2015年6月20日土曜日

ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」(2011/10/5 、新国立劇場)

このブログを書き始めた2012年元旦以前のコンサート記録のうち、オペラに関するものを順に書き続けてきた。そして以下の「トロヴァトーレ」でそれを終えることができる。このあとはブログにすでに書いてきたからだ。

2012年以降のオペラ体験は、MET Live in HDシリーズによってより大きな前進を遂げたと思う。と同時に実演に接することの良さも改めて認識することとなった。オペラという楽しみはお金と時間がかかるけど、それだけの価値のあるものだとつくづく思う。

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新国立劇場の新シーズン(2011-12)の最初を飾る演目は、新演出の歌劇「イル・トロヴァトーレ」である。このオペラはここ最近目いっぱい聞いているのだが、では実演に接した経験があるかとなると、これが実にないのだ。一度はゆっくり聞いてみたいと思っていたので、ここは4階席を買い求めオペラシティへと馳せ参じた。

当日は強い雨の降る日だったが、水曜日にも関わらず多くの人出。しかしその多くが高齢者なのはたまたまなのか。私は昨年の「影のない女」以来だがその時よりも何か、あまり活気のない様子の人が多いように感じた。歌手はなかなか好演しているにも関わらず、拍手が極めて少ないのである。私は出演者が気の毒ではないかとさえ思われた。

それが天井桟敷の4階席でも同じなのである。私の隣にいたご婦人の2人連れなど、まったく拍手をしない。それでも着飾った客でほぼ満席である。もっと下の席ではどうかと身を乗り出すが、これがまた何ともしけた感じ。これで舞台が悪いなら仕方ないだろう。だが、私は今回の公演に登場した歌手や指揮者がそれなりに実力を出していると思われたのだ。

まずレオノーラのタマール・イベーリ。グルジア出身の彼女は、急きょの代役だったそうだが、なかなかの実力派である。最終幕での長いシーンでも緊張感を絶やさず、圧巻であった。容姿もぴたりとはまっている。もっとも拍手が多かったのはルーナ伯爵を歌ったヴィットリオ・ヴィテッリである。「君の微笑み」などはとても素敵で、このルーナ伯爵が実力不足だとこのオペラは実はつまらないのである。

同じことはアズチェーナにも言える。このアズチェーナ役のアンドレア・ウルブリッヒは大したもので、私がCD等で聞いている過去の名歌手に比べても遜色がない。低いメゾの声だが、このアズチェーナを歌いこなす声というのがある。彼女はそれを持っている。マンリーコを歌ったイタリア人ヴァルテル・フラッカールは及第点の出来だと思われる。特に「燃える炎」といった聞かせどころではなかなか聞かせるのだ。

私は初めての実演に接して、いささか興奮していたのかも知れない。それでやはり生の舞台はいいな、と思ったのだが、さて他の客はどうだったかわからない。ブラボーを叫んでいる人もいたが、よく知っている人だろうと思う(ただしクラシックファンはしばしば「知ったかぶり」をする)。だいたい両脇にある字幕を追いながら、難しいストーリーを追おうとすると集中力が途切れる。指揮者のピエトロ・リッツォと東京フィルハーモニー交響楽団は無難な出来栄え。悪くない。

もしこの公演が何かすっきりしないものを残すとしたら、それは演出のせいかもしれない。だが私は批判しようとは思わない。これはこれでいろいろと考えられていることがわかる。全てのシーンに登場する悪魔のような親子?をどう見るかについては意見が分かれるだろう。

私は実演を見ること自体ですでに嬉しくなっているので、このような真新しい演出は大好きである。この「死」をモチーフにした老人は、要所要所でこの難解な話を分かりやすくしようとして、さらにわかりにくくしている。だがよく考えてみるとその存在は、このオペラに付きまとう影の存在であることを伝えている。

私はまったく声を発しないが、常に舞台のどこかで何かを演じるこの存在を楽しく追いかけた。「死」というと恐ろしいが、彼に付きそう若干6歳くらいの男の子が、その恐ろしさを少し緩和してくれて実に素敵であった。子役の彼は私の息子と同じくらいの年齢で、それでいて動じることなく最後のカーテンコールでもぎこちなくお辞儀する姿に、何かとてもほほえましものを感じた。

総じて、私はこの公演は今シーズンを幕開きを飾る成功であったと思う。だが、このような高いチケットを買ってまでオペラを聞きに来る客は、年々少なくなっているような気がする。もちろん私のような物好きなファンも沢山いることだろう。丁度時間帯に、隣のコンサート・ホールではアントニオ・パッパーノが指揮するローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団の演奏会があったので、多くの客はそちらに流れたのかも知れない、などと思うことにしながら帰りの京王線に飛び乗った。

2015年6月19日金曜日

R.シュトラウス:歌劇「影のない女」(新国立劇場、2010年5月20日)


R.シュトラウスの歌劇「影のない女」を「ばらの騎士」よりも前に見たことはひそかな自慢である。それも退屈しっぱなしであったわけではない。3時間余りの全体をかなりの興奮と感動を持って味わったのだ。しかもストーリーなどあまり知らなかったというのに。

ほとんど衝動的に買い求めた新製作のプレミア公演を新国立劇場に見に行った。その結果発見したことが3つある。まず音楽。R.シュトラウスの管弦楽の見事さはいつどこでも語られているし、それが数多くのオペラ作品にも充分に現れていることはよくわかっていたつもりだが、このオペラでもまたその通りで、しかも初めて聞く者にさえ大きな感動をもたらすと言う事実である。

次に新国立劇場の照明の美しさ。それによって動きの多い演出が、大変に見栄えがすることになった。結果的に初心者でも飽きないばかりか、結構わかりやすい舞台となったものと思われる。

3つ目は、この作品のようにあらすじを読むだけで辟易するような作品は、むしろ音楽や実際の舞台から入るのがいいのではないか、ということ。オペラのあらすじを、ここで記憶を蘇らせる意味を含めて書き記そうと思ったが、なにせ複雑なのだ。だが参考になるものはある。このオペラはシュトラウス版の「魔笛」だという事実である(「ばらの騎士」が「フィガロの結婚」、「アラベラ」が「コジ・ファン・トゥッテ」である)。ホフマンスタールとの共同制作第4番目の作品は、様々な苦悩を持つ2組のカップル、という設定である。

ただ「魔笛」の時代には男女はただ試練に耐え、結ばれればよかった。けれど100年以上が経過し第1次世界大戦の時代になって世の中は複雑なものになった。「影のない女」の時代、そのカップルに存在する問題は子供ができないこと(いや、作らないこと)である。生まれるはずの子供は中絶され、天からの声となって響く。そして2組のカップルが最後に至る結末では、ひとつの解決にはなっている。だがそれはめでたく子供ができるというわけではないのだ。

Wikipediaの助けを借りて簡単にあらすじを引用しておく。

「東洋の島々に住む皇帝は、霊界の王(カイコバート)の娘と結婚している。皇后となった彼女には影がなく、子供ができない。影をもたぬ呪いで皇帝が石になるのを嘆き、皇后は貧しい染物屋の女房から影をもらい受けようと図る。しかし、結局彼女は他人を犠牲にしてまで、影の入手を望まない。その精神の尊さゆえに奇跡が起こり、皇帝は石から甦り彼女も影を得て人間になる。愛と自己犠牲による救済の可能性を暗示する。」

以下は当時の文章だが、これだけでは舞台の様子も伝わりにくいので、日経新聞に掲載された新聞評の切り抜きも掲載しておきたい。書こうとすると難解な作品なのだが、実際に聞いていると心が洗われるような美しさが充満しているし、舞台展開の面白さが見るものを楽しませてくれる。長いが不思議な作品。

