2021年2月27日土曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(10)ロリン・マゼール(1994, 1996, 1999)

1994年の最初の曲「カルーセル行進曲」を聞くと、強弱のはっきりしたムーティや、陽気で楽しいメータとはまた異なる、精緻でバランス感覚に優れた音作りというのが存在するのだということがわかる。職人的な指揮は、各楽器の混じり合った微妙な色合い、テンポの微妙あ揺れを際立たせる。こうして、1986年以来13年ぶりとなるマゼールの復帰公演が始まった。

ウィーン国立歌劇場の音楽監督だったマゼールは、ボスコフスキーが勇退した1979年の翌年からニューイヤーコンサートの指揮をつとめ、1986年までの7年に及んだことは前に書いた。当時はまだニューイヤーコンサートといっても、誰かが指揮しているな、といった感じで、今のように指揮者が毎年交代するわけではない地味なものだった。そのマゼールは既にもう7回も指揮しているのだから、何も再びお正月の指揮台に上がることはないだろう、と思った人も多かったに違いない。オーストリア人でもなければ、ワルツの専門家でもない。他に指揮姿を見てみたい指揮者は何人も存在する。よりによって、過去の指揮者を再登場させる必要などないではないか、というわけである。

ところがマゼールは、この1994年を皮切りに2年後の1996年、1999年と立て続けに登場し、さらには2005年にも彼の人生の最後になるニューイヤーコンサートの指揮をすることになる。過去の分を合わせると計11回に及ぶ。ここのとは、90年代に入ってからの演奏会がまた、それなりに高い評価を得ていたことを示しているのではないだろうか。実際、私が90年代でもっとも良く聞いたのは、1994年のコンサートだった。これはVHSテープに録画して繰り返し見ている。80年代のカラヤンとクライバーを除けば、このようなことは他の年にはなかった。

ワルツの名手としての自分を忘れてくれるな、とでも言わんばかりに登場するマゼールの指揮は、その何とも人を見下したようなところが嫌いな人には嫌いなのかも知れない。けれども私にとってマゼールは、実演での裏切りに会ったことがない。フィルハーモニア管弦楽団、フランス国立管弦楽団、ピッツバーグ交響楽団、それにNHK交響楽団。私が聞いたマゼールの指揮する演奏会は、様々な国のオーケストラ、様々な作品に及ぶが、そのいずれもが高い水準を示した。若い頃から世界中の名声をほしいままにし、この他にも多数のオーケストラに客演しているのだから、その音楽づくりと指揮の確かさは、名前だけの売れっ子指揮者とは違うのだと、言いたいのではないかと思う。

マゼールはどの曲も「技あり」の一工夫を施し、いつもの演奏とは一味違うという側面を見せる。そこが面白さでもあるのだが、時に鼻につくところがあるのも事実で、あまり続くともういいよ、という気分になって来る。「こうもり」のチャルダーシュなどはそのようなものを私は感じるのだが、「鍛冶屋のポルカ」などはとても懐かしく、楽しい演奏だと思った。

そのマゼールの1984年のコンサートでの最大の見せどころは、自らがヴァイオリンを持ち、シュトラウスがかつてそうしたようにワルツを指揮したことだろう。これはコンサート・マスターだったボスコフスキーもやっていたことだ。これはマゼールにとってヴァイオリン演奏を披露する絶好の機会となった。「ウィーンの森の物語」は、私の最も愛するワルツだが、ここで通常はツィターによって引かれる前奏と後奏の一部分を自らのヴァイオリンで演奏して見せたのである。この演目は後半の真ん中に配置され、以降はポルカ・シュネルが続き、アンコールへとなだれ込む前の最高の見せ場となった。しかもポルカ「憂いもなく」では、今度は鉄琴を自ら弾いて聴衆の注目を引いた。そしてこの年の「新年の挨拶」では、マゼール自ら演説し、各国語で「おめでとう」と言うなど(日本語もある)、そのサービス精神旺盛な健在ぶりをアピールした。

さて、このようなパフォーマンスはニューイヤーコンサートの恒例だが、後半の最後の演目かアンコールあたりで聴衆を驚かせるような工夫がなされることが多い。1996年のコンサートもまた凝ったものだった。第2部最後のプログラムであるポルカ「騎手」で、マゼールの指揮棒が打楽器奏者にパスされ、指揮をしたのは何とこの奏者だった。ではマゼールは何をしたのかと言うと、彼に変わって鞭を打ち、鉄琴を鳴らした。このような演出に観客は沸きあがり、なかなか拍手は鳴り止まず、そのあとのアンコール1曲目「狂乱のポルカ」になだれ込んでいく。いわばマゼールの真骨頂が発揮されているのだが、このような光景はビデオで見るしかなく、CDでは雰囲気を感じるのみである。

パフォーマンスだけではない。1996年のコンサートでは珍しい曲が並んでいるのも特徴だが、マゼールは聞かせどころを捉えた理知的なアプローチで、これらの曲を上手く料理してみせる。第1部の2曲目は、カール・ミヒャエル・ツィーラーという作曲家のワルツ「ウィーンの市民」という作品だが、もう何度も指揮しているかのようにこなれている。またその後に続くポルカ・マズルカ「ナスヴァルトの娘」(ヨーゼフ・シュトラウス)は、マゼール自らが持つヴァイオリンとの二重奏となって溶け合う。何と曲が始まると会場が暗くなり、マゼールにスポットライトが当たるという目立ちぶり!

