2012年12月26日水曜日

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第3番変ホ長調(P:ペテル・ヤブロンスキー、シャルル・デュトワ指揮フィルハーモニー管弦楽団)

珍しいチャイコフスキーのピアノ協奏曲第2番が何とか聞ける程度にまで聞き込んだ後でさえ、この第3番はさらに根気がいる。長いことに加えて、3つの楽章にまとまりがなく、全体としては散漫で、何となく「ピアノ付きの交響組曲」といった感じだからである。それもそのはずで、チャイコフスキー自身がすべてを作曲したのは第1楽章のみで、残りの2つの楽章は友人であるタネーエフによって、彼の死後に完成されたものである、とのことである。

チャイコフスキーの意志と、音楽的スケッチをベースにしているとはいえ、別の作風の音楽が混じっていることは明らかである。そして第1楽章についてもチャイコフスキー自身、ピアノ協奏曲として作曲したわけでは、最初はなかった。彼は大変な苦闘に耐えながら、自身の作品を改善していった。にもかかわらず、この曲は成功しなかった。その理由について語るほど、私はチャイコフスキーについても、また音楽そのものについても詳しくない。

そのような素人でも、それだけで完全な交響詩のような第1楽章をきけば、もう十分であるように思う。それぐらいこの楽章は気合十分な曲である。もちろん第1番ほど印象的な主題があるわけではないので、聴き終わってもあまり心に残らない。随分派手な曲だなあ、などと思う。そしてこのデュトワを伴奏としたヤブロンスキーの演奏は、このような曲でも手を抜かずに一定の完成度で聞くことができる。

そういうわけだから、第2楽章以降の、あまり気乗りしない音楽についても、それなりに十分に響いているので、音楽そのものの良い点も悪い点も映し出すようなところがある。できればこれらの音楽は、単独で聞くのがいいのではないかとさえ思う。特に第2楽章の長大なカデンツァなどは、これがピアノ協奏曲の一部とはもはや思えないくらいだ。純粋にこれがチャイコフスキーの作品ではないのだから、もうこの曲は第1楽章だけでいいと諦めるのもひとつの考えである。そして実際いくつかの過去の演奏では、この第3番は第1楽章のみ録音されるケースがある。

チャイコフスキーはこの作品を交響曲第5番のあとに交響曲として着手したようだ。結局納得がいかず没となり、交響曲としては「悲愴」に至るのだが、そう考えるとチャイコフスキーは、特に晩年は何をどのように作曲して良いのかわからなかったようだ。彼はあまりにいい曲を、それまでに完成させてしまった。その過去の成功に苦しんでしまうこととなった。

2012年12月24日月曜日

ブリテン:「シンプル・シンフォニー」作品4(ベンジャミン・ブリテン指揮イギリス室内管弦楽団)

シンプル・シンフォニー、すなわち「単純な交響曲」というタイトルのこの作品は作品番号が4番ということからもわかるように、ブリテンの初期の作品である。しかも1934年の初演の時からさらに10年以上も遡る習作ピアノ曲からの改編ということである。ブリテンは1913年生まれだから、十代の頃の作品ということになる。そのために、ブリテンの作風からすれば随分と違っている。

まずこの曲は弦楽合奏で演奏されることから、交響曲とはいうものの弦楽セレナーデのような趣きで、しかも第1楽章はメロディーがバロックを感じさせることから、この当時はやりの新古典派主義の傾向を示しているように思われる。とても素敵で私は自作自演で聞くこの演奏が好きである。

第2楽章はピチカートで、どことなく民謡風である。ブリテンの早熟ぶりを感じさせる。ピチカートの楽章と言えばチャイコフスキーの第4交響曲の第3楽章を思い出す。ここの楽章も軽快で、大変素晴らしい。

これまでと打って変わって第3楽章は随分と長い。けれどもセンチメンタルで哀しい感じがする美しいメロディーはなかなかのものだ。ブリテンも少年の頃はこのような曲も書いていたのだと思う。サラバンドとなっているが、シチリアーノと呼ばれる哀愁のこもった曲がレスピーギなどにあるのを連想するのは私だけだろうか。このあと、プレスティッシモ、すなわち急速な曲の第4楽章が続き、あっという間に終わる。

