2022年12月25日日曜日

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)(カルロ・マリア・ジュリーニ指揮シカゴ交響楽団)

今年はラヴェルの作品を多く取り上げた。このブログの音楽記事は歌劇と管弦楽曲を中心に構成しているが、独特の機能美と構成の巧みさで、父はスイス、母はバスクという辺境の地にゆかりを持ち、ローマ大賞の選考にも漏れるといった数々の事件にも見舞われながら、多くの野心的作品を生み出していったラヴェルは、フランス音楽の大所というべき存在だと思っている。

そのラヴェルの、もう一つの作品ともいうべきものが、組曲「展覧会の絵」である。もともと「展覧会の絵」はロシアの作曲家、ムソルグスキーによるピアノ曲だが、ラヴェルはこの曲を原曲以上に有名な管弦楽曲に仕立て上げた。俗に「管弦楽の魔術師」と言われ、オーケストレーションの巧みさをまざまざと見せつけられる作品は、もしかしたら「展覧会の絵」以上のものはないのかも知れない。

生前には一度も演奏されることのなかったムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」は、19世紀の後半に作曲されているが、これをまずリムスキー=コルサコフが管弦楽曲に編曲している。レスピーギの師匠でもあったリムスキー=コルサコフは、「シェヘラザード」といった曲が有名であるだけの目立たない作曲家のように思われがちだが、後世に大きな影響を残したロシア5人組のひとりとして、重要な作曲家である。

ラヴェルがリムスキー=コルサコフ編に接したのかどうかはよくわからないが、独自の編曲で「展覧会の絵」を世に送り出したのは1922年のことである。このころ彼はは「ラ・ヴァルス」を始め、オーケストラによる斬新なバレエ曲をすでに作曲しており、名声を確立していた。そこで「展覧会の絵」に接したラヴェルは、インスピレーションを刺激されたのだろう。トランペットのファンファーレで始まるこのオーケストラ版は、編曲という新たな音楽的分野を輝かしいものに変え、以降、ストコフスキーを始めとしてチャレンジする作曲家も少なくない。それだけでなく、原曲(ピアノ曲)を演奏するピアニストが多いのも、オーケストラ版の存在が輝かしいからだ。それなら一度、原曲でも聞いてみようか、と。

ラヴェルが編曲した組曲「展覧会の絵」については、もう限りがないほどの録音が知られており、特に機能美の最先端を行く東西のオーケストラ、すなわちベルリン・フィルとシカゴ響に名演奏のものが多い。古くはアルトゥーロ・トスカニーニのモノラル録音盤が決定的な演奏として知られており、私も買って聞いた記憶がある。一切の残響を排し、ぐいぐいとコーダに向かっていく様は、まさにトスカニーニの真骨頂だが、このようなオーケストラの技巧を前面に立てた演奏は、機械化が進むアメリカ東海岸で活躍した多くの東欧系の指揮者が担うこととなった。

まずこの曲をラヴェルに依頼し初演したのが、その後ボストン響のシェフとなるロシア系ユダヤ人セルゲイ・クーセヴィツキである。さらにシカゴ響の音楽監督となったフリッツ・ライナーによる演奏は今もって決定的とされ、トスカニーニがモノラルであることもあってライナー盤の評価はゆるぎないものがある。シカゴ響の指揮者は、このあとゲオルク・ショルティに引き継がれ、彼もまた80年代にこの曲を録音している。音楽雑誌「レコード芸術」の裏表紙にショルティの「展覧会の絵」が掲載されたとき、私を含め数多くの音楽ファンが、この演奏を聞きたいと思った。あるときFMで放送されると知った時は、いつもより高級なテープを用意してエア・チェックに挑んだのは中学生の頃だったか。

シカゴ響による「展覧会の絵」は、このほかに若き日の小澤征爾やカルロ・マリア・ジュリーニによる演奏が有名である。本日ここで取り上げるジュリーニ盤は、そのなかでもちょっとユニークな存在ではないかと思う。なぜならこの演奏は、かなり遅い部類に入るからだ。しかし純音楽的な意味でこの作品をゆったりと鑑賞できる点で、この演奏以上のものを知らない。

ついでに言えば、イタリア系の指揮者による「展覧会の絵」は、フィラデルフィア管弦楽曲を率いたハンガリー系のユージン・オーマンディの後を受け継いだリッカルド・ムーティによりフィリップスにデジタル録音されているが、彼の来日時にテレビで見た「展覧会の絵」の名演奏は何度もその後放映され、わが国では有名である。私もCDをもっているが、トスカニーニからの流れが受け継がれている。

当時のアメリカ東海岸にはヨーロッパから流れてきたユダヤ人演奏家が数多く在籍する技巧的オーケストラが点在しており、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団、アンタル・ドラティ指揮デトロイト交響楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックなど、百家争鳴の状態であった。

ヨーロッパに目を転じると、ここは何種類も存在するヘルベルト・フォン・カラヤンが牛耳るベルリン・フィルとの録音が燦然と輝くが、フランス系の団体も当然のことながら、この曲を得意としていた。その中の最右翼が、エルネスト・アンセルメが指揮するスイス・ロマンド管弦楽団ということになるだろう。デッカによる曇りのない録音が、この曲の代表的演奏とされていた。アンセルメの演奏は、スイス人のシャルル・デュトワに受け継がれ、彼はモントリオール交響楽団で名録音を残している。アンセルメで「キエフの大門」を聞くときは、安普請の家が揺れるなどと言われたものだ。

この後、近年の演奏として記憶に残るのは、ワレリー・ゲルギエフによる2つの録音(うちひとつは珍しいウィーン・フィル)、ベルリン・フィルをカラヤンから受け継いだクラウディオ・アバド、サイモン・ラトルといったあたりが有名である。

組曲「展覧会の絵」は、展覧会場を歩きながら(プロムナード)、ひとつひとつの作品についてその絵から得られたインスピレーションを音楽にしている。冒頭のトランペット・ソロでプロムナードに圧倒的な印象を与えたのはラヴェルだが、その一声だけでこの曲を後世に残る作品に仕立てて見せた功績は、音楽史に残るものだろう。以降、様々な形での「プロムナード」を挟みながら、以下の順に音楽が進む。

プロムナード
1 小人(グノーム)
プロムナード
2 古城
プロムナード
3 テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか
4 ビドロ(牛車)
プロムナード
5 卵の殻をつけた雛の踊り
6 サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ
プロムナード
7 リモージュの市場
8 カタコンベ - ローマ時代の墓 - 死せる言葉による死者への呼びかけ
9 鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー
10 キエフの大門

聞けば聞くほど味わいのある曲になっていくが、ラヴェルの他の曲と同様、ただ旋律をなぞるだけのような演奏は面白くない。この曲の聞き方としては、このようなちょっとした味わいを感じさせるものがあるかどうかで、ただ技巧にのみ頼っている演奏はつまらない。また私は特に、「ビドロ」で小太鼓が次第に音量を増しながら、弦楽器が重い行進曲を奏でるシーンが好きだが、このような曲は原曲のピアノで聞いても楽しくはない。

ジュリーニによる演奏の特徴は、この金管楽器ばかりが鳴り響くような印象の曲に、きっちりと中低音の弦楽器が寄り添い、決しておろそかにしていないことだろう。重心を低く抑えていることで、しっとりと旋律が歌われ、ゆったりとした演奏でも聞きごたえがある。もちろん管楽器はシカゴ響のエキスパートが万全のテクニックを披露しているから、惚れ惚れとするほど上手く、その点でも申し分はない。例えば「カタコンベ」の出だしなどは、トロンボーンのアンサンブルが美しい。つまり完成度の点において、これ以上望めないような水準に達している。

なお、このCDには定番の「はげ山の一夜」が余白に収録されている。これも名演。

2022年12月15日木曜日

シュターツカペレ・ベルリン演奏会(2022年12月6日サントリーホール、クリスティアン・ティーレマン指揮)

最近は新聞を読むことが少なくなった。ニュースに興味がないわけではない。老眼がひどくなり、そこに白内障が追い打ちをかけ、活字を追うのが困難な状況だからである。昨今の新聞記事が面白くないということも、重要な理由である。

それでも大きな活字の見出しと、新刊本や雑誌の広告、さらには特定のコラム、文化欄などには目を通している。今月(2022年12月)の日経朝刊「私の履歴書」は、リッカルド・ムーティである。こういう記事は毎日楽しみにしている。

先月足を運んだ北ドイツ放送フィルのコンサートについては、新聞の広告欄で知った。ネットが情報伝達の主流となった今でも、講演会場前で配られる大量のチラシやダイレクトメール、それに新聞広告は、クラシック通にとっては重要なメディアである。特に売れ残った公演が間近に迫っている場合などは、この広告によって最後の販売促進を狙うのだろう、諦めていたコンサートに目が留まることがたまにある。このようにしてたまたま知った北ドイツ放送フィルの演奏会に関するブログ記事を書き終えて、さて今日は土曜日だから、また何か売れ残っている公演の広告でもでているのではなどと思ってみてみたら、シュターツカペレ・ベルリンのものが出ているではないか!

鉄のカーテンの向こう側、かつて東ドイツの歌劇場専属オーケストラとして、伝統あるいぶし銀の響きを維持してきたこの楽団も、もう30年もの間シェフの地位に君臨するダニエル・バレンボイムによって、さらに磨きのかかったオーケストラへと成長を遂げている、ということになっている。私はかつて10年以上前の来日公演で、ベートーヴェンの交響曲のいくつかを聞いたが、重厚感あるくすんだ音色に、とても懐かしい感じを覚えた(ただ演奏の方は新鮮味に欠けるものだったが)。

この時と大きく異なっていたのは、チケット代が倍ほどにまで高騰していることだった。昨今の円安とインフレにより、クラシック音楽の招聘費用にも影響が出始めているのだろう。このまま行けば聴衆の高齢化も手伝って観客数が激減し、来日公演自体が消滅してしまうのではないか、とさえ恐れてしまう。少しの希望は、ここに来て日本を旅したい外国人の数ははうなぎ上りであり、しかも東京の聴衆の造詣はかなり深いため、あまり心配しなくてもいいという気もする。それでも高騰するチケットが買える一部高齢日本人とアジア諸国の金持ちたちで埋め尽くされることになるような気もする。

バレンボイムはブラームスの交響曲チクルスをプログラムに組んでいた。私も第4交響曲のCD(シカゴ交響楽団)を持っており、なかなか難しいこの曲にあっては、かなりの名演奏。あのカルロス・クライバー盤の右に出るような存在だと思っている。ただ、バレンボイムのコンサートは、結構わが国でも開催されているから、ベルリンのオーケストラと演奏するブラームスのチケットが売れ残っていたとしても、さほど不思議なことではない。かつてのベートーヴェン・チクルスの時だって、確か当日券を買って駆け付けた記憶がある。

ところが広告によると、バレンボイムは健康上の理由により来日できなくなり、急遽、クリスティアン・ティーレマンに交代となったようなのである!この告示には私も驚くと同時に、偶然目にしたのは何かの縁ではないかとさえ思った。S席は35000円という信じられない値段が付けられている。それでも「ぴあ」などにアクセスすると、私が行ける唯一の公演、12月7日のプログラム(交響曲第2番、第1番)はもっとも売れ行きが良いらしく、わずか数席しか残っていない。これは大変なことになってしまった。今後ティーレマンの演奏を生で聞ける機会が、どれほどあるだろうか?思えば40年以上前に初めて自腹で演奏会の切符を買って以来、時間と金銭的余裕のある限り、多くのオーケストラ、指揮者の演奏を聞いてきた。そういう私にとって現代最高の巨匠ともいうべきティーレマンは、「いつかは聞いておかなくてはならない」指揮者となっていた。それも最後の!

そう思った私は、おもむろに「ぴあ」の空席を検索し、1階最後列というS席にしてはちょっと疑問の残る席をクリックしてしまった。舞台正面の席ではある。そして、熊本や大阪での公演、さらには前日の初台でのブルックナーなどは結構な盛況であると見えた。チケットを手に入れてから、私の頭はブラームスの旋律で溢れた。第2番第1楽章の主題。これほど心が安らぐ音楽があるだろうか。あるいは第1交響曲冒頭のティンパニの連打。思えばこの2曲はベルリン・フィルをはじめ、様々な組み合わせで接してきた。私のブラームスの演奏会史にティーレマンの演奏が加わることへの期待が、まるで修学旅行を前にした高校生のように高まっていった。こういう経験は、久しぶりである。

会場はいつもとは若干異なる、ネクタイを締めた身なりのいい人たちで溢れている。彼らは引退した高齢者(ももちろん大勢いたが)ではなく、現役の、それもそこそこ身分の高い給与所得者、ないしは経営者なのだろう。女性の装いが、高級ブランドの服や装飾品で埋め尽くされている。プログラムも有料で2000円もする。それでもこれは、若い頃からの私のコレクションになっているから、今回も清水の舞台から飛び降りる覚悟で買い求め、大切に鞄にしまった。最近では会場でプログラムが読めないのだ。チケットにはまだバレンボイムの名が記されていたが、プログラムは表紙が少々安っぽいものの、ティーレマンと楽団の写真がふんだんに掲載されていて嬉しい。早々にトイレを済ませ、期待に胸を膨らませながら待っていると、オーケストラに引き続き長身のティーレマンが登場した。

プログラムによればティーレマンは1959年西ベルリン生まれ。私より7歳年上である。私はまだベルリンが東西に分かれていた頃、ここを旅行している(1987年)から、町全体が落書きだらけの壁に囲まれた当時の雰囲気を思い出すことができる。シュターツカペレ・ベルリンは当時東側のオーケストラで、わが国にも有名な名指揮者、オトマール・スイトナーがたびたび指揮者を務めており、来日も多かったしベートーヴェン交響曲全集などの録音も有名だった。

そのシュターツカペレ・ベルリンを、何とティーレマンは今年になって初めて指揮したそうだ。東西ドイツが統合してからも、西側の雄ベルリン・フィルにはしばしば登場しているし、もう一つの東側の歴史あるオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデンでは何年もの間、首席指揮者を務めているから、意外と言えば意外であった。

交響曲第2番の明るく伸びやかなホルンのメロディーが聞こえてきたとき、もうこのコンビがすでに長年の関係を続けているようなものに思えた。ティーレマンという指揮者は、長年私にとってなかなかとらえにくい指揮者だったのだが、実は非常に繊細で、しかもフレーズが静かに入ってゆくところなどを、まるで幼児を撫でるような感覚でものすごく丁寧に指揮することがわかった。それがあまりに丁寧なので、音楽の流れが独特の間を持つこととなる。ここが彼の音楽の特徴で、ちょっと違和感を覚えるときがあったものだ。しかし実演に接していると、その有様は、音楽に自然の集中力を与えはするものの、決して壊すことはない。音量はむしろ小さいくらいだし、テンポはゆっくりしている。必要な時には意味深く遅く、かと思えば次第に速くなるなど、あのウィルヘルム・フルトヴェングラーを思い起こさせる。

風貌の点では、フルトヴェングラーというよりもあの大柄な長身、ハンス・クナッパツブッシュに似ている気もするが、いずれにせよこれらの巨匠の演奏は、アーカイブにしか存在しない一時代前のスタイルである。かといってティーレマンの演奏が、これらと同じかと言えばそうではない。陳腐な言い方をすれば、古くて新しいのだ。ティーレマンがなぜこんなに人気があるのかが、わかったような気がした。

だが、ティーレマンが古楽奏法全盛の時代に、まるで遺跡から生き返ったツタンカーメンのように登場してからすでに20年以上が経つ。私はティーレマンがバイロイトで録音した「指輪」のCDをすべて図書館で借りて聞いたのが、この指揮者との出会いだった。この時の上演は、奇抜な演出で物議を醸したものがDVDで先行発売されていたが、DVD会社は音だけのCDのリリースを敢行した。音楽だけを切り取って聞くと、そこは紛れもなく古色蒼然とした、しかし新鮮味のあるワーグナーだった!

今回のブラームスにも同様なことが言える。第2楽章、第3楽章ともどちらかというと静かで精緻な音がバランスよく聞こえてきて、それはあのベルリン・フィルで聞くような大音量でもなければ、ウィーン・フィルの艶のあるものでもないのだが、まるで北ドイツの空を眺めているような、薄日と冷気を帯びた夏の空気が感じられた。ここで聞くブラームスは、ハンブルクのブラームスであった。

第4楽章になるとそれでも音楽は高揚した。次第にテンポを上げていく。アッチェレランドという指定が楽譜にあるのかどうかは知らないが、彼の演奏は懐かしいその響きだった。感情が解き放たれ、輝かしい陽気のうちに演奏が終了したとき、大きな拍手が沸き起こった。こういう演奏が聞きたかったのだ、と皆が納得しているようだった。後半の第1番に期待が大いに膨らんだ。

交響曲第1番は第2番と違い、けた違いの長さと苦悩の上に生み出されたブラームスの野心作だ。ベートーヴェンの影を追い、その記念碑である9曲の交響曲を発展させる作品を書くことが彼のライフワークとなっていた。作曲開始から21年の歳月をかけて第1番は演奏された。その曲は、推敲に推敲を重ねただけのものが感じられ、大成功だっただけでなく、まさにベートーヴェンの延長線上にある曲とみなされることとなった経緯は、随所に詳しい。

一般には、第4楽章にかけて次第に白熱を帯び、最後は圧倒的な興奮が地底から湧き上がるような演奏への期待が高いのだが、よく聞くと非常に抒情的で美しい部分も多く、まるで室内楽を聞いているようなところがある。この点、威勢のいいアレグロとロマンチックな緩徐楽章にはっきり色分けされる古典派のベートーヴェンとは異なる。ブラームスは、ピアノ協奏曲第2番と同様、静かに心を落ち着かせて聞き入ると、その魅力が開いた扉の向こうから静かに溢れてくることに気付く。例えば第2楽章。ここのヴァイオリンのソロと溶け合う瞬間の、息を飲むような美しさなどは、ベートーヴェンの頃にはなかった後期ロマン派のものだ。

ソロが活躍する場面は、冒頭のティンパニに始まり、第3楽章のホルン、それを受け継ぐフルートなど書ききれないほどだが、感動的なのはそれらが一つの大きな宇宙を形成していることだ。絶対音楽としての完全性が、ここに感じられる。数々のソロを含め全体で表現したかったものが、第4楽章になって爆発する。といってもブラームスの爆発は、火山に例えれば溶岩が流れ出すようなものではなく、マグマが地底に溜まって次第に地面を隆起させるようなものだ。

ティーレマンの演奏に話を戻そう。ティーレマンは第2番同様に、ここでも音楽を爆発的な音量にしない。むしろ室内オーケストラのような精緻さで、細かいフレーズのひとつひとつにまで気を配る。楽器が溶け合うこと、複数の楽器がまるで一つの楽器に聞こえるように演奏すること、そして無駄な音が聞こえないようにすること、これらをとりわけ心掛けているように思えた。CDや映像で見るとやや不自然さも醸し出すこのような演奏も、実際に聞いてみると大変新鮮で、もしかすると昔の巨匠指揮者の演奏もこんな感じだったのではないかと思わせるようなところがあった。

私がかつて聞いた同曲の演奏と比較しても、その個性は明らかであった。レナード・バーンスタインがイスラエル・フィルと来日して聞かせたときは、全身全霊を傾けて一心不乱に指揮をしていた姿に目を奪われたが、実際音楽もそのように重厚で大胆であり、興奮を湧き起こすのもだった。一方、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルと共演したときには、この理性的なイタリア人による実に整った演奏で、角の取れたスリムなブラームスだった。それに対しティーレマンは、伝統との調和、個々の奏者との絶妙な融合、その延長にある総合的エネルギーが、豊饒な音楽となって導かれる有様である。ベームとカラヤンの音楽を足したような表現というと、おそらく反論も多いかもしれないが、私としてはそんな印象を持った。

もっとも印象に残った部分を記しておこう。それは第4楽章、あの第九を思わせるメロディーが満を持して出てくるところ。その手前でティーレマンが相当長い休止を取ったことだ。この休止の間中、客席はもちろん物音などひとつも立てず、固唾を飲んで聞き入っている。永遠に続くかと思われたその休止が終わると、静かに、そして確実な足取りで、あのアンダンテのモチーフが滔々と流れてきた。古色蒼然とした中に冴えわたる響き。そこからコーダにかけての時間は、まさに至福の時間だった。

