2016年9月30日金曜日

「不滅の日本行進曲傑作集」(𠮷永雅弘指揮陸上自衛隊第1音楽隊)

まだ王や長嶋や江夏や田淵が現役で、横綱といえば北の湖の時代、テレビのスポーツ中継は今とは比べ物にならないほどの国民的関心事だった。そのころ、プロレスのジャイアント馬場は黛敏郎の作曲した「スポーツ行進曲」に乗ってリングに登場するのが慣例で、この行進曲は、日本テレビ系列のスポーツ中継、すなわち後楽園の巨人戦でも使われており、同様に各放送局がスポーツ中継に使用する音楽は、ほぼ1つに決まっていた。今では中継大会毎に、けばけばしい歌手の騒々しい歌が放送されているが、昔はシンプルだったのだ。

クラシック音楽が好きになる前、小学生の頃は行進曲が気に入っていた。気に入っていたと言っても手元にレコードがあるわけでもなく、ただ単に、スポーツ中継で流れるテーマ音楽などが好きだっただけである。その各局の音楽は何という行進曲か、いまならWebでサッと検索できるが、当時は何年たってもわからないまま。そんなある日、当時まだあった民放FM局のクラシック番組「新日鐵アワー・音楽の森」を聞いていたら(午後4時から30分間の放送である。私は早くもラジオ少年だった)、作曲家の山本直純氏が古今東西の行進曲特集を放送しているではないか。

一週間続けての特集で、ここでもやはりスーザ、そしてヨーロッパの行進曲が流れたと思う。そこで面白かったのは、地域による行進曲の違いである。山本直純は様々なレコードをかけながら、曰くアメリカの行進曲は早く勇ましい、それに比べるとヨーロッパは少し遅い、などと解説した。その翌日にはとうとう我が国の行進曲について、何曲かが紹介された。

最初の曲は・・・「宮さん宮さん」(明治元年)という曲であった。日本の近代化は明治維新より始まるとされているが、早くもその最初の年に、我が国最初の軍歌が作曲されたのである。

軍歌と行進曲の区別は難しい。オスマントルコがヨーロッパへ進出し、太鼓やシンバルなどを用いた二拍子のリズムが流行した、モーツァルトやベートーヴェンがトルコ行進曲を作曲しているのはこの影響である。それから100年を経て日本でも西洋音階による行進曲が作曲されていく。

明治の近代化は富国強兵の時代でもあり、そしてそれはまた植民地主義の時代でもあった。戦争によるアジア諸国への侵略は、欧米の列強文明をいかに早く取り入れるか・・・つまり近代化をいかに早く達成するか、という戦いでもあった。音楽の側面においても、戦前の行進曲は軍歌の色合いが濃い。その中で今でも特に有名なのは、私の家にもかつてSPレコードがあった「愛国行進曲」と、パチンコ屋で流れる「軍艦マーチ」であろう。

「愛国行進曲」は次のような歌詞で始まる。「見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば、・・・」この歌詞を私はSPレコードを聞きながら覚えたのだから殊勝な小学生である(だが私が右翼の活動家になることはなく、むしろ今ではかなり確信的なリベラルかつ護憲主義者である。念のため。)

この曲が作曲されたのはWikipediaによれば昭和12年のことである。公募によって元海軍軍楽長、瀬戸口藤吉の作品が選ばれた。その経緯は上記に詳しいが、驚くべきことはその応募数の多さである。何とこの時代に6万弱の応募があったというのだ。 そしてその瀬戸口が作曲したのが行進曲「軍艦」である。ただし時代は明治30年に遡り、今でもおそらく小学生にも有名だが、歌詞は古めかしく、文語調である。「守るも攻むるも黒鐵の、浮かべる城ぞ頼みなる・・・」

我が国の代表的な行進曲を、戦前のものまでも含めて一枚に集約したCDが発売されたとき、私は迷わずこれを買った。2004年ことである。演奏は三等陸佐𠮷永雅弘指揮の陸上自衛隊第1音楽隊。ジャケット写真には制服姿のブラスバンド。これで私の行進曲のコレクション全4点は完結したわけだが、ここの後半部分には、あのスポーツ中継のテーマ音楽が多く収録されている。それらは、以下のとおりである。
  • 毎日系・・・「コバルトの空」
  • 朝日系・・・「ウィーンはウィーン」(このCDにはないが、カラヤンのCDで)
  • 関西TV系・・・「ライツ・アウト」(このCDにはないが、フェネルのCDで)
  • よみうりテレビ系・・・「スポーツ行進曲」
  • NHK・・・「スポーツ・ショー行進曲」
ここで関西系のテレビネットで記述したのは、テレビ朝日について別の曲(「朝日に栄光あれ」)であるからだ。またこれらのテーマ曲はNHKを除き、今ではほとんど耳にしなくなった。

オリンピックの開会式でもまだ規則正しく行進することが常識だった時代、東京大会の入場行進は、このCDにも入っている古関祐而の名曲「オリンピック・マーチ」により始まった。我が国初めてのカラー放送は、国立競技場の先頭を行進するギリシャ選手団を捉える。曲に乗せて鈴木文弥アナの名調子「行進の先頭はギリシャであります。群地に白のギリシャ国旗が、レンガ色のトラックに映えます。白く高い南ヨーロッパの太陽、青く深いエーゲ海の海を象徴するかのような国旗を先頭に、ギリシャ選手団の入場であります・・・。」

いまどき整列行進するのは、自衛隊の観艦式を除けば、高校野球の入場行進と北朝鮮のパレードくらいだが、このCDには「若い力」(国体のテーマ曲)、「栄光は君に輝く」(全国高校野球選手権大会のテーマ曲)なども収録されている。ところが、これほどにまで国民的なマーチを集めておきながら、そして古関祐而の曲が3曲も入っていながら、誠に残念なことに「六甲おろし」が入っていない。


【収録曲】
1.須磨洋朔:行進曲「大空」
2.江口源吾:連合艦隊行進曲
3.吉本光蔵:君が代行進曲
4.江口源吾:行進曲「千代田城を仰いで」
5.小原政治:行進曲「偉大なる武人」
6.江口源吾:観艦式行進曲
7.斉藤丑松:行進曲「愛国」
8.陸軍戸山学校軍楽隊:行進曲「威風堂々」
9.水島数雄:行進曲「希望に燃えて」
10.斉藤丑松:行進曲「太平洋」
11.瀬戸口藤吉:行進曲「軍艦」
12.古関裕而:スポーツ・ショー行進曲
13.黛敏郎:スポーツ行進曲
14.レイモンド服部:行進曲「コバルトの空」
15.高田信一:行進曲「若い力」
16.古関裕而:オリンピック・マーチ
17.古関裕而:行進曲「栄冠は君に輝く」
18.堀滝比呂:行進曲「凱旋」
19.𠮷永雅弘:行進曲「勇敢なるらっぱ手」
20.團伊玖磨:祝典行進曲

