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2026年5月23日土曜日

東京都交響楽団第1044回定期演奏会(2026年5月21日サントリーホール、ジョン・アダムズ指揮)


米国で最も著名な作曲家のひとりで、ミニマリズムの正統的な後継者のひとりであるジョン・アダムズが、一昨年に引き続いて都響の指揮台に立った。2年前に行われたアダムズの公演は、彼自身が日本のオーケストラを指揮して自作を演奏するという歴史的なものだった。記録によれば私もこの日、「アイ・スティル・ダンス」「アブソリュート・ジェスト」、それに有名な「ハルモニーレーレ」を聴いている。この日は日本の作曲家の姿も多く見かけ、いつもとは違った雰囲気に圧倒されたのを覚えている(https://diaryofjerry.blogspot.com/2024/01/9922024118.html)。

今回の演奏会には、再び彼自身の作品を中心に3つの曲のプログラムが組まれた。このうち最初の演目は、日本初演となる「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」という作品で、日本語に訳せば「内気で感傷的な音楽」などとなるのだろうが、近年の傾向に倣って、原題のままカタカナ表記とするのが流行りのようである。だが、どちらの言語で表現しようと、そのタイトルの意味には解説が必要だろう。

幸いブックレットは、彼自身が自作を解説した部分を中心に、大変読み応えのあるものだった。それによれば、おおよそ表現者たる芸術家は、「ナイーヴな人格を持つ人」と「センティメンタルな人格を持つ人」に分かれるのだという。これはドイツの詩人フリードリヒ・フォン・シラーの論で、シラーと言えば、あのベートーヴェンの「第九」の歌詞で有名な、あのシラーである。

シラーによれば、自分と周囲の環境、そして自分の内面が一致している芸術家(ナイーヴ)と、それが芸術の発展に伴って失われ、今や理想としてのみ存在するものとして追い求める芸術家(センティメンタル)に分かれるのだという。大雑把に言えば、自然に自己矛盾なく作品が創作できた時代の人と、芸術的なものを意識せざるを得なくなった、自意識過剰の時代を生きざるを得なかった人。

この2つの立場の違いを意識して本作品は作られた、云々のような解説が掲載されているのだが、では実際どんな音楽なのかとなると、多くの現代音楽作品の解説同様、音楽以上に難解である。特に本作品は日本初演。事前に聴くこともできない(実演でなければ、そういうわけでもないのだが)。

45分の曲は3つの楽章から成っている。舞台上に並んだ大規模なオーケストラには、見たこともないような打楽器が所狭しと並べられていたようだが、私の座席の位置(1階席10列目)からはよく見えない。この大規模な演目は、後半に設定されてもよさそうなものだったが、前半になっていた。これは指揮者(作曲家)の意向を反映していると考えるのが妥当だろう。

第1楽章が「ナイーヴ・アンド・センティメンタル・ミュージック」。20分にも及ぶ楽章は、例の小刻みなリズムが絶え間なく続き、その合間に様々な楽器が入り乱れながら、次第に規模を増していく。よく指揮者のタクトを見ると、拍子がくるくると変わっていく。8拍子だったと思ったら3拍子になる、という具合。漂う音楽。

第2楽章は「人間の母」という。「母の死と、男あるいは女が汚れなき幼年期の状態に願うこと」を呼び起こす人間の潜在意識を表現している。これが「ナイーヴ」と「センティメンタル」の葛藤である、というのである。

ここで印象的だったのは、増幅器を用いたギター(エレキ・ギターみたいなもの)が、間隔を置いて舞台左袖奥から聞こえてきたことだ。このギターの音は、とても鮮烈に聞こえるのだが、音楽とうまく調和しているようでもなく、かといってバラバラでもない。その微妙なハーモニーは、そういう音楽だからなのか、それとも演奏がおかしいのか、よくわからない。

第3楽章「リズムへの連鎖」。オーケストラがさらに規模を増し、圧倒的なエネルギーで聴衆を興奮に巻き込む。ストラヴィンスキーの「春の祭典」第1部の終わりを聴いているような感覚、とでも形容するくらいしか思い浮かばない。音楽が終わると同時に沸き起こったブラボーと拍手は、終演時を上回るほどだった。

指揮者としてのアダムズは、きっちりと指揮するので精いっぱい、という感じで、指揮者のプロが振ればもっと刺激に満ちた演奏になったようにも思われた。しかしこの表現には注意が必要だろう。彼自身が書いている。「作曲家であると同時に指揮者でもある者は、公と私、外向性と内面性、内面生活と外面生活の間の過酷な分断という厳しい衝突を日々経験する」(プログラム・ノート)。作曲家として自作を指揮することには、聴く者には簡単にはわからない葛藤があるのだろう、と思った。だからこの曲は、その境遇を理解している、指揮者であり、かつ作曲家でもあるエサ=ペッカ・サロネンに捧げられたそうだ。

休憩時間を挟み演奏されたのは、アイヴズの「答えのない質問」であった。この曲は短い作品だが、演出がとても凝っている(改訂版)。まずP席に4つの譜面台が設置され、そこに登場したのは3人のフルートと1人のクラリネット奏者。そして驚くべきことに、彼らを指揮するために副指揮者が指揮者の前に着席。さらに音楽が始まると、2階席の奥からトランペットが響いてくるという仕掛け。

このトランペットが、まるで勘違いしたかのように唐突に、周囲の調和を無視するような(つまりは下手を装ったような)感じで吹き出すのである。それに対して、しどろもどろな応答をする4人の木管奏者。この対話が舞台空間を利用してやり取りされる間、小編成のオーケストラは静かな音を終始奏でていた。

今回のプログラムで、なぜアイヴズの音楽が挿入されたのかは、解説に様々書かれているが、同じニュー・イングランドをルーツに持つ作曲家の先駆者として、敬意を表したということだろうか。いや、もっと深い意味があるのかもしれない。後年の作品と若い頃の作品の間に挟まれた、わずか6分の小曲は、前衛的な音楽の「答えのない質問」を続けてきた彼自身の創作の経歴を表しているのかもしれない。アイヴズがそうであったように。

さて最後の「ハルモニウム」もまた大きな曲で、これだけ次々と凝った曲が聴けるのは、何とも贅沢極まりないことである。演奏する方は大変なことだろうと思う。だが都響は今回も素晴らしい仕事をこなしたと思う。そして合唱団!

P席に陣取った新国立劇場合唱団は、ミニマル音楽における合唱という新しい地平を行く曲を、見事に表現し尽くしたと思う。その難しさは、これもまたプログラム・ノートによるのだが、実際にはいくつものパートに分かれているそうだ。それがばらばらにならず、一定のリズム感覚を生理的に高めながら、時にグレゴリオ聖歌のような静謐な部分も交えて(実際、歌詞の英語がラテン語のように聞こえるときがあった)、見事にオーケストラと溶け込んでいるのである。

この曲はアダムズがまだ若い頃の作品で、いわば野心作であろうと思う。作品は3つの楽章から成り、それぞれ3つの詩を用いている。第1楽章「否定でしか表せない愛」、第2楽章「私が死のために立ち止まることができなかったから」、第3楽章「大荒れの夜」。会場に字幕の用意はなされなかったが、歌詞がプログラムに掲載されているのは親切なことである。

いつもとは違う音楽体験。おそらく現代音楽の難解さを理解できない多くの聴衆も、それを求めて来ているのだろう。そしてアダムズの音楽は、身を任せて聴いていれば、まるで麻薬のように身体に陶酔感をもたらすようなところがある。

来年80歳になる作曲家は、世界中で多くの記念コンサートを控えているのだそうだ。何度もカーテンコールに応え、会場を立ち去りがたい多くの聴衆からは、いつまでも熱い拍手が送られていた。

2024年5月14日火曜日

パク・キュヒ(朴葵姫)ギター・リサイタル(2024年5月12紀尾井ホール)

私はふだんあまりソロ楽器のリサイタルに出かけない。特に毛嫌いしているわけではないのだが、何となくソロ楽器の曲は、CDなどメディアで再生して聞く方が感慨深いような気がしている。こう書くと、私は元来「音楽はライブに尽きる」と公言してきたので、矛盾しているではないか、と言われるような気がする。確かにそうだ。もしかしたら器楽曲のライブの魅力に、まだ気づいていないだけかも知れない。オーケストラやオペラのような大規模な音楽にひと段落がついてきたので、ここは小さな編成の音楽会にも足を向けてみようと考えた。

「ぶらあぼ」というサイトがあって、ここには我が国で開催されるすべてのクラシック音楽のコンサート情報が掲載されている。日付や会場、それにジャンルを絞って検索もできるので便利である。5月12日の午後は何の予定もない。もらったチラシにも、この日のコンサートのものはなかった。そこで「ぶらあぼ」(https://ebravo.jp/)へ行き、日付を指定して検索を実行してみたところ、たちどころに多くの公演がヒットした。その中に私の好きなギターリスト、パク・キュヒ(朴葵姫)のリサイタルがるではないか。場所は紀尾井ホール。あまり好きなホールではないが、こじんまりとした曲を聞くのは悪くない。

当日券もまだ残っていることが判明し、ローソン・チケットか何かで予約して出かけた。プログラムは、最近リリースされたバッハなどバロックの曲を中心としたもので、後半にはバッハを敬愛していた南米パラグアイの作曲家、バリオスの作品も登場する。

  • D.スカルラッティ:ソナタニ短調K.32、ニ長調K.178、イ長調K.391
  • J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005
  • J.S.バッハ:前奏曲・フーガとアレグロ変ホ長調BWV998
  • バリオス:最後のトレモロ、大聖堂
  • J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004より)

韓国と日本で育った彼女は、数々のギター・コンクールで優勝した実績があり、その目覚ましい活躍はすでに15年以上前から続いている。私もアルバム「スペインの旅」というものを聞いて感銘を受け、すでにこのブログでも取り上げた(https://diaryofjerry.blogspot.com/2020/07/g.html)。

パク・キュヒの演奏の特徴は、その音色のやさしさにあるように思う。これは主観的な感想に過ぎないし、他のギターリストに詳しくもないので、間違っているかも知れない。おおよそ韓国の文化は日本のそれより大陸的で、激情的であることが多い。しかし彼女の表現は、決して過激でもなければ鷹揚でもない。むしろ繊細でとても静かに心に響く。

もともとギターという楽器は音量が小さく、その前身ともいうべき楽器リュートがバロック以降に消えていったように、ギターという楽器のために書かれた曲は少ない。音楽の規模が大きくなり、演奏会場も広くなっていくにつれて、流行らなくなってしまったのだろう。しかしギターの魅力は、その繊細なセンチメンタリズムにある、と私は通俗的に考えており、クラシックだろうがポップスだろうが、ギターの魅力を感じさせる曲は綿々と続いていった。20世紀になってギター曲を作曲したイベリア半島の作曲家や演奏家を中心に、ギター曲の見直しがなされたのではないか。その最大の功績者が、スペインの伝説的なギタリスト、アンドレス・セゴビアだった。

ギターの活躍する音楽は、ファリャやグラナドスなどのローカルな作曲家にとどまらず、バッハやスカルラッティのようなバロック音楽をギター曲に編曲して演奏することによって、大きく広がっていった。今回パクがリリースした作品集「BACH」も、彼女が満を持して演奏したこれらバロックの作品が収録されている。今回のコンサートも、まずはD.スカルラッティのソナタ3曲から始まった。

