2013年3月31日日曜日

東京交響楽団第608回定期演奏会(2013年3月23日サントリー・ホール)

マーラーが作曲家としてではなく、人気ある指揮者としてキャリアをスタートさせたのは、本人が望んだ結果ではなかったようだ。彼自身は作曲家としてのキャリアを望んでいた。だが作曲家が作曲だけで食べていける時代ではなかった。少なくともマーラーの20代は、作曲家としての人生を踏み出すには若すぎた。そして彼自身、「作品1」と称して後世にわたって改訂を繰り返した作品であるカンタータ「嘆きの歌」は、そのことを決定付けた作品である。すなわち若い作曲家に贈られるコンクールのベートーヴェン賞というのを逃してしまったからである。

これはマーラーの作品が優勝した他の作品等に比較して稚拙であったから、と早計に断じることはできない。その経緯や批判は音楽学者に任せるとして結果的に彼は、このことがきっかけで作曲家としてのキャリアのスタートを断念せざるを得なかった。まだ交響曲第1番(これも最初はカンタータだった)を発表する前の、ウィーンでの学生時代のことである。

そのカンタータ「嘆きの歌」には、現在では数多くの録音が残されており、演奏会でもしばしば取り上げられるようだ。しかしその後の10曲の交響曲や歌曲に比べると、有名な度合いは明らかに劣るし、第一作品のストーリーも曲もほとんど知られていない。そしてそうであればあるほどに、この曲、すなわち作曲家自身が最後まで拘った初期の作品を聞きたくもなるものだ。

幸いなことに秋山和慶が東京交響楽団を指揮して演奏する定期演奏家でこの曲が取り上げられるとわかった時、私はチケットを買い求め、桜が満開のサントリーホールに出かけることに決めた。桜の咲くころのコンサートで思い出すのは、スクロヴァチェフスキーによる読売日本交響楽団のブルックナーだが、これについては別に機会に書こうと思う。

土曜日の夜にサントリーホールに出かけるのは、私にとって懐かしいことだった。かつて上京したての頃、よく在京オーケストラの定期に通ったものだ。定期会員になり、いつも同じ席で同じ人の隣で聞く珍しい曲の数々は、私に音楽生活の深みを与えた。私の隣に座っていた和服姿のご婦人は、どうしているのだろうか、などと思いながら開演の時間を待った。

この日のコンサートで秋山和慶はマーラーのカンタータ「嘆きの歌」を、オリジナル版で演奏することになっていた。このことが私を最終的にこの演奏会に向かわせた理由は、後年にバッサリと削除されてしまった第1部が演奏されるからで、これがないとこの曲の全貌を知る上であまりに不自然に思われたからである。だがそのことによって、この曲は全体で1時間程度にまで膨らみ、独唱は6人を数え、プログラムの前半にはブラームスの「悲劇的序曲」だけという事態となった。このブラームスの作品を丁寧に演奏したわずか十数分後には、早くも20分の休憩時間となった。

コンサートの目玉は「嘆きの歌」オリジナル版であることは明白だったが、この曲のほぼ完全な演奏は、この団体の高い演奏能力と合わせて長く記憶されるであろうという出来栄えであった。通常はP席と呼ばれるオーケストラ後方の席に並んだ混声合唱団と、フル・オーケストラからは、あのマーラーの音楽が見事に流れてきた。当時20歳そこそこだったマーラーには、すでにあの独特の根暗さを持った音楽が確立していた。記憶に残るフレーズや歌詞は、残念がら何もないという不思議な感覚ではあったが、全体に飽きることはなく、持続する緊張感とゆとりも感じさせる演奏は、立派なものだった。アマチュア的な「演奏してみました」的なものではなく、全体を見据え、聴かせどころを心得たプロフェッショナルなものが伝わってきた。

第2部と第3部では、舞台裏の別のオーケストラが鳴り、それと呼応する形で眼前のオーケストラが響きあうシーンが何度かあった。トランペットやシンバル、ティンパニなどで編成される舞台裏のオーケストラは、フォルティッシモで演奏してもかすかに聞こえるような効果を出すように指示されている。この音響効果は、後年の交響曲第2番をはじめとしていくつかの作品でも応用された。実際に見ているとその掛け合いのシーンが大変印象的であった。

