2017年12月31日日曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466(P:アルフレート・ブレンデル、チャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団)

少し迷ったが、ここにもう一間、K466のCDについて書くことにしようと思う。オーストリアのピアニスト、アルフレート・ブレンデルによる新しい演奏である。伴奏はチャールズ・マッケラス指揮スコットランド室内管弦楽団。2005年の発売だから録音は2004年頃だろうか。1931年生まれのブレンデルは2008年に引退しているので、その数年前の演奏ということになる。

先に取り上げたグルダも1930年頃の生まれで、いわば同年代のピアニストだが、生粋のオーストリア人であるグルダとは違い、ブレンデルはチェコの出身である。チェコとウィーンはほど近いので、いわば郊外のような感覚だが、そこで思い出されるのはシューベルトのことである。シューベルトもウィーンで育った作曲家ではあるが郊外の出身で、そのせいかシューベルトを弾くブレンデルは相性がいいように思う、というのは考えすぎだろうか。いやモーツァルトがシューベルトに聞こえると言うか。

沢山の音楽家を飲み込む大都会ウィーンに単身出てきたのは、モーツァルトも同じであった。しかも彼はザルツブルクの大司教と決裂し、父親の反対を押し切ってのことである。音楽家は貴族の庇護の下にあるというのが当たり前の時代、不安と焦燥にかられながら、実力だけを信じて作曲に、演奏にまい進する若き日々。モーツァルトのピアノ協奏曲のうち、最高峰の作品群はこのような時期に書かれている。

自ら作曲し、自ら演奏して新作を披露する予約演奏会に、野心的なモーツァルトは短調の曲を初めて書いた。それがニ短調のピアノ協奏曲K466で、華やかさとはかけ離れた、苦悩に満ちたような表情で始まる。それが常識破りであることに加え、おもむろにさりげなく入って来る独奏もまた特徴的である。これでもか、これでもかと不安定な主題を繰り返しながら、音楽は深い森の中に入ってゆく。この中に入ると、それはまた抜け出せないような孤独の世界。時に長いカデンツァが置かれるが、モーツァルトは自身のものを残していない。

ベートーヴェンやブラームスがこの曲に感銘を受け、有名なカデンツァを残していることは前に述べた。グルダの演奏も当然のようにベートーヴェンのカデンツァを用いている。だがブレンデルは自作のカデンツァを演奏しているのだ。これは最初の録音である70年代の時から変わらない。この時の伴奏はマリナーである。

マリナーと組んだブレンデルのモーツァルト全集は大変に優れたもので、おそらく80年代に入り、ペライアや内田光子のものが登場する以前としては、最高のものだったと思う。我が家にも第20番と第24番の、すなわち二つの短調の曲をカップリングしたLPレコードがあった。当時はあまり印象に残らなかったのだが、今から思うととても模範的で、しっかりした演奏だったと思う。

それから四半世紀が立ち、多くのピアニストがそうしたように、ブレンデルもまたモーツァルトの協奏曲を再録した。一部の曲のみであったが、その中にK466も入っていた。私はまだ銀座にHMVがあった頃、この2枚組CDを見つけ迷わずカートに入れた。ハイドンのピアノ・ソナタを1枚目に収め、2枚目はモーツァルトの曲が収録されていた(K466の他にピアノ・ソナタK332とコンサート・ロンドK382など)。

ブレンデルは25年前と変わらない、完成された格調高さで音楽を始める。だが演奏には流行りというのがあるもので、生真面目でひたすら模範的な80年前後の演奏とは異なり、少し肩の力が抜け、吹っ切れたように感じる。オーケストラが古楽器風の奏法の影響を受け、フレッシュに響くのもその理由かも知れない。そして何より素晴らしいのは第2楽章である。ブレンデルは聞きなれたメロディーに、心地よい装飾を施してゆく。さらっとやや早めのテンポ感は、春の野を行くが如きで、この曲が短調で書かれた暗い曲というイメージとは対照的である。その自由な遊び心が心地良く、この曲のまた一つの表現であるのかと思う。

なお、カップリングされたコンサート・ロンドニ長調K382は、完璧な演奏である。茶目っ気のある子供の遊びのような曲だが、きっちりと、機転を利かせながら変奏されてゆく様子は、巨匠のピアニストが奏でる卓越した妙味である。録音も素晴らしい。

2017年12月30日土曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466(P:フリードリヒ・グルダ、クラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

かつてまだCDやYouTubeもなかった頃、聞きたいと思った曲や演奏に出会うのは、大変な労力を要することだった。私の中学生時代は、まだお小遣いも少なく、図書館にも録音メディアなど置かれていなかったのだが、どの曲がどういう曲で、どの演奏がいい演奏か、などを評した書籍や雑誌は山ほどあって、モーツァルトの27曲あるピアノ協奏曲のうち、特に第20番以降は珠玉の名曲がズラリと並び、孤高の名演奏が目白押しであることは知っていた。

その当時、珍しい短調の曲として知られる第20番ニ短調(K466)、映画音楽にも使われた第21番ハ長調(K467)、「戴冠式」というサブタイトルの付いた親しみやすい第26番ニ長調(K537)、それにこの世のものとは思えないほど美しい第27番変ロ長調(K595)の4曲は、私もSONYの「音のカタログ」などと称した、さわり部分だけを集めたカセット・テープなどを何度も聞きこんでは、一度でいいから全曲を聞いてみたいと思っていた。

FM放送の番組と放送される曲、それにその時間を記した雑誌を買って、ラジカセをスタンバイ。放送が始まるのを待って、わずかな小遣いで買ったテープの、その余白部分を省いた状態で録音ボタンを押すという、今から考えれば涙ぐましい作業も昔話となり、「エア・チェック」という専門用語は死語となってしまった。レコード屋に行けば、数千円でLPレコードを買うことはできたのだが、それが果たして「最も優れた」演奏であるかは評論家の意見に頼るしかなく、それが裏切られることもしばしばであることを想像できた。だから、廉価版と呼ばれる再発物でなければ、なかなか手を出すことはできない。これらは少し古い、あるいは「ニ番手」の演奏が中心なので、どうしても「もっといい演奏があるのではないか」との疑念が晴れることはない。気に入らない演奏に出会うと、再生装置が悪いのかも知れない、などと余計なことを考え、それは限度がない。

そういうわけだから、フリードリヒ・グルダがピアノを弾き、クラウディオ・アバドがウィーン・フィルを指揮したレコードが発売され、評価が高いと知ったときは、一度でいいからこの演奏を聞いてみたいと思ったものだ。もっとも私は当時、K466を知らず、カップリングされているK467の方を聞きたいと思った。この曲の第2楽章はクラシック好きでなくても知っている有名な曲で、そういう部分だけを集めたLPがうちにあったのだが、全曲を通して聞いたことがなかったのだ。

そんな折、私が高校入学のお祝いに、親戚の叔母さんが好きなものを買ってくれることになった。予算は5000円というから、私はカルロス・クライバーのベートーヴェン(第5番)とグルダのモーツァルトを所望した。前者が2400円、後者が2600円だった。近くのレコード屋にはこれらの在庫がなく、仕方がないから大阪・梅田のクラシック専門店(大月楽器)に出かけて買ってくれたのを思い出す。

さて、私はこのLPの演奏を聞くことによって、K466の方の魅力に触れることとなった。それはまず、第2楽章の例えようもない美しさを私を襲うことから始まった。ここで際立つのはグルダのタッチの明晰さである。強さ、響きの正確さ、前後の音との間隔がすべて完璧なのである。それがアバドの、丁度良い程に引き締まり、真面目で無駄なところのない伴奏に絡み合う様は、今聞いてもほれぼれする。そしてこの部分で感じることのできるモーツァルトの孤高の淋しさは、モーツァルトに対する別の側面を浮かび上がられる。

そしてとりわけ私を驚かせたのは、両端の楽章で弾かれるカデンツァが、あのベートーヴェンによるものであると解説にあったことだ。第1楽章の終盤で、まるでモーツァルトの音楽に挑むようなベートーヴェンの曲は、その数年後にピアノの名手としてウィーンに知れ渡るこの世紀の作曲家の面目躍如たる名曲である。モーツァルトの音楽を壊すことなく、尊厳にあふれてしかも自然に、そして雄弁に、その先の音楽を提示している。いわばモーツァルトの中にベートーヴェンが居るのである。

静かに入るピアノの、恐ろしい程の旋律は、第3楽章の冒頭で激情的な冒頭で回帰される。ウィーン・フィルの少人数編成の伴奏が、アバドの現代的で理性的な指揮によって迸る。オーボエのうら悲しいモノローグや、コーダで荘重に吹かれるトランペットによって、音楽的空間は宇宙のような広がりを持つ。グルダのピアノは真剣で敬虔に満ちているが、それはモーツァルト音楽の持つ魅力をできるだけ素直に表現しようとした結果であるように思う。

グルダのモーツァルトは、同時期に録音されたK537とK595のカップリングも出ていたが、こちらの演奏を聞くことが出来たのはさらに4年後、韓国で買ったカセット・テープによってのことだった。気が向いた時に、好きな曲だけを演奏するようなグルダのスタイルは、聞き手にもどかしい思いをさせたが、そのグルダがK537を再録音するのはアーノンクールとの出会いによってであったのも天才的なひらめきだったのだろう。この演奏も大変に素敵で、「戴冠式」という通俗的な曲を面白く聞かせている。大いに気に入って、また次の演奏をと待ち望んでいたが、2000年に70歳で急死してしまった。心臓病で倒れたまさにその日は、敬愛するモーツァルトの生誕の日(1月27日)のことであった。

2017年11月19日日曜日

NHK交響楽団第1871回定期公演(2017年11月17日、NHKホール)

私のこれまでのN響演奏会の体験中、もっとも完成度の高いものだと思った。初めて聞く音楽であるにも関わらず、70分の間中私の心は、絶えず音楽に酔いしれ、立体的な合唱や打楽器を駆使したリズムに体をゆすった。舞台後方に7列にずらりと並んだ合唱団は、かすかに消え入るかのような透明な声を、まるでひとつの演奏体から発せられるような統一感を持って3階席の奥まで響かせた。

合唱だけではない。今回の独唱に起用されたロシアの若手歌手の二人、すなわちスヴェトラーナ・シーロヴァ(メゾ・ソプラノ)とアンドレイ・キマチ(バリトン)は、いずれも指揮者トゥガン・ソヒエフが音楽監督を務めるボリショイ歌劇場で活躍する新鋭である。二人はいつのまにか、オーケストラ右手後方の、丁度チェロの後あたりに立ち、指揮者を斜めから見る。この二人の出番はそれほど多くはないが、歌が聞こえてくる時には、その声量も十分であり、低い声を駆使するロシア音楽の神髄ともいうべきものを表現するのに十分である。

NHK交響楽団もまた、これほど完璧にこなしたことはないのではないか、と思われるほどであった。決してあおるような指揮ではなく、そしてまた、異様な集中力が支配するものでもない。余裕があったかどうかはわからないが、そのように感じられるような安心感というか、何か非常に身についたものがあるように感じられる。それは簡単な話ではないだろう。なぜならこのような曲は滅多に演奏されるわけではなく、そして何とプロコフィエフなのである。

オラトリオ「イワン雷帝」(スタセヴィチ編)は未完に終わった作品で、そもそもは第二次世界大戦中に作成されたフィルムのための音楽だそうである。すなわちソビエト社会主義共和国連邦の音楽で、その作風は共産主義の賛美一辺倒であるかの如くだ。だが、この作品はスターリンによって批判を浴びることとなる。絶賛された第1部とは変わり、第2部は凋落した作品とみなされてしまうのだ。このような経過があったことが、むしろその後の復活に大きな意味を与えたのかも知れない。

フィルムを作成したのは映画監督のセルゲイ・エイゼンシュタインという人で、彼は日本趣味に傾倒した人であった、と解説書には書かれている。そして俳句、歌舞伎といったものを愛し、戦前のソビエトにおける歌舞伎公演にも触れている。だからこの作品は、ロシア史上最初にして圧倒的な専制君主であった人物(イワン4世)を題材としているにもかかわらず、随所に日本を感じ取ることができる部分があるという。

だから今回の公演では、ナレーターに起用されたのが歌舞伎役者片岡愛之助だったということにも通じる。すなわち、これは単に人気取りのための器用ではなく、このような作品の背景を元にしている。歌詞はロシア語だが、語りは日本語で、それは今回、歌舞伎の語りであった。歌舞伎役者の話す日本語は独特の大袈裟なイントネーションを伴っているが、それがロシアの寂寞とした音楽に奇妙に溶け込む。

ソヒエフの指揮する音楽は、いつも素晴らしい。そつがないという風ではあるが、職人的な見事さに集約されていて、隙がない。かといって醒めた演奏ではない。なかなかこういう演奏に出会えるものではないとも思う。昨年聞いた「白鳥の湖」でもそれは如何なく発揮されていたが、今回、珍しい作品だったにも関わらず、その板についた指揮ぶりは我が国のオーケストラと合唱団をしても、十分に感動的であった。

第2部あたりだろうか。合唱が無伴奏となって会場に轟くシーンが何回かある。合唱は最初の2列が東京少年少女合唱隊で、彼ら・彼女らは一部始終、微動だにせず行儀よく座っている。その後方3列に女声合唱、さらにその上、最上段2列が男声合唱であった。合唱は東京混声合唱団。この配列も興味深かったが、テノール・パートが男声の左側に配置され、このパートは時にソプラノのパートと共に歌う。ソプラノ・パートは中央列の右側に配置され、この時は対角線に位置する二つの合唱のみが起立して直方体を点対称にしたような図形となる。

だからだろうか音楽が立体的で、その十分な声量は類まれな統一感を持ちつつも舞台の奥から会場へと響き、さらにはオーケストラや独唱、語りとうまく融合して時間差がない。バランスの妙味と、作品を把握する点での曖昧のなさは、もしかするとソヒエフの天性ともいうべき才能ではないか、とさえ思った。コンピュータによって計算されたような機械的なものでは決してないのである。

兎に角なんと表現しようと、私の表現力では当日の素晴らしさをうまく伝えることはできない。最初、もう少し前の方で聞いた方が良かっただろうか、と思い始めていた。最近そういうコンサートが多かったからだ。だが音響がすぐれないと言われるNHKホールでも、才能ある指揮者にかかれば、実にその音楽はどこで聞いていても魅力的であった。唯一残念だったのは、3階席から見る字幕が小さすぎて読みにくいこと、それからマイクなしで語るナレーションの声が、ちょっと分散しすぎて聞き取りにくかったことである。だがそういったことも、これほど完全な演奏を前にしては、まあどうでもよかったことにしてもいいのではと思う。歌詞を追わなくても、音楽のみで十分に感動的であった。

後半になるにつれてオーケストラのアンサンブルにさらに磨きがかかってくると、合唱の響きは無伴奏の中にあっても、時空を超えて超越的な美しさを長く保った。その音楽に触れている恍惚した瞬間に、私はこみ上げてくるものがあった。歌詞がどうの、というものではない。純粋に美しい音楽に触れただけで起こる不思議な瞬間が、そこにはあった。滅多にできない感動を味わった人は多かったに違いない。終始物音ひとつしないマナーの素晴らしい客席からは、間をおいてからは熱狂的な拍手が鳴りやまず、それは音楽を愛するがゆえに大きく、そして献身的であった。

いい演奏を聞いたと思った。すべてを聞いているわけではないが、もしかしたらこの演奏は、今年のN響のベストではないか、と思った。

2017年11月4日土曜日

ブラームス:ハンガー舞曲集(イシュトヴァーン・ボガール指揮ブダペスト交響楽団)

私の通った大阪府下の中学校では、毎年学級別に合奏コンクールをすることになっていて、その年の課題曲はブラームスの「ハンガリー舞曲第6番」だった。たしか二年生の時である。ただ普通の公立中学校、しかも校内暴力などが吹き荒れる時代のことである。生徒は半分以上が不良とは言わないまでも学習意欲などなく、しかも学校行事など真剣になるはずもない。つまり荒れ果ててすべてに醒めた学校は、一部の先生のみが権力を振りかざし、従って私のような気弱で真面目な生徒は、毎日泣いていたものだ。学校へ行きたくないと。

そのような中での合奏コンクールである。私は楽器が何も弾けないから、指揮をすることになった。指揮者と言っても棒を振るだけで、その姿を見て演奏する人はいない。おそらく出だしだけが揃えば、あとは何とかなるのである。そして私の通った新興住宅地にある超マンモス校は、全部で11クラスはあったと思う。それがわずか5分程度の演奏でも2時間近くかかる。生徒は体育館に座らされ、ただでさえ退屈な時間を、さらに苦痛に過ごす。生徒は次第に騒ぎはじめ、そして誰も入賞することなど期待していない。なぜなら優勝したクラスはもう一度アンコールを演奏することになっており、そんなことは御免だと、クラスの皆が思っている。

そんな合奏団のブラームスである。だが私の隣のクラスを指揮した秀才のA君は、連日カラヤンのレコードを聞きこみ、統制の取れた演奏を披露した。ハンガリー風にリズムに緩急をつけ、民族的な情緒をたっぷりと歌った名演だった。これには音楽の先生も随分協力したらしく、そして彼のクラスは当然の如く第1位に輝いた。

さて私は、そんな芸当はできないから指揮はひたすら情熱的に進め、指揮者だけが空回りした演奏となった。何名かの女子生徒(パートはアコーディオンだった)頑張ってついてきてくれたが、全体的にはバラバラの音がしたのだろうと思う。だがそんなことはおかまいなしに、私は一心不乱にタクト(ただの棒である)を振り、そして最後の主題を繰り返す部分に来ると音量を少し押さえてさらに速くし、最後は何とか決まった。私は第2位だった。そしてA君は「君はアバド流だったね!」などと奇妙なことを言ってくれたが、まあこの当時、売られていたハンガリー舞曲のレコードはライナーのものとカラヤンのものくらいでいずれも抜粋盤。そこへアバドのウィーン・フィル盤が全曲録音という触れ込みで登場した頃である。

一方、最も有名な第5番はよく耳にする曲だったが、この曲がポール・モーリア楽団か何かで演奏された音楽をカセットテープに録音して何度も聞かせてくれたのは、同級生のI君だった。かれは中学1年生の時、毎日のように私を自宅に呼び、氷のたっぷり入ったコップに瓶入りコカ・コーラを注いで飲みながら、親に買ってもらった大きなステレオ・ラジカセを自慢した。

ポール・モーリアの演奏するハンガリー舞曲は、ポップス風にアレンジされていて、後半には付け足されたトランペットの独奏部が加わる都会的なものであるのだが、ここの速度が常に一定である。あのジプシー音楽の風味がない。いわば気の抜けた炭酸飲料のような音楽なのだが、彼はそのメロディーに合わせて歌い、そして私に何度も「いい曲だ」と言っていたのを思い出す。また、この第5番で思い出すのは斉藤晴彦が歌詞を付けて歌ったテレビCMと、はるか昔、チャップリンの映画で理髪師に扮したチャップリンが曲のひげを剃るシーンである。いずれもこの曲の大衆性が感じられる。

このように「ハンガリー舞曲」を聞くと、いつもいろいろなことを思い出すのだが、実際のところは第1番と第5番、それに第6番が突出して有名で、アンコールなどに良く演奏される以外は、あまり聞くことがない。全部で21曲あるこれらの曲は、ピアノ連弾曲として書かれた。そして民族風の舞曲集を作曲することをドヴォルジャークに勧めた。ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」はこのようにして生まれ、そして「ハンガリー舞曲」と同様、管弦楽曲にアレンジされ有名となった。これらの2つの東欧風民族舞曲集は、似たような起源と経過をたどっており、かつては抜粋されてレコードに併録されていた。ただ「スラヴ舞曲」の方が、全体的なまとまりと音楽性において、優位にあるように感じる。

その「ハンガリー舞曲」は、作曲者自身を含め何人もの作曲家が編曲をしているが、第17番から第21番まではドヴォルジャークによって編曲されている。これらの曲がこの二人の合作となっている点で面白いが、さらには、ドヴォルジャーク風の風味を感じることが出来る点でも興味深い。少しあか抜けたような、カラフルで抒情的である。

第1番から順に編曲者とともに記載しておく。演奏は、なかなか決定的な演奏がない中で、イシュトヴァーン・ボガールという指揮者がブダペストのオーケストラを指揮した演奏が好ましい。オーケストラは、例えばマズアのゲヴァントハウス管弦楽団や、ネーメ・ヤルヴィのロンドン響には劣るが、ちょっとした表情付けが本場風であると言っておこう。抜粋版ではライナーやドラティなどのハンガリー人指揮者によるものがあるし、ピアノ連弾ではラベック姉妹によるものなどが有名である。


【収録曲】

第1番ト短調(ブラームス編)
第2番ニ短調(ハーレン編)
第3番ヘ長調(ブラームス編)
第4番嬰ヘ短調(ジュオン編)
第5番ト短調(シュメリング編)
第6番ニ長調(シュメリング編)
第7番ヘ長調(シュメリング編)
第8番イ短調(ガル編)
第9番ホ短調(ガル編)
第10番ヘ長調(ブラームス編)
第11番ニ短調(パーロウ編)
第12番ニ短調(パーロウ編)
第13番ニ長調(パーロウ編)
第14番ニ短調(パーロウ編)
第15番変ロ長調(パーロウ編)
第16番ヘ短調(パーロウ編)
第17番嬰ヘ短調(ドヴォルジャーク編)
第18番ニ長調(ドヴォルジャーク編)
第19番ロ短調(ドヴォルジャーク編)
第20番ホ短調(ドヴォルジャーク編)
第21番ホ短調(ドヴォルジャーク編)


2017年10月31日火曜日

ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調(ジュゼッペ・シノーポリ指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

今年の秋は少しおかしい。いつまでも暑かったかと思えば、急に気温が下降し、もはや冬のようである。しかも雨がやたらに多い。そこへ少し遅れて台風が週末の度に襲来し、秋の風情を楽しむような日はほとんどない。今日、木枯らしが吹いたというが、もうとっくに寒い日々である。だから週末ごとに出かけていたウォーキングを、なかなか楽しめないでいる。

