2020年9月29日火曜日

ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」(S: テレサ・ベルガンサ、エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団)

エルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団によるファリャのバレエ音楽「三角帽子」の演奏は、今もって色褪せることなく聞き手に幸福感をもたらす名盤である。録音は1961年、今から60年も前のものである。「情熱の国」スペインの色彩感豊かな音楽の演奏に、何もそんな古いものを持ち出さなくても、もっと他にいい演奏があるだろうに、などと思うことなかれ。たとえ新しいデジタル録音された演奏があったとしても、この演奏の価値が下がることはないだろう。

このディスクを、私はまだCDが出始めた頃に買っている。このCDを買った当時のコレクションは、まだ10枚目にも達していない頃だった。自分のお金で買ったCDとしては随分な出費だった。それだけ思いが強かったと言える。だが今回この曲を取り上げるに際して、このいかにも古い(それは私が生まれるよりも前の録音である)アナログ録音をわざわざ取り上げるべきかと迷った。だがその思いは、冒頭の演奏を改めて聞いた瞬間に吹き飛んでしまった。

バレエ音楽「三角帽子」はファリャの代表作で、アンダルシア地方を舞台にした物語である。ここで踊られる音楽は、冒頭のティンパニとトランペット、そこに間髪を入れず加わるカスタネットによる強烈なリズムで始まる序奏に象徴されているように、終始スペイン色満載である。沸き立つようなリズムと情熱的なメロディー、それに2か所で歌われる粉屋の女房の歌声。スペインの踊りを含むバレエ作品は数多いが、この曲は全編がスペインの踊り。それを聞くだけでもワクワクするのだが、どういうわけかコンサートのプログラムにのぼることは滅多にない。私も実演で聞いたことはない。

「三角帽子」は役人の象徴で、粉屋の女房に横恋慕した悪代官は、村人たちによって徹底的に茶化される。いわばこれは風刺の効いた反権威的物語というわけである。そしてどどういう関係があるのかわからないが、この曲にはベートーヴェンの交響曲のパロディーが使われている。

民族性豊かな曲もさることながら、アンセルメの職人的な棒さばきこそ聞きものである。アンセルメはデッカによる鮮明で奥行きのあるアナログ録音にも支えられて、生き生きとした演奏に仕上げている。暖かくも時には鮮烈で、目を見張るようだ。ためを打ってリズムを変えるあたりは、今では聞くことのできなくなった名人芸で、驚異的なことにオーケストラは、まるで魔法が乗り移ったように即座に反応している。この演奏を聞くと、その弟子であるシャルル・デュトワの演奏など、生真面目で大人しくつまらない演奏に聞こえる。

その演奏の確からしさは、アンセルメこそがこの音楽の初演をしていることからも納得できる。序奏に続き、第1部での「ファンダンゴ」(粉屋の女房の踊り)、「ぶどう」、第2部の「セギディリア」(近所の人たちの踊り)、「ファルーカ」(粉屋の踊り)、「代官の踊り」と続き、「終幕の踊り」で大団円を迎える。「終幕の踊り」でのアンセルメの指揮ぶりは、いっそう色彩感に溢れ、千変万化するリズム処理は見事ということに尽きる。これだけの興奮と緻密さをもってこの曲が演奏されることはない。

このようなアナログ初期のデッカ・サウンドは、RCAにおけるLIVING STEREOの一連の録音などと同様、芸術的な域に達しているとさえ言えるだろう。それは現在の、より多くのビットと広い帯域をもったデジタル・サウンドとも異なるものだ。もしかするとコンサートホールでさえ聞くことのできない音がそこにある。これはステレオ録音技術が最初に目指した音楽表現のひとつの到達点である。

今発売されているこの演奏のディスクには他に、歌劇「はかなき人生」から間奏曲、それに今一つのバレエ音楽「恋は魔術師」が併録されている。だが私が昔買ったCDには、「恋は魔術師」はついていなかった。だからというわけではないが、「恋は魔術師」は別の演奏から選ぼうと思う。

2020年9月25日金曜日

ファド名曲集(アマリア・ロドリゲス)

