2015年12月24日木曜日

ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」作品84(S:シルヴィア・マクネアー、クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

新聞を読んでいたらクルト・マズア氏が死去したことを知った。享年88歳。マズアは私にとっても何度かのコンサートで接した指揮者である。印象に残っているのは大阪ザ・シンフォニー・ホールでのベートーヴェン・チクルス。ゲヴァントハウス管弦楽団を率いて来日した89年秋のことである。私は立見席を買い、連日1階席最後部で「英雄」や「田園」を聞いた。

マズアは東ドイツの指揮者だったが、一連の東欧の民主化後にはニューヨーク・フィルの指揮者に就任したことは驚いた。私は95年から96年にかけてニューヨークに住んでいたが、このときに聞いたいくつかの定期演奏会で、マズアの指揮に接している。もっとも印象に残ったのは、ハーレムの少年合唱団と共演したオルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」である。「このライブ録音が出たら買ってもいい」と当時の日記には書いてある。

マズアは大きな体をゆすりながらも指揮棒は持たない。リズムは遅くはなくむしろ快速であり、オーケストラはとてもきれいな音がする。ニューヨークの厳しい批評にさらされながらも常任指揮者の期間は10年以上にも及んだ。他の演奏会では、来日した際に大宮で聞いたニューヨーク・フィルの公演も思い出に残る。マズアの奥さんは日本人で、彼は時々来日し、練馬あたりの住宅街で見かけると聞いたこともある。

そのマズアのCDは私も何枚か持っているが、お気に入りはベートーヴェンの交響曲第5番とカップリングされた劇音楽「エグモント」である。「エグモント」は序曲だけが極めて有名で、全曲を通して演奏されることは少なく、録音に至っては昔、ジョージ・セルがウィーン・フィルを指揮した一枚があるだけといった状況が続いていた。私もこの演奏が好きだったが、ほかの演奏を知らないので比べようがない。だがあのベートーヴェンがゲーテの作品に音楽をつけたというだけで興味が湧くではないか。劇音楽「エグモント」の新譜が目に留まり、ハ短調の演奏も悪くないことを知って迷わず買った。

「エグモント」は序曲と9つの付随音楽からなる。

1.歌曲「太鼓が鳴る」 Die Trommel gerühret
2.間奏曲Ⅰ
3.間奏曲Ⅱ
4.歌曲「喜びに溢れ、また悲しみに沈む」Freudvoll und Leidvoll
5.間奏曲Ⅲ
6.間奏曲Ⅳ
7.クレールヒェンの死
8.メロドラマ「甘き眠りよ!お前は清き幸福のようにやって来る」Süßer Schlaf
9.勝利のシンフォニア

特にソプラノによって歌われる「太鼓が鳴る」と「クレールヒェンの死」は有名だが、それ以外のオーケストラによる部分も私は好きだ。歌劇「フィデリオ」もそうだが、ベートーヴェンらしい音楽が無骨に長々と響くのに飽きない人は、どちらも好きになれるだろうと思う。この曲は、歌劇「フィデリオ」を好きになるかどうかを気軽に試す曲だと勝手に決めている。

劇はオランダにおける独立運動、あるいは祖国愛に満ちた英雄の物語。いかにもベートーヴェンが好みそうなストーリーである。スペインの圧政に苦しんでいたネーデルランドの開放を求め、不屈の精神で立ち向かうのだ。1809年、すでにベートーヴェンは交響曲第5番、第6番「田園」を書き終えていた。もっとも充実したころにこの曲は作曲されたことになる。

終曲で序曲のコーダ部分が再現される。これは勝利のシンフォニーである。序曲の充実した曲が好きな人は、きっと全曲を聞くのが楽しいだろう。なおこの演奏はライヴ録音である。マズアはニューヨークとの一連の演奏をライブで収録している。いやニューヨーク・フィルというのは今ではライブ勝負しかしないようなオーケストラだ。おそらくプレーヤーの単価が高いので、スタジオ録音は収支に合わないのだろうと思う。マズアは共産圏出身の指揮者だが、こういう街のオーケストラで十分やっていくだけの野心とモダン性(資本主義精神)を持ち合わせていたようだ。

