2013年7月31日水曜日

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調K218(Vn:パメラ・フランク、デイヴィッド・ジンマン指揮チューリヒ・トーンハレ管弦楽団)

有名な第3番と第5番に挟まれた第4番のヴァイオリン協奏曲は、派手さはなくさほど有名でもないが、聞くほどに味わいもある曲だ。

威勢よくはないが、しっかりとした足取りで開始される第1楽章は、第3番や第5番のような爛漫な雰囲気ではなく、もう少し影がある。だが、このようなモーツァルトもまたいいものだ。第2楽章などは特に、そう思う。第3楽章になると、途中でヴァイオリンが2つの音を同時に鳴らすような弾き方をする。その部分が面白い。

パメラ・フランクによるこの演奏は、2枚組で1000円程度で買ったように記憶している。しかし録音の素晴らしさと、それになんといっても伴奏のトーンハレ管弦楽団の透きとおった、それでいて品のある伴奏は、丸でミネラル・ウォーターのように心地よい。デイヴィッド・ジンマンが指揮をしているこのARTENOVAのシリーズは、ベートーヴェンやシュトラウスなどの快進撃のあと、マーラーを経てシューマンやシューベルトの交響曲をすべてリリースした。

この2枚組は全集だが、どの曲の演奏も素晴らしい。特にここで私は第4番の演奏として、少し古楽器の影響を受けた最近の演奏で聞いてみたいと思った。この曲はそういう演奏によって、見事に新しい息吹を吹き込まれた。それもさり気なく。

まだ20歳にもなっていなかったモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の録音を、これ以上集めることはないだろう。 すなわち、古いが今でも高貴なグリュミオー、個人的に好きな90年代初頭のベル、そして新世紀に入る頃のフランク。このどれかで、私の場合はまあ十分である。


2013年7月29日月曜日

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K219(Vn:ジョシュア・ベル、ペーター・マーグ指揮イギリス室内管弦楽団)

16世紀から17世紀にかけて、ウィーンは何度もトルコ軍に包囲され、その脅威にさらされた。だがそれもモーツァルトの時代にはすでに終止符が打たれていて、その後にトルコ風の文化の影響が残った。ウィーン中にいまでも多く残るカフェもそのひとつだが、音楽の側面においてもこの時期の、すなわちウィーン古典派の作曲家たちの間にトルコ風メロディーが流行る。モーツァルトやベートーヴェン、それにシューベルトまでもが「トルコ行進曲」を書いているし、モーツァルトのオペラ「後宮からの逃走」などは、その軽快なマーチ風リズムをふんだんに織り込んでいる。

ザルツブルクに住んでいたモーツァルトも、そのヴァイオリン協奏曲第5番の終楽章で、トルコ風のリズムを取り入れたのは流行のせいだろう。太鼓やシンバルこそ使われないが、オーケストラのコル・レーニョ奏法のリズムに乗って、独奏ヴァイオリンが印象的なメロディーをかき鳴らす。この曲が「トルコ風」といわれる所以で、初めて聞いた時にもそれとわかる部分であった。

昔の演奏は、第1楽章の冒頭から元気よくしかもおおらかに、この若々しいモーツァルトの音楽を表現しているように思えた。だがそのような演奏家が去り、世代交代が進んで、80年代は名ヴァイオリニストが少ない時代だったように思う。ところが90年代に入り、若い世代が瑞々しい感性で、それまでにはなかった雰囲気の演奏を繰り広げ、その多くが技巧的には、かつての演奏家を凌駕するかの勢いでもあった。

そのような中にあって、1991年に登場した若干24歳のアメリカ人ヴァイオリニストは、当時でも80歳になろうかとしていた名匠ペーター・マーグの安定感のある伴奏によって、のびのびと2つのヴァイオリン協奏曲を録音した。この演奏は、もし昔のSP時代の演奏家のレコードから、ヒス・ノイズを取り除いてデジタル化したら、こういう録音になったのではないだろうかと私を思わせた。雰囲気が何ともレトロなのである。

明るく天真爛漫という風ではないし、かといって技巧を強調するわけでもない。むしろ大人しくモーツァルトの音楽をそのままストレートに弾いている。伴奏が遅いので、たっぷりと時間をかけているということもある。だから第2楽章などはいつまでも鳴っている感じである。取り立てて特徴的ではないところが、何とも素敵な一枚である。思えば80年代では、そのようなひたすら真面目で綺麗な演奏が多かった。演奏のスタイルとして、今では物足りない感じがするとしても、この時の若い感性が、ほぼ同世代の私にとってしっくりと来ている。そしてジョシュア・ベルは、今でもとても魅力的な演奏を続けている名ヴァイオリニストであり続けている。

なお、このCDでは第3番、第5番ともに彼自身によるカデンツァが用いられている。

2013年7月25日木曜日

モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K216(Vn:アルトゥール・グリュミオー、コリン・デイヴィス指揮ロンドン交響楽団)

