2016年3月31日木曜日

ハイドン:交響曲第104番ニ長調「ロンドン」(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

第104番のシンフォニーを聞くと、なぜか内省的な気分にさせてくれる。特に第2楽章の、ゆったりとしたメロディーに心を浸すとき、落ち着いた気分が体を覆う。まだ肌寒い初春の夜道を散歩しながら、私は幾度となくこの曲を聞いた。曲全体を通して、陽気で快活でもなければ、陰鬱で悲しくもない。ロマンチック過ぎず、無味乾燥でもない。それでいて十二分に聞きごたえがあるのが、この曲の不思議な魅力だと思う。聞き終えたときの充実度は、他の曲を凌ぐ。ハイドンの交響曲は最後の作品に至って、最高の完成度を誇るような気がしてならない。

音楽の詳細には素人の私だけがそう感じるのだろうか。第93番から第104番までの12曲の「ロンドン交響曲」の中でも、特にこの曲にだけ「ロンドン」のニックネームが付けられているのは、何か理由があるわけでもないようだが、おそらくは最後を飾るに相応しいという意味で「ザ・ロンドン交響曲」とでも言いたくなるからだろう。

丸でヴェルディの書いた歌劇の前奏曲のように重々しい序奏も、ほのかに明るい主題がとって代わる。大きくて音楽が重なり合うものの、それが誇張されないような控えめなところがある。けれども時々少しだけ、その大規模な存在感を主張する。第2楽章の真ん中で、フォルティッシモの壮大な部分が現れる。あるいは第4楽章では、低音の響きに支えられて、数々の楽器がいろいろと重なる。それは記録できないほどに複雑だが、そう感じさせないほどに音楽は流麗に、そして優雅に進む。大袈裟すぎないコーダも、ハイドンの最終作品を飾るには目立たないが、かといって物足りなくもない。この音楽を聞くと、実にいろいろな音を聞いているような気がする。古典的な形式美の中に、それがいくつも息づいている。そういうところがこの曲の凄いところだと思う。

ヘルベルト・フォン・カラヤンはハイドンの作品にも真面目に取り組み、何回かの録音を残しているのは、大いに評価に値すると同時に嬉しいことである。オリジナル楽器が主流となった現在でも、「ロンドン交響曲」となると昔からの分厚い演奏が健在だが、その中でもカラヤンの存在は輝きを失っていない。シンフォニックでありながら細かい部分にまで艶のある響きと、中庸だが骨格のしっかりしたリズムが高いレベルで融合しており、その様はまさに芸術的である。ここにはある種のハイドン演奏の模範的な完成形があるような気がする。

この曲のこの演奏を聞いていて気付いたことが2つある。1つは重々しい序奏が、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」を思い出させること。先日プレイエルの交響曲ニ短調(Ben.147)を聞いたときに、その緊張感に満ちた短いパッセージが、「ドン・ジョヴァンニ」の序曲冒頭を思い起こさせると書いたばかりだが、ハイドンのこの曲もまたしかりである。この3つに共通するのは、ニ短調という調性である。作曲された年代は、「ドン・ジョヴァンニ」(1787)→プレイエル(1791)→「ロンドン」交響曲(1795)となるようだ。

もう1つは終楽章のメロディーが、どことなく民謡風だということ。その民謡も低い唸るような響き(あの「熊」交響曲を思い出す)が鳴り響くその上に、歌謡的なメロディーが鳴る(「太鼓連打」の終楽章もよく似たところがある)。もしかするとこれは、バグパイプを模したものだろうか。だとすればここはスコットランドあたりのメロディーを引用しているのではないか。だが私には何の根拠もない。ただ一人のリスナーとして、ふとそう感じたに過ぎないのだ。

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ハイドンの107曲に及ぶ交響曲(交響曲A・B、協奏交響曲を含む)を振り返るとき、私が思うのは、各時代区分それぞれに素敵な曲があるということだ。好みで言えば、まだ駆け出しの頃の第6番「朝」のすがすがしさに、まず心を奪われる。「疾風怒濤」と言われる時期になると、試行錯誤の中から編み出されてゆく実験結果を、丸で審査員にでもなって判定しているみたいである。必ずしも耳に心地よいとは言えない作品も続くが、その中に素敵な曲があって(マリア・テレジアなど)、ここはブリュッヘン、ホグウッド、アーノンクールを初めとしたオリジナル楽器奏者の面目躍如である。

一方、オペラ創作時代に入るとトンネルを抜けたように華やかな曲が続き、一曲一曲がほれぼれするような素敵な曲だと思っているうちに「パリ交響曲」に至る。パリ交響曲の中で好きなのは「めんどり」。第88番の時代を先取りしたような曲(特に第2楽章)には録音が多く、このあたりからはハイドン音楽の集大成の時期に入るだろう。「パリ交響曲」以降はすべてが名曲だが、とりわけ「ロンドン交響曲」に至っては、すべてが無駄のない完成度と言えそうだ。その中でとりわけ好きな曲が、第1期では第98番、第2期では「軍隊」であることは前にも述べた。

演奏については、もちろんすべての演奏をフォローしているわけではなく、むしろ手当たり次第に聞いてきたのだが、それでも世評の高いものは長い時間をかけて一応聞いてみたりしている。今や音楽も聞き放題のネット配信が主流になって、ひとつやふたつの演奏を有り難がって聞く時代ではなくなりつつある。それでもかつての演奏は輝きを失わないばかりか、今では出会うことのできないスタイルを有していて、録音が悪くても聞かずに過ごすわけにはいかないものが存在する。ワルターの演奏がそのいい例だろう。私が好きなハイドン指揮者を3人選ぶとすれば、古い順にジョージ・セル、コリン・デイヴィス、マルク・ミンコフスキとなるだろうか。

4年以上をかけて記述してきたハイドン交響曲シリーズはこれで終わり。けれどもハイドンはウィーンに帰ってからも作曲をやめたわけではない。六十代後半を迎えてからも創作の意欲は失われず、オラトリオとミサ曲の時代に入る。時代も19世紀に入り、「天地創造」や「四季」といった曲が生み出されていくのだ。だから私のハイドンへの旅は、これからも続く。