ブリテンはデッカに自作自演の録音を多数残している。これもそのひとつ。必ずしも自作自演が名演とは限らない中で、ブリテンの一連の演奏は長い間、決定的なものとされてきた。録音も良好でこの曲などは、これで十分であると思う。

2012年12月21日金曜日

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第2番ト長調作品44(P:ペテル・ヤブロンスキー、シャルル・デュトワ指揮フィルハーモニア管弦楽団)

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲がわざわざ「ホ短調」などというのは、ホ短調でないヴァイオリン協奏曲があるからだが、これと同様にチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番がある以上、第2番、そして第3番というのが存在する。だがそれはほとんど演奏されることがなく、従ってあまり知られていない。私はただ1回だけ、実演で聞いたことがあるだけだった。

そもそもピアノ協奏曲というジャンルは、ベートーヴェンがあの「皇帝」で華々しい冒頭を作曲してから、どの作曲家にとってもインパクトのある出だしの腕の見せ所といった感じで、大変に力の入った曲が多い。その中でもとりわけ大成功したのはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番ではないかと思う。想定外の長さを誇る序奏は、一度聞いたら忘れられないが、その序奏の後半がまた大変ダイナミックで、これを聞いただけで満足し、何度も何度もそこの部分だけを聞いていた中学生時代を思い出す。

その序奏の素晴らしさをそれだけで終わらせないところが、第1番のまたいいところである。第2楽章を経て第3楽章のコーダまで、ピアノの聞かせどころが続く。さて、第2番はどうか。音楽の長さは第1番に引けを取らない。けれども冒頭の平凡なメロディーは、何か気の抜けたシャンパンのように虚しい。それだけで、あのチャイコフスキーは手を抜いたのか、などと思ってしまう。それでこの曲は恐ろしく人気がない。第2主題以降は少し持ち直すのだが。長い第1楽章を聞き続けるのが少し億劫だが、それでも紛れもなくチャイコフスキーのメロディーである。

第2楽章に入るとチェロの独奏が続いて、これはピアノ協奏曲ではなかったの?と思い始める。チェロ協奏曲ではないかと思いきや次に登場するのはヴァイオリン独奏で、ピアノも絡むのでこれは「ヴァイオリン、チェロ、ピアノのための三重協奏曲」という感じだ。つまりピアノ・トリオの協奏曲の趣きである。ピアノはむしろ控えめでさえある。美しいメロディーで、ここの部分だけならいい曲だと思った。

第3楽章はそれなりに華やかで、長い曲はやっと終わるのだが、BGMのように聞く音楽としては悪くない。リストやラフマニノフの目立たないピアノ協奏曲に比べればむしろ好感の持てる曲も、やはり第1番の圧倒的な完成度に比べると分が悪い。これで演奏が平凡だと、ちょっとつらいかも知れない。私が聞いた実演は、チェルカスキーのピアノ、NHK交響楽団の伴奏で、なかなかの名演だった。今日聞いたCDはヤブロンスキーのピアノ。伴奏のデュトワは手を抜かない堅実な演奏で、この曲の魅力を知るには十分な演奏であると思う。

2012年12月20日木曜日

ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエム(サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団)

ブリテンがわずか26歳の頃に作曲した「シンフォニア・ダ・レクイエム(鎮魂交響曲)」は、我が国と関係の深い曲である。戦前の大日本帝国政府によって委譲され、ブリテンはその楽譜を東京に送った。彼はそれで報酬をもらい、その音楽は皇紀2600年(1940年)の記念式典で演奏されるはずだった。だがそれはなされなかった。死者のためのミサ曲が、このような式典にふさわしくないというのがその理由だったようだ。ブリテンは落胆したが、彼はアメリカでの生活に困窮していた。