2015年12月22日火曜日

マーラー:交響曲第4番ト長調(S:キャスリン・バトル、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

第4楽章に「子供の不思議な角笛」の中の「天上の生活」が使われているが、この音楽は当初交響曲第3番の第7楽章として用いる予定だった。そういうことからこの曲は、第3番との関連が深いということになっている。けれども作曲された年1899年は、第3番の完成後3年を経ている。この3年間にマーラーは、生活上の大きな変化を経験している。すなわちウィーン宮廷歌劇場およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任しているのである。

このときマーラーはもう39歳になっていたが、結婚を控えてキリスト教に改宗するのもこのころである。いわば人生の絶頂期ともいえるような時期が、この遅咲きの作曲家にも到来した。交響曲第4番はこのような中で作曲され、全体に幸福感がみなぎっている作品である。

初めて聞いた時の印象は、何と静かな曲かということだった。マーラーの大袈裟なほどに大規模な編成を持ち、特に最終楽章ではとてつもなく肥大化する・・・そう安直に考えていた中学生の私は、この曲が終始大人しく、わずかに何度かのクレッシェンドがあるだけという、丸で地味な、つまりはマーラーらしからぬ曲だと思ったのである。小規模・・・と言ってもそれはマーラーの他の交響曲に比べればという話であって、演奏時間は1時間近くにも及ぶ。終楽章にソプラノの歌声が入り、冒頭や第4楽章の鈴の音が印象的であった。

一見目立たない曲のようではあるが、コンサートでの演奏回数は結構多い。おそらく合唱を伴わないうえに、いくつかの楽器が不要であることなどから、興業的には収支がいいからではないかと思う。録音の数も多く、単一のCDに収まることもあり、私も第1番「巨人」の次に買い求めた曲である(そして第5番へと続く)。その時の演奏は小澤征爾指揮ボストン交響楽団(ソプラノ独唱:キリ・テ・カナワ)だった。この演奏はオーケストラが大変うまい上に録音もよく、とても素敵な演奏である。だが聞き直すうち後半になると何となく単調に感じられる上、テ・カナワの独唱があまりいいとは思えない。

第3楽章の美しさは、聞けば聞くほどに味わいが深まる。特に前半は幸福感に溢れ、最上のムード音楽のようでもある。だがそれをあざ笑うかのような独特のメロディーが挿入されてその感覚を打ち消すあたりのマーラー特有の性質は、この曲も持ち合わせている。それもまた魅力であり、その極みは第2楽章の「死の舞踏」である。3拍子の続く室内楽的なメロディーは、最初聞くと退屈だがやがて楽しくなる。

冬至を目前に控えたある晴れた日の朝、北関東へと向かう列車の中でこの曲を聞いた。演奏はロリン・マゼールの指揮するウィーン・フィルの演奏である。80年代の前半、マゼールはウィーン国立歌劇場の音楽監督の地位にあり、そしてついにウィーン・フィルを指揮してマーラーの全曲録音を行ったのである。それは丁度、マーラーがこの二つの組織で活躍したことと重なる。まるで「音の魔術師」とでも言うにふさわしいようなマゼールの表現が曲にマッチし、この第4番は大変な名演だと思う。

すべての音符は独特の美的感覚で再配置され、綺麗に磨かれている。ウィーン・フィルの美しさを引き出しながら、時にゆっくりと止まりそうなくらいにテンポを落とすかと思うと、微妙なアクセントでワルツを踊る。感覚的には遅い演奏だが、ほかの演奏がどうしてこのように響かないのかと思ってしまうような天才的な演奏で聞くものを飽きさせない。第3楽章の冒頭がこれほど美しいと思ったことはないし、SONYの録音も大変良い。第4楽章の独唱は絶頂期のキャスリン・バトルだが、この歌がまた素晴らしい。私の聞いた第4番の演奏の中で、彼女の歌声はベストである。

この演奏の魅力は、皮肉なことを言えば、ほかの演奏を聞いた後にわかる。だが第3楽章冒頭の美しさとバトルの歌声には、初めて聞いた時にも感動するだろう。

朝の郊外へと向かう列車は恐ろしいほどに空いている。雲の中から時折弱い日差しが車内に注ぐのを受けながら、静かな音楽に耳を傾けている。弦楽器の重なり合う見事なメロディーが現れたかと思うと、踊りたくなるような部分が続き、その諧謔的な雰囲気がこのような旅行に合っていて心が和む。そうして時間を過ごすうち、列車は住宅地を抜けて利根川を渡り、田畑の広がる農業地域へと入っていった。