モーツァルトの5つのヴァイオリン協奏曲は、集中的に作曲されている。第1番変ロ長調K207、第2番ニ長調K211は、しかしながらほとんど知られていない。これに対し、第3番ト長調K216と、第5番イ長調K219は有名である。比較的地味な第4番ニ長調K218が、これに続く。

私が初めてモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を聞いたのは、確か中学生の時で、やはり第5番だったが、当時LPレコードの表と裏にこの組合せで収録されるのが通常だった。第5番は「トルコ風」というニックネームが付けられていて、特に有名な曲ということになっていた。CDの時代になってここにロンドハ長調K373やアダージョホ長調K216が加わった。

これらの一群のヴァイオリン協奏曲は、彼の19歳の年である1775年、ザルツブルクにおいて作曲された。故にこれらは「ザルツブルク協奏曲」と呼ばれているようだが、そのようなことはこれまで知らなかった。いずれもモーツァルトの若々しいリズムや、優雅なメロディーが溢れてくる名曲である。

私はイツァーク・パールマンの独奏、ジェームズ・レヴァイン指揮のウィーン・フィルによる演奏をテープに録音して楽しんでいたと記憶しているが、この第3番を初めて聞いたのは、 もう少し古いグリュミオーによる演奏によってだった。第5番しか知らなかった私は、第3番も大変素敵な曲で、その第1楽章の冒頭は忘れられないメロディーであることを発見し、大変嬉しくなった。それからしばらくは第3番ばかりを聞き、もしかしたら第5番よりもいい曲なのではないか、などと思ったりした。

後年になって、1960年代初期に収録されたこのコンビによるヴァイオリン協奏曲全集がCD2枚組の廉価版で再発され、私は躊躇なく購入したが、録音は大変素晴らしく、明るく歌うグリュミオーの屈託のないヴァイオリンと、それをサポートする若いコリン・デイヴィスの快速の伴奏が一体になって、聞く者を幸福にさせる。今でもこの演奏は、大変魅力的である。こんなに幸せな曲はないのではないか・・・あるとき若い私はそんなことを考えたことを思い出す。

快活な第1楽章に続く第2楽章の素晴らしさ。だが、今私はモーツァルトのオペラを毎日のように聞いている。「フィガロ」にせよ「魔笛」にせよ、いや「イドメネオ」だって、モーツァルトのオペラほど私を幸福にしてくれるものはない。このような音楽が果たしてあったのだろうか、などと今更ながら思う。オペラ作曲家としてのモーツァルトを知ってしまうと、それ以外のジャンルの曲が、「ついでに」作曲されたのではないか、とさえ思えてくるから不思議である。

だからといって、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲もたまにはいいものだ。猛暑の夏に、一服の清涼剤のように、耳に心地よく響くメロディーを聞きながら、今日も電車で会社へと向かった。

2013年7月22日月曜日

管弦楽曲集Ⅰ・Ⅱ(ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮バイエルン国立管弦楽団)

今年逝去したサヴァリッシュの録音が、追悼盤として発売されている。その中にもあり、また私がもっとも愛している隠れた名盤が、この管弦楽曲集である。2枚は別々に発売されたが、いずれもジャケットは指揮者の顔写真のアップである。このCDを企画した担当者の気持ちが現われているような選曲で、しかも素晴らしい演奏である。

第1集はロシア物が中心で、他にロシア人の指揮者によるコッテリした演奏がいくらでもあるのだが、ここはサヴァリッシュの演奏で楽しむべきものである。一方、第2集は喜歌劇を中心に、ポピュラー・コンサートである。だがサヴァリッシュの真面目な指揮はこれらの曲を、打ち解けた洒落っ気などほとんどない、実直な演奏として聞かせる。

ここには今ではほとんど聞くことがなくなったエロールの「ザンパ」序曲なども含まれているが、面白いのはサヴァリッシュがもっとも得意としていたモーツァルトやワーグナー、あるいはR.シュトラウスなどの曲が含まれていないことだ。 ウィンナ・ワルツやウェーバーの曲なども、既に録音があるために見送られたのかも知れない。だがそのことがサヴァリッシュをして振らせてみたい曲のオン・パレードとなった。

私はスッペの喜歌劇「軽騎兵」の演奏が聞きたくてこのCD(第2集)を買った。カラヤンの名盤があるのだが、ここではサヴァリッシュが聞きたかったからである。それはこのCDが発売される少し前、NHK交響楽団の演奏会でサヴァリッシュがこの曲を振ったのをテレビで見たからである。サヴァリッシュ・ファンの私にとってこのコンサートは、とても嬉しいものだった。だが当時、家にはビデオがなかった。テレビも1台しかなく、そのチャンネル権は喧嘩の末、弟に奪われた。落胆していた私は、その時とよく似たプログラムのCDがリリースされるのを聞いて、迷わず買うことにした。

