2021年3月31日水曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(13)常連指揮者の再登場-ムーティ(2004)、マゼール(2005)、メータ(2007)

2001年から2003年にかけて、アーノンクールと小澤によるコンサートは、少々窮屈だったと感じた人は多かったのかも知れない。そのような反省が実際にあったのかどうかは想像の域を出ないのだが、2004年からしばらくは90年代に入れ替わりで登場した指揮者がカムバックする。すなわち、2004年のムーティ、2005年のマゼール、そして2007年のメータである。

2004年のムーティによるニューイヤーコンサートは、ウィーン・フィルがこれほどにまで伸びやかで楽し気に演奏しているのは珍しいくらいに感じられる。それはちょっと演奏を聞けばわかるほどだ。この2004年のコンサートは、ムーティの中でもベストではないかとさえ思えるのだが、ムーティが指向してきた無名の埋もれた曲にスポットライトを当てる傾向が、一層顕著になっている。第1部の冒頭から、良く知られた曲が何も登場しないのだ。このことが、この年のニューイヤーコンサートを目立たなくさせてしまったようだ。

第2部に入ってしばらくすると、ようやく「加速度円舞曲」が登場する。ただ「加速度円舞曲」にしてもさほど有名な方ではない。そうか、こんな曲だったなあ、などと思っていると再び知られざる曲が始まり、ようやく「天体の音楽」で有名曲が来たと思ったらもう終わりなのである。結局、これほどにまで無名曲を並べたのは他にないくらいのプログラムに少々うんざりする。ただ、ムーティはこれらの曲を、丸で有名曲のように指揮している。どういうことかと言えば、良くこなれていてぎこちない箇所がない。どの曲の演奏も、実に堂に入っている。これはウィーン・フィルがいつになく乗っているから、そう感じるのかも知れない。

この2004年のコンサートでは、前半に生誕200周年を迎える父ヨハン・シュトラウス1世と、その同時代に活躍し、言わばライバル関係にあったヨーゼフ・ランナーの曲ばかりが取り上げられている。この二人は、、息子のヨハン2世が活躍する前の時代にあって、いわばウィンナ・ワルツを確立した作曲家である。従ってまだ華やかさに満ちた曲とは言い難い側面があるのだが、そういった面を含め、この時代のワルツの変遷を楽しむことができる。

後半では「ジプシー男爵」と「こうもり」の2つのオペレッタの「カドリーユ」が取り上げられている。オペラ指揮者として名声を確立しているムーティのお得意作品とも言うべきもので、特に前者は珍しい作品ながら飽きない名曲のように感じられる。また後半冒頭の喜歌劇「女王陛下のハンカチーフ」序曲は珍しい曲だが、しばらくするとどこかで聞いた曲が出てくる。これはワルツ「南国のバラ」の主題で、このワルツはもともと、このオペレッタの中の曲だったようだ。

後半に進むにつれて次第に有名な曲が目立ち始め、「天体の音楽」で頂点となるが、この作品は弟ヨーゼフの作品であり、どこか物憂げで孤独さを漂わせている。全般に玄人受けするようなプログラムによって、ムーティはニューイヤーコンサートの表面積を広げようとした。この意欲的な取り組みは選曲の妙と演奏の確かさに支えられて、高評価を得たと言うことができる。

続く2005年の指揮台に立ったのは、何とマゼールだった。マゼールは1999年以来の登場で、6年ぶりということになる。私はとても意外なことに思えた。そもそもマゼールは80年代に毎年このコンサートを指揮していたばかりか、1994年、1996年と久しぶりに登場し、特に1996年のコンサートはこれ以上ない成功だったと思った。にもかかわらず彼は1999年、またもやこのコンサートを指揮した。この演奏も悪くはないが、何となく既視感のあるのも事実で、いよいよもうこれが最後かと思ったものである。