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平日の夕方5時開演、というほとんどの勤労者にとっては見に行くことの不可能な時間帯に、いったいどのような、そしてどれくらいの客が来るのか、という点も興味をそそった。2万円近いチケットは売り切れている様子もなく、毎年多くのヨーロッパ系歌劇場が引っ越し公演を行う我が国で、はたしてどれほどの公演なのか期待半分、あきらめ半分だったことは正直に告白しておこう。

さてその公演を聞いて、いや見て、私はこの「魔笛」の20世紀版とも言われる豊饒にして大規模な、従って長い長い(休憩を除いても3時間)オペラに興奮しっぱなしであった。演出の見事さもさすがで、長い縦板を組み合わせて様々な「壁」を組み立て、それが美しい照明に照らされながら様々に組み合わされる様子は、歌唱が途切れて管弦楽のみが鳴り響く時間と上手く組み合わされていた。

ワーグナー以降に作曲されたオペラの中でも屈指の作品であると思われるこの作品の解釈の多様さ(芸術的価値)、歌唱やオーケストラの出来栄えなどについて、初めて聞く私がここに述べるには、もう少し準備が要るであろう。新聞に掲載された評論は辛口でそれを鵜呑みにするのもしっくりこない。だから、取り急ぎ素人の感想を率直に書いておこう。

まず、オペラはやはり「見るもの」だと思ったこと。次に20世紀の音楽作品も、集中して聞けば官能的でなかなか「聞ける」と思ったこと。そして、ドイツ語のオペラ界に屹立するワーグナーの作品を、やはり「生で見たい」と思ったこと、である。複雑な現代に生きる夫婦に生じる問題は、モーツァルトの時代の価値観では乗り切れない課題を呈している。

カーテンコールを経るにつれて熱心なファンからはブラボーが鳴り響いた。心の中で何かとても充実したものを感じながら帰路についた。

   皇帝:ミヒャエル・パーパ
   皇后:エミリー・マギー
   乳母:ジェーン・ヘンシェル
   バラク:ラルフ・ルーカス
   バラクの妻:ステファニー・フリーデ
   演奏:東京交響楽団
      (指揮:エーリッヒ・ヴェヒター)
   演出:ドニ・クリエフ

2015年6月18日木曜日

ビゼー:歌劇「カルメン」(2007年7月19日、神奈川県民ホール)

2000年に始まった小澤征爾音楽塾というプロジェクトは、小澤征爾の病気などによって一時中断されながらも今年11回目を重ねているようである。私は2001年にモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の公演を横浜で見る機会がったが、その後、2007年にビゼーの歌劇「カルメン」を見ることとなった。

2006年2月に初めて子供が生まれて生活が一変した私は、ほぼ一年半ぶりとなるコンサートをほとんど偶然のように発見し、当日券を買って衝動的に見ることとなった。会社を病気で休んでいた2007年夏のことである。梅雨明け前の少し蒸し暑い夏の昼、私は横浜でパーヴォ・ヤルヴィの指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニーのベートーヴェン・チクルスのうちの公開練習があることを知り、さらにそのあと、夜になって「カルメン」の公演があることを知ったのである。前者はみなとみらいホール、後者は神奈川県民ホール。新しく開通した東急みなとみらい線で結ばれている。

「カルメン」は私がオペラに親しむきっかけになったオペラであるにもかかわらず、実演に接したことは一度きりだったし、それに「コジ」のときの名演が頭に浮かんだ。当時ウィーン国立歌劇場の音楽監督に上り詰めた小澤の指揮で「カルメン」を見ることができるのは、偶然とはいえ大変嬉しいことだ。

そういうわけで子供は妻に預け横浜まででかけた。その時の文章が残っていたので、ヤルヴィの公開練習と合わせて以下に転載する。なお「カルメン」の舞台装置はジャン=ピエール・ポネルによるものでサンフランシスコ・オペラからのレンタル、演出は「コジ」の時と同様、盟友のデイヴィッド・ニース氏。以下歌手は、カルメンがジョシー・ペレス、ドン・ホセがマーカス・ハドック、ミカエラにケイティ・ヴァン・クーテン、エスカミーリョに何とあのポーランド生まれのマリウス・クヴィエチェンである。なお、子供たちの歌は東京少年少女合唱隊によって歌われている。

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午後2時、「みなとみらいホール」には熱心に詰めかけた数百人の音楽ファンが列を作っていました。その翌日に演奏される演目の練習とは聞いていましたが、それが何と3人のソリストを迎えてのベートーヴェンの「3重協奏曲」の練習だったのです。その中に諏訪内晶子の姿がありました。

ゲネプロではなく、何度も試行してはやり直す文字通りの練習です。しかし、ここには真剣な音楽づくりのシーンがありました。本番以上に緊張するムードです。パーヴォ・ヤルヴィは少人数のオーケストラ(ドイツ・カンマーフィルハーモニー)と、いかにしたら理想的な演奏ができるかを議論しては追及しているのです。ドイツの若い音楽家たちには、この音楽が自分たちの文化でありその発展を使命とするかのような真剣な雰囲気を感じ取ることができました。ただ観客を喜ばせるためではなく、なぜこの音がこうならなければならないか、どうすれば新しい響きに発展できるか、その積み重ねは途方もなく高い山を一歩一歩登るようなものに感じられました。2時間の練習で、この3重協奏曲と、ベートーヴェンの第4交響曲の序奏部分を聴くことができました。

私は一気にヤルヴィのファンになり、そしてこの演奏家が録音した最新のSACDを、すでに2枚も購入してしまうこととなったのです。

同じ日の夕方、私はそのまま神奈川県民会館に向かい、ビゼーの歌劇「カルメン」を観たのですが、その音楽が、病を乗り越えたこのウィーン国立歌劇場の音楽監督が演奏する「カルメン」でありながら、そしてその音楽は天才的なリズム感を持つ素晴らしい演奏でありながら、それが何と身軽なものに聞こえたことでしょう!

小澤の音楽が、やはりヨーロッパの文化を背負う重苦しさから解放された、新しい響きを持っていることは言うまでもなく、それが世界の小澤の小澤たる所以であることは、多く語られてきているところです。けれども、今回、私は彼の音楽がもはやそれしか拠りどころのないものであるという、当たり前のことを再発見して、いささか複雑な心境になりました。

なるほどリズムにあふれた小澤の音楽は躍動的で美しく、潤いに満ち、立派で共感を呼ぶものになっています。完成度も高く、美しい演出と淀みのない若い歌手たちの歌によって、このコンサートは私がかつて体験した歌劇の中でもかなり完成度の高いものであったことは疑う余地がありません。しかし小澤の魅力の限界がここに示されているということを、連続したコンサートの体験によって知ってしまったというのもまた事実であり、その意味においてこの演奏会は、私の個人的体験でもちょっと類を見ないものとなりました。

「カルメン」は良くも悪くも小澤の「カルメン」であり、それ以上でも以下でもありませんでした。少なくとも音楽的には世界でも屈指の完成度の「カルメン」であった、と言い変えることは可能でしょう。けれどもそこに表現上の進歩を遂げなければならないという切羽詰ったもの、簡単に言い換えればこだわりが少ないものなのです。丸でポピュラー音楽のような演奏だった、と言えば言いすぎですが、ヤルヴィの真剣そのものの練習から求心的に突き進むベートーヴェンを聴いた後では、何となくそういう風にも感じられたのでした。

とはいえ、この「カルメン」は私にとって、十年ほど前にニューヨークのシティ・オペラで見て以来2度目の、実際そう何度も触れることのないフランス・オペラの貴重な体験の一つでした。シャッターの下りた中華街の真ん中を石川町まで歩き、そこから根岸線の列車に飛び乗ってまっしぐらに帰りました。長い休暇が終って、暑い夏が到来する前の、ほんのわずかの数日を、私は音楽で満たした喜びを噛みしめていました。

2015年6月16日火曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(2005年5月28日、新国立劇場)

