2015年12月24日木曜日

ベートーヴェン:劇音楽「エグモント」作品84(S:シルヴィア・マクネアー、クルト・マズア指揮ニューヨーク・フィルハーモニック)

新聞を読んでいたらクルト・マズア氏が死去したことを知った。享年88歳。マズアは私にとっても何度かのコンサートで接した指揮者である。印象に残っているのは大阪ザ・シンフォニー・ホールでのベートーヴェン・チクルス。ゲヴァントハウス管弦楽団を率いて来日した89年秋のことである。私は立見席を買い、連日1階席最後部で「英雄」や「田園」を聞いた。

マズアは東ドイツの指揮者だったが、一連の東欧の民主化後にはニューヨーク・フィルの指揮者に就任したことは驚いた。私は95年から96年にかけてニューヨークに住んでいたが、このときに聞いたいくつかの定期演奏会で、マズアの指揮に接している。もっとも印象に残ったのは、ハーレムの少年合唱団と共演したオルフのカンタータ「カルミナ・ブラーナ」である。「このライブ録音が出たら買ってもいい」と当時の日記には書いてある。

マズアは大きな体をゆすりながらも指揮棒は持たない。リズムは遅くはなくむしろ快速であり、オーケストラはとてもきれいな音がする。ニューヨークの厳しい批評にさらされながらも常任指揮者の期間は10年以上にも及んだ。他の演奏会では、来日した際に大宮で聞いたニューヨーク・フィルの公演も思い出に残る。マズアの奥さんは日本人で、彼は時々来日し、練馬あたりの住宅街で見かけると聞いたこともある。

そのマズアのCDは私も何枚か持っているが、お気に入りはベートーヴェンの交響曲第5番とカップリングされた劇音楽「エグモント」である。「エグモント」は序曲だけが極めて有名で、全曲を通して演奏されることは少なく、録音に至っては昔、ジョージ・セルがウィーン・フィルを指揮した一枚があるだけといった状況が続いていた。私もこの演奏が好きだったが、ほかの演奏を知らないので比べようがない。だがあのベートーヴェンがゲーテの作品に音楽をつけたというだけで興味が湧くではないか。劇音楽「エグモント」の新譜が目に留まり、ハ短調の演奏も悪くないことを知って迷わず買った。

「エグモント」は序曲と9つの付随音楽からなる。

1.歌曲「太鼓が鳴る」 Die Trommel gerühret
2.間奏曲Ⅰ
3.間奏曲Ⅱ
4.歌曲「喜びに溢れ、また悲しみに沈む」Freudvoll und Leidvoll
5.間奏曲Ⅲ
6.間奏曲Ⅳ
7.クレールヒェンの死
8.メロドラマ「甘き眠りよ!お前は清き幸福のようにやって来る」Süßer Schlaf
9.勝利のシンフォニア

特にソプラノによって歌われる「太鼓が鳴る」と「クレールヒェンの死」は有名だが、それ以外のオーケストラによる部分も私は好きだ。歌劇「フィデリオ」もそうだが、ベートーヴェンらしい音楽が無骨に長々と響くのに飽きない人は、どちらも好きになれるだろうと思う。この曲は、歌劇「フィデリオ」を好きになるかどうかを気軽に試す曲だと勝手に決めている。

劇はオランダにおける独立運動、あるいは祖国愛に満ちた英雄の物語。いかにもベートーヴェンが好みそうなストーリーである。スペインの圧政に苦しんでいたネーデルランドの開放を求め、不屈の精神で立ち向かうのだ。1809年、すでにベートーヴェンは交響曲第5番、第6番「田園」を書き終えていた。もっとも充実したころにこの曲は作曲されたことになる。

終曲で序曲のコーダ部分が再現される。これは勝利のシンフォニーである。序曲の充実した曲が好きな人は、きっと全曲を聞くのが楽しいだろう。なおこの演奏はライヴ録音である。マズアはニューヨークとの一連の演奏をライブで収録している。いやニューヨーク・フィルというのは今ではライブ勝負しかしないようなオーケストラだ。おそらくプレーヤーの単価が高いので、スタジオ録音は収支に合わないのだろうと思う。マズアは共産圏出身の指揮者だが、こういう街のオーケストラで十分やっていくだけの野心とモダン性(資本主義精神)を持ち合わせていたようだ。

2015年12月22日火曜日

マーラー:交響曲第4番ト長調(S:キャスリン・バトル、ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

第4楽章に「子供の不思議な角笛」の中の「天上の生活」が使われているが、この音楽は当初交響曲第3番の第7楽章として用いる予定だった。そういうことからこの曲は、第3番との関連が深いということになっている。けれども作曲された年1899年は、第3番の完成後3年を経ている。この3年間にマーラーは、生活上の大きな変化を経験している。すなわちウィーン宮廷歌劇場およびウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任しているのである。

このときマーラーはもう39歳になっていたが、結婚を控えてキリスト教に改宗するのもこのころである。いわば人生の絶頂期ともいえるような時期が、この遅咲きの作曲家にも到来した。交響曲第4番はこのような中で作曲され、全体に幸福感がみなぎっている作品である。

初めて聞いた時の印象は、何と静かな曲かということだった。マーラーの大袈裟なほどに大規模な編成を持ち、特に最終楽章ではとてつもなく肥大化する・・・そう安直に考えていた中学生の私は、この曲が終始大人しく、わずかに何度かのクレッシェンドがあるだけという、丸で地味な、つまりはマーラーらしからぬ曲だと思ったのである。小規模・・・と言ってもそれはマーラーの他の交響曲に比べればという話であって、演奏時間は1時間近くにも及ぶ。終楽章にソプラノの歌声が入り、冒頭や第4楽章の鈴の音が印象的であった。

一見目立たない曲のようではあるが、コンサートでの演奏回数は結構多い。おそらく合唱を伴わないうえに、いくつかの楽器が不要であることなどから、興業的には収支がいいからではないかと思う。録音の数も多く、単一のCDに収まることもあり、私も第1番「巨人」の次に買い求めた曲である(そして第5番へと続く)。その時の演奏は小澤征爾指揮ボストン交響楽団(ソプラノ独唱:キリ・テ・カナワ)だった。この演奏はオーケストラが大変うまい上に録音もよく、とても素敵な演奏である。だが聞き直すうち後半になると何となく単調に感じられる上、テ・カナワの独唱があまりいいとは思えない。

第3楽章の美しさは、聞けば聞くほどに味わいが深まる。特に前半は幸福感に溢れ、最上のムード音楽のようでもある。だがそれをあざ笑うかのような独特のメロディーが挿入されてその感覚を打ち消すあたりのマーラー特有の性質は、この曲も持ち合わせている。それもまた魅力であり、その極みは第2楽章の「死の舞踏」である。3拍子の続く室内楽的なメロディーは、最初聞くと退屈だがやがて楽しくなる。

冬至を目前に控えたある晴れた日の朝、北関東へと向かう列車の中でこの曲を聞いた。演奏はロリン・マゼールの指揮するウィーン・フィルの演奏である。80年代の前半、マゼールはウィーン国立歌劇場の音楽監督の地位にあり、そしてついにウィーン・フィルを指揮してマーラーの全曲録音を行ったのである。それは丁度、マーラーがこの二つの組織で活躍したことと重なる。まるで「音の魔術師」とでも言うにふさわしいようなマゼールの表現が曲にマッチし、この第4番は大変な名演だと思う。

すべての音符は独特の美的感覚で再配置され、綺麗に磨かれている。ウィーン・フィルの美しさを引き出しながら、時にゆっくりと止まりそうなくらいにテンポを落とすかと思うと、微妙なアクセントでワルツを踊る。感覚的には遅い演奏だが、ほかの演奏がどうしてこのように響かないのかと思ってしまうような天才的な演奏で聞くものを飽きさせない。第3楽章の冒頭がこれほど美しいと思ったことはないし、SONYの録音も大変良い。第4楽章の独唱は絶頂期のキャスリン・バトルだが、この歌がまた素晴らしい。私の聞いた第4番の演奏の中で、彼女の歌声はベストである。

この演奏の魅力は、皮肉なことを言えば、ほかの演奏を聞いた後にわかる。だが第3楽章冒頭の美しさとバトルの歌声には、初めて聞いた時にも感動するだろう。

朝の郊外へと向かう列車は恐ろしいほどに空いている。雲の中から時折弱い日差しが車内に注ぐのを受けながら、静かな音楽に耳を傾けている。弦楽器の重なり合う見事なメロディーが現れたかと思うと、踊りたくなるような部分が続き、その諧謔的な雰囲気がこのような旅行に合っていて心が和む。そうして時間を過ごすうち、列車は住宅地を抜けて利根川を渡り、田畑の広がる農業地域へと入っていった。

2015年12月19日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(P:ミハイル・プレトニョフ、クリスティアン・ガンシュ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団)

モーツァルトがピアノ協奏曲というジャンルを深化させたとしたら、ベートーヴェンはより広く高いものへと進化させたと言えるかも知れない。9曲の交響曲がそうであったように5曲のピアノ協奏曲もまた、後世の作曲家にとって容易に超えることのできない壁となってしばしば立ちはだかり、いくつかの稀有な作品はそれを乗り越えた。

その5曲のピアノ協奏曲のうちでももっとも華やかでモニュメンタルな作品はやはり「皇帝」であろう。この作品の録音には枚挙に暇がなく、ほとんどすべてのピアニストにとって一度は演奏・録音すべき作品のように存在しているような気がする。だから私も気が付いてみたら数多くのCDを所有している。何度聞いても、そしてどのような演奏で聞いても感動的である理由は、作品が素晴らしいからだというほかない。そこにさらにもう一枚、これが最後とおもいつつコレクションに加わったCDが、ロシアのピアニスト、ミハイル・プレトニョフの演奏する一枚だった。2006年の録音なのでもう10年近くも前ではあるが。

第1楽章の冒頭でこのピアニストは、何とそれまでに聞いたことのない表現を乱発する。その自由闊達さがあまりに個性的であるにもかかわらず、聞いていくうちに引き込まれ、聞き終わってみるとこれまでの演奏があまりに大人しすぎるように感じてしまう。当時の私のメモには興奮した様子で以下のように知るしている。

「この新譜CD、何とこの1曲のみの発売である。いまどきたった37分の収録時間とは何とも珍しいし、だいたい高飛車な企画である。しかしこの演奏を聞いてみて、やはりというべきか合点がいった。その演奏の素晴らしさゆえに、売れると踏んでいるのだろう。

このディスクは、ベートーヴェン輝かしいピアノ協奏曲の演奏史にいおて、ケンプとライトナーによるもの、あるいはコヴァセヴィッチとデイヴィスによるもの、それにエマールとアーノンクールによるものといった、スタジオ録音された過去の代表的名演奏に匹敵し、ライヴ収録された演奏としては、ミケランジェリとジュリーニによるもの以来となる歴史的な演奏であるような気がする。」

流れるような部分では一瞬立ち止まり、おやっと思わせたかと思うと一気に駆け下る。あるいはまるでショパンを思わせるような流れるようなロマン性を表現する第2楽章の美しさ。第3楽章に至ってはもうやりたい放題である。だがこの演奏が計算されつくした虚飾性を感じるかといえば、そうではない。もしかしたら作為的なのかも知れないしその可能性も大きいのだが、少なくとも聞いている限りでは自然な表現としてこのようになっているという感じがする。つまり一種の試行錯誤を経て到達された「こうであるべきだ」という説得性を持つ表現なのである。

プレトニョフは過去の演奏、あるいは経験的に当然のこととされてきた部分をも見直し、おそらくは自らの感性に従って再構築したのではないか。ピアニストとして曲の表現の幅を広げることこそ、その使命である。ここに迷いはなかった。そのことを可能にしたのは、伴奏をするオーケストラで、かれはこのロシア・ナショナル管弦楽団を自ら組織した。

指揮者としてのキャリアも十分なプレトニョフが自分のオーケストラを指揮するのだから、当然弾き振りでもよかったはずだ。けれども彼はその指揮に、クリスティアン・ガンシュという無名の指揮者を起用した。いやライナー・ノーツによれば彼は、指揮者ではなくドイツ・グラモフォンのプロデューサーだそうである。そしてそのことがオーケストラの演奏に自信を与え、また彼自身余裕をもつことができた。ガンシュの指揮はピアニストに合わせているが、プレトニョフが必要と感じるすべてのことをしている。それは決して控え目にもならず、目立ちすぎもしない。おそらくはこの組み合わせでなければできない演奏を繰り広げている。

だがこの演奏はライブである。 感性に従って再構成した音楽に即興性を加えている。揺れ動くメロディーや瞬間的なひらめきのようなリズム。それが完璧なテクニックと生理的な安堵感の中で展開されることにより、従来の曲が持つ魅力を超えた魅力を持ち始めている。もしベートーヴェンがこの曲を生で弾いたら、大袈裟で思い入れたっぷりの演奏だったろうと思う。そしてこの演奏はそういうことを考えさせてくれるような刺激的な演奏である。


2015年12月18日金曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」(P:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ウィーン交響楽団)

大都会の真ん中でも澄み切った冬の夜空にはオリオン座くらいは見つけることができる。そしてオリオンが剣を持つ左腕の赤い恒星ベテルギウスを一つの頂点として、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンから成る冬の大三角形はあれではないのか、などと見上げながら寒い夜道を散歩していると、「天上の音楽」という言葉が思い浮かんだ。そういえばこの表現は、とても美しい音楽、特にベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第2楽章の解説で読んだような記憶がある。その時の演奏は、もしかしたらベネデッティ=ミケランジェリの演奏するウィーンでのライヴだったかもしれない。

都合のいいことに我がポータブル音楽プレイヤーにその音源が収録されている。指揮はジュリーニ。1979年のライヴ収録で、これは放送用の録音だろう。それがドイツ・グラモフォンからリリースされている。演奏前の拍手までもがCDに収録されていることは珍しく、そのことがこの演奏がライヴであることを強調している。しかもCDにわずか一曲。いくら遅い演奏とは言え、これはちょっとコスト・パフォーマンスが悪い。けれどもこの演奏は、ただでさえ録音の少ないミケランジェリの、それも未完に終わったベートーヴェンの協奏曲録音とあって名盤の評価が定着している。

FM放送をエアチェック(もうこの言葉は死語となって久しいが)してSONYのクラシック専用とか銘うたれたカセットテープに録音したのは中学生のころだった。隅々にまでくっきりと照らすイタリアの太陽のように、ミケランジェリの美しいタッチが光彩を放つ。それを音符を十全に押さえるジュリーニの確実な指揮がサポートすることにより、ユニークながら見事なコラボレーションを展開している。この演奏の例えようもなく美しいハーモニーに心を奪われ、何度耳にしたかわからない。

だがCDの時代になって買い直しラックにしまってはいたものの、あえてそれを取り出して聞くことはほとんどなかった。「皇帝」の録音は次々と新鮮で素晴らしいものがリリースされるので、それを追いかけるだけで十数枚のコレクションになってしまった。だが私のこの曲の記憶は、ルドルフ・ゼルキンがピアノを弾き、若きスター、レナード・バーンスタインが伴奏を務める古い演奏を別格とすれば、このミケランジェリ盤が個人的なベストの一角を形成しているのは間違いがない。

多くの作品がそうであるようにこの曲もまた、ベートーヴェンらしさとともに一度聴いたら耳から離れない旋律の宝庫である。いやそのなかでもこの曲は、第5交響曲や「レオノーレ」第3番などとともに、ベートーヴェンのもっとも生き生きとした躍動感、自然で健康的な美しさを持っており、その感じは最盛期のギリシャ建築のように素晴らしい。冒頭の長いカデンツァ(音程の高低を3度も繰り返す)に続く滋味あふれる第1主題を筆頭に、数えたらきりがないのだ。

第2楽章のアダージョが「天上の音楽」であることは上で触れたが、その最後部では静かな音楽が次第に第3楽章のメロディーを示唆しはじめ、一気にフォルッティッシモとなってアレグロになだれ込んでいく。 ロンド形式のような変奏の数々は、同じメロディーが様々に姿を変え、オーケストラと掛け合いながら進んでいく。愉悦の極みである。バーンスタインの早い演奏で聞くスポーティーな呼吸感も忘れ難いが、ジュリーニの演奏は弦楽器のアンサンブルをうまく引き出し、独特の味わいがある。ジュリーニのベートーヴェンは、特に晩年少しくどいと思うときがあったが、ベートーヴェンの中ではこの演奏と、パールマンを独奏に迎えたヴァイオリン協奏曲が、私の昔の思い出として長く記憶に残っている。

2015年12月17日木曜日

メンデルスゾーン:ピアノ四重奏曲第2番ヘ短調作品2、第3番ロ短調作品3(フォーレ四重奏団)

愛用のウォークマンでマーラーを聞いた後、そのままにしていたら、どういうわけかメンデルスゾーンのピアノ四重奏曲が再生された。重い曲を聞いた後なので、室内楽のそれもピアノ入りは心地よい。それにしても半年以上プレイリストを更新していなかったから、前に入れた曲でまだ聞いていなかった曲があったことを忘れていたのだ。しかもこの曲、私は実に初めて聞く曲でどういう理由でコピーしたかもわすれてしまった定かでない。ABC順でMahlerの次にMendelssohnが来たということである。

早熟の作曲だったメンデルスゾーン。私は実を言うとメンデルゾーンが大好きで、これまで八重奏曲などを聞いて、若干16歳にしてよくこんな曲を書いたのだなあ、などと思っていたが、このピアノ四重奏曲に至ってはなんと13歳の時の作品ということになっている。第1番から第3番まであって、作曲は1822年から1825年。第3番はゲーテに献呈されている。当時メンデルスゾーンはベルリンに住んでいた。ゲーテはしばしばメンデルスゾーンに会い、モーツァルトにも比肩される神童ぶりを記している。メンデスゾーンもゲーテを尊敬し、いくつかの曲を献呈しているようだ。

「12歳のフェリックスを、ワイマールのゲーテに引き合わせたのもツェルターでした。この少年の人柄とピアノ演奏は、72歳の詩人の心をたちまちつかみまし た。成人後、メンデルスゾーンは当時を回想して『もしワイマールの街とゲーテに出会わなければ、私の人生は違ったものになっていただろう』と述べています。」(フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルルディ基金のホームページより)

いずれの曲も4楽章構成だが、特に第4楽章のヴィヴァーチェが印象的である。というのも聞き続けていくうち、もう次の曲に移ったかと思うと、これが最終楽章というのである。第1楽章から瑞々しい感性に溢れているのは言うまでもなく、第2楽章のような楽曲は暖冬の今年、春のような陽気に誘われて聞き続けるのが素直に楽しい。そしてこのような曲は「ながら勉強」などをするには大変好ましい。私もよく「無言歌集」を聞きながら高校時代は過ごしたことを思い出す。

バッハの「マタイ受難曲」を復活演奏したり、ライプチヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者を務めたりと、ドイツ音楽界にあって非常に影響力の大きかったメンデルズーンは、ユダヤ人であることから戦後のドイツではほとんど低い評価しか与えられていなかった。我が国でもメンデルスゾーンを研究する学者などほとんどいないのだろう。その理由からか日本語で書かれたメンデルズーンの書物というのがほとんどない(児童書に一冊、それに2014年に邦訳が出版された「メンデルスゾーン―知られざる生涯と作品の秘密」 、レミ・ジャコブ著くらいだろうか)。

