2026年10月20日火曜日

チャイコフスキー:「弦楽セレナーデ」ハ長調作品48(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

今でも存在しているようだが、昔から渋谷に「ライオン」という名曲喫茶があって、床がきしむような2階建ての木造の一軒家の広間に巨大なスピーカーが置かれている。私語は一切できない。しかし結構多くの客で埋まっている。部屋は足元もおぼつかないほど暗く、階段を注意しながら2階へと上がり、お世辞にも座り心地はいいとは言えない古い椅子に座ると、注文したコーヒーが骨董品屋で売られているようなカップに注がれて出てきた。みな片方向に向いて、静かに耳を傾けている。そのような空間に、ワーグナーやブラームスが鳴り響く。

机に置かれた紙片には、その日に再生される曲目と演奏者が記載されていて、フルトヴェングラーやケンプのベートーヴェンが目に付いた。そうそう、やはりこういうところはドイツ音楽、それも古い演奏が似合うねえ、と奇妙な納得をしていると、誰かがリクエストしたのだろう、いきなりチャイコフスキーの弦楽セレナーデの冒頭が流れてきた。まるで剛速球を食らったバッターのように、のけぞるような姿勢を取りたくなった。そのくらいこの演奏の迫力はすさまじかった。畳一畳ほどもありそうな巨大な音響装置から出力される音波のエネルギーは、まるでこの建物を揺らすかのようだった。

第1楽章の堰を切って流れ出すアンサンブルは、プロ中のプロとも言うべき集団が異常な集中力を保って進む。クレッシェンドもレガートも一糸乱れることはない。速めのテンポで一気に進む音をステレオ録音が隅々まで明確に捉えている。一体これは誰の演奏だろう、と思っていたら低くか細いアナウンスが聞こえてきた。

”チャイコフスキーの弦楽セレナーデ、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団の演奏でした”

背筋がぞくぞくするという経験を、久しぶりに味わったような気がした。私は大阪から上京して、前日の夜は渋谷近くの三畳一間の陽の当たらない部屋に下宿している小学校時代からの友人の部屋に泊まり込んだ。寝不足のせいで朦朧としていた私を、彼は「ライオン」に誘った。私がクラシック音楽好きであることを知っていたからだろう。その「ライオン」で私はオーマンディのチャイコフスキーに出会い、その足でタワーレコードに向かった。この演奏を収めたディスクを買うためである。

オーマンディによるチャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」のディスクは、交響曲第5番とカップリングされていた。これは大いに魅力的な組み合わせである。私は躊躇せずこのディスクを買い求め、今でも手元にある。久しぶりに聞いてみたが、印象はその時とまったく変わらない。そしてこれ以上の印象を残す演奏に、私はまだ出会っていない。

チャイコフスキーの弦楽セレナーデは、チャイコフスキーの書いた作品の中でもとりわけ完成度が高く、第3楽章などは最高の音楽の部類に入るのではないかとさえ思うときがある。小澤征爾はサイトウ・キネン・オーケストラとしばしばこの曲を演奏しているが、それは弦楽合奏を鍛えるために、この曲を斉藤秀雄が盛んに演奏させたということだった。演奏者の思いが詰まったこの演奏は、類稀なアンサンブルを聞くことができるが少し素人っぽい(そこが魅力でもある)。一方、オーマンディの演奏は職人的技巧を感じる。演奏者だけでなく、指揮者、すなわちオーマンディがいかに優れた音楽性を持つかをも示していると思う。

チャイコフスキーの弦楽セレナーデはよく、ドヴォルジャークの同じ作品とカップリングされた。ドヴォルジャークの方は感傷的で親しみやすく、私もかつてはよく聞いていたが、音楽的な充実度では、やはりチャイコフスキーに軍配が上がるだろうと思う。