喜歌劇の序曲が後半に2曲も置かれているのは興味深いが、それ自体がワルツを含む変幻自在な名曲「くるまば草」序曲など、マゼールのためにあるような曲に思えてくるくらい、この演奏は名演だと思う。そしてもう一つ、「理性の女神」序曲では再びマゼールのヴァイオリンが披露される!一昨年の「ウィーンの森の物語」で味をしめたのか、恒例の新年の挨拶に至るまで、この指揮者の自己顕示欲は最高潮に達する(ただし、念のために指摘しておくと、マゼールのヴァイオリンはオーケストラのヴァイオリン奏者に比べると大したほどではない。だから、マゼールがヴァイオリンを弾いた曲の演奏は、完成度という点では他の作品に劣る)。

この演奏を私は当時住んでいたニューヨークで見た。テレビ中継は時差を考慮して、夕方辺りに公共放送で流れたように思う。ただテレビの音質は悪く、しかも第2部のみの中継だったこともあり、あまり記憶に残っていない。そもそも元日と言ってもただの祝日くらいでしかないニューヨークで、ウィーンのクラシック・コンサートなどをゆったりと楽しむ感じではなかった。帰国して後から聞きなおしてみると、この年のニューイヤーコンサートは大変充実したもので、マゼール指揮によるものの中では、この1996年が最高だと私は思っている。

ところが、である。マゼールはさらに3年後の1999年にも指揮台に立つ。しかもヴァイオリンを持って!この年、マゼールが弾き振りをしたのは、前半に「冗談ポルカ」、後半に「パガニーニ風ワルツ」の2曲である。かつて弾き振りをした「ウィーンの森の物語」は、マルティ=エーラーという人の奏でるツィターに変わっている。この曲は、やはりツィターで聞くのが好きである。

1999年は1900年代最後の年だったが、シュトラウス一家にとっても記念すべき年で、ヨハン・シュトラウス1世没後150年、ヨハン・シュトラウス2世没後100年の年にあたり、演目もこの父子の曲のみが取り上げられた。

マゼールは生涯最後のニューイヤーコンサートだと思われた1999年の再登場後にももう一度登場する(2005年)。このあたりになるとよくわからなくなってくるが、これらは整理して別の機会に述べようと思う。 

 

【収録曲(1994年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「カルーセル行進曲」作品133
2. ヨハン・シュトラウス2世:「加速度円舞曲」作品234
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「遠方から」作品270
4. ヨーゼフ・シュトラウス:「鍛冶屋のポルカ」作品269
5. ヨハン・シュトラウス2世:「愛唱歌のカドリール」作品275
6. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「粋に」作品221
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲
8. ヨーゼフ・ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」作品200
9. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「無邪気ないたずら」作品202
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「心と魂」作品323
11. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」より「チャルダッシュ」
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
14. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「暁の明星」作品266
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
16. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDでは後半冒頭の喜歌劇「ヴェニスの一夜」序曲が省略されている。前半に他にも省略されている曲があるかどうかは不明。

 

 【収録曲(1996年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「祝祭行進曲」作品452
2. ツィーラー:ワルツ「ウィーンの市民」作品419
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「ナスヴァルトの娘」作品267
4. ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「花祭り」作品111
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「入江のワルツ」作品411
6. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ「喜んで」作品228
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「くるまば草」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「フェニックスの羽ばたき」作品125
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「踊るミューズ」作品266
10. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「理性の女神」序曲
11. ヨハン・シュトラウス2世:「短2度のポルカ」作品258
12. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「騎手」作品278
14. ヨハン・シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」作品260
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
16. ヨハン・シュトラウス1世:「デツキー行進曲」作品288

※この頃からCDは全曲を収録し2枚組で発売されるようになった。
 

【収録曲(1999年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「格言詩」作品1
2. ヨハン・シュトラウス2世:「冗談ポルカ」作品72
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「心と魂」作品323
4. ヨハン・シュトラウス1世:「フランツ・リストの主題による熱狂的なギャロップ」作品114
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
6. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
7. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝フランツ・ヨーゼフ1世救命祝賀行進曲」作品126
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ドナウ川の乙女」作品427
9. ヨハン・シュトラウス2世:「ホプサー・ポルカ」作品26
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「気まぐれ」作品197
11. ヨハン・シュトラウス1世:「パガニーニ風ワルツ」作品11
12: ヨハン・シュトラウス2世:「こうもり」のカドリーユ
13. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
14: ヨハン・シュトラウス2世:「山賊のギャロップ」作品378
15: ヨハン・シュトラウス2世:フランス風ポルカ「お気に召すまま」作品372
16: ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
17: ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
18: ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19: ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2021年2月21日日曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(9)リッカルド・ムーティ(1993, 1997, 2000)

コロナ禍の緊急事態宣言が続く毎日の、それは鬱陶しい在宅勤務を終えて、わずかな気晴らしに近所を散歩する時に聞くウィンナ・ワルツの心地良さは、ちょっとしたものだ。寒い運河を照らす電球の薄明かりも、耳元で円舞曲が鳴ると、踊るかの如く揺れている。だが、1994年のニューイヤーコンサートは、少々戸惑いの残るものだった。知っている曲がほとんどないのである。

ワルツ「ジャーナリスト」に始まり、ポルカ「外交官」、「すみれ」、「何か小さなもの」(CDでは省略)と続いた後、ヨーゼフ・ランナーによる「シュタイヤー風舞曲」、ヨハン・シュトラウス1世による「シュペアル・ギャロップ」で終わる!このような曲を並べて見て、旋律を歌える人は果たしているのだろうか。ムーティはわざとこのような知られざる曲を並べ、他の指揮者との違いを見せつけようとしたのだろうか。

