2019年10月26日土曜日

NHK交響楽団第1923回定期公演(2019年10月25日サントリーホール、指揮:トゥガン・ソヒエフ)

ビゼーが若干16歳にして交響曲ハ長調を作曲したことを、神に感謝しなければならない。なぜならこんなに瑞々しい音楽を、今私たちは聞くことができるのだから。たとえ若書きの習作とは言え、この交響曲には他の作品にない魅力に溢れている。全編にみなぎる若々しい感性とエネルギー、そしてまるで春の南仏を思わせるような憂いに満ちたメロディー。その作品をビゼーは生前聞くことなく世を去った。

特に第2楽章のオーボエが歌謡性に満ちたソロを吹き、それをバイオリンが繰り返すときの、時がまるで止まったかのような世界は、何と例えるべきだろう?そんな音楽を、一度生の演奏で聞いてみたいと随分前から思っていた。そうしたら、いま私がもっとも贔屓にしているロシア・北オセチア出身の指揮者、トゥガン・ソヒエフがN響定期で演奏することがわかり、私は迷わずチケットを買った。嬉しいことに、ベルリオーズの作品(「ファウストの劫罰」から「鬼火のメヌエット」「ラコッツィ行進曲」、それに交響曲「ロメオとジュリエット」からの抜粋)、さらにはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」までもが演奏されるというお得で豪華なオール・フレンチ・プログラム。場所はサントリーホール。

ソヒエフは先週ロシア・プログラムを聞いたばかりだが、いずれも細部にまで神経を行き届かせ、曲の持つ魅力を最大限に引き出しながら組み立てる構成力の天才的な才能に唖然とするばかりである。タクトを使わない、一見わかりにくそうに見える指揮姿からは、想像できないような音楽が聞こえてくる。あたかも初めて聞くかのような錯覚を随所で経験することになる夢のような時間は、どんな曲についても当てはまる。その様子から「魔術師」といった声まで聞かれるが、今回の4つの作品の演奏もまたそのようなものだった。

「ファウストの劫罰」からいつもとは違う輝きを放つN響の音色に満ちていたが、私にとっての最大の白眉はビゼーの交響曲で、この曲の魅力がいかに引き出されてゆくのか、別に引き出されなくても十分魅力的なのだが、さてその演奏はいかに?期待が高まった時に流れ始めた音楽は、丁寧でしかも新鮮さを十分に保ち、ほれぼれするような半時間だった。

ビゼーの交響曲の演奏には、簡単に言って速い演奏と遅い(標準的な)演奏があるように思う。アバドやオルフェウス管弦楽団、古くはマルティノンによる颯爽とした(速い方の)演奏が、従来の私の好みだった。泉から湧き上がるような第1楽章こそ理想的だと考えていた。ところが最近は歳をとったせいからか、もう少しゆったりした演奏がむしろ好ましいとも思い始めていた。そしてソヒエフはまだ若い指揮者だが、むやみに速くしたりはしない演奏だった。実際これまでに聞いた他の曲でも、テンポに関する限り常に中庸であり、どこかのフレーズを強調したりといった外連味を示すこともほとんどなく、むしろ極めて標準的とも言える。

にもかかわらずソヒエフの指揮する音楽は、すべてが新鮮で音楽的である。演奏家もどう操られていくのか、まるで魂が乗り移ったようにいい塩梅となる。そのアンサンブルの素晴らしさがサントリーホールだと2階席でも非常によくわかる。音に濁りがなく、綺麗なことも特徴だ。特にフランス音楽の明晰な音色には威力を発揮する。そしてビゼーの交響曲の第2楽章の美しさといったら!私はうっとりとオーボエのソロに聞き入り、白内障でそもそもよく見えない舞台も、さらにかすんで夢のように見える。もしかしたら涙さえ出て来たのかも知れなかった。体を揺らすソリストに合わせて、こちらも体がくねる。

