2024年3月24日日曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第758回定期演奏会(2024年3月23日サントリーホール、アレクサンダー・リーブライヒ指揮)

定期会員になると安く席が確保できるのはいいのだけれど、その日にスケジュールが入ってしまうこともあって、日程調整が結構大変であることは経験済みだ。それでも今回、初めて日フィルの春季の会員になったので、夏までの計5回のコンサートのチケットが送られてきた。その最初となる第758回定期演奏会が、サントリーホールで開かれた。

毎年3月の下旬になると、アークヒルズ脇にある桜並木は、「満開」と言わないまでも結構な咲き具合で、「7分咲き」か「満開近し」の趣である。ところが今年は、(早く咲くと言われていたのに)寒の戻りが長く続き、一向に咲く気配がない。「ちらほら」でもなく「つぼみほころぶ」といった塩梅。聴衆もコートを着てマフラーを巻き、曇天の中を会場へと急ぐ。

演奏会は2日にわたって開催された。正式には私は金曜日の会員なので、本来は前日22日の予定だったのだが振替をしてもらった。このシステムは大変有難い。そして振り替えてもらった席も1階の通路側と悪くない(A席)。席に行くと会員向けの冊子が置かれいて、アンケート用紙が入っていた。

5つある定期演奏会のうち3つ以上がお目当ての場合、会員になるのが経済的だ。今季は4つの公演に興味があった。その中に今回の公演は入っていない。しかし、会員にならないと行かないであろうコンサートでの、曲や演奏との思いがけない出会いもまた、定期会員の醍醐味であると言える。プログラムは三善晃の「魁響(かいきょう)の譜」、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番(独奏・辻彩奈)、そしてシューマンの交響曲第3番「ライン」という、どちらかと言えば玄人向けの渋い内容。でもこういう時こそプロの心をくすぐるからか、名演奏になることも多いことは過去に経験済みである。

さて、そういうわけでアレクサンダー・リーブライヒというドイツ人の指揮者も初めて聞くことになったわけだが、日フィルとの相性もなかなか良いと見えて、実力の発揮された印象的な演奏となった。まず三善晃の作品だが、最近コンサートで日本人作曲家の作品が取り上げられることが多い。しかし私はこの曲を初めて聞いた。「魁響」という言葉は(おそらく)造語で、手元の広辞苑にも載っていない。プログラム・ノートによれば「魁」はさきがけ、すなわちものの始まりの前段階を意味し、その響きという意味で名付けたようだ。ただ興味深いのは、この作品が岡山のコンサート・ホールのこけら落のための作曲されているこで、吉備地方の霊感に触発されたことによるということである。

岡山はほとんど旅行したことがないが、吉備津神社には行ったことがある。ここの長い回廊を、雪の降る年末の寒い日に歩いた。寒くて霊感どころではなかったが、その時のことを少し思い出した。曲はしっかりとした、割と長い曲だったが、手中に収め切った指揮と演奏で聞くものを飽きさせない。中盤のリズミカルな部分も含め、現代音楽の語法てんこ盛りのような曲だが、堂々としたものであった。

ヴァイオリンのセクションが一時退席し、独奏者のためのスペースが作られる。やがて登場した辻彩奈は、初めて聞くヴァイオリニストである。ここのところ、若い日本人の弦楽奏者に出会うことが多いが、彼女もまたそうである。シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番は実演で聞くのが2021年以来2回目。近年なぜかポーランド人作曲家の作品がプログラムに上ることが多いような気がする。若い演奏家がシマノフスキの作品をこなしてしまう技量の高さにも驚くが、失礼ながら私はこの曲の間中、耐えがたい睡魔に襲われてしまいほとんど記憶が残っていない。それでも最終盤のカデンツァでの堂々とした演奏は、この曲に賭ける彼女の強い気持ちが表れていたように思う。

休憩をはさんで演奏されたシューマンは、さっそうとしたさわやかな演奏だった。ホルンをはじめとして日フィルの巧さが際立った。シューマンの音は弦楽器と管楽器がそのまま混ざったような独特のもので、アレルギー性鼻炎に苛まれる春霞の時期に良く似合う、などいうことを思うのは私だけだろうか。ただ「ライン」という曲はライン川の雄大な景色をそのまま音にしたようなところが魅力的で、私は4つの交響曲の中では最も好きな作品である。それでも実演では、過去に一度しか接していない。

リーブライヒの伸びやかなで、かつ細やかな指揮によってこの曲の魅力が伝わって来る。今ではめずらしく各楽章の間に十分なポーズを置くのが好ましい。音楽を聞く喜びを味わい、その終楽章でコーダが決まると、女性がうなり声をあげ、続いて多くのブラボーが飛び交った。おそらく満足の行く出来だったのだろう、大変うれしそうに何度も舞台に上がった指揮者は、満面の笑みを浮かべていたのが印象的だった。

2024年3月17日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第21回「すみだクラシックの扉」シリーズ演奏会(2024年3月15日すみだトリフォニーホール、上岡敏之指揮)

