2020年12月30日水曜日

ベートーヴェン:「ミサ・ソレムニス」ニ長調作品123(S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム他、オットー・クレンペラー指揮ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)

ベートーヴェンは、従来のキリスト教の枠を越えたところに、真の超越的な神と正義、自然の摂理と人間の尊厳を見出そうとした。この思想は、常に確信的で破壊的な創造に彼を駆り立て、その総決算としてほぼ同時期に作られた他に類を見ない2つの作品、すなわち交響曲第9番と「ミサ・ソレムニス」(あるいはまた「盛儀ミサ」「荘厳ミサ」とも訳される)が存在することになった。交響曲第9番は、それまでのあらゆる管弦楽作品を越えた作品であり、「ミサ・ソレムニス」もまた、典型的なミサ曲とは異なり、ミサ曲を越えたミサ曲として存在する。そして「ミサ・ソレムニス」の捉えどころのない難解さは、交響曲第9番を従来の交響曲として理解しようとすることが破たんを来すのと同様である。しかしこのこと=両作品におけるベートーヴェンの生涯を通じた革新的な動機=について思いを馳せることができれば、理解は比較的容易ではないか。そんなことを思いながら、改めて「ミサ・ソレムニス」に挑戦した。

「ミサ・ソレムニス」作品123はまさに、交響曲第9番作品125の直前に位置する作品である。そしてベートーヴェン自身はこの「ミサ・ソレムニス」を自らの最も偉大な作品だと語っている。このことは大きな意味を持つ。しかし「第九」であれば、我が国では農村の合唱団でも歌っているほどに身近な存在であるのに対し、「ミサ・ソレムニス」のフレーズを歌うことができる人に出会うことは稀である。「第九」の各楽章のわずかなフレーズを聞いただけでも、そのメロディーが心から離れないのに対し、「ミサ・ソレムニス」のメロディーはほとんど心に響かない。一生懸命に聴けば、ところどころ離散的に、記憶が形成されることがある程度である。演奏を変えて聞いても、この傾向は変わらない。ミサ曲であれば、他の作曲家のレクイエムや、ベートーヴェン自身のもう一つのミサ曲(ハ長調)の方が、ずっと親しみやすいのは事実である。

他の管弦楽曲や合唱作品と異なる「ミサ・ソレムニス」のとっつきにくさは、後期の弦楽四重奏曲や晩年のピアノ・ソナタに通じるものかも知れない。だが、今一つ思い出されるべきは、この作品が当初作曲され、初演された時点では、「キリエ」と「グローリア」のみだったという事実だろう。ベートーヴェンは1819年、長い間後援を惜しまなかったルドルフ大公が、大司教に就任することが決まった翌年の即位式に向け、祝典用に演奏すべく自ら申し出て作曲を始めた。しかし、あまりに多くの楽想が沸き、音楽が長くなりすぎて間に合わなかったとされている。結局、現在の形に完成されたのは2年半も後になってからのことで、この間もベートーヴェンは精力的に作曲を続けたようだ。この曲の初演は、何とサンクト・ペテルブルグで行われているが、それはベートーヴェンが筆写譜を各地の王侯貴族に送っていたからで、その楽譜を購入したロシアのガリツィン侯爵が、慈善演奏会で取り上げたからだと音楽史の本には記載されている。

生誕250年を迎えた今年、私は満を持してベートーヴェンの最も偉大な作品のひとつである「ミサ・ソレムニス」を、ここで取り上げることにしようと思う。これまで避けてきた作品だが、ほとんどのベートーヴェンの管弦楽作品(すなわち、室内楽曲と独奏曲を除く作品)について記述してきて、もう他に取り上げる作品がなくなってしまった。このまま避けて通ることができない関門のような作品である。この記述のために選んだ演奏は、独唱にエリザベート・ゼーダーシュトレーム(ソプラノ)、マルガ・ヘフゲン(アルト)、ヴァルデマール・クメント(テノール)、マルッティ・タルヴェラ(バス)、そしてニュー・フィルハーモニア合唱団、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団によるもの。指揮は80歳を超えていたオットー・クレンペラー。1965年の録音。

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さて、音楽は通常通り「キリエ」で始まり「グローリア」と続くが、この2曲は比較的馴染みやすい。「キリエ」はどんよりと曇った海に漕ぎ出していくような厳かな曲で、クレンペラーの演奏で聞くと、粗削りな部分が丸で白波のように感じられ、長い航海を前に波に揺られているようである。クレンペラーの武骨な指揮が、透明でレンジの広い録音によって、一層その広がりを感じさせる。私などは、他の作曲家のどんなレクイエムにもまして、厳粛でありながら、作曲家の確固たる自信が迫り来る曲だと感じる。このような曲がそれまでに、いやそれ以降もあっただろうか。簡素な3部形式で、ミサ曲に聞く主題の和音が提示されると中間部に至るが、やがてオルガンを伴う主題が再現されるとき、その音楽は一層耳に馴染んでくる。すでに合唱と4人のソリストは全力投球を必要とする(以上、約10分)。

「グローリア」は、輝かしく崇高で、ほとばしり出る合唱が圧倒的な曲である。ベートーヴェンのアレグロは、ここで全開である。この「グローリア」は4つの部分から成っている。激しい部分に引き続いて、テノールを先頭に独唱、それに合唱までもが再び力強いテーマに戻る。ここまでが第1部(約5分)。これに対し、ゆっくりとしたやや重苦しい部分が第2部(Qui tollia peccata mundi)。しかしこういう部分こそが、ミサ曲ならではの崇高で神妙な部分に思える。木管楽器が印象的(約6分)。

扉が開いて新しい世界に入ってゆくような堂々とした第3部の冒頭のメロディーは印象的である(Quaniam tu solus sanctus)。やがて始まる第4部は合唱も入り乱れてのフーガであり、聞く者を興奮の中に誘う。アーメンと何度も歌われ、最後の方は丸で「フィデリオ」の最終部を見ているように速く、圧倒的に昂揚し、突然終わる(約6分)。

「クレド」は4つの部分。まず合唱のバスが、続いて満開の合唱が、それ以前の部分に勝るとも劣らず力強く歌いだす。漸次的に押し寄せるパワーに圧倒されながら、合唱と管弦楽のハーモニーに酔いしれたい。音楽は大きくなったかと思うと、にわかに静かになったりしながら起伏を持って進行し、フーガもある(約4分半)。

音楽がアダージョになったら第2部である(Et incarnatus)。教会の神秘的な響きがするのは、そのような施法で書かれているから。そしてフルートのトリルの乗せながら独唱が天空に舞う。音楽はここからしばらく重苦しい響きが続く。それは神の苦しみが歌われる部分だからである。だがそれも啓示を得たように突如速い音楽に転換し、蘇る(7分以上)。

ここからの「クレド」の第3部と第4部はひたすらフーガとアーメンの音楽である。ここの、「ミサ・ソレムニス」における中心的な部分は、物凄い音楽としか言いようがない。よくこんな音楽を書いたものだと、あっけにとられるほどだ。それにしても「ミサ・ソレムニス」における独唱と合唱には、「第九」よりもはるかに高度な技術を要する。それも全編に亘って。複雑極まりに音楽を聞いていると、「第九」さえかわいい曲に思えてくる。フルートに乗って、やがて音楽は消え入るように登っていく(10分程度)。

これまで興奮の渦のなか、何が何かわからないような気持ちて聞き続けて来たが、まだここからが後半である。いい演奏でここまで聞いてくると、この曲はなかなか魅力満載の実力ある楽曲だと心から思い知らされる。ベートーヴェン以降のミサ曲で、この曲に迫るのはヴェルディの「レクイエム」くらいではないかとさえ思えてくる(ベートーヴェン以前でも、バッハの「ロ短調ミサ」のみが、これに匹敵する唯一の曲とされる)。それでももし、この曲がとっつきにくいと思うなら、もしかするとその原因は、あまりにまとまりを重視して、かえって音楽の規模が小さくなってしまった演奏(録音)のせいかも知れない。それまでの規範に収まらないこの曲を表現するには、その枠をはみ出す必要がある。「第九」もそのような要素があるが、それでもどの楽章のどのフレーズをとっても、親しみやすいメロディーに溢れている。「ミサ・ソレムニス」にはミサ曲独特の旋法、典礼文に即した楽曲が書かれているものの、ベートーヴェンならではの迫力を終始感じる点では、この曲以上のものはない。

「サンクトゥス」は静かに始まる。しかしやがては女声合唱のプレストが始まり合唱が高らかに歌うと(ここまで4分)、やがて管弦楽のみの部分(前奏曲)に入ってゆく。ここが「ミサ・ソレムニス」における全体の折り返し地点ではないかと思う(1分半)。そして独奏ヴァイオリンが続く「ベネディクトゥス」の開始を告げる。終始厳かで静謐な調べは、絶えず続く独奏ヴァイオリン(オブリガート)と4人の独唱によって特徴づけられ、そこに合唱が染み入るように合流する。全体の中でも白眉とも言うべき部分は、聞く者を陶酔の中へと誘い、しかも大変長い(11分!)。

いよいよ最後の「アニュス・デイ」である。3つの部分から成るこの終結部は、まず痛切な祈りの第1部で、バスの独唱によって開始される。イタリア・オペラの終幕冒頭に歌われる不気味な予感といった感じ。夜も更けてきたころ、静かにひとり耳を傾ける。祈りの歌が、ソプラノによって、テノールによって、重なり、合唱に引き継がれたかと思うと再び合わさり、ひたすら深く、心の淵まで染みわたる。ベートーヴェンが書いたおそらくもっとも崇高な音楽のように思えてくる(7分程度)。

だがそのような深淵な音楽にも明るさが差し込んでくる(第2部「われらに平和を与えたまえ(Dona noblis pacem)」)。ここの音楽から最後までの間は、特にベートーヴェンらしく印象的である。フーガが平和の安寧を願う。するとティンパニ、そしてトランペットが行進曲のように響くのだ。不安げな表情を見せる独唱陣。これがちょっとしたアクセントになって、再び平和を求める合唱に戻る(6分)。

最後は速い。金管楽器とティンパニによる力強いコーダが始まる。寄せては返す波のように、合唱や独唱が何度も押し寄せる。気高く荘厳な音楽も、最後に再びティンパニによる響きが何かの啓示を行いながら、まるで尻切れトンボのように終わる。

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クレンペラーの「ミサ・ソレムニス」の演奏を評価するのには、努力が必要だ。逆説的な言い方だが、この演奏の偉大さを認識するには、それ以外の演奏にも耳を傾けておかなければならない。そこで私は、ショルティの演奏にある程度の時間をかけて聞いてみた。ショルティと聞いて毛嫌いする向きもあろうかと思う。何を考えているのか、よりによって気高いミサ曲にショルティとは?という意見である。だが「第九」でも書いたように、いくつかの大規模作品におけるショルティの説得力は素晴らしいものがある。

ショルティとクレンペラーの演奏に共通するのは、骨格が非常に明確な点である。そう書けばカラヤンやバーンスタインはどうなのか、と言われるかも知れない。だからこれは程度の問題で、カラヤンは部分的に丸く、全体的に磨きがかかっている。バーンスタインともなるとこれはかなりデフォルメされてくる。そういう点ではショルティ(あと一つ挙げるとすればガーディナー)の演奏は、鋭角的とでも言おうか、録音もいいので曲そのものの形が見えてくる。そのような骨格をさらに太くし、しかも広がりを与えているのがクレンペラーの演奏である。峻厳、崇高などという形容詞を使う人も多いが、これは80歳を超えて体力を失った巨匠が、車椅子に座りながらも楽団員に睨みをきかせ、あらんかぎりの統制力を発揮しようとしたこと、楽団員がそれを真摯に受け止め、可能な限り応えようとした結果であると推測される。

ショルティの演奏で全体をおおよそ理解した後に聞くクレンペラーの演奏は圧巻である。どの部分をとっても、この類稀な録音が、60年近くを経た今でも新鮮に再生できることを心から喜びたい。大波に乗るような悠然とした「キリエ」、椅子から転げ落ちるのではないかと心配する「グローリア」、武骨で気違いじみたように荒れ狂う「クレド」、ヴァイオリン伴奏に乗ってこの上なく美しい「サンクトゥス」と「ベネディクトゥス」。悠揚迫らぬテンポが続く「アニュス・デイ」に至っては、神がかったように天に昇ってゆくような気持になる。この終曲をここまで心に刻む演奏は他にない。「心より出でて、再び心に戻らんことを」。この曲は、やはりベートーヴェンの書いた最大の曲であると同時に、その最高の演奏の一つが、間違いなくこのクレンペラーのものだろうと得心するに至った。

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曲のあきれるような大きさと、演奏の底知れぬ偉大さに腰を抜かし、結局のところ、「ミサ・ソレムニス」におけるベートーヴェンの革新性とは何だったのだろうか、と改めて考えてみた。けれども素人には、その破格の規模や表現の複雑さに圧倒されるだけであった。

様々な解説を参考にすれば、音楽的には2つのことがまず、言えるのではないかと思う。ひとつは、「サンクトゥス」から「ベネディクトゥス」に至る標題音楽にも似た物語風の進行である。すなわちキリストの肉と血が「パンと葡萄酒」に変化する「聖変化」の儀式と、「前奏曲」を経て三位一体の降臨へと続く。今一つは、「アニュス・デイ」における軍隊風のラッパがもたらす不安への回帰と、それを打ち消して、高らかに平安を謳うまでのプロセスである。いずれもベートーヴェンらしい、飾り気のないストレートな表現で新しさを打ち出している。

ベートーヴェンの音楽のベートーヴェンたる所以は、その解釈を聞き手に迫ることである。「こんなに考えて作曲したのだ。聞き手も考えて聞き給へ」と言われているように感じてしまう。だからベートーヴェンの音楽は、聞き手を験すようなところがある。特にこの「ミサ・ソレムニス」は、難解な曲でありながら、それを聞き手がどう理解しているのか、究極的なところでベートーヴェンは問いかけているような気がする。

ベートーヴェン生誕250周年の今年は、コロナ禍に明け暮れた大変な一年だった。全世界が暗い苦悩に満ち溢れたと言って良い。であればこそ「苦しみから幸福へ」というベートーヴェンのモチーフに倣い、来年こそは幸せな年となることを願いたい。今年は、きっとどこかで演奏されるであろう「ミサ・ソレムニス」を実演を聞くことを願っていたが、それもかなわわなかった。しかしいつか、圧倒的な迫力を持つこの偉大な曲を大合唱で聞いてみたい。そう願いつつ今年のこのブログを終えることとしよう。

2020年12月15日火曜日

ドヴォルジャーク:ピアノ協奏曲ト短調作品33(P:ルステム・ハイルディノフ、ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック)

師走に入って木枯らしの吹くこの季節、雲一つない晴天が続く日もあるが、どんよりと曇った寒い日も多い。今年は特に12月に入ってから、関東地方では天候に恵まれない日々が続いている。ドヴォルジャークの音楽が似合うのは、このような晩秋から初冬にかけての季節である。

中部ヨーロッパの、さらに真ん中ほどに位置するチェコの秋が、どのような風情なのか、行ったことがないのでわからないのだが、おそらくは日本の秋と同様に紅葉が見事であり、空気は乾燥し、そして曇った日と晴れた日が交互に訪れる北半球中緯度の天候と思えばいいのではないだろうか。

ドヴォルジャークがその民族風の音楽を取り入れ、国民楽派としての名声を獲得していく前の、若き日の作品。その中にあってピアノ協奏曲はほとんど顧みられない曲である。作品番号が33と言えば、交響曲で言えば第5番の頃。作曲家として駆け出しの頃である。35歳。後年アメリカへ渡り、名声を獲得していくずっと前である。

だがその作風には、もうどうしようもなくドヴォルジャークの血が流れている。40分にも及ぶ長い曲の第1楽章は、同時代の作曲家、例えばチャイコフスキーやグリークのように、いきなりピアノが弾きだしたりはせず、長い序奏が付けられている。古典的な雰囲気も漂わせながら、やがてピアノがテーマを弾きだすと、そのテーマがいろいろに使われ、オーケストラと掛け合いながら、結構長い時間をかけて第1楽章が終わる。ただこの楽章を聞くだけでは、何となく単純な曲に聞こえる。

この曲を聞くきっかけとなったのは、20世紀最大のピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルが伝説の指揮者カルロス・クライバーと競演した珍しい録音があるからだ。共に聴衆の前に姿を現すこと自体が稀な二人の巨匠が、よりによってこんな珍しい曲を正規録音している、というだけで話題性は十分なはずだが、残念ながらこの演奏を聞いても、曲の良さがあまりわからない。私もいつしかラジオで放送された演奏をエアチェックして聞いてみたのだが、地味な曲は地味なままである。この他の演奏はあまり知られていない。もちろん、実演に接することはほとんどない。

それゆえに、なかなかちゃんと聞いたことのない曲だったが、Spotifyの時代が到来し、珍しい録音を含めて数多くの演奏に触れることができるようになった。こうなったら自分の気に入る演奏に出会うまで、聞き続けることができる。そしてとうとう出会たのが、ここで紹介するルステム・ハイルディノフによる演奏だった。伴奏はジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック。2004年の録音、レーベルは英シャンドス。目立たない演奏だが、なかなかこれは大変充実した名演奏であると直感した。

ハイルディノフはロシア生まれのピアニストだが、若い頃にイギリスに留学し、その後王立音楽院の教授になったピアノの教師とのことである。ラフマニノフのCDが出ているようだし、NHK交響楽団とも共演しているらしい。けれどもほとんど知られていないピアニストが、これまたあまり知られていないドヴォルジャークのピアノ協奏曲を演奏している。

第1楽章の明るくて陽気な音楽は、ドヴォルジャークらしい民族的で抒情的なメロディーとしてすでにこの作曲家の特徴が現れてはいるが、チェロ協奏曲のような滋味はさほど感じられず、むしろ若々しいエネルギーが勝っている。若い頃の作品は、どの作曲家でも同様の傾向があり、それは自然なことなのだが、私たちがいつも期待するドヴォルジャークの作風には、まだ一歩近づかないのが本当のところである。それを演奏が補っている。
 
第2楽章は冒頭、ホルンのメロディーに惹きつけられる。どことなく「新世界より」風のメロディーで始まるが、静かな曲である。途中からリズミカルな響きに変わるあたりは、ピアノの特徴をよく捉えており大変魅力的ではある。全体に散文詩的である。

第3楽章のフィナーレは、快活で民族的な曲調の音楽である。ドヴォルジャークはこの曲しかピアノ協奏曲を残していないが、もしかするとピアノで活かせるフレーズが、ドヴォルジャークに合っていなかったのではないかと思わせる。メロディーが平凡で、しかも技巧的でもない。

この演奏を聞いていると、二流の音楽が一流の演奏によって見事に蘇っている様を目の当たりにする。

2020年12月12日土曜日

ドヴォルジャーク:管楽セレナーデニ長調作品44(チョン・ミュンフン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団員)

元NHK交響楽団オーボエ主席奏者の茂木大輔氏によれば、弦楽器はオーケストラの「ごはん(主食)」であるとのことである。落語に造詣の深い氏ならではの、ユーモラスな表現だが、だとすれば管楽器のみで演奏される「管楽セレナーデ」は、逆に「おかず」のみの食事のようなものだろうか。そんな卑近なことを考えながら、ドヴォルジャークの「管楽セレナーデ」を聞いている。この曲は「弦楽セレナーデ」とカップリングされることが多いが、今聞いているチョン・ミュンフンが指揮するウィーン・フィルの演奏も同じである。

しかしCDのジャケットには、「弦楽セレナーデ」の方はWiener Philharmonikerと書かれているが、「管楽セレナーデ」の方には楽団員の名前がずらりと書き記されている。ウィーン・フィルのホームページなどを手掛かりに、これらのメンバーの楽器を調べて行くと、若干二人の弦楽器奏者が混じっていることがわかった。チェロとコントラバスである。だからこれは「管楽器主体のセレナーデ」ということになる。

