2023年6月7日水曜日

ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ギュンター・ヴァント指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団))

韓国・ソウルにある梨泰院と言えば、先日は混雑による大事故の発生した若者の街であるが、ここはかつてから米軍基地のそばにあるところで、今では珍しくもない西洋風のお洒落なお店やレストラン、それに大量の(偽物の)カバンや靴などを売る商店が立ち並ぶ一角だった。私はまだ韓国旅行にビザの必要だった1986年にここを訪れた。ソウル・オリンピックの2年前のことである。

当時の韓国は物価が安かった。私はここへ行けば、安い輸入物のCD(それは私にとって、ヨーロッパから直輸入のクラシック物に限られる)が手に入るのでは、などと考えた。靴やリュックサックなど一通り買い物を済ませて、私は一軒のレコード屋に入った。当時CDは発売されてまだ月日がたっておらず、韓国では皆無の状況だった。代わりに目にしたのは、大量のカセットテープである。ヨーロッパで録音されたカセットテープに、ハングルで書かれたカバーを付けて売られていて、メジャーなレーベル(ドイツ・グラモフォンやデッカなど)は英語でも表記されているから、何の曲の誰の演奏かは簡単にわかった。ステレオ録音のカセットは、1つあたり数百円程度だったと思う。

そこで私は、いくつかのカセットを買った。ひとつはヨーゼフ・クリップスがウィーン・フィルを指揮したベートーヴェンの「田園交響曲」で、これは無名のレーベルのものだったが音がひずんで聞けたものではなかった。もう一つはフィリップスから発売されていたベルナルト・ハイティンクによるブルックナーの「ロマンティック交響曲」だった。我が家にはブルックナーのレコードが一枚もなく、一度は聞いてみたいと思っていたのかも知れない。ハイティンクのブルックナーは、全集として完結したロイヤル・コンセルトヘボウ管とのものであった。このカセットは音質が良く、私は初めて聞いたブルックナー作品の録音となった。

交響曲の一部のみということであれば、ブルーノ・ワルターが指揮した「ロマンティック交響曲」の第1楽章のさわりの部分(第1主題)が「音のカタログ」と称される非売品のカセットテープ(CBSソニー)に、わずか40秒ほど録音されていたものを聞いている。この演奏はふくよかで味わいがあり、とてもいい曲のように感じていた。そういうことがあって、ソウルでハイティンクのものを買ったのかも知れない。

当時ブルックナーの聞き始めに相応しい交響曲は、圧倒的に第4番だった。実際これ以外の曲にお目にかかることは、ほとんどなかった。初心者にハードルが高いブルックナーの音楽は、マーラー以上に遠い存在だった。そして多くの聞き手がそうであるように、どこがどういいのか皆目わからない日々が続いた。散漫で冗長な音楽。これが私のブルックナーの第一印象だった。

それでも「ロマンティック」という愛称を持つ交響曲第4番だけは、我慢して聞き続けた。最初に買ったブルックナーのCDは、やはり第4番だった。演奏はリリースされたばかりのクラウディオ・アバドが指揮するもの。オーケストラは何とウィーン・フィル。アバドはウィーン・フィルとベートーヴェンをはじめとする全集を録音していたので、驚くことはないのかも知れないが、アバドのブルックナーというのは意外だった。何もアバドまで、と思った。ウィーン・フィルはブルックナーのこの曲を初演したオーケストラでもある。だから誰でもいいというわけではない。最晩年のカラヤンがウィーン・フィルとブルックナーを演奏したのはわかるが、何もアバドが指揮することはないだろうと思ったのである。

ところがこの演奏はなかなかいい。特に第3楽章と第4楽章はちょっとした印象を残す。前半は録音レベルが少し低いもののウィーン・フィルの流れるような美音によって、アルプスを越えて到達するイタリア半島の、比較的なだらかな山々を連想するように、角が取れたいい雰囲気に仕上がっている。これだとBGMにしてもいいな、などと適当なことを考えた。その後忘れ去られ、誰にも注目されないCDかと思っていたが、いまでもこの録音は、ちょっとは取り上げられる。けれども全集に発展することはなかった。

ブルックナーの交響曲全集をリリースする指揮者は限られている。カラヤンやハイティンク、それにヨッフムなどは例外中の例外で、ジュリーニでも後半の3つのみ、そもそも録音のない有名指揮者も多い。そして何とあの歴史的名盤と言われるカール・ベームによるこの曲の録音も、たった1回切り、しかもベームの他のブルックナーの録音には出会ったこともない。そのベームのレジェンドを買い求めたのは、90年代のことだった。

だが私はどういうわけかこの演奏にあまり感動しなかった。そもそもデッカの当時の録音には、何か過大評価されているようなところがあったかも知れない。いやそもそもベームという指揮者は、ブルックナーの指揮者なのだろうか、とも思った。いまでも時々取り出して聞いてはいるが、完成度が高く欠点のない演奏ながら、酔うというところがない。音楽が即物的でリアリスティックな指揮者のベームは、シュトラウスやモーツァルトで発揮した威力をブルックナーで発揮することはないのかも知れない。それ以降、私は実演でブロムシュテット指揮による大名演を接した以外は、この曲からしばらく遠ざかってしまった。ハイティンクのブルックナーの再録音は、ウィーン・フィルとなされつつあったが、全集に発展することはなかった。私はしかし第3番を買った。そして第7番や第8番の魅力に取りつかれた。気が付いてみると第4番は、なかなかいい演奏に巡り合えない曲になっていた。