アメリカで友人ピアーズと生活をしていたのは、第二次世界大戦に突入していた本国イギリスにいると兵役を免れることができないためだったようだ。反戦主義者のブリテンは、本国に帰国することもできなくなっていた。だが、この曲に込められた内容は、当時の日本を結果的には皮肉ったことになる。戦後になってブリテンは日本を訪れ、この曲の日本初演をしている(NHK交響楽団)。彼の日本に対する思いはどのようなものだったのだろうか。

歌劇「ピーター・グライムズ」の上演時に購入した新国立劇場のブックレットに、彼の1956年の来日時のエピソードがわずかだが、綴られている。少し引用してみよう。

「日本の文化との出会いは、風習の違いから生じた多少の困惑とともに、作曲家の側にも大きな影響を与えることとなる。特に彼の琴線に触れたのは、『能』だった。(中略)それは『人生においてもっとも素晴らしい演劇体験のひとつ』となった。(中略)この体験は、後に『隅田川』を原作とする教会オペラ『カーリュー・リヴァー』(1964年)へと結実する。」

この文章は、むしろピアーズとの関係、あるいは彼の米国での創作活動に関するものである。しかしブリテンはここで、日本という国から新たな創作のヒントを得ることになったことは興味深い。

来年はブリテンの生誕100周年で、いろいろな催しも開催されると思われるが、その年を控えてブリテンの音楽を聴いてきた。このシンフォニア・ダ・レクイエムは、上記の経緯に触れないわけには行かず、日本人としては避けて通れない曲である。

サイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団と来日して、この曲を演奏したいるようだが(1987年)、この時に自筆譜を見たそうである。ラトルはこの当時から数多くの演奏を録音しているが、私はその2前年の1985年3月にラトルの演奏で「青少年のための管弦楽入門」を聞いている(フィルハーモニア管弦楽団)。 29歳のマエストロの演奏は、あっという間に終わってしまう演奏で、そのことだけが印象に残っている。

今回聞いたラトルのシンフォニア・ダ・レクイエムも1984年の録音で、真面目で迫力のある演奏。茶目っ気は全くないが、まさに正攻法の演奏は、イギリス音楽には効果的だ。

音楽は3つの部分(楽章)から成っているが、続けて演奏され、時間は20分程度である。タイトルの難しさに反して、若いブリテンの早熟ぶりが伺えると同時に、すでに作風は確立されていることに驚く。冒頭からティンパニが不吉な予感のする連打を始め、厳かに演奏が始まる。どこかドラマのシーンのようである。レクイエムである以上、ミサの一節からテーマが採用されている。ここはLacrimosa(涙の日)ということになっている。

音楽は続いて演奏されるが、楽章の切れ目は明確である。第2楽章は一転して馬が駆けるがごとくのリズムで、ブリテンらしい面白さに溢れている。「怒りの日」である。続く第3楽章は、透明な感じで始まり、ヴァイオリンが凍てつくような 雰囲気を出しているが、それもパッと明るくなって春のようなメロディーに変わり、静かに終わる。「久遠なる平和よ」

なお、このCDには続いてBBC第3放送テーマ用に作曲された楽しい曲「Occasional Overture」(何と訳せばいいのだろう)と、10分程度の親しみやすい「アメリカ序曲」、それにイギリス民謡による組曲「過ぎ去りし時」といった初期の管弦楽作品が収録されている。「過ぎ去りし時」はハープやタンブラン?のような小太鼓、それにバグパイプなどが出てきて実に面白い。ブリテンの作風はここではむしろ脇役となっているが、かと言ってこれは民謡そのものではむろんない。そのあたりの交わり具合が、とても興味深かった。

2012年12月9日日曜日

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23(P:ヴァン・クライバーン、キリル・コンドラシン指揮RCA交響楽団)

ここにもう一枚、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のディスクがある。アメリカ・テキサス出身の23歳の若者が、チャイコフスキー・コンクールで優勝して凱旋公演をした際の演奏で、録音は優勝の年1958年5月30日となっている。記録では4月にコンクールが開かれているようなので、まさにその直後ということになる。伴奏は後に亡命を果たすソビエトの若手キリル・コンドラシン指揮のRCA交響楽団である。

