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2019年7月31日水曜日

バーンスタイン:ミュージカル「オン・ザ・タウン」(佐渡裕指揮兵庫県芸術文化センター管弦楽団、他)

ミュージカルはライヴで見るに限る。比較的ダンスに重点が置かれているからだ。オペラにおける歌は、最重要の要素なので、歌が聞けないとどれほど演出や踊りが上手くても、決定的に失望に終わる。CDでオペラを聞くことができるのも、音楽的な観点からだけで十分にその良さが満喫できるからだろう。だがミュージカルはそうはいかない。ミュージカルをCDで聞いても、ぬるいジュースのような感じがする。

だがもし、オペラ歌手が歌い、ダンスはそれを得意とする人々が中心になって舞台を彩る。オーケストラはワーグナーやブルックナーも演奏できるシンフォニー・オーケストラが担当するとしたら…。こんな夢のような公演が、この夏佐渡裕によってプロデュースされ、関西と東京で上演された。出し物は佐渡の師匠で、アメリカの最も偉大な作曲家レナード・バーンスタインの作品である。ミュージカル「オン・ザ・タウン」は、後に「ウェストサイド・ストーリー」も手掛けるバーンスタインの最初のミュージカルで、1944年末にニューヨークで初演された。まだ第二次世界大戦中のことである。

この作品は「踊る紐育」として映画化された。だがその際に、ほとんどの音楽は差し替えられたようだ。バーンスタインの音楽が前提的すぎて、保守的な映画の客層には受け入れられないと判断されたためだと言う。それはそれで頷けるような話である。なぜならこの音楽は今聞いてもその魅力を失っていない。ミュージカルとしての古めかしさはその通りだが、音楽としての独自性はバーンスタインの天性のもので、今もって十分聞き手を満足させる。

バーンスタインは自ら作曲し、一世を風靡したミュージカル作品を、晩年にはクラシック音楽として残すことに懸命だった。「ウェストサイド・ストーリー」には、カレーラスを始めとするオペラ歌手を起用してセッション録音したのは有名だ。そのメイキング風景は映像化された。バーンスタインのミュージカル作品は、音楽のみでもきちんと歌えば、後世に名を残すほどの輝きを放つと信じていたのだろう。佐渡裕がその遺志を受け継ぎ、このたび取り上げた作品が「オン・ザ・タウン」だった。

この上演へのこだわりは、配布されたプログラム・ノートを読めばよくわかる。ロンドンでオーディションを行い、書類選考で1000人、面接にも200人が残ったらしい。結果的に下記に示す歌手と役者が起用されることになった。みなオペラも歌える歌手だが、同時に踊ることも演技することも十分にこなす実力派である。もちろん英語を母国語とする人たち。さらに演出はアントニー・マクドナルドが担当した。彼は兵庫県芸術文化センターでの過去の催しである「魔笛」(モーツァルト)や「夏の夜の夢」(ブリテン)でも演出を担当し、佐渡の信頼が厚い演出家とのことである。

オーケストラはもちろん兵庫県芸術文化センター管弦楽団である。世界各地からオーディションにより集められたプレイヤーからなる臨時編成のオーケストラだが、実力派の若手が多数いるようで、その水準は高そうに思われる。定期演奏会も開いており、そのチケットを両親にプレゼントしたりしているので、自分も一度は聞いておきたいという気持ちも動いた。本公演は、毎年夏のこの時期に催されるオペラ・プロダクションの一環で、過去には様々な作品が上演されてきたが、今年は東京でも上演することになったようだ。西宮で8回の公演を行ったあとの、上京しての4公演のうちの最初のものを東京文化会館に見に出かけた。ミュージカルはできるだけ前の方で見たい。そこで一階前方のS席を1万5千円もの大金を支払って購入したのは、1週間ほど前のことだった。まだ切符がかなり残っていた。当日券も買えた。

【キャスト】
・ゲイビー:チャールズ・ライス(バリトン)
・チップ:アレックス・オッターバーン(バリトン)
・オジー:ダン・シェルヴィ(テノール)
・アイヴィ(地下鉄の広告モデル):ケイティ・ディーコン(ダンサー)
・ヒルディ(タクシー運転手):ジェシカ・ウォーカー(メゾ・ソプラノ)
・クレア(文化人類学者):イーファ・ミスケリー(ソプラノ)
・ピトキン判事(クレアの婚約者):スティーヴン・リチャードソン(バス)
・マダム・ディリー(アイヴィの声楽教師):ヒラリー・サマーズ(アルト)
・ルーシー・シュミーラー(ヒルディのルームメイト):アンナ・デニス(ソプラノ)
・ダイアナ・ドリーム(歌手)他:フランソワ・テストリー
ほか。

