感に満ちた表情が見て取れた。分厚い小説も読み進むと次第にその力に体が馴染んでいく。さながらスポーツのような感覚である。

登場人物はコザの「戦果アギヤー」のリーダー「オンちゃん」と弟の「レイ」、親友の「グスク」、そして恋人の「ヤマコ」。「戦果アギヤー」とは米軍基地に忍びこんで、物資を略奪することを生業とする人たちで、占領下にあった沖縄ではこういう人たちが、地元のヒーローだったようだ。舞台はその「戦果アギヤー」たちが、夜の嘉手納基地に忍び込むところから始まる。

私はここで物語の内容を書きたいとは思わない。これから読む人に対し、いわゆる「ネタばれ」をしてしまうことは避けたいという理由もあるが、他にも多くの書評などが出ているだろうから、敢えてそれを繰り返す必要はないと思う。私はいつも聞いていたラジオ番組の書評のコーナーで、アシスタントの女性アナウンサーがこの小説を読み始め、まだ三分の一ほどだけど興味深くなってちょっと何か引き込まれていくのです、というようなことを語っていたことが、この小説を知るきっかけとなった。直木賞の受賞作は芥川賞と同時に発表されたので、芥川賞の発表会見中に直木賞の受賞が伝わり、「宝島」に決まったことに会見中の選考委員が敢えて触れ、「これはいい作品です」とコメントしたのをテレビで見たのを思い出した。

だが、読書の直接の引き金になったのは、意外なことだった。知り合いの子供が通う学校の図書だよりに、作者がその学校の出身だと紹介されていたことだ。早速私はこの500ページ余りに及ぶ単行本を買うために、書店へ赴いた。平積みされていたその一冊を持って帰り、毎日数十ページづつを読むことにしていたが、とうとう後半は一気に読み通すことになった。読後の感動は、何と表現したらよいのかわからない。ただ胸にジンジンと迫るものがあって、それが数日の間続いた。

沖縄の問題を扱いながら、その内容をこんな風に描いて見せることが、できるのか、と思った。そのさわやかな気持ちは、あの沖縄に吹く風のように暖かかった。抜けるような青空が、かえって戦地となった残酷な歴史を、静かによみがえらせるように、小説というものは、登場人物を通して、その複雑な問題を多面的に示すことになる。

沖縄市、というのがコザのことだが、ここの嘉手納基地の前の通りに行った時の雰囲気は私も忘れることができない。狭い路地を入る混むと、生活の匂いが立ち込める。その周りに広がる歓楽街が、終戦直後から続く植民地の雰囲気を残している。世界中の米軍基地の街、日本にも占領時代には国中に「基地の街」は存在し、今もっていくつかの土地はそのままである。だが沖縄の問題は、とりわけ複雑である。それは、琉球という独自の政治と文化を育んで来た歴史にも直結し、米国にも日本にも、どちらにも見捨てられるのではないかという思い、あるいはそのどちらでもないという誇り、そういった相反する感情の二面性。この錯綜した心理状況を語るうえで、小説ほど適したものはない。それを東京の作家がやった。そのことにこの小説の特別な意味があるだろう。

沖縄がたどった過酷な運命は、決して単純に説明できるものではない。だからこそ、個々の人間の、異なる人生によって様々な視点が存在し得る。同じ街で育った幼馴染が、「グスク」が警官に、「ヤマコ」が教師に、そして「レイ」はテロリストへと違う道を歩みながらも、同志として行方不明の「オンちゃん」を探し求めることに、それは端的に表れている。そして今でも米国軍人と日本人の間に生まれた人生の存在に気づかされる時には、実際に「ヤマコ」や「グスク」や、それに「ウタ」が、今でもそこに暮らしているような感覚にとらわれる。

読書を終えてから半年以上が過ぎた。今思い出して書けるのは、このくらいだ。読書直後だったら、もう少しいろいろなことが書けたようにも思う。記憶が風化していくのは残念でならない。だが、この小説を読み終わった時の、あの何とも言えないような気持ち・・・清々しくも泣きたくなるような・・・だけは、私が旅した3月の、快晴の風景と共に、まだ心のどこかに残っている。

2019年9月23日月曜日

NHK交響楽団第1919回定期公演(2019年9月21日NHKホール、指揮:パーヴォ・ヤルヴィ)

マーラーはとりわけ好きな作曲家だが、かといってマーラーばかり聞くわけではない。演奏会でも交響曲第5番のようなポピュラーな曲であっても、これまでに聞いた実演はたった2回だったと思う。ディスクではもう少し聞いてはいるが、それでもこのヤルヴィの演奏を聞いて、初めて聞く曲のような気持がしたのは実に不思議なことだ。

思うにこれまで聞いたヤルヴィ/N響による数々の演奏では、その曲の魅力を再発見することが多かった。マーラーで言えば、第1番「巨人」、第4番、ブルックナーの第3番などである。今回のマーラーの第5番もまた、全編それまで聞いたことのないような体験の連続で、それだけでこの演奏が類稀な名演奏であったことがわかる。会場を覆った聴衆からは、私がかつてN響で聞いたことのないような大きなブラボーが鳴り渡ったことからも、それは証明できる。

そのマーラーに行く前に、プログラムの前半に演奏されたリヒャルト・シュトラウスの歌劇「カプリッチョ」から「最後の場」について。シュトラウス最後のオペラとして名高い「カプリッチョ」は、上演に2時間余りを要する作品だが、室内楽的な精緻さを持つフランス風の作品である。私はまだ見たことはないのだが、ソプラノの聞かせどころの多い作品のようだ。シュトラウスはこの作品を自らの総決算と位置付けた。

その最後の場では、間奏曲「月光の音楽」から始まって、主人公マドレーヌ伯爵令嬢が歌うソネットにより締めくくられる。約20分のこの部分を、ルーマニア生まれのヴァレンティーナ・ファルカシュが歌った本公演で、私は見事に睡魔に襲われた。それは音楽が始まってすぐのことだった。隣の熱心な聞き手(背の高い彼はとりわけ大きな拍手をした)には申し訳ないのだが、もう片方の隣では、私よりも先に居眠りが始まっていたから、私はまだましな方だった。

おそらくその原因は、歌い手の少し物足りない歌唱にあったのではないかと思っている。1階席の最後尾ではあったが、音楽は直接響く位置にあって、そのことは歴然だった。ホルンを始めとするN響の音色は、とても繊細かつ饒舌だったことを考えると、この演奏は少し物足りなさを残したと思う。けれどもそれは、後半のマーラーと比較しての話かも知れない。実際、平均点は出ていたように思う。このマーラーは、現在聞き得る中で最高の演奏だったとさえ思うからだ。

そのマーラーの交響曲第5番は、やはりホルンが大活躍する。特に第3楽章の長大なスケルツォでは、第一奏者をわざわざ別の特別な位置に移動させ、その演奏を目立たせた。このホルンの上手さは、シュトラウスから始まって交響曲の序奏でも顕著だった。ホルンの音色が舞台のあらゆる壁に反射して増幅され(ホルンは聴衆とは逆の方向に音を出す)、それが耳元へ届く。ホルンがこんなにも印象深く聞えることはまれであり、しかもそのテクニックが冴えわたる様子は、我が国のオーケストラで聞くことはまずない。ところが今日のN響は全く違っていた。これはもう本場の演奏そのものである。

そればかりではない。金管のセクションの完璧な演奏は、トロンボーンやトランペットを含め、圧巻の出来栄えだった。木管楽器の、先を宙に浮かせて吹くシーンの多いこの曲で、その木管楽器の上手ささえも目立たなくさせてしまうような技術的水準は、楽器の弾けない私がいくら形容詞を並べたところで表現できるものではないだろう。そしてティンパニ!音の強さでつける表現の見事さ、そして第4楽章における印象的なハープ!

弦楽器のアンサンブルが最高度において合わされていたことはもやは言うまでもない。N響の中低音の素晴らしさは、それがまるで単独の楽器であるかの如くであり、ヤルヴィの、ややもするとケレン味の多い指揮に呼応して、見事な瞬間を作り出してゆく。そのライヴ感はちょっと興奮する。オーケストラを乗せてゆく感覚は、私の乏しい音楽経験で言えば、マゼールのような芸術的センスを思い出させるが、音楽はそれほどクールではない。とはいえマーラーの世界にどっぷりと分け入っていくタイプではないところが、好みとしての評価が分かれるところかも知れないが。

そういうわけで技術的な観点では申し分のない演奏は、随所に聞かせどころを多く捉えた見事なものだった。第1楽章から第4楽章まで、この曲はともすればただやかましい曲に聞こえるのだが、決してそうではない、十分に注意が払われ、音楽的な部分が見て取れた。まるで吹く風がすーぅと吹き抜け行くように鮮やかさなパッセージ、過去の記憶を蘇らせる一瞬の淋しさ、適度に緊張感を強めたり弱めたり、丸で魔法にかかったように音楽が変化するのを目の当たりにして、これは緩急自在な、どこか能や歌舞伎の世界にでも通じるような静と動の交わり。

このように第1楽章から第3楽章までは発見の連続だったが、有名な第4楽章アダージエットでも、その表現はため息がでる。そして圧巻の第5楽章。コーダでピタリと決まった時の興奮は最高潮に達した。もし私がこの日のコンサートについて、たったひとつ難点を言うとすれば、それはもはや音楽家についてでもなければ、聴衆についてでもない。1階席の構造上の問題である。N響のS席は1階と2階の中央にあるが、ここの席は前の方に行けば行くほど見えにくい。また席の傾斜が緩く、ただでさえ狭い隣との間隔が、前後においても同様になる。これを回避するためには、通路沿いの席に座ることだが、これはなかなかむつかしい。結果的に、背筋を伸ばして前の席の人の頭の間から舞台を窺うしかないのである。

後方の席は、音が目立って衰弱するから、結局どこで聞いても満足な達成感を得ることは難しい。サントリーホールであれば、おそらくこの問題は生じないだろう。けれどもN響のデッドな音は、むしろNHKホールの方が合っているというのが最近の私の印象だ。だが、それも前方の席に限られるのではないか。

私の2019~20年のシーズンは、このようにして始まった。N響の今シーズンの目玉は、10月のソヒエフ、12月のブロムシュテットと盛沢山。1月にはマーラーの「復活」(指揮はエッシェンバッハ)が、6月には第9番(同、ナガノ)がある。シュトラウスも1月には「4つの最後の歌」(ソプラノはオポライス)と「英雄の生涯」(指揮はルイージ)、5月に「アルプス交響曲」(同、ヤルヴィ)が控えている。とても待ち遠しい。

猛暑続きだった夏が去って、台風シーズンが到来。まだまだ不順な天候の続く今年の9月に、次第につらくなっていく我が身の健康を案じながら、渋谷へと続く並木道を歩いた。吹く風が木立をわすかに揺らし、湿気のある風が私の頬を撫でた。

2019年9月19日木曜日

スッペ:序曲・行進曲集(ネーメ・ヤルヴィ 指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)

私が生まれて初めて親しんだ曲は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲だった。小学校2年生の頃、初めて親に買ってもらった2枚組LPの先頭に、この曲が収録されていたからだ(アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団)。喜歌劇「軽騎兵」序曲は、小学校の音楽の時間に鑑賞する曲でもあった。教科書にその曲の内容が説明されていた。「騎兵隊が馬に乗って威勢よくやってくる。やがて戦死した兵士の墓に参り、しばしお祈りを捧げた後、再び勇壮に走ってゆく」。

中学生の頃になって、カラヤンがベルリン・フィルを指揮した演奏会(大晦日のコンサートだと思われる)のビデオがNHK教育テレビで放映された。ここでカラヤンは圧倒的な集中力で右腕をゆっくりと振り上げ、手首をくるりと回して拳を突き立てる。するとそこで演奏がピタリと止んだ。序奏の休止の直前。申し分のない演奏に、カリスマ的な映像。カラヤン美学の頂点が、ここに示されていた。ポピュラーな小曲でも真剣勝負で演奏する帝王は、ちょっと距離を置いてみると辛気臭いのだが、見とれてしまうのもまた事実である。カラヤンを主役とするこのようなビデオは、まだ映像作品が少なかった時代にも数多く作成され、今では少し古めかしくはなったが、YouTubeなどで簡単に見ることができる。あらゆる角度からフィルム撮影し編集をするという贅沢な作成過程によって、その迫力と演奏は、いまもって圧巻である。

スッペの序曲集はカラヤンも残しており、この他には「詩人と農夫」「ウィーンの朝・昼・晩」のような有名な曲も楽しい。思えば昔は、ウェーバーの「舞踏への勧誘」だとか、リストの「ハンガリー狂詩曲」だとか、シベリウスの「カレリア組曲」といった軽い小品集を、家族でステレオを囲みながら聞く団らんのひととき、といった時代があった。まだテレビはさほど普及しておらず、ゆっくりとした時間が流れていた。客人が訪ねて来て、レコードを聞くこともあった。テレビが普及した後でも、ドラマやスポーツ中継の合間に放送される演奏会を収録した番組が、週末の夜の楽しみだった。いやクラシックに縁のない家庭でも、洋画やクイズといった、家族共有の娯楽があったものだ。そんな時代が、バブルの時代を境に失われていった。