指揮者、チョン・ミュンフンはこのような小さい編成でも指揮していることになってはいるが、実際にウィーン・フィルの奏者ともなると指揮者などいなくても、素晴らしいアンサンブルを聞かせることは明々白々である。しかもウィーン・フィルが用いる管楽器は、少し古いものが多く、独特の色合いを醸し出す。私はカール・ベームの指揮するウィーン・フィルの、モーツァルトの協奏交響曲などを聞いた時、何とこれらの音楽が微妙な色合いを見せ、雲の合間に見え隠れする11月の空のように、明るくなったり陰ったりするのを目の当たりにして、その音色の虜になった。ここでのウィーン・フィルの演奏は、まさにその管楽器の独断場である。

【演奏者】
オーボエ:Martin Gabriel, Alexander Öhlberger
クラリネット:Peter Schmidl, Andreas Wieser
ファゴット: Štěpán Turnovský, Wolfgang Koblitz, Fritz Faltl
ホルン:Ronald Janezic, Thomas Jöbstl, Wolfgang Vladar
チェロ:Wolfgang Herzer
コントラバス:Herbert Mayr

4楽章から成る20分余りの曲には、無駄が感じられない。おそらくこれだけの小編成で奏でられる音楽としては、ほとんど完璧なものだと思う。第1楽章の葬送行進曲は、「弦楽セレナーデ」と同様に終楽章で回帰するが、このやや暗い音楽は一度聞いたら忘れられない不思議なものである。

第2楽章はメヌエットで、民族的な曲調である。そのスラブ的雰囲気は第3楽章にも引き継がれる。この全体の白眉とも言うべき楽章は、各楽器の絶妙なテクニックとバランス、その重なり合いが堪能できる。自由な時間はたっぷりあるのに、いつも心は哀しく不安だった青春時代を思い出すようなメロディーであり、しみじみと心に響いてくる。コントラバスのピチカートが見え隠れ、チェロが静かに裏で管楽器を支えている。やはりドヴォルジャークは秋が似合う。

終楽章になると快活なリズムが曲を華やかに盛り上げるが、中間部で見せる哀愁に満ちたメロディーがアクセントとなって冒頭の主題が回想される。全体にまろやかな演奏も、最後のフィナーレでは快速に飛ばしてフレッシュな演奏が終わる。それもどこか青春の一面を覗くようである。

2020年11月23日月曜日

ドヴォルジャーク:弦楽セレナーデホ長調作品22(クリストファー・ウォーレン=グリーン指揮フィルハーモニア管弦楽団)

弦楽器ばかりの編成で演奏される「弦楽セレナーデ」の最も有名な曲は、チャイコフスキーとドヴォルジャークによって作曲された。この2曲は、まだクラシック音楽のLPが高価だった時代に、よくカップリングされて発売された。特に「ベスト100」の類の、いわゆる廉価版・再発物は、有名曲を並べるのが通例であったから、まさにこの組み合わせはその代表的なものだった。

私が、最初にこの2曲を収録したディスクを聞いたのは高校生の頃で、ネヴィル・マリナーが指揮するものだった。マリナーの演奏する弦楽セレナーデは、主宰するアカデミーのオーケストラの特長を生かしたもので、確固とした演奏は非の打ちどころがなく、いつものように大変素晴しかった。特にチャイコフスキーの方は、もともとドヴォルジャークに比べてより洗練された音楽で、私もそれ以前から聞いており、「アンダンテ・カンタービレ」をはじめとして魅力的な部分に事欠かない。だが意外なことに私を捉えたのは、どちらかといえばB面に入っていたドヴォルジャークの方だった。

ドヴォルジャークの弦楽セレナーデ(1870年)は、チャイコフスキーの方(1875年)に先立って作曲された。ドヴォルザークがチャイコフスキーの作品を聞いてから作曲したとは考えられないが、その逆はあり得る。そして冒頭の主題が最後に回帰するあたりや曲の長さなど、両者はよく似ている点もある。しかしやや都会的な感じがするチャイコフスキーに比べ、ドヴォルジャークの弦楽セレナーデは、終始民族的なメロディーが一貫し、素朴で抒情的な魅力を凝縮したような作品である。

マリナーによるドヴォルジャークの弦セレは、少し派手な感じがしていた。こういう曲はもっとしっとりと演奏してくれと主張しているような気がしてならない。曲の方が演奏を指定しているのである。そういうわけで、心に響くような、懐かしさがこみ上げてくるような演奏に出会わないものだろうか。私にとっての弦セレを求める旅は、このようにして始まった。

コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送管弦楽団の演奏(1987年録音)に出会った時、おそらくこれが理想的なものだと感じた。遅いテンポと、そこに寄り添う控えめでありながら芯のある演奏は、この指揮者の長所が現れたものだ。そしてまた、あるときふと耳にしたアレクサンダー・シュナイダー指揮ヨーロッパ室内管弦楽団による演奏(1984年録音)もまた、ゆったりと流れる遅めの演奏と静かな抒情性を湛えていて大変魅力的であった。このように、特にドヴォルジャークの弦セレの名演には、イギリス人によるものが大変多い。

だがこれまでに触れた演奏は、いずれもどことなくインターナショナルな響きである。発売されるたびに大きなる期待を持って聞くのだが、最終的にこれだとほれ込むには今一歩何かが足りないと感じていた。第1楽章の冒頭は、もっとゆっくりでもいい。そっと頬を撫でるような繊細な演奏は、どこかにないものだろうか、と勝手にこの曲の理想のイメージを描き、それを追い求めている自分を納得させる演奏に、なかなか出会うことができないと嘆いていた。

そんな私を、聞いた瞬間、これだと思わせる演奏に出会ったのは、やはり1980年代後半のことだった。Chandosという、我が国ではまだあまり知られていなかったレーベルから発売されたクリストファー・ウォーレン=グリーン指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏(1986年録音)に出会ったのである。

クリストファー・ウォーレン=グリーンなどという指揮者は無名で、そんな指揮者がいるのかと思ったが、オーケストラはメジャーなフィルハーモニア管弦楽団である。良く読んでみると彼は、このオーケストラのコンサート・マスターをしている人であった。そのウォーレン=グリーンが指揮する弦セレのCDは、何と第1楽章が5分半もかかるゆったりとしたもので、私はこの曲に求めていた究極的な繊細さを実現してくれていたのである。

このウォーレン=グリーンの指揮する弦セレを聞くと、私はなぜか北海道のローカル線を思い出す。誰も乗り降りしないような無人駅を、わずか1両の列車が停まって、一人の若者を残し去ってゆく。晩秋の北海道は紅葉も終わり、初雪が舞いそうな陽気である。何もない山間の中を、ひとり旅する若者は一体どのような人なのだろう。丸で松山千春のレコードのジャケットに登場しそうな光景であるが、人間のイメージと言うのはどこかで目にした風景や光景が、何かと結びついて固定化されてしまうようところがある。特に若い頃のそれは、いつまでたっても枯れるどころか、やがていい塩梅に美化されてゆく。丸で枯れ木にこびりつき、一冬を超すと雪のような結晶と化すザルツブルクの岩塩のように。

というわけで何十年かぶりに聞くウォーレン=グリーンによる弦セレは、私を再び北海道の大自然へと誘ってくれた。それがボヘミアやスコットランドに似ているのかどうかは、訪ねたことがないのでわからない。ウォーレン=グリーンの演奏は、第2楽章になってやや勢いを取り戻すが、基本的には終始同じ感じである。残響が多い録音なので、やや厚ぼったく、丸でイージー・リスニングか映画音楽のように聞こえる時がある。けれども決して女々しい演奏ではないようにも思う。

第1楽章の控えめ目な冒頭の主旋律が、やがて転調されて再現されるところの処理が、高音の弦を活かして見事である。そして第2楽章のワルツや、第3楽章のスケルツォを経て第4楽章のラルゲットに至る時、再び静かで内省的な部分がアクセントとなって胸に迫って来る。ここは、この曲の真骨頂と思う。緩急の音楽がうまく配合され、聞いていて飽きなてこないのは、弦楽器のみの作品としては稀有なことのように思う。これを聞いてチャイコフスキーは、自らの弦セレの作曲を思い立ったのであろうか。

モダン楽器による演奏が影を潜め、より小さい編成でスッキリと引き締まった演奏が主流となった90年代以降に置いて、ほとんどこの曲の新しいリリースを聞かなくなった。そんな中で、かのウィーン・フィルが遂にこの曲を演奏したのは、ちょっとした驚きだった。指揮者はドヴォルジャークには定評のあるチョン・ミュンフンで、手の込んだ音楽づくりはまさにこの曲の新たな魅力を引き出していると言える。丸で絵の具を重ね行くように、弦楽器が交わって聞こえるのは、どの瞬間をとっても味わい深い。私はこの演奏もまた、大変優れたものだと思う。だが、あの北海道の大自然を行く鄙びた風情は、ここからは感じられない。

2020年11月。私は下川町に住む友人を訪ねて、初めて名寄に行った。かつて名寄本線や深名線が交差し、北の分岐点だった町は人口も減ってしまった。冬の平均気温が氷点下10度にもなるという極寒の地の秋は短い。塩狩峠を越えて旭川に向かう帰り道、私は初雪の残る宗谷本線の駅を、一台の列車が通り過ぎるのに出くわした。慌てて写真を撮った。まだ2時だというのに空はどんよりと曇り、その合間から優しい青空が見えた。



2020年11月16日月曜日

メンデルスゾーン:交響曲第2番変ロ長調作品52「賛歌」(S: バーバラ・ボニー、エディス・ウィーンズ、T: ペーター・シュライアー他、クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)

メンデルスゾーンの交響曲第2番「賛歌」の冒頭の主題を聞いて、どこかで聞いたことのあるメロディーだと感じた。校歌か軍歌の類、あるいは昔の放送番組の主題歌か何かではないかと思いめぐらしたが、出てこない。いろいろ検索していくうち、滝廉太郎の「箱根八里」であることが判明した。これは偶然であろうか?

ところがもう一曲、やはり滝廉太郎の有名な「荒城の月」が、メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」の第1楽章冒頭によく似ているというのである。あらためて聞いてみると、確かにそうだ。これはもう何らかの関係があるの見て良いのではないか?滝廉太郎と言えば、「春のうららの隅田川」で始まる「花」など、我が国の童謡や歌曲を数多く作曲した人だが、若干23歳で若すぎる死を迎えた。そのメロディーの美しさは「日本のシューベルト」などと例えられる明治時代の作曲家である。

メンデルスゾーンが滝廉太郎の音楽に影響を与えたのは事実だろうか?そう考えながら、滝廉太郎の生涯を読んでいたら、何と彼は明治34年(1901年)、22歳の頃にヨーロッパに渡り、ベルリンを経て何とライプツィヒ音楽院に入学しているのである。ライプツィヒ音楽院はメンデルスゾーンが設立した音楽院である。その前に滝はクリスチャンとして洗礼を受けている。

ところが「荒城の月」や「箱根八里」が作曲されたのは、渡欧する直前の1900年のことである。従って滝は、日本にいる頃にメンデルスゾーンの楽譜に出会い、その音楽を模してこれらの歌曲を作曲したと想像することができる。そしてメンデルスゾーンを滝は慕い、わざわざライプツィヒに向かったのだろうか。しかし彼の肺を蝕む結核にかかるのは、入学後わずか5か月のことだった。

メンデルスゾーンはユダヤ人の家系に生まれたが、キリスト曲に改宗し、数多くの宗教的作品を残している。バッハの大曲「マタイ受難曲」を蘇演したことはメンデルスゾーン最大の功績とされている。そのメンデルスゾーンの交響曲第2番は、まるでカンタータのような作品である。第1楽章から第3楽章までの管弦楽のみの部分を第1部とし、後半の9つのパートから成る第2部には、合唱と独唱、それにオルガンも加わる「賛歌」となる。この作品はベートーヴェンの「第九」のように、交響曲に合唱を取り入れた作品となった。メンデルスゾーンの他の交響曲作品とは、やや趣を異にしている。

その冒頭の主題は、第2部の冒頭でも繰り返される。だが「この歌ではない」とあえて否定したベートーヴェンの、いわばキリストを越えたところにある神とは違って、メンデルスゾーンの神は、まさしくキリストの神である。カンタータ風の音楽は、神を賛美し主を讃える。メンデルスゾーン独特の楽天的な推進力と、ちょっと間の抜けた主題がこの音楽の特徴だと思う。

メンデルゾーンには「エリア」のような大作があるので、この曲については何かを語るのが難しい。主題の動機をいろいろな変奏に仕立て上げ、重ね、分解し、そのようにして音楽を構成してゆく様は、この曲でも明らかだが、その主題がちょっとイージーな印象を残すのは私だけの感想だろうか。だがそのことを省けば、全編に流れる幸福な音楽は、紛れもなくメンデルゾーンである。

メンデルゾーンと言えばマズア、マズアと言えばメンデルゾーンというくらいにメンデルスゾーンを愛し、その音楽を一生の間演奏し続けたクルト・マズアは、長年に亘ってメンデルスゾーンゆかりのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めた。日本人の妻を持つこともあってか頻繁に我が国を訪れ、日本のオーケストラも指揮している。私はゲヴァントハウス管弦楽団とともに大阪で開いた80年代のベートーヴェン・チクルスを始め、何度も実演を聞いている。特にニューヨーク滞在中は、冷戦後に音楽監督を務めたニューヨーク・フィルハーモニックの定期演奏会に、何度も足を運んだ。

自然体でありながら推進力があり、豊穣なメロディーを、まるで暖かい色の絨毯のような弦楽アンサンブルが奏でる響きが魅力的である。この傾向は、まさにメンデルスゾーンの特長そのものである。数あるメンデルスゾーンの演奏の中で、この交響曲第2番の演奏もまた、手慣れた様子で突き進む魅力的な演奏である。他の演奏で聞くとぎこちない部分が、マズアの手にかかると全く見えないばかりか、必然的なものに聞こえてくるのが不思議である。ドイツ的というのではなく、むしろモダン。マズアは目立たない指揮者だったが、実演で聞くとほぼ外れることがない指揮者でもあった。

長年ドイツで活躍しながら、ドイツ的な重厚さには乏しく、自然過ぎてあまり感動的でもない演奏をすると思われていたマズアが、何とメータの後任になってニューヨークへ赴いた時は少々驚いた。当時、ボストンには小澤征爾、フィラデルフィアにはサヴァリッシュがいた。三人に共通するのは、実に精力的に演奏会をこなし、速いテンポでオーケストラをドライブする技巧的な手さばきである。そしてこの3人に共通するのが、メンデルスゾーンを得意とし、名演奏を残していることである。

そのマズアのメンデルスゾーンとして交響曲第2番「賛歌」に登場してもらった。マズアのよるメンデルスゾーンの演奏は、一貫してイン・テンポにより集中力を絶やすことがない。この結果、第1部冒頭の間延びした主題やその変奏も、それなりに音楽的。続く第2楽章は、丸で舞曲のような明るさで、この曲が宗教曲であることを忘れてしまいそうになる。第3楽章も緩徐楽章とはなっているが、伸びやかなセレナーデである。

この曲のマズアによる演奏では、楽章間に切れ目がない。再び第1曲の「箱根八里」が聞こえてくると、そこからが第2部(後半)である。後半は合唱と独唱を伴うが、まずこのメロディーを合唱が歌う。「箱根八里」は箱根登山鉄道の発車メロディーに使われているらしいが、どことなくこれから遠足に行くような気分にさせられる。

マズアの演奏は、ライプツィヒ放送合唱団と三人の独唱(ソプラノがバーバラ・ボニー、エディス・ウィーンズ、テノールがペーター・シュライアー)がいずれも素晴らしく、オルガンを含めた録音もバランスよく秀逸である。全部で9曲ある後半は、ルターが完成させた旧約聖書からの文言が歌詞として用いられているという。合唱が独唱と絡んで高らかに神を讃える部分や、丸でオペラを思わせるような部分、それにフーガなど様々な音楽的要素があるし、メロディーは親しみやすいのだが、どこかインパクトが少ないのも事実で、その辺りがこの曲の限界といったところ。終曲に至って再び、この曲を通したモチーフが現れて終わる。

2020年10月29日木曜日

ベルリオーズ:「死者のための大ミサ曲」ト短調作品5(T: キース・イカイア=パーディ、コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン他)

シャルル・ミュンシュに代表される熱狂的ベルリオーズ演奏の系譜を主流と見る人がいる一方で(我が国にはその傾向が強いし、もしかするとベルリオーズ自身もそう期待していたかも知れないが)、このフランス人作曲家を客観的に再評価し、その管弦楽曲をすべて演奏し録音したコリン・デイヴィスの演奏は、沈着冷静でバランスが良く、丸でお手本のような演奏ながらベルリオーズの魅力を伝えて止まない。デイヴィスの演奏を聞いていると、ベルリオーズが単に情動的な音楽の作り手ではなく、むしろ精緻で繊細な音が魅力の作曲家と思えてくる。この2つの傾向は対照的である。

そのデイヴィスのベルリオーズ録音の中で、どれがもっとも優れているか、というのは愚かな問いではあるが、経済的に制限のあるコレクターにとっては深刻な問題だった。2000年代になってデイヴィスは、ロンドン交響楽団と主要な作品を再録音している。だが一般的には、古い60年代から70年代にかけての演奏の方が、いまだ色あせることがなく新鮮である。新しいロンドン響との演奏には、古い演奏を超える魅力に乏しいように私には思える。

いまでこそ全集が超廉価ボックス・セットで投げ売りされ、YouTubeなどによって無料映像を無制限に見ることができる時代になったが、それまでは「レクイエム」などの、長大な作品に投資することは大変勇気のいることだった。にもかかわらず、気楽に安価に聴ける時代になった今の方が音楽に耳を傾けることが多いかと言えば、必ずしもそうではない。一体何人の人がベルリオーズの「レクイエム」を音楽配信サイトで聞いているのかはわからない。熱心な聞き手はむしろ、生の演奏会場へと足を運ぶ。たとえ何倍もの金額を払ったとしても、その方が得られる感動が大きいことを知っているからである。ただベルリオーズの「レクイエム」のような作品は、演奏される機会がそもそも少ない。それはこの曲の演奏が、時に1000人にも届くような人数を必要とするからだ。

当時としては桁違いに大規模な作品ではあるが、その中身は純粋にして静かな部分が多い。そのギャップもまた激しいのが本作品の特徴である。これは一方で高い録音技術を必要とする。オーディオ・ファンに好まれる作品である。演奏時間は90分に及ぶ(全10部)。テノール独唱と東西南北に配置された4つのバンダを含むオーケストラには、8台のティンパニも含まれる。合唱は混声6部で、場合によっては800人規模になるという。これだけの規模の作品は、ロマン派のワーグナーやマーラーの時代になって作曲されるに至ったのではなく、すでにベルリオーズによって実現されていた。1837年のことであった。ワーグナーがベルリオーズから影響を受け、それがマーラーに受け継がれた。

ベルリオーズの「死者のための大ミサ曲」は、一般的なレクイエムの曲順とは異なっているのも特徴だ。劇的作品を数多く作曲したベルリオーズの自由奔放な創作意欲は、このような宗教的分野にも及んでいる。曲は通常通り「キリエ」で始まるが、その後は「ディレス・イレ」。「ベネディクトゥス」が登場しない一方で「サンクトゥス」が随所に現れる、といった具合。堅苦しいことは考えず、純音楽的に楽しむというのがこの作品に対するアプローチの一つの方法だろう。できればゆったりと時間の流れる静かな空間がある時に、ひとり静かに耳を傾けてみたい。そんな時間は私の場合、すでになくなって久しいが、幸いデバイスの進化のおかげで、家族とは離れることのできる早朝か夜間の散歩時に、少しずつ聞き進めることができる。

