2022年12月25日日曜日

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)(カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団)

今年はラヴェルの作品を多く取り上げた。このブログの音楽記事は歌劇と管弦楽曲を中心に構成しているが、独特の機能美と構成の巧みさで、父はスイス、母はバスクという辺境の地にゆかりを持ち、ローマ大賞の選考にも漏れるといった数々の事件にも見舞われながら、多くの野心的作品を生み出していったラヴェルは、フランス音楽の大所というべき存在だと思っている。

そのラヴェルの、もう一つの作品ともいうべきものが、組曲「展覧会の絵」である。もともと「展覧会の絵」はロシアの作曲家、ムソルグスキーによるピアノ曲だが、ラヴェルはこの曲を原曲以上に有名な管弦楽曲に仕立て上げた。俗に「管弦楽の魔術師」と言われ、オーケストレーションの巧みさをまざまざと見せつけられる作品は、もしかしたら「展覧会の絵」以上のものはないのかも知れない。

生前には一度も演奏されることのなかったムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」は、19世紀の後半に作曲されているが、これをまずリムスキー=コルサコフが管弦楽曲に編曲している。レスピーギの師匠でもあったリムスキー=コルサコフは、「シェヘラザード」といった曲が有名であるだけの目立たない作曲家のように思われがちだが、後世に大きな影響を残したロシア5人組のひとりとして、重要な作曲家である。

ラヴェルがリムスキー=コルサコフ編に接したのかどうかはよくわからないが、独自の編曲で「展覧会の絵」を世に送り出したのは1922年のことである。このころ彼はは「ラ・ヴァルス」を始め、オーケストラによる斬新なバレエ曲をすでに作曲しており、名声を確立していた。そこで「展覧会の絵」に接したラヴェルは、インスピレーションを刺激されたのだろう。トランペットのファンファーレで始まるこのオーケストラ版は、編曲という新たな音楽的分野を輝かしいものに変え、以降、ストコフスキーを始めとしてチャレンジする作曲家も少なくない。それだけでなく、原曲(ピアノ曲)を演奏するピアニストが多いのも、オーケストラ版の存在が輝かしいからだ。それなら一度、原曲でも聞いてみようか、と。

ラヴェルが編曲した組曲「展覧会の絵」については、もう限りがないほどの録音が知られており、特に機能美の最先端を行く東西のオーケストラ、すなわちベルリン・フィルとシカゴ響に名演奏のものが多い。古くはアルトゥーロ・トスカニーニのモノラル録音盤が決定的な演奏として知られており、私も買って聞いた記憶がある。一切の残響を排し、ぐいぐいとコーダに向かっていく様は、まさにトスカニーニの真骨頂だが、このようなオーケストラの技巧を前面に立てた演奏は、機械化が進むアメリカ東海岸で活躍した多くの東欧系の指揮者が担うこととなった。

まずこの曲をラヴェルに依頼し初演したのが、その後ボストン響のシェフとなるロシア系ユダヤ人セルゲイ・クーセヴィツキである。さらにシカゴ響の音楽監督となったフリッツ・ライナーによる演奏は今もって決定的とされ、トスカニーニがモノラルであることもあってライナー盤の評価はゆるぎないものがある。シカゴ響の指揮者は、このあとゲオルク・ショルティに引き継がれ、彼もまた80年代にこの曲を録音している。音楽雑誌「レコード芸術」の裏表紙にショルティの「展覧会の絵」が掲載されたとき、私を含め数多くの音楽ファンが、この演奏を聞きたいと思った。あるときFMで放送されると知った時は、いつもより高級なテープを用意してエア・チェックに挑んだのは中学生の頃だったか。

シカゴ響による「展覧会の絵」は、このほかに若き日の小澤征爾やカルロ・マリア・ジュリーニによる演奏が有名である。本日ここで取り上げるジュリーニ盤は、そのなかでもちょっとユニークな存在ではないかと思う。なぜならこの演奏は、かなり遅い部類に入るからだ。しかし純音楽的な意味でこの作品をゆったりと鑑賞できる点で、この演奏以上のものを知らない。