2015年12月19日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(P:ミハイル・プレトニョフ、クリスティアン・ガンシュ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団)

モーツァルトがピアノ協奏曲というジャンルを深化させたとしたら、ベートーヴェンはより広く高いものへと進化させたと言えるかも知れない。9曲の交響曲がそうであったように5曲のピアノ協奏曲もまた、後世の作曲家にとって容易に超えることのできない壁となってしばしば立ちはだかり、いくつかの稀有な作品はそれを乗り越えた。

その5曲のピアノ協奏曲のうちでももっとも華やかでモニュメンタルな作品はやはり「皇帝」であろう。この作品の録音には枚挙に暇がなく、ほとんどすべてのピアニストにとって一度は演奏・録音すべき作品のように存在しているような気がする。だから私も気が付いてみたら数多くのCDを所有している。何度聞いても、そしてどのような演奏で聞いても感動的である理由は、作品が素晴らしいからだというほかない。そこにさらにもう一枚、これが最後とおもいつつコレクションに加わったCDが、ロシアのピアニスト、ミハイル・プレトニョフの演奏する一枚だった。2006年の録音なのでもう10年近くも前ではあるが。

第1楽章の冒頭でこのピアニストは、何とそれまでに聞いたことのない表現を乱発する。その自由闊達さがあまりに個性的であるにもかかわらず、聞いていくうちに引き込まれ、聞き終わってみるとこれまでの演奏があまりに大人しすぎるように感じてしまう。当時の私のメモには興奮した様子で以下のように知るしている。

「この新譜CD、何とこの1曲のみの発売である。いまどきたった37分の収録時間とは何とも珍しいし、だいたい高飛車な企画である。しかしこの演奏を聞いてみて、やはりというべきか合点がいった。その演奏の素晴らしさゆえに、売れると踏んでいるのだろう。

このディスクは、ベートーヴェン輝かしいピアノ協奏曲の演奏史にいおて、ケンプとライトナーによるもの、あるいはコヴァセヴィッチとデイヴィスによるもの、それにエマールとアーノンクールによるものといった、スタジオ録音された過去の代表的名演奏に匹敵し、ライヴ収録された演奏としては、ミケランジェリとジュリーニによるもの以来となる歴史的な演奏であるような気がする。」

流れるような部分では一瞬立ち止まり、おやっと思わせたかと思うと一気に駆け下る。あるいはまるでショパンを思わせるような流れるようなロマン性を表現する第2楽章の美しさ。第3楽章に至ってはもうやりたい放題である。だがこの演奏が計算されつくした虚飾性を感じるかといえば、そうではない。もしかしたら作為的なのかも知れないしその可能性も大きいのだが、少なくとも聞いている限りでは自然な表現としてこのようになっているという感じがする。つまり一種の試行錯誤を経て到達された「こうであるべきだ」という説得性を持つ表現なのである。

プレトニョフは過去の演奏、あるいは経験的に当然のこととされてきた部分をも見直し、おそらくは自らの感性に従って再構築したのではないか。ピアニストとして曲の表現の幅を広げることこそ、その使命である。ここに迷いはなかった。そのことを可能にしたのは、伴奏をするオーケストラで、かれはこのロシア・ナショナル管弦楽団を自ら組織した。

指揮者としてのキャリアも十分なプレトニョフが自分のオーケストラを指揮するのだから、当然弾き振りでもよかったはずだ。けれども彼はその指揮に、クリスティアン・ガンシュという無名の指揮者を起用した。いやライナー・ノーツによれば彼は、指揮者ではなくドイツ・グラモフォンのプロデューサーだそうである。そしてそのことがオーケストラの演奏に自信を与え、また彼自身余裕をもつことができた。ガンシュの指揮はピアニストに合わせているが、プレトニョフが必要と感じるすべてのことをしている。それは決して控え目にもならず、目立ちすぎもしない。おそらくはこの組み合わせでなければできない演奏を繰り広げている。