私の座席は当日の朝に買った特には指定されていなかった。こういうことは初めてで、ぴあなどでは通常座席を指定して買う。座席をおまかせにしても、決済時には座席の位置がわかるのが通常である。ところが今回は違った。これは異常なことである。当日に窓口で「整理券」をチケットを交換したところ、私の席は何と前方中央という大変いい席だった(座席はどの位置も均一料金だったことを考えると、これは大いに幸運だったと言える)。しかも左隣は空いており、右隣の女性も演奏が始まる直前に前に席に移動した。こんなに前なのに、両隣が空席というのは誠に嬉しい。そういうわけで大変望ましい状況で始まったコンサートだったが、スカルラッティの3曲が終わった時にある大きな男性が入って来た。

彼は、私の隣の席の女性が移動した先の座席の客だった。しかし係員に誘導されて入場した彼の座席は、すでに彼女によって占められていたため、誘導員は仕方なく彼は彼女の元の席、すなわち私の座席に座るよう勧めた。そもそもコンサートには遅れてくる方が悪いのであって、彼女に悪気はない。しかし私にとっては大いに迷惑な話であった。あろうことか、彼は悪臭を放っていたからだ。

そういうわけで、次のバッハの無伴奏ソナタ第3番は、私にとって最悪の状況下でのコンサートとなった。こういうことがあるから、やはり演奏会というのは難しい。もしかすると無理して出かけなかった方が良かったのだろうか。集中力も欠き、演奏はおそらく素晴らしいのに、私は楽しめる状態ではなかった。私のまわりにいた方々も同様に感じたのではないだろうか。

これには続きがあった。前半終了時に彼はその移動した女性に声をかけ、後半のプログラムでは再び女性と座席を交代したのだった。そのことによって私は悪臭から解放された。後半のプログラムは、そのようにして再び私は深遠なギターの世界に戻ることになった。彼女のギターに当たる光が、演奏する際のゆらぎに合わせてこちらに反射する。その自然の光の美しさに見とれながら、耳はバリオスの音楽を浴びている。バロック音楽のどちらかというと形式的な音楽の枠を解き放たれ、さすがに20世紀の音楽は表現が多彩である。

バリオスの演奏が終わった時点で彼女はマイクを取り、今回の演奏に寄せる思いを語った。ギターリストにとってバッハの作品は、初期の頃から学習するが、おいそれとは演奏できない至高の作品である、というような意味のことを語った。彼女は満を持して、続く「シャコンヌ」を演奏した。

ヴァイオリンで聞くオリジナルの「シャコンヌ」も、無伴奏ソナタとパルティータ中最大の聞き所である。10分を優に超えるその長さと宇宙的な広がりは、聞き手を魅了してやまない。それをどうやってギターで表現するか。弓の長いヴァイオリンは、音を長く響かせることが可能である。しかし同じ弦楽器でもギターは、一度はじくとその音はたちまち減衰していく。これはピアノでも同様である。しかしギターで聞く「シャコンヌ」はまた、もしかしたらギターのために作られてのではないかとさえ思えるほどの魅力を放っていることを私は発見した。

演奏が終わって再びマイクを取った彼女は、「シャコンヌ」の余韻に浸るべくアンコールに何も演奏しないことも検討したという。しかし悩んだ末、バッハを尊敬していたもう一人の作曲家、ヴィラ=ロボスのプレリュード第3番を演奏することにした、と話した。このようにして、1時間半に及ぶコンサートは終了した。今にも雨が降り出そうかというような陽気の中を、赤坂見附を目指して紀尾井坂を下った。

そういえば私はギターのリサイタルとしては、人生2度目である。1回目は彼女の師匠でもあった福田進一で、大阪・中津にあるごく私的なコンサートに母の紹介ででかけたのである。こじんまりとしたカジュアルなレストランのようなところで開催された演奏会には、まだ駆け出しの頃だったこともあって、その取り巻きのような方々か詰めかけていた。音楽家が有名になるには、いろいろ難しいことも多い、と思った。彼は発売されたCDにサインをして渡してくれたことを思い出した。

思いがけず行くことになったパク・キュヒのリサイタルは、全国各地と韓国で順に行われるとのことである。

2021年12月10日金曜日

第12回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2021(国立音楽大学オーケストラ、洗足学園音楽大学管弦楽団、2021年12月4日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

生で聞く音楽は本当にいいものだと思う。それは演奏の良し悪しに関係なく、メディア再生によるものでは到底味わえないレベルのものだ。理由は簡単で、音楽の演奏とは、消えてなくなるわずかな時間を共有する演奏家と聞き手との間で醸し出される、たった一度限りのものだからだ。真剣勝負のスポーツの試合にも似ているのかも知れない。本当に音楽を愛する人であれば、どのような演奏であっても、そこに何かを発見するし、そういうプロセスを楽しむことができる。

東京には数多くの音楽大学があって、学生は様々な楽器や歌などを学んでいる。その数はちょっとしたものだと思う。各大学にはオーケストラがあって、定期的に演奏会を開いているようだが、その音楽大学の9校が演奏を競い合う「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」というのがある。いつもコンサートに出かけると、会場の入り口でチラシの束を受け取るが、その中に今年もこのイベントのものが混じっていた。

今年で第12回を数えるそうで、私はこれまで一度も出かけたことはなかったが、コロナ感染も落ち着きを取り戻し、行けるコンサートにはどこにでも行きたいと思っていたところ、家から比較的近いミューザ川崎シンフォニーホールにおいて、このうちの2回が開催されることがわかった。12月4日に開かれるコンサートは、前半が国立音楽大学オーケストラ、後半が洗足学園音楽大学管弦楽団となっている。

どのオーケストラもプロの指揮者による意欲的なプログラムを組んでいる。この2つのオーケストラが演奏する曲目は、国立音楽大学はオール・アメリカン・プログラム(指揮:原田慶太朗)、洗足学園がサン=サーンスのオルガン交響曲(指揮:秋山和慶)となっていて大変魅力的である。私は妻を誘い、わずか1000円のチケットを購入して師走の土曜日の午後に出かけた。川崎駅は常に物凄い人手で窒息しそうになるが、駅から会場までは近く便利である。そしてこの会場に来る音楽の愛好家は、何かとてもコンサートを楽しみにしているような気がする。もっとも学生オーケストラのコンサートとあっては、家族や先生、それに友人たちが押し掛けて会場はハレの大騒ぎ、かと思いきやそんな雰囲気はなく、至って整然としている。プロを目指す彼らは、ある意味で舞台慣れしているのだろうか。

コンサートの前・後半の最初には、横一列に並んだプラス・アンサンブルがお互いの学校のファンファーレを競演する。私の席からは全員が後を向いている。そしてそれが終わると、所せましと並べられた打楽器を始めとするオーケストラの面々が舞台両袖から登場した。暖かく拍手が送られる。女性が多く、第2バイオリンはすべてが女性。前半のプログラムは最初がメキシコの作曲家、レブエルタスのセンセマヤである。7拍子の生々しいリズムに乗って奏でられるのは、生贄の音楽である。鮮烈な打楽器の、会場をつんざくような冒頭から、一気に引き込まれてゆく。原田の指揮は十八番のアメリカものとあって、速めのテンポが冴えている。

曲の合間の奏者の入替えの時間を使って、原田はマイクを握り、曲の解説を行った。次の作品はバーンスタインのミュージカル「ウェストサイドストーリー」より「シンフォニックダンス」である。有名なマンボの場面では、声を発することができないので、拍手をしてほしいと呼びかける。練習に1回これを行うと、さっそく音楽が始まった。ノリのいい音楽は、若者のエネルギーが爆発するかのように生き生きとしている。一糸乱れないアンサンブルは、興奮するくらいに上手いと思う。ミューザ川崎シンフォニーホールの残響が大きいので、オーケストラの音が重なりとても賑やかである。バーンスタインの音楽の特性もあるのだろう。何せこれでもか、これでもかと、やかましいくらいに多彩な音が鳴る。これは天才モーツァルトと似ているといつも思う。私は昔、大阪で作曲家自身が指揮するこの曲を聞いているが、お尻を振りながら指揮をしたその時のことを思い出した。

前半最後の曲は、コープランドのバレエ音楽「ロデオ」より4つのダンス・エピソード。ここでやっと、何か落ち着いた曲が聞こえてきたように思った。それでもアメリカ気質丸出しの底抜けに明るい音楽である。少し弦楽器が弱いと感じたが、これは学生オーケストラだから仕方がないと思った。そしておそらくは相当な練習量だったに違いない。自信に満ちたアンサンブルが大いに心地よく、馬に乗ったような軽快なリズムに会場が沸いた。そして満場の拍手喝采。1時間半近く及んだ前半のプログラムが、これでようやく終わった。

後半の冒頭には、さきほど演奏を繰りひろげた国立音楽大学の管楽器セクションが再び登場し、ファンファーレを披露。その後、洗足学園の学生が静かに入場した。今度は指揮台が置かれ、打楽器は減り、管の編成も小さくなった。代わりに正面のパイプオルガンにも奏者がスタンバイ。やがてゆっくりと登場した秋山は、コンサート・ミストレスと腕をタッチして登壇。前半とは違った落ち着いた雰囲気が会場に漂う。その空気感の違いが、すでに音楽の一部を構成しているようで、何かとても印象的だった。

第1楽章の冒頭の弦楽器の音が聞こえてきたとき、私は本当にこれが学生オケの音かと耳を疑った。音がスーッと入る時の、一切の乱れがない響きの美しさは、プロ顔負けのものである。指揮者がうまいからだろうか。そして楽器と楽器が溶け合う時のバランスの見事さ。特にこの曲はオルガンと響き合うので、これを意識する瞬間は多い。第2楽章の美しいアダージョは何といったらいいのか。後半に入って次第に音量を増してゆくこの曲は、演奏会での人気曲でもある。だからみな固唾を飲んで聞き入っているし、それゆえにこの演奏の素晴らしさにも気付いている。この曲が終わったときほど、会場でブラボーが発せられないもどかしさを覚えた人は多かっただろう。素晴らしい演奏で目だったミスもなく、若さに任せて勢いで乗り越えてゆくわけでもない、実に音楽的な演奏だった。

秋山はこの大学の芸術監督でもあるようだし、それに東京交響楽団の指揮者としてこのホールの特性を知り尽くしているように思った。私は彼の指揮する「第九」を2週間後に聞きに来ることになっている。今から待ち遠しいが、その前に明日、東京交響楽団の定期演奏会がここで催される。このチケットも買っている。

コンサートが終わると5時半になっていた。もうとっくに暗くなった川崎の夜空を見上げながら、隣の駅の蒲田まで電車に乗る。今夜はギリシャ料理を味わうことになっている。1年以上も続いている足腰の痛みが、ここにきてかなり改善されてきた。そのことが何より嬉しい。前半のエネルギーが充満した音楽と、後半の精緻なアンサンブル。どちらの演奏も大いに魅力的で、生で聞く音楽の良さを堪能した2時間半だった。冬の夜風が火照った頬を冷やし、澄み切った地中海の冷えたビールが乾いた喉を鎮めた。

