2022年2月28日月曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(19)初登場の指揮者たち-デュダメル(2017)、ティーレマン(2019)、ネルソンズ(2020)

暗いコロナ禍の時期に少しでも気持ちを明るくしようと、過去のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートを順に聴いてきた。最終回の今回は近年に初登場した3人の指揮者を順に記録しておこうと思う。まずは2017年、グスターボ・デュダメルから。

デュダメルは1981年、南米ベネズエラ出身の指揮者である。社会主義政策を続ける同国には「エル・システマ」と呼ばれる音楽教育プログラムがあって、特に貧しい子供たちにも楽器を弾く楽しさを教えているビデオ・ドキュメンタリーを見た記憶がある。そのユース・オーケストラはメジャー・レーベルでも録音を行っていり、その指揮者がまだ20代だったドュダメルだった。この年のニューイヤーコンサートをテレビで見た際、「エル・システマ」の創立者で学者のアブレウ博士が会場にいたのが映し出されたのを記憶している。

デュダメルの指揮は若々しく躍動的である。それがウィンナ・ワルツにどう反映されるか、といったところが見どころだったが、どことなく違和感があったのも事実で、どうしてまた彼なのか、とも思ったものだ。その演奏は若干1割ほど通常よりテンポが速めに感じられた。

プログラムを見て気付くのは選曲の多彩さで、全部で8曲もの初登場の曲があるらしいが、その中でも注目したのは2番目にワルトトイフェルの「スケーターズ・ワルツ」という懐かしい曲があることだ。ただこの曲はウィンナ・ワルツではない。もしかすると史上初めて、ウィンナ・ワルツ以外のワルツがウィーン・フィルによって演奏された(ワルトトイフェルのワルツは前年の2016年にヤンソンスも取り上げているが)。そこではあのウィーン訛りの第2拍目のアクセントは強調されない。

その他にもレハールやスッペ、ツィーラーなどシュトラウス一家以外の作曲家が数多く登場し、どこか一般的なポピュラー・コンサートのような感じである。それでもニコライの「ウィンザーの陽気な女房たち」のメロディーが流れてきたときには、これがお正月のコンサートであることを実感した。ここでは何と合唱が挿入され、夢見心地のように音楽は進んでいった。

一方、シュトラウスの有名なワルツは「千一夜物語」くらいしかなく、ちょっと不満の残る年でもあった。強いて名演となった作品を挙げるとすれば「チク・タク・ポルカ」ではないだろうか。ともあれこの年のニューイヤーコンサートは、新しい傾向を感じさせるユニークなものだったことは確かである。

同じ初登場の指揮者といっても2019年のティーレマンとなると、そのプログラムは渋い。特にワルツはそこそこ有名な作品が目白押しで、久しぶりの「トランスアクツィオン」、「北海の海」、さらには常連の「芸術家の生涯」、「天体の音楽」が並ぶ。またオペレッタの序曲からは「ジプシー男爵」といった風。いずれもドイツ人の実力派指揮者を意識した選曲だと思われたが、演奏が進むにつれて打ち解けたものになっていった。

私にとっては「トランスアクツィオン」が初めて耳に馴染んだし、「天体の音楽」の美しさは例えようもない。合間に挟まれるゆったりとしたポルカやチャルダーシュ、それに「インドの舞姫」、「エジプト行進曲」のような異国情緒を感じる作品まで、多彩で本格的なプログラムには気合が入っていたように思う。

ティーレマンを見ていて思い出すのは、同じように巨体だったワーグナー指揮者クナッパーツブッシュである。クナッパーツブッシュには「皇帝円舞曲」の名演奏が存在するが、今回のプログラムにはなかった。それでも「青きドナウ」では極限までテンポを落とすティーレマンはカラヤン以来の仕事師といった感じで、会場の興奮たるや相当なものだったが、おそらくの今後も何度かは登場する指揮者となるだろう。

初登場となる指揮者が2年連続するのは珍しいように思うのだが、翌2020年には若手のホープで、オペラにコンサートに活躍が著しいラトヴィア生まれのアンドリス・ネルソンスが登場した。このコンサートはなかなかいい。とても軽快で肩の凝らない演奏にもかかわらず、薄っぺらくもなければ惰性的でもない。きっちりと彼でなければ表現できないものを主張しているようにも感じられるのだが、それが目に付くようなところがないのである。つまり一見特徴がないように見えて、実はとてもレベルの高い演奏になっている。

後半の最初はスッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲である。この曲は数あるスッペの序曲の中でもとりわけ有名で、数年に一度毎に演奏される名曲だが、なぜかネルソンスの演奏は他にない軽快さと、統制の取れたバランスの良さが光っていた。ワルツやポルカでもこの傾向は変わらず、大袈裟な表現を避け、かといって軽薄になってもいない。