久しぶりに晴れた台風一過の夜、平日ではあったがいつもの散歩コースに出かけた。しかも久しぶりだったので、歩き終えるのが惜しく、いつものコースを2周した。これはやや力が要ったが、毎日続けているうちに、2周コースが日課となった。そして大風の吹く透き通った都会の風景を眺めながら、私は手元にあったWalkmanでブルックナーを聞いていた。交響曲第5番である。

この曲は第8番と並んで私の苦手な曲である。長いのはブルックナーの常として、どうも楽しめない両端の楽章が退屈ですらあった。だがこの日は違っていた。第1楽章は第4番を思わせるように、ソナタ形式を追うように楽しめたし、時折、ふと気が付くと何か壮大な空間が夜空に出来ていた。私が歩くコースは一周が1.5キロほどだが、その間、いつまでたっても第1楽章が終わらない。それでもう少し聞きたいと思って、2周目に突入したのが実際のところである。

2周目は途中から第2楽章となった。アダージョである。この楽章がとても気に入った。このゆったいりとした音楽を聴きながら、私はかつて一夏を過ごしたスイスの風景を思い浮かべた。時折冷たい風が、夜空にそびえるビルの間を吹き抜けていく時、私は得も言われぬ感動に見舞われた。この不思議な瞬間こそ、ブルックナーである。そしてそのような恍惚とした時間の流れは、時に立ち止まり、また時には歩を進める。私はそれに合わせて歩き続ける。

こうなったら第3楽章である。3拍子のスケルツォは、それまでの印象とは打って変わって、ほれぼれとする瞬間の連続である。金管楽器がフォルティッシモのユニゾンを奏でる時、そこには夕日に照らされたアルプスの高峰を仰ぎ見るような神々しさを感じる。これは不思議なことである。なぜそうなるのかわからないが、何かごくまれに、魔法にかかったようになる。

この演奏を聞きながら、私はブルックナーをどう聞けばいいのか、少し考えた。それはベートーヴェンやブラームスの音楽を聴くときとは全く異なる気持ちが必要であるような気がする。演奏家は間違えずに、この長い曲を弾き切る相当な技術と労力が求められるが、聞き手はそういう演奏家を固唾を飲んで聞き入る、という風ではない。まずは身をゆだねて、リラックスするのが重要だ。物思いにふけってもいい。そして少しならウトウトしてもいいような気がする。音楽家には悪いのだが、演奏を聞くというようりは、音楽を聞く。それも身を委ねて聞くのである。

そうこうしているうちに、何かとても大きなものに支配されているような気持がしてくる。もちろん演奏は完璧であると良いだろう。だが指揮者はあくまでも音楽に奉仕しなければならない。聞き手は音楽の中に神を感じ、そしてその光に心を打たれる。そうなったら、いよいよ音楽と身体が一体化する。もちろん演奏家と聞き手が、同じ音楽空間に支配される。まったく不思議な瞬間は、他の音楽でも感じる時があるが、ブルックナーのそれは特に印象的である。

第4楽章になった。この長い音楽は、徐々にクライマックスを築いてゆく。それまでただ長く退屈だった曲が、このまま長く続いてほしいなどと思う。このような演奏に出会うことは、極端に言えば、偶然でしかない。同じ演奏家でも日によって違うだろうし、聞き手のコンディションも同じではない。いくつかの要素が重なる必要がある。実演でとなると、これはもう奇跡を待つしかない。そしてそれはたいてい外れる。

録音された媒体では、演奏上のミスは補正されているから、むしろ安心して聞くことができると言える。だが定評のある演奏で聞いたとしても、なかなかいい演奏だと思うことはない。これが第4番「ロマンチック」や第7番だと、もう少し確率は高いと思う。あるいは第6番も第9番も同様である。だがこの第5番と、そして私の場合、あの長い第8番は、名演に接したことがない。そんな中で、このシノーポリが指揮したドレスデンの演奏は、この曲の良さが初めてわかったような気がした。もっとも手元にあったこの曲のCDはたかだか3種類ほどだから、もっと古い演奏や掘り出し物を聞き漁っているブルックナー好きから見れば、一笑に付されるのが落ちであろう。

2日目の2周目にしてやっとこの曲を聞き終えた。もちろん初めてではないが、これだけきっちりと聞いたのは初めてである。どこか遠くへ行っていたような気がする音楽的感覚は、秀逸な演奏で聞くブルックナーでしか味わえないものかも知れない。けれども数あるブルックナーの作品にあって、第5番でしか味わえないようなものがあるのだろうか。そのあたりは良くわからない。今後、この曲を一体何度聞くことがあるだろうかと考えた。私はもう五十代になっており、そしてこのコースを歩く習慣も十年近く続いている。いつも同じことをしているのだが、この曲のこの演奏を、こんな風に聞きながら歩くことはもうないであろう。平成29年の秋の一日は、そういう風に過ぎて行った。

2017年10月21日土曜日

ハイドン:オラトリオ「四季」(カール・ベーム指揮ウィーン交響楽団ほか)

ハイドンがその晩年にオラトリオ「四季」を作曲するのは、前作「天地創造」から数年後の1800年頃のことである。1800年と言えば、モーツァルトはすでに他界しており、ベートーヴェンが交響曲第1番を初演する年である。この頃音楽は急速に大規模化し、次第に自由な形式へと進化してゆく。「四季」は「天地創造」よりも30分も長く、「天地創造」が旧約聖書をモチーフにしたのとは対照的に、中欧の自然の移り変わりを明るくのびのびと表現した、牧歌的で親しみやすい作品である。

ところが残念なことに「四季」の実演に接する機会は少ない。録音も「天地創造」に比べれば少ない。私もこれまで、わずかに1回、それもアマチュアの団体が演奏した実演に接したのみである。とはいえ「四季」は、ハイドンの作品の中でも群を抜いて精彩を放つ作品と言える。私もこの作品を愛してやまない。初めて聞いたカラヤンの演奏以来、何十回となく聞きこんできたが、そろそろここにまとめて書いておこうと思う。

「四季」に登場する独唱は3人で、小作人シモンにバスが、娘ハンネにソプラノが、そして若い農夫ルーカスにテノールが、それぞれ割り当てられている。けれども特に物語があるわけではなく、ハイドンが長年住んだオーストリアの農村部の四季の情景が、混成四部合唱ともに歌われる。歌詞はドイツ語で、「天地創造」と同様、ヴァン・スヴィーデン伯爵による台本を元にしたものだ。伯爵はハイドンの良き理解者であり友人でもあったようだが、この「四季」の作曲にはいろいろ確執も伝えられている。

スヴィーデン伯爵が「天地創造」の成功に気を良くして、何かとハイドンの音楽づくりに口を出し、それは人気取りの側面があったようだ。それを快く思わないハイドンはそれに逆らい、純音楽的な美しさを重視したようだ。だがそんなことは気にならなくらいに、全編を通して高い完成度を保っている。どの部分から聞き始めようと、ハイドンにしか書けないような美しいメロディーに触れることが出来る。

----------------------------------------
【第1部「春」】

第1番:序奏。「天地創造」の静かで混沌とした情景の始まりとは異なり、ティンパニを伴った激しい音楽である。と思ったらやはりト短調。これはおそらく冬の名残り。春の最初に吹く嵐の情景。我が国の言葉で言えば春一番といったところだろうか。 骨格の強固な自信に満ちた音楽が、ハイドンを聞く喜びを感じさせてくれる。春の訪れを3人の独唱が告げるところから、この曲は始まる。

第2番は農民の合唱。美しいメロディーがほのぼのとした情景を描写する。寒い冬の日々から解き放たれ、春になった時のしみじみとした喜びは、日本人にはよく理解できる。そして少し憂いに満ちた感覚も。春のト長調。

第3番のレチタティーヴォに続き第4番は、 シモンが田園風景を歌う。ここを初めて聞いた時、これは「驚愕」交響曲の第2楽章であることに「驚いた」。こういう転用は何とも憎い。素朴なハ長調。

第5番もレチタティーヴォである。以降、レチタティーヴォにアリアや合唱、またはその両方が活躍する曲という構成が続く。第6番は、そのままルーカスによる歌と合唱となる。「田園交響曲」のヘ長調で、色に例えると緑だろうか。

第7番はソプラノのレチタティーヴォ。続く第8番は2つの部分からなる長い曲である。まずソプラノとテノールの独唱は若者たちの歌であり、これに合唱が加わる。希望と喜びに満ちたイ長調。ここで戯画的な模倣のシーンが登場して、「四季」を聞く楽しさが倍増する。春たけなわといったところ。

第8番の後半は「春」の終曲である。力強くもしもじみとした神への賛歌はミサ曲を思わせ、後半のフーガも含め全体的に宗教的な荘重さを持っている。祈りの変ロ長調。


【第2部「夏」】

「夏」のイメージはけだるさだが、そのような音楽で始まる。だがこれは個人的な主観に基づくもので、実際は第9番はハ短調の夜明け前。

さて第10番である。ホルンのきれいなメロディーで夜が明ける。独唱を挟みながらオーケストラがイメージするのは、鶏の鳴き声。「目覚めた羊飼いは 、喜ぶ羊たちを呼び集め」、「朝焼けに空が赤く染まっていく」。ああ何と夏の夜明けの神々しいことか。 「薄い雲は煙のように消え 、空は群青色に澄み渡り・・・」はやり「四季」を聞くときは歌詞を追いたい。

太陽への賛歌はこれからが本番。第11番はラルゴの二重唱に合唱が加わる。 命の源である太陽は、洋の東西を問わず、崇められる存在である。太陽、そして創造主への感謝は力強く、そしてしみじみとした情感に満ちている。高尚で華美、雄大で宗教的なニ長調。

「夏」の後半は第12番から第18番まで続く。第13番はカヴァティーナ。いよいよ夏のだるさが歌われる。「花は萎れ、草は枯れ、 泉は干上がり、全てのものが灼熱に苦しんでいる」。 生物は生気を失い、農民も一休み。首を垂れる麦畑が黄色に染まったホ長調。

第14番の長いレチタティーヴォに続き第15番はハンネのアリア。オーボエの音色が美しい。涼しい木陰に、さらさら流れる小川。虫は這い、羊飼いは草笛を鳴らす。静かでゆったりした変ロ長調。

第16番は再びレチタティーヴォ。遠くから雷が轟き、やがて雨がポツポツと降り始める。そして第17番はとうとう夕立がやって来る。稲妻が光り、驟雨となる。合唱が歌う。激しい雨は地面をたたきつけ、「大地は揺さぶられ 、海の底まで震え上がる」。ここはやはり激烈なハ短調。

音楽はこのまま終曲である第18番に入る。嵐が去った後の夕暮れ。西日を浴びた畑は黄色に輝き、雫が光る。こおろぎやカエルが鳴く。やがて夕べの鐘が鳴り響き、空には星が輝き始める頃、農民たちは一日の仕事を終え家路につく。平和で牧歌的なヘ長調。安らぎのうちに「夏」が終わる。


【第3部「秋」】

秋になった。乾燥した涼しい風がさわやかに吹き、空は青く高い。温帯性気候の中で育った私は、この「日本晴れ」という、いつのまにか最近耳にしなくなった天候が大好きである。「秋」の冒頭は、そのような日本人にも実感を持って聞くことのできる音楽だと思う。

第19番は序奏(豊作への喜び)。短いレチタティーヴォに続く第20番は、木管楽器が美しいアリアに合唱が絡む。幸福な音楽にほれぼれする。素朴で飾り気のないハ長調。

第21番の短いレチタティーヴォに続く第22番は、 テノールの「Kommt Hier(こちらにおいで)」という歌詞が印象的。ソプラノとの二重唱になり、クラリネットが柔らかく陰影に富んだ魅力的な曲(変ホ長調)である。

第23番のレチタティーヴォに続き第24番は、冒頭バロック風のメロディーになって驚くが、そこでバリトンのアリアが歌われる。ファゴットの活躍するイ短調。だがびっくりするのは、田畑を荒らす鳥たちを打ち落とすシーンでの射撃の描写である。急速な音楽が耳を奪う。

第25番も劇的なレチタティーヴォで、言わばこのあたりからがこの曲のクライマックスであると思われる。第26番ではホルンが大活躍する(ニ長調)。これにフーガを伴った合唱が絡んでいく様は圧巻である。狩りのシーンを描写したものである。ここだけはカラヤンの演奏で聞くベルリン・フィルの演奏に軍配が上がる。壮大な「英雄」の変ホ長調。

これで第3部が終わるのかと思いきや、さらに第27番でのレチタティーヴォに続く第28番でのアレグロの賛歌が威勢よく始まり、その後の3拍子の合唱へとなだれ込んでいく。豊作を祝う農民の祭りである。ハ長調。ここでトライアングルとシンバルが加わり、収穫の舞曲は頂点に達する。


【第4部「冬」】

寒い冬がやってきた。音楽はいきなり寒々とするから不思議なものだ。第29番の序奏は霧が立ち込める情景から。続く第30番でもハンネも冬を告げる。「光は陰り、生命は衰え」、「暗くて長い夜が訪れる」。

第31番レチタティーヴォ。ルーカスまでもが不毛な冬の自然を語る時、オーケストラは凍った湖、降り積もり雪を描写する。 疲れと寒さで人の心からも活力は失われ、迷い、うろたえるのだが、後半は明るい。第32番は悲しいホ短調。ハイドンの音楽はいつも自然で、そして明るさを失わない。ベートーヴェンもシューベルトも、この音楽にどれほど影響を受けたことか、と思う。

第33番のレチタティーヴォに続き第34番は合唱付きの速い曲。暖炉のそばで集う農民。糸を紡ぎ、織って仕立てる。仕事に精を出す歌声は「唸れ、回れ、糸車!」と、オーボエの音色が印象的なニ短調。

やがて仕事も終わり、談笑にしばし和む農民たち(第35番)。ハンネは話し出す(第36番、ト長調)。貴族が村の娘に惚れるが、娘はそんな申し出を一笑に伏す。「ハ、ハ、ハ、ハ」と合唱。

第37番はレチタティーヴォ。続く第38番はラルゴのアリアである。 「重苦しい不安は どこへ行ったのだ、至福の日々は!」と。「希望や幸福は失われ、徳のみが嘆きの時も喜びの時も至高の目的に人々を導く」と。陰気で陰鬱なバスによる変ホ長調。

だがトランペットが鳴り響くと第39番の三重唱と合唱が始まる。調性はハ長調に転じ、神の導きを乞うフーガとなり、次第に壮大さを帯びてくる。曲も終わりに近いことを実感する。「天の門が開き聖なる山が現れる」。感動的なフィナーレは5分余りに亘って続く。苦しみの冬は過ぎゆき、永遠の春が訪れるのだ。アーメン、と締めくくられるコーダは「天地創造」と共通する。

----------------------------------------
何度も録音で聞いていたのに、初めて実演に接した時の感動は忘れられない。歌詞を追いながら聞いてゆくと、こんなにも細やかで表情が豊かであり、それと同時に崇高で美しい。演奏は、完成度が高くこの上ない美しさを誇るカラヤン盤と、モダン楽器による細部にまで表情を凝らしたアーノンクール盤に未練を感じつつも、カール・ベームによる古い録音が最も気に入っている。ここでベームは持ち前の強直な指揮をしつつも、音楽に対する愛情を最大限に表現している。その古風で質実剛健な表情が、この録音にしかない魅力となっている。ただ評価の高いヤーコプス盤と、今では廃盤となって入手不可能なコリン・デイヴィス盤(英語)は残念ながら未聴である。

ベーム盤の管弦楽はウィーン交響楽団である(1967年)。そのことがウィーン・フィルとはちがった緊張感をもたらしている。おそらくスタジオ録音だと思われるが、 まるでライヴ録音のように白熱を帯びている。独唱人はグンドゥラ・ヤノヴィッツ、ペーター・シュライアー、マルッティ・タルヴェラという豪華な顔ぶれ。スタジオに数多配置されたマイクの前で、熱い演奏を繰り広げる往年のベームの指揮姿が目に浮かぶようである。

2017年10月14日土曜日

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」(2017年10月4日、新国立劇場)

新国立劇場の17-18シーズンのこけら落とし、ワーフナーの楽劇「神々の黄昏」は、今シーズンで最後となる飯森泰次郎が指揮する読売日本交響楽団という組み合わせ。読響はこの劇場のデビューだそうである。プレミアの10月1日には皇太子もお見えになったという舞台を、2回目の公演である4日に見に行った。この時の感想を、早く書いておかねばと思いながら、なかなか筆が進まない。どういうわけかわからないのでが、今回、そういうわけでブログの更新が遅れてしまった。

このブログを5年以上も続けてきたにもかかわらず、何から書き始めていいのかわからない、というのが正直なところだ。その理由は、これもよくはわからないのだが、まず体調が悪かった。1か月ほど前から座るとお尻が痛く、しかも目がぼやける。この状態で公演に行けるだろうか、と随分前より心配だった。たとえ行けたとしても、6時間にも及ぶ公演時間は、数あるオペラの中でも最長の類に入る。

だがワーグナーの最高傑作を、かのバイロイトにも出演するような歌手で聞く贅沢を考えると、仕事を休んでも出かける価値は十分にある。人生に幾度もない機会だからである。職場から新国立的城は歩いて10分余り。午後から会社を休むつもりだったが、体調を整える必要から計画を変更し、朝から自宅で療養、昼には行きつけのマッサージに出かけた。コンビニでサンドイッチなどを買い込んだのは2時過ぎで、それから初台のバーで一休み。とはいえ飲み過ぎると2時間にも及ぶ第1幕に、トイレに行きたくなったら困る。事前にアマゾンで座布団も購入し、満を持して出かけたが、何とオペラ・グラスを忘れてしまった。

仕事や家庭の事情に振り回され、ストレスの多い毎日である。そんな時にも「指環」は聞かねばならない。4月に聞いたヤノフスキのN響の演奏(東京・春・音楽祭、演奏会形式)を思い出しながら、ベームやティーレマンの歴史的ライヴ録音でおさらいし、さらにはかつてビデオで見たシェロー(ブーレーズ盤)や ルパージュ(ルイージのメト盤)などを思い出してみた。どれも大変な名演である。4月の公演では、ジークフリートが急な交代で力不足だったこと以外は、息もつかせぬ演奏に心を打たれた。メトの大舞台に設えた、縦に回転する何枚もの板の列にライン川の水面やローゲの炎が表現される。そこが何ジークフリートの死で次第に赤く染まっていくシーンなどは、圧巻であった。

それに比べると、今回のゲッツ・フリードリヒの演出は、今となっては少し古く、そしてやや簡素であると思われた。新国立劇場のハイテク装置をうまく使えば、もっと効果的な演出も可能だったのではと思ったのは、どうも3階席ともなると舞台の奥が良く見えない。幕はもっと上まで上がるのではないかといつも思うが、それがまず不満である。やはりオペラは1階か2階の席で見るべきなのだろうか。今回も安い席にしたことを、少し残念に思った。

オーケストラの音量は確かに大きく太い。随分練習を重ねたであろうその音色はワーグナーの世界を表現するには充分であった、とここでは書いておこうと思う。第1幕の冒頭の和音から、それは感じられた。最初は少し緊張感も高かったように思われたが、第3幕の聞かせどころでは完璧に決まった。その「ジークフリートの死」では、舞台上にジークフリートが横たわったまま暗い中にかすかに浮かび上がる。音楽は滔々と高らかに鳴り響き、クライマックスを迎える。むしろ音楽を中心に据えた演出はおそらく古典的なものだが、今ではもっとヴィジュアルなものが好まれるような気もする。

歌手についても、一通りここに書かなければならない。けれどもそれは、実は少々苦痛である。というのは、それらを評価するほどに聞きこんでいないことに加え、どういうわけか今回の演奏は、全体的に興に乗らなかったからである。ごく個人的な感想として、かなり客観性は欠いているかも知れないことを承知の上で言うと、ブリュンヒルデを歌ったペトラ・ヤングは、第2幕まではまずまず好調だったと思う。だが最後のシーンでは少し息切れであった。それに比べると、ジークフリートを歌ったステファン・グールドは第3幕に照準を合わせることに成功し、そればかりか第1幕から安定していたように思う。ただ細身の、若くてたくましい容姿を希望する向きには、ちょっと期待が異なるなどということは、まあ書くべきではないことだろうと思うが・・・。

ハーゲンのアルベルト・ペーゼンドルファーはとても良く、私にはこの日一番の聴きごたえ。さらにグンターのアントン・ケレミチェフは、第2幕の後半で、とてもうまいなあ、と思った。グートルーネは安藤赴美子。及第点の出来栄え。そしてヴァルトラウテのヴァルトラウト・マイヤーは、ブリュンヒルデの妹なのだが、むしろ貫禄十分である。何か母親が来て娘を説得する感じ。彼女は出番こそ少ないにもかかわらず、第1幕のカーテンコールで圧倒的な歓声をかっさらていた。かつて学生時代に受験勉強をしながら聞いたバイロイト音楽祭の録音放送に出ていたような歌手を、生で聞いているかと思えば感無量である。

その他、3人のノルン(竹本節子、池田香織、橋爪ゆか)もほれぼれとするハーモニーを聞かせたと思う。3人は第3幕の冒頭で、舞台の下から出てきて、ライン川を象徴するLEDの幾本ものバーをくぐりながら歌う。この青いLEDは印象的なのだが、ちょっと簡素であり、そしてやや辛気臭い。それは赤い紐や岩山を取り囲む炎など、全体的に言えることで、もう少し贅沢な舞台を期待していた私は少しがっかりであった。お金をかけるべきというよりは、照明や舞台装置をもっと工夫できないか、といつも思う。私はここ新国立劇場で見た照明の美しさに何度も感動しているから(「夕鶴」とか「影のない女」、それに「ピーター・グライムズ」)、いつも期待してしまうのだ(「トスカ」や「アイーダ」もいい)。

