2016年10月31日月曜日

「From Yesterday to Penny Lane」(G:イェラン・セルシェル)

マッサージ屋などに行くとヒーリングのための音楽が静かに流れている。バリ島やアマゾンの鳥の鳴き声なども混じった自然の音であることも多い。これらはおおよそ有線放送のチャンネルをそのまま流しているケースがほとんどである。先日行った歯科でも、同じようなものが流れていた。

けれどもこのような「環境音楽」は、どことなく不自然で、しかもあまりムードがいいとは思えない。流している方はそう考えていないのだろうけれど、私の場合、間に合わせの音楽をテキトーに聞かされている感じがして好きになれないのだ。ある鉄道の駅で聞いた小鳥のさえずりも録音だった。どうせなら何も流さなければいいのに、などと思ってしまう。

さてこのような「癒し系」の音楽も、プロがちゃんと演奏すると一変する。もちろん演奏だけではない。そもそもいい曲でなければならないし、それらはきっちりと編曲され、十分に考えられた順序に並べられている必要がある。売られているCDなども、いいものになればちゃんと順序だって考えられている。耳に心地よいような音程とリズムの変化、楽器の選択などがそれに加わる重要な要素である。

前置きが長くなったが、「From Yesterday to Penny Lane」と銘打たれたタイトルのCDは、そのものずばりビートルズの曲が並ぶものである。手に取るとそれはすぐにわかる。ドイツ・グラモフォンの黄色いロゴ・マークに、ビートルズの曲となると、これは編曲ものである。大変珍しいCDではないか、と思いながら演奏者の欄に目をやると、スウェーデン生まれの世界的ギターリスト、イェラン・セルシェルとなっている。ジャケットの白黒の写真には、4つの姿勢でギターを抱えるセルシェルの姿。これはギターで聞くビートルズ、面白い、ということになって買い物かごに入れることとなる。

最初の曲「ノルウェイの森」を聞くだけで、いいCDを買ったと思った。静かに語りかけるような演奏は、これがしっとりと美しく、味わい深いものであることを示している。ゆったりとした時間が流れる。そのようにしてしばし何曲かに耳を傾ける。すべてお馴染みの曲だけど、メロディーがかなり深く変化して、透明な気品が漂う。

第6曲「カム・トゥゲザー」からは、そこにバンドネオンが加わるではないか。そのリズムは前衛的なタンゴである。第7曲「抱きしめたい」に入ると、さらにメロディックな感じがして何とも嬉しくなる。こういう曲にもなるのだな、と思う。

第9曲目から第11曲目までは、さらにヴァイオリンが加わる。マーティンの「Three American Sketches」という曲だそうだ。でも曲が賑やかになるわけではない。オリジナルで聞くビートルズはやかましい曲だが、ここで流れる上品な時間は、聞くものをしばしリラックスさせる。最高のヒーリング・ミュージックである。

もうどの音楽がどう、などということはどうでもいいことのように思えてくるが、第12曲目から始まる「ビートルズ・コンチェルト」というのがまたなかなかいいではないか。聞きなれた曲が弦楽合奏とギターの協奏曲形式となって全7曲も演奏されるのだ。ここに「イエスタデイ」も「ペニー・レーン」も含まれている。

なぜ私がこのような曲を必要としたのか。それはこの秋、指の骨折や目の異常な乾きにさいなまれる日々が続いているからだ。ある日私は、このままではいけないと思い、夜になって散歩に出かけた。ベンチに腰かけて、痛い目を閉じながら、気分を落ち着かせようと必死だった。いつも持ち歩くWalkmanに、たまたまこのCDのコピーが入っていた。私は時々間をあけて、夜の灯が運河の水面に反射する光景を眺めながら、静かにひとりこれらの曲を聞いて行った。何も考えたくない時間を、私はこの曲と演奏で過ごした。いいCDを持っていたものだと、嬉しくなった。遠くで汽笛が鳴った。


【収録曲】
1. Lennon: Norwegian Wood (The Bird Has Flown)
2. Lennon: In My Life
3. Lennon: Can't Buy Me Love
4. Lennon: The Long And Winding Road
5. Lennon: I will
6. Lennon: Come together
7. Lennon: I Want To Hold You Hand
8. Lennon: Help!
9. Martin: Three American Sketches - Westward Look
10. Martin: Three American Sketches - Old Boston
11. Martin: Three American Sketches - New York
12. Brouwer: Beatles Concerto
    1. She's Leaving Home
    2. A Ticket To Ride
    3. Here, There & Everywhere
    4. Yesterday
    5. Got To Get You Into My Life
    6. Eleanor Rigby
    7. Penny Lane