この第2部と第3部だけを、しかも舞台裏効果付きで聞きたいだけなら、オリジナル版ではなく改訂版の演奏でも聞くことができる。ここで音楽は35分程度に短縮されているから、ストーリーを考慮しなければそれもまあありかと思う。少なくとも私は、第1部がどうしても聞きたいという風でもない。そしてオリジナル版が全盛のこの時代にあって、あのブーレーズによる新譜の録音(はマーラー全集の最後を飾るもので、しかも演奏は初演時のオーケストラでもあるウィーン・フィルだ)が何と改訂版として演奏され売られている。ザルツブルク音楽祭のライブ版CDは、現時点で最も新しい録音である(現在輸入盤のみ)。

私はさっそくこのCDを買って再度第2部以降を聞き直してみたいと思っている。なぜなら当日の演奏は、オーケストラと合唱の高水準な名演奏として記録にも残る(その演奏はCD録音されていた)ものだったが、どうにも曲の記憶が薄いからだ(おそらくそういうところがまだ未熟な作品なのだろう)。一度聞いただけではわからなかったこの曲も、(詳しいテキストは入手したプログラムに書かれているので)再度聞き直してみたいと思っている。そうしたくなるというのもまた面白い作品で、マーラーのあの雰囲気はすでに流れているが、かといって後年の作品のような確信的なマーラー節でもない音楽として、何か不思議な印象をだったという事実だけが、 私の心のなかに残されてしまっているからだ。

当日の出演者は以下の通りである。私にとって秋山の指揮を聞くのは1989年の神戸でのN響演奏会以来、2度目であった。

小林沙羅(S)、星川美保子(S)、小林明子(Ms)、富岡明子(Ms)、青柳素晴(T)、甲斐栄次郎(Br)、東響コーラス、東京交響楽団/秋山和慶(指揮)

最後に一言。いささか音色に癖のあるN響を別にすれば、在京のオーケストラの中で今もっとも演奏水準が高いと思われるのがこの東京交響楽団ではないか。こ れまで私にはもっとも縁のなかったオーケストラだったが、先日の新国立劇場の「タンホイザー」や「アイーダ」といい、今回の「嘆きの歌」といい、なかなか のものだった。私は他の演奏にもでかけてみたくなった。

2013年3月22日金曜日

ヴェルディ:歌劇「アイーダ」(2013年3月20日新国立劇場)

東京の桜は早くも五部咲きで、真冬から一気に春がやってきた。寒暖の差は例年になく大きく、私も体調をとうとう崩してしまった。前夜から微熱があって食欲がない。普通であれば養生を決め込むしかないのだが、ゼッフィレッリの演出する「アイーダ」など、一生のうちで見られるとしても1回あるかないか、そうであるなら万障を繰り合わせてでも行くしかない。たとえ仕事を休むことになったとしても、これを見逃すことはできない。新国立劇場開館15周年記念公演ということもあって、全公演全席売り切れである。違う日のチケットを買い直すことも、もはやできない。

ヴェルディの「アイーダ」を観るという時には、実は私はいつも何かとても重いものを感じる。古代エジプトが舞台のこのオペラは、壮大で歌も美しく、見応えは十分なはずだが、音楽は複雑で重々しく、何か後期のヴェルディの迫力がどどっと押し寄せて来る感じがする。高い山に登るときのような体力の覚悟が、果たして自分にあるのかと問われているような気がしてならない。そこにゼッフィレッリの絢爛豪華でこれでもかと言わんばかりの演出によって、カロリー過多な料理をフルコースで出されるような感じである。

幕があくと、おおこれか、と溜息がでるようなエジプトの神殿が眼前に広がった。薄いヴェールを被ったような、全体に曇りがかったような舞台は、砂漠の砂埃が舞っているという感じを上手く表している。黄色がベースの照明は、新国立劇場の良く動く装置には少し地味なくらいに古典的ではある。

