2022年8月23日火曜日

ラヴェル:スペイン狂詩曲(ピエール・モントゥー指揮ロンドン交響楽団)

ラヴェルの管弦楽曲を順に取り上げてきたが、初期の純粋な管弦楽作品である「スペイン狂詩曲」のことに触れるのを忘れていた。バスク地方で生まれたラヴェルは、スペインに対する愛着を持ち続け、それは数多くの作品に結実しているが、この「スペイン狂詩曲」もその一つである。ファリャをして「スペイン人以上にスペイン的」と言わしめたエピソードは有名である。

4つの部分から成り立っており、スペイン情緒が満点の音楽である…と書きたいところなのだが、これには若干注意がいる。私はこの曲を中学生の時に初めて聞いて、さっぱり感動しなかったからである。理由はいくつかある。まず、この曲の出だしは静かで、第2曲で少し明瞭なリズムが聞こえてきたかと思うと再び音は小さく、終曲になってようやく派手になるかと思うものの、それは他の作品ほど印象的でもない。随分地味な曲だな、と思った。

もう一つの理由は、当時の我が家の再生装置によるもので、LPレコードというのは針やカートリッジなど、様々な機器の性能に大きく左右される。しかもアンプとスピーカーがぼろいと、フランス音楽の色彩感など到底うまく表現できないのだ。加えてクリュイタンスのEMI廉価版レコードは、あまり録音がよろしくない。今でこそリマスターされ、デジタル化されて蘇っているのだが、当時の録音をそこそこ聞ける音に再生するには巨額の投資が必要だった。

そういういわけで、「狂詩曲」という名から派手でマッチョなスペイン音楽を想像していた私は、このあまりに繊細な音楽に戸惑ってしまったのだ。

第1曲; 夜への前奏曲
第2曲: マラゲーニャ
第3曲: ハバネラ
第4曲: 祭り

そのあと80年代にスペインを旅行して、この国がめっぽう暑い国であることを実感した私は、砂漠に囲まれたマドリードの安宿に泊まりながら、昼間の酷暑の朦朧とした意識が夜になっても消えず、絶えず倦怠感にさいなまれることとなった。今では「熱中症」という当たり前のキーワードも当時はなく、うなされながら冷たい飲み物を求め、少しでも涼しいところはないかと、博物館のロビーなどに押しかけては、大勢の若者旅行者と一緒にたむろしていた。

そんなスペインの夏の、けだるく重苦しい夜の雰囲気を、第1部は表現している。まるで蜃気楼のような下降メロディーが、麻痺した意識を表現している。一方第2曲は、スペイン南部の舞曲である。私はセヴィリャに行こうとしてバルセロナから乗った夜行列車が乗換駅に遅着し、乗り損ねた挙句砂漠の中のローカル駅に取り残され、急遽行き先を変更せざるを得なったのだが、もし当時、スペイン国鉄が時刻通りに走っていれば、あのアンダルシア地方を始めとする南部の都市に行くはずだった。

第3部も舞曲ということになっているが、幻想的で静かな曲である。まだ夜の暑さは続いているのだろうか。やがて遠くからオーボエが聞こえてくる。ハープが印象的に慣らされて、ようやくあの情熱のスペインが顔を出す。「祭り」と題された終曲は次第に熱気を帯び、カスタネットが鳴る。しかし中間部には再び大人しくなって、第1部のけだるいメロディーも顔を出す。やっと楽しくなってきたと思ったら、まるで「ボレロ」のように唐突に曲が終わる。

忘れてはならないラヴェルの演奏家として、ピエール・モントゥーがいる。「ダフニスとクロエ」の初演など、一連のバレエ音楽とは切っても切れないものがある。そしてこのロンドン交響楽団と録音した演奏は、1962年のものとは思えないような鮮烈さが今でも光彩を放っている。このコンビもまた大阪国際フェスティバルに登場し(1963年)語り草となっている。私も大阪の生まれだが、もちろん生まれる前のことである。ゆるぎない見通しを持った演奏は、きっちりとリズムを刻み、スペイン情緒とフランスの粋が交じり合った名演奏を、今の私にも生き生きと伝えてくれる。

2022年8月14日日曜日

ラヴェル:組曲「クープランの墓」(ジャン・マルティノン指揮パリ管弦楽団)

もとはピアノ曲である組曲「クープランの墓」もまた、作曲者自身によって管弦楽曲に編曲された。この曲は地味ながら、なかなか親しみやすいと思う。ピアノ版から2つの部分が省かれ、次の4つのパートから成り立っている。