2020年6月30日火曜日

ガーシュイン:歌劇「ポーギーとベス」(The MET Live in HD Series 2019-2020)

ユダヤ系ロシア人を親に持つブルックリン生まれの作曲家ジョージ・ガーシュインは、その短すぎる39年の人生を終えるわずか2年前に、ジャズを土台とする斬新なオペラ「ポーギーとベス」を作曲したのは1935年のことだった。この頃はまだまだ黒人差別が当たり前のように存在し、特に南部では大規模な農園で働く黒人の多くが貧しい生活を強いられていた。

公式には南北戦争によって廃止された人種差別は、第2次世界大戦を過ぎて公民権運動が沸き起こる1960年代に至るまで続く。その様子は生々しく、ごく最近まで南部では、バスに乗るにも黒人用と白人用の座席が違っていた。例えば小田実の名著「何でも見てやろう」にはこのように書かれている。
ガラス窓があり、それごしに、向こうの別世界、「黒人用」待合室が見えた。うす暗く狭く汚い。そして、こちらの世界にはわずか五六人の客しかいないのに、それよりはるかに小さい別世界は、人間―黒い色を持った人間でみちていた。
私はニューヨークに滞在した1年間を中心に、アメリカ東部を南北に貫くインターステート(州間高速道路)95号線を、北はメーン州のアケーディア国立公園から南はフロリダ半島南端(さらにはキーウェストまで)ドライブした。感謝祭の週末、早朝にワシントンDCを発ってすぐにバージニア州に入る。ここから「南部」が始まる。さらに南下を続け、サウスカロライナ州に入ると、どこまでも続く平原地帯を走る。途中で東へ折れ、プランテーション農園などを目にしながら海を目指し、やがてハリケーンが時折襲う大西洋岸の港町チャールストンに着いた。ここは歴史的観光地でもあり、今では多くの教会や南北戦争の遺跡などを見て回るツアーがあって、なかなか興味深いところだった。

さて、キャットフィッシュ・ロウ、すなわち「なまず横丁」と名付けられた黒人の居住区を舞台に「ポーギーとベス」は進行する。この作品の原作を書いた小説家は、自身が生まれ育ったチャールストンを舞台にこの物語を書いた。ガーシュインもオペラ化に際して、この街を訪れ黒人音楽などを取材している。私もチャールストンの通りを歩いていたら、教会から大きな声の合唱が漏れ聞こえてきたのを覚えている。それは通常の讃美歌のような、まるで天上から降りてくるような音楽ではなく、地の底から響く激しいリズムを持った霊歌ー魂の響きであった。

ガーシュインは、二十世紀の音楽が定めるべき方向を模索していた時代に、黒人を主人公としたオペラを作曲した。歌手はほぼみな黒人(今風に言えばアフリカ系)でなければならないとされる。しかしここで展開される音楽は、そのストーリーからもわかるようにどちらかというと重く、私は最初楽しく聞く事ができなかった。ガーシュインと言えば、底抜けに楽しいミュージカル「ガール・クレイジー」(その主要な音楽を取って構成した「クレイジー・フォー・ユー」は当時、ブロードウェイでロングランを達成していた)などを聞いていた私には、いつまでたっても続く暗い音楽がつらかった。ストーリーに救いがないのは、この時代の作品の特徴でもあるのかも知れないが、明らかに娯楽作品と異なるのは、この作品が自らが確立したクラシック・ジャズの様式をオペラに昇華させることを目的とした、おわば彼にとっての野心作だったからではないだろうか、と思う。

考えておかなくてはならないことは、この作品はあくまで白人の部類に属する側で作曲された作品であるということだ。ただ今回、何と30年ぶりとなるMETに登場した多くの歌手たちは、並々ならぬ意欲を見せていたように思う。主役のポーギーを歌ったエリック・オーウェンズ(バス・バリトン)は、長年この劇場で歌ってきたバスの第1人者である。大柄で優しい風貌もまたピッタリだと感じられる。幕前に舞台に登場したゲルブ総裁は、彼が風邪をおして舞台に立つことを告げるので、その出来栄えを心配したが杞憂に終わった。大成功だった。

ポーギーによって口説かれ、一時は一緒に暮らす仲となるベスを歌うのはエンジェル・ブルー(ソプラノ)で、この組み合わせでビデオ収録も行われ、昨年リリースされたそうである。それくらいピッタリの役どころといったところ。黒人特有の野太い声が、広い会場に響く。一方、ベスの愛人で悪党のクラウンは、アルフレッド・ウォーカー(バス・バリトン)によって歌われ、筋肉質の巨漢がピッタリ。その他大勢いる女声陣は、クララにゴルダ・シュルツ(ソプラノ)、セリナにラトニア・ムーア(ソプラノ)、マライアにデニース・グレイヴス(メゾ・ソプラノ)。またクラウンを絞め殺した容疑でポーギーが収監されている間にベスを誘惑し、麻薬で誘ってニューヨークへ連れてゆくまた一人の悪党、スポーティング・ライフにはフレデリック・バレンタイン(テノール)が、一人若々しい青年の声で聴衆を魅了した。ジェイムス・ロビンソンの演出は、舞台中央に設えた2階建ての木造家屋が頻繁に回転し、視覚的にも楽しい。一方、中央にピアノを置いたオーケストラを率いたのは、デイヴィッド・ロバートソン。ジャズのスイングはメトのオーケストラでも健在で、熱狂的な聴衆はこのようなリベラルな街で、わめくように喝采を送る。

第1幕の第1場、すなわち幕が開いてすぐに歌われる「サマー・タイム」が特に有名なこのオペラは、勿論ジャズを中心とした様々な音楽的要素が盛り込まれ、詳細に聞いてみるとなかなか聞きごたえがある。だが舞台を伴って見ると、登場人物が多く複雑なうえに、いつも同じような音楽が聞こえているように感じる。それでも今回、私はポーギーとベスによる二重唱、あるいはベスを口説くクラウンやスポーティング・ライフとの、それぞれの二重唱などで見られる、歌の進行と共に起こる心情の変化を、子細に見ることができた。

意志の弱いベスは、純粋なポーギーが自分の身を任せられる存在だとは、やはり信じられなかったのだろう。だが足の不自由な物乞いのポーギーには、他に夢などなかった。ハリケーンで足止めされた島へのピクニックでベスを誘惑した憎むべきクラウンを、決闘のうえ絞殺し、白人の警官に取り調べを受ける1週間の間に、ベスはスポーティング・ライフによってまたも誘惑され、拘留期間が長くなるとそそのかされたこともあり、とうとう一緒にニューヨークへと旅立ってしまう。そんなベスをポーギーは忘れる事ができない。コミュニティの人々の静止を振り切って、ポーギーはベスを追って旅立ってゆくところで幕となる。

この映像を見ながら、私は25年前に訪れたチャールストンの町を思い出した。そして今なおアメリカ社会に影を落とす人種差別に、複雑なものを感じた。最近でも黒人が白人警官に殺され、そのことによって全米でかつてない規模のデモが沸き起こったばかりである。この上演は今年の2月1日だった。直後にコロナ禍が襲ったアメリカでは、1か月後にメトロポリタン歌劇場も封鎖された。この上映はその直前。奇しくもそのような年に、30年ぶりの「ポーギーとベス」は上演された。

2019年10月19日土曜日

NHK交響楽団第1921回定期公演(2019年10月6日NHKホール、指揮:井上道義)

ほとんどの曲をレコードやCDで最初に聞いていた若い頃とは違い、最近でははじめて聞く曲も実演から、ということが多くなった。音楽の聴き方が多様化し、どのような音楽でも手軽に聞けるようになった時代にもかかわらず、私のようなこの傾向は、音楽の伝統的な聴き方に回帰している現象である。皮肉なことに、実演で聞かなければ、おそらく二度と聞く機会を持たなかったであろうと思うことがよくある。実演で聞くことがその曲を知るきっかけとなり、そこでストリーミング配信などの新しい聞き方が加わって、音楽生活がより楽しくなる、というのが続いている。聞き古した曲でも、ライブ演奏によってはじめてその魅力に接するようなことが、実のところ多い。音楽とはやはり生に限ると思う所以である。

フィリップ・グラスの「2つのティンパニ奏者と管弦楽のための協奏的幻想曲」という、わずか20年前に初演された作品も、そして、この日の後半のプログラムで演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第11番ト短調「1905年」という作品も、私にとって初めて触れる作品だった。後者、すなわちショスタコーヴィチの交響曲は、今ではかなり演奏され、名演とされるディスクも数多く存在する。かつては第5番しか話題に上らなかったこのソビエトの作曲家も、そのソ連邦の崩壊に伴って「解放」された数々の作品が、普通に演奏されるようになって久しい。にもかかわらず、私は今日、コンサートで聞くまでちゃんと聞いたことはなかった。

フィリップ・グラスは、難解な曲の多い現代音楽においてひときわ異彩を放ち、しかも親しみやすい作曲家だと思う。これまでヴァイオリン協奏曲やいくつかの管弦楽作品を聞いて来たが、そのどれもが親しみやすくて興奮に満ち、一種の陶酔的な感覚にも染まっていくような、まるでスポーツのような音楽である。「ミニマル音楽」と呼ばれる領域の代表でもあるグラスは、ティンパニ協奏曲というのを書いた。ここで使われるティンパニは2台。今回のN響の定期公演では、N響の2人のティンパニスト、植松透と久保昌一が舞台の最前面、指揮者を挟んで左右に並んでいた。

通常オーケストラの最上段にいて、4つ程度の太鼓を叩いているのは通常の光景だが、今回二人が叩く太鼓は、それぞれ6種類から8種類もあって、奏者のまわりをぐるりと囲んでいる。私は生まれて初めてストラヴィンスキーの「春の祭典」を聞いた時、ティンパニ奏者が二人もいることに興奮を覚えたが、いまではそんな作品は珍しくない。たった一人の奏者が叩くティンパニでも、「第九」や「幻想」のような作品では、ここぞとばかりにティンパニの切れ味鋭く、目いっぱいその音を轟かせるとき、ただならぬ緊張と予感を感じざるを得ないのだが、そのようなティンパニ奏者が二人もいて、しかも曲の最初から最後までリズミカルに掛け合い、360度あらゆる方向からこの楽器を鳴らしまくる音楽の、その楽しさと言ったら何だろう。

一種のラテン的なリズムにも通じるようなメロディーで始まる第1楽章は、見とれているうちにあったいうまに過ぎ去り、緩徐楽章へと進んでもその面白さは失われない。オーケストラの中の数多くの打楽器群、あるいは金管楽器との溶け合いも面白いが、ティンパニ協奏曲となると普段は管楽器に集中する耳も打楽器を中心に聞いているから面白い。そのティンパニ2台によるカデンツァは、第2楽章の終わりに位置している。

叩いているだけとはいえ、打楽器奏者の職人技が堪能できるが、これだけ多くの太鼓を、何種類ものバチを取り換えつつ一気に聞かせる技も圧巻である。指揮者の井上道義が楽しそうに合わせている様子は、3階席からもよく見える。

