2020年2月29日土曜日

モーツァルト:交響曲第38番ニ長調K504「プラハ」(ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団)

さて「リンツ」の次は「プラハ」である。プラハは言わずと知れたチェコの首都で、モーツァルト贔屓の街として知られている。歌劇「フィガロの結婚」がいつまでも流行るのを知ってかの地を再び訪れ、次の「ドン・ジョヴァンニ」を初演したのは有名だ。この交響曲は、最初のプラハ訪問の際に演奏された。今でもプラハの人々は、モーツァルトのとの深いつながりを誇りに思っているようだ。

ヨーロッパを旅行した数多くの人々が、プラハの街の美しさを絶賛する。一度でいいから行ってみたいと思いつつ私は果たせていない。もっとも若い頃のチェコ(当時はチェコ・スロヴァキア)は共産主義国だったから、観光にもビザも必要で、大変旅行がしにくかった。私は西ベルリンやウィーンには足を延ばしたが、東欧の諸都市には行くことをためらった。ドレスデンもライプチヒも、あるいはブダペストもプラハも、私にはまだ鉄のカーテンの向こう側に存在してしまっている。

ヴルタヴァ川の向こう側に旧市街を見上げるプラハの写真を、誰もが一度は見たことがあるだろう。その風景は時に夕暮れ時であったりする。そうでなくても抒情溢れるチェコの音楽をこよなく愛しているが、モーツァルトがこの街に捧げた作品もまた、大変懐かしい気分がする珠玉の作品である。天空を哀しみが疾走し、それでも明るくて爽やかなモーツァルトのすべてがこの曲に含まれている。そして、この曲の魅力を伝えてやまないのが、チェコ生まれの巨匠、ラファエル・クーベリックの演奏だ。

重々しい序奏から始まる。ゆっくりと進むその音楽は、どこかオペラの序曲の冒頭のようである。ここに「ドン・ジョヴァンニ」の先駆けを感じる人も多い。序奏はしっかりと数分間続き、この間の変奏や和音が、その中庸を得た平衡感覚のまた見事というか、いい演奏で聞くと私などはこれだけで感じ入ってしまうほどである。

一瞬間をおいて走り出す主題は、「魔笛」の序曲を思い出す人も多い。実はこの曲の主題には、「フィガロの結婚」からのメロディーが取り入れられているらしい。ティンパニや木管楽器の色合いがこれほど見事な曲もなく、初めて聞いた時から「完璧な音楽」というのはこのような音楽のことを言うのだろうか、などと思った。中学生の時だから、漫然と聞いていたのだけれど、あとでそれは厳格に使われた対位法やフーガといった技巧の故だと知った。

第1楽章でほんのかすかに変化する色合いは、フレーズのちょっとした移行部分や調性の変化の際に露わになるのだが、クーベリックはここを実にうまくやってのける。ちょっとテンポを落として、ちょっぴり曇ったり、晴れたり、メランコリックになったりと絶妙の塩梅である。バイエルン放送のオーケストラは、ドイツのオーケストラにしてはい明るめの音色が特徴だが、それが「プラハ」に活きている。

第2楽章アンダンテは、のどかな田園の雰囲気だが、ときおり厳しくて寂しい気持ちが表れる。秋の木立の道を行くようだと勝手に想像しているのだが、これはもしかしたら当時のLPレコードのジャケットがそうだったからかも知れない。当時のジャケットの写真が見つかったので、ここではそれを掲載しておこうと思う。

「プラハ」にメヌエットはない。終楽章である第3楽章は、再び快活な音楽となる。だが何度聞いてもこの曲は、ただ明るい曲ではない。むしろ例えようもなく淋しく、そして理知的である。あまりに完璧な音楽は物悲しい。時に音が途切れてほとばしり出るフーガは、「ジュピター」の先駆けを思わせる。

クーベリックによるモーツァルトの後期六大交響曲集が発売されたとき、どの曲のレコードを買おうか迷った。3枚のLPが一気に発売されたからだ。この演奏は、またたく間に評判となり、クーベリックのモーツァルトがこんなにも表情が豊かで、非の打ち所がない演奏なのに、どうしてそれまでに録音されなかったか不思議なくらいだ、などと評判になった。ライブでは何度も取り上げているようだったから、これは満を持しての録音だったのかも知れない。レコード・アカデミー賞なるものに輝いたと記憶している。

