だが、そのような時代を、できれば記録として残しておきたい。過去のものとしてしまう前に、あの時代とは何だったのかを後世の人々が考えるきっかけとなる作品を、その時代を生きた証として、いや義務として残しておきたいと考える優れた表現者がいれば、それは可能となる。私が昨年見た映画『宝島』は、戦後の占領下の沖縄を描いた数少ない映画であり、韓国で大ヒットした『ソウルの春』もまた、軍事政権によるクーデターを描いた作品だった。
であれば、第2次世界大戦後の台湾(中華民国)を描いた作品が、この時代になってなお登場するのも当然と言えば当然である。そうすることの意味を問いかけようと満を持して挑んだ映画監督は、1962年生まれのチェン・ユーシュン(陳玉勳)で、脚本も自ら手がけている。
時代は1950年代に遡る。台湾中部の都市・嘉義で育った幼い少女・阿月は、優しい革命家だった兄が処刑されたことを知る。遺体を引き取るため衝動的に家出して台北へやって来た彼女には、その手続きをするための費用もない。そんな彼女と偶然出会い、やがて助けるようになるのが、福建省から国民党軍に加わり、その後部隊を追われた元将校・趙公道である。
1947年の二・二八事件を契機として始まった弾圧は、後に「白色テロ」と呼ばれ、戒厳令の解除後もしばらく尾を引きながら長く続いた。私はヨーロッパへ向かう途中、飛行機が台北の空港(当時は蒋介石国際空港と呼ばれていた)に立ち寄ったことを覚えている。それは、まさに戒厳令が解除される直前の1987年7月だった。台湾から乗り合わせた中学校の先生は、日本では学生でも自由に海外旅行へ行けることに、大変驚いた様子だった。
日本統治から脱した台湾は、国民党による独裁政治の時代を迎えた。腐敗も進み、ある事件をきっかけに台湾全土へ広がった抗議活動は武力で鎮圧され、やがて反共政策の強化と結びついていく。報奨金目当ての密告も相次ぎ、多くの人々が濡れ衣を着せられたという。資料によれば、約14万人が投獄され4,000人にも及ぶ人が処刑された。その一人が、この映画の主人公の兄である。
1960年前後、日本は高度経済成長のただ中にあり、すべてが輝かしい時代として語られることが多い。一方、東アジアでは中国共産党政権が成立し、朝鮮戦争やベトナム戦争が続くなど、今とは比べものにならないほど不確実で貧しい時代でもあった。その頃の風景を、この映画は丹念に描いている。
だが不思議なことに、この映画に流れる悲しみは、さほど感情的ではない。むしろ乾いている。爽やかと言えば言い過ぎかもしれないが、その湿度の少ない空気感が、かえって今の時代に訴えかけるものを浮かび上がらせているように思えた。
中華文化圏ならではの人間関係のリアリズムによるものなのかもしれない。もっとも、そんな分析はさておくとしても、人間的なぬくもりを過度に演出するわけではない。それでいて、そのぬくもりは確かに存在している。それが自然なのである。
思わず涙がこぼれそうになる場面はいくつかある。主人公が汽車に乗って台北へ向かう場面、生き別れになっていた姉の姿を初めて目にする場面など、そのいずれもが秀逸である。そしてラストシーンは、いつまでもその余韻に浸るしかないような圧倒的な力を持っており、私はエンドロールを最後まで見続けてしまった。
さて、この映画で重要なのは、物語の中心が、わずか数日間にわたる台北での遺体引き取りまでの出来事に費やされている点である。白色テロの長さを思えば、それはあまりにも短い。しかし、そのわずかな時間の中に、この苦しい時代を生きざるを得なかった人々の心情が凝縮されている。
兄妹は将来の夢を時計に託して語り始める。「民国何年には、どうしているだろうか」と。その時間の流れに対する思いが、この映画の底流を成している。そのことで、たった数日のエピソードが何十年という歳月を補うだけでなく、その重みをいっそう際立たせている。
もう一つの視点は、『霧のごとく』という題名にもなっている「霧」と「雲」の寓意的表現である。主人公の兄は絵本作家を目指しており、彼の作品では、ともに水蒸気である霧と雲が擬人化され、絵本の物語として語られる。この場面は二度登場するが、そのいずれにも深い意味が込められている。おそらく台湾の人々であれば、その象徴性をより身近なものとして受け止めることができるのだろう。
私はこれまで台湾映画を二作品しか見ていない。一つは昨年公開された『96分』、もう一つは、日本統治下で甲子園を目指す嘉儀農林高校の球児を描いた『KANO』である。そして、この『霧のごとく』の舞台の一つも嘉義である。台湾中部のこの町を、私もいつか訪ねてみたいと思う。
私は2015年になって初めて台北を訪れた。すでに先進国の仲間入りを果たしたかのような近代的な街には台北101がそびえ立ち、年越しの瞬間には無数の花火が夜空を彩った。家族が夜市へ向かう中、私は一人で中正紀念堂を訪れた。正月ということもあって多くの人々が集まっていたが、それはロックコンサートの会場にもなっていたからだった。あのとき私が目にした近代的な台北の風景の下には、この映画が描いたような長く重い時代が確かに積み重なっている。そのことを知った今、もう一度台湾を訪れ、この映画が描こうとした時代の記憶に思いを巡らせてみたいと思う。











