2020年7月29日水曜日

モーツァルト:ディヴェルティメント集(トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団)

ディヴェルティメントというのはよくわからない分野の管弦楽曲で、一昔前は「喜遊曲」などと訳されていたが、どういうわけかモーツァルト以外の作曲家の例はほとんどお目にかかれない。ずっと後になって、バルトークやバーンスタインにディヴェルティメントの名が付く作品があるが、それはかつてのモーツァルトの作品を意識して作られたのだろう。

そのモーツァルトのディヴェルティメントと言えば、辞典によれば十曲以上も作曲されているようだが、規模や楽器編成は随分自由である。セレナーデとの区別もよくわからない。他にシンフォニアや初期の交響曲、あるいはカッサシオンといったものとの違いも。そして最も良く演奏されるK136からK138までの3曲は、実は弦楽四重奏曲に分類されていたりする(「クラシック音楽作品名辞典」(井上和男編、三省堂))。

 難しい話は音楽評論家にまかせよう。これらの作品には気軽に楽しめる作品が多いのだから。K136のニ長調は、これらのディヴェルティメントの中でも最も良く知られているが、我が国の場合、その理由はもしかしたらサイトウ・キネン・オーケストラにあるのかも知れない。小澤征爾らによって結成されたこのオーケストラは、丸で同窓会のような団体だったかつての頃には、いつもこの曲を演奏していた。恩師斎藤秀雄の厳しいトレーニングでは、何度も繰り返し合奏させられたのだという。磨き抜かれたそのサウンドは確かに見事で、一糸乱れぬアンサンブルというのはこういうものか、などと思ったものだが、今から思えば編成も大きく、ちょっと厚ぼったい。

もともとこの曲が弦楽四重奏曲だったことを考えると、私が良く聞くトン・コープマンの演奏がスッキリしていて好ましい。洗練された音色とリズムにより、大変軽やかで上品である。梅雨空の続く湿気の多い日本の夏に、一服の清涼剤といったところ。

変ロ長調K137は、一連の作品の第2曲目だが、これはちょっと風変わりな曲だ。というのも緩徐楽章で開始されるからである。そして第2楽章こそが、まるで通常の第1楽章のような快活な曲だ。まだ古典派の様式の確立過程にあった当時の作品には、例えばハイドンの初期の交響曲にも、このような楽章構成が見られる。ハイドンの交響曲を、かつて順にすべて聞いてきたので驚くには値しないが、モーツァルトの作品では珍しいと思う。これらの作品を作曲したのはモーツァルトがまだ若干16歳の頃で、1772年のことだった。

一方、ヘ長調K138では再び通常の「急ー緩ー急」の形態に戻る。K136同様に、どこまでも優雅な第2楽章など、聞いている間に心地が良くて、どこの曲を聞いているのかもわからなくなってしまいそうになる。そのようにしてK136からK138までの3曲は、まさに快く遊び心満点のかわいい曲で、たまに聞きたくなる。

このCDには、さらにもう1曲、K251が収められている。第11番目となるディヴェルティメントには、K136-138とは違い管楽器が登場する。オーボエとホルン。楽章も6楽章まであって演奏時間は30分程度と規模がやや大きい。解説によればこの曲は、姉のナンネルの誕生日(霊名の祝日)のために作曲された。ザルツブルクでのことである。

姉思いのモーツァルトの心情は、男ばかりの兄弟で育った私にには理解しにくい部分が多い。それはさておきK251は、フランス風の雰囲気に溢れている。第2楽章、第4楽章がそれぞれメヌエットで、最終楽章の第6楽章はフランス風のゆったりとした行進曲となっている。通常の「急ー緩ー急」の第1楽章、第3楽章、第5楽章に上記のフランス風楽章が挟まった感じである。第3楽章にあたる緩徐楽章は秀逸で、聞いていて何とも心地よいし、第5楽章はロンド形式で聞きどころが多い。これで終わってもいいのに短い終楽章が始まり、曲を締めくくる。全体に管楽器が目立つ。


【収録曲】
ディヴェルティメントニ長調K136
ディヴェルティメント変ロ長調K137
ディヴェルティメントヘ長調K138
ディヴェルティメント第11番ニ長調K251

2020年7月23日木曜日

「スペインの旅」(G: 朴葵姫)

朝から夜まで休みなしで続くリモート・ワークが終わり、スマホを持って夜の散歩に出かける。毎日降り続く雨も、この時はあがって遊歩道は濡れている。虹色に電飾された橋は、コロナ禍の異常な日々を少しでも勇気づけようとしているように見える。湿度は高いが、気温が少し低いのがせめもの救いである。

オフィスワーカーにとって在宅勤務は、いまや世界標準の業務スタイルへと変化しつつある。ただ問題なのは、家庭が仕事仕様になっていないことだ。通勤がないのはいいが、公私の区別がつきにくい。仕事中はずっと聞けると思っていた音楽も、結局、この夜の散歩のいっときだけ。そして集中力を要する遠隔会議の後では、難しい曲など聞きたくないと、ここのところは連日かねてから気にしていた韓国生まれのギターリスト、朴葵姫(パク・キュヒ)のアルバムに耳を傾けている。

