2014年8月30日土曜日

メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」(オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団)

思いついた時にしかいい文章が書けないのと同じように、有名な作曲家も、いつもいいメロディーがひらめくわけではないようだ。そのタイミングは予測不可能で、いいアイデアは往々にして散歩中やベッドの中でひらめくものだ。メンデルスゾーンもスコットランドのお城を訪れた際に、この音楽がひらめいたようである。

そのメロディーがスコットランド風であることを意識したかどうかはわからないが、この曲を聞く後世の人はみな、このメロディーからやや曇りがちで時に肌寒いスコットランドの古城の風景をイ
メージすることになる。確かに第1楽章のメロディーは憂愁に満ちて忘れ難い印象を残す。さらに第2楽章では木管楽器が奏でるメロディーは、どこか民謡風で音のスケッチブックを開いているような感じだ。そして第3楽章のほの暗いメロディーも、ロマン派の香りが出て素晴らし。マーチ風の第4楽章もメンデルスゾーンらしさが伝わってくる。

秋が来て、このような曲をひとりじっくり耳を傾ける時を持てるのは、いたっい何年ぶりだろうかと自問してみる。昼下がりの公園のベンチにたたずみながら、高い空を眺めている。そういう時に相応しい演奏というのは、少し迷ったが、やはり有名なクレンペラー盤ということになろうか。この演奏は今となっては古風であり、そして独特である。

何か大海原を大型船で行くようなゆったりとした感じは、現代の都会風でせっかちな演奏からは逆立ちしても感じられない雰囲気を持っている。別に今の演奏が良くないと言っているのではないが、こういうレトロな演奏はもはやあまり聞かれなくなってしまった。

第1楽章の第2主題が入るところは、この演奏の全体の白眉だし、第2楽章の明るくてしかもしっとりとした味わいも捨てがたい。典型的な演奏ではないかもしれないが、クレンペラーの演奏にしかない深い味わいがここにはある。そえは私の好みでもあるし、他の指揮者に求めることもできない。

私はメンデルスゾーンが、この曲を完成させるまでに12年もの歳月を要したことを知り、このタイミングで取り上げるか迷った。彼がベルリンでバッハの「マタイ受難曲」を蘇らせた直後のイギリス旅行は、しかしながら彼の音楽人生にとってかけがえのないものであったし、その間に書かれたこの交響曲こそ、メンデルスゾーンの5曲の交響曲の中でももっとも素敵なものだと信じることができる・・・クレンペラーのような良い演奏で聞けば・・・。


注)クレンペラーの「スコットランド」には、フィルハーモニア管弦楽団を指揮した当盤の他に、バイエルン放送交響楽団による録音もある。ここでは独自のコーダが用いられ、明るいエンディングではなく短調のまま終わるそうである。

2014年8月20日水曜日

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲(初期の作品)(ヘンシェル弦楽四重奏団)

クラシック音楽をもう30年以上も聞いてきたが、それでもこういう経験をするものだと思った。何度かきいているうちに、それまでは大したことないと思っていた曲が急に何か素敵に思える瞬間があるのである。最近ではメンデルスゾーンの弦楽四重奏曲がそうだった。

「今さら何言っているの?」という向きも多いだろう。だが私にとっては実は、ごく最近まで特に見向きもしなかった作品である。それが急に素敵に思えてきた。メンデルスゾーンの作品を順に聞いてきて、そろそろクァルテットでも思っていたところ、なかなか良いCDが手に入らない。もともとそれほど有名な曲ではないし、CDは全部で3枚もの長さになるのだから結構な出費である。それではと最も安かった最近のCDを手に入れた。それがヘンシェル四重奏団によるArteNova盤だった。

この演奏を最初に聞いた時はちっとも良いとは思わなかった。もっとラディカルな演奏の方が良かったかな、などと考えていた。だがそれでもあきらめずに聞いていたところ、3回目か4回目にしてやっと流れに乗るような聞き方ができるようになった。ヘナヘナとした演奏だと思っていたが、それなりにきりっとして、歌うところは歌うなかなかいい演奏だと思えてきた。ではどのような曲か、これから作曲順に見ていく。今回は14歳から20歳頃に作曲された初期の3作品について。

  ①弦楽四重奏曲変ホ長調(1823年)
  ②弦楽四重奏曲第2番イ短調作品13(1827年)
  ③弦楽四重奏曲第1番変ホ長調作品12(1829年)

これらの3曲はいずれも20代の作品で、晩年の作品と比べやはり違うと言わざるを得ない。これらの3作品には、いずれも共通した特徴がある。

まず全体に非常にのびやかである。若い、ということもあるだろう。全体にみずみずしく屈託がない。これらの作品が、その年齢を思わせない完成度を誇っているのは他の作品でも言えることで、この天才作曲家のまばゆいばかりの感性にはいつも驚く、と同時に好感が持てる。作曲年代では3つのうち最後となる第1番がもっとも印象に残った。民謡風(ユダヤ風?)の第2楽章を始め、音楽は親しみやすい(この楽章は「カンツォネッタ」と呼ばれ単独でしばしば演奏される)。

番号のない変ホ長調もなかなかの曲である。モーツァルトのような愛らしさは、第3楽章のメヌエットを頂点に全体にいきわたる。第2番はこの中では一番特徴的だが、それは単調であるからかもしれない。とりわけ第3楽章は印象的で、A-B-A-Bの緩急の差が見事である。

私はこれらの作品をiPodで聞きながら、カフェの涼しい席でしばし読書をするのが楽しくなっている。集に1回くらいの割合で、私は1時間余りをそこで過ごす。少し大きめのボリュームで聞く弦楽四重奏曲とホットコーヒーの組み合わせは、残暑の厳しい夏の日に相応しく、なかなか心地よい。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...