もっともこの演奏は、当時のLPレコード一枚に収めるためか、一部の繰り返しなどが省略されている。古いオペラの録音がそうであるように、仕方なく端折った演奏になっているのだ。まあ当時はディスクで音楽を聞くこと自体が高尚な体験であり、そもそも録音して演奏を残すことのできる芸術家は希少だった。そういう古き時代の名残なのだから、これは甘んじて受け入れるしかあるまい。どうしても省略なしで、録音のいい演奏で聞きたいときは、上記で述べたオザワ盤を聞くのが良かろう。この演奏には心がこもり、聞くものの胸を熱くする。

2026年10月19日月曜日

チャイコフスキー:管弦楽曲集(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

チャイコフスキーには数多くの管弦楽作品があるが、その中でも特に有名な曲をカラヤンがゴージャスに演奏している。どの曲も聞かせどころを巧みにとらえたシンフォニックな演奏で、ロシアの情緒からはかけ離れているという向きがないわけではないが、それがどうした、演奏とはこうするものよ、と言わんばかりの説得力を感じる。どの曲のどの部分を聞いても、他の演奏では聞けない職人技が用いられており、聞いていて飽きないどころか、その表現の上手さに舌を巻く。

かつて交響曲や協奏曲のLPレコードの余白部分に挿入されていたこれらの小品を、CDの時代になって一枚にまとめたのが、このディスクである。カラヤン全盛期の60年代に演奏されたものであり、アナログ時代の香りも漂って懐かしく、今もって圧巻の存在感さえ醸し出している。私も実家にあったカラヤンのこれらの演奏をどれほど楽しんだものか。特にクラシック音楽を本格的に聞き始めた中学生の頃は、午後に帰宅しては友人を呼び、「今日はカラヤン、明日はバーンスタイン」などと演奏を比較しながら聴くのが楽しみだった。宿題もあって忙しかったが、将来にわたって時間が有り余るほどあるような気がしていた。

あれから半世紀近くが経って仕事の一線を退くと、再び自由な時間を持てるようになった。無限の時間を楽しんだ少年期に聞いた音楽を、もう一度聞いてみたいと思うのは自分だけではない。当時から親しんだ音楽や演奏は、今ではオンライン配信で簡単に手に入るから、躊躇する必要はない。そういうわけで、今日はチャイコフスキーの作品を聞いている。

まず序曲「1812年」。この作品はナポレオンのロシア侵攻に勝利したロシアのナショナリズムを喚起する作品で、いささか通俗的で下品だとして嫌う人も多い。実際に戦争の勝利を賛美する姿勢は、芸術の理念とは必ずしも相容れない。とはいえ、管弦楽の作品としてはなかなか聞きどころが多いのが事実で、あの真面目なアバドを含め数多くの指揮者が録音している。特に録音技術を競うコーダの大砲の音を別収録し、演奏に合わせて編集する方法によって、様々な演奏がリリースされているのは周知の事実であり、中には本物の大砲を用いて演奏したライブ盤さえ存在するようだ。

カラヤンの「1812年」にはもうひとつ特徴がある。冒頭に合唱が入ることだ。その合唱はロシアの大御所、ドン・コサック合唱団を、わざわざ鉄のカーテンの向こうから招いているというから豪華である。一方、「スラヴ行進曲」はリヒテルを招いて行われたウィーン響とのピアノ協奏曲の後に収録されていたことを覚えている。この作品もロシアへの愛を素直に表現する作品だが、カラヤンの重い演奏に最初は辟易しながらも、次第にその演奏の見事さに飲み込まれていった。

これに対し「イタリア奇想曲」の明るいメロディーは、チャイコフスキーの別の側面を見た気がした。いろいろ精神的な問題を抱えていたチャイコフスキーも、南の国イタリアでは随分と癒されたようだ。それが作品にストレートに表れているのが、この作品であると言える。この愛すべき作品には名演奏が多い。私はバーンスタインの演奏も気に入っているが、カラヤンの演奏を久しぶりに聞いてみて、冒頭のトランペットの圧倒的にふくよかな響きに、終始圧倒されっぱなしだった。