会場に入ると幕に大きくタイトルが表示され、本場のミュージカルの雰囲気さながらである。やがてオーケストラ・ピットに登場した佐渡は軽く頭を下げ、おもむろに幕が開くと、そこはブルックリン。以降、本作品にはニューヨークの各地が次々と登場する。3人の水兵がわずか24時間の休暇を与えられ、初めてニューヨークの街へと繰り出すシーンである。「ニューヨーク・ニューヨーク」の歌が3人の水兵によって歌われる。

オペラと違い音楽が速く、台詞も多いのが難点である。字幕を追っていると舞台を見損なってしまう。まるで学芸会のセットのようだが、地下鉄の車内が登場。ここで女性に写ったあるポスターを見つける。その女性は「ミス改札口(turnstile)」と字幕では表示されていたが、これは回転式の出札口のことで、今でもニューヨークの地下鉄にはあると思うが、電気式ではない簡単なやつである。その「ミス改札口」に今年選ばれた女性を、水兵たちがそれぞれ分れて探しにいくところから物語は始まる。何とも他愛のないストリーだが、楽天的な昔のニューヨークの活気も伝わり、古い時代の気分を感じさせてくれる。

ニューヨーク賛歌とも言える作品には、私もかの地で1年余りを過ごした者として、非常に懐かしい気分にさせられた。初めてニューヨークに来た時の高揚感と、そこを歩き出した時の緊張感。ここを訪れた人はみな同じ気分を味わうに違いない。人種のるつぼ、とはよく使われる形容詞だが、そこは40年代ということもあり、このミュージカルに有色人種は登場しない。

音楽は残念なことに拡声器で増幅されている。実際のミュージカル上演でもよくあるが、歌唱のみならずオーケストラの音までがスピーカーを通じて聞こえてくると、ちょっと興醒めである。東京文化会館という、ミュージカルには広すぎる空間を考慮したためだろう。そして舞台がやや小さく見えてしまっている。このことが非常に残念だった。だが欠点は最初に書いておこう。これだけなのだから。

3人の水兵は、それぞれ別の女性に出会う。まずチップはタクシー運転手のヒルディと、オジーは自然史博物館で働くクレアと、そしてゲイビーは「ミス改札口」に選ばれた当人の歌手アイヴィと。皆が個性的なら、その周りにいてそれぞれのカップルを邪魔する人たちもまた多分に個性的だ。すなわち、チップが連れてこられたヒルディの部屋には、風邪をこじらせてくしゃみを繰り返すルームメート(ルーシー・シュミーラー)が、オジーが出会ったクレアには、すでに婚約者であるピトキン判事がいて、婚約の契りを交わすというまさにその日ということになっており、さらに「ミス改札口」のアイヴィには、音楽教師のマダム・デイリーがアルコールに溺れながら「性愛と芸術は両立しない」などと説いて回る。

3人は同じ場所で落ち合うことにしていたので、まずはタイムス・スクエアのナイトクラブのシーンとなる(ここからが第2幕)。舞台は次々と変わり、コンガカバーナというキューバ系のダンスホール、そしてまた別のクラブへ。ここの音楽は非常に楽しい。バーンスタインの乗りに乗った音楽が、これでもかこれでもかと続くのだが、実際にはその間に差しはさまれる芝居の台詞が、どこかの新喜劇さながらのドタバタ劇であることも忘れ難い。

3組のカップルは最後に、眠ることのない街の地下鉄に乗ってコニー・アイランドへと出かけてゆく。深夜のコニー・アイランドではトルコ風のダンスまで登場。するとそこに警官が現れて、お開きに。24時間があっという間に過ぎ去り、水兵たちは次の休暇組と交代して戦艦へと帰ってゆく。「ニューヨーク・ニューヨーク」と再び歌われる中、幕が閉じる。