後半のプログラムも、隠れた名曲、喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」序曲で始まるものの、しばらくは地味だ。ヨーゼフ・ランナーの「ハンス・イェルゲル・ポルカ」、「クリップ・クラップ・ギャロップ」と続く(CDでは「レモンの花咲くところ」は省略されている)。もっとも後半のプログラムも、後になればなるほど有名曲も顔を覗かせ、聴衆も沸き返る。その頂点は「エジプト行進曲」だろう。テンポをぐっと落としてたっぷりと聞かせる中東風のメロディーが、ウィーンの異国趣味を感じさせ、ちょっとした感銘を呼ぶ。

このプログラムの渋さは、前年のクライバーと比較してあまりにも隔たりがある。一昨年前のアバドは、ウィンナ・ワルツ以外の曲が多く、風変わりとも思えたが、そういったプログラム・ビルディングを含め、この時期は新しい趣向を試す模索の時期だったのかも知れない。ただこの頃からワルツの演奏が遅くなったような気がする。ムーティの指揮が及ぼした、やや格好をつけて溜を打つ演奏が、2000年代になって主流となってゆくのである。

そのムーティの演奏も、最初の頃は溌剌としおり、結構評判が良かったのだろう。沸き返る拍手が良く聞える。同世代のアバドやメータにやや遅れてニューイヤーコンサートの舞台に登場したムーティは、以後、6回も登場することになる(2021年現在)。これはメータを抜き、80年代に毎年登場していたマゼールを除けば、1980年以降で最も多い。その最初となる1994年の演奏は、いつものように強弱をはっきりとつけ、陽光と影がくっきりと表れるイタリア風。

この「珍しい曲ばかりを並べる」傾向は、それが自分の方針であると言わんばかりに再現される。1997年の前半のプログラムは、「モーター・ワルツ 」、ポルカ「帝都はひとつ、ウィーンはひとつ」、「キャリアのポルカ」、ポルカ「女心」、ワルツ「宮廷舞踏会」、ポルカ「閃光」、ポルカ「インドの舞姫」。しっとりとした曲が溶け合うように並べられているので、バックグラウンドに流しっぱなしにして聞くのに合っている。ムーティの音楽は、有名曲ではなくてもすみずみにまで考え抜かれ、細部でもおろそかにしない。そういう真摯な姿勢がオーケストラにも聴衆にも評価されたのだろう。

第1部冒頭はあえかな序奏で始まるワルツ、後半は威勢のいい序曲で始まるのも特長だ。そのあと再び珍しいポルカの合間には、比較的よく知られた(と言っても「超」有名曲でもない)ワルツが演奏されていく。1993年は「レモンの花咲くところ」と「トランスアクツィオン」、1997年は「人生を楽しめ」と「ディナミーデン」、2000年は(いずれも第1部で)「入り江のワルツ」と「愛の歌」といったところ。

興味深いのは、ムーティ指揮による演奏が、時間が経つにつれて次第に耳に馴染み、なかなかいい演奏会になることである。これは3回に共通する。そして回数を経るごとに、これまた次第にこなれたいい演奏会になっていった。2000年のコンサートは、ムーティの中ではベストの一つだろうと思う。プログラムも優れており、「入江のワルツ」に始まる演目に耳を傾けている間中、丁度いいお正月のほろ酔い気分が持続する。後半になってスッペの「ウィーンの朝・昼・晩」で威勢よく幕が開き、それはまるでヴェルディの初期の作品のようでもあると感心していたら、ワルツ「酒、女、歌」の、通常は省略される長い序奏が続いた後に、お馴染みのメロディーが聞こえてくるあたり、とてもいい感じなのである。

珍しい曲にスポットがあてる方針は、以降の、特に初登場の若い指揮者に顕著なものとなった。下手に有名曲を指揮すると、往年の巨匠の演奏と比較されるのを避ける狙いがあるのではないか、といった穿った見方もできなくはない。ただムーティに始まる(と思う)この確信的なプログラム構成により、より多くのウィンナ・ワルツやポルカを聞けるようになった。特にムーティは、綿密に曲を選んでいると思うようなところがある。曲そのものの性格を良く捉えており、曲順も実に麗しい。ただ、過去のニューイヤーコンサートを、そう何度も繰り返し聞くこともないので、よほど印象の強い曲でないと頭に残ることはないのも確かなのだが。

 

【収録曲(1993年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ジャーナリスト」作品321
2. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「外交官」作品448
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「すみれ」作品132
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「何か小さなもの」作品190
5. ランナー:「シュタイヤー風舞曲」作品165
6. ヨハン・シュトラウス1世:「シュペアル・ギャロップ」作品42
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「インディゴと40人の盗賊」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「レモンの花咲くところ(美しきイタリア)」作品364
9. ランナー:「ハンス・イェルゲル・ポルカ」作品141
10. ヨハン・シュトラウス2世:「クリップ・クラップ・ギャロップ」作品466
11. ヨハン・シュトラウス2世:「エジプト行進曲」作品335
12. ヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス:ピツィカート・ポルカ
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「トランスアクツィオン(民事訴訟)」作品184
12. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「狩り」作品373
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
15. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228 