ついでに言えば、イタリア系の指揮者による「展覧会の絵」は、フィラデルフィア管弦楽曲を率いたハンガリー系のユージン・オーマンディの後を受け継いだリッカルド・ムーティによりフィリップスにデジタル録音されているが、彼の来日時にテレビで見た「展覧会の絵」の名演奏は何度もその後放映され、わが国では有名である。私もCDをもっているが、トスカニーニからの流れが受け継がれている。

当時のアメリカ東海岸にはヨーロッパから流れてきたユダヤ人演奏家が数多く在籍する技巧的オーケストラが点在しており、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団、アンタル・ドラティ指揮デトロイト交響楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックなど、百家争鳴の状態であった。

ヨーロッパに目を転じると、ここは何種類も存在するヘルベルト・フォン・カラヤンが牛耳るベルリン・フィルとの録音が燦然と輝くが、フランス系の団体も当然のことながら、この曲を得意としていた。その中の最右翼が、エルネスト・アンセルメが指揮するスイス・ロマンド管弦楽団ということになるだろう。デッカによる曇りのない録音が、この曲の代表的演奏とされていた。アンセルメの演奏は、スイス人のシャルル・デュトワに受け継がれ、彼はモントリオール交響楽団で名録音を残している。アンセルメで「キエフの大門」を聞くときは、安普請の家が揺れるなどと言われたものだ。

この後、近年の演奏として記憶に残るのは、ワレリー・ゲルギエフによる2つの録音(うちひとつは珍しいウィーン・フィル)、ベルリン・フィルをカラヤンから受け継いだクラウディオ・アバド、サイモン・ラトルといったあたりが有名である。

組曲「展覧会の絵」は、展覧会場を歩きながら(プロムナード)、ひとつひとつの作品についてその絵から得られたインスピレーションを音楽にしている。冒頭のトランペット・ソロでプロムナードに圧倒的な印象を与えたのはラヴェルだが、その一声だけでこの曲を後世に残る作品に仕立てて見せた功績は、音楽史に残るものだろう。以降、様々な形での「プロムナード」を挟みながら、以下の順に音楽が進む。

プロムナード
1 小人(グノーム)
プロムナード
2 古城
プロムナード
3 テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか
4 ビドロ(牛車)
プロムナード
5 卵の殻をつけた雛の踊り
6 サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
プロムナード
7 リモージュの市場
8 カタコンベ - ローマ時代の墓 - 死せる言葉による死者への呼びかけ
9 鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー
10 キエフの大門

聞けば聞くほど味わいのある曲になっていくが、ラヴェルの他の曲と同様、ただ旋律をなぞるだけのような演奏は面白くない。この曲の聞き方としては、このようなちょっとした味わいを感じさせるものがあるかどうかで、ただ技巧にのみ頼っている演奏はつまらない。また私は特に、「ビドロ」で小太鼓が次第に音量を増しながら、弦楽器が重い行進曲を奏でるシーンが好きだが、このような曲は原曲のピアノで聞いても楽しくはない。

ジュリーニによる演奏の特徴は、この金管楽器ばかりが鳴り響くような印象の曲に、きっちりと中低音の弦楽器が寄り添い、決しておろそかにしていないことだろう。重心を低く抑えていることで、しっとりと旋律が歌われ、ゆったりとした演奏でも聞きごたえがある。もちろん管楽器はシカゴ響のエキスパートが万全のテクニックを披露しているから、惚れ惚れとするほど上手く、その点でも申し分はない。例えば「カタコンベ」の出だしなどは、トロンボーンのアンサンブルが美しい。つまり完成度の点において、これ以上望めないような水準に達している。

なお、このCDには定番の「はげ山の一夜」が余白に収録されている。これも名演。

2022年12月15日木曜日

シュターツカペレ・ベルリン演奏会(2022年12月6日サントリーホール、クリスティアン・ティーレマン指揮)

最近は新聞を読むことが少なくなった。ニュースに興味がないわけではない。老眼がひどくなり、そこに白内障が追い打ちをかけ、活字を追うのが困難な状況だからである。昨今の新聞記事が面白くないということも、重要な理由である。

それでも大きな活字の見出しと、新刊本や雑誌の広告、さらには特定のコラム、文化欄などには目を通している。今月(2022年12月)の日経朝刊「私の履歴書」は、リッカルド・ムーティである。こういう記事は毎日楽しみにしている。