スッペの序曲集を聞きながら、そんなことを考えた。だが、この演奏は実はSpotifyで聞いている。指揮はネーメ・ヤルヴィ。彼はその録音したレパートリーの多さにおいて、カラヤンを上回るという。私はこの演奏を偶然見つけたわけではない。かつてレコード雑誌などで評価を聞き、購入リストに加えていたものだ。買ったつもりでいたのだが、実際に入手したのはサン=サーンスの管弦楽曲集であると、あとから気付いた。そんなディスクも、簡単に検索、聞くことができるのは画期的なことである。でもその演奏は、もはや誰かと一緒に楽しむこともない。たとえステレオ装置で鳴らしたとしても、音楽を生活の中心にして家族が同じ時間を過ごすことなどあり得なくなった。

代わって音楽の時間を共有するのは、実際のコンサートである。J-POPのような音楽でも、コンサートが占める売り上げが、のびている(このあたりは「ヒットの崩壊」(柴邪典・著、講談社現代新書)」に詳しい)。考えてみれば、これはそもそも音楽を楽しむ手段として、真っ当なことのように思える。音楽とは基本的に、ライヴだからだ。媒体によって楽しむ音楽は、本物の音楽ではない。それを疑似的に楽しんでいた時代は、ここにきてライブという本来の音楽のスタイルをもう一つの中心に据えることによって、本来の音楽の魅力を取り戻しつつあるようだ。無人島へ行くなら仕方がないが、そうでなければ、音楽はライブに限る。

とはいえ、スッペの音楽を生で聞く機会は、大変に少ない。ネーメ・ヤルヴィは時々来日して演奏を聞かせているが、スッペの序曲ばかりを演奏してくれることはまずない。だからSpotifyで聞く意味があるとも思える。スッペの序曲なんて、誰が演奏しても同じではないか、という人もいるかも知れないが、この演奏はちょっとした名演奏だと思う。知らない曲が、次々と出てきて嬉しくなってくる。その合間に、有名曲ももちろん混じっている。「軽騎兵」「美しきガラテア」などだ。

この他に、例えば「ボッカチオ」の行進曲などは、今はなきスポーツ中継の開始音楽のように楽しいし、「軽快な変奏曲」は学生歌「Was kommt dort von der Höhe?(あそこの山から来るのは誰?)」による変奏曲だが、この歌はまたブラームスの「大学祝典序曲」にも使われている。ブラームスはこの曲を「スッペ風のポプリ」と呼んでいたそうだが、ここに意外な接続点があるのがわかって面白い。

愉快な発見はまだ続く。喜歌劇「ファティニッツァ」の主題による行進曲には、シューベルトの「軍隊行進曲」のメロディーが使われている。このように良く聞いてゆけば他にも多くの作品からの転用があるのかも知れない。何せ作品集を見ていると、「フランツ・シューベルト」とか「ヨーゼフ・ハイドン」といった名前のオペレッタまであるのだから。「美しきガラテア」はオッフェンバックの「美しきエレーヌ」に対抗して作曲された経緯もある。ここで同年生まれの二人の作曲家の接点があるというわけである。

ストリーミング配信時代に心配なことは、こういった音楽がCD販売を前提に録音されてきたことだ。その昔、それはまとまった曲の単位を、それなりに時間をかけて練習し、収録したものだろう。だからこそスッペの序曲集も、そのまとまりでリリースされた。だが、何千万曲もあるライブラリの中から、どうしてわざわざスッペの序曲ばかりを聞く人がどれだけいるというのだろうか。しかもそれがヤルヴィの演奏である必要があって、なおかつ、その時間を割くことのできる人が、今後新たに生じる可能性はあるのだろうか。

インターネットの時代になって言われた「ロングテールの法則」というものは、目立たない商品にも触れる機会が平等に与えられることによって、むしろこれらにも一定の売り上げが増えることであり、これまで見向きもされなかった音楽や演奏にも一定のマニアがアクセスできるようになることで、新たなマーケットが誕生するというものだった。だが、この考え方は間違っていたのだろうか。ネットの時代、ますます人は同じものを経験したがり、消費したがる。結局、かつてラジオで一生懸命リクエスト曲を書き送っていた時代よりもはるかに、ごく少数の対象に消費が集中する時代となった。これは文化の衰退に他ならないのではないか。多様性こそ、文化を発展させる基礎だと思う私には、ますますつまらない時代になりつつあるという感が否めない。まあ、私が生きている間だけは、古いものを楽しんでいくしかない、というわけだ。


【収録曲】
1. 喜歌劇「軽騎兵」序曲
2. 喜歌劇「ボッカッチオ」序曲
3. ボッカッチオ行進曲
4. 喜歌劇「スペードの女王」序曲
5. 愉快な変奏曲(学生歌「Was kommt dort von der Höhe?(あそこの山から来るのは誰?)」による)
6. 喜歌劇「詩人と農夫」序曲
7. 喜歌劇「ファティニッツァ」の主題による行進曲
8. 喜歌劇「モデル」序曲
9. 演奏会用行進曲「丘を上り谷を下って(いたるところに)」
10. 喜歌劇「イサベラ」序曲
11. 喜歌劇「美しきガラテア」序曲
12. 行進曲「ファニータ」
13. 喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲

2019年9月15日日曜日

オッフェンバック:序曲集(ブルーノ・ヴァイル指揮ウィーン交響楽団)

今年はオッフェンバックの生誕100周年である。ドイツ生まれでありながらフランスに帰化したこの作曲家は、オペレッタの原型を作ったと言われている。そのオペレッタ作曲家として有名なスッペもまた同じ1819年の生まれで、こちらはウィーンで活躍した人である。私はウィーンを旅行した時、意外にもスッペのお墓が大作曲家に混じって堂々と建っていたのを覚えている。
だから今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでは、2人の作品がそれぞれ最低1曲は演奏されるものだと思っていた。喜歌劇「天国と地獄」序曲(オッフェンバック)や喜歌劇「軽騎兵」序曲(スッペ)は、かつて取り上げられたこともあったから、私は楽しみにしていたのだが、どういうわけか今年の指揮者ティーレマンは、これらの曲を取り上げることはなかった。

私はオペレッタのような、洒落た気品をただよわせつつも下世話な話が満載の芝居は大好きであり(松竹新喜劇などを思い出す)、またその音楽がさほど難しくなく、簡単に歌えるようなメロディーで甘く切なく、時には乱痴気騒ぎもあるという庶民性こそ大歓迎な聞き手である。同じような人は、意外に多いような気がしているが、クラシック好きというのは、オペレッタを少しランクの低い音楽とみなす習慣があるため、オペレッタなどは人に知られないよう、こっそりと楽しむべきもののようである(私の友人の父親は、音楽家としても有名な家系だったが、その方が無くなって久しい時期に、彼の自宅を訪れたとき、ラックに並んでいた数千枚のLPの中に、少なからぬ枚数のウィンナ・ワルツやオペレッタ全曲盤が存在していたのを、心から嬉しく思った)。

そのオペレッタ音楽の代表格とも言えるオッフェンバックが作曲した数々の作品から、有名な曲を抜き出して集めたCDが、私のオペレッタ・ディスク第1号だった。演奏はウィーン交響楽団、指揮は何とブルーノ・ヴァイル。SONYにハイドンなどの作品を、古楽器オーケストラ(ターフェルムジーク)で残した大御所による演奏と聞いて、これは面白いと思った。実際そうだった。ここでウィーン響は、真面目にこれらの作品を演奏し、録音も素晴らしい。

どの曲も前半は威勢のいい序奏に始まって、ゆったりと美しいメロディーが続くと、途中から何やら動き出したくなる様子。ついに乱痴気騒ぎのような軽快な行進曲に写るという展開。「天国と地獄」と同じだと思えばいい。オッフェンバックは愛すべき歌劇「ホフマン物語」を作曲したことで知られ、その音楽には私は何度も触れているが、100曲にも及ぶと言われる喜歌劇については、これらの序曲を除けば、一度も触れたことはない。


【収録曲】
1. 喜歌劇「鼓手長の娘」序曲
2. 喜歌劇「天国と地獄(地獄のオルフェ)」序曲
3. 喜歌劇「美しきエレーヌ」序曲
4. 喜歌劇「青ひげ」序曲
5. 喜歌劇「ジェロルスタン女大公殿下」序曲
6. 喜歌劇「ドニ夫妻」序曲
7. 喜歌劇「パリの生活」序曲
8. 喜歌劇「ヴェル=ヴェル」序曲


2019年9月9日月曜日

Fête à la Française(シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団)

何度か書いたように、かつて小遣いを貯め、1ヶ月につき1枚まで、などと決めてカタログにいくつかのの目印をつけ、週末になると朝から都会のショップへ出かける。何時間もそこで過ごしながら随分迷ったあげく、次第に聞きたいCD数点と値段を見比べて、目的のうちの1枚あるいは予算内でもう1枚を選別する。そういった、期待と興奮に満ちたひとりで過ごす美しい行為は、Spotifyのようなストリーミング配信の普及によって、完全に過去のものとなってしまった。今ではCDの再生すら困難な時代になりつつある。CDを売る店はほぼ消滅し、CD再生機もほとんど売られていない。一世を風靡したウォークマンやiPodのような再生機でさえ、そこにダウンロードして持ち歩くスタイルが古いものとなった今、変革を迫られている。
ストリーミング配信がもたらした夢のない生活は、私たちの音楽生活を変えようとしている。かつて一生懸命集めたディスクが、いとも簡単に無制限に再生できるというショッキングな出来事も、そのまま外出先でも聞けるというのは、見方を変えれば便利なことであり、かつて候補に挙げながら購入を見送った数多くの演奏に、簡単に触れることができることで、音楽や演奏に対する視野を何十倍にも広げてくれる。しかもその可能性は、比較的低い定額料金で手に入れることができる。

Spotifyで聞くデュトワの指揮する「Fête à la Française(魔法使いの弟子/デュトワ・フレンチ・コンサート)」はまた私にとって、かつて親しんだディスクの思い出をよみがえらせてくれるものだった。今ではどこかに行ってしまったこのCDを、もう聞くことはないかも知れないと思っていたからだ。無くしたからといって再度数千円を投じる気持ちにはないが、機会があればもう一回くらいは聞いてみたいと思っていたのだ。

そのディスクには、フランス音楽の小品が集められている。フランス音楽と言うと、私自身とっつきにくい印象があったことに加え、ここのディスクに収録されている曲には、ほとんど馴染みがなかった。それにもかかわらず、私はいつかこのディスクを上記のように迷った挙句手に入れた。購入した以上、それを好きになるまで聞かないわかにはいかない。投資が無駄になるのは、何としても避けたいと思うのが、この時代のディスク収集家の宿命である。私はカセットテープにダビングして、自宅の車に持ち込み、カーステレオで聞くのが日課となった。このころはほぼ毎日、1時間程度を運転していたから、この演奏は耳にタコができるほど聞いたことになる。こういうことはSpotify時代にはできないことだろうと思う。

ある日、猛暑の中をドライブしていた。締め切った車内はクーラーが効いていて、多少の渋滞も気にならない。そんなときに、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団によるフランス音楽小品集は気持ちの良い時間を約束してくれた。私はこのCDを聞くと、なぜか第二神明道路の下の国道を走行中の神戸市内を思い出す。車内では少しボリュームを落として聞くと、豪華で洒落たサウンドが涼しい車内を満たし、色彩感に彩られたシャープな響きが心に響いてくる。

シャブリエの「スペイン狂詩曲」は、そのような曲の中で、とりわけ私の記憶に残る曲だった。またサン=サーンスの「バッカナール」(歌劇「サムソンとダリラ」)は、このディスクの中では、デュカスの「魔法使いの弟子」と並んで最も有名な曲であり、オーケストラ音楽の醍醐味を聞く思いがする。細部にまで神経を行きわたらせながらも、さりげない手さばきで聞くものを引き込むデュトワの手法は、目立たないながらも絢爛豪華である。勿論、モントリオール交響楽団の技術的水準とデッカの優秀な録音を伴っていることによって、いつもながら完成度の高いものに仕上がっている。

このCDを買った時、そこに収められている曲は、すべて知らなかった。シャブリエの交響詩「スペイン」だってそうだ。こんな有名な曲を、と今なら思うのだが、実際のところこういった小品を聞く時間が、いったいどのくらいあるだろうか。このCDに集められているのは、そんな少し目立たない作品ばかり。歌劇「レーモン」序曲が今では最もお気に入り。サティの静かな2曲がアクセントとなっているが、それ以外の曲の肩ひじ張らない(ように聞こえる)演奏は、最後のイベールの「喜遊曲」まで飽きることはない。



【収録曲】
1. シャブリエ:楽しい行進曲
2. デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」
3. シャブリエ:スペイン狂詩曲
4. サティ:2つのジムノペディ
5. サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」よりバッカナール
6. ビゼー:小組曲「子供の遊び」
7. トーマ:歌劇「レーモン」序曲
8. イベール:室内オーケストラのためのディヴェルティメント