いまから半世紀以上も前の録音ながら、いわゆる「Living Stereoシリーズ」という名録音の復刻である。SACD層もあるハイブリッド・フォーマット。当然DSDによるリマスタリングである。聞いた感じでは古い録音ながら大変良く、CD層でもSACD層でもあまり変わらない感じである。ヴィヴィッドで新鮮、オーケストラの音色が古いステレオとは思えないのは大変好ましい。

さて私はここのところ、この曲ばかりを聞いている。今日も朝からチャイコフスキーのピアノ曲ばかりを立て続けに聞いていて、やや食傷気味ではある。それでも飽きないのは曲が素晴らしいからだろう。東京の空は寒く、晴れ渡っているが、風があって運河の波が太陽光に反射してとても綺麗である。南向きの部屋は窓を閉めているととてもあたたかく、暑くさえなってくるがそういう時には窓を少し開けると乾いた風が吹き込んできてとてもすがすがしい。それで遠くには東京湾なども眺められる。

再び窓を閉めてCDの音量を上げると、古風な響きが部屋を満たした。残響を少し押さえているから、オーケストラがパンと音を切り刻む。ピアノの若々しい響きは、オーケストラとうま合わさっていて、どちらかが不足ということもない。演奏だが、一躍有名になったアメリカ人が、コンクール時の時の指揮者コンドラシンと共に、手に汗握る競演を行う。クラシックで唯一ビルボードのチャート第1位にランクインした唯一の演奏ということだが、そこまで気合が入っていたという事実を含めても、歴史的な出来事として感じる。この時期、東西の冷戦は雪解けの時期だった。フルシチョフがアメリカを訪問するのは翌1959年である。

このコンクールは政治的に利用されたのだろうか。思えばクライバーンは、その後数年間は米国で数々の録音を残すが、その後足取りは聞こえなくなった。私が音楽を聴き始めた頃にはすでに、クライバーンとは「伝説のピアニスト」であった。舞台から消えたグールドのように。 最近では久しぶりに演奏に復帰したようだし、クライバーン国際ピアノコンクールというのも開かれているから、活躍はしているのだろう。けれども彼をしてコンクールの光と陰を論じる人は多い。そのクライバーンは、今年8月に末期がんであることを告白している。

そういうわけでこの演奏を聞きながらいろいろなことを考えた。この演奏が録音されたニューヨークのカーネギー・ホールは、そのこけら落としにロシアの作曲家を指揮者として招いた。それこそ当時51際のチャイコフスキーだった。

眩しかった太陽があっという間に西の空に消えていった。ビルの隙間に萌える丹沢方面をわずかに赤く染めたようだが、すぐに冬の雲に覆われてしまったようだ。2012年ももうすぐ暮れようとしている。

2012年12月8日土曜日

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23(P:マルタ・アリゲリッチ)

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いていると、どうしても避けて通ることのできないディスクがある。それがマルタ・アルゲリッチによる3種類の演奏である。あまりに何度も聴いてきたし、これらのディスクについては多くのことが語られているので、わざわざ取り上げる必要はないのかも知れない。けれどもこういう機会でもなければ、まとめて聴く機会もそうはない。幸い手元には、メジャー・レーベルから発売されているこれらのCDが揃っている。そこで、意を決して聴き比べて見ることにした。

  1. 1970年録音。伴奏:シャルル・デュトワ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ・グラモフォン)
  2. 1980年録音。伴奏:キリル・コンドラシン指揮バイエルン放送交響楽団(フィリップス)
  3. 1994年録音。伴奏:クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(ドイツ・グラモフォン)
さて、これらの演奏は基本的に似たような解釈と考えるべきである。ただ、演奏の印象は少しずつ異なる。それは指揮者の違いと演奏がライブであるかという点である。特に演奏の速さは、随分と違う。CDのカバーを順に転記してみる。
  1. 第1楽章:21:08、第2楽章:7:28、第3楽章:6:48
  2. 第1楽章:19:07、第2楽章:6:20、第3楽章:6:54 ライブ録音
  3. 第1楽章:19:12、第2楽章:6:30、第3楽章:6:18 ライブ録音
もっとも遅いのが、いちばん古いデュトワとの演奏で、後の2つは前半がほぼ同じタイミングなのに対し、アバド盤では特に第3楽章がさらに大幅に早くなっている。これはおどろくべきことで、あの「白熱のライブ」(コンドラシン盤)をはるかに上回るのである。Allegro con fuocoのfuocoとは、イタリア語で「火」のことである。これはまた「花火」あるいは「情熱」という意味なので、この第3楽章はなりふりかまわず弾くのが良い、とされる所以である。しかしあまりに速く弾くには、テクニックがついてこないという問題点が生じる。ピアノならピアニストの問題だが、オーケストラもまたしかりで、しかもそれが上手く合わさるかという問題がある。

