2012年6月30日土曜日

ハイドン:交響曲第48番ハ長調「マリア・テレジア」(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


おそらくは王妃の歓迎式典のために作曲された実用本位の曲で、これまで続いてきた実験的要素は鳴りを潜め、ここではハイドン本来の祝祭的雰囲気が満開となっている。ハ長調にティンパニまで加わる編成は、どこか「ジュピター」を思わせるという向きもあるが、確かに第3楽章などはそういう感じで、聞いていて飽きない。

ハイドンの交響曲を聞いていて感じるのは、ホルンの重みである。この作品でもホルンが各楽章で大活躍する。そして弦楽器。第1楽章のアレグロから実にきびきびとしてしかものびやかに開放弦満開の雰囲気に聞き惚れる。

目的や用途に応じて、作品のムードを変えることなど、プロの作曲家にとって当然のことだったのだろう。だから、各作品の趣旨を無視してこれがいい、これは退屈だ、などと言うのは少し軽薄のようにも思う。けれどもこの曲のあたりを境にして、これからはむしろ「聞かせる」音楽が増えていく。ハイドンの昇進に伴って、オペラや劇音楽にも進出した結果、音楽に広がりが出てくることに加え、音楽の大衆化が進行し、ハイドンはますます人気作曲家となっていくからである。モーツァルトも新天地ウィーンで活躍を始め、18世紀の後半は、いよいよ古典派音楽の隆盛期を迎える。だがここにはまだ「芸術」という二文字は存在しない。それは19世紀に入ってベートーヴェンが「エロイカ」を書くまで待たねばならない。

2012年6月29日金曜日

ハイドン:交響曲第47番ト長調(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


長いトンネルを抜け、明るい長調の世界へ戻ってきたような印象。続けて聞いてくるとこの曲は何とも晴れやかで可愛らしい。交響曲の進歩もこのあたりでようやく、モーツァルトやベートーヴェンでお馴染みの世界に近づいてくるような気がする。けれどもまだまだ試行段階にあったようだ。

この曲は「パリンドローム」とも呼ばれる。その理由は第3楽章にある。ここのメヌエットは、「逆行」と言われる手法が用いられている。メロディーが終わると、今度はそれを後ろから前へ演奏するのだ。確かに意識して聞いてみるとそのことがわかる。だが、曲として美しいかと言われると答えに困る。やはり少し変な感じ。それを含めて楽しむべきだろうか。

輝かしい出だしの第1楽章、モーツァルトを思わせるような第4楽章は確かに素敵だが、第2楽章は長く、しかも少し変なメロディーだ。そういう数々の歪な側面を持ったこの曲が、取り上げられて聞かれることは大変少ないだろうと思うのもまた事実である。たとえモーツァルトのカッサシオンやセレナーデが、この曲の影響で作曲されているのかも知れない、と想像することは楽しいが。

演奏は手元にある中では、刺激的なA=フィッシャーではなく、落ち着きのあるブリュッヘンの演奏がいいと思う。

2012年6月28日木曜日

ハイドン:交響曲第46番ロ長調(アダム・フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン・オーケストラ)


ハイドンという大作曲家が残した作品ということで、いくつかの演奏が幸運にも出回り、それゆえにまあ聞いてみることもできる作品にすぎないなあ、などと勝手に思いながら第1楽章を聞き終える。ここのところの四十番台の交響曲は、どれも不協和音を伴った疾走するような出だしで始まることが多く、なるほどこれが「疾風怒濤」の言われなのか、と思ってしまうが、実は何の関係もない話らしい。梅雨の蒸し暑さに加わって、降りそうで降らない雨の日が何週間も続いていることを嫌でも思い起こさせるような音楽に少々辟易してしまう。いったい、これは本当に長調に作品なの?

けれども第2楽章に入って、少し落着きを取り戻し、意外に気持ちがしっくりくるなあ、などと勝手なことを考え始める。耳が慣れてくるのだろうか。シャープが異様に多い調性は、やはり不協和音を感じさせるのだが、第3楽章のメヌエットはなぜか落ち着く。

最終楽章に入って、音楽はいよいよこれまでになかったハイドンらしさを見せる。音楽が止まったかと思えば、また始まる、というような、後年の作品によく見られるような雰囲気が初めて登場するのである。このような、新しい仕掛けが散見されるという意味で、この交響曲は貴重なのかも知れないが、単独で聞くにはやや骨が折れる、というのが正直な感想。

ホルンの音が耳にこびりついて、しかもメロディーは印象に残らない。それも承知でこの作品を作ったのはもしかすると、これはハイドンの野心作ということか。A=フィッシャーの速い演奏で。

2012年6月27日水曜日

モーツァルト:交響曲第25番ト短調K183(ニクラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス))


1773年、3度目のイタリア旅行から帰郷したモーツァルトは、夏の2ヶ月間をウィーンで過ごし、数々の音楽的薫陶を受けたとされている。その中にハイドンの交響曲が含まれていたのは想像に難くない。ハイドンの交響曲第39番は、前にも触れたように4本のホルンを用い、ト短調で、しかも作風が劇的である。このような作風は、おそらく当時のちょっとした流行だったようで、若いモーツァルトがそのような作品をひとつ書いてみようか、と思ったとしても不思議ではない。というわけで、この25番の小ト短調は生まれた(のだろう)。