カデンツァから続く第3楽章は一気に早いリズム(♩=176となっている)による4拍子と7拍子が交錯したアジア的祝祭感に満たされた曲(解説による)。そういえばそう聞こえるが、私は初めて聞いた時は、どこかラテン的な感じがした。私はこの興奮に満ちた曲をもう一度聞いてみたくて、Spotifyへアクセスした。すると、NAXOSから発売されているカンザス大学管楽アンサンブルによる演奏がみつかったので、それを聞いている。YouTubeでも見られるので、映像のほうが楽しいだろう。やはり実演で接した演奏に、ネットであとからフォローする、というのが専ら私の最近の聴き方である。

さて。井上道義という指揮者は、私にとって少し不思議な指揮者だった。これまでの実演は3回。いずれも悪くはないのだが、かといって心に残らない。最初に聞いた東フィル定期でも、そのモーツァルトの音色の綺麗なことには驚いたが、それだけ。2回目のマーラー(一千人の交響曲)では、圧倒的な熱演ではあったがどこか心に響かない。それはつまりどういうことかと自問自答するのだが、よくわからない。けれども今回、ショスタコーヴィチの交響曲を聞いて、もしかしたらこれは指揮者の音楽を体現するオーケストラの力量に問題があったのではなかったのだろうか、と思った。このたびのN響との演奏は、N響の過去の名演奏と比較しても十指に入るような驚くべき名演奏で、それは個々人のソロだけでなく、アンサンブル、そしてそれを統率する指揮者の並々ならぬ集中力によってもたらされた神がかり的なものだった。歴史的演奏と言っても過言ではない。

その様子をここに記すことは、たやすいことではない。私の文章力と、それに何といってもショスタコーヴィチの交響曲に対する浅い理解では、とうてい太刀打ちできないものだからだ。ただそういった予備知識なしでも、今回の演奏の尋常ではない興奮ぶりは伝わって来たと思う。会場にいた聴衆の、普段は醒めた拍手を常態とする、年配者中心の日常が、どういうわけかあっけにとられて、そこに沸き起こる最大級のブラボーの嵐に大きく凌駕されてしまったのだ。

コンサート・マスターはライナー・キュッヘル氏だった。前半のプログラムに合わせてやや奥まった場所に位置するオーケストラが、広大なNHKホールでは少し小さく見える。「1905年」の第1楽章は、静かでゆっくりとしたイントロダクションで始まる。これは冬のサンクトペテルブルクの宮殿を意味しているのだ。弱音器を付けた不気味なトランペットのファンファーレ。このモチーフは今後しばしば登場する。

「1905年」とはロシア革命の発端となった「血の日曜日事件」を意味する。ここで平和的なデモ行進を行う民衆に向かって銃口を向ける皇帝軍。それは後のロシア革命へと続く皇帝の権力の失墜を意味していた。革命はデモによって開かれ、成し遂げられた。6万人とも10万人とも言われるデモ参加者のうち、何千人が死亡したかはわからないようだ。ロシア革命はソビエトを樹立させ、以降、半世紀にわたって社会主義諸国のリーダとして君臨することとなる。

だがこの曲は、1957年に初演されている。この頃のソビエトは、スターリン死後フルシチョフが登場し、東西の「雪解け」が叫ばれた時代だった。だがそのような中、ハンガリー動乱を鎮めるべく出兵した事件は、私も教科書で習った。ショスタコービッチがこの交響曲に込めた思いは、今一度革命の原点を振り返り、スターリン以前の社会主義理念へと立ち返ろうとしたからだ(それがたまたまハンガリー動乱重なって予期せぬ政治的含意そ示唆することとなった)という(コンサート解説書「Philharmony 10月号」より要約)。

従ってこの標題音楽には数々の革命歌が引用されている。その具体的な曲名は、数々の解説書に詳しいのでここでは割愛するが、中学生の頃、モスクワ放送などを趣味で聞いていた私でもなじみのあるものはない(むしろこの当時のモスクワ放送ではショスタコーヴィチのような音楽はあまり流れず、チャイコフスキーやロシア民謡が多かった)。

1時間にも及ぶ音楽は続けて演奏されるから、静かな第1楽章が言わるといつのまにかアレグロの第2楽章へと入っている。井上は一糸乱れぬアンサンブルでここの巨大な音楽的描写を進ませる。それは民衆の請願行進を意味する行進曲であり、そして一斉射撃、壮絶な死へと転落してゆく。

音楽は切れ目なく第3楽章のアダージョへと続く。ここは死者を追悼するレクイエム。そしてやがて革命への音楽へと変わっていく。怒涛のような音楽、打楽器を多用した賛歌と行進曲、圧倒的なクライマックス、高らかに歌われる社会主義賛歌。これらが混然一体となってアンサンブルを形作る。井上の集中力は、神がかり的と言ってもいい程に研ぎ澄まされ、オーケストラがそこに食らいついていく様は、3階席にも怒涛のように押し寄せてゆく。見ていて、何か目のくらむような錯覚と、そしてそれに負けまいとする精神力がこちらにも必要となる。

だがこれで曲が終わるわけではない。第4楽章はこういった賛歌であると同時に、同時に帝政ロシアに対する警鐘を意味しているという。そのメロディーは後半に登場するイングリッシュ・ホルンのソロによって明確に表されている。N響のオーボエ主席が持ち替えて奏でるイングリッシュ・ホルンの響きは、何と印象的なことか。いやそれだけでない。この日のN響の、時に不安定さを見せる金管がほぼ完ぺきと言っていい出来栄え。私はこんな演奏を聞いたことはない。弦楽器のN響が、重厚でいまやヨーロッパの第一級のオケに引けを取らない水準にあることは、だれも疑わない事実である。

コーダで再び行進曲がクライマックスを築き、途切れるように音楽が終わると、会場からどっとブラボーの声が噴き出した。私はこんな興奮に満ちたN響定期を知らない。楽団員も指揮者も、そして客席も、疲れ果てたと同時に何かをやり切った充実感のようなものが感じられた。何度も呼び出される指揮者は、長い手を振りながらバレエダンサーのように客席を振り返った。彼はまたオーケストラの楽団員の中に分け入って各奏者と握手を繰り返し、その時間は10分以上は続いただろう。私はこの演奏を、テレビで見てみたい。細かい部分まではさすがに3階席ではよくわからないからだ。だが、このような興奮は、おそらくテレビでは伝えきることはできないと確信する。ショスタコーヴィチが自分自身だと語る井上の面目を見た今日のコンサートは、定期としては1回限りだった。だが、他の作品においても同様な演奏が期待できる井上に、是非、他の曲も振ってもらいたい。おそらく同じ思いを、その場に居合わせた聴衆は感じただろう。

蛇足ながら一言。私はこの演奏を聞きながら、あの「天安門事件」を思い出した。人民解放軍が、歴史上はじめて民衆に発砲をしたのだ。あれから30年が経過したが、不安な世界情勢は変わっていない。共産主義と資本主義が「1国2制度」というまやかしのもとに存在する中国では、香港で民主デモが毎日のように行われ、そに向けた当局の締め付けは一層激しさを増しているようだ。社会主義の誕生からまだ1世紀を経てもいない世界で、社会主義運動そのものが博物館入りを果たしたのだろうか。ショスタコーヴィチを聞きながら、格差のますます拡大する今の世界に照らして考える時、その複雑な情勢は私の心を一層暗鬱なものにさせてる。

2019年7月31日水曜日

バーンスタイン:ミュージカル「オン・ザ・タウン」(佐渡裕指揮兵庫県芸術文化センター管弦楽団、他)

ミュージカルはライヴで見るに限る。比較的ダンスに重点が置かれているからだ。オペラにおける歌は、最重要の要素なので、歌が聞けないとどれほど演出や踊りが上手くても、決定的に失望に終わる。CDでオペラを聞くことができるのも、音楽的な観点からだけで十分にその良さが満喫できるからだろう。だがミュージカルはそうはいかない。ミュージカルをCDで聞いても、ぬるいジュースのような感じがする。

だがもし、オペラ歌手が歌い、ダンスはそれを得意とする人々が中心になって舞台を彩る。オーケストラはワーグナーやブルックナーも演奏できるシンフォニー・オーケストラが担当するとしたら…。こんな夢のような公演が、この夏佐渡裕によってプロデュースされ、関西と東京で上演された。出し物は佐渡の師匠で、アメリカの最も偉大な作曲家レナード・バーンスタインの作品である。ミュージカル「オン・ザ・タウン」は、後に「ウェストサイド・ストーリー」も手掛けるバーンスタインの最初のミュージカルで、1944年末にニューヨークで初演された。まだ第二次世界大戦中のことである。

この作品は「踊る紐育」として映画化された。だがその際に、ほとんどの音楽は差し替えられたようだ。バーンスタインの音楽が前提的すぎて、保守的な映画の客層には受け入れられないと判断されたためだと言う。それはそれで頷けるような話である。なぜならこの音楽は今聞いてもその魅力を失っていない。ミュージカルとしての古めかしさはその通りだが、音楽としての独自性はバーンスタインの天性のもので、今もって十分聞き手を満足させる。

バーンスタインは自ら作曲し、一世を風靡したミュージカル作品を、晩年にはクラシック音楽として残すことに懸命だった。「ウェストサイド・ストーリー」には、カレーラスを始めとするオペラ歌手を起用してセッション録音したのは有名だ。そのメイキング風景は映像化された。バーンスタインのミュージカル作品は、音楽のみでもきちんと歌えば、後世に名を残すほどの輝きを放つと信じていたのだろう。佐渡裕がその遺志を受け継ぎ、このたび取り上げた作品が「オン・ザ・タウン」だった。

この上演へのこだわりは、配布されたプログラム・ノートを読めばよくわかる。ロンドンでオーディションを行い、書類選考で1000人、面接にも200人が残ったらしい。結果的に下記に示す歌手と役者が起用されることになった。みなオペラも歌える歌手だが、同時に踊ることも演技することも十分にこなす実力派である。もちろん英語を母国語とする人たち。さらに演出はアントニー・マクドナルドが担当した。彼は兵庫県芸術文化センターでの過去の催しである「魔笛」(モーツァルト)や「夏の夜の夢」(ブリテン)でも演出を担当し、佐渡の信頼が厚い演出家とのことである。

オーケストラはもちろん兵庫県芸術文化センター管弦楽団である。世界各地からオーディションにより集められたプレイヤーからなる臨時編成のオーケストラだが、実力派の若手が多数いるようで、その水準は高そうに思われる。定期演奏会も開いており、そのチケットを両親にプレゼントしたりしているので、自分も一度は聞いておきたいという気持ちも動いた。本公演は、毎年夏のこの時期に催されるオペラ・プロダクションの一環で、過去には様々な作品が上演されてきたが、今年は東京でも上演することになったようだ。西宮で8回の公演を行ったあとの、上京しての4公演のうちの最初のものを東京文化会館に見に出かけた。ミュージカルはできるだけ前の方で見たい。そこで一階前方のS席を1万5千円もの大金を支払って購入したのは、1週間ほど前のことだった。まだ切符がかなり残っていた。当日券も買えた。