アバド盤は、ベルリン・フィルの力を得て大変に充実しているが、これがベルリンのベストかと言われると難しい。しかも録音が少し大人しい(この組合せにしては)。

これに比べるとデュトワ盤は安全運転の演奏と思えてくる。この時期このふたりは新婚時代だったので、まだ火花は散らしておらず、夫は大変協力的である。私がこの演奏を好むのは、伴奏がもっともいいと思うからで、特に聞かせどころではじっくりとテンポを落とす。しかもピアノの部分はアルゲリッチのセンチメントに溢れている。

コンドラシン盤はLPレコードが消えてしまう直前に、高価なライブ盤として緊急発売されたのを聴いた記憶がある。その時の印象では、随分荒削りで落ち着きが無いと思ったが、それをかき消すようなライブの高揚感はピカイチであった。コンドラシンがこの時期に急逝してしまうこともあって、この演奏は幻のライブと言われた。だが今ではシャイーの伴奏によるラフマニノフの第3番とカップリグされて安く手に入る。今回久しぶりにに聞き直してみると、なかなかいい演奏に聞こえてくる。挑発されて押され気味に聞こえたコンドラシンの伴奏も、ミュンヘンのオーケストラの協力的な関わりもあって、直線的でロシア的。演奏後に熱狂的な拍手も収録されている。ただ放送用の録音のせいか、やや平べったい。

再びアバド盤。この演奏には何もいうことがないのかも知れない。ここではアルゲリッチのすべてが凝縮されている。好む好まざるにかかわらず、これは彼女のひとつの頂点の演奏である。全体を通して技巧的なシーンの連続で聴くものを驚かせる。だが何度も聴いていると、新鮮さが失われていくのも事実で、音楽はそもそもその場限りの芸術ではなかったか、と思えてくる。アバドの指揮がピタリと寄り添い、音楽的完成度も高いので、評論家ならイチオシかも知れない。

何度も聴く演奏としては、やはりデュトワにつきる。けれどもこのような大人しい演奏は、3つの演奏の中からわざわか選んで買い求めるディスクとしては、古さ故のマイナスを感じざるを得ない。アルゲリッチを聴くならもっと彼女らしい2種類のどちらかがいいだろうし、じっくり聴くなら他のピアニストでもいいのだ。

コンドラシン盤はこの2つの巨峰の間にあって、やや損をしている。だが、この演奏にしかない魅力のようなものもある。それはライブ特有の高揚感である。アバド盤もライブだが、ここには拍手は収録されていない。そしてアルゲリッチとアバドのコンビは、これほど見事な演奏をしておきながらどこか余裕を感じさせるのである。それほどにまで彼らの息は合っている。そのためか、何度も聞きたくならないのだ。



3つの演奏でどれが一番好きかと問われると、私は第一にデュトワ盤を挙げる。次がコンドラシン盤ということだろうか。だが、第3楽章の興奮を味わうにはアバド盤をを置いて他にないだろう。

なおデュトワ盤はアナログ録音である。そして手元にある1985年リリースのCDは、アナ ログによるリマスタリングという、今となっては大変珍しいフォーマット(つまり「AAD」)である。そのことで私はこのCDを貴重に持っている。カップリ ングがアバドとのプロコフィエフで、これがまた大変素晴らしい。一方、コンドラシン盤は前述のラフマニノフ。カップリングを考慮すると、どのディスクがい いか、また悩みが深くなる。