2019年8月6日火曜日

サン=サーンス:歌劇「サムソンとダリラ」(The MET Live in HD 2018-2019)

今でも戦禍の絶えないパレスチナのガザ。紀元前12世紀ころ、ここには多数のヘブライ人が故国を追われてペリシテ人の奴隷となっていた。舞台はガザの広場に群がるヘブライ人の合唱(混声8部)から始まる。やがてその中から英雄サムソンが出て民衆を鼓舞し、エホバ神を讃えようとする(第1幕)。ペリシテ人の美貌の娘ダリラは、そんなサムソンを誘惑し、篭絡するが(第2幕)、その罠にはまったサムソンは捕らえられるも祈りを捧げ、その犠牲とともにダゴンの神殿を崩壊させてしまう(第3幕)。

ストーリーはよく知られ、登場人物も少なくわかりやすいが、第1幕は宗教的な話が多く、後半に比べると地味なため、眠くなってしまう。東京での連日の猛暑に疲れたら、休日の午後はゆっくり映画館で涼むというのは、懸命な選択だろう。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブ映像シリーズもすっかり定着した感があるが、その過去の作品を一堂に集めて上映してくれるアンコール上映の期間が今年も8月2日から始まった。

私は、昨年10月に上映されたサン=サーンスの歌劇「サムソンとダリラ」を見逃しているから、さっそく妻と共に出かけた。この歌劇は非常に有名だが、私自身は全体を見たことがない。このブログで触れるのも初めてである。久しぶりのフランス・オペラは、私を心地よく睡魔に誘ってくれたが、それも見どころが第2幕以降に集中しているからである。休憩時間が2回あって、インタビューなどの特典映像も満載の上映は、大歓迎である。

第1幕についてもう少しだけ書いておくと、ここの音楽は、他にも登場人物がいて「なかなかいい感じ」である。そもそもオラトリオとして作曲が開始された物語が、次第に肥大化して「なんでもあり」の様相を呈するようになるヘンテコな作品だが、それも後半が充実しすぎているからで、第1幕だけ聞いた時点で「フランス・オペラ」もたまにはいいな、と思った。

第2幕を貫くダリラ(エリーナ・ガランチャ、メゾ・ソプラノ)によるサムソン(ロベルト・アラーニャ、テノール)との二重唱は、圧巻であった。私は丸でワーグナーのh楽劇を見ているように舞台に引き寄せられ、心の中でブラボーを叫んだ。目頭が熱くなるというよりは、胸が締め付けられるような気がした。というのもこれは、通常の「愛の二重唱」とは異なり、あくまでダリラによるサムソンへの企みの歌なのだ。

サン=サーンスはそんな誘惑の二重唱に絶品の音楽を書いた。メゾ・ソプラノのために書かれた最も美しい歌ではないだろうか。「あなたの声に心は開く」は古今東西のアリアの中でも屈指のものだ。緑のドレスに身を包んだガランチャは、その持ち前の魅惑的な声で、優雅にして力強い歌唱と演技を披露した。フランス語をネイティブとするアラーニャの出来栄えも良い。私はこの二人の演じる、同じ時期に作られた「カルメン」(ビゼー)を思い出した。この上演は、この何年か前の舞台とセットになったものだ。

「カルメン」は「サムソンとダリラ」とほぼ同じころに作曲された。いずれもメゾ・ソプラノを主人公とし、踊りや歌に溢れ、異国情緒も満点だ。女性が男性を誘惑し、籠絡するという点でも共通している。ただ「カルメン」では、最初はドン・ホセを心から気に入っていたのに対し、ダリラの恋は復讐そのものである点だ。にもかかわらず今回の「サムソンとダリラ」の第2幕は、これほど美しい音楽はないほどに素晴らしかった。それは、インタビューでガランチャ自身が語っているように、ここでのダリラの役作りにあるのだろう。ダリラはいっとき、サムソンを本当に愛していたのでは、という解釈だ。

そのダリラに悪の征服をけしかけるのは、悪役の定番、大司祭(ロラン・ナウリ、バス・バリトン)である。長身で若い彼は、存在感もあってこの第2幕を一層引き締まったものにした。

第3幕はその数分後から、有名な「バッカナール」となりスペクタクルなダンス・ショーが始まる。指揮はイギリスの名匠マーク・エルダーで、私は今上演の成功の要因のひとつが指揮だったことを疑わないのだが、大変残念なことにここの「バッカナール」を含む第3幕はつまらなかった。その理由はバレエの単調さと、空間を生かし切れていない演出の平凡さにあると思う。全体に非常に豪華な新演出だったが、その理由が表面的な効果のみを狙ったもので、エキゾチックな雰囲気も感じられず、真っ二つに割れた人体を神殿に見立てる理由も判然としない。

結局、第2幕につきると思った今回の「サムソンとダリラ」を演出したのは、ダルコ・トレズニヤックという人だそうだが、最近のMETはブロードウェイのスタッフなどを登用して、安直な大衆路線に傾こうとしているように思える。これはゲルブ氏が総裁に就任してから顕著になった。「アイーダ」にせよ「トゥーランドット」にせよ派手で高価な演出を得意とするMETだが、確かに舞台の大きさを考えるとやむをえないのかも知れない。けれども今回の「サムソンとダリラ」は、そんな絢爛豪華さを追求することにも成功しなかったと言わざるを得ない。にもかかわらず今回の上演の素晴らしさは、3人の歌唱と演技にある。やはりオペラは、いくら飾ったところで歌なのである。

2019年8月3日土曜日

PMFオーケストラ東京公演(2019年8月2日サントリーホール、ワレリー・ゲルギエフ指揮)

ゲルギエフもPMFオーケストラも初めてだった。周知の通り、ゲルギエフは今や世界で最も多忙な指揮者のひとりだが、マリインスキー劇場との来日公演などは法外にチケットが高く手が出ない。一方、PMFオーケストラは札幌で毎年開催される「パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌」に参加する世界各国の若者で構成されるオーケストラで、一流オーケストラの首席級奏者によるレッスンが終了すると、毎年東京でコンサートを開いている。

レナード・バーンスタインによって始められ、今年で丁度30周年にもなるというPMFの音楽監督は、現在、ワレリー・ゲルギエフである。ゲルギエフ指揮PMFオーケストラのコンサートは、聞こうと思えばこれまでにも聞くことはできた。けれども何故か私には縁がなかった。暑い夏の日に、クラシックのコンサートに出かける気持ちが起こらないのもその理由だった。だが今年は違った。

その理由は、おそらくプログラムだったのだろう。ショスタコーヴィチの交響曲第4番がメインだったからだ。全15曲の交響曲の中でも最大の規模を誇り、その演奏の難しさでは他の作品を抜いているのではないかと思われる曲を、私はかつて一度だけ聞いている(シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団)。この時は広いNHKホールの舞台いっぱいに並んだオーケストラから轟く圧倒的な音のパワーに、ただただ驚くばかりの1時間だった。よくもこんな曲を、演奏ができるものだと素人ながら感心した。演奏が終わるや否や、舞台から安堵のため息が3階席にまで聞こえた。

そんな交響曲第4番は、1936年頃に作曲されながら当局の締め付けを恐れて初演を中止し、結局、1961年になって初演されるという数奇な運命をたどる。日本初演はもっとあとになって1989年である。今ではショスタコーヴィチ作品の演奏も一般的だが、かつては一部の曲しか知られることはなかった。現在のように人気を博するようになったのは、1990年代以降ではなかっただろうか。この曲は私もヤンソンスが指揮するバイエルン放送響のCDを1枚だけ持っている。

もう一度、ショスタコーヴィチの交響曲第4番が演奏されたら聞いてみたいと思っていた。もちろん今では毎年のように演奏されているようだが、できれば一流のオーケストラで間近で見ながら聞いてみたいと思っていた。そうしたらなんと、ゲルギエフが指揮するではないか!これを逃す手はない。PMFオーケストラの実力は未知数だが、若手とは言え実力派揃いのプレイヤーは、一生懸命な演奏をするはずで悪かろうはずがない。嬉しいのはチケットの価格で、S席でも9000円と1万円を切っている。しかもチケットは沢山売れ残っている。

だが私は、このところの体調を心配して前日までチケットの購入を躊躇していた。翌日にも会社の友人と出かける予定もあるし、それに梅雨が明けてからというもの、東京では連日35度を超える猛暑が続いている。熱波の中で聞くショスタコーヴィチも悪くはないが、こちらの体力が心配だった。一か八かで息子に興味はないかと誘ってみても、つれない返事。彼はそれよりも野球観戦に興味があり、この日も千葉でロッテ対オリックスの試合を見に行くのだと言っている。もそもとクラシック音楽などに興味がないのだ。妻も弟も用事で行けないという。だから、今年も諦めようか、そう思い始めていた。

ところが前日夜に帰宅してみると、驚いたことに息子の方から、コンサートに行くよ、との返事が返ってきた。これには私も驚き、そして嬉しくなった。こうなったら行くしかない。さっそく「ぴあ」をはじめとするチケット予約サイトにアクセス。ところがどうだろう。どのサイトを見ても「予定枚数終了」との表示が出ているではないか!結局、ゲルギエフのショスタコーヴィチともなると、直前に人気が上昇し、一気に売り切れてしまったのだと思った。翌日の川崎の演奏会はまだ売られていたが、こちらには行く事ができない。最近はTwitterなどが流行し、SNSなどで前日の札幌の演奏会の様子などが直ちに「拡散」したため、おそらく評判が知れ渡ってしまい、迷っていた人が一気に購入に踏み切ってしまったのだと思った。

仕方がないから、無謀でも翌日にサントリーホールに電話して、万が一チケットが手に入ったら行こう、と話し合って会社へ出かけた。ところが10時に電話をしてみると、余裕の枚数が当日券として発売されるとのこと。しかも25歳以下なら3000円になる割引チケットもまだあるらしい。私は大急ぎで息子に電話し、学生証を持って18時に会場へ来るように告げた。

当日券が売る出されると、なんとB席の並びの席が確保できた。舞台に向かって右側の2階席で、真横からオーケストラを見下ろす位置は悪くない。指揮者もよく見えるし、ずらりと並ぶ打楽器も真下に見える。そして驚くことに会場は8割にも満たない入り。ちょっと信じられないが、それにしても嬉しい。開演までの時間をサンドイッチなどを食べながら過ごす。まるで香港にいるようなまとわりつく暑さと湿気。にもかかわらず背広姿の人が目立つ。

プログラムの前半はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と、今年のチャイコフスキー・コンクールの覇者、マドウェイ・デョーミン(フルート)を迎えてのイベールのフルート協奏曲であった。ドビュッシーの静謐な音楽は、ほれぼれするような美しさで私を音楽に釘付けにした。聞いている場所が正面なら、もっと良かったと思う。音と音の重なり、溶け合い。ドビュッシーの音楽の聴き方が、初めてわかったような気がした。このオーケストラはなかなか聞ける。

続くイベールは、もう何というか、目まぐるしく変化するフルートを聞いていたらあっという間に終わってしまった目の覚めるような演奏。かつてパユで聞いたハチャトリアンを思い出した。世界最高の部類に入るフルートだと思う。

私の席の左手にあるS席部分には空席が目立ち、こんないい席なのに誰もいないのはもったいないなどと思っていたら、何とそこにSPが立ち始めた。休憩時間にトイレの前の通路が封鎖され、私の席に前にカメラマンが大挙して入って来た。PMFの広報かと思いきや、それにしても人数が多い。やがてアナウンスがあって、何とそこには上皇、上皇后ご夫妻がお見えになるという。会場から拍手が起き、ゆっくりと歩みながら手を振られる。すでにオーケストラは舞台上でスタンバイ。ショスタコーヴィチの交響曲第4番などという作品を、皇室の方もお聞きになるのかと思った。今年天皇を退位されて初めてご覧になるコンサートではないだろうか。

いつになく空気が引き締まって緊張感に包まれた舞台にゲルギエフが登場。やがて舞台からほとばしり出る轟音にも似た行進曲風のリズム。舞台の人数は前半の倍以上に膨れ上がり、その音は耳をつんざくような大きさ。心臓に悪いような地鳴りが響く。スターリンの恐怖政治の下で作曲された若い作曲家の音楽は、メロディーというものをほとんど持たない。そして弦楽器を中心とした恐ろしいまでの技巧的なアンサンブル。それをゲルギエフは指揮台にも乗らず、手慣れた様子で指揮をする。

ただ驚いたのは、ゲルギエフも楽譜を見ていたこと。そして爪楊枝のような短い指揮棒を持っていたことである。ゲルギエフは終始手だけで指揮するのだと思っていたし、この曲は十八番中の十八番なので、普通はスコアを見ないと言われていた。とても慎重に、満を持して演奏する必要があったのだろう。そしてそれに応えるオーケストラの見事さ!そのメンバーには、客演としてシカゴ交響楽団他から数名が混じっていた(ティンパニ、ハープ、パーカッション)。

