2020年4月29日水曜日

ベルリオーズ:歌曲集「夏の夜」作品7、カンタータ「エルミニー」(Ms: ブリジット・バレイ、S: ミレイユ・ドゥランシュ、フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮シャンゼリゼ管弦楽団)

ヨーロッパの夏は日本同様かなり蒸し暑い日もあるのだが、それは長くても数日程度であり、夜になると涼しい風が吹いてくる。基本的には湿度が低いので、我が国のちょうど梅雨入り前の乾いた夏の日が良く似ている。

ベルリオーズが31歳の時に作曲した代表的な歌曲集「夏の夜」を取り上げるのはもう少し暑くなってからにしようと思っていたのだが、ちょうど相応しい季節が近づいてきたので取り上げることにした。そうしたら驚いたことに、これは必ずしも夏を歌った歌ではないことを発見した。たとえば第1曲「ヴィラネル」の歌詞は、このように始まる。

春が来て、
寒さが消えてしまったら
二人でスズランを摘みに森へ行こうね。

春が来たんだ!
ねえ、君。春は幸せな恋人たちの季節。
ここの音楽はとても印象的で、一度聞いたら忘れられない。開放的でとても綺麗な曲。ここの歌詞に登場するスズランは、我が国でも北日本、特に北海道の生息するが強毒性がある。

「夏の夜」はフランス詩人、テオルフィル・ゴーティエの詩6篇をもとに作曲されたが、すべて独立しているという。だがその歌詞を追っていけば、これは当然とも言うべき失恋の歌であることに気付く。第2曲「バラの精」も美しくゆったりとしているが、どことなく気だるさを感じる。舞踏会の衣装に付けていたバラが幽霊となって彼女にささやく。

お前の閉じた瞼をあけて、
処女の夢を追い出してしまいなさい!
第3曲「入り江のほとり」は「哀歌」という副題が付けられている。
私の美しい彼女は死んだ、
私は夜も昼も、泣き続けるだろう。
彼女は、墓の中まで、私の魂と
私たちの愛とを持って行ってしまったのだ。
愛を失った行き場のない絶望と哀しみが、切々と歌われて痛々しい。このような感覚は、歳をとると長年忘れていたものだと気付く。「夏の夜」というタイトルに相応しいのは、このあたりの歌詞からだろうか。
私はもう決して、彼女以外の女を愛することはないだろう。
ああ、何と辛い運命だろうか!
恋を失ったまま、ひとり船出をしなければならないとは!
第4曲 Absenceは「君なくて」と格好良く訳されているが、消失したことの悲しみがさらに深々と歌われる。
ああ!どうか、帰ってきておくれ、私の愛しい人よ!
太陽の光から遠ざかった花のように、
私の人生の花も、お前の真紅の微笑みから遠ざかったまま
しぼんでしまった。
「月の光」と題された第5曲「墓場にて」は、とうとう悲しみの頂点を脱し、少し明るさも見える静の世界へと変わってゆく。
あたかも魂が目をさまし
地下でその歌声に声を合わせて
泣いているかのよう。
そして、この世に一人残された者の不幸を
鳩の鳴き声をかりていとも優しく
嘆き悲しんでくれているのに違いない。
とうとう失恋の魂は昇華され、ようやく聞いていられる歌になった。終曲「未知の島」は、見知らぬ異国への憧れを歌う歌である。
いったい、あなたはどこへ行きたいの?
そこはいったいバルチック海なのか?
それとも太平洋?
あるいはジャワの島か?
はたまたノルウェーで
雪の花かアングソカの花を
摘もうというのか?
いったい、あなたはどこへ行きたいの? 
もう、そよかぜが吹き始めているよ。
失恋した若者は旅に出るものである。それでもしばらくは未練が彼を苦しめる。独りよがりの苦しみは、やがて異国の風景に紛れ込み、喧騒と灼熱のみが魂を鎮める。6月に雪が降ることがないように、もはや彼女は夢の中にしか現れない。それはもはや幻想であり叶うことのない夢なのだ。

「夏の夜」が終わってそのままにしていたら、何とあの「幻想交響曲」のメロディーが聞こえてきた。「恋人のモチーフ」に合わせてソプラノが歌いだす。この曲はベルリオーズが「ローマ賞」のために作曲したカンタータで、第2位に輝いたその作品は抒情的場面「エリミニー」と呼ばれていることを初めて知った。この20分余りの曲が、「夏の夜」を聞いた耳に何とも心地良くて、散歩の時間を延長して聞いてしまった。

幻想交響曲もまた音楽史を変えた失恋物語だが、ベルリオーズ自身の体験でもあるこの作品の主要メロディーは、意外にも過去の作品からの転用だったのだ。そしてこのオリジナルのカンタータはソプラノ独唱が常に歌い、「夏の夜」に比べるとより動きがあって、しかも美しい作品だ。歌付きの「幻想」は、とても新鮮である。

私は「夏の夜」を3回も実演で聞いている。最初は1990年3月にニューヨークで聞いたフィラデルフィア管弦楽団演奏会。指揮はリッカルド・ムーティ、独唱はバーバラ・ヘンドリックスだった。この時は特に印象はなく、フランスの歌曲などつまらないと思っていた。2回目は1993年、東京都交響楽団の演奏会で指揮は若杉弘、ソプラノ独唱は緑川まりだった。やはり印象は薄かった。だが直後に聞いた小澤征爾指揮ボストン交響楽団の演奏会では、はじめてこの曲を素敵な曲だと思ったのだった(独唱はスーザン・グラハム)。