2012年12月6日木曜日

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23(P:ペテル・ヤブロンスキー、ペーター・マーグ指揮フィルハーモニア管弦楽団)

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をいろいろな演奏で聞いてみたくなった。まことにきっかけというのは突然やってくるもので、もうほとんど聞くことはあるまい、などと勝手に思っていた自分が信じられない。十何年ぶりかの聴き比べである。一度惚れ込んだ演奏も、今では記憶が薄い。かと言って同じ曲をそう何種類もの演奏で聞けるほどコレクションはない。できるだけ同じ曲は重複しないように集めて来たからだ。

御茶ノ水のディスクユニオンに行って、どんな演奏が売られているか探って見ることにした。勿論中古である。私は原則輸入盤しか買わないから、選択肢は限られる。お目当ての演奏がないことも多いが、意外な演奏に出会うことも結構あって、だからこの買い物はやめられない。さて曲が曲だけに、売られている演奏は数多あった。その中から、私も知らなかったペーター・ヤブロンスキーのデッカ盤が目に止まった。

指揮はペーター・マーグである。ということはこのふたりは祖父と孫ほどの年齢差がある。マーグの指揮はモーツァルトやメンデルスゾーンで無駄のない、すきっとかっちりとした指揮が大変素晴らしく、好感が持てるものだ。それだけでこのCDに興味が湧いてくる。しかもデュトワを伴奏にピアノ協奏曲第2番と第3番もカップリングされている。2枚組なのにわずか480円、中古とは言え未開封の新品である。録音は90年台だし、デッカなので悪かろうはずはない。そういうわけで、このCDを手にレジへと向かうのに時間はかからなかった。第2番と第3番は初めての購入なので、重複が少ないことも嬉しい。

さてその演奏だが、なかなかいい。まずテンポがしっかりと地に足のついた感じで、比較的たっぷりとはしているが、決してダレないのは時おり適当に速いからだと思う。この曲は技巧を見せびらかすテクニカルな演奏、あるいはライブでの爆走の演奏が多いが、私はそのような演奏は、この曲の魅力を部分的に伝えてはいるものの、逆に伝え損なっている部分も少なからずあるのでは、と思っている。むしろ、時にゆっくりテンポ落とし、ピアノを中心としてダイナミックな曲の表情をつけるのが何よりの魅力である。チャイコフスキーの演奏は、強弱とテンポを適切に動かし、それでいて伴奏にすうっと融け合っていくところが聞きどころと言える。

古いロシア風の演奏が、まずその最右翼だろう。ところがこの演奏は90年台の演奏なので、音色はむしろモダンである。そのことに好感が持てる。第2楽章の冒頭のフルートは、私の理想の演奏だった!ここがそっけないと何ともつまらないのだ。そしてフィルハーモニア管弦楽団の管楽器の旨さは特筆に値する。特にオーボエのソロは、なんという事か、この曲の魅力を余すところ無く伝えている。ピアノはマーグの信頼感のある伴奏に乗って、決して派手ではないが、十分に迫力とメリハリのある演奏となっている!隠れた名盤ではないか、と思い始めた。

冒頭の序奏で一瞬曇った録音に驚く。これはデッカの音ではないと思うかも知れない。だが、もしかするとワンポイント収録風の、少し視点を後に引いた感じの録音にしたほうがいいというプロデューサーの判断によるものかも知れない、と思った。デッカの明快な音色は、あまりここでは期待できない。それだからと言って悪い録音とは言えない。

オットによる中途半端な演奏のあとで、素晴らしい演奏に出会った。ロシアの土の匂いのする演奏ではないにもかかわらず、まるで無国籍のただ綺麗なだけの演奏でもない。94年のリリース時にはこのヤブロンスキーの演奏が、そのような今風の演奏のように思われていたかもしれないが、オットの演奏に比べると、その傾向はまだかなり控えめである。オットはその傾向を和らげようと、時に少し意味有りげな強弱をつけたりする。だが、それがかえって不完全な印象を私に与えたのだった。