1時間にも及ぶ怒涛のような曲を、一瞬たりとも集中力を絶やさず演奏する迫力は、何と例えたらいいのかわからない。思いつくままに、そのソリスト部分の圧倒的なテクニックを思い出す。まず、イングリッシュ・ホルンを担当した女性の幾度にも及ぶ長いソロ。それからトロンボーン。この楽器がかくも美しく弾かれたのを知らない。第3楽章でのまるで協奏曲のようなシーン。それからホルンの第1奏者。彼は安定したテクニックで、いつも日本のオーケストラで聞くときのような不安定さが皆無である。そしてピッコロ!ピッコロのような楽器が、フルートの延長のように優美に、割れずに、美しく、そして器用に響き、ショスタコーヴィチに不可欠な、あのメロディーを弾き切る。さらにファゴット。難しい音階の連続を、ほぼ満点の出来栄えで聞くものをノックアウト。さらにはオーボエ、クラリネット、ティンパニ…。

弦楽器セクションの難しさは圧倒的である。CDなどで聞くとよくわからないが、これは見ながら聞くと手に取るようにわかる。兎に角、60分間私は文字通り舞台に釘付けられ、体は硬直し、しばしば音楽に身をゆすった。第1楽章はソナタ形式であることもわかったし、第2楽章の諧謔効果は、マーラーの影響だと言われている。そして長い第3楽章の変奏曲は、しばしば楽器を変えた「オーケストラのための協奏曲」といった感じで聞くものを興奮に包む。

静かなコーダが終わるときの、奇跡のような時間について最後に書いておこうと思う。ゲルギエフは演奏が終わっても手を降ろそうとしないばかりか、それから随分しばらくたって、まず右手を極めてゆっくりと下ろし、続いて左手を慎重に下ろした。この間、1分ほどあったのではないか。これほど長い時間、誰も物音を立てず、会場が静まり返ったのを体験したのは、私は生まれて初めてだった。静寂もまた生の音楽の重要な構成要素なのだと思い知らされた。

やがて割れんばかりの拍手が起き、奏者を一人一人立たせてゆくと、地響きのような拍手が津波のように押し寄せた。オーケストラが抱き合って成功を喜び、その大半が立ち去っても拍手は鳴り止むことはなかった。そして拍手は、両陛下の退場にまで続く。何度も振り返っては手を振る陛下。私はもうショスタコーヴィチの作品をこれ以上の感動を持って聞くことはないかも知れない、と思った。と同時に、それで満足だ、とも思った。令和元年の真夏の一日に、私は一生忘れることのできない音楽体験を、またひとつ増やすことができた。

2019年7月31日水曜日

バーンスタイン:ミュージカル「オン・ザ・タウン」(佐渡裕指揮兵庫県芸術文化センター管弦楽団、他)

ミュージカルはライヴで見るに限る。比較的ダンスに重点が置かれているからだ。オペラにおける歌は、最重要の要素なので、歌が聞けないとどれほど演出や踊りが上手くても、決定的に失望に終わる。CDでオペラを聞くことができるのも、音楽的な観点からだけで十分にその良さが満喫できるからだろう。だがミュージカルはそうはいかない。ミュージカルをCDで聞いても、ぬるいジュースのような感じがする。

だがもし、オペラ歌手が歌い、ダンスはそれを得意とする人々が中心になって舞台を彩る。オーケストラはワーグナーやブルックナーも演奏できるシンフォニー・オーケストラが担当するとしたら…。こんな夢のような公演が、この夏佐渡裕によってプロデュースされ、関西と東京で上演された。出し物は佐渡の師匠で、アメリカの最も偉大な作曲家レナード・バーンスタインの作品である。ミュージカル「オン・ザ・タウン」は、後に「ウェストサイド・ストーリー」も手掛けるバーンスタインの最初のミュージカルで、1944年末にニューヨークで初演された。まだ第二次世界大戦中のことである。

この作品は「踊る紐育」として映画化された。だがその際に、ほとんどの音楽は差し替えられたようだ。バーンスタインの音楽が前提的すぎて、保守的な映画の客層には受け入れられないと判断されたためだと言う。それはそれで頷けるような話である。なぜならこの音楽は今聞いてもその魅力を失っていない。ミュージカルとしての古めかしさはその通りだが、音楽としての独自性はバーンスタインの天性のもので、今もって十分聞き手を満足させる。

バーンスタインは自ら作曲し、一世を風靡したミュージカル作品を、晩年にはクラシック音楽として残すことに懸命だった。「ウェストサイド・ストーリー」には、カレーラスを始めとするオペラ歌手を起用してセッション録音したのは有名だ。そのメイキング風景は映像化された。バーンスタインのミュージカル作品は、音楽のみでもきちんと歌えば、後世に名を残すほどの輝きを放つと信じていたのだろう。佐渡裕がその遺志を受け継ぎ、このたび取り上げた作品が「オン・ザ・タウン」だった。

この上演へのこだわりは、配布されたプログラム・ノートを読めばよくわかる。ロンドンでオーディションを行い、書類選考で1000人、面接にも200人が残ったらしい。結果的に下記に示す歌手と役者が起用されることになった。みなオペラも歌える歌手だが、同時に踊ることも演技することも十分にこなす実力派である。もちろん英語を母国語とする人たち。さらに演出はアントニー・マクドナルドが担当した。彼は兵庫県芸術文化センターでの過去の催しである「魔笛」(モーツァルト)や「夏の夜の夢」(ブリテン)でも演出を担当し、佐渡の信頼が厚い演出家とのことである。

オーケストラはもちろん兵庫県芸術文化センター管弦楽団である。世界各地からオーディションにより集められたプレイヤーからなる臨時編成のオーケストラだが、実力派の若手が多数いるようで、その水準は高そうに思われる。定期演奏会も開いており、そのチケットを両親にプレゼントしたりしているので、自分も一度は聞いておきたいという気持ちも動いた。本公演は、毎年夏のこの時期に催されるオペラ・プロダクションの一環で、過去には様々な作品が上演されてきたが、今年は東京でも上演することになったようだ。西宮で8回の公演を行ったあとの、上京しての4公演のうちの最初のものを東京文化会館に見に出かけた。ミュージカルはできるだけ前の方で見たい。そこで一階前方のS席を1万5千円もの大金を支払って購入したのは、1週間ほど前のことだった。まだ切符がかなり残っていた。当日券も買えた。

【キャスト】
・ゲイビー:チャールズ・ライス(バリトン)
・チップ:アレックス・オッターバーン(バリトン)
・オジー:ダン・シェルヴィ(テノール)
・アイヴィ(地下鉄の広告モデル):ケイティ・ディーコン(ダンサー)
・ヒルディ(タクシー運転手):ジェシカ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)
・クレア(文化人類学者):イーファ・ミスケリー(ソプラノ)
・ピトキン判事(クレアの婚約者):スティーヴン・リチャードソン(バス)
・マダム・ディリー(アイヴィの声楽教師):ヒラリー・サマーズ(アルト)
・ルーシー・シュミーラー(ヒルディのルームメイト):アンナ・デニス(ソプラノ)
・ダイアナ・ドリーム(歌手)他:フランソワ・テストリー
ほか。

会場に入ると幕に大きくタイトルが表示され、本場のミュージカルの雰囲気さながらである。やがてオーケストラ・ピットに登場した佐渡は軽く頭を下げ、おもむろに幕が開くと、そこはブルックリン。以降、本作品にはニューヨークの各地が次々と登場する。3人の水兵がわずか24時間の休暇を与えられ、初めてニューヨークの街へと繰り出すシーンである。「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が3人の水兵によって歌われる。

オペラと違い音楽が速く、台詞も多いのが難点である。字幕を追っていると舞台を見損なってしまう。まるで学芸会のセットのようだが、地下鉄の車内が登場。ここで女性に写ったあるポスターを見つける。その女性は「ミス改札口(turnstile)」と字幕では表示されていたが、これは回転式の出札口のことで、今でもニューヨークの地下鉄にはあると思うが、電気式ではない簡単なやつである。その「ミス改札口」に今年選ばれた女性を、水兵たちがそれぞれ分れて探しにいくところから物語は始まる。何とも他愛のないストリーだが、楽天的な昔のニューヨークの活気も伝わり、古い時代の気分を感じさせてくれる。

ニューヨーク賛歌とも言える作品には、私もかの地で1年余りを過ごした者として、非常に懐かしい気分にさせられた。初めてニューヨークに来た時の高揚感と、そこを歩き出した時の緊張感。ここを訪れた人はみな同じ気分を味わうに違いない。人種のるつぼ、とはよく使われる形容詞だが、そこは40年代ということもあり、このミュージカルに有色人種は登場しない。

音楽は残念なことに拡声器で増幅されている。実際のミュージカル上演でもよくあるが、歌唱のみならずオーケストラの音までがスピーカーを通じて聞こえてくると、ちょっと興醒めである。東京文化会館という、ミュージカルには広すぎる空間を考慮したためだろう。そして舞台がやや小さく見えてしまっている。このことが非常に残念だった。だが欠点は最初に書いておこう。これだけなのだから。

3人の水兵は、それぞれ別の女性に出会う。まずチップはタクシー運転手のヒルディと、オジーは自然史博物館で働くクレアと、そしてゲイビーは「ミス改札口」に選ばれた当人の歌手アイヴィと。皆が個性的なら、その周りにいてそれぞれのカップルを邪魔する人たちもまた多分に個性的だ。すなわち、チップが連れてこられたヒルディの部屋には、風邪をこじらせてくしゃみを繰り返すルームメート(ルーシー・シュミーラー)が、オジーが出会ったクレアには、すでに婚約者であるピトキン判事がいて、婚約の契りを交わすというまさにその日ということになっており、さらに「ミス改札口」のアイヴィには、音楽教師のマダム・デイリーがアルコールに溺れながら「性愛と芸術は両立しない」などと説いて回る。

3人は同じ場所で落ち合うことにしていたので、まずはタイムス・スクエアのナイトクラブのシーンとなる(ここからが第2幕)。舞台は次々と変わり、コンガカバーナというキューバ系のダンスホール、そしてまた別のクラブへ。ここの音楽は非常に楽しい。バーンスタインの乗りに乗った音楽が、これでもかこれでもかと続くのだが、実際にはその間に差しはさまれる芝居の台詞が、どこかの新喜劇さながらのドタバタ劇であることも忘れ難い。

3組のカップルは最後に、眠ることのない街の地下鉄に乗ってコニー・アイランドへと出かけてゆく。深夜のコニー・アイランドではトルコ風のダンスまで登場。するとそこに警官が現れて、お開きに。24時間があっという間に過ぎ去り、水兵たちは次の休暇組と交代して戦艦へと帰ってゆく。「ニューヨーク・ニューヨーク」と再び歌われる中、幕が閉じる。

「ニューヨーク・ニューヨーク」も有名だが、私はヒルディがアパートで歌う「I Can Cook Too」が好きだ。ティルソン=トーマスが指揮したロンドン交響楽団の一枚を私は昔から持っていて、ここの歌は良く聞いていた。けれども第2幕のコンガカバーナのシーンなど、実演で見なければその楽しさも伝わって来ない、ということが今回よくわかった。そんな中で、「カーネギーホールのパヴァーヌ」(第1幕)はコミカルで楽しいと思ったし、ピトキン判事のアリアとも言うべき「I Understand」は、唯一バスの歌が魅力的で、実際、かなりのブラボーが飛び出した。

オーケストラの中には結構な数のエキストラが世界中から集まっていたのも見逃せない。まずコンサート・マスターはベルリン・ドイツ交響楽団のコンサート・マスター、ベルンハルト・ハルトークで、この他にもペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィル)などゲスト・プレイヤーやスペシャル・プレイヤーが名を連ねている。もちろんトランペットやドラムスなど、エクストラの奏者も数多く、その水準はミュージカル作品としては異例の高さにあると言って良いだろう。

私も1年余りのニューヨーク滞在中に、十数作品の上演中の出し物を見たと思う。だがそのどれをとっても今回のような水準には達していない。それは今回の公演が一時的なプロダクションだったから可能だったとも言える。この公演は、ミュージカル作品がオペラと同等の上演が可能であることを印象付けた。

そしてやはり、ニューヨーク。私の40丁目のアパートからは、空にそびえるエンパイアステートビルが正面に見えていた。その先端が夕空に映えて一層幻想的なものとなる(写真はその当時のもの)。私は毎晩ソファに横たわって、その光景を飽きることもなく眺めていた。その懐かしい日々と、ニューヨークの各地の思い出は、私の20代の心の財産である。今の妻に出会ったのもニューヨークだった。だからこの作品は、まさに私の若い頃の気分を(半世紀の開きがあるとはいえ)燦然と蘇らせてくれた。そして最終公演の日のチケットを妻に贈ったのは当然の成り行きだった。妻も非常に喜んでくれた。ニューヨークの魅力は、時代が変わっても生き続ける。このミュージカルが、そうであるように。

2019年7月18日木曜日

オッフェンバック(ロザンタール編):パリの喜び(アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団)

初めて買ってもらったLPレコードは、アーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団のクラシック名曲集(2枚組)だった。1枚目にはスッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲やロッシーニの歌劇「ウィリアム・テル」序曲など威勢のいいポピュラー曲が、2枚目にはタイースの「瞑想曲」やチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」など、アダージョ系の落ち着いた曲が入れられていた。