ハイドンの284回目の誕生日に。

2016年3月27日日曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番変ロ長調K456(P:アンドレアス・シュタイアー、コンチェルト・ケルン)

ピアノ協奏曲第18番変ロ長調を初めて聞いたとき、とても可愛らしい曲に思えた。飾り気がないとは言え明るく親しみやすい。控えめでありながら知的で存在感がある。その前のピアノ協奏曲にはないような新しさを兼ね備えているとも感じられる点で、モーツァルトが残したそこそこの曲であるとも思っている。

もっとも素晴らしいと感じられるのは第2楽章である。ここで音楽はト短調になっている。変ロ長調から見るとト短調は、同じフラットが二つの調であり、この関係は平行調と呼ばれている。変ロ長調のピアノ協奏曲には他に第15番、それにあの第27番がある。

この3つの曲から私がイメージするのは、暖かく静かな春の陽気である。だからこの第18番を聞くのも、丁度桜の咲き始め頃が相応しいと勝手に決めつけ、その朝に何度も繰り返し聞いていた。ほら、いつもは何もないと通り過ぎてしまうようなところにも見事な花をつけ、堂々と咲き誇っているソメイヨシノのような曲だと思いませんか?

アンドレアス・シュタイアーによるこの曲の演奏は、古楽器奏法によるものである。ピアノそのものも現代のピアノではなく、当時のものを用いている。したがってビブラートはなく、速度も幾分速い。そのせいか音楽が引き締まっている。若干こじんまりと聞こえるが、ピアノの音も小さく、チェンバロのように転がるので、聞いた印象は現代楽器によるものと随分異なる。だが慣れるとこの軽快さがたまらない。

この曲は盲目の女性ピアニスト、M. P. パラディスのために作曲された。この曲の初演の翌年、彼自身によって演奏されたとき、父レオポルトはウィーンを訪れていた。父によるウィーン訪問は、この複雑な父子の関係について様々な想像を掻き立てる。だがこの訪問は父にとって、息子の成功を目の当たりにする機会となったようだ。この時の演奏についても「涙を流した」と手紙に記しているという。

2016年3月19日土曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調K453(P:マリア・ジョアオ・ピレシュ、クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)

モーツァルトのピアノ協奏曲も第17番ともなれば数多くのブログが取り上げている。この玉手箱のように愛すべき作品は多くの人を魅了し、一度聴いたら忘れられないような印象を残すのだろう。私の場合もその例外ではなかった。

イエネ・ヤンドーがピアノを弾いたナクソス盤で第3楽章を聞いた時だった。鳥の鳴き声をまねたようなかわいい音が、ピコピコと歩くようなリズムに乗って出現する。ピアノがそれに絡まり、行進曲のようなリズムに乗って音楽は進んでゆく。なんと心地の良い音楽だろうかと思った。モーツァルトのピアノ協奏曲は第20番以降が大変な高みに達しているが、そのようなレベルでない曲のほうが楽しめる場合がある。気さくに聞きながら、音楽の質を落としなくないとき、この曲は最適な時間を与えてくれる。

その素敵な第3楽章は、モーツァルトの飼っていたムクドリをイメージしているという。などほどそうだったのか、それでまるで鳥刺しパパゲーノの歌のようなメロディーがここに現れるのか、などと納得した。それからこの曲が好きになった。モーツァルトのムクドリの音楽を聞くのは、愉悦のひと時である。どの演奏で聞いても、それは感じられる。

初めて第1楽章を聞いた時も、やはり忘れらない。さりげないオーケストラの響きが、吹き抜けていく春風のようにさわやかだった。ゆっくりと落ち着いた演奏もいいが、少し浮き立つような演奏も悪くない。アバドの音楽、とりわけモーツァルトの演奏は、素顔の演奏とでも言おうか、調味料を加えていないオーガニック料理のようだ。上澄みの一番澄んだところだけを使って、きれいに無駄なく、飾り気なく。それが物足りない、生真面目で楽しくない、と言う人もいる。だがここにピレシュのピアノが加わると、作為の感じられない即興性が、控えめな感情に乗ってオーケストラと打ち溶ける。素材を生かした料理は、質素な器が似合うかのように。

第2楽章。このアンダンテの素晴らしさを讃えた偉人は多いようだ。だがそんな予備知識がなくても初めて聞く人をどこか遠くの世界に連れて行ってくれる。ここに聞くことのできるのは、第20番以降において幾度となく出現する別世界への、いわば入り口である。晩年のモーツァルトが孤独で、しばしば淋しく、その心は誰にも理解できないほどに寂寥感に満たされていた、と考えるのは勝手である。だがまだそこまでいかないこの時期に、こんな美しくも悲しい音楽を書いていたのだ。

モーツァルトはおそらく純真で、心の優しい人だったのだろうと思う。小さな子供がそのまま大きくなったような人・・・心が未熟でも人懐こくて優しい人。そういう人の音楽のような気がする。このように想像するのも、まあ勝手なことではあるのだが。

この作品についていつも語られることも一応書いておく。モーツァルトはこの曲を、優秀なピアノの生徒だった女性バルバラ・プロイヤーのために作曲した。出来栄えには自信を持っていたようで、姉のナンネルに、この曲を含むどの曲が気に入っているかと尋ねる手紙が残されている。1784年の作品。

2016年3月18日金曜日

ハイドン:交響曲第103番変ホ長調「太鼓連打」(ジェフリー・テイト指揮イギリス室内管弦楽団)

冒頭でティンパニの独奏があることから、この交響曲は「太鼓連打」というあだ名がある。この曲を最初に聞いたときは、それがもっと続くのかと思ったが、重い序奏があるだけで一向に次の「連打」がやってこない。辛うじて第1楽章の終わりにもう一度。だから「太鼓連打」なんて大袈裟な言い方だと思った。この曲はしかも最後の第104番の陰に隠れて、地味な曲だなと思っていた。