だがこの演奏はライブである。 感性に従って再構成した音楽に即興性を加えている。揺れ動くメロディーや瞬間的なひらめきのようなリズム。それが完璧なテクニックと生理的な安堵感の中で展開されることにより、従来の曲が持つ魅力を超えた魅力を持ち始めている。もしベートーヴェンがこの曲を生で弾いたら、大袈裟で思い入れたっぷりの演奏だったろうと思う。そしてこの演奏はそういうことを考えさせてくれるような刺激的な演奏である。


2015年12月18日金曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(P:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団)

大都会の真ん中でも澄み切った冬の夜空にはオリオン座くらいは見つけることができる。そしてオリオンが剣を持つ左腕の赤い恒星ベテルギウスを一つの頂点として、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンから成る冬の大三角形はあれではないのか、などと見上げながら寒い夜道を散歩していると、「天上の音楽」という言葉が思い浮かんだ。そういえばこの表現は、とても美しい音楽、特にベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章の解説で読んだような記憶がある。その時の演奏は、もしかしたらベネデッティ=ミケランジェリの演奏するウィーンでのライヴだったかもしれない。

都合のいいことに我がポータブル音楽プレイヤーにその音源が収録されている。指揮はジュリーニ。1979年のライヴ収録で、これは放送用の録音だろう。それがドイツ・グラモフォンからリリースされている。演奏前の拍手までもがCDに収録されていることは珍しく、そのことがこの演奏がライヴであることを強調している。しかもCDにわずか一曲。いくら遅い演奏とは言え、これはちょっとコスト・パフォーマンスが悪い。けれどもこの演奏は、ただでさえ録音の少ないミケランジェリの、それも未完に終わったベートーヴェンの協奏曲録音とあって名盤の評価が定着している。

FM放送をエアチェック(もうこの言葉は死語となって久しいが)してSONYのクラシック専用とか銘うたれたカセットテープに録音したのは中学生のころだった。隅々にまでくっきりと照らすイタリアの太陽のように、ミケランジェリの美しいタッチが光彩を放つ。それを音符を十全に押さえるジュリーニの確実な指揮がサポートすることにより、ユニークながら見事なコラボレーションを展開している。この演奏の例えようもなく美しいハーモニーに心を奪われ、何度耳にしたかわからない。

だがCDの時代になって買い直しラックにしまってはいたものの、あえてそれを取り出して聞くことはほとんどなかった。「皇帝」の録音は次々と新鮮で素晴らしいものがリリースされるので、それを追いかけるだけで十数枚のコレクションになってしまった。だが私のこの曲の記憶は、ルドルフ・ゼルキンがピアノを弾き、若きスター、レナード・バーンスタインが伴奏を務める古い演奏を別格とすれば、このミケランジェリ盤が個人的なベストの一角を形成しているのは間違いがない。

多くの作品がそうであるようにこの曲もまた、ベートーヴェンらしさとともに一度聴いたら耳から離れない旋律の宝庫である。いやそのなかでもこの曲は、第5交響曲や「レオノーレ」第3番などとともに、ベートーヴェンのもっとも生き生きとした躍動感、自然で健康的な美しさを持っており、その感じは最盛期のギリシャ建築のように素晴らしい。冒頭の長いカデンツァ(音程の高低を3度も繰り返す)に続く滋味あふれる第1主題を筆頭に、数えたらきりがないのだ。

第2楽章のアダージョが「天上の音楽」であることは上で触れたが、その最後部では静かな音楽が次第に第3楽章のメロディーを示唆しはじめ、一気にフォルッティッシモとなってアレグロになだれ込んでいく。 ロンド形式のような変奏の数々は、同じメロディーが様々に姿を変え、オーケストラと掛け合いながら進んでいく。愉悦の極みである。バーンスタインの早い演奏で聞くスポーティーな呼吸感も忘れ難いが、ジュリーニの演奏は弦楽器のアンサンブルをうまく引き出し、独特の味わいがある。ジュリーニのベートーヴェンは、特に晩年少しくどいと思うときがあったが、ベートーヴェンの中ではこの演奏と、パールマンを独奏に迎えたヴァイオリン協奏曲が、私の昔の思い出として長く記憶に残っている。