このCDは日本の会社で企画され、録音されたようだ。よって東芝EMIから発売はされたが、レーベル名がEASATWORLDとなっている。1枚3000円のCDだったので2枚で6000円だった。そういう経緯があるにもかかわらず、このCDの解説には簡単な曲目の紹介があるだけで、録音に至った経緯などといったものは書かれていないのが少し残念であった。

私はこのCDをテープにダビングして、カーステレオで何十回と聞いた。当時私は毎日のように家の周りをドライブする必要があったので、その時には常に持ち歩いていた。そうすると、それまで聞いていなかった曲までもがサヴァリッシュ風の演奏に馴染み、耳にタコが出来る頃にはすっかりサヴァリッシュの音楽に染まってしまったのだった。ちょっと鈍重な感じの「ルスランとリュドミラ」序曲も、茶目っ気のない「天国と地獄」序曲も、フランス風のエスプリとは無縁の「スペイン狂詩曲も、これで大好きな演奏になったのである。

今ではほとんど聞き返すこともないが、思い出のCDとしてラックに収めてある。追悼の時が来た今年、久しぶりに聞いてみた。そしてこの文章を書いておこうと思った。私はここに収められている中では、今ではリムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」がもっとも気に入っている。ストレートな演奏が、熱く燃えていく様がよくわかる。以下に収録曲を書き写しながら、ひとつひとつの曲を思い起こしている。

【収録曲】
第1集
  1.グリンカ:歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲
  2.ボロディン:中央アジアの草原にて
  3.ムソルグスキー:交響詩「禿山の一夜」
  4.カバレフスキー:組曲「道化師」
  5.プロコフィエフ:組曲「3つのオレンジへの恋」より行進曲、スケルツォ
  6.リムスキー=コルサコフ:スペイン奇想曲
第2集
  1.スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
  2.エロール:歌劇「ザンパ」序曲
  3.スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲
  4.スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
  5.オッフェンバック:喜歌劇「天国と地獄」
  6.ウォルフ=フェラーリ:歌劇「マドンナの宝石」より間奏曲
  7.ベルリオーズ:「ファウストの劫罰」よりハンガリー行進曲
  8.シャブリエ:スペイン狂詩曲
  

2013年7月20日土曜日

プッチーニ:歌劇「トスカ」(1987年8月11日、ローマ・カラカラ浴場跡)

朝フィレンツェを発ち、昼過ぎにローマに着いたので昼食をテルミニ駅のカフェテリアでとっていた。外は30度を超す暑さである。今日の宿はあまり歩かなくてもいいように、駅の近くにしようなどと同行の友人と話していると、向こうのほうで手を振っているイギリス人の老人がいた。

彼は私たち日本人の学生に英語で話しかけ、昨夜見たオペラ「アイーダ」がいかに素晴らしかったかを話した。英語で話ができる人が欲しかったのだろうと思った。彼は私たちにも是非カラカラ浴場跡で開催される夏の野外オペラを見ると良い、と言った。「チケットはそこのオフィスで買えるから」とも付け加えた。

私たちと、そこに居合わせた他の日本人2人の計4人は、その忠告にしたがって当夜の出し物である「トスカ」のチケットを買った。記録によればチケット代は一人15000リラで、後方ではあるが中央寄りの席であることを考えるとこれは大変に安い。バスに1回乗って1200リラ、Tシャツが5000リラであったのだから。

「何でも見てやろう」の精神で、私たちは夜8時の開幕に、路線バスで駆けつけようとした。ローマ時代の遺跡を利用した野外オペラは、その後90年代に入って、遺跡の痛みが激しく中止されてしまった。だが2000年代に入って復活したようだ。この舞台では、あの「三大テノール」の最初の公演がされたことも知られているが、それはその3年後のことである。

ローマ市内を走るバスはわかりにくいので、私たちは路線図を片手に来たバスに乗り込むや、「カラカラ?」などと運転手に聞いてみた。ところがこれが通じない。運転手は乗客に向って、この日本人のいうことがわかるか?などと聞いている。この間バスは、満員の乗客を乗せたまま停車中である。やがてそばにいた夫人と紳士が「カラカーラ?」を聞いてきた。そうか、「カラカーラ」か。すると運転手はわかったようで、OKのサインをした。乗客たちに笑いが広がり、その夫人と紳士は私たちに発音指導をすることになった。「カラカーラ」「カラカーラ」「言ってみよ!」わかった、何やら恥ずかしかったが、言うしかない。私は大声で「カラカーラ!」と叫び、運転手は紳士と顔を見合わせ、「それでよし」という風にうなずいた。そしてゆっくりとバスは発車した。勿論その紳士は、降りる際、私たちに再度「カラカーラ」と言って念を押した。