長男が通う高等学校の卒業式があった日は、終日会社を休むことにしたのだが、妻と長男は同級生たちとともに懇親会に出かけてしまうので、ひとり午後からはすることがない。それはわかっていたので、そもそも卒業式には出席しないはずだった。でもまあ今では18歳が成人の年でもあり、子育ての区切りとして出席してもいいかと思った。私はそれこそ0歳から、本格的に家事、育児に携わったこともあり、それが18年続いた。息子のためというよりも、これは自分のための儀式であると思った。

その日の午後、丁度いい時間に上岡敏之の指揮で新日フィルのコンサートが開かれることを知ったのは、丁度2週間前のことだった。何と金曜日の昼間のコンサートである。しかもこれはシリーズ化されていて「すみだクラシックへの扉」を銘打たれた、いわば名曲シリーズである。そしてその会員はそれなりにいて、当日券こそ発売されるものの、がら空きというわけでもない。おそらくは定年を過ぎた老人たちのいい趣味の時間になっていることと想像される。第21回目の今回は、翌土曜日との2日間、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番とシューベルトの「グレイト」交響曲が演奏されることとなっている。

名曲プログラムとはいえ、これはなかなかいい選曲ではないか。しかも春に聞くに相応しい。そして驚くべきことにピアノ独奏はフランス人のアンヌ・ケフェレックである。彼女はもういい歳ではないかと思う。私が生まれた頃にはもう、有名ピアニストだったようだ。私もサティの名曲集を持っている。そのケフェレックを初めて聞く。

今回の座席はピアノも良く見える1階席前方の右手。隣に座った女性が、プログラムの要旨を声に出して読んでいて、シューベルトの生きた時代とベートーヴェンの生きた時代はほぼ重なる、などといったことや舞台に団員が登場して拍手が起こり、やがてコンサートマスターの崔氏が登場した、などといちいち話している。よく見るとその隣に高齢の母親が座っていて、どうやら目が見えないらしい。同じような障害を持つ観客も少なからず目につく。体の不自由な方でも気軽に通えるコンサートとして、この催しは行われているのだろう。

ケフェレックが登場し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が始まった。上岡の指揮は軽快に、丁度花の咲き始めるこの頃の初々しさを保ちつつ、朗らかである。やはり実演はいいな、と改めて思う。一通り第1主題の提示が終わり、ピアノが入る。この掛け合いの妙味が、私の席からは手に取るようにわかる。目が見えなくても、それは空気から感じ取ることができるかもしれない。ケフェレックのピアノもまた、若々しく気品に溢れ、若きベートーヴェンの音楽家としての明るい将来を見据えているかのようだ。

聞きなれたカデンツァではなく、短めのカデンツァだった。そして第2楽章に入ると、丸でモーツァルトのようにさりげなく優雅な表情を見せながら、円熟の演奏が続く。上岡の指揮は終始楽しそうである。第3楽章のロンドに至っては、ちょっとしたアクセントの強調が心地よく、木管楽器やビオラなど、私の席からも良く見える楽器は、指揮者の細かい動作にも機敏に反応する姿が手に取るように見えた。

指揮者はピアニストにも出だしの指示を怠らないような注意を維持しつつも、むしろ安心してオーケストラの指揮に重点を置いた様子。演奏がピタリと決まると会場からは多くのブラボーが飛び交った。プログラムの最初からこれほどのブラボーというのも珍しいくらいだった。

アンコールはヘンデルのメヌエット。静かな会場に透き通ったピアノの音色が響く。落ち着いた飾り気のない、しかし品のあるしみじみとした演奏だった。ピアノがこれほど美しいと思ったことはないくらいだった。

後半のシューベルトについては、推進力のある演奏で一気に聞かせるものとなった。この長い曲は、そうでもしないと聴衆の集中力が維持されないのかも知れない。私は第2楽章など、もう少しゆったりと聞きたくなったが、このテンポも許容できる。けれども第3楽章のトリオ部分などは、もう少し思いを込めてほしかった。

オーケストラが全体に若く、女性の数が非常に多い。そのことによるのかどうかわからないのだが、弦楽器の厚みが少し足りず、ややバランスが悪い。かつて日本のオーケストラはどこもこんな感じがしたが、そのような塩梅である。結果的に音楽に主張が感じられないような気がする。「グレイト」交響曲はただ長いだけの曲ではなく、その長さの中に隠しきれない悲しい表情が見え隠れする。そういうフレーズにも注意を払い、ただ音符を辿るだけに演奏にしてほしくはないと思うのだが、この曲の演奏会はなかなか思うような曲に感じられないことが多い。

私がかつて実演で聞いたサヴァリッシュの演奏(N響)とミンコフスキの演奏(ルーヴル宮音楽隊委)は今も思い出に残る演奏だった。あれ以来、プログラムを見つけては通っている。なかなか名演奏に出会えない曲である。しかしこの曲は第2楽章で「ブルックナー休止」のモデルになったのではないかとさえ思える部分があったりして、聞き所は多く、名演奏に出会えた時の嬉しさはちょっとしたものだ。「明るさ」と「円熟」という「相容れない要素が奇跡的に交わった」ような曲(プログラム)というのは、言い得て妙だと思う。