やたら主役とばかりに鳴りまくるオーケストラに、今ではちょっと質素な演出。 にもかかわらず私はあっという間の6時間を楽しむことが出来た。第2幕はオペラチックな雰囲気も楽しめるが、そこで「指環」唯一の登場となる新国立劇場合唱団も、いつものように上手い。それから普段あまり気に留めないことなのだが、字幕が現代風でとてもわかりやすい。文語調だった4月の「東京・春」とは対照的である。それがあの、ワーグナーの古風で大時代がかった、まるで時代劇でも見るような雰囲気に相応しいかどうか、実際のところよくわからない。

幕間には40分程度の長い休憩時間もあり、私はいつものように屋外に出て、もうどっぷりと日の暮れてしまった夜空に映える高層ビル群を眺めながら、しばしワインのグラスを傾ける。吹いてくる風はもうすっかり秋めいており、かといって寒さは感じない。ただ少し湿気の多い天候は、ちょっとワーグナーには合わないかも知れない。

今回はどうしても文章に書くことが楽しめない。他の方々の意見も総合すると、やはりこれは個人的な問題、特にストレスと体調によるのではないか、と思っている。演奏の水準は相当高いが、なぜかあまり入り込めなかった演奏。それが個人的なものか、それとも客観的なものか、そのあたりがどうもよくわからない。でも、歌手やオーケストラのせいでレベルの低い公演は想像がつく。そうでなかった、とだけはハッキリ言えるのは確かである。


2017年9月12日火曜日

東京都交響楽団第840回定期演奏会(2017年9月11日、サントリー・ホール)

半年に及ぶサントリー・ホールの改修が終わり、その直後にあたる9月11日、都響の定期演奏会に出かけた。ハイドンのオラトリオ「天地創造」を聞くためである。月曜日だというのに、しかも前日には別の会場で同じプログラムを演奏していると言うのに、客席は満席に近く、この演奏会の前評判の良さがうかがえる。音楽監督大野和士が満を持して挑むハイドンの最高傑作に、何とスウェーデン放送合唱団が登場するではないか。しかも字幕付きである。

こんなコンサートに出かけないわけには行かない。ただでさえ「天地創造」を生で聞く機会などそうあるわけではない。7月には早々と1階のS席を確保し、体調を万全に整えた。仕事の疲れも残ってはいたが、今年の9月は早くも涼しい風が吹き、新シーズンの幕開けに相応しい華やいだ雰囲気を感じるのは期待値のせいか。

大野和士を聞くのは初めてである。そしてもちろんスウェーデン放送合唱団も。アバドのCDなどによく登場するこの北欧の洗練されたプロ合唱団は、今ではペーター・ダイクストラによって率いられている。彼はバイエルン放送の合唱団で名を馳せた実力派である。ハイドン一美しい、いや世界の音楽の中でもっとも美しいこの曲を、最高峰の合唱で聞けるというのがこのコンサートに注目する最も大きな理由である。

ところが演奏が始まると、どの一音たりともおろそかにせず、集中力と気合の入った演奏に一気に釘付けとなった。まだ「混沌の描写」である。その何かを感じさせるような重々しい雰囲気は、やがてラファエルの「はじめに神は天と地をつくられた」と歌う荘重さに引き継がれ、会場が固唾を飲んで聞き入るような緊張感に包まれる。ようやく合唱が静かに歌い始めると、丸で会場全体がひとつのバランスの取れた気球に乗っているように感じられた。まったくもって必要十分と言える絶妙のバランスは、少人数の合唱団だけに限ったことではない。3人の独唱とオーケストラまでもが、こんなにも上手くブレンドされた演奏は初めてである。完璧にミキシングされたCDでしか、こういう音は聞けないと思っていた。だがいままさに、ここで、このような瞬間の連続に接している、そう考えると体が硬直し、涙が出るような感動に何度も見舞われるのだった。

「光あれ!」と叫ぶ冒頭の頂点に達する以前に、私はこの演奏が類まれな名演であることを確信した。十分に練習が重ねられ、何度もの調整を経て、この演奏が可能となったのだろう。それは慎重に節度を保っていることに加え、音色はビブラートが抑えられ気味であることによって、新鮮でピュアであった。木管楽器の奏者は、自分のパートを完璧にこなし、独唱や合唱と重なっても大きすぎず小さくもない。指揮者の正面でチェンバロがレチタティーボの伴奏に始めるたびに、私は深く息を吸い込んで我を取り戻すことを繰り返した。

これまで何十回となく聞いてきたどの演奏よりも素晴らしいと思ったのは、それが実演であるからだけではないことは明らかだった。これは現在経験し得るもっとも完成された演奏のひとつであると言ってよいだろう。次々と進められてゆくハイドンの音楽に深いため息をつきながら、あっという間に前半が終わった。ただ前半が終了したのは第2部の中間地点で、その時点でまだ神は人間を創ってはいない。第3部から後半とすると前半が長くなりすぎるのを避けたのだろうと思う。けれども私は前半に第2部を最後まで一気に演奏してほしかった。

後半はその人間創造のシーンから始まり、第3部のアダムとエヴァによる人間賛歌へと移っていった。ハイドンの音楽はますます磨きがかかり、私がいつもクライマックスだと思うアダムとエヴァによる二重唱を始めとする約10分間は、至福のひとときであった。「アーメン」と深くコーダの余韻を残しながら音楽が消え行く時、会場にはしばし静寂が訪れ、そして静かに、だが確信に満ちた拍手が始まった。以降、何度もソリストや指揮者が舞台に読み戻されるに連れ、それは次第に大きくなり、やがて最高潮に達した。見ると1階席の真ん中を足早に通り過ぎる長身の外国人がいた。カーテンコールに呼ばれた彼は、合唱団を率いるダイクストラ氏であった。

3人の独唱は、ソプラノが林正子(ガブリエルとエヴァ)、テノール(ウリエル)が吉田浩之、そしてバリトン(ウリエルとアダム)がディートリヒ・ヘンシェルであった。ヘンシェルは安定した見事な歌でまったくもって素晴らしかったが、吉田の声も特筆に値する。彼は透明で良く通るキレイな声を、大変上手く表情をつけながら、最後まで歌い切った。ドイツ語の歌としても及第点だと思う。それに比べると林の歌は、声量こそ確かなものの、表情にやや雑な部分があり、ドイツ語の発音にも違和感があった。フランス・オペラの歌手ならこういう歌い方だろうか。だが彼女も声の通り方に不満はなく、後半では気にならない程であった。

大野和士という指揮者を初めて聞いたが、指揮はわかりやすくて安定しており、演奏のコンセプトが合唱やソリストにもよくいきわたっていたと思う。完成度の高さにおいて、今回触れた「天地創造」の実演はなかなかのものだったと思う。合唱の美しさ、それが管弦楽やソリストと合わさって和音を形成する時、左右から広がりのある歌声と楽器が次から次へと重なっては絡み合い、時には静かさの中に余韻を残した。

もし可能なら次は「四季」を聞いてみたい。私はよりハイドンらしい茶目っ気の感じられる「四季」の方が好きである。だがこちらもほとんど実演で聞いたことがない。規模も大きく華やかなのに、実演に接する機会はずっと少ないだろう。ハイドンの合唱作品など、予算がかかるうえ宣伝効果に乏しいのだろうか。だが今回の「天地創造」で見せた実力をもってすれば、それも可能ではと思わせる。それから字幕が用意されていたこと、詳しい解説書が配布されたことなどは、当たり前のように思っている人もいるが、大いに評価しておくべきだ。でないとあの音楽による擬態表現がまるでわからないからだ。

指揮者とソリストは、とうとうオーケストラが引き上げても続く拍手に、再度呼び戻された。いつまでも続くブラボーと拍手は、会場に詰め掛けた聴衆の多くが今回の演奏の高さを評価していたことの証明に他ならない。Twitterで「明日ももう一度聞いてみたい」と書いていた人がいたが、この方は前日の東京芸術劇場の公演を聞いているようだ。今日、私も同じように思う。けれども同時に、こんな嬉しい演奏には、もう少し余韻に浸っていたいとも思う。もう十分に音楽を楽しんだという充実感が、私を覆っていた。気が付くともう9時半で、そうかこの拍手は30分近くも続いたのか、などと思いながら、溜池山王への足取りを速めた。

2017年9月11日月曜日

モーツァルト:歌劇「イドメネオ」(The MET Livein HD 2016-2017)

モーツァルトの音楽人生を2つの時期に大別するとしたら、ザルツブルクでの生活(すなわち幼少期からのイタリアを始めとする欧州各地への旅行と、大司教に仕えることになる青年時代まで)と、単身ウィーンに乗り込んで、音楽史上初のフリーランス作曲家として活躍する後年の時代とになるだろう。

モーツァルトの有名なオペラ作品の大半は、後半のウィーン時代に作られたものだ。ダ・ポンテの台本による3部作は特に有名で、古い風習に囚われたオペラを人間味あふれるドラマとして構成するという前代未聞の試みをやってのけた。これはオペラ史における大転換となるのだが、そのモーツァルトもザルツブルクではまだ、貴族の依頼に基づく古い形式に則ったオペラを作曲し、いろいろ台本に注文をつけながらも、溢れる才能を注ぎ込んだ。

そのような作品の中の最高峰であり、かつ新しい時代へと向かう直前の作品である歌劇「イドメネオ」は、ギリシャ神話に題材を取った伝統的なオペラ・セリアで、まだバロックの名残りも感じられる作品である。モーツァルトの中では影が薄い方だが、今でも上演回数は比較的多いことから、この作品以降がモーツァルトの「聞くべきオペラ」ということになっている。

「イドメネオ」は実際、後年のモーツァルト・オペラの大躍進を窺う才気に満ちた作品だが、その音楽的充実とは逆に、生前わずか1回しか上演されなかったという(実際には後年ウィーンにて、ごく小さな部屋で私的に上演されたらしい。このあたりは「モーツァルト オペラのすべて」(堀内修・著、平凡社新書)に詳しい)。

西洋史がここから始まるとされているトロイア戦争でギリシャが勝ち、トロイアの王女イリアは囚われの身となっている。クレタ王イドメネオの息子であるイダマンテは、そんなイリアを愛してしまう。イリアもイダマンテを敵の王子と知りながら、その愛に応えようとして葛藤に悩む。だが、やがてクレタ王となるであろうイダマンテの妻の座を、アガメムノン王の娘エレットラが狙っている。こちらは味方だから、その地位に相応しいはずだ、というのである。

二人のソプラノ(イリアとエレットラ)、それにイダマンテ(メゾ・ソプラノ)を加えた3人が第1幕から聞きどころの多い歌を披露する。特にエレットラは起伏の激しいアリアを披露して「魔笛」における「夜の女王」を彷彿とさせる。いやその前に、何と充実した序曲が奏でられることだろう。グルックがもたらしたオペラの大規模化は、このようなところにもしっかりと現れている。

ある日、イドメネオは戦場からの帰途、嵐に合い遭難して死亡したとの知らせがもたらされる。だがこれは誤報で、実際には命からがら生きて漂着するのだ。そこに息子のイダマンテが現れる。最初はイドメネオであるともわからない。だが、よくよく話してみると父ではないか。生きていたことがわかるイダマンテは喜びに溢れるが、父のイドメネオを何故か息子を避けようとする。

その理由は第2幕で明確に明かされる。海の守り神ネプチューンが、イドメネオの命と引き換えに、最初に出会った人を生贄に差し出すことを約束させたからだ。父は自分の息子を殺すことになる運命を認めたくはない。イドメネオは考えた挙句、イダマンテをエレットラとともに出国させ、その場を凌ごうとするのだ。だがこれにネプチューンは怒り、嵐が起こる。

冷静に考えると単なる三角関係のオペラも、ネプチューンやら何やらで第2幕は聞きどころの多い音楽だ。アリアはバロックの風習に倣って繰り返しが多く、そのことが少し疲れさせもする。加えて今回Met Lineで上演されたジャン=ピエール・ポネルの古色蒼然とした演出は、動きが少ない上に舞台装置がほとんど変わらない。これは演奏がよほど上手でないと退屈だし、それにMetの舞台はこの時代のものを上演するには広すぎる。

それでも定評あるジェイムズ・レヴァインの指揮は、引き締まったところとメロディーを十分に歌わせる部分とをごく自然に使い分け、この作品の一時代を築いた演出を今なお新鮮に表現する。初めてレヴァインがこの曲を上演した時、イドメネオを歌ったのはパヴァロッティで、その時に今回イリアを歌ったネイディーン・シエラはまだ生まれていなかったというから驚きだ。

一方、エレットラを歌ったのはエルザ・ヴァン・デン・ヒーヴァーで、このヒステリックで表現の幅の広さが要求される役を十分にこなしていたと思う。いやそれどころか最終幕で怒り狂うシーンは圧巻で、満場の喝采をさらっていたのが印象的である。また初演の際、カストラートによって歌われたイダマンテは、テノールではなくメゾ・ソプラノが歌う。つまりはズボン役だが、これがどうも見ていてしっくりこない。かといってテノールが歌うと、音域がイドメネオとバッティングしてしまう。このオペラの欠点のような気がしてならない(作曲は初演時の歌手を想定して進められたのが、その理由である)。

標題役のイドメネオはマシュー・ポレンザーニで、リリカルな歌声はこの高貴な役に今もっともふさわしいと感じさせるに十分である。聞きどころは重唱を含め数多いが、私たちはCDなどでパヴァロッティとどうしても比較してしまう。そのくらいこの役はパヴァロッティの当たり役だったのではないか。 そのパヴァロッティの歌うイドメネオは、今ではCDならプリッチャード指揮のウィーン・フィルで、DVDならレヴァインの指揮で味わうことが出来る。私もプリッチャード盤を持っているが、しかしながら、「イドメネオ」の他の演奏を知らないのも事実であり、この演奏が最高であるのかどうかはわからない。

第3幕でイドメネオはとうとうイダマンテを生贄として差し出す決心をしたとき、ネプチューンの声がこだまする。これは本日のMet Liveの進行役エリック・オーウェンズが歌ったようだが、舞台には登場しない。ネプチューンはイドメネオの退位とイダマンテの即位、それにイリアとの結婚を宣言し、舞台は一転ハッピー・エンドとなる。愛の勝利にひとり怒り狂うエレットラ。

このオペラのテーマは一見上記のように単純なように見える。だがそれですまされない要素がある。それはこのオペラが「父と息子」の関係を描いた数少ないオペラであるからだ。思えば、「父と娘」のオペラなら星の数ほどある。ヴェルディのオペラやワーグナーのタンホイザーなどがそうで、自ら二人の娘を失ったヴェルディは、すべての作品にこのテーマを追い続けたと言ってよい。その最高峰は「シモン・ボッカネグラ」ではないか。あの「椿姫」だって、ヴィオレッタをジェルモンの娘にするかどうかの駆け引きに重点が置かれ、アルフレードの存在感は薄い。

「母と娘」もある。ポンキエルリの「ジョコンダ」がそうである。また「母と息子」も探せばあって、「イル・トロヴァトーレ」がそうではないかと思いつく。もっとも実の親子ではないが。それに比べると「父と息子」はドラマになりにくい。いや「イドメネオ」におけるイドメネオとイダマンテの葛藤は、心理劇と言うには少し形式が古いのは事実だ。だがここに描かれる二人の関係は、そのままモーツァルト自身の親子関係が反映されているように思えてならない。

実際にモーツァルトは「イドメネオ」の上演が成功に終わると、そのままザルツブルクへは戻らずウィーンに出かけてしまう。とうとう親の反対を押し切って独立したのである。「イドメネオ」はもともとその1世紀前にパリで初演された劇の台本を元にしている。だがこの台本に音楽を付け、自らも何かと口を出して成功させたオペラの制作過程で、いよいよモーツァルトの独立心は決定的な親子の決裂(そしてザルツブルクとのそれ)を招くのである。その父と和解するのは、ウィーンに出てしばらくしてからのことである。神が古い立場の人を退け、新しい生活を始める息子を祝福するこのオペラは、そのままモーツァルト自身の成長物語となっている。

2017年8月20日日曜日

ハイドン:オラトリオ「天地創造」(ゲオルク・ショルティ指揮シカゴ交響楽団他【81】)

ハイドンの最高傑作である「天地創造」は、旧約聖書の「創世記」及びミルトンの「失楽園」を台本化したものを、ヴァン・スヴィーデン男爵がドイツ語に翻訳し、それを元に作曲された。ハイドンが英国滞在中に触れたヘンデルの大規模なオラトリオに触発され、ほとんど知られていない「トビアの帰還」に次ぐ、自身第2番目のものである。ちなみに第3作目のオラトリオは「四季」であり、この二つの作品を頂点だとするハイドン研究家は多い。私もそう思う。

「天使創造」は全3部から成り、第1部と第2部は「創世記」の第1章そのものに音楽を加えた、非常に描写的な音楽で親しみやすい。これはまるで標題音楽のようでもあるが、旧約聖書という、いわば西洋社会の精神的支柱でもある書物の冒頭に音楽を付けるということは、極めて野心に満ちたものであったに違いない。後年の作曲家にこの「天地創造」を音楽化するという試みを、私は知らない。

【第1部】
第1日:導入部・混沌の描写…「天と地」「光あれ!」
  • ①初めにオーケストラが静かにカオスの世界を描写する。日本書紀における「天地開闢」と似たような世界でもあるのは興味深い。「神はまず天と地を創られた」とラファエル(Bs)が始めるその語りは荘厳である。合唱が「光あれ!」と叫ぶ時、音楽がフォルテとなって、この長い物語が始まるとき、私は身震いのような感激に見舞われる。
以下、神の成した偉業を説くセリフは、かわるがわる天使たちによって歌われる。登場する天使たちは、ガブリエル(ソプラノ)、ウリエル(テノール)、ラファエル(バス)である。ソプラノは第3部で人間が登場するとエヴァの役を兼ねることもあり、またバスはアダムを兼ねることがあるため、最低3人の独唱と合唱団が、演奏に加わる。音楽はレチタティーボとアリアまたは合唱などを繰り返しながら進む。番号が付与されており、とてもわかりやすいが、実演では字幕がないと楽しめないだろう。聞きどころを中心にまとめておきたい。

第1日の後半はウリエル(T)のアリアで、そこに合唱が加わる。ハイドンの作曲した音楽は、以降、とても美しいメロディーが気高く続くが、常に節度を保っており劇的な要素は抑えられている。後に「四季」で示したようなあからさまな情景描写は、ここではまだ遠慮気味である、と思う。

第2日:空、海、大地
  • ②前半のラファエル(Bs)によるレチタティーボにオーケストラが入り、嵐、雷、川、雨、それに雪といったものが示される。そのままガブリエル(S)の歌唱となるところで初めて女声が加わって、音楽に膨らみと温かみを与える。合唱がそれに掛け合い、いよいよ「天地創造」の物語が始まる、というわけである。
  • ③後半はラファエル(Bs)のレチタティーボとアリア「海は激しく荒れ狂い」、やがて大地は広がる。音楽は前半が激しく、後半はのびやかである。
第3日:草木
  • ④ガブリエル(S)によるレチタティーボとアリア「今や新たなる緑、野に萌え」。
  • ⑤ウリエル(T)の短いレチタティーボに続き合唱が力強くフーガを歌う。「弦を合わせよ、竪琴を取れ」
第4日:昼と夜、季節、太陽や星
  • ⑥ウリエル(T)によるレチタティーボの間に挿入されるオーケストラ曲は、太陽の輝きを表している。「今や輝きに満ちて」。そして合唱と全ソリストが高らかに神を讃え、第1部が終わる。
【第2部】
第5日:様々な生き物(鳥、魚、動物たち)
  • ⑦第2部はガブリエル(S)によるレチタティーボとアリア「力強い翼を広げて」で始まる。ここの歌は素晴らしい。古典的な様式に乗っ取りながら、鷹、雲雀、鳩、ナイチンゲールなどの鳥たちが現れる。美しく明るいメロディーは純粋で屈託がない。鳥たちはまだこの頃、悲しさも嘆きも知らないのである。
  • ⑧ラファエル(Bs)による重々しいレチタティーボ(鯨の描写である)に続き、またもや比類なき美しい調べが続く。まずガブリエル(S)が「若々しき緑に飾られて」と歌う。これは丸でシューベルトのような音楽だ。続いてウリエル(T)、さらにはラファエル(Bs)までもが同じメロディーに乗って様々な生命の誕生を歌う。天使たちの三重唱に合唱が加わる。音楽は徐々に速度を速めて行く。
  • ⑨ラファエル(Bs)によるレチタティーボでライオン、虎、鹿、馬、羊、虫、毛虫までもが登場する。ハイドン音楽の真骨頂である。そしてアリア「今や天は光にあふれて輝き」と歌うが、その内容はやや物足りなげである。まだ創造されるべきものが欠けているからである。人間である。
第6日:人間(男と女)
  • ⑩ウリエル(T)のレチタティーボとアリア。またもやシューベルを思わせるメロディーにうっとりさせられる。時折挟まれるフルートの音色が印象的である。愛と幸福を祝う音楽の、何という美しさだろうか。
  • ⑪「大いなる御業は成りぬ」と文語調に訳すか「偉大なる仕事が完了し」と現代語に訳すか、その合唱に続いて天使たちの三重唱が続き、再び高らかに神を讃えながら(ハレルヤのフーガ)、第2部が終わる。
第6日目にして世界を創造した神は、第7日目に安息を取る。日曜日が現代において休みとなっているのは、神のおかげである。コンサートでもここでインターミッション(休憩時間)となる。

