2018年12月28日金曜日

NHK交響楽団「第九」演奏会(2018年12月24日、NHKホール)

記録によれば、今回のNHK交響楽団による年末恒例、ベートーヴェンの「第九」演奏会は私にとって生涯で通算300回目となるコンサートである。第200回目は2007年11月、バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリンをサントリーホールで、第100回目は1995年10月、カーネギーホールでマゼール指揮ピッツバーグ交響楽団を聞いている。初めてのコンサートは1981年だから、39年間に300回のコンサートに出かけたことになり、平均すると1年に7.7回のペースということになる。

初めてオーケストラを生で聞いたのは、小学校の低学年の頃で、学校の体育館にやって来た京都市交響楽団だったかの出前演奏だったし、テレビ番組「オーケストラがやって来た」の公開収録に出かけたりしたこともあったが、自分のお金で聞いたコンサートとしては、1981年12月30日が最初であった。会場は大阪フェスティバル・ホール。演奏は朝比奈隆指揮大阪フィル。演目はベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付き」。コンサートの始めにはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲が、コンサートの終わりには恒例の「蛍の光」が合唱のみで演奏された、とメモにある。

ちょっと脱線すると、朝比奈隆と言えば現在でも我が国で最も聞かれている指揮者で、今日も年が押しせまった新宿のタワーレコードに出かけたところ、朝比奈の「第九」がクラシック売り場に高らかと鳴り響いていた。朝比奈の音楽は、晩年神がかり的な存在となったが、当時はまだローカルの演奏会で、たかだか3000円くらいの席は中学生だった私にも手が出せた。その演奏は、第3楽章までが何かプカプカとやっていたが、第4楽章の合唱が入って来るところからは入念な響きが会場を見たし、コーダだけは極めて印象深いというものだった。待ち構えたように間髪を入れずにブラボーと叫んだ2階席最終列の学生の数人が、私のとなりにいたのを良く覚えている。

年末になると日本中で「第九」が取り上げられるようになったのは、ボーナスを団員に支給するために、客の入りがいい作品(には「運命」や「新世界より」なども含まれる)をぶつけたという説が説得力がある。この変な習慣も最近では欧米にまで逆輸入されているらしい。そして我が国では、スーパーマーケットの歳末セールにもポップス調にアレンジされて購買欲を煽り、一時期は日本中のおばちゃんやおじさんが、にわか仕込みのドイツ語で競うように歌ったようだが、そんな「流行」も最近は下火となった感がある。N響の「第九」も今年は全部で5回開かれるが、今年は当日券も残っていたし、それにFMとTVで1回ずつ放送されるだけ、というのはちょっと寂しい。

私は過去にN響の「第九」を数回聞いているが、もっとも最近聞いたのはもう1998年のことである。丁度20年も前のことになる。いつも思うのは、「第九」だけはいつもと違う客層となり、特に第3楽章あたりではなんとなくざわざわしているような感じがして、どうも好きになれなかった。それで最近は少し遠ざかっていたというのが本当のところである。けれどもN響の実力は向上しているし、団員も大きく入れ替わった。最近は指揮者が良いということに加え、いつからか合唱が、力任せの国立音楽大学ではなく、東京オペラシンガーズというプロに変わっているではないか。この曲を聞くべきタイミングとして、今年こそ相応しいと思われてきた。

思えば今年は私にとって節目の年であった。仕事でも家庭でも、そして個人的にも、大きくはないが重要な一区切りを迎えた。今年を漢字で表すと「安堵」、やっと一安心といったところであった。丁度そのような思いに浸っていた時、弟からお誘いのメールが来た。さっそく妻を誘って出かけることになり、カップルや家族連れでごった返すクリスマス前の渋谷を抜けてNHKホールに着いた。3階席ではあるが両翼の少し低くなったところ。ここで聞くN響は悪くはない。プログラムは「第九」ただ1曲のみと、ちょっと寂しいが、最近ではそういうプログラムが多い。

今年の指揮者はもう80代のマレク・ヤノフスキである。ヤノフスキと言えば、4年がかりで聞いた楽劇「ニーベルンクの指環」(演奏会形式)が記憶に新しい。毎年春、桜の咲くころに上野で聞いた一連のコンサートは、毎回とんでもないくらいの感銘を私に与えた。もちろんソリストが素晴らしかったのは言うまでもないが、それを支えたのがヤノフスキの指揮するN響だった。ヤノフスキの「指環」。それは2組の全曲盤CDでも聞くことができる。非常に抑制の聞いた音量と比較的速いテンポで、どちらかというとあっさりした演奏である。ワーグナーだからといって、ロマンチックな豊穣さを期待すると裏切られる。物足りない、と感じる人は多いだろう。けれども私はこういうスッキリした演奏が嫌いではない。酔わないが、醒めているわけではない。そつなくまとめているように聞こえるが、よく考えられている。音量をぐっと抑えて、普段は聞き取ることのできない楽器の対話が、綺麗に聞こえてくるような時があり、それはちょっとした興奮を覚える。プロフェッショナルな指揮者だと思う。

そんなヤノフスキのベートーヴェンは、私にとって実にこれが初めてである。彼はブックレットの中で、「第九」のもっとも重要な部分について興味深く語っている。それによれば、最も重要な音は第3楽章の第23小節の最後の和音だという。ここは「4/4拍子で変ロ長調、ヘ長調の和音が急な転調でニ長調に移行する部分」で「とてもさりげなく、素早く過ぎていく」のだが、「感情の最も崇高な領域」であり「きわめて非凡な『神』を感じさせるような」部分だと。ここはむしろ3/4拍子に変わる直前と言った方がわかりやすいかも知れない。