この概念を見事に打ち破った演奏が登場した。ミンコフスキがルーヴル宮音楽隊を指揮したCDが出たのだ。オリジナル楽器を使っているため、ティンパニの音は硬く乾いている。それが高らかに、しかも長い時間にわたって打ち鳴らすのだ。まさしく「太鼓連打」。この演奏、とにかくこれまでの既成概念を打ち破る好例である。おそらく実演で聞いていたら、興奮の渦に巻き込まれていたであろう。

第3楽章のすこぶる速いメヌエットもハイドンらしさを損ねることなく弾力性があり、第4楽章に至っては快速の極み。この演奏が私の場合、現在のもっともお気に入りのハイドン、「太鼓連打」交響曲である。

ミンコフスキの「ロンドン交響曲」の録音は、この「太鼓連打」の革新的な演奏が、今世紀最大のハイドンの録音であることに疑いはないが、それを断ったうえで、ここでは古くからの友人であるジェフリー・テイトの演奏を取り上げておかなくてはならない。第100番「軍隊」とカップリングされたテイトのEMI録音は、私が買った最初のハイドンのCDだったからだ。そういうわけで愛着があるし、その新鮮さは今聞いても変わらない。

ジェフリー・テイトの録音が登場したとき(それはモーツァルトの交響曲だったかと思うが)、「クレンペラーの再来」という触れ込みだった。車椅子での指揮姿もさることながら、その音楽が広く大きく、オーケストラの伸びやかな自発性を引き出して新鮮なサウンドを作る。そういったところからだったと思う。私が聞いたテイトの演奏は、真面目で大人しいが、滋味あふれる温かさがあるというもの。冷徹なクレンペラーとはそこが対照的だと感じた。

そのテイトのハイドンである。私は専ら「軍隊」ばかりを聞いてきたが、「太鼓連打」の演奏も悪くない。例えば重い序奏は、夜明け前の街の風景のように静かで、そしてほのかな明るさを感じる。第2楽章は「太鼓連打」の曲の半分くらいは占めるような大規模な曲だ。暗い曲に始まるが、室内楽的な中間部を経て次第に大きな曲となっていく。そしてよく聞くとあの「ドラムロール」が最後の部分で聞こえてくる。このティンパニは丸で遠くで鳴る雷のようであり、もしかするとこれはハイドンの「田園交響曲」ではないかと想像したくなる。

第3楽章のメヌエットは、とてもハイドンらしいが、印象的なのはやはりティンパニの音だろうか。だがそれ以上に楽しいのは第4楽章の旋律である。他の曲では聞いたことのないメロディーなのだ。歌謡性に溢れとてもうきうきするこの楽章は、すぐに終わる。思えばそれまでは、バロック音楽しかなかったような時代、ハイドンを始めとする古典派の音楽は、時代の最先端であった。ロンドンの聴衆はそれまで、ヘンデルしか聞いてこなかったわけだから、そのショッキングなまでの音楽に熱狂するのも無理はない。

2016年3月16日水曜日

ハイドン:交響曲第102番変ロ長調(アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

「ロンドン交響曲」の後半、その最後の3曲は、正確にはヨハン・ペーター・ザロモン主催のコンサートのためではなく別のコンサートのために書かれた(オペラ・コンサート)。これらの3曲はハイドン交響曲の最後の集大成と言われてもいいだろう。素人が聞いていてもわかるほどの充実ぶりは、それまでのあらゆる技巧が駆使され、規模も大きく、ベートーヴェンの交響曲へとつながる確かな構成感が感じ取れる。

特に交響曲第102番は標題こそ付けられていないが、隠れた名曲として名高く、特筆すべき傑作であると評価する向きも多い。でもその根拠となると、私には詳細がよくわからない。私はあまりハイドンを実演で聞いていないが、実演でも録音でも個人的には第104番のほうが、聞くたびに感動するという点で最高傑作だと思っている。第102番の方はと言えば、序奏から第2楽章まで続く重厚なイメージと、何といってもフィナーレの興奮させられるようなスピードある楽章が印象的だ。全体に無駄がなく、すべての楽器が均等に活躍する。

私はこの第102番をネヴィル・マリナーの演奏で長く親しんできたが、今回取り上げるのはアンドレ・プレヴィンのものである。その理由はこの曲の実演を、プレヴィンの演奏で聞いているからだ。オーケストラはセント・ルークス管弦楽団であった。1995年春、カーネギー・ホール(ニューヨーク)でのことである。実演と言ってもそれは土曜日のマチネーのための公開ゲネプロで、朝10時頃から始まったと思う。各楽章を通しで演奏したプレヴィンは、その合間に何か一言二言、オーケストラのメンバーに向かって指示を与えていた。その声は会場にほとんど聞こえないような静かさであった。初めて聞くプレヴィンの演奏はとても自然で落ち着いており、それだけに特徴の少ない大人しい演奏に思った。

この曲をCDではウィーン・フィルを指揮している。ハイドンのこの頃のコンサートは、オーケストラの規模も総勢50名は下らない規模だったようだから、このウィーン・フィルで聞くぶ厚い演奏もそれなりに相応しいように思う。それからウィーン・フィルによるハイドンの録音は、古いワルターとバーンスタインくらいしか思いつかないので、とても珍しいとも思う。

プレヴィンの演奏は、N響を聞いた時もそう感じるのだが、何も作為的でないにもかかわらず、プレヴィンにしかできないようなしっとりとした音楽に変身するのが面白い。音がとても綺麗である。そういう魔法にかかったような指揮が、ウィーン・フィルとの間でも醸成されたのだろう。この時期に録音されたいくつかの演奏は、どれも評価が高い。すなわちドヴォルジャークの「スラヴ舞曲集」、オルフの「カルミナ・ブラーナ」、メンデルゾーンの「夏の夜の夢」 など思い付くだけでも数多い。

長い序奏を経て繰り出される第1楽章も共感に満ちているが、第2楽章のチェロの助奏を伴ったメロディーが、ベートーヴェンを通り越してシューベルトのように聞こえる。ハイドン流のメヌエットを経て最終楽章プレストになると、なぜかこの演奏で聞いてきてよかった、などと思う。とても楽しく新鮮で、丸で冬が去って春が来た時の安堵感のようなものが心を満たす。