私はこの「プラハ」を含むレコードを買って、すぐにその演奏の虜となった。その後、最終的にはすべての曲の演奏を聞いたが、この「プラハ」はいちばん出来栄えが良いように思われた。物思う頃に、学校から帰るとそれこそ毎日のように聞いていた音楽が、何十年もの時を経て蘇る。私はクーベリックの指揮でしか、この曲を聞けなくなっている。

2020年2月27日木曜日

モーツァルト:交響曲第36番ハ長調K425「リンツ」(ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団)

モーツァルトを得意としたブルーノ・ワルターは、晩年の頃にコロンビア交響楽団を指揮して交響曲の再録音を行った。コロンビア交響楽団は録音用に結成されたか、もしくは名前を変えたオーケストラだが、アメリカ人の楽団員に理想的なモーツァルトの何たるかを、短時間で教え込むのは大変だっただろうと思われる。このリハーサル風景を記録した録音があった。タイトルは確か「The Birth of A Performance」となっていたように思う。

交響曲第36番「リンツ」は、比較的長いアダージョの序奏があるのが特徴である。その序奏部分を丁寧に、かつ手際よく指示して、またたくまに音色を変えてしまうその様子は、雑然としたモノラル録音からも聞き取れた。冒頭の音を一小節ごと弾いては止め、止めてはまた繰り返す。音の長さや強さ、そしてその間隔を細かく指示していくのである。

この録音はCDになって、たしか六大交響曲のCD(輸入盤)にも付録として付けられていたため、私は懐かしく思い購入した。今では弟に譲ったまま帰ってこなくなってしまったが、「リンツ」の録音はこのワルターにつきると今でも思っている。特に第2楽章が絶品だ。練習の成果が、見事に表れている。モーツァルトの歴史的演奏は、このようにして誕生し、今でも高い評価を受けている。

「リンツ」はわずか4日で作曲されたモーツァルトの傑作である。リンツとはブルックナーゆかりのオーストリア第3の都会で、私も地図帳を広げるたびこの街に興味を持ち、この交響曲のように素敵な街だと想像しながら、まだ一度も行ったことがない。モーツァルトは1783年にこの地を訪れ、この曲を作曲した。緩やかに始まる序奏が終わると、幕が開くように第1楽章の主題が顔を出す。典型的なソナタ形式である。ワルター独特のポルタメントがここでも光る。

第2楽章アンダンテの美しさは例えようがない。ここの演奏をワルターは慈しみに満ちながら、弦楽器をエレガントに響かせる。この曲は飾り気がなく、それでいて高貴でなければならない大変難しい曲だと思う。いい演奏で聞けば、これほど素敵な音楽はないのだが、そう感じる演奏は非常に少ない。ワルターは、やはりモーツァルトの本質をわかった人だと思うのは、私の場合この曲によってである。

第3楽章のメヌエットも昔風のゆったりとした演奏で、この辺りはさすがに古めかしくもあるのだが、いまとなってはあまり聞くことのできない演奏のスタイルを、かえって新鮮に思う人も多いのではないか。私も何度かこの曲を実演で聞いてはいるが、こんな懐古的演奏には出会うことはない。

終楽章を含め、この曲の調性はハ長調。先日触れた第34番や「ジュピター」、ピアノ協奏曲「戴冠式」などが同じハ長調である。モーツァルトのハ長調は、無色の素地がそのまま表れる。だから、表情付けが難しいのではないかと想像している。その結果、いい演奏とそうでない演奏が鮮明になる。指揮者の個性がストレートに表れるとでも言うべきか。たとえばあのクライバーのビデオなどは、神経質すぎて見ていられない。一方、ベームやテイトのような職人的指揮者は、この曲を正確に把握し、その曲の魅力を引き出すことに成功している。スタジオ・モニター用ヘッドフォンのように、モーツァルト演奏をピュアに判断する基準は、このようなハ長調の作品だと感じている。


(追記)
コロンビア交響楽団とのステレオ録音による演奏は1960年のものである。他の交響曲とカップリングされているものは、たいていこの演奏だが、上記で触れたリハーサルは1955年になされている。この際に録音されたと思われるのがモノラル録音でリリースされている。ステレオの方は弦楽器がやたらキーキー鳴り、分離され過ぎた低音がボワッと響くなどちょっと聞き苦しい時もある。演奏の方もワルターが若いからか、旧盤の方が引き締まっている。私が持っていた3枚組のCDには、この「リンツ」だけ1955年のものも収録されていたように思う。

