2018年12月28日金曜日

NHK交響楽団「第九」演奏会(2018年12月24日、NHKホール)

記録によれば、今回のNHK交響楽団による年末恒例、ベートーヴェンの「第九」演奏会は私にとって生涯で通算300回目となるコンサートである。第200回目は2007年11月、バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンをサントリーホールで、第100回目は1995年10月、カーネギーホールでマゼール指揮ピッツバーグ交響楽団を聞いている。初めてのコンサートは1981年だから、39年間に300回のコンサートに出かけたことになり、平均すると1年に7.7回のペースということになる。

初めてオーケストラを生で聞いたのは、小学校の低学年の頃で、学校の体育館にやって来た京都市交響楽団だったかの出前演奏だったし、テレビ番組「オーケストラがやって来た」の公開収録に出かけたりしたこともあったが、自分のお金で聞いたコンサートとしては、1981年12月30日が最初であった。会場は大阪フェスティバル・ホール。演奏は朝比奈隆指揮大阪フィル。演目はベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付き」。コンサートの始めにはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲が、コンサートの終わりには恒例の「蛍の光」が合唱のみで演奏された、とメモにある。

ちょっと脱線すると、朝比奈隆と言えば現在でも我が国で最も聞かれている指揮者で、今日も年が押しせまった新宿のタワーレコードに出かけたところ、朝比奈の「第九」がクラシック売り場に高らかと鳴り響いていた。朝比奈の音楽は、晩年神がかり的な存在となったが、当時はまだローカルの演奏会で、たかだか3000円くらいの席は中学生だった私にも手が出せた。その演奏は、第3楽章までが何かプカプカとやっていたが、第4楽章の合唱が入って来るところからは入念な響きが会場を見たし、コーダだけは極めて印象深いというものだった。待ち構えたように間髪を入れずにブラボーと叫んだ2階席最終列の学生の数人が、私のとなりにいたのを良く覚えている。

年末になると日本中で「第九」が取り上げられるようになったのは、ボーナスを団員に支給するために、客の入りがいい作品(には「運命」や「新世界より」なども含まれる)をぶつけたという説が説得力がある。この変な習慣も最近では欧米にまで逆輸入されているらしい。そして我が国では、スーパーマーケットの歳末セールにもポップス調にアレンジされて購買欲を煽り、一時期は日本中のおばちゃんやおじさんが、にわか仕込みのドイツ語で競うように歌ったようだが、そんな「流行」も最近は下火となった感がある。N響の「第九」も今年は全部で5回開かれるが、今年は当日券も残っていたし、それにFMとTVで1回ずつ放送されるだけ、というのはちょっと寂しい。

私は過去にN響の「第九」を数回聞いているが、もっとも最近聞いたのはもう1998年のことである。丁度20年も前のことになる。いつも思うのは、「第九」だけはいつもと違う客層となり、特に第3楽章あたりではなんとなくざわざわしているような感じがして、どうも好きになれなかった。それで最近は少し遠ざかっていたというのが本当のところである。けれどもN響の実力は向上しているし、団員も大きく入れ替わった。最近は指揮者が良いということに加え、いつからか合唱が、力任せの国立音楽大学ではなく、東京オペラシンガーズというプロに変わっているではないか。この曲を聞くべきタイミングとして、今年こそ相応しいと思われてきた。

思えば今年は私にとって節目の年であった。仕事でも家庭でも、そして個人的にも、大きくはないが重要な一区切りを迎えた。今年を漢字で表すと「安堵」、やっと一安心といったところであった。丁度そのような思いに浸っていた時、弟からお誘いのメールが来た。さっそく妻を誘って出かけることになり、カップルや家族連れでごった返すクリスマス前の渋谷を抜けてNHKホールに着いた。3階席ではあるが両翼の少し低くなったところ。ここで聞くN響は悪くはない。プログラムは「第九」ただ1曲のみと、ちょっと寂しいが、最近ではそういうプログラムが多い。

今年の指揮者はもう80代のマレク・ヤノフスキである。ヤノフスキと言えば、4年がかりで聞いた楽劇「ニーベルンクの指環」(演奏会形式)が記憶に新しい。毎年春、桜の咲くころに上野で聞いた一連のコンサートは、毎回とんでもないくらいの感銘を私に与えた。もちろんソリストが素晴らしかったのは言うまでもないが、それを支えたのがヤノフスキの指揮するN響だった。ヤノフスキの「指環」。それは2組の全曲盤CDでも聞くことができる。非常に抑制の聞いた音量と比較的速いテンポで、どちらかというとあっさりした演奏である。ワーグナーだからといって、ロマンチックな豊穣さを期待すると裏切られる。物足りない、と感じる人は多いだろう。けれども私はこういうスッキリした演奏が嫌いではない。酔わないが、醒めているわけではない。そつなくまとめているように聞こえるが、よく考えられている。音量をぐっと抑えて、普段は聞き取ることのできない楽器の対話が、綺麗に聞こえてくるような時があり、それはちょっとした興奮を覚える。プロフェッショナルな指揮者だと思う。

そんなヤノフスキのベートーヴェンは、私にとって実にこれが初めてである。彼はブックレットの中で、「第九」のもっとも重要な部分について興味深く語っている。それによれば、最も重要な音は第3楽章の第23小節の最後の和音だという。ここは「4/4拍子で変ロ長調、ヘ長調の和音が急な転調でニ長調に移行する部分」で「とてもさりげなく、素早く過ぎていく」のだが、「感情の最も崇高な領域」であり「きわめて非凡な『神』を感じさせるような」部分だと。ここはむしろ3/4拍子に変わる直前と言った方がわかりやすいかも知れない。

この解説を家に持ち帰って読みながら、再確認したみたいと思った。当日の演奏会の第3楽章は、それはもう素晴らしく、この曲の天国的な美しさを堪能したのだが、かといってこの細かい部分まで記憶しているわけではない。そこでまず、スコアをダウンロードし(最近は無料でスコアが手に入る。私が使ったのはhttp://www.free-scores.com/というサイトである)、手元にあったリッカルド・ムーティの指揮する全集の中の一枚(演奏はフィラデルフィア管弦楽団)を聞いてみた。

この第3楽章の前半は、4拍子と3拍子を交互に繰り返しながら進んでいく。世離れしたきれいなメロディーに、細かい音符のことなどどうでもよくなっていく。音楽的構造を逐一考えるような野暮な聞き方ではなく、曲に身を委ね、時に目を閉じたくなるような曲である。だがこのたび私は、幾度も最初からこの曲のスコアを追ってみた。最初の主題は、弦楽器と木管が交互に会話する様が面白いのだが、第1楽章、第2楽章と進んできた「第九」もここへ来てぐっと内省的な気分となる部分への、ほんのちょっとした移行の気分。駆け抜けて来た怒涛のような時間を離れ、回顧するかのような時間となるまでの、ほんのわずかな時間。とても長く、とても深い時間が始まる。

だが弦と木管のやりとりが一時揺蕩うようになり、方向感を失うが如き趣きがしばし訪れる。はっきり意識もしないうちに、ピタリと何かに触れたような瞬間。完全な調和を見せる和音がわずかに1回だけ、鳴り響く。ブルックナーの曲にありそうな瞬間。それがこの和音である。時間としては丁度3分00秒の直前(ムーティの場合)。そしてそれを境に、一気に方向感を得て流れてゆく二つ目の主題は、何と第2ヴァイオリンとヴィオラによって奏でられる(スコアを見ると第1ヴァイオリンは休止状態)。そのメロディー部分は、ヤノフスキの演奏でも極めて印象的であった。

N響の中音域を担う見事なヴィオラとチェロが、まさに雄弁にこの第3楽章を形成している。そうか、あのマーラーがよく求めた音楽が、もしかしたらこのあたりに源流を持つのかも知れない、などと考えた。この演奏は大晦日の教育テレビで放送される。もう一度聞けるのが今から楽しみである。

第4楽章になってもヤノフスキの演奏はバカ騒ぎにはならない。音を大きくしないので、3階席で聞いているとちょっと物足りないと思う客が多かったのではと思う。けれども私はフーガからコーダに至るまでのそれぞれの部分で、これまでにきいたことのないような響きを経験することとなる。木管楽器と合唱が見事に調和して、押さえられた弦楽器の中に浮かび上がる、といったような瞬間が何度もあった。後半の美しい合唱部分が極めて精緻で、それはこの合唱団(東京オペラシンガーズ)と4人のソリスト(藤原佳奈枝、加納悦子、ロバート・ディーン・スミス、アルベルト・ドーメン)によるところも大きい。

室内楽的な緻密さを持つ「第九」の演奏は、まさに音楽の小宇宙で、聞きなれた曲にもまた新しい発見があったことを嬉しく思った。たった1時間余りの演奏会が終わって、公園通りを渋谷へ向かうとき、その流れに逆行した人の波にのまれそうになった。12月になって始まった代々木公園のライトアップを見る人たちであろう。「第九」と日本の年の瀬の表情は、やはりどこかでマッチしているように感じる。思えばこの曲は、異例中の異例である。後にも先にも「第九」に似た作品などない。「おお友よ、このような響きではなく・・・」と高らかに歌われる時、そこにはあらゆるものを超越したものの存在が意識される。だから、もうどうなってもいいのよ、この曲は・・・という演奏もまた正しいだろう。ヤノフスキの演奏は、それとはちょっと異なっている。だが、「第九」はどう演奏しても「第九」である。どういう道をたどるにせよ、結局そこに「神」の存在を見出すのだから。

2018年12月11日火曜日

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35(Vn:ジョシュア・ベル、マイケル・ティルソン=トーマス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

「最高に素敵な日にいらっしゃいましたね!」と写真を撮りながらその人は話しかけて来た。ふらつく足元に雪が絡まり、今にも倒れそうな姿勢で私は山居倉庫の前の橋をわたっていた。観光客はほとんど歩いておらず、50センチはあろうかと思うような深い雪道に、同じ深さの足跡をつけながら、降り積もる雪と酒田の街の写真を撮った。

初めて訪れた出羽地方の港町酒田は、北前船の拠点として栄えた。山形で取れる米を最上川で運び、それを上方へ送る商売を営む豪商が本間氏だった。本間美術館にはその本間氏の別邸が立てられ、天皇も宿泊したという部屋から見渡せる日本庭園は、今日はすっかり雪の中に埋もれていた。

そんな旅行から東京に戻って、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けている。短い秋が過ぎ去って冬がやって来ると、無性にこの曲が聞きたくなる。それも良く晴れた日の夕暮れなどに。これはどういうことか。チャイコフスキーの魅力は、ロシアの民族性を持つ一方で、ある種の土着性からはやや離れた、一種の洗練されたものを感じさせることである。その理由は、もしかしたら風光明媚で明るいイタリアを旅し、陽気な音楽にも接したからではないか、などと素人の想像を膨らませている。このヴァイオリン協奏曲はジュネーブ近郊の村に滞在中、作曲された。

これほどヴァイオリンの魅力を引き出した曲はないのではないか、と思う。その素晴らしさはベートーヴェンを別格とすれば、おそらくブラームスやメンデルスゾーンに匹敵するだろう。そう、四大ヴァイオリン協奏曲とは良く言ったものである。これにシベリウスを加えると、世界中で演奏されるヴァイオリン協奏曲の80パーセント程度に達するのではないだろうか。

ピアノ協奏曲第1番がそうであるように、またベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲がそうであるように、この曲もまた第1楽章が長い。時にオーケストラがシンフォニックに鳴り響くとき、まさにクラシック音楽を聞いている楽しみにとらわれる。全編にわたって聞きどころが満載だが、私があえて1か所あげるとするなら、第1楽章カデンツァの終了部で、トレモロにフルートがメランコリックな主題を重ねて行く部分だろう。ここの部分をいい演奏で聞くと、心の底からぞくぞくとする。

一方、第2楽章は第1楽章の半分以下と短いにもかかわらず、寒い冬の日に部屋で過ごすような気持になる。あるいは少しレトロな雰囲気を感じるかも知れない。悲しいけれど情に溺れてしまわないような気品が漂っている。

第2楽章から続けて演奏される第3楽章は、急にオーケストラがドスンと鳴り響くところから始まる。いきなり技巧的なヴァイオリンがうなったかと思うと、堰を切ったかのように音楽が流れだす。中間部で民謡風になるが、コーダまではさらに情熱的に駆け抜ける。この曲はピアノ協奏曲第1番と構成が良く似ていると思う。そして献呈したソリストからは「難しすぎる」と言われてしまう点も同じである。だが今ではどちらも、チャイコフスキーを代表する名曲である。

今日は最近もっとも気に入っているジョシュア・ベルの演奏で聞いている。2005年のライブ録音。最新の演奏だと思っていたが、気が付けばもう13年も前の録音である。デビュー当時まだ10代だったベルも、今や51歳。私とほとんど変わらない年齢である。伴奏がMTT(マイケル・ティルソン=トーマス)の指揮するベルリン・フィルという豪華な組み合わせは、何も言うことがない。木管楽器の美しさ、弦楽器の重厚さは比類がなく、録音もDSDのマークが入っていて最上級である。さらに驚くべきことは、この演奏がライブである点だ。第3楽章が終わるや否や、盛大なブラボーに包まれる。

この曲の名演奏は古くから数多くある。個人的な思い出は、スターン(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)、チョン・キョンファ(デュトワ指揮モントリオール交響楽団) とムローヴァ(小澤指揮ボストン交響楽団)である。スターン盤では伴奏の豪華さに圧倒されたし、チョンの演奏では落ち着いて聞ける名演だった。だがこれらの演奏は、今となっては少し古い部類に入ってしまうだろう。これらが模範的な演奏だったとすると、ベルの演奏は、より緩急をつけ、情緒的な面が強調されているかと思えば、ある部分一気に駆け抜ける。それは伴奏にも当てはまり、つまり、これらは共同作業としての曲作りである。丁寧で集中力があって、長さを感じさせないが、実際にはたっぷりと長い。

吹雪の酒田の街は土曜日だと言うのに誰も歩いていない。けれども小さな酒場に足を踏み入れると、そこには地酒を片手に談笑する旅行客や地元のグループでいっぱいだった。そのようなある店でマスターと会話をしていると、入って来た5人組の若者と親しくなった。「こんなところに何をしに来たんですか?」と尋ねるので「前から来たい、来たいと思っていたんだよ」と告げると「僕たちは出たい、出たいと思っているのにですか?」と言われた。確かに1年の半分は寒く、雪が降ると身動きが取れない。そして人口は減り続けている。首都圏からは遠く、そのことが一層、郷土色を色濃く残す結果となっている。同じ中学の同級生だったという彼らは、たまたま街で出会い、そして今夜は3軒もはしごをするそうだ。あまりに寒いので、次の店を断って旅館へと急ぐ。途中、彼らが教えてくれたラーメン屋に寄ろうかと思ったが、もう遅いので帰ることにした。何もない酒田の夜に、雪が降り続けていた。

余った収録部分には2つの小品が添えられている。瞑想曲二短調作品42-1とバレエ音楽「白鳥の湖」より「ロシアの踊り」である。瞑想曲はハープも聞こえてくる抒情的で、大変きれいな曲であった。

2018年12月9日日曜日

Pops:「ひとたびの愛」(ハイメ・トーレス)

南米アンデスの民族音楽(フォルクローレ)である「コンドルは飛んで行く」は、素朴な美しい曲である。もともと歌詞はなかったが、アメリカの歌手サイモンとガーファンクルは英語の歌詞を付けてこの曲を歌い、世界中でヒットした。それからしばらく経って、私が小学校2年生の時に、音楽を専攻したまだ若い担任のS先生が、私たちにこの曲をソプラノ・レコーダー吹かせようとした。先生によれば、ケーナと呼ばれる南米の笛の音が、リコーダーの音に良く似ており、それゆえにこの曲をみんなで合奏したら、さぞ素敵なことだろう、というのであった。

先生は楽譜を編曲、手写ししてプリントし(まだプリンターのない時代である)、そこに音階を書き込むことから練習が始まった。「シミ#レミファソファソラシ・・」と今でもよく覚えている最初の小節の、その弱起で始まる冒頭の音は、実際には低い「シ」である。ところがこの音はソプラノ・リコーダーでは出す事ができない。先生はこの音を一オクターブ高い「シ」を使って演奏するように指示した。そのような事情を知らなかった私は、ある日サイモンとガーファンクルの歌う「コンドルは飛んで行く」のドーナツ盤を聞いた時、少し戸惑ったことを覚えている。どうりで変な曲だと思っていた謎も、この時解けた。

学芸会が来るまでの間、毎日毎日、少しづつ演奏を進めて行く。S先生は、まだ音楽大学を出たばかりの新任教師だったせいもあって、その指導には熱が籠っていた。高い音が連続して続く中間部を綺麗に合わせることが要求された。当日になってもう一つの出し物の演劇が終わるや否や、舞台に全員が一斉に整列して、先生の指揮に合わせて合奏した。今から思うと奇妙な学芸会だが、手作りの良さはあったと思う。中学生になってアルト・リコーダーを習うようになった時、この曲の冒頭を低い「シ」を用いて吹いてみた。友人に太鼓を叩かせて。

それからさらに月日が経って、南米のフォルクローレはいつの頃からか、世界中の駅や広場で、週末になるとペルーあたりから来たバンドがこの曲を演奏するのを見かけるようになった。我が国でも同じで、先日もJR田町駅前でやっていたし、かつてミュンヘンやニューヨークでも同じ光景を見た。そのたびに私は、小学生の頃を思い出すのだが、確かに彼らがはるか南米より出稼ぎに来るまでは、ケーナと言う笛と、チャランゴというギターに似た弦楽器など実際に聞くことなどできなかった。

エクアドルに「アンデスの声」という放送局がかつてあり、日本語による短波放送がブラジルと日本向けに毎日行われていた。中学生になった私はついにこの放送を聞くことに成功し、アナウンサーの尾崎さんに手紙を書いたりしたのだが、その放送でしばしば流れていたのが「コンドルは飛んで行く」だった。「南米赤道の国・エクアドル」から直接届く「コンドルは飛んで行く」は、雑音と伝搬障害の中で聞くひどい音質にもかかわらず、独特の雰囲気を持っていた。

「コンドルは飛んで行く」を含むフォルクローレのCDを、大学生になって私は買った。ハイメ・トーレスというバンドのCDだった。「レコード芸術」というクラシック専門雑誌にも、わずかなポピュラー音楽のコーナーがあって、その中で紹介されていたのだ。南米へはとうとう24歳の春に旅行することになる。小学生の時に触れた「コンドルは飛んで行く」、それに続く旅行記「南アメリカ人間旅行」との出会い、「アンデスの声」、そして卒業旅行。これらがつながって、このCDを聞きながら、当時のことを思い出す。「アンデスの声」の尾崎さんに会ったのは数年前で、その時にもこの話をした。

今日は山形新幹線に揺られながら、手持ちの音楽プレイヤーで聞いている。冬の低い雲が空を覆っている。山々は雪をかぶる前の、枯れた山肌を露出している。時折ピアノやギターも混じる都会的なムードも持っているものの、原曲の素朴さを失わないように注意が払われている。

ハイメ・トーレスは、ボリビアからの移民の子としてアルゼンチンに生まれた、チャランゴを得意とするミュージシャンである。だからアンデスの純朴さと、タンゴを思わせる都会性が程よくブレンドされ、独特の南米音楽世界となっているのだろう。

2月にも訪れた蔵王を右手に眺めながら、ゆっくりと走るローカル新幹線に、アンデス山脈の殺風景な風景を重ね合わせる。木の葉をすっかり落とした裸の梢の向こうに、最上川の水面がちらっと見えた。

【収録曲】
1. 巡礼
2. 風とケーナのロマンス
3. コンドルは飛んで行く
4. 楽しいカーニバル
5. さあ、娘さん
6. チシ
7. ヘネチェル
8. 小さな泉
8. ひとたびの愛
10. かわいい女の子
11. オー、コチャバンバ
12. わが愛のミロンガ
13. 昔のように、おれのお父さん
14. ラ・ボリビアーナ
15. バイラ・チョリータ
16. いつの日かまた
17. あなたが帰る日

2018年12月8日土曜日

チャイコフスキー:バレエ音楽集(コリン・デイヴィス指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団)

初めて東北地方を旅行したのは、高校一年生の時だった。いわきから郡山を経て会津若松の通り新津へ抜けた。福島県を浜通り、中通、会津へと2日がかりで横断した。それ以降、少し遠ざかっていた東北地方への旅行も、気が付いてみると各県1回は泊りがけで訪れている。

宮城県(仙台、気仙沼)、岩手県(北上、釜石、遠野、森岡)、青森県(津軽)、秋田県(角館、男鹿)、そして山形県の県央部(米沢、蔵王、天童)もすでに旅行を終えており、最後に残ったのが青森県の南部地方(八戸、下北)と岩手県の三陸地方北部(宮古)、そして山形県の庄内地方(酒田、鶴岡)のみとなっている。今日はとうとう出羽山地を越えて日本海側に向かう。一昨日の福島旅行から帰ったばかりだと言うのに、早朝に東京を立ち、ひとり山形新幹線「つばさ」新庄行きに乗っている。

薄暗かった車窓も大宮を過ぎると明るくなった。けれども冬の空である。雲が切れ目なく覆っているが、それも次第に薄くなって、青空がところどころから覗くようになった。天気予報によれば、いつになく暖冬だった今年も、とうとう冬将軍の到来となったようだ。この冬はじめての本格的な西高東低の気圧配置。太平洋側は乾いて快晴となるが、日本海側は大荒れだそうである。よりによってそんな日に酒田へ向かうなんて、なんと素敵なことだろう。年の瀬の酒田は、雪の日にこそ相応しいではないか?