「ニューヨーク・ニューヨーク」も有名だが、私はヒルディがアパートで歌う「I Can Cook Too」が好きだ。ティルソン=トーマスが指揮したロンドン交響楽団の一枚を私は昔から持っていて、ここの歌は良く聞いていた。けれども第2幕のコンガカバーナのシーンなど、実演で見なければその楽しさも伝わって来ない、ということが今回よくわかった。そんな中で、「カーネギーホールのパヴァーヌ」(第1幕)はコミカルで楽しいと思ったし、ピトキン判事のアリアとも言うべき「I Understand」は、唯一バスの歌が魅力的で、実際、かなりのブラボーが飛び出した。

オーケストラの中には結構な数のエキストラが世界中から集まっていたのも見逃せない。まずコンサート・マスターはベルリン・ドイツ交響楽団のコンサート・マスター、ベルンハルト・ハルトークで、この他にもペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィル)などゲスト・プレイヤーやスペシャル・プレイヤーが名を連ねている。もちろんトランペットやドラムスなど、エクストラの奏者も数多く、その水準はミュージカル作品としては異例の高さにあると言って良いだろう。

私も1年余りのニューヨーク滞在中に、十数作品の上演中の出し物を見たと思う。だがそのどれをとっても今回のような水準には達していない。それは今回の公演が一時的なプロダクションだったから可能だったとも言える。この公演は、ミュージカル作品がオペラと同等の上演が可能であることを印象付けた。

そしてやはり、ニューヨーク。私の40丁目のアパートからは、空にそびえるエンパイアステートビルが正面に見えていた。その先端が夕空に映えて一層幻想的なものとなる(写真はその当時のもの)。私は毎晩ソファに横たわって、その光景を飽きることもなく眺めていた。その懐かしい日々と、ニューヨークの各地の思い出は、私の20代の心の財産である。今の妻に出会ったのもニューヨークだった。だからこの作品は、まさに私の若い頃の気分を(半世紀の開きがあるとはいえ)燦然と蘇らせてくれた。そして最終公演の日のチケットを妻に贈ったのは当然の成り行きだった。妻も非常に喜んでくれた。ニューヨークの魅力は、時代が変わっても生き続ける。このミュージカルが、そうであるように。

2018年9月6日木曜日

ミュージカル:「コーラスライン」(2018年9月5日、東京国際フォーラム)

1990年3月下旬、生まれて初めてニューヨークを旅行した私が目にしたのは、1975年に初演され、1976年にトニー賞に輝いた人気ミュージカル「コーラスライン」が、その15年に及ぶ史上最長のロングランに幕を下ろすというものだった。その時は数多くのオペラ、コンサートには出かけたが、ついにブロードウェイには足を運ぶ時間(というかお金が)なく、ミュージカルというものに触れるのは再度ニューヨークを訪れた1995年までお預けになってしまった。

その1995年には、「コーラスライン」に変わって最長記録を打ち立てた「キャッツ」が話題の中心だった。「キャッツ」は私も見たが、どこがいいのかよくわからない。ただこれもアンドリュー・ロイド=ウェッバーによる音楽がきれいな英国製の作品である。だがこれも過去の話題となり、その後「ライオン・キング」が「キャッツ」の上演回数を上回り、さらにその上を行くのが「オペラ座の怪人」である。私はこれらの作品がそんなにいい作品とは思えない。好き嫌いかも知れないが、だとすれば好みの作品ではない。

さて、私はその時から「コーラスライン」を見逃したことを少し悔やんでいた。この作品を映画作品として見たのは、1990年代のことだった。映画化は1985年のことで、監督は英国人のリチャード・アッテンボローである。この時思ったのは、この作品が有名な音楽「One」に合わせて踊るダンスが、とてもシリアスだということだ。底抜けに明るいアメリカ製のミュージカルが多い中で、この作品はオーディションに仕事を求める若者たちの赤裸々な生い立ちを告白するシーンの数々によって、むしろ心理描写にも焦点が当てられ、よりストーリー性に深みが増してゆく作品である。

数十人の応募中から、厳しい審査によってわずか8人が選ばれる。その非情であからさまな合格発表によって幕が下ろされる時、米国社会のシビアさとドライさが浮き彫りにされる。徹底した実力社会に立ち向かう無名の若きダンサーたちは、このオーディションに合格したからと言って、将来が約束されるわけではない。なぜならこのダンスは、主役を引き立てるために踊られる脇役に過ぎないのだから。

