2024年5月11日土曜日

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラーは人気があるし、ジョナサン・ノットという東響の音楽監督も割合好評だと思っていたから、これは意外だった。

プログラムは前半に武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」という曲(1977年)と、ベルクの演奏会用アリア「ぶどう酒」という作品(1929年)。ベルクの方は十二音技法の作品で、これを現代音楽と考えると前半はそういう曲が続く。どちらも私は初めて聞く作品で、「ぶどう酒」には独唱(ソプラノの高橋恵理)を伴う。合わせて半時間程度の長さで、丁度いいと思っていたら睡魔に襲われた。残念でならない。

今日も関東地方は快晴で気温が上昇している。眠くなるのは仕方がないが、初めて聞く曲でも一生懸命耳を傾けようと意気込んできたはずである。前日には夜更かしもせず、睡眠を十分にとって目覚め、昼食も軽めに済ませたつもりだった。これはどういうことだろう。だが音楽は過ぎ去ってしまい、もう二度と聞くことはできない。コンサートに集中できないのは、もはや歳のせいなのかも知れない。

コーヒーを飲んで眠気を覚まし、後半の「大地の歌」に挑む。座席は舞台に向かって右側の真横で、オーケストラが半分しか見えない。ハープやマンドリンといった楽器が犠牲になっている。そして歌手は向こうを向いて歌う。代わりに指揮者や木管楽器が良く見える。このような席でもサントリーホールではそこそこ音がいいと思っているが、ミューザ川崎シンフォニーホールではどうもそうはいかないように感じた。いやもしかしたら、これは指揮者の無謀な音作りによるのかも知れない。

私はジョナサン・ノットという指揮者とは、あまり相性が良くないようだ。これまでに出かけた彼のコンサートで感動したことがあまりない。むしろ音量がやたら大きく、指揮が目立ちすぎるのである。この結果バランスが悪く、せっかくオーケストラが好演しても音楽的なまとまりに欠けるような気がするのは私だけだろうか。似たようなことが、バッティストーニ指揮の東フィルにも言える。今回の演奏会の場合、私の着席した位置からは、二人のソリスト(メゾ・ソプラノのドロティア・ラングとテノールのベンヤミン・ブルンス)がオーケストラの音に埋もれてしまう。正面で聞いていたらもう少しましだったかも知れないが、それでもこの指揮者は力強い指揮で音楽の情緒を壊していると感じることが多いから、あまり変わらなかったのではないか。

真横での鑑賞の今一つの問題点は、各楽器の音がばらけてしまう点にある。サントリーホールでは上部に設えられた反射板のお陰か、その欠点はやや補正されている。しかし川崎のホールはむき出しである。にもかかわらず、正面の座席が少ない。2階席からは螺旋状になっており、左右非対称というのも落ち着かないが、いわば大きな筒の中にいるような感じである。そうだ、東響の定期演奏会は通常、サントリーホールでも行われるから、そちらの方で聞くのがいいのかも知れない(チケットは若干高い)。

結局、私はこのマーラーが残した最も美しい作品を、あまり楽しむことができないまま演奏会が終わってしまった。ここのところ、勇んでいくコンサートが期待外れに終わることが多い。客観的にはオーケストラが巧く、欠点は少ないのにそう感じている。原因は、次の3つのうちのどれか、もしくはその組み合わせである。①聞く位置が悪い、②体調が良くない、③耳が肥えてしまった。今後は厳選したコンサートをいい位置で聞くこととしたい。そう切に思った演奏会だった。

なお、「大地の歌」を聞くのは2回目。1回目のインバル指揮都響の演奏があまりに良かったので、その時の感銘を超えることができなかった、ということかも知れない。それにしてもノットの音楽は、どことなく無機的で表面的だと感じている。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同時にマーラーの作品を順に演奏している。それでもさすがに、第9番ともなると演奏する方だけでなく、聞く側も覚悟がいる。

このマーラーが完成させて最後の交響曲は、声楽を含まず、楽章も4楽章構成と一見純器楽作品に回帰している。そのため親しみやすいと考えるのは禁物で、各楽章の構成は大変入り組んでおり、複雑極まりないのも事実である。どのように複雑であるかを記述するには音楽的な知識を要するので、私には書けない。幸い深澤夏樹氏によるプログラム・ノートに詳しく書かれているので、開演前のわずかな時間をその読解に充てた。

私はこの作品を鑑賞するのは3回目である。ただ以前の2回はほとんど記憶がない。1回目はヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団で、記録によれば1992年11月(第1185回定期公演)となっている。30年も前のことである。まだ東京に出てきたばかりの頃で、仕事の帰りにNHKホールへ駆けつけ、ほとんど居眠り状態で3階自由席で聞いたのだろう。

2回目はベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団(1985年11月カーネギーホール)である。このコンサートは記憶に少し残ってはいるが、やはり後の方の席で聞いたこともあって、どんな演奏だったかを思い出すことはできない。定評あるハイティンクの指揮なので、それなりに感銘を受けたはずである。だが私はこの作品をちゃんと理解するには早すぎた。

ここのところの私は生活の区切りをつけたいと思っていて、最近はクラシック音楽のコンサートでも、それまでにあまり触れてこなかった重要作品を立て続けに聞いている。オペラの「トリスタンとイゾルデ」や「エレクトラ」についてはすでに書いたが、それと並行してブルックナーとマーラーの最後の3つの交響曲作品、すなわちブルックナーの第7番、第8番、第9番、マーラーの「大地の歌」、第9番、それに第10番が取り上げられる場合には、時間を何とかやりくりして聞いている。これらの作品は規模が大きく(補筆版を含む)、音楽的にも難解である。プログラムに休憩時間がないことも多い。

けれども人気があって、プログラムにのぼることは結構多い。マーラーの交響曲第9番も、毎年どこかで演奏されているような気がする。来年は佐渡裕指揮新日フィルの演奏会も予定されているようだ。そういうわけで今回の日フィルの演奏会も、二日目については売り切れてしまったようだ。私は金曜の第1日目の会員なので、その指定席(1階A席、向かって左手)に向かう。すでに管楽器のメンバーは舞台上に揃っており、やがて弦楽器の方々が登場した。

冒頭の演奏が始まってすぐ、私はオーケストラの音がいつもと違うような気がした。聞く位置によるからだろうか、あるいは演奏のせいか。ちょっと違和感があって、それは第1楽章の後半まで気になったが、全体にどことなく集中力が続かない。私は直前まで多忙な時間を過ごしていたので、平日のコンサートではよくあることだと思うことにした。ただ日フィルはとても良く鳴っている。いつものようにカーチュン・ウォンの指揮は細かく敏感で、まるでパントマイムのように指揮台で見事に踊っている。

マーラーの第9交響曲は「死」を意識する作品と言われている。だが私が今回聞いた演奏からは、絶望的な悲壮感もなければマーラー独特の厭世観も少なかった。それもまだ30代の若手が演奏するのだから当たり前ではないか、と思う。いやこういう演奏があってもいいと思う。ウォンもそのことは意識していて、彼は「今の自分にしかできない演奏」もあるのではないかと語っている(4月のプログラム・ノート)。

第2楽章のワルツはスケルツォ風だが、この楽章も軽やかであったし、第3楽章の「ロンド・ブルレスケ」では打楽器も入って大いに盛り上がり、賑やかだった。プログラムにも書かれているように、マーラーがこの作品を作曲したのは、決して死に怯えながら、というわけではなかった。実際、本当に「死」を意識する時、人間は創作などしていられないはずだ。新しいものを創り出すエネルギーがあるのは、「死」の恐怖から一時的にでも開放されているか、あるいはそれを意識する時間を忘れるだけの気力が残っている証左である。これは私自身の経験からそう思う。マーラーがテーマとした「死」は、そういうわけで差し迫った自身の「死」というよりも、もう少し観念的な「死」の概念であろう。あるいは娘の「死」の記憶か。

そう思ったとき、今日のコンサートがわかったような気がした。この作品はマーラーのそれまでの作品の延長上にあって、決して昔に回帰した作品ではない。むしろその次の第10番で試みようとしたような二十世紀の音楽への挑戦だったと見るべきではないか。すると純音楽的な意味で、まず器楽曲の新鮮さ、すなわち聞こえる音楽の透明かつ明晰な感覚(それはシェーンベルクに通じるような)を終始維持していることに気付く。ウォンはそう意識していたかはわからないが、よくありがちなマーラーの粘っこい、どろどろとした音楽としてこの作品を表現していない。

それはあの第4楽章の長大な「アダージョ」でも同様だった。ただこの楽章は、様々なモチーフを回帰し、最後は消え入るように弦楽器が長いアンサンブルを響かせる。その時の会場と舞台が一体となった感覚は奇跡のように静かで、しかも宇宙的な広がりを持っていた。会場が物音ひとつしない協力的な姿勢を貫けることができたのは、会場の聴衆のほぼ全員が、この音楽に思いを寄せ、演奏をリスペクトしていたからであろう。指揮者が腕を下ろすまでの長い時間(彼は第4楽章では指揮棒を持っていなかった)、会場は静まり返っていた。その時間は30秒も続いたであろうか。

やがて静かに拍手が始まり、2度目に指揮者が登場したときには一斉にブラボーが飛び交った。ホルンを始めとする管楽器の奏者をひとりずる立たせながら、満面の笑みを受かべて拍手に応えた。その風貌から、決して背伸びをせず、自身の「今演奏できる」マーラーをとことん演奏しきった充実感が感じられた。最近ではオーケストラが立ち去っても、ソロ・カーテンコールを促す拍手が続くことも多いが、今回はその人数も多く、この指揮者が今や大変な人気者になっていることがよくわかった。

多忙な日々を送っていると想像するが、来年にはついに「復活」がプログラムに上っている。今から楽しみである。

2024年4月26日金曜日

ラフマニノフ:交響曲第2番ロ短調作品27(ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団)

昨年のラフマニノフ・イヤーに因んで、交響曲第2番を取り上げようと思っていたのに忘れていた。季節はもう4月。寒かった冬は一気に過ぎ去り、今ではもう初夏の陽気である。チャイコフスキーとはまた別の哀愁を帯びたロシアのメロディーは、やはり秋から冬にかけて聞くのがいい、と昔から思ってきた。寒い冬空を眺めながら聞くロシア音楽はまた格別の味わいがある。そんな季節は過ぎたけれども、今年はこの曲を取り上げないわけにはいかない。すっかり軽装でも寒くない夜の散歩にこの曲を持ち出し、夜風に吹かれながら耳を傾けている。これはこれで、なかなかいい。それにしても何と美しいメロディーなのだろう。

ラフマニノフが交響曲第2番を作曲したのは、大失敗に終わった第1番の初演から10年程度経ってからのことである。あまりの落胆のせいで精神を病んだ作曲家は、ピアノ協奏曲第2番の成功あたりから自信を取り戻し、政情不安を逃れてドレスデンに滞在していた際に2番目の交響曲が作曲された。サンクトペテルブルクで行われた初演は(ここは第1番の大失敗を経験した町でもある)大成功に終わり、大作曲家としての地位を確実なものとした。

以上は、この曲にまつわる話としていつも記されることである。全4楽章を通して聞くと、1時間程度の長さとなるので、規模は大きい方である(かつては通常、省略版で演奏されていた)。しかし全曲を通して大いに親しみやすく、長さを苦痛に感じることはない、と言える。特に有名な第3楽章は、いつまでも聞いていたいような美しい曲である。ラフマニノフは天才的なメロディー・メーカーだと思うのだ。

第1楽章の冒頭は、低い弦楽器の憂愁を帯びたメロディーで始まる。ここを聞くだけで、壮大なロシアの大地へと誘われるようだ。このチャイコフスキーとはまた異なる雰囲気は、ロシア独特のものに発してはいるが、それを超えて何か普遍的なムードも醸し出す。そしてこの主題のメロディーは、手を変え品を変え、後半の各楽章でも顔を出すのが特徴である。交響曲がひとつの叙事詩のようになって、一体化している。まあ素人はそのようなことを意識するわけではないが、時にさっき聞いたメロディーが回想風に登場するのは、まるで映画の回想シーンを見るようで効果的だ。

第2楽章はスケルツォ。何かが突き進んでいくような音楽がいきなり顔を出す。まるでパトカーが犯罪捜査に出ていくような映画のシーンのようだ。でもそれがひと段落して、憂愁を帯びた旋律が流れる(中間部)。再びパトカーが走り去ると、甘美なメロディーが突如として現れる。第3楽章アダージョである。すぐにクラリネットが長いソロを吹く。伴奏する弦楽器が緩やかに波のように寄せては返す。

この第3楽章を思いっきり甘く切ない演奏に仕立て上げると、それは実演で聞くには大いに効果的だが、ディスクで繰り返し聞く時には注意が必要だ。他の音楽でもそうだが、過度にロマンチックになると、食傷気味になってしまう恐れがある。これでは繰り返しの聴取に耐えられない。ここは少し知的な節度があることが望ましい。私が初めてこの作品に触れたのは、1993年に録音されたミハイル・プレトニョフの指揮した一枚。当時ソビエトが崩壊し、食うのにも困るモスクワのミュージシャンを集めて結成された民間オーケストラが、ロシア・ナショナル管弦楽団だった(民営なのに「ナショナル」となっているのは不思議だが、ロシアという国家、その文化に対するこだわりだろう)。

ピアニストだったプレトニョフが率いたこのオーケストラは、西側のレーベル「ドイツ・グラモフォン」にいくつかの録音を行った。その中の一枚がラフマニノフの交響曲第2番だった。私はリリースされたばかりのこのディスクを購入した。録音は秀逸で、演奏も洗練されている。そのあたりが好みのわかれるところで、もっと土着的なロシア風の演奏を好む人も多いのだが、私は上述した「ちょっとした不満」が残る演奏の方が長く何度も聞けるのではないかという思いから、このディスクを所持し続けている。そして、あれから30年以上が経過したが、今でも時々聞いている。

甘く切ないムード音楽で始まるのが第3楽章だが、まるでミュージカルでも見ているような錯覚に捕らわれる。ここの音楽を実演で聞く時の感動は、ちょっとしたものだ。何せクラシック音楽のプロが大勢集まって映画音楽の如きメロディーを歌いあげ、そこに12分も続くのだから。

物語は大団円を迎える。第4楽章は速いアレグロで、冒頭は祝典風。時折、前の楽章のメロディーも顔を覗かせ、音楽がまたも憂愁を帯びたかと思うと、再び行進曲風の高揚が繰り返されて気持ちが昂る。音楽に聞き惚れているうちにコーダとなる。ロシア音楽をロマンチックかつ都会的にアレンジした作風は、ラフマニノフの真骨頂だが、この交響曲第2番ほどその傾向が顕著で、しかも長く続く作品は他にないだろう。長くこの曲が聞き続けられ、愛されているのは当然のことと言える。

なお、プレトニョフのディスクには「岩」(作品7)という短い管弦楽作品が併録されている。

2024年4月24日水曜日

R・シュトラウス:歌劇「エレクトラ」(2024年4月21日東京文化会館、セバスティアン・ヴァイグレ指揮)

ちょうど桜が咲く頃の上野公園で開催される「東京・春・音楽祭」も今年20周年を迎えた。IIJの鈴木会長が主体となって始まったこのコンサートも、すっかり春の風物詩として定着、昨今は世界的なオペラ公演が目白押しで目が離せない。今年は何と「トリスタンとイゾルデ」「ラ・ボエーム」「アイーダ」それに「エレクトラ」の4つが上演された。

いずれの演目も大いなる名演だったようだが、その中で私は「エレクトラ」の公演に出かけることになったのは、いつものように前日のことだった。一連の音楽祭の最終日にあたる4月21日は、すっかり桜は散りはててはいるものの、多くの人出でいつものように大混雑。少し早く家を出て、東京国立博物館などにも足を運びつつ、15時の開演を待つ。休日午後の演奏会が14時に始まるものが多い中で、15時開演というのは大いに好ましい。14時だとお昼が慌ただしく、夜には早すぎるからだ。

R・シュトラウスの歌劇「エレクトラ」は、単一幕のオペラで休憩がない。100分もの間中、切れ目なく音楽が鳴り響くのは前作「サロメ」同様である。ただストーリーはより陰惨で救いようがなく、しかも主人公のエレクトラは終始舞台にでずっぱりであるばかりか、大音量で大声を張り上げる必要がある。そればかりか、その妹クリソテミスもまた、大変な声量が必要とされる難曲である。

私はこの「エレクトラ」に長年馴染めないでいた。数年前にMet Liveシリーズで映像を真剣に見たときも、不協和音だらけのとっつきにくいオペラで、それはシェーンベルクの「ヴォツェック」のような作品ではないか、とさえ思った。なぜか「サロメ」や「影のない女」のようにはいかなかった。そういうことがあって、ワーグナーにおける「トリスタンとイゾルデ」同様、この作品が私の前に立ちはだかっていた。

今年、オペラ体験の集大成として「トリスタンとイゾルデ」をとうとう実演を見たことは先日ここに書いたが、考えてみるとまだ「エレクトラ」が残っている。この作品はR・シュトラウスの作品の中で、唯一実演に接していない主要作品となっている。丁度いい機会が訪れた。「エレクトラ」はさほど人気がないのか、それともチケットが高すぎるのか、前評判がいいにもかかわらず多くの席が売れ残っていることがわかった。これは行かない手はない。いやここで行っておかなければ、後悔するとさえ思った。なぜなら「エレクトラ」の公演は、我が国ではまだ数回しか行われていないからだ(その数少ない上演史の中で、20年前の小澤征爾指揮による「エレクトラ」が「東京・春・音楽祭」の幕開けであった)。