そういうわけで久しぶりにチャイコフスキーの気軽な作品を堪能したのだが、このディスクには組曲「くるみ割り人形」も収録されている。チャイコフスキーが自らバレエ作品を組曲用に編集したのは、この曲のみである。やはりここでも聞きなれた曲が、カラヤンの芸術的な指揮によって新鮮に蘇っている。

【収録曲】
1. 序曲「1812年」作品49
2. バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a
3. 「スラヴ行進曲」作品31
4. 「イタリア奇想曲」作品45

※カラヤンによるこれらの作品の演奏は、ドイツ・グラモフォンだけを見ても様々な組み合わせでリリースされている。ここで取り上げたのは「100 Msaterpieces」と題された一枚である。

2026年10月18日日曜日

ロシア管弦楽曲集(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック、2017リマスター版)

ロシアの作曲家にイッポリトフ=イワーノフ(1859-1935)という人がいる。東洋的なメロディーを盛り込んだ作品が多いので、アルメニアかアゼルバイジャンのようなところの人だと思っていたが、サンクトペテルブルクで生まれのれっきとしたロシア人である。そのイッポリトフ=イワーノフの作品と言えば、組曲「コーカサスの風景」という、タイトルを聞いただけでもエキゾチックな気分にさせてくれるものだけが突出して有名で、しかもその中の「酋長の行列」だけがよく知られている。

そのイッポリトフ=イワーノフの「酋長の行列」は、クラシック音楽の入門用のレコード(管弦楽曲集)で取り上げられることが、かつてはたまにあった。私はこの曲を、若き日のレナード・バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックを指揮したレコード、すなわち1960年代の録音で聴いた。その印象は鮮明で、溌剌として清々しく躍動感に満ちた演奏であり、それまでにない類のものだと思ったものだ。

久しぶりに「酋長の行列」を聴いてみたくなり、いまとなっては数多くの録音がリリースされているのだろうかといろいろ検索してみたが、これという演奏に出会わない。この作曲家の珍しい作品を集めたCDも何枚か見つけたが、演奏がいまひとつである。「酋長の行列」に限っても、意外なほど録音が多くない。そればかりか、有名な指揮者からは無視されているような感じさえする。

そんな中で、私は再びバーンスタインの演奏を聴くしかないと思うに至ったのだが、いかんせん、これは古い録音である。ほかにボロディンの歌劇「イーゴリ公」から「だったん人の踊り」なども収録されているが、いまとなっては聴くのもつらい。もう「酋長の行列」を最新の録音で聴くことは諦めるしかないのだろうか、などと考えていたところ、このバーンスタインの演奏が何と2017年にリマスターされリリースされていることがわかった。そうだ、やはり同じ思いにかられていた人がいたということだ。この古いバーンスタインの演奏を、最新の技術で蘇らせて聴きたいと。

さっそくSpotifyからダウンロードして聴いてみたが、やはりほかの演奏とは違って、バーンスタイン節ともいうべき新鮮さにあふれている。テンポは少し速めにとられ、まるで指揮台を踏み鳴らすかのような仕草が見えてくるようだ。引き締まった指揮は、晩年の演奏に見られるような、ゆったりとしたテンポに傾くこともなく、最後まで緊張感を保っている。このようにして「だったん人の踊り」の劇的なリズムを堪能したあと、いよいよ「コーカサスの風景」が始まる。ペルシャの隊列が市場を通り過ぎるような光景を私は勝手にイメージしているのだが、そのあたりの盛り上がりはバーンスタインならではのものである。タメを作ってコーダになだれ込むと、まるで映画音楽のようにスパッと終わる。

ディスクにはこのあと、ムソルグスキーの有名な2曲、すなわち「はげ山の一夜」と「モスクワ川の夜明け」(歌劇「ホヴァンシチェナ」前奏曲)が続き、最後に何とグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲で締めくくられる。冒頭に配置して一気に引き込む録音が多い中で、「ルスラン」を最後に持ってくるあたりは憎い演出と言わねばならない。このようにして、2017年のリマスター版は、懐かしい思いをもたらしながら、いまだに色褪せることのない、バーンスタインの若き日の生き生きとした姿を伝えてやまない。