上岡の演奏はめっぽう遅いことがある一方で、今回のように程よく高速な演奏もあるのだと思った。演奏が終わると多くのブラボーが飛ぶ。3月に入っても冬の寒さが続いていたが、ようやく気温が20度近くまで上昇し、春の陽気がやってきた。その最初の日の午後、私はコンサート会場をあとにして両国方面にぶらぶら歩き、帰宅してビールを飲んだ。やがて家族も帰ってきて、長かった高校生活の日々(それはコロナと受験の日々でもあった)から解放された嬉しさに、改めて酔いしれた。私にとって、まさにそういう日に相応しいプログラムのコンサートだった。

2024年3月11日月曜日

広島交響楽団特別定期演奏会(2024年3月10日すみだトリフォニーホール、下野竜也指揮)

日本の地方オーケストラの中で、今最も注目され、実力も挙げている楽団は広島交響楽団ではないだろうか。就任当初はいろいろとチャレンジングなことも多々あったような話が随所で語られてはいるが、少なくとも私が初めて見たNHKテレビでのコンサート(それはベートーヴェンの劇音楽「エグモント」を全曲演奏したときのライブ映像だった)で、この組み合わせの素晴らしさに驚いた記憶がある。

下野竜也という、私よりも少し年下の、音楽の道に入るのが若干遅かった経歴を持つ指揮者に注目した(この頃はコロナ禍によって多くのコンサートが中止、もしくは無観客となることを余儀なくされた頃だ)。あるいは私が注目するもう一人の指揮者、カーチュン・ウォンのビデオがYouTubeにアップされており、その演奏を聞くと広島のオーケストラの鳴りっぷりが良いことに驚く。日本の地方オーケストラの中では目立たない存在だったこの交響楽団を、機会があれば一度聞いてもいいかな、と思っていた矢先のことである。

3月10日の日曜日は久しぶりに予定がなく、こういう日にはどこかコンサートでもと思っていろいろ検索したところ、何とすみだトリフォニーホールでその広島交響楽団の東京公演が開かれるではないか。しかも下野竜也が音楽総監督としてこのオーケストラとの最後の演奏会に挑む。プログラムは前半が細川俊夫の「セレモニー」というフルート協奏曲、後半が今年生誕200周年のブルックナーの交響曲第8番。下野のブルックナーは1月に第1交響曲を聞いたばかりだが、第8番のコンサートはそう多くないので、これは行ける時に行くべきだ。しかも料金はさほど高くない、当日券もある。

このコンサートは「すみだ平和祈念音楽祭2024」と銘打たれている。しかし渡されたプログラムにそれに関する記載がないことはちょっと不思議だ。私が想像するに3月10日は、あの東京大空襲のあった日で、墨田区を始め本所・深川の界隈は壊滅的な影響を受けた。そういう日に、広島からオーケストラを招いてコンサートを行うことの意義は、もう少し強調されてもいいと思う。

いずれにせよ開演の15時には私も3階席(それでもS席だった)を確保し、5階まで階段を上る。公演前にプログラムの紹介がったようだが、私は間に合わなかった。本当は1階席で聞きたかったが、すでに売り切れで仕方ない。やがてオーケストラが入場し、続いてフルーティストの上野由恵が赤い衣装で登場。我が国を代表するソロ・フルート奏者として国内外で活躍し、細川の作品集もリリースしている(と紹介されている)。

ここで私は、先日の秋山和慶指揮新日フィルで体験した細川の作品を再び聞くことになるのだが、その秋山は下野の前任として広響の音楽監督を務めていたようだ。秋山の残した遺産を引き継ぐことが大変だったと下野は語っている。そして細川もまた広島の出身であることを私は初めて知った。彼は「コンポーザー・イン・レジデンス」というタイトルを長年担っている。ところがそもそも広島交響楽団の沿革が、プログラムに掲載されていない。これも不思議なことである。

細川の「フルートとオーケストラのためのセレモニー」という作品は20分程度の曲ながら、フルートという楽器の多彩な表現を体験することとなった。冒頭、いきなり風が吹いてくるような音(効果音かと思った)は、フルートに風を吹き付けることで表現する。まるで尺八のような音色は、「アニミズムのシャーマニズム的儀式」を象徴する。音楽はこういうところから生まれた、と細川は語る。以降、フルートが「シャーマン(巫師・祈祷師)」を、オーケストラが「宇宙」を表す。フルートに吹きかける息は「霊魂」を意味するのだという。

東洋的な音感が醸し出す独特のムードは、チベットのような辺境アジアの密教的儀式を思い起こさせるが、それが中国を通して伝えられた我が国の仏教文化に合流し、日本文化の一部を形成していったことに通じているような気がする。何となくそんなことを考えながら味わった不思議な20分であった。

休憩を挟んでオーケストラの規模が倍増し、左奥にハープが3台並んでいる。今ではめずらしくチェロが最右翼の配置である。そういう細かい音の分離までは、さすがに3階席ではわからないのだが、逆にブルックナーのような宇宙的広がりを持つ音楽が、一体的な様相で感じられるのもまた良いものだと思った。3階席とはいえ、NHKホールとは違い、音が発散してしまうことはない。ブルックナーの演奏をビデオで観ると、教会の天井を映したりする映像に出くわすが、そういう風に視線を遊ばせることも自由にできる。