私が彼女の音楽を聞いたのは、もう10年ほど前のことだ。たまたまラジオか何かで耳にした演奏に心を奪われた。何を聞いたのかは覚えていない。ただ同様の経験をした人は多かったようで、彼女のアルバムはたちどころにヒットし、 同時に数々のコンクールを制覇。若干26歳にして世界的ギターリストとして音楽界を駆け上がっていった。韓国生まれというものの、活躍の舞台は日本のようだ。東京音楽大学を経てウィーン国立音楽大学を首席で卒業している(この学歴はどこかの知事とは違い、詐称されているとは思えない)。

そんな彼女が2012年、淡路島で録音したのが「スペインの旅」というアルバムだった。所属する日本コロンビアの録音で、いわゆるDENONサウンド。隅々まで明晰なデジタル録音は耳を洗うようにヴィヴィッドである。「天使のトレモロ」と称される指使いの空気感が、目前に迫ってくるような。

そもそもギター曲に疎い私は、ここに収められている名曲の数々のうち、タレガの「アルハンブラの思い出」やアルベニスによる「アストゥリアス」くらいしか知らなかったのだが、その他のどの曲を聞いても心の緊張がほぐれて行くような気分にさせてくれる。

例えば、タレガの「ラクリマ」は寝静まった深夜に、ひとり脱力感を楽しむにはうってつけである。そういえばどこか、NHKラジオの終了音楽に良く似ている。もっともこの曲は、NHKラジオが終夜放送となった今、第2放送でしか聞くこととはできない。同じタレガの「グラン・ホタ」は10分近い長い曲だが、途中に太鼓が入ったりしてリズムや音色の変化が面白い。もちろんスペイン情緒は満点。

トラディショナルなカタロニア民謡は、パブロ・カザルスがチェロで弾いた「鳥の歌」で有名だが、リョベートという作曲家がギターの作品に編曲していて、名曲の宝庫と言われる。いずれもつぶやくような曲で、「アメリアの遺言」はひたすら恐ろしく悲しい。また最後のトローバによる「ソナチネ」の第2楽章に至っては、静かに夢の中へと消えてゆくような曲だが、最後は快活なスペイン舞曲風のリズムが戻り、脳に心地よい余韻を残しつつ1時間に亘る「スペインの旅」は終わる。

さてスペイン、である。私がピレネー山脈の西に位置するこの国に初めて出かけたのは、1987年のことだった。南仏マルセイユから列車に乗って国境を越え(ここから急に殺伐とした風景になる)、長い時間をかけてバルセロナに到着した。当時スペインはすでにECの一員になってはいたが、財政的にはまだ貧しく、長く続いた独裁政治の後遺症から抜け出せていないように感じられた。私はそのバルセロナで1泊したあとグラナダに向かい、イスラム文化の残るアルハンブラ宮殿にも出かける予定だった。

バルセロナからアンダルシア地方に直接向かう列車はほとんどなく、確か唯一の夜行列車に乗った。マドリッドを中心に放射状に延びる鉄道網の中で、この列車はローカルな線路を走るのだろう。そして乗り換えようとしていた分岐駅リナレス・バエサで事件は起こった。私が砂漠の中にぽつりと立つ、ごく小さな村の駅に到着したのは、何とマドリッドからグラナダ行きの特急列車が発車した後だったのである。夜行列車は見事に1時間以上遅延し、何もなかったように私一人を、この小さな駅に残して去って行った。乗り換える客など他にはいない。

リナレス・バエサの町並み
私の「スペインの旅」はこのようにして始まり、当時まだヨーロッパの後進国のように言われていたスペインの旅は、おかげで印象深いものとなった。マドリッドから何日もかかると言われたセヴィリャ観光は、今では超高速列車が走り、日帰りも可能となっている。だがアンダルシア地方への旅行は、今もって実現できていない。従って私のこの地方の印象は、子供の時のままである。「アルハンブラ宮殿の思い出」に欠かせないトレモロは、ここの噴水をイメージしている、と確か「名曲アルバム」で紹介されていた。私はこの曲を初めて聞いた時、この演奏は2人の奏者でされているものだと勘違いしたものだ。その時のイメージが、私の頭の中でそのまま残っている。このアルバムを聞きながら、私は30年以上前のスペイン旅行を思い出し、そしてそれよりはるか前のスペインのイメージを膨らませている。


【収録曲】
1. ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」より「粉屋の踊り」
2. ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」より「きつね火の歌」
3. ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」より「漁夫の物語」
4. タレガ:ラグリマ(涙)
5. タレガ:アラビア奇想曲
6. タレガ:グラン・ホタ
7. タレガ:アルハンブラの思い出
8. タレガ:前奏曲第10番
9. タレガ:前奏曲第11番
10.  アルベニス:「スペイン組曲」より「アストゥリアス(伝説曲)」
11. アルベニス:「スペイン組曲」より「カタルーニャ奇想曲」
12. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「アメリアの遺言」
13. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「盗賊の歌」
14. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「聖母の御子」
15. トラディショナル(リョベート編):「13のカタロニア民謡」より「クリスマスの夜」
16. トローバ:ソナチネ

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...