ポルトガルの首都リスボンは、函館に似ている。海に近くて料理が美味く、坂道を古い市電が走り、ひと時代前のノスタルジーに溢れている。かつて函館を舞台にしたモノクロ映画を見たことがあるが、そのタイトルは「とどかずの町で」というもので、音楽に使われている作品の中にポルトガルを題材にしたものが混じていたように記憶している。ただ北海道生まれの妻に言わせるとリスボンは、室蘭なのだそうだ。

リスボンは暗い事情のある男女が駆け落ちする街にピッタリの風情がある。リスボンを舞台にした映画「過去を持つ愛情」は、パリを逃れてやってきた男女が、南米行きの船を待つ間の恋を描いたフランス映画である。私はかつて衛星放送で放映されたのを覚えている。最後のシーンが印象に残った。この作品で歌われたのが「暗いはしけ」という歌である。アルファマ地区と呼ばれるリスボンの下町は、市電がやっと通れるような狭い路地を縫うように走り、庶民的な生活の匂いがただよってくるところでる。小高い丘からはテージョ川河口が見える。アズレージョと呼ばれる青いタイルが映える。そんな街の夜の居酒屋で、地元の女性歌手はあまりに情に満ちたファド「暗いはしけ」を歌う。この映画は彼女だけでなく、リスボンの街そのものを有名にしたと言って良い。

話は変わるが、大阪のキタにかつて「ワルツ堂」という、クラシック通には有名なレコード屋があった。当時大学生だった私はある日たまたまこの店に入り、CDやレコードを物色していると突然、独特の弦楽器を伴う哀愁を帯びた歌声が聞こえてきた。それは叫ぶような歌声で、時に音程を外しかけるようなサビを連発していた。このレコード屋には名物の店主がいて、そんな評判の演奏を聞かせては客と対話する。そしてある客がついに尋ねた。「これ、何の歌ですの?」。すると店長は一枚のCDを取り出し、「はい、これ。なかなかいいですやろ」。話はそれから数年前に遡る。

1987年に初めてヨーロッパを旅行した私が、どうしてまたリスボンくんだりにまで足を運ぶことにしたかは、もしかするとこのファドの魅力によるのかも知れない。といってもまだインターネットもない時代、遠いヨーロッパの歌謡曲など知る術もない。ファドという、とてもエキゾチックな音楽がある、ということしかわからない。そこで私がリスボンの街を友人と別れてひとり歩き、エデュアルド7世公園にほど近い、当時としては最新で唯一の高層ビルの中にレコード屋を見つけた。私はファドのディスクを買ってみようと思い、入ってみた。

ところが当時、CDはまだ発売され始めたばかりの頃で、ポルトガルではまだあまり出回っていなかった。「ファドを聞いてみたい」という私のリクエストに、店員は棚の中から2種類のカセットテープを取り出した。一枚は最新の男性歌手によるもので、もう一つはアマリア・ロドリゲスのライブ。男声のファドというのもめずらしいが、コインブラを中心に歌われている少し女々しい歌は、女声によるファドとはまた違う趣きがあった。私はそれらを買って日本に持ち帰り、「涙」「憂い」「懐かしのリスボン」といった名曲を聞いていった。もちろん「暗いはしけ」も。そしてヨーロッパ旅行から帰国して何年かたったある日、大阪の「ワルツ堂」で耳にしたのが、そのアマリア・ロドリゲスの、もっと明瞭に録音された、アナログ録音の香りが彷彿とするCDだったのである。

私はこのCDを衝動的に買った。そして調べて見ると、アマリア・ロドリゲスはまだ健在の現役歌手であり、たまに来日公演を行うことがあるそうだった。ポルトガル語がわからない私は歌詞カードを見ながら、まるで演歌のようなその台詞に胸が締め付けられるような思いがした。リスボンの抜けるような青空とは対照的に、何と心は哀しいのだろう。例えば「涙」の歌詞…

涙でいっぱいになって 涙でいっぱいになって
わたしは横たわる(中略)
もし わたしが死んだなら
あなたがわたしに 涙を流してくれるのだとわかったら
ひとしずくの涙 あなたのひとしずくの涙のために
どれほどうれしく 私は殺してもらおうとするだろう