2016年10月27日木曜日

プーケットへの旅(2015)ー⑥付近のレストラン

2回目のプーケット滞在も残りあと1日となって、私たち家族は、最後のディナーとショッピングに出かけた。行先はカタ・ビーチから少し北のカロン・ビーチ。そこの土産物屋などを物色しながら南下する。トゥクトゥクに乗って数十分で、私たちはカロン・ビーチの中心部にある時計台のロータリーに到着した。ここのホテルが沢山並んでいるエリアでチキンなどを食べたのだが、これが非常に西洋風。ここで触れることのできるタイの文化は、どこまでも西洋化されている。それもまたオリジナルだとは思うが、オーセンティックなタイ文化ではない。

カタ・ビーチのホテルそばにあるレストランもまた、タイであってタイでない、という独特のものだ。例えば私たちはある日、TripAdvisorで高評価のタイ・レストランが、ホテルから歩いてわずが10分の距離にあることを知り、予約もせずに出かけた。予約がない客としては最後の一席が、そこのイギリス人のオーナーによって私たちに割り当てられたが、この小さなレストランは山へと向かう狭い通りの脇にあって、景色が良いわけでもなければ交通が便利でもない。ところがここに大勢の客(西洋人だ)が押し寄せるのだ。

同様のレストランがその向かいあたりにある。このレストランは何とトルコ料理店で、見た感じではさびれたレストランである。倉庫を改造したような小さな店は、連日満員で私たちは予約がないため、諦めざるを得なかった。口コミで最高評価という触れ込みからは想像できない、小さくてぼろいレストランであった。

ホテルの隣にはイタリア人の経営する小さなホテルがあって、ここの1階がイタリアン・レストランである。そこでピザやスパゲッティなどを注文し、ビールとともにひとときを過ごしたが、このとき食べたカルボナーラの味が忘れられない。

タイであってタイでない、というのがプーケットだが、その中でもカタ、カロンの界隈は、その西洋化のレベルにおいて他を抜いている。それが好きならそれでも良いが、タイらしさを求める向きには拍子抜けである。物価も高い。

カタより南のビーチもおそらくは、似たような側面があるのだろう。だがそれらはもっと静かで、そして自然が豊かである。ところがこれらのビーチは、どこに行くに不便である。空港からも遠い。

パトンがプーケットのもっとも猥雑な街であって、その光景は私にとってもはや南国のリゾート感を味わわせてはくれないと思われる。ホテルが繁華街に近く、そういう意味では便利だが、海は混んでいてリラックスできないことは容易に想像がつく。

バンタオ・ビーチは私の感覚では、おそらくもっとも素敵なところで、人は少なく海岸は広い。けれどもそこはそこで、パトンのような猥雑さを嫌う向きが多いというだけで、タイの味わいを残しているようには見えるが、物価は一流である。そしてラグーナ地区こそその最たるもので、ここに泊まると静かでのんびりとした時間を味わうことはできるだろうが、近くには何もない。

残るはスリンとカマラの2つである。私は次回プーケットに出かけるときには、このエリアに滞在しようと思った。西海岸のラインに沿って空港から南へと再び目を走らせてみる。どこも素敵なビーチに見えるが、開発され過ぎて素朴な味わいがないところが多い。プーケットをよく知る外国人は、いまやクラビーやカオラックに向かい、ピピ島にまで高級リゾートができてしまった。東南アジアのリゾート化の流れはいつの間にかミャンマーやカンボジアにまで及び、ベトナムのニャチャンなどはタイと引けを取らないほどに高級な場所となっている。ロシア人は言うに及ばず、中国やシンガポールなどに住むリッチな人々がこれらのリゾートを席巻してしまったので、今や日本人はあまり見かけない。いや日本人は今でも、短期滞在、アクティビティを欠かさない多忙な観光に明け暮れている。快適さとサーヴィスへのこだわりが強すぎて、かえって楽しめないにもかかわらず、安いというだけの理由で雨季に滞在したたりする。

日本へ戻る日の夕方を、カタ・ビーチで過ごしながら、そこで催されるビーチ・バレーを眺めていた。タイ人もいれば、ヨーロッパ人もいる。みな楽しそうに歓声を聞きながら、暮れてゆく海を眺めていた。静かな時間がゆっくりと過ぎること。これが最大の楽しみである。いかに西洋化されようと、その時間感覚と明るく暖かい気候、それに静けさは、日本の都会にないものだ。そうである限り、私はまたプーケットに来たいと思う。さわやかな風がそうっと吹いてきて、木々を揺らした。一番星が山の頂にあるブッダのそばで瞬き始める頃、新しい年の静かな一日が今日も終わろうとしていた。