【第3部】
後半の約30分間は3つの部分から成り立っている。アダムとエヴァによる神への賛歌、愛の語らい、そしてエピローグである。
  • ⑫ラルゴの前奏に続いてウリエル(T)のレチタティーボ「バラ色の雲を破り」で始まる後半は、いよいよ最初の人間、アダム(Bs)とエヴァ(S)の登場である。その冒頭の二重唱「おお主なる神よ」は私が最も好む部分であり、この曲全体の最大の聴きどころでもあると思う。音楽はリズムを刻みながら合唱を加えて、しみじみと感動的である。ここの約10分のうちの後半は、再び合唱と絡みながら、最後にはフーガとなる。風が吹いて泉が沸き、草木は香る。鳥や魚が動き回る。奇跡のような美しさは例えようもない。
  • ⑬アダム(Bs)とエヴァ(S)のレチタティーボは語りに近い。だが二重唱に入るとその音楽は次第に速くなる。ホルンの音色が印象的。「優しい妻よ!」「大切な夫よ!」と対になった歌詞は、あらゆる二つのカップルの象徴である。
  • ⑭最終合唱「すべての声よ、主に向かって歌え!」と神に感謝を捧げながら、高らかに曲を閉じる。「アーメン、アーメン」。
--------------------
この文章を書きながら、「天地創造」は人類が聞くことの出来るもっとも素晴らしい音楽ではないかとさえ思った。耳元に流れていた演奏は、ショルティがシカゴ響と録音した1981年の旧盤である。ここで独唱はガブリエル:ノーマ・バロウズ(S)、ウリエル:リュディガー/・ヴォラーズ(T)、ラファエル:ジェイムズ・モリス(Bs)、エヴァ:シルヴィア・グリーンバーグ(S)、アダム:ジークムント・ニムスゲルン(Bs)である。見事なシカゴ交響合唱団の歌が、また素晴らしい。

だが私はこの演奏だけを聞き続けたわけではない。手元にあった6種類の演奏を最低3回ずつは聞いたと思う。何回かは箱根の山道を歩きながら、繰り返し繰り返し、聞き続けた。そして最終的にはショルティの骨格のしっかりとした演奏がひときわ気に入った。録音も素晴らしいが、何といってもこの演奏の素晴らしさは、オラトリオとしての壮大さを持ちながら、派手になっていない点である。ショルティとしては大人しいと感じる人がいるだろう。でもカラヤンだって、そのほかの演奏だって、実は控えめであると思う。この偉大な作品の前には、演奏の違いなど、さほど意味がないのだ。

2017年8月16日水曜日

東京都交響楽団演奏会(2017年7月17日、東京芸術劇場コンサートホール)

マーラーの作品の中でとりわけ異彩を放つのは「大地の歌」である。この曲は交響曲に分類されているが、実際は歌曲という色合いが強い。しかも他の交響曲作品にありがちな、大きなクライマックスを経ることもなく、どちらかというと室内楽的、内省的である。そういうこともあって、この作品は長年私を遠ざけていた。

聞かなかったわかではない。我が家にはワルターが指揮した極めつけのウィーン・フィル盤があったし、そのさわりを聞いては何か風変わりな曲だな、などと小さいころは思っていた。サントリーがウィスキーのコマーシャルに採用した時などは、この曲の東洋的な響きに興味を覚えたが、全曲を通して聴くことはほとんどなかった。バーンスタインの定評あるウィーン・フィル盤や、デジタル録音されたブーレーズの名盤など、私は買い求めてはお蔵入り。どうも苦手な曲、という意識は長年離れることはなかったのである。 

だから実演でも最後になった。私がこれまで聞いてきたマーラー作品の実演は、思い出すまま順に書くと、第1番「巨人」(ユーリ・テルミカーノフ指揮サンクト・ペテルブルク・フィル、他多数)、第2番「復活」(小澤征爾指揮ウィーン・フィル、サイトウ・キネン・オーケストラ、他)、第3番(シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団)、第4番(コリン・デイヴィス指揮ニューヨーク・フィルハーモニック、他)、第5番(ズービン・メータ指揮イスラエル・フィル、他)、第6番「悲劇的」(ジェイムズ・レヴァイン指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団)、第7番「夜の歌」(デイヴィッド・ジンマン指揮NHK交響楽団)、第8番「一千人の交響曲」(ズデニェク・コシュラー指揮読売日本交響楽団)、第9番(ベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団、他)、それにカンタータ「嘆きの歌」(秋山和慶指揮東京都交響楽団)などである。いずれも心に残る演奏だった。 

今回「大地の歌」の演奏会があると知ったので、自分のマーラー演奏会の一区切りにしようと思った。演奏はエリアフ・インバル指揮東京都交響楽団である。レコード録音もされているこの定評あるコンビは、80年代以降に何度もマーラーの全曲演奏会を重ね、今回が3度目とのことである。フランクフルト放送交響楽団を指揮したCDも発売されており、我が国では相当人気があるし、評価も高い。そして今回の演奏会には、独唱として何とアルトにスウェーデンのアンナ・ラーションが登場する。彼女はアバドの指揮するルツェルンの「復活」でも歌っており、私はそのCDを持っている。テノールはダニエル・キルヒ。それに演奏会の前半には交響詩「祭礼」もがプログラムに載っているではないか。 

交響詩「祭礼」は、いわば交響曲第2番「復活」の第1楽章である。この音楽は最初、第1楽章のみを交響詩として作曲し、その後で第2楽章以降を付け足した形となった。今では第1楽章のみの「復活」などあり得ないが、まあマーラー自身がそう作曲したのだから、これはこれで立派な作品というわけである。細かいところに違いはあるようだが、私はそこまでこだわらない。聞いた感じでは、ほぼ「復活」の第1楽章。衝撃的な和音と、何か地の底が割れて火山が噴火するようなフォルティッシモで始まるこの曲は、オーケストラを聞く醍醐味を味わうことができると同時に、極めて感動的でもある。特に主題が再現される部分の緊張感は、ライブの凄味というか何というか、会場が震撼するような慟哭の瞬間となる。 

今回の演奏も都響としては凄味のある名演で、アンサンブルも見事に決まり、会場からの拍手をさらった。だがこの曲が終わると休憩に入るには、何か違和感がつきまとう。やはり交響曲第2番として最後まで聞きとおすのが良い。というのも、この曲の素晴らしさは第2楽章の静かな安らぎを経て第3楽章の楽隊を聞き、さらには第4楽章の歌唱へと至る道程と、さらにはそれを上回る第5楽章の変化の連続…そこには合唱まで加わるという恐ろしいまでの規模にこそマーラーの深化、進化、いや真価が存在するからである。 

この長い心境の変化を都度再体験するマーラー実演の魅力は、聞いた人でないとわからないだろう。その最初の試みは第1番「巨人」ですでに始まっていると思われるが、本領を発揮するのは第2番「復活」からで、以降の作品はすべて、その再現の長い道のりを、いわば作曲家と共に歩むことになる。「大地の歌」においても、これは変わらないのだ。 

休憩を挟んで演奏された「大地の歌」の第1楽章では、冒頭テノールの響きが貧弱に聞こえたのは、席が3階席右端だったからだろうか、それともCDの聴きすぎか。しかし第2楽章になって今度はソプラノが登場すると、その力強くも繊細な歌声は会場に響き渡り、以降第3楽章からのスケルツォではオーケストラの明晰でドラマチックな演奏と相まって、聞き応えのある展開となった。 

第1楽章は酒と悲しさを、第2楽章は秋と淋しさを、そして第3楽章は青春を、第4楽章は美しさを、第5楽章は春の儚さを、それぞれ諦観に満ちた音楽で描く。東洋的なメロディーは時折中国風の音色をも伴うもので、そこに救いようもないペシミズムが横たわっている。第4楽章で少年が駆け回る馬を模した部分に、全体のアクセントがあるように思う。音楽が軽やかなのは、それが一瞬の出来事、地球の生命に比べれば小さいことを知っているからだろう。桜の花に人生の儚さを感じる日本人としては、誠に慣れ親しんだものだと言わざるを得ない。 

だから第6楽章において、それがながながと全体の半分を占める30分にも亘って語られたとしても、その考えは輪廻の世界、すなわち生あるものは甦るという思考に行き着き、救われるのだ。これはマーラーが第2番「復活」で求めたモチーフと重なるものだ。長女を失い、心臓病を宣告され、さらにはウィーンの宮廷歌劇場の総監督の地位を失うという悲劇が重なったマーラーも、自らの音楽によって救われたのではないか。 

長い終楽章には途中で歌唱の入らない間奏曲のような部分が存在する。ここに至ると、音楽そもののは変わらないのに、聞いている方の心境が変化するから不思議である。永遠に、そして永遠に、この音楽は続いてゆく。ラーションの声が静かに消え入るとき、会場の中は何か不思議な感覚に包まれた。もう何もできなかった。ただ音に耳を澄ませ、体をゆだねた。静まった会場からは何一つ聞こえない。十秒はそれが続いた。やがて少しずつ拍手が始まり、指揮者が振り向くと頂点に達した。各楽器を一人ずつ立たせ、そして交わす握手の間中、ブラボーの嵐は止むことがなかった。そしてオーケストラが立ち去っても、指揮者への拍手は続いた。

猛暑の池袋で、そこの会場だけが違った感覚に包まれていた。あれは何だったのだろうか。「大地の歌」は終楽章がすべてである。またマーラーの音楽に嵌ってしまった。

2017年8月8日火曜日

N響「夏」2017東京公演(2017年7月14日、NHKホール)

N響「夏」というコンサートは昔からあったが、私は今回が初めてである。若い指揮者がポピュラーな曲を演奏することで知られているが、今年は南米の若手ラファエル・パヤーレ。その風貌はアフロな髪形ながらも細身で、どちらかと言えばジャズか何かのミュージシャン風である。プログラムはブラームスの「悲劇的序曲」、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(独奏:ワディム・レーピン)、それにチャイコフスキーの交響曲第4番である。ホームページによれば、このコンビでこのあと大阪、松山、米子とツアーを組むようである。

だがここでも私は繰り返そう。私の7月の心理状態は、とても音楽を楽しめる状態ではなかったのだ。心理状態が音楽の体験と重なって思い出になるには、一定の時間の経過が必要だと思う。私はまだその時間が過ぎていない。少しづつ心が落ち着きを取り戻すようになって、やっとこの文章を書いている。音楽の記憶が薄れないように、この日に聞いた演奏のことを書こうと思う。だがどうしてもうまく思い出せないのは、やはり音楽に身が入らなかったからだろうと思う。

むしろ思い出すのは、NHKホールに向かって原宿より歩きながら、夏風にあおられてきらめく代々木公園の木々のきらめきに安らぎを覚え、脇のベンチに座って同行する予定の妻を待ちながら、じっとたたずんで思いにふけっていたことなどである。

今回の公演のチケットは、2階席の後方であった。NHKホールの難しい音響では、ここでの音の響きも共鳴の音が混じり、さらには狭い座席の中で聞くブラームスの悲劇的序曲などという渋いプログラムを、無理にやらなくてもいいのに、などと余計なことを考えながら、前半のプログラムは上の空であった。レーピンが大きな体をゆすりながらも余裕綽綽の体でブルッフを弾くと、それはそれで豊かな気持ちであった。時に聴衆はこの技巧派ヴァイオリニストに、アンコールが期待できることを知っていた。何度かの登場のあと、パガニーニの「ヴェニスの謝肉祭」をオーケストラ付きで演奏したのは驚きだった。

チャイコフスキーの交響曲第4番は、わたしにとっても思い出の曲である。それはどちらかというと苦しい思い出で、失意のうちに聞いた記憶と重なる。この重苦しい、ちょっと分裂気味の曲は、チャイコフスキーを誤解させる曲でもある。私は19歳の頃、受験が終わったその帰り道に、この曲のCDを聞きながら、完全に失敗したと思ったのだ。実際はだがそうではなかった。けれどその日のチャイコフスキーは私を重く落ち込ませた。まさにそれにうってつけの曲、そしてこともあろうに同じ曲を、同じような心境で聞いている!

パヤーレという若手のベネズエラ人指揮者は、あのデュダメルを生んだ「エル・システマ」の出身である。この第3世界(という表現はもはや死語になったが)の社会主義国で誕生した実験的音楽家育成プログラムは、お金も地位もない子供にも豊かな音楽教育を行うことで有名である。そこには一貫した思想があり、その模様は広くドキュメンタリー映画などでも知られるところとなった。今年のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのテレビ中継に、このシステムの生みの親であるホセ・アントニオ・アブレウ博士の姿もあった。

だからパヤーレという指揮者がどういう生い立ちかは知らないが、もはや堂々とした素振りで生き生きと演奏する姿にもはや違和感がない。若い指揮者はいいなと思う。チャイコフスキーは特に何も細工をしていないような、ストレートな表現で、先日のフェドセーエフなどとはまた違う演奏である。 ところどころ木管のフレーズの、とても憂いに満ちた印象的なメロディーもオーケストラは楽しんで演奏している。そしてこの演奏のあとにも、アンコールが用意されていた。歌劇「エフゲニー・オネーギン」からのポロネーズである。

ベネズエラ人の指揮するロシア音楽を日本で聞くことが、何も不思議ではなくなった。そういえば私は、ユジャ・ワンのラフマニノフをデュダメルの指揮する演奏が好きだ。そしてその熱狂的な拍手は、この演奏会場がカラカスのホールであることを思い出させるのだが、それとは対照的にN響「夏」の観客は、定期公演ほどではないにせよ大人しい。私はしばし音楽を聴くことで、心が安らいだ気がした。肩の凝らないポピュラー・コンサートであることを、私はむしろ嬉しく思った。


2017年8月7日月曜日

東京都交響楽団第836回定期演奏会(2017年7月10日、東京文化会館)

思い立ってマルク・ミンコフスキの指揮する都響定期に出かけた。月曜日上野でのコンサート。しかも1回限りである。梅雨明けを思わせるような猛暑が続く東京で、果たしてそんなに客が入るものかと心配したが、意に反して満席に近く、結構玄人受けするプログラムでも評判はいいのだなあ、と思った。前半はハイドンの交響曲第102番変ロ長調で、後半はブルックナーの交響曲第3番ニ短調「ワーグナー」(ノヴァークによる1873年初稿版)。なおミンコフスキを聞くのは2回目である。最初の経験は同じ東京文化会館で聞いたルーブル宮音楽隊による「グレイト」シンフォニー。それは愉悦に満ちた時間であった。

今回はさらに大名演となったこの日のコンサートに関し、私はなかなか感想を書くことができなかったのは、まったく個人的な事情による。それはすなわち、音楽を楽しむだけの心の余裕、ゆとりを持ち合わせることができなかったからである。でも前もって買ってしまったチケットを無駄にするのは惜しい。結局会社を早々に切り上げて上野に向かったのだが、まだコンサートが始まるまでの小一時間を、私はきつい西日の差す公園をあてもなく歩き、春は花見でごった返す広い歩道の片隅に腰掛け、缶ジュースを飲みながらしばし物思いにふけった。

寛永寺の境内でもあった広大な公園の光景は、私が上京してからも、いや初めてそこを訪れた小学生の時(それはあのパンダを見るためだった)、高校生のサークル活動で来た時と、幾度となく親しんだものだが、その時の光景もまた何年も記憶に残るだろう。東京文化会館の昭和の香りが漂う、いまとなっては少し狭い座席は、私の心をさらに重くさせた。3階席正面とは言え、私はそこで見るハイドンの音楽に、何かとても苦しいものを感じ、そして周りの聴衆が重苦しい拍手としたときも、いっそ逃げ出してしまいたい衝動にかられさえもした。

それは演奏が良くなかったからではない。この文章は客観的な評価をするルポではないから、私は自分の心に生じていた個人的な事情の故に、そこの音楽を楽しむことができなかったことを正直に記録しなければならない。あの名演で名高いミンコフスキのハイドンであっても。

都響の定期にでかけるのは何年振りかのことで、最近はN響ばかりに出かけていたから、オーケストラの上手さではN響にかなわないな、などということも考えた。しかし休憩をはさんでのブルックナーは驚きの連続であった。そして私にとって第3番は、これまで実演に接したことのある第6番(フムラー指揮N響)、第8番(バレンボイム指揮シカゴ響)、第4番(ブロムシュテット指揮N響)、第7番(スクロヴァチェフスキ指揮読響)、第9番(大植英次指揮大フィル)、第5番(ヤルヴィ指揮N響)に続く初めての実演であった。一度は実演で聞いておきたいと考えていたこの曲が、珍しい初稿版であったこともあり、何か初めて聞くような感じがした。

第2楽章では完全にヨーロッパの音がしていた。そしてミンコフスキは(ハイドンでもそうなのだが)、楽天的な響きがする。かといって空虚ではない。表情が明るくリズムがいい。そういうわけで第3楽章になると都響が最高の音楽を奏で始めるのだ。固唾を飲んで聞き入った聴衆は、長い第4楽章の、音が大きくなったり静かになったり、千変万化を繰り返す間も酔いしれ、音が鳴り止んだ時に訪れるしばしの静寂の後、大歓声に包まれた。拍手は何度指揮者が登場しても鳴り止まず、それはオーケストラが引き上げても続いた。

だが何度も繰り返すように、この日の私の個人的心理状態は最悪であった。その内容をここに書くことはできない。 後悔と焦燥感にさいなまれたこの状況は、その2日前のできことに始めり、そして以降1か月近く続くことになる。ここで聞いた3回のコンサートは、まるで私が別人であるかのような錯覚の中で体験したコンサートだった。できればこの素晴らしかったブルックナーをもう一度聞いてみたい。だが音楽は二度と同じ音を奏でてはくれない。私の心の風景も、もう二度と同じようにはならないだろう。だから、これはふたつの要素が「その時」を記録したものとして心に残るだけである。人生において同じ時間を再び過ごすことができない、という当たり前のことを、コンサートという非日常の空間が強調した。それは旅の記憶とよく似ている。そして今この文章を書くことができるようになって、やっとその時の心理を少し分析してみたりもする。少し感傷的だけれど。



2017年7月1日土曜日

NHK交響楽団第1863回定期公演(2017年6月30日、NHKホール)

パーヴォ・ヤルヴィは今シーズンしめくくりの定期公演で、圧倒的なシューベルトの演奏を聞かせ、それは前人未到の領域にあったと思う。デッドヒートを繰り広げるマラソンを見ているような、長い興奮の時間。この間、聴衆は一時も目を離すことなく、舞台に釘付けであった。第1楽章の冒頭から、オーケストラをドライブするその身振りの、どんな細やかな部分にさえ敏感に反応するオーケストラは、一糸乱れることもなく、この長大なシンフォニーを一気果敢に演奏した。

スポーティーでアグレッシブなシューベルト。それはこの有名な曲を聞いてシューベルトの音楽を久しぶりに思い出そうとする安易な聞き手を頭から裏切る大胆なものだ。だからこそこの境地は、他の指揮者がまだ成し遂げていない領域にも達する野心的なものだ。そうとわかる聴衆は熱狂的に拍手を送り、そうでない聴衆を翻弄、混乱させた。だが驚くべきはこのような世界トップクラスの次元での勝負を可能とさせるN響の技術的水準の高さである。もちろんそれは、長年の数々の指揮者を経て到達したものであろう。そして、さらにそれを推し進めたのは、首席指揮者ヤルヴィの功績と言っていいと思う。もう四半世紀にわたってN響の公演を聞き続けてきたが、それだけは自信を持って言えるのである。

圧巻のシューベルトの演奏に入る前に、後になっては遠く霞んでしまった前半のプログラム、シューマンの歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲と、同じくシューマンのチェロ協奏曲イ短調(独奏はターニャ・テツラフ)についても触れておく必要がある。

歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲は私も初めて聞く曲だったが、メリハリの効いた演奏であった。続くチェロ協奏曲は、この目立たない曲を綺麗に、そして颯爽と弾きこなしたのが印象的であった。音色の美しさは比類がなく、3階席で聞いていても、無駄がないにもかかわらず決して細くはないチェロの音色が、自信を持って弾きこなされてゆく様子は、手に取るようにわかった。おそらくこれまでに聞いてきた独奏のチェリストの中で、私の印象はもっとも大きいものだった。できれば他の曲も聞いてみたい、そしてCDなどを買ってみたいとさえ思わせた。

アンコールにはJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」の冒頭が選ばれた。この誰もが知っている曲によってテツラフの演奏のスタイルを再確認した聞き手も多かったと思う。それは速く、そして流れるようでありながら、抑揚を適度に伴い、聞き手の心を瞬時にわしづかみにしてしまう現代的で、しかも美しいスタイルである。それは丁度、ヤルヴィの演奏に極めて似ている。音楽を一度紐解き、彼女なりに組み立てた結果、それまでにない大胆で新鮮な音楽が誕生する。

シューベルトへの期待は、前半のシューマンのややくすんだ、どちらかというと少し気分が乗らない雰囲気を見事に打ち消すところから始まった。時計の針は数十年バックする。シューマンをして「天国的に長い」と言わしめたのをあざ笑うかのように、「グレイト」と名付けられた交響曲をこんなにも挑戦的に演奏した音楽家がいただろうか。3階席で聞いていてもオーケストラの表情のどんなに些細な変化であっても、あるいは音の組合せが千変万化するすべてのタイミングにおける音色の変化・・・それは連続的であるというよりは離散的であり、写実的とも言っていい輪郭を伴う現代的でデジタル的変化・・・が手に取るように感じられた。

それでも冷静さを維持しながら確認したところでは、おそらくは第4楽章の第1主題を除いて、ほとんどの部分は反復された。第1楽章の第1主題は、これが反復されると一気にオーケストラはヤルヴィの楽器となった。第2楽章の木管楽器の溶け合いや組合せの変化は、まるで高速列車の車窓風景を追うように見事だったし、終楽章に至ってはまるでアクション映画のクライマックスを見るかのような興奮を覚えた。

第2楽章の後半で、音の重なりが頂点に達し、その途端しばし休止を迎えたあとに出てくる低弦の響きは、舞台の左手に配置された「ヤルヴィ・シフト」によって強調され、その時間は会場がこの音に聞き惚れて物音ひとつでない。第3楽章のトリオの場面は、この音楽がこんなに長かったのかと思わせる至福の時間。全体的に速い演奏ながら、それでもなおたっぷりとこの曲を堪能させてくれた。かつて聞いたどんな演奏とも違う。N響でもこれが3度目だが、最初のサヴァリッシュとの名演などと比較しても、そのスタイルは随分と異なる。演奏によって音楽がまだ新境地を示しうることの証明である。