先月足を運んだ北ドイツ放送フィルのコンサートについては、新聞の広告欄で知った。ネットが情報伝達の主流となった今でも、講演会場前で配られる大量のチラシやダイレクトメール、それに新聞広告は、クラシック通にとっては重要なメディアである。特に売れ残った公演が間近に迫っている場合などは、この広告によって最後の販売促進を狙うのだろう、諦めていたコンサートに目が留まることがたまにある。このようにしてたまたま知った北ドイツ放送フィルの演奏会に関するブログ記事を書き終えて、さて今日は土曜日だから、また何か売れ残っている公演の広告でもでているのではなどと思ってみてみたら、シュターツカペレ・ベルリンのものが出ているではないか!

鉄のカーテンの向こう側、かつて東ドイツの歌劇場専属オーケストラとして、伝統あるいぶし銀の響きを維持してきたこの楽団も、もう30年もの間シェフの地位に君臨するダニエル・バレンボイムによって、さらに磨きのかかったオーケストラへと成長を遂げている、ということになっている。私はかつて10年以上前の来日公演で、ベートーヴェンの交響曲のいくつかを聞いたが、重厚感あるくすんだ音色に、とても懐かしい感じを覚えた(ただ演奏の方は新鮮味に欠けるものだったが)。

この時と大きく異なっていたのは、チケット代が倍ほどにまで高騰していることだった。昨今の円安とインフレにより、クラシック音楽の招聘費用にも影響が出始めているのだろう。このまま行けば聴衆の高齢化も手伝って観客数が激減し、来日公演自体が消滅してしまうのではないか、とさえ恐れてしまう。少しの希望は、ここに来て日本を旅したい外国人の数ははうなぎ上りであり、しかも東京の聴衆の造詣はかなり深いため、あまり心配しなくてもいいという気もする。それでも高騰するチケットが買える一部高齢日本人とアジア諸国の金持ちたちで埋め尽くされることになるような気もする。

バレンボイムはブラームスの交響曲チクルスをプログラムに組んでいた。私も第4交響曲のCD(シカゴ交響楽団)を持っており、なかなか難しいこの曲にあっては、かなりの名演奏。あのカルロス・クライバー盤の右に出るような存在だと思っている。ただ、バレンボイムのコンサートは、結構わが国でも開催されているから、ベルリンのオーケストラと演奏するブラームスのチケットが売れ残っていたとしても、さほど不思議なことではない。かつてのベートーヴェン・チクルスの時だって、確か当日券を買って駆け付けた記憶がある。

ところが広告によると、バレンボイムは健康上の理由により来日できなくなり、急遽、クリスティアン・ティーレマンに交代となったようなのである!この告示には私も驚くと同時に、偶然目にしたのは何かの縁ではないかとさえ思った。S席は35000円という信じられない値段が付けられている。それでも「ぴあ」などにアクセスすると、私が行ける唯一の公演、12月7日のプログラム(交響曲第2番、第1番)はもっとも売れ行きが良いらしく、わずか数席しか残っていない。これは大変なことになってしまった。今後ティーレマンの演奏を生で聞ける機会が、どれほどあるだろうか?思えば40年以上前に初めて自腹で演奏会の切符を買って以来、時間と金銭的余裕のある限り、多くのオーケストラ、指揮者の演奏を聞いてきた。そういう私にとって現代最高の巨匠ともいうべきティーレマンは、「いつかは聞いておかなくてはならない」指揮者となっていた。それも最後の!

そう思った私は、おもむろに「ぴあ」の空席を検索し、1階最後列というS席にしてはちょっと疑問の残る席をクリックしてしまった。舞台正面の席ではある。そして、熊本や大阪での公演、さらには前日の初台でのブルックナーなどは結構な盛況であると見えた。チケットを手に入れてから、私の頭はブラームスの旋律で溢れた。第2番第1楽章の主題。これほど心が安らぐ音楽があるだろうか。あるいは第1交響曲冒頭のティンパニの連打。思えばこの2曲はベルリン・フィルをはじめ、様々な組み合わせで接してきた。私のブラームスの演奏会史にティーレマンの演奏が加わることへの期待が、まるで修学旅行を前にした高校生のように高まっていった。こういう経験は、久しぶりである。