ワーグナーよりヴェルディを、モーツァルトよりもベートーヴェンを好む私にとって、「コジ・ファン・トゥッテ」や「ドン・ジョヴァンニ」と並んでどうしても見ておきたいオペラが、「フィデリオ」であった。なにせあのベートーヴェンが作曲した唯一のオペラなのだから。それもベートーヴェンは当初「レオノーレ」として作曲したこの作品を生涯に亘って改訂し、序曲を3回も書きなおした(つまり4曲もある)のである。

ベートーヴェンのいわばライフワークにもなってしまった歌劇「レオノーレ、または夫婦の愛」はフランスの作家ジャン・ニコラ・ブイイによって書かれた台本をもとにしている。この作家はさして有名ではなく、もしベートーヴェンが「フィデリオ」という作品を残さなかったらおそらく後世に名を残していなかったのではないか。

私は小さい時から「レオノーレ」序曲に親しんできた。第1番も素敵だが、何とも出来そこないのような第2番も魅力的だし、それに第3番などは単独でも演奏される見事なものだ。けれどもベートーヴェンはこの3つの序曲では満足せず、まったく一から「フィデリオ」序曲を作曲するのである。そのように考えると、ますますこの作品に興味が沸く。4つの序曲はそれだけでもベートーヴェンを感じさせる作品だが、そのように始まる2時間余りの作品がすべてベートーヴェンの音楽で満たされる・・・そう考えるだけで私はわくわくするし、実際ベートーヴェンの音楽は何をどのように聞いてもベートーヴェンらしさに溢れている。

そのようなベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」が新国立劇場で上演されるという。しかも問い合わせて見れば、まだ席が残っているというのでいてもたってもいられなくなり、そのプレミア公演を電話予約、一人ででかけた。この公演の演出はマルコ・アルトゥーロ・マレッリという人。フロレスタンにトーマス・モーザー、レオノーレにガブリエーレ・フォンタナ、ロッコにハンス・チャマー、ドン・フェルナンドに河野克典、ドン・ピツァロにペテリス・エグリーティス、マルツェリーナに水嶋育、他という配役、ミヒャエル・ボーダー指揮の東京フィルハーモニー交響楽団。

この公演、私は一生の思い出に残るものとなったのだが、当時のメモには「ここへ記すにはあまりに書くことが多すぎる。この一曲だけでもベートーヴェンがいかに素晴らしいかを語ることができる」と書いている。「前年のベルリン・フィルの来日公演で、サイモン・ラトルの指揮する『フィデリオ』を見逃しているので、今回思い立って出かけたが、一生に一回見るかどうかわからないようなベートーヴェンのオペラは、たとえそのC席に2万円近い値段を払ってでも出かける価値はある。それにしても演出、指揮、それに歌手も良かった。新国立劇場も支配人が新しくなって、ずいぶん意欲的な演出が多いようである」。

舞台は「ドン・ジョヴァンニ」と同じスペイン。政治的な陰謀で不当に牢獄に監禁されているフロレスタンを救うため、男装して刑務所に取り入り、見事目的を果たす妻レオノーレの物語である。えげつないことが起こる舞台としてしばしばオペラに登場するのがスペイン、その牢獄内で政治犯の殺害が実行されようとしているのだから、その舞台が華やかであるはずがない。しかもここで歌われるのは若者の情熱でもなければ不倫でもない。正義と夫婦愛を湛えるベートーヴェンの音楽は、武骨であり歌の変化に乏しく、しかも喜劇的な会話はユーモアのセンスに欠ける。

それでも私は「フィデリオ」が好きである。いや一時期私は「フィデリオ」に嵌(はま)っていた。ベーム盤を筆頭に何種類ものCDを持っているし、バーンスタインの歴史的公演を記録したDVDも持っている。「フィデリオ」の魅力はまさにそのような武骨な音楽にある。ベートーヴェンの初期の作品や「エグモント」のような、単調な中にも不器用な歌が流れる第1幕も見どころは多いが、第2幕の後半で力強く高らかに歌われる自由と人類愛に満ちた音楽は、滑稽なストーリーやこれがオペラであることをも忘れさせるほどの高揚感と精神性に溢れ、見るものを感動させるのだ。これは劇というよりも音楽に酔うオペラである。

その昂りを助長させる仕掛けとして、マーラーがウィーンの歌劇場時代に慣例化したのが、フィナーレ前の「レオノーレ」第3番の挿入である。ところが最近は原典主義が流行り、この素晴らしい慣例を実施する公演が少ない。アバドやラトルのような最近の録音だけでなく、今回の公演でもこれは「省略」された。従って私はバーンスタインのビデオで見ることのできる1978年のウィーン・ライヴでこそ最高の「フィデリオ」が味わえる。ついでながらこの公演では、フロレスタンをルネ・コロが、レオノーレをグンドゥラ・ヤノヴィッツが、マルツェリーネをルチア・ポップが、ロッコをマンフレート・ユングヴィルトが、さらにはドン・ピツァロをハンス・ゾーティンが歌っている(ドン・フェルナンドのみCDでのディートリヒ・F=ディースカウからハンス・ヘルムに変わっている)。録音は悪いが往年の記録として圧巻である。

※かつて短波放送に親しんだラジオ少年としてひとこと。ドイツ海外放送(DW)のIS(インターバル・シグナル)は「フィデリオ」の一節が使用されていた。それがどの部分かは、私はなかなか特定できなかった。よく聞くとこのメロディーは第2幕のフィナーレで司法長官ドン・フェルナンドが歌う「兄弟が 自らの兄弟を探しに来たのだ そして救うのだ 自らが喜んで救える者を」という箇所だろうと思う。東西冷戦の頃、西ドイツの首都はベートーヴェンの生まれた町ボンにあった。そこからそう遠くないケルンにDWの本社はあった。この兄弟とはもう一つのドイツ、すなわち東ドイツのことを指す。そして西は東を救出に来た気高き妻、レオノーレということになる。

2015年6月15日月曜日

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(2001年11月18日、新国立劇場)

モーツァルトのオペラは常に私のそばにあり、いつも楽しませてくれていた。その中でも「魔笛」は最初に親しんだオペラである。高校生の頃から童話のようなストーリーと心を洗われるような音楽に感動していた。「フィガロ」や「コジ」も、私にとっては親しみやすく、ショルティの威勢のいい演奏で聞くと18世紀の音楽もこんなに躍動感のある、ヴィヴィッドなものになるのかと私を驚かせていた。

最後に残ったのが「ドン・ジョヴァンニ」である。このオペラだけは、私を長い間遠ざけ続けた。その理由はあのモーツァルトの爛漫とも言える楽天性が感じられないのである。それもそのはずで、ハッピー・エンドではない。屈託なく楽しめる音楽ではないのに「ドン・ジョヴァンニ」の評価はすこぶる高く、モーツァルト音楽の最高峰という人までいる(私も今ではその一人かも知れない)。たとえ話が暗くても、音楽は常に豊穣に鳴り響き途切れることがない。そればかりか第1幕のフィナーレに至っては、これでもまこれでもか、といつもながらの絢爛たるめくるめくような世界。登場人物は他のダ・ポンテ作品と同様、常に生き生きと描かれ、愛すべき人たちが舞台に何人も登場する。音楽の点でもストーリーの点でも飽きることはない。

そのような「ドン・ジョヴァンニ」を是非見てみたいと思っていた矢先、新国立劇場のプログラムにのぼった。前年に見た小澤征爾音楽塾も待ち遠しかったが(主役はブリン・ターフェルとアナウンスされていた)、新国立劇場も悪くはない。主役のドン・ジョヴァンニはフェルッチョ・フルラネットである。以下配役は、ドンナ・アンナにアドリアンヌ・ピエチョンカ、エルヴィラに山崎美奈・タスカ、レポエッロにナターレ・デ・カロリス、ドン・オッターヴィオに櫻田亮、ツェルリーナに高橋薫子、マゼットに久保田真澄、騎士長がペン・カンリャン。ポール・コネリー指揮東京フィルハーモニー交響楽団。演出はロベルト・デ・シモーネ。