第1曲 プレリュード
第2曲 フォルラーノ
第3曲 メヌエット
第4曲 リゴドン

クープランと言えば、フランス・バロックを代表する作曲家である。だから私は、この曲はクープランを偲んで作曲された、言わばオマージュともいうべき作品であると思っていた。親しみやすいメロディーも、そういう理由からだろうと考えた。ところが、この曲は第1次世界大戦で戦死した知人たちを追悼する作品だということを知った。かなり時が立ってからのことであった。

バスク地方で生まれたラヴェルは、父がスイス国籍、母はバスク人だったらしいが、パリ国立高等音楽院に学び活躍する。彼はことさら愛国心が強く、作曲を続ける傍ら従軍するのだが、体調を壊した上に母親が亡くなり、創作意欲も消え失せていく。「クープランの墓」を作曲したのはそのころである。各パートは、戦死した軍人らにそれぞれ捧げられている。

「プレリュード」が始まるとオーボエの速いメロディーに驚く。どこかチェンバロを思わせるような古風な優雅さも備えている。相当難しいのではと、素人の私などは思ってしまうのだが、これを何気なくさらっとやってしまうのが大変心憎い。2曲目の「フォルラーヌ」は北イタリア地方の舞曲で、揺れ動くリズムが特徴的。

第3部は「メヌエット」。ここでもオーボエが活躍する。どこか懐かしく古風な感じで、いつまでも聞いていたくなる。全体を覆っているのは、やはりフランスの雰囲気である。そして主題を弦楽器がしみじみと奏でるとき、やはりピアノだけの版よりも風情があるなあ、と思ってしまう(ピアノ版もそれはそれで悪くはないが)。終曲「リゴドン」は南フランス、プロヴァンスの舞曲。全体に色彩感に溢れテンポも良いが、中間部には特徴的なメロディーも挟まれて、大変味わい深い。

演奏はフランス風の香りがするものを選ぶことにした。いくつもあるのだろうが、ジャン・マルティノンが手兵パリ管弦楽団を演奏したものが秀逸と思う。ドイツやイギリスのオーケストラには真似のできないような、エレガントなアクセントやフレーズが指揮者とオーケストラの間に自然と漂っており、バランスの良いアナログ録音にうまく収められている。

2022年8月11日木曜日

ラヴェル:バレエ音楽「マ・メール・ロワ」(ピエール・ブーレーズ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

「マ・メール・ロワ」とは「マザー・グース」のことで、マザー・グースとは英国に伝わる童話や童謡の総称である。ラヴェルはフランス人だったが、このマザー・グースからいくつかの題材を選び音楽にした。

「マ・メール・ロワ」は当初、ピアノ連弾用に作曲された。子供でも演奏しやすいよう配慮されているらしいが、結構凝っていて難しいのではないかと思われる。そしてラヴェルは、このピアノ用の作品をお得意の管弦楽曲に編曲している。ここでピアノの曲はそのまま管弦楽曲になっている。しかし本日私が聞いているのは、さらにいくつかの曲を加え、曲順を入れ替えたバレエ音楽版である。

前奏曲
第1場 紡車の踊りと情景
第2場 眠れる森の美女のパヴァーヌ
第3場 美女と野獣の対話
第4場 親指小僧
第5場 パゴダの女王レドロネット
終曲 妖精の園

前奏曲は朝日の射す森の中に入っていくイメージ。音楽はきわめて遅く、これは深い森である。遠くでホルンがこだましている。やがて盛り上がって第1場へ。どこか別の扉を開いたような世界が、そこには広がっている。フルートが鮮やか。この曲では、各楽器とその交わりによって醸し出されるさまざまな音から、イメージを膨らませながら聞くのが面白いだろう。バレエを見ていれば勿論、もう少し具体的なものが見えるのかも知れない。しかし音楽だけを聴いて、場面を想像する楽しみもまたある。ただ第4場の「親指小僧」を「一寸法師」と訳するのは、ちょっと無理があるかもしれない。

第4場のあとに演奏される間奏曲が、全体の転換点だと思う。ここでチェレスタやハープ、コールアングレなど、ちょっと特徴的な楽器が登場して、それまでのメロディーから変化してゆく。第5場 「パゴダの女王レドロネット」はスピードがあって面白く、フルートの旋律やリズムが東洋的な響きである。ここでのパゴダとは、中国の磁器製の首振り人形のことだそうだ。

終曲「妖精の園」では、再び森の中に回帰して、落ち着いて静かに美しい曲が続く。お伽の国のメルヘン。最後はクライマックスとなって幸福な音楽が壮大に終わる。

本来は愛らしい作品ではあるけれど、一流のオーケストレーションによって随分大人向けの作品に仕上がっているという印象を受ける。ここにはラヴェルにしか書けない浮遊感と、蠱惑的で夢想的な世界が大きく広がっている。しかもそれをブーレーズとベルリン・フィルが演奏しているのだ。これはもう大人の世界。連綿と続く和音の微妙な変化が、ぞっとするほど確信的で落ち着いている。透明な響きがやがてクライマックスを築くとき、魔法というよりは職人の技を見ているよなリアリティがある。ちょっと変わった演奏というべきか。