10月になってようやく秋めいて来たこの時期。さわやかな風が吹き抜けていく都会の朝に、私はこの曲を持っていった。冒頭の「レクイエム」の静かな合唱が厳かに流れてくると、丸で吟醸酒を飲んでいるかのような陶酔感が全身を覆った。現代社会に生きる我々でも、一度このようなメロディーを聞くと雑事を忘れ、心が落ち着いてくるのが自覚できる。静寂のうちに10分を超える清々しい時間が過ぎてゆく。

次の「怒りの日」で早くもクライマックスを迎える。四角に設えられたバンダとともに、8台ものティンパニが金管和音と共に鳴り響く。凄まじいまでの音楽的立体効果は、優秀なレコーディング・エンジニアを悩ませてきたことだろう。ここの録音を、他の部分とどう対照づけるかが、ひとつの聞きどころではある。この曲のクライマックスが前半に置かれていることによって、この曲を最初に聞いた時には何か煮え切らないものが残ったような気がした。だがそれも最初だけである。なぜならベルリオーズの真骨頂は、後半の静かな部分にこそたっぷりと用意されているからだ。

続く第3曲あたりからは、静かな部分と派手な部分が交互に現れる。比較的短い第3曲「クィド・スム・ミセル(そのとき憐れなる我)」のあと、管弦楽主体の部分(第4曲「レクス・トレメンデ(恐るべき御稜威の王)」)や、逆に合唱のみの部分(第5曲「クェレンス・メ(我を探し求め)」)が続く。このあたりは、実際の演奏で聞いてみたい。それぞれの楽章の色付けの違いや、聞こえてくる音の多彩さを実感すると思うからだ。

続く第6曲「ラクリモサ(涙の日)」は、今一つのクライマックスと言える。再び四角のブラスバンドと合唱が、「最後の審判」を描く。大音量が鳴り響くときでさえ、ベルリオーズの音楽は純粋で透明感を失わない。そのあたりが情動的でありながら天国的な美しさを併せ持つという、独特の離れ業とも言うべきものの実体である。

各楽章が10分程度とたっぷりなのも嬉しいが、第7曲「ドミネ・イエズ(主イエス・キリストよ)」は再び管弦楽主体の部分で、しかも極めてロマンチック。ベルリオーズの音楽の魅力を簡単に言えば、フランス風バロックの手法を残しながらも、ロマンチックなことだと気付く。以降の音楽で、もはや大音量の効果は登場しない。精緻で純音楽的な魅力こそが、この大規模な曲の真骨頂なのだと気付かされてゆく。

第9曲「サンクトゥス(聖なるかな)」で活躍するのは、テノールの独唱である。天国的に美しい天使の歌声は、できれば少年合唱で聞きたいと思うのだが、これを採用しているのはコリン・デイヴィスの古い録音である。そしていよいよ終曲「アニュス・デイ」では、冒頭の第1曲「レクイエム」のメロディーが再び登場する。まるで魔法にかかったかのように、心が洗われてゆく。90分にも及ぶ大曲は、静かに染み入るように終わる。ベルリオーズはこの曲をたった数ヶ月で作曲したが、その初演を依頼された政府からキャンセルされるという逸話が残っている。彼はそれでも諦めず、同じ年の暮れに初演にこぎつけた。生前、ベルリオーズは「もし自作で一つの作品を残すだけとするならば、《死者のためのミサ曲》を残してもらうだろう」と語ったという。

この大規模な曲を記録した演奏にはいくつかあるが、ベルリオーズの第1人者コリン・デイヴィスに関して、古いフィリップス録音の方が新しいLSO Live盤よりも、おしなべていいとすでに書いた。ところがこの「レクイエム」に関しては、いくつかのことがわかっている。まず古いフィリップスの録音は、かならずしも録音の観点で満足できるものではないということである。少し聞いてみれば、それはわかる。そこでフィリップスを退社したエンジニアが満を持してリリースしたのが、この録音のリマスター盤(Pentatone)である。Pentatoneは、リリースするすべてのディスクがSACD仕様となっている。どのようにして2chを5.1ch仕様に仕立て上げるのか、細かいことはわからない。しかも私はSACDの聞けるプレイヤーを持っていない。このことから、たとえこのディスクを入手したところで、聞くことができるのはCD層ということになってしまう。一方、LSO Live盤もまたSACDとのハイブリッド盤で、もしかするとSACDでならこの曲の持つ破格の広がりを捉えているのかも知れない。しかし上記の理由で、私はこの演奏も諦めるしかない。

ところがデイヴィスの「レクイエム」には、これらのほかのシュターツカペレ・ドレスデンとライブ収録したディスクが存在するのである。これは1994年2月のことで、ドレスデン爆撃戦没者追悼演奏会として極寒の中、演奏された。いわば特別な演奏会を収録したこのディスクは、静謐な部分でさえ何か熱いものを感じるもので、その様子が良く捉えられている。

一連のベルリオーズの作品を、コロナ禍で不自由な今年、順に聞いてきた。そのあとで感じるのは、この作曲家が持つ美しい調べと、限りない魅力を讃えているにもかかわらず、あまり評価されていないことである。私は特に、どんな作品でも実演で聞いてみたいと思った。「キリストの幼時」や「レクイエム」は、しなしながら演奏される機会が極めて少ない。新型コロナウィルスの蔓延によって変わってしまった世の中から演奏会が消えてしまった。一部は再開の動きも見られるが、小規模な音楽が中心である。大人数が大声で歌うベルリオーズの作品は、それが再びステージに上がるまで長い年月を要するに違いない。私は生きている間に、これらの作品に触れる機会は、もうないだろうと思う。いや今年は、ベートーヴェンの記念の年であるにもかかわらず、あのお祭り騒ぎのような「第九」もすべて流れてしまったようだ。

【収録情報】
第1曲 入祭唱とキリエ
第2曲 ディエス・イレ(怒りの日)
第3曲 クィド・スム・ミセル(そのとき憐れなる我)
第4曲 レクス・トレメンデ(恐るべき御稜威の王)
第5曲 クェレンス・メ(我を探し求め)
第6曲 ラクリモサ(涙の日)
第7曲 ドミネ・イエズ(主イエス・キリストよ)
第8曲 ホスティアス(賛美の生贄)
第9曲 サンクトゥス(聖なるかな)
第10曲 アニュス・デイ

キース・イカイア=パーディ(T)
ドレスデン国立歌劇場合唱団
ジンフォニーコール・ドレスデン
ジングアカデミー・ドレスデン
シュターツカペレ・ドレスデン
コリン・デイヴィス(指揮)

2020年10月20日火曜日

サルスエラ名曲集(イーゴリ・マルケヴィチ指揮スペイン放送交響楽団)

ロシア生まれの巨匠、イーゴリ・マルケヴィチは、1960年代にスペイン、マドリッドにある国立放送局(RTVE)のオーケストラを指揮していたことは、あまり知られていない。この頃スペインは独裁政権の時代である。そして、そのような中で、スペインの民族舞台劇であるサルスエラの名曲集をフィリップスに録音している。このような珍しいCDは、掘り出し物の類であろう。私は池袋のHMVに毎週のように出かけては、数枚のCDを買うという生活を繰り返していた時期があるが、ある日このCDが目に留まり、サルスエラとは何かもしらないままレジへ向かったのを覚えている。

サルスエラとは、スペイン語によるオペレッタのような音楽劇で、様々な歌や踊りが入れ替わり立ち代わり登場する賑やかなもの。そのごちゃまぜな様子は魚介スープ「サルスエラ」にも転用されている。あの名歌手プラシド・ドミンゴは、両親がサルスエラの歌手だったこともあり、サルスエラに対する思いはことのほか強いようだ。「サルスエラのロマンス」という歌曲集もリリースしている。また「三角帽子」や「恋は魔術師」で有名なファリャも、若い頃はサルスエラの作曲をしていたようだ。

そのサルスエラの名曲集を、マルケヴィチが演奏しているというのが面白い。マルケヴィチと言えば、我がNHK交響楽団を指揮していた頃の晩年の姿が目に浮かぶ。「展覧会の絵」や「悲愴」などの映像を見ると、ロシアの大地を思わせるような動じない指揮ぶりは、丸で剛速球を投げ込む投手のような感じで、CDで聞く「春の祭典」のハイ・テンションな「爆演」はあたかも戦車が行くがごとくであった。

このCDに収録されているのは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した作曲家の、12種類のサルスエラである。情熱的な指揮、そして音楽は、冒頭からトランペットが鳴り響くことで始まる。カスタネットやトライアングルなどの打楽器も混じり、全編これスペインの音楽を満喫させてくれる。終始ブンチャ・ブンチャのリズムが続く。アリアや合唱が入る曲もあるが、どちらかというと管弦楽が主体の場面が多い。例えば、有名なペネーリャの「山猫」からは、舞踊音楽「パソドブレ」が取り上げられている。

闘牛とフラメンコ。このいずれにも実際には接したことはないのだが、その光景が目に浮かぶようである。マドリッドを始めとするスペイン各地の大変有名な曲ばかりを集めているようだが、詳細はよくわからない。そこでいろいろ検索していると、東京に日本サルスエラ協会(Asociación de la Zarzuela de Japón)というのがあることがわかった。何と東京で、日本人により、有名なサルスエラの舞台を制作、上演しているようなのである。だから私かここに下手くそな解説を書くよりも、専門家に任せようと思う。サルスエラの魅力について、ホームページに詳しく書かれている(https://www.zarzuelajp.com/)。

この珍しいCDは、サルスエラとはどういう音楽か、ということを知る手掛かりとなることに加え、それをロシアの巨匠が大変生々しく指揮しているという風変わりな魅力に溢れた一枚である。1967年の録音。


【収録曲】(ジャケット裏面を参照)
1. ビーベス: サルスエラ「ドニャ・フランシスキータ」より
2. ヒメネス: サルスエラ「早咲きの娘」より
3. ヒメネス: サルスエラ「ルイス・アロンソの踊りの宴」より
4. ブレトン: サルスエラ「ラ・パロマの夜祭」より「セギディージャ」ほか
5. ルーナ: サルスエラ「ユダヤの子」より「インドの踊り」ほか
6. ペネーリャ: サルスエラ「山猫」より「パソドブレ」
7. アロンソ: サルスエラ「ラ・カレセーラ」より
8. チャピ: サルスエラ「榴弾隊の鼓手」より
9. チャピ: サルスエラ「人さわがせな女」より
10. チュエカ: サルスエラ「水、カルメラ、焼酎」より
11. バルビエリ: サルスエラ「ラバピエスの理髪師」より
12. カバリェーロ: サルスエラ「巨人と大頭」より

2020年10月19日月曜日

サラサーテ:「ツィゴイネルワイゼン」他(Vn: ユリア・フィッシャー、P: ミラナ・チェルニャフスカ)

 スペインの名ヴァイオリニスト、パブロ・デ・サラサーテが作曲した名曲「ツィゴイネルワイゼン」とは、「ジプシーの旋律」という意味である。タイトルがドイツ語なので、どこか中欧の雰囲気のする曲だと勘違いしていたが、これはれっきとしたスペインの曲、ということになる。サラサーテは、自らが学んだパリのほか、ヨーロッパ各地を旅してヴァイオリンの演奏を披露した。従って、ヴァイオリンの技巧を凝らした曲ばかりである。

「ツィゴイネルワイゼン」は、確か中学校の音楽の教科書で取り上げられていたから、私は音楽の授業時間に聞いた。ここでの演奏は、オリジナルの管弦楽を伴奏にしたものだった。私はキーキーとなるヴァイオリンの音が当時は苦手で、特に中間部などはそのゆるゆるした部分が長く続くので、あまり楽しめないと思っていた。ところが母が、この曲のレコードを聞きたいと言い出した。我が家には当時、「ツィゴイネルワイゼン」のレコードがなかったのである。

私は大阪のニュータウンに住んでいたが、近所の駅にあるレコード屋に出かけた。もっとも畳2畳ほどの狭い店である。そこにクラシックのレコードなど数える程しか置かれていない。けれども一枚一枚探してみると、ドーナツ盤の中に「ツィゴイネルワイゼン」のレコードを発見した。これは当然45回転である。そしてその演奏は、誰のものだったかは忘れたが、ピアノを伴奏にしたものだった。そして中間部の退屈さは、管弦楽版以上だった。大阪では吉本新喜劇にも「ツィゴイネルワイゼン」は使われているから、それなりに有名だったのだろう?

この時の記憶があるからだろうか、私は「ツィゴイネルワイゼン」を聞くと、昭和の初期の喫茶店などで蓄音機から流れてくる、ノイズ混じりの演奏を想起してしまう。特に長い中間部のゆったりとした旋律は、セピア色の背景に揺れ動き、時にノイズに埋もれるような噛みしめるような静かな演奏。その演奏はピアノをバックにしたものがいい。というわけで、私もこの曲は、ピアノ伴奏版の中から選ぶことにした。もちろん管弦楽版では、あのムターの立派な演奏や、パールマンの素晴らしい名演奏などが目白押しである。

そのような中で、ユリア・フィッシャーが2014年にリリースした一枚が目に留まった。このCDは、珍しい曲を含めサラサーテの曲ばかりが収められている。そのような中で私は「バスク奇想曲」や「アンダルシアのセレナード」といった曲を聞いてみたいと思ったからだ。特にバスク地方を題材にした作品は、あまり記憶にないことから大変興味深い。サラサーテ自身、バスク人だということからだろうか。

このCDには「スペイン舞曲集」という全8曲から成る代表作が収録されている。様々な地方の様々な音楽を用いた作品で興味深い。いすれもヴァイオリンの技術を駆使した作品である。このCDの収録順は変わっていて、このスペイン舞曲の第7番、第8番が先頭である。そして「アラゴンのホタ」、「アンダルシアのセレナード」と続くのだが、この曲順がなかなかいいと思う。第8番のスペイン舞曲「ハバネラ」は、どこかで聞いたことがあるような気がした。「アンダルシアのセレナード」は、静かな曲かと思いきや、リズムの変化の激しい曲である。全体に何か懐かしいムードがあって、ヴァイオリンによるスペイン紀行といった感じである。

一方「ナイチンゲールの歌」はロマンチックな少し変わった作品で、この曲が丁度真ん中に収められている。後半はスペイン舞曲に戻るが、ここからは一気に最後までさわやかな演奏が続く。中でも第5番「プラジェーラ(哀しみ)」で物思いに沈んだあと、第6番「サパテアード」で一気に駆け抜ける爽快な気分は、聞けば聞くほど味わい深い。だがダウンロードやストリーミング配信が中心となった現在、かつてのような曲の収録順は、さして意味を持たないものになってしまったのは、ちょっと残念ではある。

フィッシャーの演奏は、サラサーテについて私がいつも想像する、古色蒼然とするセピア色の演奏からはかけ離れた、完全に現代のフレッシュな演奏である。彼女の驚くべき技巧が、そのように感じさせてくれる。「ツィゴイネルワイゼン」などはそれゆえに、若干思い外れのような部分がないわけではない。洗練され過ぎているとでも言おうか。だがそれも、彼女の類稀な技巧ゆえのことなのだろうと思う。

管弦楽版の演奏は、アンネ・ゾフィー・ムターの演奏とパールマンによるものが優れていると思う。特に後者は、この曲の持つムードをよく表現している。サラサーテの名曲「カルメン幻想曲」は、ビゼーの作品を元にした曲だが、アンコール・ピースとして有名である。やはりムターの演奏が、ウィーン・フィルというゴージャスなバックを得て非の打ち所がない。


【収録曲】(曲順は入れ替え)
1. スペイン舞曲集
  第1曲: マラゲーニャ
  第2曲: ハバネラ
  第3曲: アンダルシアのロマンス
  第4曲: ナバラのホタ
  第5曲: プラジェーラ(哀しみ)
  第6曲: サパテアード
  第7曲: エル・ビト
  第8曲: ハバネラ
2. 「アラゴンのホタ」作品27
3. 「アンダルシアのセレナード」作品28
4. 「ナイチンゲールの歌」作品29
5. 「バスク奇想曲」作品24
6. 「ツィゴイネルワイゼン」作品20

2020年10月13日火曜日

ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」(カンタオーラ: マリーナ・エレディア、パブロ・エラス=カサド指揮マーラー室内管弦楽団)

 ファリャの「三角帽子」と並ぶもう一つの名作が、「恋は魔術師」である。演奏時間は25分程度と「三角帽子」に比べると少し短いが、より鮮烈な印象を残す名曲と言える。「三角帽子」と同様、女声の独唱が取り入れられているが、これは主人公のジプシー娘である。

私は「恋は魔術師」の中で踊られる「火祭りの踊り」を、クラシック音楽を聞き始めた最初の頃(つまり小学生の低学年の頃)に聞いた。モーツァルトやウィンナ・ワルツのような、いわゆる上品な作品とは異なって、何やら不気味な音楽が異質に聞こえ、あまり好きにはなれなかった記憶がある。だが印象には残った。

火を扱った描写音楽として、この「火祭りの踊り」は傑出したものであろう。そして火を祭るという、どこか異教徒めいているのが面白いところで、やはりスペインはイスラムの影響を受けた国だということを思い起こさせる。もっとも我が国には火を祀る伝統もあって、土着的で原始的な雰囲気がそこにはある。

「恋は魔術師」を全編聞いたのは、しなしながら比較的最近になってのことだった。「三角帽子」の後に収録されているディスクが多いから、この2つの作品はセットである。そしてアンセルメの歴史的名盤を取り上げたあとになって、私は「恋は魔術師」をもっとも最近の演奏から選ぼうとした。その結果、スペイン生まれの指揮者、パブロ・エラス=カサドが指揮するマーラー室内管弦楽団の演奏に出会った。聞いた瞬間、これだと思った。

わざわざ最新の演奏から名演奏を選ぼうとしなくても、この演奏はおそらくアンセルメ以来の代表的な演奏になるだろうと思われる。新古典的なラディカルさを持って耳に迫って来るリズムも情熱的で、それを最新の録音技術が良く捉えている。さらには起用された女性歌手が、フラメンコの歌い手だと知った時、この演奏がもたらす独特のムードの秘密がわかった。

マリーナ・エレディアという歌手(カンタオーラというらしい)が地声のような声で歌う箇所は、3か所ある。まず「悩ましい恋の歌」では、激しく刻まれたアンサンブルに乗って、叫びのような声が披露される。こういう歌を聞いていると中世の世俗音楽が、そのまま20世紀に残っているように思う。「恐怖の踊り」と「火祭りの踊り」を挟んで再び飾らない声が響くのは「きつね火の踊り」である。

「きつね火」とは何だろうか?この機会に調べて見ると、これは我が国で伝わる怪火のことで、火の気のないところに漂う不気味な火のことだとわかった。これはつまり、人魂のことではないだろうか。だがスペインに「きつね火」があるのだろうか?そこで原題を調べると「fuego fatuo」とある。これをスペイン語の辞書で調べて見ると、山野にともる不気味な青い炎の画像が沢山検索された。我が国であれスペインであれ、鬼火、人魂、あるいは死体などから発生する不可解な炎に関する伝承はあるようなのである。

「恋は魔術師」を聞いて感心するのは、ピアノがオーケストラの楽器と完全に同化して、実に効果的に使われていることだと思う。通常、オーケストラの中にピアノが混じると、協奏曲とはいかないまでも独奏主体の部分が目立ちがちである。しかしこの曲ではそういうことはなく、しかもオーケストラの中に埋没してもいない。

後半は静かな部分が続くが、これも幻想的である。そして簡素な終曲を迎える。亡霊を扱った作品に、魔術や呪術が登場し、音楽的な情景描写も極まった感がある優れた作品だと思った。2019年のリリース(ハルモニア・ムンディ)。