会場はいつもとは若干異なる、ネクタイを締めた身なりのいい人たちで溢れている。彼らは引退した高齢者(ももちろん大勢いたが)ではなく、現役の、それもそこそこ身分の高い給与所得者、ないしは経営者なのだろう。女性の装いが、高級ブランドの服や装飾品で埋め尽くされている。プログラムも有料で2000円もする。それでもこれは、若い頃からの私のコレクションになっているから、今回も清水の舞台から飛び降りる覚悟で買い求め、大切に鞄にしまった。最近では会場でプログラムが読めないのだ。チケットにはまだバレンボイムの名が記されていたが、プログラムは表紙が少々安っぽいものの、ティーレマンと楽団の写真がふんだんに掲載されていて嬉しい。早々にトイレを済ませ、期待に胸を膨らませながら待っていると、オーケストラに引き続き長身のティーレマンが登場した。

プログラムによればティーレマンは1959年西ベルリン生まれ。私より7歳年上である。私はまだベルリンが東西に分かれていた頃、ここを旅行している(1987年)から、町全体が落書きだらけの壁に囲まれた当時の雰囲気を思い出すことができる。シュターツカペレ・ベルリンは当時東側のオーケストラで、わが国にも有名な名指揮者、オトマール・スイトナーがたびたび指揮者を務めており、来日も多かったしベートーヴェン交響曲全集などの録音も有名だった。

そのシュターツカペレ・ベルリンを、何とティーレマンは今年になって初めて指揮したそうだ。東西ドイツが統合してからも、西側の雄ベルリン・フィルにはしばしば登場しているし、もう一つの東側の歴史あるオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデンでは何年もの間、首席指揮者を務めているから、意外と言えば意外であった。

交響曲第2番の明るく伸びやかなホルンのメロディーが聞こえてきたとき、もうこのコンビがすでに長年の関係を続けているようなものに思えた。ティーレマンという指揮者は、長年私にとってなかなかとらえにくい指揮者だったのだが、実は非常に繊細で、しかもフレーズが静かに入ってゆくところなどを、まるで幼児を撫でるような感覚でものすごく丁寧に指揮することがわかった。それがあまりに丁寧なので、音楽の流れが独特の間を持つこととなる。ここが彼の音楽の特徴で、ちょっと違和感を覚えるときがあったものだ。しかし実演に接していると、その有様は、音楽に自然の集中力を与えはするものの、決して壊すことはない。音量はむしろ小さいくらいだし、テンポはゆっくりしている。必要な時には意味深く遅く、かと思えば次第に速くなるなど、あのウィルヘルム・フルトヴェングラーを思い起こさせる。

風貌の点では、フルトヴェングラーというよりもあの大柄な長身、ハンス・クナッパツブッシュに似ている気もするが、いずれにせよこれらの巨匠の演奏は、アーカイブにしか存在しない一時代前のスタイルである。かといってティーレマンの演奏が、これらと同じかと言えばそうではない。陳腐な言い方をすれば、古くて新しいのだ。ティーレマンがなぜこんなに人気があるのかが、わかったような気がした。

だが、ティーレマンが古楽奏法全盛の時代に、まるで遺跡から生き返ったツタンカーメンのように登場してからすでに20年以上が経つ。私はティーレマンがバイロイトで録音した「指輪」のCDをすべて図書館で借りて聞いたのが、この指揮者との出会いだった。この時の上演は、奇抜な演出で物議を醸したものがDVDで先行発売されていたが、DVD会社は音だけのCDのリリースを敢行した。音楽だけを切り取って聞くと、そこは紛れもなく古色蒼然とした、しかし新鮮味のあるワーグナーだった!