「ドン・ジョヴァンニ」の音楽の見事さは、序曲において端的に示されているように思う。重々しい和音(ニ短調)が異様な迫力を持って鳴り響いたかと思うとアレグロに転じ、一気に舞台(中世のスペイン)に引き込まれていくからだ。その展開のすばららしいこと!序曲が第1幕の音楽に続いていく。いつのまにか決闘のシーンに変わり騎士長がころされてしまう。その間数分。「ドン・ジョヴァンニ」の簡潔で見事な展開はこのようにして始まり、そして第1幕を通して続く。

「ドン・ジョヴァンニ」を最も歓迎し、その先進性に気付いたのはウィーンではなくプラハだったという話が、いつも語られることになっている。その理由(なぜウィーンやミュンヘンではなくプラハなのか)について、プログラムに音楽評論家の岡田暁生氏が寄稿している。その結論は「ドン・ジョヴァンニ」が陰謀のうずまく大都市よりも、むしろ音楽的知性の高い中小都市において称賛される「実験オペラ」だったからだ、ということである。私はウィーンなら何度か行ったことがあるが、プラハは知らない。一度訪ねて見たいと思っているが、どうやら果たせそうにない。

「プラハ」の他にも「ドン・ジョヴァンニ」について語られることは多い。登場人物の女性像をめぐる考察。石像の意味とモーツァルトの親子の確執。いろいろな意味でこのオペラほど多くのことが語られるオペラもないほどである。それはつまり当時として前衛的な要素を持ち合わせ、結果的に後世の作曲家に与えた影響が極めて大きいからであろう。

だがこの日、新国立劇場で見た「ドン・ジョヴァンニ」は私の場合、そのような「当時の現代性」を感じさせてはくれなかった。音楽が饒舌に鳴り響いてもどこか古い時代のオペラを見ているような感じがしたのだ。だけどこれは世界中で行われている古典的な「ドン・ジョヴァンニ」の上演に共通してあてはまるような気がする。今はやりの大胆な読み変え演出が、これほど似合いそうなオペラもないからである。

私の会社の元同僚に、酒を飲むとあたりかまわず女性に声を掛け誘いこもうとする先輩がいたが、あれこそドン・ジョヴァンニのようだな、といつも思う。このオペラのテーマは、時代に普遍的なものを扱っているので、何も舞台が中世のスペインである必要などないし、そのほうがわかりやすい。なのにどういうわけか大胆な演出に出会わない。もしかしたら現代の日本でオペラを好む客層は、そのような現代性をあまり欲していないほどに保守的なのかも知れない。「このオペラは素敵だし、『フィガロの結婚』よりもっとよいかもしれない。しかしこれはウィーンの民の趣味には合わない」と、当時のオーストリアの皇帝のように感じている人は、案外多いのかも知れない。

演出や歌手にはそれなりに厳しい評価もあるが、総じて楽しめた。やはりフルラネットのタイトル・ロールは好演だった。第1幕が緊張に満ちていたのに比べると、第2幕では余裕からかやや集中力に欠けたものだったように思える。全編、これだけ凝縮された音楽は類を見ないほど素晴らしく、モーツァルト最高傑作だからこそ感動的だったのだろう。演奏(や舞台)の魅力というよりも曲の魅力に圧倒された3時間。暮れ行く新都心の風景もバルコニーの風にあたりながら心地よかった。

2015年6月14日日曜日

モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」(2001年4月1日、神奈川県民ホール)

次に見たオペラの公演は、神奈川県民会館(横浜)でのモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」である。妻がモーツァルトのオペラを見たいと言い出したからだが、たまたま小澤征爾音楽塾の公演とかいうのがあって、若手の演奏家を育成するプログラムの仕上げにこの作品を上演するということだった。一流のスター歌手を大勢招くわけではないので値段が抑えられているにもかかわらず、いまやウィーンのひのき舞台にあがることが発表された小澤の指揮だから、まあこれは悪くはないと思われた。実際、我が国の伝統的なオペラ・カンパニーによる演奏とは少し違うものだった。以下はその時に記した文章である。ちょっとはずかしいが、そのまま転載する。

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4月1日(日)エイプリル・フール。この日の横浜はまるで初夏のような陽気に誘われて、山下公園にも沢山の人出です。横浜港に浮かぶ観光船も、穏やかな海の青さも満開の桜も、すべてが新しい年度の始まりを祝っているようです。華やいだ雰囲気が、いやがおうにも私たちの期待を膨らませてくれます。

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトは今年で2回目、「コジ・ファン・トゥッテ」の初回公演に、神奈川県民ホールを訪れた人々は興奮に満ちた様子でどことなく落ち着きがありません。15時の開演時刻のかなり前から会場入りした私たちは、前から2列目といういつもとは違った雰囲気に心を躍らせていました。ここからはオーケストラピットが丸見えです。緊張した若いオーケストラのメンバーが、最後の楽器の調整に余念がありません。

前日の休日出勤を含め、ここのところの激務にやや疲れ気味の体に鞭打って、それでもポネル演出のDVD(アーノンクール指揮のVPO)でストーリーを確認したばかり。そして何と偶然なことにこのたびの公演では、ポネル演出の装置と衣装が使われるではありませんか。プログラムによると、小澤が初めてこの曲を指揮してデビューした1969年ザルツブルク音楽祭と同じとのこと。ただし舞台装置はミシガン・オペラのものを、衣装はワシントン・オペラのものををレンタルして使用するようです。演出はデイヴィッド・ニース。小澤征爾がウィーンの音楽監督に就任すると発表されたのが一昨年のことで自然と期待は膨らみます。演出のニース氏が我々の前を出たり入ったりと気ぜわしい中、オケのメンバーが揃ってきました。やがて指揮者が登場し序曲の演奏の始まりです。

幕が開くと、そこは18世紀のナポリ港。哲学者ドン・アルフォンゾ(ウィリアム・シメル)とグリエルモ(マリウス・キーチェン)、フェランド(ジョン・オズボーン)が登場する賭けのシーンです。東横線の急行列車のように快調に音楽を運ぶ小澤は、途中で拍手を差し挟む余地を与えず、ぐいぐいとモーツァルトの世界に引き込んで行きます。やがてお姉さんのフィオリディリージ(クリスティーン・ゴーキー)と妹のドラベッラ(モニカ・グローブ)が登場、それに小間使いのデスピーナ(ステファニア・ボンファデーリ)が加わって勢揃い。兎に角この曲は登場人物が多いうえに重唱が続くので、オケと歌手の調和が重要なことは言うまでもありません。

いつもながら小澤の音楽は、すべての音符をいったん解体し再度音楽の流れを組み直ことによって、慣例にとらわれない新鮮さを引き出してくれます。歌手の水準も低くないので、全体が均整を保った一定水準の出来栄えですが、そのバランスがあまりに見事なため、どんどんと流れていってしまいます。けれども私は小澤の実演で裏切られたことはほとんどありません。歌手のグローブと、オズボーンはひときわ高い出来栄え。デスピーナも悪くありません。

現代流の解釈では、2組のカップルよりもむしろアルフォンゾとデスピーナにも重点を置くものが流行りですが、今回もそれに倣ったものです。私の知る限りでは、ムーティの指揮するビデオでの、キャサリーン・バトルのデスピーナが際立って印象的でした(ちなみに、アーノンクール盤では、病み上がりのストラータスにこの配役を長年歌ってきた味わいが感じられないところが非常に残念です)。第1幕の終わりに医者に扮したデスピーナが「治療」を施すシーンあたりは、愉悦の極みといった感じで、見ている方もぞくぞくするものでした。