いつものように持ってきたWalkmanで聞くのは、やはりチャイコフスキーを始めとするロシア音楽である。今日はコリン・デイヴィスがコヴェントガーデンのオーケストラと録音した珠玉の一枚、チャイコフスキーのバレエ音楽集である。当然のことのように「エフゲニー・オネーギン」の第3幕への前奏曲から始まる。この曲以外、知らない曲ばかりである。

利根川を渡る。一昨日と違い、今日は遠くに日光連山が朝の光を浴びて輝いている。右手には筑波山も。広い空の下を時速300キロ近い速度で一路北上している。

いつもながらこんな風景に、チャイコフスキーの音楽はピタリと決まっている。コリン・デイヴィスの熱のこもった指揮が、耳元で豪華に鳴り響いている。シンフォニックでロシア情緒も満点、独特の陰影を帯びた表情で演奏されるバレエ音楽の数々は、広い大地に暮らす農村のお祭りの光景だろうか。宇都宮に着いて「はやぶさ」の通過待ちをしている間に、雲の切れ目から朝日が顔を覗かせた。

The MET Live in HDシリーズで「エフゲニー・オネーギン」を見て以来、チャイコフスキーの音楽にほれ込んでしまった私は、ある日このCDを見つけ衝動的に買い求めた。そして聞き進むうちに、華やかで民族的な旋律のバレエ音楽の数々が、交響曲とはまた異なる世界へと私を連れ出してくれた。今ではどの曲の表情も、私は馴染んでいる。

今年の年末にはCDプレイヤーを買い替えようと思う。CDで音楽を聞く
時代は終わりつつあるけれど、収集した1000枚を超えるCDを捨て去るわけには行かない。鳴りっぷりの良くなった新しいオーディオ装置で、このチャイコフスキーのバレエ音楽集などを鳴らしながら、ゆったりと過ごしたい。そんなことを思っていると、私を乗せた「つばさ123号」はゆっくりと宇都宮駅を発車した。


【収録曲】
歌劇「エフゲニー・オネーギン」より
・ポロネーズ
・ワルツ
・エコセーズ
歌劇「オルレアンの少女(ジャンヌ=ダルク)」より
・前奏曲
・ジプシーの踊り
・道化師たちと曲芸師たちの踊り
歌劇「オプリチニーク(親衛隊)」より
・舞曲
歌劇「チャロデイカ(魔女)」より
・序奏
・曲芸師たちの踊りと情景
歌劇「チェレヴィチキ(小さな靴)」より
・序奏
・ロシアの踊り
・コサックの踊り

2018年12月7日金曜日

ウェーバー:ピアノ小協奏曲ヘ短調作品79(P:ペーター・レーゼル、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

宇都宮駅を発車した東北新幹線「やまびこ」仙台行きは、次第に速度を上げて一路みちのくへと北上する。車窓にも小さな山や林が次々と現れ、それらをものともせずくり抜いた短いトンネルに入っては抜ける。

ウェーバーのピアノ協奏曲は番号付きのものは2曲あるが、それらとは別に、比較的良く演奏される「小協奏曲(コンツェルトシュトゥック)」というのがあって、17分ほどの切れ目ない曲である。面白いのはこの曲が、標題付きの協奏曲であるという点だ。作曲家が自ら語ったストーリーに合わせて曲が進む。那須塩原駅を通過。ドイツ・ロマン派の初期の曲は、なぜか東北への旅に良く似合う。

「魔弾の射手」にあるような、どこか郊外の森の中に入ってゆくような伴奏が終わって、静かにピアノが入って来る。 ウェーバーは1786年に生まれ、1826年に没している。40年にも満たない人生だった。丁度、ベートーヴェンとワーグナーをつなぐ作曲家である。自らピアノの名手として活躍したのはベートーヴェンと同じで、オペラにも多くの作品を残している。比較的軽く見られているが、私はウェーバーの音楽が好きである。ドイツのインターネット・ラジオなどを聞いていると耳にすることが多い。

曲は4つの部分に分かれている。ある貴婦人が十字軍の一員として遠征中の騎士である夫と、夢の中で再会する物語が、ピアノを交えて進む。ロマンチックなメロディーがショパンを思わせる華麗なメロディーに変わっていたが、それもつかの間、不安に襲われる貴婦人。彼女は夢の中で、戦地に取り残される夫の姿に出会ってしまったのだ。

列車は新白河駅を通過し、福島県に入ったようだ。雲の合間から、日が差し込んでくる。やがてクラリネットの旋律に乗って、次第に近づいてくる行進曲風の曲。曲は一転、ハ長調の明るい曲となる。ピアノが高い音から低い音まで何度も行き来し、浮かれ立つ貴婦人の心情が、軽やかに奏でられる。

喜びに溢れる最後の部分で、ヘ長調に転ずると、元気よく絢爛のうちに幸福な音楽が幕を閉じる。今は高齢のブロムシュテットが東ドイツで活躍していた若い頃の演奏。シュターツカペレ・ドレスデンの独特の響きが大変好ましい。ペーター・レーゼルのピアノもメリハリの効いた指揮に合わせて、明るく冴えたタッチを聞かせている。

外はいつの間にか雨が降っている。今日はこのまま一日中雨が降る予報である。このまま今日は列車に乗って一日を過ごす予定である。いつのまにか郡山を過ぎ、福島に向かっている。まずは福島で途中下車してみる予定である。

2018年12月6日木曜日

ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調(Vc:ジャン=ギャン・ケラス、ペトラ・ミュレヤンス指揮フライブルク・バロック・オーケストラ)

お気に入りのイヤホンを妻に貸したら、返ってこなくなった。仕方がないから古いSONYのイヤホンを久しぶりに使ってみた。こちらの方がはるかに高級で、当然音は良い。自然で細かい部分まで聞こえてくる。音漏れがすることに加えてコードがよく絡まるなど、少し使い勝手が悪いので、長年お蔵入りしていた代物である。ところが我がWalkmanへ接続してみると、なかなか相性がいい。同じSONYだからなのだろうか。静かに落ち着いて聞くイヤホンとしてうってつけである。

それで今日は、東北地方への一人旅に持って出かけた。新幹線「やまびこ」が大宮を発車した頃から、ハイドンのチェロ協奏曲を聞き始める。第2番ニ長調は気品に満ちた大人の音楽である。こういう曲は、晴れた静かな朝に聞きたいものだと思う。

早朝から降り始めた冷たい雨は、北へ向かうにつれてみぞれや雪に変わるのだろうか。悪天候のために行先を郡山から福島に変更した。これから1時間余り、音楽を聞きながら過ごそうと思う。第1楽章が終わる頃にはもう、列車は利根川を渡り、茨城県をかすめて栃木県に入った。進行方向右手に座ったので、北関東山地は見えない。代わりに筑波山が眺められるはずであるが、今日は見えない。それでも家が次第に疎らになってゆく。

ケラスは古楽器を使って、贅肉をそぎ落としたスッキリとしたソロを聞かせる。時に鋭角的な演奏は、フライブルク・バロック・オーケストラと良く合っている。ハイドンのチェロ協奏曲は、このような奏法によって新たな魅力を引き出された作品の筆頭格ではないかと思う。そしてこの演奏は意外にも、より技巧的に感じる第1番より、第2番のほうが成功しているように思う。

宇都宮で「はやぶさ」号の通過待ちをする間に乗客の半数近くが降り、音楽は第3楽章に入った。いくつかのカデンツァを挟みながらも、この曲は終始しっとりした感触を残しつつ進行する。ロンド形式の短い第3楽章があっさりと終わるや否や、隣の線路を緑色の車体が駆け抜けて行った。

まだソビエトの音楽家だったロストロポーヴィッチが、イギリス室内管弦楽団を引き振りしたレコードが、私のこの曲との出会いだった。ちょっと古びた風合いのジャケットを見ながら、父はこのLPを初めて自分の小遣いで買ったと話してくれた。「本当は他の曲を買いにいったんだ。けれども、どういうわけかこの演奏を選んだ」と言ったその話を、なぜかよく覚えている。ハイドンのチェロ協奏曲は、目立たない存在ながら、静かな気品を放っている。

車内販売で買ったコーヒーがなくなった。久しぶりに聞いたハイドンの曲。やがて、しばらくして宇都宮を発車する頃には、Walmanに入れられた次の曲、ウェーバーのピアノ協奏曲が流れ始めていた。


2018年12月5日水曜日

ハイドン:チェロ協奏曲第1番ハ長調(Vc: イヴァン・モニゲッティ、ベルリン古楽アカデミー)

音楽史におけるバロック時代というのは、いつ始まりいつ終わったのかということについて、明確な定義があるようだ。それは劇音楽が誕生した1600年から、J.S.バッハら死去した1750年までの150年間のことで、音楽史は150年を周期として大きな変化を遂げて来た。もっとも、そのような区分を考えるのは、後世の学者たちだから、当の作曲家は特にそのことを意識して作曲していたわけではない。

ハイドンのチェロ協奏曲第1番は、バロックの趣きを残していると言われている。作曲されたのはハイドンがまだ、エステルハージ家に仕えていた1760年のことで、この時33歳。ハイドンは共に仕えていたチェリスト、ヨーゼフ・フランツ・ヴァイグルのために書いたとされている。

バロックの趣きである理由は、リトルネッロ形式と言われる、主題に何度も回帰しながら進行する音楽様式による。その形式基づく第1楽章の4拍子によるモデラートについて、N響の今シーズンについて書かれた分厚い冊子には、11月の項に2ページを割いて、「ハイドンの時間」と題された記事に詳しく記載されている。丁度エステルハージ家に仕え始めて数年が経過した頃からのハイドンの、音楽形式上の発展の経過を、(ほんの少しだけだが)知る事ができる。様々な試みを繰り返しながら、澱んだり中断したりしていたものが、次第に形式として方眼紙の如く整理され、恐竜がクーガーのような機敏で小回りの利くものへと機能分化したというのである。

このことがバロックから古典派への「進化」を意味するのだろうか。そのあたりはよくわからない。私はハイドンの音楽が、どう考えてもバロック音楽とは異なる新しさを、最初から持っていたと思っている。もちろん一部にバロックを思わせる形式を見出すことはできる。私は交響曲を第1番から第104番まですべて聞いたが、それはもう第1番からバロックではなかった。明治維新で日本社会が一気に近代へと突入したように、1750年頃という時代には、断絶とも思えるような音楽上の急変が起こっていたように思う。

チェロ協奏曲第1番は、滅法新しい音楽であると思う。今聞いても新鮮で、清々しい軽やかな風が吹いている。だから、というわけではないが、お気に入りはモダン楽器によるものではなく、古楽器風の演奏である。もちろん、古楽器風の演奏が、モダン楽器よりも新鮮で新しい、という逆説的な事実に基いている。ロストロポーヴィチの弟子であるモニゲッティは、ベルリン古楽アカデミーと気品を失わず、フレッシュな演奏を繰り広げている。もっと過激な演奏もあるが、
第2楽章で緊張が持続せず、飽きてしまう演奏もある。だがモニゲッティの演奏はそうはならない。 師匠のロストロポーヴィチにも有名な録音があるが、モダン楽器全盛時代の歴史的名演も、やや時代遅れの印象にさせてしまう演奏である。

2018年12月3日月曜日

NHK交響楽団第1900回定期公演(2018年12月2日、NHKホール)

今年もいつのまにか短い秋が過ぎ去り、早くも12月になった。地下鉄代々木公園駅からNHKホールに向かって歩くときの銀杏並木を楽しみにしていたが、葉はまだ木々に残ってはいるものの、紅葉は色あせ、積もった落ち葉も重くくたびれた感じがする。暑すぎた夏、長すぎた秋雨、そして今年の冬はいつになく暖かい。

師走だというのに20度にも達するような日々が続いているが、それでも今日の東京の空は、どんより冬の雲が覆っている。昨夜から十分な睡眠をとったためかコンサートに向かう足取りも軽く、こういう日には名演奏に出会う確率が経験的に高い。もっとも、行くと決めたのは昨日のことである。プログラムは知らない曲ばかりのオール・ロシア・プログラム。何も期待せず、大量に残っていた一番安い席(E席、1500円)を購入し、3階席へとたどり着く。そして公演が始まるまでの数十分を、プログラム・ノートに目を通して過ごす。

12月に行われる3つの定期公演の、ただ1回にだけ登場するロシア人指揮者、アレクサンドル・ヴェデルニコフは、N響への出演がもう5回目だそうである。私は初めてであるばかりか、テレビを通じてもこれまで聞いたことがない。そして独奏を務めるピアニストのアンドレイ・コロベイニコフもまた、私にとっては初めての音楽家である。プログラムは前半に、スヴィリドフの組曲「吹雪」とスクリャービンのピアノ協奏曲嬰ヘ短調、後半はグラズノフの交響曲第7番「田園」である。

ここ数年は、ロシア物を聞くことが多い。昨年からチャイコフスキー、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、リムスキー=コルサコフ、今シーズンに入ってショスタコーヴィッチ、ラフマニノフ、それにグラズノフを聞いてきた。グラズノフは先月、交響曲第8番をラザレフの指揮で聞いているから、今回の第7番はその前の作品ということになる。私のロシア音楽経験はこのようにして次第に深まっているが、今回のプログラムもまた、見事にロシア一色である。しかも来週にはストラヴィンスキーへと続く…。

首席オーボエ奏者の茂木大輔氏がTwitterで「ヴェデルニコフは本当にすげー指揮者だ!」と呟いたので、どれほど凄い指揮者なのか、と思って出かけた。そしてそれは最初の曲、スヴィリドフの組曲「吹雪」の冒頭で、明白なものとなった。プーシキン原作の映画「吹雪」のために書かれたこの作品は、1964年の作曲である。映画音楽だから親しみやすいとのことだが、実際にその通りで、しかもソロパートが多く、音楽的な要素は多様でもあるため、聞いていて飽きない。誰かがTwitterで、寒い冬に暖かい部屋で食べるアイスクリームのようだ、と言っていたが、なるほど言い得て妙である。ワルツはショスタコーヴィッチによくあるレトロなジャズ風で、第4曲の「ロマンス」などは、木管の各ソロとヴァイオリン、チェロの首席が、またその後にはピアノとヴァイオリンとチェロだけの、室内楽のようになったかと思うと、第5曲は吹奏楽による行進曲である。

見事なN響の響きが、3階席の奥にまでしっかりと響くが、ヴェデルニコフの真骨頂はよくブレンドされた音が、実に安定したアンサンブルとなって濁りなく聞えてくることだ。指揮棒は持たず、それほど身振りも大きくはないが、音楽はちょうどいい塩梅のテンポ、そして音の広がり…これはよく聞いている人にはわかるようで、今日は 2階席からのブラボーが多かった。そしてどんな小さい音色の時でも、あるいは初めて聞く曲のフレーズであっても、それがちゃんと音楽の文脈の中で生きているように感じる。これは見事というほかない。

次のスクリャービンの演奏で、私はこの作曲家の作風が初めてよくわかったような気がしたし、それを目の前に繰り広げたコロベイニコフは、私がかつて演奏会で聞いたどのピアニストよりも印象的だった。ショパンを思わせる作品と言われているが、その音色の深さ、広がりを表現する上での、必要にして十分なアプローチ。技巧的だと感じさせず、知が上回ることもなく、かといって陳腐な抒情性に頼るわけでもない。程よいリリシズムとダイナミズムを持ち合わせているこの様子は、何と表現すればいいのだろうか。指揮者の音楽性に合っていると思ったし、それが作品にも合っている。ラフマニノフなどもこういう感じで演奏されると、もうメロメロになりそうである。休憩時間に会場で売られていたCDを見てみると、ロシア物に混じってブラームスの室内楽曲などもあって、思わず買ってしまいそうになった。

前半が終わったところで、しみじみと嬉しさがこみ上げて来た。後半のグラズノフは、ベートーヴェンの「田園」を意識した作品だと言うふれこみだったが、私はこの作品を、何かオペラの音楽のように感じた。幕が開いて、歌手が登場するまでの音楽に、このような曲が多いな、などと考えながら35分ほどの曲が進む。グラズノフの交響曲は、第6番までが民族的な色合いの濃い曲だそうだが、私が最近きいている晩年の作品は、どうも少し異なっている。それでも第8番よりは親しみやすいと思った。それは「田園」、すなわち標題音楽の側面があるからだろうと思う。

終楽章のコーダになって、職人的な手さばきで指揮を終えたヴェデルニコフは、退場の間際に腕を大きく広げ、自信と満足感がいっぱいだったに違いない。オーケストラの上段からコントラバスのパートにまで回って握手を交わすと、2階席を中心に熱心なブラボーが飛ぶ。客席には空席が目立ち、平均的には控えめな拍手の中に、熱烈なブラボーが飛ぶさまは、この演奏会の性格をよく表していたように思う。

演奏会が終わって代々木公園に出てみると、青い電光を木々に括り付けた広大な光のイリュミネーションに目を奪われた。ロシアの音楽を聞いていると、冬の日本海を旅してみたくなった。喧騒の中を渋谷駅まで下っていく時、平成最後の年の瀬は、実感のない中での空騒ぎのように思えて来た。だから、少し古い音楽を聞くと、何か無性に懐かしい感じがする。失ってしまった何かが、心のどこかから引き出されていくような思いにとらわれるのだろう。

2018年12月2日日曜日

レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア(リチャード・ヒコックス指揮シンフォニア21)

1879年ボローニャ生まれのレスピーギと言えば、「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」の3つの交響詩(いわゆる「ローマ三部作」)でとりわけ有名だが、古楽への興味から数多くのバロック的作品を残していることでも知られている。その中でも「リュートのための古風な舞曲とアリア」は有名で、録音でも取りあげられることが多い作品である。

レスピーギはローマのサンタ・チェチーリア音楽院で教鞭をとっていた際、ルネサンスからバロックにかけての古い楽譜と出会い、その中でもリュートのために書かれたいくつかの曲を現代の作品として編曲した。編曲といってもあまり現代風のアレンジが加えられているようには思えず、むしろ作曲当時の作品の持つ気品や古風な味わいをそのまま残し、リュートで書かれた部分はうまく合奏の中に溶け込ませている(従ってこの作品にはリュートやギターは使われていない)。

そんな、素朴で香り高い作品は、目立たないながらも珠玉の如ききらめきを放っている。この作品は、愛さずにはいられない作品である。どの曲のどの部分も捨てがたいが、まるで古代ローマの遺跡に佇むような、時間が止まったかのような印象を与える第1組曲の「ヴィラネッラ」、一方、第2組曲の「田園舞曲」や第1組曲の「酔った歩みと仮面舞踏会」は、管楽器のソロが活躍する楽しい舞曲である。また「ベルガマスカ」(第2組曲)や「ガリアルダ」のリズムは、バロックの香りを讃えた現代風のポップな曲でもあり(まるでディズニーの作品のような)、愛らしく素敵だと思う。