開演時刻が来てオーケストラの団員が自席に着くと、その規模の大きさに圧倒される。管楽器のセクションだけでも6列。バイオリンは4パートもあり、さらにビオラから持ち替えて6パートにもなる。左端にはハープと打楽器が陣取っているが、3階席最左翼の私の位置からは見えない。やがて舞台には侍女たち6人がずらり勢ぞろい。指揮者のクリスティアン・ヴァイグレがタクトを振り下ろすと、いやそれはもう聞いたことがないようなすさまじい大音量が会場に鳴り響いた。

ベルリン生まれのヴァイグレは、2019年から読売日本交響楽団の常任指揮者に就任しており、もう5年目ということになろうか。お互い知れつくした間柄から見事というほかない音楽が、怒涛の如く流れ出すのは驚くべきことだ。そしてそれに負けじと歌う侍女たちは、いずれも我が国を代表する女性歌手たちで、みな奮闘している。この最初の数分だけで、興奮のるつぼと化した会場に、早くもエレクトラ(ソプラノのエレーナ・パンクラトヴァ)が登場した。

エレクトラはここでいきなり長いモノローグを歌う。その声量たるや、舞台上に陣取った大規模なオーケストラが大音量で鳴り響いても、なおそれは3階席までも十分届くもので、さらに驚異的なことには、そのボリュームを幕切れまで維持するという離れ業である。パンクラトヴァはロシア生まれの歌手で、世界各地の歌劇場で主役を歌うディーヴァだが、プログラム・ノートが配布されておらず、そのような記載はオンライン検索しないとわからない。音楽祭の全公演を網羅した分厚いプログラムを購入すれば、少しは掲載されているのだろうけれど、それでは興味ない公演のものも掲載されていてちょっと冗長である。

続けよう。次に登場したのがエレクトラの妹、クリソテミス(ソプラノのアリソン・オークス)である。英国人の彼女は、さらに驚くべきことにパンクラトヴァ以上の大音量で、聞くものを圧倒した。その声量は、まるでもうひとりエレクトラがいるのでは、と思わせるほどだったが、彼女は姉と違い、あくまで女性としての幸福を願ってやまない。姉から母への復讐を持ちかけられても、頑なに拒否する。

この劇の前半はすべて女声である。続いて登場するのが母親のクリテムネストラ(メゾ・ソプラノの藤村美穂子)である。彼女も何年もバイロイトで歌ってきた我が国を代表する女性歌手で、その歌声はお墨付きだが、夫を殺害し娘から復讐を企てられている悪役としては、ちょっと物足りない。いや、何というか、悪役になりきれない上品さが、ここではちょっと役柄に合わない、というか。ただそれは極めて贅沢な話で、歌唱そのものは圧巻であり、二人の娘に交じって壮絶なドイツ語の歌唱を披露する。

3人の主役級の女声陣が登場して、丁々発止の会話に巨大なオーケストラが盛り立てる。クリスティアン・ヴァイグレという指揮者を聞くのはわずかに2回目で、あとはMETライブで「ボリス・ゴドゥノフ」を見たくらいだが、この指揮者はこうも身振りの激しい指揮者だったかと思った。全身全霊を傾けて100人以上はいるだろうオーケストラをドライブする様は、それだけで見とれるのだが、歌手の見事さに耳を奪われ、さらには字幕を追わなければならないので非常に疲れる。シュトラウスの音楽が聴衆にもドッと押し寄せて、こちらの体力を試すかのようだ。まさに会場と舞台ががっぷりに組む真剣勝負である。

音楽が切れない。登場人物が入れ替わるわずかの時間に、オーケストラにスポットライトが当たる。シュトラウスの音楽は、この作品ではいつにも増して豊穣で急進的、緻密にして描写的である。歌詞のひとつひとつに合わせて、楽器がその事物を即物的に表現する。だから陰惨な話がよりヴィヴィッドに展開される。演奏会形式ではあるものの、歌詞を追うだけのであるにもかかわらず想像力が掻き立てられる結果、かえってそのおぞましさが強調されているようにも感じる。オーケストラが舞台上にいる、というのもある。

姉が復讐殺人の実行犯にと考えていた弟のオレストは、馬に惹かれ死亡したと告げられる。なら妹と二人で実行するしかない。しかしここでも妹はあくまで拒否。失望するエレクトラは、もはやひとりで実行するしかないと腹をくくる。そこに見知らぬ男が現れる。それこそ友人に扮した弟オレスト(バスのルネ・パーペ)だった!

ここの音楽は全体のクライマックスのひとつだろう。陶酔に浸るエレクトラ。この時点でもう舞台は半分以上が経過している。ひとり譜面台を観ながら歌ったパーペだが、彼の活躍を知らない人はいないほど有名な歌手だ。数々のビデオ、CDあるいは各地の公演で私もその存在をよく知っているが、実際に聞くのは初めてである。舞台に初めて男声が響く。うっとりするほど綺麗な低音である。脇役にもこれだけの大歌手が揃っているのは、見事というほかない。

とうとう復讐を実行するときが来た。このシーン、あまりに凄惨である上、オペラでないと見てはいられない話(もとはギリシャ悲劇だが)である。おそらく虐待されて育ったであろう長女が、父親を殺されたその場面を見ていたというくだりだけでもおぞましいが、それを殺った母親とその情夫エギスト(テノールのシュテファン・リューガマー)に復讐するというのは現代でもある話である。そのようなニュースを聞くことはつらく怖いが、そういう話は大昔からあって、それが舞台になっている。それに生々しい音楽が付いている。

ただ実際の舞台でもさすがにこのシーンは場外で行われることになっていて、その状況が逐一告げられ、それを聞きながらエレクトラが舞台上で歌う。断末魔の叫び声が舞台裏から響き、歓呼の声を上げるエレクトラとクリソテミス。ここから歓喜の踊りに狂う最後のシーンは、興奮を通り越し、もう何が何やらわからないようなだった。舞台が一層あかるくなり、指揮者の身振りがさらに大きくなって、ぐいぐいと音楽が進む。そしてそれが頂点に達したところで舞台の照明が一気に消され、幕切れとなった。

圧倒的な歓声に包まれた会場は、早くもスタンディングオベーション。最前列から5階席後方に至るまで、ブラボーの嵐となった。順に舞台に登場する歌手陣、指揮者、合唱団、それが何度も繰り返され、カーテンコールは20分近くに及んだ。出演した人はみな会心の出来ではなかっただろうか。満面の笑みをうかべて喝采に応えているその表情は、この音楽祭の最終公演に相応しい素晴らしい瞬間であった。

全身が硬直していた。外に出ると小雨が降りだしており、火照った頬に当たるのがわかった。

2024年4月22日月曜日

神奈川フィルハーモニー管弦楽団第394回定期演奏会(2024年4月20日横浜みなとみらいホール、沼尻竜典指揮)

このコンサートがあることを知ったのも前日のことだった。NHKホールで行われるN響の定期公演に、クリストフ・エッシェンバッハの指揮するブルックナーの交響曲第7番が取り上げられる。そのチケットはまだ残っているかと検索していたら、20日14時からの神奈川フィルの定期で、ブルックナーの交響曲第5番の演奏会がヒットしたのだ。N響の公演は2日連続だから、19日夜の方にでかければ神奈川フィルの方にも行くことができる。幸い、予定は何もない。

指揮者は音楽監督の沼尻竜典である。私はこの指揮者と同年代であり、しかも出身である東京都三鷹市に住んでいたころ、よく地元のオーケストラを指揮していたようだったので、とても親近感を抱いていた。実際のコンサートでは、新国立劇場での「トスカ」(2012年)、神奈川県民ホールでの「ワルキューレ」(2013年)。それに三鷹で聞いた「魔弾の射手」(2013年)に接している。いずれも大変感銘を受けたもので、今でも記憶に残っているが、その沼尻はその後関西の「びわ湖ホール」の芸術監督を長年務めている。

忘れもしないのは、コロナ禍に陥った2020年春の「神々の黄昏」で、無観客となった会場からライブ配信された模様はあまりに痛々しく、それでいてなかなかの演奏で、私も2日間とも見入ってしまったのを覚えている。無観客となったことで集中力が増し、これはこれで音楽的充実度が増したのだが、収入を得られない興行というのがあまりに気の毒だったのである。この公演は観客を入れて、どこかで再演すればよかったのにと思ったが、もともと採算の合わないオペラ公演である。再演したらそれだけ赤字が嵩むという理由で、実現されることはなかった。

上記のように、私の沼尻経験は、すべてオペラである。なので、オーケストラの演奏会にも出かけてみたいとかねがね思っていたが、そのときがやってきたというわけである。ブルックナーの曲が多く演奏される今年は、私も折を見て出かけることにしているが、第5番のコンサートはこれが最初である。いや第5番という曲はもともと難解で、私ももっとも敬遠していたものだから、ちょっと諦めかけていたところだった。だが沼尻の指揮する今シーズン最初の演目が、満を持して挑むブルックナーの第5交響曲だという触れ込みに、とうとう私も連日のブルックナー三昧を決め込んだ次第である。

だが神奈川フィルという団体、私はこれまでただ1度しか接したことはなく、その時の演奏もまあまあといったところで、技術的にはあまり期待ができたいと決めつけていた。それは2017年に聞いたマーラーの「巨人」の演奏(川瀬賢太郎指揮)で、まあローカルなオーケストラとしてよくやっているな、くらいの感想だった。今回もそういうわけで、あまり期待をせずに出かけたことは事実である。プログラム・ノートによれば団員に女性が大変多く、第1バイオリンなどはほぼすべて、他の弦楽器も木管楽器も女性たち。女性の音楽家が悪いとは決して言わないが、ブルックナーの音楽は極めて男性的ではないか、などと思っているのでちょっと不安に。

だがこれらはすべて杞憂に終わった!第1楽章冒頭から、気合の入った音がビンビンと響いてくるではないか。弦楽器の厚みも十分だし、そのアンサンブルの音色の確かさは、本場のそれである。前日に聞いたN響の音よりもはるかに、ブルックナーの音楽に相応しい音色に仕上がっている。少なくとも2階席横手で聞いた私には、そう感じられた。

それでかではない。木管楽器が弦楽器に呼応して、様々な動機を吹くシーンが大変多いこの曲は、クライマックスのような部分だけではなく、精密さが大変要求される大曲である。80分にも亘って音楽が弛緩することも許されないが、そのためにはそういった精緻な部分をおそろかにできない。これを実現するには大変な技術的水準と練習が必要となるだろう。それを確かなものとするには、当然ながら指揮者の力量が問われる、と素人の私でも感じる。だが、このたびの演奏は、それらがすべて備わっていた。私は特にクラリネットが見事だったと唖然とした。

金管楽器のセクションにいたっては、ブルックナー音楽の命とも言うべきアンサンブルの見事さで、重なり合うチューバやトロンボーンの音色が、本当にこれが日本のオーケストラかと思うほどの完璧な出来栄えで聞くものを圧倒した。終演後に割れんばかりの拍手とブラボーが飛び交う中、芸術監督が真っ先に駆けつけたのが、この金管セクションだった。彼は楽団員の中を通り抜け、奏者を順番に立たせて歓呼に応えた。

とにかく第1楽章の冒頭から、終楽章の圧倒的なコーダに至るまで、これほど完成度の高いブルックナーが聞けるとは想像していなかった。本人も満を持して挑んだ感があり、並々ならぬ集中力が感じられたが、観客席も水を打ったように静かであり、第3楽章の長いスケルツォあたりからはちょっと神がかり的な水準に達した。終楽章で第1楽章のメロディーが回想されて活気づき、コーダに向かって一気に進むとき、オーケストラはまるでひとつの楽器のように鳴り響いた。この難しい曲を、よくここまで聞かせるものだと、度肝を抜いたのは言うまでもない。

神奈川フィル、そして沼尻恐るべし、と思った。こんなコンサートがなされているのなら、月1階程度は横浜に来るのも悪くはないと思った。ただみなとみらいホールの音響は悪くないのだが、客席の視界が悪い。2階席だと部分的にしか見えないことが多いだけではなく、無造作に設置された柵が、丁度指揮者の顔の位置にあって視界を遮るのはいかがなものかと思う。これはホール設計上の問題である。少なくともあの柵は不要である。

東京と横浜はさほど離れていないのに、横浜に来ると一気にローカルな気分になる。それは大いに好ましいことなのだが、神奈川フィルの今回のような水準の演奏会がさほど知られていないとすれば、残念なことであろう。けれども熱心なブルックナー・ファンは、この演奏会を見逃してはいないと思われる。なぜなら長々と続く拍手は、石田コンサートマスター以下が退場しても静まることはなく、ついにはソロ・カーテンコールに及んだことからもわかる。次回以降の定期演奏会にはどんな公演があるのか、気になってブックレットをめくってみたが、そのような記載は一切ない。会場で配られていたチラシにも、そのようなものは用意されていなかった。これはちょっと残念に思ったが、それにも増して大きな発見となった今回の演奏会だった。

2024年4月21日日曜日

NHK交響楽団第2008回定期公演(2024年4月19日NHKホール、クリストフ・エッシェンバッハ指揮)

近年N響の演奏会から遠ざかっている理由は、チケット代が高い(来シーズンからはさらに値上げされる)ことに加え、ホールの残響に難があること(大昔から言われていることだ)、そしてあの渋谷の雑踏を通らなければならないこと、などである。

コロナの期間が過ぎ去り、以前にも増して渋谷を徘徊する人が増えている。日本人だろうと外国人だろうと、あの近辺をうろつく人々を私は好まない。そう言うのであれば、原宿から歩けばいいのにと言うかも知れない。しかし原宿への道は、代々木公園の暗い歩道を行くことになり、夜は淋しく物騒である。昼間の場合は逆に人混みが激しく、週末ともなると出店が数多出て騒音が鳴り響き、駅の改札口から長い行列が続くこともあって、時間までに会場へたどり着くのも一苦労だ。NHKホールの入り口には、5月の定期公演には、時間に余裕を持って来場するよう注意が呼びかけられている。

事程左様にNHKホールで行われるコンサートには、あまり食指が動かなくなってしまった。若い頃はコンサートのあと、渋谷の安い寿司などをつまみながらちょっと飲んでから帰る、といったことも楽しみだったが、そういうことはなくなって久しい。このたびのクリストフ・エッシェンバッハ指揮によるCプログラムも、私は当日午後まで行くべきか迷っていた。Cプログラムは休憩のない短いプログラムで、この日はブルックナーの交響曲第7番のみ。まあこの曲は70分もあるので、この一曲に全力投球ということであれば悪くはないのだが。

それでもこの日は朝から体調がよく、仕事を終えてから駆け付けても公演開始が19時半と通常より遅いから、十分間に合うことが予想された(ついでながら、我が国の演奏会の開始は19時からで少し早すぎる。これでは慌ただしく、仕事を終えるのに一苦労であり、しかも空腹の状態で会場入りすることになるため、諸外国同様20時からとすべきではないかと思っている)。

そういうわけで、十分に余っていた当日券を買い求めることとなった。直前まで迷うコンサートには、安い席で聞くのが良い。幸い3階左脇のD席が確保できた。公演前のステージでは、N響メンバーのよる室内楽の演奏も行われていて、この日はオーボエの吉村結実、坪池泉美、イングリッシュ・ホルンの和久井仁によるベートーヴェンの「2本のオーボエとイングリッシュ・ホルンのための三重奏曲ハ長調作品87」という大変珍しい作品の第1楽章が演奏されていた(さらにアンコールに、同曲の第3楽章も演奏された)。

2日あるN響定期の初日は、放送用の映像収録が行われるのが通常である。この日も複数のテレビ・カメラが設置されていたが、それに加えFM放送による生中継も行われる。かといってアナウンサーが司会をするわけではなく、至って通常通りの演奏会である。19時半になってステージに楽団員が入場すると、拍手が沸き起こった。それまで設置されていた指揮台は、どういうわけか直前に撤去された。この日のコンサートマスターは川崎洋介であった。

エッシェンバッハは、このところ毎年のようにN響に客演している。私はかつて、ラン・ランを独奏に迎えてのパリ管弦楽団の来日公演(2007年)に出かけており、その後、N響とはマーラーの「復活」を聞いている(2020年)から今回が3回目。もっともかつて若きピアニストだった頃にカラヤンと録音したベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番のディスクを持っていた。この演奏は暗く、テンポも遅くてさほど気に入っていない。この録音がリリースされただけで、他の曲の録音に発展することはなかったようだ。そのエッシェンバッハも、今年83歳になるということだ。

一方、ブルックナーの交響曲第7番はこれまでに、ロペス=コボス指揮シンシナティ交響楽団、小林研一郎指揮日フィル、スクロヴァチェフスキ指揮読売日響で聞いているので、これが4回目である。ブルックナー・イヤーの今年は、順に各曲を聞いてきたが、いよいよ第7番である。この曲は長いアダージョ(第2楽章)が全体の白眉と言える。そのクライマックスにシンバルが鳴るものと、そうでないものがある。今日の演奏はノヴァーク版によるものとされよく見るとステージ上に3人の打楽器奏者がスタンバイしている。

演奏が始まると、3階席でも十分に届く音量の大きさに圧倒されたが、そのごつごつとした鋼のような音楽が会場にこだました。第1楽章冒頭で、まるで弧を描くように、あるいは何かが地上に降臨するかのような弦楽器のアンサンブルに、さすがN響は上手いなと思った。個人的な感想を記そう。演奏はしかしながら、それ以上でもそれ以下でもなかった。大いに名演奏となっていった節はあるのだが、私の気持ちを揺さぶるものだったかと言われれば、残念ながらそうではない。ここは正直に告白しておく必要があるだろう。決して退屈はしないし、技量に不満があるわけでもない。だとすると、その原因は私の方にあるのかも知れない。

