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2026年3月17日火曜日

ショスタコーヴィチ:ジャズ組曲第1番、第2番(リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

ショスタコーヴィチの音楽を聴き始めたころ、こんな曲があったのかと思った。それはちょうど、リッカルド・シャイーがコンセルトヘボウ管弦楽団とジャズに関する曲を集めたCDを新発売し、それが目に留まったのである。「なぜソビエトの作曲家がジャズを?」と思ったものだ。

一般にジャズとは、米国南部を源流に持つアフリカ系アメリカ人(黒人)の音楽として発展した。その軽妙さと即興性、独特のリズムを持つ音楽をソビエトに紹介した人物がいたのだろう。しかし、そのままの形でソビエトに持ち込まれたわけではなくロシア流にアレンジされ、原型から大きく変化したものだと言ってよい。

シャイーの指揮で聴くショスタコーヴィチのジャズ作品集は、とてもリラックスして軽妙だが、どこか洗練されておりモダンである。もっとも作曲されたのはいまから100年ほど前でもあるので、古きレトロな香りが充満している。いってみれば、サロン音楽、あるいはダンス音楽といったムードである。

ここで話は少し脱線するが、米国で活躍し、時にジャズの要素を取り入れた作曲家にロシア系アメリカ人が多いことは興味深い。ジョージ・ガーシュイン、アーロン・コープランド、それにレナード・バーンスタインといった誰もが知るアメリカ人作曲家は、みなロシア系、しかもユダヤ人の血を引いている。そのユダヤの音楽をショスタコーヴィチもしばしば引用し、交響曲をはじめとする作品に取り入れているのは、さらに興味深いと言える。

さて、ソビエトにおけるジャズは、本家アメリカのものとは異なり、体制的なバックアップもあって流行した側面がある。ショスタコーヴィチは数々の映画やアニメーションの音楽を作曲しているが、これらの作品もいわば彼の本業を少し離れたユーモラスで打ち解けた作品である。その面白さは一度聴くとよくわかる。シャイーの軽やかで明るいリズムが、その傾向に拍車をかけている。

ジャズ組曲第1番(1934)は8分程度の曲ながら印象的である。ワルツ、ポルカ、フォックスロットの3つの部分からなる。一方、第2番(1938)は、1999年に発見され2000年になるまで初演されなかった作品とは異なり、ここでは「舞台管弦楽のための組曲第1番」が収録されている。約25分の曲で、これがかねてより「ジャズ組曲第2番」とされていた。シャイーの演奏は1991年のものだから、「ジャズ組曲第2番」と表記されている。

8つの部分から成り、さまざまな他の作品からの転用も多くなされているようだ。まあそんなことはともかく、ムード音楽のような気軽さでソビエトのジャズに耳を傾けてみたい。1922年に誕生したソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)は、ゴルバチョフによる改革に失敗し、1990年代初頭に崩壊してしまった。ショスタコーヴィチの人生(1906–1975)は、そのほとんどをソ連時代に過ごさざるを得なかった稀有な芸術家である。彼が残した数多くの交響曲については、また別の機会にゆっくり聴いてみたい。とかく難解なショスタコーヴィチの音楽にも、こんな気さくに聴けるものだってあるのだということが、私などはとても人間的で嬉しいことのように思えてくる。

なお、本CDにはピアノ協奏曲第1番、および「タヒチ・トロット」としても知られる「二人でお茶を」が添えられていて、サービス満点である。

2026年3月6日金曜日

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第2番ヘ長調作品102(P: レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

若きバーンスタインがニューヨーク・フィルと共演したショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番を、私はアンドレ・プレヴィンがピアノ独奏を担当していると思っていた。だが、プレヴィンが弾いたのは第1番の方で、第2番はバーンスタインの弾き振りである。録音は1958年というから、ステレオ初期のかなり前の演奏。そしてこの年は、作曲の翌年ということになる。そしてそれはまた、バーンスタインとニューヨーク・フィルが雪解けのモスクワで凱旋公演を果たした頃でもある。

バーンスタインのピアノがどれほどの巧さなのかはよくわからないが、アルゲリッチやユジャ・ワンのように、このような曲を技巧的に弾き倒すのも面白いが、このような簡単に見える曲はゆっくりと噛みしめるような演奏も素敵である。この曲は息子のマクシムのために作曲された。当時マクシムは、レニングラード音楽院の学生だった。その後指揮者として父の曲の初演を行うなど活躍したが、よく知られているように、彼は父親が亡くなったあとアメリカに亡命した。

子犬の競走のような明るい第1楽章を経て、驚くのは第2楽章の、丸でショパンのようなロマンあふれる第2楽章である。一転して静かな曲調になると、しばらくしてピアノがゆっくりと甘美なメロディーを奏で始めるのである。私は初めてこの曲を聞いたとき、これは本当にショスタコーヴィチの曲なのかと思ったほどである。

開発を入れず始まる第3楽章は、再び軽快な曲である。どこかジャズ風でもあるこの曲を、バーンスタインは明暗の表情をつけつつリズミカルに演奏している。大作曲家が若いころに書きそうに思えるような曲ながら、これはそこそこ技巧が要るのかもしれない

2026年3月3日火曜日

ショスタコーヴィチ:ピアノ協奏曲第1番 ハ短調 作品35(P:マルタ・アルゲリッチ、アレクサンドル・ヴェデルニコフ指揮スイス・イタリア語放送管弦楽団)

「冬来たりなば春遠からじ」というが、今年の冬はあっという間に過ぎ去り、早くも桜の開花の季節が始まろうとしている。にもかかわらず、今日は朝から冷たい雨。おまけにイランで戦争が始まるというニュースが流れ、世の中はどこか暗いムードに包まれている。

ショスタコーヴィチについて調べていて、彼が第1回ショパン・コンクール(1927年)に出場し、優勝こそ逃したものの名誉賞を受けていたことを初めて知った。つまり彼は、作曲家としてだけでなくピアニストとしても相当な腕前だったということになる。ショスタコーヴィチの残した作品は、オペラから交響曲、室内楽まで膨大な数に上るが、ピアノ協奏曲は2曲しかない。その2曲は、第1番が1933年、第2番が1957年の作曲。この間にはヒトラーと戦った第2次世界大戦があり、さらに戦後には恐ろしいスターリン独裁期が続いたことを思わずにはいられない。

先日、N響定期で第2番の方を聴き、その美しい第2楽章に深く心を打たれた。では第1番はどのような曲だったか、改めてきちんと聴いてみようと思った。かつてどこかで耳にしたような気もするが、私の所有する『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂)には赤鉛筆で聞いたことを示すチェックが入っているものの、ほとんど記憶にない。調べてみると録音はそこそこあり、人気作品であることがわかる。

その中で私の心をとらえたのが、マルタ・アルゲリッチによるルガーノ音楽祭2006のライブ録音だった。指揮はアレクサンドル・ヴェデルニコフ、オーケストラはスイス・イタリア語放送管弦楽団。ヴェデルニコフはロシアの指揮者だが、新型コロナウイルスにより亡くなったという。なお、この作品は単なるピアノ協奏曲ではなく、トランペットが大きな役割を果たす。正式なタイトルは「ピアノ、トランペット、弦楽合奏のための協奏曲」である。この演奏でソロ・トランペットを務めているのは、日本でもおなじみのセルゲイ・ナカリャコフだ。

第1楽章の冒頭から、何とも印象的である。短いフレーズがアイロニカルで、どこかヘンテコリンな味わいを持つ。そして突然、高速のピアノが駆け込んでくる。さらにトランペットが追い打ちをかける。さまざまな要素が交錯して面白いが、音楽が破綻しているわけではない。どこかパロディー的な趣がある。

第2楽章は一転して真面目な緩徐楽章で、意外にロマンチックだ。しかしそこはソビエトの音楽。どこか醒めていて、心の奥に冷徹な心情が表現されているように感じる。最近よくドラマを見るのだが、その挿入音楽のようにシーンの裏側に潜む心理を照らし出す。特に後半には不安なムードが漂い、どこか寂しく孤独な感情を呼び起こす。

この曲は4楽章構成だが、第3楽章は非常に短く、一気に演奏されるため気がつくと終わっている。続く第4楽章へのパッセージのような位置づけで、次第にエネルギーが蓄積していく。そして第4楽章。疾走する超絶技巧が一気に駆け抜けるさまは圧巻である。もちろんトランペットも存在感を示す。途中、ゆっくりとしたトランペットのソロが登場し、可笑しみのあるアクセントとなるが、すぐに行進曲風のショスタコーヴィチ節が炸裂し、興奮が高まる。どこか掛け合い漫才を見ているような面白さがある。このような音楽がアルゲリッチに合わないはずがない。ライブ収録された演奏は、瞬く間に拍手喝采となる。

このCDにはピアノ協奏曲第1番のほか、「2台のピアノのためのコンチェルティーノ」、さらにピアノ五重奏曲ト短調が収められている。夢うつつの中でピアノ五重奏曲を聴いていると、どこか「古くてモダン」な世界に連れていかれたような気がした。「懐かしい」とか「ロマンチック」というのでもなく、「悲しい」とか「気が滅入る」というのでもない。ただそこに音楽が存在し、心が静かに整っていくような感覚。もしかするとショスタコーヴィチの不思議な魔法は、こうしたところにあるのではないかと思った。¥

この曲の初演は大成功を収め、ショスタコーヴィチの出世作となった。作曲者自身の録音も残されているが、モノラルで音は古い。一方、最新のユジャ・ワンによる演奏(アンドリス・ネルソンズ指揮ボストン交響楽団)は録音も良く、非常に素晴らしい。

