2021年12月30日木曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(15)ジョルジュ・プレートル(2008, 2010)

2008年のニューイヤーコンサートは、事前の予想通り大変魅力的なものとなった。フランス人のジョルジュ・プレートルが83歳という高齢ながらしっかりと舞台に立ち、ユーモアのセンスに溢れたワルツを披露したからだ。そうか、まだプレートルという指揮者がいたか!私が彼の登場のアナウンスを聞いた時に抱いたのは、その意外性と、これはおそらく評判のコンサートになるという確信だった。その通り、この2008年のコンサートは大好評となり、自身の持つ高齢記録をさらに更新する2010年への再登場へ道を開いた。

プレートルは、マリア・カラスと共演した「カルメン」の録音や、フランコ・ゼッフィレッリ監督のオペラ映画「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」といった70年代に活躍したオペラ指揮者で有名だが、コンサート指揮者としては特に目立つこともなく、その後の活躍もあまり知られていない。だからニューイヤーコンサートの舞台に立つということ自体が奇跡とも言えるものであった。プレートルは2017年に92歳で死去するが、ウィーン・フィルとのお正月の共演は彼自身にとっても一世一代の晴れ舞台だったようだ。ではまず2008年のコンサートから。

フランス人としての初登場となるニューイヤーコンサートらしく、この日のプログラムはフランスに関係のある曲が目立つこととなった。まず冒頭は「ナポレオン行進曲」。ニューイヤーコンサートの最初の演目は行進曲であることが多いが、このプレートルの時ほど心を躍らせた時はない。ワルツ「オーストリアの村つばめ」での緩い部分ではテンポ時にぐっと抑えて、オーケストラとの根競べの様相を呈し、指揮者の即興性とオーケストラの自主性が拮抗するようなシーン。そう書けば聞こえはいいが、何となく老齢指揮者のスケベ心が垣間見えたような気もした。

これ以降もフランス関連の曲が続く。中には珍しい作品もあり、「パリのワルツ」は素敵な曲であった。オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」から有名な「カンカン」を誂えた「オルフェウス・カドリーユ」でテンポが上がり、一気に会場が沸くあたりは映像で見る方が楽しい。思えば1980年のマゼール以降、やたら神経質になってしまったニューイヤーコンサートを、リラックスした打ち解けたムードに戻したのは、このプレートルとメータくらいだろうか。ただ当時メータはまだ若く、実際指揮のポーズだけで何もしていない。そのことがウィーン・フィルの自立性を引き出し好感を読んのだが、その点プレートルは独特の遊び心が充満し、見ていて楽しいコンサートとなった。

後半は喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」序曲、ワルツ「人生を楽しめ」と大きな曲が2つ続く。これらは聞きものである。フランス風ポルカもしっとりと美しく、「とんぼ」などうっとりとする。一方、「皇帝円舞曲」ではちょっともたれ気味でもあるのが惜しいが、終盤は各国にちなんだポルカや行進曲が登場し、長いコンサートがあっという間に通り過ぎた。アンコールではサッカーの欧州選手権がオーストリアで開催されることを記念して「スポーツ・ポルカ」が演奏され、楽しいパフォーマンスもあって会場は大いに盛り上がった様子は、CDでも聞くことができる。

2008年の成功は2010年の再登場へとつながった。この2010年もフランスにちなんだ曲が多く、「女性」や「酒」がかくれたテーマではないかと思う。そのものズバリ、シャンパンを扱ったシュトラウスの「シャンパン・ポルカ」は有名だが、「北欧のシュトラウス」と言われたハンス・クリスチャン・ロンビが「シャンパン・ギャロップ」で初登場したのも目を引く(短いが楽しい曲で、このコンサートの最後の演目である)。ただここでのプレートルは、2008年のちょっと秋趣味な傾向をさらに押し進めた結果、時に音楽の自然な流れが壊れている()「こうもり」序曲や「朝の新聞」)。お正月のほろ酔い気分でたまに聞くには問題ないが、何回も聞いて楽しむという感じではなくなっている、というのが私の感想である。

ワルツ「酒、女、歌」は、まさにそのテーマとなった曲だと思われるが、これは前半のクライマックスである。そして嬉しいことに長い序奏が付いている。一方、後半で目を引くのは生誕200年となるニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲で、ウィーン・フィルを創立したニコライの曲はもっと登場してもいいと思うのだが、実に1992年のクライバー以来ではないかと思う。またオッフェンバックの喜歌劇「ライン川の水の妖精」という珍しい曲が入っているが、実際にはあの有名な「舟歌」のメロディーが聞こえるので、この曲はライン川にも適用されたことがわかる。同じくオッフェンバックの喜歌劇「美しきエレーヌ」をエドゥアルド・シュトラウスがカドリーユ用に編纂した曲が登場。これは2008年の「オルフェオのカドリーユ」とペアと考えることができるだろう。

テンポが名一杯遅くなって溜を打つものの、それが決して重くはならないところが面白い。総じて非常にユニークなコンサートで、円熟の極みに達したプレートルにしかできなかった数奇なコンサートであったことは確かであろう。忘れ去られた指揮者がウィーンの舞台に晴れ晴れしくカムバックし、陽気で堅牢な演奏を務めたことは、演奏の良し悪しを越えて感動的であった。

2008年のプレートル登場を頂点として、ニューイヤーコンサートは以降、長い下り坂へと入って行った。国際的な年中行事としての地位が揺らぐことはないが、一方で初登場する指揮者も多く、ウィーン的保守性との両立が次第に困難になりつつあるように見受けられる。プレートルの2つのコンサートは、2000年代のニューイヤーコンサートの一つの時代の区切りではなかったかという気がする。


さて、コロナ禍一色だった2021年もあとわずかである。かつて年末と言えば、大晦日の夕刻までは仕事や正月の準備で大いに忙しく、年を越すと急に静かなお正月がやってきて1週間程度はその気分が続いたものだった。しかし平成の時代を経て重心が前倒しとなり、今では大晦日も元日のように静かになった。12月に入ると早くもスーパーに鏡餅などが並び、クリスマスを過ぎると門松を飾るところも多い。大晦日は銀行も休みである。一方でお正月は、2日から経済活動が始まる。スーパーや百貨店も初売りが早くなった。

ニューイヤーコンサートも実際には12月末に何度か公演があり、最後の元日昼の演奏が全世界にテレビ中継される。お正月気分はむしろ年末から味わうというのが昨今の傾向のようである(いっそ日本も旧暦のお正月を祝う東アジアの伝統に回帰してはどうか)。だから年末に、今ではもう古くなったプレートルの演奏に耳を傾けてみた。静かな師走の朝に聞くワルツもいいものだ、と思うようになった。来る2022年が良い年でありますようにと祈りつつ、今年の本ブログの執筆を終えることとしたい。


【収録曲(2008年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「ナポレオン行進曲」作品156
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
3. ヨーゼフ・シュトラウス:「ルクセンブルク・ポルカ」作品60
4. ヨハン・シュトラウス1世:「パリのワルツ」作品101
5. ヨハン・シュトラウス1世:「ベルサイユ・ギャロップ」作品107
6. ヨハン・シュトラウス2世:「オルフェウス・カドリーユ」作品236
7. ヘルメスベルガー:ギャロップ「小さな広告」
8. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」序曲
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「人生を楽しめ」作品340
10. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「閃光」作品271
11. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
12. ランナー:ワルツ「宮廷舞踏会」作品161
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品60
14. ヨハン・シュトラウス2世:「ロシア行進曲」作品426
15. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「パリジェンヌ」作品238
16. ヨハン・シュトラウス1世:「中国風ギャロップ」作品20
17. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
18. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「インドの舞姫」作品351
19. ヨーゼフ・シュトラウス:「スポーツ・ポルカ」作品170
20. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
21. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2010年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「女心」作品166
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「愛と踊りに夢中」作品393
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒、女、歌」作品333
6. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
7. ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンのボンボン」作品307
9. ヨハン・シュトラウス2世:「シャンパン・ポルカ」作品211
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「心と魂」作品323
11. ヨハン・シュトラウス1世:ギャロップ「パリの謝肉祭」作品100
12. オッフェンバック:喜歌劇「ラインの妖精」序曲
13. エドゥアルト・シュトラウス:「美しきエレーヌのカドリーユ」作品14
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
15. ロンビ:シャンパン・ギャロップ
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「狩り」作品373
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2021年12月28日火曜日