私はこの曲のCDが欲しくなり、当時は毎週末に出かけていた池袋のHMVで、最初に聞いたヘンドリックスの歌うCDが売られていたのを発見し購入した。ベルリオーズの第一人者、コリン・デイヴィスが指揮するそのディスクには、ブリテンの「イリュミナシオン」やその他のフランス語の歌曲が収められていたが、どことなく平凡で私を感動させなかった。以来、この曲を聞くことはなかった。

このたび再度ヘンドリックスの演奏や、世評の高いクレスパンの歌う古いデッカ盤にも手を出してみたが、ソプラノの声が高すぎるのか違和感があった。そんな中でもっとも感銘を受けたのはオリジナル楽器によるヘレヴェッヘの演奏だった。ここで歌唱はメゾ・ソプラノのブリジット・バレイによって歌われている。 スイス生まれのバレイはさほど有名な歌手ではないが、フランス語を母国語とするヴォー州の出身で、軽やかで澄み切った歌声がオリジナル楽器によく合っていると思う。

このディスクで私は、「エルミニー」という幻想交響曲の原点ともいうべき素敵な曲に出会い、そしてオリジナル楽器によるベルリオーズのさわやかなロマン性も発見するに至った。初夏にも似た今日この頃の陽気に誘われて散歩する合間に、耳元で響くフランス語の歌曲に、しばし聞き入っている。

2020年4月25日土曜日

ベルリーズ:交響曲「イタリアのハロルド」作品16(Va:ピンカス・ズーカーマン、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団)

ある人がデュトワのヴィオラ独奏付き交響曲「イタリアのハロルド」は名演だ、と言った。この人は専らドイツ音楽が好きな人で、ベルリオーズなど聞くような人ではないから不思議に思ったが、やがて合点がいった。確かヨーロッパだったかへの出張帰りの直後で、おそらく機内のオーディオ・プログラムで最新リリースの演奏を聞いたのだろう。「イタリアのハロルド」は幻想交響曲に比べると有名ではなく、地味である。ただヴィオラの独奏が協奏曲のように加わっているのが興味深かった。その時から、私も「イタリアのハロルド」を聞くときには、デュトワの演奏にしようと思っていた。

けれども聞いたこともない曲のCDを買うのは勇気のいることで、何せ1枚3000円近くもするCDの新譜は、学生の私には大変な出費だった。結局それから何十年もたって、私はようやく「イタリアのハロルド」を聞くことになった。デュトワの演奏は1987年の録音で、ヴィオラ独奏はピンカス・ズーカーマンである。

ヴィオラ付きのオーケストラ作品は非常に珍しいが、この曲はあのヴァイオリンのヴィルトゥオーゾ、パガニーニの依頼により作曲されている。パガニーニはヴィオラも弾いていたということだろう。パガニーニは幻想交響曲を聞いて感動し、ヴィオラのための作品を依頼したのだ、とのことである。やがてパガニーニはこの曲を聞いて大いに感動し、大金を差し出した。これに感動したベルリオーズは、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」をパガニーニに献呈した、と音楽史には書いてある。

パガニーニが自らヴィオラを弾いて、この曲を演奏したことがったかどうかよくわからないが、ヴィオラの技巧を示すというよりも、より純音楽的な意味でこの曲の持つ牧歌的な味わいは捨てがたい。ビゼーの交響曲などにもつながるような自然なリズムが、聞く者を魅了する。だが不思議なことに、どんな演奏で聞いてもそう感じるわけではない。少なくとも私の場合はそうだ。

ベルリオーズの作品についていつも思うのだが、演奏がしっくりくるときにはとてもいい曲に聞こえるのに、つまらない演奏で聞くと何かぼやけて捉えにくい。私の経験では、ミュンシュやデュトワ、それに小澤征爾の演奏がしっくりとくる。この「イタリアのハロルド」に関しては、知る限りデュトワの演奏しか思い浮かばない。

「イタリアのハロルド」の4つの楽章には、それぞれ標題が付けられている。

  第1楽章「山におけるハロルド、憂愁、幸福と歓喜の場面」
  第2楽章「夕べの祈祷を歌う巡礼の行列」
  第3楽章「アブルッチの山人が、その愛人によせるセレナード」
  第4楽章「山賊の饗宴、前後の追想」

このうちもっとも印象的なのは、のどかな田舎のお祭りを思わせるようなリズムの第3楽章ではないだろうか。オーボエによる主題がメランコリックに響くとき、私はどこかにひとり旅をしているような気分になる。やがてヴィオラが絡んでは来るが、その様子は控えめであるのが好ましい。

そう、この曲はヴィオラが目立ち過ぎてはいけないのだと思う。あくまでオーケストラが主体で、そっと寄り添うのがいい。もっと言えば、ベルリオーズの作品全体に言えることは、かなり多くの場面で独奏楽器による表現が目立つものの、全体の調和を乱してはならないことだろう。指揮には絶妙のバランスとパースペクティブが求められる。

第1楽章の序奏がまるでワーグナーの楽劇のように静かに始まって、 やがて主題がヴィオラによって奏でられるとき、いい演奏で聞くと胸が締め付けられるような懐かしさがこみあげてくる。若い日の頃を思い出すかのように、遠くを見つめ、しばし当時触れた景色などを回想するような部分は、ゆっくりと情緒を込めて欲しいと思う。

第2楽章の心地よい巡礼者の行進を聞きながら、私は晩春の陽の中をひとり散歩している。眠気を誘うにはまだ少し寒い今年の4月は、世界的な感染症のパンデミックによってすべてが静止してしまった。静止画のような風景の中で、耳元には静かに音楽だけが聞こえている。ここでズーカーマンのヴィオラは、技巧的であるというよりは余裕のあるさりげなさで、デュトワの柔らかくも優美なセンスに上手く溶け合っている。