「パリの鐘」や「シチリアーナ」はしっとりとした味わいを残す曲で、とりわけ「シチリアーナ」は我が国では有名である。私はNHK-FMの夜のクラシック番組のテーマ曲として使われていたことをよく覚えている。シチリアにはまだ行ったことはないが、シチリアーノとかシシリアーノといった表記の曲に出会うたびに、郷愁を掻き立てられる。極東の国で聞くこの曲は、忙しい都会の喧騒を離れて昭和の時代の地方にタイムスリップしたかのような印象を与える。気持ちが落ち着き、安らぎを覚える。

実に素晴らしい作品だが、私が所有しているCDはわずかに一枚。イギリス人の指揮者リチャード・ヒコックスがシンフォニア21という団体のオーケストラを指揮したChandosレーベルのもの。楽器を鮮明に捉えつつも節度が聞いた音作り。第1組曲ではチェンバロの音もはっきりと聞こえて、大変好ましい演奏だと思う。もっとも比較のしようがないのだが、今ではNaxosを始めとする定額制の音楽サイトから、いくらでも聞くことが出来るので、そのうち聞いてみようかと思っている。

なおこのCDには、フルートと弦楽合奏のための組曲第2番より「アリア」と弦楽合奏曲のためのベルキューズという、2つの世界初録音と謳われる曲が収録されている。いずれもゆくりとした味わい深い作品である。これらの作品から受けるレスピーギの印象は、あの「ローマ三部作」で見せるような色彩感溢れるものとは対照的である。この作曲家の多才さを感じる。ヒコックスはこのほかにも数多くの録音を残しており、目立たないながらもいい演奏をする指揮者だと思っていたが、2008年に急逝していたことを知った。享年60歳だった。


【収録曲】
1. 第1組曲
    小舞踏曲(Balletto)(シモーネ・モリナーロ作曲)
    ガリアルダ(Gagliarda)(ヴィンチェンツォ・ガリレイ作曲)
    ヴィラネッラ(Villanella)(作曲者不詳)
    酔った歩みと仮面舞踏会(Passo mezzo e Mascherada)(作曲者不詳)
2. フルートと弦楽合奏のための組曲第2番より「アリア」
3. 第3組曲
    イタリアーナ(Italiana)(作曲者不詳)
    宮廷のアリア(Arie di corte)(ジャン・バティスト・ベサール作曲)
    シチリアーナ(Siciliana)(作曲者不詳)
    パッサカリア(Passacaglia)(ロドヴィコ・ロンカッリ作曲)
4.弦楽合奏曲のためのベルキューズ
5. 第2組曲
    優雅なラウラ(Laura soave)(ファブリツィオ・カローゾ作曲)
    田園舞曲(Danza rustica)(ジャン・バティスト・ベサール作曲)
    パリの鐘(Campanae parisienses)(マラン・メルセヌ作曲)
    ベルガマスカ(Bergamasca)(ベルナルド・ジャノンチェッリ作曲)

2018年11月30日金曜日

NHK交響楽団第1898回定期公演(2018年11月15日、サントリーホール)

N響定期をサントリーホールで聞くのは、実のところ初めてである。というのはこれまで、チケットが取れないと思っていたからだ。N響が定期公演をサントリーホールで開催することになったとき、ここのチケットは、年間の定期会員にならなければ手に入らない状態だった。現在でもB席以下はそのような感じで、たまに1回券が発売になっても、すぐに売り切れとなることが多い。直前までスケジュールがわからない私にとって、N響のサントリー定期は縁がないと諦めていた。

ところがもう1週間前だというのに、N響のチケットサイト(からでしか、オンラインでは買えないようだ)には若干の空きがあった。10月のブロムシュテットの場合には、直ちに売り切れたようだからわからないものである。しかも11月の指揮者はジャナンドレア・ノセダで、どう考えても90代のブロムシュテットよりは躍動感のある演奏が期待できる。しかもプログラムが実にいい。まずレスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」第1組曲、それからハイドンのチェロ協奏曲ハ長調(第1番)。これらは編成こそ小さいものの、古典的な造形の美しさを堪能できる。チェロ協奏曲は有名な第2番の方ではないのがいい。第3楽章などはなかなかの難曲であると思う。テンポが速く、集中力の高いノセダの伴奏と、技巧的なっ若手チェリストがどういう掛け合いを繰り広げるか、胸が躍る。こういう曲はサントリーホールで聞く方が、だだっ広いNHKホールよりも細かいニュアンスまでわかるだろう。

後半はラフマニノフ最後の作品である「交響的舞曲」。一度サイモン・ラトルの演奏をビデオで見ているが、その時はあまり印象に残らなかった。けれども今回、事前にマゼールの演奏を聞いていると、そのリズムの処理の面白さと様々な楽器によるソロ部分の抒情的な旋律が、うまく溶け合っていながらも様々に変化する、とても充実した作品だということがわかってきた。ロマンチックな管楽器が重厚な弦楽器と溶け合うあたり、ロシア音楽の特徴をしっかり持つが、曲を手中に収め、聴衆に難解さを感じさせない第1級の技術が必要な作品だと思う。晩年のラフマニノフがアメリカで思うがままに作曲した傑作である。

考えてみれば、この3曲はリズムの複雑さとソロの巧みさが交錯するという共通点があるように思える。いずれの作品も、どちらかというと目立たない存在だが、曲としての完成度は高い。このようなプログラムをそれとなくやってのけるN響は、おそらく技術的にも非常に高いレベルだと言わざるを得ない。

私は最近、オーケストラの聞く音が会場の席によってどう違うかについて、興味が深まっている。前の方は一体となって聞こえ、上階の席だと時間差が生まれる。横手で聞くと管と弦が左右に分離し、裏で聞くとちょっとひどい音になる、くらいの知識しかなかったのだが、最近は安い席が余っていても高い席を買うようになって、そのあたりが随分気になってきた。今回のN響定期は、最前方の左右端(S席)と、2階後方の両脇(A席)しか残っていなかった。私は最前方の両脇に位置する席を購入した。視野としては管楽器奏者が見えず、打楽器またはコントラバスが遮ることなく見える。それでもNHKホールとは違い、オーケストラを完全に後ろから見るという程ではない。

この席で聞くオーケストラの音は、しかしながらさほど良くない。だから余っていたのかも知れないが、高い割には視覚的にも聴覚的にも不十分で、満足できるのは指揮者と独奏者が間近に見えることくらいだ。けれども2階席になると、今度はあまり良く見えないし、真横は視覚的には面白いが(テレビの角度だ)、音響的にはちょっと難ありと言える。余程前もってS席の2階斜め両脇の、おそらくサントリーホールで最高の席が確保できない限り、何らかの不満が残るような気がした。それに比べると、本拠地であるNHKホールでは、1階前方中央しか満足な席がない(とどこかの音楽評論家が言っていたが)のだが、ホールが広いために席数が多く、しかもS席の値段はサントリーホールと変わらない。結局、S席であればNHKホールでも遜色がなく、またN響の硬い音に馴染んでいると思う。NHKホールのC席以下はひどいが、ここは滅法安く、気軽に聞くには貴重な存在だと言える。

音響の差があまりないサントリーホールでは、結局のところ、オペラグラス持参で2階席後方でもいいのだが、もともと席数が少ないのでN響定期となると入手が極めて困難である。私が暫定的に下した結論は、NHKホールのSまたはA席であれば、無理にサントリーホールで聞く必要もないのではないか、というものだ。しかるに最近は、サントリー定期でも公演によってはチケットが取れる、ということではないか…。

レスピーギでノセダは、意外にも大人しくしっとりと溶け合った演奏を披露した。このような席で聞いていたからかも知れないが、イヤホンで聞くときのような分離もなく、通奏低音のチェンバロが随分控えめに思えた。3拍子の処理が特徴的な第2楽章の「ガイヤルド舞曲」に続く、第3楽章の夢見心地のような「ヴィラネル」は、丸でローマ時代の遺跡にひとり佇むような、静止したような時間が流れた。オーボエとチェロの独奏がほれぼれするように美しい。そして終楽章「バッサメッゾ舞曲と仮面舞踏会」では、弱音気を装着したトランペットの技巧が楽しく、あっという間の15分間だった。

チェリストのアレク・アフナリャジャンは、その名前から想像できるように、アルメニア出身の、気鋭に満ちた若手である。N響には2回目の登場だそうだが、私は初めてだった。私はソリストというよりは、ハイドンのチェロ協奏曲が聞けるということのほうが、期待が大きかった。ハ長調のチェロ協奏曲は、1961年に発見された作品である。良く知られたもう一方のチェロ協奏曲ニ長調も、高貴な香りのする素敵な作品だが、私はハ長調の方が躍動的で好きである。特に第3楽章「アレグロ・モルト」は、極めて高度なテクニックが必要とされる(らしい。それは聞いているとわかる)。ノセダはレスピーギと同様、むしろ地味で落ち着いた指揮が続く。だが第3楽章になると、微妙な変化が次々と続く、見ごたえと聞きごたえのある演奏へと発展した。前の方で聞いている良さは、この作品で際立った。拍手に応えたアンコールは、カタロニア民謡「鳥の歌」だった。

休憩を挟んで編成が大きくなったオーケストラからは、ずっしりとした行進曲風のメロディーが押し寄せて来た。ラフマニノフの「交響的舞曲」は、3つの楽章から成るシンフォニック・ダンスである。単に聞いた印象のみを勝手に記せば、第1楽章が刻まれた重いリズムが印象に残るロシア的な音楽であり、続く第2楽章はなんとなくフランス風の洒落たワルツ。そして第3楽章は賑やかなアメリカ風の都会風な音楽で、なんとなくバーンスタインのミュージカルを思い起こさせる。

ノセダの演奏は、決して煽るようなものではなく、しっかりと音楽的なアプローチに思えたが、特筆すべきはそれに答えたN響だろうと私は思う。音響的には、私は少々不満でもあった。それは聞いた場所によるのか、どうななのか、実際はよくわからない。もっとダイナミックな広がりがあっても良かったと思うからだ。もしかしたらこの世界中で引っ張りだこの指揮者との、十分な練習時間が確保できなかったのかも知れない。それでもオーケストラは演奏に満足した様子だった。何度もカーテンコールに応える指揮者を、最大限に尊敬して迎える、マロさんをコンサートマスターとするオーケストラに好感を持った。

演奏を終えて、今日のプログラムを再度、聞きなおしてみたいと思う。いずれ放送されるだろうし、私がそれぞれの曲で所有しているわずか1種類ずつのディスクを、携帯プレイヤーに持ち出して聞き始めたところである。

2018年11月12日月曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第705回定期演奏会(2018年11月9日、サントリーホール)

行こうかどうか迷っていたコンサートほど、感動的な演奏に出会うことが多いような気がする。今回の日フィル定期もまさにその例外ではなかった。いやむしろ大変な熱演に接することができたほどだ。そのことを書いておこうと思う。ただ私はこの度の公演で取り上げられた曲について、ほとんど知らない。だからうまく表現できるか、甚だ難しい問題だと言わざる得ない。

取り上げられた曲目はずべてロシアの曲で、前半がグラズノフの交響曲第8番変ホ長調作品83、後半がショスタコーヴィチの交響曲第12番ニ短調作品112「1917年」。いずれもロシア革命に縁の深い作品である。ただ作曲された年代は一世代違い、グラズノフの交響曲第8番は1905年の作品であるのに対し、1906年生まれのショスタコーヴィチが交響曲第12番を作曲するのは1961年のことである。ただその副題が示す通り、この作品はロシア革命を描いた標題音楽である。

ショスタコーヴィチがペテルブルク(レニングラード)の音楽院で学生の頃、グラズノフはすでに名声を博した音楽家で、ここの院長であった。二人は師弟関係にあったと言える。だが二人の音楽の間に、何らかの影響があるのかは私の知識ではわからない。いやそれよりもこの間の社会の変化こそより大きな重しとなってのしかかっているように思う。すなわちロシア革命と社会主義である。

グラズノフの交響曲は一貫して重々しく、悲劇的である。有名なバレエ音楽「四季」くらいしか知らない私にとってほとんど初めての経験とも言えるグラズノフの作品は、どこが聞きどころかさえもわからない曲だった。最終楽章でのコーダに向かう演奏で、私は舞台に向かって右横から指揮者や木管奏者を眺めていたが、それは冷静に見ていられないほどに熱くなっていく様が手に取るようにわかった。バレエ音楽でのグラズノフのように、3拍子の時に華やかなリズムなどは皆無で、ここにあるのはひたすら暗く、そして熱い音楽だった。

指揮者のアレクサンドル・ラザレフは、2008年以来日フィルの首席指揮者を務めており、その後は桂冠指揮者として毎年のように登場、特にロシア物には定常のある指揮者であることは知っていた。私はそのように有名になる前の90年代、ボリショイ劇場のオーケストラを指揮して録音されたCDを聞いたことがあって、ソビエト崩壊後の混乱期にあってなかなか洗練された指揮者だと思った記憶があるが、実演で聞くのは初めてであった。一度、生で聞いてみたいとも思っていた。

そのラザレフはここ数年来、日フィルとともに「ラザレフが刻むロシアの魂」というシリーズを続けており、なかなか好評であるという。最初のシーズンにラフマニノフ、2番目のシーズンにスクリャービン、その次のシーズンにショスタコーヴィチを取り上げて来たようだ。今回はグラズノフ、しかもその第4回目ということである。

「凄い」という形容詞は最近、特に乱用される傾向がある。老いも若きも形容詞に困ったときに発するのが「すごい」というもので、程度がはなはだしいことはわかるが、何がどう凄いのか、そのあたりの具体性を欠いているいい加減な表現である。だが今回のコンサートを一言で言うと、「スゴイ」の一言につきる。私の表現力の問題を脇に置いて、今回の演奏会、特にショスタコーヴィチの演奏に関する限り、どこがどう素晴らしいのかよくわからないくらいに麻痺してしまうほどに、演奏が凄かった。

ティンパニやパーカッションを始めとする打楽器を思い切り叩き、そのわきで重厚な金管楽器が号砲を吹き鳴らす。それを聞いただけでも鳥肌が立つほどだが、特に終楽章のそれはすさまじく、聞いている方が打ち負かされてしまうのではないかと身構えること数十分。一糸乱れぬアンサンブルも見事で、日フィルの演奏会の中でも屈指の熱演ではないかと思われた。

玄人好みの演目に平日とあって、6割程度の入りだった今日の演奏会も、終わるや否や轟いたブラボーの嵐は、これだけ珍しい曲であるにも関わらず多くの聴衆を驚かせるだけのパワーに満ちていたことを明確に証明した。何度も登場する指揮者は、オーケストラの間中を回って、最上段に並んだ打楽器奏者や、右わき後方のコントラバス奏者とも熱い抱擁を交わし、舞台の袖に出ては、観客の拍手を煽る仕草を見せるなど、とても変わった指揮者だと思うほどだった。だがそんなラザレフと、オーケストラのメンバーの表情を見れば、本日の演奏が会心に出来だったことは容易に窺うことができた。

興奮冷めやらぬうちに帰宅して、そう言えばショスタコーヴィチの交響曲第12番は、ヤンソンスの録音を所有していたことを思い出した。もしかするとまだきっちりと聞いていない。そこで翌日、この音楽をポータブル・プレイヤーに入れて聞いてみた。ヤンソンスの演奏は定評のあるバイエルン放送交響楽団との録音で、実演ではないという点において客観的なアプローチだと思う。ここの演奏で聞く、それでも十分に熱のこもったショスタコーヴィチは、もしかするとこの曲の決定的な完成度を持つものかも知れない。

この演奏を聞いて、ショスタコーヴィチの音楽がグラズノフの音楽と決定的に異なる要素、それはロシアの民族性の有無ではないかと思った。いや二人の音楽の間には半世紀近い隔たりがあるので、いい加減なことは言えまい。だが共産党革命によって変化させられた芸術的要素、それはそういった冷徹までの近代性を最高のものとする無機的で、非人間的な(と勝手に言ってしまえるほど単純ではないのだが)客観性である。

だがここまで書いてみて、この表現は若干修正が必要ではないかと思う時があることも事実である。ショスタコーヴィチの音楽には、時に極めて抒情的で、民族性を機能主義で濾過したような音楽が、それは純粋だと言ってしまうほどに表現されていることがあるからだ。私は結局のことろ、ショスタコーヴィチの音楽がまだわからない。ソビエトという今はなき国家の、その存在証明がどうなされるのか、そういった歴史による試練を経て評価されるのと同様に、またグレゴリオ聖歌から始まる西洋音楽史の中に明確な位置づけを与えられるのを待つ必要があるのかも知れない。

ラザレフは、グラズノフの音楽の、ロシア的情緒(それはノスタルジーと異教性にあると誰かが言っていた)と社会主義的合理性が奇妙に合わさった曲と、時に強烈な二面性を持って語られるショスタコーヴィチの、その中でもとりわけ社会迎合的な作品を続けて演奏することで、20世紀前半のロシアが変遷を余儀なくされた芸術的傾向を際立たせたかったのかもしれない。21世紀なって聞くこの時代の音楽は、しかしながらもはや歴史の中に埋もれつつある。私がかつて鉄のカーテンの向こうのラジオ放送で聞いていた「赤い」芸術の持つ(当時の)同時代的な迫力と恐ろしさ、あるいは荒唐無稽さなど、今では知る人も少なくなってしまったからだ。

勝手な想像を膨らませながら、迫力に満ちたラザレフのコンサートを聞き終えた。機会があれば、また行ってみたいと思うに十分な演奏会だった。嬉しいことに、この組み合わせの演奏会は来年にも多数用意されている。

2018年10月20日土曜日

読売日本交響楽団演奏会・第616回名曲シリーズ(2018年10月16日、サントリーホール)

ロジャー・ノリントンがロンドン・クラシカル・プレイヤーズというモダン楽器のオーケストラで、オリジナル楽器風のベートーヴェンを録音したのは80年代の後半だった。特に交響曲第2番と第8番を収録したディスクは有名で、私も2000年代に入ってからはじめてこの演奏に接した際の感動は、忘れることが出来ない。ノリントンがシュトゥットガルトのオーケストラと来日さした際には、喜び勇んで出かけ「田園」のすこぶる写実的な演奏に触れることができた。

一般にもっとも目立たないと思われてきた第2番の交響曲を、こんなに新鮮な曲として演奏されたことがあっただろうか、と思った。その輸入盤CDには速度記号が記されていて、この演奏が楽譜に忠実な、すなわちメトロノームの指示に従った演奏であることがわかった。特に第2楽章の颯爽とした新鮮さは、私が一般に思い描いていた緩徐楽章のイメージを刷新するものだった。以後、アバドもシャイーも、このように演奏している。「ラルゲット」と記された楽章を、流れるように優美に演奏する。この楽章のこの演奏で、私は古楽器奏法というものに初めてまともに接したのである。

アーノンクールやガーディナー、あるいはブリュッヘンといったオリジナル楽器の演奏家が一世を風靡し評判になったのは80年代頃だから、私はもうかなり遅くなってからの開眼だったと言える。その世界を知ると、古くからの演奏がつまらなく思えてくるから不思議である。聞き古したバロックや古典派の音楽が、まるで新作品のように再び息を吹き返し、輝きを持って目の前に現れたのだった。

ところが我が国では、そのノリントンがNHK交響楽団を指揮して積極的に古楽器奏法を披露するのは2000年代後半になってからだった。西洋音楽の伝統が短い日本では、クラシック音楽の演奏スタイルの流行が周回以上遅れてやってくるようだ。いつまでたっても古めかしい、贅肉だらけの演奏が続いていた。だが変化は少しずつ我が国にも及んできた。

アーノンクールもブリュッヘンも亡くなった最近になって、とうとう読売日本交響楽団もこの流れに追いついた。古楽器奏法の中でも急先鋒とも言える程過激なベートーヴェンを録音したイタリア人ジョヴァンニ・アントニーニを迎えて、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲と第2交響曲の演奏会が開かれたのである。もっともアントニーニがベートーヴェンの録音を始めたのは2005年ことで、もう13年も前である(だが全集の完結は今月の第9まで時間を要した)。この間にベルリン・フィルにも登場し、第2交響曲の模様はYouYubeでも見ることが出来る。