郷愁、憧憬、思慕、切なさといった、どこか日本の心を思わせるような意味を持つ「サウダーデ」という言葉は、ポルトガルを語る時、避けられないものである。そのポルトガルと我が国は、戦国時代から縁が深い。我が国に初めて西洋文明をもたらしたのは、大航海時代のポルトガルだった。ポルトガル旅行のあと、長崎や澳門、あるいはマラッカといったポルトガルゆかりの地を訪ねることが、私の旅の一つのテーマとなった。そしてあの美味しいワインともに鰯や干し鱈などを食するポルトガル料理もまた、我が家では時折チャレンジするものとなっている。

ファドはその後、ポルトガルが経済成長をして有名な観光国となり、東京にもポルトガル料理のレストランが誕生した現在では、気軽に聞くことができる。もちろん音楽はダウンロードやストリーミング配信によって、簡単に手に入る。「ワルツ堂」をはじめとする数多くの個性的なレコード屋が姿を消し、音楽との出会いがかつてのような偶然と感動に満ちたものではなくなった。手に入りにくいからこそ思いが募るという当たり前だった経験は、現代に入ってもはや消え去ってしまったのだろうか。

リスボンで買った2つのカセットテープは長らく私の宝物だったが、もはやデッキが壊れ聞くことができない。かわりに私はMP3形式でデジタル化し、ハードディスクに入れてある。それもあと何回聞くことになるかは、実のところわからない…。


【収録曲】
1. 私の憂い
2. 涙
3. 月の花
4. 暗いはしけ
5. ポルトガルの四月(コインブラ)
6. 懐かしのリスボン
7. 愛しきマリアの追憶(マリキーニャス)
8. かもめ
9. わが心のアランフェス
10. バラはあこがれ
11. 孤独
12. にがいアーモンド
13. マリア・リスボア
14. どんな声で
15. 洗濯
16. 私は海へ
17. 叫び
18. 川辺の人
19. アイ・モーラリア
20. このおかしな人生

2020年9月12日土曜日

スペインとポルトガルの管弦楽作品集(アルヴァロ・カッスート指揮アルガルベ管弦楽団)

我が国のクラシック音楽の分類は、どういうわけかまず交響曲があって、その次に管弦楽曲、協奏曲などと続く。交響曲や協奏曲も管弦楽曲ではないかか、などと思うし、そもそもこの分類に相応しくない曲も多い。さらには宗教曲とか声楽曲となると分類はもういい加減になってゆく。そしてさらに次の段階の分類には、何と作曲家のアルファベット順というのが一般的だ。ロシア語圏の作曲家でも英語表記に変える。いっそアイウエオ順にすればいいのに、と思っている。

この結果、クラシック音楽の名盤を紹介した書物などを買うと、まず交響曲の章があって、その中から作曲家のABC順に作品が並ぶ。バッハは「交響曲」を作曲していないから、最初の作曲家は通常ベートーヴェンからということになることが多い。すぐにブラームスやブルックナーなどが続くというわけである。

ところがかつて私の手元にあった「名曲名盤」の類の雑誌は、そのベートーヴェンの前に「アリアーガ」という作曲家の交響曲が掲載されていた。アリアーガ?誰?と思った。もちろん簡潔な紹介文があって「スペインのモーツァルト」などと紹介されている。でもそのような作曲家や作品なんて聞いたこともない。ディスクもほとんどない。そういうわけで謎の作曲家、アリアーガの作品に触れるにはそれから20年以上の歳月が流れた。2000年代になって私は30代になり、そしてまだ売り上げの盛んだった新譜のCDがNAXOSから発売された時、私はついにこの「スペインのモーツァルト」を聞くときが来たと思った。

そのCDは「スペインとポルトガルの管弦楽作品集」と題されており、ポルトガルの新しいオーケストラによって演奏されている。アルガルベ管弦楽団というのも聞いたことはないし、カッスートという指揮者も無名だった。もとより、アリアーガ以外の作曲家については全く知られていない。そしてこんなCDを買う人もいないだろうと思われたが、無名の作品というのも何となく魅力を感じるものである。私はそれを渋谷のタワーレコードで購入した。