2020年2月26日水曜日

モーツァルト:交響曲愛35番ニ長調K385「ハフナー」(コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

モーツァルトの交響曲第35番は、ウィーンにおいて1782年に、かねてから親交のあったハフナー家のために作曲され、その後予約演奏会で演奏された。モーツァルトがハフナー家のために作曲したのは、この交響曲に先立つ6年前、ザルツブルクにおいて作曲された「ハフナー・セレナーデ」が知られている。実は本作品も当初はセレナーデとして作曲されたが、いくつかの楽章を取り除き交響曲に仕立てた。冒頭の2オクターブものレンジで和音が壮大に響くことが象徴的であるように、この交響曲は以降に続く6曲の交響曲作品の最初を飾る幕開けでもある。

これまで若い頃の交響曲作品を聞いて来たが、いよいよ最後の6つのシンフォニーについて書くときがやってきた。これらの作品はいずれも極めて充実した、大変な名曲で非の打ちどころがない。数多くある録音も、高い曲の完成度の前には、語る言葉も失くしてしまう。けれどもモーツァルト作品は案外、演奏を選ぶ傾向もあるようで、各作品について私が最大限惚れ込む演奏は、それぞれ数種類しかない。現時点での極め付けの演奏を、各曲1種類に絞って取り上げたいと思う。

交響曲第35番「ハフナー」は、コリン・デイヴィスが指揮したシュターツカペレ・ドレスデンで。記憶が正しければ、デイヴィスはこれ以前に、モーツァルトの交響曲を録音していない。従ってこれが最初で最後の演奏だと思われる。80年代に入って古楽器奏法が過去の演奏を駆逐してゆき、90年代になるとほぼすべてがそのような奏法か、またはその影響を受ける演奏となった。デイヴィスとドレスデンの伝統的なオーケストラは、そうなる直前、迫りくる新しい潮流に一切見向きもせず、ただひたすらに従来の奏法に磨きをかけることを貫いた。

第1楽章の重厚なテーマに圧倒され、音が音に重なっていくものの、推進力は程よい速さを保つ。ドイツの響きがずっしりと重みを維持し、弦楽器が敷くえんじ色の絨毯の上を、管楽器が舞う。陰影を含んだいぶし銀の響きは、第2楽章のアンダンテにおいて真価を発揮する。ここの第2楽章は、私が非常に愛するメロディーで、この曲を聞くときはまず第2楽章を聞くくらいだ。このワン・フレーズを聞くだけで、モーツァルトにしか兼ねなかった均整の取れた麗しさを私は感じる。

第3楽章メヌエットは第1楽章と同様に力強く、もう付け足しの楽章という雰囲気はしない。中間部においては、しっかりとリズムを刻むデイヴィスの演奏により、充実感に満たされてゆく。素晴らしく均整の取れた造形美。しかし続く第4楽章は、意外にも早く終わってしまう。その尻切れトンボのようなものが、もしかしたらこの曲を少し不幸にしているのかも知れない。たくさんの仕事を抱えて、作曲を急いだモーツァルトが手を抜いたわけではない。ただ、完成した作品を見直す暇はなかったのだろう。それでもこれだけの完成度があるのだから驚くばかりだ。私はいまだに、この曲を実演で聞いたことがない。滅多に取り上げられないのも事実である。

2020年2月25日火曜日

モーツァルト:交響曲第34番ハ長調K338(リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ティンパニを加えたハ長調のモーツァルト作品は、壮大にして豪華である。最後の交響曲「ジュピター」がそうであるように、この作品もまた力強い出だしで始まる。トランペットも加わり、アレグロ・ヴィヴァーチェとは言えたっぷりと音域の広さを活かしつつ、クレッシェンドをしていく。独特の下降するメロディーと音程の開きの大きな旋律は、モーツァルトを聞く楽しみを堪能できる。交響曲第34番は、その後に続く豪華な六大交響曲の前にあって、隠れた存在である。けれどもその音楽は実に豊かである。

この作品が目立たない存在に甘んじてしまったもう一つの理由は、これがザルツブルク時代に作曲された最後の作品だからだろう。けれどもこうして順に作品を聞いてくると、モーツァルトがマンハイムを経由してパリに出かけた成果が見て取れる。第28番から第30番までの交響曲とは異なる雰囲気を、第32番以降の作品は持っている。ここには成熟したモーツァルトがいる。