2015年12月17日木曜日

メンデルスゾーン:ピアノ四重奏曲第2番ヘ短調作品2、第3番ロ短調作品3(フォーレ四重奏団)

愛用のウォークマンでマーラーを聞いた後、そのままにしていたら、どういうわけかメンデルスゾーンのピアノ四重奏曲が再生された。重い曲を聞いた後なので、室内楽のそれもピアノ入りは心地よい。それにしても半年以上プレイリストを更新していなかったから、前に入れた曲でまだ聞いていなかった曲があったことを忘れていたのだ。しかもこの曲、私は実に初めて聞く曲でどういう理由でコピーしたかもわすれてしまった定かでない。ABC順でMahlerの次にMendelssohnが来たということである。

早熟の作曲だったメンデルスゾーン。私は実を言うとメンデルゾーンが大好きで、これまで八重奏曲などを聞いて、若干16歳にしてよくこんな曲を書いたのだなあ、などと思っていたが、このピアノ四重奏曲に至ってはなんと13歳の時の作品ということになっている。第1番から第3番まであって、作曲は1822年から1825年。第3番はゲーテに献呈されている。当時メンデルスゾーンはベルリンに住んでいた。ゲーテはしばしばメンデルスゾーンに会い、モーツァルトにも比肩される神童ぶりを記している。メンデスゾーンもゲーテを尊敬し、いくつかの曲を献呈しているようだ。

「12歳のフェリックスを、ワイマールのゲーテに引き合わせたのもツェルターでした。この少年の人柄とピアノ演奏は、72歳の詩人の心をたちまちつかみまし た。成人後、メンデルスゾーンは当時を回想して『もしワイマールの街とゲーテに出会わなければ、私の人生は違ったものになっていただろう』と述べています。」(フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルルディ基金のホームページより)

いずれの曲も4楽章構成だが、特に第4楽章のヴィヴァーチェが印象的である。というのも聞き続けていくうち、もう次の曲に移ったかと思うと、これが最終楽章というのである。第1楽章から瑞々しい感性に溢れているのは言うまでもなく、第2楽章のような楽曲は暖冬の今年、春のような陽気に誘われて聞き続けるのが素直に楽しい。そしてこのような曲は「ながら勉強」などをするには大変好ましい。私もよく「無言歌集」を聞きながら高校時代は過ごしたことを思い出す。

バッハの「マタイ受難曲」を復活演奏したり、ライプチヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めたりと、ドイツ音楽界にあって非常に影響力の大きかったメンデルズーンは、ユダヤ人であることから戦後のドイツではほとんど低い評価しか与えられていなかった。我が国でもメンデルスゾーンを研究する学者などほとんどいないのだろう。その理由からか日本語で書かれたメンデルズーンの書物というのがほとんどない(児童書に一冊、それに2014年に邦訳が出版された「メンデルスゾーン―知られざる生涯と作品の秘密」 、レミ・ジャコブ著くらいだろうか)。

なおこの演奏はドイツの奏者を中心に組織されたフォーレ四重奏団による。ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの組み合わせによる曲は数が少ないが、この四重奏団は常設の団体だとうである。 演奏がとてもしっかりしているうえにメリハリが効いているので、ロマンティシズムを濃厚にたたえている。だから余計にこの曲が早熟な少年によって書かれたことを際立たせているようにも思える。

2015年12月13日日曜日

NHK交響楽団第1824回定期公演(2015年12月11日、NHKホール)

マーラーの交響曲は私の40年にも及ぶ音楽鑑賞の中で、常に傍らにあったというわけではないのだが、演奏会に毎年何回かずつ細々と通い続けているうちに、とうとう残すところあと一曲という状況になっていた。マーラーの交響曲は長く、規模も大きいので、そのすべてを実演で聞くことはなかなか難しい。だがとうとうその日がやってきたのだ。

半年以上、どういうわけか音楽から遠ざかっていた私は、知らない間にN響とヤルヴィの「復活」を聞き逃してしまったので、もうなかなかN響でマーラーを聞くこともないな、などと勝手に思い込んでいた。コンサートに行かないとあの分厚いチラシ一式を受け取ることもできないから、ますますコンサートからは疎遠になる。実際には東京でマーラーの演奏会は結構多いのだが。