※CDでは 「何か小さなもの」、「レモンの花咲くところ」が省略されてる。

【収録曲(1997年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「モーター・ワルツ」作品265
2. ヨハン・シュトラウス2世: ポルカ「帝都はひとつ、ウィーンはひとつ」作品291
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「カリエール」作品200
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「女心」作品166
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「宮廷舞踏会」作品298
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「閃光」作品271
7. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「インドの舞姫」作品351
8. スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「人生を楽しめ」作品340
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「パトロネス」作品286
11. ヘルメスベルガー:ポルカ「軽い足どり」
12. ヨハン・シュトラウス2世:「新ピチカート・ポルカ」作品449
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「蜃気楼」作品330
14. ヨハン・シュトラウス2世:「ロシア風行進幻想曲」作品426
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ディナミーデン」作品173
16. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「前へ!」作品127
17. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「短いことづて(新聞コラム)」作品240
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19.ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2000年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「入江のワルツ」作品411
2. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「ヘレネン・ポルカ」作品203
3. ヨハン・シュトラウス2世:「アルビオン・ポルカ」作品102
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「愛の歌」作品114
5. ヨハン・シュトラウス2世:歌劇「騎士パスマン」より「チャルダーシュ」
6. エドゥアルド・シュトラウス:ポルカ・シュネル「駅伝馬車で」作品259
7. スッペ:喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲
8. エドゥアルド・シュトラウス:フランス風ポルカ「プラハに挨拶」作品144
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒、女、歌」作品333
10. ヨハン・シュトラウス2世:「ペルシャ行進曲」作品289
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品204
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「訴訟」作品294
13. ヨーゼフ・シュトラウス:フランス風ポルカ「芸術家の挨拶」作品274
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「マリエン・クレンゲ」作品214
15. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「ハンガリー万歳」作品332
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「ドナウ川の岸から」作品356
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:ラデツキー行進曲 作品228


2021年2月19日金曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(8)ズビン・メータ(1990, 1995, 1998)

1987年カラヤン、1988年アバド、1989年クライバーと、年変わりで指揮者が登場するようになった。そして1990年のニューイヤーコンサートは、ズビン・メータが指揮することになった。そしてここからニューイヤーコンサートは、以前にも増して国際的な演奏会へと発展する。ウィーンに学んだとは言え、オーストリア人でもなければウィーン国立歌劇場の音楽監督経験者でもないアジア人が、初の晴れ舞台に立った。以降、1992年のクライバーの再登場を除き、ムーティ、マゼールと3人のローテーションが20世紀の最後の十年を彩る。

メータの指揮も喜びと生気に溢れ、清々しい。ウィーン・フィルも乗っている。このようなコンサートを指揮するメータは、なかなかいい、と聴衆を含め思った事だろう。でなければ、以後、計5回(2015年まで)にも及ぶ登場はなかったと思われる。

1990年のコンサートの特長を一言で言えば、プログラムがいいことだ。まず、「ジプシー男爵」の入場行進曲で幕を開ける。他の指揮者を含め、次第に遅くなっていくワルツやポルカ・マズルカの演奏が、この頃のメータでは停滞せずにさっさと進むのがいい。第2曲「モダンな女」も健康的で若々しい。そして第3曲目、ギャロップ「インド人」は、どう考えてもメータを意識した作品だが、今となっては人種をことさら強調したプログラムは差別的と捉えかねないところだろう。だがメータは陽気にこの曲を指揮している。

4曲目になっていよいよワルツの登場である。取り上げた作品は「ドナウの乙女」というやや地味な作品。けれどもメータの演奏は、このような作品でも明るく飽きずに聞かせるあたりがなかなかいいのである。つまりはシュトラウス作品のツボを心得ているとでも言うべきか、そもそもそんな深刻な音楽でもなく、どんどん先に進んでいけばいいのである。そして前半は「スポーツ・ポルカ」で締めくくられる。我が国では運動会の徒競走あたりでかかっていそうな曲である。

第2部の最初はスッペで、「ウィーンの朝・昼・晩」序曲だったが、CDでは犠牲になっている。これは残念なので、できればDVDで鑑賞したいところ。以降の演目では、「ウィーン気質」での肩の凝らない演奏や、「破壊ポルカ」「突進ポルカ」「爆発ポルカ」といった、題名だけでも驚くような終盤に向けたポルカの連続に飽きることはない。メータ自身大いに気を良くしたのであろう。アンコールにかけてあまりに聴衆に愛嬌を振り向くものだから、テレビ中継が予定された時間内に収まらず、「ラデツキー行進曲」が尻切れになってしまったのである。

明るく威勢のいい指揮ぶりは、2回目の登場となった1995年の演奏でも健在である。前回同様、行進曲で幕を開けるとポルカが2曲。そして名曲「朝の新聞」へと続く。1990年との違いは、珍しい曲が増えたことだが、あまり知られていないマズルカ風ポルカ(「手に手をとって」)やワルツ(「メフィストの地獄の叫び」)などでも、楽天的な演奏で聞く者を惹きつけるあたり、メータの演奏の特性が最大限に生かされている。私はこの1995年の演奏が、メータによるニューイヤーコンサートの最高峰だと考えている。

このメータ2回目のコンサートをテレビで見たのは、上京して3年目となる独身寮でのことだった。私は当時、お正月も出勤する必要がある勤務だったが、元日の夜は普通に過ごしていた。この年の3月にはニューヨークへの転勤が決まっていたので、来年は米国で見ることになるな、などと思っていた。ライブだとすると、その放送は早朝になるが、果たしてそのような放送局はあるのだろうか、などと考えていた。その半月後に、私の実家のある兵庫県南部を大地震が襲った。