【収録曲】

ボロディン
1. 歌劇「イーゴリ公」より「だったん人の娘の踊り」
2. 同「だったん人の踊り」
イッポリトフ=イワーノフ
3. 組曲「コーカサスの風景」より「村にて」
4.  同「酋長の行列」
ムソルグスキー
5. 「はげ山の一夜」(リムスキー=コルサコフ編)
6. 歌劇「ホヴァンシチェナ」前奏曲(モスクワ川の夜明け)
グリンカ
7. 歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲

2026年10月13日火曜日

チャイコフスキー:3大バレエ組曲(ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

チャイコフスキーの3大バレエ音楽について、個人的なベスト盤とともに感想を書き終えた。3作品のうち最初に作曲された「白鳥の湖」は、1877年の初演時には必ずしも成功を収めることができず、チャイコフスキーにとっても不本意な結果となった。しかし、1890年に初演された「眠れる森の美女」は聴衆に好評を博し、作曲者のバレエ音楽としての評価を高めた。続く「くるみ割り人形」は1892年に初演されたが、当初の舞台作品としての評価は必ずしも芳しくなかった。それが今日のような人気を獲得したのは、後世、とりわけ欧米でクリスマスの定番演目として定着したことによるところが大きい。

これら3つのバレエ音楽から、組曲や抜粋という形で曲を選んで演奏したディスクのなかから、定評のあるものを取り上げておこうと思う。ただ、オペラでもそうなのだが、一度でも全曲盤に親しんでしまうと、抜粋盤はいかにもつまらないものに思えてくる。好きな曲が取り上げられていなかったり、曲順が違っていたりする。何よりもストーリーの自然な展開を無視して、次々とメロディーがつなぎ合わされるため、味わいに乏しく感じられるのだ。しかし全曲を通して聴くには時間もかかるし、何より、全曲を聴く機会はあまりない。抜粋盤であれば実演に接する機会も多く、ディスクの数も豊富である。これは紛れもない事実なのだ。

ここで取り上げる、ロシアの著名なチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチが指揮したディスクも、そうした抜粋盤の一つである。この演奏はほれぼれするほど素晴らしいが、ロストロポーヴィチによる全曲盤は存在しない。したがって、彼の指揮によるチャイコフスキーのバレエ音楽を聴きたい場合は、この抜粋盤を聴くしかないのである。これはカラヤンについても同じである。

指揮者としてのロストロポーヴィチがどの程度のものかについては、議論の余地があるのだが、彼はロシア人としての矜持にあふれ、その音楽への愛情はことのほか深いものが感じられる。ロマンチックで、ややテンポが揺れ動く一方、野太い旋律を豪快に奏でるところは、チェロを弾くときと同様である。その愛国的な情熱に、ベルリン・フィルは誠意をもって応えている。これらの音楽から一貫して聞こえてくるのは、チャイコフスキーの音楽を愛してやまないロストロポーヴィチの、祖国に対する深い愛着である。

この機会にチャイコフスキーのバレエ音楽を得意とし、3作品それぞれについて全曲盤や抜粋盤を残している有名指揮者をまとめておいた(ステレオ録音のみ)。いずれも素晴らしい演奏なので、そのうち時間があるときに聴いてみたいと思っている。このリストは私的なメモとして作成したため、漏れがあることをお断りしておく。

  • 3大バレエ音楽がすべてステレオ全曲盤としてリリースされている主な指揮者
    • エルネスト・アンセルメ(スイス・ロマンド管弦楽団)
    • アンドレ・プレヴィン(ロンドン交響楽団)
    • アンタル・ドラティ(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ロンドン交響楽団)
    • ワレリー・ゲルギエフ(マリインスキー歌劇場管弦楽団)
    • リチャード・ボニング(ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団)
    • レナード・スラットキン(セントルイス交響楽団)
    • ネーメ・ヤルヴィ(ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団)
  • すべて組曲(または抜粋)として録音・リリースされている主な指揮者
    • ヘルベルト・フォン・カラヤン(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
    • ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)
    • ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(読売日本交響楽団)
  • 「白鳥の湖」、「くるみ割り人形」のみ全曲盤が存在する主な指揮者
    • 小澤征爾(ボストン交響楽団)
    • シャルル・デュトワ(モントリオール交響楽団)
  • 「白鳥の湖」のみ全曲盤がリリースされている指揮者
    • ウォルフガング・サヴァリッシュ(フィラデルフィア管弦楽団)
  • 「眠れる森の美女」のみ全曲盤がリリースされている指揮者
    • ミハイル・プレトニョフ(ロシア・ナショナル管弦楽団)