ラダメスは登場していきなり「清きアイーダ」を熱唱するが、テノールのカルロ・ヴェントレは今日一番出来が良かったキャストである。ブラボーが飛び交って拍手が一時収まりかけたが、もう一度熱狂的な拍手に包まれる。

アイーダ役はアメリカ人のラトニア・ムーアで、初来日の舞台と紹介されていた。メトで代役をこなした実力派の歌声は、細くもなければ野太くもなく、芯があって美しく安定している。エチオピアの王女という存在感は舞台上でもよくわかり、私には大変良いと思わせた。そのアイーダの「勝ちて帰れ」は、第1幕最大の見どころで、進むに連れて舞台が暗くなって行き、天井からの赤い照明が彼女のみを照らしだすとやがてその光も歌声とともに消えるように失われていった。

本公演では休憩が3回あった。舞台の転回に時間がかかるのだろう。第2幕の凱旋のシーンもある見応えある部分は、これでもかこれでもかと何百人もの人々が入れ替わり立ち代わり、舞台に出ては消える。全部で十人以上はいたと思われるアイーダ・トランペットとバレエ団、その見事な踊りは見応え充分。ミヒャエル・ギュットラー指揮する東京交響楽団も、十分な出来栄えで音楽をグイグイと引っ張る。馬が2頭も出てきて戦利品の行進に驚きを与え、最後にはアモナズロを含む捕虜が舞台上に現れた。私はアイーダを実演で観るのはこれが2回目に過ぎないのだが、ゼッフィレッリの演出はさすがに見応えがあった。

興奮も冷めやらぬうちに第3幕となった。ここからの「アイーダ」は、前半の派手なシーンとはまた別の、深く充実した場面へと変わる。舞台はナイルの河畔で、一艘の舟に乗って神殿に到着。何かお伽話のような感じだが、まあそれは良しとして。アイーダの父、エチオピア王アモンズロ(バリトンの堀内康雄)はアイーダに、戦略上の機密をラダメスから聞き出せと迫る。祖国と愛との間に苦しむアイーダの、葛藤に満ちた場面は、このオペラの隠れた名場面だと思う。

第4幕になると「アイーダ」はさらに熱を帯びた展開となる。ラダメスが裁判にかけられて死刑となるシーンである。ここでの最大の聞き所はもう一人の主役、アムネリスである。この役はメゾ・ソプラノのマリアンヌ・コルネッティによって歌われた。そもそもこの役は低くて嫉妬深い歌唱によるものが多く、トロヴァトーレのアズチェーナのような悪役だと、これまでの私は思っていた。アイーダとの愛があまりに純粋なため、ともすればそれを邪魔する悪女という固定観念があったのだ。だが今回の上演を見て、アムネリスもまた一途な女性であった。彼女は彼女なりにラダメスを愛し、そして自らが下した決断が結果的にラダメスを死に至らしめることに気づくが、どうすることもできない。そのあまりに深い苦悩が、見事に歌われた。少なくともこの上演でのアムネリスの、もっとも大きな聞かせどころはこの第4幕であることをコルネッティは心得ていた。アムネリスの悲しさが伝わってくる演技は、私に「アイーダ」のまた一つの発見をもたらした。

第2場でいよいよ舞台は上下に動き、牢屋に生き埋めにされたラダメスが、ひそかに忍び込んだアイーダと出会うシーンとなった。そんなことがあろうかといつも思うが、ここは泣かせるシーンである。2重唱がやがては地上のアムネリスとハモって3重唱となり、天国的な美しさの中で昇華してゆく。ゼッフィレッリの演出は、特別奇抜なところはないが、従来の演出上の最も完全で美しいものを私たちに惜しみなく提供した。祈りにも似た音楽が消え去っていくのと呼応して照明が消えて行き、最後に残った蝋燭の灯りまでもが遠い彼方へ消えて行く時、私の目には涙とともに揺れていた僅かなあかりまでもが徐々に霞んでいった。物音ひとつしない静かな舞台は、永遠に続いて欲しいとさえ思わせるような恍惚の中を、感動的な幕切れとなって終った。満場のブラボーと拍手の中を、何度もカーテンコールに呼び戻された歌手に惜しみない拍手を送った。このようにして、新国立劇場は、リバイバルされた「アイーダ」の好演の中に新しい歴史を刻んだ。