【キャスト】
・ゲイビー:チャールズ・ライス(バリトン)
・チップ:アレックス・オッターバーン(バリトン)
・オジー:ダン・シェルヴィ(テノール)
・アイヴィ(地下鉄の広告モデル):ケイティ・ディーコン(ダンサー)
・ヒルディ(タクシー運転手):ジェシカ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)
・クレア(文化人類学者):イーファ・ミスケリー(ソプラノ)
・ピトキン判事(クレアの婚約者):スティーヴン・リチャードソン(バス)
・マダム・ディリー(アイヴィの声楽教師):ヒラリー・サマーズ(アルト)
・ルーシー・シュミーラー(ヒルディのルームメイト):アンナ・デニス(ソプラノ)
・ダイアナ・ドリーム(歌手)他:フランソワ・テストリー
ほか。

会場に入ると幕に大きくタイトルが表示され、本場のミュージカルの雰囲気さながらである。やがてオーケストラ・ピットに登場した佐渡は軽く頭を下げ、おもむろに幕が開くと、そこはブルックリン。以降、本作品にはニューヨークの各地が次々と登場する。3人の水兵がわずか24時間の休暇を与えられ、初めてニューヨークの街へと繰り出すシーンである。「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が3人の水兵によって歌われる。

オペラと違い音楽が速く、台詞も多いのが難点である。字幕を追っていると舞台を見損なってしまう。まるで学芸会のセットのようだが、地下鉄の車内が登場。ここで女性に写ったあるポスターを見つける。その女性は「ミス改札口(turnstile)」と字幕では表示されていたが、これは回転式の出札口のことで、今でもニューヨークの地下鉄にはあると思うが、電気式ではない簡単なやつである。その「ミス改札口」に今年選ばれた女性を、水兵たちがそれぞれ分れて探しにいくところから物語は始まる。何とも他愛のないストリーだが、楽天的な昔のニューヨークの活気も伝わり、古い時代の気分を感じさせてくれる。

ニューヨーク賛歌とも言える作品には、私もかの地で1年余りを過ごした者として、非常に懐かしい気分にさせられた。初めてニューヨークに来た時の高揚感と、そこを歩き出した時の緊張感。ここを訪れた人はみな同じ気分を味わうに違いない。人種のるつぼ、とはよく使われる形容詞だが、そこは40年代ということもあり、このミュージカルに有色人種は登場しない。

音楽は残念なことに拡声器で増幅されている。実際のミュージカル上演でもよくあるが、歌唱のみならずオーケストラの音までがスピーカーを通じて聞こえてくると、ちょっと興醒めである。東京文化会館という、ミュージカルには広すぎる空間を考慮したためだろう。そして舞台がやや小さく見えてしまっている。このことが非常に残念だった。だが欠点は最初に書いておこう。これだけなのだから。

3人の水兵は、それぞれ別の女性に出会う。まずチップはタクシー運転手のヒルディと、オジーは自然史博物館で働くクレアと、そしてゲイビーは「ミス改札口」に選ばれた当人の歌手アイヴィと。皆が個性的なら、その周りにいてそれぞれのカップルを邪魔する人たちもまた多分に個性的だ。すなわち、チップが連れてこられたヒルディの部屋には、風邪をこじらせてくしゃみを繰り返すルームメート(ルーシー・シュミーラー)が、オジーが出会ったクレアには、すでに婚約者であるピトキン判事がいて、婚約の契りを交わすというまさにその日ということになっており、さらに「ミス改札口」のアイヴィには、音楽教師のマダム・デイリーがアルコールに溺れながら「性愛と芸術は両立しない」などと説いて回る。

3人は同じ場所で落ち合うことにしていたので、まずはタイムス・スクエアのナイトクラブのシーンとなる(ここからが第2幕)。舞台は次々と変わり、コンガカバーナというキューバ系のダンスホール、そしてまた別のクラブへ。ここの音楽は非常に楽しい。バーンスタインの乗りに乗った音楽が、これでもかこれでもかと続くのだが、実際にはその間に差しはさまれる芝居の台詞が、どこかの新喜劇さながらのドタバタ劇であることも忘れ難い。

3組のカップルは最後に、眠ることのない街の地下鉄に乗ってコニー・アイランドへと出かけてゆく。深夜のコニー・アイランドではトルコ風のダンスまで登場。するとそこに警官が現れて、お開きに。24時間があっという間に過ぎ去り、水兵たちは次の休暇組と交代して戦艦へと帰ってゆく。「ニューヨーク・ニューヨーク」と再び歌われる中、幕が閉じる。

「ニューヨーク・ニューヨーク」も有名だが、私はヒルディがアパートで歌う「I Can Cook Too」が好きだ。ティルソン=トーマスが指揮したロンドン交響楽団の一枚を私は昔から持っていて、ここの歌は良く聞いていた。けれども第2幕のコンガカバーナのシーンなど、実演で見なければその楽しさも伝わって来ない、ということが今回よくわかった。そんな中で、「カーネギーホールのパヴァーヌ」(第1幕)はコミカルで楽しいと思ったし、ピトキン判事のアリアとも言うべき「I Understand」は、唯一バスの歌が魅力的で、実際、かなりのブラボーが飛び出した。

オーケストラの中には結構な数のエキストラが世界中から集まっていたのも見逃せない。まずコンサート・マスターはベルリン・ドイツ交響楽団のコンサート・マスター、ベルンハルト・ハルトークで、この他にもペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィル)などゲスト・プレイヤーやスペシャル・プレイヤーが名を連ねている。もちろんトランペットやドラムスなど、エクストラの奏者も数多く、その水準はミュージカル作品としては異例の高さにあると言って良いだろう。

私も1年余りのニューヨーク滞在中に、十数作品の上演中の出し物を見たと思う。だがそのどれをとっても今回のような水準には達していない。それは今回の公演が一時的なプロダクションだったから可能だったとも言える。この公演は、ミュージカル作品がオペラと同等の上演が可能であることを印象付けた。

そしてやはり、ニューヨーク。私の40丁目のアパートからは、空にそびえるエンパイアステートビルが正面に見えていた。その先端が夕空に映えて一層幻想的なものとなる(写真はその当時のもの)。私は毎晩ソファに横たわって、その光景を飽きることもなく眺めていた。その懐かしい日々と、ニューヨークの各地の思い出は、私の20代の心の財産である。今の妻に出会ったのもニューヨークだった。だからこの作品は、まさに私の若い頃の気分を(半世紀の開きがあるとはいえ)燦然と蘇らせてくれた。そして最終公演の日のチケットを妻に贈ったのは当然の成り行きだった。妻も非常に喜んでくれた。ニューヨークの魅力は、時代が変わっても生き続ける。このミュージカルが、そうであるように。

2018年8月10日金曜日

バーンスタイン:ウェスト・サイド・ストーリー(ケネス・シャーマーホーン指揮ナッシュヴィル交響楽団、ほか)

レナード・バーンスタインがウィーン・フィルを指揮して収録したベートーヴェンの交響曲全集には、指揮者本人による解説が付けられていて、これもまたバーンスタインの多才さを感じるビデオだが、その中の、確か第5番だったかで「ベートーヴェンは(突き詰めて考えた結果として)必然的な次の音を見出す天才だった」というような話があったように思う。非常にユニークな解説は大変興味深いものだったが、この表現を私はバーンスタイン自身の作品である「ウェスト・サイド物語」の音楽に使ってもいいと思う。

1957年というと昭和32年のことで、もちろん私はまだ生まれていないし、バーンスタインもニューヨーク・フィルの指揮者として快進撃を続けていた頃だった。 それはすなわち、もう半世紀以上も前のことで、「ウェスト・サイド物語」はブロードウェイのミュージカル史において一世を風靡した傑作として今でも上演されている。1961年には映画にもなり、私も何度かテレビで見た記憶があるが、その時にも感じたのは、この作品はとにかく音楽につきるということである。才気あふれるその音楽を、作曲者本人もその後録音しているのだが、どういうわけか未だにオリジナル・サウンド・トラック盤の世評が高いようである。もう録音はかなり古いというのに。

私はアメリカ人ではないから、この作品に抱く特別な感覚を理解できていないのかも知れない。オリジナル・キャストで聞く「マリア」や「サムウェア」をはじめとする抒情的な歌も、「アメリカ」や「マンボ」といったノリノリの歌も、いわゆりブロードウェイらしさ、ミュージカルらしさが全編に横溢しており、古き良きアメリカの文化を彷彿とさせる。何といってもこれにはニューヨークの香りが充満し、無機的で荒廃した地区に住む若者同士の抗争と、そこに横たわる移民問題やラブ・ロマンスが、一種独特の雰囲気を形作っている。

私はこの曲を、マリアにキリ・テ・カナワ、トニーにホセ・カレーラスを配して録音された作曲者自身の指揮による演奏で体験した世代だが、これはこれでミュージカルをオペラのレベルに仕立てようとしているチャレンジングな企画だった。ただ、カレーラスの英語が不完全であるうえにあのオペラのような歌い方がどうも耳に馴染まない。確かにトニーはプエルトリコ系だし歌詞に「Buenas taldes」などと聞こえる部分もあるのだが、この録音はむしろメイキング・ビデオでこそ楽しみたいと思う。これは録音風景を追ったドキュメンタリーだが、 出演者の人間模様が滲み出て秀逸な作品だと思う。もっとも私はハイライトのCDも持っている。

この曲をもうクラシックとして聞く外国人には、オリジナル・サウンドといっても心に響かないし、かといってオペラ風の歌い方にもちょっと違和感があるのでは、と思っていたところ、ケネス・シャーマーホーンという人が南部テネシー州のナッシュヴィルにあるオーケストラを指揮して録音したCDに出会った。76分にも及ぶ完全版で、2001年の録音である。レーベルはNAXOS。オリジナルと比較してどうのこうの、という人がいるかも知れないが、そういうことを考えない向きには、なかなか高品質な出来栄えであると思う。

歌手の歌は、正統的なミュージカル風の歌い方で、英語の歯切れはなかなか良いまかりか、歌唱力の点でも聞かせる。「マリア」や「I feel pretty」のような部分でも聞かせるし、「ジェット・ソング」から「マンボ」に至るジャジーで踊りたくなるリズムは、アメリカを感じるスイング感もあって、良く録音されていると思う。

「ウェストサイド」とはマンハッタンの西側、すなわち60丁目あたりから70丁目にかけてのエリアである。いまでこそそこにはリンカーンセンターがあり、ジュリアード音楽院などもある高級で文化的な中心地だが、メトロポリタン歌劇場がまだ引っ越してくるまでのこの地域は、非行少年やギャングが日夜跋扈し、時に警察沙汰となるのも珍しくなかったという。不法移民が住み着き、治安も悪かったのだろう。碁盤の目になっているマンハッタンの中を、唯一曲がりくねって南北に走る通りがブロードウェイで、この通りを南から歩いてゆくと、セントラルパークの南西端の入り口、コロンバス・サークルを過ぎたあたりからウェスト・サイドとなる。

街は荒れてはいるが、若い移民たちはどこか夢をみているような純粋なところがある。シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」をニューヨークに移したような物語は、ある意味で珍しくない展開だし、音楽におけるメロディーや和声の進行は、それこそ長い年月をかけて進化してきたものを受け継いでいると思う。例えばフィナーレの音楽など、ワーグナーが「ワルキューレ」で用いたメロディーを思い起こさせるし、どういうムードはどういう音階で演奏されるのが効果的か、というようなことは良く踏まえられているのだろう。