この解説を家に持ち帰って読みながら、再確認したみたいと思った。当日の演奏会の第3楽章は、それはもう素晴らしく、この曲の天国的な美しさを堪能したのだが、かといってこの細かい部分まで記憶しているわけではない。そこでまず、スコアをダウンロードし(最近は無料でスコアが手に入る。私が使ったのはhttp://www.free-scores.com/というサイトである)、手元にあったリッカルド・ムーティの指揮する全集の中の一枚(演奏はフィラデルフィア管弦楽団)を聞いてみた。

この第3楽章の前半は、4拍子と3拍子を交互に繰り返しながら進んでいく。世離れしたきれいなメロディーに、細かい音符のことなどどうでもよくなっていく。音楽的構造を逐一考えるような野暮な聞き方ではなく、曲に身を委ね、時に目を閉じたくなるような曲である。だがこのたび私は、幾度も最初からこの曲のスコアを追ってみた。最初の主題は、弦楽器と木管が交互に会話する様が面白いのだが、第1楽章、第2楽章と進んできた「第九」もここへ来てぐっと内省的な気分となる部分への、ほんのちょっとした移行の気分。駆け抜けて来た怒涛のような時間を離れ、回顧するかのような時間となるまでの、ほんのわずかな時間。とても長く、とても深い時間が始まる。

だが弦と木管のやりとりが一時揺蕩うようになり、方向感を失うが如き趣きがしばし訪れる。はっきり意識もしないうちに、ピタリと何かに触れたような瞬間。完全な調和を見せる和音がわずかに1回だけ、鳴り響く。ブルックナーの曲にありそうな瞬間。それがこの和音である。時間としては丁度3分00秒の直前(ムーティの場合)。そしてそれを境に、一気に方向感を得て流れてゆく二つ目の主題は、何と第2ヴァイオリンとヴィオラによって奏でられる(スコアを見ると第1ヴァイオリンは休止状態)。そのメロディー部分は、ヤノフスキの演奏でも極めて印象的であった。

N響の中音域を担う見事なヴィオラとチェロが、まさに雄弁にこの第3楽章を形成している。そうか、あのマーラーがよく求めた音楽が、もしかしたらこのあたりに源流を持つのかも知れない、などと考えた。この演奏は大晦日の教育テレビで放送される。もう一度聞けるのが今から楽しみである。

第4楽章になってもヤノフスキの演奏はバカ騒ぎにはならない。音を大きくしないので、3階席で聞いているとちょっと物足りないと思う客が多かったのではと思う。けれども私はフーガからコーダに至るまでのそれぞれの部分で、これまでにきいたことのないような響きを経験することとなる。木管楽器と合唱が見事に調和して、押さえられた弦楽器の中に浮かび上がる、といったような瞬間が何度もあった。後半の美しい合唱部分が極めて精緻で、それはこの合唱団(東京オペラシンガーズ)と4人のソリスト(藤原佳奈枝、加納悦子、ロバート・ディーン・スミス、アルベルト・ドーメン)によるところも大きい。

室内楽的な緻密さを持つ「第九」の演奏は、まさに音楽の小宇宙で、聞きなれた曲にもまた新しい発見があったことを嬉しく思った。たった1時間余りの演奏会が終わって、公園通りを渋谷へ向かうとき、その流れに逆行した人の波にのまれそうになった。12月になって始まった代々木公園のライトアップを見る人たちであろう。「第九」と日本の年の瀬の表情は、やはりどこかでマッチしているように感じる。思えばこの曲は、異例中の異例である。後にも先にも「第九」に似た作品などない。「おお友よ、このような響きではなく・・・」と高らかに歌われる時、そこにはあらゆるものを超越したものの存在が意識される。だから、もうどうなってもいいのよ、この曲は・・・という演奏もまた正しいだろう。ヤノフスキの演奏は、それとはちょっと異なっている。だが、「第九」はどう演奏しても「第九」である。どういう道をたどるにせよ、結局そこに「神」の存在を見出すのだから。

2018年12月11日火曜日

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35(Vn:ジョシュア・ベル、マイケル・ティルソン=トーマス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

「最高に素敵な日にいらっしゃいましたね!」と写真を撮りながらその人は話しかけて来た。ふらつく足元に雪が絡まり、今にも倒れそうな姿勢で私は山居倉庫の前の橋をわたっていた。観光客はほとんど歩いておらず、50センチはあろうかと思うような深い雪道に、同じ深さの足跡をつけながら、降り積もる雪と酒田の街の写真を撮った。

初めて訪れた出羽地方の港町酒田は、北前船の拠点として栄えた。山形で取れる米を最上川で運び、それを上方へ送る商売を営む豪商が本間氏だった。本間美術館にはその本間氏の別邸が立てられ、天皇も宿泊したという部屋から見渡せる日本庭園は、今日はすっかり雪の中に埋もれていた。

そんな旅行から東京に戻って、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に耳を傾けている。短い秋が過ぎ去って冬がやって来ると、無性にこの曲が聞きたくなる。それも良く晴れた日の夕暮れなどに。これはどういうことか。チャイコフスキーの魅力は、ロシアの民族性を持つ一方で、ある種の土着性からはやや離れた、一種の洗練されたものを感じさせることである。その理由は、もしかしたら風光明媚で明るいイタリアを旅し、陽気な音楽にも接したからではないか、などと素人の想像を膨らませている。このヴァイオリン協奏曲はジュネーブ近郊の村に滞在中、作曲された。