リスト:ハンガリー狂詩曲集(管弦楽版)(ズビン・メータ指揮イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)

ハンガリー生まれのリストは祖国に大きなこだわりをもっていて、ハンガリー風のメロディーを用いた作品を数多く作曲している。ここで紹介する「ハンガリー狂詩曲」もまた、その代表的な例である。彼は15曲にも及ぶ「ハンガリー狂詩曲集」を出版し、さらに晩年に4曲を追加したが、こちらのほうは平凡であまり有名ではないらしい。

15曲の「ハンガリー狂詩曲」は勿論、ピアノ用の曲であって、リストの超技巧的なテクニックが必要となる難曲だが、そこに独特のジプシー風メロディーが加わり、調性は絶えず変化するどころか、リズムはかなりの自由度を持って揺れ動く。ピアノで演奏される「ハンガリー狂詩曲」には、それだけに数多くのピアノの名手によって演奏され録音もされているが、この15曲の中からドップラーによってアレンジされ、さらにはリスト自身の手も加えて出版された管弦楽版「ハンガリー狂詩曲」が6曲ある。

  • 第1番ヘ短調 S.359/1 (原曲:第14番)
  • 第2番ニ短調 S.359/2 (原曲:第2番嬰ハ短調)
  • 第3番ニ長調 S.359/3 (原曲:第6番変ニ長調)
  • 第4番ニ短調 S.359/4 (原曲:第12番嬰ハ短調)
  • 第5番ホ短調 S.359/5 (原曲:第5番)
  • 第6番ニ長調 S.359/6 (原曲:第9番変ホ長調)

このうちもっとも有名なのは「第2番」で、これは原曲でも第2番なのだが、この曲の演奏を取り上げた録音は多い。私の知る限り、ハンガリー生まれのショルティは第2番を「ハンガリー・コネクション」と銘打たれたCDに録音したが、それ以前にカラヤンは第2番と第4番、それに第5番を録音している。一方、全曲を録音した指揮者は少なく、メジャー・レーベルに関して私の調べた限りでは、最も有名で未だに決定的であるドラティ(ロンドン響)を筆頭にメータ(イスラエル・フィル)、マズア(ゲヴァントハウス管)、それに1998年になって登場したI・フィッシャー(ブダペスト祝祭管)によるフィリップスの名録音が近年における最右翼であることに疑う余地はない。

かつて私は、アーサー・フィードラーの指揮するボストン・ポップス管弦楽団による演奏でクラシック音楽の楽しみを知ったのだが、当時の名曲集に収録されていた第2番の演奏は、少々雑で物足りないものだった。それに比べるとカラヤンのゴージャスな演奏は、この曲をシンフォニックに演奏して一種のスタイルを確立していたように思う。けれども随分重い演奏だと思い、さほど好きな方ではなかった。後年になってショルティの肩の凝らない演奏を聞いた時、編曲の違いもあるのだろうか、こういう演奏もできるのだと驚いた。

もともとはかなり自由な曲である上に、編曲した際にもどこをどう演奏するかは演奏者に委ねられている部分も多い。そう考えると、この曲にさらに多くの装飾を加え、リズムの変化を大きく見せるかと思えばゆったりとした部分を存分に引き延ばす、といったあらゆるテクニックを駆使して、それまでコンサート会場でなされなかったような演奏を繰り広げることも可能であろう。I・フィッシャーによる演奏はまさにそのような体である。それを優秀な録音が引き立てている。だが残念なことに、この演奏には何かが足りないように私には感じられる。

リストの管弦楽曲は難しいと言われている。その難しさを感じさせず、肩の凝らない演奏こそが望ましいというのが、私の結論である。そうなるとメータの出番である。1988年、テルアビブでスタジオ録音された一枚は、決定的ではないものの全曲をしっかりと演奏したもので、特に後半の比較的地味な曲の味わいはなかなかいい。リラックスしたムードと楽しい響き、その中にも少しは気品を感じさせ、ハンガリー情緒も大袈裟にならず、かといってしらけてもいない。

この演奏を聞きながら、今では死語になってしまった家庭におけるレコード・コンサートのことを思った。私の少年の頃の愛聴盤だったフィードラーのレコードは、まさにそのような時に取り出される一枚で、ライナー・ノーツに評論家の志鳥栄一郎が、ご家庭でビールを片手にくつろぎながらお聴きください、と書かれていた。家庭のリビングにまだテレビが一台しかなかった時代でも、我が家では時に、そのテレビではなくステレオ装置を稼働させ、主に父親の選択する何枚かのクラシック・レコードをかけたものだ。

交響曲を全曲聞くこともあれば、いくつかの小品や、長い曲のさわりだけ、ということもあった。約1時間余りの時間をそのようにして過ごす、ちょっと品のいい家庭における一家団欒の時間は、主に週末の夜などに持たれたが、そのような文化は世界中にあったと思われる。だが、テレビでさえ家族で見なくなっていく時代、LPがCDに代わった頃から、家庭における音楽文化は個人的な空間の中に閉じ込められていく。この傾向がもたらした変化は、発売されるディスクの選曲にも影響を及ぼしたであろう。

リストの「ハンガリー狂詩曲」といったポピュラー名曲は、このようにして存在価値を減らされていった。いまやその全曲を通して聞くことなどない。売れないCDを時間をかけて演奏する演奏家も減ってゆく。そう考えると、このメータによるスタジオ録音は、衰退してゆくポピュラー音楽文化の最後の残照を感じさせ、何かとても懐かしい気分にさせてくれる。だから有名な「第2番」のみではなく、「第1番」からきっちりと聞いてみたくなる。そうしたことは、実はこれまでほとんどなかったことにも気付く。

メータのリズム変化の処理が、自然でそれでいてメリハリがあるのがいい。時折聞こえてくるハープの音色に耳を澄ませ、中低弦の響きに地味な東欧の息吹を感じる。そのようにして第6番までの1時間余りは、少し音量を控えめにしてステレオ装置で鳴らしてみたい。読書などをしていてもそれを妨げず、時に親しみやすいメロディーに手を止めて聞き入るような瞬間が何度もあるだろう。家族で音楽を聞くことはなくなったが、それでも一人で何かとても充実した時間を過ごせる。このディスクはそんな演奏である。

2021年12月23日木曜日

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品83(P: クラウディオ・アラウ、ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

数多くあるピアノ協奏曲の中でも、ブラームスのピアノ協奏曲第2番ほど深い感銘を残す作品はない。それまでのピアノ協奏曲とは一線を画し、新しい地平を切り開く先鋒となった作品だと思う。俗に「ピアノ付き交響曲」と言われるような形式上の新しさ(「スケルツォ」に相当する第2楽章を加えた4楽章構成。全体での演奏時間は50分にも達する)だけでなく、ピアノとオーケストラの見事な融合は、聞けば聞くほどに発見が多い。

私は音楽の専門家ではないので、ここの新しさ、ブラームスがこの曲で見せた新境地について、確かな事実をもって語ることができない。聞いた印象のみで「何か新しそう」ということはできても、その正体がなんであるのかを詳述することは困難を極める。一人のリスナーとして、しかしながらこの曲は、多くの人が語っているように、最も素晴らしいピアノ協奏曲の一つ、そしてブラームスの数ある作品の中でも、ひときわ充実した魅力的な作品であることは疑う余地がない。