2016年9月29日木曜日

ドイツ行進曲集(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管楽アンサンブル)

バーンスタインが豪華絢爛なアメリカを中心としたマーチ集を録音していたと思ったら、カラヤンもまた行進曲集をリリースしていたことを知った。こちらは天下のベルリン・フィル管楽器セクションを用いたもので、曲もドイツの行進曲に限定されている。それぞれの曲をあくまで純音楽的に響かせようというので、古くから親しまれているものを中心にしたアルバム。

ベートーヴェンの「ヨルク行進曲」で始まるブラスの響きに耳を傾けながら、カラヤンはまた真面目にこのような音楽を演奏しているのだなあ、と思う。知っている曲は少ないが、「双頭の鷲の旗のもとに」とか「旧友」のような定番曲も収録されている。そして「ウィーンはウィーン」に来て、とうとうテレビ局のスポーツテーマ音楽を踏破した。この曲は朝日系の野球中継等で使われてきた曲である。大阪ではABCラジオのナイトゲーム中継でもおなじみの、あの曲である。それをカラヤンが演奏している。

他の放送局はどうしたのか、と思うかも知れない。他の放送曲のテーマ音楽は主に日本の行進曲が使われている。それにつては次回に触れる。

それにしてもこのCD、聞いたことのある曲は少ないし、同じような曲がずっと続くにもかかわらず、聞いているうちに管楽器だけのアンサンブルが次第に耳に馴染んできて、とても幸せな気分になるのは不思議である。個人的な感想なのだが、スーザの行進曲だとこうはいかず、飽きるのに。

ドイツの行進曲は2拍目にアクセントがある。その結果少し重い感じがする。重い靴を履いた行進である。また第1の主題が繰り返されたあとに、比較的メロディアスな中間部が置かれているのも特徴である。このA-B-Aの形式が我が国の明治以降の行進曲にも適用されている。

2拍目のアクセントは、小学校の時に習った「左ー右」の順序で言えば、右足の部分である。マーチが2拍子で作られていることを考えれば、「強ー弱」のうちの弱の方。すなわち「弱音ー2拍目ー右足」ということになる。果たしてそうであろうか?

この疑問に答えてくれたのが、「西洋音楽論」(森本恭正著、光文社新書)である。この瞠目すべき音楽論はヨーロッパで活躍する指揮者によって書かれている。それによれば、欧米では実際には上記と若干異なり、あくまで2拍目が強い、というのである!これをアップビートという。おおよそロックであれクラシックであれ、西洋の音楽はアップビートである、というのだ。すなわち「強音ー2拍目ー右足」。多くの人が利き手である側、すなわち右足で強く蹴りだすのは生理的な現象で、日本人はそれを誤解して西洋音楽を導入した。したがって現在でも、J-POPであれクラシックであれ、 日本人の演奏というのは聞いて直ぐにわかる、と筆者は言う。

なるほど、と思った。音楽をするときのコツ、それはアップビートで演奏することである。このような指摘は、これまで他にはない。どうしてなのはわからない(わが国ではアップビートのことをアフタービートと呼ぶらしい)。

カラヤンの行進曲集を楽しく聞きながら、行進という人間の持つ基本動作に基づく音楽としての、一定の規律と厳正なるものを感じ、そして何かきちっとしてければいかないような気持になった。3拍子が踊りから派生しているのと同様に、大勢の人が合わせて歩くさまは、お祭りのような「ハレ」の状態であり、華やいだフェスティバルで聞かれるファンファーレや行進曲は、そういった共同体生活の中での特別な意識を表している。私が子供の頃にスポーツ中継を通じ行進曲が好きになったのも、そのような生活上のわくわくするような感覚によるものだったと思う。

ついでながら、私の好きな曲は、前述の「ウィーンはウィーン」に加え、「チロルの木こりの誇り」、「旧友」、それにヨハン・シュトラウスの作曲した喜歌劇「ジプシー男爵」から「入場行進曲」などである。最後の曲「ニーベルンゲン行進曲」はワーグナーの楽劇のメロディーがちりばめられている。カラヤンがこんな曲を入れているのは、やはりドイツを感じるというか、何というか。


【収録曲】
1.ヨルク行進曲(ベートーヴェン/シャーデ編)
2.トルガウアー行進曲(フリードリヒ大王)
3.我がオーストリア(スッペ/プライス/ドブリンガー編)
4.はためく軍旗の下に(リンデマン/シュミット編)
5.大公騎兵隊行進曲(モルトケ伯爵)
6.双頭の鷲の旗の下に(J.F.ワーグナー/モスハイマー編)
7.我ら皇帝親衛隊(ミュールベルガー/デボロ/タンツァー編)
8.フローレンス行進曲(フチーク)
9.ケーニヒスグレッツ行進曲(ピーフケ)
10.連隊の子供たち(フチーク/ブラーハ編)
11.ウィーンはウィーン(シュランメル/シュミット=ペテルセン編)
12.十字軍騎士ファンファーレ(ヘンリオン/メネケ編)
13.ペテルブルク行進曲(作曲者不詳)
14.フェールベリン騎兵隊行進曲(ヘンリオン/メネケ編)
15.ホッホ・ウント・ドイッチュマイスター行進曲(エアトル)
16.ヴィンドボナ行進曲(コムツァーク/マーダー編)
17.ホーエンフリートベルク行進曲(フリードリヒ大王)
18.アルブレヒト大公行進曲(コムツァーク/ヴィリンガー編)
19.チロルの木こりの誇り(J.F.ワーグナー/タンツァー編)
20.プロイセンの栄光(ピーフケ)
21.ケルンテンのリーダー行進曲(ザイフェルト)
22.ボスニア人たち(ヴァグネス)
23.フリードリヒ近衛連隊行進曲(ラーデック)
24.旧友(タイケ)
25.ジプシー男爵』から入場行進曲(J.シュトラウス2世)
26.ニーベルンゲン行進曲(ゾンターク)

2016年9月28日水曜日

行進曲集(レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

小学生の頃、行進曲を集めたレコードが聞きたくて近所のレコード屋に出かけたが、なかなかいいものはなかった、と述べた。暫くしてCBSソニーからレナード・バーンスタインが指揮する行進曲集が発売されていることがわかった。鼓笛隊のイラストがジャケットのこのLPには、スーザを始めとするアメリカの有名な曲を中心に10曲あまり収められていた。私はあのバーンスタインが、しかも天下のニューヨーク・フィルを指揮して録音した何と贅沢なレコードだろうと思った。

だがこのLPは、収録時間が短いにも関わらず店頭にはなかった。仕方なく私はカセット売り場を覗いてみた。するとそこにはフェリクロームタイプの高級テープに録音されたものが売られているではないか!ジャケットに相当するカセットテープのケースにも同じイラストが描かれていたように思う。私はこのカセットが欲しくなった。でも驚くべきことにその値段は異常に高く、3500円だったかと思う。つまり小学生の私には手が出ない。仕方がないので私はあきらめ、以来、この演奏に触れるまでにはさらに十数年の歳月を要することとなった。