2016年3月14日月曜日

プレイエル:交響曲集(マティアス・バーメルト指揮ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ)

イグナツ・ヨゼフ・プレイエル(1757-1831)という人はオーストリアの作曲家である。ヴァンハルにピアノを習い、ハイドンに師事した。その後パリに住みピアノ製造会社を設立したことで、ショパンが愛用したピアノのプレイエルとしてのほうが、今では有名である。

プレイエルは41曲もの交響曲を作曲している。それだけではない。14の協奏曲、16の弦楽五重奏曲、70以上の弦楽四重奏曲、60以上のピアノを伴う室内楽曲なども作曲している多作家である。しかし今となっては作曲家としてのプレイエルの名を知る人は少ないし、その作品となると全く知られていないと言ってよい。Wikipediaを検索しても、有名な作品は一切紹介されていないし、売られているディスクに彼の名を見つけることはたやすいことではない。だが彼はロンドンにおける一連の演奏会で、ハイドンと競い合った作曲家であるという。もっともこれはゴシップ好きのロンドンの新聞記事が書きそうなことで、人気の点では師匠のハイドンに及ばなかったらしいし、ハイドンとプレイエルの友人関係は良好であったという。そして老齢のハイドンに代わり、1800年頃のヨーロッパ各地で最もよく演奏されていたのはプレイエルだったらしい。

その珍しいプレイエルの作品を集めたCDを私は持っている。Chandosレーベルから発売された「モーツァルトと同時代の作曲家シリーズ」の中にプレイエルの交響曲が3曲収録されているのだ。丁度ハイドンのロンドン交響曲シリーズを聞いてきたことだし、そういうきっかけでもないとなかなか聞くことはない彼の作品を取り上げる。このCDにどういう理由でこの3曲が選ばれたかはよくわからない。

演歌やJPOPに同じ曲が多いように、古典派の作品も似通っている。私たちはハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンくらいしか聞かないが(それもごく一部の作品に限られるが)、同じような作曲技法によって似通った作品が多数作られ、そして忘れ去られた。一部の作曲家による一部の作品のみが、この時代を代表する作品として現在取り上げられているのは、その作品がずば抜けて音楽性に富むからだと、素人の私は純粋に信じている。もっともフンメルのトランペット協奏曲など例外的に有名な作品はあるし、ガルッピのピアノ曲はモーツァルトと間違うほどだという人がいる。

収録されているのは順に、①交響曲ハ長調作品66(Ben.154)、②交響曲ト長調作品68(Ben.156)、③交響曲ニ短調(Ben.147)である。ただ作曲順は③が最も古く1791年、ハイドンが初めてロンドンを訪問した年であり、①は1803年である。この1803年はベートーヴェンが「英雄」を書いた年だが、まだハイドンは存命である。

ではそのプレイエルの交響曲はどんな作品だろうか。最初の交響曲ハ長調を聞くと、その第1楽章のなんと親しみやすいことか。まるで子供向けテレビ番組の主題歌のようである。そのまま歌詞をつければ歌えそうな曲。時代がもうロマン派に向けて走り出し始めた時期に、彼は古典派を行くような作品を作り続けた。流れるように楽天的に。

ト長調の交響曲もモーツァルト的というよりはハイドン的である。特に第3楽章の中間部と伴った堂々たるメヌエットや、最終楽章の明るく推進力のある様は、ハイドン譲りとでもいうべきか。エステルハーザで5年間も住み込みで働いた関係が、そのことを裏付けている。

ニ短調の交響曲は冒頭がモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」そっくりの恐ろしい響きであるにも関わらず、主題が登場すると抑えきれないように陽気な姿が顔を出す。そしてこの曲もハイドンを思わせる部分がところどころに現れる。つまりプレイエルという作曲家に、親しみやすいメロディーを数多く見つけることはできても、ハイドンの機知、モーツァルトの孤独、あるいはベートーヴェンの苦悩を見出すことはできなかった。

それでもプレイエルの交響曲をもっと聞きたい場合、ウーヴェ・グロット指揮カペラ・イストロポリターナによる交響曲ハ長調(Ben.128)、交響曲へ短調(Ben.138)、交響曲ハ短調(Ben.121)の3曲を収録したCDも発売されており、Naxos Music Libraryからダウンロードできる(http://ml.naxos.jp/)。

2016年3月8日火曜日

モーツァルト:初期交響曲集②(ニクラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)

この初期交響曲集には、いわゆる「ランバッハ交響曲」と言われる作品(交響曲ト長調K45a(Anh.221)が収録されている。これは「旧ランバッハ交響曲」と呼ばれるもので、旧があるということは新もある。「新ランバッハ」の方も同じト長調で書かれている。ランバッハというのはザルツブルクとウィーンの間にある街で、修道院があり、ここが当時旅行者の宿泊施設として使われていた。モーツァルト親子がウィーンからの帰途、ここに泊まったという記録がある。1767年、モーツァルトは当時11歳ということになる。

モーツァルト親子は宿泊へのお礼に交響曲を贈った。だがその楽譜が見つからない。したがってこの作品には、Anh.221という番号が与えられた。

この交響曲が修道院で発見されたのは、20世紀に入ってからのことだった。そしてめでたく45aというケッヘル番号が与えられたのである。

しかしこのことに異を唱えた学者がいる。詳細は省略するが、 親子がそれぞれ贈った同じト長調の交響曲は、写譜屋によって取り違えられたというのである。そこで、それまでウォルフガングの作品だとされていたK45aのト長調交響曲は、父レオポルトの作品として「旧ランバッハ」交響曲と呼ばれ、レオポルトの作品とされていた「新ランバッハ」交響曲ト長調がウォルフガングの作品ということになったのだ。

私はこの2つの交響曲を続けて聞いたことがある。2006年2月、東京・三鷹で開催されたコンサートにおいて、この2つの作品が続けて演奏されたのだ。その場では、どちらがどちらの交響曲かわからないくらいに難しい問題であった。直感的に、やや古風な「旧」に対し、「新」のほうがより複雑で、これはすなわちウォルフガングの非凡さ(逆に「旧」を書いたレオポルトの平凡さ)を表すように思える、ということであった。だがこのコンサートで「レオポルトの作品」として全曲演奏されたのは、実は「新ランバッハ」の方だった!