これほどヴァイオリンの魅力を引き出した曲はないのではないか、と思う。その素晴らしさはベートーヴェンを別格とすれば、おそらくブラームスやメンデルスゾーンに匹敵するだろう。そう、四大ヴァイオリン協奏曲とは良く言ったものである。これにシベリウスを加えると、世界中で演奏されるヴァイオリン協奏曲の80パーセント程度に達するのではないだろうか。

ピアノ協奏曲第1番がそうであるように、またベートーヴェンやブラームスのヴァイオリン協奏曲がそうであるように、この曲もまた第1楽章が長い。時にオーケストラがシンフォニックに鳴り響くとき、まさにクラシック音楽を聞いている楽しみにとらわれる。全編にわたって聞きどころが満載だが、私があえて1か所あげるとするなら、第1楽章カデンツァの終了部で、トレモロにフルートがメランコリックな主題を重ねて行く部分だろう。ここの部分をいい演奏で聞くと、心の底からぞくぞくとする。

一方、第2楽章は第1楽章の半分以下と短いにもかかわらず、寒い冬の日に部屋で過ごすような気持になる。あるいは少しレトロな雰囲気を感じるかも知れない。悲しいけれど情に溺れてしまわないような気品が漂っている。

第2楽章から続けて演奏される第3楽章は、急にオーケストラがドスンと鳴り響くところから始まる。いきなり技巧的なヴァイオリンがうなったかと思うと、堰を切ったかのように音楽が流れだす。中間部で民謡風になるが、コーダまではさらに情熱的に駆け抜ける。この曲はピアノ協奏曲第1番と構成が良く似ていると思う。そして献呈したソリストからは「難しすぎる」と言われてしまう点も同じである。だが今ではどちらも、チャイコフスキーを代表する名曲である。

今日は最近もっとも気に入っているジョシュア・ベルの演奏で聞いている。2005年のライブ録音。最新の演奏だと思っていたが、気が付けばもう13年も前の録音である。デビュー当時まだ10代だったベルも、今や51歳。私とほとんど変わらない年齢である。伴奏がMTT(マイケル・ティルソン=トーマス)の指揮するベルリン・フィルという豪華な組み合わせは、何も言うことがない。木管楽器の美しさ、弦楽器の重厚さは比類がなく、録音もDSDのマークが入っていて最上級である。さらに驚くべきことは、この演奏がライブである点だ。第3楽章が終わるや否や、盛大なブラボーに包まれる。

この曲の名演奏は古くから数多くある。個人的な思い出は、スターン(オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団)、チョン・キョンファ(デュトワ指揮モントリオール交響楽団) とムローヴァ(小澤指揮ボストン交響楽団)である。スターン盤では伴奏の豪華さに圧倒されたし、チョンの演奏では落ち着いて聞ける名演だった。だがこれらの演奏は、今となっては少し古い部類に入ってしまうだろう。これらが模範的な演奏だったとすると、ベルの演奏は、より緩急をつけ、情緒的な面が強調されているかと思えば、ある部分一気に駆け抜ける。それは伴奏にも当てはまり、つまり、これらは共同作業としての曲作りである。丁寧で集中力があって、長さを感じさせないが、実際にはたっぷりと長い。

吹雪の酒田の街は土曜日だと言うのに誰も歩いていない。けれども小さな酒場に足を踏み入れると、そこには地酒を片手に談笑する旅行客や地元のグループでいっぱいだった。そのようなある店でマスターと会話をしていると、入って来た5人組の若者と親しくなった。「こんなところに何をしに来たんですか?」と尋ねるので「前から来たい、来たいと思っていたんだよ」と告げると「僕たちは出たい、出たいと思っているのにですか?」と言われた。確かに1年の半分は寒く、雪が降ると身動きが取れない。そして人口は減り続けている。首都圏からは遠く、そのことが一層、郷土色を色濃く残す結果となっている。同じ中学の同級生だったという彼らは、たまたま街で出会い、そして今夜は3軒もはしごをするそうだ。あまりに寒いので、次の店を断って旅館へと急ぐ。途中、彼らが教えてくれたラーメン屋に寄ろうかと思ったが、もう遅いので帰ることにした。何もない酒田の夜に、雪が降り続けていた。

余った収録部分には2つの小品が添えられている。瞑想曲二短調作品42-1とバレエ音楽「白鳥の湖」より「ロシアの踊り」である。瞑想曲はハープも聞こえてくる抒情的で、大変きれいな曲であった。

2018年12月9日日曜日

Pops:「ひとたびの愛」(ハイメ・トーレス)

南米アンデスの民族音楽(フォルクローレ)である「コンドルは飛んで行く」は、素朴な美しい曲である。もともと歌詞はなかったが、アメリカの歌手サイモンとガーファンクルは英語の歌詞を付けてこの曲を歌い、世界中でヒットした。それからしばらく経って、私が小学校2年生の時に、音楽を専攻したまだ若い担任のS先生が、私たちにこの曲をソプラノ・レコーダー吹かせようとした。先生によれば、ケーナと呼ばれる南米の笛の音が、リコーダーの音に良く似ており、それゆえにこの曲をみんなで合奏したら、さぞ素敵なことだろう、というのであった。

先生は楽譜を編曲、手写ししてプリントし(まだプリンターのない時代である)、そこに音階を書き込むことから練習が始まった。「シミ#レミファソファソラシ・・」と今でもよく覚えている最初の小節の、その弱起で始まる冒頭の音は、実際には低い「シ」である。ところがこの音はソプラノ・リコーダーでは出す事ができない。先生はこの音を一オクターブ高い「シ」を使って演奏するように指示した。そのような事情を知らなかった私は、ある日サイモンとガーファンクルの歌う「コンドルは飛んで行く」のドーナツ盤を聞いた時、少し戸惑ったことを覚えている。どうりで変な曲だと思っていた謎も、この時解けた。