私はこのLPを、それこそ毎日すり減るほど聞きた。特に1枚目は、私にとって後に1000枚を超えるコレクションの下地を作ったと言っていい。ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、ハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」より「剣の舞」、ケテルビーの「ペルシャの市場にて」など、旋律を覚えては家族に自慢をしていたようだ。まだ小学生になったばかりの頃で、自宅にあった貧弱なステレオ装置にレコードをかけると音が鳴る、その操作自体も楽しかった。

このLPレコードの演奏には志鳥栄八郎の解説が付けられていて、それによればボストン・ポップスは、あのボストン交響楽団の首席奏者を除いたメンバーで構成されているため、演奏水準が非常に高く、そのようなプロ中のプロが、かくもポピュラーな名曲を日常的に演奏しては米国の子供たちを喜ばせている、というようなことが書いてあったように思う。丁度、合衆国建国200周年の頃のことで、古き良きアメリカの伝統が少しは残っていたような時代だった。もっとも当時はベトナム戦争の後遺症に、アメリカ中が苦しんでいたのだが。

だからアーサー・フィードラーと聞くと、私は非常に懐かしい気分になる。私にとって、クラシック音楽の原体験だからである。そのフィードラーが、オッフェンバックの様々な曲から、有名なメロディーをつなぎ合わせてバレエ用に編曲された「パリの喜び」なる曲を演奏していて、その演奏がすこぶる名演だと知った時、躊躇なくそのCDを買い求めた。LIVING STEREOと名付けられたそのシリーズの演奏は、1950年代にはすでに存在していた最初期のステレオ録音で、そのヴィヴィッドな演奏が意外なほどに鮮明に記録されている。

この「パリの喜び」も1951年の演奏だが、そうとは信じられないようなクリアな音色である。しかもここでのボストン・ポップスの演奏は、技術的にも信じられないような満点の演奏をしている。早く、正確で、さらには生き生きと。勢いのある「古き良きアメリカ」のモータリゼーション全盛の時代を思い起こさせる、と書くと陳腐すぎる表現だが、そういう形容詞しか思い出せない。まるで機械のように正確である。このLIVING STEREOシリーズには、この他にもミュンシュやハイフェッツの演奏など、同様な傾向の演奏が多く、その後暫く低迷するアメリカのオーケストラの黄金時代を記録した遺産である。

だから、これがオッフェンバックの喜歌劇から抜粋された享楽的なパリのムードを醸し出しているかどうか、などといったことにはさほど関係がない。むしろ早送りで古い映画を見ているような雰囲気がある。このようなチャラけた音楽も、こんなに真面目に、鮮烈に演奏されると、くだけた気持ちもどこかへ行ってしまう。目が覚めるようなカンカンが、耳元から飛び出してくる。

もっとフランスらしいオーセンティックな演奏がいいと思う時には、編曲者であるロザンタールがモンテカルロのオーケストラを指揮した自作自演盤があり、こちらの方がオペレッタ感満載の洒落た演奏である。カラヤン指揮ベルリン・フィルもこの曲を指揮しており、さらにはパウル・シュトラウス指揮ベルリン・ドイツ管弦楽団の定評ある古い演奏もある。曲が実に楽しいので、どういう演奏で聞いても楽しめる。

なので、このディスクはフィードラーの、そのトップ・レベルの演奏を楽しむものだ。この演奏で踊ることは、もはやできない。続きにはロッシーニが作曲し、レスピーギが編曲した「風変わりな店」が収録されている。こちらも同様の名演だが、完璧すぎてもはや「ヤバい」演奏である。

2019年7月15日月曜日

ビゼー:「アルルの女」第1組曲、第2組曲(ギロー編)(ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団)

学生時代に初めてヨーロッパ旅行をした時には、私はかなり欲張り過ぎていたのだろう。北欧からドイツ、オーストリア、スイスなどを経由し、イタリアを巡る頃には日程も半分以上を経過していた。このままではイベリア半島や英国に渡ることはできない。そう考えた私は、ローマのテルミニ駅からスペインのバルセロナへ向かう夜行列車に飛び乗った。

列車は地中海岸沿いをひた走り、モンテカルロに着くころには夜も更けていた。早朝のマルセイユで、パリ辺りから来た同類のバックパッカーが大量に乗り込んできて、以降、バルセロナまでは満員の列車だった。おかげでスペインやポルトガルにまで足を延ばすことはできたのだが、南仏のあの美しいプロヴァンス地方をスキップしてしまった。1987年の夏のことだった。

これから何度も行ける、と若い頃は考えていた。実際、そのあとヨーロッパを旅行したのは何度かあって、スイスに2か月以上滞在したこともあったのだが、未だに南フランスへの旅行は果たされていない。だから私がビゼーの音楽「アルルの女」を聞くときには、想像力を掻き立てながら、眩くような光と地中海の風に抱かれた、さぞ麗しいところだろうと空想している。

この「アルルの女」の聞き方は、私がこの曲を初めて聞いた中学生の時からまったく変わっていないということを意味する。この曲を聞いたのは、学校の音楽の授業の中でのことだった。フランス音楽の柔らかい響きは、それまで専ら聞いていたベートーヴェンやモーツァルトなどのドイツ音楽とは対照的な魅力があることを発見した。先生は、第1組曲の第4曲がヨーロッパの教会の鐘をモチーフにしていること、「タンブラン」と呼ばれる民族楽器が効果的に使われていること、第2組曲は夭逝したビゼーの友人ギローが、別のオペラ「美しきパースの娘」のメロディーも引用して作曲したこと、などを説明し、これらは「試験に出しますから」と余計なことを言った。

私は友人と「アルルの女」のLPレコード(たしかクリュイタンス指揮)を買ってきて、それぞれの曲を覚えるまで聞いた。最も有名な第2組曲のメヌエット以外にも、第1組曲にもメヌエットがあって、ここの音楽を私は好きになった。中間部でフランスの田舎を空中飛行するような気持になった。第2組曲の第2曲は牧歌で、目立たないが旋律の美しさがとてもいい。最後の「ファランドール」は再び主題が登場してクレッシェンドしながら速度を上げ、見事なフィナーレを迎える。

クリュイタンスの演奏は、もっとも定評のあるもので、音質は悪く、少々重たいものの、「これがフランスの音か」などとベルリンやウィーンのオーケストラにはない音色に瞠目したものだった。ハープやフルートといった楽器が多用されているのも印象的だった。

「アルルの女」の演奏は数限りないが、私はいまだに中学生の時のままの気持ちで接している。だから、カラヤンやアバドのような演奏も聞いたが、これらの演奏には私が求めているものは感じられない。他の多くのファンと同様に、フランスを感じさせてくれる演奏、それもしっとりほのぼのとしたものでなければならない。

そんな気持ちでこの曲に接してきたところ、ジャン・マルティノンがシカゴ交響楽団を指揮した演奏に出会った。シカゴ交響楽団はフリッツ・ライナーとゲオルク・ショルティの
 二つの黄金時代に挟まれた比較的地味な時代(それは60年代このとで、マルティノンによれば、暗黒時代だったようだ)のことである。けれども機能的なシカゴ響の名人芸はここでも健在で、ミキシングの効果もあるのだろうか、音色がきらびやかでフランス的である。

どの曲もしっとりとした味わいだが、「間奏曲」(第2組曲)の深々と音楽的な演奏は今では聞かれなくなった古き良き時代のものを思い起こさせるし、「ファランドール」の見事なアッチェレランドは、オーケストラの技量を含め見事の一言に尽きる。

 「アルルの女」はもともとドーデの戯曲を元にした劇音楽である。ビゼーはこの劇音楽が成功しなかったにも関わらず、その中からのメロディーを選んで組曲とした(第1組曲)。一方、ビゼーの死後に友人のエルネスト・ギローによる編曲で、この中には別の作品のメロディーも使用されている。けれども第1組曲の「前奏曲」のメロディーが最後の「ファランドール」にも登場する。

第2組曲の「メヌエット」と「ファランドール」はアルルの女でもっとも有名な部分で、特に後者はフランスからの来日オーケストラがよくアンコールで締めくくる。私もマゼール指揮のフランス国立管弦楽団の演奏会で聞いた覚えがある。

そもそもオリジナルの「アルルの女」も聞いてみたいと思っていたところ、クリストファー・ホグウッドがバーゼル室内管弦楽団を演奏したCDが登場した。私はこCD(カップリングはシュトラウスの「町人貴族」)をさっそく買って聞いてみた。このCDには、元の劇付随音楽「アルルの女」から後に組曲に編集されるようになった曲が、その登場順に並んでいて、何となく中途半端な印象がぬぐえない。やはり「アルルの女」は2つの組曲で聞くのが良い、というのが私の結論である。

2019年7月12日金曜日

ワルトトイフェル:ワルツ・ポルカ集(ヴィリー・ボスコフスキー指揮モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団)

今でも放送されているのか知らないが、NHKの「名曲アルバム」という短い番組は、気軽に音楽旅行を楽しむことのできる番組だった。この番組はいつ放送されるのか、事前に把握しておくことは困難で、新聞のテレビ欄に「名曲」小さく載っていたところでわざわざチャネルを合わせるほどでもない。けれども野球中継が早く終わった時や、深夜の台風情報の合間などには、いくつもの「名曲アルバム」が流れて、そのまま見るしかないような隙間の番組だった。

この番組には「モルダウ」とか「大学祝典序曲」のような小品が特に取りあげられ、誰もが親しむことのできるクラシックのポピュラー名曲に合わせ、その音楽にちなむ映像が字幕の解説とともに付けられていた。この映像がなかなか良くて、作曲家の生家や暮らした街の情景などが居ながらにして楽しむことができるのだった。その中にワルトトイフェルのワルツ「女学生」というのがあった。パリのカルチェ・ラタンの風景を映した噴水の映像を、なぜかよく覚えている。

ワルトトイフェルはアルザス地方に生まれたフランス人で、ヨハン・シュトラウスと同様に数多くのワルツやポルカを作曲している。ここでワルツはウィーン風のそれではない。従って、あのウィーン訛りとも言うべき独特のアクセントのないワルツである。例えば「スケーターズ・ワルツ(スケートをする人々)」という有名なワルツも、ウィンナ・ワルツではなく、普通にブンチャッチャとなる。

今回取り上げるCDで、肩ひじ張らないワルトトイフェルのワルツやポルカを指揮しているのは、ウィーン・フィルでコンサート・マスターを務めた後、あのニューイヤー・コンサートを何年も指揮したボスコフスキーである。これはワルツの第一人者にワルトトイフェルの作品を振らせたレコード会社の企画なのだろうか。そしてモンテカルロの歌劇場のオーケストラらしく、きらびやかな音色がアナログ録音で良くとらえられている。

「名曲アルバム」の最大の欠点は、どのような曲であれ5分という時間にピタリと収まるように演奏されていることだ。このため編曲がなされ、ストップウォッチを見ながら音楽のスピードが調整されている。今ではテレビ放送も垂れ流しの状態だから、いっそ時間は無視して、いい演奏に映像をつけてくれればとも思うのだが、そういう番組だとかえって締まりがなくなってしまうような気もする。

ワルツ「女学生」を聞いていると、何かとても懐かしく、そしてうきうきとした気分になってくる。この時期、梅雨の鬱陶しい陽気を打ち払って、夏のフランスに出かけてみたくなるのは「名曲アルバム」の効果だろうか。夏に聞きたくなるCDである。なお、ワルツ「スペイン」はシャブリエの「スペイン狂詩曲」を円舞曲に編曲した作品である。


【収録曲】
1 .ワルツ「スペイン」作品236
2. ポルカ「真夜中」作品168
3. ワルツ「スケートをする人々」作品183
4. ギャロップ「プレスティッシモ」作品152
5. ワルツ「女学生」作品191
6. ポルカ「美しい唇」作品163
7. ワルツ「歓呼の声」作品223
8. ポルカ「フランス気質」作品182

2019年7月10日水曜日

ブラームス:ドイツ・レクイエム(S:アンジェラ・マリア・ブラーシ、Br:ブリン・ターフェル、コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送合唱団・交響楽団)

ブラームスが「ドイツ・レクイエム」を作曲したきっかけは、師と仰ぐシューマンの死であるとか、普墺戦争で亡くなった兵士を弔うため、などとか言われているが、より直接的な動機としては最愛の母の死であった、と音楽評論家の志鳥栄八郎は書いている(講談社+α文庫「クラシック不滅の名曲名盤」)。10年余りを経てようやく完成したのは1868年のことで、現在の7曲から成る作品は翌年に初演されている。丁度明治維新の頃だ。ブラームスがまだ30代前半で、もちろん交響曲はまだ作曲しておらず、ウィーンに住み始めた頃だった。

「ドイツ・レクイエム」は通常のレクイエムとは異なり、ブラームスが自ら選んだテキストにより演奏会のための作品として作曲されている。簡単に言えば、ミサ曲ではない。そしてそのテキストはドイツ語で書かれている。ドイツ語が書かれたひとつのレクイエム、というのが正しい。これには日本語にはない冠詞と定冠詞の違いを理解する必要がある。「ドイツ・レクイエム」の正式名称は「Ein Deutsches Requiem」(英語にするとA German Requiem)となっている。若きブラームスの、いわば一つの試みとも言える作品だが、敬愛するシューマンにも「レクイエム」がある。こちらは定型的なラテン語の歌詞に基づいている。