この年の最大の注目は、何とベートーヴェンの作品が登場したことだろう。それはベートーヴェン唯一のバレエ音楽「プロメテウスの創造物」にも転用された「12のコントルダンス」からいくつかの曲が採用された。2020年はベートーヴェンの生誕250周年だったからである。ところがこの音楽史上最大の作曲家の記念すべき年に、新型コロナウィルスが世界的な感染爆発を起こすのである。予定されていた数えきれないほどのコンサートが中止を余儀なくされ、その中にはベートーヴェンの作品が多数を占めた。この年のニューイヤーコンサートは、その暗黒の日々が始まる直前の最後の光を放つこととなった。

しかしいつからか、このコンサートを収録したCDには拍手が収録されなくなっていた。ティーレマンの時もそうだった。「青きドナウ」の冒頭の挨拶と、「ラデツキー」の最終を除き拍手が入らない(逆に言えばその時にだけ拍手が入るのも不思議だ)。丸で翌年の無観客演奏を予感するかのように、演奏は静かに進行する。今聞くとそのことがかえって、あの楽しい日常の光景を遮っているようで不気味な感覚でもある。

有名ではないが、無名でもないいくつかのワルツ「レモンの花咲くところ」や「人生を楽しめ」、そして「もろびと手を取り」が演奏されるに及んで、私にはこの選曲が1988年のアバドの最初の年の焼き直しであることに気付いた。「トリッチ・トラッチ・ポルカ」や「大急ぎで」といったポルカまで同じである。ネルソンスはアバドに再来であるかのように、気を衒わず、スマートで洗練された演奏が期待されているのだろうと思った。1978年生まれのネルソンスは、この時まだ41歳。ますます期待が高まる彼の指揮によりニューイヤーコンサートが楽しめる機会は、今後まずます増えるであろう。

3人の初登場の指揮者を聞き比べ、私はネルソンスに一層の期待と興奮を覚えた。一方、かつて若者だったベテラン指揮者のメータとムーティも、老齢の域に達しながら独特の個性を放っている。そのような中で来る2023年はオーストリア生まれのウェルザー=メストが3回目の登場となることが発表されている。

【収録曲(2017年)】
1.レハール:喜歌劇「ウィーンの女たち」より「ネヒレディル行進曲」
2.ワルトトイフェル:「スケーターズ・ワルツ」作品183
3.ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「帝都はひとつ、ウィーンはひとつ」作品291
4.ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「冬の楽しみ」作品121
5.ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「メフィストの地獄の叫び」作品101
6.ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「別に怖くはありませんわ」作品413
7.スッペ:喜歌劇「スペードの女王」序曲
8.ツィーラー:ワルツ「いらっしゃい」作品518
9.ニコライ:歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」より「月の出の合唱」
10.ヨハン・シュトラウス2世:「ペピタ・ポルカ」作品138
11.ヨハン・シュトラウス2世:ロトゥンデ館のカドリーユ作品360
12.ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「奇抜」作品205
13.ヨハン・シュトラウス1世:インディアン・ギャロップ作品111
14.ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「ナスヴァルトの女たち」作品267
15.ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「さあ踊ろう!」作品436
16.ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「千夜一夜物語」作品346
17.ヨハン・シュトラウス2世:「チク・タク・ポルカ」作品365
18.エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「喜んで」作品228
19.ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
20.ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2019年)】
1. ツィーラー:「シェーンフェルト行進曲」作品422
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「トランスアクツィオン」作品184
3. ヨーゼフ・ヘルメスベルガー:妖精の踊り
4. ヨハン・シュトラウス2世:「特急ポルカ」作品311
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「北海の絵」作品390
6. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「速達郵便で」作品259
7. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」序曲
8. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「踊り子」作品227
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「芸術家の生活」作品316
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「インドの舞姫」作品351
11. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「オペラ座の夜会」作品162
12. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「騎士パースマーン」による「エヴァ・ワルツ」
13. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「騎士パースマーン」より「チャールダーシュ」作品441 
14. ヨハン・シュトラウス2世:「エジプト行進曲」作品335
15. ヨーゼフ・ヘルメスベルガー:幕間のワルツ
16. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「女性賛美」作品315
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「天体の音楽」作品235
18. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「突進」作品348
19. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
20. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2020年)】
1. ツイーラー:喜歌劇「放浪者」序曲
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「愛の挨拶」作品56
3. ヨーゼフ・シュトラウス:「リヒテンシュタイン行進曲」作品36
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「花祭り」作品111
5. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「シトロンの花咲く国」作品364
6. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「警告なしで」作品132
7. スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
8. ヨーゼフ・シュトラウス:「キューピッド・ポルカ」作品81
9. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「もろびと手をとり」作品443
10. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「氷の花」作品55
11. ヨーゼフ・ヘルメスベルガー:ガヴォット
12. ロンビー:郵便馬車の御者のギャロップ
13. ベートーヴェン:「12のコントルダンス」WoO 14より
14. ヨハン・シュトトラウス2世:ワルツ「人生を楽しめ」作品340
15. ヨハン・シュトトラウス2世:「トリッチ・トラッチ・ポルカ」作品214
16. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ディナミーデン」作品173
17. ヨーゼフ・シュトラウス:「大急ぎで」作品230
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2022年2月22日火曜日

ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104(Vc:ピエール・フルニエ、ジョージ・セル指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

多くの人にとってそうであるように、もっとも愛すべき管弦楽作品のひとつであるドヴォルジャークのチェロ協奏曲(通称「ドボコン」)の名録音に、これまで何度触れてきたことだろうか。そのたびに心を洗われ、過去の日々を切なく思い、音楽の持つ霊感に心を震わせてきた。チェロという楽器の持つ表現力をこれまでに高めた曲というのを、この後にも先にも見出すことは難しい。冒頭の一音から最後の一音まで、どのフレーズ、どの音符をとっても聞きどころである。

そんなドヴォルジャークのチェロ協奏曲について書かれた記事は枚挙に暇がないので、作曲の経緯や作品の詳細は割愛しよう。この曲の過去の多くの演奏についても、多くの人が取り上げているし、そのことをかくいう資格はない。どの演奏もそれなりに素晴らしいとすれば、それはもう曲の持つ魅力があまりに大きすぎて、演奏の違いなどどうでも良いことのように思えてくるからではないだろうか。クラシック音楽を聞くことを趣味にしていて良かったと、素直に喜べる作品である。

ドヴォルジャークのチェロ協奏曲には、録音された名演奏が多い。ここでは私がこれまでに親しんだ演奏を思いつくままに記述するが、どの演奏に浮気しても最後に戻って来る演奏が存在する。それが、フランス人のチェリスト、ピエール・フルニエによる1961年の演奏であることに迷いはない。この演奏は、ジョージ・セル指揮ベルリン・フィルの強固なサポートを得て、神がかり的な完成度に達しており、それを捉えた録音も当時のものとしては最高位に位置するものだ。

私がこのフルニエ盤に出会う前、最初にこの曲を知ったのは、ロシアの巨匠、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチの演奏によってであった。彼は鮮烈なデビューとなったカラヤンとの競演盤で、すでに世界中から評価が高かったが、私の家にあったのはカルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロンドン・フィルとの演奏だった。ロストロポーヴィチによるこの2つの演奏は対照的で、力がぶつかり合うカラヤンとの演奏とは異なり、ジュリーニとの演奏では平和的な融合を感じることができる。熱がせめぎ合って昇華されてゆく方を取るか、それとも協調的和合を取るかは趣味の問題だが、この曲に関する限り私は後者を好む。

ロストロポーヴィチには後年、小澤征爾と組んだ演奏もあって、我が国では大いに評判を呼んだのだが、恐ろしいくらいにこの演奏の録音は酷い。そしてそのことが大きくこの演奏の存在価値を低めている。ロストロポーヴィチは阪神大震災の直後に来日して、小澤が復帰を果たすNHK交響楽団との特別演奏会でこの曲を披露したが、この時の演奏は魂が乗り移ったように情熱的で素晴らしかったことを思うと残念でならない。

デジタル録音の時代に入って、初めて自分の小遣いでこの曲の新譜を買ってみようと思ったのは、丁度、ヨーヨー・マがロリン・マゼール指揮ベルリン・フィルとの録音をリリースした頃だった。マは当時、新進気鋭の若手で、古色蒼然としたチェロの魅力を現代的なものに塗り替えて行った。バッハの無伴奏もこの頃のリリースである。以降、若手のチェリストのモデルにもなったのではないかと思わせるような新鮮さで、ドヴォルジャークのチェロ協奏曲に挑んだ演奏に注目が集まっていた。

ところがこの演奏を聞いて驚いたのは、マゼールの指揮する極端な人工的アプローチであった。「オフレコではないのか」などと揶揄する人もいたくらいに、その流れはしばしば多くのポルタメントや異常に遅いフレーズ、音が小さくなったかと思うとまるで器械のように段階的にクレッシェンドするような、極めて作為的な脚色に満ちていた。しかし聞き進むうちに、この演奏はそのようなアプローチが事前に周到に準備され、洗練度を極めたことによって、まるで写実を極めた絵画が写真のようにリアルであるかのように、見事なものだと思うようになった。聞けば聞くほどに新しい感覚をもたらし、気が付けばこの演奏の虜になっていた。

マの演奏によるドヴォルジャークのチェロ協奏曲は、その後、マズア指揮ニューヨーク・フィルによって再録音された。私も聞いては見たが、最初の演奏があまりに衝撃的だったことからか、平凡な感じがした。

1990年代に入って私が注目したのは、ハインリヒ・シフがチェロを弾き、アンドレ・プレヴィン指揮ウィーン・フィルが伴奏を務めるフィリップス盤だった。当時、プレヴィンのウィーン・フィルの録音が次から次へとリリースされていたが、どの演奏も素晴らしく、そこへドヴォルジャークのチェロ協奏曲ときて私の食指が動いた。この演奏は過去の名演奏に比べると特長が感じられないばかりか、平凡な演奏に思われて私は長年聞かない状態になっていた。