演奏はゆったり丁寧に進められたが、第2楽章までは特徴に乏しかった。オーケストラは良く鳴り、それなりに満を持して臨んだ感がある。ただブルックナーというのはやはり難しい音楽なのだろうと思う。日本の地方オーケストラが、中欧の響きの権化のようなブルックナーの音楽、それも金管楽器のアンサンブルが致命的に重要な音楽を、これほどにまで高水準で演奏する時代が来るとは思わなかった。30年以上前の我が国のオーケストラの技術的水準は、今の第1級アマチュア以下かも知れない。

第3楽章と第4楽章はさすがというか、このコンビが7年に亘って培ってきた音楽の集大成とも言えるような充実ぶり(と誰かがロビーの寄せ書きに書いていた)だったことは疑いがない。聴衆も物音ひとつ立てず、固唾を飲んで聞き入った。特にどうということはないのだが、どのフレーズもおろそかにしないほどオーケストラは真面目で献身的だった。ただ音の厚みとバランスの点で、私はこの作品をそれほど何度も聞いたわけではないのだが、ちょっと物足りないような気もした。これはオーケストラの技量の問題だが、それにしてもこれほどゆったりとした演奏で、弛緩することもなく、一定のテンションを保っていることには、このオーケストラの最高のものが表現されていることを示していたように思う。90分にも及ぶだろうと思われた熱演が終わったとき、誰かが間髪を入れずブラボーと叫ぶと、大きな拍手が沸き起こった。

地方オーケストラの東京公演は、聴衆を含めいろいろ地方色があって面白い。広響は創立60周年という節目であることに加え、下野竜也は来月桂冠指揮者に就任するそうだ。もっとも「今後は学校公演に限りたい」ということのようで、これまでの両者の間にあった様々な確執を想像するに、ちょっと複雑な気持ちになった。広島という町は、なかなか難しいところだな、とも。

公演が終わって記念撮影が行われ、観客も自由にどうぞ、ということで私も3階席端から一枚パチリ。その写真をここに貼り付けておきたい。

2024年3月8日金曜日

武満徹:映像音楽集(尾高忠明指揮NHK交響楽団)

尾高忠明指揮大阪フィルの東京定期で聞いた武満徹の「波の盆」という曲が忘れられず、この作品が収録されたディスクを探した。するとその尾高の指揮した演奏が2枚見つかった。このうち録音の古い方は札幌交響楽団とのもので、英Chandosレーベルからリリースされている。もう一枚は最近2022年の録音でNHK交響楽団。こちらは今どき珍しいセッション録音とのことである。札響とのCDには黒澤明監督の映画「乱」の音楽が収められている代わりに、N響とのCDにはドラマ「夢千代日記」のテーマ曲が収録されている。私は「夢千代日記」には大きな思い入れがあるので、録音も新しいN響盤とすることにした。

テレビドラマ「夢千代日記」は1981年にNHKで放送された「ドラマ人間模様」の作品である。1981年と言えば私は中学生だった。吉永小百合が演じる置屋の女将が神戸の病院へ行った帰り、急行列車がトンネルを出て餘部橋梁にさしかかるシーンに、武満徹が作曲した音楽が流れる。原作は早坂暁。暗く悲しい冬の日本海は、海がしけると海鳴りがする。私の実家は兵庫県にあるのだが、日本海側の風景は瀬戸内側とは全く違い、まるで別世界のようだ。

夢千代さんは広島に原爆が投下された時、まだ母親のお腹の中にいた。「胎内被爆」というシリアスな問題を扱っていることに加え、今では死語となった「裏日本」の情景がリアルに描かれているなど、昨今のドラマにはない趣である。戦後まだ30年余りしか経っていない頃の話で、バブルになる前の昭和の時代の、今から思えばまだ真っ当だった頃のドラマである。

好評だったのだろう、この作品は「続・夢千代日記」さらには「新・夢千代日記」と続編が制作され、1985年まで続いた。ドラマの始まりのシーンと音楽は、ずっと同じものが使われた。私はもう一度見たくなり、確か2002年頃BSで再放送された時に全部見た。丁度白血病の移植後の療養中のことで、夢千代さんも同じ病気なのか、と考えるととても他人ごとではない気持だった。ただ三朝温泉には大きな病院はない。だから彼女は、わざわざ県庁所在地の神戸まで通院する生活を送るのだった。

夢千代さんの余命はあと2年。この時現れた元ボクサーの松田優作は、夢千代さんに生きる勇気を与える存在だったが、皮肉なことに松田優作は1989年、40歳の若さで死亡。一方の吉永小百合は水泳で健康を維持する元気な役者として今でも大活躍している。

さてその「夢千代日記」の音楽は、短いながらも大変印象的である。これほどドラマの内容、山陰地方の風景、さらには主人公の心情を端的に現したものはないと言える。この音楽を聞くだけで、ドラマの世界が蘇る。武満のモダンにして日本的な音楽は、運命を背負った行き場のない悲しさを冷静に見つめ、そのことがかえってつらさを強調する。そしてもしかすると、その中にこそ希望が見える。

