そのミヒャエルが、2つのブラームス作品を取り上げた。前半はヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲(独奏:クリスティアン・テツラフ、ターニャ・テツラフ)、後半はシェーンベルクがオーケストラ用に編曲したピアノ四重奏曲第1番である。交響曲は含まれず、何とも渋い選曲と言わねばならない。特に後半のピアノ四重奏曲第1番は、私も実演で聴いたことがなく、いつかぜひ一度と思っていた作品だ。最近は演奏される機会も増えているが、なかなか足を運ぶことができなかった。
N響の定期は2日間、同じプログラムで行われる。A定期は土曜日の夕方と日曜日の午後。私は今回、日曜日の午後に渋谷へ向かい、長い時間をカフェで過ごしたあと、屋台でごった返す代々木公園の並木道を抜けて会場入りした。当日券は多く余っており、意外に思ったのだが、安い席を確保できたのは有難かった。そして懐かしい3階へ。前方正面に近い席は悪くないのだが、唯一の難点は奏者がよく見えないことで、こればかりはどうしようもない。
二重協奏曲の冒頭でオーケストラが鳴り響いた途端、十分に良い音が3階席にまで迫ってくることに驚いた。間髪を入れずチェロとヴァイオリンが決然と音を会場に轟かせる。その自信に満ちた表情は、この曲がいまや十分に名曲として定着し、数々の名演奏を重ねてきた歴史を思わせる。1983年3月、イスラエル・フィルが日本公演を行った際、大阪で聴いた同曲が、私にとって4度目の海外オーケストラ体験だった。指揮はズービン・メータである。
私はこの聴き慣れない曲を、オイストラフとロストロポーヴィチによる演奏(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)で予習し、当日に臨んだ。この日の演奏会のソリストは、同楽団の首席奏者だった2人である。しかし、ラジオからエアチェックしたその演奏は、テープの質も手伝って冴えないばかりか、籠もった音が遠くで鳴っているような、か細いものだった。私のラジカセでは、到底この曲の真価はわからない。そして大阪フェスティバルホールの2階席最後列という学生割引の席もまた、この曲を味わうには不十分だった。
二重協奏曲という作品は、ブラームス作品の中でも地味な存在であり、しかもソリストを二人必要とすることから、演奏される機会はめったになかった。私が今回実演で聴いたのも、実に43年ぶりということになる。だが、いまでは数多くのソリストがこの曲を取り上げ、次々と新鮮で見通しの良い演奏がリリースされている。ターニャとクリスティアンという兄妹が奏でるチェロとヴァイオリンは、まさにこの曲にうってつけである。それぞれのテクニックも相当な切れ味を持ち、ソリストとして活躍していることは言うまでもないが、数々の室内楽で証明済みの、息の合った見事なアンサンブルは、この難曲の見通しを明るく照らし、すでに自分たちのレパートリーとして完全に血肉化しているという自信を感じさせるものだった。
このようにして、3階席の奥まで届くオーケストラと二人のソリストの丁々発止のやり取りに耳を傾けた。演奏が終わるとブラボーが沸き起こったのも当然である。N響の奏でるブラームスの懐かしい響きは、しばし私を往年の記憶へと引き戻してくれた。
2人はそのままアンコールとしてコダーイの二重奏を演奏したが、これがまた相当な名演で、しかも長大だった。ブラームス以上に技巧的な要素を要求される曲であり、もしかすると本領はこちらでこそ発揮されたのかもしれない。とにかく盛況のうちに前半は終了した。後半ではオーケストラがさらに増員された。その多くは打楽器である。ブラームスのピアノ四重奏曲を、アルノルト・シェーンベルクがオーケストラ用に編曲したこの作品は、実に風変わりで面白い。なにせ、あの「十二音技法」を生み出したシェーンベルクが、よりによって古典性へ回帰する作風のブラームスに手を加えるのである。ところが意外なことに、シェーンベルクはブラームスを深く敬愛しており、この作品でも音符をほとんど変えることなく、その様式を尊重したのだった。
その結果、冒頭に現れる音楽はまさにブラームス節そのものである。しかしシェーンベルクの色彩豊かなオーケストレーションによって、数々の楽器が加わり、表現力は大きく増している。時に華麗ですらあり、音楽が進むにつれてその傾向はさらに強まる。最終楽章では、まるで「ハンガリー舞曲」を聴いているかのような感覚にさえなった。
長身のザンデルリンクは、実に見通しの良い演奏でこの曲を完全に手中に収めていた。それを短い練習時間でN響に演奏させる力量は、素人の私から見ても並大抵のものではないだろう。すでにライプツィヒのオーケストラとともにこの曲を録音しているようだが、そうした経験もあってか、まさに面目躍如たる演奏だった。最終楽章ではN響も奮い立ち、このオーケストラの力が遺憾なく発揮されたと言える。やはり個々のソリストの力量において、N響は他のオーケストラより一頭地を抜いている。コーダもぴたりと決まり、どよめきにも似たブラボーと拍手が会場を覆った。幾度も舞台に呼び戻された指揮者は、各奏者と握手を交わした。このザンデルリンクといい、東響を振ったエラス=カサドやヴィオッティ、さらには我らが山田和樹といい、優れた若手指揮者の登場が相次いでいる。彼らがここ東京にしばしば登場することは嬉しい。実に朗らかな気分にさせてくれたコンサートだった。