この作品の独自性は、しかるに何といってもリズムの多様さにあるのではないだろうか。シンコペーションがふんだんに使われ、目まぐるしく変化する興奮は、ストーリーを越えて魅力的である。これらの音楽は、ダイジェスト版とも言える「シンフォニック・ダンス」でも取り上げられているので、その躍動感あふれる新鮮さを味わうことはできるが、全編にわたって無駄がなく、印象的なメロディーが続くという作品なので、ハイライトはもったいないだろう。

個人的には以下の重唱を中心とした活発な音楽が好きで、よくかいつまんで聞いている。「ブルース」「マンボ」「アメリカ」 「トゥナイト(五重唱)」それに「クラプキ巡査どの(Gee, Officer Krupke )」の5つである。最後にこのCDに登場する歌手を書いておこうと思う。有名な曲だが、録音されたものはそう多くはない。でも、まあ1枚あればいいと思うし、今ではYouTubeなどで簡単に聞ける便利な時代である。

  マリア:ベツィ・モリソン
  トニー:マイク・エルドレッド
  アニータ:マリアンヌ・クーク
  リフ:ロバート・ディーン

指揮者のケネス・シャーマーホーンはニューヨーク・フィルにおいてバーンスタインの助手を務めた人物である。

2018年7月22日日曜日

東京交響楽団演奏会(2018年7月21日、ミューザ川崎・シンフォニーホール)

新大陸におけるクラシック音楽の新たな展開、すなわちジャズや黒人音楽との融合が、ロシア系ユダヤ人の血を引くアメリカ人によって確立されていったことは興味深い。その中でも先陣を切るジョージ・ガーシュインと、20世紀を代表する指揮者でありミュージカル作曲家でもあったレナード・バーンスタインは、それぞれ生誕120周年、100周年の記念である今年、特にコンサートで取り上げられる機会の多いようだ。

川崎に本拠を置く東京交響楽団もそのひとつで、毎年夏に開催されている「フェスタサマーミューザKAWASAKI」という一連の音楽会のオープニング・コンサートに、音楽監督のジョナサン・ノットとともにジャズとの融合をテーマとした曲を取り上げた。私はこのチラシをもらって、すぐに行くことを決めた。4階席は3000円という安さだが、学生はさらに半額となる。中学生の息子を誘ってみたが興味は示さず、妻も行かないと言う。そういうわけで今回も一人で、猛暑の中を川崎へ。

この夏のイベントに私ははじめて足を運んだのだが、そうでなくとも休日の川崎駅前は物凄い人通りで、バンドを組んで通りすがりの人に歌声を聞かせる若いストリート・ミュージシャンもいる中をコンサート会場へ向かう。あちらこちらに旗が掲げられ、楽器をもった若い奏者が、まるで中学生のように斜め上方を向き、朗らかに微笑んでいる。チケットは売り切れいるようだ。この川崎にやってくるファンは、とても熱心のような気がする。友の会などに置かれたチラシに熱心に目を通したりして、開演時間を待っている。

本日のプログラムは、日本を代表するジャズのプレイヤーとの競演で、なかなか見事である。まずガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」を大西順子(ピアノ)、井上陽介(ベース)、高橋信之介(ドラム)とともに競演。次にリーバーマンの「ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲」を、この3人に加え、さらに13名のジャズ・バンドとともに競演するというもの。後半はオーケストラのみだが、やはりジャズの要素を駆使した前衛音楽家、ナンカロウという作曲家のスタディ(習作)第1番と第7番、そしてバーンスタインの「ウェストサイドストーリー」から「シンフォニックダンス」という豪華なプログラムである。

いつも見慣れたオーケストラ配置の間に、ドラムやピアノ、ベースなどが所狭しと並び、さらに打楽器セクションにもピアノ、チェレスタ、ハープシコード、木琴、マリンバ、ビブラフォンを始め、タムタムや太鼓、ここにもパーカッションなど、あらゆる楽器が配置される。オーケストラもトランペットやトロンボーンがずらりと並び、さらにサクソフォンやマリンバまで登場する。

「ラプソディー・イン・ブルー」は通常15分程度の曲で、プログラムにもそう掲載されていたが、本日はジャズ・バンド・バージョンである。ここで3人のジャズトリオは、驚くようなリズムとテクニックで聞かせる、いわば独奏部分が20分以上はあったと思う。 ピアノの大西順子は、最初すこし硬かったが、そのあとはこなれて満開のテクニックに聴衆を酔わせ、その後ろでボンボンとなっている井上陽介のベースが4階席まで響く。丁度この角度からはピアノのタッチまでが見て取れ、大西は楽譜を取り換えながら、右に左に揺れ動くさまは興奮する。

ドラムの高橋信之介はめちゃめちゃかっこいい。このようなことをどうかけばいいのかいい表現は浮かばないし、浮かべる必要もないだろう。何せジャズなのだから。それぞれ独奏部分では即興的なテクニックがさえ渡り、聴衆からも拍手が漏れる。ニューヨークを舞台に活躍してきた3人による演奏を、円筒形の4階席から見下ろしながら、私は体を左右に揺さぶった。伴奏のオーケストラは逆に緊張した感じで、特にクラリネットは独奏部分が多く、注目の的となるのだが、若手の多いような気がするこのオーケストラには、こういうプログラムは合っていると思う。

全部で35分はあったと思う。超贅沢なガーシュインを堪能し、盛大な拍手に見舞われると、次はさらに13名からなるジャズ・バンドが登場。サクソフォンがずらりと5名(アルト・サックス2名、テナー・サックス2名、バリトン・サックス1名)、その後にトロンボーンとトランペットが4名ずつ(うち一人はバス・トロンボーン)。

リーバーマンの「ジャズ・バンドと管弦楽のための協奏曲」は、全部で8楽章まであるが15分余りの曲で、そのなかにあらゆるジャズの要素がちりばめられている。第4楽章ブルース、第6楽章ブギウギ、第8楽章マンボといた具合。私は初めてきいた曲だが、こんなモダンな曲も70年以上前の、第二次世界大戦中の作品である。

20分の休憩時間の間に、舞台の編成は随分と小さくなった。それでも打楽器には数多くの鍵盤楽器がずらりとならぶ。ノットは続くナンカロウのスタディという極めて難しい(と思われる)曲を、丁寧に指揮した。この小規模な曲を私はやはり初めて聞いたが、細かいところに沢山の聴きどころがある曲で、そのいずれもがプレイヤーの腕が試されているようなところがある。二人が同時に音を出す木琴やハープシコードの混じる不思議な感覚は、15分間続いた。

曲の合間に編成は元の大きさに戻された。それに10分は要したと思う。再び大編成となって最後を飾るのは、バーンスタインの「ウェストサイド・ストーリー」から「シンフォニック・ダンス」である。20世紀を代表するアメリカ人作曲家レナード・バーンスタインは、指揮者としても有名だが、あのミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」の作曲家でもあった。晩年、ミュージカルをオペラ歌手を起用して録音するなど、その活躍は多彩であった。私もイスラエル・フィルと来日した公演で、作曲者自身が指揮したこの曲を聞いている。80歳にもなろうという老人がおしりを振りながらダイナミックに指揮する姿を今でもよく覚えている。

この曲を聞いているとバーンスタインは天才的な作曲家だったということがわかるような気がする。ミュージカルの音楽をつなげた作品だが、これだけの曲を聞いてもその音符に無駄なところがなく、むしろ複雑なリズムが浮き立つような迫力と色彩感を持って展開され、静かな部分から賑やかな部分まで見事につながってゆく。ノットの指揮ぶりも見事で、一気果敢に聞かせる。スイング、という感じではなく、アメリカを意識したものというよりは、あくまでスマートで客観的である。スピードは総じて速く、ここでも大活躍する打楽器の数々に見とれているうちに音楽が終わってしまった。圧巻の音楽ではあったが、もう少しいい席で聞いていたら良かったと思った。音が変に分離してしまい、なんとなく散漫な感じがするのが、ちょっと残念である。

今回も大満足の演奏会に、帰路につく足取りも浮き立つ。猛暑の今年は、いつになく音楽三昧の日々を送っている。

2018年5月6日日曜日

交響楽団はやぶさ第3回演奏会「宇宙への招待」(2018年5月6日、オペラシティ・コンサートホール)

息子が地元の小学校の音楽発表会でホルストの組曲「惑星」から「木星」を演奏し、随分気に入ったようである。彼は他にスーザの行進曲が気に入っているくらいで、ほとんどクラシック音楽には関心を示さないが、「木星」だけは演奏会で聞いたみたいなどという。だが「惑星」全曲のコンサートはたまにあっても、「木星」だけを取り上げることはまずない。だから、これはいつまでたっても機会がないとあきらめていた。

ところが別のコンサートでもらってきた大量のチラシの中に、「木星」だけをプログラムに載せたコンサートに目が留まった。何でもアマチュアのオーケストラの演奏会で、地球と星空、それに国際宇宙ステーションが描かれた写真とともに「宇宙への招待」などと謳われている。どうせこんなコンサートしかない、と思って見過ごしていたら、息子は行ってもいい、などと言いだす。ゴールデンウィークの最終日、5月6日は予定がない。妻も行くと言う。それでチケットを検索してみたら、まだまだ余裕があるではないか。S席でも4000円で、アマチュアであることを考えれば、少し高い気もするところである。

演奏家の団体名を「交響楽団はやぶさ」という。日本の人工衛星プロジェクトにちなんで名づけられたようだが、利害的な関係はないようである。ただ、第3回目となる今年の演奏会は、JAXAすなわち国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構が協賛している。そしてコンサートには宇宙飛行士の古川聡氏が特別講演を行うことになっているという。指揮は曽我大介で、ブザンソンでも優勝したプロの指揮者だから、これは結構本格的なオーケストラだろう。

というわけで、3人分の席を購入し、オペラシティ・コンサートホールへ出かけた。会場には多くの家族連れや、楽器を手にした学生が大勢つめかけ、たいそう賑やかにに並んでいる。何でもこのはやぶさなるオーケストラは、全国の医歯薬系の学生が中心となったオーケストラだったのである。

招待だろうが、親類だろうが、とにかく会場は満員である。花束贈呈の列には長い行列ができており、いつもとは違う雰囲気にのまれながら開演を待った。ところが、その音楽はアマチュアとしては最高水準の、つまりは何十年か前の日本のプロのオーケストラ水準の出来栄えであったばかりか、アマチュアならではの熱演ぶりに圧倒された2時間半を過ごすことに なろうとは予想もしていなかったのである!