「ドイツ・レクイエム」は全部で7つの部分から成っている。例の如くここに7曲の冒頭の歌詞を列挙するが、ドイツ語の歌詞は(当然だが)同じでも、訳す日本語が文語調か現代口語調かで随分イメージが異なる。文語調の方がクラシックらしく好きな人もいるが、意味が伝わりにくい。あちこちの書物を参考に、括弧で口語調を付記するが、あまりくだけると安っぽくなる。

  • 第1曲 Selig sind, die da Leid tragen 「幸いなるかな、悲しみを抱くものは(悲しんでいる人は幸いである)」
  • 第2曲 Denn alles Fleisch, es ist wie Gras 「肉はみな、草のごとく(人はみな草のようなものだ)」
  • 第3曲 Herr, lehre doch mich「主よ、知らしめたまえ(主よ、私に教えて下さい)」
  • 第4曲 Wie lieblich sind Deine Wohnungen, Herr Zebaoth! 「いかに愛すべきかな、汝のいますところは(あなたの住まいは、何と麗しいことでしょう)、万軍の主よ」
  • 第5曲 Ihr habt nun Traurigkeit 「汝らも今は憂いあり(あなた方は、今は悲しんでいます)」
  • 第6曲 Denn wir haben hie keine bleibende Statt 「われらここには、とこしえの地なくして(私たちの地上には、栄え続けることのできる街はない)」
  • 第7曲 Selig sind die Toten, die in dem Herrn sterben 「幸いなるかな、死人のうち、主にありて死ぬるものは(これからのち、主のもとで死を迎える人たちは幸いである)」

第1曲の静かな、安らぎに満ちた音楽は、いい合唱で聞くと心に染み渡ってゆく。カラヤンの演奏など、その典型だと思う。かなりゆっくりと始れられる音楽は10分以上続くが、これが第2曲に入って、よりいっそう深みを増してゆく。この効果は、第2曲目に第1曲目になかったヴァイオリンが入るからである。一方、第1曲には最後にハープも入り、その世離れした幸福感は第7曲のコーダでも再現されるというからくりである。

第3曲になるとバリトンが歌いだすが、曲はゆっくりしたままである。同じようなテンポの続く感じは、ハイドンの「十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉」を思い出すが、「ドイツ・レクイエム」ではこの第3曲の後半にフーガがあって盛り上がり、非常に聞きごたえがある。

第4曲は3拍子の比較的短い曲で、続く第5曲も短いが、短いと言っても5分以上はあり、それぞれ合唱は休むことがない。なおソプラノ独唱が入るのはこの第5曲のみである。慰めのひととき。

さて、全体のクライマックスで最大の聞きどころは第6曲である。バリトン・ソロが再び登場し、「最後の審判」(怒りの日)を歌い上げる。途中から凄まじくドラマチックな展開は、手に汗を握るシーンとなる。やがて合唱が頂点に達したところで途切れると、女声合唱のみが残り、拍子も変わって一転、天国的な賛歌への移る様は、見事と言うほかはない。そして最終曲になると永遠の安らぎが訪れる。

この曲は、いい演奏で聞かないと真価がわからない側面があるように思う。だから演奏家を選ぶ。最初に接したのは、コリン・デイヴィスがバイエルン放送交響楽団、合唱団を指揮した一枚で、この演奏はほとんど顧みられることがないが、今でも抜群の名演だと思っている。確かにカラヤンのような演奏も非常に美しく洗練されていていいが、もっと若々しいブラームスの、武骨でエネルギーに満ちた感じを求めたくなる。しかも録音が秀逸で、ソリストの声をよく拾っており、合唱とオーケストラががっぷりと噛み合う、迫力に満ちたハーモニーが全編を貫く。

第2曲の中盤以降などは、集中力を維持しつつ次第に重力を増していく様が、レクイエムの厳粛で重々しい特徴を一層際立たせている。ここの身震いするような表現は、この演奏の真骨頂である。第4曲と第5曲の、優しくて清らかなメロディーも、この演奏で聞くとしっかりメリハリがあって、聞きごたえがある。この演奏には、「ドイツ・レクイエム」に求めたいものがほぼ全て備わっている。いい演奏に思えても、次第に単調な表現に陥ったりすることがないように思う。ドイツで活躍したデイヴィスの面目躍如たる名演である。

ゴツゴツした演奏の代表格としては、あのクレンペラーの演奏も忘れ難いが、合唱の美しさと、ブラームスらしいエネルギーを兼ね備えた一枚としては、ジュリーニの演奏が素晴らしい。ここでウィーン・フィルは相当な熱の入れようで、ジュリーニ最晩年の名演に数えられるだろう。

近年になってガーディナーのようなオリジナル楽器版も登場し、アーノンクールも加わって選択肢が増えたが、最近の演奏の中ではプレヴィンがロンドン交響楽団を指揮したライヴ盤が、非常に美しい名演で迫力もあり録音も素晴らしいと思った。一方、世間の評価に目を転じれば、アバドがベルリン・フィルをウィーン学友協会に率いて演奏した1997年(ブラームス没後100周年記念)のライブ映像が、迫真の大名演だそうである。これは録音のみの媒体としては売られていない(と思われる)ので、なかなか触れることはできない(注)。


(注)アバドのウィーンでのライブ映像は、ベルリン・フィルの動画サイト「Digital Concert Hall」で見ることができる。またDVDとしてEuroArtsから発売されている。

2019年7月7日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団演奏会・ジェイド#607(2019年7月4日、サントリーホール)

出かけるコンサートを選ぶとき、もっとも重視する要素のひとつが演目である。私の場合、気が付いてみると50歳を過ぎていて、若い頃は何度も聞けると思っていた音楽が、意外にもあまり聞く機会がないことを大変残念に思っている。もともと限られたクラシック音楽の中でも、まだ実演に接していない曲は沢山ある。

そもそも音楽は、実際に演奏するものを聞くという目的のために作られている。まだ録音技術のなかったころは当然ながら、音楽を聞くには実際の演奏に接するしかなかった。ラジオやテレビが大量の音楽を放送するようになった20世紀においてでさえ、クラシックに限らず、通常音楽はライブを主体とする。まして、クラシックのように比較的長い曲を、一定の集中力を持って聞くことはなかなかできるものではない。仕方がなく、ごく一部の、金銭に多少なりともゆとりのある愛好家のみが、レコードやCDがこの体験を疑似化してきた。

ところが我が国では、実演で聞く演奏よりも、放送やディスクによって聞くことを重視する傾向が強い。特にクラシックでは、メディアによって得られる音楽体験の方が、実演よりも語られることが多いのは、残念なことだ。実際のところ私も、コンサートに行くよりもはるかに、レコードやCDによる過去の演奏によって曲に馴染んできた。

本当の音楽の良さは実演に接することでしか得られないものだと確信するには、一定の量のコンサートに出かけ、感動的な演奏だけでなく、つまらない演奏にも数多く接する必要がある。経済的な負担のみならず、時間的負担も大きいうえに、出かけるコンサートが運よく聞きたい曲目を並べていることも少なく、チケットが買えなかったり、安い席に甘んじてしまうことも数限りがない。このようにクラシック音楽のもつ敷居の高さは、(かなり下がったとはいえ)今もって高いと言わざるを得ない。

さて、ロマン派後期を代表する大作曲家の一人、ブラームスの合唱作品「ドイツ・レクイエム」は、売られているCDも数多く、何といっても「ドイツ三大B」の代表作品である。だが、どうだろう。この作品を聞いたことが、過去に何回あっただろうか。アマチュア合唱団にでも入っていたら、もしかしたら歌うことはあったかもしれない。カラヤンを始めとするCDやDVDの類も、聞こうと思えばできたはずだ。東京では年に何度かは、どこかで演奏されている曲だろうから、実演に接することはそれほど難しくはない。いやYouTubeやSpotifyを起動すれば、たちどころにいくつかの演奏が無料で楽しめるはずだ!

にもかかわらず、私がこれまで「ドイツ・レクイエム」を聞いたのは、コリン・デイヴィスの指揮するバイエルン放送響によるCDを買った時だけであった。どういうわけか、この曲は避けて来たのかも知れない。いや、そもそも「レクイエム」というジャンルは、キリスト教に関りの少ない我が国の音楽文化において、どちらかというと重く、そして縁遠い存在でさえある。あのモーツァルトやフォーレでさえも…。

そういうことだから、コンサートのちらしにブラームスの合唱作品ばかりを並べたプログラムを見つけたときに、これはもう一生で最後かも知れないが、一度は真剣に聞いておこうと意を決して出かけることにした。出演する音楽家は、まあ二の次であった。時間があって、チケットもさほど高くはなく、しかも当日でも手に入る。さらには、ドイツ音楽を得意とするフランス人指揮者、ベルトラン・ド・ビリーが指揮する新日本フィルということになれば、もう言うことはない、とさえ思った。鬱陶しい梅雨空の中をサントリー・ホールまで歩いて行くと、空はほのかに明るくなり、気分も良くなってきた。私はここのところ体調が悪く、毎週のように病院に通っているが、その鬱憤を晴らしたいという思いもあった。

売れ残った席のうちの最も安いB席を買い求め、LAというブロックにたどり着くと、そこは舞台後方の真横の席で、指揮者以外はみな横を向いている。そして二人のソリスト(ソプラノの高橋絵里とバリトンの与那城敬)は完全に向こうを向いている!まあそれでもサントリーホールはうまく反射板を組み合わせて補正してくれているようにも思うから、むしろ演奏家を間近で見られるこの席も、たまには悪くない、と思った。

会場は7割程度埋まっており、このような地味な曲目にしてはいい方だ。プログラムの前半は、ブラームスの「運命の歌」と「哀悼の歌」。いずれも10分余りの曲である。合唱は栗友会合唱団。 これらの2曲は、それぞれ古代ギリシャ、古代ローマにおける神話を元にした詩人(ヘルダリーンとシラー)の作品に拠っている。

ブラームスのこれらの曲(には34歳の作品である「ドイツ・レクイエム」も含まれる)は、いずれも交響曲第1番を作曲するよりも前に作曲されている。ブラームスの合唱曲は、いわば交響曲への過程の中に埋もれている。ブラームスの作品を交響曲からのみ体験すると、意外な落とし穴がここにあるように思う。とはいえ、これらの合唱曲は、何か同じような雰囲気の曲でもある。そして私は、眠くなることはなかったが、かといってこれらの曲を感動を持って楽しんだわけではなかった。音楽は私の耳に達し、そして通り抜けて行った。

どういうわけか、メイン・プログラムの「ドイツ・レクイエム」に至っても、さほど変わることはなかった。音楽の規模は大きくなり、ソリストも加わる。そしてオルガン!サントリー・ホールの、舞台真正面に設えられたパイプオルガンは、私の席から見ると左手にあり、手の動きまで良く見える。奏者の女性は指揮者をモニターで確認しながら、体を時に震わせながら、一生懸命何段にも及ぶ鍵盤とペダルを操る。一か所、オルガンが突如単独で鳴り響く箇所がある。そこを頂点として、この音楽はオルガンの底力のようなものが、目立たず、だがしっかりと低音を支えて行く。そして2台のハープもまた、時に印象的な雰囲気を醸し出す(特にコーダ)。

あと発見したこととしては、ソリストの登場シーンが意外に少ないことだ。だから一にも二にも合唱である。しかもア・カペラになるところはほとんどなく、ずっと合唱と器楽合奏が鳴り響く。「レクイエム」とはなっているが、一般的な「キリエ」だの「グローリア」だのといった典礼の決まりパターンではなく、ブラームス自身がテキストを並べて歌詞としている点がユニークである。

私は初めての経験となるブラームスの「ドイツ・レクイエム」の演奏に、飽きることはなかったが、感動することもなかった。それはなぜだろうか?ひとつだけ考えられることは、演奏の良し悪しが関係していると思われることだ。指揮者は無難にまとめているし、合唱はとても頑張っているのだが、オーケストラの響きがちょっと貧相な感じがしたのは、聞いた場所が悪かったのか、私の感性に問題があるのかはわからない。もっとも目立った間違いはなかったし、長い拍手も続いた。だが、このオーケストラを聞いていつも感じる音楽の技量に関する問題に、私はどうしても行き当ってしまうのである。

とは言え、「ドイツ・レクイエム」のような大作の実演に触れる機会は、もしかするともう二度とないかも知れない。そんな思いで、私は熱心に耳を傾けたつもりである。この経験が、録音された演奏を聞くきっかけになった。そして、カラヤンの名演奏を初めて聞く気持ちになった。そしてそこで得られる名状しがたい素晴らしさは、この実演とはまた別の音楽ではないかとさえ思わせるほどだった。このことは改めて書いてみたい。実演に勝る音楽はないのだが、録音された歴史的な名演奏には、やはり実演では得られない良さがあるのもまた事実である。けだしクラシックというのは難しい。