2016年10月20日木曜日

プーケットへの旅(2015)ー⑤ピピ島クルーズ

正月2日の朝は6時に起床し、迎えの車に乗り込んだ。ピピ島へのツアーに参加するためだ。ツアー会社が手配するマイクロバスが、我々を含む何組かの客ホテルに迎えに来たのだ。ピピ島への船が出る島南部の港までは30分程度、ホテルからはそう遠くはない。ホテルを出て山の方向へ向かうと、すぐに峠にさしかかる。島の東部とはここのカタ付近が最も近い。プーケットタウン方面へは開けているので、交通の便は結構いいのである。

一方パトン・ビーチ方向やクロンテープ岬へと続く海沿いの道路は、交通量が多い上に狭く曲がりくねっており、しばしば渋滞も発生する。このため各ビーチから遠方へと急ぐ場合には、島中央部を縦断する幹線道路を利用する。例えば空港からカタ・ビーチへはこの幹線道路経由となる。幹線道路の両側には大型ショッピングセンターやガソリン・スタンドがあり、ワット・シャロンなどの見どころもある。今回もその縦貫道路を南端まで走る。峠からは東部の海も見渡せた。プーケットは海沿いの村や町が開発され過ぎ、国際的な高級リゾートと化しているが、島の東側では普通のタイの生活を見ることが出来る。もっともこの島全体はタイの中でも特殊であり、物価も高く、生活水準は並外れている。

ピピ島へのクルーズはホテルのフロント脇にあるデスクで申し込んだ。同様のツアーは街中いたるところのレストランやバイク屋などで扱われているが、結局はいくつかのボート会社に集約される。それぞれの会社は、概ねピピ島を中心としたいくつかの島々をめぐり、夕方には港に戻る。訪れる島の種類や順番が若干異なる。そしていくつかのボートはい高速船である。この高速船は通常のフェリーに比べると結構速いので、一日にいくつもの島をめぐることが可能となるわけである。朝には一斉に船が出て、無人島を含むシュノーケリング・スポットで一時停泊したりする。数十人程度の、国籍もバラバラな集団がひとつのボートに乗り合わせる格好となる。

途中、団体専用のレストランでの昼食もついている。私たち一家は、そのあまりに美しいパンフレットの写真に刺激され、3つの島を欲張りに回る会社に申し込んだ。港の入り口に着くと、各地から集まってきた人々が屋根のついたお庭に通され、そこで説明を受けることとなった。ガイドの女性は独特の訛りのある英語でジョークを交えながら、船酔いの対策や集合に遅れないよう注意することなど、一通りの説明のあと、私たちの乗る船の方向に向かって約5分の距離を歩き始めた。

船着き場には波止場がない。プーケット南部の海岸はあまりきれいではないが、そこに大量のクルーズ船が泊まっている。それらは海岸にズラリ停泊しているが、その船に乗るには海の中をじゃぶじゃぶと歩かなければならない。つまり私たちは裸足になり、裾をたくし上げて、ぬめる石などにつまずかないように注意しながら、荷物を頭上にあげて海を歩いて行くのだ。

私たちが乗るボートはそれほど大きくはなく、釣り船のようなものである。進行方向前方の、船が波を切って進む時には、激しく上下にジャンプする突端部分の両側の椅子に十数人がぎっちりと座り、残りの客は船の後方部に座る。ライフジャケットを着て出発である。静かに進むプーケットの海は波も静かで、雲一つない青空と海は明るく深い。きれいな島々を眺めながら、1時間半程度の行程に期待と興奮が高まる。ところが船が湾を出たとたんに、激しく揺れ始めた。

船は波を切りながら進むのだが、その波はインド洋をベンガル湾からやってくる外洋の波である。青々と深いその海には白波が立ち、時折大きな横波が小さな船にぶつかる。船長はその波を上手にかわしながら進むのだが、時折打ち付けるような衝撃が船を襲う。常にどこかを掴んでいないと飛ばされそうで危ない。立ち歩くなどもってのほかで、むち打ち症にならないか心配しながら緊張の時間が続く。時に頭を打ちそうになるが、この揺れは先端部だからで、後方ではさほどでもなかったと妻が言っていた。