しかし後年になって改めて聞いてみるとなかなかユニークで、新鮮で瑞々しい感覚の中にもロマンチックな香りもする演奏であることに気付いた。もしかすると、近年のベストではないかなどと思ってみたのだが、実際のところそれも長続きはしなかった。そしてフルニエの演奏が、私にとっては性に合っていると思われて仕方がないのだった。

フルニエ、ロストロポーヴィチ、それに新しいマの演奏以外にも、評判の録音は沢山ある。その中で最右翼は、ジャクリーヌ・デュ・プレによる2種類の演奏(バレンボイム指揮シカゴ響、チェリビダッケ指揮スウェーデン放送響)である。しかし彼女が活躍した時代はあまりに短く、フルニエと同時代なのだが、今となってはどうにも録音が良くない。

一方フルニエの演奏は、質実剛健のキリっと引き締まった演奏である。だが決して冷徹な演奏ではない。むしろ知・情・意のバランスが完璧なほどに取れている。ほのかなロマン性と感傷的になり過ぎない理性。技量と感覚の融合が醸し出す独特の味わい。レトロな風味のチェロが、近代的な香りをまとっている。セルの伴奏が、このフルニエの特長を引き出すことに成功し、時にきびきびと先へ進むので、丸で校長先生とキャッチボールをしているかのような緊張感が続く。ここはこう聞こえて欲しい、と思う部分はまさにそのようにきっちりと聞こえる演奏である。

2022年2月16日水曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(18)ベテラン指揮者の再登場-メータ(2015)、ムーティ(2018, 2021)

時が経って2015年。この年のニューイヤーコンサートには、何とズビン・メータが登壇した。8年ぶりのことである。メータは初登場の1990年からよくこのコンサートに出演していたが、2007年を最後に遠ざかり(ただしこの時も9年ぶり)もはや過去の人となっていた。ウィーン・フィルを指揮する姿も長年見ていない。今さらメータのニューイヤーなんて、既視感のある面白くないコンサートだと思われたのだが、実はこれが予想に反しなかなかの名演奏だっと思う。いやそれどころか、2010年代を代表するものになったのではないか。今聞きなおしてみても、その思いに変わりはない。

コンサートは珍しく、スッペのオペレッタ「ウィーンの朝・昼・晩」から始まる。気さくで気取らない雰囲気で始まるコンサートは、懐かしさも感じる打ち解けたムードの中、ワルツ「東方のおとぎ話」へと進む。この曲は2009年にバレンボイムが取り上げているが、別の曲ではないかと思うほどその時とは印象が異なり名曲に聞こえる。さらにはヨーゼフ・シュトラウスの遅いポルカ「ウィーンの生活」、エドゥアルド・シュトラウスの速いポルカ「人が笑い生きるところ」といった初登場の曲までもが、何やら粒ぞろいの名曲に聞こえるから不思議だ。

純米辛口の吟醸酒を味わうような気持でワルツ「オーケストラの村つばめ」を聞いて行くと、もう前半のコンサートも終わりである。メータの惰性的で単調な指揮は、ここでは改められ、慎重かつ大胆にオーケストラの持ち味を生かすことに専念している。その献身的な様子から、類稀な関係に成熟したことが窺える。後半は「加速度円舞曲」のような懐かしい曲の合間に、珍しい曲が数多いものの、ワルツ「酒・女・唄」が長い序奏と伴って演奏されるという嬉しさに心が躍る。

そしてニューイヤーコンサートの中でも白眉とも言うべきワルツ「美しく青きドナウ」は、毎年アンコールとして演奏される曲であり、新年のスピーチもあってどの年の演奏がどうの、という評価を飛び越える曲であるにもかかわらず、この年の「ドナウ」はとても印象的だった。おそらくは最も素晴らしく演奏された「ドナウ」は、この2015年のメータにとどめを刺す。少なくとも私にはそのように感じられた。

メータの再登場で、もはやこれを上回る演奏はできないのではないかというほどになったためだろうか、この後彼の登場はなく、2022年現在でも予定されていない。

一方、もう一人の常連指揮者、リッカルド・ムーティはこのあと2018年、そして2021年と2回に亘って登場、老齢の域に達しながらも瑞々しく、しかも落ち着いた名演奏を聞かせてくれたことは記憶に新しい。

メータに並ぶ5回目の登場となった2018年の演奏は、メータとは対照的である。メータがどちらかと言えばポピュラーな曲を中心に楽し気に指揮するのに対し、ムーティは真面目一辺倒で、初登場の曲を並べ、言ってみれば芸術家肌であることを強調して見せる。ところがそこから紡ぎだされる音楽は、しっとりと情感を湛え、ワルツのような通俗曲を純音楽的に料理してみせるのである。どちらの演奏も甲乙が付けがたい魅力があって、そういう様々な演奏に接することができるのもニューイヤーコンサートの楽しみである。