師走に入って一段と寒い空気が東京の空を覆っている。乾いて透き通ってはいるが、風が強くて雲が厚く、灰色になる。いつのまにか散り積もった落葉を踏みしめながら、会社へと向かう。耳元で鳴っているチャイコフスキーのメロディーは、そのような私の日常に、今はピッタリと似合っているように思う。

2012年12月4日火曜日

チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23(P:アリス=紗良・オット、トマス・ヘルゲンブロック指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)

テレビで「N響アワー」の後続番組を何気なく見ていたら、盲目のピアニスト辻井伸行が弾くチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の演奏が放映されていた(外山雄三指揮NHK交響楽団)。聞き慣れた曲だったが大変素晴らしい演奏で、新鮮さの中にもロシア的なロマンチシズムを感じた。そう言えばこの曲はかつて良く聞いたなあ、などと思っているうちに、久しぶりに全曲を聴いてみたくなった(放送は第2楽章以降のみだったので)。

どうせ聞くなら最新の演奏で、と思いHMVのホームページなどを検索していると、日系の女性ピアノスト、アリス=紗良・オットの演奏がメジャー・レーベルでは最新版ではないかと思われた。さっそく手に入れて聞いて見ることにした。伴奏はトーマス・ヘンゲルブロック指揮ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団(2009年、Deutsche Grammophon)。

だがこの演奏は、大変きれいな音色で伴奏を含め十分なものだったにも関わらず、何かが欠けているような、つまりは感銘をさほど受けない演奏と感じられたので、ここに書こうかどうしようか、少し迷っていた。この聞き古された名曲には、限りない種類の録音があって、これまでに多くの演奏に出会っている。そしてそのうちの幾つかは、それこそ何回も聞いては感動し、「決定版」ではないかと一度となく思ったのである。そういう演奏と比較してしまうのだから、後から演奏する人は辛いだろうと思う。

ついでなので、それらを記述しておくと、まず私が中学生の頃から親しんだのは、エミール・ギレリスの演奏で、ズビン・メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックのライヴ盤。これは演奏が終わるのを待たず入る拍手を良く覚えているが、ロシア的な叙情性をたたえている点でも素晴らしい。

次にマルタ・アルゲリッチによる最も古い録音。伴奏はシャルル・デュトワ。アルゲリッチの演奏は以後、コンドラシンとの白熱のライヴ、90年台のアバドとのベルリンの演奏などもあるが、私はこのデュトワ盤が一番いいと思っている。

最近のリリースではネルソン・フレイレの演奏。確かルドルフ・ケンペ指揮のいささか古い録音。なかなかいい。一方、友人に借りてまで録音したスヴャトスラフ・リヒテルによる演奏(カラヤン指揮ヴィーン交響楽団)は、気合いの入った演奏だったが期待はずれ。むしろワイセンベルクの演奏の方が完成度は高いと思われた。

この曲の演奏は難しいと思う。とてつもない技巧も要求されるので、いまでは若手のレパートリーだが、それだけでも大変である。終楽章の高揚感とスピード感が心地よく、そのことを強調した熱演も多いが、ライブならまだしも録音となると、本当の素晴らしさは時おり立ち止まって感じる何とも寂しい情感ではないかと思う。晩秋に吹く木枯らしのようなわびしい部分や、凍りついた静かな夜中のこずえ、といった想像力をかきたてる場面が、第2楽章の途中や第3楽章にも顔を出す。特に第2楽章冒頭のフルートや、民謡風のメロディーは印象的に弾いて欲しい。これらがいかに表現されているかが、私にとっては重要である。オットの演奏は、上記の名演がそれとなく上手く表現する箇所を、いとも簡単にすり抜ける。それはそれで今風なのだが、この曲に関してはどうもちぐはぐな感じで残念でならない。もっと上手い表現ができるだろうに・・・。それは伴奏にも当てはまる。

ライヴでは上原彩子による演奏が思い出に残っている(デュトワ指揮NHK交響楽団)。これらの演奏についてはまた機会を改めて書こうと思う。


東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...