CDの時代になって収録時間が長くなり、LPでリリースされていた録音は古いものなら関連性の高い2枚を一枚に収めたCDが安く売りだされることとなった。当初はLPそのままの収録時間を、大したリマスターもせずに売り出されたものだが、それは次第に安値を争う競争にさらされ、そして輸入盤の普及も手伝って、CDの安売りが常態化していった。

バーンスタインのニューヨーク時代の録音も次々とCD化されていったが、その中で私の欲しかった行進曲集は、別に録音されたクラシカルな行進曲集とカップリングされ、いまでは全部で20曲収録されたCDとして発売されている。もっともこんな古い録音は誰も買わないから、価格はさらに安くなり、中古で買えば数百円にまで下落した。かつて3500円した10曲入りのスーザ行進曲集が、いまではほとんどタダで(図書館等に行けば)聞くことが出来る。

バーンスタインはこの一連の行進曲集を、大いに楽しそうに指揮しているように見える。驚くのはそのスピードで、これは歩くには少し早すぎる。そして特徴的なのは、弦楽器も加わるオーケストラ向けに、凝ったアレンジがなされていることだ。つまりこの演奏は、実用的なものではなく鑑賞用ということである。もっともスーザの行進曲をそう何回も、何曲も続けて聞くことはないし、演奏会で取り上げられることもない(アンコールなら私は、ズビン・メータの指揮するニューヨーク・フィルハーモニックで聞いたことがある)。

録音は60年代後半で、いまとなては古くなったが、その生き生きとした演奏はバーンスタインのサービス精神とスポーティな棒さばきは聞くものを無条件に浮き立たせる。後半のクラシカル・マーチの数々は、これが聞きたかったという曲のオン・パレードで、「酋長の行列」などは私は大好きだが、スーザの各曲こそこの組み合わせの真骨頂である。軍隊や愛国心の香りはあまりせず、純粋に音楽的であり、人が持っている活動への感覚を本能的に刺激する。特に「星条旗よ永遠なれ」は文句なく素晴らしい。


【収録曲】
1. スーザ:「ワシントン・ポスト」
2. スーザ:「忠誠」
3. スーザ:「雷神」
4. J.F.ワーグナー:「双頭の鷲の旗の下に」
5. スーザ:「海を越える握手」
6. スーザ:「星条旗よ永遠なれ」
7. J.シュトラウス一世:「ラデツキー行進曲」
8. ステッフ:「リパブリック讃歌」
9. ツィンマーマン:「錨を上げて」
10. アルフォード:「ボギー大佐」
11. ド・リール:「ラ・マルセイエーズ」
12. バーグレイ:「国民の象徴」
13. ビゼー:「カルメン組曲第1番」より「闘牛士の行進」
14. エルガー:「威風堂々」 第1番
15. メンデルスゾーン:劇音楽「アタリー」より「僧侶の戦争行進曲」
16. ヴェルディ:歌劇「アイーダ」より大行進曲
17. ワーグナー:歌劇「タンホイザー」より大行進曲
18. マイアベーア:歌劇「預言者」より戴冠式行進曲
19. イッポリトフ=イヴァーノフ:組曲「コーカサスの風景」より「酋長の行列」
20. ベルリオーズ」:劇的物語「ファウストの劫罰」より「ラコッツィ行進曲」

2016年9月27日火曜日

行進曲集(フレデリック・フェネル指揮イーストマン管楽アンサンブル)

息子とのキャッチボールで指を怪我し落ち込む毎日に、子供の頃に親しんだ行進曲集のCDをいくつか聞いてみることにした。最初の一枚は古い1960年代の録音から、フレデリック・フェネル指揮イーストマン管楽アンサンブルのもの。マーキュリーのアナログ録音をCDリマスターした一枚だが、実際に録音の古さは隠せない。LP2枚分の曲がずっしりと収められている。

まだクラシックに親しむ前、私は行進曲が好きだった。おそらくテレビの野球中継で流れるマーチが好きだったのだろう。今ではスポーツ中継のテーマ音楽は、様々な歌手の歌が使われているが、かつてはオリンピック中継も含め、スポーツ中継といえば放送局ごとに音楽が決まっており、プロ野球であれプロレスであれ、同じ行進曲が使われていた。それらのテーマ曲が何という曲なのかは、放送局に手紙を書かなくてはわからないし、そんなことをしてもそれが収録されたレコードを探すというのは大変なことだった。

学校でタイケ作曲の「旧友」という行進曲を鑑賞したのはその頃だった。この曲はどこかの放送局のスポーツ・テーマ音楽だと級友の誰かが言った。そして私のクラスではこの曲が流れると、みんな教室の後方で行進の真似をして遊んでいた。思えば無邪気な小学生時代である。私は各放送局のテーマ音楽に使われる行進曲の名前が知りたくなった。だがそれを知るのはもっと後になってからだ。

いろいろな行進曲が聞いてみたいと思っていたので、私は父にそういう音楽の収録されたLPレコードを所望した。だが校外の小さなレコード屋には、申し訳程度にクラシック売り場があるだけで、その続きのセクションにも軍歌や民謡のレコードがあるだけだった。西城秀樹などのアイドル歌手や都はるみのような演歌歌手のLPならいくらでも置いてあるのに。仕方なく父は、アーサー・フィードラー指揮のよるボストン・ポップス管弦楽団の2枚組LPレコードを買ってくれた。これが私のクラシック音楽との出会いとなった。

スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲が収録されていた、というのがこのLPを買ってくれた理由である。この曲も学校の音楽鑑賞に使われていたし、その他のポピュラーな名曲は私を魅了した。けれども行進曲については一向にわからない。そんなある日、NHK-FM午後のクラシック番組で、行進曲特集が放送された。

私はトランジスタラジオにテープレコーダーを接続し、SONYの安いカセットテープに、可能な限りの曲を録音した。その時の曲目は、これらを紹介したアナウンサーの声とともに鮮明に覚えている。その演奏こそが、このフェネル指揮の演奏の数々だった。スーザという作曲家の存在もこの時知った。アメリカの有名な行進曲の多くはスーザにいおるものである。私は毎日カセットを聞きながら、「ワシントン・ポスト」「雷神」「エル・カピタン」「キング・コットン」「海を越える握手」(この曲は「海を越えた握手」という訳もあるが、この時のNHKのアナウンサーは「海を越える握手」と言った)「星条旗よ永遠なれ」などを覚えていった。

この時の放送では、スーザの曲に加え「ボギー大佐」「アメリカン・パトロール」などの吹奏楽の名曲が合わせて紹介された。「ボギー大佐」は「クワイ河マーチ」としても有名であり、また「アメリカン・パトロール」は弟が幼稚園で合奏していたのを覚えている。最後にはVOA(「アメリカの声」放送局)でお馴染みの「ヤンキー・ドゥードゥル」の一部が聞こえてくる。