後味はむしろスッキリしない。けれども物語が終わったその後に再度「One」が踊られる。物語の内容とは違い、一級のダンサーが踊るのだから悪かろうはずがない。鏡を背後にカラフルな照明に照らされて、様々な人種や容姿のダンサーが、次から次へと踊る。ダンス中心のミュージカルを、堪能することとなる。

ミュージカルはオペラのように、同じ作品をあちこちで上演するのではなく、都度結成され、演出されるのが通常である。だから見逃してしまうと、もうそれに触れる機会はなかなか訪れない。日本では劇団四季が、人気作品を俳優を変えて何度も上演しているが、本場でもそのようなことはない。だから私が、JR大崎駅構内で「コーラスライン」のポスターを見た時には、これを見逃す手はない、と思った。30年前に見逃した作品を、やっとのことで見ることができると思ったのだ。

その上演は、東京国際フォーラムで行われた。ところが会場に入って驚いた。何とオーケストラ・ピットに誰もいないのである。イタリアのオペラ・ハウスではしばしばこのような光景が見られると言うが、その理由はストライキである。だが今回の公演がキャンセルになったという話は聞かない。だからこうやって多くの客が入っているのだ。

どうなるのか思った音楽がいつのまにか舞台の袖から聞こえてきたが、それはまるでテープ収録された音楽で踊るバレエの来日公演のようである。台詞の合間に歌が挟まれるため、音楽はどこかで演奏しているのだろうと思う。だがそのプレイヤーはついに最後まで姿を見せなかった。もちろん指揮者もである。

舞台は踊りと台詞のみで進んでいった。両脇に字幕があるので、英語のわからない観客は字幕を追うのが忙しい。ストーリーが半ばどうでもいいオペラと違って、セリフは結構重要である。しかもダンスに見とれていると、字幕に目を移すのが大変である。今回はしかも、1幕構成だった。これも常識外れで、通常ミュージカルは比較的長い第1幕と、短い第2幕の間に休憩時間がるのが通常である。出演者も大変だと思ったが、客席も戸惑うばかり。

最初はどうかるかと思ったが、中間部でオーディションに募集したひとりひとりへの面接が始まると、複雑な生い立ちや家族関係に話が及んでいく。その中にディレクターのかつての恋人、キャシーもいる。このミュージカルの面白さは、この部分でのやりとり。そこに米国社会の側面を感じることができる。そう考えると、最近のミュージカルにはそのような社会性や同時代性が失われていることに気付く。

「コーラスライン」はもう半世紀前の作品で、今となっては古い作品になってしまった。客席に若い人もいたが、結構中高年の姿が目立つ。ブロードウェイでも2006年にリバイバル上演されたが、2年ももたなかったようだ。かつて一世を風靡した作品も、いまや純粋に共感できる層が減ったのだろうか。そう考えると米国だけでなく世界の社会風潮も変わってしまったのだろう。そんなことまで考えながら、何か懐かしい感じのする2時間の公演を見ていた。もしそうでなければ・・・(実際私はそう希望するのでが)この公演自体が物足りないものだったからかも知れない。もし1990年、本場で見ていれば、私も20歳の若さだったし、もっと強烈な印象を残す経験になっていたのかも知れない。

2018年8月10日金曜日

バーンスタイン:ウェスト・サイド・ストーリー(ケネス・シャーマーホーン指揮ナッシュヴィル交響楽団、ほか)

レナード・バーンスタインがウィーン・フィルを指揮して収録したベートーヴェンの交響曲全集には、指揮者本人による解説が付けられていて、これもまたバーンスタインの多才さを感じるビデオだが、その中の、確か第5番だったかで「ベートーヴェンは(突き詰めて考えた結果として)必然的な次の音を見出す天才だった」というような話があったように思う。非常にユニークな解説は大変興味深いものだったが、この表現を私はバーンスタイン自身の作品である「ウェスト・サイド物語」の音楽に使ってもいいと思う。