このようにして第3楽章のトリオを含む印象的な部分も夢心地のまま進み、第4楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェに至ってはもう魔法のような時間だった。どの音も他の音と違っているのは見事と言うほかはない。弦楽器が主題を再現する時、音色は明らかに変わっていた。その微妙な違いは調性によるものだろうか。私にはよくわからないが、いずれにせよ非常に細かい部分にまで神経を行き届かせ、短時間で自分の音楽にオーケストラを染め上げてゆくのは、並大抵のことではないはずだ。N響との長いつきあい、相性にもよるのだろう。それに比べると過去の名演奏とされるものでも、よく聞けばフレーズが曖昧なままにされているものは多い。

このような演奏だから、休憩を挟んで演奏されたドビュッシーの短い曲「牧神の午後への前奏曲」が、精緻に満ちた素晴らしい演奏であったことは言うまでもない。様々なソロの中でもとりわけ活躍するのは、この曲ではフルートである。様々な音色の楽器が組み合わせを変えて千変万化するフランス音楽を、これだけの集中力と余裕を持って聞かせるのは並大抵のことではないとも思う。前半ではやや不安の残ったホルンなども、ドビュッシーでは見事であり、鉄琴やハープも入って静かで美しい時間が過ぎて行った。

プログラムの最後は35分間にわたって、ベルリオーズの交響曲「ロメオとジュリエット」からの抜粋が演奏された。この曲はそもそも歌入りの長い作品だが、ここでは管弦楽のみの部分が演奏されたようだ。私は原曲を一度しか聞いたことがないので、どの部分がどうだったかを記すのは難しい。ただここでのN響の音は、この曲の間中ずっと、大変に見事であった。どの音のどの瞬間も、これ以上ないくらいに磨かれ、そしてブレンドされていた。前半に打楽器も活躍する派手な部分があり、後半にもあるのかと思っていたが、何か曲が尻切れて終わったかのような印象を残した。これは抜粋プログラムの宿命だとは思われるが、ちょっと残念でもあった。

非常に大きな拍手に何度も呼び戻されるソヒエフとオーケストラは大変満足そうな表情で、もっとずっとこの音に浸っていたいと思わせる演奏会も、気が付けば9時を過ぎており、足早に会場を後にした。ここのところの東京はずっと気候が悪く、今日も冷たい雨が降っていた。ソヒエフには指揮してほしい曲がいくつもある。思い浮かぶだけでも「展覧会の絵」「ペトルーシュカ」「ハンガリー狂詩曲」「スラブ舞曲」あるいはレスピーギ…。できればN響の音楽監督、あるいは次期首席指揮者に、という思いを持つリスナーは多いだろう。だが今や彼はあまりに有名で、スケジュールを拘束するのは大変な指揮者になりつつある。大指揮者になったときに、かつて若い頃よくN響で聞いたなあ、などと話すのが楽しみである。もっともその頃まで、私が生きていればの話なのだが。

2019年10月20日日曜日

NHK交響楽団第1922回定期公演(2019年10月19日NHKホール、指揮:トゥガン・ソヒエフ)

ロシアの若手指揮者トゥガン・ソヒエフは、N響と最も相性の良い指揮者のひとりであり、もう5年も連続で指揮台に立っているらしい。私もあるときテレビで一目見て、これは良い指揮者に違いないと直感してから、もう4年連続で定期公演に通っている。手兵のトゥールーズ・キャピトル管弦楽団との公演を合わせると、もう6回目である。どの公演も、まるで初めてその曲を聞くような新鮮さに溢れ、細かい音符の隅々にまで神経を行き渡らせた音楽は、いっときも飽きることなく引き付けられ、深い感動と音楽を聞く喜びに溢れた好演であった。最近ではベルリン・フィルを始めとするメジャー・オーケストラへの客演もしばしばのようで、その躍進ぶりが納得できる。