【収録曲】
バレエ音楽「白鳥の湖」より
1.情景(第2幕)
2.ワルツ(第1幕)
3.4羽の白鳥の踊り(第2幕)
4.パ・ダクシオン(第2幕)
5.ハンガリーの踊り(チャルダーシュ)(第3幕)
6.終曲(第4幕)

バレエ音楽「眠りの森の美女」より
7.序奏とリラの精(プロローグ)
8.アダージョ
9.長ぐつをはいた猫と白い猫(第3幕)
10.パノラマ(第2幕)
11.ワルツ(第1幕)

バレエ組曲「くるみ割り人形」作品71a
12.小序曲
13.行進曲
14.こんぺい糖の踊り
15.ロシアの踊り(トレパーク)
16.アラビアの踊り
17.中国の踊り
18.あし笛の踊り
19.花のワルツ

2026年10月12日月曜日

チャイコフスキー:バレエ音楽「眠れる森の美女」作品66(ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団)

チャイコフスキーのバレエ音楽「眠れる森の美女」は、「白鳥の湖」ほど抒情的ではなく、「くるみ割り人形」ほど人気があるわけではないが、それでも十分にメロディーの宝庫で飽きることはない。この3つの作品が古典的なバレエ音楽の最高峰であることは疑う余地がないだろう。この3作品をクラシック音楽の「三大バレエ作品」と言ってもいいくらいである。

そのチャイコフスキーのバレエ音楽は、実にこの3作品のみなのだが、その音楽があまりに素晴らしいので、ダンスを伴わない管弦楽作品としても十分に楽しむことができる。実際、管弦楽のみを収録したディスクも多い。「眠れる森の美女」ももちろんそうである。だが私は、他の作品ほどにはこの曲を聴いてこなかった。いや、白状すると、全曲を通して聴いたのは今回が初めてだった。

物語は単純明快で、ディズニーの映画にもなっているので、知らない人はいないくらい有名である。チャイコフスキーはシャルル・ペローによる昔話を原作としてこの音楽を書き、サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場で初演されたのは1890年のことである。プロローグと3幕から成り、上演(演奏)時間は2時間半を超える。

突出して有名なのは、第1幕第6曲の「ガーランド・ワルツ」と呼ばれる村人の踊りの音楽だが、それ以外にも聴けば聴くほど味わい深い。その中でもしばしば登場するのが「リラの精の到着」(第1幕第9曲c)である。さらに、「ローズ・アダージョ」と呼ばれる、うっとりするほど美しいメロディー(第1幕第8a曲)は、チャイコフスキーの音楽の最高峰のひとつであろう。

見事な音楽は前半(プロローグと第1幕)に偏っているわけではない。しかし、他の作品がそうであるように、第1幕まで聴いてくると楽しくなって、そのあとも聴き続けてしまう。第2幕の冒頭でホルンのアンサンブルが鳴り響くと、まだこの音楽が延々と続くのだ、と思い、わくわくする。チェロやヴァイオリンの独奏が活躍する場面は、甘くも切ない抒情にあふれ、聴く者の胸を熱くする。そこに舞踊がなくても、である。これはもう魔法としか言いようがない。