こんなところで遭難したら大変だろうな、などと多いながら無人島の断崖絶壁のそばを通る。そしてとうとう私たちはピピ・レイ島に到着した。ピピ・レイ島のほぼ唯一の海岸、すなわちマヤ・ビーチは入り江が特徴的で、左右の丸く高い山が門のように湾を取り囲み、その間を分け入ってゆく。湾の内側から見るエメラルド・グリーンの海と、切り立った崖の風景は映画にも登場する絶景である。島は特別な自然保護下にあるため、人工的なものは何一つない。すなわちお店も日よけも、そして波止場も。船は沖に停泊し、そこから胸までつかりそうな中を歩いて上陸する。遠浅でしかも透明度が高いから、歩いて行くのも楽しいが、問題なのは船の数があまりに多いことである。どの船も良く似ているので、自分が乗った船がどこにあるのかわからなくなるのだ。船会社の名前と船体番号を記憶するのだが、頻繁に出入りするためどのあたりにあったか見当がつかなくなる、これは多くの客に共通であって、私たちは同乗してきた人々から離れないようにしながら、写真を撮ったり魚を見たり。思い思いに過ごす時間は30分もあれば十分である。とにかく日差しが強いのだ。

小一時間の休憩をはさんで再び何とか船に乗り込むと、今度は島の西部にあるシュノーケリング・ポイントで一時停泊。ガイドによるとその日は波が高く、本来停泊するはずだった場所ではないという。それでも珊瑚礁のあるところに熱帯魚が泳いでいるのが、水上からも確認できる。息子と私は恐る恐る船から飛び込んでみたが、深い上に流れが急でとても怖い。しかも近くの船でタイ人の船長が大声で怒鳴った。「海蛇がいるから気を付けろ!」結局20分程停船したあと船はピピ・レイ島を一周することとなり、途中野生のサルがいる狭い入り江に立ち寄ったあと、めでたくピピ・ドン島に到着した。ここはリゾートホテルが集中する島で、ピピ島と言えばここを指すもっとも大きい島だが、それでも小さく静かである。ピピ・ドン島のくびれた部分の南側にある港に我々は上陸し、そこの巨大なツーリスト用レストランで昼食となった。

お昼の休憩をそこで過ごしたあとは、最後の島、カイ島へと向かう。ボートの揺れにも慣れて、私たちは少しうとうとするうち、プーケット島の南の沖に異あるカイ島の突端部に到着した。

カイ島はまた、何もないとてもきれいな島で、突き出た部分は綺麗な海が270度広がる。海には小魚が泳ぎ、上からでも良く見える。海岸はレストランになっており、そこでパイナップルやスイカなどがふるまわれる。チェアに座ってじっと佇んでもいいし、シュノーケリングに興じてもいい。ここも次々にボートがやってきては客を下し、そしてまた去っていく。太陽が西に傾きかけた頃、私たちを乗せた船は再びプーケット島に到着した。約7時間くらいだっただろうか。私たちは多くのガイドブックが紹介し、バックパッカーがほれ込むピピ島というところに、ついに出かけたという感慨でいっぱいだった。

私は駆け足のツアーは忙しなく、もう少しゆっくりと時間をかけて行くべきだったか、と自問した。だが私のさしあたりの答は、案外そういうものではなかった。周りを海に囲まれた日本人にとって、美しく小さな海岸はいくらでもあると思ったからだ。何もないタイの孤島に、白人を中心とした観光客が大勢いる。よく考えると何か不思議な空間だが、それも何か変に溶け合っているので、まあいいのかとも思う。長く寒い冬のヨーロッパや、緑が少なく殺風景なオーストラリアからは、こういうところがいいのだろう。でもまあ、日本もよく探でば、こういう素敵なところはいくらでもある。自然景観だけなら沖縄だってひけをとらないはずだ。欠けている要素があるとすれば、規制が少ない享楽的な雰囲気ではないかと思う。

太陽がアンダマン海に沈むころ、私たちはホテルに帰り着いた。プーケットから見る乾季の夕陽は、ここが単に高級なリゾートということだけでない何かを感じさせてくれる。それは自由にして外国文化に寛容なタイの光景が、自然景観と溶け合っているからだろう。この雰囲気は他の東南アジアではなかなか得られない独特なものだと、つくずく思った。

2016年10月18日火曜日

プーケットへの旅(2015)ー④カウントダウン2016

お正月を迎える場所がどこであれ、大晦日夜のカウントダウンは滞在中一番のイベントである。大晦日の一日をホテルのプールで過ごした私は、(NHKワールドの「紅白歌合戦」中継などを聞きながら)その日も普通と変わらない美しい夕暮れ時を迎え、そして日付が変わる頃にはビーチへ繰り出した。ビーチにはすでに大勢の人が所せましと押しかけており、無秩序に光るリングを回したり、灯篭を放ったりしている。コンサート会場のように大音量で流れるロックの方向に進めば、そこは昨日寝そべった海岸である。