オーケストラが指揮者と一体となり、ほとんど完璧なまでの熱演を繰り広げるヤルヴィとN響のシーンも、いまでは当たり前のような光景になっているのだろう。それにしてもその中では、極めて成功した部類に入るのではないか。3月のヨーロッパ公演では絶賛の嵐だったようで、その記事は今月の「フィルハーモニー」にも記載されている。そしてそんな演奏をここ東京で何度も見られるのは幸福である。生きていてよかったとさえ思った。次回は是非とも前の方で、できれば9月に再オープンするサントリー・ホールで、この組み合わせを聞いてみたい。そしてそれは、お金と時間さえ許せば可能なのである。梅雨の合間の暖かい風で興奮した頬を醒ましつつ、夜の公園通りを下って行った。

2017年6月27日火曜日

ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉(オラトリオ版)(ウラディーミル・ユロフスキ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団他)

これまでにオリジナルの管弦楽版、そして弦楽四重奏版と聞いてきたハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」は、最終的に作曲者自身にょって編曲されたオラトリオ版になって、いよいよ名作の仲間入りを果たす作品に仕上がったように思った。何よりオーケストラだけの曲だった旋律に歌詞が入ることの面白さが手に取るようにわかる。それは丸で、白黒写真に色を塗るようである。しかもこの作品の場合、最初から歌詞入りを想定していたわけではない。ところが、丸でその歌詞のために作られた音楽であるかのようだ。

序章は歌詞が入らないため、管弦楽版と同じである。しかしユロフスキの指揮で聞く今回の録音では、まずこの演奏が古楽器奏法の影響を受けた最近の演奏であることによって、実にすっきりとしたものになっている。まずそこで最初の感動。

第1のソナタ。だがまず耳に響いてくるのは、何と合唱のみではないか。「父よ!彼らの罪を許しさまえ」と短く入ると、あの最初のメロディーが歌入りで聞こえてくる。身震いすら覚えるような、ハッつする瞬間。心が洗われるような気がした。合唱曲というのはこういう風になっているのか、と思う間もなくソリストが絡む。

ユロフスキの演奏では、リサ・ミルン(ソプラノ)、ルクサンドラ・ドノーゼ(メゾ・ソプラノ)、アンドリュー・ケネディ(テノール)、クリストファー・マルトマン(バリトン)の4名で独唱である。ライブ録音だが、そうと気付くのは演奏が終わって、徐々に盛り上がる拍手が聞こえて来た時である。演奏の完成度は高く、とても感動的。

第2のソナタでも同じようなコラールの響きを最初に置いている。「おまえは今日、私と共に楽園にいる」。でもこの曲では、まず長い管弦楽だけの部分がある。管弦楽版や弦楽四重奏版を聞いてきた者にも、たっぷりとをの旋律を聞かせるのは憎い演出だ。しかもここは独唱から入る。ユロフスキの演奏はビブラートを抑えて速めに進む。そのことによって、かえって心に染み入るように止めどもなく悲しい旋律が続く。

第3のソナタは「女性よ、これがあなたの息子です」  。まるで教会でミサを聞いているような清楚な残響を伴って、最初は管弦楽のみで入るところは第2のソナタと同じ。遅い曲ばかり聞き続けてきたのにも関わらず、交響曲なら第2楽章に入る感じだ。続く第4のソナタは「わが神よ!何故私を見捨てたのですか?」は少し雰囲気が変わって、どこか遠くへでも行く感じ。諦観とも言えるようなメロディーだと感じるのは私だけだろうか。

さて、このあとに管弦楽版ではなかった「序曲」が挿入されている。この作品が大曲としての性格を帯びるとともに、物語性を持つことにも寄与している。ハイドンがオラトリオ版を思い付いたのは、自身の作品が編曲され、カンタータとして演奏されているのに遭遇したからだ、というところが面白い。それはロンドンからウィーンへと帰る途上でのことであり、帰国前のロンドンではヘンデルによる大規模オラトリオに接している。後に「四季」や「天地創造」へと発展する、これは先駆けとも言える作品である。

後半は第5のソナタの特徴的なピチカートから始まる。ここでは合唱による前置きはない。それどころかこのあたりは管弦楽の見せ場が続く。忘れた頃に入って来る歌は、その切々たるメロディーが繰り返される時で、テノールの独唱からである。「渇く!」 と題された音楽は、痛々しくも抒情的でもある。第3楽章と言った感じか。

第6のソナタ「果たされた!」の導入部は再びコラールだが、ここは非常に短い。いよいよ音楽は最終段階に入る。どちらかというと明るい感じがする。それは演奏が荘厳であるにもかかわらず、無駄な部分を削り落としたような性格によるものだからだろうか。そして第7のソナタ「父よ!あなたの手に私の霊を委ねます」 に至って再び教会で聞くような美しい合唱に耳を奪われた。ホルンのメロディーに耳を澄ましているうちに、どことなく心が軽くなり、気分が昇華していく。そしてそれを打ち砕くような大地震!ユロフスキの演奏はきびきびとリズムを刻みながら、一気にコーダを迎える。緩徐楽章のみで1時間にも及ぶ曲が終わると、私は少し淋しい気分になった。

2017年6月22日木曜日

チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

大名演だったフェドセエーエフ指揮NHK交響楽団の演奏会で、チャイコフスキーの幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」を聞いた時、一緒に行った弟にこの曲をちゃんと聞いたことがないと告白すると、バーンスタインの大名演があると教えてくれた。それも若い頃の演奏ではなく、晩年のドイツ・グラモフォン盤である。オーケストラはニューヨーク・フィルハーモニック。

このコンビによる録音は、私の手元に交響曲第5番がある。このCDに一緒に収められているのがもしかするとそうだっかだろうか、と見返してみたが、それは「ロメオとジュリエット」であって、残念ながら「フランチェスカ・ダ・リミニ」ではなかった。「ロメオとジュリエット」に比べると「フランチェスカ・ダ・リミニ」の録音は少ない。

バーンスタインとしては新しい方の録音とは言え、もうかれこれ20年近くも前のものなので、今では都内にもわずかとなったCD屋に出向いたところで、入手ができるかわからない。Amazonでも買えるだろうが、一緒に収録された交響曲第4番にそんなに興味は沸かない。中古屋に行こうかと迷った時、私にはもう一つの選択肢が頭に浮かんだ。地元の図書館である(YouTubeでも聞けるではないか、という意見もあるが、それはさておき)。

さっそく地元の図書館のウェブ・サイトに行ってみると、本館だけでなくいくつもある分館の蔵書目録を一発で検索できる。誰かが借りていたとしても予約ができ、自分が借りられる状態になった際には登録しておいたメールアドレスにお知らせが来て、しかも最寄りの分館で受け取れるのである。かつてのように出向いて、カードを検索する必要などない。それで「チャイコフスキー」「フランチェスカ」などとキーワードを入力すると、一発で複数がヒットし、その中にちゃんとバーンスタインの録音があるではないか!

さっそく予約し、翌日には受け取ることが出来た。それを携帯音楽プレーヤー(私はSONYのWalkmanである)に入れて通勤途中に聞いてみた。録音は1989年10月で、亡くなる丁度一年前であり、ほとんど追悼盤に近い形でリリースされたものである。最晩年のバーンスタインは、さらに入念で思い入れが深い演奏を繰り広げ、2度目のマーラー全集に代表されるように、次々と超ド級の録音を重ねて行った頃である。我が国の年号で言えば、昭和から平成に変わる、まさにその頃。

幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、チャイコフスキーが弟とともに南フランスを旅行中に、ダンテの「神曲」の「地獄篇」に触発されて作曲したと言われている。私は恥ずかしいことにチャイコフスキーがフランスを旅行していたことを知らなかったが、この「フランチェスカ・ダ・リミニ」というタイトルは、サンドナーイの歌劇に出てくることを知っているくらいで、そのストーリーも知らなかった。あらためて調べてみると、それはまさに歌劇に相応しいストーリーである。
「13世紀、ラヴェンナにあるポレンタ家の美しい姫フランチェスカは、父の命令で宿敵マラテスタ家との和解のため、同家の長男ジョヴァンニのもとへ嫁ぐことになる。フランチェスカを迎えに来たのは、ジョヴァンニの弟である美青年パオロだった。2人は恋に落ち、醜いジョヴァンニとフランチェスカが結婚してからも密会を続ける。ところがある夜、フランチェスカとパオロが密会しているところをジョヴァンニに見つかり、嫉妬に狂ったジョヴァンニによって2人は殺されてしまう。2人は色欲の罪を犯した者として、地獄の嵐に吹き流される。」 (Wikipediaより)

音楽は暗く、何か悪いことが起きそうな感じで始まる。「トリル」というのは「ある音と,それより二度上または下の音とをかわるがわる速く奏すること」と手元の音楽辞典には書かれているが、「タララ、タララ」と、丸でつむじ風が建てつけの悪い家屋を吹きとばさんとするかのように、渦を巻きながら駆け抜けてゆく。私はこの音楽を聴きながら、嵐を創造するのだが、何か戦闘が行われているようにも感じられる。「減七の和音」というのはこういう時に使われるもので、不安定である。

しかし音楽はやがて、オーボエのソロを伴って静かな部分に入る。このあたりのメロディーの美しさがわかるようになったのは、歌劇「エフゲニー・オネーギン」を聞いてからのように思う。チャイコフスキーのもっとも美しい調べは、抒情的でほの暗い。 オペラ的であり、幻想的でもあるここのメロディーは、フランチェスカとパオロの恋を描いていることは明白である。

終盤になって再び激情に見舞われ、音楽は速くなり、高揚して終わる。バーンスタインとニューヨーク・フィルによる圧巻の名演奏は、巨匠が亡くなる直前とは言えないほどエネルギッシュである。バーンスタインが晩年になってチャイコフスキーを取り上げたのは、彼がロシア系の移民であることと関係があるのかも知れない。ソ連が崩壊するのは、その死から丁度1年が経った1991年のことであった。


2017年6月14日水曜日

R・シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」(The MET Livein HD 2016-2017)

午後4時半に会社を早退し、東劇への道を急いだ。MET live in HDシリーズ今シーズン最後の演目、シュトラウスの「ばらの騎士」を見るためである。豊穣な音楽が始まると、さっそくマルシャリンとオクタヴィアンが登場し、後朝(きぬぎぬ)の歌を歌う。前奏曲に小鳥の鳴き声が混じる頃、前部の幕が開き、奥に広がる寝室に拍手が漏れる。絵画が所狭しと掲げられた広間に赤いベッド。部屋の扉が幾重にも開くと、その奥から登場する何人もの従者たち。舞台は18世紀後半のウィーンを19世紀に移し、豪華絢爛な世紀末の貴族社会はややモダンな感じ。ロバート・カーセンによる新しい演出に期待が高まる。

この公演の注目は、しかしながらこの舞台を最後に引退を表明した二人のソプラノ歌手、ルネ・フレミング(元帥婦人)とエレーナ・ガランチャ(オクタヴィアン)による歴史に残る贅沢な競演である。もちろんこの二人は、それぞれの役を引退するだけで、歌手生活を辞めるわけではない。だがフレミングの長年この役を歌ってきた貫禄と、ガランチャの理想的とも言えるズボン役が見事に折り重なるシーンは、美しく官能的である。

一方、オックス男爵も負けてはいない。というか、この隠れた主役は道化役としての最高ランクを必要とする難役だろう。バスのギュンター・グロイスベックは、スケベ心満載の田舎貴族を、丸で地で行くような印象すら醸し出す当たり役で、歌と言い役回りと言い、申し分のない出来栄え。シュトラウスは当初、このオペラを「オックス男爵」としようと考えていたようだが、もしそうなっていたら間違いなくこの歌手は、その標題役をこなす第一人者として歴史に名を残すだろう、とさえ思われた。だがバスの歌手が、いくら低音を響かせても、「ばらの騎士」は女性主体のオペラである。何せ3人もの実力派ソプラノを必要とするのだから。

3人目のソプラノ、すなわち成金貴族のファーニナル家の娘で、オックス男爵(は元帥婦人の叔父でもある)の許嫁ゾフィーは、数か月前に出産したばかりのエリン・モーリーによって歌われた。16歳からこの役の当たり役だったと言う彼女は、清楚で真面目な父親思いの女性である。ファーニナル家の行く末を案じ、経済的な困窮を何とかしたいと思っている一途な側面も隠そうとはしない。そのファーニナルはバリトンのマーカス・ブリュックで、2度も心臓発作に見舞われる滑稽な演技が実に面白い。

ロバート・カーセンの演出はいつも見どころが多く、時に天才的である。私はかつて「ホフマン物語」で心底そう思ったが、そのためにも本公演をぜひとも見ておきたかった。彼は舞台設定を1世紀進め、この作品が作られた頃に移した。第1次世界大戦が忍び寄る世紀末の影は、出演者がみな軍隊と関係があるという設定をも読み解き、第2幕では大砲が登場するという大胆さ。それは第3幕にも引き継がれ、娼館、あるいは売春宿の雰囲気をあからさまに表現する。出演者に細かな演技を求め、一挙手一投足にまでつけられた絢爛豪華な音楽と相まって、舞台は大変に賑やかである。

だが、そのことがこの作品の持つ保守的な美しさを減じてしまったのは否めない。饒舌でしかも複雑な解釈は、そもそもこの物語が18世紀を舞台としているにもかかわらずウィンナ・ワルツが横溢することや、婚約者に「銀の薔薇」を届ける風習といった完全な作り話というような、矛盾を設けてまで表現される、ひたすら華やかで滑稽な、つまりは娯楽性の極致ともいえる退廃性、白痴なまでの美しさを覆い隠す。真面目で考えすぎた結果、見どころは多いが主義主張も大きいという、一見中途半端な結果に陥ったのではないか。

私はこの上演がつまらないと言いたいわけではない。歌手は全員素晴らしいし、指揮者のセバスティアン・ヴァイグレと合唱団、それにイタリア人歌手として客演出場したメトの実力派、マシュー・ポレンザーニは言うことがない。だが、私ははまた、時間とともに老いていく人間のペーソスは、何もこれだけのお金をかけなくても表現できたのではないかと思う。このオペラの舞台は、いつも捕らわれたように貴族社会の贅沢を表現するものが多いが、テーマにしていることの普遍性とわかりやすさを考えれば、むしろ極限にまで表現を絞り込んだ演出(それはデッカーの「椿姫」やワーグナーの楽劇でみられるような簡素な舞台表現)があってもいいのではと思う。特に今回のような実力派の歌手が揃えば、それで十分ではないかと思うのだが、いかがだろう。

「ばらの騎士」は不思議な作品である。ちょっとシュトラウスのマジックに、そして下心に乗せられているような気がしないでもないのだが、それにしても音楽の魔法というのは恐ろしい。第3幕で舞台にゾフィーとオクタヴィアンだけが残り、最後の二重唱を歌う時、私は久しぶりに泣きそうになった。こんな美しい音楽があるかといつも思うのだが、それは3時間余りに亘ったどんでん返しと喜劇の果ての急展開になぜか馴染む。それも自然に。この感覚はやはりモーツァルト的である。今回の上演では、このオペラの持つ前衛的な響きが十分に表現され、演技にも個人の近代性が表現されていた。もはや古めかしいだけの「ばらの騎士」ではない舞台に接した印象ではなぜか、「時の移ろい」あるいは「老いの哀しみ」というよりも「若さへの憧憬」「過ぎ去ったものへの懐かしさ」が前面に出た舞台だったと思う。

2017年6月4日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第574回定期演奏会(2017年6月2日、すみだトリフォニーホール)

ハイドンの最高峰「天地創造」を実演で聞くことができただけで、神に感謝しなければならないだろう。我が国で最も有名な古楽奏者である鈴木秀美が、新日本フィルの定期に出演し、しっとりとしかもたっぷりとハイドンの音を響かせた。すみだトリフォニーホールは空席も目立ったが、熱心なファイは静かに聞き入り、惜しみない拍手が送られた。

旧約聖書の冒頭部分、神が7日間でこの世界を作り出したという「創世記」は、以下のように始まる。

「はじめに、神は天と地をつくられた。地は形もなく、空虚だった。そして闇が深淵の上を覆っていた、そして神の霊が、水の上で漂っていた。神は言われた、『光あれ!』と。」

最初の和音のあとは、しばらく静かな、まさに混沌とした、それでいて音楽的な響きが続くと、やがて深く息を吸い込むようにオーケストラが、そして独唱と合唱が上記のことばを歌う。まったくもって感動的な瞬間である。

ラファエルはバス・バリトンによって上記の前半部分が歌われ、合唱がそれに続く。今回の公演では、ラファエルを多田羅迪夫が歌った。声量もあり、その経歴から不足はないのだが、やや音程がずれることがあったのは残念である。一方、合唱はこの公演のために結成されたコーロ・リベロ・クラシコ・アウメンタート。鈴木が主宰するオーケストラ・リベラ・クラシカと同様、古楽の専門集団である。総勢60名程度の合唱は、プロとアマの混合だそうだが、迫力は十分であった。

「天地創造」は、世界の始まり7日間の出来事を3つのパートに分けて順に進む。

<第1部>
第1日・・・天と地
第2日・・・空と水
第3日・・・海と陸、草木
第4日・・・昼と夜、季節、太陽と星

<第2部>
第5日・・・生き物
第6日・・・人間

今回の公演はここで20分の休憩が入った。つまり第7日にあたる安息日ということだろうか。ここまででも十分に聞きごたえのある音楽が次から次へと現れ、耳と体がすっかりハイドンの音に浸ってゆく。よくこんなにも綺麗な音楽を、多く作曲したものだとつくずく思う。

「天地創造」は「世界と自然の誕生をめぐる壮大な物語を音楽によって描写する野心的な試みである。ここでのハイドンの音楽はそれ自体が力を内包し、混沌の中にあって自ら生成していく自然の力と同一視されているかのようだ。」(公演のブックレットより)

この音楽を最初に聞いたのは、武蔵野音楽大学のオーケストラだった。確かハイドン・イヤーの頃だったと思う。ここで私は、音楽の持つ不思議な力に感動し、ただ独唱と合唱が繰り返すだけのスタイルに、壮大な物語が語られているにもかかわらず、そしてハイドンの「古典派」としての音楽的形式を遵守しながらも、決して物足りないものにはなっていないことに、単純に驚いた。大オーケストラにコンピュータを用いた壮大なSF映画音楽が、内容のない陳腐なメロディーを延々とかき鳴らす現代文明に染まった身からすれば、それは奇跡のような瞬間だった。

ハイドンのオラトリオ「四季」は、「天地創造」と双璧をなす金字塔のひとつだが、共通するのは音楽による自然描写のユーモラスな側面を持つことである。歌詞を追っていけば、その内容が露わになる。だがしかし・・・今回の公演では字幕がないばかりか、会場が暗く対訳が読めない。これは音楽に集中することができる反面、やや物足りないと感じた。

私の大好きなウリエルのアリア「気品と尊厳を身に付け」は第2部の終盤、第6日目のシーンで歌われる。ここの音楽を聞くと、シューベルトの音楽はハイドンの模倣ではないかとさえ思えてくる。今回、ウリエルはテノール櫻田亮が歌った。やや小柄ながらその歌声は3階席の後方にまでこだまし、オーケストラと合唱が混じっても決して消えるようなことがないくらいに澄んでいた。

後半の第3部はアダムとエヴァの神への賛歌である。アダムを歌ったのは多田羅迪夫、エヴァを歌ったのはソプラノの中江早希である。私が最も好むシーン、アダムをエヴァの二重唱に合唱が加わる「おお主よ、神よ」は、この音楽最高の音楽だと思う。第3部が始まってすぐにここのメロディーが流れてくると、何か鳥肌が立つような感動に見舞われる。今回の演奏では・・・残念ながらそこまではいかなかったが・・・その理由はもしかしたら、昼間の仕事でのストレスが尾を引いて、私を演奏への集中から遠ざける要因になったからではないか、と思うことにした。

全体に音楽が大変美しく、オーケストラもほとんど全くミスをすることもなく、独奏の部分では特に、程よく調和された歌と楽器が、最後まで丁寧に、そして時に熱く鳴り響いた。3階席の私のそばで、重い総譜をめくりながら聞いていた人がいた。もしかするとこの人は、どこかの団体で指揮をするのだろうと思う。

9月には都響の定期で再び「天地創造」を聞く機会が訪れる。パンフレットによるとこの公演は、合唱にスウェーデン放送合唱団を迎える本格的なもので、しかも嬉しいことに日本語の字幕が付くようだ。だから私は今から、次の公演に心を寄せている。

演奏が終わり、いそいそと錦糸町駅の改札へと流れて行く人並からそれ、居酒屋などが立ち並ぶ下町の界隈を散歩した。乾いた初夏の風が頬を撫で、見上げると東京スカイツリーが正面にそびえていた。仕事で疲れた週末の夜は、美しい音楽と演奏のおかげでさわやかな気分を残しながら過ぎて行った。

2017年6月1日木曜日

メンデルスゾーン:ピアノ協奏曲集(P:ジャン=イヴ・ティボーデ、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ゲヴァントハウス管弦楽団)

5月に入って毎日晴天が続いている。新緑の若葉が、青空と陽光に映えて眩いばかりだ。例年になく心地よい初夏の日に、メンデルスゾーンが聞きたくなった。毎年この季節、梅雨入り前のひと時、さわやかな風が開け放たれた窓から吹き込むと、私の耳に聞こえるのはロマン派、それも初期の作曲家の作品が多い。

メンデルスゾーンは私の好きな作曲家のひとりで、物憂い青春の日々に心を苦しめた記憶と重なると、しばし当時の自分に戻り、何かとても淋しい気分になる。無言歌集など私はもう、通常な心では聞けないほどになってしまい、何年か前に購入したバレンボイムのCDなどは、そのまま開封されていない。

快晴の湘南を歩いたのは、そんなある晴れた日のことである。私は東海道の旧道を歩くことに決めた。それもひょんんことから、所属する患者会のホームページに手記を書かないか、と言われたのがきっかけである。最初は体力の維持と暇つぶし、それに若干の好奇心を満たすつもりで、仕事と家庭生活の空いた時間に、日本橋から品川まで歩いただけである。別に目標を決めてもいない。だが何か月かに一度、思い立ったように電車に乗り、前回歩いたところからまた続きを、疲れたらそこで中断、という具合にやっていたところ、とうとう小田原まで来てしまった。こうなったら京都まで、などとは欲張らず、とりあえず箱根の関までは行ってみようと思っている。