2020年9月29日火曜日

ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」(S: テレサ・ベルガンサ、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団)

エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団によるファリャのバレエ音楽「三角帽子」の演奏は、今もって色褪せることなく聞き手に幸福感をもたらす名盤である。録音は1961年、今から60年も前のものである。「情熱の国」スペインの色彩感豊かな音楽の演奏に、何もそんな古いものを持ち出さなくても、もっと他にいい演奏があるだろうに、などと思うことなかれ。たとえ新しいデジタル録音された演奏があったとしても、この演奏の価値が下がることはないだろう。

このディスクを、私はまだCDが出始めた頃に買っている。このCDを買った当時のコレクションは、まだ10枚目にも達していない頃だった。自分のお金で買ったCDとしては随分な出費だった。それだけ思いが強かったと言える。だが今回この曲を取り上げるに際して、このいかにも古い(それは私が生まれるよりも前の録音である)アナログ録音をわざわざ取り上げるべきかと迷った。だがその思いは、冒頭の演奏を改めて聞いた瞬間に吹き飛んでしまった。

バレエ音楽「三角帽子」はファリャの代表作で、アンダルシア地方を舞台にした物語である。ここで踊られる音楽は、冒頭のティンパニとトランペット、そこに間髪を入れず加わるカスタネットによる強烈なリズムで始まる序奏に象徴されているように、終始スペイン色満載である。沸き立つようなリズムと情熱的なメロディー、それに2か所で歌われる粉屋の女房の歌声。スペインの踊りを含むバレエ作品は数多いが、この曲は全編がスペインの踊り。それを聞くだけでもワクワクするのだが、どういうわけかコンサートのプログラムにのぼることは滅多にない。私も実演で聞いたことはない。

「三角帽子」は役人の象徴で、粉屋の女房に横恋慕した悪代官は、村人たちによって徹底的に茶化される。いわばこれは風刺の効いた反権威的物語というわけである。そしてどどういう関係があるのかわからないが、この曲にはベートーヴェンの交響曲のパロディーが使われている。

民族性豊かな曲もさることながら、アンセルメの職人的な棒さばきこそ聞きものである。アンセルメはデッカによる鮮明で奥行きのあるアナログ録音にも支えられて、生き生きとした演奏に仕上げている。暖かくも時には鮮烈で、目を見張るようだ。ためを打ってリズムを変えるあたりは、今では聞くことのできなくなった名人芸で、驚異的なことにオーケストラは、まるで魔法が乗り移ったように即座に反応している。この演奏を聞くと、その弟子であるシャルル・デュトワの演奏など、生真面目で大人しくつまらない演奏に聞こえる。

その演奏の確からしさは、アンセルメこそがこの音楽の初演をしていることからも納得できる。序奏に続き、第1部での「ファンダンゴ」(粉屋の女房の踊り)、「ぶどう」、第2部の「セギディリア」(近所の人たちの踊り)、「ファルーカ」(粉屋の踊り)、「代官の踊り」と続き、「終幕の踊り」で大団円を迎える。「終幕の踊り」でのアンセルメの指揮ぶりは、いっそう色彩感に溢れ、千変万化するリズム処理は見事ということに尽きる。これだけの興奮と緻密さをもってこの曲が演奏されることはない。

このようなアナログ初期のデッカ・サウンドは、RCAにおけるLIVING STEREOの一連の録音などと同様、芸術的な域に達しているとさえ言えるだろう。それは現在の、より多くのビットと広い帯域をもったデジタル・サウンドとも異なるものだ。もしかするとコンサートホールでさえ聞くことのできない音がそこにある。これはステレオ録音技術が最初に目指した音楽表現のひとつの到達点である。

今発売されているこの演奏のディスクには他に、歌劇「はかなき人生」から間奏曲、それに今一つのバレエ音楽「恋は魔術師」が併録されている。だが私が昔買ったCDには、「恋は魔術師」はついていなかった。だからというわけではないが、「恋は魔術師」は別の演奏から選ぼうと思う。

2020年9月25日金曜日

ファド名曲集(アマリア・ロドリゲス)

ポルトガルの首都リスボンは、函館に似ている。海に近くて料理が美味く、坂道を古い市電が走り、ひと時代前のノスタルジーに溢れている。かつて函館を舞台にしたモノクロ映画を見たことがあるが、そのタイトルは「とどかずの町で」というもので、音楽に使われている作品の中にポルトガルを題材にしたものが混じていたように記憶している。ただ北海道生まれの妻に言わせるとリスボンは、室蘭なのだそうだ。

リスボンは暗い事情のある男女が駆け落ちする街にピッタリの風情がある。リスボンを舞台にした映画「過去を持つ愛情」は、パリを逃れてやってきた男女が、南米行きの船を待つ間の恋を描いたフランス映画である。私はかつて衛星放送で放映されたのを覚えている。最後のシーンが印象に残った。この作品で歌われたのが「暗いはしけ」という歌である。アルファマ地区と呼ばれるリスボンの下町は、市電がやっと通れるような狭い路地を縫うように走り、庶民的な生活の匂いがただよってくるところでる。小高い丘からはテージョ川河口が見える。アズレージョと呼ばれる青いタイルが映える。そんな街の夜の居酒屋で、地元の女性歌手はあまりに情に満ちたファド「暗いはしけ」を歌う。この映画は彼女だけでなく、リスボンの街そのものを有名にしたと言って良い。

話は変わるが、大阪のキタにかつて「ワルツ堂」という、クラシック通には有名なレコード屋があった。当時大学生だった私はある日たまたまこの店に入り、CDやレコードを物色していると突然、独特の弦楽器を伴う哀愁を帯びた歌声が聞こえてきた。それは叫ぶような歌声で、時に音程を外しかけるようなサビを連発していた。このレコード屋には名物の店主がいて、そんな評判の演奏を聞かせては客と対話する。そしてある客がついに尋ねた。「これ、何の歌ですの?」。すると店長は一枚のCDを取り出し、「はい、これ。なかなかいいですやろ」。話はそれから数年前に遡る。

1987年に初めてヨーロッパを旅行した私が、どうしてまたリスボンくんだりにまで足を運ぶことにしたかは、もしかするとこのファドの魅力によるのかも知れない。といってもまだインターネットもない時代、遠いヨーロッパの歌謡曲など知る術もない。ファドという、とてもエキゾチックな音楽がある、ということしかわからない。そこで私がリスボンの街を友人と別れてひとり歩き、エデュアルド7世公園にほど近い、当時としては最新で唯一の高層ビルの中にレコード屋を見つけた。私はファドのディスクを買ってみようと思い、入ってみた。

ところが当時、CDはまだ発売され始めたばかりの頃で、ポルトガルではまだあまり出回っていなかった。「ファドを聞いてみたい」という私のリクエストに、店員は棚の中から2種類のカセットテープを取り出した。一枚は最新の男性歌手によるもので、もう一つはアマリア・ロドリゲスのライブ。男声のファドというのもめずらしいが、コインブラを中心に歌われている少し女々しい歌は、女声によるファドとはまた違う趣きがあった。私はそれらを買って日本に持ち帰り、「涙」「憂い」「懐かしのリスボン」といった名曲を聞いていった。もちろん「暗いはしけ」も。そしてヨーロッパ旅行から帰国して何年かたったある日、大阪の「ワルツ堂」で耳にしたのが、そのアマリア・ロドリゲスの、もっと明瞭に録音された、アナログ録音の香りが彷彿とするCDだったのである。

私はこのCDを衝動的に買った。そして調べて見ると、アマリア・ロドリゲスはまだ健在の現役歌手であり、たまに来日公演を行うことがあるそうだった。ポルトガル語がわからない私は歌詞カードを見ながら、まるで演歌のようなその台詞に胸が締め付けられるような思いがした。リスボンの抜けるような青空とは対照的に、何と心は哀しいのだろう。例えば「涙」の歌詞…

涙でいっぱいになって 涙でいっぱいになって
わたしは横たわる(中略)
もし わたしが死んだなら
あなたがわたしに 涙を流してくれるのだとわかったら
ひとしずくの涙 あなたのひとしずくの涙のために
どれほどうれしく 私は殺してもらおうとするだろう

郷愁、憧憬、思慕、切なさといった、どこか日本の心を思わせるような意味を持つ「サウダーデ」という言葉は、ポルトガルを語る時、避けられないものである。そのポルトガルと我が国は、戦国時代から縁が深い。我が国に初めて西洋文明をもたらしたのは、大航海時代のポルトガルだった。ポルトガル旅行のあと、長崎や澳門、あるいはマラッカといったポルトガルゆかりの地を訪ねることが、私の旅の一つのテーマとなった。そしてあの美味しいワインともに鰯や干し鱈などを食するポルトガル料理もまた、我が家では時折チャレンジするものとなっている。

ファドはその後、ポルトガルが経済成長をして有名な観光国となり、東京にもポルトガル料理のレストランが誕生した現在では、気軽に聞くことができる。もちろん音楽はダウンロードやストリーミング配信によって、簡単に手に入る。「ワルツ堂」をはじめとする数多くの個性的なレコード屋が姿を消し、音楽との出会いがかつてのような偶然と感動に満ちたものではなくなった。手に入りにくいからこそ思いが募るという当たり前だった経験は、現代に入ってもはや消え去ってしまったのだろうか。

リスボンで買った2つのカセットテープは長らく私の宝物だったが、もはやデッキが壊れ聞くことができない。かわりに私はMP3形式でデジタル化し、ハードディスクに入れてある。それもあと何回聞くことになるかは、実のところわからない…。


【収録曲】
1. 私の憂い
2. 涙
3. 月の花
4. 暗いはしけ
5. ポルトガルの四月(コインブラ)
6. 懐かしのリスボン
7. 愛しきマリアの追憶(マリキーニャス)
8. かもめ
9. わが心のアランフェス
10. バラはあこがれ
11. 孤独
12. にがいアーモンド
13. マリア・リスボア
14. どんな声で
15. 洗濯
16. 私は海へ
17. 叫び
18. 川辺の人
19. アイ・モーラリア
20. このおかしな人生

2020年9月12日土曜日

スペインとポルトガルの管弦楽作品集(アルヴァロ・カッスート指揮アルガルベ管弦楽団)

我が国のクラシック音楽の分類は、どういうわけかまず交響曲があって、その次に管弦楽曲、協奏曲などと続く。交響曲や協奏曲も管弦楽曲ではないかか、などと思うし、そもそもこの分類に相応しくない曲も多い。さらには宗教曲とか声楽曲となると分類はもういい加減になってゆく。そしてさらに次の段階の分類には、何と作曲家のアルファベット順というのが一般的だ。ロシア語圏の作曲家でも英語表記に変える。いっそアイウエオ順にすればいいのに、と思っている。

この結果、クラシック音楽の名盤を紹介した書物などを買うと、まず交響曲の章があって、その中から作曲家のABC順に作品が並ぶ。バッハは「交響曲」を作曲していないから、最初の作曲家は通常ベートーヴェンからということになることが多い。すぐにブラームスやブルックナーなどが続くというわけである。

ところがかつて私の手元にあった「名曲名盤」の類の雑誌は、そのベートーヴェンの前に「アリアーガ」という作曲家の交響曲が掲載されていた。アリアーガ?誰?と思った。もちろん簡潔な紹介文があって「スペインのモーツァルト」などと紹介されている。でもそのような作曲家や作品なんて聞いたこともない。ディスクもほとんどない。そういうわけで謎の作曲家、アリアーガの作品に触れるにはそれから20年以上の歳月が流れた。2000年代になって私は30代になり、そしてまだ売り上げの盛んだった新譜のCDがNAXOSから発売された時、私はついにこの「スペインのモーツァルト」を聞くときが来たと思った。

そのCDは「スペインとポルトガルの管弦楽作品集」と題されており、ポルトガルの新しいオーケストラによって演奏されている。アルガルベ管弦楽団というのも聞いたことはないし、カッスートという指揮者も無名だった。もとより、アリアーガ以外の作曲家については全く知られていない。そしてこんなCDを買う人もいないだろうと思われたが、無名の作品というのも何となく魅力を感じるものである。私はそれを渋谷のタワーレコードで購入した。

ホアン・クリストモ・アリアーガは1806年に生まれたバスク人の作曲家である。この時もうすでにモーツァルトはいない。そしてわずか20年の人生を終える。夭逝した神童作曲家がモーツァルトに似ているというただそれだけに理由のような気がする。なぜならその作風は、やはり初期のロマン派だからである。例えばこのCDの最初の作品、序曲「幸福な奴隷たち」はロッシーニの若い頃の作品を思い起こさせる。そうと知らずに聞いたらわからないだろう。そして交響曲ニ長調もまたシューベルトの初期の作品のようである。

長い間私にとってヴェールに包まれていたアリアーガの交響曲は、決して悪い作品ではないが、取り立てて目立つ存在でもない。印象が薄いと思う。それでもこの作品は、スペインにも古典派様式を学び、そこから独自の作風を求めた若き作曲家がいたことを示してくれる。長いアダージョの序奏に続き、ほのかに暗い主題がほとばしり出る第1楽章はソナタ形式である。第2楽章はアンダンテ、第3楽章はメヌエット、そして終楽章は再びアレグロとなる。

さて、私はポルトガルという国に深い思いを持っている。初めてのヨーロッパ旅行では、北欧からポルトガルまでを旅行した。暑かったが物価は安く、食べ物は美味しかった。そしてあの抜けるような青空のリスボンで、ひとり坂道を歩いたときの爽快感は忘れられない。それから10年近く経って再びここを新婚旅行で訪れた。この時はクリスマス前の冬だったが、あの暖かいぬくもりと素朴さの国はそのままだった。私はコインブラへもドライブし、大西洋のマデイラ島にまで足を延ばした。

そのポルトガルは、どういうわけかクラシック音楽の世界では忘れられた存在である。有名な作曲家は思い当たらず、世界的なオーケストラや指揮者も思い浮かばない。ピアニストのピレシュくらいだろうか、パッと思い浮かぶのは。そういう国だから、私も長年、ポルトガルの作曲家というのを知らなかった。ファドなら何曲も聞いていたのだが。

このCD「スペインとポルトガルの管弦楽作品集」に収められているアリアーガ以外の作品は、いずれもポルトガルの作曲家によるものだ。だがこれらの作品に、あの情熱の国スペインをさらにローカルにしたような、素朴で激情的なメロディーを期待することはできない。なぜならここに登場する作品は、いずれもバロック後期から古典派の時期に作曲されたものばかりだからである。

最初のセイシャスによる「シンフォニア」は通奏低音も入る作品で、まるでヴィヴァルディ。18世紀前半の作品である。一方、カルヴァーリョは、続くモレイラとポルトガルの2人の師匠でもあったようだ。この3人の作品に共通しているのは、イタリア風の明るさを持っている点である。だから平凡ではあっても幸福なメロディーを聞くことはできる。ただそこにイベリア半島の風情を期待するには時代が早すぎる。ポルトガルの作品になってようやくほのかな暗さを感じるのは、ドイツにおけるウェーバーがそうであるように、これはロマン派の入り口に入ったからであろう。

というわけで、「スペインのモーツァルト」に始まる当CDについては、珍しい作品を並べたという意味で興味深くはあるのだが、それを今後何度も聞くだけの気持ちは沸かないだろうと思う。ただそう思えば、少し淋しい気持ちではある。そういえば、ポルトガルを新婚旅行で訪れたときは、まだあと何回も来るチャンスがあるだろうと思っていた。アズレージョと呼ばれるタイルや刺繍のテーブルクロスを買い、ポルトガル料理とワインの本を買って帰ったのは1996年のことだった。ポウサーダと呼ばれる国営のホテルが全国各地にあって、行きにくいところにあるだが、それは大変に素晴らしい。もちろん私は南部のアルガルベ地方にも、次回はゆっくりと旅行するつもりだった。だが、その機会はいまだに来ていない。

 
【収録曲】
1. アリアーガ:序曲「幸福な奴隷たち」
2. アリアーガ:交響曲ニ長調
3. セイシャス:シンフォニア変ロ長調
4. カルヴァーリョ:序曲「勤勉な愛」
5. モレイラ:シンフォニア
6. ポルトガル:歌曲「アルバ公爵」序曲

2020年8月24日月曜日

Sound of Silence(G: ミロシュ・カラダグリッチ、他)

大学を卒業するまで、私の部屋にはエアコンがなかった。高校三年生の夏は、猛暑の中で受験勉強を強いられた。その頃も大阪の夏は暑く、毎日36度を超える日が続いた。当然のことながら勉強は手に着かない。ひたすらベッド上で大量の汗をかきながら、扇風機を回して昼寝をする。ようやく涼しくなってくる夜間に備えるためだ。8月も終わりになる頃には、いつのまにか鈴虫が鳴いている。

午後10時になってNHKラジオが一日のニュースを放送する。勉強をしながらこれを聞くのが日課だった。11時になるとFMに切り替える。すると、今でも時々再放送される名番組「クロスオーバーイレブン」が始まる。「今日一日のエピローグ」というナレーションとともに、分野のミックスした軽音楽が静かに流れてくると、私の勉強は佳境に入ってゆく。12時になると、民放で始まるのが城達也の「ジェットストリーム」である。さらには「ABCヤングリクエスト」が午前3時まで…。

「クロスオーバー・イレブン」の話をするのは、異なるジャンルの音楽がミックスされた新しい領域が、この頃よくもてはやされたからだ。フュージョンやロックなど、私が普段聞かない音楽も、心地よいナレーションをミックスした構成によって、頭の中にスーッと入って来る。まだラジオが全盛の時代だった。

クラシック音楽も、分野の異なるロックやジャズなどに編曲されたり、逆にポップスのナンバーをクラシック風にアレンジしたりして、いわゆるクロスオーバーというジャンルに分類される録音がたまに出回る。専らアレンジの妙と、器楽のテクニックに酔うことになる。少し大人のセンスで、静かな語り口ということが多い。クロスオーバーはいわゆる「アダルト・コンテンポラリー」や「ソフト・ロック」の延長にあるとも言えるかも知れないが、我が国ではいつのまにか洋楽が底流となり、どこの放送局を聞いても最近のJ-POPばかりという状況である。クラシック専門局はおろか、洋楽専門の放送局も(かつてはあったが)今はない。

モンテネグロ生まれのギターリスト、ミロシュがドイツ・グラモフォンにデビューしたのはもう10年近く前になるのだが、その後手を痛めて休養し、最近活動を再開したようだ。私が今回聞いた最新アルバム「Sound of Silence」は、その名の通りサイモンとガーファンクルの名曲がタイトルとなっている(ただしサイモンの歌は「The Sound of Silence」と定冠詞が付いている。アルバムの方にはない)。ここでは、いわゆる「クラシック」の名曲も取り上げられているが、すべて必要最低限の編成にアレンジされていて、最高のヒーリング・ミュージックとなっている。

どの曲がどうの、ということはなく、最後の武満徹編曲による「虹のかなたに」に至るまで、選曲と編曲のセンスが素晴らしい。 それは静寂がまた音楽の一要素であることを思い出させ、空中に漂う音波のゆらぎに心を奪われるひとときである。強いてどの曲が好きかと問われれば、「Moving Mountains」ということになろうか。パーカッションと弦楽アンサンブルが寄り添い、流れるメロディーが美しい。他には、ギター単独の曲も散りばめられている。どの曲もつぶやくようで、ひとりで静かに聞き入るのがいい。

どんな猛暑になったところで夏が好きだ、という人がいる。こういう人は9月頃になって人が途絶えた海岸に佇み、行く夏を惜しむのだそうだ。北国生まれの私の妻などは想像できないらしいが、関西育ちの私にはよくわかる。8月もお盆を過ぎると、蝉の鳴き声が遠く鳴って聞こえるような気がする。