いろいろな情報を総合すると、この演奏会はゲストコンサート・ミストレスを務めたベルリン在住のヴァイオリニスト、日下紗矢子(はかつて読響のコンサート・ミストレスだった)との縁だとか、ヴァイオリン協奏曲のソリストを務めたヴィクトリア・ムローヴァが望んだ、とかいろいろな説がある。いずれにせよ初めて客演するアントニーニが、いかに才気あふれる音楽家だとしても、短時間の練習の間に、果たしてあの「イル・ジャルディーノ・アルモニコ」や「バーゼル室内管弦楽団」のような演奏スタイルに仕立て上げることが可能なのだろうか。そのような少なからぬ不安もあったし、まあ実際にはそういうことが無理でも、両者のスタイロがぶつかり合って、どういう形の演奏になるのか、非常に興味があった。私は売り切れても大丈夫なように、相当前にこのコンサートのチケットを買った。

ところがそういう不安は、最初の曲、ハイドンの歌劇「無人島」序曲の、ト短調の冒頭の序奏が聞こえて来た途端に吹っ飛んだ。前方右側の2階席から斜め正面に見える指揮者が、指揮棒も持たずに大きな身振りで手を振り始めると、その音楽は丸で何年もこのコンビが演奏してきたかのようにこなれた、流れるようなメロディーとなって会場にこだましたのだ。

ヴィクトリア・ムローヴァを聞くのは2回目である。最初は1990年のスイス・モントルーでのことで、この時はキタエンコ指揮モスクワ・フィルの演奏会。ブラームスを聞いている。だが印象はほとんどなく、綺麗な音のヴァイオリニストだったと思っただけだった。持っていたシベリウスの協奏曲なども、同じ印象だった。だが彼女の演奏は2000年代に入って進化し、今ではもっともエキサイティングはヴァイオリニストの一人でもある。

ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聞くのも実は初めてである。これは意外なことだが、事実である。そしてそれをムローヴァの演奏で聞けると言うのも贅沢な話で、彼女は高い身を揺らしながら、時に刺激的な音色も出す。第1楽章のカンタービレのところなど、オーケストラ・パートの一部も弾きながら、流れに乗ることを意識してオーケストラと調和しようとしている。オーケストラと独奏の一体となった演奏から、彼女が時に繰り出すカデンツァは、ガイドによればダントーネという人のものだそうだ。

第2楽章の静かなメロディーは、情感の中に精緻さもたたえた名演で、丸で水の雫が垂れるような静謐な部分があったとは、一体いままで何度この曲を聞いてきたと言うのだろうか。オーケストラのややくすんだ音はビブラートなしの演奏が徹底しているからだろう。対向配置された第2ヴァイオリンは真下に見下ろすため、楽器が向こう向きになる。第3楽章がロンド形式で作曲されていることをこれほど意識したのは初めてだった。次々と表情を変えるヴァイオリンに合わせ、伴奏の読響も見事だった。

今回の私の席からは、開いたドアの中に楽屋の様子が見える。ムローヴァが大きなうちわでスタッフに扇がれている様子までよく見える。拍手に応え何度か再登場した彼女は、とうとうバッハの無伴奏からの一曲をアンコールして休憩となった。

後半はベートーヴェンの第2交響曲のみ。演奏時間はヴァイオリン協奏曲よりも短い。オーケストラの編成も小さまま。だが少数精鋭の読響の技術的レヴェルは、今回のベートーヴェンの演奏から大いに満足できるものだ。アントニーニは序奏の細かい表情の隅々に至るまで、実に正確に指示。まるで耳の不自由なベートーヴェンがそうしていたように、大変大きな身振りで、小さくかがんだかと思うと、一気に背を伸ばして手の広げる。長い左手を前に出し、掌をちょっと返しただけで微妙に表情を変えるオーケストラ。その集中力は物凄いが、見ている方も興奮する。

私の大好きな第2楽章も、聞き惚れているうちに通り過ぎ、あっという間に最終楽章となった。見とれているうちに30分余りの演奏が終了し、盛大な拍手に包まれる。予想していたとはいえ、見事な演奏に尽きる今回の演奏会は、私としては大満足のうちに終わった。私はこの気持ちを大事にしたいと思い、もう第2交響曲の演奏会には出かけまいと思っている。実演で接することのできるベストだったと思うからだ。今週は、ずっと頭の中で第2楽章「ラルゲット」のメロディーが鳴り響いている。

2018年10月15日月曜日

モーツァルト:歌劇「魔笛」(2018年10月14日、新国立劇場)

ヨーロッパで探検ブームが沸き起こり、ナイル川の源流を求めて探検家が活躍するのは19世紀に入ってからだが、フランス革命直後の18世紀末頃には、すでに知識レベルでの異郷の地に対する流行が生じていたらしい。そういう事情があってなのか、モーツァルトはシカネーダー一座のリクエストに応えて「魔笛」を作曲した時、その舞台に選ばれた架空の地は、古代エジプトであった。それも、エジプトを南下してスーダンやエチオピアまで達する地域。そこはブラック・アフリカの入り口でもあり、シバの女王の伝説やアスワンの神殿などのある地域である。

神秘的で謎に包まれた神話の世界に、これまた謎めいたフリーメイソンの秘儀が重なり、「魔笛」の解釈は複雑極まりない。そこに付けられた、死を2か月後に控えたモーツァルトの限りなく純粋で美しい音楽が、かえってその不思議なコントラストを強調する。だから「魔笛」の解釈は、いくらでも難しいものにすることができる多面的で奥深い作品である。

ウィリアム・ケントリッジは南アフリカ出身の現代美術家で、木炭を用いたドローイングを使用するアニメーションで有名である。彼が最初に取り組んだオペラ演出が、2005年、ベルギーのモネ劇場から委託された「魔笛」であった。そのスペクタクルな舞台は評判となり、世界中で上演されてきた。ケントリッジもその後、ショスタコーヴィチの「鼻」やベルクの「ルル」など、数年に一度の割合でオペラ演出を手掛けている。「魔笛」に関していえば、ミラノ・スカラ座でも上演され、その公演はビデオとして売られているし、放送もされたようだ。

その評判の舞台を、作品の上演権と舞台装置丸ごと買い取り、東京に持ち込んだのが今シーズンからの音楽監督で、当時モネ劇場の音楽監督だった大野和士である。彼は様々な機会で、就任第1作となる今シーズンの「魔笛」を、それはきれいな舞台だから、とあちこちで言っており、私もその言葉に乗せられて、発売日にS席を購入してしまった。数ある舞台の中でも最強の価格設定となり、S席は何と2万7千円。妻と二人だから、5万4千円という出費である。これは私が過去に出かけた300回にも及ぶコンサート中、最高額の部類に入る。

当日券も残っていたS席を発売と同時に購入したのは、その席が前の方、すなわち最前列から5列目の中央という、これも私のオペラ鑑賞史上初めての経験となる至近距離の席を確保するためであった。どうせ見るなら、この演出は前の方で見る方がいいに決まっているし、歌手の声がダイレクトに響き、それを一挙手一投足指揮する指揮者とのやりとりも見てみたい。いつもは3階や4階の席にしか縁がなかった私も、齢50を過ぎれば少しは大きな出費も覚悟しなければ、人生に何度もない経験は得られない、と思った。

「魔笛」に妻を誘ったのは今から23年前、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初めてデートをした際に見た演目だからでもある。彼女はモーツァルトと同じ1月27日の生まれで、そういうこともあってモーツァルトが大好きである。だが、それから「魔笛」からは二人とも遠ざかっている。第一揃ってオペラに出かけるなどということは、余程のことがないとできない贅沢でもある。「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」それに「フィガロの結婚」というダ・ポンテ作品を数年に一度の割合で初体験した以外は、モーツァルトのオペラを長らく楽しんでいない。

そんな我々に、ケントリッジの「魔笛」がやってきたのである。そして終演後には代々木のイタリアン・レストランを予約し、満を持して出かけた本公演は、一連の千秋楽、日曜日のマチネーである。会場はほとんど満席ではなかったかと思う。会場に入ると、一面に白黒で描かれた部屋の中が舞台にあり、東京フィルハーモニー交響楽団が熱心に練習している。そしていざ序曲が始まると、今では主流となった古楽器奏法で一気に演奏されるローランド・べーアの指揮のテンポが、大変好ましい。それは私が最高だと思うアバドの新録音を思い出させるもので、古めかしくかび臭い「魔笛」の、昔のだらだらした演奏とは一線を画す。オーケストラも良くついてくるし、ほとんどミスのない演奏は、大変充実したものだった。

さて、あまりに書くことの多い本公演について、一体何から書き始めればいいのだろうか。私は一部始終舞台に釘付けとなり、めくるめく舞台の映像と、歌手の見事な歌声(それはすべての歌手が素晴らしかった)、そして本公演に特別に付けられたフォルテ・ピアノの伴奏に乗った台詞や、稲妻と炎の燃え盛る音、会話の節々にコミカルに響く木魚のような効果音。長いセリフも飽きないどころか、これほど無駄なく、流れるように展開する「魔笛」に惚れ惚れしていく。

総じて日本人歌手の気合の入った歌声が目立つが、それはそれで熱い思いが伝わってきて私は好感を持つ。それも技量が伴うからで、筆頭格はパミーナの林正子。彼女の声はドラマチックで、パミーナの純情性に相応しくないなどと言う批判は、実にくだらない。むしろ力強い女性の意志こそが、「魔笛」には相応しい。何といっても彼女は夜の女王の娘なのだから、むしろ当たり前といえば当たり前である。

その夜の女王は、安井陽子の超高音でも安定した歌声がこだまして、それに呼応する星の煌めき!3D作品を見ているように前後に動くと、プラネタリウムでも見ているような、どこか別の世界にでもいるような錯覚を覚える。コロラトゥーラの歌声は、新国立劇場の定番で、以前の公演にも彼女が出演しているようだが、完璧に決まるその歌に酔いしれる。2つのアリアは、この演出版の最大の見せ場でもあり、そしてその感動のレベルは、疑いなく最高のものであった。

オペラというのは見る人によって随分と印象が異なるようで、事前に探ったTwitterやブログでは、あまり評価の芳しくない意見が多いのはよくわからない。それもその文章から、そこそこの音楽好きで経験豊富と見受けられる人まで、様々な意見が飛び交っている。だが、私は素直に本公演が素晴らしいと思った。本公演が良くないというなら、一体その人はどのような公演を聞いてきたのだろうか、それとも余程の暇とお金を持ち合わせている人とも思った。オペラがすべての観点から、いいと思える機会などそうそうないのである。ひどい場合には、まるでダメな公演も多い。そんな中で、私は本公演に90点を付けたいと思う。あとの10点は、3人の童子がボーイ・ソプラノでなかった点だ。でも我が国でこの役を原語で歌える少年を3人も探し、平日の昼間から舞台に立たせるのは、至難の事であると思う。だからこれは極めて贅沢な不満である。

3人の侍女(増田のり子、小泉詠子、山下牧子)は、最初からパワー全開で、身震いがする。彼女たちとタミーノ、パパゲーノが歌う5重唱などは、私も涙が出るほどに美しかった!身震いがするほどの見せ場は、次々と映し出されるプロジェクション・マッピングに呼応して、感心することに余念がない。月や太陽、蛇にライオンなどの動物たち、モノスタトスとパミーナの影絵、くるくる回る星や三角定規から映写機を描き出すアニメーション、鳥かごにいる小鳥たちの仕草や、少年たちが乗って登場する黒板の中にも、次から次へと描かれては消えてゆく。それを追うだけで楽しく、字幕(英語もあった)を追うことすら忘れてしまうほどである。客席に座っているだけで、目と耳のすべての感覚がモーツァルトの音楽と舞台に馴染んでいく。その魔法のような時間!

パパゲーノの笛は古楽器風のそれで、ややくすんだ音色が印象的。一方、タミーノのフルートは演技も素晴らしくまるで自分で吹いているかのよう。グロッケンシュピールはオルゴールのような箱。全体に少し低音にしてあるのが、こだわりか。前方の席からは、小道具のひとつひとつまで、手に取るようにわかる。パパゲーナはいつものように最初は頭巾をかぶり、老婆を装っていたが、それを取ると蝶々のような衣装をひらつかせる。九嶋香奈枝は出番こそ少ないものの、可憐で愛らしいこの役に成りきって歌声も澄んでいた。

ザラストロ。この低音の魅力を、何といったらいいのか、長身で若いサヴァ・ヴェミッチというセルビア人。だがこの役は、彼の十八番になるだろうと思う。その存在感は、他のものを圧倒するほどで、そうでなければザラストロではない。ケントリッジの映像は、アスワンにあるイシス神殿のように豪華なもので、最終シーンではそこに登壇していくタミーノとパミーナが、巨大な目の中に吸い込まれ、やがてはシルエットとなって放射状に迫りくる星の中で結ばれると言う感動的なものだった。

本作品の主役はタミーノである。タミーノは高貴で済んだテノールでなければならないが、スティーヴ・ダリスリムという歌手に私は及第点を差し上げたいと思う。最初は少し緊張していたようだが、それでもパミーナとの二重唱などでは不足がない。欠点がないという点で、十分合格点だろうと思う。パパゲーノのアンドレ・シュエンは長身で細身のバリトンだが、やはり私は悪くないと思った。タミーノよりも背が高いので、ちょっと違和感があると言っていた人がいたが、それは容姿の問題で仕方がなく、それにこの二人は音域が異なる。

悪役のモノスタトスは升島唯博。彼の声は、失礼ながらヤッキーノやミーメのような姑息な役にピッタリである。意外と出番が多いというのが、私の今回の印象。やはり及第点の出来栄えで不足がない。その他、僧侶や弁者に至るまで、最終日の公演ということもあったのか、非常に気合の入った歌声が響き、妻はバランスが悪いと言っていたが、私はこのような脇役にまで強力な舞台は大歓迎である。それから何といっても新国立劇場合唱団。彼らの歌は、プロの歌で、その見事な声は前方で聞くとさらに素晴らしい。

ケントリッジの「魔笛」を解くカギは、啓蒙主義の光と影である。アフリカに進出した欧米列強は、またたくまにこの大陸をほぼすべて植民地化し、悪名高き人種隔離政策を生んだ。モーツァルトが「魔笛」を作曲した頃は「啓蒙主義がもっとも輝いていた時期」だが、その後の戦争や殺戮を生んだのもまた啓蒙主義だった、と彼は言う。人間が神から解放されたフランス革命の直後、神に変わって権威を持つのは、このような人間中心主義だったのも事実である。

だからザラストロが「第九」のモデルともなった、人類の調和を高らかに崇高なアリアを歌う時、アフリカで残酷に殺されていくサイのモノクロ映像をぶつける。動物たちはグロッケンシュピールに合わせて踊りだすと、そこには不自然な優勢思想さえ感じさせる。何が善で、何が悪であるかは、実際には決めつけることなどできないのだ。だから白と黒は入れ替わる。ケントリッジの描く白黒の線は、書いては消え、消えては書かれる。まさに価値観の相対性を示している。

死の直前に猛烈なスピードで作曲された「魔笛」は、シカネーダーの一座によってウィーンで初演された。その中に錚々たる実力歌手たちが大勢いて、この一期一会の作品が生まれたのだと大野和士は解説している。夜の女王とザラストロの価値観が入れ替わり、崇高だが他愛もない演劇として上演された作品を、21世紀に生きる我々が同じ気持ちで鑑賞することはできないだろう。この二百年間の歴史の中で起こったことを、私たちは知っているからだ。そのことを思えば思うほど、モーツァルトの音楽が美しく聞えてくるから不思議だ。そして今回の舞台も、様々に複雑な深遠さを持っているにも関わらず、例えようもなく美しい。子供のおとぎ話は、立派に大人の演劇でもある。幻想的で、そこはかとなく暗い「魔笛」の公演は、今後しばらく新国立劇場で上演されるだろう。ただこの舞台は、前方で見るに限ると思う。もし本演出版に欠点があるとするなら、見る人の座席の位置によって、感じ方に違いがあり過ぎるという、まさにそのことだろう。公演をビデオで収録してもよく伝わらず、1階席の少し後方においてでさえ、魅力が半減するような気がする。

2018年10月4日木曜日

読売日本交響楽団演奏会(2018年10月3日、東京芸術劇場)

マーラーの交響曲第8番は、そう何度も実演に接する曲ではないのだが、私は2度目である。もっとも前回は1992年のことで今から四半世紀以上も前、ということになる。この時も今回と同じ読売日本交響楽団だった(第300回定期演奏会)。これは偶然である。

ただ25年もたつと私も50代になり、楽団員も大多数が入れ替わっている。その時指揮したズデニェク・コシュラーはもうずいぶん前に亡くなった。だから同じオーケストラで聞くといっても、ほとんど違う演奏家だということになる。指揮者の井上道義は、当時すでに人気を確立していた名指揮者だったが、もう70代にさしかかったそうだ。スキンヘッドの容姿と長い手を表情豊かにくねらせて大きく指揮する姿は昔から変わらず、元気で茶目っ気たっぷりだが、数年前に病気を患ったようで、そのことによって音楽に変化があったかどうか、そのあたりは私もあまり聞いていないのでわからない。

読響がこの一日だけのコンサートに、どうしてこの曲を選んで演奏したのかは不明である。ただこの日の演奏会は東京芸術劇場の主催だった。そのため黒い表紙のプログラム・ノートが配られた。雨続きだった東京もようやく秋の気配が濃厚となり、涼しい風も吹き始めた10月。池袋に私は会社を終わると直ちに駆けつけた。チケットは売り切れ。長いエスカレータを乗り継ぎ、今日はS席でこの大規模な曲を味わう。

マーラーの交響曲はこれまですべて一度は聞いているが、深遠な長い旅路へ連れ出してくれる演奏に出会うかどうか、それは聞いてみなければわからない。この第8番はその規模に圧倒されて、演奏する側も相当気合が入るし、聞く方も身構える。けれども壮絶な第1部と、終結部以外に長い第2部の物語が存在する。ここの精緻でロマンチックな部分が聞きどころだとわかったのは最近のことである。思えば26年前に接したこの曲も、オーケストラと指揮者、それに合唱団が繰り広げる迫真の演奏とは裏腹に、等身大の曲の魅力を味わうだけの余裕が、少なくとも私にはなかった。だから、今回はそういう時間を経た後での再挑戦と言うことになる。

第1番「巨人」、第2番「復活」、第3番、それに先日聞いた第4番、さらには「大地の歌」で私は、もうこれ以上望めないだろうと思うような演奏に接している。第8番でも同じことが起こるかどうか、それは聞いてみないとわからない。今回の演奏は、しかし私を十分に満足させる感動的な演奏であったことは確かである。客観的に考えれば、もっと完璧な演奏は存在すると思う。だがそこに私が接することができるかどうかは、相当怪しいのであって、そういう意味で私のマーラー演奏会史に深い印象を刻んだことは間違いない。

もっとも素晴らしかったのは、TOKYO FM少年合唱団だったと思う。舞台に向かって右上の2階席前方に位置した彼らは、みなが小学生だったのではないかと思うような顔をしていたが、大きく口をあけて一生懸命ラテン語とドイツ語で歌う歌詞を、すべて暗譜で歌っていることに驚いた。この曲における特に第2部の少年合唱団の印象は、涙が出るほどにきれいだ。

次に素晴らしかったのは4人の女声陣たち。ソプラノの菅英三子、小川里美、森麻希、アルトの池田香織、福原寿美枝。早々たる布陣の歌声が会場にこだまする時、その声は大勢の合唱やオーケストラにも負けない迫力が際立っていた。

彼女らは第1部では舞台の後、合唱団の最前列に並んでいたが、後半になると男声陣が指揮者の前に移動し、森麻希は舞台上のオルガンの位置に移動。残った3人がそのまま合唱団の前に残っていた。その舞台上のオルガンの横には、金管楽器が何人も並び、クライマックスのトゥッティをさらに強調する。その凄まじさ!