なおこの演奏はドイツの奏者を中心に組織されたフォーレ四重奏団による。ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの組み合わせによる曲は数が少ないが、この四重奏団は常設の団体だとうである。 演奏がとてもしっかりしているうえにメリハリが効いているので、ロマンティシズムを濃厚にたたえている。だから余計にこの曲が早熟な少年によって書かれたことを際立たせているようにも思える。

2015年12月13日日曜日

NHK交響楽団第1824回定期公演(2015年12月11日、NHKホール)

マーラーの交響曲は私の40年にも及ぶ音楽鑑賞の中で、常に傍らにあったというわけではないのだが、演奏会に毎年何回かずつ細々と通い続けているうちに、とうとう残すところあと一曲という状況になっていた。マーラーの交響曲は長く、規模も大きいので、そのすべてを実演で聞くことはなかなか難しい。だがとうとうその日がやってきたのだ。

半年以上、どういうわけか音楽から遠ざかっていた私は、知らない間にN響とヤルヴィの「復活」を聞き逃してしまったので、もうなかなかN響でマーラーを聞くこともないな、などと勝手に思い込んでいた。コンサートに行かないとあの分厚いチラシ一式を受け取ることもできないから、ますますコンサートからは疎遠になる。実際には東京でマーラーの演奏会は結構多いのだが。

そういう状況でNHK交響楽団が12月の定期公演でマーラーの交響曲第3番ニ短調を取り上げるとわかったとき、私は何のためらいもなくチケットを買った。2日あるうちのあとの方(土曜日)の公演はすでに売り切れで、仕方なく前日の金曜日のコンサートを選んだ。指揮はシャルル・デュトワだから、この牧歌的な曲にうってつけではないか。ヤルヴィのユダヤ情緒たっぷりの演奏とはまた異なり、洗練された現代的な演奏を聞かせてくれるのではないか、などと想像は膨らんだ。

師走の、それも週末の原宿は足の踏み場もない混雑ぶりで、駅のキオスクにまで行列に並ばないと入店できない有様である。ドトール・コーヒーもチョコクロも長蛇の列。おまけに代々木体育館に向かう道は押し合いへし合いの大混雑。安室奈美恵のコンサートに向かう若者の列が陸橋の袂まで延々と続いている。いったいこの中にマーラーのシンフォニーを聞く人がどれほどいるのだろうか、と首を傾げるのだが、それがいるのである。

NHKホールに着くと、当日券もあったようだが、私は今回B席を購入してあるので迷わず2階席へ。ずらりと並んだ大編成オーケストラの後に、東京音楽大学の女声合唱団、NHK東京児童合唱団が並ぶ。彼らは第1幕の冒頭から微動だにせず整列して座っているが、出番は短い。そしてこの曲は長いオーケストラ曲で始まり、長いオーケストラ曲で終わる。もう一人、第4楽章でソロを務めるのはアルト歌手のビルギット・レンメルトである。彼女が指揮者の横に座ったのは第2楽章からであった。

大規模な出演者に加えて100分にも及ぶ超大作に休憩はない。そして音楽はどちらかといえば静かで精緻である。なのでこの曲が実演で演奏されるのは、第8番ほどではないにしても少ない。デュトワは長年N響の音楽監督であったが、彼のマーラーを聞くのは初めてである。だか今日の演奏は素晴らしかった。N響がここ数年、ヨーロッパやアメリカのメジャーなオーケストラの水準にあることは疑いがないが、今日の演奏でもその技量が如何なく発揮された。たしかに一部の金管楽器で、音を外す部分がなかったわけではない。けれども全編ソロ演奏が絶え間なく続くような演奏家泣かせの曲にあって、よくここまで弾けるなあというのが率直な感想である。デュトワは静かで繊細な部分ほど丁寧に弾かせるので、もしかしたらそのプレッシャーはかなりのものではないかとも思う。

マーラーの長大な音楽は、それ自体が演奏家と聴衆が一体となった長い道程の如くである。どのような演奏に変化してゆくか、その一期一会の瞬間の連続。消えてはなくなってゆく空気の振動を今回も感じた。第1楽章ではやや緊張気味のオーケストラも、第2楽章、第3楽章と進むにつれて、しっとりと繊細でしかも上質のブレンドされたハーモニー、色彩的で現代的な音色が会場にこだますることになったのである。

第2楽章が春の野をいくような音楽にうっとりさせられたかと思うと、第3楽章のホルンの舞台裏から響く音に、オーケストラの音が混じり、それは天国にいるような感覚であった。このホルン奏者はなんとうまいのだろうと思った。彼は第5楽章の途中で舞台に戻り、最後のカーテンコールで絶大な拍手を受けたのは言うまでもない。第4楽章のアルトの歌声、それに少年合唱と女声合唱が加わる第5楽章と、静かな音楽も聞きどころが絶えない。私はこの第2楽章から第5楽章までのあいだ、 これほどにまで共感に満ち、実演で聞くことによってのみ達成されるような緊張と集中力のもたらす奇跡のような音楽に、心を打たれた。この日の公演はテレビ収録されていたが、放送ではなかなかこのような部分まで収録されることはないだろうと思う。いつものことであるが。

この4つの緩徐楽章は、まるでフランス音楽のようだった。私は目を閉じ耳を澄まして聞くうち、デュトワの生まれた町、スイスのローザンヌで過ごした夏を思 い出した。レマン湖畔から見るフランス・アルプスの絵画のような美しさ。それはマーラーが「すべて音符にした」オーストリアの湖畔の光景に通じるものがあるのだろか。

第6楽章に入ると再び弦楽器主体の演奏になる。 第9番の最終楽章を思い出すような長大なアダージョは、次第に熱を帯びて、引いては返す波のように音楽を導いていくが、その過程においてもデュトワの音は知性が感情を支配している。そのことによってバランスの取れた高揚感が聴衆を覆った。職人的な指揮は、決して破たんをすることはない。かといって冷静すぎる指揮でもない。私はこの曲がこの指揮者ととても相性がいいと思った。そして初めて実演で聞くこの曲が、デュトワによるものであることをうれしく思った。

音楽が終わってもすぐに拍手は鳴り出さなかった。だがソリストや弦セクションの首席奏者たちと握手をして聴衆に振り向いたとき、絶大な拍手が沸き起こった。出演者が何度も舞台に呼び戻されるにつれ、どういうわけか感興はより大きなものへと変わっていった。暖かい空気が会場を包み、私も涙が込み上げてきたのだ。演奏後に感動のクライマックスのやってくる演奏会は初めてである。そしてその気持ちは、まるで春のような陽気に包まれた渋谷の街を歩く間中続いた。

コンサートが終わって綺麗にライトアップされた公園通りを下りながら、何年かぶりの渋谷の空気を味わった。深淵な音楽も次第に夜の若者の喧騒にかき消されていった。私は7回目となる自分の新しい誕生日を、ひとり深く祝った。「感謝」といったものでは言い尽くせない何か・・・それはマーラーが自然から感じていたもの・・・その多くがこの曲に込められているように感じた。

2015年12月9日水曜日

ワーグナー:歌劇「タンホイザー」(The MET Live in HD 2015-2016)

ワーグナーはつくずく自由を求めた人だったんだと思う。18世紀中ごろの、すでに産業革命や市民革命を経た後で自由を手にした民衆は、古い教会の価値観が支配する中世的な社会と決別し、新しい神を求め始めた。ベートーヴェンが髪を振り乱しながら自由への賛歌を歌うとき、ワーグナーはその考えを先に進めることを決意した。それからまだあまり時間はたっていない。でもそのころすでにワーグナーは、ドレスデンにおいて革命の旗手であり、亡命後もパリで「タンホイザー」の改訂版を上演すべく準備に勤しんだ。

「タンホイザー」はその後に作られる輝かしい多くの楽劇に比べると、やや構想が甘く、音楽的な成熟も見られない。それどころかそのストーリーが、何とも身勝手なワーグナーの人生そのものを反映しているかのようで、見ていてもどうも乗ってこない、などと思う人が
いても不思議ではない。不思議ではないのだが、でもこの作品はワーグナーの音楽の持つ恐るべき説得性をもって聞くものをそれなりに楽しませる。誇大妄想のような物語の大袈裟さは、ここですでに健在であり、そして驚くべきことにそのことが苦にならないばかりか、やはりあのワーグナー病のウィルスがすでに多く潜んでいる。

序曲をレヴァインが指揮すると、壮大な音楽がMETのホールに響き渡った。十分に音符の長さを取り、フレーズはたっぷりと響かせる。徐々にクライマックスを迎えるオーケストラは、雪崩を打つように第1幕の冒頭、バッカナールへと入っていった。演出はもはや古典的とも言えるようなオットー・シェンクのものが、21世紀を15年も過ぎようとしているのに健在である。官能的なバレエのシーンに見とれながら、これでもかこれでもかと続く。この改定パリ版の演出は、賑やかすぎて好きになれないが、実演や映像を伴うものでは悪くないと思う。ただこれが4時間にも及ぶ長い話の始まりなので見ている方もスタミナがいる。まだ誰も主役は登場していないのだ。

ヴェーヌスベルクに迷い込んだタンホイザーは、欲望に支配された時間を過ごす。丸で竜宮城でのような時間の中は、タンホイザーをして疑念を感じさせることとなる。このようなことをしていていいのだろうか、と彼が迷い、苦悩を募らせるに至ってついに、ヴェーヌスの腕を振り切って現世のドイツに戻る決心をするのだ。葛藤の中で次第に意思を確立してゆく、あの毒の入ったワーグナーの音楽はここでも真骨頂である。

タンホイザーを歌うのは南アフリカ出身のヘルデン・テノール、ヨハン・ボータである。ボータの声は、本当に人間の口から発せられているのだろうかと思うほどに力強く、それでいて透き通っている。オーケストラがフォルテで鳴ってもトーンが濁らないばかりか、その中をすり抜けていくような見事さで、ホールいっぱいを満たす。ヴェーヌスを歌うメゾ・ソプラノのミシェル・デ・ヤングも負けていない。彼女は女神であることを忘れ、まるで人間の女性が恋人を失うことを拒むように、タンホイザーを引き留める。ここのやりとりがこうも新鮮に感じられたのは初めてだった。

峠の道に舞い戻ったタンホイザーは巡礼の騎士団と再会し、そこで騎士の鏡のような存在であるヴォルフラムと再会する。ヴォルフラムを歌うのはスウェーデンのバリトン、ペーター・マッテイで、「パルジファル」での名唱が見事だったという評価のようだが、私にとっては「セヴィリャの理髪師」で見たフィガロ役が忘れられない。どうも彼は三枚目の役の方が似合っているように思うのは私だけだろうか。

第2幕の序奏から歌合戦までの間は、オーケストラ好きの者にとっては至福の時間である。颯爽として湧き上がるようなリズムから有名な大行進曲へと続いていく部分は、指揮者の腕の見せどころではないか。レヴァインは車いすでの指揮になってしまったし、かつてのちょっと粗削りな若々しさは少し失われたけれども、音楽を知り尽くした余裕の指揮からは淀みない音楽が迸り出る。宮殿の場面で舞台に囲いが設けられるようになるからか歌声がよく響き、ここで出演者が次々とハープに合わせた歌唱を披露する。 ハーピストはオーケストラの中にいて、インタビューにも登場したフランス人だったが、舞台が見えないにも関わらず歌とのハーモニーは十分である。いっそハープも、トランペット奏者たちと同様に舞台に登場させ、歌手は歌に集中した方がいいのでは、などと余計なことを考える。

エリーザベトを歌ったのはソプラノのエヴァ=マリア・ヴェストブルックという人で、彼女もなかなかの存在感である。エリーザベトは最愛のタンホイザーに裏切られたという過去の出来事にも寛容であったが、タンホイザーはなんとここでヴェーヌスベルクのことを口走ってしまう。吐露したというよりは確信犯である。タンホイザーはしかし、彼自身の気持ちに忠実であったというべきか。そのアナーキーなまでの自由奔放さが、中世ドイツの騎士団社会で許されるはずがなかった。エリーザベトが戸惑うのも無理はない。そしてタンホイザーは罰として巡礼の旅に出かけることになる。ローマへ赴き、贖罪と懺悔の日々を過ごすのである。

赦しを得たタンホイザーが無事帰国するのを待ちわびるエリーザベトだったが、タンホイザーの姿は見えない。ここで私たちはヴォルフラムが歌う有名なアリア「夕星の歌」を聞くことになる。静まり返った会場で音楽が静かに流れてゆき、やがて有名な旋律が始める、というあのワーグナーの風体である。ため息の出るようなまでに静謐な時間は、どこまでも続いていくような感覚で私たちをヨーロッパの古い時代へとタイムスリップさせる。

結局、タンホイザーの赦しは得られず自暴自棄になってヴェーヌスベルクへ舞い戻る決心までする彼を、なんとエリーザベトはかばうのだった!エリーザベトの無心の救済によってタンホイザーの心は赦される。都合のいい幕切れだとは思うが、まだこの時代、社会を覆っていた因習的な価値観、すなわちキリスト教会の偽善的な重みを彼は跳ねのけようとしたのではないか。 21世紀なって自由な時代を生きている私たちは、このようにして獲得されていった自由の勝利を忘れるべきではない。個人の意思が尊重され、その心の動きこそが価値があると当たり前に信じている現在のリベラルな世界に育った世代には、ワーグナーが一貫して示そうとした完全なる自由を理解しすぎてしまっているのではないだろうか。だが昨今、その自由が脅かされる事態が続いている。そういう風にして私たちの世界は変化している。

2015年11月15日日曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(The MET Live in HD 2015-2016)

昨シーズンの演目に登場したばかりだというのに「オテロ」がまたもやThe MET Line in HDシリーズに登場した。その理由はこのプロダクションが、長い間続いてきたエライヤ・モシンスキーによるものからバートレット・シャーによるものに変わったからであろう。歌手陣も一新された。20年もの間デズデモナの当たり役だったルネ・フレミングは引退し、ブルガリア人の美貌ソプラノ、ソニア・ヨンチェヴァに変わった。「オテロ」の女声の主役はデズデモナだけだから、この公演の第一の見どころは彼女の歌に尽きる。ここでヨンチェヴァは、第4幕の「柳の歌」を頂点とする聞かせどころで、錚々たる名歌手が名を刻んだ新たなデズデモナ役として、見事な歌を披露した(ように思う)。

インタビューではその人柄がにじみ出るような真摯さで、彼女はこの不遇の死を遂げる女性の犠牲愛とでもいうべきものを、迫力ある力強さと演技力で乗り切った。第4幕の迫真の舞台は、聴衆を画面にくぎ付けにするものだった。表題役を歌ったアレクサンドル・アントネンコ(テノール)とイヤーゴ役のジェリコ・ルチッチ(バリトン)はいずれも東欧の実力歌手で、最近のヴェルディ歌いはみなどういうわけか東欧系である。

シャーの演出は古典的な解釈から見るものの観念を解き放ちつつも、斬新さによる戸惑いを生起させるほどの斬新なものではなく、ちょうどよい塩梅である。私はこういう演出が好きなので、今回のオテロの舞台はなかなか見ごたえがあった。その象徴的なものは、後半の舞台中央に出たり引っ込んだりして形状を変えるガラス(に似せた半透明の)建造物である。このような構造物は3Dプリンターなどを使えば予算も低く抑えられるのでないだろうか、などと余計なことを考えていたが、特に我が国の新国立劇場の素晴らしい照明装置と組み合わされれば、とても見ごたえのあるものになるように思われた。

第1幕の最初は荒れ狂う海のシーンだが、舞台に並んだ合唱団(は船の乗組員である)に動きは少なく、従来のシーンを見慣れている聞き手には少し大人しすぎるように思われた。だが第1幕の冒頭から一気に始まる凝縮された音楽は、まるで前菜からステーキが出てくるようなスタミナたっぷりのボリュームで、むべ完璧な音楽というのはこういうものなのだろう、と唸ってしまうのがいつもの私である。そういうわけだから体力のない私は早々に疲れ果ててしまい、睡魔が襲ってきて第2幕の半分を聞き逃してしまう。ハッと気が付くのはハンカチのシーンからと決まっているのだが、その第2幕の幕切れにおけるオテロとイヤーゴの復讐を誓う二重唱は、身震いのするような素晴らしさであった。

オテロの役は力のあるテノールにしかできないもので、あのドミンゴでさえ力不足とされていた時期があるくらいだし、そういえば私が初めてこの作品に触れたときのレコードは、極め付けと言われたマリオ・デル・モナコの歌うカラヤン盤であった。オペラというのを論じるときには、その作品の持つとてつもない奥深さを脇に置いて、自分が言わば勝手に作り上げた妄想に比較して、どこが足りないなどと不満や不評を並べるのが通例とされているのだが、思うにそれでは歌手や演出家に対し失礼である。だから今回のオテロを歌ったアントネンコの容姿が、あの独特の成り上がりムーア人を想起させず、まるで健康的な若者の風貌であったことや、極悪のイヤーゴがどこかオテロの父親のような雰囲気に見えたというような「個人的な」不満は、割り引いておく必要があるかも知れない(オテロの未熟ぶりを表現するため、それを意図していたとも思える)。

特筆すべき影の功労者は、ヤニック・ネゼ=セガンのメリハリが聞いた指揮ではなかっただろうか。彼の指揮する音楽はすべてが生き生きと息づき、歌うべきメロディーもたっぷりで、強いて比較するならあのクライバーを思い起こさせる。インタビューに現れた彼の、どちらかというと低い身長や、クライバーにあったようなエレガントでウィットに富むようなものとは異なる平凡な指揮ぶりからは、このような力強く繊細な音楽が流れ出ることが不思議である。だがまぎれもなく彼が振るときの音楽は、ほかの指揮者とは一味違う何かを感じさせる。

総合的に考えて、METの新しい「オテロ」はヴェルディの「超」のつく名作の新しいページを印象付けるものであっただろう。なお今回のスクリーンでの見どころは、本編に加えて幕間に放映されるビデオ・ディレクター、ゲイリー・ハルヴァーソン氏を追った12分もの長さのドキュメンタリーで、 本来のこの映像が流される生中継のスイッチングがどういう風に制作されているかの一端を垣間見ることができる興味深いものだったことを付け加えておきたい。

2015年10月31日土曜日

ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」(The MET Live in HD 2015-2016)

卑近な例に例えれば、歌劇「イル・トロヴァトーレ」という作品は逆転に逆転を繰り返す野球の試合を見ているようだ。しかも主役の歌手が揃ってうまいとなると、エースが次々と三振を奪い、主砲が本塁打を打ち合うような手に汗を握る展開となる。METライブ・シリーズも10年目に入る今年、最初のライブ配信に選ばれたのは「イル・トロヴァトーレ」で、ヴェルディ中期の円熟した音楽に支えられて、これでもかこれでもかと続く歌の連続に、ほとんど興奮状態であったのは私だけではないだろう。

3ヶ月余りの夏季休暇を経て今シーズンの最初を飾る演目に、METがこの作品を選んだのはなぜだろうと思った。なぜならこの作品はすでにMETライブ・シリーズに登場したことがあるしキャストもよく似ている。演出が天才的なデイヴィッド・マクヴィカーであることも、指揮がマルコ・アルミリアートであることも、2011年の公演と同じだ。異なる部分としては、レオノーラを歌うのが、今もっとも注目すべきヴェルディ歌いではないかと思われるアンナ・ネトレプコ。彼女は昨シーズンの幕開きを、やはるヴェルディ中期の傑作「マクベス」で夫人役を演じ、驚愕すべき成功を収めたからだろうか。