オーケストラが退散しても幾度となく舞台に呼び戻されることとなったのは、当然の展開であった。私はこのコンビが、すでに何年もかけて音楽を作ってきたような完成度に達していると思った。彼は、もしかしたら遅かれ早かれ次期音楽監督にでも就任するのではないだろうか。私はそれを期待する。そしてブラームス、ブルックナー、ワーグナーだけでいい。これらの作曲家の音楽を、繰り返し聞いていたい。

このコンサートを聞き終えて家路を急ぎながら、私はこれほどの大金を支払ってまで聞くクラシック音楽のコンサートは、おそらくもう二度とないだろうと思った。まだ聞いていない指揮者、オーケストラはあるにはあるが、「巨匠」という雰囲気の指揮者は今やどこにもいない。オーケストラはベルリン・フィルを別格として世界中に存在するが、どこも似たような水準で似たような音を出す団体になってしまった。であれば、それほど無理をして聞くこともないわけで、地元のオーケストラや滅多に来日しないようなローカルなオーケストラの方が、発見も楽しみも多いような気がする。ただ残念なのは、これらのオーケストラに足を運ぶ熱心なファンが少なく、プログラムが陳腐なものになりがちなこと。重量級の超一流演奏会は、ニューヨーク、ロンドン、バリ、ベルリン、そしてウィーンなどの世界の数都市(東京は今のところそのひとつだが)における数回の演奏会に限られるが、それを追いかけて行くのは(これまでもしては来なかったが)やめておこうと思う。

過去40年あまりの間に出かけた演奏会は延べ300回程度。全く自慢できる数字ではないが、この中には数々の有名指揮者、そして感動的な演奏会があった。一度それらを順に思い出しながら記録していきたいと考えてきたが、どうやらその時が到来したようである。



2022年12月4日日曜日

ラヴェル:ボレロ(ジャン・マルティノン指揮シカゴ交響楽団、エド・デ・ワールト指揮ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団)

かつて民放のクラシック音楽番組「オーケストラがやって来た」を見ていたら、当時の若手指揮者のひとりだった井上道義が登場して、新日本フィルを相手に「ボレロ」を指揮していた。子供とキャッチボールをする映像が差しはさまれ、さながらこの指揮者の紹介番組といった構成だったが、その時のインタービューで「この曲は単純な3拍子でははく、指揮は大変難しい」といった趣旨のことを言ってたのが印象的だった。長身の彼は長い手を大きく広げ、小さい音量で始まるこの曲の繰り返しのテーマを、必死で指揮している。私はそういうものかなどと感心し、以降、この曲を指揮する指揮者の身振り・手振りに注目するようになった。

NHK交響楽団の音楽監督に、フランス音楽の名手シャルル・デュトワが就任して「ボレロ」を演奏したとき、その身振りの少なさに驚いた。彼はほとんど何もせず、割りばしのような短い指揮棒を、正三角形の形に振っている。それは曲が進み、編成が大きくなるにしたがって、次第に大きくはなっていったが、それでも冷静で気取った感じが漂っていた。同じ「ボレロ」でも、こうも指揮が違うのかと思った。ただどちらの指揮も、大いに目立ちたがり屋の性質を醸しだし、見栄も感じさせるものだったことは共通している。指揮者はまず、そのような虚栄心を本質的に持っているものだと理解した。

そのバレエ音楽「ボレロ」はラヴェルの最後の作品である。ここで驚くべきことは、同じメロディーが小太鼓の規則的なリズムに合わせて、様々な楽器によって繰り返されては次第に大きくなり、最後には突如崩れて終わる。20分弱の間中、この太鼓は常に一定のリズムを刻まなくてはならない。間違いは許されず、指揮も最新の注意を払ってはいるが、基本的にはプレイヤーが集中力を維持するしかない。

最初は木管のソロで始まる静かなメロディーも同じで、楽器の組み合わせだけが変わり、やがては金管楽器を加え、さらには弦楽器、打楽器へと編成が大きくなっていく。上述のテレビ番組では、趣向をこらして演奏中の楽器のみにスポットライトを上部から当て、その組み合わせの移り変わりをわかりやすく紹介してくれた。こういった手の込んだ番組は、いまではほとんど見ることができない。

「ボレロ」はそういうわけで、演奏家泣かせの曲である。各楽器も良く知られた同じメロディーを弾くので、間違うと目立つ。ところが勝手なもので、聞き手は単調なリズムとメロディーに飽きてくる。つまり、単に楽譜通り演奏されただけでは、特徴ある演奏とはならないのだ。これにバレエが付いていればそちらにも目を奪われるが、演奏会ではなかなかそういうことはない。いやバレエだって、相当な緊張を強いられる作品ではないか。そういう意味で、この作品は短いながらも、弾き手にも聞き手にも結構な覚悟を強いる作品である。井上ミッキーの言う通りだ。それをさも軽々しくやっているように指揮するデュトワは、一枚上手の見栄張りではないかと思う。

過去から現在まで「ボレロ」を録音した指揮者は枚挙に暇がない。しかし私のお気に入りは、たった2種類である。ひとつは速く、もう一つは遅い。どちらの演奏もちょっとマイナーな、今となっては入手困難な演奏。そしてこの曲の表現としては、このような速度の違いによる2種類の演奏に大別されると思っている。

速い方の演奏のお気に入りは、ジャン・マルティノンのものである。マルティノンはフランス音楽の代表的巨匠だから、驚く話ではない。だがここで私が取り上げるのはフランスのオーケストラを指揮したものではなく、彼がわずかの期間音楽監督を務めていたシカゴ交響楽団とによる演奏である。彼のシカゴ響との演奏は、その前のフリッツ・ライナーと後のゲオルク・ショルティに挟まれて、ほとんど忘れ去れている。したがって、当時の演奏は熱烈なファン向けのボックス・セットのような形でリリースされている(Spotifyではうまく検索すると聞くことができる。またわが国では、Tower Recordがいくつかの作品を特別にリマスターしてリリースした。私が所有しているのもそれである)。

マルティノンは、終始緊張感を維持しつつも、決してフランス音楽の優雅さを失うことなく、この曲の魅力を最大限に引き出すことに成功している。聞き始めから引き込まれ、単調なメロディーの繰り返しが決して単調にならない不思議な感覚である。録音も60年代としては大変良く、ステレオのサウンドがこの技巧的オーケストラの黄金の響きを伝えてくれる。

一方の遅い方の覇者は、オランダ人の職人的指揮者、エド・デ・ワールト指揮ロッテルダム・フィルによるものである。この演奏はフィリップスによって録音されているが、ほとんど目立つこともなく、今ではどうやって聞くことができるのか皆目わからない。ただ我が国ではこの演奏が有名で、その理由は80年代にホンダ・プレリュードのテレビCMに使われたからである。おそらくCMのディレクターは、安定して峠道を悠然と走行する高級自動車の宣伝に、このデ・ワールトの演奏による「ボレロ」が最も相応しいという結論に達したに違いない。この演奏からでしか感じない一種のオーラが、わずか数十秒に圧縮されている。そのCMは大いにヒットしたのも当然であった。丁度このころは、クラシック音楽が多くのCMに使われていたが、おそらくそのきっかけを作ったのではないかとさえ思っている。そしてそういう曲ばかりを集めたCDが発売された。私が所有しているのは、フィリップスが発売した日本市場向けのTV-CM集である。

長い「ボレロ」の一体どこが、プレリュードにCMに使われたのだろうか。今となっては当時のCMは見ることができないから、推定するしかないのだが、おそらくは最初に弦楽器が登場してくる10分頃のメロディーではないかと思う。あるいはその次か。いずれにせよ、どんな演奏で聞いても最大限の聞き所は、この第1バイオリンがスーッと入ってくる部分だと思う。ディレクターはまた、この部分こそがCMに相応しいと判断した。

デ・ワールトの指揮は、この単純な曲から何かを感じさせてくれる。ゆったりと演奏しているが弛緩せず、フランス以外のオーケストラに見られるようなリズムの機械的惰性にも陥っていない。マリナーが指揮したドイツのオーケストラの演奏など聞くに耐えず、アバドの演奏(ロンドン響)もあまりに直線的で、最後には興奮したオーケストラの自然発生的なうなり声まで聞こえてくる戦慄の演奏だが、ユニークではあるもののウィットが感じられない。

そういうわけで「ボレロ」は難しい。だがこの曲はラヴェルの作品の結晶ともいうべきセンスを感じさせる。体を病んで作曲を進められなくなったラヴェルは1932年、62年の生涯を閉じた。

2022年11月27日日曜日

NDR北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団演奏会(2022年11月23日みなとみらいホール、アンドリュー・マンゼ指揮)

午前6時4分。空が白み始めた東京駅をやまびこ51号盛岡行は静かに出発した。2022年11月25日。私はまたもや東北新幹線の旅人となって北へと向かう。行き先は釜石。東日本大震災の被災地を巡る旅もこれが4回目となる。約1年ぶりとなる今回は、釜石から宮古までを行く。もう11年もたっているのだから、これは被災地旅行というよりも、まだ見ぬ三陸方面への観光旅行である。

第1回目は災害の復興が始まったばかりの2014年頃で、気仙沼の漁港にはプレハブの屋台村が開設され、そこから程遠くないところには大津波を受けて倒れかけたビルや家屋が、まだそのまま残されていた。しかし、今年の1月にはその廃墟も屋台村もすっかり近代的なターミナルやショッピングセンターへと変貌を遂げ、新しくておしゃれなレストランや土産物屋が立ち並んでいた。

上野駅を出るとようやく外が明るくなった。荒川を渡ると遠くに富士山が見えた。満員の始発列車は宇都宮を過ぎても多くのビジネスマンを乗せている。コロナの影響で長く閑散としていた新幹線も、もはや過去のものとなりつつあることを実感する。新花巻駅でローカル線に乗り換え、釜石に着いたのはまだ11時前のことだった。かつて一昼夜かかった東北も、いまでは数時間で行ける。新幹線が開通して以来のことで、これはもう40年が経過したことになる。

釜石へと向かう間中、私の耳はベートーヴェンの交響曲第7番が鳴り響いていた。2日前、新装を終えた横浜みなとみらいホールで聞いた、北ドイツ放送フィルハーモニー交響楽団の演奏があまりに素晴らしかったからである。指揮はイギリス人のアンドリュー・マンゼ。古楽器演奏の指揮者として有名で、ヴァイオリニストでもある。彼が、フォルクスワーゲンの本社がある工業都市ハノーファーのオーケストラである北ドイツ放送フィルの首席指揮者であることを私は知らなかったのだが、ここは大フィルの大植英次が振っていたオーケストラである。

プログラムはまず、ベートーヴェンの劇音楽「エグモント」序曲で幕を開けた。第1音の和音が鳴り響いたとき、ああこれは紛れもなくドイツのベートーヴェンの音だと思った。何とも言えない木製のぬくもりを感じさせる音。古楽器的にビブラートを抑えているから、つやがあって、力強くもあるがしなやか。まずは音色の洗礼を受けた後、推進力をもって進む音楽は、これから始まるコンサートへの期待を最大限に膨らませるものだった。客の入りが少々少ないのが残念なほどだが、おそらくはコロナでプロモーションが遅れたこととも関係があるかも知れない。私もこの演奏会を新聞広告で知った。しかも発売日は、その広告のあった6月から2か月後の8月末だった。

2曲目のプログラムは、ドイツの重鎮、ゲルハルト・オピッツをソリストに迎えてのピアノ協奏曲「皇帝」である。親日家でもあるオピッツは、どこか日本に滞在しているのだろうか、私は昨年にも代役として演奏されたブラームスのピアノ協奏曲第2番も聞いている。コリン・デイヴィスやギュンター・ヴァントといった今は亡き巨匠とのレコーディングもあるピアニストは、しかしながらここで推進力を維持すべく、どちらかというとモダンであっさりと仕上げていく。もたつかない演奏は、ドイツの伝統的な重みのあるものを期待していると裏切られる。だが、オーケストラとの相性を考慮すると、これは当然のこであると思われた。第2楽章の流れるようなメロディーは、どこかメンデルスゾーンを聞いているような感じでさえあった。

休憩を挟んでいよいよ交響曲第7番である。来日メンバーはそう多くなく、典型的な二管編成であり、従って音量はさほど大きくはない。これがビブラートを抑えて演奏されるのだから室内オーケストラを少々大きくした感じではあるが、各楽器の奏者も大変上手く、引き締まったリズムが大柄な指揮者の細かい指示にも機敏に対応していく。決して堅苦しい演奏ではない。たとえば、第1楽章のカデンツァを含めて大活躍する木管楽器は、これぞ本場ドイツのプレイヤーと思えるような、自由闊達に歌い、そして流れに溶け込む。その即興的とも言えるような妙味は、おそらく同じ演奏は2回とないだろう。こういう職人的演奏が生で聞けるから嬉しい。録音だともっとあらたまった演奏になると思う。嬉しいことに主題は繰り返され、2回目ともなるとプレイヤーにも自信が感じられて、その推進力と新鮮さがさらに増大する。

第2楽章の素晴らしさは例えようもなく、指揮者の細かい音量の指示に、実に細かく対応している。この第2楽章はあまりに見事だったので、思い出すだけでもうれしさがこみ上げてくるが、できればもう一度聞いてみたい(アンコールしてほしかったとさえ思う)。第3楽章のスケルツォも申し分なく、きっちりと楽章間で休憩を挟むと、満を持したように流れ出るアレグロ。圧巻のフィナーレは、もう何も言うことはないだろう。客席は高齢者が目立つものの、拍手はしっかり熱狂的で、コロナ流行下でなかったら熱烈なブラボーが出たことだろうと思われる。

一連の最終公演となったこの横浜でも、アンコールに演奏されたのは何とスウェーデンの作曲家アルヴェーンのバレエ音楽「山の王」から「羊飼いの娘の踊り」という曲。オール・ベートーヴェン・プログラムの最後に北欧の音楽を演奏するというのも粋な話だが、確かにオーケストラのより明るく透明な響きが前面に出て、ちょっと固めのドイツ音楽とのさりげない対比を示して見せた、ということだろうか。

26回目の結婚記念日だったこの日の演奏会は、あいにく冷たい雨の降る一日となった。賑やかなみなとみらい地区のカフェで時間をつぶしたあとは、関内にあるフレンチ・レストランに移動して妻と二人だけで祝杯を挙げた。今年も残すところ1か月余りとなった。今年最後のコンサートは、東北3県を巡る今回の旅を終えた12月7日、サントリーホールで開かれるシュターツカペレ・ベルリンのコンサートである。8年ぶりとなる釜石は今回も快晴の陽気で、どこまでも青く深い静かな太平洋を望むことができた。今夜は宮古まで行って龍泉洞近くに泊まる。三陸海岸は、津波のことを忘れるくらいにとても風光明媚なところである、と今回も思った。

2022年11月21日月曜日

R・シュトラウス:楽劇「サロメ」(2022年11月20日サントリーホール、ジョナサン・ノット指揮東京交響楽団)

クラシック音楽のコンサートにおける日本の聴衆は、礼儀正しく大人しい。特にコロナ禍に見舞われてからは、正しくマスクを装着し、ブラボーを叫ぶ人はいない。しかし、今回のコンサートは違った。我慢しきれず、自粛が呼びかけられたブラボーを発する人が少なくなかっただけでなく、終演と同時に立ち上がる人が多数。会場が興奮に満ち溢れ、会心の出来と思われた指揮者、オーケストラ、それに歌手たちが満面の笑みを湛える。東京交響楽団が音楽監督ジョナサン・ノットとともに上演したリヒャルト・シュトラウスの歌劇「サロメ」(演奏会形式)の類稀な大成功は、伝説的な名演として長く語り継がれるであろう。

その様子をここに書き記すことは、大変な労力である。全編に亘って交感神経が張り詰め、近代のドイツ文化が到達したある種の頂点は、丁度サッカーのドイツチームが超攻撃的な攻めを見せるように、私たちを圧倒する。だがそれだけではない。シュトラウスの音楽は精緻で、セリフのすべての物にそのモチーフが付けられている。丁寧にそのひとつひとつを押さえながらも、全体としては一つの流れを終始維持し、緊張が途切れることはない。全一幕の約100分は、そうだとわかっていてもあっというまに経過し、舞台に出入りする歌手の一挙手一頭側に目を凝らしながら、時折字幕を追う。

表題役はリトアニア人のソプラノ、アスミク・グリゴリアンである。彼女は細身の美貌でありながら、強靭な声を終始絶やさず、まさにサロメの当たり役と言える。登場したときは、確かに上手いと思う程度だったが、その声量と歌唱は次第に完成度を増し、さらにはそれを超えてどこまでも圧倒的に聴衆を引き付けた。「7つヴェールの踊り」に至るまでのヘロデとの丁々発止のやり取りは、聞いていても興奮する。踊りのシーンはオーケストラのみの演奏だったが、そこから終演までの歌唱は、鳥肌が立つほどだった。真っ赤な布をヨカナーンの頭部に見立て、その布をスカーフのように身にまとう演出は、猟奇的な生々しさを緩和する一方で、真の愛情に飢えた少女の心情を際立たせるに十分だった。

グリゴリアンの圧倒的な歌唱を支えたのは、他の3人の主役級歌手が、それに劣らず素晴らしかったからだ。すなわち、ヨカナーンを歌ったバスバリトンのトマス・トマソン、サロメの母ヘロディアスを歌ったメゾソプラノのターニャ・アリアーネ・パウムガルトナー、そして巨漢ヘロデ王を歌ったテノールのミカエル・ヴェイニウスである。ヨカナーンは井戸の中から歌うシーンでは、P席上段のオルガンの横にいて神々しく歌い、舞台に上がった時には人間味のある演技である。彼は頑なにサロメの欲求を退ける。

一方、ヘロデとヘロディアスの会話は、この二人の歌手が素晴らしいだけに圧倒的で、激しい夫婦喧嘩もシュトラウスの音楽で聴くと迫力満点。サロメの意地っ張りな態度は、母親譲りということだろうか。真の愛情を知らない親子は、ナラボートを自殺に追いやり、預言者ヨカナーンを処刑し、自らも死刑になる。近親相関と異常性欲が凄まじいエネルギーの中で交錯するオスカー・ワイルドの台本も、その前衛性が物議を醸し、長らく出版が禁じられた。だがシュトラウスは、さらに「エレクトラ」で前衛的手法を押し進めていく。

今回はコンサート形式による演奏だったが、このような演奏は予算の低減につながるため、昨今の流行りではある。オーケストラが舞台上にいるため、音楽の構造がよくわかり、よく聞こえる。半面、歌手の歌声がかき消されることも多いが、今回の上演ではその心配は吹き飛んだ。1階席前方で聞いていたこともあるのだろう。すべての声は直接耳に届く。歌手はむしろ演技を最小限に抑えることで、歌により集中することもできるという効果も生まれる。最近は舞台演出でもごく最低限のものしか置かないような、バジェット的演出が多いため、結局は想像力がいる。そう考えると、コンサート形式でのオペラも悪くはない。とにかく安いのがいい。ただ、「サロメ」は視覚的要素の強い作品だから、一度は舞台で見たいとも思った。

ブックレットによれば今回の上演には演出監修がいて、それは何とトーマス・アレン。彼はモーツァルトのドン・ジョヴァンニを歌っていたバリトン歌手で、私もよくビデオで見たが、何と彼は来日をしており、カーテンコールに登場した。カーテンコールの最中、指揮者ノットは終始興奮した笑顔で、今回のコンサートに大いに満足した様子である。何度も呼びもどされ、それはオーケストラが舞台から去ってもなお続いた。客席が総立ちのまま、何枚もの写真をスマートフォンに収めるのに忙しい。長いオベイジョンが終わって会場を出ると、雨が降っていた。気が付くともう11月も後半である。今年も残すところ、あと1ヶ月余り。コロナウィルスの非日常生活も、3年になろうとしている。

2022年10月26日水曜日

ヴェルディ:歌劇「ファルスタッフ」(東京フィルハーモニー交響楽団第976回サントリー定期シリーズ、2022年10月20日サントリーホール、チョン・ミュンフン指揮)