2022年8月8日月曜日

ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団・合唱団)

まだ東京に出て数年しか経っていなかったころ、関西に帰省するのに少し寄り道をしようと思った。東海道新幹線を豊橋で降り、ローカル鉄道に乗り換えて渥美半島を横断し、バスに乗り換えて伊良湖岬に着いた。真夏のうだるような暑さに汗がほとばしり出た。雲一つない快晴の海岸は太平洋に面しており、「椰子の実」(島崎藤村)の舞台として有名なところである。

三重県の鳥羽に向かうまでの一時間余り、まるでギリシャの海を思わせるような白く高い空と、青く深い海を眺めていると、湾口の間に異様な島が現れた。時刻表にも載っていないその島を左手に見ながら、私はこの島が一体何なのか知ろうとした。島は急峻な斜面に覆われて高い山がそびえている。住んでいる人がいるのだろうか、あるいは交通はあるのだろうか、などと考えた。まだ携帯電話などなく、実家に戻って日本地図などを開いて調べると、その島は「神島」という鳥羽市に所属する島であることがわかった。

「神島」といういかにも神秘的な名前にも興味は深まるが、その島には数百人しか住民はおらず、おおよそ観光などとは無縁で、おそらくは釣り好きの人が訪れるくらいだろうと想像できた。私はフェリーの中から見た独特な光景から、何かスピリチュアルなものを感じたが、その「神島」こそ三島由紀夫の小説「潮騒」の舞台となったことを後で知った。三島もまた、この島の異様な光景から着想を得てこの小説を書いたのだろう。

小説「潮騒」は映画化され、山口百恵と三浦友和が共演したことで話題を呼んだ。以前NHK-BSで放映された映画の裏話を紹介した番組では、この神島で行われたロケの話が印象深い。そしてこの「潮騒」こそ、古代ギリシアのロンゴスの小説「ダフニスとクロエ」のコピーである。私は大学生の頃、この「ダフニスとクロエ」の話を遠藤周作のエッセイで知り、岩波文庫で読んだ。エーゲ海に浮かぶ離島の牧歌的な情景を舞台に、少年と少女に芽生えた純真な恋とその成就が抒情豊かに描かれている。

絶海の孤島を舞台にした古代の純愛物語は、ディアギレフが率いるロシアのバレエ団のために、ラヴェルが管弦楽曲に仕立て上げた。その後2つの組曲にも再編成されたこのバレエ音楽は、ラヴェルの数ある作品のかなでもひときわ大規模であり、合唱を加えた交響曲のような作品である。特に第2組曲は、いまでも盛んに演奏され人気も高い。

物語は3つの部分から成り立っている。

第1場は午後の牧草地。序奏に続いて宗教儀式が始まる。静かで幻想的な中から立ち上ってくる木管楽器が印象的で、何か妖艶な雰囲気を私は感じる。合唱が用いられる場合はさらに効果的だが、こちらはより健康的で明るい感じがする。二人の主人公、ダフニスとクロエは登場している。そこへダフニスの恋敵であるドルコンが現れグロテスクに踊るが、続いてダフニスは優雅に踊り勝者となる。

続いて現れるのは、年増女のリュセイオンである。彼女はダフニスを誘惑するが、海賊なども現れて結構テンポが切迫する。しかしやがて夜想曲が始まり、夜の静寂に風が吹くような中で神秘的な第1部が終わる。音楽だけを聞いていると、静かで長い第1場である。

合唱がアカペラを歌い、間奏曲に入ると第2場である。

海賊たちの野営地では、やがて戦いが始まる。音楽が大きくなり、初めて賑やかな展開に。海賊に捕まったクロエは助けてくれと哀願。すると神の影が現れて大地が割れ、海賊が退散する。このあたりはストーリーを頭に入れて聞かないとよくわからなくなってしまい、ちょっと辛抱がいる。

結局、聞き所は15分あまりの第3場(つまり「第2組曲」)に集中してくる。夜明け前の牧草地。この夜明けの音楽が醸し出す明るい解放感は見事というしかない。合唱も交じってフランス音楽の真骨頂のような雰囲気。ようやく結ばれたダフニスとクロエ。音楽は無言劇を経て「全員の踊り」に入り、熱狂的な大団円を迎える。

モントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、フランス以上にフランス的と称されたその一連の演奏は、優秀な録音技術を誇るデッカによって数多リリースされ、完成度の高さに毎回驚かされた。80年代に入ったころから20年以上続く快進撃の最初の録音が、たしかこの「ダフニスとクロエ」(全曲)だった。この記念すべきディスクは今もって、同曲の最高の演奏に数えられている。