次の収録曲は映画「太平洋ひとりぼっち」の音楽である。この作品は1963年に制作されているから、私はまだ生まれていない。主演は石原裕次郎、監督は市川崑。映画こそ見ていないが、原作の本は中学生の頃に、図書館で借りて読んだ記憶がある。堀江謙一は西宮のヨットハーバーを出てサンフランシスコまで、無寄港単独の太平洋横断を成し遂げる。その後、世界一周も果たし、さらには高齢なってもなおヨットに乗り続けている。私は関西のテレビに彼が良く出演していたのを覚えている。

音楽は芥川也寸志との共作である。全編明るく、丸でポピュラー・オーケストラの曲のようであり親しみやすい。青年の明るい未来と航海をさわやかに表現している。

3番目の曲は「3つの映画音楽」で、「ホゼー・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」の3部から成り、それぞれ「訓練と休息の音楽」、「葬送の音楽」、「ワルツ」が副題として付けられている。このうち「ホゼー・トレス」は勅使河原宏監督の記録映画(1959年)で、武満29歳の時の作品。駆け出しのころだと思うが、すでに前衛作曲家として頭角を現してたようだ(Wikipediaより。以下同じ)。

「黒い雨」は言わずと知れた井伏鱒二の小説で、映画は1989年、今村昌平が監督を務めている。「黒い雨」とは原爆の投下直後に降った放射能を浴びた雨のことで、原爆症を発症すると髪の毛が抜け落ちる。衝撃的な内容で、私も小学生の頃に中国が核実験を行った時、雨に当たると髪の毛が抜けると言われて真剣に心配した記憶がある。この曲が最も暗く、そして陰鬱である。

「他人の顔」は安部公房原作の小説。勅使河原宏監督作品(1966)。私が生まれた年である。「ワルツ」はこのCDの中で一服の清涼剤のように軽やかで気持ちが安らぐ。

さて、最後に置かれたのが「波の盆」である。この美しい音楽は、一度聴いたら忘れられない。テレビドラマ「波の盆」は1983年に日本テレビ放送網で放映されたようだ。脚本は倉本聰、監督が実相寺昭雄、主演が笠智衆らである。錚々たる布陣のドラマの内容は、ハワイに移住した日系人が太平洋戦争によって引き裂かれる世代間の相克と和解を描いている。

ドラマは見たことはないが、音楽を聞いただけでも美しさで胸が熱くなるから不思議である。冒頭のメロディーはのちに回想され、3部構成であることは聞いているとわかる。途中、急に行進曲風の明るい部分があって驚くが、これは一瞬にして終わるのも面白い。尾高忠明はこの曲を良く取り上げているようだ。武満徹が作曲した映像音楽は数多いが、その中でも屈指の作品を収録したこのディスクは、やはり購入して手元に置いておきたくなる。

武満徹は1996年2月、61歳の若さで亡くなった。この時、親交の厚かった小澤征爾はニューヨークにいて、ウィーン・フィルとの北米ツアー中だった。私はこの時(2月29日)、カーネギーホールでマーラーの「復活」を聞いた。舞台に現れた小澤は盟友タケミツが亡くなったことを告げて黙祷を捧げ、さらにはバッハの「G線上のアリア」を演奏した。

その小澤は先日の2月6日、88歳で亡くなった。弟子の山田和樹が読響の定期演奏会で、武満の代表的作品「ノヴェンバー・ステップス」を含むコンサートの指揮中に訃報が伝わったらしい。しかし山田は追悼演奏を行わなかったとのことである(「小澤先生は音楽は楽しく演奏するべきだと語っていた」云々)。


【収録曲】
1. 夢千代日記
2. オーケストラのための組曲「太平洋ひとりぼっち」
3. 弦楽オーケストラのための「3つの映画音楽」( 「ホゼー・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)
4. オーケストラのための「波の盆」

2024年3月3日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第654回定期演奏会(2024年3月2日すみだトリフォニーホール、秋山和慶指揮)

齢50歳をとうに過ぎた男が、甘く切ないラフマニノフの音楽に落涙するなどといった恥ずかしいことがあるだろうか?だがそういうコンサートだった。ラフマニノフの音楽がかくも美しく響いたのを聞いたことがない。それをそつなくこなす指揮も職人技だが、オーケストラ、特に木管楽器の素晴らしさといったら!新日本フィルがこれほど巧いと思ったことはないが、このオーケストラも世代交代が進み、実力を上げつつあるような気がする。それだからか、チケットの売れ行きもいいのではないか。昨年音楽監督に就任した佐渡裕の功績があるのかも知れない。

昨年の2023年はラフマニノフの生誕150周年にあたり、かの作曲家の作品が数多く演奏されたが、私はついに一度も聞く機会に恵まれなかった。特に交響曲第2番は、数ある作品の中で最も有名な曲であり、私は一度聞いてみたいと思っていた。この作品は一年中どこかのオーケストラによって演奏されるような人気のある曲で、これまで一度も聞いてこなかったのが不思議なことなのだが(というのは嘘で、記録によれば過去に2度聞いている。だが記憶にない)。