名だたるピアニストがこの曲を演奏、録音している。リヒテル、ギレリス、ルービンシュタイン、バックハウスといった往年の巨匠から、アンダ、ポリーニ、ブレンデル、コヴァセヴィッチを経て最近では、アンスネス、グリモーに至るまで、どの演奏も一聴に値するだろうし、オーケストラの出来が大きなウェイトを占めるこの曲は、それぞれに個性が感じられ甲乙つけがたい。それだけ曲自体に深みがあり、情趣に溢れているからだろう。けれども、この曲が魅力的だと感じられるまでには時間がかかる。その理由は、長大な時間と精緻な表現を間近に捉える環境が整わないからだ、というのが私の見解である。コンサート会場でごく近くの席に座り、長い時間ゆったりと耳を傾ける必要がある。ピアニストは高い技量を持ち、オーケストラが貧弱であってもいけない。音楽が派手に鳴り響くわけでもない。この玄人にしかわからないような場を、他の観客に壊されてもいけない。大規模でありながら室内楽のような表現が必要で、派手ではないものの様々な表情を音色、テンポ、ソロ楽器との交歓などに合わせ醸し出す。これがピアノとオーケストラのいずれにも必要で、しかも50分続く。

ブラームスはこの曲を自身の2度に亘るイタリア旅行の末に書き上げた(1881年)。これは前作のピアノ協奏曲第1番の22年後にあたり、ブラームス47歳の円熟期の傑作とされている。何と初演は、ブラームス自身の独奏でなされていることも、よく語れらるエピソードのひとつである。

私がこの作品のいくつかの名演奏をディスクで聞いてきて、初めて自分の心をとらえた演奏は、チリ生まれのピアニスト、クラウディオ・アラウが晩年に残した名録音で、ベルナルト・ハイティンク指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団が競演する1969年のものだった。アラウはこの時すでに66歳、ハイティンクは若干40歳。そのハイティンクは先日、92歳の生涯を閉じた。今から半世紀以上も前の演奏ながら、ピアノもオーケストラも必要十分な音質で録音されており、そういう観点でも評価に値するディスクだと思う。

演奏が困難を極めるこの曲を、ピアノがあまり起伏を持って表現しすぎると間が持たない。オーケストラは、ピアノを支える土台としてゆるぎないものでなくてはならないことに加え、しばしばソロを含むメロディーが主役を演じる。すっきりしすぎていては、あの重厚なブラームスが表現されない。アラウはいつものようにどっしりと骨格を示しながらも、時におおらかな弧を描く。そしてハイティンクの指揮が、これをしっかりサポートしてピアノに交わっている。この年代としては信じられないくらいに録音も素晴らしい。

第1楽章冒頭は、霧立ちのぼるホルンの主題で始まる。すぐにピアノが追いかける。このフレーズだけでブラームスの世界に引き込まれてゆく。オーケストラの短いフレーズに続いて、丸でカデンツァのようにピアノが大きく羽ばたくように独奏すると、ここから始まる長い音楽への道のりが、とても嬉しく思えてくる。第1楽章だけで17分にも及ぶソナタ形式。

第2楽章はスケルツォ楽章。いい演奏で聞くと、これほど魅力に溢れた楽章はない程白熱したものとなる。その興奮は、内に秘めたエネルギーが燃えるといういかにもブラームス風である。この楽章がなければ、この曲は目立たない作品になっていただろうとも思う。

チェロの渋い独奏で始まるのが第3楽章。主題をチェロに代わって弦楽器が繰り返すときでさえ、ピアノはまだ音を出さない。この楽章でのピアノは脇役に回っている。夜の静寂に映えるガス灯のような中間部を十分に味わって、再びチェロが冒頭の旋律を繰り返すとき、もっと印象的なものになっているから不思議である。このレトロな主題ほどブラームスを感じるものはない。

おもむろに始まる第4楽章は、大人しい音楽だが愉悦に満ちている。イタリアの影響を最も感じさせるのがこの楽章ということになっている。結局、この曲は全体で50分も続くのに、急激で派手な部分はほとんどない。これがベートーヴェン以来続くピアノ協奏曲の一般的な印象を裏切ることになる。長い曲が終わると、奏者も聞き手もぐったりと疲れたようになる。しかし本当にいい演奏で聞いた時には、さわやかな充実感が心を吹き抜けて行く。繰り返すように、ブラームスの魅力をもっとも感じさせるのが、このピアノ協奏曲第2番だと思う。第1番の失敗から22年が経過し、ブラームスはベートーヴェンからの流れを変える名曲を残したのではないか。

2021年12月 北海道新ひだか町にて
最後に、これまでに聞いた他の録音の感想を簡単に記しておきたい。代表的名盤とされるギレリス盤(ヨッフム指揮ベルリン・フィル)は、ギレリスの剛健ながらやさしいピアノが魅力的で、ヨッフムも明るく強固に伴奏をしており素晴らしい演奏だが、なぜか飽きてくるようなところがある。完璧すぎるからだろうか。

その点、もう一方の横綱級名演であるバックハウス盤(ベーム指揮ウィーン・フィル)は、その評判通り文句のつけようがない素晴らしさで、この曲の歴史的な金字塔と言える。ただ私が聞いたディスクでは、録音が少しも物足りず、箱の中で鳴っている感じがする。これではウィーン・フィルの魅力も半減する。

ここで触れたアラウ盤が大関だとすると、今一つの大関にはポリーニ盤(アバド指揮ウィーン・フィル)が良いだろう。若きイタリア人コンビには、明るく流れるような粒立ちの音が耳に心地よく、他の演奏にはない新鮮さが感じられる。なお、アラウには古い録音(ジュリーニ指揮フィルハーモニア管)が、ポリーニには1995年の録音(アバド指揮ベルリン・フィル)と2013年の新録音(ティーレマン指揮シュターツカペレ・ドレスデン)もあるが、いずれも聞いたことがない。

関脇にはアンダ盤(カラヤン指揮ベルリン・フィル)を挙げたい。カラヤンは不思議なことに、この第2番しか録音しなかった。アンダのピアノも魅力だが、オーケストラに関する限り、カラヤンとベルリン・フィルにはやはり脱帽せざるを得ない。新しいグリモー盤(ネルソンズ指揮ウィーン・フィル)も関脇としたい。久々の新録音に相応しい新鮮な演奏で、録音の良さとウィーン・フィルの美しさが際立つ。そして小結には、コヴァセヴィッチ盤(サヴァリッシュ指揮ロンドン・フィル)とブレンデル盤(アバド指揮ベルリン・フィル)を挙げておこう。

2021年12月19日日曜日

東京交響楽団演奏会・第172回名曲全集(2021年12月18日ミューザ川崎シンフォニーホール、指揮:秋山和慶)

本当に感動的なコンサートは、あとあとまで余韻が残るものだ。今年最後のコンサートに、年末の「第九」を選んだ。久しぶりだった。今年は妻が「第九」を聞きたいと言ったからだ。ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」を聞くのは、2018年末のNHK交響楽団(指揮:マレク・ヤノフスキ)以来3年ぶりである。コロナ禍で多くのコンサートが中止となった昨シーズンから年月が経ち、ようやく日常が取り戻せるようになってきた今年の締めくくりに、「第九」ほど相応しい作品はない。

ところが「第九」は人気作品であって、どの公演も満員御礼となることが多く、今年も例外ではなかった。各オーケストラが短い期間に演奏を競い合う中、やや惰性的で散漫な演奏も少なくない。今年のコンサート情報を眺めながら、私たちが行くことのできる日程(それは週末に限られる)と会場から、売れ残っているチケットを探し始めたのが11月のことであった。