学芸会が来るまでの間、毎日毎日、少しづつ演奏を進めて行く。S先生は、まだ音楽大学を出たばかりの新任教師だったせいもあって、その指導には熱が籠っていた。高い音が連続して続く中間部を綺麗に合わせることが要求された。当日になってもう一つの出し物の演劇が終わるや否や、舞台に全員が一斉に整列して、先生の指揮に合わせて合奏した。今から思うと奇妙な学芸会だが、手作りの良さはあったと思う。中学生になってアルト・リコーダーを習うようになった時、この曲の冒頭を低い「シ」を用いて吹いてみた。友人に太鼓を叩かせて。

それからさらに月日が経って、南米のフォルクローレはいつの頃からか、世界中の駅や広場で、週末になるとペルーあたりから来たバンドがこの曲を演奏するのを見かけるようになった。我が国でも同じで、先日もJR田町駅前でやっていたし、かつてミュンヘンやニューヨークでも同じ光景を見た。そのたびに私は、小学生の頃を思い出すのだが、確かに彼らがはるか南米より出稼ぎに来るまでは、ケーナと言う笛と、チャランゴというギターに似た弦楽器など実際に聞くことなどできなかった。

エクアドルに「アンデスの声」という放送局がかつてあり、日本語による短波放送がブラジルと日本向けに毎日行われていた。中学生になった私はついにこの放送を聞くことに成功し、アナウンサーの尾崎さんに手紙を書いたりしたのだが、その放送でしばしば流れていたのが「コンドルは飛んで行く」だった。「南米赤道の国・エクアドル」から直接届く「コンドルは飛んで行く」は、雑音と伝搬障害の中で聞くひどい音質にもかかわらず、独特の雰囲気を持っていた。

「コンドルは飛んで行く」を含むフォルクローレのCDを、大学生になって私は買った。ハイメ・トーレスというバンドのCDだった。「レコード芸術」というクラシック専門雑誌にも、わずかなポピュラー音楽のコーナーがあって、その中で紹介されていたのだ。南米へはとうとう24歳の春に旅行することになる。小学生の時に触れた「コンドルは飛んで行く」、それに続く旅行記「南アメリカ人間旅行」との出会い、「アンデスの声」、そして卒業旅行。これらがつながって、このCDを聞きながら、当時のことを思い出す。「アンデスの声」の尾崎さんに会ったのは数年前で、その時にもこの話をした。

今日は山形新幹線に揺られながら、手持ちの音楽プレイヤーで聞いている。冬の低い雲が空を覆っている。山々は雪をかぶる前の、枯れた山肌を露出している。時折ピアノやギターも混じる都会的なムードも持っているものの、原曲の素朴さを失わないように注意が払われている。

ハイメ・トーレスは、ボリビアからの移民の子としてアルゼンチンに生まれた、チャランゴを得意とするミュージシャンである。だからアンデスの純朴さと、タンゴを思わせる都会性が程よくブレンドされ、独特の南米音楽世界となっているのだろう。

2月にも訪れた蔵王を右手に眺めながら、ゆっくりと走るローカル新幹線に、アンデス山脈の殺風景な風景を重ね合わせる。木の葉をすっかり落とした裸の梢の向こうに、最上川の水面がちらっと見えた。

【収録曲】
1. 巡礼
2. 風とケーナのロマンス
3. コンドルは飛んで行く
4. 楽しいカーニバル
5. さあ、娘さん
6. チシ
7. ヘネチェル
8. 小さな泉
8. ひとたびの愛
10. かわいい女の子
11. オー、コチャバンバ
12. わが愛のミロンガ
13. 昔のように、おれのお父さん
14. ラ・ボリビアーナ
15. バイラ・チョリータ
16. いつの日かまた
17. あなたが帰る日

2018年12月8日土曜日

チャイコフスキー:バレエ音楽集(コリン・デイヴィス指揮コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団)

初めて東北地方を旅行したのは、高校一年生の時だった。いわきから郡山を経て会津若松の通り新津へ抜けた。福島県を浜通り、中通、会津へと2日がかりで横断した。それ以降、少し遠ざかっていた東北地方への旅行も、気が付いてみると各県1回は泊りがけで訪れている。

宮城県(仙台、気仙沼)、岩手県(北上、釜石、遠野、森岡)、青森県(津軽)、秋田県(角館、男鹿)、そして山形県の県央部(米沢、蔵王、天童)もすでに旅行を終えており、最後に残ったのが青森県の南部地方(八戸、下北)と岩手県の三陸地方北部(宮古)、そして山形県の庄内地方(酒田、鶴岡)のみとなっている。今日はとうとう出羽山地を越えて日本海側に向かう。一昨日の福島旅行から帰ったばかりだと言うのに、早朝に東京を立ち、ひとり山形新幹線「つばさ」新庄行きに乗っている。

薄暗かった車窓も大宮を過ぎると明るくなった。けれども冬の空である。雲が切れ目なく覆っているが、それも次第に薄くなって、青空がところどころから覗くようになった。天気予報によれば、いつになく暖冬だった今年も、とうとう冬将軍の到来となったようだ。この冬はじめての本格的な西高東低の気圧配置。太平洋側は乾いて快晴となるが、日本海側は大荒れだそうである。よりによってそんな日に酒田へ向かうなんて、なんと素敵なことだろう。年の瀬の酒田は、雪の日にこそ相応しいではないか?