熱海に向かう快速列車が小田原を過ぎた頃、このアルバムが鳴っていた。どこまでも広い太平洋と快晴の真空を眺めながら、静かなギターに耳を傾けた。もうすぐ秋がやってくるのだと思うと、少しセンチメンタルな気分になった。私にとってはギターは、晩夏に聞くのが好きな楽器である。


【収録曲】
1. サイモン: サウンド・オブ・サイレンス
2. サワー・タイムズ
3. タレガ: 哀歌
4. ムーヴィング・マウンテン
5. ファリャ: ナナ
6. ストリート・スピリット
7. マグネティック・フィールド: ブック・オブ・ラヴ
8. メルリン: エヴォカシオン
9. コーエン: フェイマス・ブルー・レインコート
10. タレガ: 祈り
11. カランドレリ: ソリテュード
12. ブローウェル: キューバの子守歌
13. ムーディー・ブルース: サテンの夜
14. プホール: ミロンガ
15. アームストロング:  ライフ・フォー・レント
16. アーレン: 虹のかなたへ

2020年8月16日日曜日

「サンチャゴへの巡礼(中世スペインの音楽)」(S: キャサリン・ボット他、フィリップ・ピケット指揮ニュー・ロンドン・コンソート)

バロック以前の音楽、いわゆる「古楽」あるいは「アーリー・ミュージック」と呼ばれるジャンルの音楽ディスクを初めて買ったのは、このところのような猛烈な暑さの続いた1993年夏のことだった。当時発売された「サンチャゴへの巡礼(The Pilgrimage to Santiago)」という新譜のタイトルが目に留まった。デッカの古楽レーベル、オワゾリールの2枚組。「中世スペインの音楽」という副題が付けれれ、もちろん知っている曲など皆無。だか詳しい解説書が欲しくて6000円もする邦盤を買うことにした。

サンチャゴとは聖ヤコブを祀るサンチャゴ・デ・コンポステーラのことで、スペイン北西部に位置する巡礼の最終地点である。中世の頃から巡礼地として栄え、フランスからピレネー山脈を越えて続く1000キロ以上にも及ぶ街道は、いまもって人が絶えることがない。いやそれどころか、高度に文明の発達した現代に至って、むしろこのような古風な習慣がブームとなり、世界中からの巡礼者が訪れているという。我が国でも四国霊場を訪ねる人が後を絶たないのと同じである。

この巡礼について、私はかねてから関心があった。今のようにブームとまではいかないものの、古くからこの道を歩く巡礼者は多かった。巡礼の道には彼らが寝泊まりをする修道院や宿舎も用意され、そこには宿坊であることを示すホタテ貝のマークがつけられた。ホタテ貝のことを、フランス語で「聖ヤコブ」という。ホタテ貝のマークは、シェル石油のガス・ステーションにも使われている。

巡礼の宿場町で歌われた音楽は、これまでにもいくつか録音されてきたが、その中でも最も多くの作品、すなわち知られてるほぼすべての作品を網羅したのがこの2枚組というふれこみだった。巡礼は少なくとも13世紀には整備され、これらの音楽は街道沿いの巡礼者用宿泊施設などで奏でられていただろう。当時の音楽と言えば、単旋律歌曲、あるいはモテットなどど呼ばれる多声音楽が中心で、トルバドゥールと呼ばれる吟遊詩人によって継承された。この中世の世俗音楽には、興味深いことにイスラムの影響が見られ、そのことが特に異国的に響く。私たちが普段接しているバロック以降の「クラシック音楽」とは、一味も二味も違い、まるで別の音楽である。

ヨーロッパの文化的背景を持たない私たちが、これらの古い写本をもとにした歌曲に接する積極的な理由は、音楽や歴史の研究者を除けば、それが単に珍しく新鮮で、そして癒しにも通じるリラクセーションを与えてくれるからだろう。実際、私の場合はこの音楽を、真夏の夜に聞くことが習慣になっていた。遠くから聞こえてくるような信心深い音楽が、教会で歌われる正式な典礼歌ではなく、むしろストリート・ミュージックであることも手伝って親しみやすい。ただそのことを知ったのは、このCDを聞いてからのことだった。

このCDでは巡礼の街道に従って、「ナバーロ」「カスティーリャ」「レオン」「ガリシア」という4つの地域に区分けされ、順に紹介されている。独唱や合唱の他に、名前もわからない楽器が登場し、それらが独特の(イスラムの影響を受けた中世の)リズムによって一種独特な世界を形作っている。いまでこそサヴァールなどの活躍によって、これらの古い音楽が見事に蘇っている様に接する機会は多いが、それはこれらの音楽が、学究的に貴重な試みであることよりもむしろ、中世の巡礼とまさに同様に、いわば現代人をも感化するだけのスピリチュアルな魅力を有しているからだろうと思う。

今年の夏は盆踊りも高校野球も中止となり、季節感がないまま過ぎて行く。気が付けば暦の上ではもう秋である。このCDを、私は猛暑とコロナで自宅に軟禁状態になっていたある日、久しぶりに聞いてみた。透き通るような歌声や、遠くから響いてくるエキゾチックなメロディーに、しばし時の経つのも忘れて聞き入った。日課の散歩コースは、夜になっても人が絶えない。ベンチに腰掛け、灯が運河に反射してゆらめく様を眺めている。熱帯夜とは言え湿気の多い生暖かい風が吹いてくると、日中とは違って少しは心地よい。

この音楽を聞きながら、息子が成人したら妻と再びヨーロッパ旅行がしたいと思った。いや、その時はいっそ仕事をやめ、1年かけて世界一周でもいい。その頃にはコロナも終息しているだろう。そう心に誓い、さあ、明日も何とか乗り切ろうと思いを新たにした。



【収録曲】

CD1 ナヴァラとカスティーリャ
1.カンティガ「聖母様によく仕える者は」(カンティガ第103番)
2.モテトゥス「ベリアルは狡猾なるもの」(ラス・ウエルガスの写本より)
3.モテトゥス「主は墓よりよみがえりたまいぬ」(ラス・ウエルガスの写本より)
4.カンティガ「たいしたことではない」(カンティガ第26番)
5.モテトゥス「輝かしき家系より生まれたる」(ラス・ウエルガスの写本より)
6.コンドゥクトゥス・モテトゥス「アルファに,牛に」(ラス・ウエルガスの写本より)
7.4つのプランクトゥス(ラス・ウエルガスの写本より)
8.セクエンツァ「心地よく良き言葉を」(ラス・ウエルガスの写本より)
9.トロープス「神の小羊/良き生活の規範」(ラス・ウエルガスの写本より)
10.モテトゥス「ファ・ファ・ミ・ファ」/「ウト・レ・ミ・ウト」(ラス・ウエルガスの写本より)
11.一族の父(カリストゥスの写本より)

CD2 レオンとガリシア
12.カンティガ「聖母マリアは喜んで」(カンティガ第253番)
13.コンドゥクトゥス「毎年なされる祝典が」(カリストゥスの写本より)
14.カンティガ「星が船乗りを導くように」(カンティガ第49番)
15.コンドゥクトゥス「不滅なる栄光の王に」(カリストゥスの写本より)
16.カンティガ「聖母マリアは責められない」(カンティガ第159番)/「聖母マリアに焦がれて」(同第175番)
17.コンドゥクトゥス「われら喜ばしき一団は」(カリストゥスの写本より)
18.カンティガ「神のみ母」(カンティガ184番)
19.コンドゥクトゥス「全キリスト教徒はともに喜ばんことを」(カリストゥスの写本より)
20.7つのカンティガス・デ・アミーゴ(コダス)
21.巡礼歌「一族の父」(カリストゥスの写本より)

2020年8月15日土曜日

ロドリーゴ:アランフェス協奏曲(G: ナルシソ・イエペス、アタウルフォ・アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団)

高校生の頃だった。文化祭で記録映画を作るという友人に協力して、私は猛暑の大阪市内を連日取材。手を付けていない宿題が日に日に意識される中、友人宅での編集作業も大詰めを迎えていた。まだバブルが発生する前の、ごく平凡な夏休み。もう40年近く前だったが、大阪の夏は今と変わらず暑かった。

大阪環状線を映したシーンで、そこの背後に流れる音楽をどうしようかという話になった。友人も私も、少しクラシック音楽を聞いていたから、もちろん候補は友人宅にあった十数枚のLP。手当たり次第に針を落としてゆく。そしてその中から選んだのは、ホアキン・ロドリーゴが作曲したギターの名曲「アランフェス協奏曲」だった。演奏はギターにスペインの巨匠ナルシソ・イエペスで、伴奏はアタウルフォ・アルヘンタ指揮スペイン国立管弦楽団だった。録音はフランコ独裁の真っただ中にあった1958年とされていて、この時期はまだモノラル録音が主流。しかしステレオ録音されており、奇跡的と言うべきか音質は悪くない。

アランフェス協奏曲はイエペスによって有名になったと言っても過言ではない。特に有名なのは第2楽章で、深い哀愁を讃えたメロディーはどこか懐古調でもあり、私などはまだ見ぬスペインへの想像力を膨らましながら、アランフェスってどんなところだろう、一度行ってみたいものだ、などと考えてはこのロマンチックなメロディーの虜になっていた。ポピュラー音楽にも転用され、知らない人はいないのではないかとさえ思われるほどに、この第2楽章は有名である。

だが友人と私が記録映画のBGMに選んだのは、このアダージョではなく第1楽章だった。冒頭からギターのソロで始まる軽快な音楽は、これから行楽に向かおうとワクワクするような出発のシーンに相応しいと思った。これは今でも正解だったと思っている。この第1楽章は、あまりに有名な第2楽章と比較してほとんど知られておらず、そのことがかえって私たちを刺激した。

何かと言うと対立し、ことあるごとに口論に発展した編集作業も終わり、9月の文化祭でこの映画は何とか上映にこぎつけた。8ミリフィルムの時代だった。この曲を聞くと、迫り来る受験への不安と、友人との喧嘩を繰り返した高3の夏を思い出す。そして大学生になり、やがてそのアランフェスに行く機会があった。その時同行していたのが、この時の友人だった。初めてのヨーロッパへの海外旅行。私たちはマドリッドから郊外に向かう電車の中から、Aranjuezと書かれた駅名表示板を発見した。 

ロドリーゴは2歳の頃から盲目だったことで知られている。だからアランフェスにしろどこにしろ、実際に目で見ているわけではないだろう。おそらくあらんかぎりの想像力を働かせて、作曲したのではないかと思う。そもそも目が見えないことの苦労は想像を絶するだろうし、それが作曲という作業においてどのように克服されているのかは、もう凡人の理解を超越している。

私たちはアランフェスという街を通り過ぎたが、決して訪問はしていない。世界遺産にも登録されている宮殿が有名な小都市で、美しい写真がスペイン政府観光局のサイトに掲載されている。だが忙しい私たちの日帰り旅行の目的地は、タホ川に面し、かつての西ゴート王国だったトレドだった。旧市街がすべて博物館のような城郭都市は、陽射しを遮るものなど何もなく、従って猛烈に暑い。砂漠の中にある要塞都市だが、スペイン内戦の舞台になったことでも知られる。私たちが訪れた80年代と言えば、独裁と内戦の爪痕が残るころだった。


スペインが辿った悲劇的な歴史は、その後ECに加盟してヨーロッパの仲間入りを果たし、バルセロナ・オリンピックを契機に経済が目覚ましい発展を遂げる90年代までは、この国を旅行者から遠ざけていた。物価が安いにもかかわらず、旅行はしにくい方だった。荒涼とした自然の中に中世の姿を残し、イスラム教とキリスト教の混在する文化遺産を目にするのは、ヨーロッパの旅行の中でも特別な魅力であり、スペインこそ最後に行きたい国だなどと旅行好きの人は話したものだった。

アランフェス協奏曲の魅力は、古典的な造形の中にギターの愛すべき旋律が散りばめられていることだと思う。ギターという楽器の特徴から、ごく小規模なオーケストラが小さい音で伴奏する必要があり、コンサートでは取り上げられることよりはむしろ、録音で知られることの多い曲である。全体を通してとても親しみやすいので、どのギタリストが演奏しても楽しめる曲である。イエペスにも何種類かの録音が存在する。このうち最も有名なナバーロ指揮フィルハーモニア管弦楽団によるドイツ・グラモフォン盤は、テンポも遅く精緻だが、私はアルヘンタによる盤を好む。これは上記の自作映画に使ったという個人的な思い出の他に、テンポよく駆け抜けて行くような演奏がまさに風光明媚な旅行への誘いを喚起するからかもしれない。つまり、この曲に関する限り、演奏へのこだわりは個人的な思い出と結びつき、そこから逃れることができないし、それで良いと思っている。

この古色蒼然とした歴史的名盤によって、すでに遠く過去の人だと思っていたロドリーゴが没したのは1999年だった。ある日私は新聞で作曲家の97歳の死を知った。もうその時には私のスペイン旅行からも10年以上が経過していた。この曲は過去の記憶の古さを増幅させてくれる効果があるように思う。

2020年8月12日水曜日

モーツァルト:セレナード第7番ニ長調「ハフナー」K250(フランス・ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ)

モーツァルトには「ハフナー」の名の付く管弦楽曲が2つある。そのうちの1つが1776年に作曲されたニ長調のセレナードK250である。もう一つの交響曲第35番ニ長調K385は1782年の作品で、この頃にはモーツァルトは、すでにウィーンに出てきていた。後期六大交響曲の最初の作品でもあるK385とは異なり、「ハフナー」セレナードはザルツブルク時代の若きモーツァルトの作品である。「ハフナー」とはモーツァルトが親しくしていた一家の名で、ザルツブルクの市長も務めた富豪だった。ハフナー家に依頼されて、モーツァルトはこれらの曲を作曲した。

「ハフナー交響曲」は20分程度の短い曲だが、「ハフナー・セレナード」は1時間にも及ぶ長大な曲である(もっとも交響曲の方は、もともとセレナードだったものから抜粋されたのだが)。モーツァルトはこのセレナードを、ハフナー家の結婚式の前夜祭のために作曲した。そして、この楽団の入場のために別の曲を作曲した。それが行進曲ニ長調K249である。多くのCD録音では、この2つの曲がこの順番に演奏されていることが多い。ここで紹介するフランス・ブリュッヘンによる演奏もまた同じである。

長い演奏時間を要する「ハフナー・セレナード」を聞くと、丸で2つの交響曲作品を聞いたような気持になる。第1楽章はアレグロを中心としたソナタ形式、第2楽章はアンダンテ。ここでソロ・ヴァイオリンが活躍する(これは第4楽章まで続く)。第3楽章メヌエット、第4楽章はロンドとアレグロである。ここで作品が終わったかのように感じるが、この曲はまだまだ続く。第5楽章は再びメヌエット、第6楽章がアンダンテ、第7楽章はみたびメヌエット、そして終楽章はアダージョで始まり、アレグロ調で終わる。

第8楽章まである曲が1時間もかかるのは、ひとつひとつ楽章が平均7分にも及ぶような長い曲だからである。なので、聞いていると徐々に退屈するかと思いきや、そこはモーツァルト、天才的な美しいメロディーの連続で心地よい。屈託のない若い頃の作品であるにもかかわらず、音楽的な充実度には驚くべきものがある。特にブリュッヘンの演奏で聞くと、若々しいエネルギーの迸りによって、ともすれば急ぎ過ぎる傾向がやや抑えられて、大人の響きになっている。

ハフナー・セレナードを聞きながら、猛暑の古都を歩きたくなった。 

今年の夏は、長く続いた梅雨が明けると一気に猛暑となった。湿度は相変わらず高いが、ある日の関東平野は快晴の青空だった。私が原体験として持っている夏の日。雲は沸き、光あふれる夏の一日を、私は古都鎌倉の散策に費やした。関東の他の地域とは違い、ここは中世の街である。さほど広くない土地に、寺や神社がひしめく。その狭い路地を人々が群れを成して歩いている。だがその道も少しそれると、静かで時間が止まったような路地が出現する。鎌倉の面白いところだ。出会ったお寺に詣でると、そこは長い年月を経た有名な古刹 だったりする。そう、できればガイドブックを持たずに歩くと面白い。目立たない標識と勘を頼りに、行ったり来たり。たとえ道に迷ったとしても、それはそれで発見がある。

2020年7月29日水曜日

モーツァルト:ディヴェルティメント集(トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団)

ディヴェルティメントというのはよくわからない分野の管弦楽曲で、一昔前は「喜遊曲」などと訳されていたが、どういうわけかモーツァルト以外の作曲家の例はほとんどお目にかかれない。ずっと後になって、バルトークやバーンスタインにディヴェルティメントの名が付く作品があるが、それはかつてのモーツァルトの作品を意識して作られたのだろう。

そのモーツァルトのディヴェルティメントと言えば、辞典によれば十曲以上も作曲されているようだが、規模や楽器編成は随分自由である。セレナーデとの区別もよくわからない。他にシンフォニアや初期の交響曲、あるいはカッサシオンといったものとの違いも。そして最も良く演奏されるK136からK138までの3曲は、実は弦楽四重奏曲に分類されていたりする(「クラシック音楽作品名辞典」(井上和男編、三省堂))。

 難しい話は音楽評論家にまかせよう。これらの作品には気軽に楽しめる作品が多いのだから。K136のニ長調は、これらのディヴェルティメントの中でも最も良く知られているが、我が国の場合、その理由はもしかしたらサイトウ・キネン・オーケストラにあるのかも知れない。小澤征爾らによって結成されたこのオーケストラは、丸で同窓会のような団体だったかつての頃には、いつもこの曲を演奏していた。恩師斎藤秀雄の厳しいトレーニングでは、何度も繰り返し合奏させられたのだという。磨き抜かれたそのサウンドは確かに見事で、一糸乱れぬアンサンブルというのはこういうものか、などと思ったものだが、今から思えば編成も大きく、ちょっと厚ぼったい。

もともとこの曲が弦楽四重奏曲だったことを考えると、私が良く聞くトン・コープマンの演奏がスッキリしていて好ましい。洗練された音色とリズムにより、大変軽やかで上品である。梅雨空の続く湿気の多い日本の夏に、一服の清涼剤といったところ。

変ロ長調K137は、一連の作品の第2曲目だが、これはちょっと風変わりな曲だ。というのも緩徐楽章で開始されるからである。そして第2楽章こそが、まるで通常の第1楽章のような快活な曲だ。まだ古典派の様式の確立過程にあった当時の作品には、例えばハイドンの初期の交響曲にも、このような楽章構成が見られる。ハイドンの交響曲を、かつて順にすべて聞いてきたので驚くには値しないが、モーツァルトの作品では珍しいと思う。これらの作品を作曲したのはモーツァルトがまだ若干16歳の頃で、1772年のことだった。

一方、ヘ長調K138では再び通常の「急ー緩ー急」の形態に戻る。K136同様に、どこまでも優雅な第2楽章など、聞いている間に心地が良くて、どこの曲を聞いているのかもわからなくなってしまいそうになる。そのようにしてK136からK138までの3曲は、まさに快く遊び心満点のかわいい曲で、たまに聞きたくなる。

このCDには、さらにもう1曲、K251が収められている。第11番目となるディヴェルティメントには、K136-138とは違い管楽器が登場する。オーボエとホルン。楽章も6楽章まであって演奏時間は30分程度と規模がやや大きい。解説によればこの曲は、姉のナンネルの誕生日(霊名の祝日)のために作曲された。ザルツブルクでのことである。

姉思いのモーツァルトの心情は、男ばかりの兄弟で育った私にには理解しにくい部分が多い。それはさておきK251は、フランス風の雰囲気に溢れている。第2楽章、第4楽章がそれぞれメヌエットで、最終楽章の第6楽章はフランス風のゆったりとした行進曲となっている。通常の「急ー緩ー急」の第1楽章、第3楽章、第5楽章に上記のフランス風楽章が挟まった感じである。第3楽章にあたる緩徐楽章は秀逸で、聞いていて何とも心地よいし、第5楽章はロンド形式で聞きどころが多い。これで終わってもいいのに短い終楽章が始まり、曲を締めくくる。全体に管楽器が目立つ。