この灯篭はごく薄いビニールでできた袋をさかさまにして広げ、中に灯を点す。蝋燭によって温めらた空気は灯篭の中に満ちてゆき、静かに手を放すとそれが空中に上がっていくという仕組みである。これをあちらこちらで売っている。ヨーロッパからの観光客もこれを買い求め、その場で火を点けるのだが、これがなかなかうまくいかない。特に風にあおられて火がついたまま落ちてくることがある。そこに人が立っていたりすると、おじさんの頭が燃えそうになるのだ。危ない。慌てて消そうとすると、今度はビニールそのものが燃えてしまう。これをまるで混雑した電車内のようなところでやるのだから、大変危険である。ここの灯篭(コムローイという)はそんな感じである。それでもうまくいく灯篭があちこちにあって、他のビーチでも同じことをやっているから、空中が灯篭でいっぱいになる。この様は見ていてとても幻想的である。

花火もまたあまたの場所から打ち上げられる。その数は大変多く、こちらが終わったと思えばまたあちら、それが終わるとまたこちら、という風に、海岸の東西南北で一斉に打ちあがる。カウントダウンがゼロになったその瞬間を最高潮に、大晦日のイベントが終わると、人々は少しずつ減り始め、私たちもまたホテルへと帰った。ホテルはビーチから10分程度奥にはいったところにあるので、まったく静かである。カエルの鳴き声を聞きながら寝床に着いたのは、午前2時近くだったと思う。また新しい年を迎えることができたことを感謝しつつ、私は部屋から見えるブッダの方向を眺めた。南国で迎えるお正月は、乾いた涼しい風の中で私に心地よい一年の始まりをもたらしてくれた。

2016年10月14日金曜日

プーケットへの旅(2015)ー③カタ・ビーチ

TripAdvisorが選ぶアジアの人気ビーチ第3位に、カタ・ノイ・ビーチがランクされている。カタ・ノイはカタ・ビーチの南北に分けた南側を差し、小高い丘を超えて行くことができる。一体どんなに素敵なところだろうか。私は到着した翌日の午後には、早くもここへ向かおうとした。リゾート地で長期滞在する最大のコツは、できるだけ早く現地に溶け込むことだ。だから午後一のホテルのバス(と言っても改造したトラックの荷台に座るだけだ)に乗って、まずはカタ・ヤニ・ビーチの中心地へ向かった。ここから丘を越えて徒歩で15分程度歩くとカタ・ノイ・ビーチに到着することができる。

カタ・ヤニ・ビーチは中央にClubMedが居座っており、その北側はカロン・ビーチへと続いている。一方南側はいくつかのホテルが海に面して建っており、レストランも多い。どういうわけかここにはイタリア人が多い。ただビーチそのものは少し混雑しており、素朴な味わいはない。レストラン脇の急坂を登る。途中フルーツを売る店があって、そこでパイナップルやランブータンなどを買い込む。ジュースを作ってもらうのもいい。そしてバイクやタクシーが行きかう自動車道を歩くこと10分ほどで、カタ・ノイ・ビーチへと下る階段に到着した。ここから足元に注意しながら、ビーチを目指して下りてゆく。サンダルに砂が入り痛いが、そんなことよりこれを帰りに上らないといけないかと思うと、ややうんざりする。

ここのホテルに泊まっている場合には、カタ・ノイ・ビーチはそばである。だがビーチにはホテルしかないように感じられ、あの田舎の風情を醸し出すタイの海岸風景は見られない。ビーチの波は高く、少し危険なほどである。総じていえば、広々としたバンタオ・ビーチには劣るだろうか。少なくとも私にはそう思われた。

強い日差しを避けるためのビーチ・パラソルは安価で借りることができるのだが、どういうわけかデッキ・チェアがない。貸してくれるのは日よけのパラソルと大きなバスタオルだけである。砂の上にタオルを敷いて、その上に寝なければならない。これはアジア的であるとも言えるが、世界中どこのリゾートへ行っても共通のデッキ・チェアがないのはどうしてなのか。そして驚くべくことにカタ・ビーチのすべて、いやあのパトン・ビーチを含むすべてのプーケットのビーチからデッキ・チェアが消えてしまったというのである。

2015年に始まった軍政による統制の強化で、デッキ・チェアなどを貸し出す土産物屋などの業者の既得権益を締め出そうとした、というのが噂である。だがそんなことによって、あのプーケットのビーチを訪れる世界中の観光客は、今や絶望感にとらわれているような気がした。このような愚策はいつまで続くのかわからない。だがタイのことである。いつか急に再開されるのではないかと思っている。