聞いただけでは実際には、どちらがどちらかよくわからないわけだが、何と1980年代になってとうとうオリジナルの楽譜が発見され、それがウォルフガングによるものであること、作曲されたのはロンドンからの帰途ハーグににおいてであることが決定づけられたのである。二転三転した結果、「旧ランバッハ」がウォルフガングの作品、「新ランバッハ」が父レオポルトの作品ということになった。ただ「旧ランバッハ」の方は確かにランバッハの修道院に奉納されてはいるが、作曲されたのはもう少し前の1766年ということになり、これは第5番K22あたりの作品ということになる。アーノンクールのCDでは、そういうわけでK22のあとに収録されている。

モーツァルトの交響曲がまだ未熟さを感じさせる作品であるのは、幼少のほんのわずかの時期だけで、とりわけ20番台に達すると、もう完成された風格さえ感じられる。どれほど子供じみた文章を書いていても、音楽はこれが10代の作品かと信じられないくらいに複雑である。それは音楽的には、様々なスタイルがまじりあって結合し、独自のスタイルを身に着けているということかもしれない。その極め付けが第25番ト短調ということになるだろう。

この異色とも思われる作品は、おそらくモーツァルトの交響曲の中で聞いておくべき最初期の作品として位置づけられることからもわかる。まだ第31番「パリ」の前である。一度聞いただけで忘れられない衝撃的な冒頭は、ト短調のモチーフである「死」をイメージしている、とアーノンクールは書いているが、これは映画「アマデウス」で効果的に用いられた。実際アーノンクールの演奏で聞くこの曲は、実に刺激的である。この曲のこの演奏については、過去にも触れたことがあるので、そこへのリンクを記載しておく(http://diaryofjerry.blogspot.jp/2012/09/25k183.html)。

このCDでモーツァルトの初期の交響曲を続けて聞くと、モーツァルトが徐々に交響曲スタイルを獲得し独自の音楽としていったその過程が手に取るようにわかる。それは彼のヨーロッパ中を舞台とした数々の旅行と結びついている。個人的なメモを簡単に以下に記す。アーノンクールのCDは完全に作曲順の収録である。私は個人的にK40番台の曲が気に入っている。
  1. 西方への大旅行(1763-66):ミュンヘン、フランクフルト、パリ、ロンドン。J.C.バッハの影響。第1番~第5番、ランバッハ。第1集のCD1がほぼこの時期に相当。
  2. ウィーン(1966-69):K番号40番台。メヌエットを加えた4楽章形式。第6番~第9番。第1集のCD2がほぼこの時期に相当。
  3. イタリア旅行 (第1回:1769-71、第2回:1771):第10番~第13番と番号なし(42番以降)。K70番台~112まで。イタリア様式のシンフォニアを旅行中に作曲。第2集のCD1。
  4. ザルツブルク時代:第14番以降、第30番までの作品は、3つの時期に分けられる。独自の傾向を持ち、いわば「疾風怒濤期」。第2集のCD2.
    • 1772年頃:第14番~第21番。K100番台前半。第3回目のイタリア旅行の前。
    • 1773年頃:第22番~第27番(第25番を除く)。第3回目のイタリア旅行の後。
    • 1774年以降:第25番と第28番~第30番。
モーツァルトは故郷を離れ、マンハイム、さらにはパリへと就職活動を兼ねた長期旅行に出かける。旅先で母を亡くし、失意と絶望のうちにザルツブルクへ戻ったことは先に述べた。だが才能を持て余すモーツァルトは、間もなくしてザルツブルクの大司教と衝突し解雇される。世界初?のフリーの音楽家として身を立てるべくウィーンに出ていくことになる。モーツァルトの伝記で最も興味深いのは、このパリ旅行からウィーンへ出て行くまでのところだと思う。この時期、丁度20歳前後からは音楽もより成熟してゆく。だがそれは、この初期交響曲集で聞くことのできる音楽が作曲された、そのもう少し後ということになる。


【第Ⅱ集収録曲】

1. 交響曲ニ長調 K97/73m(旧ブライトコプフ版番号:第47番)
2. 交響曲ニ長調(「アルバのアスカーニョ」K111:序曲&第1番、フィナーレ K120/111a)
3. 交響曲ト長調 K124(第15番)
4. 交響曲ニ長調 K161/141a(第50番)(「シピオーネの夢」K126:序曲、フィナーレ K163)
5. 交響曲ハ長調 K162 (第22番)
6. 交響曲変ホ長調 K184/161a(第26番)
7. 交響曲ト長調 K199/161b(第27番)
8. 交響曲ト短調 K183/173dB(第25番)
9. 交響曲ニ長調(「にせの女庭師」V196:序曲、フィナーレ K121/207a)
10. メヌエットハ長調 K409/383f

2016年3月7日月曜日

モーツァルト:初期交響曲集①(ニクラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス)

昨日早朝に目が覚めてインターネットのニュースを見ていたら、ニクラウス・アーノンクールが死去したとの報道があった。年頭にピエール・ブーレーズが亡くなったばかりだから、今年はクラシック音楽界の両横綱を一気に欠いたような感じで悲しい限りである。これでまた、ひとつの時代が終わったのかと思う。

追悼というわけではないが、お気に入りの録音を取り上げる。モーツァルトの初期交響曲を集めたCDで、第1集は3枚組、第2集は2枚組。いずれもモーツァルト親子の書簡集の一部を、アーノンクール自身と孫が朗読している。イタリア各地を旅して回った時の、旅先から姉や母親にあてた手紙などである。第1集では3枚目にまとめてあるが、第2集では曲の間に挿入されている。こちらはもちろんドイツ語だが、日本語の解説書が付けられていて対訳で楽しむことはできるようになっている。