今回のブラームスにも同様なことが言える。第2楽章、第3楽章ともどちらかというと静かで精緻な音がバランスよく聞こえてきて、それはあのベルリン・フィルで聞くような大音量でもなければ、ウィーン・フィルの艶のあるものでもないのだが、まるで北ドイツの空を眺めているような、薄日と冷気を帯びた夏の空気が感じられた。ここで聞くブラームスは、ハンブルクのブラームスであった。

第4楽章になるとそれでも音楽は高揚した。次第にテンポを上げていく。アッチェレランドという指定が楽譜にあるのかどうかは知らないが、彼の演奏は懐かしいその響きだった。感情が解き放たれ、輝かしい陽気のうちに演奏が終了したとき、大きな拍手が沸き起こった。こういう演奏が聞きたかったのだ、と皆が納得しているようだった。後半の第1番に期待が大いに膨らんだ。

交響曲第1番は第2番と違い、けた違いの長さと苦悩の上に生み出されたブラームスの野心作だ。ベートーヴェンの影を追い、その記念碑である9曲の交響曲を発展させる作品を書くことが彼のライフワークとなっていた。作曲開始から21年の歳月をかけて第1番は演奏された。その曲は、推敲に推敲を重ねただけのものが感じられ、大成功だっただけでなく、まさにベートーヴェンの延長線上にある曲とみなされることとなった経緯は、随所に詳しい。

一般には、第4楽章にかけて次第に白熱を帯び、最後は圧倒的な興奮が地底から湧き上がるような演奏への期待が高いのだが、よく聞くと非常に抒情的で美しい部分も多く、まるで室内楽を聞いているようなところがある。この点、威勢のいいアレグロとロマンチックな緩徐楽章にはっきり色分けされる古典派のベートーヴェンとは異なる。ブラームスは、ピアノ協奏曲第2番と同様、静かに心を落ち着かせて聞き入ると、その魅力が開いた扉の向こうから静かに溢れてくることに気付く。例えば第2楽章。ここのヴァイオリンのソロと溶け合う瞬間の、息を飲むような美しさなどは、ベートーヴェンの頃にはなかった後期ロマン派のものだ。

ソロが活躍する場面は、冒頭のティンパニに始まり、第3楽章のホルン、それを受け継ぐフルートなど書ききれないほどだが、感動的なのはそれらが一つの大きな宇宙を形成していることだ。絶対音楽としての完全性が、ここに感じられる。数々のソロを含め全体で表現したかったものが、第4楽章になって爆発する。といってもブラームスの爆発は、火山に例えれば溶岩が流れ出すようなものではなく、マグマが地底に溜まって次第に地面を隆起させるようなものだ。

ティーレマンの演奏に話を戻そう。ティーレマンは第2番同様に、ここでも音楽を爆発的な音量にしない。むしろ室内オーケストラのような精緻さで、細かいフレーズのひとつひとつにまで気を配る。楽器が溶け合うこと、複数の楽器がまるで一つの楽器に聞こえるように演奏すること、そして無駄な音が聞こえないようにすること、これらをとりわけ心掛けているように思えた。CDや映像で見るとやや不自然さも醸し出すこのような演奏も、実際に聞いてみると大変新鮮で、もしかすると昔の巨匠指揮者の演奏もこんな感じだったのではないかと思わせるようなところがあった。

私がかつて聞いた同曲の演奏と比較しても、その個性は明らかであった。レナード・バーンスタインがイスラエル・フィルと来日して聞かせたときは、全身全霊を傾けて一心不乱に指揮をしていた姿に目を奪われたが、実際音楽もそのように重厚で大胆であり、興奮を湧き起こすのもだった。一方、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルと共演したときには、この理性的なイタリア人による実に整った演奏で、角の取れたスリムなブラームスだった。それに対しティーレマンは、伝統との調和、個々の奏者との絶妙な融合、その延長にある総合的エネルギーが、豊饒な音楽となって導かれる有様である。ベームとカラヤンの音楽を足したような表現というと、おそらく反論も多いかもしれないが、私としてはそんな印象を持った。

もっとも印象に残った部分を記しておこう。それは第4楽章、あの第九を思わせるメロディーが満を持して出てくるところ。その手前でティーレマンが相当長い休止を取ったことだ。この休止の間中、客席はもちろん物音などひとつも立てず、固唾を飲んで聞き入っている。永遠に続くかと思われたその休止が終わると、静かに、そして確実な足取りで、あのアンダンテのモチーフが滔々と流れてきた。古色蒼然とした中に冴えわたる響き。そこからコーダにかけての時間は、まさに至福の時間だった。