その「眠れる森の美女」の音楽から私を遠ざけてきた原因は、いい演奏に出会わなかったからである。定評のあるアンドレ・プレヴィンによる「三大バレエ」音楽のボックス・セットは、この作品に限らず、私をまるで興奮させてくれない。その原因は何か。私は長年、それが録音、とりわけマスタリングによるものではないかと思ってきた。収録時間の長さを優先した結果、マスタリングで音質が犠牲になったのではないか、と疑っていたのである。それが本当かどうかは、実際のところわからないのだが、あるとき意を決してSpotifyで全曲を聴いてみた。しかし、印象は変わらなかった。

私はチャイコフスキー好きの古い友人に訊いてみることにした。中学生のころからチャイコフスキーばかり聴いていたので、私よりもはるかによく知っているからである。彼は即座に、アンタル・ドラティによる演奏がいいのでは、と回答してくれた。だが、私はなぜそんな古い演奏を好むのか、理解できなかった。これは私の考慮不足で、ドラティによる「眠れる森の美女」の演奏は2種類あるのだった。私は古いMercuryのモノラル盤のこととばかり思っていたから、ドラティが後年になってコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した録音が存在することを知らなかったのである。

ドラティのコンセルトヘボウ盤は1980年代に入ってからのもので、だとすると録音はデジタル初期にあたり、音質も悪くはないと思われた。そして実際、そのとおりだった。彼はほかにワレリー・ゲルギエフによる演奏もいい、と付け加えたが、私は「くるみ割り人形」でゲルギエフを取り上げているから、ここでは触れないことにした。「ほかにもフェドセーエフなど、ロシア人の演奏がいくつかある」などと言ってくれたが、私はアンドリュー・モレグリアという指揮者がスロヴァキアのオーケストラを指揮してナクソスに録音したものを、ドライブしながら聴き続けた。これは録音の新しさも手伝って、プレヴィンによるものよりもはるかに印象的だった。

しかし、私はもうひとつ、ミハイル・プレトニョフがロシア・ナショナル管弦楽団を指揮した録音に出会った。そして、そこから受ける印象は決定的なものだった。プレトニョフはひとつひとつの音楽を丁寧に紡いでいく。派手さはないが、それが好ましいとさえ思う。というのも、じっくり聴いていると、この曲は結構大きな音も鳴り響く、長大で壮大な曲で、時にそれが過剰であると感じられてくるからである。早い話、騒々しいのだ。ところが私は何度もプレトニョフの落ち着いた演奏を聴き続け、ようやく全体を見渡すことができるようになった。そうなると、プレヴィンの演奏ももう少し客観的に捉えることができるようになった。プレヴィンによる演奏は情熱的である。ところがアナログ録音の悪い側面が出た結果、音の厚みが乏しく、演奏が単調に思えてくるところがあるような気がしたのである。

そういう経過を経て、私の大好きな曲に「眠れる森の美女」が加わった。

2026年9月19日土曜日

「行進曲」―世界に冠たる日本のマーチ―(武藤英明指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

通常「行進曲(マーチ)」と言えば、オペラやバレエの中で繰り広げられる特定のテーマに沿ったものを除けば、軍隊や警察のような組織が統制を取って行進するための実用的なものである。一般に吹奏楽団と呼ばれる音楽隊は、このような曲を演奏しながら行進するので、弦楽器や大きな打楽器は含まれない。指揮者もいないか、もしくは先頭を歩いて拍子を取る程度なので、基本的には単純な2拍子である。

そのような行進曲は、大きくヨーロッパ型とアメリカ型に分かれる、とかつてラジオで山本直純氏が語っていた。山本氏によれば、ドイツを中心としたヨーロッパ型の行進曲は幾分足取りが遅く、それに対してアメリカ型のマーチは、速くて威勢がいいということだった。そしてそこに、明治時代になって軍事力の近代化を急ぐ日本の行進曲も登場した。

我が国の行進曲は、ごく簡単に言えば戦前の作品と戦後の作品に分かれる。戦前は軍歌風で、中間部に歌詞を伴って歌うメロディー部分が含まれている。「愛国行進曲」などがその例だろうか。一方、戦後はスポーツ中継などのテーマとして、このような政治的意図を感じさせない曲が中心になった。とはいえ、1980年代頃までは、国体や高校野球に限らず、運動会でも一糸乱れず行進することがもてはやされていた。これは世界的な傾向だったと思うが、今ではオリンピックでもそういう行進の仕方はしない。