2013年3月16日土曜日

シューベルト:歌曲集(T:イアン・ボストリッジ)

室内楽曲や短い歌曲は、もともと気さくな音楽だ。ベートーヴェン以降の時代では特に、教養ある市民階級のための音楽が多く作られ、それまでの貴族のためのバックグランドミュージックに取って代わった。シューベルトの有名な歌曲「魔王」は、そのような市民たちに愛好されたのだろうと思う。何せこの楽譜は、発売されるや飛ぶように売れたという。

シューベルト自身もこのような私的な音楽会で、自作を楽しんでいるようだ。1823年、26歳のシューベルトはSteyrという土地(リンツの近く)にある弁護士一家を訪ねた際、ある手紙に家庭的団欒の様子が語られているという。それによれば、シューベルトが「魔王」を、歌手のフォーグルが「父」、そしてそこの家庭のある娘が「少年」を分担して歌ったという(「シューベルト」(前田昭雄著、新潮文庫)。

そもそもシューベルトはどのくらいの歌曲を作ったかについては、明確なことはわからない。ドイチュ番号の付いているものだけでも600曲以上はあり、改作や行方不明のものも合わせると1000曲に達するという研究者もいる。その大半がドイツ語による短い歌曲(リート)で、シューベルトはこの分野を切り開き、「歌曲王」と呼ばれていることは中学校の音楽の授業で習った。

そのうち有名な歌曲のいくつかは、文豪ゲーテの作品に対して作曲されている。「魔王」はそのうちでも最も有名な「作品1」である。つまり出版された最初の作品、続くいくつかの作品も「一を紡ぐグレートヒェン」「漁師」などがあり、すべてを聞いたわけでは勿論ないが、「水の上で歌う」や「月に寄せて」など好きな作品、それに「野ばら」や「ます」「子守唄」のような誰もが知っている作品もあって興味はつきない(言うまでもなくこれらの他に三大歌曲がある)。

数多くの有名な歌曲の作品集には数多くの録音がある。イギリスの若きテノール、イアン・ボストリッジは、ピアニストのジュリアス・ドレークとともに多くの録音を残している。 その中でももしかしたら最初の録音が1996年のこのCDである。私は中古屋で見つけてたまたま買ってみたという程度だが、これが聞くほどになかなかいい(CD本体にはボストリッジのサインまであった!)。知らない曲を聞いたというのに、何か時間が止まったような懐かしい瞬間に出くわすことがある。かつて旅した古い街や自然の風景の断片を、どういうわけか思い出す。シューベルトの音楽は記憶の深いところに働きかけ、その一こまを他では思い出さない時に、脳の中から呼び覚ますのではないだろうか。

だがこれ以上、シューベルトの歌曲の新鮮で、時に深い魅力について書くことは、ほかでさんざん語り尽くされているのでやめておこう。これをきっかけにして、他の歌手の録音や、他の作品にも触れてみようと思った。だがゆったりと音楽に浸れる時間があまりないのも事実である。そういう状態で聞きたくはない。できればシューベルトがそうしたように、どこかの地方へ旅行して、溢れる自然の中で楽しんでみたい。初夏の眩しい日差しを浴びながら。


【収録曲】
1. ます
2. ガニュメート
3. 春に
4. 月に寄せて
5. 野ばら
6. 旅人の夜の歌2
7. 最初の喪失
8. 漁師
9. 漁師のくらし
10. 夜と夢
11. こびと
12. 音楽に寄せて
13. 君はわがやすらい
14. 水の上で歌う
15. シルヴィアに
16. 連祷
17. 春のおもい
18. 林の中で
19. ミューズの子
20. 旅人の夜の歌1
21. 幸福
22. 魔王

2013年3月10日日曜日

ヴェルディ:歌劇「リゴレット」(The MET Live in HD 2012-2013)

ヴェルディ中期の代表的傑作「リゴレット」は、ヴィクトル・ユゴーの原作である。だがこのたびのブロードウェイの演出家マイケル・メイヤーは、舞台を16世紀のイタリアから1960年代のラス・ヴェガスに移した。メトでは珍しい読み替え風の演出だが、原作の趣旨を曲げているわけではない。