ヴェルディ最晩年にして最後のオペラ作品である歌劇「ファルスタッフ」は、これまで少し苦手で、CD などで聞いていてもどこか捉えどころがなく、歌が(重唱が多い)長々と続くだけの作品だと思ってきた(ワーグナーに似ている)。しかし、こういう場合、往々にして作品に真正面から向き合っていないことが多い。特に「ファルスタッフ」のような玄人好みの作品になると、その良さを体感できるような一定の技術的水準の名演奏に接することができない限り、その良さが伝わりにくい。

昨年、2022年の定期演奏会のラインナップを知った時、チョン・ミュンフン指揮による「ファルスタッフ」が目に留まった。この演奏会が最大の魅力に感じられた。なぜなら私は、数年前にベートーヴェンの「フィデリオ」を、やはり彼の指揮する同じ東フィルのコンサート(演奏会形式)を経験しており、その演奏は「フィデリオ」の素晴らしさを余すことなく伝え、今もって記憶に残る大名演だったからである。

会社での仕事を早々に切り上げ、満員の地下鉄に飛び乗りコンサート会場へと急ぐ日常が、久しぶりに戻ってきた。昼から忙殺される資料作りや会議などにストレスは高く、これをわずか1時間のうちにクラシック音楽向けの脳に切り替えるのは、なかなか難しい。

会場はほぼ満席。通常 P 席と称されるオーケストラ背面、すなわち舞台向正面の席は、おそらく合唱団が使うのだろう、黒い布で覆われていた。そしてオーケストラは、いつもより舞台後方にぎゅっと詰められており、さながらオーケストラピットのようである。その前に大きくスペースが設けられ、総勢10名もの歌手が出たり入ったりと忙しい。英国ウィンザー城を舞台としたコメディは、何やら小道具がいっぱい使われるが、それらはこの舞台にも用意されているようだ。

19時の開演とともに、オーケストラに引き続いて舞台に登場したのは二人の従者、バルドルフォ(大槻孝志、テノール)とピストーラ(加藤宏隆、バス・バリトン)、それに医師のカイウス(清水徹太郎、テノール)、さらには太鼓腹の巨漢ファルスタッフ(セバスティアン・カターナ、バリトン)である。

チューニングも終わって指揮者を待っていたら、舞台右袖から一人の掃除婦がホウキを掃きながら登場した。彼は居酒屋「ガーター亭」の主人であり、ファルスタッフに酒を注いだりしている。背が低く、いささか貧相な風貌、などと書くと大変失礼な言い方だが、その主人こそマエストロであった。前掛けを指揮台の下にしまい、前奏曲もなくいきなり第一幕の音楽が勢いよく流れてきた時、その明るくて力強いオーケストラの響きにあのジュリーニの名演を思い出した。チョン・ミュンフンは、そういえばジュリーニのアシスタントを務めていた指揮者なのだ。だが、チョンにとって「ファルスタッフ」は、初めて指揮する作品らしい。

ファルスタッフ役のカターナは、その風貌もぴったりのルーマニア人とのことだが、彼の経歴を見ると面白く、何とカーネギー・メロン大学で化学工学を専攻している。しかし歌声は、これほどファルスタッフにぴったりな歌手はいないと思えるような素晴らしさで、その声量は一頭上を行っている。

今回の歌手は、表題役のファルスタッフを除き、すべて日本人。その数は総勢9名である。この日本人歌手たちをどう選んで配役につけたのか、そういった裏方の仕事は、私のような素人には想像もできないが、彼らは全員甲乙がつけがたいもので、今回の演奏の水準が大変なレベルであることを示している。最初、女声陣の声が少し弱いなどと感じたが、それは時間を経ると次第に良くなった。

第1幕第2場では、それまでの男性4名に代わって、女性4名の登場である。ファルスタッフが同じ文面の恋文を授けるメグ(向野由美子、メゾ・ソプラノ)、フォード婦人のアリーチェ(砂川涼子、ソプラノ)、それにアリーチェの娘ナンネッタ(三宅理恵、ソプラノ)、さらにはおせっかいおばさんのクイックリー夫人(中島郁子、メゾ・ソプラノ)。この中では、クイックリー夫人が、その低い声と意地悪おばさんの風貌を生かして、とりわけ印象に残った。

今回の演奏では、丁度真ん中の第2幕第1場を終わった時点で、休憩となる。指揮台のそばに置かれていた丸テーブルや、そこに置かれている酒瓶など、小道具だけではあるがこのようなコメディのストーリーには十分である。チョン自らが演出した、とブックレットには記載されているが、なかなかの面白さで笑いを誘う。もちろん字幕もついている。

第1幕のうちに、残りの人物、すなわち富豪のフォード氏(須藤慎吾、バリトン)、ナンネッタの恋人フェントン(小堀勇介、テノール)も登場するが、もう誰が誰だかわかりにくい。舞台で見ていてもそうなのだから、音楽だけを聴いていると誰が誰と歌っているのか皆目見当がつかなくなる。舞台を見ても字幕を追わないといけないし、字幕に集中しすぎると肝心のストーリーがわからなくなっていく。

ストーリーは事前に大まかな予習を済ませ、会場では字幕を最小限に追いながら、目は歌手の動きに、耳は音楽に集中させるのがいいと思う。ここで演奏会形式の場合、オーケストラが舞台上に上がっていると、ピットに入っている場合と違って音量が大きくなる。劇場の上階で聞いていると、オーケストラの音が直接聞こえてくるのに似てはいるが、この場合は響きがデッドである。サントリーホールのような残響で聞けるオペラ音楽は、なかなか聴きごたえがあると思う。

休憩を挟んだ後半の見どころは、何といってもファルスタッフが洗濯籠に入れられてテムズ川へ投げ込まれるシーンである。そしてなんと、大きな籠が舞台に登場。ファルスタッフはそこへ入って歌う。これほどにまで演技が入るのは、演奏会形式とはいえなかなか例がないのではないかと思う。重唱は舞台空間を広く使って大変見事だが、それを支えるオーケストラが、やはりここでは前面に出ている。そのオーケストラは、舞台下の小空間から解き放たれて生き生きしている。

英国が舞台とはいえ、まるでイタリア人の日常会話をそのまま音楽にしたような作品である。だがそれもひと段落して、第3幕の妖精のシーンともなると、新国立劇場合唱団も加わって大いに見応えがある。レクイエムを彷彿とさせるヴェルディの真骨頂ともいうべき音楽は、まず合唱の男声陣が、次いで女声陣、さらにはフィナーレで全員が登場。もちろん舞台には10名の歌手がずらりと並ぶ。「世の中はすべて冗談」と歌われるフーガは、次々と歌手に歌い継がれ、客席にまで訓告されるという手の込んだもの。このあたり、ヴェルディはオペラという劇場空間を飛び出して、丸で人生哲学を語るかのように、しかしあくまで軽やかに描いて見せる。その鮮やかさ、そして音楽の重厚さ。人生は喜劇、というヴェルディの最晩年の境地が、興に乗った会話と洒落た音楽からほとばしり出る圧巻の大団円は、指揮者が手を挙げ、オーケストラが総立ちになって終了した。 

わが国では珍しいスタンディングオベーション。コロナ下で禁止されているブラヴォーを叫びたくなる気持ちをこらえて、満場の拍手が会場を包む。そして何とコーダの11重唱をアンコール!オーケストラが引き上げても収まらない拍手に応え、マエストロとファルスタッフが登場すると、総立ちとなっている客席からはさらに盛大な拍手が沸き起こった。

長時間でも飽きることはなく、昼間のストレスもどこへやら。非常に満足度の高い演奏会の終演は21時30分を過ぎていた。空腹の状態で帰宅しても何かお腹のなかがいっぱいになったようなコンサートだった。

(2年越しの腰痛の間、中断を余儀なくされた街道歩きを再開するにあたり、栃木県那須町芦野へ向かう朝一番の「やまびこ」の車内にて)

2022年9月27日火曜日

東京都交響楽団第398回プロムナードコンサート(2022年9月23日サントリーホール、小泉和裕指揮)

コロナ禍に見舞われた2020年は、ベートーヴェンの作品が数多く演奏されるはずだった。しかしそれが叶わなくなり、私も大変残念だった。だから、その後徐々に再開されたクラシックのコンサートでベートーヴェンの作品がプログラムにのぼると、私はできるだけ聞きに行こうと思ってきた。奇数番号の交響曲で、この願いはまず達成された。そして今回、「田園」のプログラムが目に留まった。指揮は都響の終身名誉指揮者、小泉和裕。毎年何回か開かれる「プロムナードコンサート」と題された、わずか一夜のみの名曲プログラムは、実のところなかなか充実した名演奏となることが多い。

それにしても「田園交響曲」を聞くのは何年ぶりだろうか。手元のリストを検索してみると、何と2004年にロジャー・ノリントンで聞いて以来であることが判明した。この時の演奏は究極のノン・ビブラート奏法で、舞台最上段にずらりとならんだコントラバスから響く嵐のすさまじさに圧倒されたものだった。もはやベートーヴェンの交響曲は、従来のモダン風演奏には出会うことができなくなったとさえ思った。まあ、古楽器奏法の魅力に取りつかれていた私は、それでも良いか、などと納得していた。

それから20年近くがたって、今では様々な演奏が切り広げられているが、ここで聞く小泉の演奏は、まっとくもって一昔前風の、つまりはモダン楽器による演奏スタイル。とはいえ、カラヤン譲りの颯爽とした演奏はスタイリッシュで新鮮である。いわゆる巨匠風の悠然たる演奏ではないが、昨今の過激なまでに集中力のある演奏とは一線を画す、安心して聞いていられる演奏である。こういう演奏が結局は人気が高いようだ。サントリーホールは、コロナ禍で私が出かけた演奏会の中ではもっとも客入りが良かったように思う。私も久しぶりに「田園」を聞きながら、長かった2年半の「非日常」の日々と、特に今年の夏に起こった公私にわたる様々な困難に、思いを馳せた。

いっときはどうなるかと思った夏の日々を回想しながら、まだ続く不順な天候に自律神経がかき乱されている最近の状況も、わずかずつではあるが時が経つにつれて改善されているように思える。何も手につかない日々が続いたが、それも癒されていくのだろう。そう「田園」には、ベートーヴェンのモチーフである「困難を克服して喜びに至る」テーマが反映されている。

今回の演奏では第3楽章の繰り返しが省略されていた。「農民たちの楽しい踊り」もあっという間に嵐が来て、乱されていく。しかしすぐに始まる「神々への感謝」とともにフィナーレに向かった。それにしてもわが国のオーケストラも聞いていて上手くなったものだと改めて思った。そつなくこれくらいの演奏はできるのである。

休憩をはさんで演奏されたのは、レスピーギの「ローマの噴水」と「ローマの松」であった。この2曲は、やはり実演で聞くに限る。オーケストレーションの巧みさを肌で感じることができるからだ。録音だとつい聞き逃してしまうわずかなフレーズやアンサンブルに、耳をそばだて集中して聞き入ることができる。そして小泉の演奏が実に職人的で、これらの曲を見通し完全に手中に収め、純音楽的にオーケストラを操る余裕の演奏。

特に「ローマの松」のような大規模な曲になると、いわゆる熱狂的・扇動的な演奏になっても大変聞きごたえがあり、バランスを欠いているにもかかわらず大いに盛り上がる。それも音楽の表現ではある。けれども小泉の演奏は、その対極にあると言ってよかった。冒頭の賑やかな部分も、オーケストラをゆとりをもってドライブし、冷静でさえあった。そのため各楽器がよく聞こえt。「アッピア街道の松」が最終部に差し掛かった時でさえ、そのことは保たれた。おそらくすべての管弦楽作品中最大と言っていいような、左右の金管バンダを含め、あれだけの音量が鳴っていながら、冷静さを感じるその指揮と演奏が、私がこれまでに聞いた「ローマの松」では経験できなかった新しい側面を浮き彫りにした。

一言でいえば大変「整った」演奏だった。コンサートが終わって舞台に何度も呼びもどされた小泉も、いつもの表情で拍手に応え、台風の近づく秋分の日のコンサートがが終わった。会場を出ると、とうとう雨が降り出していた。もう9月も終わるというのに、蒸し暑い日が続く。今年の夏は異例づくめの夏だったが、それでも少しずつ、少しずつ、秋の足音が近づいている。

2022年9月24日土曜日

ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲ニ長調(P: レオン・フライシャー、小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

第1次世界大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタインのために、ラヴェルは「左手のためのピアノ協奏曲」を作曲した。この作品は、(両手のための)ピアノ協奏曲ト長調と並行して作曲が進められ、「両手」よりも先に完成、初演された。2つの作品はいずれも米国旅行から帰国後に作曲され、ジャズの影響が顕著である。難しすぎると言ったウィトゲンシュタインとラヴェルの関係はこじれたが、右手が不自由になったピアニストにとってこの曲は代表的なレパートリーとなっている。

アメリカ人ピアニスト、レオン・フライシャーもその一人である。彼はベートーヴェンやブラームスの協奏曲で有名なピアニストで、ジョージ・セルとの一連の録音は有名だが、それはかなり前のこと(1960年代)である。病気によって右手の自由を失ったフライシャーは、左手の作品でピアノ演奏を続け、それは2000年代に回復するまで続いた。小澤征爾と左手のための作品のみを取り上げたCDがリリースされたのは、1992年のとだった。

収録されていたのは、もちろんこのラヴェルのほかに、プロコフィエフのピアノ協奏曲第4番、そしてブリテンの「ディヴァージョン」である(https://diaryofjerry.blogspot.com/2012/10/21p.html)。これらの3曲は、いずれもウィトゲンシュタインの依頼による作品である。両手が使えるピアニストも、積極的にこの曲を演奏、録音しているが、左手のための協奏曲のみを取り上げたこのCDは、ユニークな存在である。私も興味深くこのCDを購入して数十年が経つ。

曲はLentoと記された単一楽章から成っているが、実際には3つの部分から構成されている。まず第1部はとても静かに始まり、低音楽器の重奏が陰鬱な感じである。しかしほどなくしてオーケストラの音がクレッシェンド。ここで登場するピアノは、ややメランコリックなカデンツァである。続くオーケストラは全開で、ここにきてやっと明るくなる。

程なくして第2部になると行進曲が開始される。これは軍隊の行進を思い起こさせ、全体のテーマが戦争ということではないかと思えてくる。ただそのリズムの弾け方が、とってもジャジーでお洒落であることが嬉しい。小太鼓などが入り、なんとなく「ボレロ」のさきがけを聞く感じ。

第3部に入ると再び大きく弧を描いてテーマが再現され、曲が終わりに近づいたことを感じる。ピアノはしっとり、キラキラと夜景の如きカデンツァ。そしてコーダの部分はオーケストラによる大団円になったかと思うと、おもむろにリズムが強調され、いつものごとく突如終わる。18分ほどの曲。

小澤征爾はラヴェルを得意としていたが、この曲で見せるリズムの感性は、小澤の真骨頂ともいうべきもので、一糸乱れぬアンサンブルがボストン響の技巧にうまくマッチし、聞きごたえのある演奏に仕上がっている。特にコーダでの、まるで戦車が行進するかのごとき迫力は圧巻である。

2022年9月22日木曜日

東京フィルハーモニー交響楽団第975回オーチャード定期演奏会(2022年9月19日Bunkamuraオーチャードホール、バッティストーニ指揮)

今年初めて東フィルの定期会員になって、毎月のように演奏会に出かけることになったが、これまでのところコロナで中止されたのが1回、予定が入って行けなかったのが2回、そして今回も仕事が重なった。1年前からスケジュールが固定されるため、それを避けて予定を入れることにしていたが、それでも急な変更や中止が結構あるもので、なかなかやりくりが難しいと感じている。

もっとも今回は、予定していた9月16日のサントリー定期に行けないことがわかったのが1か月以上前のことだった。この場合、定期会員には振替という便利な制度がある。チケットを別の日の同じプログラムのチケットと交換してくれるのである。私はこれを初めて利用することになった。

ところが会員向けホームページを見ても、その制度があるということだけで、どうすればいいのか書かれていない。前回7月の定期では、残念ながら「振替可能期間」に間に合わなかったのだが、今回も間に合うかどうかわからない。そこで、書かれていた電話番号に電話をしたところ、まだ期限内であることが判明した。その締め切り日は、チケットとともに送られてきた案内に記載されているのだという。調べてみると、確かにあった。

そこで振替を申し出たところ、古いチケットを指定の住所へ郵送するようにとのことであった。私はこの古風なやり方に感動し、さっそく便せんに内容をしたためて切手を貼り、郵便ポストへ投函した。あとで新しいチケットが送付されてくるのかと思いきや、それはなく、当日会場の指定場所で受け取れるのだという。私は東フィルの会員証を忘れずに財布に入れ(これはIDがあれば不要だった)、会場へ足を運んだ。席は指定できない。けれども1階中央のなかなかいい席だった。これはこれで、どこで聞けるか当日までわからないという楽しみもあるな、と思った。

前置きが長くなったが、今回のコンサートはイタリア人で首席指揮者のアンドレア・バッティストーニである。1987年生まれの彼は若干35歳ということになるが、その活躍と人気ぶりは東京では確かなものがある。私も川崎で聞いたレズピーギ以来の2回目。2016年以降わが国と関係が深く、これまで何度か演奏していると思ったマーラーだったが、何とこれが初めてとのことであった。交響曲第5番は、オーケストラだけで演奏可能なマーラー作品の中で比較的短く(それでも70分はある)、プログラムに上ることが多い。

だがこの日は、マーラーに先立ち、リストが作曲したピアノ曲「巡礼の年」第2年「イタリア」より「ダンテを読んで」を管弦楽曲に編曲した作品が演奏された。編曲をしたのは指揮者バッティストーニ氏であり、これは世界初演という触れ込みだった。18分ほどの曲で、オーケストラは結構な規模だった。自ら作曲も手掛けるバッティストーニは、しばしば自作を演奏会の演目にしているようだが、私はこれが初めてであった。

ところが私は残念なことに、その作品のすばらしさ、演奏の良しあしについて書くことができない。なぜなら「経験したことのない」台風の襲来と猛暑で睡眠不足の私は、音楽が始まるや否や睡魔に襲われたからだ。右隣の老人も同様だった。結構大きな音が鳴っていたのだが、音量と睡眠への欲望は、この際関係がないように思われた。コンサートではしばしばこういうことがある。そうでなくても残暑が続き、天候不良の多い今年は、例年になく疲労が溜まり、9月のコンサートはちょっとつらいのだ。

後半のプログラム、すなわちマーラーの交響曲第5番は大のつく名演だった。悠々とした出だしから、興奮に満ちた第5楽章の終結部まで、一糸乱れぬアンサンブルは常に緊張感に満ち、しかも音楽的だった。第4楽章のアダージエットも情感豊かで言うことはなく、指揮者の構成力は自身に満ち、金管楽器、特にホルンを筆頭に技術的な水準も最高位に達していたと思う。

だが私はこれから、どういうわけかこの演奏が、特に前半部分において心に響かなかったことを告白せねばならない。それは大変残念なことだが、事実である。後半、特に第5楽章に至っては、熱演のエネルギーが私の体をゆすり、見ごたえのある結果となった。それでもなお、これは見ごたえであって、聞きごたえではない。何故か?