プログラムの最初はジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」組曲で、最近では日本ハムの清宮選手が登場する曲として知られている。舞台に並んだ演奏家はおそらく100人以上、弦楽器のセクションはあまりに後ろの方まで並んでいるものだから、指揮者が登場するのもやっとの狭さである。丁寧なチューニングが終わると登場した指揮者は、何と緑色のペンライトをかざし、それを指揮棒にして一気に冒頭を奏で始めた。

おそらく何度も練習を繰り返したであろうオーケストラからは、ブラスのセクションもまあまあで、これはアマチュアとしては十分聞ける演奏。弦楽器もそりゃプロに比べれば薄く感じられるが、そこは人数でカバーしている。なかなか決まった感のある演奏が終わると、盛大な拍手が 鳴り響いた。私も大きな拍手をしたが、よく見るとまだ曲は終わっていない。組曲としてすべて演奏されることになっている。それで再び静かに始まった第2曲以降、なかなか新鮮な味わいであった。

オーケストラが入れ替わる間に登場した司会の女性は、主催団体の代表のようで、ここで宇宙飛行士の古川聡氏を紹介。制服姿で舞台にひとり現れた彼は、舞台上部に掲げられたスクリーンを使って宇宙開発に関する講演を行い、質問にも答えた。ここは音楽とは関係ないが、なかなか興味深いものであった。会場には医療関係者も多く、専門的ではないにしろ、素人向けでもない内容。最後にホルストの組曲「惑星」から「木星」を演奏して20分間の休憩となった。

オーケストラの大半が入れ替わったような印象だったが、実際にはそうでもなかったようだ。けれども演奏の出来栄えは、後半において大変良くなった。いや実際には前半もそれなりに良かったので、後半はもしかするとプロ顔負けの演奏だったと言うべきか。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」は、ソリストの活躍する美しい曲だが、コンサートマスターやオーボエ、フルート、バスーンのソロなど結構な出来栄えで感動的。楽団にはそれなりにエキストラがいるのでは、などと勘ぐったものの、プログラムに記載された団員のリストを見ると、ハープなど数人を除いて皆学生である。ただでさえ入るのに難しい有名な大学の医学部に在籍しながら、これだけの楽器を演奏する余裕があるものだと感心するばかり。50の大学から集まった団員が、どのように時間をやりくりして練習をしたり、親睦を深めたりしているのだろうか、興味深い。何せ臨時編成のアマチュアとは思えない水準である。

そういえば宇宙飛行士の古川氏も医師であり、そしてまた宇宙を志した人物である。古川氏と指揮者の曽我氏はともに私と同年代で、そのことも演奏を感慨深いものにした。そして第3楽章の「若い王子と王女」になると、一糸乱れぬ熱演になった。その様は、やはり音楽の魔法的な力が働いて、演奏する個人に魂が乗り移ったような時間であった。曽我のわかりやすい指揮者が、とても上手かったと思う。例えば第2楽章の「ガランダール王子の物語」後半、打楽器が入って来るあたりからはテンポを若干早くして、気持ちを寄せ集めてゆく。けれどもそれに応えるだけの技術的な水準をクリアしているから、ということが前提にあることを忘れるべきではない。

演奏が大団円を迎え、静かにソロがテーマを演奏し終えると、しばしの静寂に会場が包まれた。誰も拍手をしない美しい瞬間が、このようなコンサートでも実現されたことは、限りなく嬉しく思う。拍手に応え、舞台上に団員全員が揃う。入りきらないブラスの何人かは、2階席右手にスタンバイ。ちょっとしたパフォーマンスのあと「スターウォーズ」からの終結部を繰り返す指揮者。最後のフレーズをフォルティッシモのまま長く引き伸ばした時には、もう待ちきれない拍手がコーダに被った。

音楽を演奏すること、聞くことの喜びに満ちた感動的なコンサートが幕を閉じると、初夏の長く陽気が続いた今年の黄金週間も、とうとう終わってしまったという虚無感に襲われた。降り注いでいた陽光も陰り始め、突風が吹き付けるビルの谷間を急ぐ。とうとう明日からは本格的な雨になるらしい、と天気予報は告げている。

2018年4月9日月曜日

バリオス:ギター曲集(G:ジョン・ウィリアムズ)

例年より早く桜が散って、新緑がまぶしい季節となった。吹く風はまだ少し寒いが、青空に木々の緑が映えるこの季節を、私はことのほか愛している。そんなまぶしい陽気に相応しい曲として、私はバリオスのギター曲集を聞いていた。

それは箱根峠から三島へと下ってゆく急な坂道でのことであった。江戸時代のまま残る石畳の松並木を抜けると眺望が開け、右手には白銀の雪を頂く富士が、左手には陽光を受けて鏡のようにキラキラ光る駿河湾が見渡せた。日曜日だけれど、歩く人はほとんどいない。箱根ではあれほど多くの外国人観光客を見かけたし、小田原方面へと下る道には大勢のハイカーがいるけれど、逆の方向(これを昔は「西坂」と言った)へと下る人は少ないのだ。

左のポケットに入れたWalkmanから心地よいギターのトレモロが聞こえてくると、時間が止まったような感覚が私を覆う。朝食にパンを一枚だけ食べてきただけの、いわば空腹の状態で何時間も歩き続けていると、飢餓感が五感を研ぎ澄まし、自分に本来の感性が戻って来る。ジャンパーの襟を立て、箱根連山に吹き付ける太平洋からの南風を受ける。わずかばかりの雲が富士山に当たり、その頂上にだけ漂っている。5合目付近まで被る雪との境界がわからない。景色を楽しみつつも足元に注意しながら、急な坂道を少しずつ下りてゆくには、登るとき以上に体の様々な筋肉を動かす。そのリズムが心地よい。

バリオスは南米パラグアイの作曲家である。だからここで聞くギターの曲が、青々とした森の風景にマッチするとは言っても、日本の山の緑と、南米アマゾン近くのそれとはずいぶん異なるだろうと思う(このCDの副題は「パラグアイのジャングルから」となっている!)。けれどもそんなことは関係ない。音楽は作曲された意図とは違うところで、また聞き手の勝手なイメージと結びつく。

私がニューヨークで勤務していた頃、西海岸サンフランシスコへの出張を命じられたことがある。もう北米滞在も終わりかけていた頃のことだ。初めて私は仕事で、カリフォルニアへと飛んだ。日本人の社員とは何度も電話でやりとりをしていた。時に冷たく、厳しくもあったその同僚も、実際に出会ってみると同じ人間である。特にその女性は、美人だということで注目の的であり、私も出会いを楽しみにしていた。

だが会ってみると、彼女は淋しそうな表情をしていた。日本を離れてアメリカ人と結婚し、郊外でふたりで暮らしていた。一週間の滞在が終わり、明日ニューヨークへ戻るという最後の日、私は個人的に彼女の夫が運転する韓国製乗用車に乗って、夜のドライブに招待してくれた。その夫はあまり幸福そうな感じではなかったが、それは仕事が売れないからだと説明してくれた。音楽関係の仕事に携わり、その専門も現代音楽の評論だと言っていたような気がする。つまり私の英語力では、詳細はわからない。

私は自分も音楽が好きでよく聞いている、と適当に話した。こちらはプロではなく、単なる愛好家である。彼は、最近リリースされたジョン・ウィリアムスのギター曲など、なかなか素晴らしいものだ、とか何とかつぶやいた。まさにそのCDを私もニューヨークのタワーレコードで買っていた。SONYのやつですね、バリオスの。その時彼の表情が一変した。「そうだ、まさにそれだ。あれは本当にいい!」

実は私はまだそのCDを聞いていなかった。だが彼は、初めて自分に友人ができたかのように、嬉しそうに話してくれた。よく理解できなかったが、彼は行く予定のなかったベイ・ブリッジの、ちょっと隠れた名所にまで私を案内し(確かそこは軍関係者のみが入れるところだった)、島のように遠くに輝く「霧の町」の夜景を楽しんだ。西海岸の乾いた、少し肌寒い風が、吹き抜けていった。

同じような風の中で、私は何十年ぶりかにこのCDを聞いた。そしてギターと言えば「禁じられた遊び」とか「アルハンブラの思い出」のような曲しか知らない私も、それと同じかそれ以上に印象的なトレモロの続くギターの名曲に、時間のたつのも忘れるような感覚を味わった。長い坂道も、このようにして春の光を受けながら、私はすこぶる愉快であった。

サンフランシスコを離れる時、その同僚が私に言った。夫はあなたとお話が出来て、久しぶりに楽しそうだったです、と。私はその時の彼女の、嬉しそうな笑顔が忘れられない。バリオスのこの音楽を聴くと、いつもその時のことを思い出す。

私は中山城址公園の、もう芝生だけとなっている広大な広場に立っていた。北条氏が何千人もの家来を率いて築城した山上の要塞も、たった半日で豊臣勢に滅ぼされたそうである。今も残る遺構の上を歩きながら、私は遠くにそびえる富士の高嶺に見入っていた。いつのまにか、バリオスのギターは終わり、次に収録されているベートーヴェンのミサ曲ハ長調が鳴っていた。新学期の快晴の一日を、ひとりで過ごす贅沢な時間を、私は心行くまで味わっていた。


【収録曲】
1.ワルツ第3番
2.前奏曲ハ短調
3.クエカ
4.マシーシャ
5.大聖堂
6.フリア・フロリーダ
7.ワルツ第4番
8.最後のトレモロ
9.マズルカ・アパッショナータ
10.蜜蜂
11.古いメダル
12.郷愁のショーロ
13.サンバのしらべ
14.アコンキーハ
15.前奏曲ト短調
16.森に夢見る
17.クリスマス・キャロル

2018年3月18日日曜日

ピアソラ:バンドネオン協奏曲、「ブエノスアイレスの四季」他(Bandoneon:ローター・ヘンゼル、ヨハネス・ゴリツキ指揮ノイス・ドイツ・チェンバー・アカデミー他)

ピアソラはバンドネオンの奏者でもあった。バンドネオンはタンゴに欠かせないアコーディオンで、鍵盤ではなくボタンで音階を表現するが、蛇腹をクネクネと伸ばしたり縮めたりしながら、その時に出入りする空気によって音を鳴らす点では同じである。

バンドネオン協奏曲は「アコンガグア」というニックネームが付けられているそうだが、アコンガグアというのはアンデス山脈にそびえる南米最高峰である。そして私はまた、四半世紀前の1993年、アルゼンチンを旅した時の、ふもとの都市メンドーサからチリへと国境を超えるバスから見たアンデスの風景を思い出さずにはいられない。

メンドーサはブエノスアイレスから夜行列車で1日かかる距離にあり、平野が尽きて山地になる手前の、温和で美しい町であった。そこはぶどうの産地、すなわちワインで知られた都市で、3月というと南半球では秋になるが、私はまだ半袖、半ズボンのいでたちで、ワイナリー巡りを楽しんだり、あの豪快なステーキに舌鼓を打ったりして過ごしたのを覚えている。その時にたまたま通りがかったパスカル・デ・トーソというワイナリーに飛び込んで、日本から来たので見せて欲しい、などと片言のスペイン語で話したら、有難いことにとても親切に見学させてもらい、最後にお土産までもらったのだが、何とそのワインを輸入して飲ませてくれる店に最近出会い、フルボディの少し古風なワインを飲みながら、アルゼンチンの思い出に浸ったところである。

ピアソラはアルゼンチンに生まれたがニューヨークで育ち、パリで音楽教育を受けた。その国際性を活かしつつタンゴのリズムを発展させ、稀有な音楽を生み出した。現在クラシックで聞くピアソラの曲は、地域を越えて魅力的である。このバンドネオン協奏曲も、出だしから最後まで飽きることはない。