マゼールの演奏聞くとやかましいだけの第4楽章も、この組み合わせによる表現は秀逸だ。絢爛華麗な曲だが、幻想交響曲のような毒性はなく、エキセントリックな演奏ではもたない。従ってデュトワのような見通しの良い演奏が望ましい。前の楽章のメロディーが回想されるが、もはやヴィオラの独奏がほとんどないのもこの曲の面白い特徴だろう。

なお、このCDには序曲「ロブ・ロイ」が含まれている。この序曲も牧歌的なオーボエのソロが印象的で、どことなく「イタリアのハロルド」の延長のような趣きである。やはりデュトワの全体を俯瞰した曲想が、ゆとりをもって聞き手に届く名演だと思う。

2020年4月23日木曜日

ベルリオーズ:序曲集(シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団)

いくつかあるベルリオーズの序曲のなかで、最も有名なのは「ローマの謝肉祭」だろう。騒がしい部分とメランコリックな部分が交互に現れる気分のいい曲で、思い出すのは「三大テノール」のパリ公演の冒頭で演奏されたものだ。夕暮れ時のパリ市内を空撮した映像は、エッフェル塔の前に設けられた特設ステージに集まる数多くの聴衆の前にズームインしてゆく。だがこのような祝祭的光景も、コロナ禍の中では色あせて見える。今後しばらく望めない光景だろうか。

「ローマの謝肉祭」の演奏は、しっとりと落ち着いたものもあるが、ミュンシュの演奏のように賑やかで速い演奏が結局は楽しい。「ローマの謝肉祭」に限らず、ベルリオーズの音楽全般にそういう傾向がある。バランスが難しいとでも言おうか、激情的な演奏は何度も聞くと飽きるし、ゆっくりとした演奏はつまらないと感じることがある。集中力を保つのが難しいとも言える。

ミュンシュの指揮した序曲集は激しい方の部類で、ベルリオーズの音楽のある種の側面を表現し尽つくしているが、ベルリオーズの音楽の特性がよく計算されており、破綻しているわけではない。大人しいデュトワやC.デイヴィスによる正確で理知的な演奏よりも、しばしば好ましい。ただ録音が古くて奥行きに乏しく、何かおもちゃのように聞こえてしまうのが惜しい(この点はリマスタ技術によりかなり改善されている)。

二つの歌劇の序曲、すなわち「ベアトリスとベネディクト」と「ベンヴェヌート・チェルリーニ」は、序曲のみが有名だがこれらの音楽からほとばしりですキラキラとしてダイナミックな音感は、ミュンシュとボストン響の黄金時代を思わせる驚異的なアーティキュレーションによって、聞く者を唖然とさせる。他の演奏で聞くと別の曲のように聞こえる。序曲「海賊」でも同じだ。大盛況に終わったコンサートのアンコールを聞くような熱くてストレートな演奏に興奮する。これらの作品と演奏で、ベルリオーズのファンになれるかも知れない。

序曲のうちいくつかを欠いているものの、他の作品で演奏される管弦楽曲を、このCDは収録している。歌劇「トロイ人」より「王の狩と嵐では、その表現の美しさが際立っている。「トロイ人」は非常に長いオペラで、初めて聞いただけではどんな音楽があったのか思い出せないのだが、こういう部分があったのかと気付かされる。同様に交響曲「ロメオとジュリエット」の中のスケルツォ「マブの女王」も息をつかせず走り抜ける名演で、曲の面白さに感銘を受ける。全般に他の演奏では味わえない興奮と楽しさを感じることは間違いない。なぜ、他の演奏はつまらないのかと思う。魔法のようだ。

ミュンシュの演奏を聞いていたら、若き小澤征爾の代表的な著作「僕の音楽武者修行」を思い出した。この文章にはブザンソンの指揮者コンクールで優勝した後、ミュンシュの弟子として練習に立ち会えたこと、そのことがもとでタングルウッドの音楽祭にも参加することができるようになったことなどが、瑞々しい感性で綴られている。ボストン交響楽団の音楽監督に登りつめる小澤の音楽は、その原点にミュンシュの存在が大きく影響しているのは確かである。

なお、この序曲集には、 序曲「ウェーヴァリー」作品2、序曲「宗教裁判官」作品3、序曲「リア王」作品4、序曲「ロブ・ロイ」が含まれていない。これらを含む完全な序曲集は、シャルル・デュトワやコリン・デイヴィスの演奏で聞くことができる(序曲「ロブ・ロイ」は後述する「イタリアのハロルド」に収録)。特にデュトワによる演奏は冷静で整っているが、フランス風の軽やかなサウンドも持ち合わせていて、デッカの録音もいい。一方、ここで取り上げたミュンシュのディスクには、最後にサン=サーンスの交響詩「オンファーレの紡車」も収録されている。


【収録曲】
1.ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」作品9
2.ベルリオーズ:歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲
3.ベルリオーズ:序曲「海賊」作品21
4.ベルリオーズ:歌劇「トロイ人」より「王の狩と嵐」
5.ベルリオーズ:歌劇「ベンヴェヌート・チェルリーニ」序曲
6.ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」よりスケルツォ「マブの女王」
7.サン=サーンス:交響詩「オンファーレの紡車」作品31

2020年4月19日日曜日

ベルリオーズ:幻想交響曲作品14(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

確か中学二年生の頃、私はいつものようにラジオを聞きながら学校の宿題をこなしていた。夜の8時頃になるとNHK-FMでは毎夜、クラシック音楽の番組が流れていて、その日は幻想交響曲の録音を流していたのだろうと思う。今ではクラシック音楽の番組は無残にも減少し、私の心も離れてしまって久しいが、当時は海外の演奏会の録音を楽しみして聞いていた。