イタリアの旅行がなぜ楽しいかは、この体験で実証された。思えばまだ旅行ブームが沸き起こる少し前であった。歌劇場へ着くと、私たちはうだるような暑さの中、うちわをもらい、一目散に席を目掛けてダッシュした。なぜならみながそうしていたからだ。もしかすると自由席だったのかも知れない。だが、そこには十分な席があり、着席するとやがて第1幕が始まった。

さて、ここで私は誰がトスカを歌い、誰がスカルピアを演じたか、指揮者は誰であったかを記録していない。日時は正確なので、いずれはわかるかと思うが、大変残念なことに初めてのオペラ体験はこのような記憶しかない。「トスカ」は甘いメロディーもあるが、「ボエーム」とは違ってもっと劇的で、しかも残酷なオペラである。プッチーニのほとんど唯一イタリアを舞台とした作品であって、その本場ローマで「トスカ」を見ることができるとは、何とも嬉しい限りであった。

字幕もないので、音楽を知らなかった私は、テ・デウムのシーンなどが素敵だったということと、有名なアリア「歌に生き、恋に生き」、「星も光りぬ」というシーンでは、他の観客と一緒に体を揺らして聞き入ったことくらいしか覚えていない。それから、開幕後第2幕までは、木々に蝉が多くいて、ライトに照らされてワンワンと泣いていたのが、第3幕となるとそのライトが消えて会場がとても静かになったことを印象深く覚えている。

夜半をすぎる頃にようやく終わり、臨時に運行されるバスを見分けて乗り込んだ。テルミニ駅近くの宿に戻ったのはもう、1時ころを過ぎていただろう。だが宿の若者は私たちを迎え入れ、陽気に歌いながら部屋の鍵を渡してくれた。賑やかなイタリアの夏は、アルプス以北とは全く異なった雰囲気であった。イタリアを訪れた多くの作曲家も、このようなイタリア滞在を楽しんだのだろうか、などと思いながら、心地よい眠りについた。

2013年7月17日水曜日

モーツァルト:セレナーデ第9番ニ長調「ポストホルン」K320(ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

今年は例年になく早く梅雨が開け、暑い夏が到来した。このような暑い時期に、何か聞きたくなるような曲はないかと考えたら、どういうわけかモーツァルトの「ポストホルン」セレナーデが思い浮かんだ。若いころは良く聞いていた曲で、懐かしい。最初に聞いたのはカール・ベーム指揮による演奏だった。ここでオーケストラはベルリン・フィルだったと思う。かっちりとした、風格のある演奏だった。

モーツァルトが23歳の頃に作曲したこの曲は、彼のザルツブルク時代の最後の頃の作品である。セレナーデにはいくつかの有名曲があるが、この曲はその中でも最も大きな規模の作品で、全部で7楽章もある。それぞれの楽章が大変美しく、どの部分をとっても捨てがたいので、交響曲に編集して演奏するというのは勿体無い話だと思う。

私はとりわけ第1楽章を好むが、心が洗われるような第2楽章のメヌエット、一度聞いたら忘れられない第3楽章のコンチェルタンテ、それに第4楽章ロンドもいい。第5楽章になって静かな部分になるが、このアクセントのおかげで続く2つの楽章が印象的である。

その第6楽章に郵便局のホルンが使われている。ヨーロッパを旅行すると、郵便局のマークはこのポストホルンの記号である。ベートーヴェンも交響曲第8番第3楽章のトリオで、ポストホルンにヒントを得た素晴らしい曲を作っている。モーツァルトのこのポストホルンは、わずかな部分である。この曲のニックネームだけを聞いてこの曲を聴き始めると、なかなかここに到達しない。だがそれまでの曲も素晴らしいので、まあポストホルンは付け足しといった感じではある。第7楽章では再び堂々としたフィナーレとなって終わる。

私はこの曲のCDを何枚か持っているが、ここでは最初に買ったネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズによる録音で聞いた。この演奏を初めて聞いた時、このような完璧な演奏は他にあるのだろうか、とさえ思った。それくらい録音と演奏が素晴らしい。だがそのように聞き惚れていた演奏も、今では少し大人しく、真面目すぎるなどと感じるのは、演奏スタイルの流行のせいであろう。

私は夏のスイスが大好きで、学生時代には2ヶ月を彼の地で過ごした。ポストホルンの響きに夏のスイスが印象づけられているのはそのためであるかも知れない。とにかく、このような素敵な曲を、完璧な演奏で聞いていると、何か少し涼しい気分がしてくるのは不思議なものである。

2013年7月14日日曜日

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ト短調「夏」RV315(Vn:アンネ=ゾフィー・ムター、トロンヘイム・ソロイスツ)