初期交響曲としてモーツァルトのおおよそ第30番以下の交響曲を収めているが、そのうち第25番くらいまでは10代に作曲されたもので、その実ハイドンのように第1番から完成度が高いというわけではない、と思っていた。また当時は交響曲というスタイルが確立されていく過程にある時代であり、その前身であるオペラの幕間に演奏された音楽すなわちシンフォニアと、その一部を構成するオペラの序曲として作曲されたものが混在する。モーツァルトの場合は、必ずしも番号順に作曲されてはおらず(というより作曲順に番号が付けられても、その番号の間に新しい曲が発見されるなどした結果、番号を振りなおしたりしている例も多く)、詳細は研究者の文献をあたることになるのだが、まあ素人の鑑賞用としては、モーツァルトの若い頃の作品を一度は聞いておいてもいいかな、などと思うのみである。

モーツァルト生誕250年の年にあたる2006年、数多くの録音が行われ、とりわけアーノンクールが指揮したモーツァルトの初期作品は、それ自体とても気合の入った演奏であった(オペラをすべてリリースした)。これらの演奏は、まさに演奏によって曲の良さが引き出され、さらにその結果、従来の演奏では味わえないレベルのものを感じることが出来る。これこそアーノンクールが長年行ってきた原典主義と、古楽器風の演奏スタイルによって、曲そのものの新たな魅力を引き立たせることに成功した良い例ではないかと思う。演奏のスタイルが曲のイメージを壊した結果、それまで光の当たらなかった部分にまでが輝きを持って光る結果となった。いわば曲の「裏側」から光を当てた、まるで影絵のような効果である。消えかかっていた文字の輪郭が、すっと浮かび上がってくるとでも言おうか。

私のアーノンクールとの出会いは、モーツァルトの協奏交響曲での鮮烈なアクセントによってであった。ヴァイオリンにクレーメル、ヴィオラにカシュカシアン、それにウィーン・フィルのLPレコード。思えばもうこの頃には、ヨーロッパにおける中心的な地位を築いていたともいえるが、我が国ではほとんど来日もなかったことにより、その評価が非常に遅かったのではないかと思う。かくいう私も最初は変な演奏だと思ったものだ。それこそ「想像のための破壊」というものとのショッキングな出会いでもあったのだが。

歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」をテレビで見た(演出:ポネル)のと、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のCDを聞いたのと、どちらが先だったか記憶が定かでない。後者ではクレーメルのヴァイオリンの他に、何とカデンツァでピアノまで登場するという異例の演奏で、大阪のタワーレコード心斎橋店で試聴した時の違和感は、強烈なものだった(今ではお気に入りである)。その後、テルデックから発売されたベートーヴェン全集を買ったが、実はこれが私が買った初めてのベートーヴェン全集だった。これは私にとって冒険だった。けれどもそのことにより古楽器風の演奏に真剣に向き合うことができた。

2001年と2003年にウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登場したときには、私はもうすっかりファンとなっていたが、特に2003年の際には、あまりに美しい「皇帝円舞曲」に見とれ、DVDを買って何度も飽きることなく見たのが思い出である。 見事なシェーブルン宮殿の映像が付けられているのも非常に嬉しい。

そしてとうとう実演で聞いてみる機会に恵まれた。2006年10月、ウィーン・フィルの来日公演を川崎へ聞きにいったのである。曲はモーツァルトの交響曲第39番とベートーヴェンの交響曲第7番であった。私はアンコールで聞いたベートーヴェンの第8交響曲の第2楽章が何故か心に残っている。ウィーン・フィルは指揮者によって演奏のスタイルを変える、その見事さにも圧倒された。

ブーレーズとアーノンクールは、クラシック音楽における異端児でありながら、次第に中心に位置するようになったという意味で共通している。方や現代音楽の革命児、方や古典音楽の改革者。だがクラシック音楽が、少なくともカラヤン以後何とか延命しているのは、歯に衣を着せぬ物言いでもある彼らの成果なのではないか。クラシック音楽がこれでつまらなくなるとは思いたくない。だが強烈な個性を放つ、すべての新譜を聞いてみたくなるような指揮者は、これでもういなくなってしまった。

モーツァルトの若い頃に残した交響曲の数々は、アーノンクールと彼が創設したウィーン・コンツェントゥス・ムジクスによって新しい命を吹き込まれた。第25番(小ト短調)のようなショッキングな曲も、何と純音楽的に聞こえることか。若いとはいえ恐ろしく完成度の高い知られざる曲の数々は、アーノンクールの腰を据えた演奏で円熟味が付け加えられ、前から名曲として知られていたかのような感じがする。このようにしてそれまで聞く機会のほとんどなかった曲も、立派で新鮮な響きを堪能できる。

例えば、とここで例を挙げて書き始めると、この文章が終わらないかもしれない。第1集から順にほぼ作曲順に収録されているのだろう。最初の交響曲第1番や第4番あたりは、まだ未熟というかあまり印象的な作品とは言えない(当たり前だ。8歳か9歳の作品だ!)。けれどもケッヘル番号が40番台ともなると、曲調が一変する(わずか3年後!)。その象徴が「(旧)ランバッハ交響曲」と言われる作品(K45a)からである。今ではモーツァルトの作品ではないとされる第2番、第3番や「新ランバッハ交響曲」などは慎重に省かれている。

第1集は1769年までの作品を収録しているので、13歳までということになる。交響曲第9番までである。一方、第2集はK97(交響曲第47番)から始まる。この作品が1770年で14歳。以降有名なK183(第25番ト短調)が16歳(1773年)、いきなり飛んで最後の「交響曲のためのメヌエット」ハ長調K409は1782年(25歳)ということになる。この年は第35番「ハフナー」を作曲しているので、この作品は後半をずいぶん省略しているが、おそらく他の作品は以前に録音されたのであろう。そしてSONYレーベルからBOXセットで発売された際には、これらを含む7枚組となっている。

解説書を読むと、モーツァルトの神童ぶりと合わせていくつかのエピソードが書かれている。彼は幼少の頃からピアノの前に座ると、作曲をやめるように言うまで、ほとんどいつまでも座って何かを弾いていたという。気が付くと作曲家としての素質を身に着けていた。いち早くその才能を見抜いたバイオリン教師でもある父レオポルトが、まだ幼いモーツァルトをヨーロッパ中連れまわし、何回かのイタリア旅行でこのCDに収録されている多くの作品を作曲した。手紙の中で作曲が楽しくて仕方がない様子などが記されている。だが、モーツァルトのその後の人生は、幼少の頃と違い順風満帆とはいかなかった。