誰の公演だったかは記憶がないが、演奏が終わってからの隙間の時間に、音楽評論家が幻想交響曲の第2楽章を聞き比べてみるという企画を行った。趣きの異なる複数の演奏が順に流れた。そしてどの演奏だったかはわからないが、私はそれまで味わったことのない気持ちを経験したのだ。背筋がぞくぞくするというのは、こういうことを言うのだろうと思った。まるで雷に打たれたように、電流が全身を駆け抜けた。意識が朦朧とした中で繰り広げられる舞踏会のメロディーは、私をくぎ付けにした。

この時の演奏の一つは、シャルル・ミュンシュによるものだったと勝手に決めつけている。なぜなら「幻想」と言えばミュンシュ、ミュンシュと言えば「幻想」と言うくらいにこの曲は、ミュンシュの演奏を避けて通れないからだ。ミュンシュの「幻想」のLPレコードは我が家にも合った。首吊りの縄の写真が「LIVING STEREO」の文字とともに入ったジャケットを記憶しているから、これはボストン交響楽団との演奏(古い方)だったのではないかと思う。けれども私はこのレコードを真剣に聞いたことはない。あまりに何度も聞かれた後で、盤はすり減り、針が飛ぶような事態になっていたからだ。こういう運命的な出会いとなったベルリオーズの「幻想交響曲」だったが、通して聞くことはなかった。

その私がこの曲に圧倒的な感銘を受けた演奏が3つある。ひとつはここで取り上げるバーンスタインの旧盤。もう一つはコリン・デイヴィスがコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して録音した歴史的名演奏、それに実演で聞いた若杉弘指揮東京都響のものである。実演を含め、他の演奏にも接してはいるが、この3つの体験のほかは印象が薄い。この中には小澤征爾指揮ボストン響やカンブルラン指揮読響(いずれも実演)やビーチャム盤のCDなども含まれる。一定の条件がそろった時、この曲は大化けして圧倒的な感銘を与える。

このような私の経験が示すように、ベルリオーズの音楽、とりわけ「幻想交響曲」にはそのテーマ同様の麻薬のような潜在的効果がある。けれども私は当初、ベルリオーズの音楽に少なからぬ戸惑いを感じていたのも事実だ。それはどういうことか。

「幻想交響曲」はベートーヴェンの死からたった3年後に、若干26歳のベルリオーズが作曲した作品である。原題には「ある芸術家の生涯の出来事」とあり、自らの失恋経験を元にしている。そして各楽章には逐一ストーリーが付けられていて、いわゆる「標題音楽」としての革新的作品とされ、ベートーヴェンからロマン派への流れを一足飛びに飛躍させた感がある。私の戸惑いは、ベートーヴェンまでの音楽が持つある種形而上的な芸術性から離れて、私小説風の世界へと作品の動機が変わってしまったことにあるのだろうと思う。

モーツァルトはベートーヴェンの音楽を聞いても、そのころにどういう体験をしていたか、といった個人情報は研究家の助けを借りなければわからない。なるほどだからこの頃の音楽は哀しみに溢れているだ、などと「理解」するのである。けれども「幻想交響曲」は作曲者の体験そのものを音楽にしている。そこに芸術的な動機は隠れている。フランス人にしてこのような模索が可能だったのか、あるいは時代の流れなのか。そして若い頃に聞く「幻想交響曲」は、自分自身の経験をも投影して聞く者の個人的な情感をも試す。

このような呪縛から逃れる必要があった。我が国ではミュンシュの指揮するパリ管弦楽団の演奏が名高いが、私はより客観的で醒めたアプローチが好きである。それはベルリオーズのスペシャリスト、コリン・デイヴィスの演奏である。カラヤンもいい。そしてバーンスタインもまた、その流れに属するような気がする。ただ若い頃のバーンスタインの演奏には若々しいエネルギーがみなぎっていて、ストレートに曲の魅力が伝わって来る。

少し長くなるが、ここに作曲者自身が書いたプログラムをWikipediaから抜粋しておこうと思う。ベルリオーズはこのプログラムを必ず掲載するように求めている。

病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞えてくる。
第1楽章「夢、情熱」
 彼はまず、あの魂の病、あの情熱の熱病、あの憂鬱、あの喜びをわけもなく感じ、そして、彼が愛する彼女を見る。そして彼女が突然彼に呼び起こす火山のような愛情、胸を締めつけるような熱狂、発作的な嫉妬、優しい愛の回帰、厳かな慰み。

第2楽章「舞踏会」
 とある舞踏会の華やかなざわめきの中で、彼は再び愛する人に巡り会う。

第3楽章「野の風景」
 ある夏の夕べ、田園地帯で、彼は2人の羊飼いが「ランツ・デ・ヴァッシュ」を吹き交わしているのを聞く。牧歌の二重奏、その場の情景、風にやさしくそよぐ木々の軽やかなざわめき、少し前から彼に希望を抱かせてくれているいくつかの理由[主題]がすべて合わさり、彼の心に不慣れな平安をもたらし、彼の考えに明るくのどかな色合いを加える。しかし、彼女が再び現われ、彼の心は締めつけられ、辛い予感が彼を突き動かす。もしも、彼女に捨てられたら…… 1人の羊飼いがまた素朴な旋律を吹く。もう1人は、もはや答えない。日が沈む…… 遠くの雷鳴…… 孤独…… 静寂……。