さて、初期の小規模で試作的な多くの作品と異なって、モーツァルトの交響曲ではこの25番が断トツで充実した作品となっていることは周知の事実である。クラシック音楽を聴き始めた頃は、映画「アマデウス」でも使用されたこの曲の冒頭を初めて耳にして、モーツァルトも実はこのような過激な作品を作曲していたのだ、という事実(歌劇「ドン・ジョヴァンニ」などを聞けば明らかなのだが)に少なからずショックを受ける。モーツァルトは「走る悲しみ」などと単純に理解できないものがある。いやそもそも絶対音楽をそのように形容すること自体に無理があるのではないか。

けれども、この曲は私にとって長い間、「苦手な曲」としてありつづけてきた。聞いていてちっとも楽しくないのである。いつも神経を逆なでされ、切羽詰まった挙句、早く早くと急かされているような気がしていた。この演奏に出会うまでは。

2006年のモーツァルト・イヤーになって、アーノンクールがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを指揮した初期交響曲の5枚組が発売されたのだ。この中に、25番が含まれていた。私はこのCDから、手紙の朗読部分をカットしてすべてをiPodに収録し持ち歩いているが、ここで聞ける作品集は、それがモーツァルトのごく若い時期に書かれたものであるとは到底想像できないような充実ぶりである。小ト短調も初めて聞くような新鮮さである。そしてこの第2楽章を聞く時、やはりこれはモーツァルトの音楽だなあ、と背筋がぞくぞくする。やっとこの曲の真価に触れたような気がした。おそらく演奏のレベルが作品に追いつき、そしてそれを超えたのだろう。

2012年6月26日火曜日

J. C. バッハ:交響曲ト短調作品6-6


当ブログのハイドン・プロジェクトは、目下1772年を進行中だが、1773年に進むまでにどうしても聞いておきたい曲があった。それがJ. C. バッハによる交響曲ト短調である。これは、モーツァルトの交響曲第25番(小ト短調)に影響を与えた作品として、ハイドンの交響曲第39番とともに引き合いに出される作品だからである。

東京中のCDショップを回ってこの作品の入ったCDを探したが見つからず、タワーレコードのオンラインショップでようやく見つけたSACDは、発売元が倒産したとかでいつまで待っても入荷しない。もう諦めかけていたところ、6月になってようやく手元に届いた次第である。この間、しばしハイドンはお休みしておりました。

さて、あの音楽の父バッハの末っ子であるクリスチャンは、父の作風とは随分違う。それもそのはずで、15歳で父の死を迎え、その後イタリアに渡って独自の作風を確立し、ロンドンにおいて名声を博したことからもわかる(この軌跡はヘンデルと同じである)。父の時代とはもはや異なり、すでに新しい音楽の時代を迎えていたことを十分感じ取った息子は、、ここロンドンで旅行中のモーツァルト父子と出会い、モーツァルトは大きな影響を受けたということである。

ドイツとイタリアの双方の音楽が程良くミックスした感じの作品は、モーツァルトにとっても新鮮であっただろう。この作品を聞くとそういう感じがする。けれども小ト短調における様式上の影響は、ハイドンによるところが大きいような気がする。それは4つのホルンを使っている点である。モーツァルトは、ハイドンがそうしたように4本ものホルンを用いることによって、短調の旋律を際立たせている。ハイドンとJ.C.バッハによる2つのト短調作品がモーツァルトによってブレンドされたとすれば、この2つの作品が見逃すことのできない作品に見えてくる。ただ、モーツァルトの手によるト短調は、私の感想としてはとても暗い、まるで憂鬱な作品に聞こえる。ハイドンもJ.C.バッハも、それは少し違っていて、そういう息苦しさはあまり感じない。同じト短調でも表現の結果が少し違っているのは発見であった。

演奏は、エーハルト指揮によるコンチェルト・ケルン。1988年の録音ながら、非常に新鮮で鮮烈。こういういいCDがレコード会社の倒産によって絶版となってしなうのは大変惜しい。

2012年6月25日月曜日

ハイドン:交響曲第45番嬰ヘ短調「告別」(ヨス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ)


ハイドンの数多ある交響曲の中で、おそらく「驚愕」と並んで最も有名なエピソードに満ち、実際そのような音楽であるこの「告別」は、しかしながら、CDで聞いてもよくわからない。最終楽章でどのような楽器がどういう順番で退出するか、それはビジュアルには伝わらないからである。
 だがDVDの時代になって、ようやくこの作品の真価が問われるチャンスがやってきた。本年正月のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで、ハイドン・イヤーを記念して異例にもこの作品が演奏されたのは、大変喜ばしいことだった。そして、ハイドンが少しは市民権を得たのではないか、と嬉しく思ったのは私だけではあるまい。