太陽が焼けつくように厳しいこの季節、
人も家畜も活力を失い、
松の木も燃え上がりそうだ。
かっこうが鳴き始め、
山鳩とひわも歌う。

そよ風が心地良く吹く。
しかし北風が不意に襲いかかる。
羊飼いは嵐を恐れ、
自分の不運を嘆いて涙を流す。
 
激しい稲妻と雷鳴、
そして群れなす無数のハエに、
羊飼いの疲れた身体は休まることがない。
 
ああ、恐れていたとおりだった。
空は雷鳴をとどろかせ、稲妻が走り、
あられさえ降らせて、
熟した穀物の穂を痛めつける。

夏に聞きたくなる数少ないクラシック音楽のうち、ヴィヴァルディの「夏」は標題音楽としてこれほど印象的な曲はない。ここ数日の東京の天気そっくりなほど、その詩(ソネット)の情景はヴィヴィッドだ。今日の午後は、数ある録音の中から、ムターの新しい方の演奏で聞いてみた。

ムターはデビュー当初、カラヤンとこの曲を録音し、映像とCDで出ているが、この1998年の録音は自らが中心となって、より奔放に演奏を楽しんでいる。中でも「夏」はもっとも充実した出来栄えと思っている。

ここでの「夏」は当然、イタリアの夏である。ヴィヴァルディはヴェネツィアで活躍した作曲家なので、北イタリアだろうか。だが北であっても夏は驚くほど暑い。私も2度ほど夏のイタリアを旅行しているのでそれはよくわかる。しかも日本にようにどこにでもエアコンやジュースの販売機があるわけではない。

ここで表現されている嵐は、上空に寒気がやってきて不安定な天候によるものである。我が国では梅雨の末期、暑い日こそサウナに入ると涼しく感じられるように、このような暑い曲を聞くのもいいのかも知れない。だがこの演奏団体のあるトロンヘイムは、ノルウェーの中部にある小さな港町だ。透明で透き通るような、丸で買ってきた氷のような涼しさを感じさせる音色だ、などと勝手に思ったりして暑さをしのいでいる。


2013年7月11日木曜日

オペラとの出会い

思うにクラシック音楽は、オペラとそれ以外に分けられる。オペラは本来劇場で見るものだが、管弦楽やソロ楽器のコンサートと違い、そう簡単に見るわけにもいかない。我が国では西洋音楽の伝統がないため、オペラの公演は非常に限られるし、たとえあったとしても高価である。いろいろ難しいことも多く、簡単に言えば敷居が高い。

そういうオペラの難しさを克服すれば、これほど楽しいものはないと思える。オペラがあることで長生きをしたいとさえ思う。もし時間やお金があれば、毎日オペラを見たり聞いたりして過ごしたいと思う。ではそのきっかけは何だったろうか?オペラとの出会いを振り返ってみたい。

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私が初めて全曲の管弦楽曲を聞いたのは、ベートーヴェンの「エロイカ」交響曲で、小学校3年生の時だった。だが、最初のオペラ全曲レコードとなると、確かな記憶が残るのは中学生の時でモーツァルトの「魔笛」である。演奏はゲオルク・ショルティの指揮するウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で、デッカのLP3枚組?であった。夏休みの絵画の宿題か何かを仕上げる時間に、これを聞いたのだ。「パ・パ・パ」などのメロディーを覚えている。

テレビで見たオペラがこれに続く。確か高校生の頃、ミラノ・スカラ座が来日し、カルロス・クライバーの指揮するプッチーニの「ボエーム」を見たのだ。これはFMでも生中継され、その白熱した舞台を聞いた。FM放送では40分にも及ぶインターミッションの時間中、興奮した音楽評論家の談義が終わらず、用意された音楽を中止するといった事態に及んだ。後日映像が教育テレビで放映され、特に印象的な最後のシーン(ミミが亡くなるところ)を鮮明に覚えている。確か演出はフランコ・ゼッフィレッリだった。

NHKの放送ではこの他に、ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演でレハールの「メリー・ウィドウ」を見た。興に乗った舞台は大変評判で、この時の指揮者ルドルフ・ビーブルという人はその後も何度も来日したようだが、この最初の舞台は度重なるアンコールに、オペレッタというのはかくも楽しいものかと思わせた。

自分で買った最初のオペラのLPレコードは、カルロス・クライバーのヴェルディ「椿姫」(抜粋)だった。しかし抜粋のLPはどうしても音楽の流れを削いでしまう。後年CDとして全曲盤を買い直したが、「椿姫」はむしろ大学生の時に見たオペラ映画「トラヴィアータ」こそが、私の最初のショッキングな体験であることは、先の記事でも書いた。

この他で記憶に残っているのは、NHKで放送された藤原歌劇団の公演、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」で、アズチェーナがコッソット。それからウィーン国立歌劇場でライブ収録されたビゼーの「カルメン」。これはあのカルロス・クライバーが指揮をしていて、私はテレビのイヤホンジャックからカセット・テープレコーダーに接続し、モノラル録音して何度も繰り返し聞いたものだ。