ところが何と、彼は2005年にも登場するのである。そしてこのコンサートは、さらにマゼールの演奏に円熟味が加わったと言うべきだろう。年季の入った指揮ぶりはさすがで、このコンサートを落ち着いた雰囲気でありながらも新鮮味のあるものにした。特に秀逸なのはプログラムで、珍しい曲と有名曲がうまく配置され、その合間に緩急のポルカや喜歌劇の序曲がアクセントとなっている。無名の曲でも十全の準備で指揮するあたりはムーティに及ぶレベルであり、有名曲をまた一味違った妙味で聞かせるのは、メータなどに及ばない。そういうわけで、この2005年のコンサートもまた、大成功の部類に入るレベルとなった。

特に後半のプログラムの充実ぶりは、ちょっとしたものだ。速いポルカが多いが、それらはほとんど完璧なテンポで聞く者を楽しませている。理想的な「観光列車」はこの上なく楽しく、ワルツ「北海の絵」と「ロシアの行進曲的幻想曲」は他のどんな演奏より印象的である。これには録音の良さも手伝って、そのように感じるのだろうか。

しかし残念なことが2つある。ひとつは「ウィーンの森の物語」が、みたびマゼール自身の弾き振りで演奏されたことだ。もう十分であると思ったのが1999年だったことを思うと、演出過剰気味である。むしろ「春の声」や「南国のばら」、あるいはヨーゼフの「うわごと」など、まだ演奏していない曲を聞きたかったと思う。今一つの難点は、アンコールの最後に演奏される「ラデツキー行進曲」が省略されたことだ。これは直前に発生した未曽有の大地震、スマトラ沖地震に対する哀悼の意を表したためなのだが。

「ラデツキー行進曲」が省略されたにもかかわらず、このコンサートは全部で21曲、2時間足らずの長さとなっている。いつのまにかニューイヤーコンサートは、長いコンサートになった。そしてビデオとCDがそれぞれリリースされるようになったのもこの頃からだ。テレビと同様のビデオ映像で楽しむか、あるいは音源のみの演奏に耳を傾けるかは難しい問題で、それぞれにそれぞれの良さがあると思う。ただCDでは意外なことに、映像では発見できなかった部分を発見することが多い。映像では情報量が多すぎて、どうしても印象が散漫になるか、あるいは特定的なものとなるようである。より客観的で、音楽そのものの魅力を発見するのは、私の場合、むしろCDの方である。特に緩やかなポルカのように、靄の中に立ち込めるかの如き色合いは、華麗な花に飾られた豪華な舞台の映像付きで見ると、ちょっと感じにくい。

マゼールは2014年に没するが、ニューイヤーコンサートとしてはこの2005年が最後の登場となった。8歳より指揮台に立ち、ベルリンやウィーンを始めとするクラシック界の名声をほしいままにしてきた天才指揮者の最後の晴れ舞台だった。

2007年に再登場したメータのコンサートは、少し意外だった。なぜかというとこのコンサートは、その5年前の小澤が指揮したのと同じ曲で始まったからだ。ヨハン・シュトラウス2世の行進曲「乾杯!」がそれである。ニューイヤーコンサートの冒頭の行進曲などは、誰も気にしない曲なのかも知れないし、どう演奏してもよさそうな曲なのだが、この二人の表現は見事に異なっている。小澤は終始軽やかで、まるで重心が空中にあるかのような浮遊感さえ漂うのに対し、メータは旧来の、どっしりとした重心と揺れ動くリズムを重視いている。

このことからメータの2007年のコンサートは、好意的に考えれば、昔から続く伝統的なウィンナ・ワルツのスタイルを懐古的に求めたと言える。確かにヨーゼフの名曲「うわごと」などはちょっとした乱れや性急なところもあって、細部がややおろそかになっているが、それもかつては散見されたことだ。ボスコフスキーの時代はそれで良かった。だが時代は30年以上が経過し、この間に他の指揮者が進化させたワルツのスタイルは、もっと精緻で凝ったものになっている。