底抜けに陽気なメータの演奏は、1998年にも再現されることになった。行進曲「われらの旗がなびく所」で始まるとわくわくする雰囲気に一気に包まれる。この年に演奏されたワルツは「美しく青きドナウ」を含め5曲もあり、さらにオペレッタの序曲が1つ。ヘルメスベルガーによるわずか1曲を除き、すべてシュトラウス一家の作品で占められている。このコンサートでは、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」と「アンネン・ポルカ」でウィーン少年合唱団による歌声を聞くことができる。

面白いのは「ニュー・メロディー・カドリーユ」という作品で、これはイタリアのオペラから有名メロディーをつなぎ合わせたような作品。シュトラウス作品の安直さをさらけ出すようなところもあるけれど、これを聞いていたらいっとき流行した「Hooked On Classic」を思い出した。

90年代の3回に及ぶメータ指揮によるニューイヤーコンサートの特長は、特にゆっくりとしたポルカの打ち解けた明るさだろう。1998年は全部で19曲もあるのだが、ほろ酔い気分のままあっという間に進行する。白痴的なまでの明るさをメータの演奏に感じるのは、久しぶりだと思った。そして、毎年必ず演奏される「美しく青きドナウ」に関しては、メータの演奏が最高だと思っている。どの年も素晴らしい(ただし1998年はやや平凡)。そして2000年代に入ってからも、メータは何度か登場している(2007年と2015年)。これらについては別に記そうと思う。


 【収録曲(1990年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」より入場行進曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「モダンな女」作品282
3. ヨハン・シュトラウス1世:ギャロップ「インド人」作品111
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ドナウの乙女」作品427
5. ヨーゼフ・シュトラウス:「スポーツ・ポルカ」作品170
6. スッペ:喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲
7. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「思いやり」作品73
8. ヨハン・シュトラウス2世: ワルツ「ウィーン気質」作品354
9. ヨハン・シュトラウス2世: 「取り壊しポルカ」作品269
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「突進」作品348
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
12. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
13. ヨハン・シュトラウス2世:「爆発ポルカ」作品43
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「短いことづて」作品240
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
16. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDでは後半のプログラムから「ウィーンの朝・昼・晩」と「破壊ポルカ」の2曲が省略されている。

【収録曲(1995年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「騎士行進曲」作品428
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「手に手をとって」作品215
3. ヨーゼフ・ランナー:「お気に入りポルカ」作品201
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「朝の新聞」作品279
5. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「訴訟」作品294
6. スッペ:喜歌劇「山賊の仕業」序曲
7. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「メフィストの地獄の叫び」作品101
9. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「タリア」作品195
10. エドゥアルド・シュトラウス:ポルカ・シュネル「電気的」
11. ヨハン・シュトラウス1世:ポルカ「アリス」作品238
12. ヨハン・シュトラウス2世:「ロシアの行進曲的幻想曲」作品353
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「わが人生は愛と喜び」作品263
14. ヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス&エドゥアルド・シュトラウス:射撃のカドリーユ
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「休暇旅行で」作品133
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
17. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDでは少なくとも後半の冒頭、スッペの喜歌劇「山賊の仕業」序曲が省略されている。また曲順が微妙に入れ替えられている。

 【収録曲(1998年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:行進曲「われらの旗がなびく所」作品473
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「蛾」作品157
3. ヘルメスベルガー:ギャロップ「小さな公告」
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「浮かぶ聖処女」作品110
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「気晴らし」作品216
6. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「北海の絵」作品390
7. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
8. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「メトシュラ王子」序曲
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンのボンボン」作品307
10. ヨハン・シュトラウス1世:「マリアンカ・ポルカ」作品173
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「故郷にて」作品231
12. ヨハン・シュトラウス2世:「アンネン・ポルカ」作品117
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「おしゃべりなかわいい口」作品245
14. ヨハン・シュトラウス2世:「ニュー・メロディー・カドリーユ」作品254
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「南国のバラ」作品388
16. エドゥアルド・シュトラウス:ポルカ「テープは切られた」作品45
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「前進せよ!」作品383
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CD2枚組(RCA)に全曲が収められている。

2021年2月12日金曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(7)カルロス・クライバー(1989, 1992)

カラヤン、アバドに続く1989年のニューイヤーコンサートに、何とあのカルロス・クライバーが起用されると発表されたのは、センセーショナルなニュースだった。カルロス・クライバーは1970年代に、ウィーン・フィルとベートーヴェンの交響曲を突如として録音し、そのディスクは歴史的な評価を受けている。当時はまだデビューしたての若い指揮者で、その後も数多くの録音がリリースされるのではと思いきや、レパートリーはごく少数の名曲に限定され、それらの作品でさえ実際に指揮台に立って演奏することは極めて稀だった。指揮をすれば、たちまち大名演となることは確実で、刹那的とさえ思われるほどの熱狂と一切の妥協を許さない完璧な躍動が、そこには現れるのだった。

そんなクライバーの、まさに十指にも収まるほどのレパートリーの中に、ミュンヘンで大評判だった「こうもり」がある。「トリスタンとイゾルデ」や「オテロ」、「ラ・ボエーム」といった超名作だけが並ぶそのレパートリーの中にあって、オペレッタの名曲が登場するのである。だが彼のシュトラウスの演奏はそれだけで、その他にワルツを指揮したという話は聞かない。父親のエーリヒには、ウィンナ・ワルツの演奏が残っているが、その一家とともに南米に逃れたカルロスは、国籍こそオーストリアだったもののウィーンゆかりの指揮者というわけでもなかった。