スポーツ大会の「民主化」に伴って、実用的な行進曲の需要は消えたのかもしれない。しかし、我が国の古典的行進曲をフル・オーケストラ用に編曲して演奏する決定的な一枚が登場していたことに、私は最近気づいた。そのアルバムには「世界に冠たる日本のマーチ」などと威勢よい副題がついていてやや気持ち悪いのだが、演奏は実に堂々とした、歯切れの良いものである。それを何とロンドン・フィルが演奏している。

指揮は武藤英明で、桐朋学園を卒業し、主にチェコで活躍している指揮者だが、日本のオーケストラへの登壇も多いようだ。ただ、私はまだ実演に接したことはない。レーベルは我が国のEXTON(オクタヴィア・レコード)で、ここは数多くの日本人による演奏を精力的にリリースしているが、当盤もその一枚である。収録された曲を見ると、戦前・戦後をバランスよく交えたものだが、少し短い。私としては、戦前のものなら「愛国行進曲」、戦後のものであれば「若い力」や「大空」あたりが欲しかったところである。何せフル・オーケストラによる行進曲集は貴重なので、もう少し欲張って欲しかったというのが正直な感想。

最後になぜか「鉄腕アトム」が入っているのはご愛嬌というものだろう。だとすれば、「アンパンマン」でも「トトロ」でも良かった気がする


【収録曲】(すべて武藤英明の編曲による)
  1. 古関裕而:オリンピック・マーチ
  2. 團伊玖磨:祝典行進曲
  3. 古関裕而:栄冠は君に輝く
  4. レイモンド服部:行進曲「コバルトの空」
  5. 吉本光蔵:君が代行進曲
  6. 瀬戸口藤吉:軍艦行進曲
  7. 奥村一:行進曲「太陽の下に」
  8. 川崎優:行進曲「希望」
  9. 大沼哲:立派な青年
  10. 古関裕而:スポーツショー行進曲
  11. 黛敏郎:スポーツ行進曲
  12. 高達雄:鉄腕アトム

2026年9月9日水曜日

ブラームス:合唱曲集(マリリン・ホーン(S)、ロバート・ショウ指揮アトランタ交響楽団・合唱団)

ブラームスのもっとも有名な合唱曲が「ドイツ・レクイエム」であることは疑う余地がないが、それ以外にも短い曲がいくつかあって、いずれもレクイエムと似てしみじみと味わい深く、ひとつひとつが素晴らしい作品である。しかし、合唱団を伴うこれらの曲が実際の演奏会で取り上げられることは少なく、ディスクへの録音でも、交響曲のカップリングとしてひっそり存在している程度である。

だが、いろいろ探していたら、4つの合唱付き作品を収録したものが見つかった。アメリカの有名な合唱指揮者、ロバート・ショウがアトランタ交響楽団を指揮した一枚である。そして「アルト・ラプソディ」に加わるアルト独唱には、重鎮のアメリカ人マリリン・ホーンが参加している。少し聴いてみると、実にこれが素晴らしかったので、ここで取り上げることにした。

【収録曲】

  1. 「アルト・ラプソディ」作品53
  2. 「運命の女神の歌」作品89
  3. 「哀悼の歌」作品82
  4. 「運命の歌」作品54

まず「アルト・ラプソディ」だが、これは上記の中では最も有名で、かつ演奏されることが多い作品である。ゲーテによる「冬のハルツの旅」からの断章が用いられており、アルト独唱と男声合唱が用いられる。3つの部分から成り立っており、人間嫌いの世捨て人が感じる心の痛みを表現している。ここで世捨て人とは、失恋したブラームス自身ではないか、という解釈がある。

こう書くとブラームスに叱られるかもしれないのだが、この曲の出だしはワーグナーの楽劇を彷彿とさせる。もっとも、ブラームスとワーグナーは、派閥として弟子同士が対立していたのであって、当人同士は尊敬し合っていたと言われている。そう思って聴くと、この曲はワーグナー風のブラームスという特殊なものに思えてくる。後半のアルト独唱と合唱の天国的な融合は、聴いていて心が洗われるようだ。