そうするとなぜ時代設定を変更する必要があったのかという疑問が残る。これに対して一般的な評価は「現代人にも共感できる演出」ということだが、これはあまりにもありふれた低次元の言い訳だ。原作が持っているテーマの普遍性を考えてみれば、舞台設定を現代にする意味がわからない。そうでなくても十分に意図は伝わるし、そうしなかったことによって台無しになってしまった要素は計り知れない。

ここで好色家マントヴァ公爵のモデルは、フランク・シナトラということになっている。ラスヴェガスの街を牛耳り金や権力を欲しいままにしているという設定だ。だが、その悪徳ぶりがなかなか見えてこない。そして彼は本気でジルダを愛したのか、それとも最初から遊びのつもりだったのか。ここでの演出は後者を思わせた。しかし話の中身をよく考えれば、その二面性の中にこそ、この物語の重要なテーマがあるような気がする。

中世の価値観が色濃く残るイタリアの方が、現代の民主的アメリカより矛盾に満ちていたと考えられる。それゆえか登場人物がみな小粒にみえてしまう。服装が現代的であることにも原因があるかも知れない。彼らは普段目にするか、目にしなくても映画などでお馴染みの「悪役」程度にしか見えない。そして悪役にも憎めない要素があるという(原作がおそらくは持っているであろう)深みを表現しきれているとは思えない。

派手ではあるが考えられた斬新な舞台は、ネオンサインの輝くきらびやかなものだ。歌手はエレベータに乗って場面を行き来し、階数を現す電光掲示板が音楽に合わせて上下する。第1幕のギラギラなシーンよりもむしろ、第3幕の方が良かった。ジルダが犠牲になることを申し出て、殺し屋に身代わりに殺されるシーンでは、斜めに並んだネオン管がブリンクし、嵐の情景を演出する。だが、そのような派手さによって、より胸に迫るはずのジルダの自己犠牲の哀しみが、薄められてしまった。 呪いや裏切られてもなお愛を貫くジルダのセンスを、はたして現代人によくわかる演出によってより強く表現できたであろうか。

このような話題性のある演出を、あの保守的なメトがやってしまったということに新鮮さはあるかもしれない。そしてラスヴェガスという設定は、アメリカの劇場でなければ表現できなかっただろう。だが、それ以上のものを感じない舞台だった。にもかかわらず大きなブーイングもなく、むしろ好意的でかつ熱狂的な拍手喝采だったのは、ひとえに音楽が素晴らしかったからだろう。すなわち表題役のバリトン、ジェリコ・ルチッチと、ジルダを演じたドイツ人ディアナ・ダムラウ、それに「デューク」となってしまったマントヴァ公爵のピョートル・ペチャワである。ペチャワは悪の主役という感じではないが、これはマフィアも表に出るときには普通の人という感じである。ダムラウは第2幕幕切れの二重唱で、圧倒的な素晴らしさだった。

この3人に、さらに殺し屋のスパラフチーレを歌ったバスのステファン・コツァンと、その妹役のオクサナ・ヴォルコヴァを加えた5人は、いずれも欠点のないほどの出来栄えであった(特にコツァンの超低くて安定のある声と言ったら!)。指揮の若きイタリア人マイケル・メイヤーも、全く素晴らしいという他はない。この指揮者は、ルイージやネゼ=セガンらの常連指揮者よりも腕のいいものを持っているとさえ思われた。第1幕でジルダが初めて登場するシーン(ここではエレベータに乗って現れた)で、音楽が一気に躍動すあたりは、見事というほかない。

これだけの素晴らしい歌手と指揮者が揃った割りには感激が湧いて来なかったのは、やはり演出の問題ではないかと思っている。だが私は折からの春の嵐のせいで、やや花粉症気味であった。そのような体調に加え、年度末の超多忙な毎日が、このような作品を心から楽しむ余裕をなくしてしまっているからかも知れない。ただもう一度見たいか、と問われると少し疑問を抱く。