1957年というと昭和32年のことで、もちろん私はまだ生まれていないし、バーンスタインもニューヨーク・フィルの指揮者として快進撃を続けていた頃だった。 それはすなわち、もう半世紀以上も前のことで、「ウェスト・サイド物語」はブロードウェイのミュージカル史において一世を風靡した傑作として今でも上演されている。1961年には映画にもなり、私も何度かテレビで見た記憶があるが、その時にも感じたのは、この作品はとにかく音楽につきるということである。才気あふれるその音楽を、作曲者本人もその後録音しているのだが、どういうわけか未だにオリジナル・サウンド・トラック盤の世評が高いようである。もう録音はかなり古いというのに。

私はアメリカ人ではないから、この作品に抱く特別な感覚を理解できていないのかも知れない。オリジナル・キャストで聞く「マリア」や「サムウェア」をはじめとする抒情的な歌も、「アメリカ」や「マンボ」といったノリノリの歌も、いわゆりブロードウェイらしさ、ミュージカルらしさが全編に横溢しており、古き良きアメリカの文化を彷彿とさせる。何といってもこれにはニューヨークの香りが充満し、無機的で荒廃した地区に住む若者同士の抗争と、そこに横たわる移民問題やラブ・ロマンスが、一種独特の雰囲気を形作っている。

私はこの曲を、マリアにキリ・テ・カナワ、トニーにホセ・カレーラスを配して録音された作曲者自身の指揮による演奏で体験した世代だが、これはこれでミュージカルをオペラのレベルに仕立てようとしているチャレンジングな企画だった。ただ、カレーラスの英語が不完全であるうえにあのオペラのような歌い方がどうも耳に馴染まない。確かにトニーはプエルトリコ系だし歌詞に「Buenas taldes」などと聞こえる部分もあるのだが、この録音はむしろメイキング・ビデオでこそ楽しみたいと思う。これは録音風景を追ったドキュメンタリーだが、 出演者の人間模様が滲み出て秀逸な作品だと思う。もっとも私はハイライトのCDも持っている。

この曲をもうクラシックとして聞く外国人には、オリジナル・サウンドといっても心に響かないし、かといってオペラ風の歌い方にもちょっと違和感があるのでは、と思っていたところ、ケネス・シャーマーホーンという人が南部テネシー州のナッシュヴィルにあるオーケストラを指揮して録音したCDに出会った。76分にも及ぶ完全版で、2001年の録音である。レーベルはNAXOS。オリジナルと比較してどうのこうの、という人がいるかも知れないが、そういうことを考えない向きには、なかなか高品質な出来栄えであると思う。

歌手の歌は、正統的なミュージカル風の歌い方で、英語の歯切れはなかなか良いまかりか、歌唱力の点でも聞かせる。「マリア」や「I feel pretty」のような部分でも聞かせるし、「ジェット・ソング」から「マンボ」に至るジャジーで踊りたくなるリズムは、アメリカを感じるスイング感もあって、良く録音されていると思う。

「ウェストサイド」とはマンハッタンの西側、すなわち60丁目あたりから70丁目にかけてのエリアである。いまでこそそこにはリンカーンセンターがあり、ジュリアード音楽院などもある高級で文化的な中心地だが、メトロポリタン歌劇場がまだ引っ越してくるまでのこの地域は、非行少年やギャングが日夜跋扈し、時に警察沙汰となるのも珍しくなかったという。不法移民が住み着き、治安も悪かったのだろう。碁盤の目になっているマンハッタンの中を、唯一曲がりくねって南北に走る通りがブロードウェイで、この通りを南から歩いてゆくと、セントラルパークの南西端の入り口、コロンバス・サークルを過ぎたあたりからウェスト・サイドとなる。

街は荒れてはいるが、若い移民たちはどこか夢をみているような純粋なところがある。シェイクスピアの「ロメオとジュリエット」をニューヨークに移したような物語は、ある意味で珍しくない展開だし、音楽におけるメロディーや和声の進行は、それこそ長い年月をかけて進化してきたものを受け継いでいると思う。例えばフィナーレの音楽など、ワーグナーが「ワルキューレ」で用いたメロディーを思い起こさせるし、どういうムードはどういう音階で演奏されるのが効果的か、というようなことは良く踏まえられているのだろう。

この作品の独自性は、しかるに何といってもリズムの多様さにあるのではないだろうか。シンコペーションがふんだんに使われ、目まぐるしく変化する興奮は、ストーリーを越えて魅力的である。これらの音楽は、ダイジェスト版とも言える「シンフォニック・ダンス」でも取り上げられているので、その躍動感あふれる新鮮さを味わうことはできるが、全編にわたって無駄がなく、印象的なメロディーが続くという作品なので、ハイライトはもったいないだろう。