長い第1幕が終わり、休憩ののち再び長い第2幕が始まります。

ここでオーケストラの一部が入れ替わります。オーボエに宮本文昭が登場、コンマスもN響の堀正文にバトンタッチ。幕間に指揮台をちょっと覗いてみると、手書きでスコアの断片が書かれた一片の紙が置いてあり、これを順に繰っているのでしょうか、何やら試験直前の中学生のノートのようでした。

第2幕の冒頭はやや音楽が単調になり、少し眠気も誘います。けれどもフェランドとフィオリディリージの駆け引きが展開されてゆくこのオペラのクライマックスに至っては、なかなかの出来栄えです。「女はみんなこうしたもの」かどうかはともかく、フィオリディリージが改心してしまうあたりで、私は「ああなんということか!」と心を痛めるのであります。これでは老アルフォンゾに笑われるのは目に見えているのですが、だとしたら、このアルフォンゾこそダ・ポンテの仕業、いやモーツァルトの悪戯の権化に見えてきます。

モーツァルトが35歳で作曲した「コジ・ファン・トゥッテ」は長い間不道徳と見なされ、陽のあたらない時代がありました(ちなみにベートーヴェンはこの曲を最後まで不道徳と言っています)。けれども最近ではこのオペラが一番素晴らしい、という人までいます。私は音楽の完成度から言っても「魔笛」や「ドン・ジョバンニ」に軍配が上がると思っています。この上演に少しやきもきした私は、最後の賭けに打って出ることにしました。遂に5千円を投じて、カール・ベームの歴史的録音を買い求めることにしたのです。

フィオリディリージにエリザベート・シュワルツコップ、ドラベッラにクリスタ・ルートヴィッヒを配したこのディスクは、今でも燦然と輝く「コジ」歴史的名盤として名高く、EMIはそうであるがゆえにこの3枚組みの安売りをしません。まあこれも見識というものでしょう。収集家を裏切らないためにも、いいレコードは安売りしないで欲しいものです。

このCDは、序曲の出だしからウィーンの気風が漂っています。いまやこういうモーツァルトの演奏には出くわさなくなって久しい、と感じました。懐かしいベーム調の音楽は、私を古き良き時代に連れて行ってくれるのに数分とかかりません。何とも悔しいことに、少し出来の悪いと思っていた音楽が、実に気品に満ちて聞こえるではありませんか。往年の名歌手の歌唱が上品に音楽に溶け込んでいる様は、真の芸術品と言っても過言ではありません。こういう録音には最近ではお目にかかることはありません。耳に響く上質の音楽は、この曲がどこかロッシーニの味わいに近く、とろけるシャーベットのようです。

オペラは映像付きがいい、という人が大勢います。けれどもCDで聴くオペラに慣れ親しんだ後でもいいのではないか、と感じています。それはオペラが先ずは音楽芸術であるからです。つまり音楽的な味わいがわかって初めて他の要素にも目が向けられるのです。

舞台で見た「コシ」は、音楽的にも視覚的にも、今日の水準では及第点のものでした。オペラの値段の大変高い日本では、この公演でさえ決して安いものではありません。けれどもその価格も、東京から大阪へ往復するよりは安いと思えばいいのです。

歩いて石川町に向かう途中に横浜中華街があります。明治屋の斜め向かいにある「北京飯店」でえびのチリソースに舌鼓を打っていると、ジーパン姿のドラベッラやサングラスをかけたフィオリディリージが階上の予約席へと上がっていくではありませんか。やがてマネージャと共に現れたマエストロは、拍手する私たちの前でやや照れながらも軽くお辞儀をして下ったのでした。

2015年6月13日土曜日

團:歌劇「夕鶴」(2000年12月5日、新国立劇場)

幕が開いた瞬間、何と美しい舞台なのだろうと思った。それまでの私のオペラに対する概念を打ち破り、シンプルで明るい照明の効果がこれほどにまで見るものを圧倒するのかと思った。

いつ、どことも知れない、とある雪の中の村。おそらくは江戸時代かもっと昔、北日本のどこか人里離れた僻村。古い日本家屋に雪がしんしんと降っている。日本人であればおそらくはこれだけで、そこに住む人々が何のけがれもなく純朴で、自然を愛してやまず、貧しくとも心の豊かな生活・・・とイメージすることだろう。「つるの恩返し」は、そのような日本人の心の琴線に触れる民話である。確か小学生の時に教科書で読んだ記憶がある。いやそうでなくてもその話は、マンガか何かで知っていたはずだ。

ある日、鶴が罠にかかったのを見つけた若者は、その鶴を逃がしてやると、その日の雪の降る夜、美しい娘が訪ねてきた。彼女を快く泊めてやった若者はやがて、「中を覗いてはならない」という娘の忠告を破り、彼女が布を織る姿を見てしまう・・・。それは純粋な好奇心からなのか、それとも物欲にとらわれた故の因果なのか・・・。

だが木下順二の戯曲「夕鶴」では、悪者にそそのかされた結果だということになっている。強欲な惣どと運ずは、なぜ与ひょうの妻つうがかくも見事な布を織ることができるのか、知りたくてしたかがない。この布は高く売れ、そこのとによって素朴な与ひょうも徐々に裕福になっていくことが、妬ましくてしたかがなかったのだろう。とうとう惣どと運ずは、機を織るつうの姿を目撃してしまう。そして与ひょうまでもが・・・。つうの正体が鶴であることがわかってしまったのだ。もうここにはいられない、と悟るつうは別れを告げ、子供たちの歌声が響く中、再び鶴の姿になって空の彼方へ飛び立って行く・・・。

東京にもとうとうオペラ専用のホール「新国立劇場」が誕生したのが1997年。専属オケを持たないとか、運営に関する様々な問題を露呈しながらも、定期的にオペラに触れることのできる施設ができたことになる。私はなかなかその公演に足を向けることがなかった。しばらくオペラから遠ざかっていたためだ。その状態は2000年3月の藤原歌劇団公演まで続いたことは先に書いた。だがその時に見た公演によって、再びオペラに出かけてみたいと思ったのだ。

東京で見るオペラに相応しいのは何だろうか、と考えた末、日本人の日本人による日本人のためのオペラなら、世界的に見ても最高水準であることは確実だろう・・・と安直に考えた時、選んで出かけたのが團伊久磨の有名な歌劇「夕鶴」だった。2000年12月、この日は新演出の舞台で担当が栗山民也。つうに鮫島有美子、与ひょうが田代誠。いずれも我が国を代表する歌手で、「夕鶴」の定番歌手である。指揮は増田宏昭、東京フィルハーモニー交響楽団。それに杉並児童合唱団が印象的な子供の歌を歌う。

私はこの作品を観るのも聞くのも初めてであった。だがその音楽を聞いたとき、重厚で見事なオーケストレーションに耳を奪われた。日本的なものにおもねることなく、正攻法で西洋音楽に挑んだようなところが野心的である。木下順ニの戯曲に「語句を 一切変えてはならない」という大変な制約にもめげず、冒頭からの歌の調和は見事と言うほかはなかった。そして子供達!私はオペラに子供が出てくることに滅法弱い。それだけで感動してしまうのだ。

当然歌詞は日本語である。けれどもその日本語がわかりにくい。字幕があったかどうか思い出せないが、たぶんなかったと思う。それがちょっと残念だった。いやこういうのはちょっと意外だった。日本語のオペラでも字幕は重要だと、誰もが気付いたのだろう。最近の公演では字幕が入る。それから音楽が、後期ロマン派のような複雑さを持っているので、アリアというのがわかりにくい。「つうのアリア」などと言われても、特に予習をしてこなかった私には、どこがどういう風なのかわからなかった。やはりオペラである。何度も繰り返し見れば、徐々にその音楽的な深さを知ることができるのだろう。

