ディスコグラフィを眺めれば、往年の名テノールたちがこの作品に挑んできた歴史が見える。ディ・ステーファノ、ゴッビ、デル・モナコといった大御所たち。さらにドミンゴ、パヴァロッティ、カレーラスと続く黄金時代。しかし、その後は途切れてしまう。そんな中、今回の MET が選んだのは、近年ほとんど専属歌手のように活躍しているポーランドのピョートル・ベチャワ(アンドレア・シェニエ)。相手役にはブルガリアのソニア・ヨンチェヴァ(マッダレーナ)、そしてもう一人の主役とも言えるジェラール役にはロシアのイゴール・ゴロヴァテンコが名を連ねた。
東欧の三人がニューヨークに集い、フランス革命時の実話をもとにしたイタリア・オペラを歌い上げる。指揮者は MET Live には初登場ながら、すでにここの首席客演指揮者を務める若き俊英ダニエーレ・ルスティオーニ。しかも今年から都響の首席客演指揮者にも就任するというから、日本の音楽ファンとしては期待が膨らむばかりだ。
舞台はニコラ・ジョエルの演出で、第1幕冒頭には巨大なソファが運び込まれるという大胆な幕開け。音楽はイタリアらしい情熱を湛えつつも、プッチーニほど甘美に傾かず、どこか古い伝統の香りを残している。その古風さが批評家には物足りなく映ることもあるようだが、聴き手にとってはむしろ魅力の一つだ。何しろ、このオペラには聴きどころが実に多い。
第1幕のハイライトは、詩人シェニエのアリア「ある日青空を眺めて」。最高音 B♭ が2度も現れる難所で、幕間のインタビューでベチャワ自身がそのプレッシャーを語っていた。さらに第4幕冒頭には「5月のある美しい日のように」というアリアが控え、気品と信念を兼ね備えた歌唱が求められる。まさにテノールが主役のオペラであり、ソプラノでさえ脇に回るほどだ。
そのソプラノの見せ場は第3幕、マッダレーナがジェラールに懇願する名アリア「母は死んで」。一方、ジェラールにはその前に「祖国の敵」という力強いアリアが用意されている。どちらもガラ・コンサートで頻繁に取り上げられる名曲で、単独でも十分に舞台を支える力を持つ。
そして終幕には、断頭台へ向かう二人が歌う壮絶な二重唱「君のそばにいると、僕の乱れた心も」が待っている。かつて MET の資料室長だった P・クラーク氏は、この場面について「ここで身震いしない人は脈拍を確かめた方がいい」と語っている。けだし誇張ではない。
表題役のシェニエは、若い詩人である。しかし幕が開いてまず登場するのは、革命前の貴族生活を楽しむコアニー家の下僕ジェラールで、彼は冒頭からアリアを歌う。一方、同じサロンに令嬢のマッダレーナが登場。詩人シェニエの歌う即興詩にジェラールともども魅せられる(第1幕)。
5年後。ここからがややこしい。恐怖政治が吹き荒れる中で今や革命政府の要人となったジェラールと落ちぶれたマッダレーナが再会。ジェラールはマッダレーナに告白し、シェニエも登場して決闘を交えるが、ジェラールは2人を逃がす(第2幕)。
今回のMET Liveでは、第1幕と第2幕、第2幕と第3幕の間にそれぞれ休憩があり、そのあと第3幕と第4幕は続けて上演された。この後半は集中力が欠かせない見どころの連続である。反革命分子として捕らえられたシェニエを、マッダレーナは体と引き換えに助けてほしいとジェラールに懇願。その姿勢に心を打たれたジェラールは、2人を許す決意をするのだが、時すでに遅し(第3幕)。2人は高潔な死を歌い断頭台へと向かう(第4幕)。
アリアを含め、記憶に残るキャッチーなメロディーがないあたりが、プッチーニには及ばないところ。名舞台の映像を見慣れた人には物足りなさもあるかもしれないが、私のように初めて全編を観る者にとっては、新鮮な驚きの連続だった。指揮者ルスティオーニの自然でダイナミックな音楽づくりも心地よく、アリアが終わるたびに客席からブラボーが飛び交う。イタリア・オペラならではの熱気を、休日の朝にたっぷり味わうことができた。