お正月の全世界が注目するコンサートに、本当に出演してくれるのだろうか、というのが熱心なファンだけでなく、関係者一同の心配事で、それはリハーサルを終えてもなお、現実的な問題として存在していた。なにせ数々の「前科」がある。ウィーン・フィルとも「田園」を指揮する予定だった定期演奏会の直前にホテルから逃亡した事件は、新聞の表紙を飾る大事件として記憶も生々しかったのである。そんな指揮者に再度アプローチをかけたのだから、ウィーン・フィルの情熱も大したものである。

昭和天皇の崩御を直前に控えた自粛ムードの中で、昭和64年の元旦を迎えた。NHKはこの年から、前半の第1部のプログラムをFM放送で流すことになった。衛星中継による映像は第2部からで、これは教育テレビ。したがって私を含む熱心なファンは、まず午後7時前にラジオのスイッチを入れる必要があった。本当にクライバーが予定通り指揮台に立つか、それを確認するために、私もFMチューナーにスイッチを入れ、ステレオの前に腰掛けた。冒頭のプログラムは、「加速度円舞曲」だった。リズム処理の巧妙さを感じさせる作品で、クライバーにうってつけの曲目が並ぶ。

コンサートは合間に拍手を挟みながら、淡々と進んだ。「田園ポルカ」、ワルツ「我が家で」、そしてポルカ・マズルカ「とんぼ」が始まった。この演奏を聞いて私は、これままさにあのクレメンス・クラウスの演奏の焼き直しではないかと思った。とにかく聞き惚れているうちに、あっという間に前半最後を飾るプログラム「こうもり」序曲が終わってしまった。「こうもり」の名演奏はバイエルン国立歌劇場管弦楽団となされていて、来日自のコンサートのアンコールでも演奏されている。私も聞いたその表現とまったく同じものを、ウィーン・フィルと演奏している。

このコンサートでも、クライバーはウィーン・フィルと、一時の妥協も許されない完璧な演奏を目指していた。それがニューイヤーコンサートの、お正月のマチネーのややくだけた雰囲気を、緊張と陶酔が渦巻く世界へと一変させた。さて映像で見るコンサートは、一体どんなものになるのか。クライバーの流麗な指揮姿を早く見てみたいと思った。

第2部になって、テレビ映像に映し出されたのは紛れもなくクライバーのエレガントな指揮姿だった。後半の最初のプログラム、ワルツ「芸術家の生涯」をかたずを飲んで見守る。極度の緊張を隠しつつ、オーボエが冒頭のメランコリックなメロディーを奏でる。クラリネットがそれを引き継ぐ。やがて弦がその旋律をなぞる。この時の、集中力をはらみながらもあくまで優雅な音。そして刻まれる3拍子の強弱を若干強めたアクセント。その緊張と弛緩。まさにこれはウィーンの伝統として、かつてクラウスが残した演奏そのものの姿だった。ここには精緻に再現されたワルツの伝統が存在していた。

このようにしてコンサートは進み、ずっと指揮姿に酔いしれたいという思いがしたものの、いつも通りいくつかのバレエ映像も挟まれる。メリハリのある指揮に合わせるため、何かダンサーたちにもその緊張感が伝わってくるような感じがした。それはテレビ映像のスイッチングやウィーン・フィルの楽団員にも感じられ、ポルカ「クラップフェンの森で」で使われるカッコウの鳴き声にまで、それは及んだ。これではニューイヤーコンサートにお馴染みの、おふざけシーンなどが演出される余地などない。その代わり、一気呵成に聴衆を酔わせながら、「騎士パズマンのチャールダーシュ」、「おしゃべりなかわいい口」と進み、アンコールの第1曲、「騎手」までの、ポルカ・シュネルが連続する頃には、会場は歓声の渦に包まれた。

それまでにない陶酔の時間を、できればまた一度味わいたいと誰もが思ったのだろう。何とクライバーは3年後の1992年にも再びニューイヤーコンサートの指揮台に立つのである。だがこれは事前に予定されていたわけではなかった。1992年の指揮者は、かねてからレナード・バーンスタインになる予定だった。しかしバーンスタインは、1990年10月に死去してしまう。エンターテイメント精神溢れるバーンスタインにウィンナ・ワルツが似合うかどうかはともかく、もし実現していたら、これはこれで見ごたえのある演奏家になったことだろう。しかしバーンスタインがいなくなったことで、ウィーン・フィルはクライバーに白羽の矢を立てたのである。1回限りと思われていたクライバーの再登場は、このようにして現実のものとなった。

1992年、2回目のクライバーよによるニューイヤーコンサートの最初の演目は、オットー・ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」で始まった。1989年のコンサートでは、全曲がシュトラウス兄弟の作品で占められたが、2度目の登場ではわずかにこの曲だけが、シュトラウス作品ではない。しかし、このウィーン・フィル設立者の作品は、このようなコンサートに相応しい。丸で霧の中に立ちのぼるような序奏で始まるこの演奏こそ、私はクライバーによる一連コンサートの中での白眉だったと思っている。うれしいことにこの頃から、NHKは第1部からテレビでの放映をしていた。