リッカルド・ムーティはウィーン・フィルを指揮して主要な交響曲を録音しているが、その中には第34番以前の作品も含まれている。しかも雑なレヴァイン盤とは異なり、自信に満ちた力強いイタリア風の統率がウィーン風に同化して、魅力的な演奏となっている。第2楽章のアンダンテは、その9分にも及ぶ長い楽章を、弦楽器のみでエレガントに聞かせる。これこそウィーン・フィルの真骨頂だが、この艶があるもののややくすんだ音色は、嫌いな人もいるかも知れない。

いっときは付けられていたメヌエットは、作曲家によって省かれた経緯がある。第3楽章は再びアレグロとなって、8分にも及ぶ長いソナタ形式が続く。力強く疾走する音楽は、いつまでも聞いていたい気分にさせられる。ここにはもう紛れもない、あのモーツァルトの音楽が鳴っている。

こう見てくると、交響曲第31番「パリ」というやや異色の作品を挟んで、同じザルツブルク時代でも十代の頃の作品と二十代になってからの作品の違いがよくわかる。ケッヘル番号で言えば300番台の作品は、そのような青年モーツァルトのもっとも充実した作品群であることを思い出す。あの「イドメネオ」もこの頃の作品である。

モーツァルトは自分の音楽が、今や世界に通用するものとして確立したと自覚したに違いない。そのような自信は、ついにザルツブルクを去る決意につながる。従属した地位に甘んじるくらいなら、フリーランスとしても自立できるのではないか。時はまさしくフランス革命の前夜である。天才を自覚した若い青年は、解雇のリスクも承知でとうとう出張先のウィーンに単身残る決意をする。この作品が作曲されてからわずか半年あまりのことである。

2020年2月24日月曜日

モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調K319(オトマール・スイトナー指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

マンハイムを経由してパリに出かけたモーツァルトは、1779年失意のうちに帰国し、再び暗黒のザルツブルクでの生活に戻らなければならなたった。理由はふたつある。ひとつは同行した母が死亡したことである。もうひとつは就職活動の失敗である。決して順風満帆だったとは言い難いモーツァルトの苦悩の始まりは、この頃からではないだろうか。

ザルツブルクでの最後の数年のうちに、モーツァルトは3つの交響曲を作曲している。第32番から第34番である。このうち第32番は単一楽章の3部形式だが、これを含めこの3曲にはメヌエットがないという共通の特徴がある。だが音楽的な規模は充実しており、これはやはりマンハイム、そしてパリでの音楽的成果と言えるだろう。

これらの曲は、まるで哀しみを払拭するかのようにいずれも明るい曲調に支えられてはいるが、ふとした拍子にどこかの仄暗さを見せるモーツァルトの特徴が表れ始めている。例えば、この第33番の第2楽章がそうである。 弦楽器の淡々とした旋律のなかに、オーボエとファゴットのみによるメロディーなどがそうだと思う。曲にもともと派手さがなく、控えめなのだが、成熟した落ち着きもまたある。

第3楽章の、まるで初春の風が頬を撫でるようなさわやかさは何といったらいいのだろうか。躍動感を持ちつつも流れるメロディーは、何やらシューベルトを思わせると言ったら言い過ぎだろうか。オトマール・スイトナーの東独時代の演奏は、当時としては珍しい全集だったと記憶しているが、この演奏のいぶし銀の輝きは今もって色あせてはいない。どの曲を聞いてもその完成度の高さは、あらゆる意味で最高の部類に入ると思われる。

なお、第3楽章メヌエットは後年、ウィーンでの演奏の際に書き加えられた。交響曲は4楽章構成が定着していく頃である。

2020年2月23日日曜日

モーツァルト:交響曲第31番ニ長調K297(300a)(クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

モーツァルトの交響曲は、番号付きのものだけで41曲、その後発見されたり、断片のみのものも含めると50曲を超える作品が残っているようだ。特に初期の作品については、必ずしも番号順に作曲されたわけではない上、滅多に聞くものでもなく、どの作品がどれなのかよくわからなくなる。ニクラウス・アーノンクールは、どうでもいいようなフレーズにも命を吹き込み、さぞ意味ありげな作品のように演奏する天才指揮者だったが、彼の残した初期交響曲集(CDにして全5枚、その中にはモーツァルト父子の手紙の朗読も含まれる)として過去に取り上げた。