メータの2007年のコンサートに高い評価を与える向きもあるが、私の感想では、この年のメータは冴えないと思う。手抜きだとか練習不足とは考えたくないが、いくつかの演奏は私を失望させた。ポルカ「水車」や「町と田舎」でさえ、あの微妙な音色のずれが感じられず単調だし、喜歌劇「くるまば草」序曲にしろワルツ「レモンの花咲くところ」にしろ、マゼールやムーティの演奏に劣ると思う。これは完成度の問題なのだろうか。

映像で見るメータの指揮は、楽し気で明るく、時に気取って芸達者なところを見せてはいるが、せいぜい右手だけを振り上げて低弦の方を振り向く動作のみがやたらと目に付き、よくこれであの音楽が出てくるもんだと感心する。もしかすると、何もしない方がウィーン・フィルはワルツを上手く演奏できるのかも知れない。

プログラムは意識的にヨハン2世の作品が少ないものの、すべてはシュトラウス一家とヘルメスベルガーの作品で占められている。どことなく賑やかな曲が多く、初めて聞く曲は結構楽しい。一方、後半の終盤では楽しいやりとりもあるが(「エルンストの思い出」)、これはCDで聞いても観客から笑い声が聞こえるだけで、何もわからない。

2007年のコンサートは私にとって異色の、ちょっと風変わりなものに思えた。選曲が不思議なくらいに珍しく、かといて有名曲はさほど成功していない。そしてそれは2002年の小澤に通じるものがある。この2つのニューイヤーコンサートは、他の年と比較して、あまり成功しているとは思えないものだ。CDで音だけ聞くよりも、DVDで映像付きで見る方が、いいコンサートのように感じるのも共通している。何とメータの登場は1997年以来10年ぶりだった。そして何と、この8年後の2015年にも登場する。長い間隔をあけて登場するのは、この他にいまや重鎮となったムーティがいる。これらのコンサートについては、また機会を改めてレビューしてみたい。

 

【収録曲(2004年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:行進曲「とても美しかった」作品467
2. ヨハン・シュトラウス1世:「シュペアル・ポルカ」作品133
3. ヨハン・シュトラウス1世:「小夜鳴き鳥のワルツ」作品82
4. ヨハン・シュトラウス1世:「フレデリーカ・ポルカ」作品239
5. ヨハン・シュトラウス1世:「カチューシャ・ギャロップ」作品97
6. ランナー:「宮廷舞踏会の踊り」作品161
7. ランナー:「タランテラ・ギャロップ」作品125
8. ヨハン・シュトラウス1世:喜歌劇「女王陛下のハンカチーフ」序曲
9. ヨハン・シュトラウス2世:「ジプシー・カドリーユ」作品24
10. ヨハン・シュトラウス1世:「加速度円舞曲」作品234
11. ヨハン・シュトラウス2世:「サタネッラ・ポルカ」作品124
12. ヨーゼフ・シュトラウス:「スケートのポルカ」作品261
13. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」のチャルダーシュ
14. エドゥアルド・シュトラウス:ポルカ「喜んで」作品228
15. ヨハン・シュトラウス1世:ポルカ「三色すみれ」作品183
16. ヨハン・シュトラウス2世:「シャンパン・ポルカ」作品211
17. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
18. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「突進」作品348
19. ヨハン・シュトラウス2世:「インド人のギャロップ」作品111
20. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
21. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228 

 

【収録曲(2005年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「インディゴ行進曲」作品349
2. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「上流社会」作品155
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「楽しみを追う人たち」作品91
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「冬の愉しみ」作品121
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「モダンな女」作品282
6. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「千夜一夜物語」作品346
7. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「インドの舞姫」作品351
8. スッペ:喜歌劇「美しきガラテア」序曲
9. ヨハン・シュトラウス2世:「クリップ・クラップ・ギャロップ」作品466
10. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「北海の絵」作品390
11. ヨハン・シュトラウス2世:「農夫のポルカ」作品276
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「蜃気楼」作品330
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
14. ヘルメスベルガー:ポルカ・フランセーズ「ウィーン式に」
15. ヨハン・シュトラウス2世:「ロシアの行進曲的幻想曲」作品353
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「心と魂」作品323
17. ヨハン・シュトラウス2世&ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
19. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ「電気的」
20. ヨハン・シュトラウス2世:「狩りのポルカ」作品373
21. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314