ただここで演奏されたのはこの曲の一部にすぎない。実際には疾走するような第1楽章とそれに続く長い第2楽章が、この曲のもう一つの特徴を表しているような気がする。何か切羽詰まって、息苦しささえ感じられるその音楽は、専門的には珍しい調性の故(嬰ヘ短調!)などと言われるのかも知れないが、梅雨の鬱陶しい季節に聞くと、その効果は倍増する。

インマゼールの古楽器奏法による演奏ならひとしおで、不協和音もある第2楽章は延々と続くような感じさえするのである。

多くのことが語られ、人気も高い曲のようだが、どうも私はこの曲をそれほど楽しめない。それほどにまでしてこの曲を書いたハイドンは、夏季の滞在が長引く鬱屈とした気持ちを表現したかったのではないか、と思えてくる。

2012年6月24日日曜日

ハイドン:交響曲第44番ホ短調「悲しみ」(ヨス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナ)



この曲が「悲しみ」あるいは「哀悼」などと称されるには理由がある。ハイドン自身が自分の葬儀ではこの曲を奏でて欲しいと言い、事実その緩徐楽章(は第3楽章である)が演奏されたのである。108曲の交響曲を筆頭に数多くの作品を残したハイドンには、もっと後年の充実した作品がいくらでもある。それを差し置いて、それほどにまで愛着を惜しまなかったこの曲がどのような曲であるか、興味のあるところだ。

同時に、短調で書かれたこの曲は、いわゆる疾風怒涛期の傑作とされている。そのせいか、続く45番「告別」とともに録音も多い。今回、特別に選んだのは、2003年にリリースされたヨス・ファン・インマゼール指揮アニマ・エテルナによる素晴らしい一枚。なぜかこの組み合わせによる交響曲は、これしかリリースされていないようだ。

第1楽章の出だしは、やはり短調特有のほの暗い雰囲気に満ちている。ハイドン版走る悲しみ、という感じだが、落着きを持って進行するので聞きやすい。続く第2楽章はメヌエットで3拍子。第1楽章を受けてそれを深めるような楽章。

第3楽章になって緩徐楽章となる。心がしみ込んでいくような曲だが、若い日を思い出しながら静かに踊るような気品があり、決して陰鬱ではない。今風の古楽器奏法による演奏では、こういう楽章を早くさらっとやってしまう。その心地よさは今となっては引き返せない魅力なのだが、ハイドンの思い入れを体験したいと思う向きにはもう少しこってりした演奏の方がいいのかも知れない、という気がしないでもない。

第4楽章は再び速くなって、一気にフィナーレを迎える。この43番交響曲は、目立たないが全体によくまとまった、安心して聞いていられる曲に思えた。

2012年6月23日土曜日

ハイドン:交響曲第43番変ホ長調「マーキュリー」(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


久しぶりにニックネーム付きの曲である。だがこの「マーキュリー」という名前(「水星」)は、どういう意味があるのかさっぱりわからない。モーツァルトに「ジュピター(木星)」というのがあったが、これも何のことかよくわからない。関連があるのかもわからない。

さてその曲だが、直前の42番と同様に、ハイドンの交響曲の中では大人しい曲である。ソナタ形式の実験とか、唯一の変イ長調の話とかいろいろ言われてはいるが、ただ聞くだけではよくわからない。そういう音楽的な探求は専門家に任せるとして、素人の自由な立場でこのマーキュリーを聞いてみる。するとどうだろう、この曲はあまり面白い作品には聞こえない。何となく中途半端でパッとしないのだ。まだ42番の方がましかも知れない。

第1楽章は、それでもアレグロの生き生きした感じがある。けれどもどこか物足りない感じがする。他に刺激的な作品を聞きすぎたからだろうか。第2楽章は弦楽器のみで、弦楽四重奏の趣き。まだこの曲の方がしっとりと味わいがある。第3楽章のメヌエットと第4楽章のアレグロは、あまり特徴を感じない。

結局、標題付きながら辛い評価しかできなかった。もっといい演奏に出くわすか、それとも新たな魅力を発見する時が来るのかも知れない。けれどもこの曲を次に聞くのはいつになるか、その方が怪しい。


2012年6月22日金曜日

ハイドン:交響曲第42番ニ長調(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


東京の真冬の抜けるような青空を思わせる快速のテンポで始まるハイドンも良いけれど、たまには少しゆとりを持ってたっぷりとしたテンポの曲も聴きたいなあ、などと思っていたところこの42番に出くわした。第1楽章はModerato e maestoso(ブリュッヘンの演奏。iTunes経由で検索したDBではModerato e Maestroとなっている!そう言えば39番はG Majorとなっていた!メチャメチャです。気をつけましょう)。

桜も咲いて何となく眠気も誘う春の一日、第2楽章はそんな感じの曲。この季節に聞くには丁度いいかも知れない。しかもこの曲は結構長いので、気長に聞き流すにはうってつけ。急に音が大きくなったり、止まったりということもありません。

聞いた感じが決して古風ではないので、このような曲はやろうと思えばかなりロマンチックに演奏できるだろうな、と思ってしまう。第3楽章はモーツァルトの若い時の作品のよう。長いがこじんまりとした佇まいで、ハイドンの作品の中では比較的落ち着いて聞いていられる作品。決してできそこないの作品ではないと思うが、やはり地味な感じもするのは他の曲がより刺激的だからだろうか。