そういう状況でNHK交響楽団が12月の定期公演でマーラーの交響曲第3番ニ短調を取り上げるとわかったとき、私は何のためらいもなくチケットを買った。2日あるうちのあとの方(土曜日)の公演はすでに売り切れで、仕方なく前日の金曜日のコンサートを選んだ。指揮はシャルル・デュトワだから、この牧歌的な曲にうってつけではないか。ヤルヴィのユダヤ情緒たっぷりの演奏とはまた異なり、洗練された現代的な演奏を聞かせてくれるのではないか、などと想像は膨らんだ。

師走の、それも週末の原宿は足の踏み場もない混雑ぶりで、駅のキオスクにまで行列に並ばないと入店できない有様である。ドトール・コーヒーもチョコクロも長蛇の列。おまけに代々木体育館に向かう道は押し合いへし合いの大混雑。安室奈美恵のコンサートに向かう若者の列が陸橋の袂まで延々と続いている。いったいこの中にマーラーのシンフォニーを聞く人がどれほどいるのだろうか、と首を傾げるのだが、それがいるのである。

NHKホールに着くと、当日券もあったようだが、私は今回B席を購入してあるので迷わず2階席へ。ずらりと並んだ大編成オーケストラの後に、東京音楽大学の女声合唱団、NHK東京児童合唱団が並ぶ。彼らは第1幕の冒頭から微動だにせず整列して座っているが、出番は短い。そしてこの曲は長いオーケストラ曲で始まり、長いオーケストラ曲で終わる。もう一人、第4楽章でソロを務めるのはアルト歌手のビルギット・レンメルトである。彼女が指揮者の横に座ったのは第2楽章からであった。

大規模な出演者に加えて100分にも及ぶ超大作に休憩はない。そして音楽はどちらかといえば静かで精緻である。なのでこの曲が実演で演奏されるのは、第8番ほどではないにしても少ない。デュトワは長年N響の音楽監督であったが、彼のマーラーを聞くのは初めてである。だか今日の演奏は素晴らしかった。N響がここ数年、ヨーロッパやアメリカのメジャーなオーケストラの水準にあることは疑いがないが、今日の演奏でもその技量が如何なく発揮された。たしかに一部の金管楽器で、音を外す部分がなかったわけではない。けれども全編ソロ演奏が絶え間なく続くような演奏家泣かせの曲にあって、よくここまで弾けるなあというのが率直な感想である。デュトワは静かで繊細な部分ほど丁寧に弾かせるので、もしかしたらそのプレッシャーはかなりのものではないかとも思う。

マーラーの長大な音楽は、それ自体が演奏家と聴衆が一体となった長い道程の如くである。どのような演奏に変化してゆくか、その一期一会の瞬間の連続。消えてはなくなってゆく空気の振動を今回も感じた。第1楽章ではやや緊張気味のオーケストラも、第2楽章、第3楽章と進むにつれて、しっとりと繊細でしかも上質のブレンドされたハーモニー、色彩的で現代的な音色が会場にこだますることになったのである。

第2楽章が春の野をいくような音楽にうっとりさせられたかと思うと、第3楽章のホルンの舞台裏から響く音に、オーケストラの音が混じり、それは天国にいるような感覚であった。このホルン奏者はなんとうまいのだろうと思った。彼は第5楽章の途中で舞台に戻り、最後のカーテンコールで絶大な拍手を受けたのは言うまでもない。第4楽章のアルトの歌声、それに少年合唱と女声合唱が加わる第5楽章と、静かな音楽も聞きどころが絶えない。私はこの第2楽章から第5楽章までのあいだ、 これほどにまで共感に満ち、実演で聞くことによってのみ達成されるような緊張と集中力のもたらす奇跡のような音楽に、心を打たれた。この日の公演はテレビ収録されていたが、放送ではなかなかこのような部分まで収録されることはないだろうと思う。いつものことであるが。

この4つの緩徐楽章は、まるでフランス音楽のようだった。私は目を閉じ耳を澄まして聞くうち、デュトワの生まれた町、スイスのローザンヌで過ごした夏を思 い出した。レマン湖畔から見るフランス・アルプスの絵画のような美しさ。それはマーラーが「すべて音符にした」オーストリアの湖畔の光景に通じるものがあるのだろか。