個人的には以下の重唱を中心とした活発な音楽が好きで、よくかいつまんで聞いている。「ブルース」「マンボ」「アメリカ」 「トゥナイト(五重唱)」それに「クラプキ巡査どの(Gee, Officer Krupke )」の5つである。最後にこのCDに登場する歌手を書いておこうと思う。有名な曲だが、録音されたものはそう多くはない。でも、まあ1枚あればいいと思うし、今ではYouTubeなどで簡単に聞ける便利な時代である。

  マリア:ベツィ・モリソン
  トニー:マイク・エルドレッド
  アニータ:マリアンヌ・クーク
  リフ:ロバート・ディーン

指揮者のケネス・シャーマーホーンはニューヨーク・フィルにおいてバーンスタインの助手を務めた人物である。

2018年7月16日月曜日

ミュージカル:「エビータ」(2018年7月16日、東急シアターオーブ)

FIFAワールドカップ・ロシア大会はフランスの優勝をもって幕を閉じたが、準優勝したクロアチアは今回、アルゼンチンを破って世界を驚かせた。アルゼンチンは1978年の大会を主催し、初優勝している。NHKがたった一人のアナウンサーと解説者を派遣して衛星中継をしたこのときの模様を小学生だった私はテレビで見て、その並外れた熱狂的な模様に驚愕し、サッカーというスポーツが社会現象として一定期間、世界をくぎ付けにするすさまじい様子を目の当たりにしたのだ。

優勝の決まった瞬間、10人以上の死者が出たと報じられた。二階から飛び降りた者、子供を無意識に絞殺してしまった者、など多数の悲劇とともに、軍事政権下で行われた大会にはテレビ・クルーでさえ移動に難渋するといったエピソードなどが、私をアルゼンチンに興味を持たせた最初である。ブエノスアイレスという素敵な名前の都市に行ってみたい、そう思ったのはある紀行文を読んだことがきっかけでもあるのだが、それも中学生時代のことで、私はNHKのスペイン語講座を聞いて会話を覚えようとしたりした。

大学生活が終わろうとしていた1992年3月、私はとうとう貯金をすべてはたいて、南米大陸の旅に出た。といっても卒業後、就職までのわずか数週間。パンナムが倒産し、南米行きの格安航空券はロサンジェルスとフロリダを経由しながら3日は要したルートだったと思う。あまりに疲れ果て、研究発表の疲れも癒されぬうち、私はブエノスアイレスの安宿で丸2日間眠り続けた。3日目の朝になって、秋とは言えまだ30度は超えるような暑さの中を、私は7月9日大通りを歩くうち、ここは子供時代に読んだ写真集「世界文化シリーズ」の中で出て来たモノクロの写真集の光景であることを思い出した。この光景は今でも時々夢に見る印象的なものである。広い通りの向こうに、ヨーロッパを思わせる重厚な建築物が並ぶ。

「南米のパリ」といわれたブエノスアイレスは、1940年代の栄光の時代をそのまま冷凍パックにしたかのような町であった。裏通りには時代遅れのスーツを着た紳士が歩き、夜ともなれば巨大なステーキを出す店などが並び、どこからともなくタンゴのメロディーが聞こえてきそうな、くたびれて古色蒼然とした街並みだった。

サッカーの熱狂は、政治の熱狂でもあった。アルゼンチンの歴史を語るうえで、栄華を使い果たし、混乱した経済にくたびれてさらに広がる格差が生む不満、そのはけ口としての革命のエネルギーが軍政を生み、あるいはまた愛国心がサッカー熱を煽るもとになっているということを忘れることはできない。斜陽と熱狂。このあまりに悲しい時代を、エビータは駆け抜けた。ペロン大統領夫人として30年余りの短い人生を、アルゼンチンの国民は自らの国の辿る運命に重ね合わせる。「アルゼンチンよ、泣かないでおくれ」との響きは、サッカーの試合にも事あるごとに繰り返される。