今回の上演も、まず何を置いても語るべきは、ネトレプコであったと言わねばならない。それは舞台が半分回転して薄暗い城内に登場しただけで沸き起こる拍手にも象徴されていたし、私は最初のレチタティーヴォを聞くだけでこんなに興奮することはないとさえ思うほどだった(もしマリア・カラスに今接することができたなら、おそらくそういう気がしただろう)。舞台における存在感は、まず第1幕のネトレプコから始まった。だが、この上演はそれにとどまらない。まだ1回の表に、一番打者がヒットを売った程度のものだからだ。

ルーナ伯爵を歌うディミトリ・ホヴォロストフスキーは、前回の上演でもこの役をこなし、ロシア語なまりとはいえ表現力のある歌声と、それになんといっても高貴さを兼ね備えた長身の容姿によって、もしかしたら主役ではないかとさえ思わせるに十分な存在であった。だが今回はどうだろう。以前にもましてその充実ぶりは明確だった。登場した時から拍手が鳴り止まず、しばし音楽が中断するほどだった。その理由は、幕前のゲルブ総裁の紹介でも明かされた。夏に脳腫瘍であることを公表し、その病をおしてまで登場したからだ。そのことが今回の役作りに反映されたかどうかはわからない。だが見ていると、何か圧倒的に役になりきっているようなところがあった。

マルコ・アルミリアートによるテンポのいい音楽は、このようなヴェルディ作品において欠かすことのできないものである。彼はMETのオーケストラとコーラスから、集中力を絶やさないばかりかメリハリがあってしかも時にロマン性を持たせる職人的指揮によって、この上演の隠れた成功の要因であったと思う。だが他に書くべきことの多すぎる今回の公演にあっては、その存在感も際立つことがない。

アズチェーナを歌うメゾ・ソプラノのドローラ・ザジックは、METデビューでもこの作品だったというし(その時のマンリーコはパヴァロッティ!)、もう250回以上も歌っているという十八番で、この役を歌うのは彼女を置いて他にない。私も幾度と無く彼女のビデオを見ているし、低い声で歌う時のしびれるような迫力は、まさにジプシー女の怨念が渦巻く復讐劇の影の主役に相応しい。今回も軽々とこの役をやってのけているように感じられた。

これだけの歌手が揃うと、表題役であるマンリーコを歌うテノールは、どれだけ大変か察するに余りあるほどである。これまで多くのスーパー・テノールが「見よ、恐ろしき炎よ」を頂点とする高音を轟かせてきたことか。その困難な役に抜擢されたのは、なんとアジア人のテノール、ヨンフン・リーという人で、私は彼を聞くのが初めてであった。パヴァロッティやドミンゴのような歌手に比べると細いし背も低い。にもかかわらず彼の歌声は繊細にして芯が太く、訳ありの出自を持つ少し陰のある吟遊詩人にピッタリだ、と見始めてから思った。もしかしたらこれまでの数々の名演は、このトロヴァトーレの役があまりに輝かしくて、ストーリーが持つ本質的な暗さと陰惨さを減じさせてきたのではないか、とさえ思った。

つまりはこの韓国人テノールの存在感は、体格的なハンディを歌声と技術でカヴァーする、類まれなものだった。そういうわけで、彼の登場する部分が他の大歌手との重唱部分であっても、はたまたアリアであってもほとんど完璧にその役をこなしていた。

後半の2つの幕は、このようにまずルーナ伯爵、次にマンリーコ、そしてレオノーラが次々に繰り広げる歌の饗宴にに釘付けとなった。どの歌手のどこがと言い始めたらきりがないし、それに私はただ1回だけ見ただけなので、もう一度最初から見てみたい気がする。こんな風に感じる上演は、それほど多くはないのだ。今回の「イル・トロヴァトーレ」はまさにそのような素晴らしいものだった。だが音楽の素晴らしさに比べて作品の持つ支離滅裂で陰惨なストーリーは、時にこの作品を完成度の点でやや見劣りのするものに位置づけられる理由にされてきた。マクヴィカーの演出は、終始舞台を薄暗くし、色というものがほとんど出てこない、丸でモノクロ映画のようなものだった。回転する舞台も上手に城や牢屋を描いているとはいえ、特に指摘するほどのものではないように感じられた。だがそのように暗さのみを強調することで、却って歌そのものに焦点が当てることに成功し、複雑なストーリーの持つ滑稽さから意識を遠ざける結果となった。

マンリーコとレオノーラという主役の二人が相次いで落命し、ルーナ伯爵も弟を失う。結果的にはすべてアズチェーナの計略にはまったということになるのだが、だとしてもこのオペラには勝者はいない。もしかしたら愛に生き、そして死んでいくレオノーラが勝者なのかも知れない。けれども今回の上演では、病をおしてまで圧倒的な演技を繰り広げたホヴォロストフスキーこそが主役であった。彼がカーテン・コールに登場すると舞台に一斉に投げ込まれた花束と鳴り止まない拍手が、そのことを表していた。

2015年9月14日月曜日

レハール:喜歌劇「メリー・ウィドウ」(The MET Live in HD 2014-2015)

どうしてこんなに軽快で甘美なメロディーが次から次へと流れてくるのかと思った。30年以上も前ウィーン・フォルクスオーパーが来日してこの作品を演じたのをテレビで見た時だった。興に乗った観客は手拍子を送り、それに応えて何度もアンコールをすると興奮は頂点に達した。ストーリーの滑稽さもさることながら、舞台で繰り広げられるドタバタ劇と踊り、それにわかりやすい音楽がストレートに心に響いた。案内役の女性が「オペレッタってこんなに楽しいものだったんですね」と感心した様子で話したのを覚えている。

世界でもっとも愛されているオペレッタはこの時から私のお気に入りとなり、しばらくしてシュワルツコップをハンナに迎えたマタチッチ盤LPを買いに行った。これは完成度が高いスタジオ録音なので、あの即興に満ち、観客と渾然一体となった雰囲気はない。セリフも省略されていたりする。けれども純音楽的に楽しむにはまさにうってつけの優秀録音で、この作品における決定的なものとして名高い(ついでに言えば、アッカーマンのモノラル録音でもシュワルツコップはハンナを歌っている。そして天下のベルリン・フィルを指揮したカラヤン盤を忘れるわけにはいかない)。

フランツ・ウェルザー=メストがロンドンでこの作品を振り、実況録音したCDが出た時、私は久しぶりにこの曲に再会した。さらにはガーディナーがウィーン・フィルを指揮したCDまで登場して、このオペレッタはこんな作品だったかな、などと複雑な思いになったものだ。もっとくだけた、何でもありの面白さこそオペレッタではないか、などと思っていた。

その「メリー・ウィドウ」が遂にMETライブに登場した。そしてハンナをMETの看板娘ルネ・フレミング(ソプラノ)が務め、ダニロ役のネイサン・ガン(バリトン)と踊りながら歌う。もうひと組のカップルは、まさにMETでしか実現されないような異色の組合せである。すなわち、ヴァランシエンヌにブロードウェイのスター、ケリー・オハラを迎えたからだ(ロシヨン役はアレック・シュレイダー)。彼女はアカデミー賞にも輝いたオクラホマ出身の俳優だが、もともとはオペラを志していたとインタビューで応えている(案内役はカンザス出身のジョイス・ディドナート)。

そしてMETのこだわりは、この作品をミュージカルの先駆けであるという部分にスポットライトをあてて見せるというものだ。この演出を見て思ったことは、オペレッタがミュージカルにつながっていったという事実である。もしかしたら歌と踊りの融合は、このようにして始まったのではないかとさえ思う。そして甘美なメロディーもワルツやマズルカに変身し、ちょっとメランコリックでしかもハッピー・エンド。荒唐無稽なストーリーも現代的(当時としての)である。

わずか7日間で巨万の富を得た未亡人ハンナに言い寄る大勢のフランス男たち。だが彼女が選んだのはかつての恋人で、遺産目当ての結婚になど興味のない架空のポンデヴェドロ国在パリ大使館の書記官ダニロ。彼に白羽の矢を立て、へんてこな命令でハンナの再婚を画策するツェータ男爵は、バリトンの重鎮トーマス・アレンの素晴らしい演技が盛り立てる。ところが愛国心に満ちたツエータ男爵の妻ヴァランシエンヌは、実はパリの色男ロシヨンとあやしいうえに、「マキシム」で踊るカンカンが得意。

イギリスとアメリカの歌手や俳優が勢ぞろいしたわけで、そこで交わされるダイアローグが英語であることに違和感はない。だが歌までもが英語となると、ドイツ語で親しんできた私には少し戸惑いもあった。演出はこれもまたブロードウェイの騎手でトニー賞にも輝くスーザン・ストローマンという女性。彼女はカーテンコールにも出演し喝采を浴びていた。つまりこの上演は、まさにオペラとミュージカルの融合であった。そのことを意識した配役、演出ということだろう。指揮者はイギリス人、アンドリュー・デイヴィス。最初いきなり第1幕には入らず、序曲めいたものが演奏された。

まさにニューヨークのMETならではの趣向ということになる。そう言えば「ブロードウェイ」というだけでミュージカルの中心地を意味するが、実際に劇場が多数あるのは42丁目あたりである。ブロードウェイ自体はマンハッタンを南北に貫いていて、METのあるリンカーンセンターーもブロードウェイ上にある。そういうわけで本上演は、ハンガリー生まれの作曲家が書き、パリを舞台にしたウィーン風のオペレッタであるにもかかわらず、ニューヨークで演じられた英語による音楽劇という、風変わりなものであった。

舞台は第2幕「ハンナ邸」から第3幕の「マキシム」 に変わってゆくシーンの見事だったこと!そしてなんといってもフレミングのハンナ役は、その歌の存在感で一頭際立っていた。登場人物が舞台のあちこちから登場するカーテンコールまで、舞台に釘付けられ時間のたつものすっかり忘れるくらいに楽しい3時間があっというまに終わってしまった。

2015年7月23日木曜日

シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120(レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

シューマンは第1番の交響曲「春」の次にこの交響曲を作曲したが、今日よく演奏されるのは10年以上後になって改訂されたものである。今では何種類かの原典版の演奏も存在するようだが、私はまだ聞いたことがない。そういうわけでこの第4番は私にとってシューマン最後の、もっとも円熟した響きを持つ交響曲として聞いているのだと思っている。つまりとてもシューマン的なのであろう。

各楽章が続けて演奏される。楽章間が同じ和音を伴ってつながっていく様子は見事であり、特に第3楽章から第4楽章にかけてのクライマックスはベートーヴェンの第5交響曲を思い出させる。ここの盛り上がりを初めて聞いた時、私は身震いに似た感覚を覚えた。その時の演奏は今でも歴史的とされるウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮によるもので、亡くなる前年の録音。オーケストラはベルリン・フィルだった。

この演奏はモノラル録音であるが、異様なまでのロマン性と骨格のしっかりしたフォーム、それに情熱的なパッセージなどその魅力は尽きることがない。おそらくフルトヴェングラーの残した録音の中でも極めて完成度が高いものだと思われる。この演奏の魅力について書かれた文章は枚挙に暇がないほどだから、私はもう少し最近の演奏を取り上げたいと思う。デジタル録音された80年以降の演奏の夥しい数の中で、もっともその演奏が似ていると思うのが、レナード・バーンスタインによる演奏だろうと(すべてを聞いたわけではないのだが)思っている。

バーンスタインとシューマンの相性は非常によく、そこにウィーン・フィルのふくよかで豊かな響きがプラスされて名演奏となっている。ライブ録音された演奏はきりりと引き締まっていながら情熱を忘れてもおらず、 指揮台を踏み鳴らすようなバーンスタインの姿が目に浮かんでくるようだ。もしかするとその息遣いも捉えていよう。特に終楽章は燃えている。たしかFM放送でこの演奏に接して以来、私はこの演奏を手に入れたいと思った。「春」とカップリングされ、後に全集となった一連のセッションはブラームスやベートーヴェンと同様、映像にも収録され、このコンビの黄金期を伝えている。

序奏の深く沈んだようなメロディーから第1楽章の主題が聞こえてくるあたりや、それが重厚な中にも大きな推進力を持って進むさまはドイツ音楽の真骨頂だろうと思う。第2楽章のロマンチックな旋律や第3楽章のスケルツォとそれに続く圧倒的なフィナーレ。ここまで書いてきて思うのはこの曲が30分程度と短いながら、無駄な部分のほとんどない完成度を感じさせる点である。ベートーヴェンの交響曲がそうであるようにこの曲もまた、演奏を云々する以上に曲が素晴らしいということに尽きる。どんな演奏で聞いてもそこそこ満足な上、その表現上の違いもまた曲の魅力ゆえなのだろうと思う。ライブで聞いたこの曲としては、パーヴォ・ヤルヴィがドイツ・カンマーフィルを率いて来日した際のものが、少人数編成でありながら大いに感銘を受け心に残っている。

2015年7月22日水曜日

メンデルスゾーン:交響曲第4番イ長調作品90「イタリア」(ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団)

音楽の中心がウィーンに移るまでの間はイタリアこそが音楽の中心で、ヘンデルもモーツァルトもイタリアに学んだ。音楽家にとってイタリアは、一度は訪れたい地であった。このイタリアへの憧憬はロマン派になっても続き、ワーグナーもチャイコフスキーもイタリアを旅行先に選んでいる。そしてドイツ生まれのメンデルスゾーンもまた、そのような一人であった。

メンデルスゾーンは1830年頃ローマを訪れ、交響曲「イタリア」の着想を得たとされている。後に作曲される第3番「スコットランド」と並んで、旅行先を副題に持つ交響曲のカップリングはLPの時代からの定番であった。私が最初に親しんでメンデルスゾーンの交響曲もまた「イタリア」であった。最初に聞いた演奏は確か、ジュゼッペ・シノーポリが指揮した演奏で、クラウディオ・アバドの有名な録音と並びイタリア人によるイタリア風の演奏という触れ込みだった。

もっとも最高の演奏は今もってアルトゥーロ・トスカニーニによるモノラル録音であることに疑いはない。また伝統的にメンデルゾーンはその活躍した国でもあるイギリス人による演奏、たとえばコリン・デイヴィスも得意としているし、ペーター・マーグやオットー・クレンペラーに代表されるドイツ風の演奏もまた、作曲家がドイツ生まれであることを考えると当然悪くはないだろうと思う。

第1楽章の沸き立つようなリズムは聞く者をこれほどうきうきさせるものはない。そうか、これがイタリアか、などと中学生だった私は思ったものだ。 以来私のイタリア好きはいまだに一度も終わっていない。かの地を3度旅行したことがあるがそのうち2回は猛暑の8月で、1回は1月だったが毎日快晴の日々の連続で、私はイタリアと言えば、澄みきった空と明るい太陽、静かで陰影に富む旧市街の街並み、赤い屋根となだらかな丘、陽気だが機智に富むイタリア人、音楽と絵画と料理、しゃべりだしたくなるイタリア語のリズム。そういったものがミラノの広場、ヴェローナの音楽祭、ヴェニスの運河、フィレンツェの裏通り、シエナの教会、ローマの遺跡、ナポリの喧騒などとともに脳裏に焼き付いている。

メンデルスゾーンもまたイタリアに憧れ、その魅力に取りつかれた。この交響曲は「Italienisch」となっているから「イタリア風」とでも訳すべきだろう。明朗で浮き立つような第1楽章だけでなく、どことなく懐かしい第2楽章、穏やかな第3楽章、それに「サルタレロ」と題された舞曲風のメロディーが横溢する終楽章まで魅力が尽きることがない。

私はこの曲が好きだが、どういうわけか最高の演奏に出会うことは少ないような気がする。トスカニーニの演奏が強烈過ぎるからだろうか。そのような中で私は90年代にヘルベルト・ブロムシュテットがサンフランシスコ交響楽団を指揮した演奏のCDを、わがラックに持っていたことをすっかり忘れていたのは意外だった。久しぶりに聞きなおしてみるとその演奏は、明確な安定性と推進力を程よく持ち合わせ、録音も秀逸でなかなかの演奏なのである。サンフランシスコ交響楽団の木管のパートがこれほど魅力的だとは思わなかった。そしてカップリングされた「スコットランド」と合わせると、この組合わせのベストであると思うに至った。

梅雨が明けて今年も暑い夏がやってきた。雲ひとつない東京の空に強風が吹き抜け、猛暑とはいえそこそこ過ごしやすい夏の午後。木漏れ日がきらめく神宮外苑の並木道を自転車で走りながら、私はまたこの季節が来て良かったと心躍らせている。もちろんメンデルゾーンを聞きながら。

2015年7月14日火曜日

ブラームス:弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36(Vn:イザベル・ファウスト、他)

そもそもブラームスがさほど好きではない私にとって、この弦楽六重奏曲との出会いは新鮮だった。めずらしい編成(ヴィオラとチェロがそれぞれ2本)もさることながら、若々しく新鮮でそれまでの私のブラームス像を嬉しく壊してくれたからだ。4つの交響曲やいくつかの協奏曲くらいしか知らない私にとって、この曲の魅力は何と言ってもその躍動的な瑞々しさだろうと思う。最初の交響曲第1番がもう40代にもなっていたブラームスの管弦楽作品しか知らないというのは、この作曲家の一つの側面を理解しているにすぎないように思う。

ブラームスは弦楽六重奏曲を2曲作曲しているが、私が今回聞いているのは第1番変ロ長調作品18を作曲した1860年の5年後で32歳の時に作曲された第2番ト長調作品36である。ブラームスは当時すでにウィーンにいて、歌手のアガーテ・フォン・シーボルトと恋愛関係にあったようだ。だが私はそういういきさつをあまり考えながら聞きたい方ではないので、こういう話は他の人に任せておきたいと思う。このようなパーソナルな状況分析は、ロマン派以降目立つようになるのが音楽史ではあるが。

古典派まではむしろ音楽の形式上の革新性やその意味について触れることに力がそそがれるのだが、その場合には音楽的知識が必須となり私の場合とうてい力の及ばない領域となる。結局、素人の書く音楽の文章は、やおら観念的、主観的にならざるを得ない。これがポピュラー音楽ならそれだけでいいという考えがあるが、クラシックの場合そうはいかない。もっとも個人的な文章だから別に構わないではないか、という至極真っ当なな意見に逆らう気はない。けれどもブログという性質上、誰が読むかもわからないわけで、ある程度の客観性が必要と(勝手に)思っている。

オペラであれば物語の具体性のおかげで文章も比較的簡単に書けるし、標題音楽もまたしかりである。でなければ誰もが評論している有名な曲・・・ベートーヴェンのシンフォニーなどが比較的予備知識が豊富で書きやすい。あるいは感性だけで聞ける美しい曲・・・モーツァルトやショパンの類。ところがブラームスの室内楽曲となると、これはもう想像力を極限にまで試されるようなところがある。従って私はこの曲の感想文のようなものをうまく書く自信がまったくない。