第6楽章に入ると再び弦楽器主体の演奏になる。 第9番の最終楽章を思い出すような長大なアダージョは、次第に熱を帯びて、引いては返す波のように音楽を導いていくが、その過程においてもデュトワの音は知性が感情を支配している。そのことによってバランスの取れた高揚感が聴衆を覆った。職人的な指揮は、決して破たんをすることはない。かといって冷静すぎる指揮でもない。私はこの曲がこの指揮者ととても相性がいいと思った。そして初めて実演で聞くこの曲が、デュトワによるものであることをうれしく思った。

音楽が終わってもすぐに拍手は鳴り出さなかった。だがソリストや弦セクションの首席奏者たちと握手をして聴衆に振り向いたとき、絶大な拍手が沸き起こった。出演者が何度も舞台に呼び戻されるにつれ、どういうわけか感興はより大きなものへと変わっていった。暖かい空気が会場を包み、私も涙が込み上げてきたのだ。演奏後に感動のクライマックスのやってくる演奏会は初めてである。そしてその気持ちは、まるで春のような陽気に包まれた渋谷の街を歩く間中続いた。

コンサートが終わって綺麗にライトアップされた公園通りを下りながら、何年かぶりの渋谷の空気を味わった。深淵な音楽も次第に夜の若者の喧騒にかき消されていった。私は7回目となる自分の新しい誕生日を、ひとり深く祝った。「感謝」といったものでは言い尽くせない何か・・・それはマーラーが自然から感じていたもの・・・その多くがこの曲に込められているように感じた。

2015年12月9日水曜日

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」(The MET Live in HD 2015-2016)

ワーグナーはつくずく自由を求めた人だったんだと思う。18世紀中ごろの、すでに産業革命や市民革命を経た後で自由を手にした民衆は、古い教会の価値観が支配する中世的な社会と決別し、新しい神を求め始めた。ベートーヴェンが髪を振り乱しながら自由への賛歌を歌うとき、ワーグナーはその考えを先に進めることを決意した。それからまだあまり時間はたっていない。でもそのころすでにワーグナーは、ドレスデンにおいて革命の旗手であり、亡命後もパリで「タンホイザー」の改訂版を上演すべく準備に勤しんだ。

「タンホイザー」はその後に作られる輝かしい多くの楽劇に比べると、やや構想が甘く、音楽的な成熟も見られない。それどころかそのストーリーが、何とも身勝手なワーグナーの人生そのものを反映しているかのようで、見ていてもどうも乗ってこない、などと思う人が
いても不思議ではない。不思議ではないのだが、でもこの作品はワーグナーの音楽の持つ恐るべき説得性をもって聞くものをそれなりに楽しませる。誇大妄想のような物語の大袈裟さは、ここですでに健在であり、そして驚くべきことにそのことが苦にならないばかりか、やはりあのワーグナー病のウィルスがすでに多く潜んでいる。

序曲をレヴァインが指揮すると、壮大な音楽がMETのホールに響き渡った。十分に音符の長さを取り、フレーズはたっぷりと響かせる。徐々にクライマックスを迎えるオーケストラは、雪崩を打つように第1幕の冒頭、バッカナールへと入っていった。演出はもはや古典的とも言えるようなオットー・シェンクのものが、21世紀を15年も過ぎようとしているのに健在である。官能的なバレエのシーンに見とれながら、これでもかこれでもかと続く。この改定パリ版の演出は、賑やかすぎて好きになれないが、実演や映像を伴うものでは悪くないと思う。ただこれが4時間にも及ぶ長い話の始まりなので見ている方もスタミナがいる。まだ誰も主役は登場していないのだ。

ヴェーヌスベルクに迷い込んだタンホイザーは、欲望に支配された時間を過ごす。丸で竜宮城でのような時間の中は、タンホイザーをして疑念を感じさせることとなる。このようなことをしていていいのだろうか、と彼が迷い、苦悩を募らせるに至ってついに、ヴェーヌスの腕を振り切って現世のドイツに戻る決心をするのだ。葛藤の中で次第に意思を確立してゆく、あの毒の入ったワーグナーの音楽はここでも真骨頂である。