その後パリ旅行に出かけた際は、仕事でザルツブルクを離れることのできない父に代わって母親が同行した(その途上で母親は亡くなる)。父親はしばしば彼から日常の煩わしいことを遠ざけた。青年になっても彼は、身の回りのことができなかったようだ。ウェーバーの従妹、コンスタンツェとの結婚生活でも、部屋は散らかり放題となり、挙句の果て借金生活を余儀なくされた晩年のモーツァルトの姿は、今では良く知られているところだ。現代の聞き手はそういうことを知っているからこそ、幼少の頃の純粋で無垢な手紙の文章と作品が、より輝かしく、そしていとおしく思えてくる。


【第Ⅰ集収録曲】

1. 交響曲変ホ長調 K16(旧ブライトコプフ版番号:第1番)
2. 交響曲ニ長調 K19(第4番)
3. 交響曲ヘ長調 K19a (=Anh.223)
4. 交響曲変ロ長調 K22(第5番)
5. 交響曲ト長調 K45a (=Anh.221)「ランバッハ」
6. 交響曲ヘ長調 K43(第6番)
7. 交響曲ニ長調 K45(第7番)
8. 交響曲ヘ長調 K42a (=76)(第43番)
9. 交響曲変ロ長調 K45b (=Anh.214)(第55番)
10. 交響曲ニ長調 K48(第8番)
11. 交響曲ハ長調 K73/75a(第9番)

2016年3月6日日曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第16番ニ長調K451(P:アンドラーシュ・シフ、シャーンドル・ヴェーグ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団)

モーツァルトはピアノ協奏曲第11番から第13番までの3曲のあと一区切りがあって、そのあと第19番までの6曲がひとつの単位である。この第16番はその中でも丁度真ん中あたりである。作曲は1784年。ウィーンでの予約演奏会のために書かれたことは、他の曲と同じである。

ニ長調という調性からも明らかなように、この曲は明るく祝祭的である。冒頭からティンパニとトランペットも加わっている。ところが私のお気に入りの演奏になってしまったシフのピアノによる演奏は、どちらかと言えばこじんまりとしている。そしてどことなく冴えない感じがしたものだ。だがするめをかじると次第に味が増してゆくように、この演奏は何か不思議な魅力がある。それは意図したものではないかもしれないし、誰もがそう思うかどうかもわからない。ただ私の場合、この曲をほとんど聞くこともないし、ほかにめぼしい演奏のディスクを持っているわけではない。どういうわけか第15番と第16番を収録したCDが手元にあって、ここで取り上げるべきか迷いながら何度も聞くうち、次第に好きになっていったという次第である。

読書百遍、云々という諺のように、同じ演奏も何度も聞くうちに好きになっていくのだろうか。何度聞いても好きになれない演奏(例えばワルターの「田園」がそうだ)もあるのだが。録音は1991年だから、古楽器風の演奏が流行り始める頃である。だからきりっと締まった伴奏が、遅くない速度で安定感を保ちながら進んでいく。

第1楽章の華やかなメロディーも隅々まで行き届いたサウンドがピアノの、どちらかと言えば硬いタッチと重なって、室内楽的な完成度となっている。誇張は一切ないが音楽の喜びもまた、この演奏から感じられる。第2楽章はアンダンテ。空中に漂うような感じ。目立たなく素朴で、つまりは平凡なのかもしれないけれど、シューベルトのような感じとでも思えばいいかもしれない。

一方第3楽章の行進曲風の快活なメロディーは、このシリーズのピアノ協奏曲の特徴で、音楽を聞く喜びを満喫できる。この曲に至るために第2楽章から聞き続けてきたのだ。ピアノとオーケストラの絡み合いは、このモーツァルテウム管弦楽団の演奏で聞くと、独特である。もしかしたら・・・私は批判を恐れずに言うと・・・このオーケストラの響きは、技術的な問題が原因かもしれない。デッカの明瞭な録音がよくカモフラージュをしていることと、ヴェーグの生き生きとして職人的な指揮のおかげでそれを感じさせないレベルに一応は到達している。リズムが多様に動くが、それも見事にこなし、終わってみると中々味わいのある演奏であったと思うに至る。この曲の若々しい魅力は、 丁寧な演奏と指揮、それに硬いピアノが不思議に溶け合い、まるで春野菜のサラダのように素材の持ち味を感じさせるユニークな演奏に、うまくマッチしている。

2016年3月5日土曜日

ハイドン:交響曲第101番ニ長調「時計」(トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団)

ハイドンの「時計」の標題は第2楽章のメロディーから来ている。この標題はハイドン自身が付けたものではないが、ハイドンの交響曲の中では最も有名ではあるまいか。私にとってもこの曲が、ハイドンのメロディーを聞いた最初の経験である。例えばかつて、私は短波放送を聞くことが趣味だったが、ラジオたんぱで流れていた「百万人の英語」のテーマ音楽であったことをいつも思い出す。日本短波放送(現在のラジオNIKKEI)はクラシック音楽をテーマにした番組が多かった。旺文社の「大学受験講座」はブラームスの大学祝典序曲、「私の書いたポエム」はモーツァルトの交響曲第40番から第1楽章という具合である。「私の書いたポエム」以外はすでに放送を終了している。

ハイドンの音楽を聞くと、その洗練されたエレガンスとでも言おうか、こんな気品に満ちた音楽はほかに真似できないのではないか、と思う。交響曲の中でその極め付けではないかと思うのが、この第2楽章である。誰の演奏で聞いてもそう感じるが、特に私が出会った演奏なかで、最もその思いがするのはトーマス・ビーチャムによる演奏である。この演奏は1950年代のもので辛うじてステレオ初期に間に合った。おかげで今聞いても新鮮である。