仕方がないから、この曲を初めて聞いた時の文章を転記しておこうと思う。もっぱらこのブログは私の個人的な鑑賞ノートに過ぎないのから。

-------------------------------------
ダニエル・ハーディングの演奏を聞いた記念に、何か一枚CDでも買おうと思ってショップを覗いてみたら、最新の録音としてハルモニア・ムンディからブラームスのヴァイオリン協奏曲がリリースされていた。私はなんとなくせっかちで、少し小規模な感じのするハーディングの演奏をあまり好んでこなかったが、これはむしろ独奏を務めるドイツの女流ヴァイオリニスト、イザベル・ファウストを聞くべきCDである。だから、まあこれがいいかと思って買ってきた。

そのCDの余白(といっても結構長い時間だが)には、同じブラームスの弦楽六重奏曲第2番がカップリングされている。滅多に聞かない曲だし我がコレクションにもない。これは丁度いいと思って聞き始めた。ところが実にこれがいいのである。ブラームスの弦楽六重奏曲が、こんな明るい曲だとは知らなかった。晩秋に相応しいと勝手に思っていたブラームスも、演奏次第なのか曲のせいなのかはわからないが、とにかく美しくで、切れがあって、何とも素敵なのである。32歳の時の作品と知って、なるほどと思った。

言ってみれば夏のブラームスなのである。今日もiPodに入れたMP3を再生しながら、仕事を終えた夕暮れの公園のベンチに座って聞いていた。連日の猛暑も夕方となればピークを過ぎて、強い風がビルの谷間を駆け抜けてゆく。時折イヤホンの隙間から、子どもたちの歓声がこだまする。

夏至の日が傾くと、ひとり、またひとりと公園を去って行った。私は音量を大きめに設定して家路を急ぐ。憂愁を帯びた厚ぼったいブラームスも悪くはないが、ここは流行りのスキッとした演奏で聞きたいものだ。ヴァイオリン協奏曲も、マーラー室内管弦楽団の力を借りて、ゆるぎない力をみなぎらせながら、さっそうと奏でられるブラームスに、目立たないが大人の雰囲気を感じる。

それにしても弦楽六重奏曲は素敵だった。どの楽章も素晴らしく、飽きることがない。一気に40分近くがたってしまう。こんな曲なのだから、他にもいい演奏があるのではと検索してみたが、古いものがヒットするだけで、なかなか曲の真価を知らしめる新録音は少ないようだ。だからこのCD(SACDハイブリッドならもっといいのだが!)は、そういう意味でも掘り出し物ではないかと思った次第である。
----------------------------


【演奏】
Vn:イザベル・ファウスト、ユリア=マリア・クレッツ
Va:ステファン・フェーラント、ポーリーヌ・ザクセ
Vc:クリストフ・リヒター、シェニア・ヤンコヴィチ

2015年7月8日水曜日

メンデルスゾーン:劇音楽「夏の夜の夢」作品61(S:キャスリン・バトル他、小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

梅雨のないヨーロッパの夏は、例えようもなく輝かしい季節である。6月ともなるとバカンスのシーズンが到来したということで、各地の観光地や別荘地は賑わう。今年債務不履行となったギリシャなどは間違いなく快晴の日々が続くから、それこそドイツをはじめヨーロッパ各地からの観光客でごった返す。私も東京で湿度の低い快晴の一日があると、これはヨーロッパの夏のようだ、といつも思う。

そのような夏の中でももっとも日が長い夏至が近付くと、奇妙な事件が起こると言い伝えられている。シャークスピアの戯曲「夏の夜の夢」も妖精たちの登場するファンタジックなお話である(だがそのストーリーはあまりに複雑なので省略)。メンデルスゾーンはこの物語に音楽をつけ、そのことでもしかしたらシェークスピアのこの作品が広く知られることになった、というのは言い過ぎだろうか。

先に作曲された長い序曲(作品21)に続いて、2人のソプラノと合唱団も登場する魅力的な音楽が始まる。ストーリーよりもその音楽が大変に美しいので、この作品は音楽のみを純粋に楽しむことができる(というよりも語りはかえって音楽の流れをそぎ、無駄であるとさえ思う)。特に我が国でも有名な「結婚行進曲」は知らない人などいないほどだ。満員電車の中でイヤホンでこの曲が流れてくると、音が漏れていないかと心配になり気恥ずかしくなる。

この結婚行進曲以外にも魅力的な音楽があって飽きないのが「夏の夜の夢」である。特に「まだら模様のお蛇さん」を含む全曲盤の録音がいい。私のコレクションにはジェフリー・テイトの指揮するロッテルダム・フィルの録音が唯一だった時代が長く続いたが、少し大人しいこの演奏よりもっといいのがあると思っていた。昔のクレンペラー盤がベストだと言う評論家もいるが、マリナーやプレヴィンの演奏も悪くはない。けれど小澤征爾の演奏がリリースされた時は、「買い」だと思った。

聞いてみてその予感は間違っていなかったと確信した。全ての音が生き生きとよみがえり、メンデルスゾーンの曖昧な音色が奇麗に磨かれている。テンポも新鮮でこの曲ほど小澤の指揮にマッチしているものはないとさえ思った。だがこの演奏の欠点は、「売り」であるはずの吉永小百合のナレーションにある。私は吉永小百合が悪いというのではない。この曲に日本語のナレーションが本当に必要だったのか、と思うのだ。

要は音楽の自然な流れが阻害され、折角の曲が楽しめないのである。キャスリン・バトルのソプラノが大変素晴らしいだけにそのことが残念である。もしかするとその朗読に魅力を感じている人もいるだろうし、後半部で声と音楽がうまく絡み合っている部分は悪くもないが、そうであるならいっそ2枚組にでもして、片方は朗読なしのバージョンを収録して欲しかったと思う。もう一人の独唱はメゾ・ソプラノのフレデリカ・フォン・シュターデ、タングルウッド音楽祭合唱団が加わる。

だが何度聞きなおしてもこのCDに収録された音楽は一級品である。録音の素晴らしさも貢献して、この録音は小澤征爾のベスト・アルバムの1つではないかとひそかに思っている。なお、輸入盤を購入すれば吉永小百合の代わりに英語のナレーションが流れるようだ。シェークスピアはイギリスの作家だから、オリジナルを志向する向きは輸入盤を買うといいのかも知れない。

2015年7月3日金曜日

マーラー:交響曲第3番ニ短調(S:アンネ・ゾフィー・フォン・オッター他、ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

前の2つの交響曲によってシンフォニストとしての存在感を不動のものにしたように思えたマーラーが、次は一体どこに向かおうとしているのだろうか、などとこの曲を初めて聞いた時には感じたものだ。ニ短調という調性に加え、深刻なホルンのフレーズで始まる重々しい音楽が、私をこの演奏からしばしの間遠ざけた。続く第4番や歌の入らない第5番の方が親しみやすかったように思ったからかも知れない。

理由はもう一つある。100分にも及ぶその長さである。全部で6楽章もあり、第1楽章だけで30分以上もかかる。CDの時代になっても2枚は必要で、合唱や独唱も入るから演奏される機会は少ない。だがマーラーはこの曲をわずか2年で書きあげている。これは第1番「巨人」や第2番「復活」とは比べ物にならない速さである。すでに人気ある指揮者としての歩みをハンブルクで始めていた。作曲に充てられる時間は、夏の休暇期間中のわずかである。マーラーはザルツブルクに近い湖畔の村シュタインバッハに小屋を建て、そこにこもって作曲を続けたという。このときマーラーはまだ独身である。

この曲に関する逸話の中でもよく知られているのが、まだ二十歳のブルーノ・ワルターがこの小屋を訪ねてきたときのことだ(と言ってもワルターはマーラーの助手だった)。湖畔の向こうに広がるアルプスの雄大な眺め(ということはインターネットの時代すぐにわかる)を見ていると、36歳だったマーラーは、あの独特な風貌、すなわち目の中に悲しみとユーモアを浮かべながらこう言ったというのだ。「君はもうこの光景を眺める必要などない。私がすべて作曲してしまったからだよ」。つまりこの曲はマーラーの自然への賛歌というわけである。

この曲を気楽に聞こうと思ったのは、この時からである。そしてこの曲にはマーラー自身が付けた具体的な副題が付けられているのだ。それは「夏の朝の夢」。後にこの副題は削除される、といういつもの経緯をたどっているが、よく参照されるのでここにもコピーしておこう。

第一部
  • 序奏 「牧神(バーン)が目覚める」
  • 第1楽章 「夏が行進してくる(バッカスの行進)」 
第二部
  • 第2楽章 「野原の花々が私に語ること」
  • 第3楽章 「森の動物たちが私に語ること」
  • 第4楽章 「夜が私に語ること」
  • 第5楽章 「天使たちが私に語ること」
  • 第6楽章 「愛が私に語ること」
作曲当初は第7楽章「子供が私に語ること」というのまであったが、さすがに長すぎるとおもったのか、これは交響曲第4番に回された。なお、中間の楽章には「少年の不思議な角笛」からの引用が見られ、第2番から第4番まで続く「角笛交響曲」としての特徴を持っている。第4楽章と第5楽章は続けて演奏され、アルトの独唱、女声合唱、それに少年合唱が加わる。

初めて聞いた時の印象は、何かとりとめのないものだった。深刻な冒頭が行進曲に変わったりしながらも、どちらかと言えば静かに進む音楽は、長いこともあってなかなか特徴がつかめない。木管楽器の鳥の鳴き声のようなフレーズや、静かに想いに沈むような神秘的なメロディー。少年合唱が入ると、とてもさわやかなな気持ちがしたが、それも終楽章のこの上なく美しいいアダージョとなると長いフレーズが続く。それは次第に大きくなり、いよいよ来たなという感じである。この終楽章の演奏の良しあしが決定的に聞き手の印象を左右する。滔々と流れる音楽は静かにうねりながらクライマックスを迎える様子は、ワーグナーやブルックナーの長大な音楽を思い出させるが、ここには紛れもなくマーラーの心が投影され、ナイーブで物悲しい心が潜んでいる。

アルトの歌う第4楽章の歌詞が、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の一節であることも触れておかなくてはならないことになっている。そして同名の交響詩を作曲したリヒャルト・シュトラウスは同じ時代を生きた作曲家だが、この二人の対比というのもよくなされる分析である。片や映画音楽にもなった絢爛たるオーケストラの魔術師であり、マーラーはそれとは対極的に、常に精神的側面が音楽に投影する。だからこの音楽は自然を題材にしていながら、その意味するところは常に思索的なのである。

そういう曲だから(というかマーラーはいつもそうなのだが)、演奏を選ぶときは「マーラー的」なるものが全面的に支配する演奏か否か、が分かれ目であるように思う。 どちらがいいという言い方はしたくないが、私自身はあまりその側面が強調されすぎるのを好まないほうだ。その理由はやはり共感する部分が、どう頑張ってもとてもマーラーの領域には及ばないと参ってしまうからだ。中には作曲家の心と同体となるような人もいるようで、例えばバーンスタインの演奏はその最右翼である。一方、ここで取り上げるピエール・ブーレーズによる演奏は前者、すなわち客観的で分析的であると言える。ブーレーズの演奏はしばしば速くて素っ気なく、時に冷淡でさえある。けれどもそのような中にオッターの歌う滔々とした歌声が聞こえてくると、別の世界にいるような気持がする。ウィーン少年合唱団の響きはまるで教会の中にいるようだ。

前衛的な現代作曲家が指揮台にカムバックしてストラヴィンスキーやバルトークを再録音し始めたのはとても興味深かったが、そのブーレーズが10年以上にわたって取り組んだのがマーラーの交響曲である。オーケストラを変えながら着実に評価を高め、それまでになかったマーラー像を打ち立てた。この第3番もそのような中の一枚だが、録音されたのが2001年だからもう15年も前のことになる。ウィーン・フィルのふくよかな音色が優秀な録音によって捉えられており、それまでのウィーンの代表的演奏であるアバドの録音でさえ古く感じさせる(とはいえこの演奏はいまもってこの曲のベストのひとつである)。

私のもっているこのディスクは、SACD層を持つハイブリッドのものだ。2003年頃、一瞬だけユニバーサル系の音源がSACDフォーマットで売り出された。大いに期待したが、すぐに廃盤となってしまった。SACD2枚組、というわけでそれなりの出費を強いられたディスクである。

2015年6月20日土曜日

ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」(2011/10/5 、新国立劇場)

このブログを書き始めた2012年元旦以前のコンサート記録のうち、オペラに関するものを順に書き続けてきた。そして以下の「トロヴァトーレ」でそれを終えることができる。このあとはブログにすでに書いてきたからだ。

2012年以降のオペラ体験は、MET Live in HDシリーズによってより大きな前進を遂げたと思う。と同時に実演に接することの良さも改めて認識することとなった。オペラという楽しみはお金と時間がかかるけど、それだけの価値のあるものだとつくづく思う。

----------------------------------
新国立劇場の新シーズン(2011-12)の最初を飾る演目は、新演出の歌劇「イル・トロヴァトーレ」である。このオペラはここ最近目いっぱい聞いているのだが、では実演に接した経験があるかとなると、これが実にないのだ。一度はゆっくり聞いてみたいと思っていたので、ここは4階席を買い求めオペラシティへと馳せ参じた。

当日は強い雨の降る日だったが、水曜日にも関わらず多くの人出。しかしその多くが高齢者なのはたまたまなのか。私は昨年の「影のない女」以来だがその時よりも何か、あまり活気のない様子の人が多いように感じた。歌手はなかなか好演しているにも関わらず、拍手が極めて少ないのである。私は出演者が気の毒ではないかとさえ思われた。

それが天井桟敷の4階席でも同じなのである。私の隣にいたご婦人の2人連れなど、まったく拍手をしない。それでも着飾った客でほぼ満席である。もっと下の席ではどうかと身を乗り出すが、これがまた何ともしけた感じ。これで舞台が悪いなら仕方ないだろう。だが、私は今回の公演に登場した歌手や指揮者がそれなりに実力を出していると思われたのだ。

まずレオノーラのタマール・イベーリ。グルジア出身の彼女は、急きょの代役だったそうだが、なかなかの実力派である。最終幕での長いシーンでも緊張感を絶やさず、圧巻であった。容姿もぴたりとはまっている。もっとも拍手が多かったのはルーナ伯爵を歌ったヴィットリオ・ヴィテッリである。「君の微笑み」などはとても素敵で、このルーナ伯爵が実力不足だとこのオペラは実はつまらないのである。

同じことはアズチェーナにも言える。このアズチェーナ役のアンドレア・ウルブリッヒは大したもので、私がCD等で聞いている過去の名歌手に比べても遜色がない。低いメゾの声だが、このアズチェーナを歌いこなす声というのがある。彼女はそれを持っている。マンリーコを歌ったイタリア人ヴァルテル・フラッカールは及第点の出来だと思われる。特に「燃える炎」といった聞かせどころではなかなか聞かせるのだ。

私は初めての実演に接して、いささか興奮していたのかも知れない。それでやはり生の舞台はいいな、と思ったのだが、さて他の客はどうだったかわからない。ブラボーを叫んでいる人もいたが、よく知っている人だろうと思う(ただしクラシックファンはしばしば「知ったかぶり」をする)。だいたい両脇にある字幕を追いながら、難しいストーリーを追おうとすると集中力が途切れる。指揮者のピエトロ・リッツォと東京フィルハーモニー交響楽団は無難な出来栄え。悪くない。

もしこの公演が何かすっきりしないものを残すとしたら、それは演出のせいかもしれない。だが私は批判しようとは思わない。これはこれでいろいろと考えられていることがわかる。全てのシーンに登場する悪魔のような親子?をどう見るかについては意見が分かれるだろう。

私は実演を見ること自体ですでに嬉しくなっているので、このような真新しい演出は大好きである。この「死」をモチーフにした老人は、要所要所でこの難解な話を分かりやすくしようとして、さらにわかりにくくしている。だがよく考えてみるとその存在は、このオペラに付きまとう影の存在であることを伝えている。

私はまったく声を発しないが、常に舞台のどこかで何かを演じるこの存在を楽しく追いかけた。「死」というと恐ろしいが、彼に付きそう若干6歳くらいの男の子が、その恐ろしさを少し緩和してくれて実に素敵であった。子役の彼は私の息子と同じくらいの年齢で、それでいて動じることなく最後のカーテンコールでもぎこちなくお辞儀する姿に、何かとてもほほえましものを感じた。

総じて、私はこの公演は今シーズンを幕開きを飾る成功であったと思う。だが、このような高いチケットを買ってまでオペラを聞きに来る客は、年々少なくなっているような気がする。もちろん私のような物好きなファンも沢山いることだろう。丁度時間帯に、隣のコンサート・ホールではアントニオ・パッパーノが指揮するローマ・サンタ・チェチーリア管弦楽団の演奏会があったので、多くの客はそちらに流れたのかも知れない、などと思うことにしながら帰りの京王線に飛び乗った。

2015年6月19日金曜日

R.シュトラウス:歌劇「影のない女」(新国立劇場、2010年5月20日)


R.シュトラウスの歌劇「影のない女」を「ばらの騎士」よりも前に見たことはひそかな自慢である。それも退屈しっぱなしであったわけではない。3時間余りの全体をかなりの興奮と感動を持って味わったのだ。しかもストーリーなどあまり知らなかったというのに。

ほとんど衝動的に買い求めた新製作のプレミア公演を新国立劇場に見に行った。その結果発見したことが3つある。まず音楽。R.シュトラウスの管弦楽の見事さはいつどこでも語られているし、それが数多くのオペラ作品にも充分に現れていることはよくわかっていたつもりだが、このオペラでもまたその通りで、しかも初めて聞く者にさえ大きな感動をもたらすと言う事実である。

次に新国立劇場の照明の美しさ。それによって動きの多い演出が、大変に見栄えがすることになった。結果的に初心者でも飽きないばかりか、結構わかりやすい舞台となったものと思われる。

3つ目は、この作品のようにあらすじを読むだけで辟易するような作品は、むしろ音楽や実際の舞台から入るのがいいのではないか、ということ。オペラのあらすじを、ここで記憶を蘇らせる意味を含めて書き記そうと思ったが、なにせ複雑なのだ。だが参考になるものはある。このオペラはシュトラウス版の「魔笛」だという事実である(「ばらの騎士」が「フィガロの結婚」、「アラベラ」が「コジ・ファン・トゥッテ」である)。ホフマンスタールとの共同制作第4番目の作品は、様々な苦悩を持つ2組のカップル、という設定である。

ただ「魔笛」の時代には男女はただ試練に耐え、結ばれればよかった。けれど100年以上が経過し第1次世界大戦の時代になって世の中は複雑なものになった。「影のない女」の時代、そのカップルに存在する問題は子供ができないこと(いや、作らないこと)である。生まれるはずの子供は中絶され、天からの声となって響く。そして2組のカップルが最後に至る結末では、ひとつの解決にはなっている。だがそれはめでたく子供ができるというわけではないのだ。

Wikipediaの助けを借りて簡単にあらすじを引用しておく。

「東洋の島々に住む皇帝は、霊界の王(カイコバート)の娘と結婚している。皇后となった彼女には影がなく、子供ができない。影をもたぬ呪いで皇帝が石になるのを嘆き、皇后は貧しい染物屋の女房から影をもらい受けようと図る。しかし、結局彼女は他人を犠牲にしてまで、影の入手を望まない。その精神の尊さゆえに奇跡が起こり、皇帝は石から甦り彼女も影を得て人間になる。愛と自己犠牲による救済の可能性を暗示する。」