第2楽章の長いフレーズは、中低音のアンサンブルが聴き所だが、エッシェンバッハの音楽は音に艶が感じられない。ブルックナーの命とも言えるような、あのふくよかな弦楽器の感触と、金管楽器を主体とする和音の妙。これは会場のせいかも知れない。何せNHKホールは残響が少ないのだ。しかもせっかく対向配置されている弦楽の音が、3階席に届く時にはミックスされている。それに輪をかけて音楽に対するアプローチが、「復活」の時にも感じたが、どこか極度に醒めている。とどのつまりは楽しくないのだ。これはエッシェンバッハの特徴なのだろう。

そういうわけで、会場は非常に多くのブラボーが飛び交ったが、私はどこか腑に落ちないものを感じざるを得なかったのが事実である。聞いた場所の故でのみであるとすれば、いつものようにテレビでオンエアされるときには、もっといい音楽になっていることもあり得る。第7番は私の大好きな曲であるにもかかわらず、これはという名演奏という実演には接していない。ディスクで聞くと毎回感動的なのだが、もしかすると後半の2つの楽章が、前半に比べて聞き劣りするからだろうか。特に終楽章は(私の主観的な印象では)どこかとってつけたような曲に聞こえてしまう。前半が良いと、その傾向は一段と深まる。

ブルックナー・イヤーの今年は、これからも多くの公演が予定されている。第7番は人気があるので、他の指揮者で聞いてみようと思っている。東京ではこのあと、東響(ノット指揮)、新日フィル(佐渡裕指揮)、都響(大野和士指揮)などが検索できる。

2024年4月15日月曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第759回東京定期演奏会(2024年4月13日サントリーホール、下野竜也指揮)

この春から日フィルの定期会員になって2回目の演奏会に出かけた。指揮はまたしても下野竜也で、私は彼の演奏を今年に入ってすでに3回も聞いている。定期会員でなければパスしたかも知れない。だがプログラムが良かった。シューベルトとブルックナーのそれぞれの交響曲第3番。ロマン派の前期と後期、時代は異なるがともにウィーンで活躍した作曲家だ。今年はブルックナー・イヤーということで、数多くのコンサートでブルックナー作品が取り上げられているが、このコンサートもそのひとつである。

まずシューベルト。この交響曲第3番は目立たないが、愛らしい作品である。静かだが明るい序奏は一気に音楽を聞く喜びに浸してくれる。クラリネットによる主題が、平凡だがとても印象的である。第2楽章でもその木管楽器が大活躍する。春に聞くのに相応しい幸福感に満たされる。今年の4月は春というよりは初夏の陽気で、この日も最高気温は25度に達している。新緑の季節を先取りするかのような曲と演奏が、よくマッチしている。下野と日フィルはこの30分足らずの曲を、とても軽やかに演奏した。自然に音楽が良く鳴っているが、これがなかなかプロフェッショナルだと感じるものだった。

飽きの来ない若き日のシューベルトの演奏に幸福感が満たされ、後半のブルックナーへの期待が高まる。ここで、これまでに聞いた同曲の演奏を振り返ってみようと思う。まず最初に第3番の実演を聞いたのは、それほど古くはなく2016年、マルク・ミンコフスキ指揮東京都交響楽団による演奏だった(第836回定期演奏会)。東京文化会館の3階席脇という場所で聞いたにもかかわらず、これが非常な名演で私の脳裏に焼き付いている。この時の演奏は「ノヴァーク版、1873年初稿」というもので、ワーグナーに献呈されたもっとも最初のものである。

私は、ブルックナーについてまわる「版の違い」の細部にまで立ち入った聞き方をするまでには、ブルックナーを聞きこんでいない。しかしこの第3番に関しては、解説書によると実演に漕ぎつけるまで大変な苦労があったようで、改訂を加えに加えた結果、ようやくいま最も演奏される版になった、とのことである。その最もよく演奏される版というのは「ノヴァーク版、1889年第3稿」というものである。

2度目に2019年にこの曲を聞いた時、その演奏はこの「1889年第3稿」だった(パーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団、第1916回定期公演)。この演奏も私の感動を大いに誘い、もはやこの曲はこれで決まり、とさえ思った。今後、この演奏を超えるものに出会えることはないと思ったのである。

ところが今回、下野が取り上げた演奏は、上記のいずれとも異なる「ノヴァーク版、1877年第2稿」というものだった。それぞれの演奏を再度聞いて比較することができないが、偶然にもそれぞれ異なる版で聞いたことになる。そしてこのたびの下野による演奏もまた、過去の演奏と甲乙つけがたいほどの感動を私にもたらした。それは、ほとんど完璧とも言えるほどのオーケストラの力量と、それをドライブする、自然で自信に満ちた指揮にあると言える。決して派手ではなく、気を衒った演奏ではないのだが、この演奏にはブルックナーを弾くのに必要な要素が詰まっていたと思う。

「ベートーヴェン第9の冒頭を思わせ」(プログラム・ノートより)るような冒頭から、それは感じられた。何かを生じさせるような、異様なものでは決してない。ただそれが鳴り響いているというだけで感じるブルックナー音楽が、次第に膨れ上がっていく、まさに自然空間のさま、それが会場を満たしたのである。以降最後まで、この外連味のない、作為を感じさせないリズムとメロディーが、まさにブルックナーの音楽らしいと思わないことはなかった。

「劇的な終結部が加わる」第3楽章のコーダでもそれは同様で、いわば職人的、玄人好みの演奏と言えようか。オーケストラは対向配置で、左手に第2バイオリン、右の奥にコントラバスを配している。弦楽器の艶のある重厚感もさることながら、管楽器のアンサンブルがこれほどにまでうまいと思ったことはない。このコンサートの模様は(前日の4月12日のものかもしれないが)ビデオ収録され、アーカイブ配信されるようである。私はこの企画に大いに賛同したいのだが、2つの点で不満である。まず、配信期間がわずか1か月と短いこと、そして料金が1公演1000円と高いことである。

今後、アーカイブ配信特典をチケットに含めることはできないものだろうか(特に定期会員)。また有料であるなら、配信期間はそれこそ永久でもいいのではないかと思う。例えばどこかの音楽ストリーミング配信プラットフォームと提携して、その会員であれば見放題といったことにならないか、と思う。それこそ全世界に無数に散らばる音楽コンテンツの中で、一定時間その演奏に耳を傾けることは、よほどのマニアでない限り、しなくなってきている。であればこそ、つねに気軽に体験できる状態を長く続けることが(そのコストは非常に小さい)、音楽家にとってもリスナーにとっても有益であるのは確かなことだ。

そういうわけで、この演奏を1階席後方で聞いた私は、このアーカイブにより再度演奏を楽しみたいと思っているのには理由がある。当日は少々体調が悪く、こちらの集中力が維持できなかったからだ。演奏は名演なのに、それにライブで接している自分がもどかしかった。音楽は一度きりの芸術である。どんなに足の悪い老人でも、難聴や盲目の方でも、コンサート会場へつめかける(実際、そういう人を良く目にする)のは、得難い経験を共有するためである。私もまた、体に鞭を打って会場に出かけた結果、とても素晴らしい演奏に出会うこととなった。現代の技術により、これを再生する機会を持つことができるのは、嬉しいことである。

鳴りやみかけた拍手がいつのまにか再燃し、指揮者はソロ・カーテンコールとなったようだった。私はすでに会場をあとにしていたが、最近はこういうコンサートによく出会う。それもみな演奏が素晴らしいからだろう。実感として、特にコロナ禍以降には名演奏に出会う確率が大きく増しているように感じている。だから、今後のコンサートにも目が離せない。今日聞いた3つの版によるブルックナーの交響曲第3番を、もう一度ディスクで聞いてみようと思っている。

2024年4月1日月曜日

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(2024年3月29日、新国立劇場)

前奏曲冒頭のトリスタン和音が鳴り響いた時から、いつもとは違うなと感じた。これほどにまで深く脳裏に刻み込むようなメロディーの連続に、そしてそれを確信に満ちた足取りで音符を奏でる大野和士指揮東京都交響楽団の演奏に、一気に飲み込まれたからだ。以降はしばらく体が硬直し、北海の海のうねりを繰り返すオーケストラの響きに、しばし圧倒された。

舞台は早くも幕が上がって、丸い天体が昇って来た。それは次第に赤くなりながら、舞台の上部にゆっくりと移動する。暗闇の奥から一双の船が現れ、向きを変えて舞台の中央に動く。アイルランドの王女イゾルデを乗せた船が、マルケ王の待つコーンウォールの港に向けて航行しているのだ。甲板にはイゾルデ(リエネ・キンチャ、ソプラノ)と侍女ブランゲーネ(藤村美穂子、メゾ・ソプラノ)がいる。

船にはイゾルデを迎えに来たトリスタン(ゾルターン・ニャリ、テノール)も乗船している。だが第1幕最初の主役はイゾルデ、そしてブランゲーネだ。以降、第1幕はどちらかというとこの物語の前提となるいきさつが述べられる。ワーグナーお得意の長々とした語りのシーンも多いが、それでも聞き所は満載。驚くべきことに、主役二人を含め歌唱水準の平均値が恐ろしく高い。これによって物語への没入感はいっそう深まる。

本公演は2010/11年シーズンで上演したデーヴィッド・マクヴィカー演出版の再演である。この時指揮をしたのも大野和士だった。私はこの公演のことを知らないが、評判が良かったのだろう。大野は2018年から芸術監督に就任した時から再演を望んでいたようだ。そしてコロナ禍を経てようやく実現に漕ぎつけた。私は、ワーグナー作品の中で唯一実演に接してこなかったこの作品を、とうとう見ようとひそかに考えていた。

そもそもクラシック音楽を聞き始めて以来、多くの作品、とりわけオペラには関心が高く、これまで主要な作品と言われるものは、時間とお金をやりくりして出かけてきた。その公演のすべてをこのブログに書き記してきたが、とうとう最後の主要作品となったわけだ。値上がりした新国立劇場のオペラのチケットは、もはや私には簡単に手が出せるものではなくなった。だが「トリスタン」だけは何が何でも見ておかねばならない。

本当は昨シーズンの「ボリス・ゴドゥノフ」も、今シーズンの「エフゲニー・オネーギン」も見たかったが、これは断念せざるを得なかった。昨年からの私は時に体調が悪く、長い時間椅子に腰かけていることに不安だったということが大きい。仕事は4月から大きなプロジェクトが始まることが決まっており、私もそれに関わる予定だ。時間があるのは今のうちである。さらには息子が受験生となり、志望校を目指して勉強をしてきたが、それもこの3月で終了。最後の合格発表が3月下旬になり、18年続けてきた子育てに区切りが訪れる。私はこの日が来るまでは、チケットを買っていなかった。

その最大の理由は、実のところ主役二人の交代が発表されていたからだ。そもそもトリスタンもイゾルデも、世界でそう誰でも歌えるものではない。とりわけトリスタンは、この5時間にも及ぶ作品に出ずっぱりで、その間中ずっと声を張り上げていなければならない。「トリスタン」の公演には幕間に2回の休憩があるが、そのいずれもが45分間と長いのは、喉を休め声を整える必要があるからだ。そのトリスタンを歌うはずだったトルステン・ケールが来日できなくなり(理由は不明)、すでに発表されていたイゾルデ役(エヴァ=マリア・ヴェストブルック)の交代に続いて、決定的に魅力を失ったと思われた。

丁度この頃、東京では今一つの「トリスタン」が上演される。東京・春・音楽祭である。指揮はマレク・ヤノフスキ。NHK交響楽団との組み合わせで、何年も前からワーグナー作品を毎年取り上げてきた。演奏会形式ながら公演の水準は驚異的で、私も「ニーベルングの指環」を4年に亘って鑑賞したことは記憶に新しい。だが、よりによって同じ時期に、東京で二つもの「トリスタン」を上演することもないのに、と思った。時間と懐具合を考えると、さすがに両方に出かけるのはかなりきつい。時期を分けてくれるとありがたいと思った。

その上野での公演の方が、もしかするといいのではないか、などと考えた。だが私はヤノフスキの速い演奏が「トリスタン」には相応しくないと思ったことに加え(実際はそうでもなかったようだが)、この作品はやはり舞台を観たい。でも新国立劇場のオペラの値段は、昨今の物価高と円安によって大幅な値上げを余儀なくされ、S席で3万円を超える価格設定になったのを受け、私もさすがに主役二人が交代する上演を見るのは、ちょっとやめておこうと思ったのである。

ところが、である。初日を迎えた公演の状況を、いつも読んでいるブログなどを眺めてみると、これが恐ろしいほどに高評価なのである。X(旧Twitter)でもそれは同じだった。息子は何とか進学先が決まって、ようやく私の肩の荷も下りた。体調は相変わらずだが、だからこそ見られるときに見ておきたい。仕事は3月末で大きな人事異動があり、いろいろ組織が変わって歓送迎会なども開かれるが、それも29日が最後。30日の千秋楽公演は金曜日の午後で、年度末の繫忙期ではあるものの、必死にやりくりをすれば何とかなるだろう。何せ「トリスタン」を見るのは、今回が最初で最後となる可能性が高い。

ホームページでチケットの発売状況を見ると、やはり値段が高いからだろう、そこそこの枚数が売れ残っていた(最終的には売り切れた)。そして嬉しいことに1階席の中央寄り通路側という絶好のポジションが残っているではないか!そこで私の腹は決まり、この席に3万円強を支払った。その時から1週間は、まるで遠足を前にした小学生の気分だった。数日前からは体調を整え、会社の送別会でも深酒は慎んだことは言うまでもない。そのようにして万全を期して初台へ。前日まで降り続いた大雨もようやくあがり、気温も一気に上昇して春めいてきた。

その「トリスタン」の公演には、外国人も多く詰めかけていた。韓国からのグループもいたが、みな着飾っていることに比べると、我が日本人の服装のセンスのなさには失望させられる。特にワーグナー作品となると、高齢の男性の比率が異常に高く、一様にみすぼらしい恰好ときている。ただ今回はどういうわけか、そういう「ダサいワグネリアン」に加え、若い人、それも女性が多いのである。これは「トリスタン」だからだろうか。あとでわかったことだが、若い客が多いのは、チケットの割引があるからだろう。いつものワーグナー公演とは異なる雰囲気に、私は少し戸惑いつつも気分は高揚していた。

第1幕の後半には、とうとうトリスタンが媚薬を飲まされてしまう。政略結婚への準備に、毒薬と媚薬をもってきた侍女が、毒薬と間違って飲ませたのが媚薬だった、というわけだ。二人の体内に薬がじわじわと浸透し、ついに覚醒するシーンが印象的である。二人の相克が頂点を極めたあとで、解き放たれたように音楽もパッと変わる。と同時に、舞台に銀の垂れ幕のようなものが出現した。愛の音楽、それは死の世界。ここから第1幕の幕切れまでは、二人が躊躇なく愛し合うシーンになる。そして船はコーンウォールに到着する。

心に残ったシーンは第2幕の最初で、盲目的なイゾルデの愛は、ブランゲーネの忠告もむなしくまっしぐらである。松明を消す時に歌われるイゾルデの歌が、大変美しいと思った。舞台の奥から時折登場するブランゲーネの声が、イゾルデの声を重なり合う。イゾルデのキンチャとトリスタンのニャリは、いずれも最高位ではないものの、不足感を感じさせない歌声だった。この二人に決定的な不満が残らないことが、まずはこの公演の成功に最大限寄与したと思う。

それにも増して素晴らしかったのは、トリスタンの従者クルヴェナール(エギリス・シリンス、バリトン)とマルケ王(ヴィルヘルム・シュヴィングハマー、バス・バリトン)だったことは疑いがない。彼らの歌声は、まさにこれぞワーグナーというべき貫禄で、声の張りが一等際立っていた。だが、彼らと主役二人を同列に扱うのはやや不公平だろう。なぜなら出演するシーンが主役に比べ圧倒的に少ないからだ。彼らが少ない出番に力を集中させればいいのに対し、主役級はほぼ全編で粘り強い歌唱力が必要である。いわば中継ぎ投手と先発投手を同列に比較できないようなものだ。

第2幕では、二人の逢引きがマルケ王に見つかるシーンがクライマックスである。メロート(秋谷直之、テノール)の剣に倒れるトリスタン。第3幕ではその負傷したトリスタンが、死に絶えていくシーンが長々と展開され、そこにかけつけるイゾルデが「愛の死」を歌う。この最後のシーンこそ、最高の見せ場である。衣装を赤いドレスに変えた彼女が歌うその歌詞が、舞台両脇に表示される。これほど字幕が嬉しいと思ったことはない。普段、「前奏曲」と「愛の死」だけを聞いているだけではわからない、この長い時間を経て繰り広げられる歌詞の持つ意味が、ひしひしと伝わって来る。溢れんばかりのロマンを讃えて流れる歌唱に、聞き手の目頭は熱くなり、涙で字幕がぼやけてくる。あまりに美しく、陶酔に満ちた音楽はワーグナーの魔法である。5時間以上に亘って舞台を見続けた者だけが感じることのできるわずか10分間、私は感動に打ち震えるのを抑えることができなかった。

おだやかに、静かに彼が微笑みながら
目をやさしく見開く様子が
みなさんには見えているの?見えないの?
しだいに明るくかがやきを増し、
星々に照らされて空高く昇って行くのを
・・・
こんなにも素晴らしくかすかに、
歓喜を嘆き、すべてを語り、
その響きの中からおだやかに調和し、
私に迫り、私を揺さぶり、
優雅にこだまし、
・・・