2019年6月26日水曜日

ベルク:ヴァイオリン協奏曲「ある天使の思い出に」(アンネ=ゾフィー・ムター(vn)、ジェームズ・レヴァイン指揮シカゴ交響楽団)

ベルクのヴァイオリン協奏曲は「ある天使の思い出に」という副題が付けられる。「ある天使」というのはマーラー未亡人のアルマが設けた娘マノンのことで、若干18歳で死亡している。50歳で亡くなるベルクの、これは最後の作品(1935年)である。

副題の示すように音楽自体が、何らかの動機を示すのかどうかはわからない。そもそも副題は、作曲家自身が標題として何らかの意味を与える場合を除けば、解釈の妨げとなる。作曲家が書いたもとの抽象的な音楽が、一人歩きをしてしまう危険性をはらむ。注意してそのイメージを払拭し、ただ純粋に音楽に耳を傾ける。けれども無調音楽を経て十二音技法へと進んだベルクのこの作品は、30分足らずの作品だが、絶対的な音のつながりとしてのみ楽しむのには、大変な努力が要るのもまた事実である。

十二音技法、すなわち十二平均律のすべての音を均等に使用して音列を作り、それをこわさないように作曲する方法について、私は音楽の専門家でもないし、特段この音楽のマニアでもないのでよくわからないのだが、私が思う限りでは、これらの音楽は、積極的に調性を回避し、従ってどの調性にも属さない音楽を「人工的に」作ろうとしている。一方、伝統的な調性音楽は、バッハによって体系化されたが、その元になっているのは人間の耳に馴染みやすく、聞いていて心地よい音楽だと言うことである。

もしろん世界各地には様々な音楽があって、西洋音楽のカテゴリーに属さないものも存在するが、西洋音楽は西洋文化の一つとして、この絶対的な調性、和音、あるいはリズムの「あるべき姿」を模索し、それから絡み合って対位法や転調などを生み出してゆく。この営みの中に、ハイドンもベートーヴェンのいるし、続くロマン派の作曲家たちも存在する。

マーラー亡きあとの西洋音楽が向かった先は、このような営みの破壊だったともいわれるが、それは同時に、その延長上でもあった。従って調性音楽がなければ、無調音楽も十二音技法もなかったと言えるのではないか。伝統的な「心地よい」音楽の対極にあって、あえてそれを否定する音楽が、心地よいわけがない。無理に、そういう音楽を作るとすれば、こうなりますよ、となる。ここで、音楽はあくまで音楽であり、雑音とは違う。あえて作曲された心地よくない音楽を、どう演奏したところで、それは耳に馴染んで来ないのは当然である。

だからベルクの音楽は(私は「ルル」も「ヴォツェック」も見たが)、一向に好きになれない。たまにこれは聞けるかな、と思う音楽は、初期のシェーンベルクの音楽だったりする。十二音技法がその後続かなかったのは、当然と言えば当然で、これは一種の音楽の試みにすぎなかったのではないか。

ベルクのヴァイオリン協奏曲は、2つの楽章から成っている。第1楽章はアンダンテに始まりスケルツォ風に展開する。よく聞くと確かに、基本的な音列がオーケストラとヴァイオリンによって示されている。

また、第2楽章はアレグロで始まるが、やがてアダージョの部分へと移行し、様々な民謡やバッハのパッセージなどが利用されているようだが、その意味は、亡きマノンへのレクイエムとしてのメッセージが込められているらしい。

アンネ=ゾフィー・ムターが演奏したCDを私はなぜか持っている。この演奏の一つの典型とでも言うべき演奏で、録音も秀逸であり、今もって色あせることはない。

2019年6月23日日曜日

NHK交響楽団第1916回定期公演(2019年6月15日、NHKホール)

梅雨に入っている。今年は例年のように、6月初旬に入梅し、そこそこ天気の悪い日が続いたあと、少々の中休みがあるという、まあここまでは普通の陽気で、6月下旬にはすでに猛暑となった昨年とは違う。そして今日、NHKホールでの定期公演へと急ぐ私にも、結構な量の雨が吹き付けて来た。NHKホールは、山手線の原宿から歩くにせよ、渋谷から歩くにせよ、結構な距離だからこういう日はつらい。いつもは原宿から、代々木公園の並木の中を歩く私も、今回は迷わずバスの利用を検討した。「アレグロ号」などと名付けられているがいたって普通の都営バスで、途中の停留所には止まらない。井の頭線の改札を出て1階へと降りたところから出るので、雨に濡れる心配もない。

ところが、このバスにコンサートの観客が殺到したのは、当然と言えば当然である。「みなさまのNHK」のことだ。コンサートに合わせて適宜増便されるのかと思いきや、バスは時刻表通り30分に1本しか出ない。つまりこのバスに乗らなければ、コンサートに間に合わない、という人が大量に取り残された状態で、満員のバスは出てしまった!

バス停に並んでいた皆さんは、N響のコンサートへと向かう老人たちで、運転手に食って掛かるようなことはしない。諦めて歩き出す人もいたが、私は後に並んだおばさんと、タクシーに乗り合って行くことになった。「いつもは歩くのですけど」というおばさんは土曜日の定期会員で、こんな雨は久しぶりだと言う。「あの大雪の日以来ですね」という私に、「そうそう!」などと頷いてくれる。

だが、こういう雨の日にはタクシーも来ない。渋谷駅のタクシー乗り場は、道路を渡って向かい側にあるのだが、それでは逆方向である。しかもJapan Taxiのアプリを初めて使おうとしてみたものの、そこに表示された空車の情報はゼロ。私たちは途方に暮れていたところ、偶然にも1台の客を乗せたタクシーが、私たちの目の前に停まって客を降ろした。私は一目散に駆け寄り、同様の状況にある方々を差し置いて、幸運にも車上の人となったのだ。

公園通りを駆け抜ける車の中で、「ヤルヴィさんになってからは、何か、とても上手くなったわね。」などと話していると、あっという間にNHKに到着した。前方に乗り損ねたバスが停まっている。タクシーはその横を通りすぎて、ホールの前に停まった。料金は600円そこそこ(割り勘で300円)。これは値打ちのあるタクシーだった。着いてみるとまだ30分前。けれども今日は、3階席の奥までぎっしりと埋まっており、その期待の高さがうかがえる。

プログラムの最初はバッハのリチェルカータ(ウェーベルン編)という10分足らずの曲で、「音楽の捧げもの」の中の一曲をアレンジしたものである。透明な中に独特の十二音技法とフーガの混じる静かな曲だった。

もしかしたら今日の聴衆は、続くベルクのヴァイオリン協奏曲の独奏と務めるイスラエルのヴァイオリニスト、ジョシュア・ベルがお目当てだったかも知れない。N響ともしばしば競演しているようだが、実は私の初めてである。たしかデビューCDだったモーツァルトの協奏曲で私は十代のベルを知ったのだが、その彼ももう47歳である。早くから流麗でテクニックも十分だった彼は、世界でも有数のヴィルテュオーゾとなり、もう円熟に域に達しているとも言える。ゆるぎない解釈と、それを体現するテクニックは説得力があり、しかも耳に心地よい。

そのベルクである。ところがこの曲、何とも形容しがたい作品だ。私はムターのCDを持っており、それを今回幾度となく聞いているのだが、どうもよくわからないというのが正直なところ。ベルクの作品は(オペラなどもそうだが)、何度も聞くうちに次第に馴染んでくる、などとどこかの歌手が言っていたのだが、どうやら私はまだその域に達してない。

2つの楽章から成るのだが、どちらの楽章のどの部分を聞いていても、同じ曲を聞いているような感じがしてくる。でもベルはこの曲を、完全に暗譜していた。彼は時折指揮者だけでなくオーケストラの奏者にも目を配りながら、この難解な曲を一定の緊張感を絶やすことなく弾き切った。それは見事と言うほかなかった。

アンコールはバッハのパルティータ第3番ホ長調BWV1006から「ガヴォット」だった!この演奏は胸のすくような名演で、圧倒的にさえ渡るテクニックが満員の聴衆を魅了した。独奏のアンコールにこれほど大きなブラボーも珍しい。

今日のN響のコンサートマスターには、ミュンヘン・フィルなどで活躍したロレンツ・ナステュリカ・ヘルシュコヴィッチという人が招かれていた。プロフィールによればあのチェリビダッケとも共演している。そういうヴァイオリニストがコンサートマスターを務めるブルックナーの交響曲第3番は、聞きものだと思った。私にとっての今日のお目当ては、何といってもブルックナーだった。

交響曲第3番ニ短調は、ブルックナーが作曲家として名声を博するようになってからの(それは結構な年齢に達してからのことだが) 最初の交響曲である。私はこの交響曲のCDを、ブルックナーの作品の中では最初に買った(ハイティンク指揮ウィーン・フィル)。つまりは最初にきっちり聞いた作品ということになるのだが、当時第3番の録音は多くはなく、それは何といっても第4番「ロマンチック」だけが突出して有名だったことからも当然で、そんな中での第3番は、私のとっても冒険的支出であった。

ところが今回、演奏会のチラシを見ていると、指揮者のヤルヴィがまたこの曲を最初に聞いたブルックナーとして挙げていることがわかった。私は急にコンサートに行きたくなった。かつて第5番の演奏会にも出かけたが、聞いた席が悪かったのか、ちょっと失望に終わったのを覚えている。確かに第5番は難しい曲のような気がする。それに比べれば、第3番はもう少しわかりやすい。

私の第3番のコンサートにおける経験は2年前の、ミンコフスキ指揮都響によるものである。だがこの時の演奏は(大変な名演であることはこのブログにも書いた)、原典版という珍しいものだった。晩年、自作の改定を重ねていくことで有名なブルックナーの初期の作品である第3番は、その初稿(1846年)と第3稿(1877年)とでは聞いた時の印象が随分異なる。そのことも今回の演奏の聞きどころだったのだが、結論から言うと、より完成度の高い第3稿のほうが、聞きどころがわかりやすいものの、よくまとまり過ぎているような気がして(第1楽章などは初稿版は非常に長い)、初稿版の魅力というのもまああるのかな、というものだ。どちらもそれなりに面白いということか。

さてヤルヴィのブルックナーは、その弾むようなアクセントで、ブルックナーの新たな魅力を開拓しようとししている。丁度ベートーヴェンやシューマンがそうであったように。例えば第3楽章のトリオの部分などにそのことが顕著に表れていた。主題が終わって一息つくと、さあいよいよ聞かせどころですよ、という感じである。コンサートマスターがちょっと大げさに体を揺すってみたりして、ヴィオラのセクションなどもいつもより大きな身振り。チェロは左右に揺れる。

私の聞いていた位置は今回、1階席右横のA席で、ここはホルンを除く金管楽器が直接響き、音のバランスが良くないようだ。できれば向かって左側を押さえたかったのだが、土曜日の公演は既に満席であった。ヤルヴィはチェロやコントラバスなど、低音の弦楽器を左奥に配置する。第5番の時にも書いたのだが、そのことがもしかすると音色を濁らせる結果になっているような気がする。ソヒエフで聞くN響は、きれいな音がする(通常の配置)のだが。でもこれは、聞く位置によって異なるのかも知れない。

演奏は第2楽章の後半から徐々に良くなっていった。第1楽章では細かいミスもあった金管楽器も次第に溶け合い、特に第4楽章では金管と弦の見事なハーモニーが会場を満たした。一気に進む最後のコーダ部分に至っては、まさにブックナー節が満開で、この音を死ぬまで聞いていたいとさえ思った。

かつての老指揮者なら、テンポをぐっと抑えて大時代がかった演奏をするところも、若々しく現代的に颯爽と駆け抜けてゆく。ブルックナーにおける邪道だと思っている人もいるけれど、いつまでも古いスタイルがいいとも思わないし、世界の最先端を行く指揮者となると、そういう昔のコピーではいけないわけで、聴衆と演奏家の思いに乖離があるのがいつも心苦しいのだが、次第に世代交代も進み、演奏者も聴衆も若い人が増えてくれば、そのあたりの部分もゆっくりと変わってゆく。そのゆっくりさがまた、クラシック音楽の古風なところではあるが。

そんなことを考えながら、Spotifyでいくつかの第3番の演奏を立て続けに聞いてみた。新しいネルソンズやゲルギエフの演奏や、古くはヨッフム、チェリビダッケの演奏も簡単に再生できる。そんな中で、今回のヤルヴィの演奏に似て今なおモダンな演奏は、何といってもカラヤンだった。もしかしたらこの演奏をモデルにしているかも知れない。そこにもう少し現代風のメリハリとテンポ感をくっつけている。まあ私の力では、そのようなことしか分からないし、書けないというのもまた事実なのだけれども。

今シーズンのN響はこれで終わり。来シーズンのプログラムも発表されて、行きたい演目が並んでいる。9月には早くもヤルヴィの再登場で、マーラーの第5番となっている。それからエッシェンバッハの第2番「復活」、来年6月にはナガノの第9番とマーラーが盛沢山。ヨーロッパ公演にも挙げられるブルックナーの第7番(ヤルヴィ)やシュトラウスの「英雄の生涯」(ルイージ) 、勿論ソヒエフ(10月)やスラットキン(4月)も登場し、早くも目が離せない。