以下は当時の文章だが、これだけでは舞台の様子も伝わりにくいので、日経新聞に掲載された新聞評の切り抜きも掲載しておきたい。書こうとすると難解な作品なのだが、実際に聞いていると心が洗われるような美しさが充満しているし、舞台展開の面白さが見るものを楽しませてくれる。長いが不思議な作品。

----------------
平日の夕方5時開演、というほとんどの勤労者にとっては見に行くことの不可能な時間帯に、いったいどのような、そしてどれくらいの客が来るのか、という点も興味をそそった。2万円近いチケットは売り切れている様子もなく、毎年多くのヨーロッパ系歌劇場が引っ越し公演を行う我が国で、はたしてどれほどの公演なのか期待半分、あきらめ半分だったことは正直に告白しておこう。

さてその公演を聞いて、いや見て、私はこの「魔笛」の20世紀版とも言われる豊饒にして大規模な、従って長い長い(休憩を除いても3時間)オペラに興奮しっぱなしであった。演出の見事さもさすがで、長い縦板を組み合わせて様々な「壁」を組み立て、それが美しい照明に照らされながら様々に組み合わされる様子は、歌唱が途切れて管弦楽のみが鳴り響く時間と上手く組み合わされていた。

ワーグナー以降に作曲されたオペラの中でも屈指の作品であると思われるこの作品の解釈の多様さ(芸術的価値)、歌唱やオーケストラの出来栄えなどについて、初めて聞く私がここに述べるには、もう少し準備が要るであろう。新聞に掲載された評論は辛口でそれを鵜呑みにするのもしっくりこない。だから、取り急ぎ素人の感想を率直に書いておこう。

まず、オペラはやはり「見るもの」だと思ったこと。次に20世紀の音楽作品も、集中して聞けば官能的でなかなか「聞ける」と思ったこと。そして、ドイツ語のオペラ界に屹立するワーグナーの作品を、やはり「生で見たい」と思ったこと、である。複雑な現代に生きる夫婦に生じる問題は、モーツァルトの時代の価値観では乗り切れない課題を呈している。

カーテンコールを経るにつれて熱心なファンからはブラボーが鳴り響いた。心の中で何かとても充実したものを感じながら帰路についた。

   皇帝:ミヒャエル・パーパ
   皇后:エミリー・マギー
   乳母:ジェーン・ヘンシェル
   バラク:ラルフ・ルーカス
   バラクの妻:ステファニー・フリーデ
   演奏:東京交響楽団
      (指揮:エーリッヒ・ヴェヒター)
   演出:ドニ・クリエフ

2015年6月18日木曜日

ビゼー:歌劇「カルメン」(2007年7月19日、神奈川県民ホール)

2000年に始まった小澤征爾音楽塾というプロジェクトは、小澤征爾の病気などによって一時中断されながらも今年11回目を重ねているようである。私は2001年にモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の公演を横浜で見る機会がったが、その後、2007年にビゼーの歌劇「カルメン」を見ることとなった。

2006年2月に初めて子供が生まれて生活が一変した私は、ほぼ一年半ぶりとなるコンサートをほとんど偶然のように発見し、当日券を買って衝動的に見ることとなった。会社を病気で休んでいた2007年夏のことである。梅雨明け前の少し蒸し暑い夏の昼、私は横浜でパーヴォ・ヤルヴィの指揮するドイツ・カンマーフィルハーモニーのベートーヴェン・チクルスのうちの公開練習があることを知り、さらにそのあと、夜になって「カルメン」の公演があることを知ったのである。前者はみなとみらいホール、後者は神奈川県民ホール。新しく開通した東急みなとみらい線で結ばれている。

「カルメン」は私がオペラに親しむきっかけになったオペラであるにもかかわらず、実演に接したことは一度きりだったし、それに「コジ」のときの名演が頭に浮かんだ。当時ウィーン国立歌劇場の音楽監督に上り詰めた小澤の指揮で「カルメン」を見ることができるのは、偶然とはいえ大変嬉しいことだ。

そういうわけで子供は妻に預け横浜まででかけた。その時の文章が残っていたので、ヤルヴィの公開練習と合わせて以下に転載する。なお「カルメン」の舞台装置はジャン=ピエール・ポネルによるものでサンフランシスコ・オペラからのレンタル、演出は「コジ」の時と同様、盟友のデイヴィッド・ニース氏。以下歌手は、カルメンがジョシー・ペレス、ドン・ホセがマーカス・ハドック、ミカエラにケイティ・ヴァン・クーテン、エスカミーリョに何とあのポーランド生まれのマリウス・クヴィエチェンである。なお、子供たちの歌は東京少年少女合唱隊によって歌われている。

----------------------------------------------
午後2時、「みなとみらいホール」には熱心に詰めかけた数百人の音楽ファンが列を作っていました。その翌日に演奏される演目の練習とは聞いていましたが、それが何と3人のソリストを迎えてのベートーヴェンの「3重協奏曲」の練習だったのです。その中に諏訪内晶子の姿がありました。

ゲネプロではなく、何度も試行してはやり直す文字通りの練習です。しかし、ここには真剣な音楽づくりのシーンがありました。本番以上に緊張するムードです。パーヴォ・ヤルヴィは少人数のオーケストラ(ドイツ・カンマーフィルハーモニー)と、いかにしたら理想的な演奏ができるかを議論しては追及しているのです。ドイツの若い音楽家たちには、この音楽が自分たちの文化でありその発展を使命とするかのような真剣な雰囲気を感じ取ることができました。ただ観客を喜ばせるためではなく、なぜこの音がこうならなければならないか、どうすれば新しい響きに発展できるか、その積み重ねは途方もなく高い山を一歩一歩登るようなものに感じられました。2時間の練習で、この3重協奏曲と、ベートーヴェンの第4交響曲の序奏部分を聴くことができました。

私は一気にヤルヴィのファンになり、そしてこの演奏家が録音した最新のSACDを、すでに2枚も購入してしまうこととなったのです。

同じ日の夕方、私はそのまま神奈川県民会館に向かい、ビゼーの歌劇「カルメン」を観たのですが、その音楽が、病を乗り越えたこのウィーン国立歌劇場の音楽監督が演奏する「カルメン」でありながら、そしてその音楽は天才的なリズム感を持つ素晴らしい演奏でありながら、それが何と身軽なものに聞こえたことでしょう!

小澤の音楽が、やはりヨーロッパの文化を背負う重苦しさから解放された、新しい響きを持っていることは言うまでもなく、それが世界の小澤の小澤たる所以であることは、多く語られてきているところです。けれども、今回、私は彼の音楽がもはやそれしか拠りどころのないものであるという、当たり前のことを再発見して、いささか複雑な心境になりました。

なるほどリズムにあふれた小澤の音楽は躍動的で美しく、潤いに満ち、立派で共感を呼ぶものになっています。完成度も高く、美しい演出と淀みのない若い歌手たちの歌によって、このコンサートは私がかつて体験した歌劇の中でもかなり完成度の高いものであったことは疑う余地がありません。しかし小澤の魅力の限界がここに示されているということを、連続したコンサートの体験によって知ってしまったというのもまた事実であり、その意味においてこの演奏会は、私の個人的体験でもちょっと類を見ないものとなりました。

「カルメン」は良くも悪くも小澤の「カルメン」であり、それ以上でも以下でもありませんでした。少なくとも音楽的には世界でも屈指の完成度の「カルメン」であった、と言い変えることは可能でしょう。けれどもそこに表現上の進歩を遂げなければならないという切羽詰ったもの、簡単に言い換えればこだわりが少ないものなのです。丸でポピュラー音楽のような演奏だった、と言えば言いすぎですが、ヤルヴィの真剣そのものの練習から求心的に突き進むベートーヴェンを聴いた後では、何となくそういう風にも感じられたのでした。

とはいえ、この「カルメン」は私にとって、十年ほど前にニューヨークのシティ・オペラで見て以来2度目の、実際そう何度も触れることのないフランス・オペラの貴重な体験の一つでした。シャッターの下りた中華街の真ん中を石川町まで歩き、そこから根岸線の列車に飛び乗ってまっしぐらに帰りました。長い休暇が終って、暑い夏が到来する前の、ほんのわずかの数日を、私は音楽で満たした喜びを噛みしめていました。

2015年6月16日火曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(2005年5月28日、新国立劇場)

ワーグナーよりヴェルディを、モーツァルトよりもベートーヴェンを好む私にとって、「コジ・ファン・トゥッテ」や「ドン・ジョヴァンニ」と並んでどうしても見ておきたいオペラが、「フィデリオ」であった。なにせあのベートーヴェンが作曲した唯一のオペラなのだから。それもベートーヴェンは当初「レオノーレ」として作曲したこの作品を生涯に亘って改訂し、序曲を3回も書きなおした(つまり4曲もある)のである。

ベートーヴェンのいわばライフワークにもなってしまった歌劇「レオノーレ、または夫婦の愛」はフランスの作家ジャン・ニコラ・ブイイによって書かれた台本をもとにしている。この作家はさして有名ではなく、もしベートーヴェンが「フィデリオ」という作品を残さなかったらおそらく後世に名を残していなかったのではないか。

私は小さい時から「レオノーレ」序曲に親しんできた。第1番も素敵だが、何とも出来そこないのような第2番も魅力的だし、それに第3番などは単独でも演奏される見事なものだ。けれどもベートーヴェンはこの3つの序曲では満足せず、まったく一から「フィデリオ」序曲を作曲するのである。そのように考えると、ますますこの作品に興味が沸く。4つの序曲はそれだけでもベートーヴェンを感じさせる作品だが、そのように始まる2時間余りの作品がすべてベートーヴェンの音楽で満たされる・・・そう考えるだけで私はわくわくするし、実際ベートーヴェンの音楽は何をどのように聞いてもベートーヴェンらしさに溢れている。

そのようなベートーヴェンのオペラ「フィデリオ」が新国立劇場で上演されるという。しかも問い合わせて見れば、まだ席が残っているというのでいてもたってもいられなくなり、そのプレミア公演を電話予約、一人ででかけた。この公演の演出はマルコ・アルトゥーロ・マレッリという人。フロレスタンにトーマス・モーザー、レオノーレにガブリエーレ・フォンタナ、ロッコにハンス・チャマー、ドン・フェルナンドに河野克典、ドン・ピツァロにペテリス・エグリーティス、マルツェリーナに水嶋育、他という配役、ミヒャエル・ボーダー指揮の東京フィルハーモニー交響楽団。

この公演、私は一生の思い出に残るものとなったのだが、当時のメモには「ここへ記すにはあまりに書くことが多すぎる。この一曲だけでもベートーヴェンがいかに素晴らしいかを語ることができる」と書いている。「前年のベルリン・フィルの来日公演で、サイモン・ラトルの指揮する『フィデリオ』を見逃しているので、今回思い立って出かけたが、一生に一回見るかどうかわからないようなベートーヴェンのオペラは、たとえそのC席に2万円近い値段を払ってでも出かける価値はある。それにしても演出、指揮、それに歌手も良かった。新国立劇場も支配人が新しくなって、ずいぶん意欲的な演出が多いようである」。

舞台は「ドン・ジョヴァンニ」と同じスペイン。政治的な陰謀で不当に牢獄に監禁されているフロレスタンを救うため、男装して刑務所に取り入り、見事目的を果たす妻レオノーレの物語である。えげつないことが起こる舞台としてしばしばオペラに登場するのがスペイン、その牢獄内で政治犯の殺害が実行されようとしているのだから、その舞台が華やかであるはずがない。しかもここで歌われるのは若者の情熱でもなければ不倫でもない。正義と夫婦愛を湛えるベートーヴェンの音楽は、武骨であり歌の変化に乏しく、しかも喜劇的な会話はユーモアのセンスに欠ける。

それでも私は「フィデリオ」が好きである。いや一時期私は「フィデリオ」に嵌(はま)っていた。ベーム盤を筆頭に何種類ものCDを持っているし、バーンスタインの歴史的公演を記録したDVDも持っている。「フィデリオ」の魅力はまさにそのような武骨な音楽にある。ベートーヴェンの初期の作品や「エグモント」のような、単調な中にも不器用な歌が流れる第1幕も見どころは多いが、第2幕の後半で力強く高らかに歌われる自由と人類愛に満ちた音楽は、滑稽なストーリーやこれがオペラであることをも忘れさせるほどの高揚感と精神性に溢れ、見るものを感動させるのだ。これは劇というよりも音楽に酔うオペラである。

その昂りを助長させる仕掛けとして、マーラーがウィーンの歌劇場時代に慣例化したのが、フィナーレ前の「レオノーレ」第3番の挿入である。ところが最近は原典主義が流行り、この素晴らしい慣例を実施する公演が少ない。アバドやラトルのような最近の録音だけでなく、今回の公演でもこれは「省略」された。従って私はバーンスタインのビデオで見ることのできる1978年のウィーン・ライヴでこそ最高の「フィデリオ」が味わえる。ついでながらこの公演では、フロレスタンをルネ・コロが、レオノーレをグンドゥラ・ヤノヴィッツが、マルツェリーネをルチア・ポップが、ロッコをマンフレート・ユングヴィルトが、さらにはドン・ピツァロをハンス・ゾーティンが歌っている(ドン・フェルナンドのみCDでのディートリヒ・F=ディースカウからハンス・ヘルムに変わっている)。録音は悪いが往年の記録として圧巻である。

※かつて短波放送に親しんだラジオ少年としてひとこと。ドイツ海外放送(DW)のIS(インターバル・シグナル)は「フィデリオ」の一節が使用されていた。それがどの部分かは、私はなかなか特定できなかった。よく聞くとこのメロディーは第2幕のフィナーレで司法長官ドン・フェルナンドが歌う「兄弟が 自らの兄弟を探しに来たのだ そして救うのだ 自らが喜んで救える者を」という箇所だろうと思う。東西冷戦の頃、西ドイツの首都はベートーヴェンの生まれた町ボンにあった。そこからそう遠くないケルンにDWの本社はあった。この兄弟とはもう一つのドイツ、すなわち東ドイツのことを指す。そして西は東を救出に来た気高き妻、レオノーレということになる。

2015年6月15日月曜日

モーツァルト:歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(2001年11月18日、新国立劇場)

モーツァルトのオペラは常に私のそばにあり、いつも楽しませてくれていた。その中でも「魔笛」は最初に親しんだオペラである。高校生の頃から童話のようなストーリーと心を洗われるような音楽に感動していた。「フィガロ」や「コジ」も、私にとっては親しみやすく、ショルティの威勢のいい演奏で聞くと18世紀の音楽もこんなに躍動感のある、ヴィヴィッドなものになるのかと私を驚かせていた。

最後に残ったのが「ドン・ジョヴァンニ」である。このオペラだけは、私を長い間遠ざけ続けた。その理由はあのモーツァルトの爛漫とも言える楽天性が感じられないのである。それもそのはずで、ハッピー・エンドではない。屈託なく楽しめる音楽ではないのに「ドン・ジョヴァンニ」の評価はすこぶる高く、モーツァルト音楽の最高峰という人までいる(私も今ではその一人かも知れない)。たとえ話が暗くても、音楽は常に豊穣に鳴り響き途切れることがない。そればかりか第1幕のフィナーレに至っては、これでもまこれでもか、といつもながらの絢爛たるめくるめくような世界。登場人物は他のダ・ポンテ作品と同様、常に生き生きと描かれ、愛すべき人たちが舞台に何人も登場する。音楽の点でもストーリーの点でも飽きることはない。

そのような「ドン・ジョヴァンニ」を是非見てみたいと思っていた矢先、新国立劇場のプログラムにのぼった。前年に見た小澤征爾音楽塾も待ち遠しかったが(主役はブリン・ターフェルとアナウンスされていた)、新国立劇場も悪くはない。主役のドン・ジョヴァンニはフェルッチョ・フルラネットである。以下配役は、ドンナ・アンナにアドリアンヌ・ピエチョンカ、エルヴィラに山崎美奈・タスカ、レポエッロにナターレ・デ・カロリス、ドン・オッターヴィオに櫻田亮、ツェルリーナに高橋薫子、マゼットに久保田真澄、騎士長がペン・カンリャン。ポール・コネリー指揮東京フィルハーモニー交響楽団。演出はロベルト・デ・シモーネ。

「ドン・ジョヴァンニ」の音楽の見事さは、序曲において端的に示されているように思う。重々しい和音(ニ短調)が異様な迫力を持って鳴り響いたかと思うとアレグロに転じ、一気に舞台(中世のスペイン)に引き込まれていくからだ。その展開のすばららしいこと!序曲が第1幕の音楽に続いていく。いつのまにか決闘のシーンに変わり騎士長がころされてしまう。その間数分。「ドン・ジョヴァンニ」の簡潔で見事な展開はこのようにして始まり、そして第1幕を通して続く。

「ドン・ジョヴァンニ」を最も歓迎し、その先進性に気付いたのはウィーンではなくプラハだったという話が、いつも語られることになっている。その理由(なぜウィーンやミュンヘンではなくプラハなのか)について、プログラムに音楽評論家の岡田暁生氏が寄稿している。その結論は「ドン・ジョヴァンニ」が陰謀のうずまく大都市よりも、むしろ音楽的知性の高い中小都市において称賛される「実験オペラ」だったからだ、ということである。私はウィーンなら何度か行ったことがあるが、プラハは知らない。一度訪ねて見たいと思っているが、どうやら果たせそうにない。

「プラハ」の他にも「ドン・ジョヴァンニ」について語られることは多い。登場人物の女性像をめぐる考察。石像の意味とモーツァルトの親子の確執。いろいろな意味でこのオペラほど多くのことが語られるオペラもないほどである。それはつまり当時として前衛的な要素を持ち合わせ、結果的に後世の作曲家に与えた影響が極めて大きいからであろう。

だがこの日、新国立劇場で見た「ドン・ジョヴァンニ」は私の場合、そのような「当時の現代性」を感じさせてはくれなかった。音楽が饒舌に鳴り響いてもどこか古い時代のオペラを見ているような感じがしたのだ。だけどこれは世界中で行われている古典的な「ドン・ジョヴァンニ」の上演に共通してあてはまるような気がする。今はやりの大胆な読み変え演出が、これほど似合いそうなオペラもないからである。

私の会社の元同僚に、酒を飲むとあたりかまわず女性に声を掛け誘いこもうとする先輩がいたが、あれこそドン・ジョヴァンニのようだな、といつも思う。このオペラのテーマは、時代に普遍的なものを扱っているので、何も舞台が中世のスペインである必要などないし、そのほうがわかりやすい。なのにどういうわけか大胆な演出に出会わない。もしかしたら現代の日本でオペラを好む客層は、そのような現代性をあまり欲していないほどに保守的なのかも知れない。「このオペラは素敵だし、『フィガロの結婚』よりもっとよいかもしれない。しかしこれはウィーンの民の趣味には合わない」と、当時のオーストリアの皇帝のように感じている人は、案外多いのかも知れない。

演出や歌手にはそれなりに厳しい評価もあるが、総じて楽しめた。やはりフルラネットのタイトル・ロールは好演だった。第1幕が緊張に満ちていたのに比べると、第2幕では余裕からかやや集中力に欠けたものだったように思える。全編、これだけ凝縮された音楽は類を見ないほど素晴らしく、モーツァルト最高傑作だからこそ感動的だったのだろう。演奏(や舞台)の魅力というよりも曲の魅力に圧倒された3時間。暮れ行く新都心の風景もバルコニーの風にあたりながら心地よかった。