第1楽章のリズムや打楽器の慟哭にも圧倒されながら、実は主題が変わると静かな音楽に変わる。それはまだ第1楽章である。第2楽章が実に素晴らしく、私はこの音楽がタンゴの持つロマンチックな世界をうまく表しているように思う。最初は何か壊れたマイクを修理しているような間抜けな雰囲気だが、それからうらぶれた都会風のメロディーが出てきて、そうこれはタンゴだったのかと思う。第3楽章は再び速いが、ここでも中間部があって、リズムに体を合わせて酔いながら一気に最後まで聞かせる。

ピアノを含む小編成の管弦楽曲「ブエノスアイレスの四季」は、英語やドイツ語では単に「四季」と記載されていたが、オリジナルのタイトルに「ポルテーニョ(ニャ)」と形容詞が付けられており、実はこれは「港の」、すなわちブエノスアイレスを意味するそうだ。だからこれはまさにブエノスアイレスの春、夏、秋、冬ということになる。作曲は「夏」からだったようだが、私の持っているアラン・モーイア指揮トゥールーズ国立室内管弦楽団の演奏では「春」から始まる(南半球だから9月頃だろうか)。

4つの楽章いずれもピアソラならではの歯切れのいいリズムと、メランコリックなメロディーに新鮮な感動を覚えるが、面白いのは最終楽章のコーダの部分が、とても落ち着いた、気持ちが安らぐ情景を醸し出している点だ。「春」から演奏された場合、これが最終の曲である。私はブエノスアイレスの「冬」を知らないが、南米でもっともヨーロッパ風の街は、小雨に似れた石畳の上を時代遅れのコートを着た紳士が歩き、夜ともなれば巨大なステーキを出すレストランやバーからは、時折大きな声の話し声が聞こえてくる。

最後に「オブリヴィオン」について。オーボエをソロとする3分余りのこの曲は、実に美しい曲で、このCDの中では一番のお気に入りである。数多くリリースされ、ファンの多いピアソラのディスクの中で、なぜ私がこのディスクを所有しているのかは謎である。ピアソラ自身が1992年まで生きていた作曲家だから、彼自身の演奏というのも数多くリリースされているし、クレーメルやクロノス・クァルテットのような演奏家のものも有名で、一度は聞いておきたいとも思っている。

なお、私がはじめてピアソラの曲に触れたのは、1986年にリリースされた名アルバム「Tango Zero Hour」によってであった。このCDを初めて聞いた時は衝撃的で、今でもその時の記憶を鮮烈に覚えている。このような体験は、私にとってストラヴィンスキーの「春の祭典」以来であった。


【収録曲】
1. バンドネオン協奏曲
2. オブリヴィオン
3. 弦楽合奏のための「2つのタンゴ」
4. ブエノスアイレスの四季

2018年3月11日日曜日

ピアソラ:「ロス・タンゲーロス(Los tangueros)」(P:エマニュエル・アックス、パブロ・ジーグレル)

タンゴに話が及んだついでにピアソラの作品を収録した手持ちのCDを聞いてみた。私のコレクションには、わずかに2枚ピアソラのCDがあるが、現代作曲家のCDとしては多い方である。そのうちのひとつが、クラシックの名手エマニュエル・アックスと、ピアソラ五重奏団のメンバーでもあったパブロ・シーグレルが組んだピアノ・デュオの一枚である。意外な組み合わせが話題を呼んだ一枚でもある。

今となってはなぜこのCDを持っているのか、思い出せない。リリースは1996年だから、丁度ニューヨークに住んでいた頃に、行きつけのアッパー・イーストのタワーレコードでたまたま見つけ、その都会的で何ともニューヨークにぴったりの音楽に、直ちに購入を決めたのではないか(ということにしておく)。このジュリアード音楽院近くのレコード店は、クラシック音楽の売り場が大変充実していたが、タワーレコード自体がアメリカより姿を消して久しい。

ピアソラの作品は、私がそう感じたように、都会的で現代的。そしてニューヨークを感じるのは偶然ではない。なぜなら彼は幼少時代と無名の音楽家時代をニューヨークで暮らしているからだ。ジャズの要素も取り入れられているのは、当然と言えば当然で、彼はアルゼンチン・タンゴを発展させたというよりはタンゴの亜流として出発した。アルゼンチンのような保守的な国で、ピアソラが認められるようになったのは、ずっと後になってからのことである。

タンゴはもともと踊るための音楽で、タンゴのステップはラテン・ダンスの主要な一角を占める(このCDのジャケットには踊る男女の姿が映ってはいる)。コンチネンタル・タンゴのように耳に心地よいイージー・リスニングでもない。だからこれは真剣に聞くための音楽、そして時にリスナーを選ぶという点で、やはり現代音楽に属するクラシック音楽なのだろう。ピアソラ自身、そういう作品を作り続けた。ここに収録されているのは、それらのうちから有名な曲を、シーグレル自身がこの録音用に編曲したものだ。

とは言え、強いリズムとセンチメンタルなメロディーは、まさにタンゴの世界である。場末のバーに集うどうしようもなくうらぶれた人々が、ある時は祖国を思いながら、ある時は情熱にかられて歌い、踊る。第2次世界大戦中はヨーロッパを凌ぐ豊かな国でもあったアルゼンチンが、戦後は貧困と圧制に苦しみ、まるで数十年前に置き去りにされてきたような国、それがアルゼンチンのイメージであり、その音楽もまた古臭く、発展が止まっていた。だが、ピアソラのユニークな国際性が、この古い因習を打破し、アルゼンチンタンゴの歴史を進めることに成功した。

ブエノスアイレスの空港に降り立ち、市内へと向かうバスが、人っけのない廃墟のような街に入り込み、ガラスが割れたままとなっているビルの前に停まった。人々は古いファッションに身を包み、深く刻まれたしわの奥から、あてもなくこちらを見ている。ラジオから発せられる早口のスペイン語やラテン音楽が、どこからともなく聞こえて来た。1990年になっても、ブエノスアイレスの街は60年代頃の、いやもしかすると第2次世界大戦前のそれであった。私は日本から3日がかりで乗り継いだフライトの疲れを引きずりながら、古い時代にタイムスリップしたような感覚を覚えた。そして窓もない安ホテルのベッドで泥のように眠りにつき、それは48時間以上も続いたと思う。学生生活最後の旅行は南米と決めていた。その憧れの地での行程は、このようにして始まったのだった。

ブエノスアイレスには1週間くらい滞在したと思う。その間にラ・プラタ川を渡りウルグアイにも出かけた。黄土色の広大な河口に架けられた国境の長い橋を渡る。そしてその流域こそがタンゴの発祥地であった。どこまでも続く平原と、その牧草地に立っている動かない牛たち。その時の光景を瞼に思い浮かべながら、これらの曲を聞いていた。2018年の春。私はほとんど初めてのように、このCDを聞いた。

春の陽射しをうけつつもまだ寒いある日の昼下がり。私は埼玉県の北部を歩きながら、静かに演奏に耳を傾けた。アックスとシーグレルのピアノは技巧的で申し分がないくらいに上手いが、それが徐々に熱を帯びてゆくようだった。規則的とも不規則ともつかないリズムが、消えては現れ、現れては消える。乗り心地の悪いアルゼンチンのバスにも次第に体が慣れてくるように、リズムが体に合わさってきたたと思って暫くたったとき、ある時はパタンと、あるときは消え入るように音楽が終わる。しばしの静寂。

曲は聞けば聞くほどに味わい深く、うち何曲かは聞いたことのあるメロディーである。中でも、亡き父に捧げられた 「アディオス・ノニーノ」は心を打つ曲である。続く「リベルタンゴ」もお気に入りだ。ヨーヨー・マや葉加瀬太郎も演奏しているこの曲もまた、様々なアレンジがあるのだが、一度聞けば忘れられない曲である。聞いていくうちに、何か高級なサロンにいるような気がしてくる。


【収録曲】
1.Revirado
2.Fuga y misterio
3.Milonga del Angel
4.Decarissimo
5.Soledad
6.La muerte del angel
7.Adios Nonino
8.Libertango
9.Verano Porteqo
10.Michelangelo '70
11.Buenos Aires Hora cero
12.Tangata


2012年11月1日木曜日

グラス:ヴァイオリン協奏曲(Vn:ギドン・クレーメル、クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

1937年生まれのアメリカの作曲家フィリップ・グラスは、その作風が非常に印象的だ。一般にミニマル・ミュージックと呼ばれる分野の草分けで(ただし本人はこれを好んでいない、とありきたりの注釈を入れなければならない)、短い旋律を何度も繰り返しながら、それが少しずつ変化していく。何か透明な感じ、そして東洋的な神秘的な感じである。歌劇「サティアグラハ」は、ガンジーの南アフリカでの人生を描いた作品で、昨シーズンのMet Live in HDシリーズでも上演されたが、そのさわりの音楽もまた、このように透明、そして東洋的であった。

詳しいことは音楽の専門家に任せることにして、このグラスの作品を初めて本格的に聞いた。それが1987年に作曲されたヴァイオリン協奏曲である。全部で3楽章から成る構成は、急-緩-急の形式で馴染み深い。いわゆる現代音楽に属するが、その音楽は非常に聴きやすい。映画の音楽やテレビドラマの主題音楽などに使ってもよさそうな感じ、といえば陳腐に聞こえるが、ここで聞く音楽は「クラシック」としては新鮮でありながら、現代人にとってはむしろ親和的ではないかと思う。

短いメロディーが連続的に、リズミックに繰り返されて、徐々に高まり、徐々に収まる。この曲には急に音楽が強くなったり(バロック音楽やベートーヴェンの得意としたやつだ)することはなく、かと言ってだらだらと静かなフレーズが続いたり、ロマンチックでありすぎたり、不協和音が不快すぎることはない。20世紀に入って様々な音楽的方向性が試行されたが、このような音楽は、なかなかいける。インドの音楽の影響を受けているとされるが、民族的ではなく、ロックやジャズとも違う。純音楽的に、これはひとつの作風であると思う。

第1楽章の冒頭から聞き手を情熱的に惹きつけると、第2楽章の静かな部分でも緊張感を失わない。そして第3楽章ではパーカッションの刻むリズムが耳に心地よい。オーケストラの小刻みな伴奏に乗って、クレーメルのヴァイオリンはいつものように夜の静寂の如く繊細だ。最低限の力で持続するように緊張の糸を細くしたり、伸ばしたり、あるいは太くしたり、といったあたりが作風と良く似合っている。だからこの曲の決定的な演奏として録音になったのだろうと想像しながら、何度も聞いてしまった。

伴奏は何とウィーン・フィルで、そのことがまた面白い。クレーメルとウィーン・フィルは、バーンスタインとのブラームスやムーティとのパガニーニなど、時おり気まぐれに素敵な演奏が存在するが、これもその一つだろう。だが、恥ずかしながらこのような演奏が存在していたことは最近まで知らなかった。

カップリングはシュニトケの合奏協奏曲第5番だが、これについてはまた別の機会に記そうと思う。

チャイコフスキー:3大バレエ組曲(ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

チャイコフスキーの3大バレエ音楽について、個人的なベスト盤とともに感想を書き終えた。3作品のうち最初に作曲された「白鳥の湖」は、1877年の初演時には必ずしも成功を収めることができず、チャイコフスキーにとっても不本意な結果となった。しかし、1890年に初演された「眠れる森の美女」...