いつものように持ってきたWalkmanで聞くのは、やはりチャイコフスキーを始めとするロシア音楽である。今日はコリン・デイヴィスがコヴェントガーデンのオーケストラと録音した珠玉の一枚、チャイコフスキーのバレエ音楽集である。当然のことのように「エフゲニー・オネーギン」の第3幕への前奏曲から始まる。この曲以外、知らない曲ばかりである。

利根川を渡る。一昨日と違い、今日は遠くに日光連山が朝の光を浴びて輝いている。右手には筑波山も。広い空の下を時速300キロ近い速度で一路北上している。

いつもながらこんな風景に、チャイコフスキーの音楽はピタリと決まっている。コリン・デイヴィスの熱のこもった指揮が、耳元で豪華に鳴り響いている。シンフォニックでロシア情緒も満点、独特の陰影を帯びた表情で演奏されるバレエ音楽の数々は、広い大地に暮らす農村のお祭りの光景だろうか。宇都宮に着いて「はやぶさ」の通過待ちをしている間に、雲の切れ目から朝日が顔を覗かせた。

The MET Live in HDシリーズで「エフゲニー・オネーギン」を見て以来、チャイコフスキーの音楽にほれ込んでしまった私は、ある日このCDを見つけ衝動的に買い求めた。そして聞き進むうちに、華やかで民族的な旋律のバレエ音楽の数々が、交響曲とはまた異なる世界へと私を連れ出してくれた。今ではどの曲の表情も、私は馴染んでいる。

今年の年末にはCDプレイヤーを買い替えようと思う。CDで音楽を聞く
時代は終わりつつあるけれど、収集した1000枚を超えるCDを捨て去るわけには行かない。鳴りっぷりの良くなった新しいオーディオ装置で、このチャイコフスキーのバレエ音楽集などを鳴らしながら、ゆったりと過ごしたい。そんなことを思っていると、私を乗せた「つばさ123号」はゆっくりと宇都宮駅を発車した。


【収録曲】
歌劇「エフゲニー・オネーギン」より
・ポロネーズ
・ワルツ
・エコセーズ
歌劇「オルレアンの少女(ジャンヌ=ダルク)」より
・前奏曲
・ジプシーの踊り
・道化師たちと曲芸師たちの踊り
歌劇「オプリチニーク(親衛隊)」より
・舞曲
歌劇「チャロデイカ(魔女)」より
・序奏
・曲芸師たちの踊りと情景
歌劇「チェレヴィチキ(小さな靴)」より
・序奏
・ロシアの踊り
・コサックの踊り

2018年12月7日金曜日

ウェーバー:ピアノ小協奏曲ヘ短調作品79(P:ペーター・レーゼル、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデン)

宇都宮駅を発車した東北新幹線「やまびこ」仙台行きは、次第に速度を上げて一路みちのくへと北上する。車窓にも小さな山や林が次々と現れ、それらをものともせずくり抜いた短いトンネルに入っては抜ける。

ウェーバーのピアノ協奏曲は番号付きのものは2曲あるが、それらとは別に、比較的良く演奏される「小協奏曲(コンツェルトシュトゥック)」というのがあって、17分ほどの切れ目ない曲である。面白いのはこの曲が、標題付きの協奏曲であるという点だ。作曲家が自ら語ったストーリーに合わせて曲が進む。那須塩原駅を通過。ドイツ・ロマン派の初期の曲は、なぜか東北への旅に良く似合う。

「魔弾の射手」にあるような、どこか郊外の森の中に入ってゆくような伴奏が終わって、静かにピアノが入って来る。 ウェーバーは1786年に生まれ、1826年に没している。40年にも満たない人生だった。丁度、ベートーヴェンとワーグナーをつなぐ作曲家である。自らピアノの名手として活躍したのはベートーヴェンと同じで、オペラにも多くの作品を残している。比較的軽く見られているが、私はウェーバーの音楽が好きである。ドイツのインターネット・ラジオなどを聞いていると耳にすることが多い。

曲は4つの部分に分かれている。ある貴婦人が十字軍の一員として遠征中の騎士である夫と、夢の中で再会する物語が、ピアノを交えて進む。ロマンチックなメロディーがショパンを思わせる華麗なメロディーに変わっていたが、それもつかの間、不安に襲われる貴婦人。彼女は夢の中で、戦地に取り残される夫の姿に出会ってしまったのだ。

列車は新白河駅を通過し、福島県に入ったようだ。雲の合間から、日が差し込んでくる。やがてクラリネットの旋律に乗って、次第に近づいてくる行進曲風の曲。曲は一転、ハ長調の明るい曲となる。ピアノが高い音から低い音まで何度も行き来し、浮かれ立つ貴婦人の心情が、軽やかに奏でられる。

喜びに溢れる最後の部分で、ヘ長調に転ずると、元気よく絢爛のうちに幸福な音楽が幕を閉じる。今は高齢のブロムシュテットが東ドイツで活躍していた若い頃の演奏。シュターツカペレ・ドレスデンの独特の響きが大変好ましい。ペーター・レーゼルのピアノもメリハリの効いた指揮に合わせて、明るく冴えたタッチを聞かせている。

外はいつの間にか雨が降っている。今日はこのまま一日中雨が降る予報である。このまま今日は列車に乗って一日を過ごす予定である。いつのまにか郡山を過ぎ、福島に向かっている。まずは福島で途中下車してみる予定である。

2018年12月6日木曜日

ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調(Vc:ジャン=ギャン・ケラス、ペトラ・ミュレヤンス指揮フライブルク・バロック・オーケストラ)