この指揮者と歌手で、できれば「椿姫」を見てみたいと思った。容姿もいいし歌声も充実している。ダムラウのヴィオレッタ、ペチャワのアルフレード、そしてルチッチのジェルモンという組合せがもし実現すれば、(残念ながらこの中にイタリア人はいないのだが)何とも素晴らしい「トラヴィアータ」になるのではないか、などと考えてしまった(このときは「フローラの館」はラスヴェガスにあってもいいかも知れない・・・)。

「リゴレット」はその「椿姫」や「イル・トロヴァトーレ」とならぶヴェルディ中期の代表作である。だがストーリーは実の娘を失うという行き場のない悲劇だ。どれほど美しい歌がつけられていても楽しく見ることは難しい。かつてビデオで見たシャイーの演奏は、パヴァロッティのマントヴァ公が圧巻で、しかもポネルの演出が天才的であった。4重唱のシーンは見るものを釘付けにし、最後は川の上で舟に乗って亡き娘を抱く。たった一度だけ見たにすぎないが、はっきりと覚えている。その時の驚きにも似た感動があまりに大きすぎたのかも知れない。

2013年3月3日日曜日

シューベルト:交響曲第3番ニ長調D200(ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団)

シューベルトの交響曲第3番は、「未完成」と「グレイト」以外で最初に聞き、感動した交響曲である。その時の演奏がギュンター・ヴァントの指揮する北ドイツ放送交響楽団のこのCDだった。私は確かFM放送で聞いてもう一度聞きたくなり、池袋のHMVへ急いだ。カップリングにはシューマンの交響曲第3番「ライン」が入っていたが、むしろシューベルトの方に惹かれた。この曲の魅力は、この演奏によってインプットされたのである。

だが客観的に見て他にも多くの名演奏があり、いまとなってはなぜこの演奏がその引き金を引いたのかはよくわからない。ひとつ言えることはヴァントという指揮者は、なぜか聞き古された曲の魅力を再発見する経験をすることが多かったという事実。他ではベートーヴェンの「田園」、それにモーツァルトのト短調交響曲などもそうだった。

古典派の音楽とロマン派の音楽の違いについては、私のような素人にしか言えない表現で言ってしまえば、こういうことになる。古典派の音楽は一定の形式、枠に押し込めようとしているのに対し、ベートーヴェンではそれがどうしても収まり切らなくなった。そしてとうとう枠を超えてしまったところ、シューベルトはむしろ自由に、そしてより自然に、自分の感情を音楽に寄せて表現する。「歌」といえばポピュラー音楽では「音楽」と同じくらいに欠くことのできない要素である。だがシューベルト以前はそうでもなかった。

シューベルトは音楽に歌を持ち込んだ。ただし芸術至上主義的にそのことを実践したのではない。よし私的に、目立たないところで、だが確実に自身の表現をその方向に向けた。野心的ではなかったかもしれないが、結果的には誰もが成し得なかった表現の幅が獲得された。その先駆けとなったシューベルト18歳の時の交響曲のもう一つがこの第3番というわけである。

第1楽章の序奏はまるでモーツァルトの短調のようで、重々しいがとても深い味わいがある。だが主題はクラリネットが明るいメロディーを吹くと、それはいささか脳天気な感じでさえあり、落差に違和感を覚える。その後はきっちりとシューベルト節である。ヴァントは悠然と構えながら歩みを進める。何かクレンペラーのような感じだが、きっちりとアクセントは押さえているのがいい(統制が効いている)。

第2楽章は前の2つの交響曲のように明るいが、インパクトに乏しいのではないか、と思いきや、中間部で民謡風のメロディーが流れてきて、何か心からとても嬉しくなる。この交響曲を通して活躍するのはクラリネットだが、その旋律はたった一回だけでもとの主題に戻る。これはお祭りのような音楽なのかも知れない。

第3楽章のメヌエットはスケルツォ風の諧謔性を持っている。ヴァントはここでは早めのテンポで一気に駆け抜ける。 トリオはまたも楽しい民謡舞曲風。第4楽章になると、第3楽章で貯めこまれてしまったエネルギーが、素直な方向に広がっていきながら流れていく。その有様は大河を下るような感じだが、ヴァントはテンポを少し遅めにとりながらもリズムをしっかり刻んで行く。シューベルトの流れはここで、一気に春の花を開かせたかのようだ。