さてフェネルのこのCDを私は二十代になって購入したのだが、フェネルと言えば管弦楽の父ともいえる存在である。彼の率いるイーストマン管楽アンサンブルは、イーストマン・コダック社のあるニューヨーク州ロチェスターにあるイーストマン音楽院所属のブラスバンドである。アメリカの文化が世界を席巻したベトナム戦争までの時代こそ、アメリカの黄金時代ではないかと思う。このキビキビとした演奏には、その強かったアメリカの勢いを感じる。フェネルはその後我が国でも長く活躍し、ブラス好きには有名な音楽家だが、私はこの古い時代の演奏を一枚だけ持っている。


【収録曲】
1.スーザ:「海を越える握手」    
2.ガンヌ:「勝利の父」    
3.サン・ミゲル:「ゴールデン・イアー」    
4.タイケ:「旧友」    
5.プロコフィエフ:行進曲作品88    
6.ハンセン:「ヴァルドレス・マーチ」    
7.デレ・セーゼ:「イングレジナ」
8.コーツ:「ナイツブリッジ・マーチ」    
9.スーザ:「合衆国野戦砲兵隊」
10.スーザ:「雷神」
11.スーザ:「ワシントン・ポスト」
12.スーザ:「キング・コットン」
13.スーザ:「エル・カピタン」
14.スーザ:「星条旗よ永遠なれ」
15.ミーチャム:「アメリカン・パトロール」
16.ゴールドマン:「オン・ザ・モール」
17.マッコイ:「ライツ・アウト」
18.キング:「バーナムとベイリー」
19.アルフォード:「ボギー大佐」
20.クローア:「ビルボード」

2016年9月25日日曜日

ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」(2016年9月24日、サントリーホール)

久しぶりにサントリーホールへ出かけた。このホールは私が大阪で学生だった頃(1986年)にオープンした。まだ東京にクラシック音楽専用のホールがなかった頃だが、どうして大阪の会社が東京にホールを作るのかと思った。その頃大阪には、すでにザ・シンフォニーホールがあったから、東京にも必要だと考えたのだろう、などと思った。

1992年に上京して社会人となり、さっそくNHK交響楽団の定期会員になったが、N響は当時NHKホールでしか定期公演を行っておらず、私が初めてサントリーホールに行ったのは、確かその年の秋の日フィル定期だったかと思う。コダーイの合唱曲とドヴォルザークのチェロ協奏曲がその日のプログラムで、私はそのコンサートに大阪から来ていた母を招待した。

それ以降私は数々のコンサートでサントリーホールに出かけ、読売日本交響楽団の定期会員にもなって毎月武蔵野から足を運んだし、結婚してからは夫婦でラトルの第九も聞いた。病気で倒れた後も何年かぶりに聞いたブルックナーは忘れることが出来ず、ベルリン・フィルの圧倒的なブラームスに度肝を抜いたこともあった。そしてそのサントリーホールのある港区に引っ越したのが10年前のことである。何と今では息子が小学校の音楽鑑賞会でドビュッシーを聞き、ホール前の広場では相撲大会に出場したりしている。

思えば長いつきあいのこのホールは、今でも大変新しくきれいである。今日のコンサート、東京交響楽団の創立70周年記念となる第644回定期演奏会に向かいながら、それまでのこのホールに足を運ぶ日々を回想していた。

ユベール・スダーンというオランダ生まれの指揮者を一度は聞いてみたいとずっと思っていた。10年以上もこのオーケストラを率いてきた指揮者だったが、私はいつもスケジュールが合わず、チケットを買って待ち望んでいたコンサートは、緊急の入院で行けなかったりした。そして今回ついにベルリオーズの大作「ファウストの劫罰」を聞くことができたのである。その印象をここに書いておきたい。

読売新聞の記事にスダーン氏は「美しい映画を見ているかのような作品」であり「耳に美があふれる作品」と紹介している。そして今回の演奏はまさにその通りであり、私はこれ以上美しい音楽の連続する時間を過ごした経験はないのでは、と思うほどに感動した2時間半であった。

それは第1部の冒頭でハンガリーの田園風景を表現するオーケストラの音色から始まった。まさに耳が洗われるような感じであった。有名な「ハンガリー行進曲」も程よく抑制が効いていながら、音のパノラマを楽しんだ。このオーケストラは上手いと思う。特にオーボエのソロなどが中音域主体の弦楽器に溶け合うところなど、至福の瞬間である。

ファウスト役を歌うアメリカ人テノールのマイケル・スパイアーズは、まさにこの役のためにいるかのような美しい声の持ち主で、2階席後方で聞いていても透き通るような声が会場にこだまする。それに加えてバス(といってもバリトンのように聞こえる)のミハイル・ペトレンコは、時に大きな身振りをみせつつこの悪役を歌いつくす。初めてこの役を歌うとインタビューで答えているが、そんな感じが全くしない、板についた歌いっぷりである。この二人の歌手に、スダーンの魔法のような音楽が乗っていく。合唱団は後方P席にずらりと陣取った東響コーラスで、これがフランス語の難しいと思われる歌詞もものともしない見事さ!私は合唱の美しい曲にハマっているが、この作品こそ、まさしく合唱がつまらなければ聞くことのできない作品である。

合唱のついでに、最後のマルグリートが天に召されて登ってゆく部分で天使を歌うのが、東京少年少女合唱隊である。彼らは後半の冒頭から登場し舞台右側後方に座っていたが、まだ小学生であろうこのメンバーたちは、体を微動だにせず行儀がいい。そしてついにそのコーラスが始まると、どこが少年合唱でどこが大人の合唱か、はたまたオーケストラはどの楽器が鳴っているのかの区別がつかないほどに合わさっている。あまりに美しい音楽に会場が陶酔したのは当然のことである。私は目を閉じていたからわからないが、指揮棒が振り下ろされ音楽が消えても、しばらくは誰一人拍手も物音も立てない静寂が続いた。待ち切れず一人がブラボーと叫び、そして割れんばかりの拍手が始まった。2階席全体がこれほどにまでブラボーを叫んだ日本人のコンサートを私は知らない。

何とも言えない、いいコンサートだった。音楽は、いつもCDなどで聞くのとは違い、すべての細部にまで集中力が絶えないからだろう、この曲はこんなにも美しかったのかと改めて思った。何度か電車に揺られながら聞いてもみたが、途中で眠ってしまうこともしばしばだったし、DVDやTVで放映された映像を、長い時間見続けることは結構大変だった。だから生のコンサートはいいな、と今回も思った。音が生き生きと響く上に、残らないその瞬間瞬間を何千人もで共有しているというその事実が奇蹟だと思うのだ。