自分自身のクラシック音楽鑑賞の集大成として、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」を見るのは、公私にわたって一区切りがつくこの時と決めていたのは、この公演が丁度その時期に偶然重なったからである。どちらかというとそれまで遠ざけてきた作品、音楽史上重要で、しかも音楽的に例えようもなく魅力があると言われてきた本作品を理解することが、素人の一愛好家には高い敷居だった。もちろん私は、クライバーの録音にも接したし、METライブの上映も見たことはある。しかし、ちゃんと親しんだとは言えない中途半端な状態で40年余りの歳月が流れ、満を持して挑んだ「トリスタンとイゾルデ」の実演を、生きている間にもう見ることはないだろう。少なくとも私にその機会が再び訪れたとしても、今回の公演以上の出来栄えを期待するのは不可能ではないか。

だが私はこの作品を、若い時に見ておきたかったと思い、少し後悔した。本日の公演では、結構若い客が多かったが、もしこの作品に多感な時期に触れていたら、人生が少し変わったかも知れない。もっともそのように思えるには、それなりのオペラと音楽の経験が不可欠だとも思う。つくづくクラシック音楽は難しく、恐ろしいものだと思う。名作の名演に接したところで、それが自分の意識にピタリと当てはまるとは限らない。が、偶然にも当てはまった時には、その人の人生をも変えてしまうほどの力を、音楽というものは持っている。とりわけワーグナー、その最右翼たる作品が「トリスタンとイゾルデ」であることは確かだ。

嵐の「昼」に始まった楽劇は、第1幕と第2幕の間には雲一つない快晴となり、終演時には日も暮れて「夜」になっていた。あれから数日たったいまでも、私の脳裏には「トリスタン和音」が鳴り響いている。

2024年3月24日日曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第758回定期演奏会(2024年3月23日サントリーホール、アレクサンダー・リーブライヒ指揮)

定期会員になると安く席が確保できるのはいいのだけれど、その日にスケジュールが入ってしまうこともあって、日程調整が結構大変であることは経験済みだ。それでも今回、初めて日フィルの春季の会員になったので、夏までの計5回のコンサートのチケットが送られてきた。その最初となる第758回定期演奏会が、サントリーホールで開かれた。

毎年3月の下旬になると、アークヒルズ脇にある桜並木は、「満開」と言わないまでも結構な咲き具合で、「7分咲き」か「満開近し」の趣である。ところが今年は、(早く咲くと言われていたのに)寒の戻りが長く続き、一向に咲く気配がない。「ちらほら」でもなく「つぼみほころぶ」といった塩梅。聴衆もコートを着てマフラーを巻き、曇天の中を会場へと急ぐ。

演奏会は2日にわたって開催された。正式には私は金曜日の会員なので、本来は前日22日の予定だったのだが振替をしてもらった。このシステムは大変有難い。そして振り替えてもらった席も1階の通路側と悪くない(A席)。席に行くと会員向けの冊子が置かれいて、アンケート用紙が入っていた。

5つある定期演奏会のうち3つ以上がお目当ての場合、会員になるのが経済的だ。今季は4つの公演に興味があった。その中に今回の公演は入っていない。しかし、会員にならないと行かないであろうコンサートでの、曲や演奏との思いがけない出会いもまた、定期会員の醍醐味であると言える。プログラムは三善晃の「魁響(かいきょう)の譜」、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番(独奏・辻彩奈)、そしてシューマンの交響曲第3番「ライン」という、どちらかと言えば玄人向けの渋い内容。でもこういう時こそプロの心をくすぐるからか、名演奏になることも多いことは過去に経験済みである。

さて、そういうわけでアレクサンダー・リーブライヒというドイツ人の指揮者も初めて聞くことになったわけだが、日フィルとの相性もなかなか良いと見えて、実力の発揮された印象的な演奏となった。まず三善晃の作品だが、最近コンサートで日本人作曲家の作品が取り上げられることが多い。しかし私はこの曲を初めて聞いた。「魁響」という言葉は(おそらく)造語で、手元の広辞苑にも載っていない。プログラム・ノートによれば「魁」はさきがけ、すなわちものの始まりの前段階を意味し、その響きという意味で名付けたようだ。ただ興味深いのは、この作品が岡山のコンサート・ホールのこけら落のための作曲されているこで、吉備地方の霊感に触発されたことによるということである。

岡山はほとんど旅行したことがないが、吉備津神社には行ったことがある。ここの長い回廊を、雪の降る年末の寒い日に歩いた。寒くて霊感どころではなかったが、その時のことを少し思い出した。曲はしっかりとした、割と長い曲だったが、手中に収め切った指揮と演奏で聞くものを飽きさせない。中盤のリズミカルな部分も含め、現代音楽の語法てんこ盛りのような曲だが、堂々としたものであった。

ヴァイオリンのセクションが一時退席し、独奏者のためのスペースが作られる。やがて登場した辻彩奈は、初めて聞くヴァイオリニストである。ここのところ、若い日本人の弦楽奏者に出会うことが多いが、彼女もまたそうである。シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番は実演で聞くのが2021年以来2回目。近年なぜかポーランド人作曲家の作品がプログラムに上ることが多いような気がする。若い演奏家がシマノフスキの作品をこなしてしまう技量の高さにも驚くが、失礼ながら私はこの曲の間中、耐えがたい睡魔に襲われてしまいほとんど記憶が残っていない。それでも最終盤のカデンツァでの堂々とした演奏は、この曲に賭ける彼女の強い気持ちが表れていたように思う。

休憩をはさんで演奏されたシューマンは、さっそうとしたさわやかな演奏だった。ホルンをはじめとして日フィルの巧さが際立った。シューマンの音は弦楽器と管楽器がそのまま混ざったような独特のもので、アレルギー性鼻炎に苛まれる春霞の時期に良く似合う、などいうことを思うのは私だけだろうか。ただ「ライン」という曲はライン川の雄大な景色をそのまま音にしたようなところが魅力的で、私は4つの交響曲の中では最も好きな作品である。それでも実演では、過去に一度しか接していない。

リーブライヒの伸びやかなで、かつ細やかな指揮によってこの曲の魅力が伝わって来る。今ではめずらしく各楽章の間に十分なポーズを置くのが好ましい。音楽を聞く喜びを味わい、その終楽章でコーダが決まると、女性がうなり声をあげ、続いて多くのブラボーが飛び交った。おそらく満足の行く出来だったのだろう、大変うれしそうに何度も舞台に上がった指揮者は、満面の笑みを浮かべていたのが印象的だった。

2024年3月17日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第21回「すみだクラシックの扉」シリーズ演奏会(2024年3月15日すみだトリフォニーホール、上岡敏之指揮)

長男が通う高等学校の卒業式があった日は、終日会社を休むことにしたのだが、妻と長男は同級生たちとともに懇親会に出かけてしまうので、ひとり午後からはすることがない。それはわかっていたので、そもそも卒業式には出席しないはずだった。でもまあ今では18歳が成人の年でもあり、子育ての区切りとして出席してもいいかと思った。私はそれこそ0歳から、本格的に家事、育児に携わったこともあり、それが18年続いた。息子のためというよりも、これは自分のための儀式であると思った。

その日の午後、丁度いい時間に上岡敏之の指揮で新日フィルのコンサートが開かれることを知ったのは、丁度2週間前のことだった。何と金曜日の昼間のコンサートである。しかもこれはシリーズ化されていて「すみだクラシックへの扉」を銘打たれた、いわば名曲シリーズである。そしてその会員はそれなりにいて、当日券こそ発売されるものの、がら空きというわけでもない。おそらくは定年を過ぎた老人たちのいい趣味の時間になっていることと想像される。第21回目の今回は、翌土曜日との2日間、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番とシューベルトの「グレイト」交響曲が演奏されることとなっている。

名曲プログラムとはいえ、これはなかなかいい選曲ではないか。しかも春に聞くに相応しい。そして驚くべきことにピアノ独奏はフランス人のアンヌ・ケフェレックである。彼女はもういい歳ではないかと思う。私が生まれた頃にはもう、有名ピアニストだったようだ。私もサティの名曲集を持っている。そのケフェレックを初めて聞く。

今回の座席はピアノも良く見える1階席前方の右手。隣に座った女性が、プログラムの要旨を声に出して読んでいて、シューベルトの生きた時代とベートーヴェンの生きた時代はほぼ重なる、などといったことや舞台に団員が登場して拍手が起こり、やがてコンサートマスターの崔氏が登場した、などといちいち話している。よく見るとその隣に高齢の母親が座っていて、どうやら目が見えないらしい。同じような障害を持つ観客も少なからず目につく。体の不自由な方でも気軽に通えるコンサートとして、この催しは行われているのだろう。

ケフェレックが登場し、ベートーヴェンのピアノ協奏曲が始まった。上岡の指揮は軽快に、丁度花の咲き始めるこの頃の初々しさを保ちつつ、朗らかである。やはり実演はいいな、と改めて思う。一通り第1主題の提示が終わり、ピアノが入る。この掛け合いの妙味が、私の席からは手に取るようにわかる。目が見えなくても、それは空気から感じ取ることができるかもしれない。ケフェレックのピアノもまた、若々しく気品に溢れ、若きベートーヴェンの音楽家としての明るい将来を見据えているかのようだ。

聞きなれたカデンツァではなく、短めのカデンツァだった。そして第2楽章に入ると、丸でモーツァルトのようにさりげなく優雅な表情を見せながら、円熟の演奏が続く。上岡の指揮は終始楽しそうである。第3楽章のロンドに至っては、ちょっとしたアクセントの強調が心地よく、木管楽器やビオラなど、私の席からも良く見える楽器は、指揮者の細かい動作にも機敏に反応する姿が手に取るように見えた。

指揮者はピアニストにも出だしの指示を怠らないような注意を維持しつつも、むしろ安心してオーケストラの指揮に重点を置いた様子。演奏がピタリと決まると会場からは多くのブラボーが飛び交った。プログラムの最初からこれほどのブラボーというのも珍しいくらいだった。

アンコールはヘンデルのメヌエット。静かな会場に透き通ったピアノの音色が響く。落ち着いた飾り気のない、しかし品のあるしみじみとした演奏だった。ピアノがこれほど美しいと思ったことはないくらいだった。

後半のシューベルトについては、推進力のある演奏で一気に聞かせるものとなった。この長い曲は、そうでもしないと聴衆の集中力が維持されないのかも知れない。私は第2楽章など、もう少しゆったりと聞きたくなったが、このテンポも許容できる。けれども第3楽章のトリオ部分などは、もう少し思いを込めてほしかった。

オーケストラが全体に若く、女性の数が非常に多い。そのことによるのかどうかわからないのだが、弦楽器の厚みが少し足りず、ややバランスが悪い。かつて日本のオーケストラはどこもこんな感じがしたが、そのような塩梅である。結果的に音楽に主張が感じられないような気がする。「グレイト」交響曲はただ長いだけの曲ではなく、その長さの中に隠しきれない悲しい表情が見え隠れする。そういうフレーズにも注意を払い、ただ音符を辿るだけに演奏にしてほしくはないと思うのだが、この曲の演奏会はなかなか思うような曲に感じられないことが多い。

私がかつて実演で聞いたサヴァリッシュの演奏(N響)とミンコフスキの演奏(ルーヴル宮音楽隊委)は今も思い出に残る演奏だった。あれ以来、プログラムを見つけては通っている。なかなか名演奏に出会えない曲である。しかしこの曲は第2楽章で「ブルックナー休止」のモデルになったのではないかとさえ思える部分があったりして、聞き所は多く、名演奏に出会えた時の嬉しさはちょっとしたものだ。「明るさ」と「円熟」という「相容れない要素が奇跡的に交わった」ような曲(プログラム)というのは、言い得て妙だと思う。

上岡の演奏はめっぽう遅いことがある一方で、今回のように程よく高速な演奏もあるのだと思った。演奏が終わると多くのブラボーが飛ぶ。3月に入っても冬の寒さが続いていたが、ようやく気温が20度近くまで上昇し、春の陽気がやってきた。その最初の日の午後、私はコンサート会場をあとにして両国方面にぶらぶら歩き、帰宅してビールを飲んだ。やがて家族も帰ってきて、長かった高校生活の日々(それはコロナと受験の日々でもあった)から解放された嬉しさに、改めて酔いしれた。私にとって、まさにそういう日に相応しいプログラムのコンサートだった。

2024年3月11日月曜日

広島交響楽団特別定期演奏会(2024年3月10日すみだトリフォニーホール、下野竜也指揮)

日本の地方オーケストラの中で、今最も注目され、実力も挙げている楽団は広島交響楽団ではないだろうか。就任当初はいろいろとチャレンジングなことも多々あったような話が随所で語られてはいるが、少なくとも私が初めて見たNHKテレビでのコンサート(それはベートーヴェンの劇音楽「エグモント」を全曲演奏したときのライブ映像だった)で、この組み合わせの素晴らしさに驚いた記憶がある。

下野竜也という、私よりも少し年下の、音楽の道に入るのが若干遅かった経歴を持つ指揮者に注目した(この頃はコロナ禍によって多くのコンサートが中止、もしくは無観客となることを余儀なくされた頃だ)。あるいは私が注目するもう一人の指揮者、カーチュン・ウォンのビデオがYouTubeにアップされており、その演奏を聞くと広島のオーケストラの鳴りっぷりが良いことに驚く。日本の地方オーケストラの中では目立たない存在だったこの交響楽団を、機会があれば一度聞いてもいいかな、と思っていた矢先のことである。

3月10日の日曜日は久しぶりに予定がなく、こういう日にはどこかコンサートでもと思っていろいろ検索したところ、何とすみだトリフォニーホールでその広島交響楽団の東京公演が開かれるではないか。しかも下野竜也が音楽総監督としてこのオーケストラとの最後の演奏会に挑む。プログラムは前半が細川俊夫の「セレモニー」というフルート協奏曲、後半が今年生誕200周年のブルックナーの交響曲第8番。下野のブルックナーは1月に第1交響曲を聞いたばかりだが、第8番のコンサートはそう多くないので、これは行ける時に行くべきだ。しかも料金はさほど高くない、当日券もある。

このコンサートは「すみだ平和祈念音楽祭2024」と銘打たれている。しかし渡されたプログラムにそれに関する記載がないことはちょっと不思議だ。私が想像するに3月10日は、あの東京大空襲のあった日で、墨田区を始め本所・深川の界隈は壊滅的な影響を受けた。そういう日に、広島からオーケストラを招いてコンサートを行うことの意義は、もう少し強調されてもいいと思う。

いずれにせよ開演の15時には私も3階席(それでもS席だった)を確保し、5階まで階段を上る。公演前にプログラムの紹介がったようだが、私は間に合わなかった。本当は1階席で聞きたかったが、すでに売り切れで仕方ない。やがてオーケストラが入場し、続いてフルーティストの上野由恵が赤い衣装で登場。我が国を代表するソロ・フルート奏者として国内外で活躍し、細川の作品集もリリースしている(と紹介されている)。

ここで私は、先日の秋山和慶指揮新日フィルで体験した細川の作品を再び聞くことになるのだが、その秋山は下野の前任として広響の音楽監督を務めていたようだ。秋山の残した遺産を引き継ぐことが大変だったと下野は語っている。そして細川もまた広島の出身であることを私は初めて知った。彼は「コンポーザー・イン・レジデンス」というタイトルを長年担っている。ところがそもそも広島交響楽団の沿革が、プログラムに掲載されていない。これも不思議なことである。

細川の「フルートとオーケストラのためのセレモニー」という作品は20分程度の曲ながら、フルートという楽器の多彩な表現を体験することとなった。冒頭、いきなり風が吹いてくるような音(効果音かと思った)は、フルートに風を吹き付けることで表現する。まるで尺八のような音色は、「アニミズムのシャーマニズム的儀式」を象徴する。音楽はこういうところから生まれた、と細川は語る。以降、フルートが「シャーマン(巫師・祈祷師)」を、オーケストラが「宇宙」を表す。フルートに吹きかける息は「霊魂」を意味するのだという。

東洋的な音感が醸し出す独特のムードは、チベットのような辺境アジアの密教的儀式を思い起こさせるが、それが中国を通して伝えられた我が国の仏教文化に合流し、日本文化の一部を形成していったことに通じているような気がする。何となくそんなことを考えながら味わった不思議な20分であった。

休憩を挟んでオーケストラの規模が倍増し、左奥にハープが3台並んでいる。今ではめずらしくチェロが最右翼の配置である。そういう細かい音の分離までは、さすがに3階席ではわからないのだが、逆にブルックナーのような宇宙的広がりを持つ音楽が、一体的な様相で感じられるのもまた良いものだと思った。3階席とはいえ、NHKホールとは違い、音が発散してしまうことはない。ブルックナーの演奏をビデオで観ると、教会の天井を映したりする映像に出くわすが、そういう風に視線を遊ばせることも自由にできる。

演奏はゆったり丁寧に進められたが、第2楽章までは特徴に乏しかった。オーケストラは良く鳴り、それなりに満を持して臨んだ感がある。ただブルックナーというのはやはり難しい音楽なのだろうと思う。日本の地方オーケストラが、中欧の響きの権化のようなブルックナーの音楽、それも金管楽器のアンサンブルが致命的に重要な音楽を、これほどにまで高水準で演奏する時代が来るとは思わなかった。30年以上前の我が国のオーケストラの技術的水準は、今の第1級アマチュア以下かも知れない。