大学生になると、NHKが衛星放送というのを始め、オペラの全曲放送がさかんに行なわれた。私には時間があったので、これらの作品はその多くをVHSのビデオ・テープに収録して楽しんだのは言うまでもない。その中で最大のものは何と言っても、パトリス・シェロー演出のワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」 である。指揮はピエール・ブーレーズである。このビデオは何度か放送されたが、私が真剣に見たのはその1幕づつを毎夜放映した時で、この時は自宅の応接間に鍵をかけ、電話その他を一切遮断してステレオ大音量で見入った。最初のワーグナー体験であった。

衛星放送のオペラはこの他に、サヴァリッシュ指揮のモーツァルト「魔笛」(グルベローヴァが夜の女王) 、カルロス・クライバー指揮のヨハン・シュトラウス「こうもり」(バイエルン国立歌劇場の大晦日公演)、マゼール指揮のヴェルディ「アイーダ」(スカラ座公演)、レヴァイン指揮のヴェルディ「イル・トロヴァトーレ」、ムーティ指揮のモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」(スカラ座公演)などが記憶に残っている。この他にも沢山録画したが、見ていないものも多い。

CDの時代に入ったがオペラの全曲盤は大変に高価であった。対訳がないと台詞もわからない。したがってどうしても躊躇してしまう。ところがあるとき、レンタル・ビデオ屋にクラシックのCDを置いているところがあって、その中でも最大規模ものが大阪梅田にあることを発見した。オペラ全曲をダビングするには、カセットが何本も必要だった。だがVHSビデオ・テープの音声トラックを使えば、3倍モードで6時間も録音できる。この方法で私は、カラヤン指揮のヴェルディ「オテロ」(マリオ・デル・モナコ主演)を録音したが、ヴェルディの後期の音楽は、私にやや混乱をもたらした。音楽だけだとあまり楽しめないのだ。

やはりオペラは実際に見てみないとわからないものである。 そこで次回からは実際に見たオペラ公演を振り返っておこうと思う。すべての公演は良く記憶している方だと思う。いまのうちに書き留めておこうと思うのだ。最初は、ローマでの「トスカ」から・・・。

2013年7月9日火曜日

ドビュッシー:交響詩「海」、牧神の午後への前奏曲、ラヴェル:「ダフニスとクロエ」組曲第2番、ボレロ(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

カラヤンの一連のドビュッシーの録音には、主要なものだけで4種類(映像は除く)あり、そのうちの最初のフィルハーモニア管弦楽団とのものと、77年のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とのもの(EMI盤)は、あまり目立たないために熱心なリスナー向けであると思われる。このため、最終的には64年盤と85年盤との比較となる。

私はカラヤンの演奏は、いつも60年代の方がいいと思うことにしている。これは経験からそう思うのだが、録音自体はもちろん80年代の方がいいだろうし、すべての演奏を比較してい言っているわけでもない。だが、録音の技術を追い求めたカラヤンでも、指揮の水準は維持できなかった。結局、いくつかの例外を除けば、私は断然60年代のものをとることにしている。

ここで困ったことが起こる。ドビュッシーの「海」などをおさめた60年代の録音は、何度か再発されているが、カップリングがムソルグスキーの「展覧会の絵」となっているのである。これも名演奏だと思われるが、私は「牧神の午後」も好きだし、それにラヴェルの「ダフニスとクロエ」もそろえておきたい。そしてこういうカップリングのCDは、あるのかないのか、あまりお目にかからず、けれどもどこかで発売されているようでもあったし、それが廃盤になっていたりもした。

待つ、ということにしていたが、何年たってもなかなかいいカップリングが出ない。その間にやはり80年代の録音はいつも注目され、そしてこのドビュッシーに関しては、それはそれで名演奏であることが知られているようだ。やはり諦めようか、などと思っていた。そんなある日に、私はDeutsche Grammophonの紙のジャケットCDで、これらドビュッシーとラベルをうまくカップリングした新リマスター盤が発売されていることを知ったのである!

さて、その演奏であるが、これはやはり今聞いても新鮮な最高の演奏であるといわねばならない。普段はあまり聞かないドビュッシーも、カラヤンのマジックにかかると何と新鮮なことか。独奏のフルートはゴールウェイではないかと思われる。例年以上に早い梅雨明けに戸惑う間もなく猛暑が続き、立ちくらみを覚えるような昼下がり、私は早めにオフィスを出て、冷房のきいた喫茶店でコーヒーを飲みながら、いつものiPodで聞いた。至福のひとときであった。