「ファウストの劫罰」の音楽はそれぞれがみな素晴らしいが、かといって口ずさむような覚えやすいメロディーが頭に残るわけでもない。ベルリオーズはいつも不思議な音楽だが、この作曲家がフランス音楽に与えた、いやヨーロッパ音楽全体に与えた影響は計り知れない、とスダーン氏は書いている。

すでに名声を確立したベルリオーズが、文豪ゲーテの作品を音楽化したという野心作にして自信作であったにも関わらず、パリの聴衆はこの作品に冷たかったようだ。思えば現代のように、音楽が収録されることなどあり得なかった時代、消えてしまう音楽は印象が残らなければ、誰も思い出すことなどできなかっただろう。ハンガリーに舞台を移し、断片的な音楽を組み合わせたこの作品は、オペラとして上演されることもあるが、その舞台は物語を進行するというよりは抽象的であることが多く、ファンタジックである。

この作品は、後年に大きな影響を及ぼす斬新的な要素を持っているとはいえ、まだロマン派前期の作風でもある。よって音楽が親しみやすくないわけがなく、多彩な楽器や奏法(バンダも使われる)と美しい合唱も入って、まさに絵画のような作品である。一人ずつ舞台に登場した拍手の中で、マルグリートを歌ったソプラノのソフィー・コッシュやブランデルを歌った北川辰彦にも大きな拍手が送られたが、私はコッシュの歌声が、やや精彩を欠いていたように思える。

家路につきながら、最近身の回りに生じたいろいろなことを考えた。今日のコンサートの聴衆は、ワーグナーのオペラを見に来る団塊世代の風変わりな客層と違って、随分身なりがいいように思えた。20代の聴衆は、私が初めてこのコンサートホールに来た四半世紀前にはまだ生まれていなかったであろう。そう思うと、いつも変わらない表情のサントリーホール及びその界隈も、実はそこを行き交う人と同様、年輪を重ねている。私はもう、この曲をこれほどの完成度と感銘を持って聞くことは一生ないだろうと思った。だから、機会があればもう一度聞きたいとは思うが、どうしても今日のコンサートを比べてしまうだろうと思うと躊躇するかも知れない。やはり、音楽は一期一会の瞬間を生で楽しむに限る、と思う。


2016年9月8日木曜日

パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6(Vn:ヘンリク・シェリング、アレグザンダー・ギブソン指揮ロンドン交響楽団)

ある日、インターネット・ラジオを聞いていたら私の好きなパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番の第3楽章が聞こえてきた。その悠然でしかも気品に溢れたヴァイオリンの響きと、きびきびした伴奏のテンポ感にしびれ、いったい誰の演奏だろうと思った。急いでWebでチェックしてみたら何とシェリングの演奏だったのだ。

この時の感激が忘れられず、長い間この曲のシェリングのCDを買おうと思っていた。できれば自ら蘇演した第3番とのカップリングがいい。そのCDもどこかで見たので、確か出ていたはずである。ところが廃盤になって久しく、手に入るのは第4番とのカップリングばかり。そうこうしているうちにすべての録音がCD屋から姿を消してしまった。近所の図書館にもない。

月日が経ってある時中古屋を覗いていたら、第4番とのカップリングが売られていた。 もうこれを買うしかない。そういうわけでやっとのことで、この演奏を聞くことができたのだ。もっとも今ではYouTubeやiTunesなどを見れば、もっと容易く聞くことはできるはずだが・・・。

さてパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番で、私のもっともお気に入りは、サラ・チャンの演奏である。この演奏はとても素晴らしいので、未だに文章化をためらっている。その前にひとまずパールマンの演奏に触れた。そして今回がシェリングである。演奏は1975年と少し古いが、伴奏の方は安定した響きでうまく独奏に溶け合っており、まずその魅力に憑かれる(だって冒頭の伴奏部分など、オーケストラだけで完結してしまうのだから)。そのあともテンポが動き、時にヴァイオリンはつらそうにも聞こえるが、決してヴァイオリン主導になり過ぎず、かといってオーケストラが出しゃばってもいない。

ヴァイオリン独奏は、今では聞かれなくなった古風な演奏であると言うべきか。まだヴァイオリンの技巧がいまほど当たり前でなかった頃(思えばパールマンが登場してくるあたりから変わった)、巨匠風のヴァイオリニストが多く健在で、ヴァイオリンの演奏というのはテクニックよりも音色と表情こそが重要だった。古い録音で聞く陰りを帯びた響きにも、古色蒼然とした得も言われぬ味わいがあって、言わばレトロな雰囲気をも醸し出していた。だがパガニーニは、そもそもテクニックがすべての曲である。

悪魔の化身とさえ言われたパガニーニの曲などというものは、すべてのヴァイオリニストが取り上げる作品ではなかったのだ。相当なテクニックが要求されるにも関わらず、曲の評価はいまひとつ・・・二流の曲を一流の演奏家がわざわざ演奏することもない、というわけである。パガニーニ国際音楽コンクールというのがあるが、そこで入賞したソリストが披露するのは例外で、つまりパガニーニの曲は若手の演奏家の一部が取り上げるだけの作品・・・でもこれが演奏できるのは凄いこと・・・。

ところがテクニックが重要な時代が来て、何と若い演奏家が軽々とパガニーニを演奏し、デビュー作として演奏してしまう事態が生じた。そんな中で、比較的昔から好んでパガニーニを演奏してきたのがシェリングである。彼は美しい音色の持ち主であった。輝かしいヴァイオリンの響きは、この作曲家にとても似合う。アッカルドというパガニーニの大御所がいて、デュトワと録音した決定的な全集があるが、アッカルドと違いシェリングはベートーヴェンやチャイコフスキーも得意である。

シェリングは技巧的な部分・・・私はあまり詳しくないので、二重のファルジョレットなどと言われてもピンと来ないのだが・・・になると速度を落とし、ゆっくりと聞かせるようにする(もしかしたらそのままのテンポで演奏するのがきついのかも知れない)。ここをそのまま切り抜けるのは今風の演奏で、それを可能とするだけのテクニックが備わっているということだから、まあ今から思えばちょっと変てこな演奏ということになるのだが。

つまり今の時代にわざわざシェリングの演奏を聞く必要などない・・・と言い切ってしまうのは簡単だけれど、何でもサラサラと進んでしまう方が、最初は違和感があった。曰く表情付けに乏しい、などと言う風に。何が原因でどちらが好ましいか、という問題ではなく、そういう風に演奏のスタイルが変化した。その変化を感じる演奏である。ただし伴奏の方は、今と同じようなスタイルで溌剌としている・・・そこがこの演奏の面白いところかも知れない。

シェリングの奏でるヴァイオリンには、どこか気品を感じる部分があって、それはそれで大変好ましいし、あまりにテクニックの全開な演奏で聞くと聞き逃してしまうフレーズにも、時折立ち止まるようになりながら注意して進んでいく。だからこちらも耳をそばだててしまうのだが、第3楽章のソロの部分などは大丈夫だろうか、などという丸でライヴ演奏を聞くときのようなスリルを感じる。私はこの演奏に感じるぎこちない部分を好意的にとらえているのだが、あばたもえくぼ、それはつまりこの演奏がそこそこ気に入っているからだと思う。