タンホイザーを歌うのは南アフリカ出身のヘルデン・テノール、ヨハン・ボータである。ボータの声は、本当に人間の口から発せられているのだろうかと思うほどに力強く、それでいて透き通っている。オーケストラがフォルテで鳴ってもトーンが濁らないばかりか、その中をすり抜けていくような見事さで、ホールいっぱいを満たす。ヴェーヌスを歌うメゾ・ソプラノのミシェル・デ・ヤングも負けていない。彼女は女神であることを忘れ、まるで人間の女性が恋人を失うことを拒むように、タンホイザーを引き留める。ここのやりとりがこうも新鮮に感じられたのは初めてだった。

峠の道に舞い戻ったタンホイザーは巡礼の騎士団と再会し、そこで騎士の鏡のような存在であるヴォルフラムと再会する。ヴォルフラムを歌うのはスウェーデンのバリトン、ペーター・マッテイで、「パルジファル」での名唱が見事だったという評価のようだが、私にとっては「セヴィリャの理髪師」で見たフィガロ役が忘れられない。どうも彼は三枚目の役の方が似合っているように思うのは私だけだろうか。

第2幕の序奏から歌合戦までの間は、オーケストラ好きの者にとっては至福の時間である。颯爽として湧き上がるようなリズムから有名な大行進曲へと続いていく部分は、指揮者の腕の見せどころではないか。レヴァインは車いすでの指揮になってしまったし、かつてのちょっと粗削りな若々しさは少し失われたけれども、音楽を知り尽くした余裕の指揮からは淀みない音楽が迸り出る。宮殿の場面で舞台に囲いが設けられるようになるからか歌声がよく響き、ここで出演者が次々とハープに合わせた歌唱を披露する。 ハーピストはオーケストラの中にいて、インタビューにも登場したフランス人だったが、舞台が見えないにも関わらず歌とのハーモニーは十分である。いっそハープも、トランペット奏者たちと同様に舞台に登場させ、歌手は歌に集中した方がいいのでは、などと余計なことを考える。

エリーザベトを歌ったのはソプラノのエヴァ=マリア・ヴェストブルックという人で、彼女もなかなかの存在感である。エリーザベトは最愛のタンホイザーに裏切られたという過去の出来事にも寛容であったが、タンホイザーはなんとここでヴェーヌスベルクのことを口走ってしまう。吐露したというよりは確信犯である。タンホイザーはしかし、彼自身の気持ちに忠実であったというべきか。そのアナーキーなまでの自由奔放さが、中世ドイツの騎士団社会で許されるはずがなかった。エリーザベトが戸惑うのも無理はない。そしてタンホイザーは罰として巡礼の旅に出かけることになる。ローマへ赴き、贖罪と懺悔の日々を過ごすのである。

赦しを得たタンホイザーが無事帰国するのを待ちわびるエリーザベトだったが、タンホイザーの姿は見えない。ここで私たちはヴォルフラムが歌う有名なアリア「夕星の歌」を聞くことになる。静まり返った会場で音楽が静かに流れてゆき、やがて有名な旋律が始める、というあのワーグナーの風体である。ため息の出るようなまでに静謐な時間は、どこまでも続いていくような感覚で私たちをヨーロッパの古い時代へとタイムスリップさせる。

結局、タンホイザーの赦しは得られず自暴自棄になってヴェーヌスベルクへ舞い戻る決心までする彼を、なんとエリーザベトはかばうのだった!エリーザベトの無心の救済によってタンホイザーの心は赦される。都合のいい幕切れだとは思うが、まだこの時代、社会を覆っていた因習的な価値観、すなわちキリスト教会の偽善的な重みを彼は跳ねのけようとしたのではないか。 21世紀なって自由な時代を生きている私たちは、このようにして獲得されていった自由の勝利を忘れるべきではない。個人の意思が尊重され、その心の動きこそが価値があると当たり前に信じている現在のリベラルな世界に育った世代には、ワーグナーが一貫して示そうとした完全なる自由を理解しすぎてしまっているのではないだろうか。だが昨今、その自由が脅かされる事態が続いている。そういう風にして私たちの世界は変化している。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...