2015年6月14日日曜日

モーツァルト:歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」(2001年4月1日、神奈川県民ホール)

次に見たオペラの公演は、神奈川県民会館(横浜)でのモーツァルトの歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」である。妻がモーツァルトのオペラを見たいと言い出したからだが、たまたま小澤征爾音楽塾の公演とかいうのがあって、若手の演奏家を育成するプログラムの仕上げにこの作品を上演するということだった。一流のスター歌手を大勢招くわけではないので値段が抑えられているにもかかわらず、いまやウィーンのひのき舞台にあがることが発表された小澤の指揮だから、まあこれは悪くはないと思われた。実際、我が国の伝統的なオペラ・カンパニーによる演奏とは少し違うものだった。以下はその時に記した文章である。ちょっとはずかしいが、そのまま転載する。

--------------------------------------------------
4月1日(日)エイプリル・フール。この日の横浜はまるで初夏のような陽気に誘われて、山下公園にも沢山の人出です。横浜港に浮かぶ観光船も、穏やかな海の青さも満開の桜も、すべてが新しい年度の始まりを祝っているようです。華やいだ雰囲気が、いやがおうにも私たちの期待を膨らませてくれます。

小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトは今年で2回目、「コジ・ファン・トゥッテ」の初回公演に、神奈川県民ホールを訪れた人々は興奮に満ちた様子でどことなく落ち着きがありません。15時の開演時刻のかなり前から会場入りした私たちは、前から2列目といういつもとは違った雰囲気に心を躍らせていました。ここからはオーケストラピットが丸見えです。緊張した若いオーケストラのメンバーが、最後の楽器の調整に余念がありません。

前日の休日出勤を含め、ここのところの激務にやや疲れ気味の体に鞭打って、それでもポネル演出のDVD(アーノンクール指揮のVPO)でストーリーを確認したばかり。そして何と偶然なことにこのたびの公演では、ポネル演出の装置と衣装が使われるではありませんか。プログラムによると、小澤が初めてこの曲を指揮してデビューした1969年ザルツブルク音楽祭と同じとのこと。ただし舞台装置はミシガン・オペラのものを、衣装はワシントン・オペラのものををレンタルして使用するようです。演出はデイヴィッド・ニース。小澤征爾がウィーンの音楽監督に就任すると発表されたのが一昨年のことで自然と期待は膨らみます。演出のニース氏が我々の前を出たり入ったりと気ぜわしい中、オケのメンバーが揃ってきました。やがて指揮者が登場し序曲の演奏の始まりです。

幕が開くと、そこは18世紀のナポリ港。哲学者ドン・アルフォンゾ(ウィリアム・シメル)とグリエルモ(マリウス・キーチェン)、フェランド(ジョン・オズボーン)が登場する賭けのシーンです。東横線の急行列車のように快調に音楽を運ぶ小澤は、途中で拍手を差し挟む余地を与えず、ぐいぐいとモーツァルトの世界に引き込んで行きます。やがてお姉さんのフィオリディリージ(クリスティーン・ゴーキー)と妹のドラベッラ(モニカ・グローブ)が登場、それに小間使いのデスピーナ(ステファニア・ボンファデーリ)が加わって勢揃い。兎に角この曲は登場人物が多いうえに重唱が続くので、オケと歌手の調和が重要なことは言うまでもありません。

いつもながら小澤の音楽は、すべての音符をいったん解体し再度音楽の流れを組み直ことによって、慣例にとらわれない新鮮さを引き出してくれます。歌手の水準も低くないので、全体が均整を保った一定水準の出来栄えですが、そのバランスがあまりに見事なため、どんどんと流れていってしまいます。けれども私は小澤の実演で裏切られたことはほとんどありません。歌手のグローブと、オズボーンはひときわ高い出来栄え。デスピーナも悪くありません。

現代流の解釈では、2組のカップルよりもむしろアルフォンゾとデスピーナにも重点を置くものが流行りですが、今回もそれに倣ったものです。私の知る限りでは、ムーティの指揮するビデオでの、キャサリーン・バトルのデスピーナが際立って印象的でした(ちなみに、アーノンクール盤では、病み上がりのストラータスにこの配役を長年歌ってきた味わいが感じられないところが非常に残念です)。第1幕の終わりに医者に扮したデスピーナが「治療」を施すシーンあたりは、愉悦の極みといった感じで、見ている方もぞくぞくするものでした。

長い第1幕が終わり、休憩ののち再び長い第2幕が始まります。

ここでオーケストラの一部が入れ替わります。オーボエに宮本文昭が登場、コンマスもN響の堀正文にバトンタッチ。幕間に指揮台をちょっと覗いてみると、手書きでスコアの断片が書かれた一片の紙が置いてあり、これを順に繰っているのでしょうか、何やら試験直前の中学生のノートのようでした。

第2幕の冒頭はやや音楽が単調になり、少し眠気も誘います。けれどもフェランドとフィオリディリージの駆け引きが展開されてゆくこのオペラのクライマックスに至っては、なかなかの出来栄えです。「女はみんなこうしたもの」かどうかはともかく、フィオリディリージが改心してしまうあたりで、私は「ああなんということか!」と心を痛めるのであります。これでは老アルフォンゾに笑われるのは目に見えているのですが、だとしたら、このアルフォンゾこそダ・ポンテの仕業、いやモーツァルトの悪戯の権化に見えてきます。

モーツァルトが35歳で作曲した「コジ・ファン・トゥッテ」は長い間不道徳と見なされ、陽のあたらない時代がありました(ちなみにベートーヴェンはこの曲を最後まで不道徳と言っています)。けれども最近ではこのオペラが一番素晴らしい、という人までいます。私は音楽の完成度から言っても「魔笛」や「ドン・ジョバンニ」に軍配が上がると思っています。この上演に少しやきもきした私は、最後の賭けに打って出ることにしました。遂に5千円を投じて、カール・ベームの歴史的録音を買い求めることにしたのです。

フィオリディリージにエリザベート・シュワルツコップ、ドラベッラにクリスタ・ルートヴィッヒを配したこのディスクは、今でも燦然と輝く「コジ」歴史的名盤として名高く、EMIはそうであるがゆえにこの3枚組みの安売りをしません。まあこれも見識というものでしょう。収集家を裏切らないためにも、いいレコードは安売りしないで欲しいものです。

このCDは、序曲の出だしからウィーンの気風が漂っています。いまやこういうモーツァルトの演奏には出くわさなくなって久しい、と感じました。懐かしいベーム調の音楽は、私を古き良き時代に連れて行ってくれるのに数分とかかりません。何とも悔しいことに、少し出来の悪いと思っていた音楽が、実に気品に満ちて聞こえるではありませんか。往年の名歌手の歌唱が上品に音楽に溶け込んでいる様は、真の芸術品と言っても過言ではありません。こういう録音には最近ではお目にかかることはありません。耳に響く上質の音楽は、この曲がどこかロッシーニの味わいに近く、とろけるシャーベットのようです。

オペラは映像付きがいい、という人が大勢います。けれどもCDで聴くオペラに慣れ親しんだ後でもいいのではないか、と感じています。それはオペラが先ずは音楽芸術であるからです。つまり音楽的な味わいがわかって初めて他の要素にも目が向けられるのです。

舞台で見た「コシ」は、音楽的にも視覚的にも、今日の水準では及第点のものでした。オペラの値段の大変高い日本では、この公演でさえ決して安いものではありません。けれどもその価格も、東京から大阪へ往復するよりは安いと思えばいいのです。

歩いて石川町に向かう途中に横浜中華街があります。明治屋の斜め向かいにある「北京飯店」でえびのチリソースに舌鼓を打っていると、ジーパン姿のドラベッラやサングラスをかけたフィオリディリージが階上の予約席へと上がっていくではありませんか。やがてマネージャと共に現れたマエストロは、拍手する私たちの前でやや照れながらも軽くお辞儀をして下ったのでした。

2015年6月13日土曜日

團:歌劇「夕鶴」(2000年12月5日、新国立劇場)

幕が開いた瞬間、何と美しい舞台なのだろうと思った。それまでの私のオペラに対する概念を打ち破り、シンプルで明るい照明の効果がこれほどにまで見るものを圧倒するのかと思った。

いつ、どことも知れない、とある雪の中の村。おそらくは江戸時代かもっと昔、北日本のどこか人里離れた僻村。古い日本家屋に雪がしんしんと降っている。日本人であればおそらくはこれだけで、そこに住む人々が何のけがれもなく純朴で、自然を愛してやまず、貧しくとも心の豊かな生活・・・とイメージすることだろう。「つるの恩返し」は、そのような日本人の心の琴線に触れる民話である。確か小学生の時に教科書で読んだ記憶がある。いやそうでなくてもその話は、マンガか何かで知っていたはずだ。

ある日、鶴が罠にかかったのを見つけた若者は、その鶴を逃がしてやると、その日の雪の降る夜、美しい娘が訪ねてきた。彼女を快く泊めてやった若者はやがて、「中を覗いてはならない」という娘の忠告を破り、彼女が布を織る姿を見てしまう・・・。それは純粋な好奇心からなのか、それとも物欲にとらわれた故の因果なのか・・・。

だが木下順二の戯曲「夕鶴」では、悪者にそそのかされた結果だということになっている。強欲な惣どと運ずは、なぜ与ひょうの妻つうがかくも見事な布を織ることができるのか、知りたくてしたかがない。この布は高く売れ、そこのとによって素朴な与ひょうも徐々に裕福になっていくことが、妬ましくてしたかがなかったのだろう。とうとう惣どと運ずは、機を織るつうの姿を目撃してしまう。そして与ひょうまでもが・・・。つうの正体が鶴であることがわかってしまったのだ。もうここにはいられない、と悟るつうは別れを告げ、子供たちの歌声が響く中、再び鶴の姿になって空の彼方へ飛び立って行く・・・。

東京にもとうとうオペラ専用のホール「新国立劇場」が誕生したのが1997年。専属オケを持たないとか、運営に関する様々な問題を露呈しながらも、定期的にオペラに触れることのできる施設ができたことになる。私はなかなかその公演に足を向けることがなかった。しばらくオペラから遠ざかっていたためだ。その状態は2000年3月の藤原歌劇団公演まで続いたことは先に書いた。だがその時に見た公演によって、再びオペラに出かけてみたいと思ったのだ。

東京で見るオペラに相応しいのは何だろうか、と考えた末、日本人の日本人による日本人のためのオペラなら、世界的に見ても最高水準であることは確実だろう・・・と安直に考えた時、選んで出かけたのが團伊久磨の有名な歌劇「夕鶴」だった。2000年12月、この日は新演出の舞台で担当が栗山民也。つうに鮫島有美子、与ひょうが田代誠。いずれも我が国を代表する歌手で、「夕鶴」の定番歌手である。指揮は増田宏昭、東京フィルハーモニー交響楽団。それに杉並児童合唱団が印象的な子供の歌を歌う。

私はこの作品を観るのも聞くのも初めてであった。だがその音楽を聞いたとき、重厚で見事なオーケストレーションに耳を奪われた。日本的なものにおもねることなく、正攻法で西洋音楽に挑んだようなところが野心的である。木下順ニの戯曲に「語句を 一切変えてはならない」という大変な制約にもめげず、冒頭からの歌の調和は見事と言うほかはなかった。そして子供達!私はオペラに子供が出てくることに滅法弱い。それだけで感動してしまうのだ。

当然歌詞は日本語である。けれどもその日本語がわかりにくい。字幕があったかどうか思い出せないが、たぶんなかったと思う。それがちょっと残念だった。いやこういうのはちょっと意外だった。日本語のオペラでも字幕は重要だと、誰もが気付いたのだろう。最近の公演では字幕が入る。それから音楽が、後期ロマン派のような複雑さを持っているので、アリアというのがわかりにくい。「つうのアリア」などと言われても、特に予習をしてこなかった私には、どこがどういう風なのかわからなかった。やはりオペラである。何度も繰り返し見れば、徐々にその音楽的な深さを知ることができるのだろう。

新しいホールは座席の配置も悪くなく、舞台が奇麗に見渡せた。何よりヨーロッパの古いオペラハウスとは違い、最新鋭の機材を備えている。特に舞う雪と照明効果の美しさは見事につきる。栗山の無駄を排した中にも洗練されたな舞台は、とても好感が持てた。そのことだけで私は非常に感激し、少し高いお金を出してでも何かいいものを見たような気がして、何かとても幸せな気分だった。

ストーリーを「解釈」することがこのオペラでは不要である。日本人としての感性が、特に説明もなく心に響いてくる。ロシアやチェコのオペラを見るときに感じるような民族性が、おそらくこの作品でも強調されているのだろうと思う。日本人の民話をわざわざ西洋音楽で表現することの理由は、西洋人にとって「理解すべき」事柄であると思う。同時に日本人にとっても、「なぜ」それをオペラ化しなくてはならなかったか、西洋人に向けて説明をしておく必要があるだろう。普遍化された文明としての「西洋音楽」によって、日本人の民族に根差した感性がどこまで表現、伝達可能であるか・・・だがそのようなことは、日本人が見る時には、まあどうでもよいことでもあるのだ。

このオペラは1951年に作曲され、翌年大阪で初演された。我が国を代表するオペラとして演奏回数は断トツで多く、2015年現在、世界中で700回以上を数えている。

2015年6月9日火曜日

ヴェルディ:歌劇「椿姫」(2000年3月18日、藤原歌劇団公演)

1年ぶりに東京へ戻った私を待っていたのは、新しい職場での慣れない仕事と、結婚に伴う新生活であった。郊外で暮らすようになったこともあって、共働きの家庭ではオペラどころかコンサートからも遠のいた。ニューヨークでの音楽生活があまりにも刺激に満ちていて、我が国の公演が見劣りするというのも事実だった。次にオペラに出かけたのは2000年に入ってからで、その間丸4年のブランクがあいた。

妻が何か見たい、と言いだしたかどうかは覚えていない。だが私はヴェルディの「椿姫」の公演のチラシを見て、久しぶりにこれなら行ってもいいか、などと考えた。埼玉県民だった私は上野での公演が好都合であった。当時の記録を読み返してみた。以下はその時の文章。

-------------------------------
ヴェルディの最も有名な歌劇「椿姫」は、現在私の最も愛するオペラであり、その理由については過去の文章でも何度も触れた。しかし「椿姫」が満足の行く公演となることは、なかなかないということもまた事実であって、しかも日本でのオペラ公演となるとほぼ絶望的ではないか、と思っていた。ところがこの度のデヴィーアによるヴィオレッタは、何度見たか知れない私のこのオペラに対する思いを心の底から掘り起こし、そもそもオペラを見ることがこんなにもスリリングなものであるのかということを、再認識させてくれたのだった。

第1幕:一見おとぎ話となってしまうのではとさえ思われた出だしで、この後がどうなるのかが心配で心配で仕方がなかったほど緊張したのだが(実際、これほどはらはらしながらオペラを見たことはない)、「ああそはかの人か~花より花へ」を見事に歌いきり、最後の3点音を、カラス風に1オクターブ上げて歌いきったところでブラボーが吹き荒れたことにより、このオペラへの期待が一気に確かなものになったのだった。それほどみんな安心した。そして「やってくれるじゃない、だから次からも期待していますよ」、と言わんばかりの観客席である。だからオペラはやめられないねえ、という感じで幕間のバルコニーでの会話も紅潮した面々が多い。

第2幕:アルフレードとの楽しい日々。しかし父ジェルモンとの面会によりヴィオレッタの心が変化してゆく。2人だけの浪費生活に区切りをつけて泣く泣くパリに帰るヴィオレッタ。ここでのデヴィーアは、丁々発止のレチタティーヴォを益々好調な声で歌いきる。その見事なこと。まるで2人の男声(は決して悪い出来ではなかった)は、すべてデヴィーアを盛り立てるために存在しているかのようであえあった。東京フィルもオペラに慣れているだけあって不満はない。そして指揮が緊張感を損なうことなく全体を纏め上げている。スペインの踊りにいたってはバレエの魅力も満載で、胸に詰まるものがある。最高の見せ場でいよいよ最高潮に達し、客席からもブラボーが絶えることはない。

第3幕:いよいよ絶好調のデヴィーアの演技に、ハンカチで涙を拭う事なしに見ることはできなくなった。演出も回想シーンを獲り入れた独特の雰囲気で悪くない。2階席最前列で見た「椿姫」は、このオペラの総合的な魅力に改めて感銘を受けるとともに、デヴィーアという名ソプラノが今後、この役で益々頭角を現してくることを如実に予感させた。

兎に角、この公演は良かった。日本でのオペラも捨てたものではないな、と思った。デヴィーアは何度も舞台に呼び戻され、その間、歓声と拍手が絶えることはなかった。「久しぶりにいいものを見た」そう思いながら、初春の心地よい風の吹く上野公園を後にした。

  ヴィオレッタ・・・マリエッラ・デヴィーア
  アルフレード・・・アクタビオ・アレーバロ
  ジェルモン・・・ダヴィデ・ダミアーニ、ほか
  
  藤原歌劇団合唱部、東京フィルハーモニー交響楽団(指揮:アラン・ギンガル)
  演出:ベッペ・デ・トマージ

(2000年3月18日 東京文化会館)

2015年6月8日月曜日

ニューヨークで見たオペラの数々(95-96)

1995年春、阪神大震災の直後に私はニューヨーク勤務となった。まだ独身だった私は、マンハッタン40丁目という絶好のロケーションに住み、時間があれば毎日のようにコンサートやオペラ、それにミュージカルへと足を運んだ。METやニューヨーク・フィルの本拠地のあるリンカーン・センターは地下鉄を乗り継いで20分程度で、オペラが終わる夜遅くになっても安全に帰宅することができた。

だが実際には私のニューヨーク生活は、インフルエンザとそれに続く中耳炎によって、最初のうちは大きなマイナスからのスタートだった。何せ片耳が聞こえないのである。最初出かけたオペラはニューヨーク・シティ・オペラの「カルメン」だった。ここは英語上演と聞いていたがその日はフランス語。それなりに楽しむことはできたが、METに比べるとどうしても見劣りがしてしまう。中耳炎は4月に入っても治らず、医者を変え、毎週のように耳鼻科へ通う日々が続いた。

ゼッフィレッリ演出のヴェルディの「椿姫」の切符を購入したのは、日本から弟が来ていた春休みだったが舞台をほとんど覚えていない。アルフレードにフランシスコ・アライサ、ジェルモンにホアン・ポンスと記録にはある。突然初夏がやってきて、まばゆいほどに陽光の降り注ぐ季節となっても、私は毎日アパートの窓からエンパイア・ステートビルを眺め、週末になるとクイーンズの公園やコロンビア大学のキャンパスなどに出かけては、孤独な日々を送っていた。

結局耳が完全に治ったのは、もう暑くなりかけた6月に入ってからだった。いよいよ米国生活も楽しみが出てきた頃ではあったが、肝心のコンサートはシーズン・オフ。そんな中、毎年恒例のMET in the Parkという催しに出かけたのは、とても蒸し暑い6月のある夜だった。出し物はまたしても「椿姫」。アッパー・イーストサイドの決して治安が良くない道を、暗くなりかけた頃足早に歩いた。会社の帰り、スーツが汗で滲んだ。だがこれは野外である割には良かった。ときおり涼しい風が吹いてきた。無料で誰しもがこういう経験が出来るあたり、ニューヨークはいいところだなと思った。