2018年の演奏は有名な「ジプシー男爵」の入場行進曲で始まるが、こんな曲でも楷書風の演奏である。続くワルツ「ウィーンのフレスコ画」なんて曲は聞いたことがないし、「マリアのワルツ」もそうである。ところが「マリアのワルツ」などは、そういう風には感じられず、もうムーティは過去に何度も演奏をしてきているかのようなこなれた演奏で、ウィーンフィルも含め余裕すら感じさせるせいかとても楽しい。初めて聞く曲でこういう経験は珍しいが、ムーティの演奏できくときにだけ、こういう経験ができる。

後半に演奏されるスッペの喜歌劇「ボッカチオ」序曲も大変珍しいのだが、ベテランの手にかかると名演奏になって会場も沸き返っている。ムーティによるニューイヤーコンサートはうっとりするような時間をもたらし、気が付くともう終盤にさしかかっている。さすがにここまで来ると、以前とは違って有名曲が並ぶ。「ウィーンの森の物語」「南国のバラ」などに挟まれたポルカも「町と田舎」「雷鳴と電光」といった具合である。どのような名曲であっても珍しい曲であっても、ムーティの指揮は真剣に真面目で音楽的。それでもお正月のムードに溶け合っているから不思議である。

私はこの2018年の「美しく青きドナウ」を、房総から東京へと向かう高速バスの中で聞いた。空いた静かな車内からは夕日に照らされた東京湾の向こうに太陽が暮れかかる頃だった。快晴の空がオレンジ色に染まり、西に傾いた夕陽がひときわ大きくなって、肉眼でも見ることができる紅さに輝いている。江戸川を越えた時だった。夕陽は丁度富士山をシルエットにして没していった。ムーティのワルツと都会の日暮れの奇妙なマッチングが、私に幻想的な時間を与えた。

ムーティによる演奏は、白痴的に美しいメータの演奏とは異なり、発見をすることが多い。初めて聞くワルツやポルカだけでなく、すでによく知られた名曲であっても、ムーティ流の揺るぎない解釈は、ベテランの自信を感じさせる。そのムーティが新型コロナの蔓延に伴って無観客の演奏会となった異例の2021年の指揮者だったことは、偶然であるとはいえ好ましいことだったと思う。

ムーティは前回の登場から4年ぶり、6回目の登場だった。イタリアン・スーツに身を包んだナポリ生まれのムーティも、もう歳をとったもんだと思った。初出の曲にスポットをあて(ワルツ「音波」など)、丸で何度も演奏をしてきたかのような完成度で指揮をする。そのことに最初は退屈だったが、ここまで聞き続けてくると、そのことの方が楽しくなっていて、むしろ有名曲の方がつまらないくらいである。同じワルツでもツェラーの「抗夫ランプ」やコムザークの「バーデン娘」のような珍曲も登場、シュトラウス一家にはない趣きの曲に心がときめいた。ただ有名曲を演奏する際にはムーティも良く考えていて、「春の声」や「皇帝円舞曲」といった曲では目一杯テンポを落とし、それまでのどの演奏よりもコントラストをつける。その若干わざとらしい部分が、やや目障りではあると思うのは私だけだろうか。

この2021年のコンサートは無観客で行われたため、当然のことながら拍手はない。恒例の「美しく青きドナウ」の前には、英語で長いスピーチを行い、それもCDには収録されている。コロナ禍で開催が危ぶまれた恒例のコンサートを開催する意義をムーティは力説し、音楽の必要性を訴えたことは印象的だった。最後の「ラデツキー行進曲」でも拍手はなく、淡々と演奏が進む。バレエの画像も最小限挟まれたが、何か無理をしているようで痛々しく感じられた。

このように2021年の演奏は、ビデオで見ると異様な雰囲気である。照明に照らされ、例年の如く舞台上に花が所狭しと並べられていることが、かえってその異様さを際立たせる。だから私はこの模様は、映像なしのメディアで楽しみたいと思った。そしてそうする限り2021年のコンサートは大成功の部類に入ると思われる。無観客による丸でセッション録音のような雰囲気が特別な集中力をもたらしたのか、どの演奏も完成度が高く聞きごたえ十分である。