ドニゼッティ:歌劇「連隊の娘」(The MET Live in HD 2007-2008)

ペルー生まれのテノール歌手、ファン・ディエゴ・フローレスは、かつてパヴァロッティがそうであったように、ドニゼッティの歌劇「連隊の娘」のトニオ役で輝かしいハイCを轟かせ、一躍脚光を浴びた。各地のオペラ・ハウスから声がかかり、デッカから遂にDVDが発売された。2005年、ジェノヴァのカルロ・フェリーチェ劇場での収録である。私もどういうわけか、他にドニゼッティなどほとんど聞いてこなかったにも関わらずこのビデオを購入し、得体も知れぬオペラを見た。

ドニゼッティと言えば「ランメルモールのルチア」や「愛の妙薬」 などでよく知られているイタリアの作曲家だが、この「連隊の娘」は"La fille du regiment"すなわちフランス語のオペラである。ドニゼッティはイタリアで名声を博した後フランスに移住した。「連隊の娘」はフランスに対しての風刺をきかせながらも、オペラ・コミークとしての形式、すなわち台詞入りで書かれている。

初めてビデオを見て思ったことは、ベルカント時代の作品にありがちな実に荒唐無稽なストーリーだということである。孤児としてフランスの軍隊で育てられたマリーに対し恋心を抱くスイスの若者トニオ。彼はマリーと結婚するために、敵であるフランス軍の兵士となる決意をする。だが間もなくマリーを身内の子だと言うベルケンフィールド公爵夫人が現れ、マリーは貴族のお城へ、トニオは兵士として赴く羽目となる。

今回METライヴのアンコール上演で2008年の公演のリバイバル上映が行われた。私は十年も続くこの企画の作品を70タイトルも見てきたが、この「連隊の娘」は見逃しており、今回初めて見ることになった。しかもそれまでに見た経験では、上述のビデオだけだから、ほとんど初めてのようなものである。ベルカント時代のブッファとなれば楽しくないはずがなく、まさに捧腹絶倒のオペラであったが、ここでトニオを歌ったのは、やはりフローレスだった。

だが私が見た印象ではビデオに比べ随分落ち着いてこなれており、そして歌が実にしっかりと身についているということだ。何か所もの難所、すなわち超高音連発のオペラを、軽々と歌っているように見えるのだ。加えて相手役で標題役のナタリー・デセイの見事な役者ぶりが、それに輪をかけて素晴らしい。いや私はアップの画面で見る彼女の演技にこそ、見とれてしまったほどだ。ヘンデルのクレオパトラ(「ジュリオ・チェーザレ」)でも明らかなように、彼女の多様な動きを加えた演技力はちょっとしたミュージカルの役者レベルである。しかもその彼女が踊りに合わせて声を発すると、その声は見事なまでに大ホールにこだまする。高い音も難なく歌ってしまう。

つまりフローレスのトニオとデセイのマリーは、歌唱力の点でもかつてのパヴァロッティ、サザランド級、すなわち世界最高峰であることに加えて、ヴィジュアルな点でも現代屈指のカップルということになる。そして驚くべきことに、そのストーリーが無理なく進み、しかも少しの皮肉やユーモアを存分に味わわせるレベルの演出(ローレン・ペリー)、特に今回新たに書き改められた台詞が実に素晴らしいと思えた。

歌、演技、そして演出の3拍子がそろった屈指の「連隊の娘」は、マルコ・アルミリアートの引き締まった指揮も手伝って、歴史的な成功だったのではないか。だから10年近くも経つというのにリバイバル上映が行われ、しかもそこそこの入りである。私は台風が近づく鬱陶しい東京の昼下がりに、久しぶりにオペラの楽しさを味わった。

ベルゲンフィールド公爵夫人(フェリシティ・パルマー、彼女はまたなかなか味わいのある演技で観客を魅了した)の居間では、今日も退屈な貴族の生活が営まれている。マリーはそのような生活に嫌気がさし、軍曹のシェルピス(バスのアレッサンドロ・コルベリ)が訪ねてくると、軍隊生活が思い出されて仕方がない(ラタプランの歌)。そこに大尉となったトニオが現れ再び結婚を誓うのだが、公爵夫人はそれを許さない。ところがマリーは実は公爵夫人の子だった!最後には結婚を認めて幸福のうちに幕となる。

総合的な完成度において最高ランクの本公演は、セリフの面白さ(それはまるで松竹新喜劇のようだ)も手伝って客席を笑いの渦に巻き込む。そうでないときにはデセイが動きのある演技(アイロンをたたみながら歌う冒頭から、第2幕の歌のレッスンシーンなどそれは全開状態)、そしてハイCが連続するアリア(第1幕の「友よ今日は楽しい日」)と見どころが尽きない。

この公演の面白さのひとつは、それぞれの歌手が話す会話(フランス語)だと思う。デセイは母国語なので流暢であることを利用して、表現力に幅を加える。一方ベルゲンフィールド公爵夫人役のパルマーはイギリス人で、彼女はそのことを逆手にとって、むしろたどたどしく話すことで貴族の身分におかしみを加えることに成功している。時に発せられる決め台詞が英語だったりするあたりは、アメリカの聴衆を意識したサービスでもある。

METライブの71公演目を見終わって、ドニゼッティに関する限り、主要作品を一度はすべて見たことになった。チューダー朝三部作(「アンナ・ボレーナ」「マリア・ストゥアルダ」「ロベルト・デヴェリュー」)、それに喜劇の3作品(「愛の妙薬」「ドン・パスクアーレ」「連隊の娘」)、さらに「ランメルモールのルチア」である。そのどれもが圧巻の素晴らしさだった。私のMETライブとの出会いは、ドニゼッティとの出会いでもあった。

2016年9月6日火曜日

マーラー:交響曲第5番嬰ハ短調(ダニエレ・ガッティ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)

私は長年、マーラーの交響曲第5番が苦手であった。もっとも頻繁に演奏され人気も高い曲、と言われているだけに、どうしてこの曲が好きになれないのか自分も不思議だった。演奏会で聞いたときも、それは変わらなかった。この曲はズビン・メータの指揮するイスラエル・フィル、あるいはダニエル・ハーディングの指揮する新日本交響楽団などで聞いたことがある。

録音ではどうか。カラヤン、バルビローリ、ショルティ。DVDでバーンスタイン。でもどこか入り込めない。唯一あの映画で有名になった第4楽章「アダジエット」だけは、まるでそこだけ時間が止まったような、とても不思議な瞬間が来る。でもこの曲はこの部分が有名であることだけが恐ろしいほど突出していて、それ以外の部分となると、初めて聞いた時などは結構やかましい曲だな、などと思ったものだ。

それもそうである。この第5交響曲はマーラーの後年の作品群、すなわち第6番「悲劇的」、第7番「夜の歌」などと並ぶ作品への入り口なのだ。「巨人」や「復活」のような親しみやすさがないのは、もうマーラーの作品が年代とともに変容していくからである。ではその変容、あるいは深化とはどのようなものか?