この初期交響曲集には「小ト短調」として知られる交響曲第25番K183も含まれており(この作品も単独で取り上げた)、概ねケッヘル番号で言えば200番あたりまで、作曲年代で言えば1773年、モーツァルト17歳あたりまでが収録の対象となっている。翌1774年には、現在第28番ハ長調K200、第29番イ長調K201、第30番ニ長調K202として知られる交響曲が作曲されている。

交響曲に関していえば、その後1778年に第31番ニ長調K297(300a)が作曲されるまで少しの空白がある。ザルツブルクを離れてマンハイムに赴く頃のことである。モーツァルトの音楽が最初に大きく羽ばたくきっかけが、このマンハイム時代ということになる。

この交響曲の副題は「パリ」と呼ばれているが、これはパリの演奏団体コンセール・スピリチュエルからの依頼に基づくものであることが、その理由である。この時作曲された第2楽章は、その後依頼主のル・グロの要請により書き直しを行ったため、2つのバージョンがある(通常は書きなおした版で演奏される)。さらにこの作品で指摘すべき事項としては、初めてクラリネットを完全2管編成で使用している点である。これもコンセール・スピリチュエルの規模に合わせて作曲したからだと言われている。

つまりこの作品は、モーツァルトの交響曲の中でも規模の大きな最初の作品ということになる。この作品でモーツァルトの管弦楽作品は、ひとつの飛躍を見た。私たちが通常聞くモーツァルトの交響曲と言えば、「小ト短調」K183を例外として第31番「パリ」からということになり、従って録音される機会も数多い。

第1楽章はアレグロで、いきなりティンパニを伴った大規模な上昇フレーズでスタートする。序奏なしの主題は、派手好きであるパリの聴衆にインパクトを与えるに十分だった。この初演は大成功になる。私も一度聞いたら忘れられない作品だと思った。若いモーツァルトの生き生きした旋律が堪能できる作品である。

2つのバージョンがある第2楽章アンダンテも、非常に味わいがある。今では古楽器風の骨と皮だけになった演奏が主流だが、この曲はしっとりと昔風の演奏で味わうのも良い。第3楽章(終楽章)はアレグロで、再び快活な音楽となって明るく終わる。

私が愛聴している「パリ交響曲」のCDは、クラウディオ・アバドがベルリン・フィルを振った1992年の演奏を収めたものである。このCDには、初稿の第2楽章アンダンテが付いている。最初に聞いた時には、通常の3楽章が終わってもまだ緩徐楽章が続くので、違う作品かと思った。この第2楽章は比較的地味で、第2稿とはかなり違う印象を残す。私はどちらかと言えば第2稿を好むが、モーツァルトは要望を聞き入れて作曲しなおしたこともあってか初稿を気に入っていたようだ。

アバドの演奏はベルリン・フィルの機能美を活かしてダイナミックに指揮をしている。と同時に新鮮なところも多く、初めて聞くような魅力も味わえる。それはカップリングされた「フリーメーソンのための葬送音楽K477(479a)」や、同じくマンハイム時代を代表する大編成の「ポストホルン・セレナーデK320」(第1, 5, 7楽章を抜き出した交響曲としての演奏)についても同様である。特に前者などは、聞き古したワルターの演奏などに比べ、すっきりとしていると同時に深みのある演奏で、新たな魅力を私に与え続けており、何度聞いても美しい名演だと思う。

2020年2月22日土曜日

モーツァルト:交響曲第30番ニ長調K202(186b)(ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

解説書によれば、モーツァルトはイタリア旅行を終えてからウィーン旅行をはさんだ1772年から1774年の間に作曲された一連の交響曲群(約16曲)の中で、最後のものがこの第30番である。十代のザルツブルク時代のモーツァルトの交響曲の最後の作品、ということである。この時モーツァルトはコロレド大司教との諍いに悩む18歳の青年だった。

前作の第29番がとても機知に富んだ素敵な作品であるのに対し、この30番はあまり目立たず、作品の印象も薄い。実際なかなかこれという演奏に巡り合えず、このブログで取り上げるのもやめようかと思ったが、 何度も聞いているうちにやはり何か書いておこうと思った次第。