今シーズンの客演は10月の2公演で、両公演とも魅力的であり、どちらに行こうかと迷っていたところ、サントリーホールのB公演にもチケットがあることがわかり、結局、両方とも出かけることにした。A公演の井上道義の分を含め、今月は3公演とも聞きに行く予定である。N響を聞き始めて四半世紀以上になるが、こういうことは初めてではないか。

しかもオーケストラはやはり前方で聞くに限る。NHKホールの場合、これがなかなかむつかしく、両翼はやはり音が悪いし、正面になると奥まって来る。唯一、1階正面がいいとは思うが、ここは傾斜が緩く、幅も狭いので少し窮屈である。来年度にはNHKホールの改装が予定されているから、少し改善するならいいのだが(この間の定期公演A,Cプログラムは、東京芸術劇場で行われるようだ)。

さて、台風19号が猛威を振るって東日本を駆け抜け、大きな被害を出してから1週間が経過した。さすがに10月ともなると少し秋めいては来たが、まだどこか天候が不順である。天候が定まらない雨季と乾季の入れ替わる時期に、なぜかチャイコフスキーの音楽がよく取り上げられる。悲愴交響曲などは6月によく聞いたものだった。今回のソヒエフによるロシア・プログラムでは、第4番の交響曲が取り上げられた。この曲は、チャイコフスキーが作曲した7曲の交響曲の中では、比較的良く取り上げられる方だと思う。その内容は、抒情的な第1楽章と第2楽章、ピチカートと管楽器のみによる第3楽章、そして爆発的な第4楽章と言った風に特徴があり、親しみやすい側面がある。だが私は、何かチャイコフスキーの不安定な情緒が反映している感じがして、あまり好きになれない。CDで通して聞くことなどほとんどない。

実演なら、とは思ったが、実はコンサートでもほとんど初めてである(一度、アマチュアのオーケストラで聞いている)。そして、2管編成のオーケストラから出てくる音楽もどことなくくすんでおり、チャイコフスキーの他の色彩的な音楽(例えば「白鳥の湖」は私が最も好きな作品だ)に比べると、どうしても見劣りがしてしまう。そういった面をはねのけ、ソヒエフがどうこの曲を料理してくれるか、そこがポイントである。

ソヒエフによるチャイコフスキーの交響曲第4番の印象は、曲のどうしようもない不安定さを克服し、非常に明快でしかも聞きどころを押さえた演奏だったということだ。演奏の観点では、これ以上の巧さを望むのは難しいと思う反面、そのことが曲の持つ味わいの浅さを露呈したような気がする。そしてNHKホールの音響空間的限界もまた、その結論に貢献してしまっている。もっとも大きなブラボーが沸き起こったのが3階席であることが、もしかしたらこのことを示している。これらの安い席では、最初から音の悪さ覚悟して聞いているからだ。

ソヒエフの指揮するN響のアンサンブルについては、もう何も言うことはないであろう。冒頭の金管楽器のハーモニーも無難にこなし、時折覗かせるオーボエやファゴット、あるいはフルートの印象的なフレーズにもあっけにとられる。指揮にメリハリがあって、特に終楽章のコーダなどは、技ありの圧倒的な迫力だった。

多くの人がより感銘を受けたと語るチャイコフスキーの第4番だが、私はむしろ前半のラフマニノフにより感銘を受けた。ピアノにアメリカ生まれのニコラ・アンゲリッシュを迎えての「パガニーニの主題による狂詩曲」である。この曲をこれほどにまで味わったことはなかった。第18演奏の甘美なカンタービレが突出して印象的なこの曲は、1934年、ストコフスキーが指揮するフィラデルフィア管弦楽団によって初演されている。

アンゲリッシュというピアニストを聞くのは初めてだったが、聞いた最初の印象は、ピアノの音がとても大きくてはっきりと聞こえるということ。もしかしたら聞いた位置によるからではないかとも思うが、まずとても音がよく届き、オーケストラとうまく合わさっている。そしてオーケストラのリズムと溶け合って、ロシア的でありながらしばしば都会的な雰囲気を持つラフマニノフの面白さが味わえたことだ。もしかしたら少し物足りないと感じた人もいるだろうか。70パーセントくらいの力でこの曲を弾いていたのかも知れないし、まあ素人が変な詮索をするのは良くないことだ。ただ私はそういう演奏にも関わらず、私は非常にこの曲を楽しみ、そして感動した。