 

【収録曲(2007年)】
1. J.シュトラウス2世:行進曲「乾杯!」作品456
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「調子のいい男」作品62
3, ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「水車」作品57
4. ヘルメスベルガー:「妖精の踊り」
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
6. J.シュトラウス1世:「入場のギャロップ」作品35
7. J.シュトラウス2世:喜歌劇「くるまば草」序曲
8. ヨーゼフ・シュトラウス:「イレーネのポルカ」作品113
9. J.シュトラウス2世:ワルツ「レモンの花咲く所」作品364
10. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「ブレーキもかけずに」作品238
11. J.シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「町と田舎」作品322
12. ヨーゼフ・シュトラウス:「水夫のポルカ」作品52
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ディナミーデン」作品173 
14. J.シュトラウス1世:「エルンストの思い出」作品126
15. J.シュトラウス1世:「リストのモティーフによる熱狂的なギャロップ」作品114
16. ヘルメスベルガー:ポルカ・シュネル「足取り軽く」
17. J.シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. J.シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2021年3月14日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(12)小澤征爾(2002)

2002年のニューイヤーコンサートをどう評価したらいいのだろうか?我が国のクラシック界を代表する指揮者「セカイのオザワ」が、とうとうウィーンの晴れ舞台に登場するというので、日本人としてはこれほど誇らしく、またハラハラするイベントはなかった。小澤征爾が誉れ高い新年のコンサート指揮者に選ばれたのは、その年からウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任することが決まっていたからだ。これはご祝儀のコンサートということになる。

しかし国立歌劇場の音楽監督になったからと言って、ウィンナ・ワルツを主体とするニューイヤーコンサートの指揮に相応しいかと言えば、そう簡単な話ではなく、例えば2020年から音楽監督の座にあるフィリップ・ジョルダンは、まだ一度もこのコンサートを指揮していない。小澤自身もウィーン・フィルにたびたび登場しているとはいえ、ウィーンに留学していたわけでもなく、特にワルツに長けた指揮者ではないし、有名なレコード録音があるわけでもない。

ニューイヤーコンサートの会場に日本人の姿が目立つのはテレビ放送を見ているとよくわかるし、ウィーン・フィルの楽団員には日本人と結婚した奏者も多いことは良く知られている。ウィーンの街を歩けば日本人観光客がたむろしている光景を見かけないことはない。そういうわけで、これは日本とオーストリアの友好を記念して特別な関係により実現したのか、あるいは少し穿った見方をすれば、日本の経済力を期待した、したたかな戦略なのかも知れない。事実、このコンサートを記録したCDやDVDは売れに売れたようだ。

小澤の音楽の特徴は、一旦音楽を解体して彼流の枠の中で組み立てなおし、集中力を持って表現することである。楽譜に書かれていることと、それ以外のことを分類する必要も出てくる。その時に問題になるのは、慣例にとらわれない表現が、西洋の文化の新たな一面に光を当てるという側面と、伝統や常識をないがしろにした無謀な表現に帰着するという側面である。この相反する評価は表裏一体である。

ウィンナ・ワルツという、いわば伝統の上にも伝統を塗り重ねたような演奏会に、小澤は相当な覚悟で挑んだに違いない。音楽は国境を超える言語であるとはいえ、地域性と保守性の権化とも言えるようなウィーンの音楽文化の中心に、微妙に抵触する可能性があった。たとえそれが打ち解けた音楽であろうとも。そういうわけで、同じ日本人として、この日は相当気を揉んだ。本当に大丈夫だろうか、と。