2回目での「事件」は、おそらくポルカ「観光列車」でクライバーにラッパを吹かせたことだろう。もともとカルロスには、このような演出に迎合し、自らが道化と化すことにはもっとも縁遠いようなところがある。はにかみ屋であることに加え、ちょっと躁鬱気味のクライバーは、表現される音楽で聴衆を酔わせる演奏の裏で、きわめて醒めた、ニヒルな感覚を漂わせている。このことが露わになったのである。クライバーに何もそこまでやらせなくてもいいのに。私は見ていて痛々しくもあった。

「美しく青きドナウ」の冒頭で、控えめな最低限の「新年のあいさつ」をこなした彼は、通常通りこのオーストリア第2の国歌との言うべきワルツを指揮するのだが、ここではクライバーの独自性は後退し、ウィーン・フィルの時間が訪れた。この曲だけは(とウィーン・フィルの楽団員が思ったかどうか知らないが)、私たち流にやらせていただきますよ、とでも言わんばかりに、この「青きドナウ」は特徴がない。だがそれを含め、クライバーの2回の登場は、このコンサート史上に語り継がれるものだろう。その他の曲では、ポルカ「町と田舎」の風情溢れる演奏と、十八番「雷鳴と稲妻」が心に残る。

あれから30年が経過し、今クライバーのニューイヤーコンサートの演奏を聞くと、確かに稀有の名演奏であると思う一方で、少し冷静に見ている自分に気付く。クラウスや父の演奏スタイルを正確に蘇らせ、その「演出された熱狂」の瞬間は、紛れもなくこの上ない陶酔の時間だった。しかし醒めて見ると、あの気持ちは何だったのだろう。元帥婦人が昔の日々を振り返るかのように、過ぎ去った情熱の日々が懐かしくもありつつ、それは過去の特別な時間だったことにも気付く。思えば、これがクライバーの表現だったのだろう。過ぎ去った時間は巻き戻せない。音楽は時間と共に消えいく。クライバーにとっての誤算は、技術が過去の演奏を記録して再現してしまう時代に生きていたことだ。それによって彼は完璧な「伝説の指揮者」になりそこねた。

しかし我々は、おかげでクライバーの指揮姿を、彼の死後にも映像で楽しむことができる。強いて言えば、1989年のコンサートの方が良かったと思う。ビデオでは1989年、音だけで楽しむなら1992年といった感じである。

 

【収録曲(1989年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「加速度円舞曲」作品234
2. ヨハン・シュトラウス2世:「田園のポルカ」作品276
3. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「わが家で」作品361
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「とんぼ」作品204
5. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
6. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
7. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「風車」作品57
8. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「ハンガリー万歳!」作品332
9. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「クラップフェンの森で」作品336
10. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
11. ピチカート・ポルカ
12. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「騎士パズマン」よりチャルダーシュ
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「おしゃべりなかわいい口」作品245
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「騎手」作品278
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
16. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDは2枚組。91年を加えた3枚組もある(ソニー)。映像ドイツ・グラモフォンより発売された。

【収録曲(1992年)】
1. ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「町と田舎」作品322
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
4. ヨーゼフ・シュトラウス:「鍛冶屋のポルカ」作品269
5. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「観光列車」作品281
6. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
7. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「千夜一夜物語」作品346
8. ヨハン・シュトラウス2世:「新ピチカート・ポルカ」作品449
9. ヨハン・シュトラウス2世:「ペルシャ行進曲」作品289
10. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
13. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「騎手」作品278
14. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
15. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※92年のCDは「鍛冶屋のポルカ」、ポルカ「騎手」が省略された。DVD(フィリップス)ではこれらを含むすべての曲目が収録されている。



2021年2月9日火曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(6)クラウディオ・アバド(1988, 1991)

イタリア人として初めて、クラウディオ・アバドがニューイヤーコンサートの舞台に登場したとき、このコンサートも新しい時代に入ったと思った。アバドは取り立てて何をするわけでもないのだが、飾り気がなく実直な人柄と、高圧的でない民主的な指揮ぶりでウィーン・フィルには大いに好かれていたのだろう。その様子は録音された音楽からもうかがえる。

カラヤンとクライバーという奇跡的な演奏の間に挟まれて、アバドのニューイヤーコンサートは影が薄く、発売されているCDも今では手に入らないため、私はいくつかのディスクから、1988年と1991年に演奏された曲目をかき集めることになった。曲順は入れ替えられ、いくつかの目立たない作品は削除されている。実際、テレビで生放送を見た時も、有名曲が並んだカラヤンとは打って変わって、珍しい作品が並んでいた。例えば1988年の冒頭は、何とエミール・フォン・レズニチェクという後期ロマン派のオーストリアの作曲家の歌劇「ドンナ・ディアナ」序曲で開始されている。この年も後半からテレビ中継されたが、その中ではウィーン少年合唱団が「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を歌ったのが目立ったくらいで、他に印象に残る部分はなかった。だが今、改めて聞き直してみると、なかなか素敵な演奏である。そのことは、気取らず自然に、そして楽しげにウィーン・フィルが演奏している様子からもはっきりと伺える。

全2回のうちの最初、1988年のプログラムでは、イタリアを意識した作品が登場する。例えば「仮面舞踏会のカドリーユ」はヨハン・シュトラウス2世の作品だが、ヴェルディの同名のオペラを意識した作品であり、ワルツ「レモンの花咲くところ」とはまさに、イタリアのことだろう。そういうわけで、明るく楽しい作品が目立つ。特にポルカのうちとけた様子は、今聞いてもなかなかいい。「休暇旅行で」での楽団員の歓声も瑞々しく、前半最後の「狩り」の鉄砲音が、会場に目一杯鳴り響くのは、あのボスコフスキーの演奏を思い出す。アンコールの第1番目「山賊のギャロップ」でもまた効果音がもの凄い!