2026年1月31日土曜日

NHK交響楽団第2056回定期公演(2026年1月30日サントリーホール、トゥガン・ソヒエフ指揮)

ロシアのウクライナ侵攻でフランスのオーケストラの音楽監督を辞任した、北オセチア生まれのトゥガン・ソヒエフは、モスクワのボリショイ劇場の音楽監督の座も投げうってフリーランスとなった。しかし彼の実力は、世界が認めざるを得なかったようだ。その後もベルリン・フィルやウィーン・フィルの公演に呼ばれ、ついに来年(2027年)のニューイヤーコンサートの指揮台に立つことが発表されている。

多忙を極めるソヒエフが毎年のように来日し、毎回1か月もの期間東京に滞在して、3シリーズ計6回の定期公演に登場してくれることは、東京の音楽ファンにとって嬉しいことこの上ない。私も2016年以来、機会あるごとに出かけてきたが、毎回名演である。そして今年もまた、私にとって10回目となるソヒエフの演奏会に出かけることになった。サントリー定期の会員として、今回はオール・ロシア・プログラムが組まれている。

最初の曲はムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」であった。この作品はリムスキー=コルサコフの編曲版がよく知られているが、今回はショスタコーヴィチの編曲によるものだった。もっとも私はほとんど聴いておらず、その違いはよくわからないが、作曲年代から考えてショスタコーヴィチ版の方が規模が大きく、チェレスタなどの楽器が使われるようだ。ソヒエフはこの5分ほどの曲を丁寧に演奏した。早朝のモスクワに居合わせるかのようなムードが漂い、その魔法のような音楽作りに見とれるばかり。

プログラム2曲目は、ピアニストの松田華音(かのん)を迎えての、ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第2番である。私は恥ずかしながら、この曲を聴くのは初めて。しかも松田のピアノも初めてであった。プロフィールによると、松田は高松生まれ。6歳でモスクワに渡り、モスクワ音楽院を首席で卒業したとある(2019年)。今となってはロシアに留学するのは大変なことだろうが、彼女の場合、少し早かったのが良かった。とはいえ、あの寒いロシアに若干6歳から留学するなど、想像の域を超えている。

ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲は2曲あり、こちらは後の方(1957年)。2つの作品の間に第2次世界大戦があり、ソビエトの社会状況は大きく変わっていることは周知の事実である。1957年頃といえば、中学生の歴史の教科書でも触れられているように、デタント(雪解け)が進んだ頃である。それだからか、このピアノ協奏曲第2番もどこか明るく快活である。

この第2楽章を聴いて、私は少し驚いた。ショスタコーヴィチの音楽といえば無機的な響きを想像するのだが、ここは何とロマンチックな音楽で、ショスタコーヴィチでもこういう曲を書いたのかと思わせるようなものだった。ショパンかドイツ音楽を思わせる。松田は何度も舞台に呼ばれ、当然のことのようにアンコールを弾いた。会場の出口であとで確認したところ、これはシチェドリンの「ユモレスク」という曲だったようだ。

20分の休憩を挟んでの演目は、プロコフィエフの交響曲第5番であった。舞台上に多くの楽器が並び壮観である。プロコフィエフを得意とし、録音も行っているソヒエフの十八番である。いつものように指揮棒を持たず、時折すくい上げるようなジェスチャーで各楽器へ細かい指示を出す。もう少し前の方で見ていたら(それはサントリーホールの場合、P席でもいいかもしれない)、その面白さを堪能できただろう。

ソヒエフの音楽を聴きながら、いつもながら雑味のない、極めてバランスの取れたその音楽をどう表現すればいいのかと考えた。すると卑近な例が思い浮かんだ。先日、近江の有名な酒蔵を訪れた時に買った純米大吟醸の日本酒が思い出されたのだ。ソヒエフの音楽は決して大音量を出すわけではない。私はカラヤンの音楽を聴いたことはないのだが、もしかすると、その絶妙なバランスは天性のものかもしれない。しかし各楽器は抑制された息苦しいものではなく、むしろ陽気に解き放たれ、奏者は自信を持って弾いているように感じる。

第1楽章の冒頭から終楽章のコーダに至るまで、ソヒエフの解釈は揺るぎなく、完璧であった。N響はいつも思うのだが、プロコフィエフが大変似合う。そしてソヒエフの魔法にかかると、いっそう輝きを増す。弦楽器奏者が椅子から立ち上がらんばかりに体を揺らし、管楽器が掛け合う。その合間に響く打楽器、ピアノ、ハープ。実演ではやはり終楽章のアレグロが手に汗握る様相を呈した。いつもの醒めたものとは違い、間髪を入れず沸き起こる拍手とブラボー。そうか、N響のサントリー定期でもこれほどの熱狂があるのかと思った。

ソヒエフのN響との次回の共演は、早くも今年11月に開催されるようだ。しかも3つのプログラムはいずれも魅力的で、私はすべてのコンサートに足を運ぶことも検討している。Aプログラムのプロコフィエフ(ヴァイオリン:神尾真由子)とショスタコーヴィチ(交響曲第8番)、Bプログラムのラフマニノフ(ピアノ:カントロフ)とチャイコフスキー(「くるみ割り人形」)、そしてCプログラムのベートーヴェン・チクルスの一部(交響曲第2番と「田園」)である。

2024年2月15日木曜日

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

私は大阪で育ったから、朝日放送で週末夜に放送されていたテレビドラマ「部長刑事」を何度も見ている。たった30分の刑事ものというのも珍しいが、このドラマは少し変わっていて派手なシーンはあまりなく、むしろ心理ドラマとしての面白さが前面に出たユニークなものだった(と記憶している)。全国にネットされているわけではなく、刑事も犯人もみな関西弁丸出しのセリフだから、私にとってはたいへん身近に感じることができた(通常のテレビドラマは標準語で会話がなされるため、関西人には親近感がわかない。特に学園もの)。

さてその「部長刑事」に登場するテーマ音楽が、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章なのである。ところがこのドラマに使われる演奏は遅い。我が家にあったレナード・バーンスタインによる演奏は、これとは対照的にめっぽう速い。この違いは、この作品を語る上で避けて通れない「第4楽章のテンポ」問題なのである。遅い方を採用する指揮者は、私の知るところではヤンソンス、インバルなど。近年は原典主義の流行で、新しい録音ほど遅い演奏が多くなっている。

どちらが好きかという前に、この作品の初演者で今なお評価が高いムラヴィンスキーの演奏に耳を傾けてみる。するとそれはバーンスタイン同様に一目散に駆け抜ける演奏だ。というわけで、ここの演奏は速いのが標準だと思いたくなる。ところが、このムラヴィンスキーの演奏のもとになっているのが、出版された楽譜(遅い方)ではなく、手書きされた写譜だというのである(速い方)。ムラヴィンスキーの初演にはショスタコーヴィチ自身が立ち会っているから、わけがわからなくなる。テンポの問題は、実は第4楽章冒頭だけでなくコーダにもある(コーダではバーンスタイン盤がめっぽう速いのに対し、ムラヴィンスキー盤は重くて遅く、対照的である)。

どちらが正解かよくわからないのだが、まあ細かいことはさておき、この曲の魅力は何といってもその分かりやすさではないだろうか。ショスタコーヴィチは暗黒の時代を生きた作曲家だった。スターリンによる粛清はあらゆる分野に及び、人気作曲家でさえも例外ではなかった。因縁をつけられ、事実ではなくても批判されたり投獄されるのは日常茶飯事だったのではないかと思う。そういった批判をかわすため、ショスタコーヴィチはそれまでとは違った明快な音楽を作曲した。それが第5番の交響曲だった。一時「革命」とも題されたその音楽は、寒さと飢えに苦しむ農民が、やがて雪崩を打つように首都に侵入し革命を勝ち取るというストーリーである。これがベートーヴェン以来の「苦しみからの勝利へ」という第5交響曲の図式に、変にマッチする。

だがその解釈を真っ当に受けてよいのだろうか。この「勝利」は偽りの勝利であり、第2楽章のワルツは強制され、第4楽章の歓喜は銃口を向けられた中で繰り広げられる狂気であると解釈することもできる。共産主義に迎合したのか、それとも表面的には社会主義を讃えつつも、虐げられた芸術家の魂の叫びこそが隠されたテーマなのか、それはわからない。だが、ムラヴィンスキーの初演にショスタコーヴィチは立ち合い、その初演は大成功に終わることでショスタコーヴィチの名誉は回復、以降2人の親交は続き、ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの作品の多くを演奏した。交響曲第5番は結果的に、正反対の2つの解釈が可能なものとして在り続けている。

第1楽章は長く、フルートのソロや行進曲風のメロディーなど様々なテーマが現れ、ピアノやチェレスタといった楽器も登場する。これだけでも十分に楽しいが、第2楽章のスケルツォになるとロシア風のダンスで、重低音と管楽器の組み合わせが面白い。一方、第3楽章はこの曲の神髄とも言うべき部分で、弦楽器主体のラルゴである。寒さと飢えに苦しむ悲痛な響きで涙も出てこない。突如、ティンパニがクレッシェンドし、軍隊の行進のようなメロディーが威勢よく鳴り響く。金管楽器の旋律は一度聴いたら忘れられない。静かな部分も経て、再度主題が現れると小太鼓やシンバルなども登場し、祝祭的な音楽となってコーダに突き進む。オーケストラを聞く醍醐味が味わえる。