ボレロでは、10分程度を過ぎたあたりで初めて弦楽器が登場する。ここは一番の聞かせどころで、第1ヴァイオリンがあの旋律をすうーっと弾く時には背筋がぞくぞくするものだ。それまでの菅楽器のみの編成からいよいよ大団円に向かうその最高の見せ場で、何とカラヤンは小太鼓の数を一気に増やし、そして音量を大きくしてみせた!やはりカラヤンは心憎い!そして続くヴァイオリンのレガートが、丸で単一の楽器を弾いているような完璧なアンサンブルを奏でる。何度練習したか知らないが、いくらベルリン・フィルでもそう簡単ではないだろう。統制と抑制の取れた旋律は、もちろんヴァイオリンだけではない!「ダフニスとクロエ」など、見事と言うほかない。

そう言えば、「海」で描かれた富士山の浮世絵は、まるで津波の中を船が行くさまである。北斎は少し誇張して描いただけだろうと思う。だが、この効果は遠いヨーロッパの人々にエキゾチックな発想を持たせるのに大いに貢献した。そして今日、日本人の私が聞いても、西洋風でもなく日本風でもない、独特の雰囲気を楽しむことができる。

2013年7月7日日曜日

映画「ワーグナー 偉大なる生涯」(第1部)(1983年、イギリス・ハンガリー・オーストリア)

私たちはすでに、大成功をおさめ音楽史に名を残すまでになったワーグナーを知っている。バイエルン王の絶大なる庇護のもと、大作「ニーベルングの指輪」を上演する専用のオペラハウス(バイロイト祝祭劇場)まで作ったドイツの大家は、ベートーヴェンの音楽世界とシャークスピアのドラマの世界を融合させた。だが、そのワーグナーも、若い頃から成功を約束されていたわけでは勿論ない。

それどころか、ワーグナーの波瀾万丈の人生は、(同年代のヴェルディほど貧乏で苦労したわけではないにせよ)自らの芸術的志向をどう表現するかについて、悩み続けた。ドレスデンで革命に参加した劇場の音楽監督は、間一髪のところで逮捕を免れ、亡命先で逃亡生活を余儀なくされる。この映画は、そのようなドレスデン時代から晩年までを描く大作だが、全部で7時間にも達するすべてを上演するわけではなく、チューリヒからヴェネツィアに至り再びスイスに戻るまでの放浪生活を描く第1部のみの(中途半端な)上映会であった。

ライプチヒで生まれたワーグナーにも、その少年時代や音楽学生の時代があったが、ここでのワーグナーはすでに「リエンツィ」の成功でヨーロッパに名前を知られ、歌手のミンナとも結婚をした後の、いわば「大人としての人生」から始まる。そのせいか、全体に漂う冷静さがまずは映画を見るものを少し退屈にさせる。加えてこの映画では、音楽的なシーンが少ない。ローエングリンなどの名作を生み出すことは、映画の中では基礎知識として持ち合わせていることさえ前提となる。

ショルティの指揮する音楽が随所に使われ、その音楽もわざわざ映画用に録音されたというこだわりだが、オペラのシーンは避けるように乏しく、マイアベーアとの出会いも、パリでの極貧生活も描かれていない。ここではそういったことを前提に知っている人が、さらにどのような雰囲気でマチルダとの交際に及んだか、といったシーンを興味深く見ることとなる。だがそのような知識がないと、かなり偏った部分がつなぎあわされ、しかも漠然としたものになるのではないかと思われた。

会場には数多くの客が2階席にまで入り、しかも上演前にはゲストによるプレトークも行なわれた。映画館専用のホールではない上映会で、このような客の入りは結構なものである。ヴェネツィアでの生活に見切りをつけ、スイスに向かうところで突然中断された客は、そうはいうものの少しずつ全体を楽しみつつあったところに水を差された格好で、溜息が漏れた。ヴェーゼンドンク夫妻との諍いあたりから、少しずつ面白くなってきたのに、というわけである。

だが私にとって、この「トリスタンとイゾルデ」が誕生するきっかけとなった出来事が、一流の俳優によって演じられたシーンを見ることによって、この夏に予定している「トリスタン」の映画上映に向けた予習を行うことが出来た。それからミンナという最初の妻は、やはり可哀想だなとも思った。芸術家の人生とは、やはり一般の生活とは違うものである。そうであると思えば思うほど、もう少し狂気じみた風に描かれていくのかと思ったが、この映画でのワーグナーは、少しとらえどころのない紳士である。もしかするとこれが実際に近かったのかも知れない。

ワーグナーを描いた映画は、しかしながらそう多くはない。そしてこの長編大作が、かなりの資金と工程を費やして撮られた数少ない映画である。今回の上映はディレクターズ・カットで、従来の編集済みのものではない、というのが売りである。だが、第1部のみを上映しておいて、あとはDVDを買ってくださいというのは、どうもいただけない。

2013年7月6日土曜日

ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(パルマ王立歌劇場ライブビュー)