これから書くことは、ひとりのリスナーの正直な意見、あるいは告白である。それはBunkamuraオーチャードホールという会場が、私の愛するオーケストラの音を再現してくれないということに尽きる。

思い起こせば、私がこのホールに前回出かけたのは、1998年のことである。以来20年以上、私はこの会場から遠ざかっていた。それは意識的にである。ここのホールで聞く音楽が、どうにも好きになれないのである。人工的な音、それがこじんまりとして何か箱の中で鳴っているような感じ。それは1階の中央であれ、3階の上部であれ同じだった。

私は音響工学の専門家ではないから、よくわからない。言ってみればこれは、好きか嫌いかの問題なのかもしれない。多くのクラシック専用ホールは、今ではオーケストラの周りを客席が取り囲んでいる。このことによってオーケストラの音が横方向にも開放されている。このことに慣れてしまったのかも知れない。NHKホールのような巨大なホールでは、舞台の左右にも広く、従って同様のことがいえる。しかし多くの市民会館のような多目的ホールでは、舞台のオーケストラの響きは、その中に閉じ込められ、前方にのみ音が届く。

私はBunkamuraオーチャードホールで聞く音響は、近くで聞いているにもかかわらず、何故かやたら反射音のみを聞いているような感じである。中音域を特に強調する管の長いスピーカーを通してラジオを聞いているような感覚が、人工的で嫌味なものとして私の耳に残る。これは私だけの問題なのかも知れないが、このようなことは他の会場ではあまり感じないのも事実で、東フィルについてもサントリーホールで聞く場合には、もう少し開放的でナチュラルである。

今回私がBunkamuraオーチャードホールに出かけたのは、冒頭で書いたようにサントリーホールでの演奏会を振り替えたからである。今回の東フィルの定期は、東京で会場を変えて3回行われており、合わせて新潟県長岡市での演奏を加えると、4回の演奏会が同じプログラムで行われた。会場ごとに異なる響きにオーケストラの音がどのように変化しているか、興味はあるのだがこれらを聞き比べることもできない。ただ私がこれまでBunkamuraオーチャードホールで聞いた演奏会に、あまり感動的だったものがない。そういうわけで、大変残念なことに、今後もこのホールに出かけることはほぼないであろう。ついでに言えば、オペラシティにあるコンサートホールも、私とは相性が良くない。ここも長方形の形状をしており、段差の少ない客席から舞台が見えにくい。もっともここは我が家からも遠いので、わざわざここのホールに出向くこともほとんどない(オペラパレスは別だが)。

サントリーホールが開館するまで東京には、クラシック専用ホールというのが存在しなかった。その後、全国各地にホールができたが、私はサントリーホールで聞くのが最も好きだ。そして次に好きなのは、東京文化会館である。しかし東京文化開館は古くて客席が狭く(何と傘を置くところがない!)、席によっては正面を向かない(高い階の席は苦痛である。カーネギーホールを思い出す)。案外音響がいいと思ったのは東京芸術劇場だが、ここは池袋という辺境の地にあって周りの風紀は悪く、人の流れが一定しない駅のコンコースを分け入って進むうちに、音楽の余韻が吹き飛んでしまう。これは渋谷にも当てはまる。ミューザ川崎シンフォニーホールも駅の雑踏は最悪だが、さらには会場が縦に高い風変わりな形をしており、ベストな位置というのがよくわからない。ついでに言えば、錦糸町のすみだトリフォニーホールは、そもそもコンサートが少ないのであまり経験はないのだが、やはり感動したコンサートは少ない。

2022年9月17日土曜日

ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(P: アリシア・デ・ラローチャ、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団)

ラヴェルのピアノ協奏曲は、音楽史上数多あるピアノ協奏曲の中でもひときわ光り輝いている。この曲が作曲された時点で、こんなに斬新で素敵な曲があったのだろうか思う。もっとも時は1931年。日本ではすでに昭和に入っていた。

ラヴェルのピアノ協奏曲の特徴は、何といってもアメリカ旅行で影響を受けたジャズの要素ではないだろうか。第1楽章のリズミカルなタッチは、聞いているだけで興奮を呼び起こすだけでなく、明るく色彩感に溢れて陽気である。このころラヴェルはすでに病に侵されて、予定していた南米やアジアへの旅行も叶うことができなかったようだが、初演は大成功を収めた。もしラヴェルがもう少し長生きし、こういった国々の影響を持つ曲が生まれていたら、どんな素敵なことだっただろうかと思う。

音色の多彩さは、ピアノ協奏曲にはふだん使われない楽器にも負っている。冒頭、鞭がパチンと鳴り、ピッコロも聞こえてくる。わずか20分余りの短い曲に様々な音楽要素が満載。若手ピアニストがテクニカルに演奏すると、冴えわたった空間にまるで虹のような光線が飛び交う。

だが、この曲の最大の魅力は何といっても第2楽章である。ここを聞くとき、何と美しい曲なのだろうかと思う。夜の川辺を歩いていると、水面に映る灯りが揺れる。夏が終わりを告げ、ちょっと生暖かい風が頬を撫でる。疲れを感じつつも、ようやく迎えた癒しの季節。しばしやすらぎに心を委ね、繊細で浮き上がるようなピアノに聞き入る至福のひととき。単純なのか、複雑なのか。感傷的なのか、冷静なのか。音楽の魔法は私の脳に、麻薬のような陶酔感をもたらす。

不思議な音楽である。これをずっと聞いていたい、と思う。だが、消え入るように第2楽章が終わると、そこに登場するのは「ゴジラ」の音楽だ。全編に亘ってジャズの要素が絶えることはないのだが、一口にジャズといっても実に様々である。映画「ゴジラ」の音楽が、ここの第3楽章から来たのは明らかだが、それは作曲した伊福部昭がラヴェルの作品、とりわけピアノ協奏曲にほれ込んでいたというエピソードからも明白である。

若い情熱的なピアニストが、気鋭の指揮者と組んだ演奏、たとえばアルゲリッチとアバドの最初の録音は、私がこの曲を最初に聞いた時の演奏だが、そういう若手のエキサイティングな演奏も忘れられないものの、その後出会ったこの作品の愛聴盤は、より年配の熟年コンビによる演奏だった。アメリカ人の指揮者レナード・スラットキンが伴奏を務めるアリシア・デ・ラローチャの演奏がそれである。

このCDが発売されたとき、私は何か名状しがたい魅力を感じ、迷わず購入した。「左手」のピアノ協奏曲と、「優雅で感傷的なワルツ」なども併録されているが、やはり「両手」のピアノ協奏曲ト長調に尽きる。スペイン人ピアニストのラローチャは、モーツァルトのピアノ協奏曲で名を馳せ、このころには2度目のサイクルをRCAに録音中だったと思う。その時にやはり2度目となるラヴェルの協奏曲も発売された。

ここでラローチャは、天性の素質を生かして気品に満ちた演奏を繰り広げるが、それをもっとも感じさせるのが第2楽章であることは言うまでもない。スラットキンのゴージャズなサポートと優秀録音のお陰で、比類ない完成度を保ちつつ、余裕すら感じさせる風格をさりげなく醸し出す。特にコールアングレとピアノの二重奏となる部分は、全体の白眉である。

この時すでに70歳にも達していたラローチャのテクニックが、この難曲を演奏するに十分なものかという意見も見たことがあるが、これだけ年期の入った熟練ピアニストでなければできない表現というのも事実であろう。と、ここまで書いて、今日も今から夜の散歩にでかけることにしようと思う。もちろんラローチャのラヴェルを聞きながら。

2022年9月11日日曜日

ラヴェル:ラ・ヴァルス(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮パリ管弦楽団)

ラヴェルのオーケストラ作品「ラ・ヴァルス」は、ヨハン・シュトラウス2世を代表とするウィンナ・ワルツへのオマージュとして作曲された。ただシュトラウスが活躍したのは、主に19世の中頃で、そのあとに生まれたラヴェルが「ラ・ヴァルス」を作曲したのは、1920年ころのことである。この間には、ヨーロッパ史における決定的な事件、すなわち第1次世界大戦があった。

もっともラヴェルがウィーン風舞曲の作曲を思いついたのは、もう少し早くからである。彼は交響詩「ウィーン」という作品の着想を明らかにしている。それが1914年頃のことで、つまりは第1次世界大戦の前ということになる。この時間的な隔たりが、作品にどう影響したかを考察することが、この作品を理解するための重要な手がかりである。第1次世界大戦は、ヨーロッパにおける大変な惨禍をもたらし、ハプスブルク家の終焉をもたらしただけでなく、従軍したラヴェルの心身をも蝕み、この間に母親を亡くすなど、作曲も満足に続けられないほどに憔悴しきっていたことは良く知られている。

第1次世界大戦の前の後で、ラヴェルを取り巻く環境は大きく変貌した。そしてそのあとにバレエ音楽として作曲された「ザ・ワルツ」(ラ・ヴァルス)は、おおよそ典雅なウィーン情緒とは無縁の、複雑な音楽となった。作曲を依頼されたディアギレフは、この曲を舞曲とは認めず、そのことがきっかけで長年続いた両者の仲は決裂することになった。もしこの間に第1次世界大戦がなかったら、もっと違った作品になっていたのだろうか?これはもはや想像の域を出ない設問である。

「渦巻く雲の中から」とラヴェルは語っている。「ワルツを踊る男女がかすかに浮かびあがってくる」。この雲の向こう側にダンス会場がある。雲の向こうに見える古き良き時代は、もはや世界が取り戻すことのできない世界である。テンポが乱れ、ゆらめき、リズムはかろうじて3拍子を維持してはいるが、これで踊れと言われたら誰もが難色を示すかもしれない。ウィンナ・ワルツはもはや正常な形では踊ることもできないものになってしまった、とラヴェルは考えたのだろうか。その証拠はないし、これは単なる想像でしかない。

今でも続くウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに「ラ・ヴァルス」が演奏されたことはない。フランス人の指揮者、あるいはフランス音楽を得意とする指揮者が登場しても、あるいはリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」のワルツが演奏されたことはあっても、ラヴェルのこの作品は取り上げられてはいない。そのうち誰かが取り上げることになるのでは、とも思うのだが、考えようによってはこのような、複雑な気持ちを抱く可能性がある。古き良きウィーン情緒に浸っていたいお正月の気分に、この作品は刺激的すぎるのだろうか?

だが純粋な管弦楽作品としての「ラ・ヴァルス」は、それなりに魅力的である。上記のような背景を知らずに楽しんで聞くこともできる。戦争の前後で変わってしまった世界を意識しなくても、音楽芸術がこの時期、行き場を失って複雑なものになってゆくのは、避けられない事実だっただろう。ウィンナ・ワルツを現代フランス風に表現したらこうなった、という単純な理解で十分かもしれない。

さて、演奏はフランスのオーケストラの醸し出す、ややヴェールのかかった音色に、十分妖艶でかつ色彩感あふれるものを選ぼうと思った。そして、パリ音楽院管弦楽団を受け継いだパリ管弦楽団ほどこれに見合うオーケストラはない。そのパリ管の歴代指揮者のなかで、ひときわ異彩を放つのが、発足直後に急逝したミュンシュの代役として音楽顧問の地位に就いたヘルベルト・フォン・カラヤンである。カラヤンはベルリン・フィルを指揮する傍ら、ウィーンのみならずパリの音楽舞台をも席巻する活躍ぶりだったと言えよう。

ところが「パリのカラヤン」を聞くことはなかなか難しい。Spotifyで検索してもカラヤンのラヴェルはベルリン・フィルを指揮したものが出てくるだけだ。仕方がないから中古のCDをAmazonあたりで探すしかない。そしてEMIがリリースしたかなり古いCDしか、これに該当するものはなさそうだった。私が今日聞いているのもそのCDである。このCDはかなり魅力的で、「ラ・ヴァルス」を筆頭に「スペイン狂詩曲」「道化師の朝の歌」そして「クープランの墓」が収録されている。いずれもカラヤンの精緻で職人的な技術が、フランス音楽にも的確に適合し、その魅力を伝えて止まないことがわかる。これは驚異的なことではないか。

大阪万博の年である1970年に、パリ管弦楽団は来日している。しかしこのとき同行した指揮者はカラヤンではなく、ジョルジュ・プレートルらだった。カラヤンはパリ管との相性があまりよくなかったといわれている。そして両者の関係はわずか2年しか続かず、1972年にはパリを離れている。それゆえに、この期間の録音は貴重だとも言える。

2022年9月9日金曜日

東京都交響楽団第958回定期演奏会(2022年9月9日サントリーホール、大野和士指揮)

重陽の節句9月9日は私の誕生日でもある。残暑がまだ続く9月の初旬は、台風が来たりすることも多く、蒸し暑くて天候が悪い。夏バテ気味の体調は、寝不足と食欲不振で疲労がたまり、とても良いコンディションとは言えない。少なくとも落ち着いて、クラシック音楽など聞く気持ちには、なれないことが多い。

特に暑かった今年の夏。もういい加減涼しくなってほしい、などと願う気持ちさえ奪われた日々は、私にとって2年も続く腰痛との闘いに終止符を打つべく、思い切って外科手術に挑むことになったことから始まった。7月初旬のことである。いつもより早々と梅雨明けとなった猛暑の日々を、術後のベッドの上で過ごした。コルセットが汗まみれになり、かねてからの口内炎で食べたいものも食べられない。そしてそんな養生の日々を新型コロナが襲ったのは8月上旬だった。最初は妻がり患し、基礎疾患のある私は、ホテルなどでの自己隔離を主治医に薦められた。しかし結果は私も陽性。ホテル滞在は息子に代わり、夫婦二人で闘病の日々が続いた。私は持病の治療スケジュールとの兼ね合いから、どうしても重症化するわけにはいかなかった。幸い、すぐに飲んだ抗ウィルス薬の効き目もあって、症状は軽症で済んだ。

猛暑と腰痛とコロナと基礎疾患。4重苦に苛まれつつ8月をやり過ごし、ようやく外出もできるころになって自分の56回目の誕生日がすぐそこに迫っていることを悟った。長く演奏会から遠ざかっているので、何か節目となる演奏会があれば、思い切って出かけてみたいと思っていたところ、都響から電子メールが届く。大野和士指揮の定期演奏会が、サントリーホールで開かれるのである。演目はドヴォルジャークの交響曲第5番とヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」。オール・チェコ・プログラムである。どちらも実演で聞くのは初めてだ。

2階S席を買い求め、仕事を早々に切り上げてサントリーホールへ向かう。暑さも少しやわらいで、心なしか涼しい風が吹いては来るものの、まだ秋のそれではない。夏が終わったのに秋が来ないという一年でも最も中途半端な日々。私が生まれたのは、こんな季節の変わり目だったのか、と毎年思う。9月最初のシーズン幕開きは、いつも暑くて上着を着るのが億劫である。

それでも2年以上のコロナ禍の中で、聴衆も落ち着いたものだ。客席はおおむね満員。まだカウンターバーの営業はなく、マスク着用も避けられないが、音楽を聴きたい気持ちは共通している。もう毎日のように演奏会が開けれ、会場入口で渡された袋入りのチラシには、海外から来る演奏団体の数も多く、コロナ前の水準に達している。

中欧のくすんだ音色が会場を満たし、木管楽器の浮き上がるようなメロディーが重厚で明るい弦楽器と溶け合う。これはまさにドヴォルジャークの音だと思う。常に見通しのよい大野の指揮が、楽天的で民俗的なリズムによく合っている。さわやかな第1楽章、抒情的な第2楽章。いすれもたっぷりとした曲だが、第3楽章も比較的長く、特徴が地味である。このため第2楽章や終楽章との切れ目がわかりにくい。大野はこの第2楽章と第3楽章を一気に演奏したように思う。一方、第4楽章がそれなりに輝かしい。

ブラームスに見いだされたドヴォルジャークは、ちょうどこのころから出世街道に乗って作風の完成度を高めていく。やがてはアメリカに渡り、「新世界交響曲」に結実する人生は、悲劇の多い作曲家の中で、稀にみるサクセス・ストーリーである。その出発点となったのが交響曲第5番であった。輝かしく伸びやかであるが、全体をスラヴ舞曲のように覆う作品かといえば、意外にそうではない。やはり交響曲として意識した作品である。

20分の休憩をはさんで、ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ」が演奏された。ヤナーチェクもチェコの作曲家だが、ドヴォルジャークよりも13年だけ若い。けれども作風は、同じように民俗音楽をベースにしながらも、歌謡性に満ちた親しみやすさのドヴォルジャークとはずいぶん異なる。一言でいえば、ドヴォルジャークの故郷ボヘミアが都会的であるのに対し、ヤナーチェクのモラヴィア地方はより土着的、東欧的である。ただ私はチェコを旅したことはなく、このあたりの感覚はよくわからない。

ヤナーチェクの音楽には打楽器が活躍する。「グラゴル・ミサ」も同様で、オーケストラ最上段に並べられたティンパニは3台。それに小太鼓やシンバル、2台のハープ、そしてオルガンも加わる大規模なものだ。ソリストは4人(ソプラノ、アルト、テノール、バス)、それに混成4部合唱。今回の独唱陣は、順に小林厚子(S)、山下裕賀(A)、福井敬(T)、妻屋秀和(Bs)、さらにオルガンが大野麻里、新国立劇場合唱団は通常P席の位置に、ディスタンスを取って並ぶ精鋭部隊。

このたび演奏された「グラゴル・ミサ」は1927年第1稿ということだが、これは何と1993年になって出版されたもので、それまでの楽譜では最後に置かれていた「イントラーダ」が冒頭にも置かれている。もっとも私はこの曲を聞くのがほとんど初めてだったから、その違いには気づかない。そして冒頭からリズミカルにティンパニが鳴り響くと、そのパースペクティブの良さから、決して全体の調和が乱れない音楽的な表現に心を奪われた。これは大野の得意とするようなところだろうか。

第2部の、これもオーケストラだけの「序奏」のあとに、いよいよ「キリエ」が始まり、ソプラノと合唱が入る。おそらく難しい古代スラヴ語の歌詞が、どれほど歌手の負担となっているかは知る由もない。ただ今回のようなわが国の第1人者によって歌われると、そういう難しさが伝わることはなく、そのことが今回の演奏水準の高さを物語る。それはソプラノだけではない。やがて「クレド」で歌われるテノールもしかりで、合唱とオーケストラに負けていない。

「クレド」の中間部におけるオーケストラの響きは、金管楽器や小太鼓などに続きオルガンも入る大規模なもので迫力満点。見通しのよい演奏で聞くと興奮さえ覚える。この長い「クレド」の真ん中で折り返し地点を過ぎるように曲が構成されていて、対称的な構造となっている(今回の1927年第1稿の場合)。

全体に賑やかで、宗教的というよりはやや世俗的、さぞイギリス人などが好みそうな曲である。大野和士は2019年、ロンドン交響楽団でこの作品を演奏したそうである。

ハープやチェレスタが聞こえてくると「サンクトゥス」。高音主体の歌唱とオーケストラは次第に熱を帯び、いい演奏で聞いていると散漫さがなく集中力を保ちつつ一気に進む。なかなか出番がないと思っていたアルトが「アニュス・デイ」で活躍し、今回の独唱陣は例えようもなく見事であった。それぞれの音域が明確に示されているので、それぞれの声の質がよくわかる。

さて終盤にさしかかったところで、会場の最上部にいたオルガンの独奏となる。なんとも盛沢山の曲に満足する。そのオルガンの、また素晴らしかったこと。私はあまりオルガンの曲を聞かないが、今回サントリーホールで聞いた「グラゴル・ミサ」の第8曲は、約3分間でしかなかったが、とても贅沢な時間に感じられた。

終曲は、冒頭でも演奏された「イントラーダ」が再演された。再びティンパニが活躍する手慣れた響きに再びあっけにとられているうちに曲が終わった。満場の拍手にこたえて、何度も呼びもどされる出演者は、オーケストラが去った後も続き、充実した2時間の定期演奏会が熱狂のうちに終了した。

2022年9月1日木曜日

ラロ:スペイン交響曲(Vn: チー・ユン、ヘスス・ロペス=コボス指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

ラロの「スペイン交響曲」は、中間に「間奏曲」が挿入され、ヴァイオリン独奏との競演を主体としている。いわばヴァイオリン協奏曲と言ってもいい。調性はニ短調。あまり名の知られていない作曲家だが、この曲だけは有名で録音も多い。私も冒頭の野性的なメロディーから印象に残り、何度もいい演奏に触れてみたいと思っていた。ところが、なかなか心に響くのがないのである。

最初に接したのは、アイザック・スターンによる演奏だった(ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)。スターンのヴァイオリンは低音気味でやや粗削りなところがある。好みの問題かも知れないが、ユダヤ系に多いこの傾向を、私は好まない。次に接したのもユダヤ系のイツァーク・パールマンであった。パールマンはスターンとは異なり、テクニックも素晴らしく、楽天的である。明るい音色がスペインに合っているとは思う。だがこの演奏もまた、ダニエル・バレンボイムが指揮するパリ管弦楽団との相性もあるのだろうか、何とも大味で締まりがないと思った。それにやはり、このメロディーを聞いているとユダヤ民謡を聞いている感じがしてくるのは偏見か。

往年の名演に思いを馳せると、グリュミオーが残した演奏に目が留まる。ここでモノラル録音の旧盤は、ジャン・フルネ、ステレオ録音の新盤はマヌエル・ロザンタールが指揮を務める。オーケストラはいずれも独特の音色を放つコンセール・ラムルー。これらの演奏は、リズムをしっかりと刻み、音色もレトロな雰囲気が残る。イメージしているスペイン情緒が満点なのである。だが、いかにも古色蒼然としている。テンポもやや遅く、ちょっと単調だと思う時も。やはり古さは否めない。