お気に入りのイヤホンを妻に貸したら、返ってこなくなった。仕方がないから古いSONYのイヤホンを久しぶりに使ってみた。こちらの方がはるかに高級で、当然音は良い。自然で細かい部分まで聞こえてくる。音漏れがすることに加えてコードがよく絡まるなど、少し使い勝手が悪いので、長年お蔵入りしていた代物である。ところが我がWalkmanへ接続してみると、なかなか相性がいい。同じSONYだからなのだろうか。静かに落ち着いて聞くイヤホンとしてうってつけである。

それで今日は、東北地方への一人旅に持って出かけた。新幹線「やまびこ」が大宮を発車した頃から、ハイドンのチェロ協奏曲を聞き始める。第2番ニ長調は気品に満ちた大人の音楽である。こういう曲は、晴れた静かな朝に聞きたいものだと思う。

早朝から降り始めた冷たい雨は、北へ向かうにつれてみぞれや雪に変わるのだろうか。悪天候のために行先を郡山から福島に変更した。これから1時間余り、音楽を聞きながら過ごそうと思う。第1楽章が終わる頃にはもう、列車は利根川を渡り、茨城県をかすめて栃木県に入った。進行方向右手に座ったので、北関東山地は見えない。代わりに筑波山が眺められるはずであるが、今日は見えない。それでも家が次第に疎らになってゆく。

ケラスは古楽器を使って、贅肉をそぎ落としたスッキリとしたソロを聞かせる。時に鋭角的な演奏は、フライブルク・バロック・オーケストラと良く合っている。ハイドンのチェロ協奏曲は、このような奏法によって新たな魅力を引き出された作品の筆頭格ではないかと思う。そしてこの演奏は意外にも、より技巧的に感じる第1番より、第2番のほうが成功しているように思う。

宇都宮で「はやぶさ」号の通過待ちをする間に乗客の半数近くが降り、音楽は第3楽章に入った。いくつかのカデンツァを挟みながらも、この曲は終始しっとりした感触を残しつつ進行する。ロンド形式の短い第3楽章があっさりと終わるや否や、隣の線路を緑色の車体が駆け抜けて行った。

まだソビエトの音楽家だったロストロポーヴィッチが、イギリス室内管弦楽団を引き振りしたレコードが、私のこの曲との出会いだった。ちょっと古びた風合いのジャケットを見ながら、父はこのLPを初めて自分の小遣いで買ったと話してくれた。「本当は他の曲を買いにいったんだ。けれども、どういうわけかこの演奏を選んだ」と言ったその話を、なぜかよく覚えている。ハイドンのチェロ協奏曲は、目立たない存在ながら、静かな気品を放っている。

車内販売で買ったコーヒーがなくなった。久しぶりに聞いたハイドンの曲。やがて、しばらくして宇都宮を発車する頃には、Walmanに入れられた次の曲、ウェーバーのピアノ協奏曲が流れ始めていた。


2018年12月5日水曜日

ハイドン:チェロ協奏曲第1番ハ長調(Vc: イヴァン・モニゲッティ、ベルリン古楽アカデミー)

音楽史におけるバロック時代というのは、いつ始まりいつ終わったのかということについて、明確な定義があるようだ。それは劇音楽が誕生した1600年から、J.S.バッハら死去した1750年までの150年間のことで、音楽史は150年を周期として大きな変化を遂げて来た。もっとも、そのような区分を考えるのは、後世の学者たちだから、当の作曲家は特にそのことを意識して作曲していたわけではない。

ハイドンのチェロ協奏曲第1番は、バロックの趣きを残していると言われている。作曲されたのはハイドンがまだ、エステルハージ家に仕えていた1760年のことで、この時33歳。ハイドンは共に仕えていたチェリスト、ヨーゼフ・フランツ・ヴァイグルのために書いたとされている。

バロックの趣きである理由は、リトルネッロ形式と言われる、主題に何度も回帰しながら進行する音楽様式による。その形式基づく第1楽章の4拍子によるモデラートについて、N響の今シーズンについて書かれた分厚い冊子には、11月の項に2ページを割いて、「ハイドンの時間」と題された記事に詳しく記載されている。丁度エステルハージ家に仕え始めて数年が経過した頃からのハイドンの、音楽形式上の発展の経過を、(ほんの少しだけだが)知る事ができる。様々な試みを繰り返しながら、澱んだり中断したりしていたものが、次第に形式として方眼紙の如く整理され、恐竜がクーガーのような機敏で小回りの利くものへと機能分化したというのである。

このことがバロックから古典派への「進化」を意味するのだろうか。そのあたりはよくわからない。私はハイドンの音楽が、どう考えてもバロック音楽とは異なる新しさを、最初から持っていたと思っている。もちろん一部にバロックを思わせる形式を見出すことはできる。私は交響曲を第1番から第104番まですべて聞いたが、それはもう第1番からバロックではなかった。明治維新で日本社会が一気に近代へと突入したように、1750年頃という時代には、断絶とも思えるような音楽上の急変が起こっていたように思う。

チェロ協奏曲第1番は、滅法新しい音楽であると思う。今聞いても新鮮で、清々しい軽やかな風が吹いている。だから、というわけではないが、お気に入りはモダン楽器によるものではなく、古楽器風の演奏である。もちろん、古楽器風の演奏が、モダン楽器よりも新鮮で新しい、という逆説的な事実に基いている。ロストロポーヴィチの弟子であるモニゲッティは、ベルリン古楽アカデミーと気品を失わず、フレッシュな演奏を繰り広げている。もっと過激な演奏もあるが、
第2楽章で緊張が持続せず、飽きてしまう演奏もある。だがモニゲッティの演奏はそうはならない。 師匠のロストロポーヴィチにも有名な録音があるが、モダン楽器全盛時代の歴史的名演も、やや時代遅れの印象にさせてしまう演奏である。