2013年3月2日土曜日

シューベルト:交響曲第2番変ロ長調D125(リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

この作品をはじめて聞いた時、何とも中途半端な出来損ないの曲に感じたものだ。それもそのはずで、交響曲第2番はシューベルト18歳の時の作品である。当時シューベルトはウィーンで教師の見習いとして働いていた。1815年のことである。

ところが第1番や後年の第8番など、注意深く聞いてきた続きに、何度も繰り返し聞いていると、不思議なものでこの曲が大変素敵な曲に思われて来た。シューベルトにかぎらずベートーヴェンの若い日の作品、メンデルスゾーン、ウェーバーなどの曲を親しんでいくと、ロマン派初期の作品がどういう傾向を持っているのかがよくわかる。そしてその過程がなければ、あの後期ロマン派も、その後の二十世紀音楽もなかったのだという事実が重く感じられる。

若い、ということはいいなあ、などと思いながら聞くシューベルトの初期の作品もいいし、初夏のきらめく光の中で、恍惚感に浸りながら聞くのもいいが、単に若書きの曲だと片付けてしまうことができない程、充実したものを持っているような気がする。そのせいかわからないが、シューベルトの交響曲の演奏は、他の作曲家の初期交響曲、たとえばメンデルスゾーン、ドヴォルジャーク、チャイコフスキー、などに比べると種類が多い。多くの巨匠指揮者が、生涯に一度は演奏し、録音を残している。

この交響曲第2番の場合、例えば序奏の堂々とした響き(モーツァルトの第39番の序奏に似ているが、言われてみるまでは気づかなかった)、第1楽章のほとばしり出るようなリズムと旋律(ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲に似ているが、やはり言われてみるまでは気づかなかった)は、第1番にはなかったような勢いで、もはやこの曲が大変充実したものであることがわかる。長い主題は繰り返されてさらに長くなるが、それでも演奏がいいと長くは感じない。

第2楽章アンダンテも、最初は単純で退屈な曲だと感じたが、聞き進んでいくとメロディーを口ずさみたくなってしまう。ハイドンによくあるような5つの部分からなる変奏曲である。続く第3楽章はメヌエットとなっているが、牧歌的というかウィーン的というか、よくわからないが良い曲。

第4楽章プレスト・ヴィヴァーチェ。途中で馬が駆けるようなリズムのあとで何かトルコ風のメロディーが一瞬姿を現す。純真で軽快なメロディーもからみ合って展開していくと、深みを増す気分となる。

この曲は当時ウィーンで流行だったイタリア風の演奏で聞いてみたい。木管楽器と弦楽器が程よく融け合うオーケストラがいい。そしてリッカルド・ムーティが指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏がそれにうってつけであることは言うまでもない。この全集はアバドの演奏と並んで80年代の名演だと思うが、なぜかあまり評判にならなかったようだ。だが、私はこの曲の魅力をこの演奏で味わった。

2013年3月1日金曜日

シューベルト:交響曲第1番ニ長調D28(クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団))

シューベルトは1797年生まれだから、もうその頃にはベートーヴェンはウィーンにいてピアニストとして名を馳せていた。ベートーヴェンが交響曲第1番を作曲するのは1800年である。ウィーン生まれのシューベルトはその短い一生を終えるのが1828年で、これはベートーヴェンの死去の翌年である。このことはシューベルトがベートーヴェンの後に活躍するロマン派初期の作曲家である、という表面上の知識では誤解を生む可能性があるだろう。すなわちシューベルトの一生はベートーヴェンの後半生と重なっているのである。

シューベルトの音楽はそれゆえに、ベートーヴェンから影響を受けたということよりはむしろ、ハイドンやモーツァルト、それに師匠であったサリエリのようなイタリア出身の作曲家から多くを引き継いでいるように思われる。ベートーヴェンの後に彼を越えようとした作曲家は多いが、シューベルトはその中には入れないほうがいいと思う。シューベルトの音楽はベートーヴェンとはまた違った側面を持っているのは、このような理由からではないかと思う。