第3楽章と第4楽章はさすがというか、このコンビが7年に亘って培ってきた音楽の集大成とも言えるような充実ぶり(と誰かがロビーの寄せ書きに書いていた)だったことは疑いがない。聴衆も物音ひとつ立てず、固唾を飲んで聞き入った。特にどうということはないのだが、どのフレーズもおろそかにしないほどオーケストラは真面目で献身的だった。ただ音の厚みとバランスの点で、私はこの作品をそれほど何度も聞いたわけではないのだが、ちょっと物足りないような気もした。これはオーケストラの技量の問題だが、それにしてもこれほどゆったりとした演奏で、弛緩することもなく、一定のテンションを保っていることには、このオーケストラの最高のものが表現されていることを示していたように思う。90分にも及ぶだろうと思われた熱演が終わったとき、誰かが間髪を入れずブラボーと叫ぶと、大きな拍手が沸き起こった。

地方オーケストラの東京公演は、聴衆を含めいろいろ地方色があって面白い。広響は創立60周年という節目であることに加え、下野竜也は来月桂冠指揮者に就任するそうだ。もっとも「今後は学校公演に限りたい」ということのようで、これまでの両者の間にあった様々な確執を想像するに、ちょっと複雑な気持ちになった。広島という町は、なかなか難しいところだな、とも。

公演が終わって記念撮影が行われ、観客も自由にどうぞ、ということで私も3階席端から一枚パチリ。その写真をここに貼り付けておきたい。

2024年3月8日金曜日

武満徹:映像音楽集(尾高忠明指揮NHK交響楽団)

尾高忠明指揮大阪フィルの東京定期で聞いた武満徹の「波の盆」という曲が忘れられず、この作品が収録されたディスクを探した。するとその尾高の指揮した演奏が2枚見つかった。このうち録音の古い方は札幌交響楽団とのもので、英Chandosレーベルからリリースされている。もう一枚は最近2022年の録音でNHK交響楽団。こちらは今どき珍しいセッション録音とのことである。札響とのCDには黒澤明監督の映画「乱」の音楽が収められている代わりに、N響とのCDにはドラマ「夢千代日記」のテーマ曲が収録されている。私は「夢千代日記」には大きな思い入れがあるので、録音も新しいN響盤とすることにした。

テレビドラマ「夢千代日記」は1981年にNHKで放送された「ドラマ人間模様」の作品である。1981年と言えば私は中学生だった。吉永小百合が演じる置屋の女将が神戸の病院へ行った帰り、急行列車がトンネルを出て餘部橋梁にさしかかるシーンに、武満徹が作曲した音楽が流れる。原作は早坂暁。暗く悲しい冬の日本海は、海がしけると海鳴りがする。私の実家は兵庫県にあるのだが、日本海側の風景は瀬戸内側とは全く違い、まるで別世界のようだ。

夢千代さんは広島に原爆が投下された時、まだ母親のお腹の中にいた。「胎内被爆」というシリアスな問題を扱っていることに加え、今では死語となった「裏日本」の情景がリアルに描かれているなど、昨今のドラマにはない趣である。戦後まだ30年余りしか経っていない頃の話で、バブルになる前の昭和の時代の、今から思えばまだ真っ当だった頃のドラマである。

好評だったのだろう、この作品は「続・夢千代日記」さらには「新・夢千代日記」と続編が制作され、1985年まで続いた。ドラマの始まりのシーンと音楽は、ずっと同じものが使われた。私はもう一度見たくなり、確か2002年頃BSで再放送された時に全部見た。丁度白血病の移植後の療養中のことで、夢千代さんも同じ病気なのか、と考えるととても他人ごとではない気持だった。ただ三朝温泉には大きな病院はない。だから彼女は、わざわざ県庁所在地の神戸まで通院する生活を送るのだった。

夢千代さんの余命はあと2年。この時現れた元ボクサーの松田優作は、夢千代さんに生きる勇気を与える存在だったが、皮肉なことに松田優作は1989年、40歳の若さで死亡。一方の吉永小百合は水泳で健康を維持する元気な役者として今でも大活躍している。

さてその「夢千代日記」の音楽は、短いながらも大変印象的である。これほどドラマの内容、山陰地方の風景、さらには主人公の心情を端的に現したものはないと言える。この音楽を聞くだけで、ドラマの世界が蘇る。武満のモダンにして日本的な音楽は、運命を背負った行き場のない悲しさを冷静に見つめ、そのことがかえってつらさを強調する。そしてもしかすると、その中にこそ希望が見える。

次の収録曲は映画「太平洋ひとりぼっち」の音楽である。この作品は1963年に制作されているから、私はまだ生まれていない。主演は石原裕次郎、監督は市川崑。映画こそ見ていないが、原作の本は中学生の頃に、図書館で借りて読んだ記憶がある。堀江謙一は西宮のヨットハーバーを出てサンフランシスコまで、無寄港単独の太平洋横断を成し遂げる。その後、世界一周も果たし、さらには高齢なってもなおヨットに乗り続けている。私は関西のテレビに彼が良く出演していたのを覚えている。

音楽は芥川也寸志との共作である。全編明るく、丸でポピュラー・オーケストラの曲のようであり親しみやすい。青年の明るい未来と航海をさわやかに表現している。

3番目の曲は「3つの映画音楽」で、「ホゼー・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」の3部から成り、それぞれ「訓練と休息の音楽」、「葬送の音楽」、「ワルツ」が副題として付けられている。このうち「ホゼー・トレス」は勅使河原宏監督の記録映画(1959年)で、武満29歳の時の作品。駆け出しのころだと思うが、すでに前衛作曲家として頭角を現してたようだ(Wikipediaより。以下同じ)。

「黒い雨」は言わずと知れた井伏鱒二の小説で、映画は1989年、今村昌平が監督を務めている。「黒い雨」とは原爆の投下直後に降った放射能を浴びた雨のことで、原爆症を発症すると髪の毛が抜け落ちる。衝撃的な内容で、私も小学生の頃に中国が核実験を行った時、雨に当たると髪の毛が抜けると言われて真剣に心配した記憶がある。この曲が最も暗く、そして陰鬱である。

「他人の顔」は安部公房原作の小説。勅使河原宏監督作品(1966)。私が生まれた年である。「ワルツ」はこのCDの中で一服の清涼剤のように軽やかで気持ちが安らぐ。

さて、最後に置かれたのが「波の盆」である。この美しい音楽は、一度聴いたら忘れられない。テレビドラマ「波の盆」は1983年に日本テレビ放送網で放映されたようだ。脚本は倉本聰、監督が実相寺昭雄、主演が笠智衆らである。錚々たる布陣のドラマの内容は、ハワイに移住した日系人が太平洋戦争によって引き裂かれる世代間の相克と和解を描いている。

ドラマは見たことはないが、音楽を聞いただけでも美しさで胸が熱くなるから不思議である。冒頭のメロディーはのちに回想され、3部構成であることは聞いているとわかる。途中、急に行進曲風の明るい部分があって驚くが、これは一瞬にして終わるのも面白い。尾高忠明はこの曲を良く取り上げているようだ。武満徹が作曲した映像音楽は数多いが、その中でも屈指の作品を収録したこのディスクは、やはり購入して手元に置いておきたくなる。

武満徹は1996年2月、61歳の若さで亡くなった。この時、親交の厚かった小澤征爾はニューヨークにいて、ウィーン・フィルとの北米ツアー中だった。私はこの時(2月29日)、カーネギーホールでマーラーの「復活」を聞いた。舞台に現れた小澤は盟友タケミツが亡くなったことを告げて黙祷を捧げ、さらにはバッハの「G線上のアリア」を演奏した。

その小澤は先日の2月6日、88歳で亡くなった。弟子の山田和樹が読響の定期演奏会で、武満の代表的作品「ノヴェンバー・ステップス」を含むコンサートの指揮中に訃報が伝わったらしい。しかし山田は追悼演奏を行わなかったとのことである(「小澤先生は音楽は楽しく演奏するべきだと語っていた」云々)。


【収録曲】
1. 夢千代日記
2. オーケストラのための組曲「太平洋ひとりぼっち」
3. 弦楽オーケストラのための「3つの映画音楽」( 「ホゼー・トレス」、「黒い雨」、「他人の顔」)
4. オーケストラのための「波の盆」

2024年3月3日日曜日

新日本フィルハーモニー交響楽団第654回定期演奏会(2024年3月2日すみだトリフォニーホール、秋山和慶指揮)

齢50歳をとうに過ぎた男が、甘く切ないラフマニノフの音楽に落涙するなどといった恥ずかしいことがあるだろうか?だがそういうコンサートだった。ラフマニノフの音楽がかくも美しく響いたのを聞いたことがない。それをそつなくこなす指揮も職人技だが、オーケストラ、特に木管楽器の素晴らしさといったら!新日本フィルがこれほど巧いと思ったことはないが、このオーケストラも世代交代が進み、実力を上げつつあるような気がする。それだからか、チケットの売れ行きもいいのではないか。昨年音楽監督に就任した佐渡裕の功績があるのかも知れない。

昨年の2023年はラフマニノフの生誕150周年にあたり、かの作曲家の作品が数多く演奏されたが、私はついに一度も聞く機会に恵まれなかった。特に交響曲第2番は、数ある作品の中で最も有名な曲であり、私は一度聞いてみたいと思っていた。この作品は一年中どこかのオーケストラによって演奏されるような人気のある曲で、これまで一度も聞いてこなかったのが不思議なことなのだが(というのは嘘で、記録によれば過去に2度聞いている。だが記憶にない)。

先週になって新日本フィルから一通の電子メールが届き、この交響曲第2番が演奏される3月2日と3日の定期演奏会に、当日券が発売されることを知った。よく見ると秋山和慶が指揮をする。これはちょっと驚きで、私は家族が旅行に出かけて留守番をしている時だから、行こうと思えば行ける。私は嬉しくなった。問題は体調だが、前日に同じ墨田区の両国国技館の近くで、友人とお酒を飲んだにもかかわらず比較的元気である。一般に同じプログラムのコンサートが複数の日程で行われる場合、どちらを選択すべきかは難しい問題である。今回も3月3日の方が、私の家に比較的近いサントリーホールでのコンサートなので、通常ならこちらを選択するところだが、直前まで迷った挙句今回は早く聞いてみたいと思い、錦糸町まででかけることにしたのだ。

会場は上岡敏之のブルックナーの時と違って落ち着いた雰囲気であり、相当数の席が売れ残っていた。全体に静かで、カフェでコーヒーなどを飲む人も少ない。日本人指揮者の地味なプログラムだからだだろうか。その前半は細川俊夫の「月光の蓮~モーツァルトへのオマージュ~」というピアノ協奏曲(ピアノ独奏:児玉桃)である。日本人の現代音楽の作品は、最近よく取り上げられるようになってきてはいるが、一般的にはなかなか敷居が高い。かくいう私も細川俊夫自体、初めて聞く。

細川はヨーロッパで活躍する日本人作曲家で、我が国よりもドイツでの知名度が高いのではないか。この「月光の蓮」も2006年、モーツァルトの生誕250年の年に、北ドイツ放送交響楽団の委譲により作曲された作品である。プログラムによればその時の条件として、モーツァルトのピアノ協奏曲から1曲を選び、それと同じ楽器編成で演奏できること、ということだったらしい。細川は第23番を選び(K488)、第2楽章からインスピレーションを得てこの作品を作曲した。どうして「蓮」なのか。そのあたりの説明は解説書に任せるとして、この初演時のピアニストが今回の独奏も務める児玉桃であ。私は彼女の演奏に過去一度だけ接している(プレヴィン指揮N響によるメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」、2011年)。

児玉のピアノは、さすがのこの曲を初演しただけに完全に手中に収めている。同様に手慣れた曲であるかのようにしっかりと寄り添うオーケストラもまたプロフェッショナルなものを感じた。「蓮」は仏教の世界観に通じ、その東洋的な音色は時に特徴的なトーンを発するのが印象的だったが、20分あまりの曲の間中、月夜の明かりが照らされる幻想的な世界が全体を覆っていた。

美しいとか神秘的というよりもむしろ、静寂の中に潜む「静」の光景を見ている側の精神性を試されるようなところがある。これは日本人であれば、共通して感じるようなものがあるように思うが、西洋音楽として表現された場合に、ヨーロッパでどういう受け取り方がなされるのかはわからない。そんなことをぼんやりと考えていたら次第に眠くなってきて、気持ち良い心地であった。ところが曲が終わりかけた頃に、ピアノがあのモーツァルトのフレーズを演奏したものだから(K488の第2楽章の主題)、一気に目が醒めた。月夜が照らす蓮の小池の風景が、モーツァルトの旋律によってリアルに眼前に現れたのである。

20分の休憩を挟んでいよいよラフマニノフである。オーケストラも打楽器を含めて舞台に勢ぞろい。もう80歳を過ぎた秋山はしっかりとした足取りで舞台に登場。そういえば小澤征爾と同じ斎藤秀雄の門下生として「サイトウ・キネン・オーケストラ」の最初のコンサートを指揮したのは秋山和慶だった。小澤ほどの世界的な人気はないが、秋山の音楽はしっかりと堅実、これまでのコンサートはすべて記憶に残る名演奏だった。その秋山が、先月逝去した小澤が設立した新日本フィルの定期に登場するのは珍しいのかも知れない(秋山和慶といえば、何といっても東京交響楽団である)。

最近はX(旧Twitter)でコンサートの感想をいち早くつぶやいたり、関係者がプロモーションを行うことが多い。この日もコンサートマスターの崔文洙がリハーサルの様子を伝えていた。それによれば、このコンサートを聞き逃すと後悔する、といった内容で、私はこの文章に心を動かされたのは確かである。そして今日のラフマニノフは、そのことを全く裏付けるものだった。

第1楽章の冒頭から、その完成度の高さに驚いた。よくあるような尻上がりに調子を上げる、というものではなく、まさに最初からアンサンブルは素晴らしく、確固たる足取りである。私はこれまで「すみだトリフォニーホール」で名演奏に出会ったことはほとんどなかったのだが、今回は1階席の後方左端という条件にもかかわらず、オーケストラの音はバランスが良く、各楽器も埋もれずに聞こえる。これは指揮者の功績以外の何物でもないだろう。

第2楽章のスケルツォも大変充実した出来栄えで、たっぷりと堪能することができたが、続く第3楽章のメロディーに至っては聞いているうちに胸が熱くなった。この曲は最高のムード音楽だなどと思っていたが、それもかくも完璧に演奏されると圧巻である。クラリネットの独奏がことのほか綺麗で、フルートとオーボエも遜色がない。金管楽器もロシアの大地を思わせる。それらが破綻せず、絶妙のブレンドのまま高揚したかと思うと、また静かに感傷的なメロディーを受け継ぐ。

ラフマニノフの音楽は、ロマンチックで甘美なロシア音楽の情緒を継承しつつ、ドイツ=オーストリア系の構成論理も融合した作品を生み出した、とブックレットには書かれていた。音楽的にはそのように解釈すべきなのかも知れないが、素人的に言えば、最高のムード音楽もしっかりとした音楽として成立しているからこそ聞きごたえがあるのだろう。うっとりとする時間が十分に長く続き、さらには第4楽章で打楽器も交じる高揚感に包まれる。ゴージャスなクラシック音楽の醍醐味が、ここに尽くされている。それを余すことなく表現する指揮とオーケストラに、私は打ちのめされたと言って良い。

拍手は醒めてはいないものの、総じて熱狂的でもなかった。だが温かい拍手が続く間、指揮者とオーケストラは満足感に溢れていた。あまりに感動的だったので、再度明日のコンサートにも出かける人がいるかもしれない。だが私は、今日以上のコンサートになるとも思えない。そんな完成度の高い新日本フィルの今後の演奏会が注目される。帰宅して検索してみると、来週の井上道義指揮によるマーラーの交響曲第3番は、すでに完売していることがわかった。そしてその翌週、今度は上岡敏之が登場する。金曜日のマチネとなると空席だらけかと思いきや、残りわずかとのことである。私は慌てて、この日のコンサートのチケットを予約しておくことにした。シューベルトの「グレイト」交響曲など、いまから大いに楽しみである。

2024年3月1日金曜日

東京都交響楽団演奏会(都響スペシャル)(2024年2月23日東京芸術劇場、エリアフ・インバル指揮)

長男が生まれた時、大いなる喜びと同時に大変なことになったと思った。それまで経てきた人生の十数年を再び経験しなければならない。自分自身ここまで来れたのも奇跡のようなものなのに、それとまた同じだけの日数を、課題に都度直面しながら対処していかなくてはならない。とてつもなく長い時間が待ち受けているように感じた。あれから18年が経ち、いよいよ大学受験の年となった。大学受験ともなると、定期考査とは違い持久戦である。一夜漬けが意味をなさない代わりに、終わってもさあこれから自由だと簡単に気持ちが切り替わるわけではない。むしろ茫然自失腑抜けのように、暫くは何もしたくない心境に陥るものだ。

私は当事者ではなく、親の立場である。それでも、というよりはだからこそ、特にこの1年間は、かなりの心的配慮を重ねてきたつもりである。そうと悟られないよう最新の注意を払い、平静を装いつつも心は到底穏やかではなかった。これは入院生活と似ていると感じた。そしてそれが開けた日、 つまり試験が終わった日は、ちょうど退院の日に相当する。この先どうなるかわからないのは、合格発表までの期間と同じだ。まずは終わってホッとする。次第に喜びが湧いてくる時があるとすれば、それは数日経って気持ちに少しの余裕が生じてくる頃である。それまでは、とりとめのない日々を送る。そのようにして少しずつ元の気持ちを取り戻していく。