2018年12月3日月曜日

NHK交響楽団第1900回定期公演(2018年12月2日、NHKホール)

今年もいつのまにか短い秋が過ぎ去り、早くも12月になった。地下鉄代々木公園駅からNHKホールに向かって歩くときの銀杏並木を楽しみにしていたが、葉はまだ木々に残ってはいるものの、紅葉は色あせ、積もった落ち葉も重くくたびれた感じがする。暑すぎた夏、長すぎた秋雨、そして今年の冬はいつになく暖かい。

師走だというのに20度にも達するような日々が続いているが、それでも今日の東京の空は、どんより冬の雲が覆っている。昨夜から十分な睡眠をとったためかコンサートに向かう足取りも軽く、こういう日には名演奏に出会う確率が経験的に高い。もっとも、行くと決めたのは昨日のことである。プログラムは知らない曲ばかりのオール・ロシア・プログラム。何も期待せず、大量に残っていた一番安い席(E席、1500円)を購入し、3階席へとたどり着く。そして公演が始まるまでの数十分を、プログラム・ノートに目を通して過ごす。

12月に行われる3つの定期公演の、ただ1回にだけ登場するロシア人指揮者、アレクサンドル・ヴェデルニコフは、N響への出演がもう5回目だそうである。私は初めてであるばかりか、テレビを通じてもこれまで聞いたことがない。そして独奏を務めるピアニストのアンドレイ・コロベイニコフもまた、私にとっては初めての音楽家である。プログラムは前半に、スヴィリドフの組曲「吹雪」とスクリャービンのピアノ協奏曲嬰ヘ短調、後半はグラズノフの交響曲第7番「田園」である。

ここ数年は、ロシア物を聞くことが多い。昨年からチャイコフスキー、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、リムスキー=コルサコフ、今シーズンに入ってショスタコーヴィッチ、ラフマニノフ、それにグラズノフを聞いてきた。グラズノフは先月、交響曲第8番をラザレフの指揮で聞いているから、今回の第7番はその前の作品ということになる。私のロシア音楽経験はこのようにして次第に深まっているが、今回のプログラムもまた、見事にロシア一色である。しかも来週にはストラヴィンスキーへと続く…。

首席オーボエ奏者の茂木大輔氏がTwitterで「ヴェデルニコフは本当にすげー指揮者だ!」と呟いたので、どれほど凄い指揮者なのか、と思って出かけた。そしてそれは最初の曲、スヴィリドフの組曲「吹雪」の冒頭で、明白なものとなった。プーシキン原作の映画「吹雪」のために書かれたこの作品は、1964年の作曲である。映画音楽だから親しみやすいとのことだが、実際にその通りで、しかもソロパートが多く、音楽的な要素は多様でもあるため、聞いていて飽きない。誰かがTwitterで、寒い冬に暖かい部屋で食べるアイスクリームのようだ、と言っていたが、なるほど言い得て妙である。ワルツはショスタコーヴィッチによくあるレトロなジャズ風で、第4曲の「ロマンス」などは、木管の各ソロとヴァイオリン、チェロの首席が、またその後にはピアノとヴァイオリンとチェロだけの、室内楽のようになったかと思うと、第5曲は吹奏楽による行進曲である。

見事なN響の響きが、3階席の奥にまでしっかりと響くが、ヴェデルニコフの真骨頂はよくブレンドされた音が、実に安定したアンサンブルとなって濁りなく聞えてくることだ。指揮棒は持たず、それほど身振りも大きくはないが、音楽はちょうどいい塩梅のテンポ、そして音の広がり…これはよく聞いている人にはわかるようで、今日は 2階席からのブラボーが多かった。そしてどんな小さい音色の時でも、あるいは初めて聞く曲のフレーズであっても、それがちゃんと音楽の文脈の中で生きているように感じる。これは見事というほかない。

次のスクリャービンの演奏で、私はこの作曲家の作風が初めてよくわかったような気がしたし、それを目の前に繰り広げたコロベイニコフは、私がかつて演奏会で聞いたどのピアニストよりも印象的だった。ショパンを思わせる作品と言われているが、その音色の深さ、広がりを表現する上での、必要にして十分なアプローチ。技巧的だと感じさせず、知が上回ることもなく、かといって陳腐な抒情性に頼るわけでもない。程よいリリシズムとダイナミズムを持ち合わせているこの様子は、何と表現すればいいのだろうか。指揮者の音楽性に合っていると思ったし、それが作品にも合っている。ラフマニノフなどもこういう感じで演奏されると、もうメロメロになりそうである。休憩時間に会場で売られていたCDを見てみると、ロシア物に混じってブラームスの室内楽曲などもあって、思わず買ってしまいそうになった。

前半が終わったところで、しみじみと嬉しさがこみ上げて来た。後半のグラズノフは、ベートーヴェンの「田園」を意識した作品だと言うふれこみだったが、私はこの作品を、何かオペラの音楽のように感じた。幕が開いて、歌手が登場するまでの音楽に、このような曲が多いな、などと考えながら35分ほどの曲が進む。グラズノフの交響曲は、第6番までが民族的な色合いの濃い曲だそうだが、私が最近きいている晩年の作品は、どうも少し異なっている。それでも第8番よりは親しみやすいと思った。それは「田園」、すなわち標題音楽の側面があるからだろうと思う。