先週になって新日本フィルから一通の電子メールが届き、この交響曲第2番が演奏される3月2日と3日の定期演奏会に、当日券が発売されることを知った。よく見ると秋山和慶が指揮をする。これはちょっと驚きで、私は家族が旅行に出かけて留守番をしている時だから、行こうと思えば行ける。私は嬉しくなった。問題は体調だが、前日に同じ墨田区の両国国技館の近くで、友人とお酒を飲んだにもかかわらず比較的元気である。一般に同じプログラムのコンサートが複数の日程で行われる場合、どちらを選択すべきかは難しい問題である。今回も3月3日の方が、私の家に比較的近いサントリーホールでのコンサートなので、通常ならこちらを選択するところだが、直前まで迷った挙句今回は早く聞いてみたいと思い、錦糸町まででかけることにしたのだ。

会場は上岡敏之のブルックナーの時と違って落ち着いた雰囲気であり、相当数の席が売れ残っていた。全体に静かで、カフェでコーヒーなどを飲む人も少ない。日本人指揮者の地味なプログラムだからだだろうか。その前半は細川俊夫の「月光の蓮~モーツァルトへのオマージュ~」というピアノ協奏曲(ピアノ独奏:児玉桃)である。日本人の現代音楽の作品は、最近よく取り上げられるようになってきてはいるが、一般的にはなかなか敷居が高い。かくいう私も細川俊夫自体、初めて聞く。

細川はヨーロッパで活躍する日本人作曲家で、我が国よりもドイツでの知名度が高いのではないか。この「月光の蓮」も2006年、モーツァルトの生誕250年の年に、北ドイツ放送交響楽団の委譲により作曲された作品である。プログラムによればその時の条件として、モーツァルトのピアノ協奏曲から1曲を選び、それと同じ楽器編成で演奏できること、ということだったらしい。細川は第23番を選び(K488)、第2楽章からインスピレーションを得てこの作品を作曲した。どうして「蓮」なのか。そのあたりの説明は解説書に任せるとして、この初演時のピアニストが今回の独奏も務める児玉桃であ。私は彼女の演奏に過去一度だけ接している(プレヴィン指揮N響によるメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」、2011年)。

児玉のピアノは、さすがのこの曲を初演しただけに完全に手中に収めている。同様に手慣れた曲であるかのようにしっかりと寄り添うオーケストラもまたプロフェッショナルなものを感じた。「蓮」は仏教の世界観に通じ、その東洋的な音色は時に特徴的なトーンを発するのが印象的だったが、20分あまりの曲の間中、月夜の明かりが照らされる幻想的な世界が全体を覆っていた。

美しいとか神秘的というよりもむしろ、静寂の中に潜む「静」の光景を見ている側の精神性を試されるようなところがある。これは日本人であれば、共通して感じるようなものがあるように思うが、西洋音楽として表現された場合に、ヨーロッパでどういう受け取り方がなされるのかはわからない。そんなことをぼんやりと考えていたら次第に眠くなってきて、気持ち良い心地であった。ところが曲が終わりかけた頃に、ピアノがあのモーツァルトのフレーズを演奏したものだから(K488の第2楽章の主題)、一気に目が醒めた。月夜が照らす蓮の小池の風景が、モーツァルトの旋律によってリアルに眼前に現れたのである。

20分の休憩を挟んでいよいよラフマニノフである。オーケストラも打楽器を含めて舞台に勢ぞろい。もう80歳を過ぎた秋山はしっかりとした足取りで舞台に登場。そういえば小澤征爾と同じ斎藤秀雄の門下生として「サイトウ・キネン・オーケストラ」の最初のコンサートを指揮したのは秋山和慶だった。小澤ほどの世界的な人気はないが、秋山の音楽はしっかりと堅実、これまでのコンサートはすべて記憶に残る名演奏だった。その秋山が、先月逝去した小澤が設立した新日本フィルの定期に登場するのは珍しいのかも知れない(秋山和慶といえば、何といっても東京交響楽団である)。

最近はX(旧Twitter)でコンサートの感想をいち早くつぶやいたり、関係者がプロモーションを行うことが多い。この日もコンサートマスターの崔文洙がリハーサルの様子を伝えていた。それによれば、このコンサートを聞き逃すと後悔する、といった内容で、私はこの文章に心を動かされたのは確かである。そして今日のラフマニノフは、そのことを全く裏付けるものだった。

第1楽章の冒頭から、その完成度の高さに驚いた。よくあるような尻上がりに調子を上げる、というものではなく、まさに最初からアンサンブルは素晴らしく、確固たる足取りである。私はこれまで「すみだトリフォニーホール」で名演奏に出会ったことはほとんどなかったのだが、今回は1階席の後方左端という条件にもかかわらず、オーケストラの音はバランスが良く、各楽器も埋もれずに聞こえる。これは指揮者の功績以外の何物でもないだろう。

第2楽章のスケルツォも大変充実した出来栄えで、たっぷりと堪能することができたが、続く第3楽章のメロディーに至っては聞いているうちに胸が熱くなった。この曲は最高のムード音楽だなどと思っていたが、それもかくも完璧に演奏されると圧巻である。クラリネットの独奏がことのほか綺麗で、フルートとオーボエも遜色がない。金管楽器もロシアの大地を思わせる。それらが破綻せず、絶妙のブレンドのまま高揚したかと思うと、また静かに感傷的なメロディーを受け継ぐ。