2012年6月21日木曜日

ハイドン:交響曲第41番ハ長調(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


冒頭のティンパニーの響きとそれに続くメロディーは、ブリュッヘンの演奏で聴くとやや勿体ぶっているように聞こえる。けれども祝典的な雰囲気の演出としては成功している。リズムを少し絞って、時により遅くしたり強弱の対比を際立たせることで、この交響曲が少し意味を帯びた感じに聞こえてくるからだ。ここらへんが演奏の効果だろう。

第2楽章ではフルートが、まるで蝶が舞うような特徴的な旋律を奏でる。伴奏はいつものハイドン節だが、どの曲も少し味わいが違うというのが面白い。必要に迫られての飽きさせない工夫は、さりげないもののずいぶん苦労したのではと想像する。

トリオを含むメヌエットを経てフィナーレでは、一気に快速に忙しく進むが、ここでもトランペットとティンパニーが大活躍し、騒々しく(華々しく?)曲を閉じる。

2012年6月20日水曜日

ハイドン:交響曲第40番ヘ長調(トマス・ファイ指揮ハイデルベルク交響楽団)

この第40番の交響曲をトマス・ファイの演奏で聞くと、古典派前期とバロックの雰囲気を併せ持った曲であることがよくわかる。アレグロの第1楽章では、通奏低音のチェンバロの響きが活き活きとしていて、そこに木管楽器がすっと絡むあたりは、バッハの協奏曲の発展型のような趣きである。
第2楽章の静かなアンダンテは少しテンポを早めて、単調になるのを防いでいるかのよう。この曲はこの演奏で聞くから面白いのではないか、とさえ思えてくる。ハイデルベルク交響楽団の卓越した器楽奏者と、ヘンスラーの優秀な録音は、このようなほとんど知られていない曲でも決して手抜きをしないばかりか、聞かせどころはどこかを探求し、ひとつの完成した形として再現することに成功している。

CDでは切れ目なく始まる第3楽章のトリオは、何の変哲もない曲だが、自然で優雅。 ハイドンの一種の典型的な曲だろうと思う。だからこのような手抜きのない演奏で聞くと、それなりに嬉しい。特にホルンがソロで出てくる第2部は、なかなかいい。ファイはここでは曲の速さは普通かむしろ遅めで、リズムをしっかりと刻んでいる。この曲を聞きながら、「おもちゃの交響曲」を思い出した。そう言えば「おもちゃの交響曲」は、かつてはハイドンの作品と思われていたことを思い出す。

第4楽章は再び速い曲だが、急ぎすぎずフーガ風のメロディーで、やはりバロックの雰囲気がする。短いが完成度が高く、なかなかいい作品である、と思った。



2012年6月19日火曜日

ハイドン:交響曲第39番ト短調(トマス・ファイ指揮ハイデルベルク交響楽団)


この39番は大変な曲だ。モーツァルトの交響曲で短調で書かれているのはいずれもト短調であることは良く知られている。その悲劇的で激情的な魂のほとばしりは、しかしながらこの曲がなければ生まれなかったに違いない。そしてよく関連が指摘される25番の交響曲(小ト短調K183)よりも完成度が高いように私には思える。

手元にある3つの演奏を比べてみると、その表現の違いを実感するが、それを超えて曲の個性が際立つ。お薦めは、ファイによる仕掛け満載の演奏。第1楽章から張りつめた緊張感が、充実の響きを生み出す。このような曲によくあるような、せっかちな雰囲気を感じさせないのがいい。

この第1楽章を聞くと、私はむしろK516(弦楽五重奏曲)を思い出す。この曲もト短調(いわゆる「走る悲しみ」というやつ)。ホルンを4本使用し、2本づつで使い分ける点ではK183と同じ。さらに言えば、時折挟まれる小休止は、ジュピター交響曲(K551)を思い出す。

ファイの演奏では、比較的単調になりがちな中間楽章でチェンバロの響きが色を添えている。第3楽章トリオ部分はしっとりと味わい深い。

もっとも素晴らしい第4楽章は怒涛のフィナーレである。木管楽器が高温でパーッと吹かれるさまは、オリジナル楽器風による演奏の真骨頂である。


2012年6月18日月曜日

ハイドン:交響曲第38番ハ長調「エコー」(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


冒頭の堂々とした行進曲風の音楽は、一度聴いたら忘れられない。ティンパニーとトランペットが加わったこの曲が、ハイドンの一連の交響曲の新しいページを開いているようなイメージを与えるのは、そのせいかも知れない。

表題の「エコー」は、第2楽章のメロディーに由来するという。弱音器をつけた第2ヴァイオリンが、第1ヴァイオリンのメロディーを繰り返すさまが、まるでこだまのようだ、というのである。聞いてみると確かにそのような感じでとてもユーモラス。

第3楽章で再びティンパニーが登場するが、中間部にオーボエの愛らしいトリオが挟まれている。そして再び行進曲のような最終楽章へ。ハ長調の飾りけを排した堂々としたフィナーレである。