終楽章のコーダになって、職人的な手さばきで指揮を終えたヴェデルニコフは、退場の間際に腕を大きく広げ、自信と満足感がいっぱいだったに違いない。オーケストラの上段からコントラバスのパートにまで回って握手を交わすと、2階席を中心に熱心なブラボーが飛ぶ。客席には空席が目立ち、平均的には控えめな拍手の中に、熱烈なブラボーが飛ぶさまは、この演奏会の性格をよく表していたように思う。

演奏会が終わって代々木公園に出てみると、青い電光を木々に括り付けた広大な光のイリュミネーションに目を奪われた。ロシアの音楽を聞いていると、冬の日本海を旅してみたくなった。喧騒の中を渋谷駅まで下っていく時、平成最後の年の瀬は、実感のない中での空騒ぎのように思えて来た。だから、少し古い音楽を聞くと、何か無性に懐かしい感じがする。失ってしまった何かが、心のどこかから引き出されていくような思いにとらわれるのだろう。

2018年12月2日日曜日

レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア(リチャード・ヒコックス指揮シンフォニア21)

1879年ボローニャ生まれのレスピーギと言えば、「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭り」の3つの交響詩(いわゆる「ローマ三部作」)でとりわけ有名だが、古楽への興味から数多くのバロック的作品を残していることでも知られている。その中でも「リュートのための古風な舞曲とアリア」は有名で、録音でも取りあげられることが多い作品である。

レスピーギはローマのサンタ・チェチーリア音楽院で教鞭をとっていた際、ルネサンスからバロックにかけての古い楽譜と出会い、その中でもリュートのために書かれたいくつかの曲を現代の作品として編曲した。編曲といってもあまり現代風のアレンジが加えられているようには思えず、むしろ作曲当時の作品の持つ気品や古風な味わいをそのまま残し、リュートで書かれた部分はうまく合奏の中に溶け込ませている(従ってこの作品にはリュートやギターは使われていない)。

そんな、素朴で香り高い作品は、目立たないながらも珠玉の如ききらめきを放っている。この作品は、愛さずにはいられない作品である。どの曲のどの部分も捨てがたいが、まるで古代ローマの遺跡に佇むような、時間が止まったかのような印象を与える第1組曲の「ヴィラネッラ」、一方、第2組曲の「田園舞曲」や第1組曲の「酔った歩みと仮面舞踏会」は、管楽器のソロが活躍する楽しい舞曲である。また「ベルガマスカ」(第2組曲)や「ガリアルダ」のリズムは、バロックの香りを讃えた現代風のポップな曲でもあり(まるでディズニーの作品のような)、愛らしく素敵だと思う。

「パリの鐘」や「シチリアーナ」はしっとりとした味わいを残す曲で、とりわけ「シチリアーナ」は我が国では有名である。私はNHK-FMの夜のクラシック番組のテーマ曲として使われていたことをよく覚えている。シチリアにはまだ行ったことはないが、シチリアーノとかシシリアーノといった表記の曲に出会うたびに、郷愁を掻き立てられる。極東の国で聞くこの曲は、忙しい都会の喧騒を離れて昭和の時代の地方にタイムスリップしたかのような印象を与える。気持ちが落ち着き、安らぎを覚える。

実に素晴らしい作品だが、私が所有しているCDはわずかに一枚。イギリス人の指揮者リチャード・ヒコックスがシンフォニア21という団体のオーケストラを指揮したChandosレーベルのもの。楽器を鮮明に捉えつつも節度が聞いた音作り。第1組曲ではチェンバロの音もはっきりと聞こえて、大変好ましい演奏だと思う。もっとも比較のしようがないのだが、今ではNaxosを始めとする定額制の音楽サイトから、いくらでも聞くことが出来るので、そのうち聞いてみようかと思っている。

なおこのCDには、フルートと弦楽合奏のための組曲第2番より「アリア」と弦楽合奏曲のためのベルキューズという、2つの世界初録音と謳われる曲が収録されている。いずれもゆくりとした味わい深い作品である。これらの作品から受けるレスピーギの印象は、あの「ローマ三部作」で見せるような色彩感溢れるものとは対照的である。この作曲家の多才さを感じる。ヒコックスはこのほかにも数多くの録音を残しており、目立たないながらもいい演奏をする指揮者だと思っていたが、2008年に急逝していたことを知った。享年60歳だった。


【収録曲】
1. 第1組曲
    小舞踏曲(Balletto)(シモーネ・モリナーロ作曲)
    ガリアルダ(Gagliarda)(ヴィンチェンツォ・ガリレイ作曲)
    ヴィラネッラ(Villanella)(作曲者不詳)
    酔った歩みと仮面舞踏会(Passo mezzo e Mascherada)(作曲者不詳)
2. フルートと弦楽合奏のための組曲第2番より「アリア」
3. 第3組曲
    イタリアーナ(Italiana)(作曲者不詳)
    宮廷のアリア(Arie di corte)(ジャン・バティスト・ベサール作曲)
    シチリアーナ(Siciliana)(作曲者不詳)
    パッサカリア(Passacaglia)(ロドヴィコ・ロンカッリ作曲)
4.弦楽合奏曲のためのベルキューズ
5. 第2組曲
    優雅なラウラ(Laura soave)(ファブリツィオ・カローゾ作曲)
    田園舞曲(Danza rustica)(ジャン・バティスト・ベサール作曲)
    パリの鐘(Campanae parisienses)(マラン・メルセヌ作曲)
    ベルガマスカ(Bergamasca)(ベルナルド・ジャノンチェッリ作曲)

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...