このようにしているうちに、私は「スペイン交響曲」から遠ざかってしまった。もっと現代的ですっきりした演奏はないものか。録音も大切で、しかもそこそこ長いこの曲に変化をつけ、ある程度一気に聞かせるような演奏。他の曲のように、90年代以降に登場した演奏が新しい曲の魅力を開拓するようなところがあってもいいのでは、と思った。ところがなかなか出会わないのである。そうこうしているうちに、この曲は目立たない曲になっていった。コンサートのプログラムに登ることも少なく、録音もおりからのCD不況でめっきり新譜は減っていく。

そのような中で目にしたのが、韓国の女流ヴァイオリニスト、チー・ユンが演奏した一枚。DENONがデジタル録音しているので悪くない。伴奏はヘスス・ロペス=コボス指揮ロンドン・フィルハーモニ管弦楽曲。サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番とのカップリングは定番である。1996年の録音。

冒頭。引き締まったオーケストラは不要な残響が少ない。明るく、そしてアクセントが効いている。その音色の新鮮さに一気に引き込まれた。待ち望んでいたのは、こういう演奏である!そして間断なく始まるヴァイオリンの音色の美しいこと!やはりヴァイオリンは、声で言うとソプラノ。澄んだ音色が南ヨーロッパの青い空を思い出させる。時間が止まったような夏の午後。だからこそ、何か淋しい。聞きほれてるうちに第1楽章が終わってしまった。

リズムの変化が面白い第2楽章も、オーケストラと独奏が不思議にかみ合っている。チー・ユンは韓国人なので、ヴァイオリンがうなると何かアリランを聞いているような気がしてくるが、べたべたしとらずスッキリ系。ちょっと陳腐なたとえをしてしまったが、つまりは知と情のバランスがいいということ。それが一定の緊張感を持ちながら進行する。

第3楽章は間奏曲となっているが、6分以上もある。この楽章も演歌である。しかし途中から白熱を帯びた演奏になってゆく。テンポはあくまで少し早く、そしてスタイリッシュ。伴奏が非常に好意的で、いいアンサンブルである。夏の午後にこの曲をきいていると、懐かしさが無性にこみ上げてくる。

第4楽章は緩徐楽章。どちらかというと賑やかな他の部分に交じって、この楽章がちょっとしたアクセントになっている。そして終楽章は、長い旅を終えて故郷が近づいてくるようなわくわくする曲である。スペイン紀行も終わりに近づいた。そしてこの楽章は、結構テクニック満開の曲である。ピチカートが混じる部分もある。この曲がサラサーテに献呈されたことからもわかるように、どこか似ている。

私は長年、ラロがスペインの作曲家だと思っていた。情熱、踊り、マッチョ。このスペインを語るうえで欠かせない3つの定番要素が、この曲に凝縮されている。しかし彼はれっきとしたフランス人である。けれどもフランス人がスペインを舞台としたオペラを作曲したり、スペイン風の曲を数多く作曲しているのは面白いことだ。丁度19世紀の終わりころは、交通の発達もあって異国情緒を兼ね備えた曲が数多く作曲されたのだろう。そしてその対象に選ばれた筆頭格がスペインだった。そしてこの曲「スペイン交響曲」は何とチャイコフスキーにも影響を与え、あの不朽の名作(ヴァイオリン協奏曲)につながっている。

2022年8月23日火曜日

ラヴェル:スペイン狂詩曲(ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団)

ラヴェルの管弦楽曲を順に取り上げてきたが、初期の純粋な管弦楽作品である「スペイン狂詩曲」のことに触れるのを忘れていた。バスク地方で生まれたラヴェルは、スペインに対する愛着を持ち続け、それは数多くの作品に結実しているが、この「スペイン狂詩曲」もその一つである。ファリャをして「スペイン人以上にスペイン的」と言わしめたエピソードは有名である。

4つの部分から成り立っており、スペイン情緒が満点の音楽である…と書きたいところなのだが、これには若干注意がいる。私はこの曲を中学生の時に初めて聞いて、さっぱり感動しなかったからである。理由はいくつかある。まず、この曲の出だしは静かで、第2曲で少し明瞭なリズムが聞こえてきたかと思うと再び音は小さく、終曲になってようやく派手になるかと思うものの、それは他の作品ほど印象的でもない。随分地味な曲だな、と思った。

もう一つの理由は、当時の我が家の再生装置によるもので、LPレコードというのは針やカートリッジなど、様々な機器の性能に大きく左右される。しかもアンプとスピーカーがぼろいと、フランス音楽の色彩感など到底うまく表現できないのだ。加えてクリュイタンスのEMI廉価版レコードは、あまり録音がよろしくない。今でこそリマスターされ、デジタル化されて蘇っているのだが、当時の録音をそこそこ聞ける音に再生するには巨額の投資が必要だった。

そういういわけで、「狂詩曲」という名から派手でマッチョなスペイン音楽を想像していた私は、このあまりに繊細な音楽に戸惑ってしまったのだ。

第1曲; 夜への前奏曲
第2曲: マラゲーニャ
第3曲: ハバネラ
第4曲: 祭り

そのあと80年代にスペインを旅行して、この国がめっぽう暑い国であることを実感した私は、砂漠に囲まれたマドリードの安宿に泊まりながら、昼間の酷暑の朦朧とした意識が夜になっても消えず、絶えず倦怠感にさいなまれることとなった。今では「熱中症」という当たり前のキーワードも当時はなく、うなされながら冷たい飲み物を求め、少しでも涼しいところはないかと、博物館のロビーなどに押しかけては、大勢の若者旅行者と一緒にたむろしていた。

そんなスペインの夏の、けだるく重苦しい夜の雰囲気を、第1部は表現している。まるで蜃気楼のような下降メロディーが、麻痺した意識を表現している。一方第2曲は、スペイン南部の舞曲である。私はセヴィリャに行こうとしてバルセロナから乗った夜行列車が乗換駅に遅着し、乗り損ねた挙句砂漠の中のローカル駅に取り残され、急遽行き先を変更せざるを得なったのだが、もし当時、スペイン国鉄が時刻通りに走っていれば、あのアンダルシア地方を始めとする南部の都市に行くはずだった。

第3部も舞曲ということになっているが、幻想的で静かな曲である。まだ夜の暑さは続いているのだろうか。やがて遠くからオーボエが聞こえてくる。ハープが印象的に慣らされて、ようやくあの情熱のスペインが顔を出す。「祭り」と題された終曲は次第に熱気を帯び、カスタネットが鳴る。しかし中間部には再び大人しくなって、第1部のけだるいメロディーも顔を出す。やっと楽しくなってきたと思ったら、まるで「ボレロ」のように唐突に曲が終わる。

忘れてはならないラヴェルの演奏家として、ピエール・モントゥーがいる。「ダフニスとクロエ」の初演など、一連のバレエ音楽とは切っても切れないものがある。そしてこのロンドン交響楽団と録音した演奏は、1962年のものとは思えないような鮮烈さが今でも光彩を放っている。このコンビもまた大阪国際フェスティバルに登場し(1963年)語り草となっている。私も大阪の生まれだが、もちろん生まれる前のことである。ゆるぎない見通しを持った演奏は、きっちりとリズムを刻み、スペイン情緒とフランスの粋が交じり合った名演奏を、今の私にも生き生きと伝えてくれる。

2022年8月14日日曜日

ラヴェル:組曲「クープランの墓」(ジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団)

もとはピアノ曲である組曲「クープランの墓」もまた、作曲者自身によって管弦楽曲に編曲された。この曲は地味ながら、なかなか親しみやすいと思う。ピアノ版から2つの部分が省かれ、次の4つのパートから成り立っている。

第1曲 プレリュード
第2曲 フォルラーノ
第3曲 メヌエット
第4曲 リゴドン

クープランと言えば、フランス・バロックを代表する作曲家である。だから私は、この曲はクープランを偲んで作曲された、言わばオマージュともいうべき作品であると思っていた。親しみやすいメロディーも、そういう理由からだろうと考えた。ところが、この曲は第1次世界大戦で戦死した知人たちを追悼する作品だということを知った。かなり時が立ってからのことであった。

バスク地方で生まれたラヴェルは、父がスイス国籍、母はバスク人だったらしいが、パリ国立高等音楽院に学び活躍する。彼はことさら愛国心が強く、作曲を続ける傍ら従軍するのだが、体調を壊した上に母親が亡くなり、創作意欲も消え失せていく。「クープランの墓」を作曲したのはそのころである。各パートは、戦死した軍人らにそれぞれ捧げられている。

「プレリュード」が始まるとオーボエの速いメロディーに驚く。どこかチェンバロを思わせるような古風な優雅さも備えている。相当難しいのではと、素人の私などは思ってしまうのだが、これを何気なくさらっとやってしまうのが大変心憎い。2曲目の「フォルラーヌ」は北イタリア地方の舞曲で、揺れ動くリズムが特徴的。

第3部は「メヌエット」。ここでもオーボエが活躍する。どこか懐かしく古風な感じで、いつまでも聞いていたくなる。全体を覆っているのは、やはりフランスの雰囲気である。そして主題を弦楽器がしみじみと奏でるとき、やはりピアノだけの版よりも風情があるなあ、と思ってしまう(ピアノ版もそれはそれで悪くはないが)。終曲「リゴドン」は南フランス、プロヴァンスの舞曲。全体に色彩感に溢れテンポも良いが、中間部には特徴的なメロディーも挟まれて、大変味わい深い。

演奏はフランス風の香りがするものを選ぶことにした。いくつもあるのだろうが、ジャン・マルティノンが手兵パリ管弦楽団を演奏したものが秀逸と思う。ドイツやイギリスのオーケストラには真似のできないような、エレガントなアクセントやフレーズが指揮者とオーケストラの間に自然と漂っており、バランスの良いアナログ録音にうまく収められている。

2022年8月11日木曜日

ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロワ」(ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」のことで、マザー・グースとは英国に伝わる童話や童謡の総称である。ラヴェルはフランス人だったが、このマザー・グースからいくつかの題材を選び音楽にした。

「マ・メール・ロワ」は当初、ピアノ連弾用に作曲された。子供でも演奏しやすいよう配慮されているらしいが、結構凝っていて難しいのではないかと思われる。そしてラヴェルは、このピアノ用の作品をお得意の管弦楽曲に編曲している。ここでピアノの曲はそのまま管弦楽曲になっている。しかし本日私が聞いているのは、さらにいくつかの曲を加え、曲順を入れ替えたバレエ音楽版である。

前奏曲
第1場 紡車の踊りと情景
第2場 眠れる森の美女のパヴァーヌ
第3場 美女と野獣の対話
第4場 親指小僧
第5場 パゴダの女王レドロネット
終曲 妖精の園

前奏曲は朝日の射す森の中に入っていくイメージ。音楽はきわめて遅く、これは深い森である。遠くでホルンがこだましている。やがて盛り上がって第1場へ。どこか別の扉を開いたような世界が、そこには広がっている。フルートが鮮やか。この曲では、各楽器とその交わりによって醸し出されるさまざまな音から、イメージを膨らませながら聞くのが面白いだろう。バレエを見ていれば勿論、もう少し具体的なものが見えるのかも知れない。しかし音楽だけを聴いて、場面を想像する楽しみもまたある。ただ第4場の「親指小僧」を「一寸法師」と訳するのは、ちょっと無理があるかもしれない。

第4場のあとに演奏される間奏曲が、全体の転換点だと思う。ここでチェレスタやハープ、コールアングレなど、ちょっと特徴的な楽器が登場して、それまでのメロディーから変化してゆく。第5場 「パゴダの女王レドロネット」はスピードがあって面白く、フルートの旋律やリズムが東洋的な響きである。ここでのパゴダとは、中国の磁器製の首振り人形のことだそうだ。

終曲「妖精の園」では、再び森の中に回帰して、落ち着いて静かに美しい曲が続く。お伽の国のメルヘン。最後はクライマックスとなって幸福な音楽が壮大に終わる。

本来は愛らしい作品ではあるけれど、一流のオーケストレーションによって随分大人向けの作品に仕上がっているという印象を受ける。ここにはラヴェルにしか書けない浮遊感と、蠱惑的で夢想的な世界が大きく広がっている。しかもそれをブーレーズとベルリン・フィルが演奏しているのだ。これはもう大人の世界。連綿と続く和音の微妙な変化が、ぞっとするほど確信的で落ち着いている。透明な響きがやがてクライマックスを築くとき、魔法というよりは職人の技を見ているよなリアリティがある。ちょっと変わった演奏というべきか。

2022年8月8日月曜日

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団・合唱団)

まだ東京に出て数年しか経っていなかったころ、関西に帰省するのに少し寄り道をしようと思った。東海道新幹線を豊橋で降り、ローカル鉄道に乗り換えて渥美半島を横断し、バスに乗り換えて伊良湖岬に着いた。真夏のうだるような暑さに汗がほとばしり出た。雲一つない快晴の海岸は太平洋に面しており、「椰子の実」(島崎藤村)の舞台として有名なところである。

三重県の鳥羽に向かうまでの一時間余り、まるでギリシャの海を思わせるような白く高い空と、青く深い海を眺めていると、湾口の間に異様な島が現れた。時刻表にも載っていないその島を左手に見ながら、私はこの島が一体何なのか知ろうとした。島は急峻な斜面に覆われて高い山がそびえている。住んでいる人がいるのだろうか、あるいは交通はあるのだろうか、などと考えた。まだ携帯電話などなく、実家に戻って日本地図などを開いて調べると、その島は「神島」という鳥羽市に所属する島であることがわかった。

「神島」といういかにも神秘的な名前にも興味は深まるが、その島には数百人しか住民はおらず、おおよそ観光などとは無縁で、おそらくは釣り好きの人が訪れるくらいだろうと想像できた。私はフェリーの中から見た独特な光景から、何かスピリチュアルなものを感じたが、その「神島」こそ三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となったことを後で知った。三島もまた、この島の異様な光景から着想を得てこの小説を書いたのだろう。

小説「潮騒」は映画化され、山口百恵と三浦友和が共演したことで話題を呼んだ。以前NHK-BSで放映された映画の裏話を紹介した番組では、この神島で行われたロケの話が印象深い。そしてこの「潮騒」こそ、古代ギリシアのロンゴスの小説「ダフニスとクロエ」のコピーである。私は大学生の頃、この「ダフニスとクロエ」の話を遠藤周作のエッセイで知り、岩波文庫で読んだ。エーゲ海に浮かぶ離島の牧歌的な情景を舞台に、少年と少女に芽生えた純真な恋とその成就が抒情豊かに描かれている。

絶海の孤島を舞台にした古代の純愛物語は、ディアギレフが率いるロシアのバレエ団のために、ラヴェルが管弦楽曲に仕立て上げた。その後2つの組曲にも再編成されたこのバレエ音楽は、ラヴェルの数ある作品のかなでもひときわ大規模であり、合唱を加えた交響曲のような作品である。特に第2組曲は、いまでも盛んに演奏され人気も高い。

物語は3つの部分から成り立っている。

第1場は午後の牧草地。序奏に続いて宗教儀式が始まる。静かで幻想的な中から立ち上ってくる木管楽器が印象的で、何か妖艶な雰囲気を私は感じる。合唱が用いられる場合はさらに効果的だが、こちらはより健康的で明るい感じがする。二人の主人公、ダフニスとクロエは登場している。そこへダフニスの恋敵であるドルコンが現れグロテスクに踊るが、続いてダフニスは優雅に踊り勝者となる。

続いて現れるのは、年増女のリュセイオンである。彼女はダフニスを誘惑するが、海賊なども現れて結構テンポが切迫する。しかしやがて夜想曲が始まり、夜の静寂に風が吹くような中で神秘的な第1部が終わる。音楽だけを聞いていると、静かで長い第1場である。

合唱がアカペラを歌い、間奏曲に入ると第2場である。

海賊たちの野営地では、やがて戦いが始まる。音楽が大きくなり、初めて賑やかな展開に。海賊に捕まったクロエは助けてくれと哀願。すると神の影が現れて大地が割れ、海賊が退散する。このあたりはストーリーを頭に入れて聞かないとよくわからなくなってしまい、ちょっと辛抱がいる。

結局、聞き所は15分あまりの第3場(つまり「第2組曲」)に集中してくる。夜明け前の牧草地。この夜明けの音楽が醸し出す明るい解放感は見事というしかない。合唱も交じってフランス音楽の真骨頂のような雰囲気。ようやく結ばれたダフニスとクロエ。音楽は無言劇を経て「全員の踊り」に入り、熱狂的な大団円を迎える。

モントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、フランス以上にフランス的と称されたその一連の演奏は、優秀な録音技術を誇るデッカによって数多リリースされ、完成度の高さに毎回驚かされた。80年代に入ったころから20年以上続く快進撃の最初の録音が、たしかこの「ダフニスとクロエ」(全曲)だった。この記念すべきディスクは今もって、同曲の最高の演奏に数えられている。

私が学生時代に自腹で購入した記念すべき5枚目のCDは、デュトワによるラヴェルの「管弦楽曲集」だったが、そこには第2組曲のみが収録されていた。この演奏は、全曲版からの抜粋だったと思う。しかしデュトワはこだわって全曲を収録し、大成功を収めた。このディスクには合唱が入っていることからも、そのこだわりが見て取れる。

デジタル録音の技術が登場して40年以上が経過したが、今聞き直してもその新鮮な演奏にはまったく遜色がないばかりか、細部にまでクリアな音色と、確固とした演奏のリズム感など、聞きていて嬉しくなる。デュトワの自然で軽やかでありながらエレガントな響きは、どこか厚ぼったかったフランス音楽の演奏を淡くモダンな色彩で塗りなおし、一世を風靡した。


ラヴェル「ダフニスとクロエ」全曲版

神島(三重県鳥羽市、94年8月)
1.序奏と宗教的な踊り
2.宗教的な踊り
3.全員の踊り
4.ドルコンのグロテスクな踊り
5.ダフニスの優雅で軽やかな踊り
6.リュセイオンの踊り
7.夜想曲
8.間奏曲
9.戦いの踊り
10.クロエの哀願の踊り
11.夜明け
12.無言劇
13.全員の踊り

2022年8月7日日曜日

ラヴェル:組曲「鏡」より「道化師の朝の歌」(アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団)

ある日学校から帰ってFM放送のスイッチを入れたら、聞いたことのない音楽が聞こえてきた。いつも聞いてるNHK-FMの午後のクラシック番組だった。色彩感に溢れ、リズムが千変万化し、それをオーケストラが優雅に奏でる。オーケストラの音は、いつも親しんでいたドイツ系の音色とは異なり、軽妙で洒脱。たった7分余りの音楽に私は身震いをお覚えるような感動を味わった。

アナウンスによれば、これはラヴェルの管弦楽曲「道化師の朝の歌」、演奏はアンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団とのことだった。私はこの組み合わせの演奏をもっと聞いてみたいと思い、小遣いをはたいて買ったLPレコードが、クリュイタンスによるラヴェルの「管弦楽曲集」だった。このLPは、ワルター指揮によるモーツァルトのLPに次ぐ、私の2枚目の所有ディスクとなった。

この1枚のLPレコードには、「ボレロ」や「ラ・ヴァルス」、それに「スペイン狂詩曲」などが収録されていたが、残念ながら「道化師の朝の歌」は含まれていなかった。だが私は、それらの曲に「道化師」と同様の興奮を覚えた。今から思えば、これが私のフランス音楽の原体験だった。

あれから数年がたち、CDの時代になって数多くの録音がリマスター発売されるに際し、毎日のように通った池袋のHMVで2枚組のクリュイタンスによるラベル名曲集に出会った。ここにはもちろん「道化師」も収録されていた。しかしどういうわけか、私はこのCDを買っていない。「道化師の朝の歌」はラヴェルがまだ若いころに作曲した作品で、これ以降のより充実した作品の方が聞きごたえがある、と思っていたからだろうか。すでにラヴェルのCDとしては、当時発売されて最高の評価だったシャルル・デュトワのものを買っていたからかもしれない。

「道化師の朝の歌」はもともとピアノ曲で、30分もある組曲「鏡」の中の4曲目の作品である。この曲と第3曲「海原の小舟」のみがラヴェル自身によって管弦楽曲にアレンジされている。クリュイタンスのCDには、その2曲が収録されている。