エフゲニー・ムラヴィンスキーは、ロシア革命前の1903年サンクト・ペテルブルグの生まれである。3年年下のショスタコーヴィチはまだ生まれていない。程なくしてロシア革命が起こり、以降、ソビエトが崩壊する直前の1988年に没するまでレニングラードのオーケストラを指揮し続けた。ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビは、世界でもっとも高水準の演奏を繰り広げるものとして有名だった。しかし鉄のカーテンの向こう側の演奏の実態が知れ渡ることは、実際にはほとんどなかった。

我が国には1973年に初来日、以降2年おきに来日を果たすが、私が本格的にクラシック音楽を聞き始めた1980年以降は、予定されながら実現することはとうとうなかった。新聞の広告に何度か来日公演のチケット販売予告を見たが、その数か月後には「公演中止」の広告に変わった。録音嫌いでもあったムラヴィンスキーのショスタコーヴィチは、数多くのディスクが発売されているが、そのほとんどがソビエトで録音され音質が悪い。しかし第5番に関しては1973年来日時のNHK録音を始めとして、いくつかが知られている。今回私が聞いているのは、最晩年の1984年4月にソビエトでライブ録音されたものだ。Eratoから発売され、現在はDENONレーベルで音楽配信されている。音はいい。

このムラヴィンスキーの演奏と双璧をなすのが、西側の若手選手、レナード・バーンスタインの演奏だろう。もっともバーンスタインはロシア系の移民の子孫だったことから、ロシアへの愛着もあったのだろう。冷戦の雪解けが進んだ1959年、バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックとともにモスクワの舞台に立つ。この時のショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏は、華々しく楽天的でさえある。この快活な演奏をショスタコーヴィチ自身が聞いていて、舞台に駆け寄った逸話は有名だ。バーンスタインは演奏旅行の後、ボストンでこの曲を録音した。現在聞くことのできるディスクは、この時の伝説的録音として今なお名高い。私が初めてこの曲を聞いたのも、我が家にあったこの演奏のLPレコードだった。

バーンスタインとムラヴィンスキーによる2つの演奏は、今もってこの曲の東西の横綱である。

2023年12月13日水曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第756回東京定期演奏家(2023年12月8日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

カーチュン・ウォンが日フィルの首席指揮者に就任してから、彼のコンサートが目白押しである。私も初めて演奏を聞き(マーラーの交響曲第3番)、にわかにファンになってしまった。どんな名曲であっても常に新鮮な発見をさせてくれそうな予感がする。極めて微細な部分までを体全体を駆使して表現する様は、見ているだけでも楽しい。そして12月の東京定期公演なる演奏会も、若きマエストロの独断場であった。私は数日前に日フィルからメールが来て、まだ多くの席が残っていることをたまたま知り、8日(金)のコンサートのチケットを買った。今回はその表情豊かな指揮姿を真正面から見てみたいという思いに駆られ、普段はまず買わない舞台裏のP席を取った。だが客席は4割にも満たない状況。ちょっとショッキングだったが、それは見事な演奏会だった。

プログラムはウォンが精力的に取り上げていきたいと語ったアジアの作曲家、特に今回は我が国の代表的な作曲家である外山雄三と伊福部昭の作品が前半に並んだ。まず外山の交響詩「まつら」。この曲を聞くのは初めてだが、ウォンは15分足らずのこの作品を、丁寧に演奏した。1982年に日フィルによって初演されたこの作品は、佐賀県松浦地方に伝わる音楽をベースにしているという。夜明けの静かで厳かな情景に始まり、祭囃子も聞こえてくる日本的情緒を前面に表現した作品で、あの有名な「管弦楽のためのラプソディー」を思わせるようなところがある。P席から見ると打楽器がすぐ下に陣取って、残念ことに一部が見えない。

実のところ外山雄三は私が初めて聞いた指揮者で、それは親に連れられて行った大阪フィルの「第九」であった。小学生だった。古い大阪フェスティバルホールの3階席後方で、ティンパニの音が視覚とずれて聞こえたのを覚えている。その外山も今年逝ける音楽家となった。指揮者はカーテンコールに応えながら、楽譜を高らかに持ち上げ、作曲家の死を悼んだ。

舞台は長い時間、準備のための小休止となった。ピアノの次に大きな楽器が、アップダウンするサントリーホールの左奥から舞台中央に移動されたのだった。マリンバは小学生の頃、音楽室に置かれていた楽器だった。私の通っていた小学校は普通の地元の公立学校だったが、音楽の先生が大変ユニークな方で、通常の授業は一切行わずただ学生に楽器を触らせた。その中に大きなマリンバ(といってもプロが使う大きなものではなかったが、それでも当時80万円はすると言っていたような気がする)、ザイロフォン、パーカッション、ベースなどまで揃っていた。小学生は毎日、昼休みになるとこれらの楽器の争奪戦が行われ、勝者が順にこれらを演奏するのだった。

そのマリンバである。マリンバがオーケストラと共演する曲は珍しい。プロは畳以上の大きさのある広い鍵盤を右に左に移動しながら、4本のバチを持って演奏する。そのバチも曲の途中で様々な長さのものに交換する。指揮者がやや横にずれ、舞台正面に陣取ったマリンバを演奏するのは、「日本を代表する打楽器奏者」池上英樹である。指揮者とともに舞台に現れると、伊福部昭の名曲「オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ」が始まった。P席から見る奏者は、向こうを向いてはいるがそのバチさばきが良く見えてなかなか面白い。

この30分程度の曲は、よくあるように急=緩=急の3つの部分から成っている。北海道生まれの作曲家は、外山のような伝統的な日本風情緒を押し出すようなことはしない。むしろ北方の大地を思わせる広がりと、そこから湧き出すような土俗的リズムが顕著である。その中から「ゴジラ」の音楽が生まれた。それが音楽的にどういう意味を持つか、詳しく説明するだけの知識はないが聞いていて面白いことは確かである。カーチュン・ウォンはこの曲に前半の重心を置いていたのは明らかで、時に野蛮とも思われるようなリズムを軽快に刻む。私はマリンバの演奏の良し悪しを評価する知見を持たないが、よくもあんなに複雑なバチを暗唱した上で間違わずに弾けるものだと思った。この大きな楽器を演奏するには、楽譜を見ている余裕はないのである。

コーダの部分は長く続くリズムに合わせて聴衆が体中が揺さぶられた。その興奮の様子は録画され、早くもテレビマンユニオンのサイトで観ることができる(https://members.tvuch.com/member/)。ただ視聴には一つの公演につき1000円もかかる(しかも90日しか見ることはできない)。私は実演を見たわけだし、ビデオで観る音楽は所詮その時の感動を超えることはない。音楽はライブにこそ意味があるのだ。だからビデオ視聴はもう少し安くてもいいのではないかと思う。なお、マリンバ独奏のアンコールは、マリンバ用にたいそう味付けされた「星に願いを」だった。

休憩を挟んで演奏されたのは、本来この公演を指揮するはずだったアレクサンドル・ラザレフの十八番、ショスタコーヴィチの交響曲第5番であった。ショスタコーヴィチの全15曲に及ぶ交響曲の中で最も有名であり、かつ明快な音楽である。かつてショスタコーヴィチの音楽などまだ珍しかった頃でも、この第5番だけは良く演奏された。私の実家にもレナード・バーンスタインが雪解け時代のモスクワに凱旋した際に録音された公演のライブ盤があったし、コンサートでもマリス・ヤンソンスの演奏を聞いている。親しみやすい音楽なのだが、その意味するところは複雑だ。結局何が真実かよくわからないまま、批判の矢面に立たされていたショスタコーヴィチの名誉が、ソビエト社会で回復する。

ただカーチュン・ウォンの解釈はプログラム・ノートに書かれているように、共産主義体制によって人間性が圧迫され、政治との軋轢と絶望の中で聞こえる悲痛な叫びや恐怖、絶望、その果ての孤独といったものに覆われている音楽だという。舞台上のマリンバに代わりピアノ、チェレスタ、鉄筋など打楽器が所せましと並び、2台のハープも加えた様は壮観である。私は普段見えないピアノの鍵盤を見下ろす位置に座っている。このオーケストラの中の鍵盤楽器奏者は、チェレスタも演奏する。ここから見る一番奥に、コントラバス奏者が10人以上いる。

演奏はほぼ完璧と言ってもいいものだった。オーケストラの技術的な観点だけではない。加えて音楽的な完成度という意味で、これ以上望めないレベルだった。カーチュン・ウォンの表現が恐ろしく明確で、それに応えるオーケストラ。日フィルに望みうる最高レベルの演奏だった。そして先日のマーラーいい、今回のショスタコーヴィチといい、このコンビで聞く音楽の充実度は、聞いていて歓喜の声を上げたくなるほどだ。第1楽章の冒頭だけで何十回と練習を繰り返したとか、弦楽器のボウイングを分けて演奏したとかといった技術的な噂も聞こえてくるが、そういったことを感じさせないほどにこなれている。余裕さえ感じられたと思う。それでいて白熱の名演、なかなかできるものではない。

このゆとりある完璧な演奏スタイルが、上記のようなショスタコーヴィチ音楽の暗く非人間的な負の側面をどれほど十全に表現しえたかはわからない。むしろ明快で単純な勝利への音楽と感じることもできるような気もする。このあたりは聞く側の主観にも依存するのでいい加減なことは言えないのだが、音楽の持つ多様な側面を感じるのも技術的完成度ゆえのことだろうとも思う。

第1楽章の何かが始まるような戦慄、第2楽章の無機的な舞踏を経て第3楽章の孤独の極限がこれほどまでに明確に聞こえてことはなかった。終楽章の沸き立つ行進は、精緻な中間部を経て大きく再現され、コーダでの打楽器を含むトゥッティへと導かれる。一気に自然な形で進むので、あっけにとられているうちに終わってしまった。アーカイブのビデオで再度見てみたいと思う。客席こそ空席が目立ったが、熱心なファンが止まってしまった拍手をパラパラと再開し、それが何分も続くうちに次第に増えていった。オーケストラが退場しても指揮者だけが呼びもどされた時、やはりこの演奏は多くの人の心を打ったのだと合点した。