ホアン・クリストモ・アリアーガは1806年に生まれたバスク人の作曲家である。この時もうすでにモーツァルトはいない。そしてわずか20年の人生を終える。夭逝した神童作曲家がモーツァルトに似ているというただそれだけに理由のような気がする。なぜならその作風は、やはり初期のロマン派だからである。例えばこのCDの最初の作品、序曲「幸福な奴隷たち」はロッシーニの若い頃の作品を思い起こさせる。そうと知らずに聞いたらわからないだろう。そして交響曲ニ長調もまたシューベルトの初期の作品のようである。

長い間私にとってヴェールに包まれていたアリアーガの交響曲は、決して悪い作品ではないが、取り立てて目立つ存在でもない。印象が薄いと思う。それでもこの作品は、スペインにも古典派様式を学び、そこから独自の作風を求めた若き作曲家がいたことを示してくれる。長いアダージョの序奏に続き、ほのかに暗い主題がほとばしり出る第1楽章はソナタ形式である。第2楽章はアンダンテ、第3楽章はメヌエット、そして終楽章は再びアレグロとなる。

さて、私はポルトガルという国に深い思いを持っている。初めてのヨーロッパ旅行では、北欧からポルトガルまでを旅行した。暑かったが物価は安く、食べ物は美味しかった。そしてあの抜けるような青空のリスボンで、ひとり坂道を歩いたときの爽快感は忘れられない。それから10年近く経って再びここを新婚旅行で訪れた。この時はクリスマス前の冬だったが、あの暖かいぬくもりと素朴さの国はそのままだった。私はコインブラへもドライブし、大西洋のマデイラ島にまで足を延ばした。

そのポルトガルは、どういうわけかクラシック音楽の世界では忘れられた存在である。有名な作曲家は思い当たらず、世界的なオーケストラや指揮者も思い浮かばない。ピアニストのピレシュくらいだろうか、パッと思い浮かぶのは。そういう国だから、私も長年、ポルトガルの作曲家というのを知らなかった。ファドなら何曲も聞いていたのだが。

このCD「スペインとポルトガルの管弦楽作品集」に収められているアリアーガ以外の作品は、いずれもポルトガルの作曲家によるものだ。だがこれらの作品に、あの情熱の国スペインをさらにローカルにしたような、素朴で激情的なメロディーを期待することはできない。なぜならここに登場する作品は、いずれもバロック後期から古典派の時期に作曲されたものばかりだからである。

最初のセイシャスによる「シンフォニア」は通奏低音も入る作品で、まるでヴィヴァルディ。18世紀前半の作品である。一方、カルヴァーリョは、続くモレイラとポルトガルの2人の師匠でもあったようだ。この3人の作品に共通しているのは、イタリア風の明るさを持っている点である。だから平凡ではあっても幸福なメロディーを聞くことはできる。ただそこにイベリア半島の風情を期待するには時代が早すぎる。ポルトガルの作品になってようやくほのかな暗さを感じるのは、ドイツにおけるウェーバーがそうであるように、これはロマン派の入り口に入ったからであろう。

というわけで、「スペインのモーツァルト」に始まる当CDについては、珍しい作品を並べたという意味で興味深くはあるのだが、それを今後何度も聞くだけの気持ちは沸かないだろうと思う。ただそう思えば、少し淋しい気持ちではある。そういえば、ポルトガルを新婚旅行で訪れたときは、まだあと何回も来るチャンスがあるだろうと思っていた。アズレージョと呼ばれるタイルや刺繍のテーブルクロスを買い、ポルトガル料理とワインの本を買って帰ったのは1996年のことだった。ポウサーダと呼ばれる国営のホテルが全国各地にあって、行きにくいところにあるだが、それは大変に素晴らしい。もちろん私は南部のアルガルベ地方にも、次回はゆっくりと旅行するつもりだった。だが、その機会はいまだに来ていない。

 
【収録曲】
1. アリアーガ:序曲「幸福な奴隷たち」
2. アリアーガ:交響曲ニ長調
3. セイシャス:シンフォニア変ロ長調
4. カルヴァーリョ:序曲「勤勉な愛」
5. モレイラ:シンフォニア
6. ポルトガル:歌曲「アルバ公爵」序曲

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...