これを語るのは多分に音楽的知識を有し、世紀末に象徴されるドイツの近現代史に通じている必要がある。マーラーの伝記のいくつかを読み込むことはもちろん、その妻となるアルマの伝記、そして女性の自由化の社会史にも詳しくなければならない。残念ながら私はそのすべてにおいて素人だから、このような作品を楽しむのは非常に骨の折れる作業である。もしかしたらマーラーの後半の交響曲は理解できないかも知れない。でもそれが真実なら、この曲がこんなに人気がある理由が説明できない。もしかしたら一発で感動できる演奏に出会うことはできないだろうか。

こういうとき、とにかくいろいろな演奏を聞いて自分にフィットする演奏を探し求めるしかない。そういうわけで、私はさらにハイティンク、シノーポリなどの演奏を聞けるものから聞いて行った。そうしてある日、私の感覚にフィットした演奏が出現したのだ!比較的最近の演奏、ダニエレ・ガッティによる演奏であった。

ダニエレ・ガッティといえば今を時めく指揮者のひとりだが、METライヴの上演で「パルジファル」を見るまでは知らなかった。この「パルジファル」は暗譜によって指揮され、その見事さは比類ないものとして語られているし、私も(まあ映像で見る場合、どうしても演出の素晴らしさに見とれたところもあるし、歌手の出来・不出来というのもあるから、純粋に指揮者だけを評価するのは難しいのだが)その安定的で聞きどころを押さえた指揮にとても心を打たれたのは確かである。

ガッティは今年(2016年)からコンセルトヘボウ管弦楽団の主席指揮者となるようだが、この演奏はロイヤル・フィルのシェフ時代の1996年頃で36歳の時の演奏というから、私と同年代の指揮者ということになる。

まず冒頭のトランペットがとても印象的である。ベートーヴェンの第5交響曲を意識したであろうこのパッセージを、ガッティはわずかな休止を入れながら進む。このことだけで、何かいつもと違う演奏に感じられる。そしてそう感じるのは表層的な仕掛けによるだけではないように思う。例えば第2楽章や第3楽章の後半の、凄まじいまでのエネルギーを放出しながらも、音楽の形式を壊すことのない演奏。白熱したライヴのような演奏だが、スタイリッシュで遅く十分な時間を取って進むところもある。緩急をつけながらも自然でこなれた感じ。こういう演奏がなかなかなかったのだ。もしかしたら、ただこれまで出会わなかっただけかも知れないが。

マーラーの第5交響曲は、ベートーヴェンの第5交響曲がそうであったように、苦悩から喜びへの進化をモチーフとしているように思える。だがベートーヴェンのように単純なものではなく、マーラーのそれはより複雑であり、聞く人にとってはちょっと不愉快なくらいに大袈裟であるばかりか、時に冷笑的でさえある。皮肉に込められたパロディーは、第7交響曲に至るまでの、もっともマーラーっぽい部分であろう。好きな人にはたまらないのかも知れないが、マーラーの嫌いな人にとってはとてつもなく苦痛である。この嬰ハ短調交響曲は、その中ではむしろまだましである。何せもっとも短い(70分)のだから!

第1楽章は葬送行進曲。冒頭のフォルティッシモにマーラーの音楽が始まる感激が沸くが長くは続かない。つまりとてつもなく、暗い。

第2楽章「嵐のように荒々しく動きをもって。最大の激烈さを持って」。激情的で切羽詰まった曲である。弛緩した古い演奏よりも、引き締まった現代風の演奏がいい。もちろんそれは技術的な進歩に負うところが大きい。一時静かになって音楽が終わってしまったのか、と思うところもあるが、再びより強烈に悲壮な音楽となる。

第3楽章スケルツォ。三拍子のリズムでホッとする。室内楽的な落ち着きが聞くものを少し和ませはするが、かといって安定しているわけではない。この20分近くにも及ぶスケルツォが私は好きだ。とても長いが、どういうわけか飽きない。それどころか変化に富んで楽しいと思う。もっとも第1楽章から聞いてゆくと、いつまでも終わらないので、演奏によっては退屈であろう。

第4楽章は有名なアダジエット。カラヤンの死後にベストセラーとなったコンピレーションCD「アダージョ・カラヤン」はこの曲から始まる。だがこの曲は「アダージョ」ではない。それよりも少し速いということだ。この速さというのが、この曲の核心を現している。つまりどこか性急な感情が一時的には落ち着いているという要素があって、冷静に自分を見つめている。私は冬の日本海を列車に乗って通り過ぎるシーンを何故か思い浮かべる。そして車窓には自分の顔が映っている。

第5楽章は快活なフィナーレ。でも快活どころか狂気じみている。オーケストラの機能美が発揮される。いい演奏で聞くと次第に高潮してゆき、最後は一気に終わる。マーラーの交響曲はいつもその傾向があるが、この第5番では若々しいエネルギーを感じる。ガッティの演奏はまた唖然とするような上手い。

マーラーがウィーン・フィルの音楽監督を辞し、作曲に専念し始めるのはこの頃である。アルマとの結婚も彼に精神的な糧を与えたであろう。これは遅咲きのマーラーの、最後の十年間の最初を飾る、絶頂期の曲と言えるかも知れない。だがこの暗さ、そしてハチャメチャなまでの不安定さといったらない。時代背景、ユダヤ人としての生い立ちなど、その理由をいくつも求めることはできる。特にこの第5番は幾分散漫な印象を与えるため、なかなか馴染めなかった。今でも、何か集中力が続かない。でもそのような時に印象的な部分が突如として現れると、その瞬間からは少し引き込まれる。ガッティの演奏はそういった工夫がところどころに見られる演奏である。録音も広がりがあって良いし、オーケストラも上手い。

そういえば若い指揮者の一気果敢なマーラーと言えば、70年代のレヴァインである。私も持っていたはずだ。もう一度聞いてみよう。もしかしたらガッティの演奏に通じるものがあるかも知れない。そう思ったらやはりそうだった。いやこのレヴァインの演奏は、録音の古さをさておいてもトップクラスの演奏ではなかったか!だがレヴァインは第6番で取り上げることにしようと思う。第6番はレヴァインで実演を聞いているのだから。

2016年9月4日日曜日

「わが故郷の歌~ギリシャを歌う(Songs My Country Taught Me)」(Ms:アグネス・バルツァ、スタヴロス・ザルハコス指揮アテネ・エクスペリメンタル・オーケストラ)