カタ・ビーチからカロン・ビーチに続くエリアの方が私には気に入っている。確かに海は遠浅で広く、特にClub Medあたりが最も素晴らしいようには思う。だが安いタイ・レストランやマッサージ店は見当たらない。時折アイスクリームなどを売りに来る物売りを眺めながら、ビーチ・バレーに興じる世界各国の若者の歓声に耳を傾けている。4年前と違い、2016年の新年は快晴の天候が続いた。どこかヨーロッパのリゾートにいるような雰囲気がここの特長である。けれどもタイの風情を求めている向きには若干期待外れであることも事実だ。数多くあるプーケットの西海岸に、そのような落ち着いた風情を求めることはできないのかも知れない。バンタオ・ビーチのそれは、一見地元風ではあったが、実際のところはそれ自体が観光客向けであった。でもまだそのほうが、私にとっては有難かった。

まだ滞在したことのないスリンあたりのビーチなら、もう少し良いのかも知れないのかなあ、などと想像しながら、私は暮れてゆく南国の夕暮れを楽しんだ。実用的な話をひとつ。ここには訪問客向けの施設、すなわち「海の家」に相当するものはない。シャワーやトイレは1か所、駐車場の中にあった(有料)。だからビーチに面したホテルに限る、と思った。それなら水着のまま海へ行ける。そしてシャワーはホテルのものを使えばいいし、プールに飛び込んでもいい。カタやカロンのビーチは、ホテルが大通りを隔てて建っている。バンタオのラグーナ地区のビーチでは、ほとんどゲスト専用のビーチのようになっており、混雑もない。ただバンタオ・ビーチの問題は、街に遠いことだろう。屋台や土産物屋の類は、たとえ同じものしか売っていないとしても、長い夜の楽しみである。カタにはそれが、まだあるにはある。

2016年10月12日水曜日

プーケットへの旅(2015)ー②Kata Lucky Villas & Pool Access

お正月に1週間滞在しようとしたら、オフ・シーズンの3倍以上の料金を覚悟しなければならない。このため私は、仕方なく3つ星クラスのホテルを探した。パトン・ビーチは候補から外し、大きなプールという条件は譲れない。いつも利用するAgodaというホテル予約サイトやTripAdvisorの評価を手掛かりに、まだ空室のあるホテルを探し始めたのは8月下旬だった。けれどもそのころにはすでに、お正月をまたぐ期間のホテルは多くが満室であった。あってもスイートルームの非常に高い部屋(1部屋1泊5万円以上!)しかないところも多く、しかも大晦日の夜には、ホテルが主催するディナーへの参加が義務付けられていたりする。このような馬鹿げたことのない実質的かつ良心的なところで、しかも大きなプールがあり海も近いところ。こういう条件のホテルも探せばあるもので、今回私はKata Luck Villa & Pool Accessという、カタ・ビーチの外れにあるホテルを予約することにした。

4人で滞在するには広い部屋を1つか、またはツインの部屋を2つ確保する必要がある。そしてこのホテルにはVillaタイプの部屋(キッチンもついたバンガロータイプ)とプールへ直接部屋から出られる部屋の2種類があり、後者が若干高いものの、そのほかのホテルにあるプール・アクセスの部屋に比べると安い。2つのタイプの部屋は若干離れてはいるものの、1部屋ずつ予約し、双方を行き来しながら使うとことにした。プールアクセスはちょっとした楽しみだったし、それにこのプールは長くて広く、子供は喜ぶのではないかという予想もあった。

このホテルにはヴィラ滞在者向けの比較的小さな曲線型のプールが1つと、プール・アクセスに滞在するモダンで白塗りの客室が並んで面する長方形をつなぎ合わせたようなプールがあり、後者はコの字型に折れ曲がっていて、泳いで行けば他の部屋の正面を横切って先のほうまで行くことができる。二種類の客室とプールのデザインには一貫性がなく、丸で違うホテルのように隔てられている。だがフロントやレストランは共通である。それぞれの建物を行き来する人はいないが、プール・アクセスの部屋の滞在客が、わざわざ小さなプールで泳ぐこともないだろうし、逆にヴィラの住民がプール・アクセスの建物の方へ行くこともないだろうと思われる。つまりそれぞれ特徴があって、しかも独立性が高い。