ソヒエフの指揮するオーケストラの、時に深く立ち止まって目いっぱい静かに奏でるメロディーに、私は深くため息をついた。そこにピアノもうまく合わされていたのかも知れない。どの変奏も味わい深く、このな部分もあったのかなあという発見に満ちていた。もちろん第18演奏も。待ってましたと固唾を飲む聴衆に、しっとりと甘いメロディーが押し寄せてくる。意外にあっさりとした演奏には、よりロマンチックなものを期待する人もいたとは思う。アンゲリッシュはまだ50歳にも達していないとは思われないような老練な足取りで何度も現れ、ショパンのマズルカからの1曲をアンコールした。

ソヒエフの音作りが冴える演奏会。冒頭のバラキレフによる「イスメライ」(リャブノーフ編)という10分足らずの曲については、私は初めて触れる曲だったのでよくわからないのだが、ラフマニノフの音楽に酔い、チャイコフスキーの演奏に納得した今日のコンサートだった。

来週はBプログラムをサントリーホールに聞きに行く。私にとってはこちらが本命で、大好きなビゼーの交響曲ハ長調や、ソヒエフの精緻な音色がこだまするドビュッシー、それに生誕150周年のベルリオーズの作品が取り上げられる。路面の濡れた公園通りを下って渋谷へと向かう。いつもの雑踏の中に緑のシャツを着た外国人が多いのは、ラグビー・ワールドカップの準々決勝(アイルランド対ニュージーランド戦)が行われているからだ。

2019年10月19日土曜日

NHK交響楽団第1921回定期公演(2019年10月6日NHKホール、指揮:井上道義)

ほとんどの曲をレコードやCDで最初に聞いていた若い頃とは違い、最近でははじめて聞く曲も実演から、ということが多くなった。音楽の聴き方が多様化し、どのような音楽でも手軽に聞けるようになった時代にもかかわらず、私のようなこの傾向は、音楽の伝統的な聴き方に回帰している現象である。皮肉なことに、実演で聞かなければ、おそらく二度と聞く機会を持たなかったであろうと思うことがよくある。実演で聞くことがその曲を知るきっかけとなり、そこでストリーミング配信などの新しい聞き方が加わって、音楽生活がより楽しくなる、というのが続いている。聞き古した曲でも、ライブ演奏によってはじめてその魅力に接するようなことが、実のところ多い。音楽とはやはり生に限ると思う所以である。

フィリップ・グラスの「2つのティンパニ奏者と管弦楽のための協奏的幻想曲」という、わずか20年前に初演された作品も、そして、この日の後半のプログラムで演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第11番ト短調「1905年」という作品も、私にとって初めて触れる作品だった。後者、すなわちショスタコーヴィチの交響曲は、今ではかなり演奏され、名演とされるディスクも数多く存在する。かつては第5番しか話題に上らなかったこのソビエトの作曲家も、そのソ連邦の崩壊に伴って「解放」された数々の作品が、普通に演奏されるようになって久しい。にもかかわらず、私は今日、コンサートで聞くまでちゃんと聞いたことはなかった。

フィリップ・グラスは、難解な曲の多い現代音楽においてひときわ異彩を放ち、しかも親しみやすい作曲家だと思う。これまでヴァイオリン協奏曲やいくつかの管弦楽作品を聞いて来たが、そのどれもが親しみやすくて興奮に満ち、一種の陶酔的な感覚にも染まっていくような、まるでスポーツのような音楽である。「ミニマル音楽」と呼ばれる領域の代表でもあるグラスは、ティンパニ協奏曲というのを書いた。ここで使われるティンパニは2台。今回のN響の定期公演では、N響の2人のティンパニスト、植松透と久保昌一が舞台の最前面、指揮者を挟んで左右に並んでいた。