幸なことに、東京交響楽団が名曲全集と銘打ったシリーズの中に、辛うじて席を探し出すことができた。とはいえまだクリスマスも1週間後に控えた12月18日。年末の雰囲気には少し早すぎる。これは各公演の中でも最も早いもので、東京交響楽団でもこのあと30日まで断続的に「第九」公演が続く。しかし早くも冬休みに入った高校生の息子に尋ねると、しぶしぶ「行く」と答えた。何でも「オミクロン株」なる新しい変異型コロナウィルスが世界を席巻しつつある中、いつ何時再度ロックダウンという事態も起こりかねない。行けるなら早い方がいい、というのが私たち家族の結論だった。

14時前に会場へ赴くと、すでに大勢の人でにぎわっており、公演情報を映した掲示板にはチケットはが売切れと表示されていた。ホールはすでに満席の状態で、こういう光景は久しぶりのことである。あらためて「第九」の人気に驚くが、やはり今年はちょっと気分が違っているのかも知れない。昨年にも「第九」の演奏がなされたのかは知らないが、まあそんなことはどうでもよい。指揮はこの楽団の音楽監督である秋山和慶。1941年生まれというから御年80歳。私の父とほぼ同年代である。先日(12月4日)ここ川崎で、彼の指揮する洗足学園のオーケストラによるサン=サーンスを聞いたばかりだが、学生オーケストラとは思えない落ち着いた名演奏で、私は息を飲んだほどである。この他にもかつて、東響でマーラーの「嘆きの歌」の名演に接している(もっと古いところでは1989年に神戸でN響公演を聞いている)。

秋山の指揮は私にとって、とても印象深い名演の記憶ばかりである。非常に端正でオーソドックスながら、洗練された美しい響きで新鮮な印象を残す。外面的な効果を狙うわけではなく、音の重なりの微妙な違いをきっちりと表現し、どのフレーズも次につながる時に停滞したり、急ぎ過ぎたりしない。こういうちゃんとしたところは、素人の私が聞いていても大変よくわかるし、几帳面であるものの堅苦しくはなく、むしろモダンである。思えば小澤征爾と始めたサイトウ・キネン・オーケストラの初回の演奏会には、彼が小澤と交代で指揮をしていた記憶がある。桐朋学園における斉藤秀雄の門下生ということになる。もっとも小澤は1935年生まれだから、6歳ほど年下ではあるが。

プログラムの最初にワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」より第1幕への前奏曲が演奏されるというのも、今となっては大変古風でさえあり、私などは大いに好ましいと感じる。そもそも「第九」のみでは、何か損をした気分になるのだが、ここにワーグナーを持ってくることで、「第九」から最も啓示を受けた作曲家のひとりにスポットライトを当てる。

だがその演奏は、残念ながらオーケストラの試運転状態といったところ。私の席からは、丸でおもちゃのような音がしていた、と書けばちょっと気の毒だが、アマチュアに毛の生えた程度の演奏に思えたのは私だけではなかったようだ。クライマックスのシンバルが少し早すぎたように感じたし、それは1回だけではなかったので、「第九」の時にどうなるのかちょっと心配になった。

休憩なしで「第九」が始まった時、合唱団とソリストはまだ舞台に上がっておらず2巻編成のオーケストラのみ。向かって左手から第1・第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラの順。右手奥にコントラバス。一方、打楽器は左手奥に並び、ちょっと私の席からは見えにくい。この会場は舞台で死角となる部分が、座る席のよって多いのが残念である。また残響が大きく、私の好みとはやや異なる。しかも縦に高く、席は非対称というのも変わっている。この結果、3階席以上となると見下ろす感じとなる上に、間接的な音波のみを聞いているような感じがする。今回はS席2階だったので直接波を聞いている感じがしており、こういう状態で「第九」を聞くのは、もしかすると初めてではないかと思った(正確にはサイモン・ラトルの指揮でウィーン・フィルの「第九」を聞いているのだが、どういうわけかこの時の印象がぼやけている)。

オーケストラから緊張が感じられたのは第1楽章を通しても変わらなかった。決して間違いを犯すわけではないのだが、まだ固く、アンサンブルの溶け合い具合が定まらない。これは実演でよくあることで、仕方がないのだが、この後どうなるかというところがとても大事である。それにしても「第九」というのは長い曲だなと改めて感じる。

第2楽章に入って、オーボエを始めとするソロ、ティンパニの活躍を含む長いスケルツォが進むにつれて、ようやくエンジンの調子が良くなってきたように感じたオーケストラは、第3楽章のアダージョをとても美しく弾き切った。目を閉じると、各パートが管楽器と重なる時の音色の変化がとてもよくわかる。これはやはり実演で聞いてこそ感動的である。録音・調整された音が鮮明に各楽器を捉えているのは当然のことだが(そうでないものもある)、ライブで見ながらこれを実感するのは、驚異的なことだと思う。

まだ録音技術がなかった今から200年前に書かれ、その後多くの作曲家に底知れぬ影響を与えた「第九」は、おそらく実演で聞いた時の感動たるや、想像を絶するものだったに違いない。アダージョ楽章の、管楽器がしばし揺蕩うひとときを経て一気に3拍子で流れを変え、ピチカートでクライマックスを築く時の変化は、この音楽の分岐点としてその後に続く「新しい音楽」への序章でもある。ここを境にして、今日の演奏もまた、大きく飛躍を遂げたと感じたのは私だけではなかったようだ。

間を置かず第4楽章に突入するのが近年の流行りだが(そのため、合唱団とソリストは第2楽章と第3楽章の合間に登場した)、この理由は、やはり第3楽章の「頂点」から一気に下るスピード感に弛緩を許したくないからだろうと思った。第4楽章の最初に各楽章の回想シーン(とその否定)があることから、私は長年、第3楽章のあとに「切れ目」があると思っていた。だがそうではないのだ。

低弦楽器のよっておもむろに「歓喜の歌」の旋律が流れてきたとき、今日の演奏はとてもいいものになると確信した。各楽器が右から左へと重心が移り、その変わる様を「生のステレオ」効果によって実感することができる。そしてついにバリトンが大声で宣言する。「おお友よ、もっと喜びに満ちた歌を歌おう!」

今日の歌手は全員日本人で、バリトンは加耒徹。その声は大音量をもって会場にこだまし、この音楽の際立った目印を示した。「やるな」と思った。決定的な宣言が音波を通し、震えるようなエネルギーとなって体に共鳴を与える。雪崩を打つように合唱団が、ソリストが歓喜を歌う。総勢40人程度しかいない新国立劇場合唱団の、何と見事なことか!ソプラノの安井陽子が、負けじと大声を張り上げる。彼女の歌はもはや誰の耳にも明確に聞こえ、メゾ・ソプラノの清水華澄も円熟の音楽性だ。

長いフェルマータも、秋山は無駄に伸ばしたりはしないあたりが、演奏に程よいストレスを持続させるのだろう。行進曲でテノールの宮里直樹が、これでもかと歌う声はまだ若くて張りがあり、そのことがとてもいい。フーガに突入するオーケストラ、そして大合唱。「第九」の聞きどころは続く。

だが、本日最大の聞きどころは、このあとコーダに入るまでの、天国的な空間に分け入る部分だった。厳かで畏敬の念を感じさせる「第九」の真骨頂を、その通り示したのだ。これは私の「第九」経験史上、初めてのことだった。4人の歌手と合唱が一体となって神を賛美し、人類の歓喜を鼓舞する。ここが「第九」最大の聞きどころだとわかってはいても、そう感じる演奏にはなかなか出会えるものではない。CDやビデオの場合は、ここまで集中力をもっておかないとよくわからなくなってしまう。ライブの場合では、客席を含めもっと数多くの要素が絡む。