テレビ映像に映し出された元旦の学友協会大ホールは、いつものように色とりどりの花が溢れんばかりに飾られ、輝くシャンデリアもいつになく眩しかった。この日から流通する通貨、ユーロのマークが舞台の上部にに据えられていた。普段通りに笑顔で登場する我がセイジ・オザワは、とてもリラックスした表情で冒頭の行進曲「乾杯!」を、しかし慎重に指揮した。若い頃は肩に力が入り過ぎていると言われた指揮姿も、「パントマイムのようだ」と評されるくらいに自然なものだった。

ビデオで見る小澤の指揮とウィーン・フィルの演奏は、大変好ましいものに見える。会場に詰め掛けた家族も映し出す。クラシック・コンサートのビデオを長年手掛けてきたブライアン・ラージというディレクターの秀逸なスイッチング効果もあり、大変見ごたえがある。ワルツ「水彩画」、そして意外なことに「ウィーン気質」が名演である。

小澤の功績は、なぜか近年徐々に遅くなっていたワルツやポルカの音楽を従来の速さに戻したことだろうと言えば、批判されるだろうか?たとえばポルカ「とんぼ」の適切なテンポは見事である。またポルカ・シュネルで見せるスポーティーな速さは、彼自らが運転する自動車に乗っているような感覚である。これは映像で見ることによってより伝わる。つまり小澤の音楽は、いつもそうであるように、一定の集中力を持って見た場合には、なかなか考えられた表現だと得心する。

このコンサートを見ていて、やはり小澤には小澤流の演奏と言うのがあって、ちゃんとウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの流れの上に、確かな魅力を付け加えているように思った。そして最も成功しているのが、ヘルメスベルガーの「悪魔の踊り」であることは言うまでもない。このような、まるでバレエ音楽の戦闘シーンのような何の変哲もない曲を選んでプログラムに含めるのは、指揮者の特性を熟知した憎らしい演出である。小澤の指揮の良さが最大値となるような曲である。

ところが、CDで聞くこのコンサートは何故かあまり印象が良くない。特に、初期に発売された1枚の抜粋盤では、何と「こうもり」序曲から始まり、そして「芸術家の生涯」になる。ポルカの何曲かと「常動曲」までもが省略されているのに、あの長い新年の挨拶が収録されていたりする。小澤の音楽も何かとても矮小なものになってしまい、ちょっと楽しめないのだ。これは翌年のアーノンクールや後年のプレートルにも言えたような気がする。思えば、2000年代に入ってからのニューイヤーコンサートは、いっそう映像中心のコンサートになっていったような気がするのは、私だけだろうか。

映像と言えば、毎年テレビ中継で流れるオーストリア放送協会が制作するビデオ映像も実に楽しめる。凝ったバレエ演出は、場所を変えて見ごたえ十分である分、その時の演奏が映らないという不満もある。しかしこのコンサートを収録したDVDには、この別映像は特典メニューにまとめられている。従って購入者は、テレビで見た別テイクの映像と演奏だけでなく、コンサートで演奏された実際のものも見ることができる。これは大変良心的で嬉しいことだ。特典映像に含まれた「常動曲」の際の映像は、何とユーロ貨幣の造幣シーンだった。この様子が音楽に実に合っていて、私はまだ幼かった子供と何度も見て楽しんだ。

日本人には特別なものとなった2002年のニューイヤーコンサートは、これはこれでユニークな成功を収めたと言えるだろう。国立歌劇場の音楽監督に就任した小澤征爾は、その後健康を害してウィーンを去らなくてはならなくなる。コンサートには何度か復帰したものの、その後さらなる闘病で演奏会はしばしば中止された。同じ時期をやはり闘病で過ごした私の、最初の苦悩の年となったのは、奇しくも2002年だった。だから私はこのコンサートのDVDを手元に置いて、再び健康の戻る日が来ることを祈る日々だった。小澤ももし健康を害していなければ、再度、ニューイヤーコンサートの指揮台に登場する姿を見ることができたかも知れない。