こんな時にはどんな音楽を聞きたくなるのだろうか。先行きの明るい状態であれば(私も初めての入院時はそうだった)、ウィンナーワルツでも聞いて踊り出したくなる気分だろう。 だが生死の間をさまよい、とりあえず退院の許しを得て帰宅したものの、この先どうなるかわからないような不安定さの中では、そんな単純な音楽など聞きたい気持ちになれなかった。どういう曲がしっくりくるか。私はクラシック音楽の中でいろいろ考えた挙句たどり着いたのが、マーラーの交響曲、それも後年のそれらであった。私は第7番のシンフォニーを聞き、初めて何かが分かったような気がした。喜びと絶望が入り乱れ、 半分気が狂ったのではと思うような曲が、私に安らぎを与えた。マーラーの交響曲との向き合い方について、その発展の変遷を頼りにたどっていく。すると、希望の見える若い頃の作品がやがて混乱、絶望、そして、祈りに変わり、最後は諦め、受容、悟り、そしてとうとう死後の世界への憧憬へと昇華していくことがわかった。

未完の交響曲第10番は、そんな マーラーが最後にたどり着かざるを得なかった場所ではなかったか。そうだ、 第10番を聞こう。息子の合格発表を待ちながら、私は持病が刻一刻と悪化の一途をたどり、この先どうなるかもわからないという絶え間ない恐怖の中で、家族には平静を装い自らの意識をもだましながら仕事と家庭生活を続けてきた。毎日が体調との戦いで、それでも少し元気な日があれば、外に出かけている。数年前に痛めた腰、歩くと痛い足、そして満足に物が食べられない日常の中で、今日は2ヶ月ぶりに特急列車に乗って房総半島を南下、館山市にある坂東三十三箇所巡りの最終目的地那古寺へと向かう。コロナ禍となってから本格的に始めたこの寺巡りは、積極的に自動車を使い、ほぼ毎回日帰りで東京から出かけてきたが、それでも何年もかかった。いよいよ最後は結願だから、こういう時に行くのがふさわしい。嬉しいことに、ここのところ候が悪かったが今日はよく晴れている。

京葉線の無機的な車窓風景を眺めながら、昨日聞いたエリアフ・インバル指揮でマーラーの交響曲第10番を聞いている。息子の将来への第一歩は、どういう結果となるにでよ、まもなく少し前進するだろう。私の今後は少し深刻だが、それも息子の進学で気持ちはかなり楽になる。特にこの1年間は、2つ以上の問題が私にのしかかり、押しつぶされそうな日々に耐えてきた。毎月のように、体調が良い時だけは行動に出て全国を歩き回り、そうでない時は音楽を聴いていた。その一区切りに相応しい絶好のタイミングで、今回のコンサートの存在を知った。それは1月のことだった。不安に耐えきれなくなるような日に、昨年夏に訪れた 能登半島を大地震が遅い、私が滞在した輪島の中心部も壊滅的な被害を被った。数百人が命を落とし、数万人が家を失った。元日の悲劇は、それまで静かに暮らしていた多くの人々を、一瞬のうちに不幸のどん底に突き落とした。

先の見えない 不安や予期せぬ不幸は、限られた人にだけ降りかかるものではない。だからマーラーの音楽には普遍性がある。この未完に終わった第10番は、長い間単一楽章、すなわち「アダージョ」として知られてきた。私がかつて一度だけ実演で聞いたこの曲の演奏も「アダージョ」だけだった。この時、「嘆きの歌」や歌曲を含む全ての管弦楽作品を聞き終えたのだった。ところが第10番の交響曲は、続く第2楽章以降にも多くのスケッチが残っており、マーラーはそれらを完成させようとしていたのは明白である。とすれば、それらを何とかして完成させ演奏するのが個人の意志でもある。デリック・クックはその意思を継ぎ、全曲を補筆完成させた。全5楽章あるこの補筆版は、今やこの曲の演奏のデファクトスタンダードとして 演奏会で取り上げられるようになってきている。今回東京芸術劇場(池袋)で聞いたインパルによる都響の定期演奏も このクック補筆版であった。

ここで このクック版が、どのように作られ、何がどうなのか といった細かいことはここには書かない。それよりもむしろ、私は毎日心の混乱状態を少しずつやりくりして、何とかコンサートに出かけるだけのほんのわずかな 体力と気力を持つように努めたこと、そして薬の副作用の眠気や腰痛の中にあってなお、2階席の片隅に腰を下ろし なんとか70分の間、このマーラーの演奏に耳を傾けたことについて書かなければならない。演奏を楽しんだのかと聞かれると、とてもそうではない。だが退屈だったわけでは決してないし、ビオラの冒頭のアンサンブルが聞こえてきた時から、すさまじいまでの美しさに唖然として目からウロコが落ち、フルートをはじめとする木管楽器の惚れ惚れとする独奏が加わると、体が硬直するようなほどの感動的体験だったと言わねばならない。これがいつも聞いている都響の音かと思った。

不思議な時間だった。 どこを切り取っても同じような曲が1時間以上続く。この曲はそれまでのマーラーの作品とはやや異なり、どこか散文的で浮世離れしている。だから私の心境によく合っていた。インバルの演奏が、オーケストラにいつもとは違う感覚を与えていた。何十年にも亘りマーラーの名演を繰り広げてきた関係性ゆえに実現できたものだと思う。実際、このコンビはこれまで、2回ものマーラーチクルスを完成させていて、録音もされ大変評価が高い。この10番も前回(2014年)が空前の名演だったことが至る所で語られている。私は2回目のチクルスの最後の方で聞いた「大地の歌」が、もうこれ以上ないほどの大変な名演奏だったことを昨日のことのように覚えている。

私を乗せた特急「わかしお1号」勝浦行きは、つのまにか千葉市内を通り抜け、外房地方を走っている。九十九里浜の向こうから昇る朝日が眩しい。それにしても都響はうまかった。インバルの解釈がどうなのかは正直よくわからないのだが、オーケストラの音色に終始驚きっぱなしだった。完全にマーラーの音だった。中低音の厚みに木管が絡み、金管が咆える。大太鼓が第4楽章で何度も打ち鳴らされる。コーダで静かに消えていく永いメロディーを、私はまぶたを閉じて聞き入った。目から情報を入れたくはなかったのだ。 前日の平日マチネーを含め2日間、ほぼ満席だった会場は物音一つしない。音楽が消え行って静寂の時が永遠に続くのではないかとさえ思われた。指揮者がゆっくりと腕を下ろし、やがて拍手とブラボーが乱れ飛んだ。88歳にもなるマエストロは幾度となく舞台に呼び戻され、オーケストラが去った後でさえもそれは2回に及んだ。

マーラーが想像し表現しようとした死後の世界を、私もやがては体験することになるのだろうか。でもそんなことはない。この1年間、このことを毎日のように考えてきたけれど、それはもっと後になってからで良いのだ。私はまだそんなに年老いてもいないと思っている。しかしマーラーはこの作品を完成させずに、1911年旅立ってしまう。50歳の時であった。

那古寺から館山市内を望む

2024年2月18日日曜日

ブルックナー:交響曲第6番イ長調(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団)

前にも書いた通り、交響曲第6番は私がブルックナーに開眼する契機となった曲である。なぜだかはわからない。当時20代だった私は、大阪から東京に出てきて最初の年に、いきなりN響の定期会員になった。といっても新入社員の月給は非常に安かったのでC席を選択した。3階席でも割と前の方で、しかも中央より。そして春に入社してまだ研修中だというのに、私は1992年4月から毎週のように、定時に会社を抜け出してはNHKホールに向かうことになった。

平日なので満席ということはなかったが、仕事を終えた安堵感と、簡単には解けない緊張感が交錯して音楽に集中するのが難しい。それでも東京での演奏会に出向いていることの嬉しさが勝っていた。慌ただしく席についてオーケストラの出番を待ちながらプログラムに目を通していると、間もなく演奏が始まる。知らない曲も多いので、開演前に飲んだワインの力もあって、睡魔に襲われるのに時間はかからなかった。その日は定期会員としての最初のコンサートで、東京で聞く初めてのコンサートだった。

当日のプログラムの前半は何とハイドンの交響曲第3番などで、後半はブルックナーの交響曲第6番。すべて初めて聞く曲だったし、ガブリエル・フムラとかいうポーランド人の指揮者も知らなかった(N響への客演も2回目、しかもこれが最後だった)。私は当然のように眠り、目を覚ましてからまた聞き続ければいいと開き直っていた。長いブルックナーの交響曲はそのような私にもうっけつけで、第2楽章はゆったりとしたメロディーが起伏を伴いながら進行する。私はブルックナーの音楽を散漫で退屈極まりないと思っていたから、その日は何も期待していなかった。ただN響の演奏会とはどのようなものであろうかと、初めて巨大なNHKホールに行ってみることが目的だった(あとでわかったことには、このコンサートはフェルディナント・ライトナーが指揮する予定だったが、病気で交代したらしい)。

おそらく第3楽章のスケルツォあたりで目が醒め、そして当然の如くその後は頭が冴えわたった。第4楽章に入り、次第にコーダに向かっていくところで、私の脳に化学変化が起きた。どういうわけか、ブルックナーの音楽がアルプスを背景にそびえるゴシック風建築(教会)に思えてきたのである。一糸乱れぬN響が、まるでひとつの楽器になったように思えた。私は雷に打たれたように動けなくなった。それから終演までの数分間は、まったく奇跡のようにどこか遠くの世界へ行っているように感じた。フォルティシモになっても綺麗なアンサンブルとは、かくも美しいのかと思った。

会場にいたすべてのひとがそう感じたわけではない。温かいが醒めた聴衆からは、普段と変わらない不熱心な拍手が起こり、テレビ収録もある日の客席は7割程度の入りでしかない。だが私には、それが大名演に思えた。熱心に拍手をして指揮者のカーテンコールを楽しんだ。心が幸福感で満たされ、私はブルックナーの音楽がこれほどにまで浄化作用のある音楽だとは思わなかった。なぜ多くの人がブルックナーに心酔するのかが、少しわかるような気がした。

このような「ブルックナー現象」は、常に生じるわけではない。むしろ滅多にしか起きない。だがごくまれに、ほんの偶然のように、雲の合間から光が差してアルプスの高峰が、金色に輝く時がある。畏怖の念さえも感じさせるそのような瞬間は、まさにライブで演奏を聞く醍醐味と言える。

さて、交響曲第6番は、改訂だらけのブルックナーの音楽には珍しく、ほとんど稿の違いというのが存在しない。作曲者自ら完成度が高いと考えていたのだろう。比較的平凡な第4番を経て初めてブルックナーらしさが確立する曲が第5番と言われているが、第5番は少し暗くなかなかいい演奏に出会えない。これに対し、この第6番は比較的演奏によるむらがないと言える。続く第7番、そして最高の(と私は思う)第8番の4曲が、連なるアルプス連峰のようにそびえている。特に第2楽章アダージョの素晴らしさは、他の曲に引けをとらない。全体に楽天的で明るく、こういう音楽ならずっと聞いていたい、何も考えたくない、とさえ思わせる。

第1楽章は親しみやすいメロディーだが、何となく複雑でぎこちない展開に感じる時もある。私のイメージは朝の音楽である。第3楽章のスケルツォは、少し聞いただけでブルックナーとわかる曲である。ホルンの活躍するトリオ部分を挟んでたっぷりと楽しめる。第4楽章はちょっととりとめがない雰囲気が漂う。けれども第1楽章から聞いてくると、この楽章はそのまま勢いで聞ける。特にコーダは快速に飛ばし、一気にたたみかけるように終わる。

私がブルックナー好きになるきっかけとなったこの交響曲は、ディスクを揃える際に、特に綺麗な音で聞きたいと思った。いろいろ探し求めていた矢先、ヘルベルト・ブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を指揮したデッカ盤がリリースされた。ブロムシュテットにはこのサンフランシスコ響盤を含めて3種類あるらしいが、これは2番目のもので、今となっては存在感が薄い。他の2種を聞いていないので何とも言えないが、私はこの演奏で満足である。とにかくしみじみと綺麗で明るく、健康的。交響曲の前にはワーグナーの「ジークフリート牧歌」が収録されており、こちらも静かで整った名演。とにかくサンフランシスコ響の美しいアンサンブルに聞き惚れるうちに曲が終わる。

2024年2月17日土曜日

ブルックナー:交響曲第1番ハ短調(マレク・ヤノフスキ指揮スイス・ロマンド管弦楽団[リンツ稿]、アンドリス・ネルソンス指揮ゲヴァントハウス管弦楽団[ウィーン稿])

ブルックナーが最初の交響曲である第1番(習作を除く)を作曲したとき、作曲家はすでに40代の半ばだった。そのあとに9曲の交響曲を作曲したわけだから、大変遅咲きの部類に入る。なので、最初の頃の作品だからと言って、若さが前面に出ているようなところはあまりない。むしろ晩年の作品にも通じるような充実度を見せていると言える。

交響曲第1番を、そのように私は思っている。だがこの作品には2つの稿が存在する。作曲された時のリンツ稿と、改訂されたウィーン稿である。晩年の改定は1年以上の期間に及び、それは交響曲第8番の作曲後だったということから、2つの稿の違いはブルックナーの作風の変化を大きく反映していると言わざるを得ない。詳細にどこがどうということを知らなくても、実際に聞いた印象が随分異なるように感じる。ただそれには、この曲に対する演奏者の解釈によるところも大きいと思う。初期の作品らしく、速く荒れ狂うように演奏するものが「リンツ稿」には多いのに対し、晩年の作品のような円熟味を感じる演奏が「ウィーン稿」には多いと思うからだ。

私が所有している本作品のCDは、マレク・ヤノフスキがスイス・ロマンド管弦楽団を指揮したSACD(Pentatone)である。ここで聞ける演奏(リンツ稿)は、録音効果もあって大変活気があり、一点の曇りもなくまい進する快演である。ブルックナーの音楽は、特に自然体でゆったりと気宇壮大に進む演奏スタイルが効果的であって、多くのブルックナー・ファンはどちらかというとそういうのを好む。私もどちらかと言えば、こういう円熟味を帯びたブルックナーが好きだと、これまでは言ってきたのだが、この演奏に接して前者、完璧な機能美を前面に出して直線的に進む演奏も、またいいものだと感じた。

この交響曲第1番については、これまで演奏の主流を占めてきたのは、初期のリンツ稿である。活気ああって、機能美の極致とも言うべき精度でオーケストラが鳴り、圧倒的な高揚感を味わうことができる。オイゲン・ヨッフムのような定常あるブルックナー指揮者も、この作品ではリンツ稿で演奏を繰り広げている。

一方、ウィーン稿におけるブルックナーの改訂は、こういう傾向を緩和する方向に向かっている。特に第3楽章の印象的な違いは大きく、この楽章の速度がリンツ稿では生々しく野性的でさえある。特にこのヤノフスキの演奏で聞くと、また違う側面が強調されていて面白い。スイス・ロマンド管の演奏が素晴らしく、それを的確にとらえたすこぶる優秀な録音が、このディスクの最大の特徴だと思う。

さて歳を重ねると、若い時の行動が青臭く、時に気恥しく感じられるのが普通である。ブルックナーも若い(と言っても40歳だが)頃の交響曲第1番に対し「生意気娘」と呼んで大幅な改訂を行った。と言ってもこの作品をよみがえらせる作業をわざわざ行ったのだから、それなりに気合の入ったものだっただろうし、そうする価値があると思ったに違いない。もともと良い作品だと思っていたということである。この感覚もわかるような気がする。

現在では「リンツ稿」による演奏が多くなっているようだが、「ウィーン稿」で演奏された最近のディスクで私のお気に入りは、アンドリス・ネルソンスがライプチヒ・ゲヴァントハウス管を指揮した演奏である。これは一連のブルックナー全集の完結編となるものだ(他に交響曲第5番、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」から「前奏曲と愛の死」が収録されている)。ネルソンス盤(ウィーン稿)とヤノフスキ盤(リンツ稿)では聞いた時の印象がまるで異なる。わかりやすい違いは演奏時間で、ネルソンス盤が約55分要しているのに対し、ヤノフスキ盤はたった約47分である。つまりネルソンス盤は約2割長い。

第1楽章アレグロは、威勢のいい行進曲風の主題に時折木管楽器が絡み、オルガンの音を彷彿とさせる金管のアンサンブルが交錯する。もうこの時点でブルックナーの特徴が満遍なく出ている。第2楽章アダージョも大変美しいが、ヤノフスキの速い演奏で聞くと、高速道路でスイスの湖近くを走っているような感覚を思い出す。

もっとも特徴的な第3楽章はスケルツォ。まるで刑事ドラマの展開部のようなメロディーである。これを実演で聞くと、両翼に並んだヴァイオリンとヴィオラの掛け合いが楽しく、そのあとをチェロが似た音型を次々に演奏してゆくシーンが面白い。繰り返しがきっちりとあるので、ブルックナーの第3楽章は平凡なトリオを挟んで何かと冗長な音楽に感じられることもあるが、いい演奏で聞くと楽しくていつまでも聞いていたい。

終楽章フィナーレは「快速に、火のように」と指定された荒々しい音楽である。いよいよドラマも大詰めという感じ。最近では原典版に立ち返る傾向が強いため、リンツ稿による演奏が主流となっているが、先日聞いた下野竜也指揮による都響の演奏会でも、そしてネルソンスの新盤もウィーン稿であるのは面白い。「若々しさが失われた」ことに抗ってリンツ稿の速い演奏を取るか、「最終稿でより円熟味のある」ウィーン稿を良しとするか、これは楽しい比較作業である。クラシック音楽を聞く楽しみのひとつが演奏による違いであるが、ブルックナーの場合、ここに稿による違いも加わる。特にこの交響曲第1番においてはその違いが顕著で、ブルックナーの音楽演奏の際立った2つの傾向を反映しているだけに、この面白さが際立つこととなる。