消え入るような歌唱に続いてコーダになだれ込む「第九」の最後は、もうどうでもいいような歓喜の中を突っ走る。秋山の指揮は、その状況でも合唱とオーケストラのバランスを鮮明にし、テンポをやや抑え、そこはかとない効果を指示することを忘れない。これは練習通りにやったためでのことかも知れないが、さらに白熱した演奏ぶりは指揮からも十分に感じ取れる。

正攻法の「第九」を久しぶりに聞き、「音楽」を味わったと思った。満場の拍手は途切れることなく続いた。舞台最前列に登場した4人のソリストが、次のカーテンコールでは元の位置(合唱団の最前列)に上がった時、まさかアンコールが演奏されるとは思わなかった。緊張が解けて、最高のアンサンブルに成熟したオーケストラから充実した響きが流れてきた。合唱が重なると、それはあの有名なスコットランド民謡だった。私は感涙し、体の震えが止まらなかった。これほどにまで美しい合唱を聞いたことがない。その震えは暫く続き、涙で舞台が見えにくくなったと思っていたら、照明が少しずつ消えて行き、最後には指揮とコンサートマスターのみを照らし出した。「蛍の光」を歌う合唱団とオーケストラのメンバーがペンライトを持っている。このまま続けて第2番の歌詞も聞いていたいと思ったら、音楽は終わってしまった。だが思いがけない年末のプレゼントに、会場は再び沸いた。

このような企画は、最初から予定されていたのだろう。毎年恒例の行事かも知れない。けれどもそうとは知らない私たちは、この光景に大いに感激し、初めて味わった「第九」の見事な演奏にしみじみととした余韻の時間を過ごした。たった1回限りの音楽は、それが名演であれば、はかないながらも説得力のあるものとなる。「第九」の感動によってワーグナーは、ベルリオーズは、ブルックナーは、そしてマーラーまでもが作曲家になる決意をした。その力は、こういうことだったのか、と思った。また来年も、このコンビによる「第九」を聞きたいと思った。心温まる感動を残しながら私たちは、師走の川崎の街をあとにした。

2021年12月17日金曜日

サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」(Org: サイモン・プレストン、ジェームズ・レヴァイン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

大阪に日本初のクラシック専用ホールが完成したのが1983年のことである。この時話題に上ったのが、正面に設えたパイプオルガンで、以来、我が国には雨後のタケノコのようにパイプオルガンを備えたクラシック専用ホールが完成してゆく。オーケストラの背後に席を設けるのと同様に、まるでそうしなければならないかのように。丁度バブル景気に乗って、自治体にも潤沢な資金があったのだろう。それを満たすだけの音楽文化が、この国に根付いているのかはよくわからない。何もクラシック専門でなくてもいいのではないかと思うのだが、かといって多目的の文化ホールのみでは、どんな種類の音楽にも中途半端なままである。その極みとも言うべきNHKホールは、丸で紅白歌合戦のためにあるようなホールだが、N響は今でもここを本拠地としており、そして潤沢な受信料収入を背景に大規模なパイプオルガンが備えられている。

ところが世界中を見渡してもパイプオルガンまで備えたホールは、さほど多くはないと思う。オルガンは教会で聞くものだということだろう。私もオルガンの曲を敢えて聞くということはまずない。そしてオーケストラの曲にオルガンが混じると言うのも、実際のところそれほど多くはない。そしてそれを交響曲に取り入れた作品となると、サン=サーンスの交響曲第3番くらいで、オルガン奏者だったブルックナーもオルガンを思わせるような交響曲を書いたが、交響曲にオルガンを混ぜるようなことはなかった。

オルガンとオーケストラの響き合いが困難だと思われたのかも知れない。またオルガンを備えたホールが少ないということもあるのだろう。私が初めてこの曲を聞いたのは、ニューヨークのカーネギーホールだったが、ここにもオルガンは備えられていない。そこで聞いたマゼール指揮フランス国立管弦楽団の演奏会では、小さな移動式のオルガンが設置されていた。どういう響きだったかはもう覚えていない。何せ30年以上も前のことだから。

東京にあるいくつものクラシック専用音楽ホールでこそ、サン=サーンスのオルガン交響曲は演奏に値するだろう。にもかかわらず、私はまだ日本でこの曲を聞いていない。これほど有名な曲であるにも関わらず、どういうわけかこれまで、プログラムに登っていても会場に足を運ぶことはなかった。だが今回、初めて川崎で音大オーケストラフェスティバルというのがあって、この曲を聞く機会があった。学生オケとは思えないようないい演奏で、多分に感心して帰ってきたこともあり、久しぶりに我がCDライブラリの中から、この曲を聞いてみようと思った次第である。

サン=サーンスの「オルガン交響曲」は、2つの楽章から成り、それぞれの前半はオーケストラのみで奏されるが、後半はオルガンの壮麗な響きが加わって、独特のムードを醸し出す。都合4つの部分に分かれ、第1楽章後半はゆっくりとした緩徐楽章、第2楽章前半はスケルツォのような趣を持っているため、全体で4つの楽章から成る交響曲と考えても違和感はない。

メロディーの一部にはグレゴリオ聖歌の音形が引用されていたり、第2楽章に4手のピアノも混じったりと聞きどころは多く、フィナーレでは次第に音量が上がって迫力満点であり、この作品が初演時から一貫して人気を博しているのも頷ける。特に美しい第1楽章の後半は、ロマンチックというよりは静かな美しさに満ち、丸で昇天するかのように崇高で静謐なメロディーは最大の聞きどころではないかと思う。

もしかするとオルガンを用いるということは、教会の領域に半ば踏み込むことになり、相当な覚悟も必要だったのかも知れない。ただ、演奏会を含め、この作品の録音にはオーディオ効果を表現するにはうってつけの作品であり、メロディーも映画やドラマなどに使われることもあって、割に世俗的でもあると思う。特にスタジオ録音された管弦楽に、別の場所で録ったオルガンをミックスするやり方は、デュトワ、カラヤン、バレンボイムなどといった名だたる名盤でも使われている。

さて。今年亡くなった音楽家の中にジェームズ・レヴァインがいる。シンシナティ生まれでジョージ・セルの助手を務めてキャリアをスタートさせ、特に1971年以降はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の音楽監督を始めとする要職を長年務めた。この間に指揮台に立った回数は2000回を超え、このオーケストラの技量を飛躍的に向上させた。

彼はコンサート指揮者やピアニストとしても有名で、特に1980年代の活躍は世界を席巻するほどのものだった。全盛期を誇るその時代に初めてベルリン・フィルと録音した曲が、サン=サーンスの「オルガン交響曲」だった。ドイツ・グラモフォンによるCDは、今聞いてもほれぼれとするような旋律美と迫力に満ち、丸でイタリア・オペラのカンタービレを思わせるようなフレーズや、ヴェルディ作品のようなドキドキ感を生々しく伝えている。

結論から言うと、私のこの曲のベスト盤のひとつは、ジェームズ・レヴァインがベルリン・フィルを指揮した1986年の録音であると思っている。カラヤンにはカラヤンの、デュトワにはデュトワの、そしてこの作品のモデルとも言うべき古典的なミュンシュやオーマンディにもそれぞれの持ち味と魅力があるが、レヴァインの持つ味わいには彼でなくては引き出せないようなものがあると思う。オルガンを務めるのはイギリス人の著名なオルガニスト、サイモン・プレストンで、第1楽章の後半ではそのオルガンの響きが極小にまで控えられ、天国的な美しさを醸し出す一方で、フィナーレでは前面に出たオルガンを含む全体が壮大なスペクタクルのようにドライブされていく様は、興奮を覚える。