男声陣は少し弱かったが、それも相対的な話であって、まあこの長い曲を無難に歌ったと言える。テノールは、フセヴォドロ・グリフノフ、バリトンに青戸知、それにバスがスティーヴン・リチャードソン。

舞台後方と2階席前方に並んだ数百人の合唱団は、首都圏の音楽大学に通う学生たちで、この日のために結成された合同コーラスだったが、人数も多く熱演である(指揮は福島章恭)。ここは少しアマチュアの香りがしたが、よく練習していて、それぞれのパートが引き立ち聞きごたえがある。特に向かって左側2階席に並んだ女性の十数人は、第2部になって白いジャケットを身に付けると言うヴィジュアルを意識した力の入れよう。さらには舞台上方に日本語の字幕まであるという至れり尽くせりの演出である。

思えばCDなどで聞くこの曲の合唱では、どこのパートをどの人たちが歌っているかなど、細かいことはよくわからない。けれども実演で見ると手に取るようにわかり、その楽しさは十分である。歌わないときの表情までも含め、音楽は実演に勝るものはないと今回も実感した。そして井上のダイナミックな指揮ぶりは、やや一本調子のようなところがないとも言い切れないが、聞きごたえ、見ごたえは十分。弛緩することはなく、全体を良くとらえており、特に第1部の後半と第2部のコーダは見事という一言につきる。私は背筋を伸ばし、しばし圧巻の音量に身を委ねる。

第2部での中間になると、随所に聞きどころとなるメロディーが続く。ハープ、チェレスタ、それにマンドリンまでもが加わる。そういったフレーズのひとつひとつを、微妙なニュアンスまでも磨きにかけ、表情付けが行われたかと言われれば、実際はもう一歩とも思った。だが、そういう細かい部分も、後半の怒涛のような盛り上がりになれば、一気に身は引き締まり、このパワーに負けてはならぬと構えて聞く。

読響は明らかに26年前のオーケストラとは、比べ物にならない程数の技量であることは確かであった。そして、マーラーの演奏会もごく当たり前となった今、余裕させ感じられる。ソロパートをもう少し印象的に聞かせたり、といった細かい部分は、指揮に負うものだろう。ということは今回のコンサート、全体的に十分満足の行く完成度だった。

割れんばかりの拍手が10分は続いたと思う。嬉しそうな出演者と、満足そうな観客が一体となって、このマーラーでもっとも明るく祝祭的な曲の魅力を味わうことができた夜だった。機会があれば、勿論他の演奏も聞いてみたいが、残り少ない人生の中で、一体そういう機会が訪れるのかどうか、それは神のみが知るところである。だから私はこの演奏会を大切にしたいと思ったし、それは見事に達成されたのだった。

2018年9月18日火曜日

ベルリン・フィルのジルヴェスター・コンサート1983(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮)

クラシック音楽の鑑賞にまだ映像メディアが珍しかった頃、外国の指揮者の演奏姿はNHK教育テレビで放映される来日オーケストラの公演くらいでしか目にする機会はなかった。しかも来日するオーケストラは、バブルの前までは年に数団体に過ぎず、音響のいいホールもなかった。最初はVHDなどと称するビデオディスクや、あるいはVHSのビデオ・テープでカラヤンの映像があるとわかると、それはさぞや素晴らしい演奏だろうと心をときめかせたものである。

カラヤンは、自らの映像を収録することに特に熱心だった。ユニテルというヨーロッパのクラシック映像を一手に担う会社が、奇抜な配置でベートーヴェンの交響曲全集やブラームス全集を収録したのは1970年代が中心ではなかったかと思われる。これらの作品は、カラヤンのみに焦点が当てられ、オーケストラのメンバーの姿はほとんど見えない。コンサートマスターが少々出るくらいで、あとは楽器のアップ。それにカラヤンの左横からの目を閉じた指揮姿である。一部の曲では「ライブ」の様相を呈しているが、これはカメラアングルにのみ観客(を演じる人々)を配置していたとのことである。ティンパニの殴打に伴って飛び散るホコリを、横から当てた光が強調するのも、演出上の効果を狙ったものだ。

そういう不自然な演奏は時代を感じさせるが、全アングルフルでフィルム収録され、編集されているから、手がかかっており完成度は高い。映像の時代を先取りしたカラヤンの姿勢は、実験的な要素も多分にあったわけで、今ではオーケストラ収録時のカメラワークに歴史的な影響を与えているとも思う。

80年代に入って映像作品が珍しくない時代になると、予算の関係もあって収録はライヴが中心となった。CDと異なり編集が容易ではないから、同じ時にリリースされるCDとビデオでは、演奏が少し異なる。そして晩年のカラヤンは自らビデオ制作会社を設立し、主要なレパートリーを再び収録していった。

そのような中に、ベルリン・フィルが大晦日のマチネで演奏するポピュラー名曲集とも言えるビデオが何点かある。私がこのたび中古のレコード屋で見つけ、わずか500円という価格で入手したSONYのDVDが1983年のコンサートである。いまさらカラヤンの、それも衰えを感じさせる晩年の管弦楽名曲集なんて、と思うとこの素晴らしい演奏を聞き逃す。それほど今となっては貴重で、しかも懐かしいビデオである。ここでは完全にライヴ収録されているが、歩くにも苦労していたカラヤンの指揮台へのアプローチは省略されている。

私は最近NHK交響楽団の演奏でヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「うわごと」を聞いたが、そういえばこの曲はここに収録されていることを思い出した。それがこのたびこのDVDを取り出して聞いた直接の理由である。ここでのカラヤンの演奏は完璧と言うほかはなく、奏者の集中力を伴った力強い音が、カラヤンの一挙手一投足に合わせて変化する様は、見ていて嬉しくなってしまう。

記録によれば、この日のコンサートは「未完成交響曲」ではじまり、「ラデツキー行進曲」で終わったようだ。これらは省略されているが、ベルリン・フィルのゴージャスなサウンドが、ロッシーニやシュトラウスのような作品で如何なく表現されている様は見事である。アバドやラトルの時代の民主的なベルリン・フィルとは異なる。当時は現代的に見えたカラヤンの指揮する一音一音が、時代がかってもいて面白い。音楽は非常に丁寧で、フレーズの一つ一つが映像と調和している。昨今の「自然な」ライブ感とは異なるこの映像は、時折見てみたい。オーケストラを聞く醍醐味がリビングで味わえる。スメタナの「モルダウ」やシベリウスの「悲しきワルツ」の、フレーズをたっぷりとった弦楽器の調べにも舌を巻くが、最後の「ジプシー男爵」序曲もカラヤンの得意としてきた曲である。

メロディーの緩急と強弱の見事さ。そしてそれを表現するベルリン・フィルの底力。このビデオは、いまとなっては過去の遺産、カラヤンとしては最新版としての映像作品である。ビデオディスクで見る楽しみのひとつは、こういった今では体験できない指揮者やオーケストラの雰囲気を懐かしく思い出しながら、新たな発見をすることである。


【収録曲】
1.ロッシーニ:歌劇「ウィリアムテル」序曲
2.スメタナ:交響詩「モルダウ」
3.シベリウス:悲しきワルツ
4.ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「うわごと」
5.ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲

2018年9月17日月曜日

「3大テノール 夢のコンサート」

1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会は、地元のイタリアが初戦でカメルーンに敗れるという波乱の幕開けだった。私はこの直後の夏、スイスに2か月滞在したが、それが終わって9月にバルセロナへ行くと、そこには1992年バルセロナ五輪の特設会場が設けられ、たしかSONYだったかの大規模なスクリーンに、3大テノールの映像が流れていたのを鮮明に覚えている。

そもそもオペラ歌手と言うのは大変ライヴァル意識の高い職業で、音域の同じ歌手が共通の舞台に立つことはまずない。プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラス、それにルチアーノ・パヴァロッティという、当時最高水準にあったテノール歌手が、一同に会するというのは、それだけで大事件であった。だが、カレーラスの病気復帰と慈善活動への寄付、さらにはサッカーと言う共通の趣味が、この3人を結び付け、決勝前夜のローマ、カラカラ浴場跡で開かれたコンサートに結実する。

もっともこの時のタイトルは「3大テノール」ではなくて、指揮者のズビン・メータも加え「カレーラス・ドミンゴ・パヴァロッティ・メータ」となっていたように思う。メータが入っているのは、こういう場面におけるエンターテイメント役としてはうってつけの指揮者で、その大ぶりの指揮が歌手3人に引けを取らない程見ごたえがあったからだ。私はカラカラ浴場で「トスカ」を見た経験もあり、このビデオ(LDだった)が発売されると真っ先に買い求め、楽しんだことを思い出す。

このコンサートの大成功によって彼らは、ワールドカップの大会ごとに舞台に登場し、1994年ロサンジェルス、1998年パリ、それに2002年東京とコンサートを行った。さらあにはワールドツアーも行われ、ロンドン、ミュンヘン、ウィーン、ラスヴェガス、ニューヨーク、それに南アフリカのプレトリアでもコンサートが行われた。しかしこの興行路線に走る彼らのコンサートは、巨大なスポーツスタジアムに多数の観客を動員し、大盛況のうちに終わるものの、あのローマでの、ややぎこちないながらも即興的にコンタクトを取り交わし、緊張感をはらみつつお互いを気遣う、一期一会だと皆が思ったはずの演奏会ほどの感興を与えてはくれない。

指揮者はいつのまにか、マルコ・アルミリアートやジェイムズ・レヴァインに交代され、レパートリーも陳腐化していく。本日東京写真美術館で上映された「3大テノール 夢のコンサート」と題された映像作品は、そのような世界ツアーで歌われたコンサートから29曲を並べたもので、個々の歌はそれなりに感服するものの、新しい新鮮味には乏しい。過去にリリースされたロサンジェルスでの公演ほど悪趣味ではなく、わずかにインタビューなども挟まれているが、パリの公演のビデオほど楽しませてはくれない。

私はこの作品を、ローマでの成功を収めたドキュメンタリー作品だと勘違いしていた。だからこの映像からは、新たな感動は得られない。コンサートは東京大会の頃にはすでに盛り上がることもなく、テノール歌手としての声の衰えを感じるばかりであった。会場は華やかな衣装を身にまとったお金持ちで溢れたが、オペラについてどれほど知っている人がいたかも疑わしい。高価なチケットを買いあさり、巨大スピーカーからしか聞こえてこない音声を有り難く聞くのは悪趣味である。

ドミンゴはその後、バリトンにレパートリーを変え、時に指揮もこなす活躍をしているし、カレーラスもまだ歌っているが、最高齢だったパヴァロッティは2007年に死亡してしまった。もとはパバロッティが世界各地で大規模リサイタルを開いていたので、これらのコンサートもそれが下地になっているようなところがある。だがこの映像作品からは、上演にこぎつけるまでのエピソードや、パヴァロッティ亡きあとの彼らの活躍にも触れていない。

もはや20年以上も経過した過去のテノール歌手の、その衰えが顕著になりはじめる頃の映像を、2800円も支払って見に行く価値はないだろう。それでも「3大テノール」を味わいたいという人は、同時に上映されているローマでのコンサートを写した作品「3大テノール 世紀の競演」を見ると良い。ここには人間味あふれる映像が、メータの若々しい?姿とともに映し出される。誰しもが、もうこの1回だけにしけおけば良かったのに、と思うだろう。

2018年9月16日日曜日

NHK交響楽団第1891回定期公演(2018年9月15日、NHKホール)

記録によれば、これまでに300回近い数のコンサートに出かけてきたが、喜歌劇「こうもり」を除けば、ヨハン・シュトラウスを代表とするウィンナ・ワルツの演奏を聞いたことはほとんどなかった。お正月恒例のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを始めとして、知っている曲は数多く、CDやDVDの類もかなりの数所有しているにもかかわらず。

その理由の一つは、これらの曲がポピュラーすぎて、クラシック音楽としての風格に欠けるため、通常のコンサートではほとんど取り上げられないことである。また今一つは、ウィーン訛りのワルツを演奏することに対する遠慮だと思う。どんなにいい演奏しても、通はこう言うに違いない。「やはり本場の演奏にはかなわないね」。

でも思い起こしてみると、これら当時の「流行音楽」は、ご当地のウィーンにおいてでさえお正月のようなごく特別な時に、しかもマチネで演奏されるだけである。もしかするとウィーンでは身近過ぎるのかも知れない。結局、ウィーン・フィルのワルツを聞こうと思えば、今では日本人観光客が主流のベラボーに高価なパック旅行に参加する以外に方法はない。何もウィーン・フィルでなくてもいいではないか、と言われるかも知れないが、だとしてもこれらの曲はやはりウィーンに行って、モーツァルトのような恰好をしたアルバイトの学生から当日のコンサートチケットを買うか、さもなければお正月に大挙して来日するご当地の団体の「ニューイヤーコンサート」に法外な大金を払って聞きに行くしかない。

そんな、意外に実演に接する機会のないシュトラウスの名曲が、NHK交響楽団の定期公演で取り上げられるとわかったから、私は発売されると同時に1階席を買ってしまった。しかも指揮は首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ。さらに素晴らしいのは、後半にはマーラーの交響曲第4番が演奏されるということだ。こんな贅沢なコンサートは、すぐに売り切れるに違いない、と私は確信した(実際には当日券もあったから、わからないものだ)。

そんな異色の取り合わせのコンサートを、一言で言うなら、ヤルヴィはこの組み合わせによって、ウィーンの持つ古き良き時代を暗黒の世紀末の奥に置くことにより、光と影を際立たせた。21世紀の現代から100年以上前の時代を見渡すと、ヨーロッパの輝かしい貴族文化が、異様な影を帯びて見えてくる。シュトラウスが陽とすれば、マーラーは陰の音楽である。この両者が共存していた19世紀末という時代に思いを巡らせるとき、明るく陽気である円舞曲の中に、静かに忍び寄る恐怖と絶望を、あえて見ようとしない楽天性が恐ろしくなってくる。もしかしたらこれは現代に通じることではないか?

それでもマーラーがシュトラウスの音楽を愛好し、大反対を押し切って「こうもり」を宮廷歌劇場で上演したと聞くと、何かほっとする。人間は苦悩だけを背負って生きるわけには行かない。喜怒哀楽の様々な要素が生活の中にはあり、音楽にもまたそれを反映したものだからである。

ヤルヴィのシュトラウスは、喜歌劇「こうもり」序曲のわくわくするような演奏で始まり、「南国のばら」の底抜けに明るく豪華な香りとともに進んでいった。1階席前方で聞くN響の音は、やはり違う。最近、私は前方の席で聞くコンサートの音と3階席のそれとでは大きな違いがあることを発見した。両者が距離にして3倍離れているとしよう。例えば1階席の10メートルの位置と、3階席前方の30メートルの地点を比べてみるといい。音の大きさは物理法則から距離の二乗に反比例するから、3階席は1階席の九分の一の大きさの音を聞いていることとなる。でも実際にはそれほど小さな音には聞こえない。これは反射による音が加わるからで(残響と言ってもいい)、ということは両者は、同じ音楽でも実に異なる音を聞いているものと思われる。

1階席前方で聞くシュトラウスの音楽は、勝手なことを言えば、一流の海外オーケストラを聞いているのに遜色がないばかりか、おそらく彼らにしても同様の音響効果のもとに評価されることを思い起こさせた。ヤルヴィの楽しそうな指揮は、ツボを得た統制とN響の自発性がよくブレンドされたことによって、DVDで見るウィーンの演奏に引けをとらない。いや音楽は、やはり実演ほどいいものはないと改めて思う。

ポルカ「クラップフェンの森で」に続き「皇帝円舞曲」となると、もう贅沢極まりない気分である。ウィーン・フィルの演奏でも最近は特に、知っている曲が続くことはない。「皇帝円舞曲」の名演は古くはフルトヴェングラーからカラヤン、アーノンクールなど枚挙に暇がないが、この名曲をしっとりと実演で味わう魅力には変えられない。そして最後にはヨーゼフ・シュトラウスの「うわごと」が演奏された。手元にあるディスクを探してもほとんどお目にかからないこの曲は、「天体の音楽」と並ぶヨーゼフの名曲である。よく探せば、私の持っているディスクではアーノンクールが2003年にニューイヤーコンサートで取り上げている。

休憩を挟んで演奏されたマーラーの交響曲第4番は、これ以上のものは望めないのではないかというほど素晴らしかった。ヤルヴィとN響は、ことあるごとにマーラーを取り上げてきたが、私も第1番の名演を忘れることが出来ない。今回の第4番は、それ以上に深い印象を残した。よく言われるように、この曲はマーラーの交響曲の中では小規模で、比較的目立たない存在である。だが、これまでに何度も聞いてきた演奏は一体何だったのだろうか(その中には、コリン・デイヴィスによるニューヨーク・フィルの演奏も含まれる)。

とりわけ指揮者が重点を置き、また表現上も相当意味深いものだったのが第3楽章である。「安らぎに満ちて」と指定されたこの静かな音楽を、私はこれまで何と美しいムード音楽なのだろうと思ってきた(小澤征爾指揮ボストン響のCDなどそういう感じだ)が、それ以上の深いものだったことが分かったような気がした。向かって左下から眺める指揮を見ていても、その表現へのこだわりがわかる。第2ヴァイオリンやヴィオラ、あるいはチェロのパートに対し、旋律を際立たせて丁寧に、かつ集中力を絶やさず振るタクトに揺れ、音楽が木管の愛称を帯びたメロディーに溶け合う様は鳥肌が立つほどに美しい。

実に様々な表情を見せる長い曲だと思った。だがその時間は永遠に続いてほしいとも思った。マーラーの交響曲は、その長い演奏時間の間に、聴衆をどこか遠い世界への旅に連れて行ってくれることである。私は初めて、第4交響曲でもそのようなことがあるのだと思った。この第3楽章の持つ微妙な変化について、実際にはあまり語られていない。終わりころになって、突如大きな音が鳴り響き、何か重大な変化でも来るのかと思うと(このようなことはよくあるが)、薄いピンクのドレスを着た女性が舞台袖から登場した。

何と見事な演出か知れないが、このまま緊張感を持続して第4楽章に続くのだろう。ドイツの若いソプラノ歌手、アンナ・ルチア・リヒターが、ヤルヴィのタクトをゆっくり下ろすと、その歌声の何と素晴らしいこと!「完全に死に絶え」たあとの「天上の生活」は、鈴の音色にかき乱されることを繰り返しながら、明るく澄み渡って行く。3階席でどう聞こえたかはわからない。舞台を見ると第1ヴァイオリンのスコアがもう最終ページに差し掛かっている。ここから先はチェロや第2ヴァイオリンが担うのだ。陰影に満ちた第4楽章は、消え入るように去って行った。この美しい静寂の時間を、3000人余りの聴衆は、身動きひとつせず、物音ひとつ立てず、静かに「聴いて」いた。その時間を私は目を瞑っていたからよくわからないが、最低30秒はあったと思う。信じられない瞬間が、永遠に続くかのようだった。

やがて拍手が沸き起こり、何度もカーテンコールが進むうちに、熱狂的なものとなっていた。指揮者がソリストを順番に立たせていくと、私の位置からもやっとプレーヤーの顔を窺うことが出来た。 驚いたことに、オーボエもフルートもいつものN響の面々とは違っていた。今度テレビで放映されたら確認してみようと思う。そしてブルーレイディスクに録って、再度見てみたいと思う。ヤルヴィのマーラー・シリーズは、いよいよ中盤にさしかかかった。来年2月には、ブルックナーの弟子でマーラーに少なからぬ影響を与えた夭逝の作曲家、ハンス・ロットの交響曲が演奏される。この曲は、私もCDで聞いて大変気に入っているので、いまから大いに楽しみである。

2018年9月10日月曜日

プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」(2018年9月8日、新国立劇場・二期会公演)

フィレンツェを舞台にした歌劇「ジャンニ・スキッキ」で歌われる唯一有名なアリア「私のお父さん」は、コマーシャルでも使われたほどで大変人気がある。しみじみと抒情的なメロディーがあどけない歌声で歌われると、丸でフィレンツェの情景が目に浮かぶように、結婚に反対している父親に切々と訴えかける。ラウレッタが「もしリヌッチョと結婚できないなら、私、ポンテ・ヴェッキオからアルノ川に身投げしてしまうわ」と、娘としての覚悟を訴えるのである。