第1楽章の冒頭は勢いのあるファンファーレ風だが、この部分だけが印象的である。ソナタ形式のきっちりとしたメロディーはハイドンを思わせる。ネヴィル・マリナーはこういう音楽を真面目にしっかりと演奏していて好感が持てる(ついでに言えば、今一つの演奏はアーノンクール指揮コンセルトヘボウ管弦楽団のものだろう)。

前作と比べても地味な緩徐楽想を経てメヌエットに移行するが、これも印象が薄い。終楽章では プレストとなって快速に音楽が進行するが、よくあるモーツァルト作品がそうであるようにあっさりと終わる(これも前作とは異なる)。

ここで思い起こすべきは「ギャラント様式」ということだろう。これは当時流行していた音楽の様式で、バロックから古典派への移行期に見られる 旋律美を活かした音楽。フランスのロココから発展したものと言われ、ドイツで発展した「多感様式」とほぼ同義に使われるみたいだ。バッハの2人の息子、ヨハン・クリスチャンとカール・フィリップ・エマニュエルの作品に顕著に現れているという。私はあの複雑で荘重なバロック音楽の次に、一気に古典派作品(たとえそればハイドンであっても)に移るのを、いつも不思議な気持ちで聞いていたが、この移行期には実は多様な流行があったことがわかる。丁度フランス革命の直前ということになる。

モーツァルトは当時の流行を捉え、自らの作品に取り入れた。これは後にウィーンにおいて自由闊達な作風へと変化する萌芽と見ることができるかも知れない。だがモーツァルトはザルツブルクを離れてマンハイムに向かい、さらにはパリへと足を延ばす。モーツァルトがイタリアで仕入れた音楽は、これらと融合して発展する。ウィーンに移住するのはさらにそのあとだ。

モーツァルトの交響曲をだどっていくと、この変化が手に取るようにわかるのではないか、などと考えながらザルツブルク時代を終える。「パリ」とニックネームの付いた次の交響曲が作曲されるのは1778年のことで、3年半も後のことである。

2020年2月11日火曜日

ロッシーニ:歌劇「セヴィリャの理髪師」(2020年2月8日、新国立劇場)

ちょうど14年前に息子が生まれたときも、このような抜けるような快晴だった。立春を過ぎたとはいえ強い北風の吹く寒い日で、そのことが陽射しの多さを私の記憶の中で印象的なものにしている。暖冬と言われる今年の冬も、ここへきて寒気団が南下し、東京も真冬の寒さを取り戻した。そんななか、私は妻と共に一年ぶりとなるオペラの鑑賞に向かった。

歌劇「セヴィリャの理髪師」は我が国でも人気のある演目で、毎年どこかの団体が公演しているようだし、新国立劇場でも1998年以来数年おきに、この作品が上演されている。今回のヨーゼフ・E・ケップリンガーによるプロダクションも、2006年、2012年、2016年に続く4度目の上演ということのようである。

今回の上演の目玉は、何といってもロジーナを歌う脇園彩(メゾ・ソプラノ)で、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル出身の彼女はすでにミラノ・スカラ座でこの役を演じているというから、たいしたものである。そして標題役フィガロには フランス人のフローリアン・センペイ(バリトン)、アルマヴィーヴァ伯爵にはアメリカ人のルネ・バルベラ(テノール)、ドン・バジリオにはイタリア人のマルコ・スポッティ(バス)、バルトロには同じくイタリア人のパオロ・ボルデョーニャ(バリトン)が務める。この4人はいずれも、新国立劇場には初登場らしいが、現在この作品を上演するとしたら、もっとも旬に乗ったキャストであるとの触れ込みである。

余裕を持って出かけたはずが、気が付いてみると開演5分前だった。2階の左脇最前列のA席は、発売と同時に確保していた。4人の人の前を通って自席につくと、早くも指揮者のアントレッロ・アッレマンディが登壇。ピットに入った東京交響楽団が有名な序曲を演奏し始めた。

最初の一音を聞くと、それは適度に抑制され、ああこれはあのアバドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮したような感じだと思った。テンポを少し速く取り、窮屈にならない緊張感を維持しながら、木管やホルンを歌わせていく。音を大きくしないが、2階席からはオーケストラの音が直接響いて良く聞える。これが歌とどう調和するか、聞きものである。

舞台は早くも幕が上がり、回転台に乗せられたセヴィリャのアパートの内部断面となったり、表になったり、慌ただしい。右脇にはネオンを伴った娼館があって、ここを経営してるのが小間使いベルタ(ソプラノの加納悦子)だという設定らしい。ブックレットによれば、設定はフランコ政権下のスペインで、みな意味ありげな服装をしている。つまり、ロッシーニの音楽なのに舞台は垢ぬけない。なのに、とてもカラフルではある。