【収録曲(2015年)】
1. スッペ:喜歌劇「ウィーンの朝・昼・晩」序曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「東方のおとぎ話」作品444
3. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・フランセーズ「ウィーンの生活」作品218
4. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「人が笑い生きるところ」作品108
5. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「オーストリアの村つばめ」作品164
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「ドナウの岸辺から」作品356
7. ヨハン・シュトラウス2世:「常動曲」(音楽の冗談)作品257
8. ヨハン・シュトラウス2世:「加速度円舞曲」作品234
9. ヨハン・シュトラウス2世:「電磁気ポルカ」作品110
10. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「蒸気をあげて」作品70
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「エルベのほとり」作品477
12. ロンビ:「シャンパン・ギャロップ」作品14
13. ヨハン・シュトラウス2世:「学生ポルカ」作品263
14. ヨハン・シュトラウス1世:「自由行進曲」作品226
15. ヨハン・シュトラウス2世:「アンネン・ポルカ」作品117
16. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「酒・女・歌」作品333
17. エドゥアルト・シュトラウス:ポルカ・シュネル「粋に」作品221
18. ヨハン・シュトラウス2世:「爆発ポルカ」作品43
19. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
20. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2018年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」より「入場行進曲」
2. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「ウィーンのフレスコ画」作品249
3. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「花嫁さがし」作品417
4. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「心うきうき」作品319
5. ヨハン・シュトラウス1世:「マリアのワルツ」作品212
6. ヨハン・シュトラウス1世:「ヴィルヘルム・テル・ギャロップ」作品29b
7. スッペ:喜歌劇「ボッカチオ」序曲
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ミルテの花」作品395
9. ツィブルカ:「ステファニー・ガヴォット」作品312
10. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「百発百中」作品326
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ウィーンの森の物語」作品325
12. ヨハン・シュトラウス2世:「祝典行進曲」作品452
13. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・マズルカ「町と田舎」作品322
14. ヨハン・シュトラウス2世:「仮面舞踏会のカドリーユ」作品272
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「南国のばら」作品388
16. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「投書欄」作品240
17. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・シュネル「雷鳴と電光」作品324
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2021年)】
1. スッペ:喜歌劇「ファティニッツァ」より行進曲
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「音波」作品148
3. ヨハン・シュトラウス2世:「ニコ殿下のポルカ」作品228
4. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「憂いもなく」作品271
5. ツェラー:ワルツ「坑夫ランプ」
6. ミレッカー:ギャロップ「贅沢三昧」
7. スッペ:喜歌劇「詩人と農夫」序曲
8. コムザーク:ワルツ「バーデン娘」作品257
9. ヨーゼフ・シュトラウス:「マルゲリータ・ポルカ」作品244
10. ヨハン・シュトラウス1世:「ヴェネツィア人のギャロップ」作品74
11. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「春の声」作品410
12. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ・フランセーズ「クラップフェンの森で」作品336
13. ヨハン・シュトラウス2世:「新メロディー・カドリーユ」作品254
14. ヨハン・シュトラウス2世:「皇帝円舞曲」作品437
15. ヨハン・シュトラウス2世:シュネル・ポルカ「恋と踊りに夢中」作品393
16. ヨハン・シュトラウス2世:「狂乱のポルカ」作品260
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2022年2月4日金曜日

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート(17)フランツ・ウェルザー=メスト(2011, 2013)

ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートは、登場する指揮者の気合が入り過ぎてしまっている。カラヤン、クライバーに始まってアバド、メータ、ムーティ、マゼールと人気指揮者が続き、彼らはみなウィーンの常連指揮者であったこともあって対抗意識もあるのだろう、シュトラウスのウィンナ・ワルツなど所詮はポピュラー音楽の走りともいうべき作品であるにもかかわらず、相当な準備と練習を経て本番に挑む。もともとリラックスした演奏会だったこのコンサートを、いわば「統制されたゆとり」を演出するというのが、お正月の恒例となってしまった。

小澤もアーノンクールもバレンボイムも、そしてプレートルに至っても、あまりに自己顕示欲が強いのは世界的指揮者の共通した性向だとしても、ちょっと阿呆らしく思える時がなくはない。そんなコンサートが2000年代に入って迎えたのが、オーケストラ生まれの若手、フランツ・ウェルザー=メストだった。

ウェルザー=メストの演奏は、彼自身が極度の緊張に見舞われ、そのことが映像から手に取るようにわかるのだが、オーケストラの方は至ってリラックスしており、ウィーン・フィルとしても理想的な演奏ではないかと思われるのだった。何もせず、ただウィーン情緒を醸し出しさえすればいい、という状況を開き直りと言ってはいけないし、実際、彼は居心地が悪そうにしている。それも当然と言えば当然で、往年の巨匠が気付いてきた歴史とどう向き合えばいいのか、答えが見つからない。何とカラヤン以来というオーストリア人指揮者として期待がかかる。そしてその期待通り、2011年のコンサートは成功だったと言うべきだろう。

だが、ウェルザー=メストが指揮したコンサートは、あまりに地味なプログラムで、知っている曲はごくわずか。かつてアバドやムーティの初登場時に感じたことににているが、それ以上に顕著なこの傾向から、かなり損をしていると思う。それどころか、こうも知らない曲ばかり続くと、いい加減腹が立ってくる。生誕200周年となるリストのメフィスト・ワルツが演奏されるのが目に付くが、それとて有名な曲ではない。そしてやっとのことで「わが人生は愛と喜び」が始まったかと思うともう終わり。これほど地味なニューイヤーコンサートもないのでは、と見ていて思ったものだった。