真っ白に塗りこめられた小路の前で、近所のおばさんたちが井戸端会議に興じている。重いリュックを担いだ私がそばを通りがかると、「今日はどこに泊まるんだい?」「うちに寄っていかないか」と話しかけられた。ミコノス島にフェリーが着くと、街はにわかに活気づく。民宿を営むおばさんたちが、こぞって船着場に集結するのだ。

私が紹介されたその部屋は、中心部から少し離れたオルノスという街のはずれの小高い丘に建っていた。見渡す限り紺碧の空と海以外、何もない。さらに丘を越えて歩いて行くと、その向こうに広がるエーゲ海の、眩いばかりの光の中に、かつて栄華を誇ったデロス同盟の中心地、デロス島が浮かんでいた。吹き付ける風は激しくも暖かい。でも風の音以外に聞こえるものは何もない。青く深い海と真っ白な太陽。それはギリシャ国旗の色である。ここの島々こそ私がかつて訪れた中で最も美しく、そして天国に近いところだと思った。

夕暮れ時になるとミコノスの街は生き返ったように賑やかになる。宝石や土産物を売るお店、入り江のヨットが波で揺れるのをいつまでも眺めながらタヴェルナやレストランで食事をする観光客。放たれた犬や鳥までもが狭い路地を徘徊し、バーから漏れてくるロックの歌声が夜遅くまで途切れることはない。

夏のギリシャの夜はこうして更けてゆく。ある日アテネの狭い通りを歩いていると、どこからかマンドリンの響きに似た曲が聞こえてきた。音楽は次第にスピードを上げたかと思うと、情熱を鎮めるかのようにまたもとに戻る。民謡とも歌謡曲とも判別のつかない歌に、私はしばし心を打たれて足を止め、そしてそのような曲を集めたカセット・テープを買ってみた。帰国後聞いてみると、そこに収められていたのは哀愁的で情熱的なギリシャの流行歌の数々。かつての栄光を惜しむような淋しさを、あの光の中に溶け合わせる歌声は、古代遺跡が青空に映えるギリシャの光景そのものではないか。

私が初めてギリシャを旅したのは1988年、21歳の時だった。ちょうどこの頃、ギリシャ出身のメゾ・ソプラノ歌手アグネス・バルツァは、カラヤンの指揮する歌劇「カルメン」や「ドン・ジョヴァンニ」に登場し、その妖艶で情熱的な歌唱を轟かせていた。そしてなんとその合間に、生まれ故郷のギリシャを訪れ、十代の頃に親しんだフォークソングの代表的な作品を、指揮者で作曲家のスタヴロス・ザルハコスとともに録音したのだ。その演奏はCDとしてドイツ・グラモフォンから発売され、我が国でも評論家の黒田恭一氏の激賞もあって大変評判となった。

難解なギリシャ語を解することは難しく、このCDのブックレットにも歌詞の大意しか掲載されていない。それでもこの歌曲集が心を打つのは、その音楽そのものが持つセンチメンタルな雰囲気によるものだろうと思う。だが私の場合、あのアテネの街角で聞いた歌そのものが、ここに収録されていたのだ(その歌は「オットーが国王だったとき」である)。

歌手は男性から女性に変わっているし、そもそも通俗的な歌をオペラ歌手が歌うことにも賛否がある。けれどもバルツァは、これらの歌を心の底から愛しており、歌うことを楽しんでいる…と想像することができる。祖国への思いは彼女のやや低い歌声によって重くこころを打ち付ける。それはギリシャが背負ってきた過酷な歴史を思い起こさせる。小アジア、特にトルコの影響が音楽の側面でも感じられる。そこで何百年もの間、隷属的な生活を強いられてきたギリシャ人にとって、そう簡単に忘れることのできないもの、いや生活にも文化にも染みついてしまった宿命ともいうべきもの、人生観が縮図となって歌詞にも反映されている。タイトルを追うだけで、その歌がどんな内容か想像できる。

「彼がたった17歳のとき、私の愛する郵便屋さんは亡くなってしまった。一体誰が私の手紙を運んでくれるの?」

「私の息子よ、お前は5月のある日に家を出て行ってしまった。あんなにも好きだった春に…私の灯も消えてしまったよ」

「カテリーニ行きの汽車は8時に発つのよ。11月はあなたの思い出にいつまでも残るでしょう。でももうあなたは、夜こっそりと来ることもないのね。・・・」

マンドリンのような楽器、ブーズキーについても触れておかなくてはならない。これらのギリシャ民謡の魅力の多くは、この哀愁的なリュート楽器の旋律によるものである。このCDではコスタス・パパドルーロスという奏者によって演奏されている。私は2度目のギリシャ旅行で、この楽器が安ければ買って帰ろうか、などと考えたこともあった。ギリシャのフォークを聞くことなど、当時は困難であった。ある時ソウルの街角で売られていたテレビドラマを集めたCDに、ギリシャのフォークを使った主題歌が収録されていた。それもこのような曲だった。そういう曲も今ではiTunesさえあれば、いとも簡単に聞くことが出来る。

だがバルツァがこの他にギリシャの流行歌を収録した話は聞かないし、他の歌手がこれらの歌を歌って国際的なリリースをした話も聞かない。音楽というものは、世界中どこにでもあって、どこで聞くことが出来たとしても、個々の経験は個人的であり、そしてローカルなものだ。でも、このCDが好きだと言う人が多くいて、2004年、アテネ・オリンピックの際には東京でもコンサートが開かれたようだ。

私はあの夏のギリシャが忘れられず、2000年、2001年と連続してギリシャを旅行した。この時には新しい国際空港が誕生したアテネの街も垢抜け、物価は高騰し、あのミコノスの街外れにまで高級リゾートが誕生していた。まだ経済危機がやってくる前のことである。私は毎日ビーチにでかけ、一日中そこで過ごした。ただ海を眺め、何もしていないのにこれほど満足感を味わったことはないくらいに幸せな日々だった。何もしない日が1週間続き、もう最後という日になるととても淋しくつらい気持ちになった。それ以降私にギリシャを思い出させてくれるのは、たまたまアテネで出会った曲を収録したこのCDだけである。真っ青なエーゲ海から絶え間なく風が吹き付ける。青い、というのがこういう色のことだったのか、と思う。その青は海の青、そして空の青。世界がどう変わっても、ここの風景だけはいつまでもそのままであると思う。ただそれを見ている人の心が変わるのだ。

「僕の塩辛い涙で時を薄めよう。僕たちにだっていい日が来るさ」

「風よ、帆を干しておくれ。僕の涙を拭っておくれ。僕に勇気を出させておくれ」


【収録曲】
1. 君の耳のうしろのカーネーション
2. 都会の子供たちの夢
3. 若い郵便屋さん
4. 五月のある日
5. 汽車は8時に発つ
6. わたしは飲めるバラ水をあげたのに
7. オットーが国王だったとき
8. ぼくたちにだって、いい日がくるさ
9. バルカローラ(舟歌)
10. 夜汽車は恋人を乗せて
11. わが心の女王


東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...