次の「運命の女神の歌」は、別の「運命の歌」と混同してしまいそうになるが、こちらもゲーテの詩から歌詞が採られている。「タウリスのイフィゲーニエ」という戯曲の第4幕らしい。ここの歌詞は、神々を恐れる人間の歌である。ブラームスはもう50歳になろうとしていたが、この時期に大いなる不安を抱えていたようである。そう思って聴くからか、この曲にはシューマンのような不安定さと、ブラームスの力強さが混在している。実際、この曲を絶賛したのはクララ・シューマンだったようだ。

3番目の「哀悼の歌」というのは初めて聴いた曲だったが、やはり美しい混声合唱を伴い、時にハープの音も聞こえるが、冒頭とコーダをはじめとしてしばしば奏でられるオーボエが印象的な曲だった。ブラームスらしい底堅い力強さと繊細さが感じられる。その名の示す通り、これは亡くなった人を哀悼するもので、やはり「ドイツ・レクイエム」の線上にある曲とも言えるだろうか。

収録された最後の作品は「運命の歌」である。これもまた素敵な曲である。私はかつてクラウディオ・アバドの指揮するディスクで感動した覚えがある。最初は管弦楽のみの序奏で始まるが、やがて女声合唱が静かに歌い始め、次第に男声も加わっていく。何と心が落ち着く曲だろうか、と改めて思う。ところが中間部になると、激しく緊張感のある曲調に変化する。トルコからのギリシャの独立戦争が背後にあるテーマだが、これは原詩であるフリードリヒ・ヘルダーリンの「ヒュペーリオン」の歌詞に由来する。

合唱が付いているのは第2部までで、最後はオーケストラのみの曲となる。言葉よりも音楽が、より饒舌に、そして真摯に胸に迫る、と考えたのかもしれない。天国的な雰囲気に変化する音楽は、自然への賛歌ともいうべき昇華の中で、十数分の曲を静かに閉じる。

さて、私は1995年に米国ニューヨークに滞在していたことを、これまでに何度か書いた。そして私は幾度となくカーネギーホールやリンカーン・センターに馳せ参じていたのだが、毎月の演奏会を記した縦長のリストを見て驚いたのは、ロバート・ショウがいまだ現役でコンサートの指揮をしていたことだった。トスカニーニとの共演もある指揮者だったロバート・ショウの「LIVING STEREO」と題されたシリーズに録音された生々しいアナログ・サウンドのLPレコードが小学生時代の我が家にもあったのを覚えている。

もう80歳にもなる彼は、自身が設立した合唱団を解散した年(1967年)にアトランタ交響楽団の指揮者に就任している。そしてこのディスクも、そのアトランタのオーケストラと合唱団を指揮している。

一方、マリリン・ホーンについても、長年現役を続けたメゾ・ソプラノの大御所で、やはり私のニューヨーク時代にコンサートを開いていた記憶がある。そして彼女は、2026年の今でも92歳で健在である。改めて調べてみると、彼女はロッシーニやベッリーニなどのベルカント・オペラを得意とし、数々の名声を博したようだ。これもやはり1960年代が中心の話であって、それ以降も現役を続けた点で、ロバート・ショウと同時期に生きた古きアメリカのクラシック音楽家の栄光を感じる。それがデジタルの時代になって、テラークの名録音で蘇った当盤は、もはや遺産級のディスクであると言ってもいいのではないだろうか。

チャイコフスキー:「弦楽セレナーデ」ハ長調作品48(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

今でも存在しているようだが、昔から渋谷に「ライオン」という名曲喫茶があって、床がきしむような2階建ての木造の一軒家の広間に巨大なスピーカーが置かれている。私語は一切できない。しかし結構多くの客で埋まっている。部屋は足元もおぼつかないほど暗く、階段を注意しながら2階へと上がり、お世...