アンドレ・クリュイタンスはベルギー人の指揮者であったが、フランス音楽を得意とし、大阪国際フェスティバル協会の招きで60年代に来日している。私がまだ生まれる前のことだが、圧巻の演奏を繰り広げたようだ。この時の演奏は語り草となり、クリュイタンスの演奏は、わが国では大変評価が高い。最初で最後の来日ののち、わずか62歳で没していることもある。ベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集は、カラヤンではなく何とクリュイタンスと行われている。しかし今となっては、忘れ去れたような指揮者となっている。

Spotifyの時代になって、過去の演奏を含め、手軽に音楽が聴ける時代になった。まだ中学生だった私が胸を躍らせて聞き入った時から40年の歳月が経過した。本日、暑い夏の日の朝に聞く「鏡」からの2曲には、スペイン情緒が溢れ、落ち着いた雰囲気に聞こえた。もっとどんちゃん騒ぎの曲に聞こえていたのは、やはり私がまだ若かったからだろうか。

2022年7月24日日曜日

レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」(ロリン・マゼール指揮クリーヴランド管弦楽団)

まるでチャンバラ映画の効果音楽のような大袈裟な出だしで始まる「ローマの祭り」は、一連の「ローマ三部作」の最後の作品である。もっともレスピーギは、3つの交響詩を個別に作曲したのであって、決して連作を意識したものではない。そして「ローマの祭り」は、前作の2つの交響詩とは異なり、ローマで開催された歴史上の祭りを描いているという点で、やや趣を異にしている。

第1部「チルチェンセス」は帝政ローマ時代。

まだキリスト教がローマ帝国中に普及する前のことで、当時は相当な迫害を受けていた。その象徴とも言うべきものが、見世物として庶民の興奮を巻き起こす異教徒と猛獣との決闘で、今も各地に残る円形劇場は、その催しの会場だった。もう昔のことなので、これは史実として知る以外にないのだが、それにしても残酷な話である。そしてローマの歴史上これは避けて通れないことでもある。レスピーギはそのシーンを音楽にした。

第2部「五十年祭」は中世ロマネスクの時代。

時が経ってローマ帝国は分裂し、長い中世の時代に入る。キリスト教はもはやヨーロッパ中を席巻し、各地に教会が建てられ、巡礼の道も整備された。「すべての道はローマに通ず」と呼ばれたこの都は、その巡礼の終着点の一つであった。音楽は厳かで讃美歌の旋律や鐘の音も混じえながら「永遠の都」を讃える。

第3部「十月祭」はルネサンス時代。

小刻みの速いリズムに乗って、弦楽器が高音の旋律を奏でると、やはりここはイタリアという感じがしてくる。明るく楽天的である。そして中間部にはマンドリンが登場。幽玄で穏やかな日暮れは、古風なムードを醸しながら、静かに過ぎてゆく。

第4部「主顕祭」は現代。

いよいよ最終部に入った。賑やかで大はしゃぎの音楽。それぞれの旋律が何をモチーフをしているかは、いろいろあるのだろうけど、すべてがごちゃまぜになっていく。千変万化するリズムに多種多様な楽器が入り乱れ、時に威勢よく、狂喜乱舞の乱痴気騒ぎ。

私の知る限り、マゼールは「ローマの祭り」を2度録音しているが、私が聞いたのは旧盤のクリーヴランド管弦楽団とのものである。この録音はデッカによって1976年にリリースされているが、現在では「Decca Legendsシリーズ」でリマスターされているものが手に入るだろう。あまりに通俗的だからかカラヤンやライナーが「ローマの祭り」を省略していたのに対し、ここでは「ローマの噴水」が省略され、代わりにレスピーギの師匠だったリムスキー=コルサコフの作品が収録されているのがユニークだ。

マゼールに「ローマの祭り」のような作品を振らせたら、その交通整理の巧みさと醒めた盛り上がりによって大変聞きごたえがある演奏に仕上がるのは明らかだ。音の魔術師とも言えるマゼールのアーティスティック・センスは、デッカの「超」優秀録音に支えられて、見通しが良く、細部までクリヤーだ。

2022年7月23日土曜日

レスピーギ:交響詩「ローマの松」(リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団)

「ローマ三部作」の中でもっとも人気があり、演奏される機会が多いのが「ローマの松」である。その理由はおそらく、桁外れに大規模な編成が大音量で鳴り響く終結部だけでなく、賑やかで色彩感あふれる冒頭、それに録音テープまで流れる静謐な第3部など、聞きどころが満載だからである。オーケストラが奏でる最も小さな音から、四方に配置されたバンダとオルガンまでもが混じる最大音量までを、わずか20分の間に体験できる。まさの音の万華鏡。

その歴史的名演奏は、いまもってトスカニーニが指揮したNBC交響楽団の演奏にとどめを刺すが、モノラル録音であることを考えるとちょっと物足りない。最新のAI技術により、モノクロ写真がカラー化できるように、モノラル録音がステレオ化されるようなことはないのだろうか?そうなればこの演奏は聞いてみたい気がしている。

第1部「ボルゲーゼ荘の松」は、まるで荒れ狂ったような乱痴気の音楽だと思ったが、これは子供たちが松の木の下で軍隊ごっこをして遊んでいる様子だという。ホルンやフルートを始めとした管楽器の鋭い旋律に乗って、弦楽器や打楽器が甲高い音を立てる。だがやけに速いだけの上ずった演奏よりは、リズムを刻む冷静な演奏が、結局はいいようである。

第2部「カタコンバ付近の松」はレント。急に静かになると、祈りの音楽が聞こえてくる。奇妙な対照。途中からトランペットの旋律が入り、そのまま弦楽器に乗って厳かに大きく鳴り響く。6分と長い。

ピアノが聞こえてくると第3部「ジャニコロの松」である。深夜、月明かりに照らされてそよ風に揺れている。クラリネットが、フルートが、ハープが幻想的なムードを醸し出す。そしてやがて夜泣き鶯が最弱音のオーケストラに乗って鳴き出す。夜明け前の薄明かりに照らされて幽玄の世界が見事に表現されている、この曲の聞きどころのひとつである。ここも約6分。

とうとう最後の第4部「アッピア街道の松」に入った。最初はまだ夜明けの時刻。オーケストラはオーボエの独奏が聞こえるくらいである。しかし暫くして太陽が昇り始めると、音量はみるみるうちに上がってゆき、そこへ軍隊が行進してくると勇壮なバンダを加えて会場が壊れるのではないかとさえ思われるようなボリュームになってゆく。その間3分にも満たない。会場の前後左右から、オルガンまでもが混じってクレッシェンドを築く。この立体的な様子は、やはり録音機で捉えることができない。ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)の終結部と同様、実演で聞くしかなく、音楽が終わると少しの間難聴になっているような感じもする。

レスピーギは自らフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏したようだ。「ローマの松」はフィラデルフィア・サウンドの十八番とでも言うべき存在である。かつてはユージン・オーマンディがこの曲を指揮して名声を博したが、その演奏もいまもって素晴らしい。が、ここではムーティを取り上げることにしたのは、私がこの曲のCDを初めて買った時の演奏がムーティのものだったからである。当初録音に難があったと思ったが、今ではリマスターされこの問題は緩和されている。

本当に久しぶりにこの演奏を聞いてみたところ、外面的な効果にとらわれず、非常に音楽的であることを改めて発見した。全体の構成を良く把握しており、20分程度のひとつの交響詩としての構成感が明確である。

ところで「すべての道はローマに通ず」という言い方があるが、アッピア街道というのも数あるローマ街道の一つである。私はイタリアを何度か旅行したことがあり、イタリア語も少しかじったが、いまだこの街道を歩いたことはない。できればいつか、わずかの区間だけでも歩いてみたい気がする。思えばまだ旅行していない地域や国は数多い。

2022年7月22日金曜日

レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

街そのものが博物館と言ってもいいイタリアの首都ローマ。ここへは二度行ったことがある。一度目は1987年夏のことであり、2度目は1994年冬のことだった。どちらも天候に恵まれ、快晴だった。冬の寒さはさほどでもなかったが、夏の暑さは堪えた。当時まだ冷房も冷蔵庫も豊富には普及していなかったヨーロッパでは、特に日中の陽射しを避けるしかなく、よほどの店でもない限り、冷たい飲み物は手に入らなかった(手には入るが、値段が跳ね上がった)。それでも学生の私は、たった2日しかないローマの休日を大いに楽しもうと、朝から夜まで歩き回った。

ローマ市内の至る所に噴水があった。どの噴水も芸術的に装飾が施された彫刻と一体である。広場という広場には、そういう噴水が1つはあった。彫刻の口や手から、ふんだんに水が溢れている。夏の日差しを浴びて、その水は白く青く輝いている。水不足のヨーロッパでおそらく噴水は、贅沢の象徴だったのだろう。暑い真夏のイタリアで、少しでも涼し気な場所は、広場の噴水であった。

「トレヴィの泉」と聞くと、大阪育ちの私は阪急三番街を思い出すのだが、もちろん本物はローマにある。数えきれないローマ市内の噴水の中でも、ひときわ大きく豪華で有名なこの泉は、宮殿の一部を構成している。その前に多くの観光客が座って、長時間眺めていたりするのだが、そのスペースはさほど広くはない。その噴水に向かってコインを後ろ向きに投げ入れる。再びローマに来ることができますように、と。

レスピーギの「ローマ三部作」のひとつ「ローマの噴水」は、3つの交響詩の中でも最初に作曲された(1916年)。ローマ市内にある4つの噴水を描写している。それは時間の経過とともに、「夜明けのジュリアの谷の噴水」「朝のトリトンの噴水」「真昼のトレヴィの泉」「黄昏のメディチ荘の噴水」と切れ目なく続く。クライマックスは「トレヴィの泉」だが、それ以外の部分は静かで、派手な残りの2つの交響詩と比較して地味である。

第1部「夜明けのジュリアの谷の噴水」は、朝もやのなかに牧歌的な雰囲気が表現されていて印象的である。家畜が通って行ったりする。一方、どこか日本風のファンファーレのような(と私はいつも思うのだが)が聞こえてくると第2部「朝のトリトンの噴水」に入る。何かドビュッシーを思わせるようなメロディー。朝の陽射しがキラキラと輝く。ホルンに合わせて神々が踊る。

Fontana di Trevi(1987)
第3部「真昼のトレヴィの泉」は、リヒャルト・シュトラウスの「アルプス交響曲」を思い出してしまう。レスピーギはリムスキー=コルサコフから作曲の指導を受けているが、あらゆるものを壮大に管弦楽によって表現してしまうのは、リヒャルト・シュトラウスにも通じるようなところがあるように思う。

音楽が再び静かになっていく。黄昏時を迎えたローマには西日が差し、暑かった一日もようやくしのげるようになった。第4部「黄昏のメディチ荘の噴水」というのを私は見たことはないのだが、暮れてゆく光景が目に浮かぶようである。

「ローマ三部作」にはトスカニーニによる極め付けの名演を筆頭に、数多くの録音が存在するが、私がこれまでもっとも感心した一枚が、カラヤンによるものである。カラヤンの精緻な表現は、アナログ録音全盛期の高い技術に支えられて、いまでも輝きを失わない。ただカラヤンは「ローマの祭り」を録音しなかった。この通俗的な曲の代わりに、より気品に満ちた愛すべき「リュートのための古風なアリア」が収録されている。

※写真はトレヴィの泉(1987年)

2022年7月19日火曜日

ショパン:ピアノ協奏曲第2番へ短調作品21(P:クリスティアン・ツィメルマン、ポーランド祝祭管弦楽団)

例年になく早い梅雨明けに、もう夏が来て相当時間が経ったと思っていたら、まだ7月中旬である。ところが不思議なことに、そのあとに曇りがちの気温の低い日々が続いて、ここ数日は日本列島が大雨に見舞われている。かつてはハッキリとしていた梅雨明けも、ここのところは随分怪しい。おそらく日本中が温帯から亜熱帯性気候へと移り変わっているのだろう。これからは雨季(6月から9月)と乾季(それ以外)といういい方の方が相応しいのかも知れない。

そんな蒸し暑い日々を過ごしながら、ショパンのピアノ協奏曲を聞いている。第1番の方はすでに書いたので、残るは第2番ということになる。ショパンの2つあるピアノ協奏曲のうちで、先に作曲されたのが第2番へ短調である(1830年)。音楽メディアがLPからCDに移行してから、ショパンのピアノ協奏曲は1枚のCDで発売されることが多くなった。ここで紹介するクリスティアン・ツィメルマンのポーランド祝祭管弦楽団を弾き振りした演奏もそうである(と書きたいところだったが、実は2枚組である。演奏時間が長く1枚に収まり切らなかったようだ。一方、ジュリーニと共演した旧盤は2つのLPを1枚にまとめている)。

第2番は第1番に比べて地味で、人気がないとされている。圧倒的に多く演奏されるのは第1番の方で、ショパン・コンクールの最終選考でも第1番を取り上げるピアニストがほとんどである。だが、私の聞く印象では、第1番が優れているように感じるのは第1楽章だけで、それ以外は甲乙つけがたい。第2楽章などはもしかしたら第2番の方がいい曲だと思うこともある。メロディーの親しみやすさ、あるいは華やかさという点において第1番が勝っているように思うが、演奏される頻度の差ほどに第2番がつまらない作品ではないと思う。

その第1楽章は、焦燥感のあふれる主題で始まる。オーケストラだけの長い序奏に続いていよいよピアノの出番となる。これは第1番でも同じなのだが、主題のメロディーが甘く切ないだけの第1番に比べると、焦り、もがき苦しんでいるショパンの心情が色濃く反映されている。この曲の、それがむしろ魅力であるとも言える。第1番が、もう少し時間が経って過去を客観的に振り替えることができた時の余裕を感じるのに対して、この第2番はもっと真剣に悩んでいる。とりとめもなく物思いにふけったかと思うと、そわそわとして心がかき乱される。演奏しにくい曲だろうと思うが、それはこの曲の輪郭がつかみにくいからで、それはそもそもそういう作品だからである。

若きショパンの心情が一層わかるのは第2楽章である。このラルゲットはショパンの書いたピアノ作品の中でも屈指の名曲ではないかと思う。初恋の相手は、ワルシャワ音楽院の声楽家の歌手だったらしいが、一度も口を利くことなく片思いを続けたショパンが、その思いをぶつけたのがこの曲である。

最初のピアノの音が聞こえてきたときから、まるで時が止まったかのような錯覚に見舞われる。恋愛映画の一コマにそのまま使えるような曲である。何とも切なく、そして壊れやすい心情の吐露を、やっと理解できるようになったのは中年以降であります。やはりこのような若き青年の心理をそのまま表現した音楽は、女性には理解しがたい部分があるのではないかと勝手に想像するだけのゆとりが生まれてから、ということになるわけです。だから、この曲が第1番に比べて一般受けしにくいのは、そのような心情がストレートに反映しすぎているからではないだろうか、などと考えたのです。

ショパンの片思いは結局、告白をすることなく終わり、かれは祖国を離れるが、私は第3楽章のロンドにショパンの空想の告白を見つけている。第3楽章のメロディーは軽やかで、マズルカを始めとするポーランドの民謡風のリズムも散りばめられているが、ひとしきりこのような楽し気な、しかし十分翳りも帯びて決して楽天的にはなれない前半が過ぎ去ると、ホルンの短いソロが聞こえてくる。これに応えるのはより小さい声(やはりホルン)である。

これこそがショパンが夢に見た「告白」のシーンではないだろうか?この部分を境に、音楽は一気に明るく華やかになり、舞い踊るようなコーダへと突き進む。だがやがてこれは戯言であったと気付く。音楽はその酔いから醒めるように、大人しく終わる。

このような想像をすることができたのは、ポーランド生まれでショパンコンクールでも優勝したクリスティアン・ツィメルマンによる2回目の録音を聞いた時だった。ここで彼は自らが組織した、この曲のためのオーケストラ(ポーランド祝祭管弦楽団)を弾き振りしている。彼はこのオーケストラと世界中で演奏を行い、ドイツ・グラモフォンに録音した。その演奏は、それまで聞いたことのないよううな驚きの連続だった。特に第1番では、貧弱と言われてきた管弦楽のパートにこれ以上ない精神力を注ぎ込み、異様なまでの集中力である。そのあまりに極端で自由な表現は、この2つの曲を1枚のCDに収めることさえ不可能にした。

ツィメルマンは自分が理想とする演奏に仕上げるには、オーケストラを自主的に組織するしかなかったと語っているが、彼の最初の録音は、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンジェルス管弦楽団との競演でなされている。この録音は決して悪くはなく、私もポーランド祝祭盤が出るまでは、この曲の最右翼だと思っていた。しかし彼は、この演奏にも満足しなかったのだろう。

結果的にショパンのピアノ協奏曲の魅力を最大限に引き出したこの演奏は、今ではこの曲のスタンダードな名演となって不動の地位を築いている。第2番においても、第1番ほどではないにせよ、それまでには知られてこなかった細かい部分の表現にまで神経を行き届かせ、新たな魅力を伝えてくれる。あまり頻繁に聞くことがない曲ではあるが、私にとっての第2番コンチェルトの定盤となっている。

2022年6月17日金曜日

東京都交響楽団第953回定期演奏会(2022年6月13日東京文化会館、小泉和裕指揮)

かつてオンラインで都響のチケットを購入したことがある私の元へ、一枚の葉書が届いた。6月13日の定期公演の内容を知らせるものだった。今月の指揮は終身名誉指揮者・小泉和裕で、メンデルスゾーンの「宗教改革」とベートーヴェンの「エロイカ」。なかなかいい組み合わせだと思ったが、この日は月曜日。翌日以降も仕事が控えるサラリーマンとしては、あまり気乗りのしない曜日である。

ところが都響からは、当日券の発売を知らせる電子メールも届く。見てみたらS席からC席まで多くの席が残っているようだった。このプログラムの公演は1回のみ。全力投球のコンサートとなるか、名曲ばかり故の惰性的なコンサートなのか。どうにも判別がつかない。それでもC席なら高くはないし、それに翌日は午後から会社に行けばいいということになって、私は4年ぶりとなる東京文化会館へ出かけた。当日券は電子チケットのみの扱いで、電源を入れたスマホをかざして入場する。とうとうクラシック音楽の世界にも、電子化の波が押し寄せた。思えば90年代に入った頃から、あの懐かしいチケットの半券を取っておくことはなくなった。プレイガイドがオンライン化され、共通の用紙に印字しただけの、無味乾燥なものになったからだ。そのため、確かベルリン・フィルを聞いた時には、わざわざ「記念チケット」なるものが入り口で配られた。席の表示はない単なる紙であった。

新型コロナの蔓延に最も深刻な影響を受けたのは、悲運の作曲家ベートーヴェンだったかも知れない。またとない生誕250年記念を、世界中の音楽家が祝おうとしていた矢先のことだったからだ。ほぼすべてのコンサートがキャンセルされた。そういうことを埋め合わせるべく、私は最近ベートーヴェンの交響曲をプログラムに見つけては、そのコンサートに出かけることになった。特に昨年の秋以降、奇数番の作品に触れてきた。順に第5番、第7番、第9番「合唱」という順だった。となれば次は第3番「英雄」。これまで何度触れてきたかわからないベートーヴェンの交響曲も、特に第3番などは20年近く遠ざかっている。あんなに何度も聞いた作品なのに、名演奏の記憶が薄れてしまった。専ら安い席で聞いていたからだろうか。特にNHKホールの3階席で聞いた演奏会には、ほとんど思い出がないのは、偶然なのか。

コロナ・パンデミックは、私に日本人演奏家を見直すきっかけを与えてくれた。これまで機会がありながら、聞く機会のなかった指揮者やソリストに巡り合うこととなった。広上淳一のパントマイムのような楽しい指揮や、秋山和慶の職人的な名演奏の数々に混じって、小泉和裕のスタイリッシュで集中力のある演奏が心に残っていた。考えてみれば、日本中のオーケストラを指揮してきた小泉の、もっとも関係の深いオーケストラが都響であり、そしてその定期演奏会にレギュラーで登場する彼のプログラムには、その真価が発揮されるような曲が並んでいる。今回もそうで、メンデルスゾーンの「宗教改革」というのも、滅多に演奏される曲ではないが大いに魅力的である。トスカニーニからカラヤンを経て続くメンデルスゾーンの演奏スタイルが、カラヤン・コンクールの覇者となった小泉に引き継がれているのは、どう考えても明らかである。そしてあのフィルハーモニア時代から名演奏を繰り広げたカラヤンの流線形「エロイカ」も、また小泉によって継承されているのだろうか。そんなことを考えながら、会場へと急いだ。