私はヴィラ・タイプの広い客室のバルコニーから見える庭園の色とりどりの植物がとても美しいと思ったし、丸型のプールは小さいながらもそれなりにリラックスができるように思えた。一方、プール・アクセスの建物はまるでカリフォルニアを思わせるようなデザインが美しいとは思う。だが少し人工的でもある。いずれにせよ風にそよぐヤシの木やその向こうに広がる青い空、そして山の頂の大仏が見渡せ、風が吹き抜けると静かなプールの水面がさざ波立つ様は、南国のリゾートならではである。ホテルが街の喧騒から少し離れていることが最大の利点であると同時に、海へも歩いていくことができる。もっとも1時間に1本の無料バスを利用すれば、毎日カタ・ビーチに行って帰ってくることも容易にできる。

レストランはホテルの玄関に面した小屋にあって、朝6時半ころから質素ながら不足感のない料理を提供する。豪華なブッフェでは決してない。だが私は、豪華ホテルの朝食がしばしばバカンス客の体重増加に少なからぬ悪影響をもたらすことを知っている。朝食がおいしすぎると昼食が食べられない。だから朝食は実質的で少なくすべきと考えると、こういう質素なほうが合理的である。なおこの界隈はヨーロッパ人が多いせいか、コーヒーが好まれる。卵料理とサラダ、それに日替わりのタイ料理。これが当ホテルの朝食である。

ホテルにはジムもある。それからマッサージの小屋もある。これらを利用するのも良いが、ホテルのすぐ前には洗濯屋、旅行会社、貸バイク、フルーツ屋、それに複数のレストランが立っている。これらを日替わりで利用することになる。ただ旅行とタクシーについてはホテルのフロントが経済的で便利である。彼・彼女らは多くがミャンマー人で片言の英語を話すが、みな親切で良心的である。プール・アクセスの部屋にはバスタブもついているが、シャワーが基本だろう。そして各部屋には快適なデッキ・チェアーが備え付けられており、そこに座ってコーヒーを飲みながら本でも読んでいると、他に何もしたくなくなる。ただし虫よけのスプレーを持っていくこと(そばのファミリー・マートでも買える)。

3つ星だと割り切る限りホテルに関して大きな不満はない。特にシーズンオフであれば大変リーズナブルな料金で滞在できるだろうと思う。ただ部屋のエアコンが少しうるさいように感じた。乾季は消したまま寝ることもできるが、雨季だとちょっと辛いかもしれない。


2016年10月10日月曜日

プーケットへの旅(2015)ー①どのビーチへ行くか

「もうこれが最後の海外旅行になるかも知れない」と思ったのは、丁度4年前のことである。2011年末、香港を経由したタイ・プーケットへの旅は12日間に及んだ。私はもう二度と来れなくてもいい、というつもりで滞在を満喫した。5つ星ホテルに泊まり、毎日豪華な朝食を楽しんだ後、広大なプールや夕日の美しいアンダマン海で泳ぐ。合間には長いうたたねと風そよぐビーチでのマッサージ、それにおいしい工夫をこらしたタイ料理。夜になればホテルのバーでバンドの演奏に耳を傾けながら、消えてゆく夜空の星を愛おしむかのように、何時間もの間、家族とともに過ごしたのだ。
最初にして最後の海外リゾート地でのバカンス(とその時は思った)、その行先にプーケットを選んだのは、お正月に乾期という最良のコンディションに加え、タイの刹那的で享楽的な雰囲気と、魅力的なタイ料理にあこがれてのことだ。子供をプールで泳がせることも重要な目的だった。そしてあのバンコクの前代未聞の洪水によってか、シーズン中だというに航空運賃は思いのほか安く、名前が変わったばかりの5つ星ホテルは簡単に予約が取れた。当時日本円は高く、したがってあの悪名高いプーケットの物価も少しは安く感じられた。

もっとも当時、すでに日本人にとって、プーケットは評判のいい目的地ではなくなっていた。いつのまにか直行便はなくなり、2004年末に発生したスマトラ島沖を震源とする大地震の津波で大きな被害が出たこともあって、リゾート滞在先としてはバリやハワイには到底及ばない状況になっていたのである。ホテルで見かけるのは、代わって中国人とロシア人。町中にキリル文字があふれ、プーケットのケーブルテレビには滞在中のロシア人向けチャネルがあるほどだった。