序曲の間から登場人物が舞台に揃い、それぞれ何やら象徴的な仕草を見せてはいるが、これがどうも舞台の大きさに比して小賢しく、興がそがれる。以降、この舞台での欠点は、それぞれの登場人物がする仕草が細かすぎて、何かを主張するには説得力がなく、全体の流れにうまく乗り切れない印象を残した。音楽が素晴らしいのに、演技が小さいと思ったのは私だけだろうか。

テレビ画面で見るオペラは、小道具に至るまで細かく演出され、それをアップで写す。だがこのような大舞台で見る場合には、観客の視線を象徴的な一点に集める工夫が必要だ。饒舌すぎる演出は散漫となる。加えて我々は、字幕を追う必要がある。この字幕が大変で、長すぎると読みづらく、短すぎると心情が伝わりにくい。視線を切り替える回数を減らす工夫から、複数の人物の会話を一度に表示するから、読み終えると実際の会話よりも先に理解してしまう。ロッシーニのような会話の多い舞台では、これはもう避けられないと言うべきか。

以上、批判的なことを多く書いたが、これは以下に述べるこの舞台の素晴らしさを語る上で妨げにならないようにするためで、音楽的にはこれほど見事なロッシーニの舞台を見たことがない。今回の上演の特筆すべき点は、高水準の歌手が揃ったことによる歌の饗宴ということになる。

特にロジーナの脇園彩は、オペラの中でも最も有名なアリア「今の歌声は」で、自信に満ちた声と演技を披露した。彼女が出てきた瞬間に、何か舞台が急に変わった。このオペラでは脇役を除き、女性は彼女ひとりである。そのことが一層、彼女の存在感を際立たせた。オーケストラがピタリと寄り添いながらも、音楽の道筋を弛緩することなく進めてゆく。いわば理想的な伴奏に彩られて、彼女は一階と二階を行ったり来たり。運命に逆らってでも意志を通す新しい人間像は、モーツァルトから受け継がれている。

脇園は第2幕でも再びアリア「愛の燃える心に」を歌うが、ここでの彼女も実に堂に入ったもの。会場から間髪を入れずブラーヴァが飛び盛り上がる。これを受けるアルマヴィーヴァ伯爵のルネ・バルベラが、私には印象深い。彼の歌は何といっても第2幕終盤で歌う超技巧アリア「もう逆らうのをやめろ」につきる。あまりにも難しいため省略されるのが慣例だったこのアリアが復活したのは、ロッシーニ・ルネッサンスが定着した1970年代に入ってからだったという。ここの部分を聞くと、フローレスがMETで歌った圧巻の歌唱を思い出す。

この日の公演でもっとも大きな歓声に包まれたのは、ドン・バジリオを歌ったマルコ・スポッティだったかも知れない。ただ、フィガロのフローリアン・センペイといいバルトロのパオロ・ボルデョーニャといい、すべて歌手の水準が高く、しかも安定していた。男声がオーケストラの音と混じって早口で歌うと、どこどなく音が籠ってしまう。もしかすると1階席で聞いていたら、そういうことも少なかったのかも知れない。だが、絶妙なタイミングで飛ぶブラボーは、3階席から多く聞かれた。

オーケストラから聞こえるべきギターやチェンバロの音は、少し小さすぎて物足りなかった。嵐のシーンなどは、舞台がくるくる回転しながら、非常に饒舌にいろいろな動作があったが、この部分でコーダに向かう物語の転回もまた、こういった物語の特徴のはずだ。だが、今回の演出はあまりに何もかも詰め込み過ぎで、ストーリーにメリハリが欠ける。このことに最大の不満が残るのが惜しい。それはあの有名なフィガロのアリア「私は町の何でも屋」の歯切れの悪さでも見て取れた。

少なくとも音楽に関しては、非常に高水準の「セヴィリャの理髪師」であったことには違いない。さすがに2階の席で聞くと、あの早口の重唱も音楽に乗って、ちゃんとロッシーニ・クレッシェンドになって聞こえてくる。カーテンコールに何度も応える歌手やオーケストラの横顔を見ていると、今回の公演も満足の出来栄えだったのだろうと思った。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...