ウォーキングには履きなれた靴と、そして音楽が欠かせない。今日はメンデルスゾーン、それもピアノ協奏曲を持ってきた。メンデルスゾーンの協奏曲と言えば、ヴァイオリン協奏曲ホ短調くらいしか有名ではない。けれども2つあるピアノ協奏曲はいずれも瑞々しい感性に溢れた素敵な曲である。第1番ト短調は技巧的でもあり、伴奏のオーケストラが少し安易に聞こえる部分もないわけではない。でもそういう部分を含め、楽しく聞いている。演奏はフランス人のティボーデである。

珍しいこの曲を私は実演で聞いている。ニューヨーク・フィルハーモニックが来日した際、当時住んでいた埼玉県の大宮で演奏会が開かれた。指揮はメンデルスゾーンの第1人者、クルト・マズアであった。独奏は日本生まれの中国人、ヘレン・ホアンであった。1998年6月のことであるから16歳だったことになる。当時に日記には、以下のように書いている。

 「出だしから、これはいかにもニューヨーク!各人が、パワーと実力を全開にしてぐいぐいと演奏するさまは、アンサンブルがどうの、ハーモニーがどうの、などというみみっちい議論を寄せ付けない。演奏家個々人の技術が合わさったからといって、必ずしも名演にならないことも多いニューヨーク・フィルを大いに乗せることができるのは,マズアだからだろうか?」

このCDの曲順は少し変わっていて第1番と第2番の間に独奏曲が挟まれている。それは2曲あって、最初が「厳格な変奏曲」、次が「ロンド・カプリチオーゾ」。聞き進めていくうちにメンデルスゾーンの多才さに心を打たれる。例えば「厳格な変奏曲」はその名の通り、最初は何かバッハの曲を聞くようであり、それが徐々にロマン派に代わってゆく。「ロンド・カプリチオーゾ」はもっと若い頃の作品だが、無言歌集を思わせる自由な曲想が清々しく、しばし静止した空間の一点を眺めている自分に気づく。

ピアノ協奏曲第2番ニ短調の第2楽章の、成熟した深い味わいは何と言えばいいのだろうか。ブロムシュテットのストイックな指揮も、ここでは熱く、そしてティボーデの安定した美しいピアノに風格を与えてさえいる。

これらの2曲を聞いていると、つくづくこの作曲家は活動的で、音が常に鳴り響いていることがわかる。楽章の間に切れ目がないことも多い。ヴァイオリン協奏曲ホ短調でも、あるいは「イタリア」交響曲を思い出してみてもそうなのだが、モーツァルトのように溢れるメロディーの、まぶしいまでの充実ぶりである。もしかするとそのエネルギーが、私をこの季節に例えたくなるよう仕向けるのかも知れない。だがメンデルスゾーンは、あまりの忙しさに若い寿命を終える。ピアノ協奏曲はそんな花火のように激しく燃焼した天才作曲家の、20代の若々しさに溢れた曲である。


【収録曲】
1.ピアノ協奏曲第1番ト短調作品25
2.「厳格な変奏曲」二短調作品54
3.「ロンド・カプリチオーゾ」ホ長調作品14
4.ピアノ協奏曲第2番ニ短調作品40

2017年5月25日木曜日

NHK交響楽団演奏会(2017年5月24日、NHKホール)

ダンテの「神曲」地獄篇を題材にした幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、チャイコフスキーがフランス滞在中に作曲した大規模な管弦楽曲である。あまり演奏されることはないがなかなか聞きごたえのある曲で、重く暗い和音を弦楽器が速いテンポで唸る中に、トリルを多用した木管楽器が浮き上がる。中間部ではチャイコフスキーらしいリリシズムも感じられ、ドラマチックな音楽はオペラ的題材ともなった物語を彷彿とさせる。もちろん、この音楽が音楽らしく聞こえるのは、優秀な演奏に接した時だけだろう。

NHK交響楽団はサントリー・ホール休館中の今年、「水曜夜のクラシック」と題した演奏会を従来のBプログラムの代わりに開催した。ロシアの巨匠ウラディーミル・フェドセーエフが2013年の初顔合わせ以来、早くも5度目となる登場となるのは、N響にとっても魅力ある指揮者だからなのだろう。私も何度かテレビで見て、一度は聞いてみたいと思っていた。そしてその時が来た。フェドセーエフは今年85歳だそうである。

もっとも私はかつて一度、フェドセーエフを聞いている。1993年4月、モスクワ放送交響楽団(現、チャイコフスキー交響楽団)を率いて来日した際に、渋谷のオーチャード・ホールでのコンサートに出かけたからだ。だがこの時は、ロシアの伝説的なピアニスト、タチアナ・ニコラーエワを聞くためであった。ニコラーエワはこの年の秋に急逝したので、最晩年の演奏だったことになる。ピアノ協奏曲を2曲、十分にテンポを落としてチャイコフスキーとベートーヴェンの「皇帝」を弾き切った。この時のフェドセーエフはひたすら彼女に寄り添い、丁寧で温かみのある伴奏に徹した。

だからフェドセーエフらしい演奏というのは、よくわからないままであった。レコードでは我が家に「悲愴」の録音があったので、まあ馴染みがなかったわかではない。けれどもそれほど際立った特徴が感じられたわけではなかった。この頃、フェドセーエフはまだ50代だった。

この日、技術的にも実力を増したN響と聞かせた5曲のロシア音楽は、最初から圧巻であった。まずショスタコーヴィッチ。「祝典序曲」という作品はロシアというよりもソビエトの音楽である。壮麗なファンファーレはモスクワ五輪の時にやたらと聞いた。全編華やかなこの曲を、きっちりと迫力満点でドライブしてゆく。

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番は、同じロシア人の長身ボリス・ベレゾフスキーを迎えた。この大柄なピアニストは、いかにもロシア風ヴィルティオーゾという風貌で、スピードのあるテクニカルな演奏をここぞとばかりに披露する。フェドセーエフはもう少しゆっくりと演奏したかったに違いない。もしかしたら聴衆も、より陰影に富んだ演奏を期待しただろう。だがベレゾフスキーのピアノは、ここ一番の聴きどころをせっかちに進めてしまう。第2楽章の後半で、オーケストラの木管ソロが活躍する場所にきて、ようやく落ち着いたかに思われた。だが第3楽章になると、ここはピアニストの独断場である。しかし私は、どちらかというと上手く合わせるオーケストラに聞き入った。

終わってみれば、まあこういう演奏も迫力満点の名演で、中学生なら歓喜を上げるだろう。しかし日本の聴衆は近年高齢化が著しく、しかも普段から非常に音楽に詳しい。技量だけの演奏はつまらない、と感じた人がいても不思議ではない。いずれにせよ終楽章の技術的完成度は非常に高く、そしてよほど気に入ったのか、コーダの部分を何とオーケストラ付きでアンコールしてしまうというオマケ付き。最初はどこか間違いでもしたのかと思ったが、おそらく普通のアンコールだったのだろうと思う。

リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」は私の大好きな曲で、今回もN響が、重厚感を持ちながらもリズミカルな演奏を繰り広げた。かつて私がテレビで見たサヴァリッシュの演奏を思い起こした。この曲は、もっと速い演奏が多い。けれどもフェドセーエフは、ひとつひとつのソロのパートまでもきっちりと指揮をする。いよいよオーケストラの本領発揮といった感じで最後のプログラム、チャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」に入る。

N響は完全にひとつの楽器と化し、チャイコフスキーの音が会場を満たした。この25分間は、完璧であった。何といったらいいのか、とても長く、そしてずっと心地の良い25分間であった。指揮者が振り返ると怒涛のような歓声が飛び交い、それは何度も繰り返された。指揮者もオーケストラも満足した様子であった。この日はNHK-FMで生中継されたらしい。そしてなんと、大歓声にこたえて太鼓を担当する団員が舞台に上がる。アンコールである。

私のN響コンサート経験史上、初めてのアンコールが始まった。アンコールはハチャトリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」から「レズギンカ舞曲」。オーケストラが揺れる。木管が高く楽器を振りかざし、チェロは全員が舞曲を踊るが如く。それにしてもすべてが大名演のポピュラー・コンサート。フェドセーエフはいつもロシア物ばかりをプログラムに並べて、お国ものだけで勝負する。聴衆もそれが目当てだから、十分である。で、N響も中低音が素晴らしく、ロシア音楽に相応しい音がするように思う。今回の演奏会では、チャイコフスキーの新しい魅力に触れたような気がした。

随分長い間、音楽を聞いていたように感じた。やはり実演のコンサートは楽しい。昼間の仕事のストレスから気分を変えるのが大変だった平日夜の演奏会も、気がつけば音楽の魅力に取りつかれ、それは眠りにつくまで続いた。仕事のことを思い出そうとしても、頭に心地よい残響が残って、思い出すことすらできない程であった。

2017年5月22日月曜日

NHK交響楽団第1860回定期公演(2017年5月14日、NHKホール)

ここまでスメタナの「わが祖国」を聞いてきたが、丁度いいタイミングで実演を聞く機会に恵まれた。NHK交響楽団の定期公演でこの曲が取り上げられたからだ。指揮者はドイツ系イスラエル人のピンカス・スタインバーグ。彼はボストン交響楽団の音楽監督を務めたウィリアム・スタインバーグの息子である。私は今から25年前の1992年9月、同じコンビのこの曲を聞いている。上京した年の秋のことだった。

そのピンカスは1945年生まれだから、今や70代。指揮者としては円熟した演奏を聞かせる年代ということになっている。25年前の記憶はほとんどないが、もう一つのプログラムで演奏されたホルストの「惑星」はかなりの名演だったと記憶している。どちらかと言えば職人肌の名指揮者というイメージだから、今回のコンサートにも期待が膨らんだ。N響の昨今の上手さは、管弦楽曲を贅沢に聞く楽しみに浸るに十分なレベルであると思う。売り切れを心配し、数日前にB席を確保したが、結局当日券はあったみたいだ。

私の席は1階席の前方向かって左側で、ヴァイオリンのセクションは全員後を向いているが、2台のハープ、トライアングルとシンバルが直接見える。指揮者の横顔もバッチリで、テレビなどで目に触れる角度である。そのハープに対し、キューを出したのかどうかわからなかったが、幅広い音階を絡み合いながら上下する美しい響きがこだましてコンサートは始まった。

スタインバーグの指揮する音楽は、すべての部分においてきっちりと練習され、唖然とするような瞬間こそ少ないものの、実直で風格のあるものだ。時折指揮者の唸り声が聞こえる「ヴィシェフラド」で一気にオーケストラを乗せてゆく。「モルダウ」の広がりを感じさせる有名なメロディーは、懐かしさを込めてたっぷりと歌い、まるで今日の陽気のように清々しい。一音一音が良くブレンドされ、1階席で聞くN響は音量も十分である。オーケストラがいわばひとつの楽器のように感じられる。それくらいきれいにまとまっている。

「シャールカ」では、同じようなフレーズも少しずつ聞こえ方が異なり、CDで聞くときとは集中力が違うのか、こちらも息を飲んで聞き惚れていたら、突如畳みかけるようなリズムで激しく一気にコーダに向けて突進した。ここの素晴らしさは今度テレビで放映されたとき、もう一度聞いてみたい。

休憩を挟んで「ボヘミアの森と草原より」の最初のフレーズが会場を満たした時、N響はやはりうまいなあ、と感心した。「ボヘミア紀行」とも言えるこの音楽は、もう楽しさの極みである。スメタナ特有のやや渋みがある響きで、これがチェコの音楽という感じなのか、N響の音にピッタリである。「ターボル」を経て「ブラーニク」に続く時、私はこの音楽が永遠に続いてほしいと思わずにはいられなかった。すべての音が有機的に交わり、技術は完璧である。ホルンもシンバルも、ここという時にはオーケストラの中から丁度いい塩梅で浮き出す。「ブラーニク」最初のオーボエを中心とした木管の絡み合いは、まさにこの演奏の白眉であった。

25年ぶりに聞くこのコンビでの「わが祖国」は圧倒的な感銘を持って私を襲った。どの音符もおろそかにしないで、少し余裕を持った水準を保ちつつも熱く、それでいて整っており、いわばプロフェッショナルないぶし銀の演奏だったと思う。素晴らしいサウンドを引き出したスタインバーグは、オーケストラからも温かい拍手を向けられ、会場の覚めやらぬ大歓声の中で満足気であった。と同時にもうこのコンビの演奏を聞くことはないかも知れない、とも。トライアングルを担当した女性団員が大きな花束を指揮者に手渡したときは、会場からより多くの拍手が送られた。

オーケストラを聞く醍醐味をまたしても味わうことが出来たN響の水準は、3月に行われたヨーロッパ公演でも十分証明されたようだ。5月号のプログラム「フィルハーモニー」には、各地の演奏報告と新聞評が掲載されている。もはやヨーロッパの一流レベルとなった我が国オーケストラを、聞き逃す手はない。次回の定期公演を指揮するフェドセーエフのロシア音楽に、私は早くも胸を躍らせている。

2017年5月18日木曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「ターボル」「ブラーニク」(エリアフ・インバル指揮フランクフルト放送交響楽団)

交響詩「ターボル」から「わが祖国」はいよいよ終盤に差し掛かる。「ターボル」と「ブラーニク」は同時に続いて作曲され初演された。音楽的にも関連性が高く、「ターボル」の最後のフレーズは「ブラーニク」の冒頭と同じで、そのまま引き継がれる。このため間をあけず、音楽をつなげて演奏する指揮者も多い。従ってここでも一緒に取り上げたいと思う。

私は先日「シャールカ」での恐ろしい神話を引用したが、この「ターボル」の第一印象はそれ以上に陰鬱で、おどろおどろしいものだった。重厚で迫力のある連音に続いてティンパニーが強烈に連打するシーンが何度も登場する。ところが実際にはこの音楽は、カトリックのチェコにおける宗派、フス派信徒たちを讃えるものだそうだ。いわばチェコにおける宗教改革のような運動からフス戦争に発展したことが、やがてはチェコ民族のアイデンティティーを高める結果となった。スメタナが最後に選んだのは、その フス戦争の舞台となった街ターボルと、フス派の戦士たちが眠る山ブラーニクであった。

フス戦争のモチーフである戦いのシーンは、「わが祖国」の中で最も激しく、音楽的な聞きどころに事欠かない。ここへ来て聴衆は、オーケストラに固唾をのんで聞き入るはずだ。初めてこの音楽を聞いたのは、クーベリックのチェコ復帰演奏会(「プラハの春」音楽祭)のライヴで、最初は乱れていたオーケストラも必死になってこのシーンを演奏していたのを良く覚えている。

特に最大の聞かせどころは「ブラーニク」の始めに登場するメランコリックなオーボエのソロだろう。何分も続くかのようなそのメロディーは、「新世界交響曲」の第2楽章にも似た懐かしいものだ。チェコ国民学派の魅力のひとつは、間違いなくこのような胸を締め付けるメロディーだ。

「ブラーニク」の中盤あたりからは終結部へと続く長い道のりに入る。戦勝を讃えるコーダのメロディーが静かに、だが確信に満ちて演奏され始めると、とうとうここまで来たかと思う。このチェコ賛美の音楽は、何度も繰り返されていくうちに大規模なものとなり、勇壮さと壮麗さを増してゆくと、「ヴィシェフラド(高い城)」などで使われたメロディーも回帰して合わさり、例えようもなく喜びに満ちた中で音楽が終わる。

-------------------
これまで取り上げた演奏を振り返ってみよう。私が所有している演奏は、①クーベリック指揮ボストン響による演奏、②レヴァイン指揮ウィーン・フィル、③アーノンクール指揮ウィーン・フィル、④コリン・デイヴィス指揮ロンドン響、それにここで取り上げた⑤インバル指揮フランクフルト放送響のものである。また手元には⑥クーベリックの指揮するプラハ・ライヴ(チェコ・フィル)もある。

この曲の熱心な聞き手は、往年の名盤であるアンチェル盤やターリッヒ盤、あるいはもう少し新しいノイマン盤などを称賛する。だがどういうわけか、私はこれらの演奏を聞いていない。ドヴォルジャークとスメタナになると突然、チェコ人による演奏のオンパレードとなり、最近ではビュログラーベクやコバケン(小林健一郎)による炎の演奏なども評価が高いようだが、いずれにせよこの曲は、チェコ・フィルやチェコ人指揮者の独断場のように見える。

確かにチェコの愛国心を高ぶらせる要素は大いにあるが、同時にこの曲は、純粋に管弦楽曲としての聴きどころが満載である。中音域の多い渋めの音色は、中欧でもドイツとはやや異なる色合いであり、リズム処理もハンガリーやポーランドとは異なる。トライアングルやシンバルがスラヴ系の舞曲を楽し気に表現するのも魅力的だ。

私の所有ディスクからレコ芸「名曲名盤300」風に10点を割り振るとすれば、一位がレヴァイン、インバル、クーベリック(ボストン響)でそれぞれ3点ずつ、それに許されるならデイヴィス盤に1点を献上するだろう。

2017年5月16日火曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「ボヘミアの森と草原から」(コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団)

「わが祖国」も後半に入り、いっそう充実した音楽的時間を過ごすことになる。私がもっとも好きな「ボヘミアの森と草原から」は、オーケストラの多くの楽器が和音を奏でる厚い響きの中に、明るい日差しも感じられるような出だしである。

この曲のテーマはタイトルそのもので、ただ音楽に浸っていればいい。その幸福感と楽しさは、まず夜明けのような静かな部分を経て、牧歌的なメロディーが、まずは木管楽器が、やがてホルン主体に、そして最後は弦楽器と次第に規模を大きくしながら繰り返される前半部分から感じることができる。さしずめ音楽による「ボヘミア紀行」という趣きだが、写真や絵画で見たことがあるものの、実際に行ったことがないので想像するしかない。

後半は祝祭的なポルカである。初めて聞いた時は何か不安な音楽かと思ったが、そのメロディーは次第に熱を帯びて軽快な雰囲気となり、最後には牧歌的メロディーと融合していく。テンポが時に変化したり、シンバルやトライアングルが鳴ったりといったスメタナ独特のオーケストレーションは、「わが祖国」の全交響詩に共通しているが、「高い城」と「モルダウ」で活躍したハープは、後半には使われていない。

朝もやの中を私は郡山を目指してドライブしていた。曇っていた田園風景に少し明るい陽光を感じた。カー・ステレオでアーノンクールの指揮するこの曲を聞いていた。その時の光景が心に残っている。だから、どういうわけか私がこの曲で思い出すのは、福島の山々である。後にここは、原発事故でほとんど過疎となってしまった。

アーノンクールの演奏は独特で、スピードも遅ければ印象的な部分の多くで聞き手の期待を裏切る。だからこの曲についてどうしても好きになれない。そこでいろいろ聞いてみたが、目下のところ、コリン・デイヴィスの演奏が熱っぽい演奏で気に入っている。デイヴィスはまた、アーノンクールとは異なる側面で聞き手の期待を下回るところがあるが、もしかするとその不足感が持ち味ではないかと思う。流されない音楽的情緒に魅力があるのだ。

例えばこの曲の場合、何やら賑やかになってきたなと思う。そして急にポルカに移ると、今度はめっぽう速い。重量はあって、時に力が聞き手を圧倒するが、そのような演奏で聞く牧歌がまたロマンチックであったりする。不思議なものだ。ただLSO Liveというレーベルから出ている一連の晩年のシリーズは、やや録音が悪い。これはホールの特性もあるのだろう。けれどもライヴ演奏の緊張感を伴ったパワーを感じることも事実である。ボヘミア的情緒に溺れないイギリス人の、構成力ある演奏で、手放してしまうのは結局躊躇してしまう。デイヴィスはこの頃、「プラハの春」音楽祭に客演しているので、定評のある演奏だったのだろう。

2017年5月15日月曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「シャールカ」(ジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

「モルダウ」を過ぎると「わが祖国」はいよいよ、深くチェコの森に入ってゆく。最も有名な音楽が過ぎ去り、あとは退屈な音楽が続く、と思ってはならない。ここからが聴きどころの連続なのだ。「モルダウ」の有名なメロディーも、あとから振り返ってみれば、最初の方で聞いたかなあ、などと記憶の隅に追いやられることも多い。それくらいここからの音楽は、深い印象を残す。演奏家もそのあたり良く心得ていて、オーケストラが乗って来るのは、まさに「シャールカ」からである。

恐ろし気な出だしに始まるも、すぐに陽気な行進曲風のメロディーが始まり、やがてクラリネットの素敵なソロとかみ合うあたり、何か休日にピクニックに出かけるみたいだ。そうしているうちに、高速道路でも走っているような気分になる。これまでは序曲のようだった音楽も「シャールカ」からが本番、いよいよここからボヘミア旅行に出かけるのだ、と初めて聞いた時は思ったものだ。だがこの音楽は、そんなこととは対照的な音楽である。Wikipediaから引用しよう。シャールカとは、プラハの北東にある谷の名であり、またチェコの伝説に登場する勇女の名でもある。
シャールカは失恋によって受けた痛手を全ての男性に復讐することで晴らそうと考えた。ある日彼女は、自分の体を木に縛りつけ、苦しんでいるように芝居をする。そこにツティーラトの騎士たちが通りかかる。助けられたシャールカは、酒をふるまい、皆がすっかり酔い潰れて眠ったのを見はからうと、ホルンの合図で女性軍を呼び、騎士たちを皆殺しにする。
ホルンの合図で音楽は急展開、一気にプレストとなる。たたみかけるような音楽がクレッシェンドし、大音量とともに劇的に終わる。おそらく全曲中、最大の見せ場の一つは、ここの音楽である。それは上記のように、虐殺のシーンだった、というわけである。

スメタナが「わが祖国」を作曲した当時、チェコはオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあり、ドイツ語が話されていた。スメタナもチェコ語を習得し、それに基づいて民族派のオペラを書いているが、最初から堪能であったわけではないらしい。考えてみると、ウィーンの郊外を少し行くと、そこはもうチェコである。1980年代まで西側の国際都市だったウィーンのすぐ隣に、鉄のカーテンがあった。だがウィーンとプラハはもともと行き来が盛んだった。