だがこの演奏を含め、レヴァインの数々の名演奏(それはすこぶる多い)に素直な気持ちで接することができなくなってしまった。この心理的ショックを、世界中の人々、とりわけ特に2000年代後半以降に病に倒れてからの、奇跡的な復帰を喜んだばかりのニューヨークの人々は、どう清算しているのだろうか。在任中から数々の疑惑が絶えなかったにも関わらず、その音楽的な才能から彼の活躍に拍手を送り続けて来た私を含むファンは、この時、とうとう最後の絶望の底に突き落とされた気がした。

晩年の生活はほとんど語られておらず、寂しい死だったと思われる。善と悪、芸術と犯罪は隣り合わせにあるような脆弱性の中で成り立っているのだろうか。極度のコンプレックスとその反作用として才気が、彼の演奏の中に共存していたような気がする。教会の崇高さ外面的装飾性を合わせ持つ「オルガン交響曲」を聞きながら、私の心は常にアンヴィヴァレントな状況から脱することができなかった。


(追記)

本CDにはデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」も収録されている。こちらもテンポを速めにとった圧巻の名演である。

2021年12月12日日曜日

東京交響楽団第84回川崎定期演奏会(2021年12月5日ミューザ川崎シンフォニーホール、指揮:ジョナサン・ノット)

フランス人ピアニスト、ニコラ・アンゲリッシュが病気のために来日できなくなり、今回の東京交響楽団の定期演奏会でブラームスを弾くピアニストに変更が生じた。だがそれは珍しいことではない。コロナ禍に見舞われて以来、中止となった演奏会は数知れず、開催できたとしても無観客。そもそも聴衆を入れないコンサートなんてほとんど意味がないんじゃないの?と思っていたが、それも今年に入って少しずつ緩和され、聴衆を入れたコンサートが日常に戻ってきた。アーティスト、特に来日する外国人音楽家には高いハードルがあり、感染の状況によっては長い隔離期間が必要だったりしてなかなか思うような日程が組めず、結局、代役に交代というケースが続出する。日本人にも素晴らしい世界的演奏家が多いので、最初から日本人を中心とした演奏家によるプログラムが組まれることも多くなっている。だからアンゲリッシュが来日できなくなったと聞いても、さほど驚きはなかった。では誰が代役を務めるか?

アンゲリッシュのキャンセルが発表されたのは11月5日、そして代役の発表が18日にホームページであった。それによれば何と、丁度来日中だったドイツの巨匠、ゲルハルト・オピッツとなっているではないか!プログラムはブラームスのピアノ協奏曲第2番。「ピアノ付き交響曲」とも言われるこの長い(50分)曲を、急な登板で弾き切るピアニストなどそうそういるわけではない。だがオピッツはそれを引き受けたようだ。そうなると余ったチケットを何としても手に入れたいと思うのが人情というものだろう。ところが実際は、当日券が沢山余っていた。定期演奏会は前日のサントリーホールのものと合わせて2回ある。しかし私はすでに音楽大学オーケストラのコンサートが前日にあるので、迷わず川崎定期にやってきたのだった。

オピッツは親日家として知られ、NHKのピアノ講座も担当したドイツ正統派の巨匠である。ケンプを師匠とすることもあり、ベートーヴェンとブラームスに特に定評がある。メジャーレーベルに数多くの録音もある。オピッツは丁度日本ツアーの最中で、リサイタルを中心に11月から来年1月にかけて3か月もの間我が国に滞在し、各地でリサイタルなどを開くようだ。そしてそのスケジュールの合間にすっぽりと収まる形で今回の代役が決まったのだろう。

それでもブラームスの2番コンチェルトは宇宙的に長く、よほどいい演奏で聞かないと音楽の緊張が持続しない散漫な演奏になる。これは録音されたものでも言える。私は何枚かのCDを持っているが、ことこの曲に限っては捉えどころがないと長年思っていた。実演で聞いた過去の演奏会でも、なかなか忍耐の要る曲である。オピッツは曲目を変えることなく、そのままブラームスのピアノ協奏曲第2番を弾く。会場に現れただけでも総立ちで拍手したいところだったが、そこはコロナ禍でのコンサートである。客席は思い切り熱い拍手をする。

ホルンの調べに乗って冒頭のピアノのメロディーが静かに流れ始めた時、ああやはりこれはブラームスの音だと即座に感じた。そして次々と紡ぎだされゆく音楽に、私は丸でこの曲を初めて聞くような感覚を覚えたのだ。これはどうしてか。もしかするとそれは、これまでに聞いた実演の聞く場所が良くなかったからではないか。とてつもなく広いNHKホールの3階席が、若い頃の私の指定席であったことを思えば、それは納得ができる。そしてCDについては、たった2枚しか持っていない。このCDを真剣に聞きこんだ記憶がないのだ。つまり、私はこの名曲の良さを知らずにここまで来たということだ。長すぎるというのも理由の一つで、CDではどうしても忙しい日常から抜け出せていないし、かといってコンサート会場の安い席では、どうしてもこのような精緻な曲の良さを味わうのは至難の業である。

そういうわけで、私はミューザ川崎シンフォニーホールのオーケストラの真横の席であるにもかかわらず、はじめてピアノが管弦楽と見事に融合してブラームスの音色を出すのを初めて聞いた気がした(興味深いことにこのホールは、オーケストラを正面に見る席は比較的少なく、それは随分高い位置にあるので、その代わりに真横や裏手からオーケストラを見るしかない)。

オピッツが弾くブラームスの1時間は、私にとって至福の時間だった。それが特に感じられたのは、やはり第3楽章のチェロ独奏を伴った静かな楽章だった。ここで私はやはり恥ずかしいことに、楽章の冒頭と最後でチェロの独唱がこんなにもピアノと絡み合うということを発見するのだが、この雰囲気こそまさにブラームスで、それがコンサート会場で再現される様を間近で見ることと、そのような時間を過ごすだけの精神的なゆとりの時間が、とても嬉しくて泣けてきた。兎に角この曲をここまで味わったのは私は初めてのことで、これまで敬遠してきたこの名曲の録音をいろいろ聞いてみようと思った次第である。

さて、休憩を挟んで演奏されたのは、ポーランドの作曲家、ルトスワフスキの管楽器のための協奏曲である。1954年に書かれた30分ばかりの曲ながら、数多くの楽器がはちきれんばかりに鳴り響く。東京交響楽団が全力投球、真っ向勝負するのを指揮するノットは、何と完全暗譜である。そして割れんばかりの拍手に相当満足した様子で、観客の隅々にまで手を振り、何度もカーテンコールに呼ばれては各楽器のセクションの合間を回ってソリストを讃える。その時間が永遠に続いた。オーケストラが去っても指揮者が呼び戻されるのは、定期演奏会では珍しいが、それでも大名演の時にはあり得ないわけではない。ところが、それが2度ともなると私の記憶する限り初めてのことであった。

それほどにまでこの曲に感動した人は多かったようだ。最近ではTwitterで感想を短くつぶやく人がいて、それがリアルタイムでわかるという面白さがあるのだが、昨日と今日の定期を合わせて、このルトスワフスキの演奏に感激している人が非常に多い。しかし私にっとって、この曲は初めてだった。だからどうしても、客観的に評価しにくいのだが、言えることはオーケストラが、この難曲をかなりの自信を持って、しかもすこぶる快速に弾き切ったことである。これは相当な練習量と技量が伴っていないとできないことのように思われる。今日の東響には、それだけの実力があるということの証拠でもある。

東響の定期は、先月のウルバンスキが指揮したシマノフスキに続き、ポーランドの作曲家の作品が並んだ。2日続きの演奏会だったが、やはり昨日の学生オーケストラとは違いプロは上手いと思った。そしてコンサートは、前の方で聞くのがいいとも思った。貧乏な若い時は仕方なく3階席の後で聞いていたが、これでは演奏だけでなく、曲の魅力も伝わりにくい。だから、もう迷うことなく前の席に座ろうと思う。