第4楽章「断頭台への行進」
 彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。

第5楽章「魔女の夜宴の夢」
 彼はサバト(魔女の饗宴)に自分を見出す。彼の周りには亡霊、魔法使い、あらゆる種類の化け物からなるぞっとするような一団が、彼の葬儀のために集まっている。奇怪な音、うめき声、ケタケタ笑う声、遠くの叫び声に他の叫びが応えるようだ。愛する旋律が再び現われる。しかしそれはかつての気品とつつしみを失っている。もはや醜悪で、野卑で、グロテスクな舞踏の旋律に過ぎない。彼女がサバトにやってきたのだ…… 彼女の到着にあがる歓喜のわめき声…… 彼女が悪魔の大饗宴に加わる…… 弔鐘、滑稽な怒りの日のパロディ。サバトのロンド。サバトのロンドと怒りの日がいっしょくたに。 

ベルリオーズはフランス人らしく、自尊心に溢れ、自己顕示欲が強かったことがよくわかる。若い頃は「幻想交響曲」しか聞いたことがなかったが、今では他の作品も良く知られており、私も耳にする機会が増えた。

「幻想交響曲」の中での聞き所は沢山あるが、私はとりわけ第3楽章を好む。ここでコール・アングレの美しい響きは特筆すべきものである。 直線的で激情的な演奏を好む若い頃は、この第3楽章をつまらない部分だと思っていた。だがある時をきっかけに、この部分が非常に美しいと思えるようになった。ベルリオーズの音楽の不思議さは、このような相反するような性向の奇妙な同居だろう。「サイケデリック」(とバーンスタインは言った)な音楽の前後で、メロディーは時に非常に美しい。

ハープや太鼓、それに鐘の音などが入り混じり、興奮の中をコーダに向かって進む後半の楽章は、続けて演奏される。どんな演奏家でも、ここを集中力を持って演奏されると、聞いているだけで圧倒的な感銘に見舞われる。プログラムに「幻想」と載っていたら、チケットを買いたくなる。

なお私が持っているバーンスタインによるニューヨーク・フィルの1963年の演奏のCDには、 「Berlioz Takes A Trip」と題された解説が付けられている。バーンスタインが残した一連のニューヨーク時代の録音の中では、ショスタコーヴィチの交響曲第5番やコープランドの録音と並んで、特に素晴らしい演奏のひとつだろうと思う。


(追記)
バーンスタインは1963年の演奏に不満を抱いており、1968年に同じニューヨーク・フィルと再録音している。しかしSONYよりリリースされているのは1963年の録音で、1968年は入手が困難なようだ。この二つと、後年フランス国立管弦楽団を指揮して録音した3種類の演奏を見分けるのは、第3楽章の長さを深くすることだ、とある人がamazonのコメントに記している。

  1963 = 17:14
  1968 = 15:09
  1976 = 16:32

なお、Royal Edition(ジャケットにチャールズ皇太子の絵が採用されているもの)として発売された録音は1968年と記載されているが、これは1963年のものと誤記されているようだ。私は1968年の演奏も1976年の演奏も聞いていないが、1963年の演奏が十分に素晴らしく、特に第3楽章がゆったりとしているのを大いに好ましいと考えている。

2020年4月17日金曜日

ベートーヴェン:ミサ曲ハ長調作品86(ヘルムート・リリング指揮シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム他)

晩年の大作「荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)」の陰に隠れているためか、ベートーヴェンのもう一つのミサ曲ハ長調作品86については、ほとんど接する機会がない。だが珍しいことに、私自身のコンサートの記録を見ると、過去に一度この曲の実演を聞いている。1993年春、NHK交響楽団の定期公演で、指揮はクラウス・ペーター・フロールだった。昔のコンサートでは、聞いた事実さえ忘れてしまっているものも多いので、この演奏会は少しは記憶に残っていたようだ。50分くらいの曲だからプログラムの後半に置かれ、前半にはメンデルスゾーンの劇音楽「真夏の夜の夢」序曲とモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番「トルコ風」を聞いている。こちらの記憶はまったくない。

序奏はなくいきなり「キリエ」の合唱から始まる。桜の花もすっかり散った陽気な春の陽射しの中を、私はいつものように近くの運河沿いの小径を散歩している。今年は新型コロナウィルスの影響で、街中が閉鎖されたような空間に成り果て、道行く人もまばら。まるでバブル発生前の80年代に時代を逆戻りさせてしまったかのような静かな中を、何とも言えないような気持になりながら、ひとり歩いている。このような心境の中に「キリエ」が静かに響く。

「グローリア」と「クレド」はいずれも大曲である。「キリエ」が5分くらいの長さなのに対し、それぞれ10分程度もある。「グローリア」と「クレド」はいずれも後半で、それまでとは違った雰囲気になる。この細かな仕掛けは、ベートーヴェンがこの曲に込めた野心とも言うべき趣きを露呈している。

ミサ曲ハ長調の作曲を依頼したのは、アイゼンシュタットに住むエステルハージ公だった。エステルハージ公と言えば、ベートーヴェンの師でもあるハイドンが長く仕えた貴族で、その任務を終えた後もミサ曲を数多く作曲している(毎年1曲ずつ作曲したと言われている)。しかしハイドンの高齢に伴いこの習慣は1802年に途絶える。ベートーヴェンが新しいミサ曲の委嘱を受けたのは、1807年のことだった。この時ハイドンはまだ存命である。

ベートーヴェンはおそらくハイドンのミサ曲を研究したに違いない。そして師を超える曲を作曲したと思っただろううか、その自信を隠しながら、控えめにこの曲を贈った。しかし初演の成果は良くなかった。エステルハージ公は直接、ベートーヴェンにくだらない作品だと告げたのである。