モーツァルトは「ドン・ジョヴァンニ」をプラハの聴衆のために書き、ベートーヴェンもたびたびチェコを訪れている。だからウィーン・フィルがこの曲を得意げに演奏しても驚きはない。古くはクーベリックによる名演が残されているが、それからしばらくたって、このオーケストラで「わが祖国」全曲を録音したのは、アメリカ人ジェームズ・レヴァインだった。このことは少し意外だったが、このCDが発売されたとき、私は大阪・心斎橋のタワー・レコードでさっそく輸入盤を買った。

それから毎日のようにこの演奏のCDを聞き続けた。私が「わが祖国」ファンとなったのは、この演奏に出会ったからだ。1枚のCDとしてはぎりぎりの長さであり、それはすなわち「わが祖国」としてはかなり速い方の演奏である。特に「シャールカ」の後半では一気に、突進するかのような演奏に興奮する。全体を通して完成度は高く、この演奏は評判こそ芳しくなかったが、今もって名演であると思う。

レヴァインの音楽は、まるでオペラのようにドラマティックであり、その録音はワーグナーのように聞こえるから不思議である。ウィーン・フィルのふくよかな響きは、木管やホルンにおいて顕著だ。そしてウィーン・フィルによる「わが祖国」の録音は、2010年代に入ってリリースされた2枚組のアーノンクール盤まで待たねばならない。

2017年5月13日土曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「モルダウ」(フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

モルダウ(ヴルタヴァ)川はチェコとドイツの国境付近を源流とし、プラハ市内を流れ、エルベ川に合流して北海に注ぐチェコ最長の川である。有名なプラハのカレル橋もこの川に架かっている。プラハの街を訪れた人はみな、この光景を見てヨーロッパ一美しい街だった述懐する。私の大学時代の友人もそうであった。だが私はこの街に行ったことはない。

「ヴルタヴァ」と題された2番目の交響詩は、美しい2本のフルートの音色で始まる。ここが2つある源流を表現している、と中学生の時に習った。川は流域を抜けるに従い、川幅を増してくる。あの一度聞けば忘れられないメロディーは、この川の豊かな流れを表している(と思っていたが、実際には古い民謡の一節だそうで、イスラエルの国家と同じ起源と言われている)。川のそばでは村人たちが婚礼の儀式に踊り、 やがては月夜に照らされて妖精たちが舞る。

しかし水量を増した川はやがて激流となり、水しぶきを上げて下流へと下る。川はいよいよプラハ市内へと到達した。そこにそびえるのは、前作でのテーマになった高い城である。音楽はクライマックスを迎え、再びモルダウのテーマが高らかに鳴ると、弦楽器が音程を上下させながら次第に静かになり、コーダを迎える。

わずか10分余りの曲に凝縮されたボヘミアの川の風景は、私たちをひとときの空想旅行へと誘う。遅い演奏で聞けば、モルダウは滔々と流れる大河のようであり、フルトヴェングラーのモノラル録音など、まるで海に注ぐ黄海の河口のように広大である。歌うようなメロディーをとことん堪能する演奏もいいが、私が気に入っているフリッチャイの名演は、速くてしかもメリハリの効いた演奏である。ただ場面の転換に伴う表情の変化が素晴らしく(それはカップリングされている「新世界」交響曲でも際立っている)、違和感はないどころか、まるで観光用のビデオを見ているように完成度が高い。

「モルダウ」は単独で演奏されることも多く、カラヤンもこの曲だけは何度か取り上げている。カラヤンに「わが祖国」全曲録音があれば聞いてみたいと思っていたが、チェコの民族色が強いこの曲を、カラヤンがすべて取り上げることはなかったようだ。若くして亡くなったこのフリッチャイの演奏も「モルダウ」単独だが、 オーケストラはベルリン・フィルである。1960年の録音で、クライマックスで少し音が割れるのが残念だが、クリアーでバランスも良く、当時のアナログ盤としては出色のものである。

単独で演奏される「モルダウ」は、ゆったりと染み入るような演奏もいいが、「わが祖国」は実は「モルダウ」以降が聴きどころである。したがって、ここであまり構えすぎるのではなく、速く駆け抜けていくのが好きだ。かといって雑なのも困る。その点、レヴァインの演奏などは私のお気に入りである。レヴァインの演奏は次の「シャルカ」で取り上げようと思う。

2017年5月12日金曜日

スメタナ:「わが祖国」より交響詩「ヴェシェフラド(高い城)」(ラファエル・クーベリック指揮ボストン交響楽団)

今日5月12日はスメタナの命日である。毎年この日、「プラハの春」音楽祭が開幕する。その初日を飾るのが代表作「わが祖国」ということになっている。この演奏は専らチェコ・フィルによってなされると思っていたのだが、近年の国際化の流れを受けているのだろうか、調べてみると今年(2017年)はダニエル・バレンボイムがウィーン・フィルを指揮することになっている。

「わが祖国」は6つの交響詩からなる80分程度の曲である。その音楽はチェコの様々な情景や民謡などが織り込まれた一大絵巻ともいえるもので、チェコ国民学派の記念碑のような作品である。そのうち最も有名なのが第2曲「モルダウ」で、私も中学生の時に学校で聞いた。この時に同級生がこの音楽をあまりに気に入ったため、当時クラシック音楽に少し詳しかった私に、レコードは持っていないのかと聞いてきた。私の家には「モルダウ」のレコードがなかったが、ある日FM放送でNHK交響楽団の演奏が流れることがわかり、私はそれを録音して友人に聞かせた。ヴァーツラフ・ノイマンの演奏を聞いて友人は、「本当にいい曲だなあ」と感激して言ったのを覚えている。

「わが祖国」を聞いていくにあたり、どの演奏がいいか考えた。丁度手元に6種類のCDがあり、この曲も6つの交響詩から成り立っている。どの演奏も捨て難い。いろいろ考えた挙句、いっそ各交響詩毎に1つの演奏を取りげてみたいと思う。私なりにその演奏で聞くとすれば、どの部分(交響詩)が相応しいか、いろいろ考えた結果である。この作業は発見の多い、楽しい作業であった。6つの交響詩は別々に初演されており、単独で演奏されることも多い、という理由もある。

スメタナはスウェーデンのエーテボリ赴任の頃、リストの影響を受けたとされる。交響詩の特徴は、形式にとらわれないことである。このため自由な感覚で絵画的な情景などを音楽にする「わが祖国」には、まさに相応しい形式だと考えたのだろう。いずれの作品もチェコの風景や伝説などを題材にしている。チェコを訪れたことはないが、音楽を聞きながら風景を想像する。それがまた私の聞き方である。

さて、最初の交響詩は「ヴィシェフラド」という。「高い城」と訳されているが、実際にヴルタヴァ(モルダウ)川湖畔にヴィシェフラド城は残されているらしい。プラハ郊外にあるその城は、ボヘミアの国王の居城であったそうだ。スメタナやドヴォルジャークの墓もあるという。

曲は印象的なハープのメロディーで始まる。ここでハープは2台必要とされる。このハープのメロディーだけで、いろいろな表現の演奏があることに気付く。いずれにせよこのメロディーは、「わが祖国」全体を貫く主題の一つで、管楽器に引き継がれた後は、オーケストラにより壮大に演奏される。「わが祖国」全体の序曲のような感じで、これを作曲した時には、すでに最後の方まで構想に入っていたのではないか、とさえ思わせる。スメタナはベートーヴェンがそうであったように、次第に聴力を失っていく。「わが祖国」はそのような病気の進行とともに書かれた。スメタナは次第に祖国への愛情を曲にしていくことに専念する。

まだ始まりの曲なので、最初は煮え切らない演奏も多い。特に実演で聞く場合には、この曲を含め「モルダウ」あたりまでは、オーケストラの調子が出ないこともしばしばだ。有名なクーベリックのプラハ復帰公演(ライヴ)でも、その傾向がある。だが同じクーベリックでも、ボストン交響楽団を指揮したこのスタジオ録音では、冒頭から完全試合である。したがってこのCDでは「ヴィシェフラド」のもっとも素晴らしい演奏のひとつに出会うことが出来る。クーベリックの残した「わが祖国」の演奏は数多く、それらをすべて聞いているような強者もいるようだが、私が持っているのはこれ一枚である(あとほとんどCDを所有しない妻が、なぜか「プラハの春」復帰時の演奏を収めたCDを持っている)。

このハープのテーマ(吟遊詩人の奏でるボヘミアの栄枯盛衰の物語)が、初めて弦楽器によって演奏される時の感覚は、クーベリックの演奏で聞いてハッとさせられた。やがて曲は力強く、そして速くなっていくが、適度に揺れて流れるような感覚は、まるで遊覧飛行にでも出たかのよう。長い「わが祖国」のテーマ音楽が高らかに示されると、音楽は再び静かになる。丁寧な木管のアンサンブルが、消えていくように流れ、再びハープとホルンによる主題が回帰し、これらが弦楽器とともに再びクレッシェンドを築き、やがて幻想的な部分を経ながら音楽は静かに終わる。かつて栄華を誇った城も、幾たびかの戦いに敗れ、今では廃墟と化してしまった。「兵どもが夢の後」というわけである。いい演奏で聞くと、もう長い時間を過ごしたような感覚に囚われる。だが、音楽はまだ始まったばかりである。

2017年5月7日日曜日

ドヴォルジャーク:スラヴ舞曲集(ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団)

毎日心地よい陽気の続く今年の大型連休は、大きな外出もなくのんびりしている。朝晩に近くを散歩することが多い私は、携帯音楽プレーヤーにいくつかの演奏をコピーしてある。今日はどういうわけか久しぶりに、ドヴォルジャークの「スラヴ舞曲」を聞きたくなった。この曲は、全16曲がすべて親しみやすい名曲で、当然のことながら人気も高い。演奏会では、アンコールなどでチェコ系の指揮者がよく取り上げている。通して聞くことは滅多にないが、CDで買えば、基本的に全曲が1枚のディスクに納まる形で聞くことができる。

私が最初にこの曲に触れたのは、ジョージ・セルが指揮するクリーヴランド管弦楽団のLPレコードに、そのアンコールのように入れられていた第10番と第3番からである。このLPレコードは大阪万博の年、大阪国際フェスティヴァルのために来日したこのコンビの1970年の公演と同じ、ドヴォルジャークの第8交響曲と一緒に収録されてもので、EMIからリリースされたこともあって、いつになく奥行きと残響のある、しっとりとした演奏であった。

セルはこの来日の直後に急逝し、そのことがこのレコードの評価を一段と確固たるものにした。公演を聞いた評論家が、セルという指揮者を再評価し始めたのもこの頃である。私はこの年、大阪万博の会場近くに住んでいたが、まだ小さな子供であった。だからこのLPに出会うのは、さらに10年後のことである。ここで初めて第8交響曲というのを聞いたし、スラヴ舞曲の忘れ得ぬ名演を何度も繰り返し聞いたものだ。この他にもセルのスラヴ舞曲集は売られていたが、上記の理由から特にこの2曲については、すべての演奏中、最も素晴らしいものの一つであると、今でも思う。

スラヴ舞曲をすべて聞いたみたいと思っていた頃、丁度NHK交響楽団の演奏会がFMで中継され、私はそれをエアチェックした。カセットに収録した演奏は、チェコの指揮者、ヴァーツラフ・ノイマンが客演した際のもので、後年CDでも発売された名演である。私は録音の悪いテープを何度も聞きながら、ほとんどの曲のメロディーを覚えてしまった。中学生の頃である。

CDとして全曲盤を買うことにしたのは、それからさらに10年以上が経過した頃である。ドイツ・グラモフォンのガレリア・シリーズで、クーベリックの指揮する名盤が安く手に入ることがわかった。クーベリックのスラヴ舞曲を収録したCDは数多いが、その中でも決定的とされるバイエルン放送交響楽団を指揮したものである。録音は1974年。

さて、スラヴとは主に東ヨーロッパからロシアにかけて住む民族の総称で、その音楽は国民学派の時代、西洋音楽に取り込まれた。丁度、ブラームスのハンガリー舞曲が流行した頃、ドヴォルジャークは同様な舞曲集を作曲する。最初はピアノ連弾曲であることも、全8曲から成る2つの作品というのも同じだ。ハンガリーはマジャール人の国で、いわばアジア系である。それに対し、チェコの民族音楽をふんだんに取り入れたスラヴ舞曲は、少し異なる味わいを持つ。いずれもオーケストラ曲に編曲され、今ではその演奏の方が主流となっている。

速い部分と遅い部分が交互に組み合わせられているのも共通だが、速い部分ではテンポの揺れがハンガリー舞曲ほど急ではないく、祝祭的である。一方遅い部分では独特の憂愁を帯びたメロディーが、時に聞き手の心に懐かしく響く。私はスラヴ舞曲の方を聞くことの方が多い。躍動感と牧歌の組合せは、管弦楽の聞かせどころ満載で、オーケストラを聞く喜びを味わうことができる。

曲が素敵なので、基本的にどの演奏で聞いても楽しめる。従って時間が許せば、可能な限りの演奏を聞いてみたいと思う。クーベリック盤は、ドヴォルジャーク第1人者としての風格が感じられる演奏で、オーケストラのバランスといい、テンポの素晴らしさと言い、何も言うことはない。この演奏を聞いていると、どこか東欧の村でお祭りに出くわしたかのような気持ちがしてくる。

一方、クーベリックの演奏を聞いてからさらに10年後、私は素晴らしい録音のドホナーニによるデッカ盤を購入した。この演奏はセルが指揮していたクリーヴランド管弦楽団を振ったもので、クーベリック盤にない魅力がある。ドライブに持っていくならドホナーニ盤にするだろう。このCDはさほど人気がないが、民族性が出過ぎない丁寧なスラヴ舞曲の中では、私のお気に入りである。

すべての曲が魅力的なので、どこがどうという記述はしたくないし、そうしたところで同じような文章になってしまう。特に言えば、作品46が派手な曲が多いのに比べ、作品72の方が音楽的にはより抒情的である。


【収録曲】
1.スラヴ舞曲集作品46
    ①第1番ハ長調
    ②第2番ホ短調
    ③第3番変イ長調
    ④第4番ヘ長調
    ⑤第5番イ長調
    ⑥第6番ニ長調
    ⑦第7番ハ短調
    ⑧第8番ト短調
2.スラヴ舞曲集作品72
    ⑨第1(9)番ロ長調
    ⑩第2(10)番ホ短調
    ⑪第3(11)番ヘ長調
    ⑫第4(12)番変ニ長調
    ⑬第5(13)番変ロ短調
    ⑭第6(14)番変ロ長調
    ⑮第7(15)番ハ長調
    ⑯第8(16)番変イ長調

2017年5月4日木曜日

ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉(Vn: ギドン・クレーメル他)

10分程度のアダージョを7曲(序奏を合わせると8曲)も連続して聞かせる「字架上のキリストの最後の7つの言葉」という作品は、作曲者自身、相当苦労して作り出したようで、ハイドンは後年「決して容易なことではなかった」と述べている。これは司祭が説教をする合間に、オーケストラが音楽を演奏するというクライアント側の明確な仕様を満たすためであった。だが出来上がってみるとこの作品は、瞬く間にヨーロッパ中で演奏されるようになった。ハイドンは愛着を持って、この作品を弦楽四重奏曲に、そしてオラトリオにと編曲した。

この作品を私は当初、長ったらしくて辛気臭く、とても聞くに耐えない曲だと考えていた。ところがムーティの演奏を聞き続けているうちに、この曲の深い味わいに浸ることになっていった。もう何回も聞いている。通常私はこのブログを書き終えると、しばらくそこで取り上げた曲からは遠ざかることにしている。他に書きたい曲が、まだ山のようにあるからだ。だがこの曲だけは違っていた。悲しみに打ちひしがれたような曲が、延々と1時間も続くと言うのに。

そして、とうとう弦楽四重奏版を聞いてみたいと思った。私はあまり室内楽を聞かないが、この曲がどういう風に編曲されているぼか、ハイドン好きとしては聞いてみたくなったのである。が、アマゾンで検索しても、あまり録音は多くないようだった。有名なカルテットでもこの曲を録音しているのはほとんどない。あるいはすでに廃盤となっているか。仕方がないので中古屋をあたると、そこに何とクレーメルがヴァイオリンを弾き、他に3人のソリストを加えた四重奏団による録音に出会った。フィリップスから発売されているので、列記としたメジャー録音である。もう一人のヴァイオリンは、カトリン・ラブス、ヴィオラにジェラール・コセ、チェロは岩崎洸。日本語のライナー・ノーツには「クレーメル四重奏団」と書かれているが、当時まだクレーメルはソビエトの演奏家で、出身もバラバラなこの4人は時折集まって演奏をしていたようだ。

弦楽四重奏曲は、二人の弦楽器だけで演奏される。これはオーケストラからすべての管楽器、打楽器、それにコントラバスを除き、しかも各パート一人による編成となる。すべての管弦楽曲は、あらゆる贅肉をそぎ落とし、いわば骨と皮だけの、まるでウィスキーの原液を飲むようなエッセンスのみの音楽である。弦楽四重奏曲が大規模な曲に編曲されることも多いし、逆に、管弦楽曲を弦楽四重奏曲に編曲されることも多いが、「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」は後者である。

弦楽四重奏曲となることでフルートやホルンのパートはなくなり、地味で退屈な旋律を延々と聞くことになるのだろうか、という事前の予想を裏切って、ここでもまたハイドンの、シンプルだが深い印象を残す旋律に引き込まれていった。正直な感想としては、音楽は意外に軽やかである。編成が最小限であることにより、音楽の持つ本来の美しさが際立つ。ここでいう美しさとは、装飾的なものではない。何の衒いもなく、しかも気品を保ちながら流れ出る旋律は、言ってみれば「ハイドン・マジック」とでもいうべき奇跡的なことで、それがここでも十二分に感じ取れる。

序奏は5分程度。すでに痛々しい悲しみが表現される。これに続き第1のソナタから始まる「7つの言葉」は、しばらく親しみやすいメロディーが続く。第1のソナタは3拍子である。これに対し第2のソナタは「グラーヴェ(非常にゆっくりと)」で、切々と重々しい。悲しみがこれでもか、これでもかと襲ってくる。「カンタービレ」でもあるので、歌うようなメロディー。そして第3のソナタも「グラーヴェ」。このあたりに来て、もうちょっとどうにかしてくれ、という感じになる。

第4のソナタはラルゴ。音楽の速度記号は、
  • ラルゴ < アダージョ/グラーヴェ <  レント < アダジエット
という感じだから、まあこのあたりに来たら覚悟を決めて、聞き続けるしかない。どうあがいても速い曲はやってこないのだから。演奏会でなければ、このあたりで一服。残りは別の機会に、という聞き方も可能である。でも、どういうわけか聞き続けてしまうことが多い。

ここでハイドンは音楽に緩やかな変化をつけることをやめなかった。第5のソナタでは、ピチカートが印象を残す。ここで聞き手は気を取り直し、これはこれでいい曲だなあ、と思う。そう思ったところで結構な大きさのメロディーが切り裂くように響く。速度は遅くてもドラマティックである。

第6、第7のソナタはいずれもラルゴだが、ここはやや現代的というか複雑というか、つまりは音楽が深みを増す。第6のソナタは口ずさめるが、第7のソナタになると長調に転じ、少し明るい感じもするが、ここは終わりが近いと思って、このまま終曲になだれ込むしかない。余韻を残すかのようにピチカートで終わるあたりが憎い。

第7のソナタが終わるや否や、「地震」となる。ここで音楽は一気にプレスト(急速に)となる。キリストの死とともに大地は裂け、揺らぐ。数分の短い曲だが、何か一気に解放された感じがする。

音楽というのは怖いもので、時に人の心をゆさぶる。複雑に入り組んだストレスの多い現代人にとって、最後にたどり着くのはマーラーの晩年の曲かと思っていたが、意外にもハイドンのこのような曲が、実は「癒し」を与えてくれるような気がする。何を聞いてよいかわからないような時に、気持ちを慰めてくれるという意味である。

こうなったら次はオラトリオ版である。先の中古CD屋でオラトリオ盤も衝動買いしてしまったし。今年のゴールデン・ウィークはどこへも出かけず、音楽を聞く時間に費やしたいと考えている。

2017年5月3日水曜日

マーラー:交響曲第7番ホ短調(リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

マーラーの交響曲の中でもっとも人気がなく、とっつきにくいとされている交響曲第7番について、素人である私が何かきちんとしたことが書くことができるとは思えない。そこで以下に個人的な3つのエピソードを書くことから始めようと思う。

(1)中学生時代、短波放送を聞くことを趣味としていた私は、外国の放送の聞いては放送局に報告書を書き、そのお礼に受信確認証というものをもらうということを趣味にしていた。米国からの放送には日本語放送がなく、英語放送を聞く必要があった。フィリピン中継のVOA(アメリカの声)放送は、日本でも大変良く受信できたが、私を苦しめたのは、放送内容がほとんどわからなかったということである。私は音楽番組なら何とかわかると考え、特にクラシック音楽は、比較的良く知っているので曲名もすぐにわかるだろうと考えた。

当時VOAには、確か土曜日にクラシック音楽を放送する番組があって、ある日私はその番組を聞くことができた(インターネットもない時代、何という番組がいつ放送されているかは、ほとんどわからないので、これは根気のいる作業だった)。オーケストラの長い曲が延々小一時間に亘って放送されただけのその番組は、時折深いフェージング(伝播障害)を伴い、音が大きくなったり小さくなったりする上に、雑音や混信による影響も受けるという短波放送特有の障害を伴うもので、辛抱をしながらも何とか。聞いたこともない大規模な曲を聴き終えた。さて何という曲なのか?