2021年12月10日金曜日

第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2021(国立音楽大学オーケストラ、洗足学園音楽大学管弦楽団、2021年12月4日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

生で聞く音楽は本当にいいものだと思う。それは演奏の良し悪しに関係なく、メディア再生によるものでは到底味わえないレベルのものだ。理由は簡単で、音楽の演奏とは、消えてなくなるわずかな時間を共有する演奏家と聞き手との間で醸し出される、たった一度限りのものだからだ。真剣勝負のスポーツの試合にも似ているのかも知れない。本当に音楽を愛する人であれば、どのような演奏であっても、そこに何かを発見するし、そういうプロセスを楽しむことができる。

東京には数多くの音楽大学があって、学生は様々な楽器や歌などを学んでいる。その数はちょっとしたものだと思う。各大学にはオーケストラがあって、定期的に演奏会を開いているようだが、その音楽大学の9校が演奏を競い合う「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」というのがある。いつもコンサートに出かけると、会場の入り口でチラシの束を受け取るが、その中に今年もこのイベントのものが混じっていた。

今年で第12回を数えるそうで、私はこれまで一度も出かけたことはなかったが、コロナ感染も落ち着きを取り戻し、行けるコンサートにはどこにでも行きたいと思っていたところ、家から比較的近いミューザ川崎シンフォニーホールにおいて、このうちの2回が開催されることがわかった。12月4日に開かれるコンサートは、前半が国立音楽大学オーケストラ、後半が洗足学園音楽大学管弦楽団となっている。

どのオーケストラもプロの指揮者による意欲的なプログラムを組んでいる。この2つのオーケストラが演奏する曲目は、国立音楽大学はオール・アメリカン・プログラム(指揮:原田慶太朗)、洗足学園がサン=サーンスのオルガン交響曲(指揮:秋山和慶)となっていて大変魅力的である。私は妻を誘い、わずか1000円のチケットを購入して師走の土曜日の午後に出かけた。川崎駅は常に物凄い人手で窒息しそうになるが、駅から会場までは近く便利である。そしてこの会場に来る音楽の愛好家は、何かとてもコンサートを楽しみにしているような気がする。もっとも学生オーケストラのコンサートとあっては、家族や先生、それに友人たちが押し掛けて会場はハレの大騒ぎ、かと思いきやそんな雰囲気はなく、至って整然としている。プロを目指す彼らは、ある意味で舞台慣れしているのだろうか。

コンサートの前・後半の最初には、横一列に並んだプラス・アンサンブルがお互いの学校のファンファーレを競演する。私の席からは全員が後を向いている。そしてそれが終わると、所せましと並べられた打楽器を始めとするオーケストラの面々が舞台両袖から登場した。暖かく拍手が送られる。女性が多く、第2バイオリンはすべてが女性。前半のプログラムは最初がメキシコの作曲家、レブエルタスのセンセマヤである。7拍子の生々しいリズムに乗って奏でられるのは、生贄の音楽である。鮮烈な打楽器の、会場をつんざくような冒頭から、一気に引き込まれてゆく。原田の指揮は十八番のアメリカものとあって、速めのテンポが冴えている。

曲の合間の奏者の入替えの時間を使って、原田はマイクを握り、曲の解説を行った。次の作品はバーンスタインのミュージカル「ウェストサイドストーリー」より「シンフォニックダンス」である。有名なマンボの場面では、声を発することができないので、拍手をしてほしいと呼びかける。練習に1回これを行うと、さっそく音楽が始まった。ノリのいい音楽は、若者のエネルギーが爆発するかのように生き生きとしている。一糸乱れないアンサンブルは、興奮するくらいに上手いと思う。ミューザ川崎シンフォニーホールの残響が大きいので、オーケストラの音が重なりとても賑やかである。バーンスタインの音楽の特性もあるのだろう。何せこれでもか、これでもかと、やかましいくらいに多彩な音が鳴る。これは天才モーツァルトと似ているといつも思う。私は昔、大阪で作曲家自身が指揮するこの曲を聞いているが、お尻を振りながら指揮をしたその時のことを思い出した。

前半最後の曲は、コープランドのバレエ音楽「ロデオ」より4つのダンス・エピソード。ここでやっと、何か落ち着いた曲が聞こえてきたように思った。それでもアメリカ気質丸出しの底抜けに明るい音楽である。少し弦楽器が弱いと感じたが、これは学生オーケストラだから仕方がないと思った。そしておそらくは相当な練習量だったに違いない。自信に満ちたアンサンブルが大いに心地よく、馬に乗ったような軽快なリズムに会場が沸いた。そして満場の拍手喝采。1時間半近く及んだ前半のプログラムが、これでようやく終わった。

後半の冒頭には、さきほど演奏を繰りひろげた国立音楽大学の管楽器セクションが再び登場し、ファンファーレを披露。その後、洗足学園の学生が静かに入場した。今度は指揮台が置かれ、打楽器は減り、管の編成も小さくなった。代わりに正面のパイプオルガンにも奏者がスタンバイ。やがてゆっくりと登場した秋山は、コンサート・ミストレスと腕をタッチして登壇。前半とは違った落ち着いた雰囲気が会場に漂う。その空気感の違いが、すでに音楽の一部を構成しているようで、何かとても印象的だった。

第1楽章の冒頭の弦楽器の音が聞こえてきたとき、私は本当にこれが学生オケの音かと耳を疑った。音がスーッと入る時の、一切の乱れがない響きの美しさは、プロ顔負けのものである。指揮者がうまいからだろうか。そして楽器と楽器が溶け合う時のバランスの見事さ。特にこの曲はオルガンと響き合うので、これを意識する瞬間は多い。第2楽章の美しいアダージョは何といったらいいのか。後半に入って次第に音量を増してゆくこの曲は、演奏会での人気曲でもある。だからみな固唾を飲んで聞き入っているし、それゆえにこの演奏の素晴らしさにも気付いている。この曲が終わったときほど、会場でブラボーが発せられないもどかしさを覚えた人は多かっただろう。素晴らしい演奏で目だったミスもなく、若さに任せて勢いで乗り越えてゆくわけでもない、実に音楽的な演奏だった。

秋山はこの大学の芸術監督でもあるようだし、それに東京交響楽団の指揮者としてこのホールの特性を知り尽くしているように思った。私は彼の指揮する「第九」を2週間後に聞きに来ることになっている。今から待ち遠しいが、その前に明日、東京交響楽団の定期演奏会がここで催される。このチケットも買っている。

コンサートが終わると5時半になっていた。もうとっくに暗くなった川崎の夜空を見上げながら、隣の駅の蒲田まで電車に乗る。今夜はギリシャ料理を味わうことになっている。1年以上も続いている足腰の痛みが、ここにきてかなり改善されてきた。そのことが何より嬉しい。前半のエネルギーが充満した音楽と、後半の精緻なアンサンブル。どちらの演奏も大いに魅力的で、生で聞く音楽の良さを堪能した2時間半だった。冬の夜風が火照った頬を冷やし、澄み切った地中海の冷えたビールが乾いた喉を鎮めた。

2021年12月4日土曜日

オルフ:カルミナ・ブラーナ(S: バーバラ・ボニー他、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ドイツ南部、バイエルン州の州都であるミュンヘンは、20世紀の作曲家カール・オルフの生まれた都市でもある。北部のどんよりとした風景とは異なり、明るく、賑やかな都市であるという印象が強い。そのミュンヘンにあるボイエルン修道院で発見された写本との出会いが、世界的にCMなどで有名な「カルミナ・ブラーナ」を生むきっかけとなった。