オーケストラが退散しても幾度となく舞台に呼び戻されることとなったのは、当然の展開であった。私はこのコンビが、すでに何年もかけて音楽を作ってきたような完成度に達していると思った。彼は、もしかしたら遅かれ早かれ次期音楽監督にでも就任するのではないだろうか。私はそれを期待する。そしてブラームス、ブルックナー、ワーグナーだけでいい。これらの作曲家の音楽を、繰り返し聞いていたい。

このコンサートを聞き終えて家路を急ぎながら、私はこれほどの大金を支払ってまで聞くクラシック音楽のコンサートは、おそらくもう二度とないだろうと思った。まだ聞いていない指揮者、オーケストラはあるにはあるが、「巨匠」という雰囲気の指揮者は今やどこにもいない。オーケストラはベルリン・フィルを別格として世界中に存在するが、どこも似たような水準で似たような音を出す団体になってしまった。であれば、それほど無理をして聞くこともないわけで、地元のオーケストラや滅多に来日しないようなローカルなオーケストラの方が、発見も楽しみも多いような気がする。ただ残念なのは、これらのオーケストラに足を運ぶ熱心なファンが少なく、プログラムが陳腐なものになりがちなこと。重量級の超一流演奏会は、ニューヨーク、ロンドン、バリ、ベルリン、そしてウィーンなどの世界の数都市(東京は今のところそのひとつだが)における数回の演奏会に限られるが、それを追いかけて行くのは(これまでもしては来なかったが)やめておこうと思う。

過去40年あまりの間に出かけた演奏会は延べ300回程度。全く自慢できる数字ではないが、この中には数々の有名指揮者、そして感動的な演奏会があった。一度それらを順に思い出しながら記録していきたいと考えてきたが、どうやらその時が到来したようである。



2022年12月4日日曜日

ラヴェル:ボレロ(ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団、エド・デ・ワールト指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団)

かつて民放のクラシック音楽番組「オーケストラがやって来た」を見ていたら、当時の若手指揮者のひとりだった井上道義が登場して、新日本フィルを相手に「ボレロ」を指揮していた。子供とキャッチボールをする映像が差しはさまれ、さながらこの指揮者の紹介番組といった構成だったが、その時のインタービューで「この曲は単純な3拍子でははく、指揮は大変難しい」といった趣旨のことを言ってたのが印象的だった。長身の彼は長い手を大きく広げ、小さい音量で始まるこの曲の繰り返しのテーマを、必死で指揮している。私はそういうものかなどと感心し、以降、この曲を指揮する指揮者の身振り・手振りに注目するようになった。

NHK交響楽団の音楽監督に、フランス音楽の名手シャルル・デュトワが就任して「ボレロ」を演奏したとき、その身振りの少なさに驚いた。彼はほとんど何もせず、割りばしのような短い指揮棒を、正三角形の形に振っている。それは曲が進み、編成が大きくなるにしたがって、次第に大きくはなっていったが、それでも冷静で気取った感じが漂っていた。同じ「ボレロ」でも、こうも指揮が違うのかと思った。ただどちらの指揮も、大いに目立ちたがり屋の性質を醸しだし、見栄も感じさせるものだったことは共通している。指揮者はまず、そのような虚栄心を本質的に持っているものだと理解した。

そのバレエ音楽「ボレロ」はラヴェルの最後の作品である。ここで驚くべきことは、同じメロディーが小太鼓の規則的なリズムに合わせて、様々な楽器によって繰り返されては次第に大きくなり、最後には突如崩れて終わる。20分弱の間中、この太鼓は常に一定のリズムを刻まなくてはならない。間違いは許されず、指揮も最新の注意を払ってはいるが、基本的にはプレイヤーが集中力を維持するしかない。

最初は木管のソロで始まる静かなメロディーも同じで、楽器の組み合わせだけが変わり、やがては金管楽器を加え、さらには弦楽器、打楽器へと編成が大きくなっていく。上述のテレビ番組では、趣向をこらして演奏中の楽器のみにスポットライトを上部から当て、その組み合わせの移り変わりをわかりやすく紹介してくれた。こういった手の込んだ番組は、いまではほとんど見ることができない。