2024年2月15日木曜日

ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ニ短調作品47(エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団、レナード・バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

私は大阪で育ったから、朝日放送で週末夜に放送されていたテレビドラマ「部長刑事」を何度も見ている。たった30分の刑事ものというのも珍しいが、このドラマは少し変わっていて派手なシーンはあまりなく、むしろ心理ドラマとしての面白さが前面に出たユニークなものだった(と記憶している)。全国にネットされているわけではなく、刑事も犯人もみな関西弁丸出しのセリフだから、私にとってはたいへん身近に感じることができた(通常のテレビドラマは標準語で会話がなされるため、関西人には親近感がわかない。特に学園もの)。

さてその「部長刑事」に登場するテーマ音楽が、ショスタコーヴィチの交響曲第5番第4楽章なのである。ところがこのドラマに使われる演奏は遅い。我が家にあったレナード・バーンスタインによる演奏は、これとは対照的にめっぽう速い。この違いは、この作品を語る上で避けて通れない「第4楽章のテンポ」問題なのである。遅い方を採用する指揮者は、私の知るところではヤンソンス、インバルなど。近年は原典主義の流行で、新しい録音ほど遅い演奏が多くなっている。

どちらが好きかという前に、この作品の初演者で今なお評価が高いムラヴィンスキーの演奏に耳を傾けてみる。するとそれはバーンスタイン同様に一目散に駆け抜ける演奏だ。というわけで、ここの演奏は速いのが標準だと思いたくなる。ところが、このムラヴィンスキーの演奏のもとになっているのが、出版された楽譜(遅い方)ではなく、手書きされた写譜だというのである(速い方)。ムラヴィンスキーの初演にはショスタコーヴィチ自身が立ち会っているから、わけがわからなくなる。テンポの問題は、実は第4楽章冒頭だけでなくコーダにもある(コーダではバーンスタイン盤がめっぽう速いのに対し、ムラヴィンスキー盤は重くて遅く、対照的である)。

どちらが正解かよくわからないのだが、まあ細かいことはさておき、この曲の魅力は何といってもその分かりやすさではないだろうか。ショスタコーヴィチは暗黒の時代を生きた作曲家だった。スターリンによる粛清はあらゆる分野に及び、人気作曲家でさえも例外ではなかった。因縁をつけられ、事実ではなくても批判されたり投獄されるのは日常茶飯事だったのではないかと思う。そういった批判をかわすため、ショスタコーヴィチはそれまでとは違った明快な音楽を作曲した。それが第5番の交響曲だった。一時「革命」とも題されたその音楽は、寒さと飢えに苦しむ農民が、やがて雪崩を打つように首都に侵入し革命を勝ち取るというストーリーである。これがベートーヴェン以来の「苦しみからの勝利へ」という第5交響曲の図式に、変にマッチする。

だがその解釈を真っ当に受けてよいのだろうか。この「勝利」は偽りの勝利であり、第2楽章のワルツは強制され、第4楽章の歓喜は銃口を向けられた中で繰り広げられる狂気であると解釈することもできる。共産主義に迎合したのか、それとも表面的には社会主義を讃えつつも、虐げられた芸術家の魂の叫びこそが隠されたテーマなのか、それはわからない。だが、ムラヴィンスキーの初演にショスタコーヴィチは立ち合い、その初演は大成功に終わることでショスタコーヴィチの名誉は回復、以降2人の親交は続き、ムラヴィンスキーはショスタコーヴィチの作品の多くを演奏した。交響曲第5番は結果的に、正反対の2つの解釈が可能なものとして在り続けている。

第1楽章は長く、フルートのソロや行進曲風のメロディーなど様々なテーマが現れ、ピアノやチェレスタといった楽器も登場する。これだけでも十分に楽しいが、第2楽章のスケルツォになるとロシア風のダンスで、重低音と管楽器の組み合わせが面白い。一方、第3楽章はこの曲の神髄とも言うべき部分で、弦楽器主体のラルゴである。寒さと飢えに苦しむ悲痛な響きで涙も出てこない。突如、ティンパニがクレッシェンドし、軍隊の行進のようなメロディーが威勢よく鳴り響く。金管楽器の旋律は一度聴いたら忘れられない。静かな部分も経て、再度主題が現れると小太鼓やシンバルなども登場し、祝祭的な音楽となってコーダに突き進む。オーケストラを聞く醍醐味が味わえる。

エフゲニー・ムラヴィンスキーは、ロシア革命前の1903年サンクト・ペテルブルグの生まれである。3年年下のショスタコーヴィチはまだ生まれていない。程なくしてロシア革命が起こり、以降、ソビエトが崩壊する直前の1988年に没するまでレニングラードのオーケストラを指揮し続けた。ムラヴィンスキーとレニングラード・フィルのコンビは、世界でもっとも高水準の演奏を繰り広げるものとして有名だった。しかし鉄のカーテンの向こう側の演奏の実態が知れ渡ることは、実際にはほとんどなかった。

我が国には1973年に初来日、以降2年おきに来日を果たすが、私が本格的にクラシック音楽を聞き始めた1980年以降は、予定されながら実現することはとうとうなかった。新聞の広告に何度か来日公演のチケット販売予告を見たが、その数か月後には「公演中止」の広告に変わった。録音嫌いでもあったムラヴィンスキーのショスタコーヴィチは、数多くのディスクが発売されているが、そのほとんどがソビエトで録音され音質が悪い。しかし第5番に関しては1973年来日時のNHK録音を始めとして、いくつかが知られている。今回私が聞いているのは、最晩年の1984年4月にソビエトでライブ録音されたものだ。Eratoから発売され、現在はDENONレーベルで音楽配信されている。音はいい。

このムラヴィンスキーの演奏と双璧をなすのが、西側の若手選手、レナード・バーンスタインの演奏だろう。もっともバーンスタインはロシア系の移民の子孫だったことから、ロシアへの愛着もあったのだろう。冷戦の雪解けが進んだ1959年、バーンスタインはニューヨーク・フィルハーモニックとともにモスクワの舞台に立つ。この時のショスタコーヴィチの交響曲第5番の演奏は、華々しく楽天的でさえある。この快活な演奏をショスタコーヴィチ自身が聞いていて、舞台に駆け寄った逸話は有名だ。バーンスタインは演奏旅行の後、ボストンでこの曲を録音した。現在聞くことのできるディスクは、この時の伝説的録音として今なお名高い。私が初めてこの曲を聞いたのも、我が家にあったこの演奏のLPレコードだった。

バーンスタインとムラヴィンスキーによる2つの演奏は、今もってこの曲の東西の横綱である。

2024年2月10日土曜日

プロコフィエフ:バレエ音楽「ロメオとジュリエット」作品64(小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

セカイのオザワが亡くなった。小澤征爾の指揮するボストン響は、何十年にも亘ってその磨きかかった響きを維持し、精彩を欠くことはなかった。小澤征爾のディスクは名盤が数多く残されているが、その中でも屈指の出来栄えのひとつを取り上げようと思う。

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シェイクスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」には、数多くの作曲家が音楽を付け、様々な作品に仕上げている。もっとも有名なのは、グノーのオペラだろうか。これはそのものズバリの名作。一方ベッリーニは「カプレートとモンテッキ」を書いているが、これはキャピュレット家とモンターギュ家という意味。アバドが取り上げたが、さほど有名な作品ではない。一方、英国の作曲家ディーリアスは「村のロメオとジュリエット」。バーンスタインは同じストーリーをハーレムに移し、ミュージカル「ウェストサイドストーリー」を作曲。古い両家の争いが、罪のない男女の仲を妨げるという純愛物語は、ゼッフィレッリの映画でこれ以上ないほどの美しさに仕上がっている(よくテレビで放映されていた)。私は高校時代、英語学習の副読本として簡単なものを読んた記憶がある。

ベルリオーズの劇的交響曲「ロメオとジュリエット」は、長いがなかなかの名曲である。ロシアに目を転じるとチャイコフスキーが幻想序曲「ロメオとジュリエット」を20分程度の作品に仕上げている。両家の戦いのシーンがまるでチャンバラのようだが、初期の傑作とされている。そして極めつけはプロコフィエフである。バレエ音楽として全4幕(9場52曲)から成る作品は、通して演奏すると2時間半もかかる大曲だが、様々な振り付けで上演され続けており、有名なメロディーは3つのバレエ組曲としてプロコフィエフ自身により編成され、演奏会でもしばしば取り上げられている。プロコフィエフはさらに、10の小品から成るピアノ曲にも編曲している。

バレエ音楽は長いから、その中の管弦楽曲だけを選別した組曲で親しむことも多い。けれども私は全体を通して聞くのが好きだ。チャイコフスキーの「白鳥の湖」も、ドリーブの「コッペリア」も、そのようにして聞くと有名なメロディーが繰り返し、繰り返し現れ、次第に耳に馴染んでくる。中には退屈な部分も多いが、ストーリーの時間の経過とともに音楽が自然に流れるので、唐突な感じがなく、聞き流していくといいBGMになる。車をドライブしながら、というのもいいかも知れない。しばしば冒頭に置かれ、数分で終わってしまう最も有名な「騎士たちの踊り」(組曲では第2組曲の第1曲「キャピュレット家とモンターギュ家」の中間部に登場する)の音楽も、全曲版では何度も登場する。繰り返しと言っても、そのままではなく少しずつアレンジがされていくから、聞いている楽しみが増す。

全曲版で親しめればそれでいいのだが、ややこしいことに全曲版から抜粋して構成された組曲が3つ存在する。この3つの組曲はそれぞれ独立していて、重複はないものの選曲や順序は全曲版と相当異なっている。3つの組曲も全部を演奏することはほとんどないから、さらに抜粋されることとなる。このとき、抜粋の曲やその並べ方は指揮者によって異なることが多い。そういう風にして、もともとの作品の構成からはかけ離れた抜粋版が数多く存在しているのが実情である。この結果、ある曲に続く曲が、以前に聞いた曲ではない、ということが起こる。しかもいくつかの曲は、オリジナルの曲をアレンジしている例も多い(「キャピュレット家とモンターギュ家」、「タイボルトの死」など)。以下に全曲版の順序を記載しておくが、多くの曲が組曲のどこかに組み込まれている(わかる範囲で★を付けた)。一方、第18曲のガボットはどこかで聞いたことがあると思ったら、実は古典交響曲の第3楽章を改作して転用したものだ。好きな順で聞けばいい、と言えばその通りなのだが、音楽だけ聴いても意味がわからなくなってしまうので、原作のストーリーに照らして理解するのが結果的に効率的であるように思う。全曲版で聞いておけば、長いが一番自然でわかりやすいと考える所以である。

第1幕
第1曲 前奏曲
第1場
第2曲 ロメオ
第3曲 街の目覚め★
第4曲 朝の踊り★
第5曲 喧嘩
第6曲 決闘★
第7曲 大公の宣言
第8曲 間奏曲
第2場
第9曲 舞踏会の準備
第10曲 少女ジュリエット★
第11曲 客人たちの登場(メヌエット)★
第12曲 仮面★
第13曲 騎士たちの踊り★
第14曲 ジュリエットのヴァリアシオン
第15曲 マキューシオ
第16曲 マドリガル★
第17曲 ティボルトはロメオを見つける
第18曲 ガヴォット(客人たちの退場)
第19曲 バルコニーの情景
第20曲 ロメオのヴァリアシオン
第21曲 愛の踊り
第2幕
第3場
第22曲 民衆の踊り★
第23曲 ロメオとマキューシオ
第24曲 五組の踊り★
第25曲 マンドリンを手にした踊り
26曲 乳母
第27曲 乳母はロメオにジュリエットの手紙を渡す
第4場
第28曲 ローレンス僧庵でのロメオ
第29曲 ローレンス僧庵でのジュリエット
第5場
第30曲 民衆のお祭り騒ぎ
第31曲 一段と民衆の気分は盛り上がる
第32曲 ティボルトとマキューシオの出会い
第33曲 ティボルトとマキューシオの決闘
第34曲 マキューシオの死★
第35曲 ロメオはマキューシオの死の報復を誓う
第36曲 第2幕の終曲
第3幕
第37曲 前奏曲
第6場
第38曲 ロメオとジュリエット★
第39曲 ロメオとジュリエットの別れ★
第40曲 乳母
第41曲 ジュリエットはパリスとの結婚を拒絶する
第42曲 ジュリエットひとり
第43曲 間奏曲
第7場
第44曲 ローレンス僧庵★
第45曲 間奏曲
第8場
第46曲 ジュリエットの寝室
第47曲 ジュリエットひとり
第48曲 朝の歌
第49曲 百合の花を手にした娘たちの踊り
第50曲 ジュリエットのベッドのそば
第4幕
第9場
第51曲 ジュリエットの葬式
第52曲 ジュリエットの死★

この作品は一時アメリカに移住していたプロコフィエフがソ連に帰国し、その最初に手掛けた作品である(1937年)。だからかどうかわからないが、音楽がわかりやすくて親しみやすい。20世紀の曲らしく新古典主義的な明晰さを備えたモダンなリズムがあるかと思えば、抒情的な部分もあって飽きることがない。

長年この作品の極めつけとして名高い評価を勝ち取り、それが今でも続いている演奏がある。ロリン・マゼールがクリーヴランド管弦楽団を指揮した演奏である。こういう曲に相応しい完璧な演奏である。デッカの録音も良い。ところが、この演奏を超えるほど感動的なのが小澤征爾指揮ボストン交響楽団による演奏だと私は思う(違う意見もある)。プロコフィエフを得意としている小澤の面目躍如たる名演で、すべての音楽が生き生きと蘇り、特に金管楽器の安定した巧さが光る。集中力を維持しつつも適切なテンポとリズムを堂々と採用し、乱れるところがない。あらゆるシーンが目に浮かぶようである。

実は私は、小澤がボストン響を引き連れてニューヨークを訪れた際、カーネギーホールで聞いた演奏会でこの曲を聞いたことがある。名演だったとは思うが、そのころはまだプロコフィエフの音楽に目覚めてはおらず、従ってさほど感動しなかった。だが聞けば聞くほど味わいが増すことから、プロコフィエフの中でも屈指の名曲である。前任セルの時代の名残を残すマゼールの演奏も捨て難いが、小澤の演奏をライブで聞いたことに因んで、ここでは小澤盤を採用した。

一方、組曲のディスクでは元の組曲の順に演奏しているものは少なく、その中からさらにいくつかを選び出して並び替えることが多い。私がこれまで聞いたもののなかでは、ムーティがシカゴ交響楽団を指揮した演奏が録音も良く気に入った。ただライブ録音のため全体で45分程度しかなく、ちょっと淋しい。全曲版がいいというのは、このような欠点を感じないからでもある。

「ロメオとジュリエット」の舞台になったのはイタリアの古都ヴェローナである。ここにはローマ時代の大きな野外劇場があることでも知られ、夏になると音楽祭が盛大に開かれる。私は学生の頃にここを旅行し「アイーダ」などを見た思い出がある。そのヴェローナには「ジュリエットの家」なる観光名所があるのだが、どうやらこれは偽物で、それらしい雰囲気のバルコニーが古いアパートの一角に設えてあるという代物である。

2024年1月23日火曜日

大阪フィルハーモニー交響楽団第56回東京定期演奏会(2024年1月22日サントリーホール、尾高忠明指揮)

大阪フィルハーモニー交響楽団(以下、大フィル)は、大阪市生まれの私にとって「おらが街のオーケストラ」である(いやそれこそ大阪弁で「うっとこの楽団」とでも呼ぼうか)。ここではそのことを前提に、独断で言いたいことを書くことを最初にお断りしておきたい。

大阪府の衛星都市にある、私の通う小学校の体育館に、小規模なオーケストラがやってきて「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」とか「おもちゃの交響曲」などを演奏したのは大フィルだった。私の母も歌ったアマチュア合唱団とともに「第九」の演奏会が開かれ、外山雄三の指揮で聞いたの最初のコンサート体験も、もちろん大フィル。中学生になって自分のお金で初めて出かけた演奏会も大フィルの「第九」。朝比奈隆の指揮する演奏会も、まだまだ当日まで券があった。そういうわけで、私は大フィルとともにクラシック・コンサートの道を歩み始めたと言ってもいいくらいである。

ところが、当時の大フィルはあまり上手いとは言えなかった。特に「第九」となると第4楽章の途中までは、プカプカやっている感じ。お客さんんもコーダだけをお目当てにしている感じで、どうも気分が悪い。朝比奈隆という音楽監督が君臨して、このオーケストラは日本で2番目に巧いということになっていたが(山本直純が「一にN響、二、三がなくて四が大フィル」と言っていた)、私には信じられなかったのである。

その大フィルが朝比奈としばしば取り上げ、録音しては評論家から恐ろしいまでの高評価を得ていたのがブルックナーだった。私はそれがよくわからなかった(今でもわからない)。ブルックナーのような音楽、すなわち管楽器のアンサンブルが決して乱れてはならず、弦楽器の重厚さが命とも言うべき音楽、いわばクラシック中のクラシック音楽を、あの大フィルが演奏するというのが私にはジョークに思えていた。ベートーヴェンの「田園」をやれば木管が外し、「エロイカ」をやればホルンがこけるのが常だった。薄っぺらい音のブラームスや、やかましいだけのチャイコフスキーの「いったいどこがええねん!」といつも思っていたのである。