ブリュッヘンの演奏で聞いている。オーボエソロの美しさにほれぼれとするし、全体の風格も立派。録音も秀逸である。

2012年6月16日土曜日

ハイドン:交響曲第35番変ロ長調(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


これまでは一部の例外を除き、すべてタイトル付きの曲を聞いてきた。実際、タイトル付きの曲には印象的な曲が多く、親しみやすい。けれどもいわゆる疾風怒涛期の作品からは、タイトルのない曲でも素敵な作品に出会うことがある。交響曲の試行錯誤がいよいよ佳境に入るこの時期を、ブリュッヘンの演奏を中心に聞いていこうと思う。

第35番はエステルハージ公のヴェルサイユからの帰還に際して作曲された1767年の作品。第1楽章はゆったりした中にも推進力があり、明るくて素敵な曲である。その落ち着いた風格は、交響曲の様式がそれまでの初期的段階から次の段階へ入ったことを感じさせる。

第2楽章の弦楽器だけの緩徐楽章は、クァルテットのような雰囲気。第3楽章なってオーボエとホルンが再び加わってメヌエットとなる。そう言えば、この曲の楽器編成はたったそれだけである。それが気にならないのは、曲の構成がしっかりしているからだろうか。

第4楽章は早い曲。この曲の最も特徴的な部分は、このフィナーレかも知れない。アクセントが強調されて心地よい響きに身をゆだねていると、何と尻切れトンボのように終わる・・・。唖然。

2012年6月15日金曜日

ハイドン:交響曲第34番ニ短調(トマス・ファイ指揮ハイデルベルク交響楽団)


この34番の交響曲は1765年の作品とされ、正確に言えば疾風怒濤期の少し前にあたる。そのためか形式が少し古い。第1楽章の冒頭を聞くと、ゆっくりと通奏低音も伴った短調のメロディーが続く。バロック音楽のような雰囲気で、いわゆる教会ソナタと呼ばれている形式に則っている。教会ソナタは、「緩-急-緩-急」の4楽章形式で、第1楽章が重々しいのはそのためだが、ハイドンの手にかかるとどこかに気品が漂う。

この曲が短調なのは、しかしながら第1楽章のみで、あとの3楽章はニ長調となる。第2楽章は明るく推進力のある曲で、これが後の形式における第1楽章のような感じ。この弦楽器のメロディーなどは、何となくモーツァルトを思わせるような高低の差が美しい。

木管のトリオを含む第3楽章のメヌエットを経て、最終楽章に突入するとどこか悲劇的な雰囲気が再び呼び起される。

私はこの曲を、現在全集を目指して快進撃を続けるトーマス・ファイ指揮ハイデルベルク交響楽団による演奏で楽しんだ。4作目となる本CDは2003年の録音で、恐らくは現時点でもっとも新しいこの曲の演奏だろう。

2012年6月13日水曜日

ハイドン:交響曲第31番ニ長調「ホルン信号」(ニクラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)


ここで言う「ホルン信号」とは郵便ホルンのことだそうだが、モーツァルトの「ポストホルン」セレナーデのように、特にその楽器で演奏されるわけではない。むしろより特徴的なのは、ホルンを4本も用いていることで、ただでさえ編成の小さい楽団にあって、ホルン4本というのは非常に特徴的である。事実、ホルン奏者が4人もいたらしい。ハイドンの交響曲には、このほかにも4本のホルンを用いたものがある(13番、39番、72番)が、やはり同時期に作曲されたらしい。

第1楽章の冒頭から、4本のホルンの印象的なメロディーで快活に始まる。やはり長調の曲はいいなあ、などと考えてしまうのだが、ホルンの特徴を活かして、低い音からいきなり高い音にジャンプする部分が見受けられる。そして久しぶりのフルート。階段を駆け上るようなメロディーに心を奪われる。

第2楽章や第3楽章の優美さは、やはりハイドンの良いところが出ていると思う。モーツァルトほど天才的ではなく、ベートーヴェンほど集中力があるわけではないが、ここにはまぎれもなくハイドンのエレガントなメロディーがあって、何とも心地よい。

30分近い曲は、ここまで聞いて来ると非常に大規模に感じる。反復も多い。再び早い曲に戻るかと思いきや第4楽章は、さまざまな楽器が入れ替わり立ち替わりゆっくりとしたメロディーを繰り返す変奏曲となる。コントラバスまでが登場して音楽がとても静かになって行くと、いったいいつ終わるのだろうと思っていると、最後は第1楽章のようなメロディーが現れて快活に終わる。私は「エロイカ」の最終楽章を思い出した。

ホルンが活躍するこの曲は、ニクラウス・アーノンクールが指揮するウィーン・コンツェントゥス・ムジクスに登場願おう。細部にまでたっぷりとした表現で、他の演奏とはまた違った趣がある。私の現在持っている唯一のアーノンクールのハイドンのシンフォニーのCDである。

2012年6月12日火曜日

ハイドン:交響曲第30番ハ長調「アレルヤ」(アダム・フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン・オーケストラ)