カーチュン・ウォンの演奏会はこれからも多く組まれている。その中にはマーラーの交響曲第9番も含まれる。有名曲であっても何か新しい発見のある演奏に、来年も触れ続けていきたいと思った演奏会、ついに私は来春から始まるシーズン前半の定期会員チケットを購入してしまった。

2022年3月6日日曜日

東京フィルハーモニー交響楽団第964回サントリー定期シリーズ(2022年2月25日サントリーホール、井上道義指揮)

今年は初めて東フィルの定期会員になった。東フィルのシーズンは1月から始まるから、10月までの計8回の定期演奏会をサントリーホールで聞く。今シーズンのプログラムはなかなか魅力的で、私好みの指揮者、そして曲が多い。仕事で行けなくなる日は、空いていれば同じ定期の別の会場に振り替えてくれる。そういうわけで、90年代にN響や読響の定期会員だった時以来、実に30年ぶりに特定のオーケストラの演奏を定期的に聞くことにした次第である。

定期会員になることのメリットは、何といっても1回あたりの料金が安いことだが、定期演奏会ほどオーケストラが真剣に取り組む演奏会はないのではないか、と思うほどに充実したものが多いということも魅力である。プログラムはオーケストラが特にこだわって選んだ選曲で、玄人好みのものが多いのも特徴だ。これとは別に開催される名曲プログラムが手抜きであるとは思わないし、有名曲をどのように聞かせるかを体験する楽しみもないわけではないが、過去の定期会員の経験から、初めて聞く曲、あるいは指揮者がこだわって演奏する曲こそが、プロの奏者の本領発揮、腕の見せ所となることが多いように思う。

定期会員になることで、1回だけの演奏会なら敬遠するプログラムでも否応なしにチケットが送られてくるので、無理にでも行く羽目になる。ところが上記の理由などにより、演奏が大変よかったり、初めて聞く曲の魅力を発見したりと、その意外性も含めてなかなか魅力的なのである。聞く側の姿勢と音楽に対する造詣が試される、という側面があるのだ。演奏する側も聞く側も、真剣勝負となる。

さて、そのようなわけで今年の東フィルの定期演奏会は、まず1月に名誉音楽監督のチョン・ミュンフンがマーラーの交響曲第3番を振る予定だった。ところがオミクロン株を主体とする新型コロナウィルスの蔓延を受けて(いや、正確に言えばそれに伴う入国制限措置を受けて)、このコンサートが遭えなく中止されてしまった。合唱団を含め、大変な調整が必要だったに違いなく、そのために練習を重ねてきた出演者の苦労を思うと残念でならない。

チケットは払戻しの対象となり、私は仕方なく次の2月の定期を待つこととなった。2月のプログラムは、指揮が井上道義で、彼はここのところ日本中のオーケストラから引っ張りだこである。しかし東フィルの定期への登場は6年ぶりとのことである。2年後に引退を表明している井上のこだわりの選曲は、いずれも20世紀の曲が並ぶというもの。まずエルガーの序曲「南国にて」(1904年)。次に今年生誕100周年のギリシャ生まれの作曲家、クセナキスのピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」の日本初演。そして最後に十八番のショスタコーヴィチから交響曲第1番。私にとってはほとんど初めて聞く曲ばかり。正直に言えば、定期会員になっていなければ、チケットをまず買うことのない演奏会であることを告白しておく。

まずもっとも作曲年代の古いエルガーの序曲「南国にて」がプログラムの最初である。といってもその冒頭が鳴り響いた時、気合十分の演奏に胸が熱くなった。丸でリヒャルト・シュトラウスの豊穣な曲を思わせるような感じ。私は「ドン・ファン」を思い出したが、「ドン・ファン」はこの曲の16年ほど前の作品である。

井上の指揮は饒舌で、派手な身振りで聴衆の目を奪いながら、丸でレーシングカーのようにオーケストラをドライブしてゆく。冒頭から全力投球なのが彼のいいところである。だがあまりに力が入り過ぎているのか、どのような曲かの輪郭がなかなかつかめないのも事実である。

この曲はそのタイトルが表すように、イタリアに題材を取った作品である。イタリアに滞在して新しい感化を受け、作品に残した作曲家は少なくない。エルガーも紛れもなくその一人だったということだが、ここで興味深いのは彼がイギリス人だということだろう。イギリス音楽と言っても、どちらかと言えば大陸風の、つまりはドイツ風の音色を持つエルガーの側面が良く出た作品だと思った。

1857年生まれのエルガーは、1903年に家族を伴って北イタリアの地中海沿いの町アラッシオに滞在した際に受けた霊感をそのまま音楽にした、と解説にはある。私はアラッシオにこそ行ったことはないが、イタリアの地中海岸沿いの街がどれだけ美しいかは、それになりに想像することができると思っている。どこまでも高い南ヨーロッパの太陽と、どこまでも深い地中海の、冷たく青い海が織りなすコントラストだけではなく、そこに住む人々の陽気さと哀しさ、そして食べ物や文化の豊かさ、遠い過去への思い、そのようなものが混然一体となって風景に溶け込んでいる。

「南国にて」はそのようなイタリアの多彩な光景が、熟達したオーケストレーションによって輝かしく描かれている。初めて実演で聞く曲だったが、中間に配置されたヴィオラの独奏による哀愁を帯びたメロディーなど、聞いていて多くの発見があった。東フィルの各楽器の秀逸な表現も特筆すべきだと思うが、あまりに語ることが多くてエネルギーが絶えず押し寄せてくる様に、私は少々戸惑った。

2番目のプログラム、クセナキスのピアノ協奏曲第3番「ケクロプス」については、私は何を書いてよいのかわからない。1986年に初演されたこの作品の日本初演ということだが、まず驚くのは冒頭からの騒音のような開始である。ここで何が示されているかは、解説がないとよくわからない。標題付きであるとは言え、絶対音楽である。そこでクセナキスのとった方法は、数学的な理論に基づく音楽の構成である。

工学を志したギリシャ生まれのクセナキスは、彼独特の確率論や図形の論理を楽譜に持ち込んだ。そこでピアノがどの程度「楽譜」によって導かれているのか、よくわからない。大雑把に聞いた感想で言えば、この曲はピアノ協奏曲というよりは、「管弦楽のための協奏曲」といった感覚だった。ピアノが隠れてしまい、むしろ独奏楽器が順番に活躍する。ピアノはまるで勝手にオーケストラと交わりながら、独自の音色を奏でているように思う部分も少なくない。

この「音のバラマキ」のような曲のピアノを担当するのが、大井浩明というピアニストで、私と同年代。しかも工学部に学んだという異色の才能の持ち主。やはり工学部に進んだ私と同じ関西の出身だが、実にこれまでそんなピアニストがいたことを知らなかった。京大を中退するまで彼は、大学のオーケストラでチェロを弾いており、その時に井上が指揮をした時のエピソードなどが解説に掲載されていて大変興味深いが、もっと驚くのは彼が独学でピアノを習得し、それがヨーロッパで認められていることだろう。クセナキスの3つのピアノ協奏曲を、彼が初めて世界で演奏したということになるそうだ。

そんな現代音楽を聞きながら、いろいろなことを考えている間もなく、音の洪水にまみれ気が付いたら音楽が終わっていた。やはり井上が好みそうな曲だなと思った。

後半はショスタコーヴィチ。井上の十八番で、全曲演奏も残している交響曲の最初の作品を井上は思いを込めて演奏したに違いない。若干19歳のショスタコーヴィチは、この複雑極まる音楽をロシア革命のさなかに書き始めたということだろうか。丁度、この日はロシア軍がウクライナに侵攻したまさにその日で、井上は終演後に客席に向かってこう言った。「戦闘は舞台の上だけにしてほしい」。

兎に角この日の演奏の素晴らしさは、東フィルの技量によるところが大きいように思った。ショスタコーヴィチに至っても、舞台上に一斉に並んだ大オーケストラが、常に緊張感を保ち続け、全力投球で挑んだ演奏会。井上の指揮は饒舌すぎて、私はいつも戸惑うのだが、さすがはショスタコーヴィチだと思った。今シーズンの最初の定期演奏会が中止となり、出鼻をまたもやくじかれた2022年の幕開きとなった今回のコンサートは、指揮者も独奏もオーケストラも一体となった演奏会だった。

このような20世紀の曲ばかりを並べた演奏会にもかかわらず、客席は結構な人手だった。何度も舞台に呼び出される井上は、定期演奏会としては異例のアンコールでこれに応えた。「南国を題材にしたもう一つの曲」としてヨハン・シュトラウスのワルツ「南国のバラ」からの後半を、彼は踊りながら演奏したのである。絶妙なワルツのリズムを巧みに表現する、この時に見せた井上のおどけたような指揮から、彼の「ニューイヤーコンサート」も一度聞いて見たいと思った。誰よりもナルスティックな指揮者である井上は、彼独特のおどけた表現でこれを指揮するに違いなく、そのような方面の音楽は、彼のもっとも良い側面を表すに違いないと思った。次に井上ミッキーで聞くべきは、ポピュラー・コンサートである。

2019年10月19日土曜日

NHK交響楽団第1921回定期公演(2019年10月6日NHKホール、指揮:井上道義)