通常オーケストラの最上段にいて、4つ程度の太鼓を叩いているのは通常の光景だが、今回二人が叩く太鼓は、それぞれ6種類から8種類もあって、奏者のまわりをぐるりと囲んでいる。私は生まれて初めてストラヴィンスキーの「春の祭典」を聞いた時、ティンパニ奏者が二人もいることに興奮を覚えたが、いまではそんな作品は珍しくない。たった一人の奏者が叩くティンパニでも、「第九」や「幻想」のような作品では、ここぞとばかりにティンパニの切れ味鋭く、目いっぱいその音を轟かせるとき、ただならぬ緊張と予感を感じざるを得ないのだが、そのようなティンパニ奏者が二人もいて、しかも曲の最初から最後までリズミカルに掛け合い、360度あらゆる方向からこの楽器を鳴らしまくる音楽の、その楽しさと言ったら何だろう。

一種のラテン的なリズムにも通じるようなメロディーで始まる第1楽章は、見とれているうちにあったいうまに過ぎ去り、緩徐楽章へと進んでもその面白さは失われない。オーケストラの中の数多くの打楽器群、あるいは金管楽器との溶け合いも面白いが、ティンパニ協奏曲となると普段は管楽器に集中する耳も打楽器を中心に聞いているから面白い。そのティンパニ2台によるカデンツァは、第2楽章の終わりに位置している。

叩いているだけとはいえ、打楽器奏者の職人技が堪能できるが、これだけ多くの太鼓を、何種類ものバチを取り換えつつ一気に聞かせる技も圧巻である。指揮者の井上道義が楽しそうに合わせている様子は、3階席からもよく見える。

カデンツァから続く第3楽章は一気に早いリズム(♩=176となっている)による4拍子と7拍子が交錯したアジア的祝祭感に満たされた曲(解説による)。そういえばそう聞こえるが、私は初めて聞いた時は、どこかラテン的な感じがした。私はこの興奮に満ちた曲をもう一度聞いてみたくて、Spotifyへアクセスした。すると、NAXOSから発売されているカンザス大学管楽アンサンブルによる演奏がみつかったので、それを聞いている。YouTubeでも見られるので、映像のほうが楽しいだろう。やはり実演で接した演奏に、ネットであとからフォローする、というのが専ら私の最近の聴き方である。

さて。井上道義という指揮者は、私にとって少し不思議な指揮者だった。これまでの実演は3回。いずれも悪くはないのだが、かといって心に残らない。最初に聞いた東フィル定期でも、そのモーツァルトの音色の綺麗なことには驚いたが、それだけ。2回目のマーラー(一千人の交響曲)では、圧倒的な熱演ではあったがどこか心に響かない。それはつまりどういうことかと自問自答するのだが、よくわからない。けれども今回、ショスタコーヴィチの交響曲を聞いて、もしかしたらこれは指揮者の音楽を体現するオーケストラの力量に問題があったのではなかったのだろうか、と思った。このたびのN響との演奏は、N響の過去の名演奏と比較しても十指に入るような驚くべき名演奏で、それは個々人のソロだけでなく、アンサンブル、そしてそれを統率する指揮者の並々ならぬ集中力によってもたらされた神がかり的なものだった。歴史的演奏と言っても過言ではない。

その様子をここに記すことは、たやすいことではない。私の文章力と、それに何といってもショスタコーヴィチの交響曲に対する浅い理解では、とうてい太刀打ちできないものだからだ。ただそういった予備知識なしでも、今回の演奏の尋常ではない興奮ぶりは伝わって来たと思う。会場にいた聴衆の、普段は醒めた拍手を常態とする、年配者中心の日常が、どういうわけかあっけにとられて、そこに沸き起こる最大級のブラボーの嵐に大きく凌駕されてしまったのだ。