このように、1988年のアバドによるコンサートは、実際にはとてもいい雰囲気のコンサートで、今もって新鮮さを失っていない。他にも地味ながら美しいワルツ「もろびと手を取り」やワルツ「人生を楽しめ」など、聞きどころは多い。それに比べると2回目となる1991年のコンサートは、もしかすると失敗である。なぜならそこには、シュトラウス一家意外の作品ばかりが並んでいるからである。この1991年の演奏は、DVDで発売されている。しかし1988年のコンサートに比べ、いっそう目立たず、存在感が薄いのはプログラムのせいだ。私たちはそもそもシュトラウスの作品、少なくともウィンナ・ワルツやポルカの、あの耳に心地よい、デザートのような音楽を年一回は聞きたいのだから。

1991年の冒頭は、何とロッシーニである。アバドのロッシーニは定評があるが、何もニューイヤーコンサートで聞きたいわけではない。しかもその後にはシューベルトの曲が2曲。後半にはモーツァルトの舞曲が3曲も続く。名演奏だった「水彩画」にはバレエが挿入され、結局「皇帝円舞曲」を除けば、何を聞いたのかわからなくなる。そもそもニューイヤーコンサートで演奏されるウィンナ・ワルツ以外の作品の演奏で、感心したものはほとんどない。これはアバドに限ったことではない。いや、アバドも含め、演奏そのものは悪くはないのだが、シュトラウスの作品の中に混じるのには違和感があるというのが正しい言い方かも知れない。

ただ、どうやらこのあたりから、シュトラウスの隠れた作品がよく登場するようになった。シュトラウス一家の中でも、影が薄かったヨハン・シュトラウス1世、エドゥアルド・シュトラウス、そしてヨーゼフ・ランナーの作品まで登場するのである。中にはニューイヤーコンサート初登場の作品もある。アバドは、隠れた作品を取り上げて演奏することがよくあったが、ニューイヤーコンサートでもそれを実践したのである。確かに毎年、同じような曲ばかりだとマンネリ化するのは事実である。そういった工夫は大いに歓迎するが、つまらない作品も多いのも事実で、選曲が難しいところではないかと思われる。

アバドはこの頃からベルリン・フィルの芸術監督として多忙を極め、2000年には癌を患って、二度とニューイヤーコンサートの指揮台に立つことはなかった。病から復帰後のアバドは、好きな仲間と好きな曲だけを指揮する傾向が強まった。その中にウィンナ・ワルツは含まれなかった。それでももう一度くらいは、ニューイヤーコンサートの指揮台に立ってほしかったと思う。それもかなわないまま、アバドは2014年に亡くなった。

 

【収録曲(1988年)】
1. レズニチェク:歌劇「ドンナ・ディアナ」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「燃える恋」作品129
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「休暇旅行で」作品133
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「レモンの花咲くところ」作品364
5. ヨハン・シュトラウス2世:「狩りのポルカ」作品373
6. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲
7. ヨハン・シュトラウス2世:「新ピチカート・ポルカ」作品449
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「人生を楽しめ」作品340
9. ヨハン・シュトラウス2世:「仮面舞踏会のカドリーユ」作品272
10. ヨハン・シュトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
11. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「浮気心」作品319
12. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「もろびと手をとり」作品443
13. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」作品257
14. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「大急ぎで」作品230
15. ヨハン・シュトラウス2世:「山賊のギャロップ」作品378
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
17. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※「トリッチ・トラッチ・ポルカ」とポルカ「浮気心」ではウィーン少年合唱団が参加している。また、このCDでは、ワルツ「レモンの花咲くところ」とポルカ「狩り」が省略されている。これらは別のCDで聞くことができる。

【収録曲(1991年)】
1. ロッシーニ:歌劇「どろぼうかささぎ」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「踊るミューズ」作品266
3. シューベルト:「ギャロップと8つのエコセーズ」D537よりポルカ(マデルナ編)
4. シューベルト:「ギャロップと8つのエコセーズ」D537よりギャロップ(マデルナ編)
5. ヨーゼフ・ランナー:ワルツ「求婚者」作品103
6. ヨハン・シュトラウス1世:「ため息のギャロップ」作品9
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「くるまば草」序曲
8. モーツァルト:コントルダンス「もう飛ぶまいぞ」K609より第1番
9. モーツァルト:コントルダンス「もう飛ぶまいぞ」K609より第3番
10. モーツァルト:ドイツ舞曲K605より第3番「そり滑り」
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「水彩画」作品258
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「百発百中」作品326
13. エドュアルド・シュトラウス:「カルメンのカドリーユ」作品134
14. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
15. ヨハン・シュトラウス1世;ポルカ「ピーフケとプーフケ」
15. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「狂乱のポルカ」作品260
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「恋と踊りに熱中」作品393
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

※CDでは冒頭に演奏されたロッシーニの歌劇「どろぼうかささぎ」序曲、及びヨハン・シュトラウス1世のポルカ「ピーフケとプーフケ」が省略されているのは妥当なところ。実演をそのまま収録したDVDには、これらの曲を含め、オリジナルの曲順で収録されている。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...