ラフマニノフの音楽は、ロマンチックで甘美なロシア音楽の情緒を継承しつつ、ドイツ=オーストリア系の構成論理も融合した作品を生み出した、とブックレットには書かれていた。音楽的にはそのように解釈すべきなのかも知れないが、素人的に言えば、最高のムード音楽もしっかりとした音楽として成立しているからこそ聞きごたえがあるのだろう。うっとりとする時間が十分に長く続き、さらには第4楽章で打楽器も交じる高揚感に包まれる。ゴージャスなクラシック音楽の醍醐味が、ここに尽くされている。それを余すことなく表現する指揮とオーケストラに、私は打ちのめされたと言って良い。

拍手は醒めてはいないものの、総じて熱狂的でもなかった。だが温かい拍手が続く間、指揮者とオーケストラは満足感に溢れていた。あまりに感動的だったので、再度明日のコンサートにも出かける人がいるかもしれない。だが私は、今日以上のコンサートになるとも思えない。そんな完成度の高い新日本フィルの今後の演奏会が注目される。帰宅して検索してみると、来週の井上道義指揮によるマーラーの交響曲第3番は、すでに完売していることがわかった。そしてその翌週、今度は上岡敏之が登場する。金曜日のマチネとなると空席だらけかと思いきや、残りわずかとのことである。私は慌てて、この日のコンサートのチケットを予約しておくことにした。シューベルトの「グレイト」交響曲など、いまから大いに楽しみである。

2024年3月1日金曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2024年2月23日東京芸術劇場、エリアフ・インバル指揮)

長男が生まれた時、大いなる喜びと同時に大変なことになったと思った。それまで経てきた人生の十数年を再び経験しなければならない。自分自身ここまで来れたのも奇跡のようなものなのに、それとまた同じだけの日数を、課題に都度直面しながら対処していかなくてはならない。とてつもなく長い時間が待ち受けているように感じた。あれから18年が経ち、いよいよ大学受験の年となった。大学受験ともなると、定期考査とは違い持久戦である。一夜漬けが意味をなさない代わりに、終わってもさあこれから自由だと簡単に気持ちが切り替わるわけではない。むしろ茫然自失腑抜けのように、暫くは何もしたくない心境に陥るものだ。

私は当事者ではなく、親の立場である。それでも、というよりはだからこそ、特にこの1年間は、かなりの心的配慮を重ねてきたつもりである。そうと悟られないよう最新の注意を払い、平静を装いつつも心は到底穏やかではなかった。これは入院生活と似ていると感じた。そしてそれが開けた日、 つまり試験が終わった日は、ちょうど退院の日に相当する。この先どうなるかわからないのは、合格発表までの期間と同じだ。まずは終わってホッとする。次第に喜びが湧いてくる時があるとすれば、それは数日経って気持ちに少しの余裕が生じてくる頃である。それまでは、とりとめのない日々を送る。そのようにして少しずつ元の気持ちを取り戻していく。

こんな時にはどんな音楽を聞きたくなるのだろうか。先行きの明るい状態であれば(私も初めての入院時はそうだった)、ウィンナーワルツでも聞いて踊り出したくなる気分だろう。 だが生死の間をさまよい、とりあえず退院の許しを得て帰宅したものの、この先どうなるかわからないような不安定さの中では、そんな単純な音楽など聞きたい気持ちになれなかった。どういう曲がしっくりくるか。私はクラシック音楽の中でいろいろ考えた挙句たどり着いたのが、マーラーの交響曲、それも後年のそれらであった。私は第7番のシンフォニーを聞き、初めて何かが分かったような気がした。喜びと絶望が入り乱れ、 半分気が狂ったのではと思うような曲が、私に安らぎを与えた。マーラーの交響曲との向き合い方について、その発展の変遷を頼りにたどっていく。すると、希望の見える若い頃の作品がやがて混乱、絶望、そして、祈りに変わり、最後は諦め、受容、悟り、そしてとうとう死後の世界への憧憬へと昇華していくことがわかった。

未完の交響曲第10番は、そんな マーラーが最後にたどり着かざるを得なかった場所ではなかったか。そうだ、 第10番を聞こう。息子の合格発表を待ちながら、私は持病が刻一刻と悪化の一途をたどり、この先どうなるかもわからないという絶え間ない恐怖の中で、家族には平静を装い自らの意識をもだましながら仕事と家庭生活を続けてきた。毎日が体調との戦いで、それでも少し元気な日があれば、外に出かけている。数年前に痛めた腰、歩くと痛い足、そして満足に物が食べられない日常の中で、今日は2ヶ月ぶりに特急列車に乗って房総半島を南下、館山市にある坂東三十三箇所巡りの最終目的地那古寺へと向かう。コロナ禍となってから本格的に始めたこの寺巡りは、積極的に自動車を使い、ほぼ毎回日帰りで東京から出かけてきたが、それでも何年もかかった。いよいよ最後は結願だから、こういう時に行くのがふさわしい。嬉しいことに、ここのところ候が悪かったが今日はよく晴れている。