2019年6月16日日曜日

ニコラス・ナモラーゼ(p)・リサイタル(2019年6月9日、東京文化会館小ホール)

思いがけず妻がニコラス・ナモラーゼなるピアニストのリサイタルに行きたいと言うので、小雨模様の中、東京文化会館へ出かけた。会場に着いてみると数多くの人がロビーにいる。その理由は、大ホールで二期会公演「サロメ」(リヒャルト・シュトラウス)が開かれていたからだ。「サロメ」は私も注目していたけれど、ここのところ体調がすぐれない中、たとえ1幕物とは言え、物凄い集中力を必要とするオペラを見るだけの気持ちになれないでいた。だがピアノのリサイタルであれば、もう少し気軽に足を運ぶことができる。

ナモラーゼという若いピアニストの名前など聞いたことがない。それもそのはずで本公演が日本でのデビューとなる。もっとも世界的に見ても、まだデビューして間もない新星である。プロフィールによれば1992年ジョージア生まれとある。若干27歳ということか。CUNY(ニューヨーク市立大)に在籍しており、昨年カナダのホーネンス国際コンクールに優勝、今年2月にカーネギーホールでリサイタルを開いたらしい。「桁外れの芸術家」などと各種の批評が掲載されているが、日本でのコンサートは名古屋と東京のみだ。

東京文化会館の小ホールは、正方形を45度傾けたような形をしていて、その建築は若干古めかしいもののモダンで、なかなかいい音質だと私は思った。ロビーは広く、広い窓から見える上野駅前の雑踏からはかけ離れた空間である。やがて舞台を照らす照明の中に現れた青年は、まずスクリャービンのソナタ 第9番作品68「黒ミサ」という曲を弾き始めた。タッチの確かさと、揺らぎのない音感は、とても好感が持てる。あっという間の曲だった。

続くバッハのシンフォニア第9番へ短調BWV795を、続けて弾き始めたとき、私ははっと息を飲んで、椅子に座りなおした。少し眠くなっていたからかも知れない。ところが前半の最後の曲、バッハのパルティータ 第6番ホ短調BWV830を聞いている間中、それはそれは心地よい睡魔に襲われ続けた。演奏がつまらないからではない。何とも心地よい睡眠を誘うのは、その音楽か醸し出す音の波が、絶え間なく私の脳に一種の陶酔の状態をもたらしたからだ。安定した集中力と、その中に調和する繊細で確固たる音波のゆるぎない繰り返しは、バッハの構造的で夢幻的な面を十分に表現していた。

休憩時間にコーヒーを飲むと、頭がさえ渡り、後半のプログラムへ。まずシューマンの「アラベスケ」が聞こえてくる。私はここで、ロマン派はいいな、などと思っていたのだが、この曲が私の今日のお気に入りだったと思う。続く「晩の歌」もシューマンである。バッハとシューマン、それにスクリャービンに混じって、後半のプログラムは彼自身が作曲した「アラベスク」と練習曲第1番、第2番、第3番と立て続けに演奏した。自身の作品は、どこで切れ目があるのか(ないのか)もわからないので、拍手を挟む余地もなく一気に弾き終えた。

まだ始まって1時間半しか経過していない。そこでここからはアンコールということになる。何度か出てきてはお辞儀をすると、やおらピアノの前に座り、まずは「荒城の月」をアレンジした静かな曲でスタート。その後はオール・スクリャービンであった。それらは以下の通り。練習曲嬰ハ短調(作品42-5)、同嬰ニ短調(作品8-12)、同変ホ長調(作品48-8)、同嬰ハ短調(作品2-1)、同嬰へ長調(作品42-4)。アンコールは計6曲もあった。終わって会場を出ると、サイン会に並ぶご婦人方に混じって掲示されたアンコール曲を控えた。どこか間の抜けたロビーに向かうと、大ホールの「サロメ」はすでに終了していたことに気が付いた。

ナモラーゼというこのピアニストは、音の歯切れの良さが私の相性に合っているように思った。日曜午後のひと時を過ごすには、たまにはリサイタルもいい、と思った。

2019年5月28日火曜日

ヴェルディ:歌劇「運命の力」(英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマ・シーズン2018/19)

これまで何度も「ヴェルディの階段」を昇り降りしてきた。「ヴェルディの階段」とは私の造語で、ヴェルディ作品の発展を段階を意味している。1階にはまだベルカントの様式を残しつつも、若さとエネルギーに満ち溢れた初期の作品の数々が、2階部分には「リゴレット」「椿姫」「イル・トロヴァトーレ」を代表とする中期の作品群が、そして3階にはこのたび触れることになった「運命の力」や「ドン・カルロ」などの充実した大作が並んでいる。階段はまだ続き、上階には「アイーダ」が、さらに上には「オテロ」、最上階には「ファルスタッフ」といった具合である。

いずれも力溢れる名作ばかりの作品を、その初期の作品を除けばほぼすべて、実演かもしくは映画館でのライブ上演で接したことになる。ただ「運命の力」だけが残っていた。この作品は、「仮面舞踏会」や「シモン・ボッカネグラ」と並ぶ玄人好みの実力作品で、ストーリーに華やかさこそないものの、ドラマチックで重量感に満ちた「まさにヴェルディ!」と言いたくなるような作品である。「運命の力」には序曲がつけられていて、その高カロリー、ハイ・パワーな曲を聞いただけで身震いがするほどである。

「運命の力」がなかなか上演の機会に恵まれないのは、豪華な歌手陣を揃えることの困難さに加え、その歌唱が大変に難度の高いものだからであろう。陰惨なストーリーには、ソプラノとテノールによる「愛の二重唱」もなく、代わりにバリトンとテノールが決闘しながら歌うシーンが何度も登場する。祈りのシーンも多く、宗教色が強い。加えて、演出の難しさも指摘するべきだろう。場所はセヴィリャ、イタリアなど各地に亘り、時間の経過も大きい上に、そこに差しはさまれる滑稽な宴会シーンが、全体の集中をそぎ落としかねない。

そういった困難さを乗り越えて、今年の英国王立オペラハウスでは、一般前売りの前から全公演のチケットが売り切れるという前代未聞の事態が起こったらしい。それはキャストを見れば納得が行く。カラトラーヴァ侯爵の娘レオノーラにソプラノのアンナ・ネトレプコ、レオノーラの恋人でインカの血を引くドン・アルヴァーロに、テノールのヨナス・カウフマン、復讐に燃えるレオノーラの兄ドン・カルロに、ヴェルディ・バリトンの第一人者ルドヴィク・デシエという布陣である。ついでにグァルディアーノ神父にはバスのフェルッチョ・フルラネット、ジプシー女のプレツィオジッラには、ヴェロニカ・シメオーニ、グァルディアーノ神父と好一対をなすコミカルな神父、メリトーネにアレッサンドロ・コルベッリ、カラトラーヴァ侯爵には往年のロバート・ロイドが第1幕で少しだけ出演している。指揮はアントニオ・パッパーノ、演出はドイツ人のクリストフ・ロイ。

 運命の力は、ひょんなことから一家を滅亡に追い込む陰惨な結末となる。こういった舞台はスペインこそ相応しい。だかヴェルディはこのオペラを、サンクト・ペテルブルグからの依頼で作曲した。初版の台本は「椿姫」や「リゴレット」を手掛けたピアーヴェが担当し、ヴェルディ自身もジュゼッピーナ夫人を伴って極寒のロシアへ赴いている。だが、初版の結末があまりに惨かったこともあって、改訂作業にとりかかる。病床のピアーヴェに代わって台本の改定作業を行ったのは、後に「ドン・カルロ」と「アイーダ」の台本を手掛けるギスランツィオーニだった。

改訂版の最後では、それまで共に死ぬ設定だったドン・アルヴァーロのみが生き残り、天国に上るレオノーラと、彼らを見守るグァルディアーノ神父との美しい三重唱によって消えゆくように終わることになった。今回のコヴェント・ガーデンでの上演もこの改訂版に基づいている。

さて、舞台はパッパーノの指揮する見事な序曲から始まる。序曲のシーンですでにパントマイムが演じられるのは最近流行りの傾向だが、この舞台では子供たちが英国式の食事をとっているシーンから始まる。この子供たちは、幼いレオノーラや兄のドン・カルロが厳格な父に厳しくしつけられている。みな上流階級の衣装をまとっているが、これは舞台を20世紀前半に移しているからだ。このカラトラーヴァ侯爵家の一室が、これ以降に続くすべての舞台が演じられる共通空間となっていく。このことによって、舞台が散漫になることを防いだという見方もあるが、初めて見る私としては何とも物語に広がりがない。戦場のシーンも修道院のシーンも、あるいは第3幕の宴会のシーンも、同じ空間なのである。

第1幕に入っての見どころは、レオノーラの駆け落ちへの葛藤と、ドン・アルヴァーロの投げ捨てたピストルの暴発シーンである。レオノーラは愛する父親に反逆して駆け落ちを決意するが、それまでの父と娘のやりとりは、またもやヴェルディが全作品で見せた「父と娘」の愛情物語で、ここでもか、と思った。ここでレオノーラはまだ純情な少女だが、この舞台での紅一点の彼女は、このあと第2幕で男装した旅行客に、第4幕で一気に老けた修道女として登場する。その歌唱の見事な変化が、このオペラの最大の見どころのひとつかも知れない。もちろん、ネトレプコはこの変化を見事にこなし、それどころか今や彼女はヴェルディのすべてのレパートリーを満点でこなす大女優としての一面を、安定的に示し得た、まさに面目躍如たる円熟の舞台であった。特に第2幕の幕切れで、僧侶たち(男声)に合わせて歌うレオノーラの祈りは、ヴェルディの音楽が心に染み渡る瞬間だった。

第2幕がレオノーラ中心の舞台だとすれば、第3幕と第4幕の第1場はドン・アルヴァーロとドン・カルロの舞台である。男声二人による目まぐるしい関係の変化を、カウフマンとデシエは丁々発止繰り広げる。その不幸な出自ゆえ翳りがあって輝かしいカウフマンの声や容姿も役にピタリとはまっているが、それにも増してヴェルディらしさに溢れていたのは、デシエだったと思う。

3人の主役がそれぞれ第一の持ち歌を歌うシーンに、観衆が大声援を送る様は見ていて気持ちがいいのだが、それに加えてこのオペラの多彩な見どころが、今回のシネマ・ライブでは楽しめる。すなわち、ジプシー女の小唄「太鼓の響きに」(第2幕第1場)、物売りが戦地に登場して舞台が一気に乱痴気騒ぎと化す「タラプラン」(第3幕第2場)などである。これらの滑稽な挿入は、そこことがかえって悲劇性を助長するという効果をもたらすが、それも一歩間違えば、冗長さのあまり緊張の糸が切れかねない。だがそのことに関しては、今回の演奏と演出は大成功だったと言える。舞台で繰り広げられる、まるでミュージカル風のダンスは、見ていて楽しいものだったし、かといって連続する暗いストーリーを邪魔するものでもなかった。

幕間のインタビューで再三再四指摘されたのは、この作品の持つ宗教性とヴェルディ自身の教会との関りである。なぜなら教会の欺瞞と通俗性が、ことのほか強調された台詞が多いからだ。けれども一方で、ミサ曲にも通じるような歌詞とそれにつけられた祈りの音楽が、例えようもなく美しいのもまた事実である。祈りの作品は二人の神父の性格を際立たせることによって、大変見ごたえのあるもにになっている。すなわち、グァルディアーノ神父とメリトーネである。特にメリトーネを演じたコルベッリは、そのやや小柄で小賢しい歌によって、ピタリと役にはまり聴衆の拍手も一等多かったような気がする。

パッパーノの充実した指揮は、この長い作品を通して常に目を舞台に釘付けにする重要な役割を果たしていたことは、もはや言うまでもない。全体に完成度がすこぶる高い作品に仕上がった今回のシネマ・ライブだが、私はこれまでMETライブ(もう10年以上続き、私はこれを80作品以上見て来た)とパリ・オペラ座ライブ(最近やっていないようだが) しか見たことはなく、英国ロイヤル・オペラまで同様の企画をしていたとは最近まで知らなかった。今回の上演を見る限り、その完成度はなかなか高い。インタビューが中心で、幕間の舞台裏まで見せるMETとは異なり、むしろ作品に焦点を当て、その内容を掘り下げるというやり方は、作品の見るべき焦点を定めさせてくれる。

私はふだん東京のどこかでシネマ・オペラ作品を見ているのだが、今回は関西への出張が重なり、悩んだ挙句、西宮のTOHOシネマでみることになった。直前まで上映時間がわからず、予定を組むのが大変だった。さらに言えば、5000円と言う値段はいくら何でも高すぎるだろう。そういうことで、若干の不満もあるのだが、上映された作品自体については、前評判通り文句なく最高峰の見ごたえであったことは確かである。これで私は「ヴェルディの階段」に登場する主要作品のすべてを、このブログに書くことができた。あとは初期の作品をひとつずつ、楽しんでいく日々が待っている。すでにムーティのBOXセットを買ってある。私は重量級の後期作品よりも、初期の若きパワーの爆発する作品の方が、実は好きなのかも知れない。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...