私がこの曲を初めて聞いた時も、一体どの部分を聞いているのかもわからなくなるような印象を持った。おそらく一度聞いただけでは、とらえどころのない作品のように思えるのかも知れない。だが繰返し何度も聞き続けるうち、円熟期のベートーヴェンの持つ魅力が徐々に伝わって来る。ヘルムート・リリングとシュトゥットガルト・バッハ・コレギウムによる演奏は、シュトゥットガルト・ゲッヒンゲン聖歌隊の見事さに加えて4人の独唱(キャサリン・ヴァン・カンペン(S)、インゲボルク・ダンツ(A)、キース・ルイス(T)、ミヒャエル・ブロダルト(Bs))も申し分がない。ベートーヴェンが書いたミサ曲の魅力が、良好な録音(1993年)によって直截的に伝わってくる。テンポにもメリハリがあって弛緩することもなく、しかも広がりがある。私が聞いた何種類かの演奏の中で、もっとも聞きごたえがあった。

「サンクトゥス」はまた雰囲気が変わって、静かな曲である。それに続く「ベネディクトゥス」は、心が落ち着く曲だ。この作品の隠された斬新さは、おそらく転調の多い曲変化にあるのだろうと思う。作曲家◎人と作品シリーズ「ベートーヴェン」(平野昭著、音楽之友社)には、「転調による響きの斬新さや楽曲構成に伝統的なミサ曲との大きな違いが見られる」と書かれている。もしそうだとしたら、エステルハージ公は伝統的な音楽観に捕らわれて、ベートーヴェンの音楽がすぐには理解できなかったのかも知れない。だからこそベートーヴェンはあえて事前に、ハイドンを讃え自分はハイドンを越えることはできないかも知れないと、あえてへりくだったのかも知れない。

これは、ベートーヴェンの音楽の多くの斬新な作品に見られる傾向である。丁度このミサ曲が作曲されたのは、交響曲第5番の頃だった。そして晩年の大作であるもう一つのミサ曲「荘厳ミサ」は交響曲第9番と並行して作曲された。ハ長調ミサは大変素晴らしい曲だが、「荘厳ミサ」を聞くと、とてつもなく大規模で大胆な曲であることに気付く。この「荘厳ミサ」については、生誕250年のベートーヴェン・イヤーの今年中に取り上げてみたいと思っている。だが私自身、その魅力を語るだけの素養が身についているか甚だ自身がない。

「アニュス・デイ」ではハ短調からハ長調に転じ、回想するような静かな祈りの中に曲が終わる。この急速な閉塞感と不安感が入り混じるコロナ禍の中で、ベートーヴェンのミサ曲を聞いている。道行く街路には、暇を持て余した人々が適度に距離を保ちながら、静かに思い思いの行動をとっている。そして青空に映える桜の木々は、いつのまにか花が散って青々とした葉に変わっている。

2020年4月10日金曜日

ベートーヴェン:合唱幻想曲ハ短調作品80、カンタータ「海の静けさと幸ある航海」作品112(P: マウリツィオ・ポリーニ他、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

クラウディオ・アバドがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音した80年代のベートーヴェン全集の中で、田園交響曲を収録したCDは私の宝物のひとつである。この演奏には個人的な思い入れがある(ただし演奏は平凡である)。そしてそのCDに併録されているのが、いずれも合唱を含む短い曲、「ピアノ・合唱・管弦楽のための幻想曲」(いわゆる「合唱幻想曲」)と、ゲーテの詩に基づくカンタータ「海の静けさと幸ある航海」(あるいは「静かな海と楽しい航海」)である。

カンタータ「海の静けさと幸ある航海」は、ゲーテの2つの詩を用いた作品で、しかもゲーテ自身に献呈されている。足してもわずか8分の曲は混声合唱団を含み、1814年から1815年にかけて作曲された。ここで思い起こすのは、文豪ゲーテとその21年年下だったベートーヴェンとの関係である。

一般にゲーテとベートーヴェンは、あまり関係が良くなかったとされている。私もそう思っていた。いくつかのエピソードが、そのことを示していることも教えられた。しかしベートーヴェンはゲーテのために作曲した作品が結構多い。そのような中で、劇音楽「エグモント」は最も有名である。「エグモント」は1810年頃に作曲されている。そしてベートーヴェンがボヘミアのテプリッツでゲーテに会うのが1812年のことである。

ベートーヴェンの研究家として知られる作家のロマン・ロランは、二人の関係を調べた最初の人かも知れない。彼はベートーヴェンが、かねてより憧れていたゲーテに対して不遜な態度を示したこと、それがもとでゲーテはベートーヴェンを遠ざけるようになったこと、などを記している。ところがよく調べてみると、ベートーヴェンはその後、以前にもましてゲーテに好意をいだくようになり、またゲーテの側もベートーヴェンの音楽を好むようになったとのことである。このあたりの経緯は「ゲーテとベートーヴェン―巨匠たちの知られざる友情」(青木やよい著・平凡社新書)に詳しいようだ。興味深いので読んでみたいと思っているが、最近目が悪く、読み通せるか自信がない。

そのようなベートーヴェンとゲーテの出会い(1812年)と、その1か月後の再会を通して、互いを尊敬しあうような関係になっていった、というのが上記の書の内容だが、そうであればこのカンタータ「海の静けさと幸ある航海」が、1814年に作曲され、原作者に献呈されているのも頷ける話である。ただこの作品は、現在では取り上げられることはほとんどない。興味深いのは、メンデルスゾーンが同じ詩に同じタイトルの作品を作っていることだ(1830年)。ゲーテは、ベートーヴェンよりも後まで生き続けたため、幼少期のメンデルスゾーンに会い、その天才ぶりに驚いたエピソードは有名である。メンデルスゾーンは、尊敬するゲーテの「イタリア紀行」を携えてイタリアを旅行している。