 

【収録曲】
1. ヨハン・シュトラウス2世:行進曲「乾杯!」作品456
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「カーニバルの使者」作品270
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「おしゃべり女」作品144
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
5. ヨハン・シュトラウス1世:ポルカ「アンネン・ポルカ」作品137
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「前進」作品127
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
8. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「手に手をとって」作品215
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「水彩画」作品258
10. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品204
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「おしゃべりな可愛いお口」作品245
12. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
13. ヘルメスベルガー:「悪魔の踊り」
14. ヨハン・シュトラウス2世:「エリーゼ・ポルカ」作品151
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーン気質」作品354
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「チク・タク・ポルカ」作品365
17. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「大急ぎで」作品230
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2021年3月7日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(11)ニコラウス・アーノンクール(2001, 2003)

元日に行われる「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」はあくまで「ウィーン・フィルの」コンサートであって、「カラヤンのニューイヤーコンサート」とか「クライバーのニューイヤーコンサート」というのではない。つまり主役は指揮者ではなく、あくまでウィーン・フィルということである。ウィーン・フィルは年に一度、少し格下に見られているシュトラウス一家を中心としたウィンナ・ワルツやポルカの演奏会を、豪華なゲスト指揮者とともに開催するというのが、このコンサートの伝統である。

「ウィーンはいつもウィーン」という行進曲があるが、ウィンナ・ワルツもまた誰が指揮したところで、決して変わらない部分があって、それに少しだけ指揮者によるアレンジが施される。音楽だけでなく、プログラムや雰囲気、聴衆も含めて、長い年月を続けてきた慣習があって、極めて自由度の低い中で催されるちょっとした違いを楽しむのが、まあ面白いというか興味深い。そんなものでありながら堅苦しくないのは、音楽が愉悦に満ち、誰がどう演奏しようと浮き立つようなメロディーに、幸福感が満たされてゆくからだろう。

ウィーン・フィルが21世紀最初のニューイヤーコンサートの指揮者に選んだのは、古楽復興の祖とも言うべきニコラウス・アーノンクールだった。当時71歳。アーノンクールはオーストリアの貴族の血を引き、ウィーンで学んだあとウィーン交響楽団のチェロ奏者も務めている。ヨハン・シュトラウスの演奏や録音も多く、ウィーン・フィルの公演にも数多く出演している。そういう意味から、このコンサートへの抜擢は、むしろ遅すぎたくらいであるとも言えなくはない。

しかしアーノンクールがニューイヤーの指揮台に立つことへの期待感の大きさは、あのカラヤンやクライバーに匹敵するほどで、久々に新しい指揮者の登場となることも相まって、年末から待ち遠しいほどであった。あれからもう20年の歳月が流れたが、その時の感覚は今でも忘れ難い。

アーノンクールがオリジナル楽器による復興を目指し、地道に活動を続けていたのは60年代にまでさかのぼるが、当然のことながらその音楽が理解されるまでには、長い時間を要した。80年代に入り、音楽の演奏が行き詰まりが顕著になり始めた頃、長年活動を続けて来た古楽奏者に活路が見いだされた。クラシック音楽の演奏は、伝統を打ち破って新しい時代に入ってゆく。そしてその流れが主流にまで及んだ時、アーノンクールはウィーン・フィルとの刺激的なコンサートを持つようになる。その考えが聴衆にまで支持されるのは、さらに長い歳月が必要だった。

アーノンクールがヨハン・シュトラウスのワルツやポルカを演奏するようになったのは、ウィーンの保守的な観衆にまで彼の音楽が浸透した結果であった。そしてついに、ワルツ演奏の最高峰へと登りつめたと言って良い。そんなことを考えながら、私のような単にエンターテインメントの視点しか持たない者でも、一体どんなコンサートになるのだろうかと期待が膨らんだ。