コンサート・マスターはライナー・キュッヘル氏だった。前半のプログラムに合わせてやや奥まった場所に位置するオーケストラが、広大なNHKホールでは少し小さく見える。「1905年」の第1楽章は、静かでゆっくりとしたイントロダクションで始まる。これは冬のサンクトペテルブルクの宮殿を意味しているのだ。弱音器を付けた不気味なトランペットのファンファーレ。このモチーフは今後しばしば登場する。

「1905年」とはロシア革命の発端となった「血の日曜日事件」を意味する。ここで平和的なデモ行進を行う民衆に向かって銃口を向ける皇帝軍。それは後のロシア革命へと続く皇帝の権力の失墜を意味していた。革命はデモによって開かれ、成し遂げられた。6万人とも10万人とも言われるデモ参加者のうち、何千人が死亡したかはわからないようだ。ロシア革命はソビエトを樹立させ、以降、半世紀にわたって社会主義諸国のリーダとして君臨することとなる。

だがこの曲は、1957年に初演されている。この頃のソビエトは、スターリン死後フルシチョフが登場し、東西の「雪解け」が叫ばれた時代だった。だがそのような中、ハンガリー動乱を鎮めるべく出兵した事件は、私も教科書で習った。ショスタコービッチがこの交響曲に込めた思いは、今一度革命の原点を振り返り、スターリン以前の社会主義理念へと立ち返ろうとしたからだ(それがたまたまハンガリー動乱重なって予期せぬ政治的含意そ示唆することとなった)という(コンサート解説書「Philharmony 10月号」より要約)。

従ってこの標題音楽には数々の革命歌が引用されている。その具体的な曲名は、数々の解説書に詳しいのでここでは割愛するが、中学生の頃、モスクワ放送などを趣味で聞いていた私でもなじみのあるものはない(むしろこの当時のモスクワ放送ではショスタコーヴィチのような音楽はあまり流れず、チャイコフスキーやロシア民謡が多かった)。

1時間にも及ぶ音楽は続けて演奏されるから、静かな第1楽章が言わるといつのまにかアレグロの第2楽章へと入っている。井上は一糸乱れぬアンサンブルでここの巨大な音楽的描写を進ませる。それは民衆の請願行進を意味する行進曲であり、そして一斉射撃、壮絶な死へと転落してゆく。

音楽は切れ目なく第3楽章のアダージョへと続く。ここは死者を追悼するレクイエム。そしてやがて革命への音楽へと変わっていく。怒涛のような音楽、打楽器を多用した賛歌と行進曲、圧倒的なクライマックス、高らかに歌われる社会主義賛歌。これらが混然一体となってアンサンブルを形作る。井上の集中力は、神がかり的と言ってもいい程に研ぎ澄まされ、オーケストラがそこに食らいついていく様は、3階席にも怒涛のように押し寄せてゆく。見ていて、何か目のくらむような錯覚と、そしてそれに負けまいとする精神力がこちらにも必要となる。

だがこれで曲が終わるわけではない。第4楽章はこういった賛歌であると同時に、同時に帝政ロシアに対する警鐘を意味しているという。そのメロディーは後半に登場するイングリッシュ・ホルンのソロによって明確に表されている。N響のオーボエ主席が持ち替えて奏でるイングリッシュ・ホルンの響きは、何と印象的なことか。いやそれだけでない。この日のN響の、時に不安定さを見せる金管がほぼ完ぺきと言っていい出来栄え。私はこんな演奏を聞いたことはない。弦楽器のN響が、重厚でいまやヨーロッパの第一級のオケに引けを取らない水準にあることは、だれも疑わない事実である。