ベートーヴェンのもう一つのカンタータである合唱幻想曲は、ピアノと合唱とオーケストラが絡み合う印象深い作品である。最初はピアノ・ソナタのような独奏で始まり、続いてオーケストラが入ってきてピアノ協奏曲のような音楽となる。さらには合唱が入って3つ巴の展開となるに従い、規模も大きくなり、壮大に曲が終わる。

この曲は1808年に作曲され、交響曲第5番や第6番「田園」などとともに初演されている。にもかかわらずこの曲の主題は、あの交響曲第9番の終楽章のメロディーの原型とも言えるものである。 たかだか20分程度の曲なのに、独奏ピアノのほか、独唱者6名(ソプラノ2、アルト、テノール2、バス)、さらに四部合唱が加わるという大がかりな編成で、それ故か演奏される機会がほとんどない。

このたびアバドの指揮で聞いた「幻想合唱曲」のソリスト、合唱は以下の顔ぶれである。

 マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ)
 ガブリエラ・レヒナー(ソプラノ)
 グレートヒェン・イーダー(ソプラノ)
 エリーザベト・マッハ(アルト)
 ヨルク・ピータ(テノール)
 アンドレアス・エスダース(テノール)
 ゲルハルト・イーダー(バス)
 ウィーン国立歌劇場合唱団

たったひとつの主題が様々に変奏・展開されてゆく興味深い作品。春の夜道を散歩しながら、毎日のようにベートーヴェンの知られざる管弦楽曲を聞いてきた。そしてとうとう残すところは、ハ長調ミサだけとなった。

2020年4月5日日曜日

ベートーヴェン:ウェリントンの勝利(エリック・カンゼル指揮シンシナティ交響楽団)

ベートーヴェンを神格化し「楽聖」として崇めるドイツ音楽至上主義者にとって、しばしば「ウェリントンの勝利」と名付けられた管弦楽曲(その後の分類に照らせば交響詩のような作品)は、見たくない作品とされてきた。どうしても無視できない時には、「戦争交響曲」と呼ばれることもあるこの作品を、戦争を正当化し、大衆に迎合する作品として、ベートーヴェンの駄作に分類してきた。そのように烙印を押された本作品は、しなしながらベートーヴェンの交響曲第7番とともに初演され、大好評を博したことにより、巨額の収入を作曲者にもたらしたことは事実である。

芸術としての音楽、その崇高な精神を具現化したベートーヴェンの作品の中で、これほど評価の低い作品はない。だが、どういった扱いをされようと、聞いてみないわけにはこのような評価が正しいのかも判断できない。実演で全く演奏される機会のない作品であるにもかかわらず、この作品の録音は結構ある。古いところではドラティが、カラヤンが、そしてマゼールに至っては2度も録音している。交響曲第7番とカップリングしたのはマリナーだった。

そういうわけで、私としてもこの作品を無視するわけにはいかず、初めてカラヤンの演奏を聞いてみた。ステレオ効果によって左右から異なる太鼓やラッパの響き。やがて良く聞く「ルール・ブリタニア」のメロディー。そこに混じるのは火器を使用した銃声の音や戦車の大砲。効果音が挿入される中、フランス軍は撤退し、イギリス軍が勝利を収める。

音楽は2部構成。第1部で戦いが描写的に描かれ、第2部で英国の勝利の賛歌となる。英国国家の変奏曲も聞かれる。戦争が美化され、フランス軍の敗北に沸き立つオーストリアの民衆に、この作品は大いに受けたようだ。マリナーの演奏で聞くと、さらに野原の動物や野鳥の鳴き声までが挿入され、さながらハリウッド映画のようでもある。もしかしたらこの作品は、現在に続く映画音楽の魁となったのだろうか。

エリック・カンゼルはウィーンで学んだアメリカ人の指揮者だが、シンシナティ・ポップスを指揮して数多くの楽しいライト・クラシックの作品を録音した。テラークは80年代を中心に先駆的な録音技術を総動員して、数々の効果音をデジタル収録し、音楽に差し挟むことによって新しいマーケットを創造した。ディズニーの音楽を収録した一枚は、我が国でも長年、ヒット・チャートの第1位を続けた。シュトラウスのワルツやポルカも、爆竹や汽車の音がミックスされ、楽しいことこの上ない。であれば、この「ウェリントンの勝利」を収録したCDもまた、ド派手な演出なのだろうかと思いきや、その音楽の流れは自然で純粋であり、原作を忠実に再現していると言える。

「ウェリントンの勝利」が描く戦争とは、スペインにおけるビトリアの戦いのことで、1813年のことである。ここで思い出すのは、後年チャイコフスキーが作曲した序曲「1812年」のことだろう。この作品もフランス・ナポレオン軍の敗退とロシア軍の勝利が、さながら戦争映画のように描かれている。大砲や鐘の音も挿入され、その様子は「ウェリントンの勝利」を彷彿とさせる。チャイコフスキーはベートーヴェンからこのアイデアを参考にしたのであろうか。私がここで取り上げたカンゼルによる録音でも、チャイコフスキーの序曲「1812年」とカップリングされている。

2020年4月2日木曜日

ベートーヴェン:劇音楽「アテネの廃墟」作品113(S: アーリーン・オジェー、Br: クラウス・ヒルテ、Bs: フランツ・クラス、ベルンハルト・クレー指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、RIAS室内合唱団)

ベートーヴェンの隠れた作品の中でも、劇音楽「アテネの廃墟」(全曲)ともなると録音件数もめっきり少なくなる。少し検索してみても、モノラル時代のビーチャム盤くらいしかヒットしない。伸びやかな旋律の麗しい序曲はしばしば聞かれ、「トルコ行進曲」に至っては誰もが知っているにもかかわらず、その他の部分については知られることもない。