音楽が騒々しく終わって、アナウンサーが曲のタイトルを話した。「The Song of the Night」と言ったのは、私の英語力でも聞き取れた。マーラーの交響曲第7番「夜の歌」であった。演奏はアナウンスされたと思うがわからない。兎に角その内容で私は手紙をワシントンへ送った。「夜の歌」などというニックネームとは違い、随分やかましい曲に聞こえたのは、受信状態が悪かったからではない。だがそのような短波放送でも、マーラーは放送されるのだと思った。

(2)2度目の長い入院生活を終えたのは、真夏の暑い日であった。私は久しぶりに我が家のソファに腰を下ろし、自分がどこにいるのかわからないような不思議な感覚にとらわれていた。生きている、という実感も湧かない。これが6年前の時なら、喜んで踊りだしたくなるような気持だったのに。

6年前の退院時に聞こうとして取り出したCDは、軽快なウィンナ・ワルツだった。あふれる喜びとリラックスした気分にウィンナ・ワルツほど似合う曲はない、と思ったのた。だが2回目はそうではなかった。遭難した登山客が救助された時のように、まるで生きた心地のしない複雑な気持ちで、私は何か音楽でも聞いて気持ちを紛らわせようとした。いろいろ迷った挙句、その時に取り出したCDが、どういうわけかほとんど聞いたことのないマーラーの交響曲第7番だった。

喜びのあふれる気持ちのはずが、到底ゆっくり落ち着くこともできず、気持ちは落ち込んだり舞い上がったり、常に何かに煽られ、同時に邪魔をされているような気持ちだった。生きていることを実感するには時間を要した。だが長い時間をかけて、ただこの音楽に耳を傾けていた私の心は、次第に落ち着きを取り戻していった。マーラーの交響曲がこのような効果を発揮するとは思っていなかった。それ以来、私はマーラーが好きになり、そしてこの第7番が少しわかったような気がした。

(3)都会に住む現代人の生活は多忙で、精神的にもストレスが高い。少しでも自分の時間を取り戻そうと、少ない機会をとらえては携帯音楽プレーヤーなどで音楽を聴いている。私はモーツァルトやシューベルト、あるいはワーグナーでさえも持ち歩き、朝夕の通勤電車などでそれらを再生している。ところがイヤホンの外側では、けたたましい発車の電子音とともに怒鳴り声にも似た駅のアナウンスが鳴り響く。特に新宿駅の山手線ホームなどは最悪である。折角の音楽がこれでは台無しである。駅を離れて店に入ると、スターバックスのようなカフェでさえも、希望していないのに何らかのポップスがイヤホンの向こうから聞こえてくる。スーパーマーケットでも同様だ。もういい加減にしてくれ、と叫びたくなったその瞬間、私はもしかするとこれこそマーラーではないか?と思ったのだ。

あるメロディーを聞いていたら、それを遮り、打ち消すように違う音楽が聞こえ、それはあるときは雑音のようであり、また別の時には美しい別の音楽であったりする。音楽が関係なく交じり合い、聞く側の異なる感情も入り乱れ、さらにそれに合わせて心情も複雑に変化する。そうだ。マーラーの音楽は現代人の感覚そのものだったのだ。まだテレビもラジオもない時代、よくこのような音楽が書けたものだ、とある時私は感動した。その象徴的な曲は、もしかすると第7交響曲ではないか。

----------------
交響曲第7番は第6番の完成後、間をおかずして書かれた。だから私も第6番に続けてこの交響曲を聞いている。私の感想からすれば、この第7番は第6番はもとより、第5番より親しみやすい曲である。音楽が楽しげでわかりやすいとさえ思う。マーラーの絶頂期に書かれたというだけでなく、この曲はハッピー・エンドなのである。ただそこはマーラー流の「苦悩から歓喜へ」という構造になる。スケルツォを挟んで緩徐楽章(夜の歌)が第2楽章、第4楽章におかれ、さらに両端の楽章がアレグロとなる。多くの打楽器が登場するのは第6番と同様だが、この曲は古典的様式をかなり逸脱しており、調性の乱れも甚だしい。一応ホ短調ということにはなっているが。

第1楽章は大河ドラマの主題曲のようである。各楽器のメロディーとその重なりを追っているだけであっという間に過ぎてしまう。これは第2楽章に入ってもかわらない。「ナハトムジーク」となっているので、夜の散歩の時に聞いているが、朝に聞いてもいい。第3楽章スケルツォもやはり楽器の特徴が随所に発揮される。3拍子の変化に富んだリズムも、サスペンス映画の途中で流れるような感じで、違和感などないどころか興奮する。

これに対し第4楽章は再びアンダンテの「ナハトムジーク」。ある時私はこの曲を聴きながら、仕事帰りの山手線で眠ってしまった。列車の走行音の後で、ずっと同じメロディーが鳴っていたように思った。管楽器が活躍し、さらにはギターやマンドリンまで登場する。イヤホンで聞くと、これらの多彩な楽器が余すところなく堪能できる。耳にこびりつく何とも不思議なセレナーデ。

終楽章は20分程度の曲だが、軽快な音楽で始まる。音楽を聴いて踊り出したくなるように嬉しくなるのは、マーラーの曲では珍しい。これを素直に喜ぶべきか、それとも強烈な皮肉が込められているのか、よくわからない。だが、私にとってそんなことはどうでもいい。時に商店街の大売り出しのようであったり、テレビ番組の主題歌のようでもあり、ハチャメチャというか支離滅裂というか、お祭り騒ぎの中に、どこか醒めている自分がいる。他の交響曲にあるような大宇宙を思わせる空間的広がりや、大爆発的感動をマーラーらしさというなら、この曲にそれを期待することはできない。だが私は、前半を精緻な演奏で、後半はさらにヴィルティオーゾなオーケストラで聞くこの曲も楽しいし、好きである。コーダの部分では、第6番でも登場したカウベルをはじめとするあらゆる楽器が登場し、ガチャガチャと鳴りながら、祝祭的とも言えるような雰囲気の中で騒々しく、そして華々しく曲が終わる。

リッカルド・シャイ―は、主兵のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、デッカとしてはショルティ以来となる素晴らしいマーラー全集を録音したが、私はこの第7番こそはシャイ―に相応しい曲であるように思う。こんなに複雑な曲なのに、洗練された流れるような音楽が耳を捉えて離さない。ムード音楽のようでさえある。オーケストラが抜群に上手いが、それをさりげなくやってしまう。だが私は実際のことろ、他の演奏をあまり知らない。結構好きな曲になったので、手当たり次第に聞いてみたいと思う。いやコンサートがあれば、できれば前の方で聞いてみたい。なぜなら実演で聞いたのは、デイヴィッド・ジンマンがNHK交響楽団を指揮した時に、広いNHKホールの3階席で聞いた、ただ1回きりなのだから。

なお、この2枚組CDの最初には、オランダ人作曲家アルフォンス・ディーベンブロックの「大いなる沈黙の中で」という珍しい曲が収められている。バリトンの独唱(ここではホーカン・ハーゲゴード)が混じり、ワーグナーとマーラーを足したようないい曲である。

2017年4月30日日曜日

マーラー:交響曲第6番イ短調(レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

いきなり軍隊の行進を思わせるリズムに合わせ、物凄い形相で指揮をするレナード・バーンスタインの映像に一気に釘付けとなった。その後80分にも及ぶ全曲を、興奮と集中力を持って聞き続けたのは1回だけではない。学友協会大ホールに所狭しとずらりならんだ、見たこともない打楽器群の中に、何と巨大な鉄槌までもがあって、それが幾度か振り落とされる。その異様なまでの光景に、私は固唾を飲んだ。こんな音楽があるのか!高校生の時だった。

次にこの曲を聞いたのはCDによってであった。90年代のはじめ、私が小遣いを貯めて買った一枚はジョージ・セルによる演奏(クリーヴランド管弦楽団)。なぜかと言えば、この長い曲が1枚のCDに納まるのは、当時これしかなかったからだ。 しかも録音が1967年と古く、廉価版としての発売だった。この演奏は、あの頑固なまで一徹なセルが、なりふり構わず棒を振る様子が見えてくるような熱演である。まだマーラーの演奏が珍しかった時代。今聞いても演奏は素晴らしいが、時代的な古さは否めず、しかも録音が上出来とは言い難い。

マーラーの交響曲は、旺盛な創造力が発揮されるに従い難解なものとなり、特に第6番から第8番は規模が大きく、そして長い。何か印象的なフレーズが心に残るわけでもないこれらの曲を、一通り聞き続けるだけの持久力が試される。私はコンサートで聞かないと、なかなかその良さはわからないと思っていた。

その機会は1996年のアメリカ滞在中に訪れた。ジェームズ・レヴァインがメトロポリタン歌劇場のオーケストラを指揮して、通常の管弦楽コンサートを年に数回開くうちの1回に、この曲を取り上げたのだ。しかもコンサートの前半はブリン・ターフェルを迎えての「亡き子を偲ぶ歌」。公演当日の夕方、カーネギー・ホールのボックス・オフィスに並ぼうとすると、ジーンズ姿のターフェルが現れて誰かと話していた光景を覚えている。大編成のプロ集団を大胆に指揮するレヴァインの姿に見とれているうちに、あっという間のコンサートが終了した。

良く知られている副題は「悲劇的」となっているが、私がこの演奏を聞いた時には、あまりに健康的であることに違和感を覚えた。考えてみるとこの作品は、マーラーの作曲家としての絶頂期に書かれている。アルマとの遅い結婚の後、夏の別荘に籠って次々と大作を作曲していく頃である。だとすればこのタイトルは、マーラー流のアイロニーと言ってもいいのではないか、とさえ思えてくる。調性が短調であることに加え、しばしば聞き手の予定調和を裏切るフレーズなどに、そのようなものが感じられる。けれどもこの作品は、マーラーがひときわ愛した個人的な作品だとされている。マーラーとアルマはピアノでフレーズを弾きながら、涙を流したとある。マーラーの人生観がそのままストレートに表現されているらしい。イ短調という飾り気のない調整は、常に陰鬱である。

通常、第2楽章はスケルツォ、第3楽章はアンダンテ・モデラートとなっているが、手元にあるアバドの演奏(ベルリン・フィル)は入れ替わっている。作曲家自身がどちらを先にするか、迷っていたようだ。だが私は第4楽章が非常に長いので、第3楽章を緩徐楽章とする方がしっくりくる。いずれにせよ、これら曲を聞くと夜の都会を連想する。もちろんここでも放牧された牛が通るときの鈴の音(カウベル)が、何か特異な雰囲気を醸し出している。マーラーの交響曲には、それまで聞いたことのない音色に出会いことが多い。この曲の第2楽章の冒頭などは、いまでこそ戦争映画の音楽のようではあるのだが、20世紀の初頭にコンサートホールで聞いた聴衆には、どのように響いたのであろうか。

バーンスタインのビデオ以外の演奏は、どうにも私にはしっくりこない状況が続いていた。これだけ長い曲を聞くには、緊張感の持続も大変で、歩きながら聞いたりしているといつの間にか他のことを考えてしまう。考えあぐねた挙句、やはり原点に戻ることにした。今では希少価値のあるCD屋へ出かけ、バーンスタインのCDを購入することにしたのである。

CDで聞くバーンスタインの第6番は、すこぶる素晴らしい。演奏はウィーン・フィルで、あのビデオ版全集で録画された1976年から12年後の1988年9月の録音である。バーンスタインが亡くなる2年前、マーラー演奏に生涯を捧げたバーンスタインの、最後の演奏ということになる。ここで聞く第6番は、まさに壮絶ともいえる超名演だ。しかもドイツ・グラモフォンの録音が秀逸で、あらゆる音がクリアーに、しかも重なりを持って聞こえる。迫力を捉えて離さない。まるでバーンスタインの息遣いが聞こえてきそうな演奏である。

この演奏を聞くと、マーラーというのはウィーン・フィルでないと表現できないものがあるのではないだろうか、などと思ってしまう。弦楽器の音色などは、これがマーラーの音だと主張している。それは聞き手の全身を覆い、耳に強烈な印象を残す。説得力が違うと思う。特に第3楽章(アンダンテ)の深い息遣いは、このコンビの白眉である。

そして終楽章!30分以上に及ぶこの曲をバーンスタインは精魂を込めて指揮をする。冒頭の深く息を吸い込んだゆるやかなメロディーから、爆発的な瞬間を経て激流の如く流れ出る音楽は、何と形容したらよいのか。ウィーン・フィルが何年かに一度見せるような熱い演奏は、その長さを感じさせない。幾度かの鉄槌がマーラーに加えられ(「運命の打撃」)、絶頂期にあった彼の心に歯止めをかける。まるで悪い命運を自ら招くように、マーラーの心の傷は深く、そしてねじ曲げられている。鞭に打たれようと、ハンマーに打たれようと何度も前進しながら、徐々に弱々しくなっていく音楽は「最後まで戦うことをやめず」、とうとう最後に一瞬、強烈な発作を起こしてから、死ぬ。

「この作品が聴き手にもたらす浄化(カタルシス)の効果は、ギリシャ悲劇やシェイクスピアの四大悲劇のそれと同じである。おそらく死の恐怖を身近に感じるような人間には、こんな作品は書けなかっただろう。生命力の絶頂にある壮年期の人間にだけ書ける曲である。」(「マーラー」(村井翔、音楽之友社より)

2017年4月23日日曜日

ハイドン:十字架上のキリストの最後の7つの言葉(リッカルド・ムーティ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

紀尾井ホール室内管弦楽団の演奏会がきっかけとなって、ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」を録音で聞いてみたいと思った。長年そばにありながら、一度も通して聞くことのなかったリッカルド・ムーティ指揮によるCDは、2種類あるうちの新しいほう、ベルリン・フィルとのものである。終結部を除いてすべてが緩徐楽章という曲は、いくらハイドンの傑作とはいえ、長年私を遠ざけた。食わず嫌いといっても良い。だがハイドン自身が愛着を寄せ、ムーティはこの曲をいたく気に入っているという。そのことが気になっていた。

紀元前、エルサレムにおいてユダヤ教の体制を批判したイエス・キリストは、当時支配をしていたローマ帝国の権限において処刑させられた(キリストの磔刑)。 十字架に張り付けられ、長い間さらし者にされると言う極刑は残酷である。だがイエスはすべての人々の罪を自らが被ることにより、人々を救済した。この時語ったとされる7つの言葉は、数々の福音書によって後世に伝えられた。ハイドンが作曲したのは、この福音書に基づく七つの言葉を管弦楽で表現したもので、スペイン南部の町、カディスにある教会の依頼で作曲された。1786年、ハイドン54歳の時であり、当時仕えていたエステルハージ家以外からの作曲依頼も舞い込むようになっていた頃である。交響曲で言えば「パリ交響曲」の頃。

曲は以下の部分から構成されている。

 序章 Maestoso ed adagio
 第1ソナタ 「父よ 彼らの罪を赦したまえ」 Largo
 第2ソナタ 「おまえは今日 私と共に楽園にいるだろう」 Grave e cantabile
 第3ソナタ 「女よ これがあなたの息子です」 Grave
 第4ソナタ 「わが神よ 何故私を見捨て給うか」 Largo
 第5ソナタ 「私は渇く」 Adagio
 第6ソナタ 「すべてが果たされた」 Lento
 第7ソナタ 「父よ 私霊をその御手に委ねます」 Largo
 地震 Presto e con tutta la forza

各パートはその名の通り、ソナタ形式である。すなわち主題が提示され、展開された後、再現される。ハイドンがこの形式を確立した直後のことであり、そのために忠実にその法則に従っており非常にわかりやすい。すべてがアダージョやラルゴで、交響曲の第2楽章を延々と聞き続ける忍耐力が必要だが、ここには「時計」の洒落っ気も「驚愕」のユーモアも存在しない。ところがいい演奏で聞くと、音楽は静かに聞くものの体中に入り込んでいく。蒸留水が岩に染み込むように。静謐でありながら厳粛な緊張感を失わない格調の高さは、音楽に奉仕するかのような慎ましさと真面目さが必要である。

そう感じるのはムーティの指揮するベルリン・フィルの弦楽器が、真摯にメロディーを奏しているからであり、その様子は序章の冒頭からわかるのだ。 「飾らない」という表現がピッタリの演奏は、ベルリン・フィルの最高のテクニックをベースにしてなお、謙虚である。ムーティの演奏するハイドンが、実はこんな表現だったのかと思った。そしてこれは実にこの曲の意味を引き出していると思った。

こういう音楽を聞くと、クラシック音楽の多くが芸術のために書かれたのではなく(私はこういう表現が嫌いだが)、宗教的行事のために書かれたものであることがわかる。同じハイドンでも、「ザロモン・セット」のように聴衆の人気を意識した音楽では、緩徐楽章だけを並べるようなものは書かなかった。この曲は、聖金曜日の教会での修養のために書かれたのであり、そういう音楽を他の音楽と同列に扱うことはできないだろう。現代のコンサートは、入場料収入を必要とする興行であり、極論すれば、このような曲をコンサートで上演するのは、誤解を招きかねない勇気のいる行動である。

けれどもわが国では教会で音楽を聞く機会など、そうあるものではない。ハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」を実演で聞く機会は、コンサートで取り上げられなければ、おそらく耳にすることはない。あるいはまた数千円の対価を支払うことで、録音されたこの曲の媒体を自分のものにすることができるのは幸福なことだ。そしてその価値は十分にある。ここで聞くことのできるハイドンのメロディーは、この大作曲家が残したアダージョの中でも屈指の名曲の数々である。だから私は、携帯音楽プレーヤーにこの演奏を転送して、朝の散歩の時にも聞くことができるようにしている

2017年4月22日土曜日

紀尾井ホール室内管弦楽団第106回定期演奏会(2017年4月21日、紀尾井ホール)

4月になると生活が新しくなり、何かとストレスの多い毎日である。不安定な天候がそれに追い打ちをかける。遅かった東京の春もようやくたけなわとなり、赤坂見附から四谷に向かう街路沿いの八重桜は満開である。ホテル・ニューオータニーの正面にある紀尾井ホールで、珍しいハイドンの作品「十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉」(Hob.XX/1A)が演奏されるというので、一生に一度は生で聞いておきたいと思っていたこともあり、思い立って仕事の帰りに途中下車した。

紀尾井ホールは新日鐵住金文化財団によって設立されたホールで、すでに20年以上が経過しているが、私は一度しか訪れたことがなかった。今回初めて聞く紀尾井ホール室内管弦楽団(旧紀尾井シンフォニエッタ東京)はウィーン・フィルのコンサート・マスターを務めるライナー・ホーネックを首席指揮者に迎えての、最初の定期演奏会だそうである。プログラム前半はストラヴィンスキーの「ニ長の協奏曲」とJ.S.バッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調(BWV1043)」である。おそらく私は、実演で初めて聞く。

会社の帰りに出かけるコンサートは眠くなることが多い。背広にネクタイという装いも、音楽会には相応しいがリラックスできるものではない。案の定私は、ストラヴィンスキーが始まると睡魔に襲われ、それはバッハの前半まで続いた。ただこのオーケストラは、どことなく精彩に欠け、二人のソリスト(のうちの一人は指揮者のホーネック氏で、もう一人はパリ管弦楽団の副コンサートマスター、千々岩英一である)も、音が前に出てこないように感じた。ホールの残響が大きいせいもあると思うが、これだけ小さなホールではもう少し音が映えていても良いと感じた。もしかすると三鷹市の「風のホール」同様、私の好みではないホールなのかも知れない。

普段なかなか聞くことがなくても、実演で真剣に聞くと楽しめる曲は数多い。「マタイ受難曲」、「メサイア」、「四季」(ハイドン)、ヴェルディの「レクイエム」、「ファウストの劫罰」など枚挙に暇はないが、一方で、どこがいいのかさっぱりわからず、ただ苦痛なだけの曲もある。私の場合、「ドン・キホーテ」(R.シュトラウス)、「火の鳥」(ストラヴィンスキー)が苦手であり、「戦争レクイエム」(ブリテン)、「トゥーランガリア交響曲」(メシアン)を聞いた時も、なかなか辛かった。これはもしかしたら演奏が悪かったのかも知れないが。

さてハイドンの「十字架上のイエス・キリストの最後の七つの言葉」である。リッカルド・ムーティによる録音を聞こうと思って何度も挫折してきた私は、いっそ実演ならその良さがわかるかも知れないと考えた。ハイドン自身「初めて音楽を聴く人にも深い感動を与えずにはおかない」と語っており、その音楽はオラトリオへ、また弦楽四重奏曲へと編曲されている。

全7楽章、すべてが緩徐楽章である。これは忍耐の要ることだが、それは聞き手だけでなく演奏家にとっても同様だろうと思う。そして今回の演奏、おそらくは何度も慎重に練習を重ねたであろう、まったく乱れたりたるんだりすることはなく、最後まで、小1時間に亘って終始、丁寧な音楽が演奏された。このことは特筆してよい。けれども聞き手にとって、それはやはり辛かった。ハイドンの交響曲はずべて聞いたことがある私でも、これは正直に告白しておこうと思う。終曲「地震」を除けば、序奏と7つのソナタはすべて、アダージョやラルゴである。時に印象的だったのは、ピチカート主体の第1主題だった第5ソナタくらいだろうか。

最後の「地震」だけは速い迫力のある曲で、「決まった」と思った。紀尾井ホールの客層は、これまで聞いてきたどのコンサートホールの聴衆よりも品が良く、マナーが良かった。暖かい拍手に迎えられて幾度となく姿を現した指揮者には大きな拍手が送られていた。なお、前半のバッハの後には、アンコールとして同じ曲のカデンツァ(作曲はヘルメスベルガーで、ウィーン・フィルのコンサートマスターだった人である)が演奏された。

「最後の七つの言葉」は聖金曜日に演奏されるために作曲された。今年のそれは4月15日であった。今回の演奏は丁度その一週間後だったということになる。なかなか楽しめないコンサートだったが、本当にこの曲はそれでいいのだろうか。手元にムーティ指揮ベルリン・フィルによる演奏の録音がある。もう一度きっちりと聞いてみたいと思う。少なくともそのようなきっかけを作ってくれたとは言えるのだから。

紀尾井ホールは格調高い雰囲気のホールだが、トイレが二階と地階にしかないという構造的な欠陥がある。そういうこともあって、どことなく好きになれない雰囲気に終始した。だがそれもこれも、週末の仕事帰りといいうことを差し引く必要はあるだろう。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...