ここだけを聞いていたため、このオペラは父親と娘の愛情を描いた作品だと(私も長い間)勘違いしていた。でも本当は、恋人リヌッチョとの結婚もさることながら、リヌッチョの叔父ブオーゾの膨大な遺産を、自分の家のものにすべく遺言状を偽造してくれと頼むシーンなのである。

公文書の偽造は、最近の日本では罪にも問われないらしいが、イタリアでは手首を切り落とされたらしい。だからあの美しい青空を見えげて「フィレンツェよ、さらば」と手を振ることはできなくなるという。実際この作品の元になったダンテの「神曲」の「地獄篇」では、実在したジャンニ・スキッキは地獄に落とされたことになっている。

だが娘に請われ、ブオーゾの親類縁者から要請を受けたジャンニ・スキッキはものの見事に死んだはずにブオーゾになりすまし、医者も公証人もだましてしまう。すべては自分の都合のいいように、新しい遺言状を完成させて、無事リヌッチョとラウレッタは結婚が許される。1時間足らずのドタバタ喜劇は、前作の2つのあとに上演されるお口直しでもある。観客はどこかほっとして、この軽妙な話を楽しんでいる。プッチーニの作品がオペレッタと融合してミュージカルに流れて行く道ができていく。

1918年と言うと第1次世界大戦の頃の凄惨なヨーロッパの時代だが、プッチーニはコミカルで洒脱な作品をニューヨークに持ち込んだ。ドラマは音楽に乗せて歌われるというより、台詞として語られることのほうが多く、音階もいっそう20世紀的である。現代的な響きの多いオペラの中に、突如として始まるアリア「私のお父さん」は、「歌に生き、愛に生き」を突然歌いだすトスカを思い起こさせる。

「外套」「修道女アンジェリカ」で使用された、放射状に配置されたのコンテナは、そのままカラフルなドナーティ家の邸宅となっている。居間にはテレビも置かれ、大人の話(遺産相続)になると、子供はヘッドフォンを付けさせられて「トムとジェリー」なんかを見させられる。ベッドには亡くなったドナーティが横たわり、そこに医者が訪ねてくるあたりが笑いの最高潮だった。

邸宅の部屋は最終場面で壁が崩れ、本来のコンテナの風景(すなわち「外套」のシーン)が蘇る。スキッキは外套を着て口上を述べるあたり、なかなか凝った演出で飽きることがない。ジャンニ・スキッキを演じた上江隼人は、「外套」での主役ミケーレと二役をこなす。方や悲劇、方や喜劇。一方小柄な娘ラウレッタは新垣有希子。間髪を入れず歌いだす「私のお父さん」は、とても綺麗で会場いっぱいにこだまし、大きな拍手が沸き起こった。またラウレッタの恋人で、ドナーティの甥リヌッチョ役は、テノールの新海康仁(テノール)。

ド・ビリーの指揮する東フィルの演奏は、ここでも誠に申し分ない。そして、ミキエレットが述べているように、この3つのオペラは、優れた一人の台本作家によって創作されたことを忘れるべきではない。ジョヴァッキーノ・フォルツァーノである。今年新国立劇場の音楽監督に就任した大野和士も、台本作家の重要性を強調している。音楽と原作に挟まれ、あまり気にしてこなかったのだが、プッチーニの音楽がいまあるのは、優れた台本作家を探し求めた結果なのだという。特にこの「ジャンニ・スキッキ」では、名前以外に具体的なことはほとんど書かれていない人物と、その注釈というわずかの情報に想像を加え、こんなにも楽しい劇が創作された。

最後に、フィレンツェについて。「ジャンニ・スキッキ」の舞台であるこの美しい中世都市は、私も2回旅行している。その観光の中心とも言うべきポンテ・ヴェッキオとアルノ川を写した画像が見つかったので、ここに掲載しておきたい(1987年夏)。またフィレンツェと言えば必ず紹介されるドゥオモを、少し高いところ(ミケランジェロ広場)から眺めた写真を、私もご多分に漏れず撮影している(1994年冬)。どちらの時も天気が大変良く、レンガ色の屋根が「青い空」に映える素晴らしい一日だった。それが「ジャンニ・スキッキ」の台詞に何度か登場するので、やはり昔から、この町は「青い空」が相応しいのだろうと思った。

2018年9月9日日曜日

プッチーニ:歌劇「修道女アンジェリカ」(東京二期会公演・新国立劇場、2018年9月8日)

歌劇「外套」が終わると休憩時間があるとばかり思っていたら、何と拍手が消えても舞台が明るくならない。そればかりか、先ほどまでジョルジェッタを演じていた北原瑠美が、そのままの衣装で貨物に腰掛けている。「外套」で荒らされた舞台に散乱するゴミや、ばらまかれた水もそのままで、コンテナも配置は変わらない。ところがそのコンテナは、側面が開いて、内部が洗濯場と修道女の部屋になっている。


修道院といえば聞こえはいいが、この雰囲気はどうみても刑務所である。それも女性のみが収監されている女子刑務所である。ここで過去に罪を犯したアンジェリカは7年もの間、贖罪の日々を送ってはいるが、実際には結構世俗的でもあって、みな様々な欲望を口にしたりしている。

ある日のこと、アンジェリカの伯母と称する公爵夫人がやってきて、アンジェリカと面会する。夫人は妹の結婚に際し、彼女の遺産をすべて放棄して妹に渡すよう告げる。アンジェリカは過去に、親の望まない子を産み、そういったことがどうやら修道女に入っている理由らしかった。引き離された我が子に7年間も会うことができなかった彼女は、伯母に消息を訪ねる。だが伯母は「2年前に病気で亡くなった」とつれなく告げ去ってゆく。彼女はすべてを失って絶望する。アリア「母もなく」は唯一といっていいほどのこのオペラの聞きどころだが、確かに胸にぐっとくるものがある。最後の望みまで絶たれたアンジェリカは、とうとう最後の罪を犯す決意を固める。自殺を図ろうとするのだ。

ところが、生死の間を彷徨う時、奇跡が起こる。天使に召された彼女は、天国の門の前で息子と再会し、心安らかに息を引き取るのだ。そして何と面白いことに今回の演出では、死んだはずだった7歳の息子が、生きていたという設定になっていて、舞台に現れたのだ!死んだ、というのは公爵夫人の嘘だった、というのである。驚く聴衆は、みな救われたような嬉しい気持ちになったに違いない。ブックレットでミキエレットが述べているように、聴衆はみな「罪人の味方」なのである。

このオペラは女性のみが登場するという変わったオペラである。「外套」で描かれたヴェリズモとは違い、修道院とそこに起こる奇跡という、いわば古典的なオペラのような題材を用いながら、音楽は近代的な印象がある。未完に終わった「トゥーランドット」を除けば、これは最後の完成されたプッチーニの作品だが、「トゥーランドット」よりも現代的な音楽だと思う。それは次の作品「ジャンニ・スキッキ」で顕著である。

なお、標題役の北原瑠美の他に、公爵夫人は中島郁子(メゾ・ソプラノ)が歌った。(この舞台では)子供が死んだなどと嘘をつくような冷徹な役だが、そういう憎らしさには少し乏しいと思った。続けて上演された2つのオペラが終わり、30分の休憩となった。だがここでもカーテンコールはほとんどなく、この公演では3つの作品を一体のものとして上演することにこだわっているのだと思った。

2018年9月8日土曜日

プッチーニ:歌劇「外套」(2018年9月8日、新国立劇場・二期会公演)

今年2018年は、プッチーニの「三部作」がニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演されてから丁度100周年だそそうである。東京においても二期会によって、新国立劇場、日本オペラ振興会との共催で上演された。「三部作」とは言うまでもなく、歌劇「外套」、歌劇「修道女アンジェリカ」、そして歌劇「ジャンニ・スキッキ」という3つの1幕物の総称で、プッチーニはこの順で上演されることを望んだと言う。今では揃って上演されないことも多いが、今回のダミアーノ・ミキエレットの演出は、その三作品を統一した舞台の上で上演する新鮮味に溢れたものだった。

以下3作品の鑑賞記録を、それぞれ独立して書き記すことにするが、初めに断っておくと、私がこれらの作品に触れたのは今回が初めてであり、そして人生に残された時間を考えると、今後ももう二度と実演で触れる機会はないだろうということである。プッチーニの作品は、完成されたものとしてはこれが最後となったようだが、鑑賞する側としても、一生にそう何回も同じ作品に触れることはない。つまり毎回が貴重な機会である。だから、批評と言うよりはどちらかというと感激した記録となる傾向が強い。

--------------------------------------------
歌劇「外套」はパリ・セーヌ川が舞台である。序奏もなく幕が開くと、舞台の上には、貨物列車に載せるような金属製のコンテナが、等角投影法で表現する時のような形で並べられている。このコンテナに作業員が登ったり下りたりするが、新国立劇場の素晴らしい照明に映えて、様々な色に照らされる倉庫街が、無機的ながらも綺麗である。

ここで作業員のボス、船長のミケーレは、妻ジョルジェッタとかつては幸せな日々を送っていたようだ(このくだりは後になってわかるのだが)。しかし生まれてすぐに子供が急死し、そのあたりから夫婦関係が一変してしまった。ジョルジェッタがミケーレのもとで働く若者ルイージと密かに恋仲となっているのである。

ルイージはあるとき船を下りたいと言い出すが、それはこの生活を清算したいというよりはジョルジェッタと駆け落ちすることを意図したからなのだろうか。そのあたりはよくわからない。ただ二人は再度あいびきの合図として、マッチの火をつけることを約束している。

舞台ではジョルジェッタとミケーレの夫婦の会話となるのだが、私にはここがたいそう痛ましい部分に聞こえてしまう。ジョルジェッタはまだミケーレとの生活を諦めていないのかも知れない。だがよりを戻そうとすれば、それはまた喧嘩になるという有様。ミケーレが点けた火をあいびきの合図と勘違いしてルイージが現れ、ミケーレに見つかってしまう。ミケーレは思い余ってルイージを絞め殺し、外套で覆う。そこにジョルジェッタが現れ、ルイージの死体を発見するところで幕。

このオペラはヴェリズモ・オペラの性格を帯びている。まず罪を犯したのはルイージとジョルジェッタだが、ルイージを殺したのはミケーレである。そういう意味で、3人には3通りの罪が存在する。

この罪を巡って、三部先は関連した話として展開するのが今回の演出の見どころであった。とはいえ一つの作品が終わったのだから、ここでは拍手とともに、カーテンコールがあるものだと思っていた。しかし幕が再び開くと、そこにはジョルジェッタが立方体の箱に腰掛けている。「外套」で散らかったゴミや水で濡れた床もそのままである。コンテナがさきほどと同じ形態で置かれている。もちろん休憩はない。つまり舞台はそのままに、次の作品「修道女アンジェリカ」になったのである。

二期会はダブルキャストで「三部作」の公演を4回行った。私が行った9月8日は、ミケーレが上江隼人(バリトン)、ルイージが樋口達哉(テノール)、それにジョルジェッタが北原瑠美(ソプラノ)であった。3人とも良かったが、特に樋口のテノールは一層輝かしい声で会場を魅了したと思う。いまや売れっ子のテノールだから、私も生で聞けて大変うれしい。けれどももっとも拍手の多かったのは、主役の上江だった。そして上江と北原は、それぞれこの後の作品の主役として、一人二役の出演をするのである。

最前列とは言え3回席で聞くプッチーニの音楽は、やはり声が直接聞こえてこないような気がする。これは1階の前方で聞くことと比べるとよくわかるからだ。一方、オーケストラはすべての楽器が良く見える。ベルトラン・ド・ビリーは東京フィルハーモニー交響楽団から手堅くもドラマチックな情景を引き出し、私が聞いた東フィルの演奏としては最高の部類に入るのではないかと思われた。

2018年9月6日木曜日

ミュージカル:「コーラスライン」(2018年9月5日、東京国際フォーラム)

1990年3月下旬、生まれて初めてニューヨークを旅行した私が目にしたのは、1975年に初演され、1976年にトニー賞に輝いた人気ミュージカル「コーラスライン」が、その15年に及ぶ史上最長のロングランに幕を下ろすというものだった。その時は数多くのオペラ、コンサートには出かけたが、ついにブロードウェイには足を運ぶ時間(というかお金が)なく、ミュージカルというものに触れるのは再度ニューヨークを訪れた1995年までお預けになってしまった。

その1995年には、「コーラスライン」に変わって最長記録を打ち立てた「キャッツ」が話題の中心だった。「キャッツ」は私も見たが、どこがいいのかよくわからない。ただこれもアンドリュー・ロイド=ウェッバーによる音楽がきれいな英国製の作品である。だがこれも過去の話題となり、その後「ライオン・キング」が「キャッツ」の上演回数を上回り、さらにその上を行くのが「オペラ座の怪人」である。私はこれらの作品がそんなにいい作品とは思えない。好き嫌いかも知れないが、だとすれば好みの作品ではない。

さて、私はその時から「コーラスライン」を見逃したことを少し悔やんでいた。この作品を映画作品として見たのは、1990年代のことだった。映画化は1985年のことで、監督は英国人のリチャード・アッテンボローである。この時思ったのは、この作品が有名な音楽「One」に合わせて踊るダンスが、とてもシリアスだということだ。底抜けに明るいアメリカ製のミュージカルが多い中で、この作品はオーディションに仕事を求める若者たちの赤裸々な生い立ちを告白するシーンの数々によって、むしろ心理描写にも焦点が当てられ、よりストーリー性に深みが増してゆく作品である。

数十人の応募中から、厳しい審査によってわずか8人が選ばれる。その非情であからさまな合格発表によって幕が下ろされる時、米国社会のシビアさとドライさが浮き彫りにされる。徹底した実力社会に立ち向かう無名の若きダンサーたちは、このオーディションに合格したからと言って、将来が約束されるわけではない。なぜならこのダンスは、主役を引き立てるために踊られる脇役に過ぎないのだから。

後味はむしろスッキリしない。けれども物語が終わったその後に再度「One」が踊られる。物語の内容とは違い、一級のダンサーが踊るのだから悪かろうはずがない。鏡を背後にカラフルな照明に照らされて、様々な人種や容姿のダンサーが、次から次へと踊る。ダンス中心のミュージカルを、堪能することとなる。

ミュージカルはオペラのように、同じ作品をあちこちで上演するのではなく、都度結成され、演出されるのが通常である。だから見逃してしまうと、もうそれに触れる機会はなかなか訪れない。日本では劇団四季が、人気作品を俳優を変えて何度も上演しているが、本場でもそのようなことはない。だから私が、JR大崎駅構内で「コーラスライン」のポスターを見た時には、これを見逃す手はない、と思った。30年前に見逃した作品を、やっとのことで見ることができると思ったのだ。

その上演は、東京国際フォーラムで行われた。ところが会場に入って驚いた。何とオーケストラ・ピットに誰もいないのである。イタリアのオペラ・ハウスではしばしばこのような光景が見られると言うが、その理由はストライキである。だが今回の公演がキャンセルになったという話は聞かない。だからこうやって多くの客が入っているのだ。

どうなるのか思った音楽がいつのまにか舞台の袖から聞こえてきたが、それはまるでテープ収録された音楽で踊るバレエの来日公演のようである。台詞の合間に歌が挟まれるため、音楽はどこかで演奏しているのだろうと思う。だがそのプレイヤーはついに最後まで姿を見せなかった。もちろん指揮者もである。

舞台は踊りと台詞のみで進んでいった。両脇に字幕があるので、英語のわからない観客は字幕を追うのが忙しい。ストーリーが半ばどうでもいいオペラと違って、セリフは結構重要である。しかもダンスに見とれていると、字幕に目を移すのが大変である。今回はしかも、1幕構成だった。これも常識外れで、通常ミュージカルは比較的長い第1幕と、短い第2幕の間に休憩時間がるのが通常である。出演者も大変だと思ったが、客席も戸惑うばかり。

最初はどうかるかと思ったが、中間部でオーディションに募集したひとりひとりへの面接が始まると、複雑な生い立ちや家族関係に話が及んでいく。その中にディレクターのかつての恋人、キャシーもいる。このミュージカルの面白さは、この部分でのやりとり。そこに米国社会の側面を感じることができる。そう考えると、最近のミュージカルにはそのような社会性や同時代性が失われていることに気付く。

「コーラスライン」はもう半世紀前の作品で、今となっては古い作品になってしまった。客席に若い人もいたが、結構中高年の姿が目立つ。ブロードウェイでも2006年にリバイバル上演されたが、2年ももたなかったようだ。かつて一世を風靡した作品も、いまや純粋に共感できる層が減ったのだろうか。そう考えると米国だけでなく世界の社会風潮も変わってしまったのだろう。そんなことまで考えながら、何か懐かしい感じのする2時間の公演を見ていた。もしそうでなければ・・・(実際私はそう希望するのでが)この公演自体が物足りないものだったからかも知れない。もし1990年、本場で見ていれば、私も20歳の若さだったし、もっと強烈な印象を残す経験になっていたのかも知れない。

2018年9月3日月曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(The MET Live in HD 2017-2018)

「トスカ」は過激な歌劇である。嫉妬深い歌姫と純情な画家の青年、「歌に生き、恋に生き」や「星も光りぬ」のような有名アリアというところだけ見ると、とても美しい物語のように思えてくる。しかし音楽は冒頭からドラマチックであり、凝縮された人間ドラマがわずか2時間足らずのうちに劇的に進行し、音楽は結構賑やかである。私が初めて見た歌劇こそ、ローマ・カラカラ浴場跡での「トスカ」だった。ローマで見た「トスカ」は私の一生の思い出でもある。

最終シーンでトスカが飛び降りるのは、サンタンジェロ城である。ここはテレべ川のそばに立っていて、屋上からはバチカンにそびえるサン・ピエトロ寺院が目の前にある。ローマ市内を一望すれば、ここが中心であることもわかる。城はかつて監獄としても使われたが、今では観光名所となっている。もちろん屋上に出て写真を撮ることもできる。ここの屋上で、カヴァラドッシは銃殺される。芝居だと思っていたにもかかわらず実弾が込められていたのだ。舞台は急展開を見せる。悪党スカルピアを暗殺し、通行証まで手に入れていたトスカは、悲哀に暮れる間もなく駆けつける兵隊たちに取り囲まれ、とっさに城の屋上から投身自殺を図るのだ。

この他にも見せ場は多い。第2幕では拷問のシーンとスカルピア暗殺のシーンが、迫真の演技を持って展開される。音楽は起伏に満ち、一挙手一投足にも興奮する。第1幕では何といっても大聖堂のテ・デウムのシーン。幕切れで歌われる聖歌と、それに混じる脱獄者を追う警視総監の悪態、トスカの嫉妬とカヴァラドッシの友情、そういった様々なものが混然一体となって舞台を盛り上げる。

「トスカ」の魅力を語りだすときりがないが、これほどにまで完成度が高く、見事なオペラは「サロメ」くらいしか思いつかない。プッチーニの歌謡的なメロディーと、セクハラ・パワハラが満開の下劣なストーリーも、どういうわけかその中に入り込んで見入ってしまう自分がいる。第1幕にだけ登場するアンジェロッティを含め、主要な登場人物は全員壮絶な死を遂げる。

METライブの「トスカ」は、約10年ぶりの新演出だった。演出はデイヴィッド・マクヴィカー。指揮はフランス人、エマニュエル・ヴィヨーム。「トスカ」の演出なんて、どうせ陳腐な安物かと思うと期待を外す。丸で映画のシーンを見ているように美しい各幕の情景は、この歌劇のそもそものイメージ通りである。思えば音楽自体はあれほど原典回帰が盛んなのに、どうして演出だけが凝った、時には考えすぎのもので溢れているのだろう。今回のMETの「トスカ」は、そんな最近の演出重視の風潮に、程よい冷や水を浴びせた。