けれども今聞きなおしてみると、音楽は自然でしかも新鮮さを失わず、かといって古い懐古的演奏に陥るわけでもない。これは新時代のニューイヤーコンサートとなった感がある。演奏はわずかに速めだが、そう感じるのは昨今、遅い演奏が増えたからだろう。奇妙な溜を打つこともなく、音楽がさらさらと進む。もちろんウィーン訛りのアクセントは付いている。それはポルカや行進曲でも変わらない。初めて登場する曲が多い中で、ワルツ「別れの叫び」は印象に残る曲だった。

あまりに目立たない曲ばかりであることへの反省からか、次回の2013年のコンサートでは、少し有名な曲が増えた。それでもプログラムの前半は、初登場の曲が3曲もある。そして何と喜歌劇の序曲で前半が終わり、ワルツで後半が始めるというのは何と1989年のクライバー以来である。私はこの2013年のニューイヤーコンサートが、2010年代では最高のものだと思っている。特に後半は曲のバランスも良く、メリハリがある上に2回目の登場となったウェルザーメストにも余裕が窺えたからだ。

2013年は二人のオペラの音楽家の生誕200周年の年でもあった。ニューイヤーコンサートでは近年、記念の年となる作曲家の作品が挿入されることが多いが、この年にもワーグナーの歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲、ヴェルディの歌劇「ドン・カルロス」より第3幕のバレエ音楽が演奏された。数ある作品の中からどうやって選曲するのかが依然としてよくわからないが、そもそもの主人公であるシュトラウスの音楽以上に目立たない点が重要ではないかと思われる。これまでは、他の作曲家の作品がワルツの間に挟まれると違和感が否めなかったが、今回のワーグナーとヴェルディは失敗していない。おそらく慎重に選曲をしたのだろう。

イタリアにちなんだ曲としての定番であるワルツ「レモンの花咲くところ」が聞こえてくると、ゆったりとした心地よいコンサートも終盤である。プログラム最後の曲、ヨハン・シュトラウス1世の幻想曲「エルンストの思い出、またはヴェネツィアの謝肉祭」は初めて聞く曲だったが、ユーモアたっぷりの曲で何やら笑い声が聞こえる。映像で見ないと、ここのおかしさは想像するしかない。総じて、この2014年の後半は2010年代のニューイヤーコンサートの中でも、最も成功した部類に入るだろう。

このブログを書き始めて10年以上になるが、2013年のニューイヤーコンサートについては過去に触れている(https://diaryofjerry.blogspot.com/2013/01/2013.html)。読み返してみても同じような感想が綴られている。

当時国立歌劇場の音楽監督だった彼は、しかしながら翌年突如辞任してしまう。以降、この舞台から遠ざかっているが、久方ぶりに来年(2023年)登場することがアナウンスされた。もう60代になったかつての若手指揮者も、平均的な楽団員の年齢より年上となっているのではないか。だから、さらに自由で豊かな音楽を聞かせてくれるのではないかと、今から楽しみである。


【収録曲(2011年)】
1. ヨハン・シュトラウス2世:「騎士行進曲」作品428
2. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「ドナウ川のおとめ」作品427
3. ヨハン・シュトラウス2世:「アマゾン・ポルカ」作品9
4. ヨハン・シュトラウス2世:「デビュー・カドリーユ」作品2
5. ランナー:ワルツ「シェーンブルンの人々」作品200
6. ヨハン・シュトラウス2世:ポルカ「勇敢に前進!」作品432
7. ヨハン・シュトラウス2世:「騎士パスマンのチャルダーシュ」作品441
8. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「別れの叫び」作品179
9. ヨハン・シュトラウス1世:「熱狂的なギャロップ」作品114
10. リスト:「村の居酒屋での踊り」(メフィスト・ワルツ第1番)
11. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・マズルカ「遠方から」作品270
12. ヨハン・シュトラウス2世:「スペイン行進曲」作品433
13. ヘルメスベルガー:バレエ「イベリアの真珠」より「ジプシーの踊り」
14. ヨハン・シュトラウス1世:「カチューチャ・ギャロップ」作品97
15. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「わが人生は愛と喜び」作品263
16. エドゥアルド・シュトラウス:ポルカ・シュネル「ブレーキもかけずに」作品112
17. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
18. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

【収録曲(2013年)】
1. ヨーゼフ・シュトラウス:「スーブレット・ポルカ」作品109
2. ヨハン・シュトラウス2世:「キス・ワルツ」作品400
3. ヨーゼフ・シュトラウス:「劇場カドリーユ」作品213
4. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「山の上から」作品292
5. スッペ:喜歌劇「軽騎兵」序曲
6. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「天体の音楽」作品235
7. ヨーゼフ・シュトラウス:フランス風ポルカ「糸を紡ぐ女」作品192
8. ワーグナー:歌劇「ローエングリン」より第3幕への前奏曲
9. ヘルメスベルガー:ポルカ「二人きりで」
10. ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「金星の軌道」作品279
11. ヨーゼフ・シュトラウス:「ガロパン(使い走り)・ポルカ」作品237
12. ランナー:「シュタイヤー風舞曲」作品165
13. ヨハン・シュトラウス2世:「メロディ・カドリーユ」作品112
14. ヴェルディ:歌劇「ドン・カルロス」より第3幕のバレエ音楽
15. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「レモンの花咲くところ」作品364
16. ヨハン・シュトラウス1世:幻想曲「エルンストの思い出、またはヴェネツィアの謝肉祭」作品126
17. ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル「おしゃべりなかわいい口」作品245
18. ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」作品314
19. ヨハン・シュトラウス1世:「ラデツキー行進曲」作品228