新しいホールは座席の配置も悪くなく、舞台が奇麗に見渡せた。何よりヨーロッパの古いオペラハウスとは違い、最新鋭の機材を備えている。特に舞う雪と照明効果の美しさは見事につきる。栗山の無駄を排した中にも洗練されたな舞台は、とても好感が持てた。そのことだけで私は非常に感激し、少し高いお金を出してでも何かいいものを見たような気がして、何かとても幸せな気分だった。

ストーリーを「解釈」することがこのオペラでは不要である。日本人としての感性が、特に説明もなく心に響いてくる。ロシアやチェコのオペラを見るときに感じるような民族性が、おそらくこの作品でも強調されているのだろうと思う。日本人の民話をわざわざ西洋音楽で表現することの理由は、西洋人にとって「理解すべき」事柄であると思う。同時に日本人にとっても、「なぜ」それをオペラ化しなくてはならなかったか、西洋人に向けて説明をしておく必要があるだろう。普遍化された文明としての「西洋音楽」によって、日本人の民族に根差した感性がどこまで表現、伝達可能であるか・・・だがそのようなことは、日本人が見る時には、まあどうでもよいことでもあるのだ。

このオペラは1951年に作曲され、翌年大阪で初演された。我が国を代表するオペラとして演奏回数は断トツで多く、2015年現在、世界中で700回以上を数えている。

2015年6月9日火曜日

ヴェルディ:歌劇「椿姫」(2000年3月18日、藤原歌劇団公演)

1年ぶりに東京へ戻った私を待っていたのは、新しい職場での慣れない仕事と、結婚に伴う新生活であった。郊外で暮らすようになったこともあって、共働きの家庭ではオペラどころかコンサートからも遠のいた。ニューヨークでの音楽生活があまりにも刺激に満ちていて、我が国の公演が見劣りするというのも事実だった。次にオペラに出かけたのは2000年に入ってからで、その間丸4年のブランクがあいた。

妻が何か見たい、と言いだしたかどうかは覚えていない。だが私はヴェルディの「椿姫」の公演のチラシを見て、久しぶりにこれなら行ってもいいか、などと考えた。埼玉県民だった私は上野での公演が好都合であった。当時の記録を読み返してみた。以下はその時の文章。

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ヴェルディの最も有名な歌劇「椿姫」は、現在私の最も愛するオペラであり、その理由については過去の文章でも何度も触れた。しかし「椿姫」が満足の行く公演となることは、なかなかないということもまた事実であって、しかも日本でのオペラ公演となるとほぼ絶望的ではないか、と思っていた。ところがこの度のデヴィーアによるヴィオレッタは、何度見たか知れない私のこのオペラに対する思いを心の底から掘り起こし、そもそもオペラを見ることがこんなにもスリリングなものであるのかということを、再認識させてくれたのだった。

第1幕:一見おとぎ話となってしまうのではとさえ思われた出だしで、この後がどうなるのかが心配で心配で仕方がなかったほど緊張したのだが(実際、これほどはらはらしながらオペラを見たことはない)、「ああそはかの人か~花より花へ」を見事に歌いきり、最後の3点音を、カラス風に1オクターブ上げて歌いきったところでブラボーが吹き荒れたことにより、このオペラへの期待が一気に確かなものになったのだった。それほどみんな安心した。そして「やってくれるじゃない、だから次からも期待していますよ」、と言わんばかりの観客席である。だからオペラはやめられないねえ、という感じで幕間のバルコニーでの会話も紅潮した面々が多い。

第2幕:アルフレードとの楽しい日々。しかし父ジェルモンとの面会によりヴィオレッタの心が変化してゆく。2人だけの浪費生活に区切りをつけて泣く泣くパリに帰るヴィオレッタ。ここでのデヴィーアは、丁々発止のレチタティーヴォを益々好調な声で歌いきる。その見事なこと。まるで2人の男声(は決して悪い出来ではなかった)は、すべてデヴィーアを盛り立てるために存在しているかのようであえあった。東京フィルもオペラに慣れているだけあって不満はない。そして指揮が緊張感を損なうことなく全体を纏め上げている。スペインの踊りにいたってはバレエの魅力も満載で、胸に詰まるものがある。最高の見せ場でいよいよ最高潮に達し、客席からもブラボーが絶えることはない。

第3幕:いよいよ絶好調のデヴィーアの演技に、ハンカチで涙を拭う事なしに見ることはできなくなった。演出も回想シーンを獲り入れた独特の雰囲気で悪くない。2階席最前列で見た「椿姫」は、このオペラの総合的な魅力に改めて感銘を受けるとともに、デヴィーアという名ソプラノが今後、この役で益々頭角を現してくることを如実に予感させた。

兎に角、この公演は良かった。日本でのオペラも捨てたものではないな、と思った。デヴィーアは何度も舞台に呼び戻され、その間、歓声と拍手が絶えることはなかった。「久しぶりにいいものを見た」そう思いながら、初春の心地よい風の吹く上野公園を後にした。

  ヴィオレッタ・・・マリエッラ・デヴィーア
  アルフレード・・・アクタビオ・アレーバロ
  ジェルモン・・・ダヴィデ・ダミアーニ、ほか
  
  藤原歌劇団合唱部、東京フィルハーモニー交響楽団(指揮:アラン・ギンガル)
  演出:ベッペ・デ・トマージ

(2000年3月18日 東京文化会館)

2015年6月8日月曜日

ニューヨークで見たオペラの数々(95-96)

1995年春、阪神大震災の直後に私はニューヨーク勤務となった。まだ独身だった私は、マンハッタン40丁目という絶好のロケーションに住み、時間があれば毎日のようにコンサートやオペラ、それにミュージカルへと足を運んだ。METやニューヨーク・フィルの本拠地のあるリンカーン・センターは地下鉄を乗り継いで20分程度で、オペラが終わる夜遅くになっても安全に帰宅することができた。

だが実際には私のニューヨーク生活は、インフルエンザとそれに続く中耳炎によって、最初のうちは大きなマイナスからのスタートだった。何せ片耳が聞こえないのである。最初出かけたオペラはニューヨーク・シティ・オペラの「カルメン」だった。ここは英語上演と聞いていたがその日はフランス語。それなりに楽しむことはできたが、METに比べるとどうしても見劣りがしてしまう。中耳炎は4月に入っても治らず、医者を変え、毎週のように耳鼻科へ通う日々が続いた。

ゼッフィレッリ演出のヴェルディの「椿姫」の切符を購入したのは、日本から弟が来ていた春休みだったが舞台をほとんど覚えていない。アルフレードにフランシスコ・アライサ、ジェルモンにホアン・ポンスと記録にはある。突然初夏がやってきて、まばゆいほどに陽光の降り注ぐ季節となっても、私は毎日アパートの窓からエンパイア・ステートビルを眺め、週末になるとクイーンズの公園やコロンビア大学のキャンパスなどに出かけては、孤独な日々を送っていた。

結局耳が完全に治ったのは、もう暑くなりかけた6月に入ってからだった。いよいよ米国生活も楽しみが出てきた頃ではあったが、肝心のコンサートはシーズン・オフ。そんな中、毎年恒例のMET in the Parkという催しに出かけたのは、とても蒸し暑い6月のある夜だった。出し物はまたしても「椿姫」。アッパー・イーストサイドの決して治安が良くない道を、暗くなりかけた頃足早に歩いた。会社の帰り、スーツが汗で滲んだ。だがこれは野外である割には良かった。ときおり涼しい風が吹いてきた。無料で誰しもがこういう経験が出来るあたり、ニューヨークはいいところだなと思った。