この写本は中世(11世紀から13世紀)に書かれたもので、全部で250編に及び、ラテン語を中心に古いドイツ語やフランス語も混じる世俗的な歌で、オルフはその中から24編を選び、「春に」「酒場にて」「愛の誘い」の3部からなる世俗カンタータとして世に送り出した。特に最初と最後に配置された「おお、運命の女神よ」は有名である。合唱団とソリスト、それに打楽器をふんだんに織り込んだ鮮烈なリズムとメロディーは聞いていて楽しいが、その合間に挟まれた静かな独唱(第21曲)や、男声ア・カペラとなる精緻な曲(第19番)など、聞きどころ満載の曲である。

私は大晦日に生中継された1989年の小澤征爾指揮ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサートでこの曲を知った。何でもこの演奏には、わざわざ日本からアマチュアの合唱団を連れて行き、ベルリンのコンサートにアジア人が大勢加わるという何とも不思議な光景だったが、そこで繰り広げられた渾身の演奏は、小澤の集中力のあるリズム感によって、この作品の生き生きとした側面を再構築した名演となった。この演奏とは別のセッション録音(1988年)のCD盤では、先日亡くなったエディッタ・グルベローヴァがソプラノを歌っている(上記ライブはキャスリーン・バトル)。

賑やかな合唱は、繰り返しも多く、比較的単純なメロディーで覚えやすいため、一度聞くと忘れられない。歌詞がラテン語をメインとしているので、日本語とも相性が良いということもあるだろう。そして発音だけを真似ると何とも単純なフレーズに置き換わる。NHK-FMのクラシック番組にも「空耳クラシック」なる知る人ぞ知るマニアックなコーナーがあるが、その常連の曲と言える。しかも打楽器や笛の音がこだますると、私などは時代劇かチャンバラ映画の効果音のように聞こえてしまう。

そういうわけで、この20世紀の音楽にはとても多くのファンがいる。特に合唱を聞くのにこれほどワクワクする曲はない。その凄まじいエネルギーが、中世の抑圧された世相の中にも生き生きとした庶民の心情を表している様を感じるだけでなく、さらに20世紀の音楽とミックスして不思議な感覚をもたらす。その新しさは、ピアノの伴奏と多様な打楽器に加え、拍子がふんだんに変化することではないかと思う。

この曲を解説してくれている数多くのWebサイトのおかげで、私はそれを省略することができる。ただ簡単に言えば、「春に」では明るく陽気な様が溢れる女性的な曲、「居酒屋にて」はテノールとバリトンの歌声に合唱が混じる男性的な曲、そして「愛の誘い」ではその両者がミックス。男声のア・カペラとソプラノの美しいアリアが色を添え、混声合唱と児童合唱が加わってクライマックスを築く。

1時間余りの曲は、コンサートでも録音でも非常に収まりがいいので、演奏される機会も多いし、数多くの指揮者が録音している。古いところでは、陽気でどんちゃん騒ぎのヨッフム盤が有名だが、やや粗削りであることもある。一方、上記で述べた小澤盤は、早めのテンポで新鮮だがやや単調に聞こえる。その他の演奏をほとんど聞いてはいないのだが、個人的にはアンドレ・プレヴィンがウィーン・フィルを指揮したディスクが気に入っている。この演奏は、1994年の発売当時、私がこの曲の魅力を初めて感じた演奏だった。

私がこのディスクを取り上げようと思ったのは、先日東京交響楽団の定期演奏会で、ウルバンスキ指揮による名演奏に接したからだが、この演奏は純粋に音楽の魅力を表現した美しい演奏で、このプレヴィンの演奏に近いと思った。それにしてもプレヴィンという指揮者は、丸で魔法のようにオーケストラの音色を変えると思う。ニューヨークのセント・ルークス管を見たときも、N響を指揮した時もそう感じた。そしてウィーン・フィルとの相性の良さも、多くの録音で知る通りである。

例えば「春に」の冒頭で3回繰り返されるピッコロと打楽器のモチーフは、拍子木が鳴って場面が変わり、真夜中の討入り前といった感じ。この音をいかに印象的に響かせるかは、私の聞きどころのひとつ。他にも沢山あるが、プレヴィン盤の印象を深くしているところは、"Veni, veni, venias"のところ(第20曲)から「楽しい季節」(第22曲)にかけて。ここは合唱とソリストが全員参加して最終盤のクライマックスを築く。

ソプラノはバーバラ・ボニー、テノールがフランク・ロバート、バリトンにアントニー・マイケルズ=ムーア、アルノルト・シェーンベルク合唱団、ウィーン少年合唱団。非常に録音が良く、ウィーン・フィルのふくよかな響きと学友協会の残響が上手く捉えられている。そして驚くべきことにこの録音は、何とライブであることだ。ボニーの美しい歌唱が特に素晴らしいが、他のソリスト、それに合唱も素晴らしい。

この演奏はやや弛緩しているとか、エネルギーが少ないといった意見が聞かれることがある。しかし長い目で見れば、何度聞いても飽きない演奏だと言える。もし不満が残るならば、それは実演でこそ体験すべき領域での話である。録音技術を駆使して、効果を狙った演奏も多いが、それは作られた感じがする(まあ、どんな曲でも同じ話だが)。より自然にこの曲の魅力を伝えているのがプレヴィンの演奏だと思う。

プレヴィンにはロンドン響を指揮した旧盤も有名で、こだわりのある人はこの録音の古い演奏の方が良いと言うのだが、私はまだ聞いたことがないので何とも言えない。一方、シャイーやブロムシュテットにも録音があり興味は尽きない。


【曲目】
§ 運命の女神、全世界の支配者なる
1. おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna
2. 運命の女神の痛手を(合唱) Fortune plango vulnera

§ 第1部: 初春に
3. 春の愉しい面ざしが(小合唱) Veris leta facies
4. 万物を太陽は整えおさめる(バリトン独唱) Omnia sol temperat
5. 見よ、今は楽しい(合唱) Ecce gratum

§ 芝生の上にて
6. 踊り(オーケストラ)
7. 森は花咲き繁る(合唱と小合唱) Flore silva
8. 小間物屋さん、色紅を下さい(2人のソプラノと合唱) Chramer, gip die varwe mir
9. 円舞曲: ここで輪を描いて回るもの(合唱) - おいで、おいで、私の友だち(小合唱)Swaz Hie gat umbe - Chume, chum, geselle min
10. たとえこの世界がみな(合唱) Were diu werlt alle min

§ 第2部: 酒場で
11. 胸のうちは、抑えようもない(バリトン独唱) Estuans Interius
12. 昔は湖に住まっていた(テノール独唱と男声合唱) Olim lacus colueram
13. わしは僧院長さまだぞ(バリトン独唱と男声合唱) Ego sum abbas
14. 酒場に私がいるときにゃ(男声合唱) In taberna quando sumus

§ 第3部: 愛の誘い
15. 愛神はどこもかしこも飛び回る(ソプラノ独唱と少年合唱) Amor volat undique
16. 昼間も夜も、何もかもが(バリトン独唱) Dies, nox et omnia
17. 少女が立っていた(ソプラノ独唱) Stetit puella
18. 私の胸をめぐっては(バリトン独唱と合唱) Circa mea pectora 
19. もし若者が乙女と一緒に(3人のテノール、バリトン、2人のバス) Si puer cum puellula
20. おいで、おいで、さあきておくれ(二重合唱) Veni, veni, venias
21. 天秤棒に心をかけて(ソプラノ独唱) In trutina
22. 今こそ愉悦の季節(ソプラノ独唱、バリトン独唱、合唱と少年合唱) Tempus est iocundum 
23. とても、いとしいお方(ソプラノ独唱) Dulcissime

§ ブランツィフロール(白い花)とヘレナ
24. アヴェ、この上なく姿美しい女(合唱) Ave formosissima

§ 運命の女神、全世界の支配者なる
25. おお、運命の女神よ(合唱) O Fortuna

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...