コーダで再び行進曲がクライマックスを築き、途切れるように音楽が終わると、会場からどっとブラボーの声が噴き出した。私はこんな興奮に満ちたN響定期を知らない。楽団員も指揮者も、そして客席も、疲れ果てたと同時に何かをやり切った充実感のようなものが感じられた。何度も呼び出される指揮者は、長い手を振りながらバレエダンサーのように客席を振り返った。彼はまたオーケストラの楽団員の中に分け入って各奏者と握手を繰り返し、その時間は10分以上は続いただろう。私はこの演奏を、テレビで見てみたい。細かい部分まではさすがに3階席ではよくわからないからだ。だが、このような興奮は、おそらくテレビでは伝えきることはできないと確信する。ショスタコーヴィチが自分自身だと語る井上の面目を見た今日のコンサートは、定期としては1回限りだった。だが、他の作品においても同様な演奏が期待できる井上に、是非、他の曲も振ってもらいたい。おそらく同じ思いを、その場に居合わせた聴衆は感じただろう。

蛇足ながら一言。私はこの演奏を聞きながら、あの「天安門事件」を思い出した。人民解放軍が、歴史上はじめて民衆に発砲をしたのだ。あれから30年が経過したが、不安な世界情勢は変わっていない。共産主義と資本主義が「1国2制度」というまやかしのもとに存在する中国では、香港で民主デモが毎日のように行われ、そに向けた当局の締め付けは一層激しさを増しているようだ。社会主義の誕生からまだ1世紀を経てもいない世界で、社会主義運動そのものが博物館入りを果たしたのだろうか。ショスタコーヴィチを聞きながら、格差のますます拡大する今の世界に照らして考える時、その複雑な情勢は私の心を一層暗鬱なものにさせてる。

2019年10月15日火曜日

読書ノート:「宝島」(真藤順丈、2018)

生まれ故郷の大阪、あるいは関西を舞台にした小説のいくつかに限って、このブログにその感想などを書き記してきたが、この「宝島」についてはどうしても触れておきたいという思いが、読後半年以上たっても冷めやらず、次第に記憶が薄くなってしまう前に、思いついたことなどを書いておこうと思った。初めて読んだ沖縄の小説。しかも戦後の占領地時代を舞台にしたもの。正直に言おう。基地問題や戦争の爪痕を考えるという意味で、これほど気乗りしないものはなかった。沖縄の問題は、本土に住む日本人にとっても、他人ごとではない重みを持っている。だが、そのことに正面から向き合い、正しく理解しようとすればするほど、その難しさ、どうしようもない重さを思わざるを得ない。つまり早い話が、避けて通りたくなる。

基地問題、あるいは沖縄問題を扱ったルポやノンフィクションは少なくない。だが、それらは、すでに沖縄問題に関心を抱いている人にはアピールしても、そうではない普通の人々には、なかなか伝わらない側面を持っているように思う。沖縄に関係の深い人、あるいは沖縄の人によってこれらが語られることは重要ではあるが、一方で沖縄に全くと言っていい程縁のなかった作家がいて、彼が沖縄の方言を駆使しながら見事な小説を書いたのだ。

作者は真藤順丈。東京生まれ東京育ちの彼が、どうして沖縄を舞台にした小説を書き、その鮮やかなタッチで感動的な作品を生み出すことになったかは、実のところよくわからない。この直木賞を受賞した作品が持つ意味は、しなしながら非常に大きい。沖縄に縁のない小説家が書いた沖縄の物語は、勿論小説である。そのことが沖縄問題を考えるうえで、大層身近に感じられるのである。ストーリーはフィクションだが、そこに登場する人々は実在だった人物もいるし、それに本作品はSFではない。従って、戦後の沖縄はこんなふうだったのだと説得させるものがある。その残酷なまでの事実を、作者は若者の群像の中に生き生きと描き出す。その文章の迫力。

私はこの小説を家の近くの書店で購入しようとしたときの店員の顔が忘れられない。「あなたもこの小説を読むのですね!」という共感に満ちた表情が見て取れた。分厚い小説も読み進むと次第にその力に体が馴染んでいく。さながらスポーツのような感覚である。