そうであればあるほど一度は聞いてみたいと思うもので、今ではSpotifyを使えばたちどころにいくつかの演奏が見つかる。その中で2018年にリリースされたナクソスの録音(セーゲルスタム指揮トゥルク交響楽団による演奏)が興味深い。この録音では実にナレーションまでつけられており、世界初との触れこみである。今年(2020年)のベートーヴェン生誕250周年に向けたプロジェクトだそうである。

私もその演奏を一度は聞いてみたが、ドイツ語によるナレーションで長くなった曲は全体的に冗長で、演奏自体もどこかパリっとしない。独唱を含め、この録音にはそのチャレンジを評価するが、「アテネの廃墟」についてはもう一つのクレーによる録音がいいと思う。

クレーは1970年に天下のベルリン・フィルを指揮して、ベートーヴェンのほとんどの管弦楽曲を録音しているようだ。「エグモント」や「プロメテウスの創造物」、ドイツ舞曲などを含む演奏は、カラヤンが君臨していたベルリンの音だけに申し分ない。この演奏があまり評判になっていないのは、レコード会社の怠慢によるものではないかと思う。

劇音楽「アテネの廃墟」はベートーヴェンが交響曲第7番あたりを作曲していた頃(1811年)に完成した。従ってもう円熟期の作品である。にもかかわらず肩の凝らない作品で、全体的に伸びやかである。そのあたりがこの作品の魅力のような気がする。明るい陽光の降り注ぐギリシャを舞台にしているということもある。

ブダペストで落成した劇場のための作品として書かれたこの作品は、そのストーリーもまたこの街と関係のあるもので、トルコ軍の侵攻によって廃墟と化したアテネを離れてブダペストの街に逃れ、芸術の街が再生するというものだそうだ。ハンガリーはアジアの影響のある国で、トルコもまたウィーンに影響を与えた勢力である。従ってオリエント風の音楽が随所に現れる。

それはまず、第3曲の回教僧の合唱であり、そして言わずと知れた次の第4曲「トルコ行進曲」である。トルコ行進曲はピアノ連弾用としても有名である。また「トルコ行進曲」が終わると舞台裏から静かな旋律が流れてきて、やがて合唱が加わる。音楽は次第に規模を増し、序曲にも使われたメロディーが堂々と鳴っていく。その見事さは、この作品の最大の聞きどころだと思う。

全体にあの朗らかな序曲のメロディーがところどころで聞こえてきて、幸せな気分になる。それに合わせて合唱が歌い、最後には国王を賛美して終わる。ベートーヴェンのもっともリラックスした曲のひとつかも知れない。

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ところで、その後1822年に作曲された劇音楽「献堂式」は序曲(作品124)とひとつの合唱曲(WoO98)を除く部分が、「アテネの廃墟」の音楽そのものである。私は当初、そうとうは知らずに、クラウディオ・アバドが指揮するベルリン・フィルのCDを聞き始めた。するとどこかで聞いたことのある音楽だと思った。特に第2曲あたりはあの「アテネ」の序曲のメロディーが聞こえてくるので、まあそういう転用もあるのだろう、くらいに思っていたところ、東洋風の合唱が聞こえてきて、ああこれも「アテネ」の曲ね、と思っていた。ところが「トルコ行進曲」もそのままである。

唯一異なるのは、「トルコ行進曲」の後のソプラノ付きの合唱曲「若々しく脈打つところ」だけで、そのあとには再び「アテネの廃墟」の素晴らしい音楽に戻る。「献堂式」は劇そのものが「アテネの廃墟」からの改作となったため、音楽もそれに従い、多くを転用することになったそうである。従ってこのアバドによる演奏では、多くの「アテネの廃墟」の音楽を聞くことができる。

さらにこのCDには、珍しい劇音楽「レオノーラ・プロハスカ」のための音楽(WoO96)も収録されている。静かな第2曲ロマンツェ「私の庭に一輪の花が咲いている」にはハープとグラス・ハーモニカが使われる非常に美しい曲で、一聴の価値がある。またピアノソナタ第12番作品26より転用された第4曲「葬送行進曲」もまた非常に味わい深い。シルヴィア・マクネアー(S)、ブリン・ターフェル(Br)、ベルリン放送合唱団、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏である。

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ついでながら、「アテネの廃墟」と同時に作曲、上演されたのが劇音楽「シュテファン王」(作品117)である。ここで序曲と9つの曲は、非常に録音が少ないものの、チョン・ミュンフンが指揮するローマ・サンタ=チェチーリア音楽院管弦楽団の演奏で聞くことができる。「アテネの廃墟」以上に平明な音楽で、バーンスタインによる序曲のビデオ解説では、まるでミュージカルのようだ、と歌詞をつけて歌っていたのを覚えている(「パンにバターとジャムを付けて…」などと)。

この「シュテファン王」を含む珍しいベートーヴェンの管弦楽曲は、今年(2020年)のベートーヴェン年に合わせユニバーサル・ミュージックが編集した「Beethoven: Works for the Stage 2」で聞くことができる。例えばボン時代のバレエ音楽「騎士バレエのための音楽」(WoO1)はヘルベルト・フォン・カラヤン指揮で、「12のコントルダンス」(WoO14)はマゼール指揮で、「12のドイツ舞曲」(WoO8)はネヴィル・マリナー指揮で、といった具合である。もちろんSpottifyで聞くことができるし、曲ごとにダウンロードもできる。ベートーヴェンも普段はこういう曲を書いていたのか、などとひとつの側面を知るには、興味深いものである。だが取り立ててしっかり聞いてみようとはなかなか思わないのが実際のところである。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...