「ボレロ」はそういうわけで、演奏家泣かせの曲である。各楽器も良く知られた同じメロディーを弾くので、間違うと目立つ。ところが勝手なもので、聞き手は単調なリズムとメロディーに飽きてくる。つまり、単に楽譜通り演奏されただけでは、特徴ある演奏とはならないのだ。これにバレエが付いていればそちらにも目を奪われるが、演奏会ではなかなかそういうことはない。いやバレエだって、相当な緊張を強いられる作品ではないか。そういう意味で、この作品は短いながらも、弾き手にも聞き手にも結構な覚悟を強いる作品である。井上ミッキーの言う通りだ。それをさも軽々しくやっているように指揮するデュトワは、一枚上手の見栄張りではないかと思う。

過去から現在まで「ボレロ」を録音した指揮者は枚挙に暇がない。しかし私のお気に入りは、たった2種類である。ひとつは速く、もう一つは遅い。どちらの演奏もちょっとマイナーな、今となっては入手困難な演奏。そしてこの曲の表現としては、このような速度の違いによる2種類の演奏に大別されると思っている。

速い方の演奏のお気に入りは、ジャン・マルティノンのものである。マルティノンはフランス音楽の代表的巨匠だから、驚く話ではない。だがここで私が取り上げるのはフランスのオーケストラを指揮したものではなく、彼がわずかの期間音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団とによる演奏である。彼のシカゴ響との演奏は、その前のフリッツ・ライナーと後のゲオルク・ショルティに挟まれて、ほとんど忘れ去れている。したがって、当時の演奏は熱烈なファン向けのボックス・セットのような形でリリースされている(Spotifyではうまく検索すると聞くことができる。またわが国では、Tower Recordがいくつかの作品を特別にリマスターしてリリースした。私が所有しているのもそれである)。

マルティノンは、終始緊張感を維持しつつも、決してフランス音楽の優雅さを失うことなく、この曲の魅力を最大限に引き出すことに成功している。聞き始めから引き込まれ、単調なメロディーの繰り返しが決して単調にならない不思議な感覚である。録音も60年代としては大変良く、ステレオのサウンドがこの技巧的オーケストラの黄金の響きを伝えてくれる。

一方の遅い方の覇者は、オランダ人の職人的指揮者、エド・デ・ワールト指揮ロッテルダム・フィルによるものである。この演奏はフィリップスによって録音されているが、ほとんど目立つこともなく、今ではどうやって聞くことができるのか皆目わからない。ただ我が国ではこの演奏が有名で、その理由は80年代にホンダ・プレリュードのテレビCMに使われたからである。おそらくCMのディレクターは、安定して峠道を悠然と走行する高級自動車の宣伝に、このデ・ワールトの演奏による「ボレロ」が最も相応しいという結論に達したに違いない。この演奏からでしか感じない一種のオーラが、わずか数十秒に圧縮されている。そのCMは大いにヒットしたのも当然であった。丁度このころは、クラシック音楽が多くのCMに使われていたが、おそらくそのきっかけを作ったのではないかとさえ思っている。そしてそういう曲ばかりを集めたCDが発売された。私が所有しているのは、フィリップスが発売した日本市場向けのTV-CM集である。

長い「ボレロ」の一体どこが、プレリュードにCMに使われたのだろうか。今となっては当時のCMは見ることができないから、推定するしかないのだが、おそらくは最初に弦楽器が登場してくる10分頃のメロディーではないかと思う。あるいはその次か。いずれにせよ、どんな演奏で聞いても最大限の聞き所は、この第1バイオリンがスーッと入ってくる部分だと思う。ディレクターはまた、この部分こそがCMに相応しいと判断した。

デ・ワールトの指揮は、この単純な曲から何かを感じさせてくれる。ゆったりと演奏しているが弛緩せず、フランス以外のオーケストラに見られるようなリズムの機械的惰性にも陥っていない。マリナーが指揮したドイツのオーケストラの演奏など聞くに耐えず、アバドの演奏(ロンドン響)もあまりに直線的で、最後には興奮したオーケストラの自然発生的なうなり声まで聞こえてくる戦慄の演奏だが、ユニークではあるもののウィットが感じられない。

そういうわけで「ボレロ」は難しい。だがこの曲はラヴェルの作品の結晶ともいうべきセンスを感じさせる。体を病んで作曲を進められなくなったラヴェルは1932年、62年の生涯を閉じた。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...