登場人物はコザの「戦果アギヤー」のリーダー「オンちゃん」と弟の「レイ」、親友の「グスク」、そして恋人の「ヤマコ」。「戦果アギヤー」とは米軍基地に忍びこんで、物資を略奪することを生業とする人たちで、占領下にあった沖縄ではこういう人たちが、地元のヒーローだったようだ。舞台はその「戦果アギヤー」たちが、夜の嘉手納基地に忍び込むところから始まる。

私はここで物語の内容を書きたいとは思わない。これから読む人に対し、いわゆる「ネタばれ」をしてしまうことは避けたいという理由もあるが、他にも多くの書評などが出ているだろうから、敢えてそれを繰り返す必要はないと思う。私はいつも聞いていたラジオ番組の書評のコーナーで、アシスタントの女性アナウンサーがこの小説を読み始め、まだ三分の一ほどだけど興味深くなってちょっと何か引き込まれていくのです、というようなことを語っていたことが、この小説を知るきっかけとなった。直木賞の受賞作は芥川賞と同時に発表されたので、芥川賞の発表会見中に直木賞の受賞が伝わり、「宝島」に決まったことに会見中の選考委員が敢えて触れ、「これはいい作品です」とコメントしたのをテレビで見たのを思い出した。

だが、読書の直接の引き金になったのは、意外なことだった。知り合いの子供が通う学校の図書だよりに、作者がその学校の出身だと紹介されていたことだ。早速私はこの500ページ余りに及ぶ単行本を買うために、書店へ赴いた。平積みされていたその一冊を持って帰り、毎日数十ページづつを読むことにしていたが、とうとう後半は一気に読み通すことになった。読後の感動は、何と表現したらよいのかわからない。ただ胸にジンジンと迫るものがあって、それが数日の間続いた。

沖縄の問題を扱いながら、その内容をこんな風に描いて見せることが、できるのか、と思った。そのさわやかな気持ちは、あの沖縄に吹く風のように暖かかった。抜けるような青空が、かえって戦地となった残酷な歴史を、静かによみがえらせるように、小説というものは、登場人物を通して、その複雑な問題を多面的に示すことになる。

沖縄市、というのがコザのことだが、ここの嘉手納基地の前の通りに行った時の雰囲気は私も忘れることができない。狭い路地を入る混むと、生活の匂いが立ち込める。その周りに広がる歓楽街が、終戦直後から続く植民地の雰囲気を残している。世界中の米軍基地の街、日本にも占領時代には国中に「基地の街」は存在し、今もっていくつかの土地はそのままである。だが沖縄の問題は、とりわけ複雑である。それは、琉球という独自の政治と文化を育んで来た歴史にも直結し、米国にも日本にも、どちらにも見捨てられるのではないかという思い、あるいはそのどちらでもないという誇り、そういった相反する感情の二面性。この錯綜した心理状況を語るうえで、小説ほど適したものはない。それを東京の作家がやった。そのことにこの小説の特別な意味があるだろう。

沖縄がたどった過酷な運命は、決して単純に説明できるものではない。だからこそ、個々の人間の、異なる人生によって様々な視点が存在し得る。同じ街で育った幼馴染が、「グスク」が警官に、「ヤマコ」が教師に、そして「レイ」はテロリストへと違う道を歩みながらも、同志として行方不明の「オンちゃん」を探し求めることに、それは端的に表れている。そして今でも米国軍人と日本人の間に生まれた人生の存在に気づかされる時には、実際に「ヤマコ」や「グスク」や、それに「ウタ」が、今でもそこに暮らしているような感覚にとらわれる。

読書を終えてから半年以上が過ぎた。今思い出して書けるのは、このくらいだ。読書直後だったら、もう少しいろいろなことが書けたようにも思う。記憶が風化していくのは残念でならない。だが、この小説を読み終わった時の、あの何とも言えないような気持ち・・・清々しくも泣きたくなるような・・・だけは、私が旅した3月の、快晴の風景と共に、まだ心のどこかに残っている。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...