転機が訪れたのは、ギュンター・ヴァントが最晩年に至ってベルリン・フィルにしばしば呼ばれ、いくつかの交響曲を録音し始めた時だった。私は来日公演(北ドイツ響)のチケットを取りたくて、発売日の午前10時に一生懸命電話をかけ続けたが、つながるまえにすべての座席は売り切れてしまった。健康問題で公演がキャンセルされたチェリビダッケに次ぐ失望だった。プログラムはチェリビダッケと同じブルックナーだった。テレビで見たその第9番の演奏は、客席に異様な雰囲気が漂う歴史的演奏だった。そのヴァントがベルリン・フィルとライヴ収録したCDが発売された。そしてこのCDこそ、望みうる最高の「ロマンティック交響曲」の演奏ではないかと確信したのである。

第1楽章はウィーンの朝もやの中にホルンがこだまする。この「ブルックナー開始」の印象的な冒頭は、すぐに神々しく朝日が昇るかのような第1主題へと発展するが、そこに至るまでの精緻な音色が、これほど多彩で印象深く刻まれたことはないのではないか、と思った。すべてのフレーズに推敲の跡が聞き取れる。技量は申し分のないベルリン・フィルだが、相当入念な練習を繰り返したに違いない。妥協を許さないその姿勢は、時に厳しすぎて息苦しいとさえ感じられるのも事実である。だが、この曲に関する限りその心配は無用だ。むしろ改訂を繰り返したこの曲の欠点をすべて覆いつくしている。

第1楽章ですでに、いくつかの聞き所が訪れる。ヨーロッパ中央部の音は、中音域の弦楽器に象徴されると思っているのだが、その音色がとにかく素晴らしいのである。そこに絡むホルンと木管楽器のブレンドは、組み合わせが変わるたびに表情を変える。そして音色だけでなく、音の大きさやテンポまでもが、考えに考え抜かれている。ソナタ形式と言われても、演奏に感心しているうちにどの主題がどうの、などと考えていくことがどうでもいいことに思えてくる。通俗的でやや軽薄に感じる第1楽章も、ぐっと引き締まっていい塩梅となっている。

第2楽章のアンダンテは、小さな音の変化が巧妙で聞き飽きることがない。このあたりアバドの水のような演奏で聞くのとは様子が違う。そして私がもっとも好きな短いフレーズは、第2楽章が始まって数分後に訪れる。弦楽器が突如そしてアンサンブルを奏でる、わずか1分足らずの、ここのフレーズを聞き分けるのが、私のちょっとしたこだわりである。ハイティンクもいいが、このヴァントの演奏が悪かろうはずがない。以降、消え行っては静かに沸き起こる第2楽章の何回かのクライマックスも、ベルリン・フィルの技術に支えられて申し分がない。

狩の音楽である第3楽章の明るく躍動的なスケルツォは、極めて平凡なトリオの部分などが、素直に演奏すると噴飯ものになる恐れすらあるのだが、ここでもヴァントは丁寧にその欠点を補うことに成功している。金管楽器の美しさを感じるこの楽章のアンサンブルは、何度聞いても飽きることはない。これほど印象に残るブルックナーの曲はないとも言える。改訂に次ぐ改訂ですべて書き換えたという第3楽章は、ポピュラーな名曲である。

さてもっとも長大な第4楽章が始まった。この楽章は冒頭から聞きものである。だがどことなく捉えどころがなく、尻切れトンボのように終わるのでちょっと拍子抜けするときがある。この楽章は稿によって随分異なっているらしい。ヴァントの演奏は1878/80年稿ということだが、細かいことはよくわからない。クレッシェンドが何の濁りもなく聞こえてくるブルックナー交響曲の真骨頂を堪能できる。録音されたメディアで聞く演奏は、間違いを犯す心配がないので、安心して酔うことができる。ワーグナーのように、できれば音響装置を贅沢に投資して、大音量で聞いてみたい。だが家族のいる都心のマンション暮らしでは、それも将来にとっておかなくてはならない。そう思ってもう何十年もが経つ。ヘッドフォンで聞くしかないが、最近は実演で聞くことのほうが楽しい。

ブルックナーの交響曲はプログラムに上ることも少なくない。かつてはブルックナーと言えば「ロマンティック」だったが、最近はどうも様子が違う。それでもこの曲の魅力は、明るさと親しみやすさにあると言える。私はこの曲が好きだ。だが好きな曲であればあるほど、演奏について書くのが難しい。どの演奏がいいのかも、なかなか難しい。だが、どんな演奏であっても曲の魅力を超えることはできないだろう。実演については、それが1回限りのものであるからこそ、常に聴いてみたいと思う。

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(追記)上記で述べたディスクのうち、クラウディオ・アバドによるものはノヴァーク版、ギュンター・ヴァントはハース版である。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...