歌手が素晴らしい。警視総監のスカルピアを歌ったバリトンのジェリコ・ルチッチは、本役のいわば定番で、安定した悪徳ぶりは見事なものだが、主役の二人は、何とこの舞台がデビューだそうだ。カヴァラドッシを歌うイタリア人ヴィットーリオ・グリゴーロと、トスカ役のソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァである。二人ともこの役になりきり、心から役を演じることを楽しんでいることがわかる。
 
特にグリゴーロは、何十年もカヴァラドッシを歌いたいと思っていたらしく、今回の出演への意気込みは相当なものだったようだ。幕間のインタビューからもそれは手に取るようにわかるが、第3幕の冒頭で歌う「星も光りぬ」が、これほどまで見事だったことは私の経験でもない。どんなに眠く、集中力を欠いていても、ここのアリアが聞こえてくるとき、グリゴーロの歌声は満点の星空にこだまし、それはまるでローマ市内に轟くかのようだ。

聞きなれた音楽、見飽きる程何度も触れたストーリー、「またもトスカか」などと半分冷ややかに見始めた舞台は、細部にまでこだわった舞台と迫真の演技、それに胸に迫りくる歌に触れて行くうちに見入ってしまい、あっというまの2時間だった。


※写真は1994年に訪れたサンタンジェロ城と、その内部から見たローマ市内。同じ風景が今回の舞台でも再現されていた。

2018年9月2日日曜日

ロッシーニ:歌劇「セミラーミデ」(The MET Live in HD 2017-2018)

「セミラーミデ」のストーリーは複雑だ。舞台進行にとらわれずに書いた方がわかりやすい。15年前に、王族のアッスールを国王にするという約束で、夫である国王を殺害したバビロニアの王女セミラーミデ(超技巧が要求されるソプラノ)は、王の後継者(つまり新しい夫になる人物)に、かねてから好意を抱いていた若き軍人アルサーチェを選ぶ。ところが彼こそが、国王の死の直前に復習を託された息子(はすなわち、王女の息子でもある)だった!アルサーチェは、父親(前の国王)の信託に従って復讐を遂げるが、殺したのは何と母親セミラーミデだった!過去のしがらみを断ち切り、無事アルサーチェは新国王に就任する、というところでハッピーエンド。

上記はあらすじの骨子ではあるが、実際にはここにアゼーマ姫(あまり歌わない美女)に対する三角関係が絡むのでややこしい。アルサーチェ(ズボン役でメゾ・ソプラノ)と暗殺の首謀者アッスール(バス・バリトン)、それにインドの王イドレーノ(超高音を轟かせるテノール) がみなアゼーマ姫と結ばれることを望んでいる。当のアゼーマ姫は、アルサーチェを希望しているのだが・・。

「セミラーミデ」の序曲は長い。かつて良く聞いた序曲集では、必ずと言って取り上げられていた本曲の充実ぶりはちょっとしたものである。だがその曲が、こういうシーンで使われていたのだ、と初めて知った。序曲を聞くだけでは区別がつかないロッシーニのオペラ・ブッファとオペラ・セリアは、いずれも美麗で耳をあらわれる洗われるようなメロディーと、めくるめくクレッシェンドの連続である。違いは実際に笑いがあるかどうか。歌われる歌詞がどんなに悲劇的な内容でも、音楽だけを聞けばその違いはあまりない。

「セミラーミデ」の歌は物凄い。この作品は、そもそも歌う歌手がそろわず、なかなか上演されることがない。本格的に上演されたのは1990年になってのことで、その偉業を果たしたのがMETということらしい。ところがそのMETでも本作品を上演するのは1993年以来らしい。演出は同じジョン・コプリー。第1幕だけで3場面あり二時間。さらに第2幕は第6場まであって1時間半。その舞台は、なかなか見ごたえのある豪華なもの。音楽同様、重厚で、見せる!

さて、主役のセミラーミデは、アンジェラ・ミードというアメリカ人の大柄な女性だった。彼女はまさにこの役のためにいるのではないか、というようにピタリとはまっている。 いくつかあるアルサーチェとの二重唱(第1幕第2場「その愛を永遠に」、第2幕第4場「よろしい、さぁ、手を下しなさい」)は息もピタリと合って、聞くものをゾクゾクさせる充実ぶり。アルサーチェの役に果敢に挑むのは、エリザベス・ドゥショングという小柄な歌手。彼女は美しい声の持ち主だが、ここでは男性の役なので威勢よく振る舞う。小柄なこともあって、恋敵のアッスール(ロシア人のイルダール・アブドラザコフ)、高僧のオローエ(アメリカ人のライアン・スピード・グリーン)、それにセミラーミデに囲まれるとまるで子供のようだが、実際、セミラーミデの息子なのだからわかりやすい。

もっとも拍手が多く、圧巻の出来栄えはインドの王子イドレーノを歌ったメキシコ人ハヴィエル・カマレナだった。彼はフローレス等と並び称される超高音テノールの一人だが、ここでの役の決まり方はその容貌も含め満点で、私はフローレスよりも一枚上手のような感じがしたくらいである。このイドレーノは、物語の主たる内容とは関係なく存在しているように感じるが、歌だけは滅法素晴らしいものが使われており、見る者を飽きさせない。

ロッシーニの音楽の充実ぶりは、この作曲家をして野心的とも思わせるくらいに見事で、その序曲の気合の入れようからも端的にわかるが、次々と繰り出される重唱にこそ、その真骨頂があると思う。これだけ長く、かつ見どころの多い作品を統括するのはさぞ大変だろうと思う。だが指揮者のマウリツィオ・ベニーニは、少し早めにテンポを取り、緊張感を持続させながら、次から次へと的確に音を繰り出してゆく。ベルカント作品を指揮するMETの常連の手腕は、ここでも見事のひとことに尽きる。

映像はしばしば指揮者と、それに呼応する木管楽器奏者の技巧的なソロ・パートを映し出す。場面の転換で最初に弾かれるフレーズは、歯切れよく緊張感を持ちながら、流麗さを失わない手さばきである。オーケストラピットと舞台を行き来するカメラワークもまた、この作品の見どころだった。

私にとってはロッシーニのオペラ・セリア体験の2回目だった。そして完全に打ちのめされたと言ってよいだろう。METライブ・シリーズで私が得た最も貴重なもののひとつは、このようなベルカント作品への開眼だった。我が国はおろか、世界でも滅多に上演されない作品を、このような歴史的高次元で体験でき、かつそれが邪魔にならない日本語字幕と、細部まで捕らえたカメラによって実感できる。それは、この時代に生きていてよかった、とさえ思わせるに十分なものだった。

2018年9月1日土曜日

デア・リング東京オーケストラ・デビューコンサート(2018年8月31日、三鷹市芸術文化センター)

音楽を聞くというよりは、音響を楽しむというコンサートだった。

デア・リング東京オーケストラという聞きなれない団体によるメンデルスゾーンとベートーヴェンである。それもそのはずで、このオーケストラは録音のみを専門とする特別編成のもので、主宰人でもあり指揮者を務める西脇義訓という人物は、レコーディング・エンジニアとして日本のレコード会社に勤めていたという経歴が紹介されていた。本公演はそのデビュー・コンサートだということだ。

私はもう長い間、我が国のレコード雑誌である「レコード芸術」(音楽之友社)を読まなくなっているが、もしこの雑誌を購読していたら、あるいはこのオーケストラの存在を知っていたかも知れない。2013年に設立され、すでに6枚ものCDをリリースしているこの団体が、なぜ今頃になってステージ・デビューすることになったか、その理由を指揮者は自らマイクを手にして説明した。

それはこのオーケストラ独特の、音響に対するこだわりによる。この音の良さは、実演で接しないとわからない、と忠告されたからであるとのことである。ではその音とはどのようなものか。それを知るには、この団体のホームページを見るといい。驚くのは、その楽器配置である。特に決まっているわけではないようだが、曲に合わせて実に様々な形態に配置を変える。たとえば今回のプログラム最初の曲、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲では、オーケストラのメンバーが全員前を向いて、まるで小学校の教室にいる児童のように整列している。現れた指揮者は、何と観客席を向いてタクトを振り始めた・・。

各自に譜面台が配置され、必ずしも指揮者を凝視しないプレイヤーは、自らの音感でアンサンブルを構成してゆく。指揮は最低限の出だし、あるいはテンポを指示するのみである。おそらく練習の時には、ああでもない、こうでもないと細かい試行錯誤を重ねてはいるのだろう。だがその先にあるのは、各人が自ら把握した音楽をそのまま再現する。まさにそれは録音を専らとするから可能なものなのだろう。

メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」の場合には、オーケストラのメンバーが散在している。たとえば3人いるコントラバスは、最右、最左、中央奥に散らばっている。二人のホルンも両端に分かれている。第1バイオリンも第2バイオリンも、勝手にバラバラではなく、意図された配置についているが、その配置は従来のオーケストラのように、各パートが固まっているわけではないのだ。

しかもこの曲では、全員が起立して演奏する。その結果成り響いた音色は、(私が勝手に例えるなら)あのクレンペラーの演奏を生で聞くような音がしているのだ。オーケストラが全体に持ち上がり、相当な空間的広がりを持っている。このような経験は初めてである。

休憩時間にはその演奏が早くもロビーに設置されたオーディオ装置で再生され、多くの人が聞き入っている。これはオーディオ・マニアが自ら自分の音を追い求める究極の娯楽である。ただ面白いのは、オーケストラの音をいかに忠実に再生するのか、ということではなく、かつてアナログ・レコードで聞いた音をいかに舞台で再現するか、という真逆のアプローチであることだ。これはいわばアマチュアにのみ許される暴挙ではないか。だが誰も思いつかなかったことでもあろう。

ベートーヴェンのロマンスは指揮者なしで、すなわち独奏を担当した森岡聡によってアンサンブルが奏でられ、そのあとは第7番の交響曲となった。この演奏で、私はカラヤンによる最後のベートーヴェン全集の演奏を思い出した。なぜカラヤンやクレンペラーを思い出すのか。それを解くと、かつてEMIやDeccaに存在した伝説的なプロデューサーにたどり着く。ウォルター・レッグやジョン・カルショーといった名レコーディング・エンジニアは、デジタル録音とともにその存在価値を消失していった。ここで西脇が目指したのは、こういった昔の、レコード上でのみ存在したオーケストラ音の再現ではないか。

カラヤンやベームといった指揮者の演奏を聞いてクラシック音楽に開眼した世代は、舞台上で繰り広げらっる実際のオーケストラの音とも異なるこういった録音の技術による音楽に、むしろその原点がある。そういう意味では、私もその一人なのかも知れない。ただ西脇が述べているのは、バイロイトでの響きのことである。ここで舞台の真下に隠れているオーケストラの音が、いくつかの壁に反射して鳴り響く音を理想としている。それはあたかも霧のように天井から降り注ぐかのような音がするというのである。

私はバイロイトに行ったことがないし、ワーグナーともなれば広い舞台に多くのプレイヤーを集めて演奏しなければならないから、今の編成では不可能だろう。だが、「ニーベルングの指環」から取られたオーケストラの名称を考えると、やがてはワーグナーを聞いてみたいとは思う。いやこの編成なら、「ジークフリート牧歌」くらいは可能だろう。あと聞いてみたいのは、ビゼーの交響曲だ。

この演奏会は、私にとって懐かしい三鷹市文化芸術センターで行われた。残響が多いこのホールでは、ちょっと音楽がやかましい気がしないでもない。同時に一人一人に手渡された第6弾のCD(モーツァルトのパリ交響曲とハイドンのロンドン交響曲などが収録されている)も聞いてみようと思う。若いメンバーが多いオーケストラの響きは、大変よく練習したこともうかがえ、だからこそこういう大胆な演奏が可能であることを思わせた。

本公演をわずか2日前に教えてくれた弟と、雷雨の去った三鷹駅への道を歩きながら、かつてこの近くに住んでいた時と変わらない街並みを楽しんだ。音楽が常に会場を満たし、どのような小さな音色のときでも音の美しさを表現されると、なぜか非常に疲れた気がした。だがこのような面白い演奏も、一愛好家の私にとっては歓迎である。なお、アンコールにはバッハの「マタイ受難曲」からコラールの一節が演奏されたことも付け加えておく。

2018年8月28日火曜日

ブルッフ:スコットランド幻想曲(Vn: チョン・キョンファ、ルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)

明治時代になってメロディーに日本語の歌詞がつけられた世界民謡の中に、スコットランド民謡が多いのは良く知られている通りである。「故郷の空」や「蛍の光」などは、もう日本オリジナルの旋律ではないか、と思わせる程身近なもので、音階が日本人の感性に合っているのかどうか、その辺りは専門家ではないのでよくわからないが、同じ島国の「ちょっと中央からは離れた」感のある素朴な情緒と、どことなく寂しくて懐かしいムードが奇妙にマッチしている。

そのようなスコットランド民謡は、同じように世界の人々を魅了させるようで、ドイツの作曲家マックス・ブルッフもまたスコットランド民謡を題材に素敵な幻想曲を書いている。このヴァイオリン独奏を伴うオーケストラ曲は、あの有名なヴァイオリン協奏曲第1番の次に有名な曲で、この組み合わせを一枚のLPやCDに収録したディスクも数多い。韓国人のヴァイオリニスト、チョン・キョンファもその一人であり、何と1972年に録音したLPは今でも輝きを失っていない。1972年と言えばまだ大阪万博の2年後であり、従ってこの録音はもちろんデジタルではない。指揮はルドルフ・ケンペ指揮ロイヤル・フィルという渋いのも魅力。私はLPを愛聴していたが、CDになって買い直した時にはメンデルスゾーンも収録されていた。

どの楽章も基調となるスコットランド民謡をベースに書かれているため、全4楽章に亘って抒情的なメロディーと、親しみやすく民族的なリズムが次から次に出てくるが、ブルッフ自身はスコットランドを訪れたことがないらしい。一度聞いたら忘れらないかのように思える旋律も、繰り返し聞いていくうちに表面的に思えてくるのも事実だが、それでも演奏の良さが加われば、味わいのある名曲となる。ヴァイオリンの親しみやすさと、両端楽章で活躍するハープの音色が印象的である。

第2楽章及び第4楽章の舞曲風のメロディーと、第1楽章、第2楽章の甘美でロマンチックな雰囲気が交互に現れる。第2楽章の後半は、一旦終わったかと思うといつの間にか次の楽章へとつながってゆく。ヴァイオリンは親しみやすく、切ないメロディーを奏でているが、特に第4楽章などはテクニカルでもある。個人的には第2楽章が好きだ。第1楽章は、何か「朝の連続テレビ小説」のテーマ音楽のようだ。

私はチョン・キョンファの演奏しか知らないが、今ではYouTubeなどで簡単に様々な演奏に接することができる。けれども、大阪に住んでいると京都や奈良に滅多に行かないのと同様、数多の演奏はいつでも聞けるとなるとかえって聞こうとはしないものだ。とはいえ、Wikipediaからもリンクされているマリア・エリザベス=ロット(ヴァイオリン)による演奏(クリストフ・ヴァイネケン指揮バーデン=ヴュルテンベルク州ユーゲント管弦楽団)は、ドイツ風の骨格の太い、なかなかいい演奏である(南西ドイツ放送のビデオ)。

2018年8月22日水曜日

「ホセ・カレーラス ーヴェローナの偉大な夜(Grande Notte a Verona 1988)」

ホセ・カレーラスが病に倒れ、その復帰第一声となったのが、1988年8月8日ヴェローナ野外劇場で行われたガラ・コンサートだった。このDVDにはその時の熱狂的な模様が収められている。ローマ時代の広大な円形劇場は、毎年夏になると、オペラ劇場となって世界中の観光客を引き寄せる。「ロメオとジュリエット」で知られる北イタリアの小さな都市が、ホテルの予約も取れなくなるほどの賑わいを見せ、連日深夜まで賑わう。

そのヴェローナ野外劇場へ、私は1990年の夏に出かけ、8月18日の夜に歌劇「アイーダ」を鑑賞したことは以前にも書いた。この頃、学生の職業体験プログラムで滞在していたスイスのローザンヌから、1泊2日で出かけた小旅行の時である。2か月に及ぶ滞在を終え、私はジュネーヴからバルセロナへ向かうスペインの特急列車「タルゴ」に乗り、夜遅く着いた。バルセロナは2年後にオリンピックを控え、広場にプロモーション用の特設スクリーンが設けられ、そのSONYの大型スクリーンで放映されていたのが、あの「三大テノール」の映像だった。

「こんなビデオがあったのか」と驚いたローマ・カラカラ浴場跡でのコンサートは、それから数か月が経って日本でもセンセーショナルに発売され、私もビデオで購入した。この時にプラシド・ドミンゴ、ルチアーノ・パヴァロッティの両者に対し、この公演を持ち掛けたのがホセ・カレーラスだった。白血病を克服した彼が設立した財団(Fundacion Internacional Jesep Carreras)への寄付というのがその名目だった。このコンサートはFIFAワールドカップ・イタリア大会決勝戦の前夜に開催された。世界的なテノール歌手が同じ舞台で歌うと言う、そのこと自体がセンセーショナルな出来事であることは、オペラ・ファンならよくわかる。1990年の私のイタリア旅行は、このワールドカップ退会の直後だったわけである。

それから遡ること丁度2年。カレーラスの復帰に駆けつけた歌手は錚々たる顔ぶれあった。もう30年も前となったそのコンサートで、当時の大歌手たちが熱唱を繰り広げる様子が収録されている。今は引退してしまった伝説の歌手(モンセラット・カバリエやルッジェーロ・ライモンディほか)もいれば、今でも活躍するいぶし銀のスター(レオ・ヌッチ、フェルッチョ・フルラネットほか)、亡くなった歌手(ゲーナ・ディミトローヴァやルッジェーロ・ライモンディ)らも若々しい歌声を響かせている。またルネ・コロはただ一人ワーグナーを歌い、ヘルデン・テノールとしての美声を大空に轟かせる。エヴァ・マルトンにイレアナ・コトルバス、マーラ・ザンピエリにエレナ・オブラスツォワ…にあまりに次々と大歌手たちが登場し、今の歌手とは一味違う存在感と、情感を込めて歌うその歌のひとつひとつに、驚嘆のため息をついていると、あっというまに時間が過ぎてしまう。

CD等で聞いていた大歌手たちの映像が、次々と映し出される。その歌はどれも有名な曲ばかりであるのも珍しい。一般にガラ・コンサートでは有名歌手は登場しても有名な歌は歌わないことが多いし、オーケストラの間奏曲などを差しはさむことも多いからだ。しかしこのコンサートはまさに「偉大な夜」すなわち特別だった。最後に満を持して登場するホセ・カレーラスが「グラナダ」を歌うまで、目が釘付けのままで飽きることはない。マドリード交響楽団(指揮:ホセ・コラード、カルロ・フランチ)という、お世辞にも上手とは言えないオーケストラも丁寧な演奏だが、ただでさえ音響効果の悪い熱帯夜の野外劇場で、うちわ片手に舞台に見入る1万人は下らない聴衆も熱い声援を送る。テレビの画質は悪く、時おり音声が大きくなったり小さくなったり。歌手が登場する場面はカットされている。また私が持っているこのDVDには、スケジュールが合わずビデオ出演したプラシド・ドミンゴの映像は含まれていない。

以下に、その見事な顔ぶれと曲名を列挙しておく。このリストを見ただけで鳥肌が立つというものだが、実際にはDVDで通してこの映像を見ることは非常に少ない。映像と言うメディアは、それ自体が貴重な記録でもあるのだが、今ではYouTubeなどで手軽に手に入る映像を、わざわざ手元に保管しておく必要はないのかも知れない。

だが、このビデオは私にとって特別な存在である。それは後年、ホセ・カレーラスと同じ病に侵された私が闘病の真っただ中の2002年の秋、妻が思い余ってカレーラス氏に手紙を書き、励ましの返事を受け取っているからだ。バルセロナから三鷹(当時の私の住所)に届いた一通の手紙には、まさに移植のその日付と共に、直筆のメッセージも書き添えられていた。私は今でも大切に保管している。カレーラスは、今でも時折来日し、その輝かしい歌声を聞かせている。