【収録曲】
ディヴェルティメントニ長調K136
ディヴェルティメント変ロ長調K137
ディヴェルティメントヘ長調K138
ディヴェルティメント第11番ニ長調K251

2020年7月23日木曜日

「スペインの旅」(G: 朴葵姫)

朝から夜まで休みなしで続くリモート・ワークが終わり、スマホを持って夜の散歩に出かける。毎日降り続く雨も、この時はあがって遊歩道は濡れている。虹色に電飾された橋は、コロナ禍の異常な日々を少しでも勇気づけようとしているように見える。湿度は高いが、気温が少し低いのがせめもの救いである。

オフィスワーカーにとって在宅勤務は、いまや世界標準の業務スタイルへと変化しつつある。ただ問題なのは、家庭が仕事仕様になっていないことだ。通勤がないのはいいが、公私の区別がつきにくい。仕事中はずっと聞けると思っていた音楽も、結局、この夜の散歩のいっときだけ。そして集中力を要する遠隔会議の後では、難しい曲など聞きたくないと、ここのところは連日かねてから気にしていた韓国生まれのギターリスト、朴葵姫(パク・キュヒ)のアルバムに耳を傾けている。

私が彼女の音楽を聞いたのは、もう10年ほど前のことだ。たまたまラジオか何かで耳にした演奏に心を奪われた。何を聞いたのかは覚えていない。ただ同様の経験をした人は多かったようで、彼女のアルバムはたちどころにヒットし、 同時に数々のコンクールを制覇。若干26歳にして世界的ギターリストとして音楽界を駆け上がっていった。韓国生まれというものの、活躍の舞台は日本のようだ。東京音楽大学を経てウィーン国立音楽大学を首席で卒業している(この学歴はどこかの知事とは違い、詐称されているとは思えない)。

そんな彼女が2012年、淡路島で録音したのが「スペインの旅」というアルバムだった。所属する日本コロンビアの録音で、いわゆるDENONサウンド。隅々まで明晰なデジタル録音は耳を洗うようにヴィヴィッドである。「天使のトレモロ」と称される指使いの空気感が、目前に迫ってくるような。

そもそもギター曲に疎い私は、ここに収められている名曲の数々のうち、タレガの「アルハンブラの思い出」やアルベニスによる「アストゥリアス」くらいしか知らなかったのだが、その他のどの曲を聞いても心の緊張がほぐれて行くような気分にさせてくれる。

例えば、タレガの「ラクリマ」は寝静まった深夜に、ひとり脱力感を楽しむにはうってつけである。そういえばどこか、NHKラジオの終了音楽に良く似ている。もっともこの曲は、NHKラジオが終夜放送となった今、第2放送でしか聞くこととはできない。同じタレガの「グラン・ホタ」は10分近い長い曲だが、途中に太鼓が入ったりしてリズムや音色の変化が面白い。もちろんスペイン情緒は満点。

トラディショナルなカタロニア民謡は、パブロ・カザルスがチェロで弾いた「鳥の歌」で有名だが、リョベートという作曲家がギターの作品に編曲していて、名曲の宝庫と言われる。いずれもつぶやくような曲で、「アメリアの遺言」はひたすら恐ろしく悲しい。また最後のトローバによる「ソナチネ」の第2楽章に至っては、静かに夢の中へと消えてゆくような曲だが、最後は快活なスペイン舞曲風のリズムが戻り、脳に心地よい余韻を残しつつ1時間に亘る「スペインの旅」は終わる。

さてスペイン、である。私がピレネー山脈の西に位置するこの国に初めて出かけたのは、1987年のことだった。南仏マルセイユから列車に乗って国境を越え(ここから急に殺伐とした風景になる)、長い時間をかけてバルセロナに到着した。当時スペインはすでにECの一員になってはいたが、財政的にはまだ貧しく、長く続いた独裁政治の後遺症から抜け出せていないように感じられた。私はそのバルセロナで1泊したあとグラナダに向かい、イスラム文化の残るアルハンブラ宮殿にも出かける予定だった。

バルセロナからアンダルシア地方に直接向かう列車はほとんどなく、確か唯一の夜行列車に乗った。マドリッドを中心に放射状に延びる鉄道網の中で、この列車はローカルな線路を走るのだろう。そして乗り換えようとしていた分岐駅リナレス・バエサで事件は起こった。私が砂漠の中にぽつりと立つ、ごく小さな村の駅に到着したのは、何とマドリッドからグラナダ行きの特急列車が発車した後だったのである。夜行列車は見事に1時間以上遅延し、何もなかったように私一人を、この小さな駅に残して去って行った。乗り換える客など他にはいない。

リナレス・バエサの町並み
私の「スペインの旅」はこのようにして始まり、当時まだヨーロッパの後進国のように言われていたスペインの旅は、おかげで印象深いものとなった。マドリッドから何日もかかると言われたセヴィリャ観光は、今では超高速列車が走り、日帰りも可能となっている。だがアンダルシア地方への旅行は、今もって実現できていない。従って私のこの地方の印象は、子供の時のままである。「アルハンブラ宮殿の思い出」に欠かせないトレモロは、ここの噴水をイメージしている、と確か「名曲アルバム」で紹介されていた。私はこの曲を初めて聞いた時、この演奏は2人の奏者でされているものだと勘違いしたものだ。その時のイメージが、私の頭の中でそのまま残っている。このアルバムを聞きながら、私は30年以上前のスペイン旅行を思い出し、そしてそれよりはるか前のスペインのイメージを膨らませている。


【収録曲】
1. ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」より「粉屋の踊り」
2. ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」より「きつね火の歌」
3. ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」より「漁夫の物語」
4. タレガ:ラグリマ(涙)
5. タレガ:アラビア奇想曲
6. タレガ:グラン・ホタ
7. タレガ:アルハンブラの思い出
8. タレガ:前奏曲第10番
9. タレガ:前奏曲第11番
10.  アルベニス:「スペイン組曲」より「アストゥリアス(伝説曲)」
11. アルベニス:「スペイン組曲」より「カタルーニャ奇想曲」
12. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「アメリアの遺言」
13. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「盗賊の歌」
14. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「聖母の御子」
15. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「クリスマスの夜」
16. トローバ:ソナチネ

2020年6月30日火曜日

ガーシュイン:歌劇「ポーギーとベス」(The MET Live in HD Series 2019-2020)

ユダヤ系ロシア人を親に持つブルックリン生まれの作曲家ジョージ・ガーシュインは、その短すぎる39年の人生を終えるわずか2年前に、ジャズを土台とする斬新なオペラ「ポーギーとベス」を作曲したのは1935年のことだった。この頃はまだまだ黒人差別が当たり前のように存在し、特に南部では大規模な農園で働く黒人の多くが貧しい生活を強いられていた。

公式には南北戦争によって廃止された人種差別は、第2次世界大戦を過ぎて公民権運動が沸き起こる1960年代に至るまで続く。その様子は生々しく、ごく最近まで南部では、バスに乗るにも黒人用と白人用の座席が違っていた。例えば小田実の名著「何でも見てやろう」にはこのように書かれている。
ガラス窓があり、それごしに、向こうの別世界、「黒人用」待合室が見えた。うす暗く狭く汚い。そして、こちらの世界にはわずか五六人の客しかいないのに、それよりはるかに小さい別世界は、人間―黒い色を持った人間でみちていた。
私はニューヨークに滞在した1年間を中心に、アメリカ東部を南北に貫くインターステート(州間高速道路)95号線を、北はメーン州のアケーディア国立公園から南はフロリダ半島南端(さらにはキーウェストまで)ドライブした。感謝祭の週末、早朝にワシントンDCを発ってすぐにバージニア州に入る。ここから「南部」が始まる。さらに南下を続け、サウスカロライナ州に入ると、どこまでも続く平原地帯を走る。途中で東へ折れ、プランテーション農園などを目にしながら海を目指し、やがてハリケーンが時折襲う大西洋岸の港町チャールストンに着いた。ここは歴史的観光地でもあり、今では多くの教会や南北戦争の遺跡などを見て回るツアーがあって、なかなか興味深いところだった。

さて、キャットフィッシュ・ロウ、すなわち「なまず横丁」と名付けられた黒人の居住区を舞台に「ポーギーとベス」は進行する。この作品の原作を書いた小説家は、自身が生まれ育ったチャールストンを舞台にこの物語を書いた。ガーシュインもオペラ化に際して、この街を訪れ黒人音楽などを取材している。私もチャールストンの通りを歩いていたら、教会から大きな声の合唱が漏れ聞こえてきたのを覚えている。それは通常の讃美歌のような、まるで天上から降りてくるような音楽ではなく、地の底から響く激しいリズムを持った霊歌ー魂の響きであった。

ガーシュインは、二十世紀の音楽が定めるべき方向を模索していた時代に、黒人を主人公としたオペラを作曲した。歌手はほぼみな黒人(今風に言えばアフリカ系)でなければならないとされる。しかしここで展開される音楽は、そのストーリーからもわかるようにどちらかというと重く、私は最初楽しく聞く事ができなかった。ガーシュインと言えば、底抜けに楽しいミュージカル「ガール・クレイジー」(その主要な音楽を取って構成した「クレイジー・フォー・ユー」は当時、ブロードウェイでロングランを達成していた)などを聞いていた私には、いつまでたっても続く暗い音楽がつらかった。ストーリーに救いがないのは、この時代の作品の特徴でもあるのかも知れないが、明らかに娯楽作品と異なるのは、この作品が自らが確立したクラシック・ジャズの様式をオペラに昇華させることを目的とした、おわば彼にとっての野心作だったからではないだろうか、と思う。

考えておかなくてはならないことは、この作品はあくまで白人の部類に属する側で作曲された作品であるということだ。ただ今回、何と30年ぶりとなるMETに登場した多くの歌手たちは、並々ならぬ意欲を見せていたように思う。主役のポーギーを歌ったエリック・オーウェンズ(バス・バリトン)は、長年この劇場で歌ってきたバスの第1人者である。大柄で優しい風貌もまたピッタリだと感じられる。幕前に舞台に登場したゲルブ総裁は、彼が風邪をおして舞台に立つことを告げるので、その出来栄えを心配したが杞憂に終わった。大成功だった。

ポーギーによって口説かれ、一時は一緒に暮らす仲となるベスを歌うのはエンジェル・ブルー(ソプラノ)で、この組み合わせでビデオ収録も行われ、昨年リリースされたそうである。それくらいピッタリの役どころといったところ。黒人特有の野太い声が、広い会場に響く。一方、ベスの愛人で悪党のクラウンは、アルフレッド・ウォーカー(バス・バリトン)によって歌われ、筋肉質の巨漢がピッタリ。その他大勢いる女声陣は、クララにゴルダ・シュルツ(ソプラノ)、セリナにラトニア・ムーア(ソプラノ)、マライアにデニース・グレイヴス(メゾ・ソプラノ)。またクラウンを絞め殺した容疑でポーギーが収監されている間にベスを誘惑し、麻薬で誘ってニューヨークへ連れてゆくまた一人の悪党、スポーティング・ライフにはフレデリック・バレンタイン(テノール)が、一人若々しい青年の声で聴衆を魅了した。ジェイムス・ロビンソンの演出は、舞台中央に設えた2階建ての木造家屋が頻繁に回転し、視覚的にも楽しい。一方、中央にピアノを置いたオーケストラを率いたのは、デイヴィッド・ロバートソン。ジャズのスイングはメトのオーケストラでも健在で、熱狂的な聴衆はこのようなリベラルな街で、わめくように喝采を送る。

第1幕の第1場、すなわち幕が開いてすぐに歌われる「サマー・タイム」が特に有名なこのオペラは、勿論ジャズを中心とした様々な音楽的要素が盛り込まれ、詳細に聞いてみるとなかなか聞きごたえがある。だが舞台を伴って見ると、登場人物が多く複雑なうえに、いつも同じような音楽が聞こえているように感じる。それでも今回、私はポーギーとベスによる二重唱、あるいはベスを口説くクラウンやスポーティング・ライフとの、それぞれの二重唱などで見られる、歌の進行と共に起こる心情の変化を、子細に見ることができた。

意志の弱いベスは、純粋なポーギーが自分の身を任せられる存在だとは、やはり信じられなかったのだろう。だが足の不自由な物乞いのポーギーには、他に夢などなかった。ハリケーンで足止めされた島へのピクニックでベスを誘惑した憎むべきクラウンを、決闘のうえ絞殺し、白人の警官に取り調べを受ける1週間の間に、ベスはスポーティング・ライフによってまたも誘惑され、拘留期間が長くなるとそそのかされたこともあり、とうとう一緒にニューヨークへと旅立ってしまう。そんなベスをポーギーは忘れる事ができない。コミュニティの人々の静止を振り切って、ポーギーはベスを追って旅立ってゆくところで幕となる。

この映像を見ながら、私は25年前に訪れたチャールストンの町を思い出した。そして今なおアメリカ社会に影を落とす人種差別に、複雑なものを感じた。最近でも黒人が白人警官に殺され、そのことによって全米でかつてない規模のデモが沸き起こったばかりである。この上演は今年の2月1日だった。直後にコロナ禍が襲ったアメリカでは、1か月後にメトロポリタン歌劇場も封鎖された。この上映はその直前。奇しくもそのような年に、30年ぶりの「ポーギーとベス」は上演された。

2020年6月27日土曜日

ウェーバー:クラリネット協奏曲第1番ヘ短調作品73、第2番変ホ長調作品74(Cl: ザビーネ・マイヤー、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

管楽器のための協奏曲というのは、楽器の特徴から大規模な音楽が好まれるようになるロマン派以降にはあまり作曲されなかった分野である。クラリネット協奏曲の場合、あのモーツァルトのものが断トツで有名で、その他の作曲家の作品はほとんど知られていない。有名作曲家としてはコープランドくらいだろうか、思いつくところでは。確かに最晩年のモーツァルトの諦観に満ちた天国的に美しい作品を聞けば、これを超える作品などあり得ない、とさえ思わせるのは確かである。

そんな中にあって、ウェーバーが書いた2曲のクラリネット協奏曲は、比較的有名でよく演奏される。これらの作品はウェーバーの作品の中ではおそらく有名な方であるとともに、クラリネット奏者の多くが演奏し録音に残している。

ベルリン・フィルへの入団を巡ってカラヤンと楽団員との確執が伝えられ、そのことが長く続く両者の対立を招いた80年代の出来事は記憶に新しが、この時に話題に上ったのが美貌のクラリネット奏者サビーネ・マイヤーだった。当時のベルリン・フィルには、古くからの伝統に従い女性のプレイヤーはいなかった。従ってこの問題は、クラシック音楽における男女平等問題やその体質の閉鎖性といったものを炙り出した。結局彼女の採用は否決され、そのことが彼女のキャリアを一層華やかなものにしたのは皮肉である。

そんなマイヤーの奏でるウェーバーのクラリネット協奏曲は、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンとの一枚によって知る事ができる。1985年の録音。二つのクラリネット協奏曲のほかに、小協奏曲ハ短調作品26も収録されている。また私の持つ「Great Performance of the Century」シリーズによるリマスター盤では、クラリネット五重奏曲変ロ長調作品34(管弦楽版)も収録されている。

モーツァルトのクラリネット協奏曲から20年後にあたる1811年に作曲された第1番へ短調は、静かな序奏が激情に変わるドラマチックな出だしで始まる。ウェーバーがモーツァルトの作品を聞いていたかどうかはわからないが、少なくともウェーバーの作品はクラリネットの特性をより追求したもので、モーツァルトにはないものを持っている。クラリネットの魅力を、モーツァルト以上に引き出していると言える。

ロマンチックで憂いに満ちた音色と、農民のポルカを思わせるような、素朴で生き生きとした旋律が交錯するのがクラリネットの魅力であるとすれば、ウェーバーのクラリネット協奏曲はこれらの要素を十全に引き出すことに成功している。例えば第1番の第2楽章は、静かで深く物思いに沈むような哀愁に満ちた旋律と劇的な中間部が交錯し、第3楽章では一転、踊りたくなるようなリズムがクラリネットの特徴を際立たせている。第2楽章におけるホルンとの二重奏は、これらのややくすんだ楽器同士が絡み合う印象的な効果を出している。

 一方第2番ホ長調は、第1番よりもさらに充実した作品のように感じられて、私は好きである。第1楽章の堂々とした冒頭は、この作品が長調で作曲されていることを思い起こし、古典的造形を残しているのが好ましい。登場するクラリネットの音程の幅も一気に大きく、より技巧的な要素が感じられる。ロマンスと題されている第2楽章では弦楽器のピチカートが効果的で、ここでは一気にロマン派が開花している。さらに第3楽章では、垢ぬけた踊りのような独奏に乗って、楽しく歌う。そう、クラリネットは歌う楽器である。

小協奏曲はクラリネット協奏曲に先立って作曲され、2曲のクラリネット協奏曲を生むきっかけとなった。演奏時間は10分足らずだが3つのパートから成り、数々の変奏やカデンツァを持つ作品、一方、クラリネット五重奏曲はクラリネット協奏曲と同様、当時のヴィルトゥオーゾだったハインリヒ・ヨーゼフ・べールマンのために書かれたが、作曲されたのはより後年である。クラリネット五重奏曲といえば、やはりモーツァルトとブラームスの作品を思い出すが、ウェーバーの作品もまた、クラリネットの今一つの特徴を良く捉えており、幻想的な雰囲気のなかで音楽が進行する。

一言で言えばウェーバーのクラリネット協奏曲は、技巧的な作品であると思う。従ってマイヤーのような技巧的な奏者によってその魅力は最大限に引き出されていると思う。ブロムシュテットの指揮は、ベートーヴェンではやや物足りないが、このようなロマン派初期の作品にはピッタリである。地味で目立たない曲も堅実で実直に演奏すれば、そこに漂う着飾らない味わいが、骨格のあるドレスデンの伝統的な音色によって引き立てられている。

2020年6月23日火曜日

ベルリオーズ:劇的物語「ファウストの劫罰」作品24(T: スチュアート・バロウズ他、小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

私のもう一つの趣味である短波放送は、今では「失われた楽しみ」となって久しいが、かつては世界中から降り注ぐ大量の放送を聞くことが、インターネットもない時代、海外の生きた情報に接する唯一の手段だった。Radio Budapestというハンガリーの国営放送局も、早朝などに頑張れば日本で受信できた。当時ハンガリーは共産主義国だったから、自由な旅行をすることもできず、いまだに私は一度も行ったことがない。そのRadio Budapestが放送を開始する際に流れるのが、ベルリオーズの作曲した「ハンガリー行進曲(ラコッツィ行進曲)」だった。

ハンガリー独特の音楽を取り入れた作品は他にも数多く、ハンガリーにも著名な作曲家がいるにもかかわらず、この曲はハンガリー国営放送の開始音楽だった。雑音にまみれて聞こえてくる異国の音楽に、私は心から胸をときめかせる毎日だった(この短波放送を主体とするラジオ放送に関する思い出については、やがてこのブログで私は大いに語らなければならない)。

ベルリオーズは、大好評だった「ラコッツィ行進曲」を「ファウストの劫罰」に取り入れることにこだわった。だからこの物語の舞台の最初は、原作であるゲーテの「ファウスト」とは異なり、何とハンガリーが舞台になっている。そのハンガリーの平原の夜明けのシーンから、この曲は始まる。序曲などはなく、いきなりファウストの歌が聞こえてくる。音楽は日が昇る情景を描きつつ、春を迎えた農民たちの歌や踊りを表す少年合唱なども交えながら進むと、もう「ラコッツィ行進曲」である。