ほとんどの曲をレコードやCDで最初に聞いていた若い頃とは違い、最近でははじめて聞く曲も実演から、ということが多くなった。音楽の聴き方が多様化し、どのような音楽でも手軽に聞けるようになった時代にもかかわらず、私のようなこの傾向は、音楽の伝統的な聴き方に回帰している現象である。皮肉なことに、実演で聞かなければ、おそらく二度と聞く機会を持たなかったであろうと思うことがよくある。実演で聞くことがその曲を知るきっかけとなり、そこでストリーミング配信などの新しい聞き方が加わって、音楽生活がより楽しくなる、というのが続いている。聞き古した曲でも、ライブ演奏によってはじめてその魅力に接するようなことが、実のところ多い。音楽とはやはり生に限ると思う所以である。

フィリップ・グラスの「2つのティンパニ奏者と管弦楽のための協奏的幻想曲」という、わずか20年前に初演された作品も、そして、この日の後半のプログラムで演奏されたショスタコーヴィチの交響曲第11番ト短調「1905年」という作品も、私にとって初めて触れる作品だった。後者、すなわちショスタコーヴィチの交響曲は、今ではかなり演奏され、名演とされるディスクも数多く存在する。かつては第5番しか話題に上らなかったこのソビエトの作曲家も、そのソ連邦の崩壊に伴って「解放」された数々の作品が、普通に演奏されるようになって久しい。にもかかわらず、私は今日、コンサートで聞くまでちゃんと聞いたことはなかった。

フィリップ・グラスは、難解な曲の多い現代音楽においてひときわ異彩を放ち、しかも親しみやすい作曲家だと思う。これまでヴァイオリン協奏曲やいくつかの管弦楽作品を聞いて来たが、そのどれもが親しみやすくて興奮に満ち、一種の陶酔的な感覚にも染まっていくような、まるでスポーツのような音楽である。「ミニマル音楽」と呼ばれる領域の代表でもあるグラスは、ティンパニ協奏曲というのを書いた。ここで使われるティンパニは2台。今回のN響の定期公演では、N響の2人のティンパニスト、植松透と久保昌一が舞台の最前面、指揮者を挟んで左右に並んでいた。

通常オーケストラの最上段にいて、4つ程度の太鼓を叩いているのは通常の光景だが、今回二人が叩く太鼓は、それぞれ6種類から8種類もあって、奏者のまわりをぐるりと囲んでいる。私は生まれて初めてストラヴィンスキーの「春の祭典」を聞いた時、ティンパニ奏者が二人もいることに興奮を覚えたが、いまではそんな作品は珍しくない。たった一人の奏者が叩くティンパニでも、「第九」や「幻想」のような作品では、ここぞとばかりにティンパニの切れ味鋭く、目いっぱいその音を轟かせるとき、ただならぬ緊張と予感を感じざるを得ないのだが、そのようなティンパニ奏者が二人もいて、しかも曲の最初から最後までリズミカルに掛け合い、360度あらゆる方向からこの楽器を鳴らしまくる音楽の、その楽しさと言ったら何だろう。

一種のラテン的なリズムにも通じるようなメロディーで始まる第1楽章は、見とれているうちにあったいうまに過ぎ去り、緩徐楽章へと進んでもその面白さは失われない。オーケストラの中の数多くの打楽器群、あるいは金管楽器との溶け合いも面白いが、ティンパニ協奏曲となると普段は管楽器に集中する耳も打楽器を中心に聞いているから面白い。そのティンパニ2台によるカデンツァは、第2楽章の終わりに位置している。

叩いているだけとはいえ、打楽器奏者の職人技が堪能できるが、これだけ多くの太鼓を、何種類ものバチを取り換えつつ一気に聞かせる技も圧巻である。指揮者の井上道義が楽しそうに合わせている様子は、3階席からもよく見える。

カデンツァから続く第3楽章は一気に早いリズム(♩=176となっている)による4拍子と7拍子が交錯したアジア的祝祭感に満たされた曲(解説による)。そういえばそう聞こえるが、私は初めて聞いた時は、どこかラテン的な感じがした。私はこの興奮に満ちた曲をもう一度聞いてみたくて、Spotifyへアクセスした。すると、NAXOSから発売されているカンザス大学管楽アンサンブルによる演奏がみつかったので、それを聞いている。YouTubeでも見られるので、映像のほうが楽しいだろう。やはり実演で接した演奏に、ネットであとからフォローする、というのが専ら私の最近の聴き方である。

さて。井上道義という指揮者は、私にとって少し不思議な指揮者だった。これまでの実演は3回。いずれも悪くはないのだが、かといって心に残らない。最初に聞いた東フィル定期でも、そのモーツァルトの音色の綺麗なことには驚いたが、それだけ。2回目のマーラー(一千人の交響曲)では、圧倒的な熱演ではあったがどこか心に響かない。それはつまりどういうことかと自問自答するのだが、よくわからない。けれども今回、ショスタコーヴィチの交響曲を聞いて、もしかしたらこれは指揮者の音楽を体現するオーケストラの力量に問題があったのではなかったのだろうか、と思った。このたびのN響との演奏は、N響の過去の名演奏と比較しても十指に入るような驚くべき名演奏で、それは個々人のソロだけでなく、アンサンブル、そしてそれを統率する指揮者の並々ならぬ集中力によってもたらされた神がかり的なものだった。歴史的演奏と言っても過言ではない。

その様子をここに記すことは、たやすいことではない。私の文章力と、それに何といってもショスタコーヴィチの交響曲に対する浅い理解では、とうてい太刀打ちできないものだからだ。ただそういった予備知識なしでも、今回の演奏の尋常ではない興奮ぶりは伝わって来たと思う。会場にいた聴衆の、普段は醒めた拍手を常態とする、年配者中心の日常が、どういうわけかあっけにとられて、そこに沸き起こる最大級のブラボーの嵐に大きく凌駕されてしまったのだ。

コンサート・マスターはライナー・キュッヘル氏だった。前半のプログラムに合わせてやや奥まった場所に位置するオーケストラが、広大なNHKホールでは少し小さく見える。「1905年」の第1楽章は、静かでゆっくりとしたイントロダクションで始まる。これは冬のサンクトペテルブルクの宮殿を意味しているのだ。弱音器を付けた不気味なトランペットのファンファーレ。このモチーフは今後しばしば登場する。

「1905年」とはロシア革命の発端となった「血の日曜日事件」を意味する。ここで平和的なデモ行進を行う民衆に向かって銃口を向ける皇帝軍。それは後のロシア革命へと続く皇帝の権力の失墜を意味していた。革命はデモによって開かれ、成し遂げられた。6万人とも10万人とも言われるデモ参加者のうち、何千人が死亡したかはわからないようだ。ロシア革命はソビエトを樹立させ、以降、半世紀にわたって社会主義諸国のリーダとして君臨することとなる。

だがこの曲は、1957年に初演されている。この頃のソビエトは、スターリン死後フルシチョフが登場し、東西の「雪解け」が叫ばれた時代だった。だがそのような中、ハンガリー動乱を鎮めるべく出兵した事件は、私も教科書で習った。ショスタコービッチがこの交響曲に込めた思いは、今一度革命の原点を振り返り、スターリン以前の社会主義理念へと立ち返ろうとしたからだ(それがたまたまハンガリー動乱重なって予期せぬ政治的含意そ示唆することとなった)という(コンサート解説書「Philharmony 10月号」より要約)。

従ってこの標題音楽には数々の革命歌が引用されている。その具体的な曲名は、数々の解説書に詳しいのでここでは割愛するが、中学生の頃、モスクワ放送などを趣味で聞いていた私でもなじみのあるものはない(むしろこの当時のモスクワ放送ではショスタコーヴィチのような音楽はあまり流れず、チャイコフスキーやロシア民謡が多かった)。

1時間にも及ぶ音楽は続けて演奏されるから、静かな第1楽章が言わるといつのまにかアレグロの第2楽章へと入っている。井上は一糸乱れぬアンサンブルでここの巨大な音楽的描写を進ませる。それは民衆の請願行進を意味する行進曲であり、そして一斉射撃、壮絶な死へと転落してゆく。

音楽は切れ目なく第3楽章のアダージョへと続く。ここは死者を追悼するレクイエム。そしてやがて革命への音楽へと変わっていく。怒涛のような音楽、打楽器を多用した賛歌と行進曲、圧倒的なクライマックス、高らかに歌われる社会主義賛歌。これらが混然一体となってアンサンブルを形作る。井上の集中力は、神がかり的と言ってもいい程に研ぎ澄まされ、オーケストラがそこに食らいついていく様は、3階席にも怒涛のように押し寄せてゆく。見ていて、何か目のくらむような錯覚と、そしてそれに負けまいとする精神力がこちらにも必要となる。

だがこれで曲が終わるわけではない。第4楽章はこういった賛歌であると同時に、同時に帝政ロシアに対する警鐘を意味しているという。そのメロディーは後半に登場するイングリッシュ・ホルンのソロによって明確に表されている。N響のオーボエ主席が持ち替えて奏でるイングリッシュ・ホルンの響きは、何と印象的なことか。いやそれだけでない。この日のN響の、時に不安定さを見せる金管がほぼ完ぺきと言っていい出来栄え。私はこんな演奏を聞いたことはない。弦楽器のN響が、重厚でいまやヨーロッパの第一級のオケに引けを取らない水準にあることは、だれも疑わない事実である。