2022年2月1日火曜日

ドヴォルジャーク:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品53(Vn:ユリア・フィッシャー、デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団)

後期ロマン派(国民学派)に分類されるドヴォルジャークは、どちらかと言うと大器晩成型の作曲家であったようだ。若い頃の作品が、ブラームスなど他の作曲家の影響を受けて埋没している。初期の交響曲などはその例だが、一方で後年のチェロ協奏曲やいくつかの室内楽曲などは、突出した名曲で作風が確立している。国際的名声を得て新大陸へ赴く経験が彼の作風を拡大・定着させた、というのが音楽史の説明である。ここで聞くヴァイオリン協奏曲は、そのようなドヴォルジャークの発展する人生の直前に位置している。

ドヴォルジャークのヴァイオリン協奏曲は1879年に作曲された。大ヴァイオリニストだったヨアヒムの勧めで作曲に着手し、かつ彼に献呈されているという経緯は、この曲に大きな華を持たせた。無視するには勿体ない作品となっていったのではないかと思う。ただヨアヒム自身は助言を述べただけで、この曲を演奏しなかったようだ。

第1楽章の冒頭を聞いて思い出すのは、ブルッフのヴァイオリン協奏曲である。ここには演歌風のうねりがあるのだ。これがヴァイオリンの特長を良く生かしている。そして多くのユダヤ系ヴァイオリニストが得意とするヘブライ風メロディーの、このやや低音の音域の狭い音楽によく似ている。東欧風の、やや陰を帯びた民族調のメロディーが、この雰囲気を増幅させる。

他方アリランを基調とする我が国の演歌のメロディーと、東欧における民族風のそれ(にはユダヤ系の属性も含まれる)との間にどういう共通点があるのかを語ることは、音楽の素人にはできないが、ひとりの音楽ファンとしては、ブルッフにしろドヴォルジャークにしろ、ここに日本人も「うねり」で参戦する余地があるように思えてならない。例えば、チョン・キョンファ(ムーティ指揮フィラデルフィア)や五嶋みどり(メータ指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)もかなり若い頃から録音を行っている。特にみどりは、ブルッフやメンデルスゾーン同様に大変な集中力で歌う。その感覚は日本人としてはよくわかるのである。

ただ私自身は、この曲は音のきれいなヴァイオリンで聞くのが好きである。ユダヤ系ヴァイオリニストに多い、ややくすんだヴィオラのような音が交じる風体は、それがかえってスラブ的情緒を増加させているとしても、あまり好きになれない。曲全体にも言えることなどだが、伴奏のオーケストラが地味なのに、ヴァイオリンは結構難しいことを浮遊してやっている印象が強い。時折印象的なドヴォルジャークの哀愁を帯びたメロディーが顔を出すが、どことなく中途半端。つまらない演奏で聞かない方がいい曲の典型のような気がする。個人的には、ここは溜めを打ってちょっと澱んでいて欲しいな、などと思うところをさらっとやられると失望する。その味加減がヴァイオリニストによって異なる。

カデンツァを含む第1楽章から第2楽章へは休止なして繋がっていく。この曲の第2楽章は、いい演奏で聞くとなかなかいい曲だと思う。自然で素朴でありながらしんみりした表情は、紛れもなくドヴォルジャークのものだ。例えば真冬の曇り空に、透明なヴァイオリンがそこはかとなく静かに鳴り響く。気が付いてみると第2楽章が終わっている。ちょっとあか抜けた舞踊風のメロディーで始まる第3楽章は、スラヴ舞曲に独奏楽器を加えたようなロンド形式の音楽が続いて心地よい。

オイストラフやパールマンといった一部の巨匠が名演を残しているが、録音が盛んに行われるようになったのは、1990年代以降のことである。まだ演奏を熟すだけの余地が残っていたと気付いた若手ヴァイオリニストを中心に、この曲の録音がリリースされ始めた。そのような中に、チェコにも流れを持つドイツ人ユリア・フィッシャーがジンマンと組んだ演奏が私のお気に入りである。それは上記で述べたように、丁度いい塩梅でロマン性、民族性、透明性、抒情性、オーケストラを含む技量、溶け合い、伴奏のメリハリの良さなどが上手くブレンドされているからだ。適度にロマン性もあって艶やかだが、決して感傷的ではないところが、録音でき聞く場合の重要な点だ。客観的なデッカの録音も良く、線が綺麗で細身であるのがいい。だからCDで聞くこの曲の演奏としては、今のところイチオシということになっている。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...