第26番「ラメンタチオーネ」と同様、この30番にもグレゴリオ聖歌のメロディーが使われているという。それは第1楽章の第2ヴァイオリンとのことだが、そもそもの曲を知らない者には、何もわからない。ただハ長調というだけあって26番と異なり、全体に明るい。それは緩徐楽章にも当てはまる。この第2楽章は、フルートの活躍が目立つ。その愛らしいメロディーは何とも微笑ましい。

第3楽章はゆっくりとした曲だが、これが最終楽章である。このような形態は、以降の作品にはあまりお目にかからない。ここの雰囲気は26番と比較すると、やはり可愛らしいという感じの曲。何ともさりげなく終わるので、聞いていると少し欲求不満になるかも知れない。第1楽章があまりに豊かなメロディーにあふれているので、バランスが悪いとも思えてくる。なお、作曲はこの30番が26番より前である。

フィッシャーによる全集から久しぶりにこの曲(CDの8枚目)を取り出して聞いてみる。この全集は、前半の曲が後に録音されていて、2001年の録音となっている。そのせいか、古楽器風の処理が堂々と見られ、演奏の水準の高さをさらに押し上げている。第1楽章にトランペットが活躍するのも効果的で素晴らしい。

2012年6月9日土曜日

ハイドン:交響曲第26番ニ短調「ラメンタチオーネ」(フランス・ブリュッヘン指揮ジ・エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団)


エステルハージ侯爵家に副楽長として雇われたハイドンは、1766年の楽長・ヴェルナーの死去に伴って、楽長に昇格する。この頃からより多様な音楽の作曲を任されるようになり、楽団は大規模化してゆく。交響曲においてもハイドンの創作により多様な工夫がみられるこの時期を一般に疾風怒濤期と呼ぶことが多い。

この時期の最初に位置する代表作品が26番の交響曲で、「ラメンタチオーネ」と言う。イタリア語の辞書によれば、これはグレゴリオ聖歌などに見られる「哀歌」のことで、実際、この作品はその旋律を下地としているらしい。

ただその「哀歌」自体を知らない私としては、ああそうなのか、と思うだけなのだが、実際、手元にあるグレゴリオ聖歌のCDを見ても、どこが引用されているのかよくわからなかった。ただ、全体の曲の雰囲気はどこかほの暗く、弦楽器の刻みに合わせて歌われるオーボエやホルンのメロディーは、狭い音域の中を上がったり下がったり、やはり受難曲の雰囲気を醸し出す。

忘れてはならないことは、この曲が3楽章構成であり、その最終楽章はメヌエットであることである。曲はまるで尻切れトンボのように静かに終わる。その終わり方がまた印象的であると思う。

私は、疾風怒濤期の演奏をフランス・ブリュッヘンの指揮するエイジ・オブ・エンライトゥメント管弦楽団による素晴らしいCDで楽しんでいる。ハイドンが交響曲というスタイルを確立するまで試行錯誤を続けた軌跡を、この演奏でおつきあいいただきたい。

2012年6月6日水曜日

ハイドン:交響曲第22番変ホ長調「哲学者」(サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団


イングリッシュ・ホルンという楽器は、音色こそホルンに似ているが、形の上ではむしろオーボエに近いので、オーボエ奏者が代わりに吹く楽器とされている。ドヴォルジャークの新世界交響曲の第2楽章でとりわけ有名なこの楽器を、オーケストラ曲の中で使用することは、実際のところはあまりない。ましてやそのイングリッシュ・ホルンを2本も使う曲など、聞いたことがなかった。ところがハイドンのこの曲は、それをするのである。しかもホルンと絡む。

第1楽章は、ゆっくりとしたメロディーで始まる。いきなりホルンのくすんだ音色がプー、プーと言ったかと思うとイングリッシュ・ホルンがそれに続いてもの憂いメロディーを奏でる。弦楽器が後ろでズンズンとやっている。長調なのにちょっと変だな、そうかこれは序奏なのか、などと思ってみたところで終わる気配がない。結局6分余りの時間をこのズンズンとプープーが続く。いったいこれは何なの?

でもハイドンの交響曲では、こういうちょっと機知に富んだユーモアが随所で開花する。第2楽章になって待ってましたとばかりに勢いのある音楽がほとばしり出るのだ。続く第3楽章はメヌエット。私のお気に入りのCDであるサイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団の演奏では、全体にわたって通奏低音が入っており、この楽章でも快活にリズムを刻んでいる。

第4楽章なって再びイン・テンポに戻るが、ここまで聞いて来ると、この曲は全体を通してモノトーンな感じがする。その色は主観的なイメージだが、茶色である。ホルンとイングリッシュ・ホルンが管楽器のすべてとして支配的だからだろう。音楽に詳しい人なら、ずっと調性が変わらないこともその理由にあげるかも知れない。

お気に入りのラトルのCDは、この曲のほかに86番と102番をカップリングしている。その意図は私には不明である。誰かご存知でしたら教えてください。

2012年6月5日火曜日

ハイドン:交響曲第14番イ長調(鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカ)