2001年はヨーゼフ・ランナーの生誕200周年の年だった。ランナーは「ワルツの始祖」と呼ばれており、その活躍はシュトラウス(父)の頃である。従って、くしくもアーノンクールの登場した年は、ワルツの原点に視野が及ぶことになる。原典主義のアーノンクールともなれば、そのプログラムも工夫が凝らされた。演目の最初は、何と「ラデツキー行進曲」の原典版だった。

毎年プログラムの最後に演奏されるヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」が、いつもとはいささか違う音符が混じった形で演奏された。もちろん最後にはいつもの「ラデツキー行進曲」が演奏されたから、この年のコンサートは「ラデツキー行進曲」で始まり「ラデツキー行進曲」で終わることになった。そしてランナーの曲は、冒頭の「ラデツキー行進曲」に続く2曲(ワルツ「シェーンブルンの人々」とギャロップ「狩人の喜び」)、及び後半の「シュタイヤーの踊り」の計3曲だった。

アーノンクールの演奏は、彼を批判する人がしばしば口にするものだった。すなわち流れが悪く、意外にあっさりと進む部分があるかと思えば、奇妙に変化するリズムがあり、通常は聞こえない楽器が強調されたりする。音楽はいわば破壊され、幸福感は望めず、下品でさえある・・・云々。だがこれはもう確信犯であって、これを聞き続けているうちに、こういう演奏もまああるのか、という考えに変わり、そしてついには、この緊張と裏切りが快感にさえなってゆく。かくしてシュトラウスのワルツもまた、アーノンクール流に刺激的に料理され、聞く者を渦に巻いてゆく・・・と信じていたものにとっては、やや拍子抜けするものだった。

「オーストリアの村つばめ」で見せるぎこちない小鳥たちも、郊外や都会に引っ越してきたわけではなく、村にいて歌っている。「観光列車」は脱線することなく時刻表通りに運行されている。アーノンクールならもう少し、流れを堰き止めたり、警笛を思いっきり鳴らしてもいいのに、と思うようなところがある。ウィーンの・フィルを相手にして、やはりここはアーノンクール節も影を潜めざるを得なかったのだろうか。

喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲では「ベルリン版」とのことで、どこがどう違うのかまではわからないが、期待通りの演奏だった。また、時にしか演奏されないワルツ「もろびと手を取り」も、あのテレビ中継に挟まれる華麗なバレエが目に浮かぶような名演だった。だが総合的に見れば、指揮者にもオーケストラにもやや硬さが見られ、アーノンクール本来の演奏の面白さが十分に伝わったような気がしない。だから、なのだろうか、彼は2年後の2003年に再び登場する。この2003年の演奏については個人的な思いがあり、私にとっては唯一無二のコンサートであった。

2002年の春に重病患者となった私は、このままでは余命2年などと指摘された。原因不明の難病は私を歩けないまでにさせ、夏には入院。秋からは本格的な治療が始まった。成功確率も低いこの治療を、やっとのことで切り抜け、何とか退院できたのは11月も終わりころ。コロナ禍の今と同様、あらゆる感染症対策を十二分にしたうえで、風邪などを引くことは命取りになるという中、私は毎日ベッドの上でひたすら時間が過ぎるのを待つ日々。これはあと1年続くことになる。

2003年のお正月を、とにもかくにも迎えることができたのはあらゆる人々と神様のおかげだった。このお正月を、私は狭い賃貸住宅の暗い部屋で迎え、寒さの中、辛うじて食べられるお雑煮を楽しんだ。夜の7時になって、「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世危機脱出祝賀行進曲」が聞こえてきたときには、涙があふれた。指揮者はアーノンクール。2001年の時よりも打ち解け、オーケストラにも自信と余裕が感じられた。

続く「宝のワルツ」では「ジプシー男爵」からのメロディーがふんだんに取り入れられ、これはアーノンクールの良さが出た名演。そして楽しいロシア風の「ニコ・ポルカ」へと続く。カラヤン以来久しぶりに「うわごと」が聞けるのも嬉しい。ヨーゼフ・シュトラウスによるこのワルツは、私の最も好きなものの一つである。アーノンクールの演奏では、一部主題が繰り返され、他の演奏とは少し違う。