コーダで再び行進曲がクライマックスを築き、途切れるように音楽が終わると、会場からどっとブラボーの声が噴き出した。私はこんな興奮に満ちたN響定期を知らない。楽団員も指揮者も、そして客席も、疲れ果てたと同時に何かをやり切った充実感のようなものが感じられた。何度も呼び出される指揮者は、長い手を振りながらバレエダンサーのように客席を振り返った。彼はまたオーケストラの楽団員の中に分け入って各奏者と握手を繰り返し、その時間は10分以上は続いただろう。私はこの演奏を、テレビで見てみたい。細かい部分まではさすがに3階席ではよくわからないからだ。だが、このような興奮は、おそらくテレビでは伝えきることはできないと確信する。ショスタコーヴィチが自分自身だと語る井上の面目を見た今日のコンサートは、定期としては1回限りだった。だが、他の作品においても同様な演奏が期待できる井上に、是非、他の曲も振ってもらいたい。おそらく同じ思いを、その場に居合わせた聴衆は感じただろう。

蛇足ながら一言。私はこの演奏を聞きながら、あの「天安門事件」を思い出した。人民解放軍が、歴史上はじめて民衆に発砲をしたのだ。あれから30年が経過したが、不安な世界情勢は変わっていない。共産主義と資本主義が「1国2制度」というまやかしのもとに存在する中国では、香港で民主デモが毎日のように行われ、そに向けた当局の締め付けは一層激しさを増しているようだ。社会主義の誕生からまだ1世紀を経てもいない世界で、社会主義運動そのものが博物館入りを果たしたのだろうか。ショスタコーヴィチを聞きながら、格差のますます拡大する今の世界に照らして考える時、その複雑な情勢は私の心を一層暗鬱なものにさせてる。

2019年8月3日土曜日

PMFオーケストラ東京公演(2019年8月2日サントリーホール、ワレリー・ゲルギエフ指揮)

ゲルギエフもPMFオーケストラも初めてだった。周知の通り、ゲルギエフは今や世界で最も多忙な指揮者のひとりだが、マリインスキー劇場との来日公演などは法外にチケットが高く手が出ない。一方、PMFオーケストラは札幌で毎年開催される「パシフィック・ミュージック・フェスティバル札幌」に参加する世界各国の若者で構成されるオーケストラで、一流オーケストラの首席級奏者によるレッスンが終了すると、毎年東京でコンサートを開いている。

レナード・バーンスタインによって始められ、今年で丁度30周年にもなるというPMFの音楽監督は、現在、ワレリー・ゲルギエフである。ゲルギエフ指揮PMFオーケストラのコンサートは、聞こうと思えばこれまでにも聞くことはできた。けれども何故か私には縁がなかった。暑い夏の日に、クラシックのコンサートに出かける気持ちが起こらないのもその理由だった。だが今年は違った。

その理由は、おそらくプログラムだったのだろう。ショスタコーヴィチの交響曲第4番がメインだったからだ。全15曲の交響曲の中でも最大の規模を誇り、その演奏の難しさでは他の作品を抜いているのではないかと思われる曲を、私はかつて一度だけ聞いている(シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団)。この時は広いNHKホールの舞台いっぱいに並んだオーケストラから轟く圧倒的な音のパワーに、ただただ驚くばかりの1時間だった。よくもこんな曲を、演奏ができるものだと素人ながら感心した。演奏が終わるや否や、舞台から安堵のため息が3階席にまで聞こえた。

そんな交響曲第4番は、1936年頃に作曲されながら当局の締め付けを恐れて初演を中止し、結局、1961年になって初演されるという数奇な運命をたどる。日本初演はもっとあとになって1989年である。今ではショスタコーヴィチ作品の演奏も一般的だが、かつては一部の曲しか知られることはなかった。現在のように人気を博するようになったのは、1990年代以降ではなかっただろうか。この曲は私もヤンソンスが指揮するバイエルン放送響のCDを1枚だけ持っている。

もう一度、ショスタコーヴィチの交響曲第4番が演奏されたら聞いてみたいと思っていた。もちろん今では毎年のように演奏されているようだが、できれば一流のオーケストラで間近で見ながら聞いてみたいと思っていた。そうしたらなんと、ゲルギエフが指揮するではないか!これを逃す手はない。PMFオーケストラの実力は未知数だが、若手とは言え実力派揃いのプレイヤーは、一生懸命な演奏をするはずで悪かろうはずがない。嬉しいのはチケットの価格で、S席でも9000円と1万円を切っている。しかもチケットは沢山売れ残っている。

だが私は、このところの体調を心配して前日までチケットの購入を躊躇していた。翌日にも会社の友人と出かける予定もあるし、それに梅雨が明けてからというもの、東京では連日35度を超える猛暑が続いている。熱波の中で聞くショスタコーヴィチも悪くはないが、こちらの体力が心配だった。一か八かで息子に興味はないかと誘ってみても、つれない返事。彼はそれよりも野球観戦に興味があり、この日も千葉でロッテ対オリックスの試合を見に行くのだと言っている。もそもとクラシック音楽などに興味がないのだ。妻も弟も用事で行けないという。だから、今年も諦めようか、そう思い始めていた。

ところが前日夜に帰宅してみると、驚いたことに息子の方から、コンサートに行くよ、との返事が返ってきた。これには私も驚き、そして嬉しくなった。こうなったら行くしかない。さっそく「ぴあ」をはじめとするチケット予約サイトにアクセス。ところがどうだろう。どのサイトを見ても「予定枚数終了」との表示が出ているではないか!結局、ゲルギエフのショスタコーヴィチともなると、直前に人気が上昇し、一気に売り切れてしまったのだと思った。翌日の川崎の演奏会はまだ売られていたが、こちらには行く事ができない。最近はTwitterなどが流行し、SNSなどで前日の札幌の演奏会の様子などが直ちに「拡散」したため、おそらく評判が知れ渡ってしまい、迷っていた人が一気に購入に踏み切ってしまったのだと思った。

仕方がないから、無謀でも翌日にサントリーホールに電話して、万が一チケットが手に入ったら行こう、と話し合って会社へ出かけた。ところが10時に電話をしてみると、余裕の枚数が当日券として発売されるとのこと。しかも25歳以下なら3000円になる割引チケットもまだあるらしい。私は大急ぎで息子に電話し、学生証を持って18時に会場へ来るように告げた。

当日券が売る出されると、なんとB席の並びの席が確保できた。舞台に向かって右側の2階席で、真横からオーケストラを見下ろす位置は悪くない。指揮者もよく見えるし、ずらりと並ぶ打楽器も真下に見える。そして驚くことに会場は8割にも満たない入り。ちょっと信じられないが、それにしても嬉しい。開演までの時間をサンドイッチなどを食べながら過ごす。まるで香港にいるようなまとわりつく暑さと湿気。にもかかわらず背広姿の人が目立つ。

プログラムの前半はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と、今年のチャイコフスキー・コンクールの覇者、マドウェイ・デョーミン(フルート)を迎えてのイベールのフルート協奏曲であった。ドビュッシーの静謐な音楽は、ほれぼれするような美しさで私を音楽に釘付けにした。聞いている場所が正面なら、もっと良かったと思う。音と音の重なり、溶け合い。ドビュッシーの音楽の聴き方が、初めてわかったような気がした。このオーケストラはなかなか聞ける。

続くイベールは、もう何というか、目まぐるしく変化するフルートを聞いていたらあっという間に終わってしまった目の覚めるような演奏。かつてパユで聞いたハチャトリアンを思い出した。世界最高の部類に入るフルートだと思う。

私の席の左手にあるS席部分には空席が目立ち、こんないい席なのに誰もいないのはもったいないなどと思っていたら、何とそこにSPが立ち始めた。休憩時間にトイレの前の通路が封鎖され、私の席に前にカメラマンが大挙して入って来た。PMFの広報かと思いきや、それにしても人数が多い。やがてアナウンスがあって、何とそこには上皇、上皇后ご夫妻がお見えになるという。会場から拍手が起き、ゆっくりと歩みながら手を振られる。すでにオーケストラは舞台上でスタンバイ。ショスタコーヴィチの交響曲第4番などという作品を、皇室の方もお聞きになるのかと思った。今年天皇を退位されて初めてご覧になるコンサートではないだろうか。

いつになく空気が引き締まって緊張感に包まれた舞台にゲルギエフが登場。やがて舞台からほとばしり出る轟音にも似た行進曲風のリズム。舞台の人数は前半の倍以上に膨れ上がり、その音は耳をつんざくような大きさ。心臓に悪いような地鳴りが響く。スターリンの恐怖政治の下で作曲された若い作曲家の音楽は、メロディーというものをほとんど持たない。そして弦楽器を中心とした恐ろしいまでの技巧的なアンサンブル。それをゲルギエフは指揮台にも乗らず、手慣れた様子で指揮をする。

ただ驚いたのは、ゲルギエフも楽譜を見ていたこと。そして爪楊枝のような短い指揮棒を持っていたことである。ゲルギエフは終始手だけで指揮するのだと思っていたし、この曲は十八番中の十八番なので、普通はスコアを見ないと言われていた。とても慎重に、満を持して演奏する必要があったのだろう。そしてそれに応えるオーケストラの見事さ!そのメンバーには、客演としてシカゴ交響楽団他から数名が混じっていた(ティンパニ、ハープ、パーカッション)。

1時間にも及ぶ怒涛のような曲を、一瞬たりとも集中力を絶やさず演奏する迫力は、何と例えたらいいのかわからない。思いつくままに、そのソリスト部分の圧倒的なテクニックを思い出す。まず、イングリッシュ・ホルンを担当した女性の幾度にも及ぶ長いソロ。それからトロンボーン。この楽器がかくも美しく弾かれたのを知らない。第3楽章でのまるで協奏曲のようなシーン。それからホルンの第1奏者。彼は安定したテクニックで、いつも日本のオーケストラで聞くときのような不安定さが皆無である。そしてピッコロ!ピッコロのような楽器が、フルートの延長のように優美に、割れずに、美しく、そして器用に響き、ショスタコーヴィチに不可欠な、あのメロディーを弾き切る。さらにファゴット。難しい音階の連続を、ほぼ満点の出来栄えで聞くものをノックアウト。さらにはオーボエ、クラリネット、ティンパニ…。