特に何かを書きたくなるようではないこの曲については、第2楽章が晩年の「時計」のようなリズムだったことが印象に残る程度のものだったのだが、ではなぜここで取り上げるのかと言われれば、それはこのディスクを持っているからというしかない。

鈴木秀美という神戸生まれのチェリストは、かつてブリュッヘンの主宰する18世紀オーケストラに在籍していたという古楽器奏法の我が国の第一人者である。帰国後は浜離宮の朝日新聞本社ビル内にあるホールで、古典派の演奏会を主宰するオーケストラ・リベラ・クラシカと共に開催し好評である。

ハイドンが好きな私も何度か足を運ぼうかと思っていたが、いまだに果たせていない。入場料6000円がちょっと高い、というのが本音だが、ここにその模様をライヴ収録したCDが順次発売され、第53番「帝国」などとカップリングされたものを購入してみたのである。

このようなマイナーな曲がどの程度演奏者の心をとらえているのかはわからないが、ここで聞く初期のハイドンの交響曲が、実によくまとまっていて、完成度が高い。日本人による古楽奏法のハイドン、しかも全く有名でない曲なのに、と書くと大変失礼だが、これは種々の演奏に勝るとも劣らないくらいの素敵な録音で、まったくもってハイドンが板につている。それは驚くべきことである。

このCDによって私が感じたのは、そのような演奏の完成度の高さと、ハイドンの演奏に十分な説得力を与える自信に満ちた息遣い、それをことさら強調するでもない、さやしくて頬をなでるような柔らかい響き。我が日本の演奏水準もかように高水準なのか、と畏れ入ったことを正直に告白しておきたい。

2012年6月3日日曜日

ハイドン:交響曲第6番ニ長調「朝」、第7番ハ長調「昼」、第8番ト長調「晩」(ヘスス・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団)


モルツィン伯爵の破産により解雇されたハイドンは、時を経ずしてエステルハージ公に仕えることとなり、優秀な音楽家13名から成る専属楽団の副楽長として新しいキャリアを踏み出す。以後、終世にわたって同家との関わりは続く。彼は、与えられた楽団員の構成で演奏可能なあらゆる形態の交響曲を作曲してゆく。「朝」「昼」「晩」と名付けられる3つの交響曲は、その出発点と言っていい作品である。

「朝」の第1楽章を聞くと、必要最低限の序奏に続いてフルートが、とてもすがすがしいメロディーを奏で、それをオーケストラが支える。私などは、「なるほど朝だねえ」と単純な納得をしてしまうのだが、実際、これは浮き浮きするような曲で大のお気に入りである。

この3つの作品には、フルートだけでなく様々な楽器の技巧的なメロディーが随所に散りばめられ、協奏曲のような趣すら感じさせる。交響曲第1番から聴き続けてくると、この3部作の見事さとユニークさは明らかである。そしてすでにハイドン自身の作風が立派に確立されていることに嬉しい驚きを禁じ得ない。

「朝」の第2楽章は静かな曲だが、ヴァイオリン独奏のメロディーなどは、とてもいい感じ。そして第3楽章のファゴットとコントラバスの響きにうっとりしていると短い第4楽章で快活に終わる。
「昼」は実際のところ、ハイドンが唯一3部作の1つであると書き記している作品で、第1楽章から充実の響き。「ああ、これが初夏の昼下がりか」などと思って聞いてしまうが、実際、レチタティーヴォ、アダージョ、メヌエットと続く第2~4楽章はそんな感じ。バロックの協奏曲を聞いているような気分になることも。そして何と第5楽章でフィナーレとなる。

日本人は「晩」というと銭湯と晩ご飯をイメージしてしまい、何か違和感もあるのだが、実際はここは華やかなヨーロッパの宮殿(第1楽章)、夏ともなると夕暮れは長い(第2楽章)。やがて日が暮れるといつのまにか蒸してきて(第3楽章)、嵐が吹き荒れることも(第4楽章)。
私のお気に入りのCDは、ヘスス・ロペス=コボス指揮ローザンヌ室内管弦楽団によるもの。ひと夏をスイスの彼の地で過ごした思い出が蘇る。ストレートだが新鮮な響きを失っていない。

2012年6月2日土曜日

ハイドン:交響曲第1番ニ長調(アダム・フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン・オーケストラ)


ハイドンの交響曲の作曲順は、現在通常に用いられるホーボーケン番号に一致していないことはよく知られている。したがって、いわゆる交響曲第1番ニ長調という作品は、本人がそう語ったとされているにも関わらず、最初の作品であるかどうかは議論の余地がある。おおむね40番くらいまでの作品は、順番がバラバラである可能性が高い。

今年はフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の没後200周年という節目の年にあたり、この作曲家の隠れファンでもある私は数多くのCDリリースを待ち望んでいるのだが、昨年のカラヤンと違っていささか盛り上がりに乏しいようだ。ハイドンが地味な作曲家としてコンサートでもほとんど取り上げられないのは、超越的なエピソードが満載のモーツァルトと違い、ハイドンの少年時代についてあまりよくわかっていないからだろうと推測される。詳しい伝記を読んでみたいが、日本語で書かれたハイドンに関する書籍は皆無に等しい。それでもCDのブックレットなどを読んでみると、彼は少年時代から合唱団に所属し、その音楽的才能を認められることとなったこと、そのことでパトロンを得て作曲を開始するようになったことなどがわかってくる。