久しぶりの上野駅は、改札口が変わってあか抜けた感じになっていたが、上野動物園へと続く大通りの雰囲気は、昔パンダが初めてやってきた70年頃の記憶と変わらない。そして文化会館の少し狭い通路や、部分的に死角となる両サイドの上階席も、今やレトロな香りが立ち込める。都の所有する施設だから、ここと池袋の芸術劇場が都響の主な活動拠点である。その音響効果を熟知している組合せの公演に、何かとても嬉しい気分となり、期待が高まっていった。そして、「宗教改革」の最初の音がなりひびいたとき、そのことが現実のものとなったのだ。

この曲の冒頭はコラールを配した厳かな雰囲気で始まる。ゆったりと流れる中音域の弦楽器に乗って、管楽器がこれらのメロディーを奏でる時、東京のオーケストラにして中欧の響きが自信を持ってなっていることに心を打たれた。やがて始まる主題からは、メンデルスゾーン節になる。思い切りよく飛ばしてゆく小泉の指揮にオーケストラが付いてゆく。ほとばしるような熱い演奏になるのに時間はかからなかった。やはり今日のコンサートは「当たり」だと感じた。

第2楽章の明るいスケルツォは、民謡風のメロディーの中間部が特徴。歌うような素朴なメロディーと、重厚で壮麗な教会音楽が同居しているのが本作品の面白い(中途半端な)ところ。「宗教改革」は番号で言えば第5番だが、これは彼の若干21歳の頃の作品である。プロテスタントに改宗したメンデルスゾーンは、自らの意志で本作品の作曲にとりかかる。様々な紆余曲折に翻弄され、結局この作品が世に出たのは、メンデルスゾーン死後のことだった経緯は、ブックレットに詳しく記載されている。

弦楽器の旋律が美しい第3楽章は短いが、このような曲に私はもっともメンデルスゾーンらしさを感じたりする。そして第4楽章は続けて演奏された。ここで音楽は再び教会風に戻り、高らかな賛歌となっていく。教会風な崇高さがあるかと思えば、やや通俗的なメロディーが織り込まれるとてもユニークな作品に思えてくるのだが、演奏の魅力を感じるにはわかりやすく、演奏していても楽しいのではないかと推測したりする。メロディーが親しみやすく、いつも音楽が推進するロマン派前期の音楽は、とりわけ小泉の指揮に合っていると感じた。ロマン派前期の作品で言えば、私は彼の指揮で、シューベルトの「グレート・シンフォニー」を聞いてみたい。

さて、20分の休憩を挟んで次はベートーヴェンの「エロイカ」である。この曲の最初の和音は、音楽史を変えた和音だ。小泉はそこを一気に響かせた。その集中力と音のややデッドな響きは、何といったらいいのだろう、もう天才的な音のバランスと強さであって、この一音が続く50分近い演奏を決定づけるほどのインパクト。私はこの「英雄」の第1楽章を聞くたびに、ソナタ形式の主題はどれか、などと考えて行くのだが、かつて一度も成功したことはなく、第1主題の繰り返しがあったかどうかくらいで(今回はなし)、聞いているうちにそんなことはどうでもよくなっていく。音楽の流れは大河が勢いよく流れて行くようで、いつまでも聞いていたい。ゆっくりとした演奏も悪くはないが、小泉のように颯爽と駆け抜けてゆく演奏がモダンで一時期の流行スタイルであった。

第2楽章、葬送行進曲。思うに東京文化会館の響きはかなりデッドである。だからオーケストラの響きが直接的に会場にこだまして、その強さが弛緩すると音楽は崩れるようなところがあるが、小泉・都響の集中力はこれが絶えることはなく、大フーガを始めとするこの曲の聞かせどころをどんどんこなしてゆく様は見事である。それにしても「エロイカ」は、何という作品なんだろ。

後半が腑抜けになるような演奏が多い中で、第3楽章のホルンのトリオを含め、一気呵成に続ける。ここで気を抜くわけには行かない。だからできるだけ早く、前へ。そして第4楽章の冒頭へ流れ込む。もちろん休止はほとんど置かず。流れ出る第4楽章の変奏曲に身を委ねながら、私はベートーヴェンが交響曲に持ち込んだ壮大なドラマを見ることになる。私が愛してやまない第4楽章は、ベートーヴェンのもっとも明るい側面が出た素晴らしい曲で、第2番に次ぐ造形美が感じられる。

都響が燃えた演奏が終わり、大歓声に包まれる。小泉自身会心の出来だったのではないだろうか?何度登場したか知れない都響の定期でありながら、その挨拶の身振りなどから、それは如実に感じられた。いつまでも聞いていたい音楽が終わったことに、久しぶりに淋しさを感じた。1回限りの月曜日の定期演奏家は、決して気を抜くことなく、むしろ本当に聞きたい人が聞きに来る熱いコンサートのように感じた。私はまたこのコンビを気に入ってしまった。次回は9月23日(祝日)、「田園」ほかが演奏される。プロムナード・コンサートと題されるマチネシリーズは、サントリーホールである。

2022年6月11日土曜日

東京フィルハーモニー交響楽団第970回定期演奏会(2022年6月8日サントリーホール、ミハイル・プレトニョフ指揮)

ニュースによればロシアはウクライナと交戦状態にあるらしい。ロシアにとってウクライナは長年の友好国であり、ロシア音楽の数々も両国の文化を讃えている。まるで兄弟喧嘩のような戦争に国際社会は過剰に反応し過ぎではないかとさえ思われるのだが、一方的に領土を侵略したロシアに対する制裁は厳しく、ロシア人の音楽家が来日することも危ぶまれている。にもかかわらず、3月に引続き、奇才ミハイル・プレトニョフが東フィルの定期演奏会に登場したことは大変喜ばしいことだった。

会場に入ると、その舞台に並べられた楽器群に驚いた。弦楽器は向かって左手から第1バイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリン。左手奥にコントラバスが並ぶのは今ではさほどめずらしくない。ところが多くの打楽器群が、本来なら居座る管楽器のセクションにずらりと並んでいるのだ。その楽器の数々は、いろいろあり過ぎて目で確認することはできない。配布されたブックレットから転記すると、次のようなものである。

  • ティンパニ
  • 打楽器Ⅰ(カスタネット、カウベル、ボンゴ、ギロ、小太鼓、チューブラーベル、ヴィブラフォン、マリンバ)
  • 打楽器Ⅱ(トライアングル、クラヴェス、ギロ、ウッドブロック、タンバリン、小太鼓、ヴィブラフォン、マリンバ)
  • 打楽器Ⅲ(トライアングル、クロタル、マラカス、ギロ、カバサ、鞭、テンプルブロック、小太鼓、テナードラム、大太鼓、タムタム、グロッケンシュピール)
  • 打楽器Ⅳ(トライアングル、ハイハットシンバル、タンバリン、トムトム、大太鼓、シンバル、タムタム)

舞台に登場する打楽器奏者はたった5人で、これだけの楽器を操る。一方、何と管楽器が不在なのである。この楽器編成で演奏されるのは、ビゼーの「カルメン」をシチェドリンがバレエ音楽に仕立て上げたものである。まだ実在の作曲家は今年生誕90年を迎えるそうだ。バレリーナだった妻の依頼によるこの作品は、ソビエト時代の1967年にボリショイ劇場で初演されている。これは私が生まれた翌年である。「カルメン」は有名曲のオンパレードだが、それが上記のような楽器編成でどうアレンジされているか、興味が尽きない。

静かに始まった序奏では、ベルが「ハバネラ」のメロディーを厳かに奏でるシーンから始まった。以降、音楽はビゼーの様々な音楽から採用されているし、順序は必ずしも原曲の歌劇とは異なっているが、ストーリー性とモチーフは維持されていて、この曲が持つ本来のテーマはむしろわかりやすく強調されているのは、やはりバレエ音楽という性格からか。

例えば第2曲は第4幕への前奏曲から採用されているが、これは第1幕への前奏曲と同じメロディーだから、違和感はない。しかしそこに悲劇性が早くも暗示される、といった具合。そして「運命のテーマ」、衛兵の交代、ハバネラといった一連の音楽が続き、第7曲であの美しい第3幕への間奏曲が聞こえてくる。フルート独奏が際立つこの曲を、弦楽器でのみ演奏する。そして第8曲では「アルルの女」の「ファランドール」までもが演奏された。

全体で約45分の曲を、プレトニョフはいつものようにほとんど休止させることなく繰り出して行く。集中力を絶やさないようにと、楽章間の休止を設けず演奏を再開する指揮者は近年多いが、プレトニョフもその一人である。しかし時に私は、もう少しゆくりと物語を楽しみたいと感じることも多い。闘牛士とカルメンが舞台上でどのように踊られるのか、私はバレエというものをほとんど見ないし、その面白さもあまりわかっていないのだが、このシチェドリンによる意欲的な作品は、ビゼーの音楽の巧みさを別の視点で浮かび上がらせることに成功していると同時に、斬新で才気に溢れるその作曲技法によって、シチェドリン自身の面目躍如ともなっているようだ。

カルメンが公衆の前で遂に刺し殺され(それはコントラバスによって表現された)、終曲では序奏で奏でられたベルによる「ハバネラ」が、まるで夜のセヴィリャの街にこだまするように厳かに響いて物語が締めくくられた。打楽器を担当した5人の奏者に惜しみない拍手が送られ、プログラムの前半が終了した。

後半は、チャイコフスキーの名曲「白鳥の湖」である。バレエ音楽だけを取り上げるこのコンサートが、私にとて大変魅力的だったのは、何より「白鳥の湖」の大ファンだからである。

ロビーに出て、久しぶりにバーカウンターで「プレミアム・モルツ」などを飲みながら、ブックレットに目を通す。チャイコフスキーの名曲にもはや解説は不要だろう。有名な「情景」などに混じって繰り出される世界各国の興に乗った踊り。その音楽は楽しいの一言に尽きる…と思っていた。ところが、今回のプレトニョフによる特別編集版には、そういった数々の名曲が見当たらないのである!

解説書によれば今回の版は、チャイコフスキーの音楽を研究し尽くしたプレトニョフにこそ可能なもので、舞台の縮小版のような編集になっているとのことである。つまり有名旋律を並べ、ストーリー性が無視された組曲版に抗い、舞台音楽の縮小版が出来上がったのだ。何とそこでは、有名な「4羽の白鳥」や「チャルダーシュ」などの名旋律までもが姿を消し、変わって6つの楽章に見立てて音楽的な連関を重視している。私が実際に聞いた印象では、これはもはや「交響詩」のような音楽であった。

それもこれもチャイコフスキーの音楽が優れているからだろうと思う。「白鳥の湖」は、いくつかの場面を割愛してもなお、バレエなしの音楽だけで聴かせるだけのものを持っているのだ。プログラムの前半のシチェドリンの「カルメン」だって、それだけで聞いて実に楽しいバレエ音楽だったこととも共通する。ロシアにおけるバレエ音楽の底力こそ、今回のプログラムでプレトニョフが意識した構成ではないだろうか。

前半に舞台中央に陣取った打楽器は、後半ではいつもの規模に縮小され、代わって並んだ管楽器が活躍することとなった。オーボエが、クラリネットが、物憂いロシアのメロディーを奏でる時、私は名状しがたい気持ちにさせられる。そしてハープの特筆すべき上手さ!ロシアはまだ見たことのない土地だが、いつかゆっくり旅行してみたいと思っていた。それがこの度の戦争で、またもや遠のいてしまった。だが、私のロシア音楽に対する愛着は、今回の演奏会を通してむしろ高まったと言っていい。

本来ならブラボーが吹き荒れるはずの聴衆も、マスクをして行儀よく拍手をする。だがその大きさと長さから、今回の演奏がとても満足の行くものだったことがわかる。4月にまたもや腰を痛めて以来、少し遠ざかっていたコンサートへも、私は出かけて行きたい気持ちになった。音楽を聞く喜びを忘れかけていた、私の暗澹たる日常に、かすかな光明が差し込んできた。健康を取り戻すことができれば、一気にまたコンサートや旅行に出かけてみたい。ロシアの大地に鮮烈な「春の祭典」がやって来るように。

2022年5月1日日曜日

バッハ・コレギウム・ジャパン演奏会(2022年4月17日、ミューザ川崎シンフォニーホール)

復活祭の前日にJ. S. バッハの不朽の名作「マタイ受難曲」を、我が国を代表する古楽団体バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)で聞いた(指揮:鈴木雅明)。ミューザ川崎シンフォニーホールの舞台の左右に2つのオーケストラが分れ、その背後にソリストを含む合唱団が配置されている。正面にはチェンバロ、その左右に通奏低音を担う楽器群、奥にオルガンが陣取る。大きなホールながら客席はほぼ満員で、次第にコロナ禍の非日常が薄れつつあることを実感する。3時間余りに及ぶ大作を、こんなに多くの人が心待ちにしていたのか、と思うと胸が高まる。マチネとしては少し遅い16時開演。終演は19時過ぎとアナウンスされている。

ここのところの関東地方は、曇りがちで雨が降る日も多く、その前は夏を思わせる暑い日が続いたので、この時期特有の季節の変わり目の神経質な陽気である。それでも人出は多く、いつもながら川崎駅前の混雑状況には驚かされる。これは、渋谷でも池袋でも横浜でも、コンサートホールのある都市は同様である。その中を、深遠なるバッハを聞きに行く。もっともバッハには10人もの子供がいて、家の中は常に騒々しかったと推測できる。バッハはそのような状況でカンタータを書き、オルガンを弾いた。おそらく現代と違うのは、街中で騒音が溢れていなかったことだろう。演奏家でなければ、教会の中でしか音楽を聞くことはできなかったからだ。

「マタイ受難曲」については多くの文献や書物で紹介されているが、ごく簡単に言えばキリストの受難の物語で、福音史家(エヴァンゲリスト)が物語の進行を語り、福音書に基づく様々なエピソードが音楽によって表現されている。第1部(前半)は過越しの祭りでの最後の晩餐のシーン。ユダによる裏切りによってイエスは予言通り捕えらえる(約70分)。第2部はイエスの尋問とペテロの否認、そして十字架にかけられたイエスの苦しみと復活に至る物語である(約100分)。

バッハ・コレギウム・ジャパンは「マタイ受難曲」を毎年この時期(復活祭の頃)に演奏しており、その回数は100回近くに及ぶそうだ。そのことを含め、「マタイ受難曲」の聞きどころをを鈴木自らが解説した事前の講座の模様を、音楽評論家の加藤浩子が報告するミューザ川崎シンフォニーホールのオフィシャル・ブログが、この曲に対する鈴木の考え方を知る上で大変役に立つ(https://www.kawasaki-sym-hall.jp/blog/?p=14717)。

それによれば、バッハがこの曲を書いた時代には、それまで神格化されていたイエスが、「苦しみ」を持つ一人の人間としての性質に焦点が当てらていること、それを表現するテクストと音楽における「三重構造」が随所に見られる、ということが特徴であるとのことである。詳細はここでは書かないが、「マタイ受難曲」における発見は、多くの音楽家や聞き手の興味の対象であり、その深さは限りなく大きい。私のような一音楽愛好家にはなかなかわかるものではないのだが、それでも「マタイ受難曲」は聞いていて面白い。それなりの発見があるからだ。

「苦しみ」を抱くイエスは、舞台ではバス(加耒徹)によって気高く歌われる。イエスが歌うシーンは、すぐにわかるように工夫されている。弦楽器や通奏低音が、そうとわかる和音を奏でるからだ。これは絵画における威光の音楽版と考えることができる。イエスが何かを語る時、常にこの和音が鳴っている。それにしても加耒の歌うイエスの、気品と威厳を同時に持ち合わせる格調高さは、群を抜いていた。これほどピタリと役にはまった声はないとさえ思った。

一方物語の進行をつかさどるのはテノールのエヴァンゲリスト(トーマス・ホップス)である。彼は加耒とはまた違った声の響きで、こちらは淡々と物語の進行を歌う。鈴木はその「語り」の導入の部分でさえ、細かく指揮してオルガンとの導入部分の一致が乱れないようにしていた。音楽は弛緩なく淡々と進み、舞台には合唱に混じったソリストが舞台前面やオルガンの左右に行ったり来たり。その様子を見ているだけでも、次はどんなシーンになるのかと興味が沸く。視覚的にも工夫された演出だったが、それも音楽の完璧とも言える緊張の持続があったからだろう。歌も楽器もみな世界クラスの巧さだが、しいてあと一人独唱を挙げるとすれば、私の場合、アルトのパートを歌ったペンノ・シャハトナー(カウンター・テナー)だろう。

BCJの器楽ソリストについては、もう何も言うことはない。ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダー、オーボエ、オルガンなどみな我が国を代表する名手揃いである。その中でも指揮者の正面に置かれたチェンバロを、息子の鈴木優人が弾いたことは驚きだった。そのことは会場の張り紙によって知らされ、ブックレットに記載はなかったので、急遽決まったことなのかもしれない。鈴木優人もいまや我が国を代表する指揮者として活動が目覚ましいが、大学生の頃からBCJのチェンバロを務めていたから、手慣れたものである。音楽が始めるとゆったりと音符に身を沈ませ、体を左右に揺らした。これは他の奏者も同様だった。長い「マタイ受難曲」への船出を、このようにして会場に示していた。

今回聞いたのは、ミューザ川崎シンフォニーホールの狭い1階席であった。前から12列目というのはおそらくベストなポジションに近いのではないか。楽器も歌声も直接響く。次から次へとアリア、コラール、そして二重合唱が繰り返され、息つく間もなく音楽が進行する。その熱量に圧倒されっぱなしだった。これほどにまでエネルギーを感じた演奏会はないくらいだった。それだからか、大変疲れた。舞台裏の席の上部には、日本語の字幕も付けれれていたのは大いに嬉しいことだった。

演奏が終わって静寂がしばし続き、そして割れんばかりの拍手となった。何度も舞台に登場した鈴木は、すべての歌い手、器楽奏者を順に立たせ、今回の演奏がとても素晴らしい演奏であったことを印象付けた。ソリストや楽器奏者については、誰が何を歌ったかまではここに書き切れないので、ブックレットのページを張り付けておく。主な配役は次の通りである。

ソプラノ:ハナ・ブラシコヴァ、中江早希
アルト:ペンノ・シャハトナー、青木洋也
テノール:トマス・ホップス(エヴァンゲリスト)、櫻田亮
バス:加耒徹(イエス)、渡辺祐介

BCJは「マタイ受難曲」を再録音し、リリースしたそうである。そうでなくともあの膨大なカンタータを毎年取り上げて、とうとう全曲演奏、録音を達成した団体は、世界を見渡してもそう多くはない。しかも演奏の水準は、キリスト教の伝統が希薄な我が国にあって、大変高い。そういう団体が、春には「マタイ受難曲」を、クリスマスにはヘンデルの「メサイア」を毎年取り上げては演奏をしている。私も2001年のクリスマス・イブに「メサイア」を聞いて以来のことだった。「マタイ受難曲」に至っては、かつてたった一度だけ、実演で聞いているのみである(2005年、コルボ指揮ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル)。これほどポピュラーな作品であるにも関わらず、CDも立った一組有しているに過ぎない。

これを機に、「マタイ受難曲」のCDでも久しぶりに聞いてみようと思う。


2022年4月17日日曜日

ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11(P:チョ・ソンジン、ジャナンドレア・ノセダ指揮ロンドン交響楽団、P:マルタ・アルゲリッチ、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団)

我が国ではまだ、クラシック音楽というと何か高尚なもののように思われていて、これはヨーロッパや米国でも実は同様なのだが、ある上流の家庭に呼ばれて応接室に通され、そこに設置されたステレオ装置にレコードなどをかけて音楽を聞くことになると、いつのまにかカステラとレモン・ティーなどが運ばれてくるといったイメージがある。今ではドラマのシーンくらいでしかお目にかかれないが、そこで何を聞いているかと言えば、マーラーやバルトークではなく、ショパンかモーツァルトなのである。