弦楽器セクションの難しさは圧倒的である。CDなどで聞くとよくわからないが、これは見ながら聞くと手に取るようにわかる。兎に角、60分間私は文字通り舞台に釘付けられ、体は硬直し、しばしば音楽に身をゆすった。第1楽章はソナタ形式であることもわかったし、第2楽章の諧謔効果は、マーラーの影響だと言われている。そして長い第3楽章の変奏曲は、しばしば楽器を変えた「オーケストラのための協奏曲」といった感じで聞くものを興奮に包む。

静かなコーダが終わるときの、奇跡のような時間について最後に書いておこうと思う。ゲルギエフは演奏が終わっても手を降ろそうとしないばかりか、それから随分しばらくたって、まず右手を極めてゆっくりと下ろし、続いて左手を慎重に下ろした。この間、1分ほどあったのではないか。これほど長い時間、誰も物音を立てず、会場が静まり返ったのを体験したのは、私は生まれて初めてだった。静寂もまた生の音楽の重要な構成要素なのだと思い知らされた。

やがて割れんばかりの拍手が起き、奏者を一人一人立たせてゆくと、地響きのような拍手が津波のように押し寄せた。オーケストラが抱き合って成功を喜び、その大半が立ち去っても拍手は鳴り止むことはなかった。そして拍手は、両陛下の退場にまで続く。何度も振り返っては手を振る陛下。私はもうショスタコーヴィチの作品をこれ以上の感動を持って聞くことはないかも知れない、と思った。と同時に、それで満足だ、とも思った。令和元年の真夏の一日に、私は一生忘れることのできない音楽体験を、またひとつ増やすことができた。

2018年11月12日月曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第705回定期演奏会(2018年11月9日、サントリーホール)

行こうかどうか迷っていたコンサートほど、感動的な演奏に出会うことが多いような気がする。今回の日フィル定期もまさにその例外ではなかった。いやむしろ大変な熱演に接することができたほどだ。そのことを書いておこうと思う。ただ私はこの度の公演で取り上げられた曲について、ほとんど知らない。だからうまく表現できるか、甚だ難しい問題だと言わざる得ない。

取り上げられた曲目はずべてロシアの曲で、前半がグラズノフの交響曲第8番変ホ長調作品83、後半がショスタコーヴィチの交響曲第12番ニ短調作品112「1917年」。いずれもロシア革命に縁の深い作品である。ただ作曲された年代は一世代違い、グラズノフの交響曲第8番は1905年の作品であるのに対し、1906年生まれのショスタコーヴィチが交響曲第12番を作曲するのは1961年のことである。ただその副題が示す通り、この作品はロシア革命を描いた標題音楽である。

ショスタコーヴィチがペテルブルク(レニングラード)の音楽院で学生の頃、グラズノフはすでに名声を博した音楽家で、ここの院長であった。二人は師弟関係にあったと言える。だが二人の音楽の間に、何らかの影響があるのかは私の知識ではわからない。いやそれよりもこの間の社会の変化こそより大きな重しとなってのしかかっているように思う。すなわちロシア革命と社会主義である。

グラズノフの交響曲は一貫して重々しく、悲劇的である。有名なバレエ音楽「四季」くらいしか知らない私にとってほとんど初めての経験とも言えるグラズノフの作品は、どこが聞きどころかさえもわからない曲だった。最終楽章でのコーダに向かう演奏で、私は舞台に向かって右横から指揮者や木管奏者を眺めていたが、それは冷静に見ていられないほどに熱くなっていく様が手に取るようにわかった。バレエ音楽でのグラズノフのように、3拍子の時に華やかなリズムなどは皆無で、ここにあるのはひたすら暗く、そして熱い音楽だった。

指揮者のアレクサンドル・ラザレフは、2008年以来日フィルの首席指揮者を務めており、その後は桂冠指揮者として毎年のように登場、特にロシア物には定常のある指揮者であることは知っていた。私はそのように有名になる前の90年代、ボリショイ劇場のオーケストラを指揮して録音されたCDを聞いたことがあって、ソビエト崩壊後の混乱期にあってなかなか洗練された指揮者だと思った記憶があるが、実演で聞くのは初めてであった。一度、生で聞いてみたいとも思っていた。

そのラザレフはここ数年来、日フィルとともに「ラザレフが刻むロシアの魂」というシリーズを続けており、なかなか好評であるという。最初のシーズンにラフマニノフ、2番目のシーズンにスクリャービン、その次のシーズンにショスタコーヴィチを取り上げて来たようだ。今回はグラズノフ、しかもその第4回目ということである。

「凄い」という形容詞は最近、特に乱用される傾向がある。老いも若きも形容詞に困ったときに発するのが「すごい」というもので、程度がはなはだしいことはわかるが、何がどう凄いのか、そのあたりの具体性を欠いているいい加減な表現である。だが今回のコンサートを一言で言うと、「スゴイ」の一言につきる。私の表現力の問題を脇に置いて、今回の演奏会、特にショスタコーヴィチの演奏に関する限り、どこがどう素晴らしいのかよくわからないくらいに麻痺してしまうほどに、演奏が凄かった。

ティンパニやパーカッションを始めとする打楽器を思い切り叩き、そのわきで重厚な金管楽器が号砲を吹き鳴らす。それを聞いただけでも鳥肌が立つほどだが、特に終楽章のそれはすさまじく、聞いている方が打ち負かされてしまうのではないかと身構えること数十分。一糸乱れぬアンサンブルも見事で、日フィルの演奏会の中でも屈指の熱演ではないかと思われた。

玄人好みの演目に平日とあって、6割程度の入りだった今日の演奏会も、終わるや否や轟いたブラボーの嵐は、これだけ珍しい曲であるにも関わらず多くの聴衆を驚かせるだけのパワーに満ちていたことを明確に証明した。何度も登場する指揮者は、オーケストラの間中を回って、最上段に並んだ打楽器奏者や、右わき後方のコントラバス奏者とも熱い抱擁を交わし、舞台の袖に出ては、観客の拍手を煽る仕草を見せるなど、とても変わった指揮者だと思うほどだった。だがそんなラザレフと、オーケストラのメンバーの表情を見れば、本日の演奏が会心に出来だったことは容易に窺うことができた。

興奮冷めやらぬうちに帰宅して、そう言えばショスタコーヴィチの交響曲第12番は、ヤンソンスの録音を所有していたことを思い出した。もしかするとまだきっちりと聞いていない。そこで翌日、この音楽をポータブル・プレイヤーに入れて聞いてみた。ヤンソンスの演奏は定評のあるバイエルン放送交響楽団との録音で、実演ではないという点において客観的なアプローチだと思う。ここの演奏で聞く、それでも十分に熱のこもったショスタコーヴィチは、もしかするとこの曲の決定的な完成度を持つものかも知れない。

この演奏を聞いて、ショスタコーヴィチの音楽がグラズノフの音楽と決定的に異なる要素、それはロシアの民族性の有無ではないかと思った。いや二人の音楽の間には半世紀近い隔たりがあるので、いい加減なことは言えまい。だが共産党革命によって変化させられた芸術的要素、それはそういった冷徹までの近代性を最高のものとする無機的で、非人間的な(と勝手に言ってしまえるほど単純ではないのだが)客観性である。

だがここまで書いてみて、この表現は若干修正が必要ではないかと思う時があることも事実である。ショスタコーヴィチの音楽には、時に極めて抒情的で、民族性を機能主義で濾過したような音楽が、それは純粋だと言ってしまうほどに表現されていることがあるからだ。私は結局のことろ、ショスタコーヴィチの音楽がまだわからない。ソビエトという今はなき国家の、その存在証明がどうなされるのか、そういった歴史による試練を経て評価されるのと同様に、またグレゴリオ聖歌から始まる西洋音楽史の中に明確な位置づけを与えられるのを待つ必要があるのかも知れない。

ラザレフは、グラズノフの音楽の、ロシア的情緒(それはノスタルジーと異教性にあると誰かが言っていた)と社会主義的合理性が奇妙に合わさった曲と、時に強烈な二面性を持って語られるショスタコーヴィチの、その中でもとりわけ社会迎合的な作品を続けて演奏することで、20世紀前半のロシアが変遷を余儀なくされた芸術的傾向を際立たせたかったのかもしれない。21世紀なって聞くこの時代の音楽は、しかしながらもはや歴史の中に埋もれつつある。私がかつて鉄のカーテンの向こうのラジオ放送で聞いていた「赤い」芸術の持つ(当時の)同時代的な迫力と恐ろしさ、あるいは荒唐無稽さなど、今では知る人も少なくなってしまったからだ。

勝手な想像を膨らませながら、迫力に満ちたラザレフのコンサートを聞き終えた。機会があれば、また行ってみたいと思うに十分な演奏会だった。嬉しいことに、この組み合わせの演奏会は来年にも多数用意されている。

2017年5月25日木曜日

NHK交響楽団演奏会(2017年5月24日、NHKホール)

ダンテの「神曲」地獄篇を題材にした幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、チャイコフスキーがフランス滞在中に作曲した大規模な管弦楽曲である。あまり演奏されることはないがなかなか聞きごたえのある曲で、重く暗い和音を弦楽器が速いテンポで唸る中に、トリルを多用した木管楽器が浮き上がる。中間部ではチャイコフスキーらしいリリシズムも感じられ、ドラマチックな音楽はオペラ的題材ともなった物語を彷彿とさせる。もちろん、この音楽が音楽らしく聞こえるのは、優秀な演奏に接した時だけだろう。