この夢見るようなコンサートで私を圧倒的に感銘させたのは、「皇帝円舞曲」だった。演奏もさることながらここで挿入されたビデオ映像は、あのシェーンブルン宮殿の庭園を余すところなく撮影したもので、その美しさと言ったら!最後のシーンでは空撮した庭園の画像が空高く舞い上がり、そこからウィーン郊外の森の風景が広がる。私はお酒も飲んでいないのに、そのあまりに美しい映像に見入った。こんなに美しい映像は見たことがない。そして「美しく青きドナウ」ではドナウ川を行く遊覧船の外輪に合わせて、あの有名なメロディーが回転する。そうか、このメロディーは、そうだったのか、と思った。このあと汽船は、紅葉したドナウ川をゆっくりと航行し、沿岸の赤く染まった教会などを映し出す。

この2つの感銘深い映像を、再び見てみたいと思った私は、3月頃になって発売されたDVDを買うことになった。そして嬉しいことにその中には、テレビで見たのと同じものが収録されていた。私をくぎ付けにし、まさに生きていることを実感した美しいシェーンブルン宮殿には、20歳の頃に出かけている。夏だったか色とりどりの花が植えられ、宮殿から長い時間をかけて庭園を進み、一番高いところに上ってゆく頃には雨もあがり、遠くの山々がきれいに見渡せた。

一時はもう外にでることさえできないと思われたが、春には徐々に外出をしはじめ、夏には微熱も下がり、秋になると急に元気になった。それから仕事ができるようになるには、さらに1年を要した。ウィンナ・ワルツは、こういう私を慰め、そして気持ちを明るくさせた。そう、再発するまでは。

2003年のアーノンクールによるニューイヤーコンサートには、このほか「うわごと」や「舞踏への勧誘」(ウェーバー作曲、ベルリオーズ編曲)も収録されている。そして何とブラームスのハンガリー舞曲まで。そうかと思うと「中国人のギャロップ」などもあって、全部で20曲は最高記録。まるで「ごちゃまぜ」(前半の最後に演奏されたポルカ)である。

【収録曲(2001年)】
1. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228(原典版)
2. ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」作品200
3. ランナー:ギャロップ「狩人の喜び」作品82
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
5. ヨハン・シュトラウス2世:電磁気のポルカ 作品110
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「起電盤」作品297
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲(ベルリン版)
8. ヨーゼフ・シュトラウス:「道化師のポルカ」作品48
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
10. ランナー:レントラー「シュタイヤーの踊り」作品165
11. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「もろびと手をとり」作品443
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「いたずらな妖精」作品226
14. ヨハン・シュトラウス2世:「ルシファー・ポルカ」作品266
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
17. ヨハン・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲 作品228

【収録曲(2003年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世危機脱出祝典行進曲」作品126
2. ヨハン・シュトラウス2世:「宝のワルツ」作品418
3. ヨハン・シュトラウス2世:「ニコ・ポルカ」作品228
4. ヨハン・シュトラウス2世:「冗談ポルカ」作品72
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」作品212
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「ごちゃまぜ」作品161
7. ウェーバー(ベルリオーズ編):「舞踏への勧誘」作品65
8. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「セクンデン(2度のポルカ)」作品258
9. ヨハン・シュトラウス2世:「ヘレーネ・ポルカ」作品203
10. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
11. ヨハン・シュトラウス2世:「農夫のポルカ」作品276
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「女性賛美」作品315
13. ヨハン・シュトラウス1世:「中国風ギャロップ」作品20
14. ブラームス:「ハンガリー舞曲」第5番ト短調
15. ブラームス:「ハンガリー舞曲」第6番変ロ長調
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「戴冠式の歌」作品184
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「うわ気心」作品319
18. ヨハン・シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」作品260
19. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
20. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...