ショパンの作品はほとんどがピアノ曲で、それも大半がサロンなどで演奏された独奏曲である。そのいずれもが名曲で、ワルツ、ノクターン、ポロネーズ、エチュード、ソナタ、スケルツォ、プレリュードと限りがないのだが、そのショパンには2つのピアノ協奏曲が存在している。とりわけ第1番(の方が後に作曲された)は有名で、5年に一度開かれるショパン・コンクールの最終予選では、このピアノ協奏曲が使用される。私も5年に一度のペースでこの曲を聞くことになっている。

このショパンのピアノ協奏曲第1番は、演歌「北の宿から」に酷似した第1楽章の主題から最後まで、全編カステラと紅茶の香りがする曲である。そして多くの人にとってそれはまた、青春のほろ苦い思い出と共にあるようなところがあって、甘く切ない記憶がどういうわけか蘇り、しばし時のたつのも忘れてしまう。初恋の経験、将来に道を見いだせないでいる青年の、どうしようもない焦燥感。その焦りを感じつつも、有り余る時間と自由を持て余す日常の生活。この曲がイメージするものが、これほど明瞭に迫って来る曲を私は他に知らない(いや、これは嘘である。私の場合、メンデルスゾーンの無言歌集にこそ、ショパン以上に若き日の哀しみと切なさを感じる)。

私が最初にこの曲を聞き、そして今でもベストと思う演奏は、第7回目のショパン・コンクール(1965年)の覇者、マルタ・アルゲリッチによるものである。ここで伴奏にはクラウディオ・アバドが起用され(当時35歳)、ロンドン交響楽団を指揮している。これはコンクールの3年後のことで、カップリングにはリストのピアノ協奏曲第1番だった(ドイツ・グラモフォン)。

アルゲリッチの1回前のコンクール(1960年)ではポリーニが、1回後(1970年)ではアメリカ人のオールソンが、それぞれ第1位に輝いている(この時の第2位は、内田光子だった)。ポリーニの頃から、晴れてコンクールの優勝者となったあかつきには、その直後にメジャー・レーベルによる録音が行われることが多い。そこで起用されるのも比較的若手の実力派指揮者と決まっている。これとは別に、コンクールでの実況録音もリリースされるなど、第1位に輝いたピアニストには華々しい栄誉が待っていると言って良い。アルゲリッチの場合も、まさにショパン・コンクールによって世界に知られ、その代表的なレコードのひとつがこのアバドとのピアノ協奏曲第1番だったと思う。我が家にも白黒写真のジャケットの、このLPレコードが置いてあった。

アルゲリッチによるショパンのピアノ協奏曲の演奏は、テンポを比較的早めにとり、時に揺らしながらスリリングに進む近代的なもので、古色蒼然としたショパンのイメージを鮮やかに打ち破った感のあるものだったのではないかと思うのだが、それは今聞いても実に新鮮で、もしかするとこういう演奏をされてしまった以上、この後に続くピアニストは、この少し出来損ないの感もある曲をこれ以上にどう処理していいのか、大いに悩むところとなっていったのではないかと思う。実際、10年後の1975年に優勝したポーランド人のツィメルマンを除けば、私の気を引いた演奏は6年前にチョ・ソンジンまでなかったというのが正直なところである。

第1番の第1楽章は長い。手元のアルゲリッチの演奏では19分ある。この第1楽章は長いオーケストラのみの演奏に導かれる古典的な手法が見られ、ピアノが登場する場で少し時間がかかる。ピアノが決然と弾き始める最初の部分が、これほどこの曲のイメージを決定するところはないと思う。従って、ここはピアニストの真骨頂である。

以降は流れるように進んでいき、甘く切ないメロディーが延々と続くのだが、これは続く第2楽章に比べるとまだ序の口である。どんな演奏で聞いてもピアノの魅力を感じないものはなく、あらためてショパンのピアノはいいな、と思ってしまう。長いが聞き惚れている間に終わってしまう第1楽章に続いて、第2楽章ロマンスは、もっと魅力が多く深い。

夜の静寂を歩くような孤独感にそっと寄り添うピアノのやさしさと包み込むのは、満点に輝く星の煌めきである。恋多きショパンの心情がそのまま音楽になったようなこの第2楽章に、胸を締め付けられない聞き手がいるのだろうか。若干20歳のショパンは、この曲を書いた後に祖国を出てパリに向かう。祖国への思いが、片思いの記憶と重なる。だからこの曲は中年以降に聞くべき若き日への憧憬に満ちている。

様々に装飾音を重ねながら、ピアノの詩人はピアノの魅力を伝えて止まない。オーケストラはここでは丁度いい具合に脇役に徹している。中間部で立ち止まるのような部分を頂点にして、ロンド形式による第3楽章のコーダまでが後半である。後半でもピアノの魅力が満載で、ここにはショパンにしか書けなかったピアノ協奏曲というものが確かに存在している。

韓国人のチョ・ソンジンによる演奏は、アルゲリッチとは対極的な演奏ではないかと思う。反論を覚悟で言えば、アルゲリッチが男性的であるのに対し、チョは女性的である。アルゲリッチは決然と吹っ切れたように先に行くかと思えば、どっぷりと溜を打つようなところもある。客観的にこの曲をイメージして、女々しく表現することを避けている。つまり、これは女性的に男性化した演奏である。

一方のチョの演奏は、男性的に女性化している、とでも言おうか。男性にしか表現できないやさしさが横溢している。そっと春風が頬を撫でるようなデリカシーに、女々しいというのではなく、男性的純粋さを感じる。言い換えれば、アルゲリッチの男勝りな表現は、女性にしかできない男性的アプローチであり、チョの一見女性的とも思える表現は、実は男性にしか表現できない繊細さと思いやりに溢れている。つまりその表面的な表情とは異なり、アルゲリッチは女性ピアニストの側面であり、チョは男性ピアニストにしかできない表現の側面を大いに持っている。

私は男性であると同時に、アジア人でもあるので、チョの演奏にどちらかといえば憑かれる。それまで第1位に評価してきたアルゲリッチによるこの曲の演奏は、若き韓国の若者によって先端が開かれたと言って良い。アルゲリッチの演奏から半世紀が経過して、このような演奏が登場したことに驚いた。ショパンのこの曲の表現の幅が、また広がったのである。

チョ・ソンジンは1994年生まれの韓国の若者だが、珍しいことにほとんど韓国で教育を受けたようである。イタリア人の指揮者、ジャナンドレア・ノセダの真面目な好サポートを得て、輪郭の明確な音楽に仕上がっている点が、これほど繊細な表現をしながらも力強さを失わず、理性的なものを感じる。私はまだ実演を聞いたことはないのだが、リリースされるショパンやドビュッシーの演奏もいいし、ビデオで見るラフマニノフのコンチェルトも見ごたえがある。人気があり過ぎてチケットが取りにくいが、リサイタルでもコンサートでも、是非聞いてみたい音楽家である。

2022年4月5日火曜日

マーラー:リュッケルトの詩による5つの歌曲(Ms: クリスタ・ルートヴィヒ、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

かつて我が家にあったクリスタ・ルートヴィヒによるマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」を久しぶり聞いてみたら、その深々とした中にもほのかな明るさも垣間見える知的な歌声に、この曲の魅力を再度発見したような気になった。カラヤンのサポートがまた秀逸で、他の歌手による演奏はあまりよく知らないが、この曲は彼女の録音で「決まり」とさえ思うほどである。1974年のセッション録音。同様にリュッケルトの歌詞に音楽を付けた「亡き子を偲ぶ歌」とのカップリングだった。

「リュッケルトの詩による5つの歌曲」には曲順の指定がない。従ってどのような順に演奏するかは、様々である。だが、もっとも長く深遠な「私はこの世に捨てられて」が後半、特に最後に置かれることが多いようだ。最近私が実演で聞いた藤村美穂子によるものもそうだった。しかし、ルートヴィヒのCDでは同曲が先頭に置かれている。実演と録音という違いがあるにせよ、このことによる曲の印象の違いは明確だ。一気にマーラーの世界に入り込んでしまうのだ。従って曲全体に対する輪郭がはっきりと浮かび上がり、集中力が増す。おそらくカラヤンのことだから、こういうことを計算に入れたに違いない。まだLPレコードが主流だった時代なので、CDのように曲順は自由に組み替えて再生することはできなかった。

ルートヴィヒとカラヤンによる「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の曲順は、以下の通りである。

  1. 私はこの世に捨てられて  Ich bin der Welt abhanden gekommen
  2. 美しさゆえに愛するのなら  Liebst du um Schönheit
  3. 私の歌を覗き見しないで  Blicke mir nicht in die Lieder!
  4. 私は仄かな香りを吸い込んだ  Ich atmet' einen linden Duft
  5. 真夜中に  Um Mitternacht

歌詞を読むと、これはやはりマーラーの心情(テーマ)をそのまま反映したようなものである。救いようがないくらいに暗く絶望的。そこまで悲観的にならなくても良いのにとさえ思う。というのは、彼は精力的に作曲や指揮をこなし、多忙を極めた音楽活動がそれほど救いようもないようなものではないからだ。私はマーラーの死因が、ニューヨークとウィーンを頻繁に往来し多数の演奏会をこなしたことによる過労死ではないかとさえ思っている。同じユダヤ人だったメンデルスゾーンと同様である。

丁度交響曲第4番と第5番辺りの、音楽家としてもっとも脂の乗り切っていた時期、ウィーン宮廷歌劇場のシェフも務めるマーラーの妻となるのはアルマだった。長女も生まれる。言ってみれば人生の絶頂期に、かくも悲観的な曲を書いた。リュッケルトの詩による「亡き子を偲ぶ歌」がそれである。「子どもがいない人が、子どもを失った人が、こんな恐ろしい歌詞に作曲するのするのであれば、まだ分かる」(アルマの回想録、1904年)。詩を書いたフリードリヒ・リュッケルトでさえ、そうだった。アルマは書いている。「あなたは壁に悪魔を描いて、悪魔を呼んでいるようなものよ!」(村井翔・著、音楽の友社「マーラー」より)。そしてそのことが現実的になる。

「芸術が人生を模倣する」のか「人生が芸術を模倣する」のか、それは定かではないが、このあと交響曲第6番で掲げたように「3回の打撃」がマーラーを現実に襲うのは周知の事実である(宮廷歌劇場の解任、長女、次女の死)。おそらく彼のように悲観的な人間は、予め悲劇が自身を襲った時に備え、あえて最初から悲劇的であろうとした。そのことによって、彼は来るべき試練を予見的に慰め、困難を乗り越えようとしたのかも知れない。これが計算された予定行動だったとしたら、彼ほど独善的な人間はいないだろう。だが私はそう感じる。しかし、だからといって現実に彼を襲った悲劇は偶然だったことも確かだ。偶然の悲劇を、彼は前もって予想することで、精神的平静を保ったのではないか。

「リュッケルトの詩による5つの歌曲」の歌詞を読むと、その孤独な心情がマーラーのものであるかの如くに思われてくる。「私の歌を覗き見しないで」というのもまた、自尊心が持てないでいる芸術家の吐露であり、「真夜中に、どの星も私に微笑まなかった」と歌うのは、彼自身である。そのマーラーが「この世から姿を消した」と言い放っている。強いて言えば絶望感がもたらす余裕さえ感じるのだから、屈折と皮肉と言うしかない。だがそう片付けてしまうには、あまりに人生は過酷である。悲劇の予感は、しばしば的中するのだ。

なお、本曲にはピアノ伴奏版とオーケストラ伴奏版が存在する。私は後者を好むが、それはやはりマーラーは、交響曲作曲家(シンフォニスト)だったからで、管弦楽こそマーラーの真価が発揮されていると思うからだ。また、この曲はバリトンやソプラノで歌われることも多い。しかし、私はこのルートヴィヒのように、メゾ・ソプラノによる歌唱が好きである。歌詞が女性を第1人称にしていることと、翳りを伴った声で聴きたいということが理由である。これは「大地の歌」でも同様だ。

2022年3月21日月曜日

京都市交響楽団第665回定期演奏会(2022年3月13日京都コンサートホール、広上淳一指揮)

新型コロナウィルスの爆発的流行を受けて、中止や公演内容の変更を余儀なくされた演奏会は数知れない。京都コンサートホールで開催された広上淳一を常任指揮者とする最後の公演も、その一つである。演目がマーラーの交響曲第3番から第1番へ変更されたからだ。これは出演を予定していた少年合唱団が、練習できなくなったことによる。そういうアナウンスがあったのが2月の下旬、公演の数週間前のことである。この最終公演を楽しみにしていたファンは多いだろうと思う。ただ、曲目に変更があったとしても、開催できたことを喜ぶべきかも知れない。そしてこの公演は、その前評判に違わず忘れ得ぬ名演となった。

私は昨年(2021年)の秋、東京で開催された京響の演奏会を聞いて、広上の指揮するマーラーの演奏が大変面白く、また的を得たものであることを初めて経験したことは、このブログにも書いた。その時演奏されたのは、ベートーヴェンとマーラーの、いずれも交響曲第5番という意欲的なプログラムで、まずはこのオーケストラの演奏水準に驚くと同時に、広上の楽天的でユニークな指揮に惹きつけられた。京響だけでなく彼は、どのオーケストラでも同様に、曲の表情を全身を持って表現する。一見、滑稽にさえ思われるその指揮姿も、曲のニュアンスを演奏者に伝える手段として大いに機能している。そしてそれが見ていても面白いし、聞いていてもツボを得ている。

マーラーの交響曲第5番が、これほどにまで雄弁に真実味を持って私に迫ってきた演奏を聞いたのは初めてだった。東京での最終公演となるその演奏会でマイクを握った指揮者は、京都に是非聞きに来てくださいと述べた。その最終公演が、今回の第665回目となる定期演奏会で、そのチケットは2月に発売された。

私は遅まきながらこのチケットを知った時、もう売切れてしまっていることを覚悟していた。ところが2日あるどちらの公演も、まだ多くの席が残っていたのである。週末のマチネとあらば、東京ならこのような記念すべき演奏会はたちまち売り切れる。しかし京都では絶対的なファンの数が少ないのだろう。だから当日になってからでも、思い立ってコンサートに出かけることができる。ニューヨークでもどこでも、これは普通である。私は大阪の出身だから京都でのコンサートとなると誘うことができる人もいる。そういうわけで、初めての京都コンサートホールに出かけることになった。

例年になく寒い冬が続いた今年も、3月に入って急に暖かくなり、特にこの週末からはまるで初夏を思わせる陽気となった。3月11日から関西入りした私は、仕事を休んで古都の小旅行となった。2日間奈良のホテルに宿泊し、斑鳩や飛鳥の里を散策しては古寺を訪ね、外国人も修学旅行生もほとんどいない閑散とした中で世界遺産、国宝、それに重要文化財の数々を見て回った。奈良では旧い友人に会い、万延防止措置の出ていない街で遅くまで飲むことができた。

そういう充実した日々の最後に京都に移動。地下鉄を北山駅で降りるとすぐそこにコンサートホールはあった。まだ新しいクラシック専用のホールは、京都にこそ相応しいと思うが、そういうホールができたのは最近になってからである。そしてその館長にも選ばれたのが、2008年からシェフを務める広上氏である。東京生まれの江戸っ子が、古都のオーケストラを指揮するのは面白いが、これがピタリと上手く行ったのだろう。京響はメキメキと実力をつけ、「今や世界に誇れるオーケストラ」にまでなったと、開演前のプレトークで紹介された。

マーラーの交響曲第3番に代わって演奏されることになったのは、広上の師匠でもある尾高惇忠の女声合唱曲集「春の岬に来て」から「甃(いし)のうへ」と「子守唄」。それに藤村美穂子(メゾ・ソプラノ)を迎えてのマーラーの「リュッケルトの詩による5つの歌曲」、それに交響曲第1番「巨人」である。そもとも出演を予定していた合唱団(京響コーラス)は、わずか2週間でこの合唱曲に対応したそうである。一方、藤村はわずかこの2日間のコンサートのためだけにドイツから帰国し、隔離生活も終えて会場入りしたと紹介された。

当日券に並ぶ多くの人たちも無事客席に着いて、舞台背後の客席にディスタンスを取って女声合唱団が入場した時、これから始める曲が何とマスクを装着したまま歌われることを知った。これは驚きだったが、どこか春霞でもかかったような効果があったのかも知れない。尾高の曲は、オーケストラによる伴奏で演奏された。特にわずか24歳で夭逝した立原道造の詩による「子守唄」には「靄(もや)に流れる うすら明(あか)り」という歌詞がある。「眠れ、眠れ」と繰り返されるその歌詞を聞きながら、これは昨年2月に亡くなった尾高に対する広上の鎮魂歌だったと思う。

藤村美穂子が登場し、会場が一層晴れやかになった。マーラーの歌曲「リュッケルトの詩による5つの歌曲」を、彼女は心を込めて歌った。すでにCDも出ている藤村のこの作品への愛着は、配布されたプログラムに掲載されていた歌詞対訳が自らの翻訳であることからもわかるような気がする。交響曲で言うと丁度第5番のあたりに書かれ、あの有名な「亡き子をしのぶ歌」の頃である。もっとも「亡き子をしのぶ歌」は、リュッケルトが書いた詩10作品に対して作曲されたもののうち5つが採用されており、残りの5つが「リュッケルト歌曲集」である。ここで管弦楽による伴奏が付けられたのは4曲であり、「美しさゆえ愛するのなら」だけはピアノ伴奏版しか残されていない(従って、通常はブットマンによる編曲版が用いられる)。

曲順の指定もないようだが、今回の演奏では「美しさゆえ愛するのなら」が先頭に置かれ、続いて「私の歌を見ないで」、「優しい香りを吸い込んだ」、「真夜中に」と続き、次第に深淵な世界へと入ってゆく。最後の「私はこの世から姿を消した」では、やはりマーラーの「死」への拘りが最高点に達するが、このような順序は実際の演奏会でも聞いていてよくわかった。藤村のこの作品への思いが、終演後にも見てとれた。彼女は感極まって、涙を浮かべていたようにも見えた。深々とお辞儀を繰り返す彼女に、客席からは大きな拍手が続いた。マーラーの交響曲第3番では、わずか6分しか出番のなかった彼女が、そのためだけにドイツから帰国するのも相当なものだが、この「リュッケルト」に変更されたことで私たちは、より長く、そして深く彼女の歌を味わうこととなった。

休憩を挟んで演奏されたマーラーの交響曲第1番は、新たな出発の音楽である。私の知人も自らの通夜でこの曲を流していた。まだ駆け出し音楽家だったマーラーの最初の交響曲(最初はカンタータ)であるこの曲には、すでにマーラーらしい着想に溢れ、後年の9曲に及ぶ交響曲の先駆けに相応しい内容を持っている。広上は丁寧にこの曲を指揮し、特に第3楽章の中間部という最大の聞きどころでは、コントラストを浮き上がられて少年時代を回想し、終楽章のトゥッティでは一瞬止まって音楽を爆発させる要所を抑えた指揮ぶり。ツボを心得た指揮ぶりが、彼の真骨頂である。

オーケストラも弦楽器奏者の最後列に至るまで体を揺さぶる熱演に、聞いている方も力が入るが、決して力み過ぎないところが広上のいいところだろう。コーダの部分ではホルンだけでなく、トランペットの奏者も起立してより迫力を増し、圧倒的なアンサンブルが炸裂、会場が沸きに沸いた。

何度も呼び戻される指揮者は、各パートを回って奏者を立たせた。そして何度目かの登場で遂にマイクを持ち、10年以上にも及ぶ京響での活動を総括した。アンコールに尾高の「子守唄」をもう一度、ということになり再び合唱団が登場、合わせてこのたび対談する2人の奏者への花束贈呈など、盛沢山の演出が終わったのは、もう5時を過ぎていたように思う。

最終公演と言っても広上は「別に今生の別れではない」とおどけ、これからもコンサートを指揮すると言う。そして遭えなく変更となったマーラーの交響曲第3番を、そのうちリベンジ演奏したいと宣言した。

公演が終わったら私は、一緒に出掛けた義妹としばしお茶をしたあと地下鉄に乗り、京都駅へと急いだ。コロナ禍であるというのに人でごったがえず地下街でお弁当を買い込み、新幹線「のぞみ」で東京までの2時間。心地よい余韻に浸りながら、新幹線から夜の車窓風景を眺めた。東京と関西を往復しながらコンサートに通うのは、ちょっとした贅沢である。でもなかなか捨てがたい魅力である。もうちょっと交通費が安ければいいのに、といつも思うのだが。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...