【収録曲】
1.ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」より「私は町のなんでも屋」
   レオ・ヌッチ(Br)
2.ポンキエルリ:歌劇「ジョコンダ」より「自殺!」
   ゲーナ・ディミトローヴァ(S)
3.プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」より「なんと素晴らしい美人」
   ペテル・ドヴォルスキー(T) 
4.プッチーニ:歌劇「ラ・ボエーム」より「私の名はミミ」
   ゾーナ・ガザリアン(S)
5.チレア:歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」より「心身ともにくたくたで」
   ジャコーモ・アラガル(T)
6.ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロ」より「彼女は私を愛したことがない」
   ルッジェーロ・ライモンディ(Bs)
7.マスカーニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より「ママも知るとおり」
   エレナ・オブラスツォワ(A)
8.ロッシーニ:歌劇「セビリャの理髪師」より「かげ口はそよ風のように」
   フェルッチョ・フルラネット(Bs)
9.ヴェルディ:歌劇「アイーダ」より「勝ちて帰れ」
   ナタリア・トロイツカヤ(S)
10.チレア:歌劇「アルルの女」より「ありふれた話(フェデリコの嘆き)」
   ルカ・カノーニチ(T)
11.マスネ:歌劇「ル・シッド」より「泣け、泣け、わが目」
   モンセラート・カバリエ(S)
12.ヴェルディ:歌劇「アッティラ」より「ローマの前で私の魂が」
   サミュエル・レイミー(Br)
13.ヴェルディ:歌劇「運命の力」より「神よ、平和を与えたまえ」
   アプリーレ・ミッロ(S)
14.ドニゼッティ:歌劇「愛の妙薬」より「人知れぬ涙」
   ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ(T)
15.ベッリーニ:歌劇「ノルマ」より「清らかな女神」
   マーラ・ザンピエリ(S)
16.ワーグナー:歌劇「ローエングリン」より「はるかなる遠い国に」
   ルネ・コロ(T)
17.ヴェルディ:歌劇「オテロ」より「無慈悲な神の命ずるままに」
   シルヴァーノ・カローリ(Br)
18.プッチーニ:歌劇「マノン・レスコー」より「ひとり寂しく捨てられ」
   エヴァ・マルトン(S)
19.ヴェルディ:歌劇「椿姫」より「プロヴァンスの海と陸」
   ホアン・ポンス(Br)
20.ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」より「心に炎が燃え上がる」
   アントニオ・オルドネス(T)
21.ドビュッシー:歌劇「放蕩息子」より「アザエル、アザエル、どうしてお前は私から離れていったの?」
   イレアナ・コトルバス(S)
22.ララ:グラナダ
   ホセ・カレーラス(T)

2018年8月20日月曜日

ウィンナ・ワルツ集(フランツ・バウアー=トイスル指揮ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団)

例年になく暑い夏もいつもまにか季節が変わり、ここ数日は秋の気配が漂っている。100周年記念の夏の高校野球も、連日の熱戦のうちに幕を閉じようとしている。暑い残暑の日々に、どういう音楽がもっとも心地いいだろうか。経験的な回答の一つは、ウィンナ・ワルツである。2003年の夏、1か月以上に及ぶ入院から帰還した時、私ははじめてそう思った。その時に見たアーノンクールの指揮するお正月のニューイヤーコンサート、中でも「皇帝円舞曲」が、美しいシェーンブルン宮殿の映像と共に心に残っている。

シュトラウス一家のワルツはもちろん素敵だが、シュトラウス以外の作曲家が作曲したウィンナ・ワルツの名曲を集めた一枚が手元にあったので、今回はそれを聞くことにした。邦盤のタイトルは「金と銀」となっているが、これはもちろんレハールのワルツ「金と銀」のことで、それ以外にも計7曲を集めた洒落た一枚。ウィーン・フィルではなくウィーン・フォルクスオーパーのオーケストラがここでは登場する。もちろん、あの独特のアクセントを持った3拍子を、気取らずしかもロマンチックに表現、ウィーン情緒満点の演奏である。

久しぶりにレハールの曲を聞きながら、初めて親に買ってもらったLP2枚組のことを思い出した。その中にはワルツを集めた面があって、レハールの「金と銀」、「メリー・ウィドウ・ワルツ」、ワルトトイフェルのワルツ「ドナウ川のさざ波」、それに「スケーターズ・ワルツ」の4曲が収録されていた。私はこのLPを何度も何度もかけては、擦り切れるようになるまで聞いていた。確か小学校3年生の頃だったように思う。演奏はアーサー・フィードラー指揮ボストン・ポップス管弦楽団。ジャケットの解説で志鳥栄八郎が、家族団らんのひとときを、ビールでも飲みながら耳を傾けると良い、などと書いていたように思う。思えば一家がステレオ装置を囲んで、クラシックの名曲を鑑賞するなどろいう上品な時間は、裕福な家庭でもとっくの昔に失われてしまった。

この2枚組のLPにも、どういうわけかシュトラウスの音楽が入っていない。その他には、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲や、オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」序曲、それから「アンダンテ・カンタービレ」や「グリーンスリーヴズの幻想曲」といった作品が、「名曲のアルバム」の如く収録されていた。こういうファミリー向けディスクも、今では過去のものとなってしまった。 だが私は、今でもポピュラー・コンサートの類が大好きである。このようなCDを見かけると、つい買ってしまうのだ。

バウアー=トイスルの指揮するフォルクスオーパー管弦楽団は、いまでは堅苦しいウィーン・フィルのニューイヤーコンサートと違い、肩ひじ張らず、かといっていい加減でもない、丁度いいムードでご当地ものの名曲を、むしろ本家はこちらといわんかのように弾いている。小粋で気さくな雰囲気には好感を持てる。

なお、ローザスの「波濤を越えて」は、かつては有名な曲だったが、今聞くことは非常に少ない。この作曲家は何とメキシコ人である。一方、指揮者のバウアー=トイスルは、あのクレメンス・クラウスに学んだ生粋のオーストリア人である。2010年に死去。フィリップスの録音は1981年となっている。

それからもう一つ。ウィーンのフォルクスオーパーと言えば、「メリー・ウィドウ」の来日公演を思い出す。テレビで見て、実に楽しかったのだ。まあそういうことも含めて、2回旅行したことのあるウィーンの庶民的な光景を、その明るくて澄み切った青空とともに思い出す。ついでなので、1987年に旅行した時の写真を何枚か
探して貼っておきたい。


【収録曲】
1.カルル・ミヒャエル・ツェラー:「謝肉祭の子供」作品382
2.フランツ・レハール:メリー・ウィドウ・ワルツ(舞踏会の美女)
3.フヴェンティーノ・ローザス(エンシュレーゲル編):波濤を越えて
4.フランツ・レハール:「金と銀」作品79
5.ヨゼフ・ランナー:「宮廷舞踏会」作品161
6.カルル・ミヒャエル・ツェラー:「ウィーンの市民」作品419
7.ヨゼフ・ランナー:「ロマンチックな人々」作品167



2018年8月18日土曜日

ベッリーニ:歌劇「ノルマ」(The MET Live in HD 2017-2018)

ノルマはポッリオーネを巡るアルダジーザとの「女の闘い」に敗れたのかも知れない。だが彼女は最後、自らの命を絶つことによって、この身勝手なローマの将軍の愛を手に入れた。二人の子供を父親に託して。

古代ローマが支配するガリア地方の森に宿るドイルド教徒の巫女長ノルマを主人公とするベッリーニの歌劇「ノルマ」は、ベルカント・オペラ最高の作品であると言われている。私もMETライヴでロッシーニ、ドニゼッティ、それにベッリーニの主要な作品に接してきたが、とうとう最後に「ノルマ」を見る時がやってきた。そしてその舞台は、この上演史の一角を争うであろう高水準のもので、デイヴィッド・マクヴィカーによる新演出。自らケルト人の血を引くという彼は、舞台いっぱいに森の中を再現し、その舞台が上下にスライドするとノルマの家が現れる。ノルマは木の根の下に住んでいるのである。

暗い舞台は最終シーンになるまで暗いままである。だがカルロ・リッツィによって指揮されたオーケストラの、時には溜を打って歌手に合わせ、時には推進力が明るいメロディーに溶け合う見事な伴奏によって、めくるめくようなアリアや重唱のシーンが、飽きさせることなく次々と展開していく。特に第2幕に至っては、この間奏曲から最後の瞬間まで、丸でヴェルディの音楽ではないかと間違うほどドラマチックな力強さに溢れる様は鳥肌が立つほどで、この音楽が後の作曲家に与えた影響は大きなものだっただろうと想像させるに難くない。

実は私は昨年の11月に、この公演の模様が上映されたときに一度見ている。この時の内容があまりに素晴らしかったので、今回、もう一度会場へ足を運んだのである。METライヴの作品はもう80作品以上見てきているが、2回見たのは初めてのことである。それくらい私は打ち震えるような感動を味わったし、このブログも最初ではなくアンコールの際にもう一度見てから書くと決めていた。半年以上が経って改めて見ていると、半分は忘れていたものが蘇り、また半分は新たな発見をすることとなった。この間、私はマリア・カラスが歌うこの作品の歴史的名演奏をWalkmanに入れて持ち歩き、幾度となく耳にしてきたというのに・・・。

「ノルマ」は、少し聞くだけでとても完成度の高い作品だと思う。序曲を聞くだけで劇全体を覆う様々なメロディーが登場し、それらが要所要所の歌の旋律を思い出させてくれるので、ここを聞くだけで期待が高まるのだ。まず登場するのは長く圧制に苦しむドルイド教徒たちだが、その合唱に続き、まずはポッリオーネ(マルタ人のテノールのジョセフ・カレーヤ)がアリア「彼女と共に」でリリカルな歌声を披露することから始まるが、ここからしてぞくぞくする。ローマの将軍の彼はこれまで敵方の巫女ノルマと通じ合っていたが、今ではその愛も醒め、あろうことか別の巫女の見習いである若いアルダジーザ(メゾ・ソプラノのジョイス・ディドナート)に好意を寄せているのだ。

やがて民衆の期待に応えてノルマ(アメリカ人ソプラノのソンドラ・ラドヴァノフスキー)が登場し、イタリアオペラの中でも最高のアリア「清らかな乙女」を歌う。登場していきなり、実力が試されるのだ。以降、ノルマはほぼ舞台にずっと出ずっぱりで、その歌も重唱が多く、難易度が高い。今回の演出は、そこに演技の様子まで加わるのだから、彼女曰く「ブリュンヒルデを3回歌うよりも難しい」とのことである。最高難度の役というわけだ。

ノルマというとマリア・カラスである。カラスの歌うノルマの録音は、正規録音が2種類、実況録音もあるが、モノラルの実況盤が歌に関しては最高らしい。もっとも私は共演者も含めた総合点で、セラフィン指揮のスタジオ録音盤(後年の)を持っているが、ラドヴァノフスキーの歌声はカラスにはあまり似ていない。むしろジョーン・サザランドのような系統ではないかしら。こちらもパヴァロッティなどと共演した録音があるので、一度聞いてみたいと思っている。

アダルジーザはノルマよりは低い声で歌われるが、存在としてはむしろ若くて純粋な性格付けがされている。ノルマも去ったあとで、彼女は短いアリアを歌い、これで主役3人のお披露目が終わる。 そしてここからは第2場を通しても、重唱の連続である。第1幕後半のノルマとアダルジーザの丁々発止のやりとりに、ポッリオーネまでが加わって舞台は緊張と興奮の中で進行するのだ。第2場の舞台は、(この演出版では森の地下にある)ノルマの家で、二人の子供が登場し、見る者の心にノルマの悲劇的な気落ちが伝わってくる。

第2幕になると、舞台はいよいよ緊張を高めて行く。ノルマはポッリオーネとの恋に破れ、このままでは二人の子供がローマで悲劇的な生活を強いられると予想し、子供を死なせようとまで思い詰めるのだ。だが彼女にそれはできない。そればかりか、アダルジーザに対する憎悪をむき出しにして、揺れ動く彼女の心情が千変万化する。面白いのはベッリーニの音楽が、登場する立場の違う二人によっても同じ旋律で歌われることだ。歌詞は違うが、このような歌をただCDなどで聞いていると、綺麗な歌に聞き惚れているだけで、その中に潜む対立がよくわからない。映像で見る「ノルマ」は、そういう意味で耳で聞くよりも何倍もよくわかる。

ノルマとアダルジーザの心理変化は、長い二重唱のテーマである。ラドヴァノフスキーは何度もノルマを歌っているそうだが、ディドナートは今回がこの役のデビューとのことだった。インタビューではディドナートは、ラドヴァノフスキーの「胸を借りて」演じていると答えていたが、力が入りすぎていて、もしかしたらノルマよりも力強い表現だったと思う。もっとも若いアダルジーザの方が、いまやポッリオーネの心を掴んでいるのだから、その方が現実味がある。ただ、ノルマが感じるほどにアダルジーザは悪意はなく、むしろ清らかで純粋な存在だと私は思う。この二人の表現の違いをどう解釈し、舞台に求めるかがこのオペラに対する好みや評価の中心だろう。

最後には二人の子供をアダルジーザに託し、自分は諦めると決心するノルマに対し、アダルジーザも自分こそ身を引くと言い張る。あるいはアダルジーザがポッリオーネを改心させると言い残し、ポッリオーネの元に走るも説得が効かないことを告げられ、再びアダルジーザに憎悪を抱く、といった有様で、女性同士の心情の対立はもつれにもつれる。どちらの役も一方より弱いと、この丁々発止の場面はうまくいかないだろう。だが今回の上演は、見事につきる。歌声が絡み合い、その歌詞とは別にめくるめく陶酔のシーンに事欠かない。

最後になって、いよいよ裏切られたノルマはローマ軍への蜂起を決意する。高僧の悪露ヴェーゾ(バスのマシュー・ローズ)が歌うただ一つのアリア「テレべの不当な圧制に」は重量感が溢れ、合唱との対比や掛け合いなど、ヴェルディの作品に受け継がれた要素が多く見受けられる。二人の子供を彼に託すよう説得すると、彼女は自ら犯した罪を認め、生贄になることを宣言する。捕らえられたポッリオーネは、もはやノルマに対して改心し、自分も死をもってノルマへの愛情を示すとき、ノルマの心はアダルジーザに対する憎悪も消え、純粋で気高い心が高らかに歌われる。

ヴェルディはこのオペラからどれほど多くの影響を受けたのだろうと思いながら、ずっと舞台に見入っていた。日本では「ノルマ」を始めとしてベルカント・オペラを見る機会が少ない。これほど難易度の高い歌を歌える歌手は、そう多くはないのだろうと思う。だからMETライブは貴重な機会と言える。直前の「魔笛」に比べると客席は閑散としており、そのことが一層、何かとても贅沢な時間を過ごしていと感じながら過ごした3時間半だった。

2018年8月15日水曜日

モーツァルト:歌劇「魔笛」(The MET Live in HD 2017-2018)

後に結婚することになる今の妻と初めてデートをしたのは、今から23年前の12月、ニューヨーク、リンカーンセンターにあるメトロポリタン歌劇場でのことだった。見たのはモーツァルトの歌劇「魔笛」。土曜日の夜の公演で、前から行こうと思っていた公演に彼女も来たいと言う。しかしチケットがない。当時普及し始めていた携帯電話を持って早めに会場へ出かけると、年間予約席のキャンセル分を売るおばさんが話しかけてきた。さっそく彼女に電話をすると、すぐに来ると言う。私は即座に2階席の正面を2枚、合わせて270ドルだったが躊躇なく買った。

この時の公演の演出はグース・モスタートで、DVDでも発売されている1991年の映像と同じである(ただ歌手はすべて異なる)。当時のプログラムを見て驚いたのは、何とルネ・パーペが脇役(弁者)で登場している!今ではドイツを代表する世界最高のバスのパーぺは、今回の映像でザラストロを歌っている。インタビューではこの公演だけのために、ニューヨークへ駆けつけたとのことである。そのザラストロは貫禄十分で、彼の右に出る者はいないだろうと思わせる。

モスタートからバトンタッチされた次の演出が、今回も見たジュリー・テイモアによるものだが、彼女の演出は、その出世作であるミュージカル「ライオン・キング」と同様にファンタジックで無国籍。決して下品ではなく、巧みに表現されているとは思うが、私はあまり好きにはなれないところがある。どうしてだろう。操り人形や仮面が随所に現れ、回転舞台には無機的な建造物が時折現れる。ザラストロの出てくるシーンは黄色く対象的で、夜の女王は赤のイメージ。一方、パパゲーノは鳥刺しらしく緑。

主役のタミーノなど厚化粧をした顔つきは、何か中国の劇に出てくる道化師のようでもあり、それが私の違和感を誘うのかも知れない。あまり高貴な感じがしない。一方、鳥や熊など多くの動物が登場するが、それらを含めて無国籍で毒がないのである。モノスタトスにしてもコニー・アイランドのポップコーン屋みたいな感じ。まあ、最初からそういう感じがしていたから、あまり期待をせずに、いつもは座らない後方の出来で、遅い昼食を取りながら鑑賞していた。

すると、三人の侍女が歌っているところからいきなり睡魔に襲われた。私は何も抵抗せず1時間弱に亘って眠りについた。この間に夜の女王のアリアも聞き逃してしまった。気が付くと舞台に登場した奴隷たちが音楽に合わせて踊りだす、グロッケンシュピールのシーンだった。もう第1幕の終わりも近い。だが、この睡眠のおかげで、その後のシーンには冴えた頭で映像を見ることとなり、第2幕でのモーツァルトの歌と音楽は、私を心の底から感動させた。

思えば第2幕をここまで注意深く見たのは、初めてではないかとさえ思うほどに、それぞれのシーンが印象的であった。実際には何度も見ているのだが、「魔笛」自体を通して見るのは何十年ぶりかであるから、まあそういうものだろうとも思う。しかし知れば知るほどに深みの増すのが、オペラという芸術である。

歌手は、ザラストロを歌ったルネ・パーぺ以外はあまり有名でない。けれども総じて高水準で、実力派揃いだったと言える。主役のタミーノは、アメリカ人のチャールズ・カストロノヴォ(テノール)。相手のパミーナは、ゴルダ・シュルツ(ソプラノ)という人。彼女は黒人だろうか、その歌声には力強さがあり、どこかキャサリーン・バトルを思い出す。またパパゲーノはオーストリア人のマルクス・ヴェルパ(バリトン)という人で、演技も上手い。パパゲーナは、最後まで仮面を被っていてあまり歌わないが、アシュレイ・エマーソン(ソプラノ)、モノスタトスにはグレッグ・フェダレイ(テノール)という大柄な歌手。

さて本作品最高の見せ場は、キャスリン・ルイック(ソプラノ)の歌った夜の女王ではなかろうか。全部で12分しか出演しないという彼女が歌いだすと、舞台に一気に引き込まれ、その完璧な歌声は広い空間にこだまする。指揮は今年解雇された音楽監督ジェームズ・レヴァインで、キビキビとした指揮は車椅子に座っているとはいえ見事である。

荒唐無稽で安物の勧善懲悪ものという変な歌芝居であるにもかかわらず、「魔笛」が輝きを放つのは一にも二にもモーツァルトの音楽が人間業とは思えないほど圧倒的に素晴らしいからに他ならない。そのことについて、限りなく多くの人が語り、書き残している。第1幕の冒頭でタミーノが大蛇に襲われる時、わずか一瞬、ひとことのセリフで大蛇を退治する時の音楽の見事さ。最終幕でモノスタトスと夜の女王が消えてゆくその数秒後に、ザラストロの前で結ばれるタミーノとパミーナ。どの瞬間をとっても物語の展開の見事さとそこに付けられた音楽の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたい。どんな演出をしたとしても、この圧倒的な音楽の前では、霞んでしまうのではないか。それこそマジック、魔法の音楽である。

聞きどころについて語ろうとしても、全編が素晴らしいので語る術をなくしてしまう。昔から親しんできたオペラだけに、持っているCDや映像も数多いが、今ではアバドが指揮したモーツァルト管弦楽団のものが気に入っている。今年の秋には、新国立劇場で新監督に就任する大野和士がベルギーから持ち込んだ新しい演出で上演される。私はすでにそのS席のチケットを2枚買って、妻と出かける予定である。演出はMETライヴでも有名な南アフリカの美術家ウィリアム・ケントリッジで、今から大いに楽しみである。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...