NHK交響楽団はサントリー・ホール休館中の今年、「水曜夜のクラシック」と題した演奏会を従来のBプログラムの代わりに開催した。ロシアの巨匠ウラディーミル・フェドセーエフが2013年の初顔合わせ以来、早くも5度目となる登場となるのは、N響にとっても魅力ある指揮者だからなのだろう。私も何度かテレビで見て、一度は聞いてみたいと思っていた。そしてその時が来た。フェドセーエフは今年85歳だそうである。

もっとも私はかつて一度、フェドセーエフを聞いている。1993年4月、モスクワ放送交響楽団(現、チャイコフスキー交響楽団)を率いて来日した際に、渋谷のオーチャード・ホールでのコンサートに出かけたからだ。だがこの時は、ロシアの伝説的なピアニスト、タチアナ・ニコラーエワを聞くためであった。ニコラーエワはこの年の秋に急逝したので、最晩年の演奏だったことになる。ピアノ協奏曲を2曲、十分にテンポを落としてチャイコフスキーとベートーヴェンの「皇帝」を弾き切った。この時のフェドセーエフはひたすら彼女に寄り添い、丁寧で温かみのある伴奏に徹した。

だからフェドセーエフらしい演奏というのは、よくわからないままであった。レコードでは我が家に「悲愴」の録音があったので、まあ馴染みがなかったわかではない。けれどもそれほど際立った特徴が感じられたわけではなかった。この頃、フェドセーエフはまだ50代だった。

この日、技術的にも実力を増したN響と聞かせた5曲のロシア音楽は、最初から圧巻であった。まずショスタコーヴィッチ。「祝典序曲」という作品はロシアというよりもソビエトの音楽である。壮麗なファンファーレはモスクワ五輪の時にやたらと聞いた。全編華やかなこの曲を、きっちりと迫力満点でドライブしてゆく。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、同じロシア人の長身ボリス・ベレゾフスキーを迎えた。この大柄なピアニストは、いかにもロシア風ヴィルティオーゾという風貌で、スピードのあるテクニカルな演奏をここぞとばかりに披露する。フェドセーエフはもう少しゆっくりと演奏したかったに違いない。もしかしたら聴衆も、より陰影に富んだ演奏を期待しただろう。だがベレゾフスキーのピアノは、ここ一番の聴きどころをせっかちに進めてしまう。第2楽章の後半で、オーケストラの木管ソロが活躍する場所にきて、ようやく落ち着いたかに思われた。だが第3楽章になると、ここはピアニストの独断場である。しかし私は、どちらかというと上手く合わせるオーケストラに聞き入った。

終わってみれば、まあこういう演奏も迫力満点の名演で、中学生なら歓喜を上げるだろう。しかし日本の聴衆は近年高齢化が著しく、しかも普段から非常に音楽に詳しい。技量だけの演奏はつまらない、と感じた人がいても不思議ではない。いずれにせよ終楽章の技術的完成度は非常に高く、そしてよほど気に入ったのか、コーダの部分を何とオーケストラ付きでアンコールしてしまうというオマケ付き。最初はどこか間違いでもしたのかと思ったが、おそらく普通のアンコールだったのだろうと思う。

リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」は私の大好きな曲で、今回もN響が、重厚感を持ちながらもリズミカルな演奏を繰り広げた。かつて私がテレビで見たサヴァリッシュの演奏を思い起こした。この曲は、もっと速い演奏が多い。けれどもフェドセーエフは、ひとつひとつのソロのパートまでもきっちりと指揮をする。いよいよオーケストラの本領発揮といった感じで最後のプログラム、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」に入る。

N響は完全にひとつの楽器と化し、チャイコフスキーの音が会場を満たした。この25分間は、完璧であった。何といったらいいのか、とても長く、そしてずっと心地の良い25分間であった。指揮者が振り返ると怒涛のような歓声が飛び交い、それは何度も繰り返された。指揮者もオーケストラも満足した様子であった。この日はNHK-FMで生中継されたらしい。そしてなんと、大歓声にこたえて太鼓を担当する団員が舞台に上がる。アンコールである。

私のN響コンサート経験史上、初めてのアンコールが始まった。アンコールはハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」から「レズギンカ舞曲」。オーケストラが揺れる。木管が高く楽器を振りかざし、チェロは全員が舞曲を踊るが如く。それにしてもすべてが大名演のポピュラー・コンサート。フェドセーエフはいつもロシア物ばかりをプログラムに並べて、お国ものだけで勝負する。聴衆もそれが目当てだから、十分である。で、N響も中低音が素晴らしく、ロシア音楽に相応しい音がするように思う。今回の演奏会では、チャイコフスキーの新しい魅力に触れたような気がした。

随分長い間、音楽を聞いていたように感じた。やはり実演のコンサートは楽しい。昼間の仕事のストレスから気分を変えるのが大変だった平日夜の演奏会も、気がつけば音楽の魅力に取りつかれ、それは眠りにつくまで続いた。仕事のことを思い出そうとしても、頭に心地よい残響が残って、思い出すことすらできない程であった。

2014年9月15日月曜日

ショスタコーヴィチ:歌劇「鼻」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

ショスタコーヴィチが生まれたのは1906年、ロシア革命が1917年、ソビエト連邦の創立が1922年。「鼻」は1927年から作曲され、1930年に初演された。彼が24歳の時で、日本では昭和5年ということになる。私が生まれた頃まだ存命だった社会主義国最大の作曲家は、1975年に亡くなっている。そしてソビエトが消滅したのは1991年である。これは今から23年前ということになる。

前衛的とされたショスタコーヴィチの音楽は、私が小さい時に聞いた時には、これより先の音楽などあるのだろうかと思ったものだった。まるで機械のように無機的で、何の音楽的共感も感じなかったが、それこそがショスタコーヴィチの、いや共産主義国の音楽だと理解していた。だがソ連の崩壊から20年以上が過ぎ去り、このようなオペラもニューヨークで上演されるのを見ていると、やはり時代というのは移り変わり、新しものも徐々に古くなっていくものだと思った。社会主義リアリズムも、「古典的」とさえ思えるような、つまりはこの時期の作風はこうでした、と解説書に書かれてしまうような「古さ」を感じてしまう。そしてその「古典」を巧みに料理して、「現代」の劇として新鮮に上演する・・・今回のMETの上演はまさにそのようなものだった。

舞台上に現れるスクリーンに展開されたのは、時折キリル文字の中に英語も交じるアニメーションで、そこに「鼻」が登場する。「鼻」は舞台の歌手たち(その数はすこぶる大勢だったが)の歌(はもちろんロシア語である)に絶妙に呼応して、影絵のようなものになり動き回る。踊りだすかと思えば、時折ショスタコーヴィチのモノクロ写真や古いタイプライター、あるいは新聞の切り抜きといったものに変わったりと、その変化を見ているだけで楽しい。合わせて音楽が賑やかにチャカチャカと鳴り、歌も上下に行ったり来たり。ショスタコーヴィチの音楽を堪能できると言えば、その通りなのでが、では果たしてそれが楽しいのか、と問われれば答に窮してしまうのは私だけだろうか。

ゴーゴリの原作を台本化したストーリーは大変複雑で、そこに何らかの意味を見出そうとする聴衆を嘲笑っているようでもあり、そのような皮肉やパロイディを見つけようと思えば見つけられるとも思うが、かといってそれにそんな意味などない、と思えばそうすることも可能である。その難解そうで難解でない、というのがこのオペラの真骨頂なのではないかと思う。

何の事はない。ある日起きてみたら自分の鼻がなくなっていた下級官吏のコワリョフ(バリトンのパウロ・ジョット)は、そのことに気づくと嘆き悲しみ、警察署に行っても新聞社に行ってもにわかに取り合ってくれない。ところがひょんなことからその「鼻」が発見され、いろいろあって最後にはもとの顔に戻る、という奇天烈なストーリーである。2時間程の作品ながら登場人物は非常に多いので、これだけ数多くのロシア語役者を揃えるのは大変だっただろうと思う。指揮はパヴェル・スメルコフのエネルギッシュなもので不足感はないが、何と言っても見せものは南アフリカ人ウィリアム・ケントリッジの斬新かつ機知に富む演出だったろう。

観客は満員でブラボーも飛び交うあたりはさすが本場だと思わせるが、私自身はと言えば、こういうMET Liveのような機会がなければ見ることはなかっただろうと思う。それでけに貴重な経験だったとは思う。しかしスクリーンには、いつものようなインタビューや解説は、ゲルブ総裁のケントリッジ氏への短いインタビューを除けば何もなく、幕間の休憩時間もない。2時間を一気に見せたので、緊張感を維持するには役だったし、4時間にも及ぶ作品が多く、特に体力的にきつい身としては助かった、ということは言える。

今となっては歴史の教科書に載るだけとなったソビエト連邦も、私が中学生の頃は世界を二分する大勢力を誇り、その存在感はすごいものだった。私も運動会のような音楽を短波放送で聞いたものである。けれどもショスタコーヴィチは、少なくともその「証言」以後は、音楽に込められた寓意において、反社会的な思想だったという。そういうことが感じ取れる音楽・・・というのはやはり難解で想像の域をでないのだが・・・は、また別途書きたいと思う(いつのことになるかはわからない)。ただ、この「鼻」にも暗に込められた教会的、宗教的な潜在意識ともいうべきものは、やはり感じ取ることができる。彼はやはりロシア時代に生まれた作曲家だからであろうか。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...