最初に仕えたのがモルティン伯爵という人で、有名なエステルハージ公に仕えるまでの期間、だいたい1760年頃までに作曲された作品が現存する最古の作品群ということになる。有名な交響曲第6番から第8番までの「朝」「昼」「晩」はエステルハージ時代の幕開けとなる作品なので、それ以前に作曲された交響曲は、第1番を含みこれらをまたいで14曲あるとのことである。複雑な時代考証を考えていくとわけがわからなくなるので、私としてはまず交響曲第1番を聞いておきたいと思う。これが108曲に及ぶハイドンの交響曲の幕開けの曲として相応しいと思うからである。
ハイドン以前の交響曲については別の機会に譲るとして、ハイドンの創作の軌跡は、今日に至る輝かしい交響曲の歴史の最初の重要な礎を築いた点で最も価値があるだろう。そこでかねてから集めてきたハイドンの作品を少しずつ聞いていこうと思っている。うまくいけば素人なりにその流れを俯瞰してみたいとも思っている。

この作業のためには、交響曲全集が欠かせない。何せモーツァルトとは違って初期の作品からきっちりと作曲されているから、手を抜くわけにはいかない。そこで、今から約7年前、破格の安さで販売されたアダム・フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団による全集(有名なドラティによるものと異なり、すべてデジタル収録、それもエステルハージ城での演奏だから、その企画は本格的なものである)を買ってある時一気に80番あたりまで聞きとおした。そして今回その中から第1番から第5番まで再度聞いてみたが、やはりそれなりの完成度を持ち、特に第1番ニ長調は溌剌として実に気持の良い作品だということを再認識して嬉しくなった。第1楽章の出だしから快速なテンポは、これから始まる長い道のりの豊かな実りを予感させる。

(2009年2月25日)

2012年6月1日金曜日

ハイドンの交響曲(プロローグ)

2009年から少しずつハイドンの交響曲作品を順に聴いている。その直接のきっかけは、古典派の巨匠であるこの作曲家が没後200周年を迎えたことにあるのだが、それより以前から私はハイドンの音楽が好きで、交響曲全集も持っていたし、ロンドン交響曲にいたっては何組もの演奏で楽しんできた。有名な後期の作品だけでなく、比較的初期のあまりよく知られていない作品についても、ひと通りの感想のようなものを書き記しておきたいと思ったのである。

そういうことでもしないと、おそらく真剣にこれらの作品を聞こうとしないのもまた事実で、音楽の専門家でも演奏家でもない人間が、他にもしたいことがある貴重な時間を、200年以上も前に作られた音楽を聞いて過ごす、というのも実際、大変なことである。そして聴き始めてから4年が経過したが、現在は60番あたりにいるのでまあ、折り返し地点といったところであろうか。

なお次回から過去の文章を含め、1曲ずつ取り上げて行くが、その際には演奏をできるだけいろいろ変えて聞いていこうと思う。自分のコレクションの中から、丁度その曲の魅力を語るに相応しい演奏を選ぶことが出来れば嬉しいと思う。

ハイドンの作品は、以下の区分によって分類されるのが慣例である。

(1)~1760年頃:エステルハージ公に仕える以前の作品。ウィーン時代。モルツィン伯爵家の学長時代。
(2)1761年~66年:エステルハージ公の副楽長の時代。
(3)1766年~76年頃:「疾風怒濤」の時代。エステルハージ公の音楽長。
(4)1776年~84年頃:オペラ創作時代。
(5)1785年~90年:パリ交響曲を含む外国からの創作依頼の時代。
(6)1791年~:ロンドン交響曲の時代。

ここで交響曲は全部で107曲が知られており、ホーボーケン番号が付けられたもの(全104曲)の他に、交響曲A、B、それに協奏交響曲が知られている。

ホーボーケン番号は必ずしも作曲の順序に付けられているわけではないが、それはその後に生じた研究の結果であって、最初は作曲の順と思われていた。従って概ね若い番号ほど古い作品と思って良い。

モーツァルトと異なって最初から完成度の高いハイドンの交響曲は、試行錯誤の繰り返しによりこの分野のスタイルを確立したことがハイドンの音楽史上の功績のひとつであると同時に、ベートーヴェンを代表とする後世の作曲家に多大な影響を与えた。ひとつひとつの作品は目立たず地味でも、その味わいは深く大きい。古典的な作品であるため、その鑑賞には音楽的な知識があると深みが増すが、かといってそういう理解をするものだけが楽しめる作品として作られたわけではない。従って私のような素人でも、作品を自分なりに楽しむことは何ら恥ずかしいことではない。

だが音楽とその演奏、とりわけクラシック音楽について語るのは一般的に非常に難しい。よってこれからの文章が読み手にとって意義深いかどうかは、実際のところわからない。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...