ミュージカル「エビータ」が上映されていると知ったのは数日前で、人気のある演目だし、我が国のミュージカル熱は結構なものだと思っていたので、まさか当日券があるとは思わなかった。私は1995年にニューヨークに住んでいた頃、上演されていた数々のミュージカルを観たが、その中に「サンセット大通り」という素敵な作品があって、この何とも言えないセピア色に染まった西海岸の悲劇を、その胸を締め付けるほどにノスタルジックな音楽とともに忘れることはできない。

2回以上見た「サンセット大通り」は、その音楽がイギリスの作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーによるものである。彼は有名な「キャッツ」や「オペラ座の怪人」などでも知られ、一度聴いたら忘れられないようなメロディーを生み出す天才である。その彼の「ジーザス・クライスト・スーパースター」に次ぐ作品として制作され、初めてアメリカでトニー賞に輝いたのが、「エビータ」である。もう1970年代のことだから、40年以上が経過していることになる。

「エビータ」はその後、多くの歌手によって歌い継がれ、1996年にはマドンナを主演とする映画も制作された。私は帰国してからこの映画を見て感動し、オリジナル盤(1978年)を購入していたが、このCDはどことなく静かで、ロック調の迫力と臨場感を上手く伝えているとは言い難い。ミュージカルでもやはり実演に接するのがいい。何といってもあの動きの多いダンスを見ることはできないのだから。

今回渋谷ヒカリエ11階にある大きなホールで見た舞台は、嬉しいことに日本語字幕付きであった。舞台には大型のスクリーンが設置され、ここに1950年代の実際のモノクロ写真が次から次へと投影されてゆく。私が子供時代に見たブエノスアイレスの風景も、実際に訪れた大統領府などの建物も、この中に何度も出てくるのであった。この映像を見ていると、動きの多いダンスを見落とすことになり、またダンスに気を取られていると字幕が追えない。オペラと違って情報量は多く、オーケストラや歌声もマイクロフォンで強調されるから、二階席の端っこであっても十分に楽しいし、それに何といっても哀愁に満ちた音楽が次々と溢れ出す。

誰がどの役を歌っているのかは、ブックレットも何も配布されないという不親切な興行方針のせいで、何もわからない。これは糾弾すべきことだろうと思う。仕方がないから、出演者をWebページで検索して、以下にコピーしておく必要がある。

  作詞:ティム・ライス
  作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー
  演出:ハロルド・プリンス

  エヴァ・ペロン:エマ・キングストン
  チェ:ラミン・カリムルー
  ホワン・ペロン:ロバート・フィンレイソン
  マガルディ:アントン・レイティン
  ミストレス:イザベラ・ジェーン

5人の主役の中で、際立って拍手の大きかったのはチェを歌ったラミン・カリムルーで、次が標題役のエマ・キングストン。歌声が大きな意味を持つオペラとは違い、ダンスや演技も大きなパートを持つミュージカルについて、私はあまり詳しく語ることはできない。ただ久しぶりに見るミュージカルに、オペラとは違った新鮮さを感じたのと同時に、よく組織された舞台は、オペラのような予測不可能な要素が少なく、むしろ演出の巧みさこそが最大の見どころである。黒を基調とし、舞台が二階建てになっている。時折男女がタンゴを踊る。音楽は様々な要素が不自然なく取り入れられており、一種独特のムードが漂うのがロイド=ウェバー音楽の真骨頂である。

1992年に撮影した写真があるので、その中から2枚を貼っておこうと思う。アルゼンチンの歴史は、エヴァの死後も苦難の連続であり続けている。このミュージカルが上映された頃は丁度フォークランド紛争の頃であった。イギリスは第二次世界大戦前から世界的な資本を投下して、アルゼンチンを従属させてきた。「エビータ」の物語は、それに対する反抗と挫折の歴史でもある。そして、英国人側の視点で描かれる時、どことなく冷笑的である。そのことが好きかどうかは別として、Don't Cry for Me Argentinaのメロディーは世界中で愛されている。

映画:「シラート」(2025年、スペイン・フランス)

「大統領のケーキ」を見た翌日、またもや救いようのない映画を見てしまった。作品のタイトルは「シラート」。アラビア語で「審判の日に天国と地獄の上に架けられる細い橋」を意味するらしい。つまり、死んだ人が集う場所から、それぞれが天国に行くか地獄に行くか、いったいどうやって決まるのか。それ...