あれから4年がたち、子供も少しは大きくなって、私は再びプーケットへの旅行を計画した。今回は妻の母親も連れていく。そして観光はせず一日中プールと海でずっと泳ぐ。疲れたら休み、休んだらまた泳ぐ。スイカのシェイクを飲みながらパッタイに舌鼓を打ち、時折やってくる物売りからアイスクリームなどを買って過ごすうち、やがて夕日は傾き、夜のとばりが下り始める。バーが大音量でディスコ音楽を流し始め、軒に色とりどりの魚を並べた観光客向けシーフード・レストランが呼び込みを始めるころ、一日のもう半分が始まる。トラックを改造した乗り合いタクシーに乗って買い物に出かけ、夜の屋台をめぐる。若干風紀は悪いが、それがプーケットで過ごすバカンスである。そのようにして毎日が過ぎてゆく。
あの眩い常夏のプーケットでの生活に、一体どこのビーチが最適だろうか。前回は何もわからず予約したホテルは、バンタオ・ビーチというところにあった。およそプーケットの喧騒とは隔絶された地域ではあったが、潟湖に囲まれたホテルはとても静かで海岸も広く、リラックスするにはうってつけの豪華リゾートだった。それに比べると最大のパトン・ビーチの猥雑さは家族向けには少々つらい。海ならもっとほかのビーチの方が綺麗でゆったりとできるだろう。

地図を見ながら私は、手元の地図で空港から南下する方向にビーチを手繰ってみた。プーケット島の西海岸は、北から順にいくつもの入り江に沿って細い道が続き、バンタオ・ビーチ、スリン/カマラ・ビーチ、パトン・ビーチ、カロン/カタ・ビーチの順に並んでいる。もちろんこのほかにもあるし、東海岸や離島も合わせるとプーケットの滞在場所の選択肢は、近年拡大するばかりである。かつてはバックパッカーの隠家だった南国の海岸は、もう何十年も前から俗化され、大型ホテルが林立する大都会へと変貌して久しい。それを嫌って観光客はさらに四方八方へと広がった。あちこちで道は渋滞し、狭い空港はさらに混雑する。物価は高騰し、海が汚れた。

それでもまだこの島は観光客を惹きつける。今回行ったビーチには大勢のヨーロッパ人、それもどういうわけかイタリア人とフランス人が大勢いた。彼らの行くイタリアン・レストランは、私がかつて食したもっともおいしいクラスのスパゲッティとピザを提供したし、予約が取れないほど人気のトルコ料理レストランまでもが、何の変哲もない道沿いにひっそりと建っている。ここはタイであってタイではなく、道行く人は外国人ばかり。でもタイというところはこれだけ多くの人々や文化を受け入れていながら、どこかしらタイらしさを失っていない。そこがすごいと思うのだ。

カタ・ビーチ。これが今回の滞在先である。空港から幹線道路を経由して1時間、チャーターしたミニバスで1200バーツ~1500バーツの距離である。私たちはその中でも少し内陸に入ったところにあるホテルに滞在することにした。もっと景色のいい便利なホテルが海沿いに所狭しと並んでいるが、そういうところは、騒々しい上に結構値段が高い。もっと言えば、カタ・ビーチの最上級ホテルはClub Medであり、カタ・ビーチ=Club Medということになっている。特にここに滞在するのでなければ、ホテルはむしろ少し離れた方がいい。カタ・ビーチのメインであるカタ・ヤニ・ビーチとその北のカロン・ビーチ、南のカタ・ノイ・ビーチは峠を越えてもほとんどつながっていて、大きなショッピングセンターはないものの、それぞれ小さな土産物屋やレストランが多数並んでいる。

プーケットのビーチは、それぞれ趣が少しずつ異なる。カタとカロンのビーチはヨーロッパ人が多く、そういう意味で他のビーチとは違う味わいがあるように思う。コーヒーやクレープ、それにアイスクリーム屋の美味しいところ(したがってえらく高い)があり、スターバックス・コーヒーもある。静かなプールではしゃぐ人もほとんどおらず、時折吹いてくる涼しい風が、さわやかに吹き抜けて体を冷やしてくれる。快晴の空にヤシの木は揺れ、その向こうの山の上に大仏の姿を仰ぐ。ホテルは質素でいて、かつ静かであり、日が傾くとタイ人の家族連れが今日もヴィラの窓を開け放ち、夜遅くまでバルコニーで話している。そばで子供たちが遊んでいる。カエルが池で鳴いている。あけ放たれたホテルのフロントで警備員がテレビを見ている。今日着いたばかりの宿泊客は吹き抜けのロビーで、笑顔の従業員に何かを聞いている。

何時間ものフライトで疲れた私たちは、朝日とともに一斉に鳴き始めた鳥の声で目を覚ました。私が海外旅行で最初の朝にすることは、近所の散歩である。今回もカメラを片手に海のそばまで歩こうと思った。真冬の東京から来た身には日差しがとても強く感じた。半年ぶりのTシャツに半ズボンという軽装が心地よく、私は何時間でも歩いていたい気分であった。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...