そのシューベルトの音楽を最初にどこで聞いたかについて思い出してみると、私の場合、中学生の音楽の時間に聞いた(聞かされた)歌曲「魔王」ではなかったかと思う。もちろんそれ以前に「未完成」交響曲のメロディーくらいには接していたとは思う。だがシューベルトを意識して聞いたのは、「魔王」が最初である。「魔王」は歌曲なので、シューベルトを習うというよりは、歌曲とはこのようなものですよ、と音楽の先生は教えた。この時少なくとも私はシューベルトについて深く考えることはなかった。

黒澤明監督の映画「天国と地獄」は(オッフェンバックの喜歌劇とはまったく関係のない映画で)高度成長の始まり頃の横浜を舞台にした刑事サスペンスである。貧乏な医学生が山手地区の高台の豪邸に住む裕福な実業家の男の子を誘拐して身代金を要求するのだが、その医学生(山崎努)の住む安アパート地区のドブ川の風景が初めて映されるときにシューベルトの「ます」のあのメロディーが流れる。これが2回目と思う。シューベルトの音楽の何とも天国的な美しさが、白黒映画のスラム街の描写に重なるのだ。

シューベルトの音楽は、単に甘くて切ない音楽ではない。寂寥感と孤独感に満ちているだけでなく、その中に潜む恐ろしいような衝動や暗さ・・・悪魔とでも言うべきもののような部分をも内在しているのではないかと感じる時がある。だから若干31歳で夭折したこの天才作曲家の人生は、何かとても不思議な好奇心を掻き立てる。それとともに、時には天国的に美しいメロディーと、時には空おそろいいまでの暗く孤独な旋律を、ちゃんと聞いてみたいと思っていた。

それにしてもあまりにシューベルトを知らなさ過ぎる。そこで手当たり次第にシューベルトの音楽を聞いてみようと思った。何から手を付けようか。モーツァルトよりは「年老いた」15歳頃に作曲を始めたシューベルトは、そのわずか15年後に没するまでの間に1000曲を書いたことになる。初期の作品の中にあまり有名なものはない。滅多に演奏されることもないこの時期の作品の中では、はやり最初の交響曲を無視するわけにはいかないだろう。そういうわけでまずは交響曲第1番ニ長調D28ということになる。この交響曲はコンヴィクトと呼ばれる寄宿制神学校時代の最後に書かれたようだ。当時彼は16歳であった。

この時期の作品としてはまだ明るさが全面に出ていて、屈託のない美しさに溢れている。演奏は数多く出ているが、目下のお気に入りはクラウディオ・アバドが指揮をしたヨーロッパ室内管弦楽団による全集からの一枚を今回は聞いた。序奏の最初から感興豊かな音楽で、ソナタ形式によるわかりやすいメロディーをしばし聞く。不思議なことに主題の再現部に来るかと思いきや、その再現部では序奏を含めて再現されている。もう一度最初から聞いて下さい、という感じである。

第2楽章アンダンテは歌うようなメロディーで、早くもロマン派の香りが漂う、などと書いてしまうのだが、あのベートーヴェンの第2交響曲の第2楽章だってこういう歌うようなメロディーである。ただこちらのほうが若い音楽である。ただきれいな音楽なので、春の夢のようにいつまでも聞いていたいような感じになる。シューベルトの音楽はあまり推敲の末に書かれたという感じではなく、一聴何の変哲もないようだが、ずっと聞いていたくなるような音楽だから凄いと思う。

第3楽章はメヌエット。何度も書くが、ここがスケルツォになってしまうと何かせわしなく、ただの舞踊音楽だと単調で飽きてくる。シューベルトは飽きそうにはなるが、踏みとどまって聞いていると耳が自然に歌に合ってくる。そしていつのまにか気分が変わって第4楽章に入るが、アレグロ・ヴィヴァーチェも爽快そのものである。

ヨーロッパ室内管弦楽団を指揮したこの演奏は、アバドの瑞々しい感性と真摯な面がストレートに出ていて、とてもいいように思う。冬でも太陽の明るく降り注ぐ南に面した明るい部屋で、私はしばしこの曲に身を委ねていた。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...