90歳になっても現役として活躍した朝比奈(は晩年になるほど神がかり的な人気が出ていた)がついに逝去し、大フィルは井上道義の時代を経て大植英次がシェフとなると、次々と新しい試みがなされた。もともと新しい物好きの大阪人だから、これは受けた。その大植の後を尾高忠明が次ぐと分かった時、私は意外に思った。生粋の東京人の尾高が、果たしてどのように大フィルを指揮するのか。だがこれがなかなか良いというのである。尾高も東京ではできないような野心的な試みを、目一杯やっているように思う。関西だからできる良さ、というのがあるのは私も良くわかる。そこで私は、かつて大植英次でブルックナーの交響曲第9番を聞いて以来となる東京定期演奏会に、久しぶりに出かけることにしたのである。

月曜日のコンサートとあって、客の入りは7割程度だっただろうか。それでもプログラムがブルックナーの交響曲第6番となるとファンの食指は動く。私はあまり知らなかったのだが、すでにこのコンビによる演奏会は随分開かれていて、順番にCDも発売されている。プログラムの前半はテレビドラマのために作曲された武満徹の「波の盆」という曲で、演奏が始まって静かで美しい演奏にうっとりと聞きほれることになった。初めて聞く曲で、これほどしみじみ懐かしいと思った曲はない。それがいつまでも続く。武満らしい音、例えば鉄筋とハープが同時になるような音がちりばめられ、残響の多いサントリーホールに響く時、会場は静まり返り、私もなぜか涙が出るほどだった。解説によればこの曲は、1983年に日本テレビ系で放映されたのだそうだ。当時私は高校3年生だった。

「波の盆」を尾高は札幌交響楽団と録音している(Chandos)。帰宅して検索し聞いてみたのだが、これは今回の演奏よりもゆっくりとした演奏で、ここまでくるとちょっとしんどい。大フィルとの演奏の方が、もう少し明るくて私は好きだ。13分の曲が終わると20分の休憩時間となる。会場にはどことなく関西人風のいでたちの人が目立つ。ヘアスタイルや顔つきが、男女とも皆さん関西風。

さてブルックナーである。第6番は私が初めてこの作曲家に大感動を覚えた曲である。なぜだかわからないのだが、フムラーというポーランド人の指揮するN響定期をNHKホールの3階席で聞いた時である。私は少し眠くなり、そしてそこから目が覚めるとオーケストラがかくも見事に鳴り響くのかと驚くほどの名演奏となっていた(私だけがそう思ったのかも知れない)。以降、第4番、第7番、第3番、第8番、第9番の順に名演奏のブルックナーに出会うたびにこの作曲家が好きになり、そして今年、生誕200周年の記念の年を迎えた。

第6番は第2楽章がとりわけ素晴らしいが、そのほかの楽章も聞きやすく、第7番や第8番の陰に隠れはするものの、とてもいい曲である。そのブルックナーを、今の大フィルがどう演奏するか。昔に比べると技術は飛躍的に向上し、磨きがかかったアンサンブルが満を持して東京の舞台に登場する。昔から東京に出てくる大阪人の、やや自意識過剰気味の精神構造は、坂田三吉の例を筆頭に少し恥ずかしいくらいなのだが、尾高はそこをうまくくすぐって、というよりも自らが先頭に立って、ちょっと意外な演奏をしてみよう、と心に思ったのかどうかは想像の域を出ないのだが、まあそのような、つまりブルックナーにしては随分と大袈裟で、しかも迫力ある演奏になったというのが第一印象である。

細かいことはどうでもいい。私はこの演奏を聞きながら、大阪の街を回想していた。いつもは中央ヨーロッパの自然、特にアルプスの高峰を思い出すブルックナーが、本当に驚くべきことに、大阪の街、すなわち雑然としながらも情緒満点のあの街の雰囲気に、実によくマッチしているのである。金管楽器が号砲を鳴らすかと思った次の瞬間、ぐっと哀愁を帯びたメロディーが顔をのぞかせ、しばらくするとメランコリックに木管が、軒先を散歩するような足取りで通り過ぎる。これは近代的な都心部を歩きながら、その横丁に居酒屋や商店街ががやがやとひしめく大阪の街そのものであると思った。

だから大フィルのブルックナーは、本物のブルックナーとは違って妙に土着的、世俗的である。大フィルの音もあまりきれいではない。しかし大フィルにしかできないブルックナーの表現があると思った。私は朝比奈のブルックナーを聞いたことが(実演では)ないのだが、もしかすると相当前から、このような演奏をしていたのだろうか。これはこれで、面白いのである。私の好きなブルックナーとは違うが、大フィルのブルックナーはどこまでも大阪的で、それゆえに大阪生まれの私もそれなりに親しめるような気がする。もしかするとベートーヴェンもチャイコフスキーも、同様に関西風のだしが混じっているのかも知れない。それが大阪の魅力であり、限界である。

音楽に限らず、あらゆる芸術であれスポーツであれ、徹底して個性的な表現がもてはやされる風土に育まれ、それをわざと強調してみせるようなところが大阪人の心にはある(京都とはずいぶん異なるのだ)。その大阪の伝統を大フィルは西洋音楽の分野で継承していることを嬉しく思った。たとえシェフが東京育ちの尾高であっても、それはこの感覚を本質的に理解し、自らの音楽的な意思として体現することを楽しんでいるとさえ感じる。そのことがとても気持ち良い。クラシックかて、しょせんそんなもんでっせ、ちゃいまっか?

2024年1月21日日曜日

NHK交響楽団第2002回定期公演(2024年1月20日NHKホール、トゥガン・ソヒエフ指揮)

N響の新年はトゥガン・ソヒエフで始まる。1月の定期公演3つは、昨年も今年も、そして来年もこのロシアの指揮者が受け持つ。次第に人気を上昇させている彼の音楽は、まるで魔法のように会場に溶け込み、オーケストラからはそれまでに聞いたことのないような完成度の音楽を紡ぎだす。それはNHKホールの3階席でも同じだろうか?私はこのたび、久しぶりに3階席に座ったが、確かにオーケストラの音は普段と違って綺麗である。迫力も満点。だが、間近で見ることの多かったこれまでとは違って、やや醒めた印象を持ってしまうのは仕方がないのかも知れない。

つまり生で聞く演奏は、視覚的要素も大きいということである。そのことを改めて実感した次第。そう、いつもNHKホールの後方の席は、あまりよく見えないことによって、音の印象まで損なっているということである。これを避けるには1階席に座るしかない。しかも両翼はオーケストラ全体が後姿になるくらい幅が広いので、音も拡散してしまう。直接波がしっかり届く1階席の中央のみが、真に満足できる位置と言えるが、その1階席は傾斜が浅くて前の人に隠れるし、N響は舞台の後方に並ぶので最前列以外のプレイヤーが見えない(やたら肩が凝る)。

さて、ソヒエフの音楽はこのような悪条件にもかかわらず極めて精緻で、一音一音が確信に満ちている。フレーズの長さも各楽器の強さも、すべてが的確である。驚くのは、そこまで精密な指示をしておきながらオーケストラが伸び伸びと弾いていることだ。褒めることで実力を発揮する駅伝チームのように、オーケストラから実力以上の力を引き出す、というとどこまでわかって書いているのか、と言われそうだが、まあ素人から見てそういう風に思うのである。

Cプログラムは休憩なしの1時間。そのためにわざわざコンサート会場へ足を運ぶのがちょっとつまらない気もするのだが、その短いプログラムの最初にリャードフの交響詩「キキモラ」が演奏された。年代的には20世紀初頭で、マーラーの時代。プロコフィエフは弟子にあたる作曲家だから、後半のプログラム「ロメオとジュリエット」の前に置かれるに相応しいということだろうか。

その「ロメオとジュリエット」は有名なバレエ音楽で、通して演奏すれば2時間半を要する大曲だが、その中から抜粋された組曲がコンサートではよく取り上げられる。それでも第1組曲から第3組曲まであって、全部を演奏するとそれなりの時間を要することから、さらに抜粋されることがほとんどである。今回はその抜粋をソヒエフが行い、演奏順序も入れ替えて45分程度の組曲に仕上げている。その演奏順は以下の通り。

  1. モンタギュー家とキャピュレット家(組曲第2番第1曲)
  2. 少女ジュリエット(組曲第2番第2曲)
  3. 修道士ロレンス(組曲第2番第3曲)
  4. 踊り(組曲第2番第4曲)
  5. 別れの前のロメオとジュリエット(組曲第2番第5曲)
  6. 朝の踊り(組曲第3番第2曲)
  7. アンティル諸島から来た娘たちの踊り(組曲第2番第6曲)
  8. 朝の歌(組曲第3番第5曲)
  9. ジュリエットの墓の前のロメオ(組曲第2番第7曲)
  10. 仮面(組曲第1番第5曲)
  11. タイボルトの死(組曲第1番第7曲)

「ロメオとジュリエット」では有名な第2組曲がよく演奏されるが、ソヒエフ版も第2組曲を基準として最初の5曲は組曲2番を順に並べたもので、有名なメロディーが続く。第5曲まで行ったところで第3組曲から「朝の踊り」が差しはさまれるが、この第3組曲は滅多に聞く機会がない。2分ほどの短い曲だが、バレエが目に浮かぶような楽しい曲で威勢がよくソビエト風。

第2組曲に戻って静かで不安定な「アンティル諸島から来た娘たちの踊り」となり、そして再び第3組曲から「朝の歌」。いずれもバイオリンのソロ(本日は郷古廉)が活躍する。そして第2組曲に戻り悲劇的な「ジュリエットの墓の前のロメオ」が胸を打つ。消え入るように音が遠ざかってゆく間、広い会場が静まりかえる。ここまではストーリー通りなのだが、最後の2曲は第1組曲からのメロディーである。「仮面」の行進曲風のメロディーは、ちょっとしたアクセントになっていた。そして最後は「タイボルトの死」。弦楽アンサンブルの速いリズムに乗って、多くの楽器が競演する様は興奮に満ちたもので、このコンサートの最後に相応しい音楽的効果を生んでいた。

今東京で、ソヒエフは何を演奏しても行ってみたい指揮者である。来週はサントリーホールで「エロイカ」のコンサートが予定されているのだが、大いに残念なことにすべての席は早々に売り切れている(同じ演目が大阪でもあるが、これも完売)。ソヒエフのベートーヴェンは昨年聞いた第4番の名演が思い出されるので、これは是非とも聞いてみたいのだが、それが叶わないのはもどかしい。そして来年は、とうとうショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」が組まれている。

冒頭に述べたが、改めて思うにNHKホールの3階席はさほど音の悪い席ではない。にも拘わらず演奏が印象に残らないのは、視覚的な印象に乏しいからだ。だからなるべく前の方で聞いた方がいい。もちろん前で聞くと音もいい。聴覚と視覚にそれぞれ半分ずつの値段を払っていると考えるべきかも知れない。それにしても何十年もコンサートに通いながら今までわからなかったのは、そういうことだったのだ!

2024年1月19日金曜日

東京都交響楽団第992回定期演奏会(2024年1月18日サントリーホール、ジョン・アダムズ指揮)

コンサートの会場で配られる大量のチラシの中に「これは事件だ!」と書かれたものが目に留まった。現代で最も有名な作曲家の一人ジョン・アダムズが都響の定期を振るというのである。アダムズは1947年生まれだから、76歳ということになる。私は現代音楽に疎く、グラスなどとともにミニマル音楽の担い手という程度の、ありきたりの評判しか知らないのだが、自作を世界各地のオーケストラで指揮することも多く、欧米では引っ張りだこのようである。

そのアダムズが来日し、我が国のオーケストラを初めて指揮する。都響は在京のオーケストラの中でも近年特に意欲的なプログラムを組んでいるが、今シーズンの目玉のひとつがこのコンサートであることは疑いようがない。プログラムは当然すべてがアダムズの作品で、前半には本邦初演となる「アイ・スティル・ダンス」(2019年)、それに弦楽四重奏団との協奏曲「アブソリュート・ジェスト」(2011年)、後半には代表作「ハルモニーレーレ」(1985年)となっている。弦楽四重奏団には若きドイツのエスメ四重奏団が登場する。私にとってのアダムズは、2019年にN響定期で聞いた「ハルモニーレーレ」以来だが、この時に指揮をしたのは当曲を初演したエド・デ・ワールトだった。

コンサートは2日同じプログラムで行われる。最初がサントリーホール、翌日が東京文化会館である。アダムズの人気がどれほどあるのかわからないが、相当玄人好みであることは確かだろう。2日間、会場を埋めるだけの聴衆がいるのだろうかと思ったが、そこはさすが東京である。多くの音楽関係者、学生なども含め結構な人で会場が埋まっており、その雰囲気もいつもと違い興奮に満ちていた。あとで知ったが、我が国の有名な作曲家や評論家が詰めかけ、それに現代音楽のもう一人の第一人者で、コロナ禍を機に日本への移住を決めたテリー・ライリーもいたそうである。あちこちで挨拶を交わす人が多数。

多くの打楽器を含むオーケストラが舞台いっぱいに並び、やがて指揮者が登場すると熱い拍手。間もなく日本初演の「アイ・スティル・ダンス」が始まった。わずか8分の曲ながら、初演したマイケル・ティルソン=トーマスは「スーパー超絶技巧曲」と評したそうである。2階席奥からはよくわからなかったが、和太鼓やエレクトリック・ベースも登場する。だからというわけではないが、まあ素人の私には「祭り」の音楽に聞こえる。

続く「アブソリュート・ジェスト」については詳しい解説が必要である。配布されたブックレットには作曲者本人による長い文章が掲載されている。ここにそのまま掲示したい思いに駆られるが、著作権上それが可能かよくわからない。よってここに一部を抜粋したいと思う。まずこの曲の特徴は弦楽四重奏と競演するということである。その形態が音楽上どう成立するのか、とても興味深かったのだが、アダムズは「単純に配置の問題」がある他にも、両者の「アンサンブルを同時に成り立たせるのは」極めて困難だと語っている。舞台上で指揮者の周りに登場したエスメ四重奏団は、チェロ奏者以外起立したままだった。長身で若い彼らのみがカラフルな衣装をまとい、存在感が示された。そして驚異的に、弦楽四重奏がオーケストラに溶け込みつつも独自性を発揮し、決して埋もれない。それはやはり技巧性によるものが大きいと思う。

音楽はストラヴィンスキーの「プルチネルラ」を聞いて触発されたそうだが、全編に亘って様々な曲の主題などが登場する。その多くがベートーヴェンであり、弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタの曲も含まれるが、聞いていてわかりやすいのは交響曲のいくつかである。このようなものをパロディーと呼ぶのは、たとえAbsolute Jestが「徹底的な悪ふざけ」という意味であっても的を得ていないのかも知れない。なぜなら解説書には、「最も純粋に『創造的な』作業」であり、多くの大作曲家と同様に「他の作曲家の音楽を内面化し、『自分のものとする』手法」であると述べている。

25分にも及ぶこの複雑な曲を聞きながら、飽きることはなかったが、この曲の初心者としては全体に何を聞いてるのかよくわからない混乱が生じたのは事実である。それが意図されたものかどうかはよくわからない。演奏かは相当大変だったようにも思う。あっけにとられるまま終わったが、満場の拍手は鳴りやまず、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番より第2楽章がアンコールに演奏された。ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏は現代音楽にも通じるような融通無碍さを持っていることは多くの人が語っているが、こうして最新の現代音楽の直後に聴いて違和感がないどころか、その連続性のようなものも感じることができる。逆説的にベートーヴェンの先進性が強調されたような気がした。

後半の「ハルモニーレーレ」については、もはや古典的とも言えるくらいにこなれた作品として録音も多く、私も実演2回目である。検索をしてみると、初演したエド・デ・ワールトを筆頭に、サイモン・ラトルやパーヴォ・ヤルヴィ、それにベルリン・フィルをアダムズ自らが指揮した演奏などがヒットする。冒頭から延々と続く和音の連続は、妻に言わせれば「レコードの針が飛んだような」曲である。全般にアダムズの作品は、まるでモーツァルトのようにずっと音楽がワンワンと鳴っている感じだ。編成も大きく、エネルギッシュでリズムの変化が面白い。そして「ハルモニーレーレ」はその中に緩徐楽章とも言える部分が何回か現れ、それは後期ロマン派に通じるムードが漂う。

様々な要素の延長上にある現代音楽をちゃんと聞こうとすれば、中世の音楽から古典派、ストラヴィンスキーやシェーンベルクに至るまで、音楽史を俯瞰して理解している必要がある。だがアダムズは、そうでなくても楽しめる音楽である。特に「ハルモニーレーレ」のような作品は、作曲されてからすでに40年近くが経過していることを思わずにはいられない。私が音楽を聞き始めた1970年代に「春の祭典」がそうであったように、本作品は各地のオーケストラのレパートリーとして定着していきそうな気がする。それにしてもアダムズの音楽は、ずっと聴いていると一種の陶酔感をも感じる麻薬のような音楽だと思った。

ひとりのアマチュア・リスナーとしては、よくわからないなりに多くの発見のあった演奏会だった。おそらく芸術作品というのは、そういうものだろうと思う。音の重なりが表現する多様な感覚に、まだ新しいものがあるのだということに改めて驚くとともに、ベートーヴェンの音楽がかくも多様で先進的なものとして再現され得る可能性を秘めていることに感動した。猛烈なブラボーの嵐は楽団員の退場後も続き、指揮者とクヮルテットが再度舞台に登場。残った大勢の聴衆の拍手を受けていた。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...