第2部は舞台を北ドイツに移す。絶望の果てに自殺を決意するファウストの前に悪魔(メフィストフェレス)が現れ、ライプツィヒの酒場へと連れてゆく。酒飲みの学生ブランデルの歌う「ねずみの歌」、続くメフィストフェレスの「蚤の歌」、さらにはマルガリータを夢に見る「妖精の踊り」など聞きどころが続く。

まるでベートーヴェンが書くようなドイツ風のファンファーレが聞こえてくると第3部である。 ファウストが侵入したマルガリータの家で、彼女は中世風の「トゥーレの歌」を歌う。二人は夢の中でお互いを恋しており、その夢心地の中に展開される音楽(「鬼火のメヌエット」から「セレナーデ」にかけて)はベルリオーズの真骨頂だろう。やがて二人は「愛の二重唱」を歌う。だがそれもつかの間、ファウストはマルガリータの前を去らなければならない。

第4部はマルガリータとファウストの死。「劫罰」とは永久に続く罪と深い罰のことである。自然と心理、天国と地獄。その間を行き来する幻想的な音楽。ファウストと会うために母親に薬を飲ませ、死に至らせた罪でマルガリータは死刑となる。自らの死と引き換えに悪魔と取引きし、若さを手に入れたファウストは魂を明け渡した罪に問われ、地獄へと落ちてゆく。だが、音楽は最後に「エピローグ」が置かれ、贖罪されたマルガリータは天使に導かれ、天国へと迎え入れられる。合唱の美しい響きが、この曲の後味をいいものにしている。夢の物語の帰結は、夢のように美しい。

ベルリオーズはこのように、オペラとも何ともつかないような作品を作曲した。だが考えてみるとこの作曲家は、従来の枠にとらわれない程奔放な作品を作り続けたと言える。まるでヴィオラ協奏曲のような交響曲「イタリアのハロルド」や、交響曲で物語を表現した「ロメオとジュリエット」など、いずれも複数のジャンルの要素を取り入れたユニークな作品である。「テ・デウム」のように音楽の規模は肥大化し、「レクイエム」は非常に長い。彼の作品に対する情熱は、しばしば原作の変更にまで及んだ。「ファウストの劫罰」もまたゲーテの原作に触発された作品ではあるものの、その物語を彼流に組みなおした音楽作品である。親しみやすさと要素の多彩さにおいて、私は「ファウストの劫罰」がベルリオーズのもっともベルリオーズらしい作品だと思う。

小澤征爾は1973年、名門ボストン交響楽団の音楽監督に就任した。まさに飛ぶ鳥を落とすような勢いだっただろう。師匠シャルル・ミュンシュが黄金時代を築いたアメリカ東部の保守的なオーケストラは、若干38歳の日本人にその運命を託した。それから2002年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任するまでの、30年近くに亘ってこの地位を保ったことは、驚異的な成功だったと思う。私も1990年代に来日したボストン響の演奏会で小澤のベルリオーズを聞いているが、指揮者と一体となり磨き抜かれたアンサンブルに驚嘆したのを思い出す。

ボストン響のシェフに就いた小澤は、さっそくミュンシュの得意としていたベルリオーズの作品をドイツ・グラモフォンに録音した。「ファウストの劫罰」はその時のもので、今でもその音色は色あせないばかりか、むしろ後年に失われてしまった生気がみなぎるものである。小澤の代表的録音と言っていいだろう。主役ファウスト(テノール)はスチュアート・バロウズが、マルガリータ(メゾ・ソプラノ)は何とエディット・マティスが、メフィストフェレス(バス)は若きドイツ人、ドナルド・マッキンタイアが歌っている。ブランデル(バス)はトマス・ポール。ドイツ人のフランス語の歌唱としてどうなのかは意見が分かれるようだが、私はむしろボストン少年合唱団とタングルウッド音楽祭合唱団の洗練された合唱に大いに心を奪われている。オーケストラのサウンドと合わせ、もっとも高水準のベルリオーズが展開されている。

小澤の俊敏なテンポで奏されるリズムには、ときおりはっとさせられるような瞬間がある。聞きなれた旋律がとても印象的に響く。特に、最低限の要素で旋律を歌うベルリオーズの音楽は、鬱陶しい梅雨空の続くこの季節の日本では一服の清涼剤である。ボストン響の夢見心地のように鳴り響くオーボエの旋律は、第4部「ロマンス」で真価を発揮し、そこにマティスの歌が溶け合う。

小澤は後年、サイトウ・キネン・フェスティヴァル松本においてこの作品を舞台上演した(1999年9月)。この時の演出は、METでの「リング」を完成させたフランス人、ロベール・ルパージュだった。私はこのビデオをNHKのテレビで見て大変大きな感銘を受けた。もう一度見てみたいと思ったが、なかなか再放送されない。そんな時、同じような格子状の監獄のような舞台をジャケットに使用したDVDを見つけた。てっきり小澤盤だと思って買ったら、同じルパージュ演出によるシルヴァン・カンブルラン指揮ベルリン国立歌劇場による1999年8月の公演映像だった(つまりサイトウ・キネン・フェスティヴァルの直前ということになる)。

この公演は、ザルツブルク祝祭大劇場の広い空間を利用したダイナミックなものだが、カンブルランの音楽もいくぶん遅くて精彩を欠き、ライブ収録された音響の悪さも手伝って散漫な印象を受けるのは残念なことだ。ホセ・ファン・ダムやスーザン・グラハムといった錚々たる歌手陣を揃えたサイトウ・キネン・フェスティヴァルの小澤の指揮が、やはり光る。

私は賛否両論あるルパージュの演出が好きな方である。そしてMETライブシリーズでも取り上げられた(2008年)。私はこのシリーズを80作品以上見てきたが、この舞台だけは見損なっているのが悔しい。実演では2006年NHK交響楽団(指揮はシャルル・デュトワ)と2016年東京交響楽団(指揮はユベール・スダーン)で聞いている。後者は特に印象が深かった。

2020年5月31日日曜日

ロッシーニ:弦楽ソナタ集(ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

コロナ禍で外出制限の続く中、季節はいつの間にか春を通り過ぎ夏になった。昨夜は飲み過ぎたので朝早く目覚めた。こういう日には、家族が眠っている間、ひとりだけの贅沢な時間を散歩で過ごすことにしている。スマホからはロッシーニの弦楽ソナタが聞こえている。さわやかな初夏の晴天の朝に相応しい、すがすがしい音楽だ。

弦楽ソナタは、1804年頃ロッシーニがわずか12歳の時に作曲したと言われている。全部で6曲あり、そのどれを聞いても明るく瑞々しい。イタリアのモーツァルトと言われたのがよくわかる。この頃はさすがに後年のクレッシェンドを多用した、あのロッシーニ節は聞かれないが、オペラでしか知ることの少ない作曲家の他の種類の音楽を聞くのは楽しい。いかに早書きで、しかもアーリー・リタイヤをしたロッシーニも、最初の歌劇を作曲し始めるには5年も早い。この頃ロッシーニは、母親とともにボローニャに住んでいた。

ボローニャには世界で最古の大学があり、ちょっとした美しい町である。私も20代の頃ここを半日だけ訪れて、歩き回ったことがある。たしかヴェネツィアからフィレンツェに向かう列車を途中下車したのだと思う。たまたまリッカルド・シャイーが音楽監督を務めていたボローニャ市立劇場の前にも行った。赤いレンガの屋根を見下ろす中世に建てられた塔にのぼり、北イタリアの美しい風景に見入った。冬とは言え快晴の毎日が続いていた。

そんな記憶もたどりながら、弦楽ソナタを聞いている。弦楽ソナタには全部で6曲がある。第1番ト長調、第2番イ長調、第3番ハ長調、第4番変ロ長調、第5番変ホ長調、第6番ニ長調。全部調性が違う。全部聞くと2時間近くにも及び、CDでは2枚組。後年、多くが作曲家自身によって弦楽四重奏用に編曲されたほか、他の作曲による編曲も存在している。少年時代の作品である割には録音も多く、軽快でキレに富み、カンタービレは歌にように心地よい。これはテレワークの日々にうってつけのBGMというわけである。

このような曲を振らせたらネヴィル・マリナーの右に出る者はいない。もともとロッシーニを得意とし、完全な序曲集の録音でも知られるだけにほとんど完璧な演奏で、今もってこの曲の代表的な演奏である(録音は60年代)。従来のモダン楽器による厚みのあるサウンドだが、決して重厚なマトンを羽織ることはなく、生き生きとしてスッキリしている。その微妙な感覚を持ちつつ他の演奏にはまねのできない完成度に達している点が、驚きに値するのはいつものことだ。特にそれが、この曲で成功していると思う。

どの曲をどこから聞いても似たような感じだが、さらさらと流れるヴァイオリンの合間にときおり低弦が機知に富んだ独奏を見せる箇所や、ヴァイオリンがほとばしるような部分がユーモラスで飽きない。最も有名なのは第1番か第3番だそうだ。短いが緩徐楽章の歌うようなメロディーは、この作曲家の後年のオペラに登場するものに似ていたりして、メロディーの宝庫とでも言うべき天才の早熟さを感じさせる。例えば第1番の第2楽章などは、丸でヴェルディの初期のオペラに出てくるような、悲しみに沈む主人公のアリアの導入部のような趣だ。一方、第4番は全体的にしっとりとした感じである。私が気にいっているのは第6番で、その終楽章は「セヴィリャの理髪師」の嵐のシーンの下書きになったのではないか、などと発見して面白い。

なお、このCDにはさらにドニゼッティの「弦楽四重奏曲第4番ニ長調(管弦楽版)」、ケルビーニの「ホルンと弦楽のためのエチュード第2番ヘ長調」(ホルン独奏:バリー・タックウェル)、さらにベッリーニの「オーボエ協奏曲変ホ長調」が収められている。いずれも1800年代初頭のイタリア人作曲家による珍しい管弦楽作品である。

2020年5月26日火曜日

ウェーバー:ピアノ協奏曲第1番ハ長調作品11、第2番変ホ長調作品32(P: ゲルハルト・オピッツ、コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団))

ベートーヴェンほど豊穣で壮麗ではなく、ショパンのように華麗で繊細ではないものの、ウェーバーのピアノ協奏曲は十分にロマンチックで、それでいて構成力がある。古典派とロマン派が同居していて、適度なさわやかさと重厚さが交互に現れる様は、聞いていて楽しい。にもかかわらず、ウェーバーのピアノ協奏曲の録音は非常に少ない。有名なクラリネット協奏曲や、ピアノ協奏曲第3番になるはずだった「コンチェルトシュトゥック(小協奏曲)」などに比較すると、一層その少なさは明らかである。これは大変惜しいことで、私たちはウェーバーが作曲した2つのピアノ協奏曲を、ほとんど身近に知ることはできない。

けれどもそれは昔の話。今ではストリーミング再生が全盛の時代となって、毎月いくばくかの料金を支払えば、聞き放題のサービスが沢山ある。そのうちのひとつで検索すれば、たちどころにいくつかの録音に出会うことができる。そして私は既に、ペーター・レーゼルがピアノを弾き、ヘルベルト・ブロムシュテットがシュターツカペレ・ドレスデンを指揮した一枚を持ってはいたけれど、さらにもう一種の素敵な演奏に出会う事ができた。ゲルハルト・オピッツがピアノを弾き、コリン・デイヴィス指揮バイエルン放送交響楽団によるRCA録音である。メジャー・オーケストラによるメジャー録音は、これくらいしか見当たらななかった。あとひとつは、強いて挙げるとすれば、ナクソスが録音したアイルランドのオーケストラによる一枚(ピアノ:ベンジャミン・フリス)で、この二つの演奏は対照的である。

ウェーバーの古典的な側面をよく表現しているのはオピッツによるものだと思った。第1番第1楽章のピアノが入るところなどは、丸でモーツァルトのようだ。一方、フリスの演奏は、何かショパンを通り越してシューマンかグリークを聞いているような印象を持つ。どちらがいいかは好みの問題でもあるのだが、大変残念なことにナクソス盤は録音が悪い。低音がもごもごしている。明らかにマイクセッティングの問題だろう。せっかく個性的な演奏をしているのに残念である。クラシック音楽のディスクでは、しばしばこういう問題が生じる。小澤征爾のドボコン(ロストロポーヴィチによる3回目の録音)などはその最たる例と言えるだろう。最新録音でもひどいものがある一方で、50年代のステレオ初期でもすこぶるヴィヴィッドな録音が存在する。

そういうわけでウェーバーのピアノ協奏曲は、デイヴィス盤が私の好みにあった唯一のディスクとなった。忘れないように言っておけば、レーゼルによる演奏も悪くない。こちらのほうは「コンチェルトシュトゥック(小協奏曲)」で取り上げた。

オピッツのCDでは、まずその「コンチェルトシュトゥック」から始まる。この短いが数々の充実した要素を持つ作品は、ウェーバー作品の中では飛びぬけて有名である。この曲だけでウェーバーの特徴を表し切れているようなところがある。しかしこれとは別の、2つのピアノ協奏曲を聞いてみると、「コンチェルトシュトゥック」しか知らないのはもったいないと思う。これらの曲は、「コンチェルトシュトゥック」には及ばないかもしれないが、たしかにウェーバーの活躍した初期のドイツ・ロマン派の特徴を有した協奏曲として稀少である。私たちは通常、ベートーヴェンの次のピアノ協奏曲と言えば、オーケストレーションがやや平凡なショパンと、若書きのメンデルスゾーンくらいしか思い浮かばない。

ウェーバーの作品の面白さなは、ところどころまるでシューマンのようだと思ったり(第1番第1楽章)、ショパンのようだと思ったり(第2番第3楽章)、いろいろな作曲家の特徴にふと出会いながら音楽史を行ったり来たり。この折衷的な雰囲気こそその魅力なのだろうか、と思ったりする。いやこれは勝手な聞き手の都合なのだが。二つの作品は、ともに第1楽章で堂々とした古典的協奏曲を感じさせながら、第2楽章ではベートーヴェンをもっとロマンチックに進めたムード音楽になっている。一方、第3楽章は華麗で踊るようなリズムが、丸でマズルカやポロネーズを聞いているような感覚に見舞われる。

オピッツとデイヴィスは、これらの曲をきっちりと演奏して、他の大作曲家の作品の演奏と同様な充実を感じさせてくれる。このような演奏で聞く限り、他の作品と比べても遜色はなく、私は10回は繰り返し聞いただろうか、今では鼻で歌えるようになった。そうなると実演を含め、他の演奏でも聞いてみたいと思う。クラシック音楽を聴く楽しみのひとつは、最初はとっつきにくかった曲も次第に自分の耳に馴染んでくることである。特に演奏を変えて聞いてみると、最初は何も感じなかったメロディーが心にすうっと入って来る。その作品が自分なりに、わかったような気がしてくる。

ウェーバーは目立たない存在だが、このように他の作曲家にはない魅力が感じられるのもまた事実である。このCDには2つのピアノ協奏曲、「コンチェルトシュトゥック」のほかに「華麗なるポロネーズ」作品72という曲も含まれている。この曲もまた短いが華麗な愛すべき作品である。この曲はもともとピアノ独奏曲で、リストが編曲したものもあるが、ここでは管弦楽版として演奏されている。

2020年5月24日日曜日

ベルリオーズ:オラトリオ「キリストの幼時」作品25(コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団他(06年)、ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団他)

エジプト人の友人を訪ねてカイロへ行ったのは1990年9月のことで、丁度イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機の頃だった。テロを警戒する観光地は閑散としており、私はそのあとバスに乗ってイスラエルに行こうとしていたが、あまりに危険だと言われ断念した。

友人の家はカイロ郊外の団地にあって、そこを拠点に博物館やピラミッドに出かけた。エジプトと言えばイスラム教の国で、街中にコーランが響き渡り、モスクがあちこちに点在している。けれども友人は数少ないキリスト教徒だった。それもコプト教という古くから伝わる原始キリスト教の一派で、彼はそのことを誇りに思っており、同時にイスラム教をやや軽蔑していた。ある日、彼は私をキリスト教会へと案内した。何の変哲もない溝を指さしながら、ここを通ってマリアが幼いイエスを連れて逃げたんだ、などと熱く解説してくれた。確かにキリスト教はイスラム教が広まるはるか前からこの地に布教されていたし、ピラミッドに象徴される古代エジプトは、それよりさらに3000年も前から存在していたのだ。

夏のカイロは暑い。もとより砂漠の中にある内陸の街だから、熱気が籠る。そして砂ぼこりが舞い上がり、街の排気ガスとともに空気は霞んでいる。雨がほとんど降らず、ゴミも捨てられたまま。湿気がないのでカビないのだろうと思った。そんな猛暑の中を、私は古い教会やモスク巡りにつきあわされ、最後にピラミッドに到着したときには軽い熱中症にかかっていた。地下道の中で倒れそうになり、そのけだるさは街中の屋台で売られていた搾りたてのオレンジジュースを大量に飲むまでは解消されなかった。

キリスト教徒でもない私は当時、聖書の知識を有していなかったから、イエスがマリアとともにエジプトに逃れ、点々としながら逃避生活を強いられていたことなど知らなかった。新約聖書「マタイ伝」(第2章)には、この様子が記述されている。それによればイエスが誕生したとき「この子は必ずや王位を脅かすであろう」と神託が下ったため、この預言を恐れたヘロデ王が国中の男児を皆殺しにしようとしたので、聖母マリアと夫ヨセフは天使の助言に従ってエジプトに逃亡したというのである。

カイロを始めエジプト各地には、この時の逃亡地が数多く残っている(本当かどうかは定かではないのだが)。聖家族はやがてサイスという街に到着する。このサイスという街は、エジプトのどこにあるのかさっぱりわからない。ただここで聖家族はイスマイル人の家庭に身を寄せることができ、静かに暮らすことができた。

以上が、ベルリオーズのオラトリオ「キリストの幼時」のあらすじである。この物語は3つの部分から成り、第1部「ヘロデの夢」でエルサレムを脱出するまでの経緯が語られ、第2部「エジプトへの逃避」で美しい「羊飼いたちの聖家族への別れ」が長く続く。第3部「サイスへの到着」では、これまた非常に美しい「若いイシュマエル人による2本のフルートとハープのための三重奏」が含まれる。全部で90分以上。語り手としてのテノールのほか、マリア(メゾ・ソプラノ)、ヨゼフ(バリトン)、ヘロデ王(バス)などの登場人物がいる。

毎週のようにCDを買いあさっていた30代の頃、年に1つはまだ聞いたことのない曲の最新録音をボーナスが出たときに買うと決めていた。その日は長らくタワーレコード渋谷店をさまよい選んだのはベルリオーズの「キリストの幼時」だった。演奏はロジャー・ノリントンがシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した2枚組だった。

けれども私はCDでこの「キリストの幼時」を注意深く聞いたことはなかった。静かな曲な長く続くフランス語の歌曲。この曲を聞くのは根気のいる作業だった。趣味というのは楽しむためにするものだが、私にとってのクラシック音楽がしばしばそのような試練の側面を持つものでさえあった。結局、お金をかけて購入した2枚組のディスクは、長く私のCDラックに収納されたまま再生される機会を失っていった。

2000年代に入って、ベルリオーズの作品に耳を傾ける機会がやってきた。ベルリオーズの第一人者であるコリン・デイヴィスが、30年ぶりに再びロンドン交響楽団を指揮して次々と再録音していったからである。LSO Liveというレーベルは、独自制作レーベルのさきがけだった。凋落していくメジャー・レーベルをよそに、数々のヒットを飛ばすことになる。すべてがライブ録音、値段は1枚千円。しかもSACDハイブリッドだった。C.デイヴィスはすでに80歳にも達していたので、いくつかの録音はかつてのものを上回ることはなかった。しかしこの「キリストの幼時」に関しては、過去の録音を上回る完成度を持つと思われる。