京葉線の無機的な車窓風景を眺めながら、昨日聞いたエリアフ・インバル指揮でマーラーの交響曲第10番を聞いている。息子の将来への第一歩は、どういう結果となるにでよ、まもなく少し前進するだろう。私の今後は少し深刻だが、それも息子の進学で気持ちはかなり楽になる。特にこの1年間は、2つ以上の問題が私にのしかかり、押しつぶされそうな日々に耐えてきた。毎月のように、体調が良い時だけは行動に出て全国を歩き回り、そうでない時は音楽を聴いていた。その一区切りに相応しい絶好のタイミングで、今回のコンサートの存在を知った。それは1月のことだった。不安に耐えきれなくなるような日に、昨年夏に訪れた 能登半島を大地震が遅い、私が滞在した輪島の中心部も壊滅的な被害を被った。数百人が命を落とし、数万人が家を失った。元日の悲劇は、それまで静かに暮らしていた多くの人々を、一瞬のうちに不幸のどん底に突き落とした。

先の見えない 不安や予期せぬ不幸は、限られた人にだけ降りかかるものではない。だからマーラーの音楽には普遍性がある。この未完に終わった第10番は、長い間単一楽章、すなわち「アダージョ」として知られてきた。私がかつて一度だけ実演で聞いたこの曲の演奏も「アダージョ」だけだった。この時、「嘆きの歌」や歌曲を含む全ての管弦楽作品を聞き終えたのだった。ところが第10番の交響曲は、続く第2楽章以降にも多くのスケッチが残っており、マーラーはそれらを完成させようとしていたのは明白である。とすれば、それらを何とかして完成させ演奏するのが個人の意志でもある。デリック・クックはその意思を継ぎ、全曲を補筆完成させた。全5楽章あるこの補筆版は、今やこの曲の演奏のデファクトスタンダードとして 演奏会で取り上げられるようになってきている。今回東京芸術劇場(池袋)で聞いたインパルによる都響の定期演奏も このクック補筆版であった。

ここで このクック版が、どのように作られ、何がどうなのか といった細かいことはここには書かない。それよりもむしろ、私は毎日心の混乱状態を少しずつやりくりして、何とかコンサートに出かけるだけのほんのわずかな 体力と気力を持つように努めたこと、そして薬の副作用の眠気や腰痛の中にあってなお、2階席の片隅に腰を下ろし なんとか70分の間、このマーラーの演奏に耳を傾けたことについて書かなければならない。演奏を楽しんだのかと聞かれると、とてもそうではない。だが退屈だったわけでは決してないし、ビオラの冒頭のアンサンブルが聞こえてきた時から、すさまじいまでの美しさに唖然として目からウロコが落ち、フルートをはじめとする木管楽器の惚れ惚れとする独奏が加わると、体が硬直するようなほどの感動的体験だったと言わねばならない。これがいつも聞いている都響の音かと思った。

不思議な時間だった。 どこを切り取っても同じような曲が1時間以上続く。この曲はそれまでのマーラーの作品とはやや異なり、どこか散文的で浮世離れしている。だから私の心境によく合っていた。インバルの演奏が、オーケストラにいつもとは違う感覚を与えていた。何十年にも亘りマーラーの名演を繰り広げてきた関係性ゆえに実現できたものだと思う。実際、このコンビはこれまで、2回ものマーラーチクルスを完成させていて、録音もされ大変評価が高い。この10番も前回(2014年)が空前の名演だったことが至る所で語られている。私は2回目のチクルスの最後の方で聞いた「大地の歌」が、もうこれ以上ないほどの大変な名演奏だったことを昨日のことのように覚えている。

私を乗せた特急「わかしお1号」勝浦行きは、つのまにか千葉市内を通り抜け、外房地方を走っている。九十九里浜の向こうから昇る朝日が眩しい。それにしても都響はうまかった。インバルの解釈がどうなのかは正直よくわからないのだが、オーケストラの音色に終始驚きっぱなしだった。完全にマーラーの音だった。中低音の厚みに木管が絡み、金管が咆える。大太鼓が第4楽章で何度も打ち鳴らされる。コーダで静かに消えていく永いメロディーを、私はまぶたを閉じて聞き入った。目から情報を入れたくはなかったのだ。 前日の平日マチネーを含め2日間、ほぼ満席だった会場は物音一つしない。音楽が消え行って静寂の時が永遠に続くのではないかとさえ思われた。指揮者がゆっくりと腕を下ろし、やがて拍手とブラボーが乱れ飛んだ。88歳にもなるマエストロは幾度となく舞台に呼び戻され、オーケストラが去った後でさえもそれは2回に及んだ。

マーラーが想像し表現しようとした死後の世界を、私もやがては体験することになるのだろうか。でもそんなことはない。この1年間、このことを毎日のように考えてきたけれど、それはもっと後になってからで良いのだ。私はまだそんなに年老いてもいないと思っている。しかしマーラーはこの作品を完成させずに、1911年旅立ってしまう。50歳の時であった。

那古寺から館山市内を望む

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...