ヴェルディが生まれたパルマ公国の中心、ブッセートにあるパルマ王立歌劇場では、毎年ヴェルディ・フェスティヴァルが開催されている。その公演をビデオ収録したものが最近相次いでリリースされ、我が国でも売られているが、そのシリーズはヴェルディのすべてのオペラ作品を網羅するという初めての企画で、珍しい作品も含まれるから大変素晴らしい。そのうち、2011年に上演された「仮面舞踏会」が映画上映された。私にとっては前回の「アイーダ」に次いで2回目の「ライブ・ビューイング」である。

今回の「仮面舞踏会」は、スウェーデンではなくボストンを舞台にした、初演時のあらすじである。ボストン総督リッカルドにテノールのフランチェスコ・メーリ、友人で秘書のレナートに、バリトンのウラディーミル・ストヤノフ、その妻アメーリアに、アーカンソー出身のソプラノ、クリスティン・ルイス、そして謎の女占い師ウルリカに、メゾ・ソプラノのエリザベッタ・フィオリッロ、リッカルドに仕える小娘オスカルは、ソプラノのセレーナ・ガンペローニ、指揮はジャンルージ・ジェルメッティ、演出がマッシモ・ガスパロン。

ヴェルディを歌う注目歌手を揃え、歌唱には問題がないにも関わらず、何となくノリが悪いのは何故だろうか。だがそれも第1幕だけで、第2幕になるとアメーリアとリッカルドの二重唱などはさすがに聞かせたし、最終幕のリッカルドの独白「永久に君を失えば」などは、ブラボーが鳴り止まない大成功だった。個人的には第1幕で登場した占い師ウルリカを歌ったフィオリッロは、アズチェーナを歌わせたいと思うような安定した低音で貫禄十分、リリカルなソプラノのオスカル役ガンペローニもとても印象的であった。そのことは登場する機会こそ少ないものの、会場の喝采をさらっていたことからもよくわかった。

仮面舞踏会は後期にさしかかるころののヴェルディ円熟期の作品で、45歳という作曲時の年齢は今の私に近い。初期の頃の、単純だが迫力と情熱に満ちた音楽は後退し、中期の見事なアリアの連続からも距離を保ち、ドラマと歌の融合を試みていくヴェルディの、まだ「オテロ」にまでは至らない途中の段階を聞くことができる。「仮面舞踏会」が他の作品に比べ目立たないのは、他の作品の水準が高すぎるからで、ベートーヴェンの「北欧の乙女」(交響曲第4番)のような存在と言えば、言い過ぎだろうか。この作品だけを残したとしても、ヴェルディは後世に名を残したと思えるような作品である。

ボストン提督リッカルドは、親友でもあり部下でもあるレナートの妻に恋をする。これは禁断の恋であり、このことを当事者の二人は心得ている。その円熟した人間的ドラマは、中期の作品、すなわち「リゴレット」「椿姫」「トロヴァトーレ」にはない魅力である。だが「オテロ」のように救いのない悲劇でもないのは、自分が裏切られたと思いつめたレナートに暗殺されるリッカルドが、この二人を最終的には赦しているからだ。仮面舞踏会に行く前に、部下のレナートを英国に帰還させる辞令を交付する。リッカルドは、諦めきれないアメーリアの最後の姿を、仮面舞踏会で見届けるつもりだった。だが時は遅すぎた。

刺されたリッカルドは、死の間際になってもレナートを庇うのは、この歌劇のストーリーの最大の重点である。リッカルドの心理的な変遷と、それを取り巻く人々の思い。そう考えると、このオペラの見どころは第2幕以降に集中する。ヴェルディのオペラの登場人物は、どんなに地位の高い人間であれ、いやそうであればなお一層、人間的で等身大の悩みを抱えている。

ワーグナーとヴェルディは同じ年に生まれ、それぞれがオペラの巨人として、意識しあっていたかのようにドラマと歌の融合を目指す。だが、その人生や性格は対照的である。二人のどちらをより好むか、という問いはオペラ好きの間でいつも繰り返されるが、私の場合、どちらかというとヴェルディである。偏見かも知れないが、ヴェルディはよりマッチョで、男性志向が強い。おそらく男性にファンが多いのではと思っている。これに対しワーグナーは女性志向が強く、女性ファンが多い(かどうか本当のところは知らないが、私自身は、より多くの女性が好むのはワーグナーではないかと思っている)。

男性的な視点で書かれている「仮面舞踏会」は、男性にはわかりやすく、そして安心して見ていられるドラマであるとも言える。だが面白いのは、女占い師ウルリカと、小姓オスカルである。ウルリカの占いは、変装したリッカルドに不吉な予言を残し、実際その通りになる。オスカルには悪意こそないにせよ、レナートに刺し殺すべきリッカルドの仮面を告げる。この二人の脇役の女性が、どういうわけかレナートやリッカルドの運命を変えるきっかけを与えていることが、なんとも不思議である。私たちも、もしかしたら気づかないうちに、誰かに運命を左右されているのかも知れない。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...