ところでバルトークは、私とよく似た血液疾患を患い、それが原因で亡くなった作曲家である。しかも「管弦楽のための協奏曲」は、自らの死期を悟っていた闘病中に一気に書き上げられた作品だ(当時は病名が本人に知らされることはなかった)。アメリカへ亡命したものの生活に馴染めず困窮していたバルトークを心配し、多くの音楽仲間が支援を申し出た。ボストン交響楽団の指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキーもその一人である。
わずか数か月で書き上げられたこの曲はクーセヴィツキー(の財団)に献呈され、彼の指揮で初演された(1944年)。短期間で作曲されたとは信じられないほど充実した内容であり、バルトーク晩年、いや生涯における最高傑作の一つである。40分にも及ぶ5楽章構成の楽曲は、多彩な楽器が組み合わされた大規模な編成となっている。
第1楽章(序奏)は静かに始まるが、やがてほとばしるような勢いを増し、性急な音楽へと変化する。「死・絶望」と解説されることもあるが、実際この曲は、亡くなったクーセヴィツキー夫人への追悼作品として委嘱された経緯を持つ。金管楽器が入り乱れ、特に終盤における全金管楽器によるカノンは大きな聴き所だ。
第2楽章(対の遊び)は小太鼓のリズムが印象的で、ここで主役となるのは木管楽器群である。遊び心が垣間見え、諧謔的なムードが漂う。金管楽器は音量を抑え、弦楽器もピチカートを多用する。続く第3楽章(エレジー)は、8分に及ぶ弔いの音楽だ。とはいえ、そこはバルトーク。不協和音によって悲しみは湿度を失い、むしろ悲痛な叫びを表現しているかのようだ。そして第4楽章(中断された間奏曲)に入ると、リズムの面白い東欧の民謡風な楽曲となる。バルトークが優れた民俗音楽の研究家でもあったことを思い出させてくれる、短いながらも変化に富んだ楽章だ。
ホルンによる印象的な重奏で始まる終楽章(フィナーレ)は、まずこの冒頭がどれほど鮮烈に響くかが聴き所となる。続いて、急速なテンポによるヴァイオリンの迫力ある合奏(無窮動)が打ち寄せる。ここでもハンガリーの民族的なメロディーが溢れているが、テンポの速さも相まって聴く者は次第に興奮を禁じ得なくなる。
初演後、数多くの録音が残されたが、その多くは米国のオーケストラによるものだった。当時、米国の主要オーケストラの指揮者はほぼすべてヨーロッパ出身者であり、その多くがハンガリー系、つまりバルトークと同郷の演奏家たちであった。ジョージ・セル、アンタル・ドラティ、ユージン・オーマンディ、そしてフリッツ・ライナー。同じ白血病で亡くなるフェレンツィ・フリッチャイもそうだ。後年にはゲオルク・ショルティがシカゴ響と名演を残している。
私は1980年頃の『レコード芸術』の裏表紙に掲載されたデッカ(DECCA)の広告を今でも忘れることができない。だが、期待して聴いたこのショルティによる演奏は、私にさほどの感動を残さなかった。この曲の録音史においてはシカゴ交響楽団による演奏が軸となっているように思えるが、フリッツ・ライナーによる1955年の名録音(ステレオ)と双璧をなす……いや、それ以上に私の心を捉えて離さないのが、当時35歳だった若き小澤征爾の演奏である。1970年に録音されたこの盤は、ちょうどライナー盤とショルティ盤の端境期に位置している。
私が長年探し求めてきたこの曲の決定盤は、最終的にこの小澤盤へと行き着いた。今聴いても湧き立つような興奮を覚え、もの凄い集中力で一気に迫ってくる。ハンガリーの民族的なリズムが強調された表現は、実に鮮やかで見事だ。もし最初にこの演奏に出会えていたら、もっと早くこの名曲を好きになれていたに違いない。