第2楽章の「時計」は変奏曲になっており、同じメロディーが様々に形を変えて現れる。最初はその様子がとても印象的であった。一瞬止まってまた音楽が動き出すところなど、これがハイドンのユーモアのセンスなのかと思ってみたりもした。ところが初めて全曲を通して聞いたとき、「時計」などというシックな感じは第2楽章のみで、そのほかの楽章は骨格のしっかりしたハイドン晩年に相応しい規模の作品である。低い弦の響きで始まる荘重な序奏は、夜明け前の趣きである。この頃の作品には常に長い序奏が付けられているが、この作品も例外ではない。どこかベートーヴェンの初期の作品に似ている。

この曲は全体的にそろっと始まる主題が印象的である。第1楽章もそうだが、音楽そのものは複雑である。この雰囲気は第4楽章に通じている。第4楽章はフーガが続く。編成が大きい演奏で聞くと迫力もあり、「時計」などという可愛らしい名前が付けられていることに違和感さえ覚える。また10分も続く第3楽章では、独特な中間部も忘れられない。ここで活躍するのはフルートを主役とする木管楽器群である。弦楽器が低音で曲を支える。

ヨッフムの颯爽とした演奏やカラヤンの洗練された響きもいいが、ビーチャムの古風なたたずまいを湛える演奏も捨てがたい。ゆっくりなところもひとつひとつ丁寧でありながら、音楽が重くなっていないのはさすがというべきだろうか。まだ音楽が手軽に聞けなかった時代、おそらく多くの人が、古くから抱いていたハイドンのイメージの愛すべき演奏がここにあるような気がする。

2016年3月1日火曜日

ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」(オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

かつてLPの新譜が2800円もしていた頃、音楽は今ほど簡単に聞くことができないものだった。ハイドンの交響曲を聴いてみたいと思っても、我が家にはレコードが一枚もなかった。図書館もレンタル屋もない時代。音楽評論家の書いたクラシックの鑑賞読本を読んで、ある時私は、交響曲第101番「時計」を聞きたいと思った。だけど手段がないのである。レコードは高価でおこずかいでは買えないし(そんなにいいステレオもうちにはなかった)、クラシックを聞く高尚な友人も周りにはいない。

それでも当時もう、FM放送というのがあったから、私は毎週雑誌を買ってきて、今とは違って1日中クラシックを流しているNHK-FM放送の番組から、自分の聞けそうな時間帯に聞きたい曲が放送されないか毎日チェックしては印を付け、放送が始まるとテープレコーダーを用意してスタンバイ、曲の開始のタイミングで正しく録音ボタンを押すことに神経を集中させた。

だがハイドンの交響曲など、なかなか取り上げられることがない。私はほとんどあきらめかけていたある日、NHK交響楽団の演奏会が放送され、その中に交響曲第100番「軍隊」が流れることがわかった。知らない曲とは言えタイトルがついているから、それなりに興味を覚えた。「軍隊」と「ハイドン」がうまく連想できないのは、近代の軍隊が昔とは比べ物にならないからだろう。どうしてもミサイルや原爆などを思い浮かべる世代にとって、「軍隊」とは戦争するための恐ろしい組織ということでしかない。戦後の平和教育に「軍隊」なるタイトルのクラシック音楽は、非常に違和感のあるもの思えたのだ。

小学生だった私は、初めて買ってもらったモノラルのラジカセにTDKの60分テープを入れ(片面にぎりぎり収録可能な長さだ)、この曲を録音した。そしてそこから聞こえてきた初めてのハイドンの響きは、私を一気にこの曲の虜にさせた。第1楽章の柔らかい響き、第2楽章の気品に満ちたメロディー。嬉しくて家族にまで聞かせて回った。母は「きれいな音楽ね」と言った。私は擦り切れるまでその音楽を毎日のように聞いた。今でも全106曲中、どの曲が一番好きかと問われたら、迷わず100番「軍隊」と答えるだろう。

その時のNHK交響楽団の演奏会は、後年になって手に入れた「Philharomy 全演奏会全記録3 戦後編2」(2001/2002)によると1977年5月の演奏会であることがわかる。指揮はなんとウォルフガング・サヴァリッシュであった。しかし、N響がこの曲を取り上げたのを他に知らない。他の演奏家を含め、今でも実演で聞いたことはない。

CDでならいくつかを持っている。その中で私が最初に買ったのはジェフリー・テイトの演奏である。クレンペラーの再来と言われたテイトの指揮はゆったりとして遅いが、やさしくてそよ風のような音楽が静かに流れる。録音が少し大人しいのが残念だが、今でも大好きな一枚だ。だがここでは、2番目に買った演奏に登場してもらうことにする。それは全ロンドン交響曲を4枚に収めた定番中の定番の演奏、オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団のものだ。この演奏はすべて素晴らしいが、その陽気な明るさが最大に生かされているのが、この第100番「軍隊」ではないかと思うからだ。

長い序奏も重くはならず、主題が始まると生き生きと音楽が進む。その感興は音楽の喜びをしみじみと味わうように、 曲全体を覆っている。第2楽章では、太鼓やシンバルが登場して楽しいことこの上ない。トルコのリズムとウィーンの貴族文化が見事に融合している。ウィーンがトルコに包囲されたのはずっと前だが、そのようにして始まった文化の交わりが、ウィーンにコーヒーと行進曲をもたらした。モーツァルトもベートーヴェンもトルコ風のリズムを取り入れた曲を書いている。これは当時の流行であったと言えるだろう。ハイドンは100番目の交響曲において遂にこれを取り入れ、新しい物好きのイギリス人に新曲として披露した。曲は大いに気に入られ、何度も再演されたようだ。

そのロンドンで収録されたヨッフムの演奏も、気品を保ちながらユーモアを感じさせる演奏である。第3楽章の忘れられないメロディーも心地よく過ぎ去り、第4楽章のコーダで再びシンバルが登場するとき、ヨッフムはこれを大きな音でバンバン鳴らし、遊興のうちに曲を閉じる。愉悦に満ちた陽性の音楽は健康的で、なるほど「軍隊」という標題は、この頃の兵隊の行進をイメージしているのだな、との思いに至る。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...