10月に入って新シーズンが始まり、ニューヨークを離れる3月までの半年間は、私にとって非常に充実した日々であった。オペラに関しては、先に書いた「オテロ」のこけら落としを皮切りに、いくつかの演目に出かけた。会社の上司が、仕事をさぼってでも出かければ良いと勧めてくれた、今は亡きヘルマン・プライがベックメッサーを最後に歌った「ニュルンベルクのマイスタージンガー」や、今の妻と初めてのデートで出かけた「魔笛」など、思い出は多い。ひとつひとつの公演は字幕もよくわからず、今から思えば中途半端だったが、部分的には非常に印象的で感動的であった。以下にその時の記録を並べておこうと思う。
  1. 1995年4月5日 ヴェルディ:歌劇「椿姫」(指揮:ジョン・フィオーレ、演出: フランコ・ゼッフィレッリ)・・・アイノア・アルテータ(ヴィオレッタ)、フランシスコ・アライサ(アルフレード)、フアン・ポンス(ジェルモン)他。「プロダクションはさすが。他は平凡に終始。それでも目には涙」。
  2. 10月2日 ヴェルディ:歌劇「オテロ」(指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:イライジャ・モシンスキー)・・・プラシド・ドミンゴ(オテロ)、ルネ・フレミング(デズデモナ)、 ジェイムズ・モリス(イヤーゴ)他。オープニング・ナイト。ドミンゴは衰えを知らずさすが。他のソリストも熱唱で聞き応え十分。TV中継も(後にDVD化)。
  3. 12月14日 ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(指揮:マーク・エルダー、演出: ピエロ・ファッジョーニ)・・・デヴォラ・ヴォイト(アメーリア)、フランシスコ・アライサ(リッカルド)、レオ・ヌッチ(レナート)、ドローラ・ザジック(ウルリカ)他。バルコニーのパーシャル・ビューの席で音楽に耳を澄ました。今思えば最高キャストだが、よくわからなかった。残念。
  4. 12月16日 モーツァルト:歌劇「魔笛」(指揮:ペーター・シュナイダー、演出:グース・モスタート)・・・デオン・ファン・デル・ヴァールト(タミーノ)、マーク・オズヴァルト(パパゲーノ)、ラリッサ・ルダコヴァ(夜の女王)、ハンス・ゾーティン(ザラストロ)、イボンヌ・ゴンサレス(パパゲーナ)、ジョーン・ロジャーズ(パミーナ)他。指揮は手堅く、歌手陣もまあまあの出来栄え。2階席正面で聞く。チケットは会場前でおばさんから購入。135ドル。
  5. 12月21日 ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:オットー・シェンク)・・・ ベルント・ヴァイクル(ナンス・ザックス)、カリタ・マッティラ(エファ)、ベン・ヘップナー(ヴァルター)、ビルギッタ・ズヴェンデン(マグダレーネ)、ヘルマン・プライ(ベックメッサー)、ルネ・パーペ(夜警)他。レヴァインの指揮は前奏曲から迫力満点。演出も見事な上、歌手陣は現代ワーグナー歌手の総出演。プライは最後の公演。これも今思えば凄い出演者。
  6. 12月26日 J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」(指揮: エルマン・ミシェル、演出:オットー・シェンク)・・・ジャネット・ウィリアムズ(アデーレ)、ジューン・アンダーソン(ロザリンデ)、ヴォルフガング・ブレンデル(アイゼンシュタイン)、ヨヘン・コヴァルスキ(オルロフスキー)他。当時のメモには「オルロフスキーにはカウンターテナー、見飽きた演出に指揮が凡庸で観客も沸かない。所詮、観光客用のシーズン物か」とある。セリフは英語だった。
  7. 1996年1月31日 ロッシーニ:歌劇「セヴィリャの理髪師」(指揮:アダム・フィッシャー、演出:ジョン・コックス)・・・マーク・オズヴァルト(フィガロ)、ジェニファー・ラーモア(ロジーナ)、ラウル・ギメネス(アルマヴィーヴァ伯爵)他。指揮はなかなか。次から次へと楽しい歌が飛び出し、飽きることなし。
  8. 2月9日 プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」(指揮:ネロ・サンティ、演出:フランコ・ゼッフィレッリ)・・・ルート・ファルコン(トゥーランドット)、アンジェラ・ゲオルギュー(リュー)、ランド・バルトリーニ(カラフ)他。絢爛豪華な演出でまさにメトのトゥーランドット。サンティの強力な指揮は聞き応え十分。それと何と言ってもゲオルギュー!
  9. 2月20日 プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」(指揮:ジュリアス・ルーデル、演出:ジャンカルロ・デル・モナコ)・・・フランコ・ファリーナ(ピンカートン)、マリア・スパカーニャ(蝶々さん)、トーマス・アレン(シャープレス)他。あまり印象には残っていないのだが、当時のメモには「総じて新人歌手ながら出来栄えは悪くない。演技と歌は熱演で、目には涙の大満足」とある。

2015年6月7日日曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(1995年10月2日、メトロポリタン歌劇場)

1995年から1996年にかけて滞在したニューヨークで私は10回以上のオペラ公演を観たが、その中でもとりわけ印象的だったのは、何といっても95-96シーズンのオープニングを飾ったヴェルディの歌劇「オテロ」である。指揮は勿論ジェームズ・レヴァインであった。

メトでは何と1990年3月にカルロス・クライバー指揮による「オテロ」を観ているから2度目の「オテロ」となるのだが、私のオペラ体験というのは実にこれが数回目だったから我ながら何という贅沢な話なのだろうかと思うが、事実だから仕方がない。クライバーの「オテロ」は演出がフランコ・ゼッフィレッリで映画にもなった美しいものである(そしてスカラ座の東京公演でも!)。 その長く続いた演出が94年に終わり、イライジャ・モシンスキーによる新たなプロダクションが始まった。そのまさに最初の頃の公演ということになる。

舞台はとてもオーソドックスなものだったが、20年以上が経過した今となってはあまりよく覚えていない。ところが2004年になってこの時の公演を記録した映像がDVDでリリースされた。私は迷わずそれを購入した。その時の公演はこのビデオで辿ることができるのだ。冒頭レヴァインのタクトが振り下ろされると舞台に稲妻が走り、一気に引き込まれてゆく。ヴェルディのすさまじい音の重なりと、迫力を持った合唱が15世紀のキプロスの沖へと誘う。

嵐の船上に登場したプラシド・ドミンゴ(オテロ)は、「喜べ!傲慢な回教徒が去った」と叫ぶ。この役を20年にも亘って歌ってきたベテラン・テノールの、まだ艶のある50代の声である。張りのある声もさることながら、風貌が映像向きに見栄えがする。そして「喜びの火よ」に続く合唱でレヴァインはテンポを緩めない。一気に、そして緊張感を持ってジェイムズ・モリス(イヤーゴ)の歌「喉を潤せ」が始まる。カッシオはまだ若いリチャード・クロフトが歌っている。

1幕の終わりでは早くもデズデモナの出番である。ルネ・フレミングはこの時初めてデズデモナを歌ったようである。以降彼女のはまり役である。愛の二重唱にあたる「もう夜が更けて」で舞台は一層期待が高まる。

このように実演ではよくわからなかった舞台の隅々の様子までDVDでは楽しむことができる。これはMETライブシリーズと同様である。日本語字幕があるのが何より嬉しい(METでもこの公演から字幕サービスが始まった。だがその字幕は前の席の上部に個別に出てきて、視点を動かすのが大変である。また当然英語である)。

あらすじを追っていくと書くことが膨大になってしまうので割愛するが、私のオペラ体験に照らして言えば、ヴェルディ晩年の音楽がよりこなれて聞こえてきたというのが正直なところである。音楽は途切れることなく進み、歌とドラマが一体となっている。合唱やアリア、それに会話といった区別がつかないオペラは、私にとって最初とてもとっつきにくいものだった。だがその呪縛から逃れ始めたのがこの公演だった。ベテランのレヴァインの指揮が、こういう複雑な音楽でも統一的なコンセプトの中に展開される高い水準にあったことがその大きな理由だと思う。