私が学生時代に自腹で購入した記念すべき5枚目のCDは、デュトワによるラヴェルの「管弦楽曲集」だったが、そこには第2組曲のみが収録されていた。この演奏は、全曲版からの抜粋だったと思う。しかしデュトワはこだわって全曲を収録し、大成功を収めた。このディスクには合唱が入っていることからも、そのこだわりが見て取れる。

デジタル録音の技術が登場して40年以上が経過したが、今聞き直してもその新鮮な演奏にはまったく遜色がないばかりか、細部にまでクリアな音色と、確固とした演奏のリズム感など、聞きていて嬉しくなる。デュトワの自然で軽やかでありながらエレガントな響きは、どこか厚ぼったかったフランス音楽の演奏を淡くモダンな色彩で塗りなおし、一世を風靡した。


ラヴェル「ダフニスとクロエ」全曲版

神島(三重県鳥羽市、94年8月)
1.序奏と宗教的な踊り
2.宗教的な踊り
3.全員の踊り
4.ドルコンのグロテスクな踊り
5.ダフニスの優雅で軽やかな踊り
6.リュセイオンの踊り
7.夜想曲
8.間奏曲
9.戦いの踊り
10.クロエの哀願の踊り
11.夜明け
12.無言劇
13.全員の踊り

2022年8月7日日曜日

ラヴェル:組曲「鏡」より「道化師の朝の歌」(アンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団)

ある日学校から帰ってFM放送のスイッチを入れたら、聞いたことのない音楽が聞こえてきた。いつも聞いてるNHK-FMの午後のクラシック番組だった。色彩感に溢れ、リズムが千変万化し、それをオーケストラが優雅に奏でる。オーケストラの音は、いつも親しんでいたドイツ系の音色とは異なり、軽妙で洒脱。たった7分余りの音楽に私は身震いをお覚えるような感動を味わった。

アナウンスによれば、これはラヴェルの管弦楽曲「道化師の朝の歌」、演奏はアンドレ・クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団とのことだった。私はこの組み合わせの演奏をもっと聞いてみたいと思い、小遣いをはたいて買ったLPレコードが、クリュイタンスによるラヴェルの「管弦楽曲集」だった。このLPは、ワルター指揮によるモーツァルトのLPに次ぐ、私の2枚目の所有ディスクとなった。

この1枚のLPレコードには、「ボレロ」や「ラ・ヴァルス」、それに「スペイン狂詩曲」などが収録されていたが、残念ながら「道化師の朝の歌」は含まれていなかった。だが私は、それらの曲に「道化師」と同様の興奮を覚えた。今から思えば、これが私のフランス音楽の原体験だった。

あれから数年がたち、CDの時代になって数多くの録音がリマスター発売されるに際し、毎日のように通った池袋のHMVで2枚組のクリュイタンスによるラベル名曲集に出会った。ここにはもちろん「道化師」も収録されていた。しかしどういうわけか、私はこのCDを買っていない。「道化師の朝の歌」はラヴェルがまだ若いころに作曲した作品で、これ以降のより充実した作品の方が聞きごたえがある、と思っていたからだろうか。すでにラヴェルのCDとしては、当時発売されて最高の評価だったシャルル・デュトワのものを買っていたからかもしれない。

「道化師の朝の歌」はもともとピアノ曲で、30分もある組曲「鏡」の中の4曲目の作品である。この曲と第3曲「海原の小舟」のみがラヴェル自身によって管弦楽曲にアレンジされている。クリュイタンスのCDには、その2曲が収録されている。

アンドレ・クリュイタンスはベルギー人の指揮者であったが、フランス音楽を得意とし、大阪国際フェスティバル協会の招きで60年代に来日している。私がまだ生まれる前のことだが、圧巻の演奏を繰り広げたようだ。この時の演奏は語り草となり、クリュイタンスの演奏は、わが国では大変評価が高い。最初で最後の来日ののち、わずか62歳で没していることもある。ベルリン・フィルとのベートーヴェンの交響曲全集は、カラヤンではなく何とクリュイタンスと行われている。しかし今となっては、忘れ去れたような指揮者となっている。

Spotifyの時代になって、過去の演奏を含め、手軽に音楽が聴ける時代になった。まだ中学生だった私が胸を躍らせて聞き入った時から40年の歳月が経過した。本日、暑い夏の日の朝に聞く「鏡」からの2曲には、スペイン情緒が溢れ、落ち着いた雰囲気に聞こえた。もっとどんちゃん騒ぎの曲に聞こえていたのは、やはり私がまだ若かったからだろうか。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...