10月に入って新シーズンが始まり、ニューヨークを離れる3月までの半年間は、私にとって非常に充実した日々であった。オペラに関しては、先に書いた「オテロ」のこけら落としを皮切りに、いくつかの演目に出かけた。会社の上司が、仕事をさぼってでも出かければ良いと勧めてくれた、今は亡きヘルマン・プライがベックメッサーを最後に歌った「ニュルンベルクのマイスタージンガー」や、今の妻と初めてのデートで出かけた「魔笛」など、思い出は多い。ひとつひとつの公演は字幕もよくわからず、今から思えば中途半端だったが、部分的には非常に印象的で感動的であった。以下にその時の記録を並べておこうと思う。
  1. 1995年4月5日 ヴェルディ:歌劇「椿姫」(指揮:ジョン・フィオーレ、演出: フランコ・ゼッフィレッリ)・・・アイノア・アルテータ(ヴィオレッタ)、フランシスコ・アライサ(アルフレード)、フアン・ポンス(ジェルモン)他。「プロダクションはさすが。他は平凡に終始。それでも目には涙」。
  2. 10月2日 ヴェルディ:歌劇「オテロ」(指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:イライジャ・モシンスキー)・・・プラシド・ドミンゴ(オテロ)、ルネ・フレミング(デズデモナ)、 ジェイムズ・モリス(イヤーゴ)他。オープニング・ナイト。ドミンゴは衰えを知らずさすが。他のソリストも熱唱で聞き応え十分。TV中継も(後にDVD化)。
  3. 12月14日 ヴェルディ:歌劇「仮面舞踏会」(指揮:マーク・エルダー、演出: ピエロ・ファッジョーニ)・・・デヴォラ・ヴォイト(アメーリア)、フランシスコ・アライサ(リッカルド)、レオ・ヌッチ(レナート)、ドローラ・ザジック(ウルリカ)他。バルコニーのパーシャル・ビューの席で音楽に耳を澄ました。今思えば最高キャストだが、よくわからなかった。残念。
  4. 12月16日 モーツァルト:歌劇「魔笛」(指揮:ペーター・シュナイダー、演出:グース・モスタート)・・・デオン・ファン・デル・ヴァールト(タミーノ)、マーク・オズヴァルト(パパゲーノ)、ラリッサ・ルダコヴァ(夜の女王)、ハンス・ゾーティン(ザラストロ)、イボンヌ・ゴンサレス(パパゲーナ)、ジョーン・ロジャーズ(パミーナ)他。指揮は手堅く、歌手陣もまあまあの出来栄え。2階席正面で聞く。チケットは会場前でおばさんから購入。135ドル。
  5. 12月21日 ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(指揮:ジェイムズ・レヴァイン、演出:オットー・シェンク)・・・ ベルント・ヴァイクル(ナンス・ザックス)、カリタ・マッティラ(エファ)、ベン・ヘップナー(ヴァルター)、ビルギッタ・ズヴェンデン(マグダレーネ)、ヘルマン・プライ(ベックメッサー)、ルネ・パーペ(夜警)他。レヴァインの指揮は前奏曲から迫力満点。演出も見事な上、歌手陣は現代ワーグナー歌手の総出演。プライは最後の公演。これも今思えば凄い出演者。
  6. 12月26日 J.シュトラウス:喜歌劇「こうもり」(指揮: エルマン・ミシェル、演出:オットー・シェンク)・・・ジャネット・ウィリアムズ(アデーレ)、ジューン・アンダーソン(ロザリンデ)、ヴォルフガング・ブレンデル(アイゼンシュタイン)、ヨヘン・コヴァルスキ(オルロフスキー)他。当時のメモには「オルロフスキーにはカウンターテナー、見飽きた演出に指揮が凡庸で観客も沸かない。所詮、観光客用のシーズン物か」とある。セリフは英語だった。
  7. 1996年1月31日 ロッシーニ:歌劇「セヴィリャの理髪師」(指揮:アダム・フィッシャー、演出:ジョン・コックス)・・・マーク・オズヴァルト(フィガロ)、ジェニファー・ラーモア(ロジーナ)、ラウル・ギメネス(アルマヴィーヴァ伯爵)他。指揮はなかなか。次から次へと楽しい歌が飛び出し、飽きることなし。
  8. 2月9日 プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」(指揮:ネロ・サンティ、演出:フランコ・ゼッフィレッリ)・・・ルート・ファルコン(トゥーランドット)、アンジェラ・ゲオルギュー(リュー)、ランド・バルトリーニ(カラフ)他。絢爛豪華な演出でまさにメトのトゥーランドット。サンティの強力な指揮は聞き応え十分。それと何と言ってもゲオルギュー!
  9. 2月20日 プッチーニ:歌劇「蝶々夫人」(指揮:ジュリアス・ルーデル、演出:ジャンカルロ・デル・モナコ)・・・フランコ・ファリーナ(ピンカートン)、マリア・スパカーニャ(蝶々さん)、トーマス・アレン(シャープレス)他。あまり印象には残っていないのだが、当時のメモには「総じて新人歌手ながら出来栄えは悪くない。演技と歌は熱演で、目には涙の大満足」とある。

2015年6月7日日曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(1995年10月2日、メトロポリタン歌劇場)

1995年から1996年にかけて滞在したニューヨークで私は10回以上のオペラ公演を観たが、その中でもとりわけ印象的だったのは、何といっても95-96シーズンのオープニングを飾ったヴェルディの歌劇「オテロ」である。指揮は勿論ジェームズ・レヴァインであった。

メトでは何と1990年3月にカルロス・クライバー指揮による「オテロ」を観ているから2度目の「オテロ」となるのだが、私のオペラ体験というのは実にこれが数回目だったから我ながら何という贅沢な話なのだろうかと思うが、事実だから仕方がない。クライバーの「オテロ」は演出がフランコ・ゼッフィレッリで映画にもなった美しいものである(そしてスカラ座の東京公演でも!)。 その長く続いた演出が94年に終わり、イライジャ・モシンスキーによる新たなプロダクションが始まった。そのまさに最初の頃の公演ということになる。

舞台はとてもオーソドックスなものだったが、20年以上が経過した今となってはあまりよく覚えていない。ところが2004年になってこの時の公演を記録した映像がDVDでリリースされた。私は迷わずそれを購入した。その時の公演はこのビデオで辿ることができるのだ。冒頭レヴァインのタクトが振り下ろされると舞台に稲妻が走り、一気に引き込まれてゆく。ヴェルディのすさまじい音の重なりと、迫力を持った合唱が15世紀のキプロスの沖へと誘う。

嵐の船上に登場したプラシド・ドミンゴ(オテロ)は、「喜べ!傲慢な回教徒が去った」と叫ぶ。この役を20年にも亘って歌ってきたベテラン・テノールの、まだ艶のある50代の声である。張りのある声もさることながら、風貌が映像向きに見栄えがする。そして「喜びの火よ」に続く合唱でレヴァインはテンポを緩めない。一気に、そして緊張感を持ってジェイムズ・モリス(イヤーゴ)の歌「喉を潤せ」が始まる。カッシオはまだ若いリチャード・クロフトが歌っている。

1幕の終わりでは早くもデズデモナの出番である。ルネ・フレミングはこの時初めてデズデモナを歌ったようである。以降彼女のはまり役である。愛の二重唱にあたる「もう夜が更けて」で舞台は一層期待が高まる。

このように実演ではよくわからなかった舞台の隅々の様子までDVDでは楽しむことができる。これはMETライブシリーズと同様である。日本語字幕があるのが何より嬉しい(METでもこの公演から字幕サービスが始まった。だがその字幕は前の席の上部に個別に出てきて、視点を動かすのが大変である。また当然英語である)。

あらすじを追っていくと書くことが膨大になってしまうので割愛するが、私のオペラ体験に照らして言えば、ヴェルディ晩年の音楽がよりこなれて聞こえてきたというのが正直なところである。音楽は途切れることなく進み、歌とドラマが一体となっている。合唱やアリア、それに会話といった区別がつかないオペラは、私にとって最初とてもとっつきにくいものだった。だがその呪縛から逃れ始めたのがこの公演だった。ベテランのレヴァインの指揮が、こういう複雑な音楽でも統一的なコンセプトの中に展開される高い水準にあったことがその大きな理由だと思う。

最終幕は「柳の歌」→デズデモナの死→オテロの死と続くが、これは一気に聞かせる。ビデオで見ると心理的な展開や表情が実によくわかる。けれどデズデモナが「アーメン」と静かにベッドに横たわる時、あるいはオテロが「もう一度口づけを」とデズデモナに近寄りながら力尽きるとき、その静けさの中で消えていくピアニッシモの繊細な歌声は、その時に居わせた人々にのみ共有される体験でもある。何千人もの聴衆と全ての出演者、オーケストラが一体になった奇跡のような瞬間。そのたとえようもない美しさを経験するには、やはり実演しかない。

なお、レヴァインの「オテロ」は70年代にゼッフィレッリ演出のビデオが出ていた。一方モシンスキーの「オテロ」は昨シーズンまで上演され続け、その最後の年にビシュコフの指揮で上演されたものもリリースされている。オテロやヨハン・ボータに変わったがデズデモナは依然フレミングである。このプロダクションもついに終わり、来シーズンでは新しい演出がリチャード・エアによってなされる予定だ。もちろんこの公演はMETライブシリーズで我が国にも中継される。

2015年6月6日土曜日

R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」(2015年6月4日、新国立劇場)

梅雨入り前の快晴の青空を惜しむかのような気持ちで私は初台まで歩いた。今日は思い立って仕事を午前で切り上げ、西新宿のオフィスを抜け出したのだ。ここから新国立劇場までは徒歩で10分ほどの距離である。まだ十分チケットがあるとわかると、最後の公演にどうしても出かけたくなった。演目はシュトラウスの「ばらの騎士」。オペラの中で最も好きだと言う人が多い作品、と私は思っている。

そのような作品であっても、いざ実演となるとなかなか触れる機会などないのが我が国のオペラ事情である。最近では数多くの引っ越し公演もあって以前ほどではないものの、チケット代はやたら高いし、それがいい公演になるとは限らない。「ばらの騎士」のような人気作品であっても前回の我が国での公演は(ブックレットによると)2011年の大震災直後の4月、同じジョナサン・ミラー演出の公演だったということのようだ。いくらカラヤンやクライバーの伝説的名演を論じてみたところで、実際に一度も見たことのない作品だとしたらやはり説得力に欠けるだろうし、第一何か大きな穴のあいた服を着ているような滑稽な感じである。

私が大学生だった頃、ウィーン国立歌劇場の来日公演があり、カルロス・クライバーによる上演が東京で見られた。私の知り合いはかなりの出費とものすごい努力の末このチケットを手に入れ、わざわざ大阪から出かけて行ったのだが、その経験は圧巻の一言であったと聞かされた。実際は大学生の見るこのオペラがどのような印象をもたらしたかはよくわからない。中学生でも最後の二重唱の美しさを語るのがいるが(その美しさは私も高校生の特に知ったのだが)、それでもこれは純粋に音楽的な要素によるものであろうと思う。シュトラウスの精緻にして現代的な響きは、少年の私にはちょっと敷居が高すぎた。

このオペラの良さはやはりある程度歳をとってからでないと味わえないのではないか。だがそうやって実演はおろか、CDでさえ真剣に聞くことのなかったこのオペラを一生の間に何度見ることができるのだろうか、と最近は真剣に思う。それでこの公演がどういうものであるかはさておき、まずはお金を払って時間を割いて、実際に見る機会があれば行こうと思っていた。何も「ばらの騎士」に限ったことではないのだが。

今回の公演では元帥夫人(マルシャリン)にアンネ・シュヴァーネヴィルムス(ソプラノ)、オクタヴィアンにステファニー・アナタソフ(メゾ・ソプラノ)、ゾフィーにアンケ・ブリーゲル(ソプラノ)、オックス男爵にユルゲン・リン(バリトン)、ファーニナルにクレメンス・ウンターライナー(バリトン)という布陣であった。この5人はいずれもドイツ語圏の出身である。それに指揮者のシュテファン・ショルテスを加えれば、ウィーンゆかりの音楽家が勢ぞろいといったところだろうか。実際、オクタヴィアンとゾフィーによる最後の二重唱は、極めつけといってもいいほどの出来栄えで、ここのわずか10分程度だけで私は結構満足であった。4階席一番奥で聞いていても、音楽は天井をつたって会場を満たしたし、その歌声はオーケストラと見事に溶け合って極上の時間をもたらした。

今回、東京フィルハーモニー交響楽団は、満足すべき水準の響きであった。これくらいなら充分である。そして歌手たちはみな良かったと思う。ただ私は残念なことに、誕生日祝いに家族にもらったオペラ・グラスを持参するのを忘れてしまった。このことでバルコニーからはほとんど歌手や指揮者の表情を見ることができなかった。一挙手一投足にまで見事な音楽が付けられているはずの舞台が、いつも遠くにしか見えない。加えて私は最近白内障ではないかと診断され、ただでさえ遠くがかすんで見えるのである。オクタヴィアンのアナタソフは、とても素敵な「美男子」ぶりだったようで、その仕草の美しさは何となくわかったのだが、それが精いっぱいであった。

オックス男爵の女性を軽蔑した振る舞いは見るものの気持ちを高ぶらせるほど見事だったし、元帥夫人のむしろ威厳を感じさせるような高貴な振る舞いも素晴らしかったと思う。一方、ファーニナルは何かボケた感じに思われ、ゾフィーは歌唱こそ見事だったが、何か田舎のおばさんのような衣裳?に思えた。舞台の照明は奇麗で、窓から差し込む光(もう少しやわらかくてもいい)は新しすぎる道具と、さほご豪華でもない調度品に照らされて、あまり気品を感じさせない。第3幕のレストランに至っては、そこだけがほの暗くて薄汚れた屋根裏部屋のようでもあり、いっそ第1幕や第2幕と同じ部屋の作りにしておけばよかったのではないか、と私には思えた。

本当にこのオペラに今回感動したかと言われたら、実はそうではない。正直に言えば、私は最終幕のあとで結構な長さのカーテンコールや多くのブラボーが起こったことに少し違和感があった。なぜだろうか。それはよくわからない。ただ言えることは、私の体調が万全ではなかった。仕事に追われて寝不足気味の日々が何週間も続いている。そして仕方なく睡眠導入剤を服用し、毎日辛うじて体力を維持している。そういう身に1時間×3幕のオペラを最後列で見るのはやや苦痛だった。

その日も朝から猛烈な勢いで仕事を片付けてきたところだ。睡魔に襲われそうになったのはむしろ当然だった。いつもシュトラウスの音楽を聞くと、想像していたのとははるかに違う世界に自分が浸るのを発見するのだが、今回は、そういう瞬間は最終幕の最後まで来なかった。そのことが残念でならない。もっと体調が良ければ楽しめたのかも知れない。でもだからと言って、この公演に出かけたのが失敗だったとは決して思わない。それどころか私は初めて見た「ばらの騎士」を、これでやっと少しは語ることができる。そしてできれば次回は・・・それがもう一生来ないかも知れないが・・・別のプロダクションで見てみたい。

個人的には残念な今回の上演でも、最後の二重唱の時だけは、私を恍惚の中に連れて行ったことを繰り返しておきたいと思う。音楽が2人の女声と完全に溶け合って会場を満たしたその時間が、過ぎて行ってしまうともう消えてなくなるという、そのことの悲しさの中に宿る最上の瞬間。それはまさに「ばらの騎士」のテーマそのものである。それから舞台の袖へと消える2人の若い男女・・・若いということはいいな・・・と、おそらく会場にいた多くの大人がそう思ったに違いない。あっ、それから私がもし人生をやりなおせるのなら、映画監督になってこの物語をベースにした恋愛映画を撮ってみたいと思った。世紀末のウィーンではなく、バブル崩壊後の日本を舞台にして。

2015年5月29日金曜日

モーツァルト:2台のピアノのための協奏曲変ホ長調K365(316a)(P:ラドゥー・ルプー、マレイ・ペライア、イギリス室内管弦楽団)

若いモーツァルトの快活で心地よい響きが、このピアノ協奏曲でも聞くことができる。ザルツブルク時代の最後とも言える時期に作曲された「2台のピアノのための協奏曲」は、非常にしばしば「3台のピアノのための協奏曲」とともに録音される。私が初めてこの作品に触れ、自ら購入したルプーとペライアによるCDもまた、そのような一枚である。

ペライアは80年代に、歴史に残るピアノ協奏曲全集を弾き振りで録音し、その評価はいまだに落ちていない。この演奏は録音がやや硬いという難点を差し引いても、同時期に発売された内田光子による全集と双璧をなす素晴らしさと思っている。とにかく完璧なのである。そしてこの全集は、しばしば省略される第1番から第4番までをも含んでいながら、第7番と第10番を欠いていることが、はじめは不思議だった。この第7番が「3台のピアノ」、第10番が「2台のピアノ」のための協奏曲であることを知ったのは、このCDを所有した時からだった。

いわばその全集を補完するのがこのルプーとともに入れた1枚で、よってペライアはイギリス室内管弦楽団を弾き振りもしている。録音は80年代後半、余白には幻想曲ヘ長調K608と、四手のためのアンダンテと変奏曲ト長調K501が入れられている。

ペライアはモーツァルト弾きとしての名声を決定的なまでに高めたピアニストだが、ルプーのモーツァルトというのはあまり思いつかない。Deccaレーベルからリリースされている有名な録音は、ベートーヴェンとグリークくらいだろうか。けれどもこれらの演奏は、目立たないが極めつけのリリシズムを湛えた演奏として名高い。そのルプーによるペライアと組んだCDを池袋のHMVで試聴した瞬間、これだと思った。最初の出だしから、こんなに見事なアンサンブルがあるのか、というような名演に思えた。2台のピアノがまるで一人によって弾かれているように溶け合うものの、その音の厚みや複雑な絡みは紛れもなく2台分で、独特の雰囲気である。私は特に第1楽章の堂々とした音楽が気に入っている。

2015年5月25日月曜日

レオンカヴァッロ:歌劇「道化師」(The MET Live in HD 2014-2015)

ファビオ・ルイージの指揮する前奏曲が流れると、会場は一気に引き込まれていった。マスカーニよりも音楽的に新しい要素が散りばめられた音楽は、この作品をほとんど聞いたことがなかった私を驚かせた。カルーゾの歌う「衣装をつけろ」は良く知っているが、そのメロディーが緊張感を持って奏でられた。幕が開く前にマイクを持って登場したトニオ(ジョージ・ギャクグニザ)は、まずはじめに前口上を述べる。

この物語は実際にあった話をもとにしている。愛し合う男女とその悲劇的な結末。それは何も特別な人にだけ起こるものではない。旅芸人の一座だって普通の人間と同じなのだ。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」の悲劇から50年後。同じ南イタリアの村ではすでに電気が通じ、自動車も走る時代となった。旅芸人の一座はそこでトラックの荷台を改装して舞台を作り、歌芝居を演じていた。座長の妻ネッダ(ソプラノのパトリシア・ラセット、それなのに筋書き通り馬に乗って登場する)は、夫のカニオ(テノールのマルセロ・アルヴァレス)の執拗な愛情に辟易していたのだろう。美貌のネッダをひそかに慕うトニオは、ある時ついにネッダに告白を試みるが、彼女は「毒蛇」などと罵って彼をあしらう。