ベルリオーズの曲の魅力のひとつは、少ない楽器で一切の贅肉をそぎ落としたような牧歌的メロディーが続くようなところである。これは、それまで見向きもしなかった「幻想交響曲」の第3楽章が、実は大変好きな曲に思われてくる経験があればわかるだろう。このような部分こそベルリオーズの真骨頂であるとわかった時、この「キリストの幼時」が実は大変な名曲であることに気付いた。よく考えて見れば数多くの名指揮者が過去に録音している。

ノリントンとデイヴィスはともに同年代のイギリス人だが演奏は対照的である。デイヴィスは従来のモダン楽器による演奏で、熱く武骨な演奏を繰り広げる。時にフランス音楽に不可欠な要素を欠くことも多いデイヴィスのベルリオーズは、抑制的で破たんのない演奏として地味すぎるという評価もできる。だが「キリストの幼時」ではこの欠点がほとんど感じられない。これはバロック音楽にも通じる曲調のおかげだろう。しかも悪評高いバービカン・センターでの録音の欠点を補うため、各楽器をアップで捉えておりヴィヴィッドである。

一方のノリントンは、得意のノン・ビブラート奏法をフルに活かして精緻な演奏を繰り広げる。左右に分かれたバイオリンや合唱が、さわやかな風のように耳元をよぎっては消える。時にサービス精神に富んだ挑発的ななユーモアは影を潜め、音楽に忠実でありバランスも良い。テンポを速めにとっていて、控えめな表現でも緊張感が程よく持続する。フィナーレの合唱やそこに交わる独唱の声は透き通るようにこだまし、録音で聞いていてもこれほどほれ込むことは珍しい。この演奏がライブであることは、拍手を聞くまで気付かない。

この二つの演奏に登場する独唱陣も不足感はない。その布陣は以下の通り。

<コリン・デイヴィス盤(2006年録音)>
 ヤン・ブロン(T: 語り手、百人隊長)
 カレン・カーギル(Ms: マリア)
 ウィリアム・デイズリー(Br: ヨゼフ)
 マチュー・ローズ(Bs-Br: ヘロデ)
 ピーター・ローズ(Bs: 家長、ポリュドールス)
 テネブレ合唱団
 ロンドン交響楽団

<ロジャー・ノリントン盤(2002年録音)>
 マーク・パドモア(T: 語り手)
 クリスティアーネ・エルツェ(S: マリア)
 クリストファー・マルトマン(B: ヨゼフ)
 ラルフ・ルーカス(Bs-B: ヘロデ)
 ミハイル・ニキフォロフ(Bs:家長)
 ベルンハルト・ハルトマン(Bs:ポリュドールス)
 フランク・ボセール(T:百人隊長)
 シュトゥットガルト声楽アンサンブル
 シュトゥットガルト放送交響楽団

「キリストの幼時」は宗教的三部作と言われ、全11曲から成っている。このうち最初に作曲されたのが第2部である。ベルリオーズは第2部の「羊飼いたちの別れ」を17世紀のバロック時代の作曲家の作品を装って発表した。この曲が古風なムードを持っているのはそのせいである。この時の評判は上々で、やがて自分の名を明かすことになるが、評判が下がることはなかった。

続いて作曲された第1部は、エジプトへの逃避を決断するに至る経緯が語られ、ベルリオーズらしいドラマチックな物語は第4曲「ヘロデの夢」でクライマックスを迎える。一方、最後に作曲された第3部では、彷徨った挙句やっと暖かく迎え入れてくれるイスマイル人の家庭で催される室内楽「若いイシュマエル人による2本のフルートとハープのための三重奏」が白眉である。ノリントンの早めのテンポで駆け抜ける演奏も素晴らしいが、デイヴィスのダイナミックな表現も説得力がある。ここの6分余りのメロディーは、しばし幸福な気分にさせてくれる。さらに後日譚が語られるフィナーレでは7分以上におよぶア・カペラが用意されている。実演で聞いたら涙を流すほどに美しい音楽だろう。

「キリストの幼時」のような作品が我が国の音楽会で取り上げられることはあるのだろうか。私の知る限り、出会ったことはない。地味な作品なので仕方がないとは思うが、何度か聞きこんでこの作品の素敵さをすることになった身としては、一度どこかでライヴ演奏に接してみたいと思っている。だがその機会も、このたびのコロナ禍でしばらく遠のいてしまったと言わざるを得ない。

2020年5月10日日曜日

ウェーバー:交響曲第1番ハ長調作品19(J50)、第2番ハ長調J51(ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン放送交響楽団)

1786年生まれのカール・マリア・フォン・ウェーバーは、1770年生まれのベートーヴェンよりも16歳年上ということになるが、ベートーヴェンは古典派に属し、ウェーバーは初期ロマン派に属すると分類されている。だがもちろん、作曲された曲の多くが同時代であるし、ウェーバーの初期の作品はベートーヴェンの晩年の作品より前に作曲されている。

ウェーバーが20歳の時に作曲された交響曲第1番ハ長調は、1807年に完成しているが、この時期にベートーヴェンはハ短調交響曲(第5番)などを手掛けているころだから、まだまだということになる。しかも驚くべきことに77歳まで生きたハイドン(1809年没)はまだ存命である。

ハイドン、モーツァルトやベートーヴェンが今日、ドイツの国境を越えて国際的な作曲家としての地位を確立しているのに対し、ウェーバーはどちらかというとドイツの国内に閉じた作品を書いたローカルな作曲家と思われている。ヨーロッパ中で一世を風靡した歌劇「魔弾の射手」でさえ、今日ではドイツ以外で上演されることはまれである。ましてやその他の作品となると、インターナショナルなリリースをされる録音もめっきり少ないのが実情である。

ウェーバーの若き日の作品、交響曲第1番と第2番もまた、録音は非常に少ない。 交響曲第1番ハ長調は、青年ならではの瑞々しい感性の中に、伸びやかである。第1楽章はモーツァルトの交響曲第31番ニ長調を参考にしていると言われている。そう言われて聞いてみたら、冒頭はなんとなく似ていなくもないが、でもやはり違う。そして、少しゆっくりになったりすると、そこは演奏のせいかもしれないのだけれども、旋律が歌うようなメロディーになっていく。

音が隣のすぐ上の音に移る。歌謡性のメロディーはシューベルトにおいて一気に開花するが、ウェーバーの音楽の魅力はそんなロマン性と古典派の骨格との同居である。その傾向は第1楽章で顕著だが、第2楽章になると、いっそうロマン性が深まるのもこの曲の特徴である。オーボエが、フルートが、弦楽器が、深々とした旋律を歌ったかと思うと、そこに古典派の和音が鳴り響く。

一方、第3楽章と第4楽章は初めて聞いた時、ハイドンのザロモン交響曲を聞いているのではないか、とさえ思うような感覚に囚われた。特に第3楽章はスケルツォとされているが、メヌエットと言ってもいいかもしれないようなムードである。

交響曲第2番ハ長調は、第1番とほぼ同時期に作曲された。聞いた印象では第1番以上に古典的で、どちらかというと第1番の方が充実した曲のように思える。第3楽章は短調だが、トリオの部分で長調に転じる。このあたりのはっきりとしたメヌエットの形式は、同じ3拍子の第4楽章とともに、どこかのんびりしている。そして何ともあっさりと終わってしまう。これらの交響曲はウェーバーがまだ若いころの作品で、数あるウェーバーの作品の中では地味である。

今となっては懐かしいドイツの巨匠サヴァリッシュは、ウェーバーの2つのハ長調交響曲を、壮大で骨格のある大きな交響曲として演奏している。聞き比べたわけではないのでほかの演奏がどうなのかはわからないが、サヴァリッシュはテンポを落としてじっくり聞かせている。ウェーバーのロマン性に焦点を当てているように思える。オルフェオがリリースした当CDの録音は、1983年10月ヘラクレスザールとクレジットされている。

2020年5月9日土曜日

ベルリオーズ:劇的交響曲「ロメオとジュリエット」作品17(Ms: クリスタ・ルートヴィヒ、T: ミシェル・セネシャル、Bs: ニコライ・ギャウロフ、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、フランス国立放送局合唱団員、ウィーン国立歌劇場合唱団)

ベートーヴェンが第九交響曲によって解き放った管弦楽の流れのひとつは、ベルリオーズを経てワーグナーに受け継がれたようだ。ワーグナーが逃亡先のパリで耳にした交響曲「ロメオとジュリエット」は、彼をして感銘の中に埋もれさせ、その音楽的な語法を「タンホイザー」や「トリスタンとイゾルデ」などに応用した。「トリスタン」はベルリオーズに献呈されている(だがベルリオーズの、この前奏曲を聞いての第一印象は芳しくなかったようだ)。

ワーグナーはベルリオーズから大きな影響を受けたことは、「幻想交響曲」に用いられるモチーフの使い方に関する継承からもうかがえる。ベルリオーズは「ロメオとジュリエット」をパガニーニに献呈している。パガニーニは「イタリアのハロルド」を聞いて大金を贈り、「ベートーヴェンの後を継ぐのはあなたしかいない」と手紙に書いている。

「ロメオとジュリエット」は 「合唱、独唱及び合唱レシタティーフのプロローグ付きの劇的交響曲」と銘打たれ、合唱や独唱が最初から挿入されているにもかかわらず、オラトリオでもカンタータでもない形式をとっている。あくまで交響曲であり、合唱や独唱はその中心ではない。第2部から第4部までの中間楽章はほぼ管弦楽のみで演奏される。言わずと知れたシェークスピアの戯曲に基づいている作品だが、その物語を忠実に再現したものではなく、ベルリオーズがこの物語から得たインスピレーションを自由に音楽表現した作品と言える。

1839年に作曲された「ロミオとジュリエット」は標題音楽のひとつの最高峰であり、ベルリオーズの作品の中では、現在でも比較的しばしば演奏されるが、その規模と長さ(1時間半!)からか、なかなかとらえどころがないと感じられ、私も最初は随分敬遠していた。CDだと当然2枚組の価格となるのも痛い。ベルリオーズでも「幻想交響曲」については、どの演奏がどう素晴らしいかを記したWebのサイトを見つけるのは難しいことではないが、「ロメオとジュリエット」となるとその比較試聴記なるものは皆無に等しい。これは残念なことだ。

私が初めてこの曲に投資したのは1990年代だった。演奏はコリン・デイヴィスがウィーン・フィルを指揮したフィリップス盤だった。コリン・デイヴィスはベルリオーズの第1人者だが、当時はミュンヘンで指揮棒を振っており、ウィーンへはバイエルン放送合唱団を連れて行った。ウィーン・フィルのベルリオーズというのも珍しく、ここではフランス風の響きがウィーン風の重すぎない中音と混じり、独特の音で鳴っているのがまず面白い。例えば、第1部「序奏」は速い弦楽器で始められ、続いてトロンボーンを主体とする管楽器のユニゾンへと移るが、この金管楽器の響きはウィーン風に柔らかい。

しかし、この演奏はライブ録音なのか、大音量をうまくとらえきれておらず音が割れており、特に後半は単調な感じがしている。それに比べるとやや時代は遡るが、同じウィーン・フィルを指揮した録音でも、ロリン・マゼール指揮による1972年のデッカ盤が指揮、演奏、それに録音といずれも素晴らしいと思った。ところがこの録音は名盤の誉れ高いものの、すでに廃盤となっているようで、ダウンロードすることもできないしストリーミングでも聞くことができない(2020年4月現在)。管弦楽部分のみを演奏したより古い(モノラル)のベルリン・フィルとの演奏が聞けるのは嬉しいけれど。そういうわけでいまやこのCDは、大変貴重なものとして私の手元にある。

モンターギュ家とキャピュレット家の壮絶な戦いを描く序奏に続き、第1部からいきなりコントラルトと合唱が登場する。語られるのは物語のあらすじである。後に登場する音楽のモチーフがここでで登場する。この予告的なモチーフは、交響曲としては異例なことで、あの第九の第4楽章での回帰するメロディーを重い起こさせる。間もなく印象的なハープの伴奏に乗って歌われる愛の歌がとても美しい。うっとりとしていると、その後にはテノールが合唱を伴ってレチタティーヴォとなるあたりも見事だと思う。

第2部からは、聞きどころの連続だ。第2部は前半「ロメオただ一人」で静かなメロディーが幻想的に奏でられ、あの「幻想交響曲」の第3楽章のような心地よい音楽が6分も続く。やがて後半に入るあたりからテンポは速くなり、「キャピュレット家の饗宴」となる。ここの躍動感は聞いていてすこぶる楽しい。

第3部は有名なバルコニーのシーンである。ここにわずかだが男声合唱が入る。宴会の余韻を味わいながら家路につくキャピュレット家の若者たちの歌である。続く「愛の場面」は単独でも演奏される美しい曲で、ワーグナーをして「今世紀における最も美しいフレーズ」と言わしめたほどだ。ベルリオーズはギターの名手だったので、ギターを用いて作曲したということをどこかで聞いたことがある。そのため独特の高音中心の響きが続き、しかも少ない数の楽器でのアンサンブルが多いため、あの無駄な部分をそぎ落としたようなスッキリした音楽になっている、というのだ。

第4部は「マブ王女のスケルツォ」として有名だが、劇の中ではちょっとした間奏曲といった感じである。途中に変わった音が聞こえてきたと思ったら、これはアンティーク・シンバルという楽器だそうだ。マゼールはこのスケルツォを、ややテンポを落として丁寧に指揮している。音楽は、そのあとに続く第5部「ジュリエットの葬送」に対するちょっとしたアクセントになっているからか尻切れトンボのように終わる。昨年ソヒエフ指揮N響で聞いたコンサートでは、全体のプログラムがここで終わってしまい、少なからず欲求不満が残った。

第5部「ジュリエットの葬送」は、思うにベルリオーズらしい音楽だ。まず重々しいメロディーが低弦で示され、それがバイオリンや木管に引き継がれていく中、合唱が"Jetez des flueres…"と繰り返していると、急に雲の合間から日が差すように明るくなっていくのがとてもすてきだ。特に中盤はごくわずかな伴奏を伴う合唱主体の部分が続く。合唱が消えると管弦楽のみが残って、葬儀の列が静かに消えていくように遠ざかる。

ここから引き継がれるのが管弦楽のみで演奏される第6部である。激しく急速なテンポと、静かで厳かな部分が交錯する。ここから8分間に亘って描写されるのは「祈り、ジュリエットの目覚め、忘我の喜び、絶望、いまはの苦しみと愛しあう二人の死」である。どことなく「断頭台への行進」を思いおこさせるような標題音楽のひとつの頂点である。

いよいよ終曲第7番である。モンターギュ家とキャピュレット家がそれぞれ別の合唱となって激しく罵りあう中、 ロランス神父(バス)が登場、最大の聞かせどころでもあるアリアを歌って両家を諭す。最後には両家が和解し、壮大なコーラスが大規模な管弦楽とともにコーダを迎えて終わる。

若きマゼール(42歳)による演奏に登場するソリスト陣は豪華だ。コントラルトのクリスタ・ルートヴィヒはウィーン育ち?の歌手だが、やや陰りのある歌声がここでは魅力的で、第1部のプロローグで悲劇を予感する。一方、ミシェル・セネシャルはフランス人で、独特の高音を活かしてロメオの心情を瑞々しく歌う。そしてフィナーレに登場するブルガリアの巨匠ニコライ・ギャウロフは、もはや何も言うことはないだろう。戦後最大のバス歌手は、丸でヴェルディのオペラを聞くようなドラマチックな歌を二つの合唱団と塗れながら披露する。その合唱団は2つ。ウィーン国立歌劇場合唱団とフランス国立放送局合唱団員が、それぞれ両家に分かれて熱唱を披露する。

2020年5月7日木曜日

ウェーバー:舞踏への勧誘(ベルリオーズ編)、序曲集(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

ベートーヴェンの亡きあと、音楽の中心はパリに移っていたのではないか。もちろんウィーンは音楽の都であり続け、シューベルトもいたし、ロッシーニやパガニーニだってウィーンを訪れている。しかしそのロッシーニは結局、パリで成功し晩年はパリに住み着いた。少なくともオペラに関する限り、絢爛豪華なグランド・オペラ様式を確立したマイアベーアらの活躍するパリこそが、その中心地だった。

だからドニゼッティもベッリーニもパリの観客ためにオペラを書いたし、ワーグナーもフランスの音楽から影響を受けた。そのパリではモーツァルト以降のオペラを継承し、ドイツ・ロマン派のオペラ様式を確立したウェーバーの作品もまた、聴衆にもてはやされた。ウェーバーの「魔弾の射手」を見てベルリオーズは作曲家を志したとさえ言われている。「オペラの運命」(岡田暁生著、中公新書)によれば、パリは「十九世紀オペラ史における首都」であり、グランド・オペラによって「イタリアの旋律の甘さと、ドイツの重厚な管弦楽と、フランスのきらびやかさ」が融合された。

ウェーバーによって作曲されたピアノ曲「舞踏への勧誘」が、ベルリオーズによって恐る恐る編曲され、見事な管弦楽作品となったことは有名である。私が子供の頃などは、男性が女性を勧誘してダンスを踊り、再び会釈をして別れるというストーリーが見事に表現された作品を、よく耳にしたものだった。どういうわけか今ではほとんど聞かなくなってしまったが、「舞踏への勧誘」は音楽を聞き始める入門者にうってつけの作品として知られていた。

カラヤンによる「舞踏への勧誘」がFMで放送されたとき、私はカセットテープに録音して何度も聞いた覚えがある。そして今私の手元にある一枚のCDには、この作品とともにいくつかのウェーバーの序曲が収録されている。久しぶりに聞く「舞踏への勧誘」は非常に懐かしい。

「オベロン」や「オイリアンテ」といった作品は、「魔弾の射手」ほどではないにせよ少なくともその序曲は有名であり、従って比較的よく演奏される。序奏に続く「オベロン」序曲の、ほとばしり出るような速い主題は、かつてモノクロの映像で見て腰を抜かしたことがある。確かブルーノ・ワルターの指揮だったのではなかったか。それに比べると大人しい演奏だが、カラヤンの指揮するウェーバーの序曲は、どの演奏も丁寧でしかも艶があり、ベルリン・フィルの機能美を活かして極上の音楽に仕上がっている。

私は初めて「アブ・ハッサン」という歌劇の序曲も聞いたが、ここで打ち鳴らされる中東風の音楽も楽しいし、その他の曲もドイツ・初期ロマン派の香りが実に麗しい。ドイツの放送局のクラシック・チャネルを聞いていると、ウェーバーの時代の作品が良く演奏されている。その中にはワーグナーの交響曲などもあって、この時期のドイツ人作曲家の人気ぶりがうかがえる。まだ古典派の骨格を残しながら、ほのかなロマン性を感じるところが良いのだろう。

ウェーバーは数多くの歌劇を残したが、すべての序曲を収録したディスクはほとんどない。そんな中でカラヤンは、その中から懐かしい「舞踏への勧誘」を含め、選りすぐりの作品をオーソドックスに演奏している。ところがカラヤンは交響曲や協奏曲はおろか、歌劇「魔弾の射手」でさえ全曲録音を残していない(と思う)のは不思議なことだ。どこかに録音があれば、是非とも聞いてみたいと常々思っているのだが。ともあれ今日も、初夏の夜風に吹かれつつカラヤンのウェーバー序曲集を聞きながら、しばし近くの遊歩道を散歩をすることとしよう。フラワー・ムーンと呼ばれる五月の満月を見上げながら…。


【収録曲】
1.舞踏への招待作品65(ベルリオーズ編)
2.歌劇「オイリアンテ」序曲
3.歌劇「オベロン」序曲
4.歌劇「アブ・ハッサン」序曲
5.歌劇「魔弾の射手」序曲
6.歌劇「精霊の王」序曲
7.歌劇「ペーター・シュモル」序曲

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...