最終幕は「柳の歌」→デズデモナの死→オテロの死と続くが、これは一気に聞かせる。ビデオで見ると心理的な展開や表情が実によくわかる。けれどデズデモナが「アーメン」と静かにベッドに横たわる時、あるいはオテロが「もう一度口づけを」とデズデモナに近寄りながら力尽きるとき、その静けさの中で消えていくピアニッシモの繊細な歌声は、その時に居わせた人々にのみ共有される体験でもある。何千人もの聴衆と全ての出演者、オーケストラが一体になった奇跡のような瞬間。そのたとえようもない美しさを経験するには、やはり実演しかない。

なお、レヴァインの「オテロ」は70年代にゼッフィレッリ演出のビデオが出ていた。一方モシンスキーの「オテロ」は昨シーズンまで上演され続け、その最後の年にビシュコフの指揮で上演されたものもリリースされている。オテロやヨハン・ボータに変わったがデズデモナは依然フレミングである。このプロダクションもついに終わり、来シーズンでは新しい演出がリチャード・エアによってなされる予定だ。もちろんこの公演はMETライブシリーズで我が国にも中継される。

2015年6月6日土曜日

R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」(2015年6月4日、新国立劇場)

梅雨入り前の快晴の青空を惜しむかのような気持ちで私は初台まで歩いた。今日は思い立って仕事を午前で切り上げ、西新宿のオフィスを抜け出したのだ。ここから新国立劇場までは徒歩で10分ほどの距離である。まだ十分チケットがあるとわかると、最後の公演にどうしても出かけたくなった。演目はシュトラウスの「ばらの騎士」。オペラの中で最も好きだと言う人が多い作品、と私は思っている。

そのような作品であっても、いざ実演となるとなかなか触れる機会などないのが我が国のオペラ事情である。最近では数多くの引っ越し公演もあって以前ほどではないものの、チケット代はやたら高いし、それがいい公演になるとは限らない。「ばらの騎士」のような人気作品であっても前回の我が国での公演は(ブックレットによると)2011年の大震災直後の4月、同じジョナサン・ミラー演出の公演だったということのようだ。いくらカラヤンやクライバーの伝説的名演を論じてみたところで、実際に一度も見たことのない作品だとしたらやはり説得力に欠けるだろうし、第一何か大きな穴のあいた服を着ているような滑稽な感じである。

私が大学生だった頃、ウィーン国立歌劇場の来日公演があり、カルロス・クライバーによる上演が東京で見られた。私の知り合いはかなりの出費とものすごい努力の末このチケットを手に入れ、わざわざ大阪から出かけて行ったのだが、その経験は圧巻の一言であったと聞かされた。実際は大学生の見るこのオペラがどのような印象をもたらしたかはよくわからない。中学生でも最後の二重唱の美しさを語るのがいるが(その美しさは私も高校生の特に知ったのだが)、それでもこれは純粋に音楽的な要素によるものであろうと思う。シュトラウスの精緻にして現代的な響きは、少年の私にはちょっと敷居が高すぎた。

このオペラの良さはやはりある程度歳をとってからでないと味わえないのではないか。だがそうやって実演はおろか、CDでさえ真剣に聞くことのなかったこのオペラを一生の間に何度見ることができるのだろうか、と最近は真剣に思う。それでこの公演がどういうものであるかはさておき、まずはお金を払って時間を割いて、実際に見る機会があれば行こうと思っていた。何も「ばらの騎士」に限ったことではないのだが。

今回の公演では元帥夫人(マルシャリン)にアンネ・シュヴァーネヴィルムス(ソプラノ)、オクタヴィアンにステファニー・アナタソフ(メゾ・ソプラノ)、ゾフィーにアンケ・ブリーゲル(ソプラノ)、オックス男爵にユルゲン・リン(バリトン)、ファーニナルにクレメンス・ウンターライナー(バリトン)という布陣であった。この5人はいずれもドイツ語圏の出身である。それに指揮者のシュテファン・ショルテスを加えれば、ウィーンゆかりの音楽家が勢ぞろいといったところだろうか。実際、オクタヴィアンとゾフィーによる最後の二重唱は、極めつけといってもいいほどの出来栄えで、ここのわずか10分程度だけで私は結構満足であった。4階席一番奥で聞いていても、音楽は天井をつたって会場を満たしたし、その歌声はオーケストラと見事に溶け合って極上の時間をもたらした。

今回、東京フィルハーモニー交響楽団は、満足すべき水準の響きであった。これくらいなら充分である。そして歌手たちはみな良かったと思う。ただ私は残念なことに、誕生日祝いに家族にもらったオペラ・グラスを持参するのを忘れてしまった。このことでバルコニーからはほとんど歌手や指揮者の表情を見ることができなかった。一挙手一投足にまで見事な音楽が付けられているはずの舞台が、いつも遠くにしか見えない。加えて私は最近白内障ではないかと診断され、ただでさえ遠くがかすんで見えるのである。オクタヴィアンのアナタソフは、とても素敵な「美男子」ぶりだったようで、その仕草の美しさは何となくわかったのだが、それが精いっぱいであった。

オックス男爵の女性を軽蔑した振る舞いは見るものの気持ちを高ぶらせるほど見事だったし、元帥夫人のむしろ威厳を感じさせるような高貴な振る舞いも素晴らしかったと思う。一方、ファーニナルは何かボケた感じに思われ、ゾフィーは歌唱こそ見事だったが、何か田舎のおばさんのような衣裳?に思えた。舞台の照明は奇麗で、窓から差し込む光(もう少しやわらかくてもいい)は新しすぎる道具と、さほご豪華でもない調度品に照らされて、あまり気品を感じさせない。第3幕のレストランに至っては、そこだけがほの暗くて薄汚れた屋根裏部屋のようでもあり、いっそ第1幕や第2幕と同じ部屋の作りにしておけばよかったのではないか、と私には思えた。

本当にこのオペラに今回感動したかと言われたら、実はそうではない。正直に言えば、私は最終幕のあとで結構な長さのカーテンコールや多くのブラボーが起こったことに少し違和感があった。なぜだろうか。それはよくわからない。ただ言えることは、私の体調が万全ではなかった。仕事に追われて寝不足気味の日々が何週間も続いている。そして仕方なく睡眠導入剤を服用し、毎日辛うじて体力を維持している。そういう身に1時間×3幕のオペラを最後列で見るのはやや苦痛だった。

その日も朝から猛烈な勢いで仕事を片付けてきたところだ。睡魔に襲われそうになったのはむしろ当然だった。いつもシュトラウスの音楽を聞くと、想像していたのとははるかに違う世界に自分が浸るのを発見するのだが、今回は、そういう瞬間は最終幕の最後まで来なかった。そのことが残念でならない。もっと体調が良ければ楽しめたのかも知れない。でもだからと言って、この公演に出かけたのが失敗だったとは決して思わない。それどころか私は初めて見た「ばらの騎士」を、これでやっと少しは語ることができる。そしてできれば次回は・・・それがもう一生来ないかも知れないが・・・別のプロダクションで見てみたい。

個人的には残念な今回の上演でも、最後の二重唱の時だけは、私を恍惚の中に連れて行ったことを繰り返しておきたいと思う。音楽が2人の女声と完全に溶け合って会場を満たしたその時間が、過ぎて行ってしまうともう消えてなくなるという、そのことの悲しさの中に宿る最上の瞬間。それはまさに「ばらの騎士」のテーマそのものである。それから舞台の袖へと消える2人の若い男女・・・若いということはいいな・・・と、おそらく会場にいた多くの大人がそう思ったに違いない。あっ、それから私がもし人生をやりなおせるのなら、映画監督になってこの物語をベースにした恋愛映画を撮ってみたいと思った。世紀末のウィーンではなく、バブル崩壊後の日本を舞台にして。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...