トニオが自尊心を傷つけられてしまったあたりから、この物語の悲劇は進んでいく。おそらくもともと濃密で小さな世界に閉じ込められた人間関係の中で、隷属的な立場にあるトニオ、溺愛され精神的にも身動きの取れないネッダ、といったあたりがもうこの悲劇を起こるべくして起こさせる、と言ってもいいかも知れない。

ネッダを口説く男がもう一人いる。村の青年シルヴィオ(バリトンのルーカス・ミーチャム)である。いよいよ一座が村を去るという前日になって、ネッダとシルヴィオは駆け落ちを約束する。だがそのことをトニオが知り、トニオから告げられてしまった座長カニオは、うすうす感ずいてはいたもののやはりそうだったのかと悲しみのあまり泣きたい気持ちであるのに、今宵は道化師として人を笑わせなければならない自分のつらさを歌いあげる。有名なアリア「衣装をつけろ」である。このアリアはカルーゾによって有名となり、テノールの中でも屈指のアリアとしてその表現が確立された。彼の歌う録音はいまもって塗り替えられることのない音楽メディアの売上ベスト記録として有名である(古いモノラル録音だが私も持っている)。

さて第2幕に入る前の間奏曲が、またいい。ルイージの指揮はここでいっそう冴えわたり、巧みなカメラがオーケストラ・ピットを写しだす。何という美しい音楽。私はここから幕切れまでの間はほとんど釘付け状態であった。

劇中劇となって現実とフィクションの区別がつかなくなってゆくカニオ。音楽は喜劇と悲劇が巧妙に交錯する。視覚的にも圧巻であった。マクヴィカーの演出がここで真価を発揮した。それからラセットの歌うソプラノの奇麗な歌声は、ヴェリズモ歌いとして理想的なものであると思った。迫力がありながら威圧的でなく、澄んでいながら細くもない。その彼女が丸でストリッパーのような姿をして演じるのが、道化芝居のコミカルな舞台である。ジャグリングやケーキの盛り付け、冷蔵庫に閉じ込められるトニオなど、とにかく見せ場は盛りだくさんあるが、その滑稽な舞台が徐々に復讐の場と化してゆく。「もう道化師ではない」と歌うカニオは遂にネッダを刺し、横たわる彼女から駆け落ちの相手が観客に混じるシルヴィオであることを聞きだす。

客席にいたシルヴィオを捉えて彼をも刺し殺すカニオ。「これで道化芝居は終わりました」と、この舞台ではトニオが叫んだ。圧倒的な集中力の1時間余りが終わると割れんばかりの拍手。これほど音楽的に充実した、完成度の高い作品だとは知らなかった。私としては「カヴァレリア・ルスティカーナ」」よりもはるかにこちらの方が見ごたえがある、と思った。かつて見たゼッフィレッリの映画ももう一度見てみたい。

レオンカヴァッロは派手なマスカーニと違い地味で、オペラ作曲家としての活躍は対照的である。けれどもこの作品は若干25歳のトスカニーニによって初演されたらしい。もしタイムマシンの乗ることができるのなら、私はその初演に立ち会ってみたいと思う。

2015年5月24日日曜日

マスカ-ニ:歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」(The MET Live in HD 2014-2015)

朝一番にチケット売り場に並ぼうとして驚いた。今回は何と女性が多いこと!それも若い人も結構いる。ところが男性陣はおじさんばかり。東劇のMETライブシリーズも今年は一日3回上演する作品も多く、この企画は確実に裾野を広げている。けれどもこんなに女性の多い回というのも珍しい。なぜだろうか。

その答を考えることから始まった。おそらくわかりやすい回答は、今回の上演作品、すなわちマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」とレオンカヴァッロの「道化師」が、いずれもヴェリズモ・オペラであるということだ。舞台はともに南イタリア。まだ因習の残った小さな村だが、近代化の波は押し寄せていて、人々は自由を求め始めていた。そこで起こる血なまぐさい劇は、テレビドラマのような展開を見せる。ドロドロした人間関係、不倫が引き起こす悲惨な結末。人は人を殺し、愛情は屈折する。このような内容が女性人気の理由なのではないか、とひそかに思う。

さて今回の「二本立て(ダブル・ビル)」は、いずれも新演出でデイヴィッド・マクヴィカーがこれを担当している。私はこの演出家をとても気に入っているので、これは見ないわかにはいかない。そしてMETライブでこの作品を上演するのも初めてだし、私はビデオやCDでしか見たこともない。個人的にはヴェリズモ・オペラがそれほど好きな方ではないが、やはりこれらは見ておくべき作品だろう。

マスカーニを一躍スターの座に押し上げたのが「カヴァレリア・ルスティカーナ」である。1890年のことだ。マスカーニは1945年まで生きていた作曲家だから、自作自演の録音も残っているようだが、私はこの作品をゼッフィレッリの監督するオペラ映画(ジョルジュ・プレートル指揮)で初めて体験したし、カラヤンのCDも持っている。カラヤンの有名な「間奏曲」はそれだけで涙が出るほどに美しく、音楽というのは奇麗なメロディーだけでどうしてこんなに感動するのだろうといつも思うほどだ。

今回は指揮がファビオ・ルイージである。彼は今やMETの首席指揮者だがこういう作品を指揮するとその才能が如何なく発揮されるように思う。出だしの前奏曲とそれに続くいくつかの合唱は、この作品が丸でミュージカルのように楽しく、ポピュラーなものであることを示している。主役はサントゥッツァ(ソプラノのエヴァ=マリア・ヴェストブルック)で彼女はほぼ一貫して舞台に登場している。円形の回転舞台を囲んで並べられた椅子に黒い服の人々が座ると、何か新興宗教の儀式のようだが、この日は復活祭の日。登場人物は皆黒い服を着ているので、作品中一貫して華やいだところがない。

サントゥッツァは自分を捧げたトゥリッドウ(テノールのマルセロ・アルヴァレス)のことが忘れれない。それで彼の母親ルチアのもと訪ねる。もとより小さな村なので皆が知りあいのようなものなのだが。サントゥッツァはトゥリッドウがいつしかこの村に帰っていること、そしてあろうことか、すでに彼を捨てて馬車屋のアルフィオ(バリトンのジョージ・ギャグニザ)に嫁いだはずのローラと密かに通じていることを知ってしまうのだ。サントゥッツァはトゥリッドウに会って復縁を迫るが、逆ギレされとうとうアルフィオにトゥリッドウの不倫を知らせてしまう。このことが決定的にトゥリッドウを、そして彼女をも不幸に陥れる引き金を引いてしまったのだ。ああ、なんということか!

有名な二重唱は前半部分にあるがシンプルな舞台で音楽的なメリハリだけが勝負である。またそのあとにあの間奏曲もあるが、無難にこなした感じである。後半の緊迫したアリアも素晴らしかったが、全体的に見てソプラノとテノールが絶唱するヴェリズモ・オペラ独特の雰囲気が会場を覆う。圧倒的な迫力は作品の持つポテンシャルをほぼ完全に表現していたように思うが、あくまで舞台を、オペラ上演を見ているという感覚から脱することはなかった。だから質が低いとは思いたくはない。けれどもどんなに滑稽なストーリーであれ、それが美しい音楽を伴って歌われる時、なぜか涙腺を刺激するような瞬間がある、というのがオペラの不思議でもある。ヴェリズモはあまりに現実的なストーリー過ぎて、見る側にそのような意外性を発見するだけの心理的余裕を消失させてしまうのだろうか。

トゥリッドウに決闘を申し込まれたアルフィオは、トゥリッドウを刺殺してしまう。そのことを知ったサントゥッツァとルチア。私はこの母親のルチアが気の毒でならない。トゥリッドウは自分が死んだら、サントゥッツァの母親になってくれ、などと嘆願するが、こういったあたりは何か白々しい。皆が幼馴染みのような小さな村で、このような悲劇は起こるべくして起こった。ルチアまでもがソプラノで歌われると、オペラ自体が高い声の出し合いとなる。ヴェルディやそれ以前のオペラと違って低い声の歌はあまり聞かれず、そのことが何か通俗的な気分にさせ、私をヴェリズモから遠ざけけいるのかも知れない。

2015年5月22日金曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K271「ジュノーム」(P:レイフ・オーヴェ・アンスネス、ノルウェー室内管弦楽団)

モーツァルトのピアノ協奏曲のうち第20番以降の「超」有名作品群を除くと、ほとんど聞いたことがなかった私は、初めてこの第9番を聞いて深い感銘を受けた。なぜならそのこには、いわゆる未熟なモーツァルトなどいないばかりか、後年の作品にも勝るとも劣らないような深みを感じたからだ。それほどこの第9番は、他のモーツァルトの若い頃の作品とは異なる。そして後年に発展する音楽の要素があるように思う。

最初そう思ったのは、第3楽章の冒頭で気持ちが揺れ動くような、低くて速いピアノの音がとても印象的だったからだ。その時の演奏はよく覚えていないが、もしかするとクララ・ハスキルによるモノラル録音だったように思う。ノイズの混じる中に音楽がリズミカルに動き、同時にレトロな気持ちがした。だがほどなくしてその音楽はメヌエット形式の長い中間部に入る。そこでピチカートに乗って、ややスピードを抑えたピアノが何ともロマンチックなメロディーを弾く。第3楽章の中にもう一つの音楽が宿っている。

おそらく第1楽章の冒頭のちょっと変わった出だしも、第2楽章のオーケストラの不協和な響きも、当時としては画期的だったのではないか。モーツァルトのザルツブルク時代の最後を飾るピアノ協奏曲であるこの曲は、とても先駆的な作品である。そしてそこにつけられた愛称「ジュノーム」というのが、またこの作品を特別なものにしている。何せモーツァルトのピアノ協奏曲の中でニックネームがついているのは、「戴冠式」とこの曲だけなのだから。

「ジュノーム」というのは「若い男」という意味だと長い間思っていた。けれどもこれは人の名前だった。しかもジュノーム嬢。それが実際どのような人だったかはよくわかっていない。私はいずれにせよこの作品は、若いピアニストによって演奏されるのがいいと思っている。年老いた ピアニストが枯淡の境地で演奏するのも悪くはないが、これはまぎれもなくモーツァルト21歳の時の作品であり、しかも若い女性ピアニストに捧げられているのだから。

そういうわけでいろいろ聞いてみたが、一番気に入っているのは北欧のピアニスト、アンスネスの弾き振りによる録音だ。と言っても彼も1970年生まれということだからあまり若くはない。演奏はピリオド・アプローチも意識した速いもので、リズム感のいいタッチが現代的である。これまでかつてのもったりした演奏で聞いてきたが、今ではこのような演奏が好きになった。ノルウェーの団体らしく響きは透明で快活。若いモーツァルトに相応しい。

この曲の持つ際立ったコントラスト、ピアノ表現を一歩進めたような革新性。そういった部分をストレートに表現している。何度も言うように「ジュノーム」は、後年の想像を絶するような深みを想起させる「何か」を感じさせてはくれるが、同時に若いエネルギーに溢れた作品として私は聞きたい。

2015年5月20日水曜日

シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団)

真夏の紀勢本線を新宮に向かって走る列車に乗っていた。30年以上も昔のことだから、各駅停車の客車に冷房はなかった。窓を全開にしても熱風が吹き込むばかり。私は窓から身を乗り出してラジオを聞いていた。すると眼前に太平洋の大海原が広がってしばらく続いた。列車は速度を上げて走った。するとラジオから偶然シューマンの交響曲第3番が聞こえてきたのだ。

NHK-FMの番組がほとんどクラシック音楽で占められていた頃だ。この時の演奏はジュリーニの指揮するロサンジェルス ・フィルの新譜。ジュリーニがロスの音楽監督に就任してしばらくしたころだったと思う。とにかくこの時の経験は、私をしてこの曲を明るい陽光の中で広がる海の風景と関連付けてしまった。これがライン川の音楽だと言うのに。そういうわけで私は今でも夏が近付くとこの曲が聞きたくなる。

シューマンの最後の交響曲は、とても明るく自然な喜びに満ちている。第1楽章の冒頭は「春」(第1交響曲)の第1楽章と並んで親しみやすい曲だ。 ライン川に身を投げて自殺を試みた作曲家とは信じられない。そんな明るい曲を、イタリア人の指揮者がカリフォルニアのオーケストラを指揮しているのだから、そこに広がるのは地中海性気候の海である。第2楽章のテンポはゆったりとしており、大きな船にでも乗っているような感じだ。第3楽章に至っては昼下がりの夢うつつのような気分だし、第4楽章になると大海原に陽が沈んでいくようなイメージに変わる(私の場合)。

中間の3つの楽章がいずれもどちらかというとスローな曲であるにもかかわらず、最終楽章の第5楽章は目いっぱい盛り上がって終わると言う風ではない。どこか尻切れトンボのような印象を、初めて聞いた時には覚えた。つまり第1楽章がとても堂々として風格があるのに、そのあとが何か物足りないのである。そういうことで私は第1番や第4番に比べると全体の印象は薄い。けれども第1楽章だけは「ライン」が一番好きだ。

シューマンのすべての作品の中で、最初に触れたのがこの交響曲第3番「ライン」の第1楽章だった。 そして演奏が良ければ音楽が光沢を放つのもシューマンの特徴である。サヴァリッシュやハイティンクなどドイツ風の明るい音色とスピード感で聞かせる演奏も多いが、ジュリーニの滔々とした演奏がこの曲のもう一つの魅力を表現しているように思う。ジュリーニはヴィオラ奏者だったそうだが、明るすぎない音色が音符いっぱいにまで引き延ばされて合奏される時の、弦楽器の渋くて暖かい厚みは、大河となって流れゆく川の情景を見事に表しているように感じる。そう言えばケルンの大聖堂をライン川をはさんで見た光景こそ、この曲の本来のイメージだったろう。

2015年5月18日月曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58(P:マウリッツィオ・ポリーニ、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番は内省的な作品である。ここで「内省」というのは自己を省みることだが、演奏者がそうしているとか、作曲家がそのような気持ちで作曲したかどうかまではわからない。私が言うのは聞き手このこと、それも自分についてである。私はこの曲を聞く時、とりわけ第2楽章で、次の第5番協奏曲「皇帝」の時とは明らかに違う気持になるのだ。

自分自身の心のどこか片隅にあるような感情を覗かれるような気持ち、孤独で苦しかった頃の思い出を振り返る時のような、ちょっと時間が止まったような気分。こういうことは音楽を聞く場合よくあることだが、この曲はまさにそのような作用をもたらす作品である。深く沈んだ止まりそうな弱音が、ピアノで静かに弾かれる時に、心をギュッと掴まれたような作用を受ける自分というものがそこに存在している。他の人はどうなのだろうか。そしてそれを音楽的に証明することはできるのだろうか。

私は全く専門家ではないから、コードの進行がどのような気分を聞き手に喚起するかというような、作曲上のテクニック(それはポピュラー音楽で顕著である)についてはよくわからない。またそれが明確な形で定義されているわけでもないだろう。だが西洋の音楽が長い歴史を経て培ってきたこのような音楽上の特性と聞き手の心情の間に、経験的法則に基づく、あるいは明文化されていない関係が存在する。ベートーヴェン自身がその意図をもっていたか、あるいはそのいうな感情を持ちながら作曲したか、それは不明であり、また演奏家がそのことを理解して再現しようとしているか、となるとそれもまた明確には言えない。

おそらく音楽の面白さはそのような曖昧な部分にあるのではないかと思う。どのような感情が喚起され、どのような感覚を抱いて聞くかは、最終的には聞き手に任される。聞き手は何をどう想像しようと自由である。

第2楽章までの陰影に富んだ旋律が、時に息苦しく目まいにも似た感覚を抱かせる。 だがそれもいつしか終わって静かに、かつ確信を持って始まる第3楽章の出だしに、どこか新しい世界へと踏み込むような新鮮な気分にさせられる。不安な中にも着実な足取りで歩みを進める気分は、私の場合若い日の思い出に重なっている。

前にも書いたように思うが、ポリーニがザルツブルク音楽祭でアバド指揮ウィーン・フィルと共演した録音をFM放送で聞いた20歳の頃の年明けに、私は友人たちと飲み明かし、気がついていたら家のベッドで寝ていた。まだ酔いが残る冬の朝、私の心に年末に聞いたベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の第3楽章が鳴り響いた。どういうわけかこの時の音楽が私の心から離れない。あの演奏をもう一度聞いてみたいと思う。だが放送録音は再びオンエアされることはない。私はポリーニというピアニストの弾くベートーヴェンに特に興味を持ってはいなかったが、どういうわけかこの時の演奏は素晴らしかったと思う。

後年になってアバドがベルリン・フィルの音楽監督に就任し、ポリーニをソリストに迎えてベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を一気に録音した。発売されると同時に私はこれを買い求め、今でも手元に置いてある。ここで聞く第4番もその演奏である。だがどうしてもあの時の、ウィーン・フィルとの演奏とは違うような気がする。1987年のザルツブルクの演奏は、もっとよかったのではないか・・・。

実は検索をしてみると、この時の録音が非正規でリリースされているようだ。 けれども録音状態はわからないし、それに音楽というのはやはり1回限りのものだとも思う。ライブ収録された放送だったとしても、それを何度も聞くことができないという良さもまた音楽の大切な側面だ。あの時のポリーニは確かに良かったねえ、でも後年のベルリンで入れた録音は少し物足りないねえ、などと語っているのがいいのかも知れない。少しは通のような気分になれるし、それにいつまでもその時の気分に浸ることができる。二度と経験できない過去を振り返る時の、若干の悔しくもどかしい気分とともに。それはあたかも苦い初恋の思い出のように・・・。

2015年5月17日日曜日

マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」(オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団他)

マーラーは「復活」を6年もの歳月をかけて作曲した。その苦心を反映するかのうようにこの交響曲は、それまでの他の交響曲作品とは比較できないくらいに大規模なものだ。5楽章構成であることに加え2人の独唱や合唱団、それに舞台裏に配置されたバンダまでもが登場する。後半の3つの楽章は続けて演奏され、ここだけで50分、曲を最初から最後まで続けて聞くと80分ほどかかる。つまりベートーヴェンの第九を超える演奏規模と言うことになる。

かつて私の家にも「復活」のLPレコードがあり(ズビン・メータ指揮のウィーン・フィルだった)、単独で2枚組の交響曲というのが何とも驚くべきものに思われた。録音も秀逸なこのレコードの第1楽章の冒頭を私は友人と何度も聞き、家が震えるのではないかと言うような大音量で鳴らしたのを思い出す。その丸で火山が爆発するようなフォルティッシモを聞くだけで私は満足し針を外すのだったが、後年この曲を聞くとそのような盛り上がりが第1楽章にももう一回、そして長い第5楽章には何度も登場する。それだけでなく震えるくらいにメロディーが奇麗な第2楽章、旋律が忘れられないほど印象的な第3楽章、さらにはハッとさせられるような啓示に満ちた第4楽章など聞きどころが満載である。

マーラーはしかし、この曲を順調に書き進めたわけではない。特に第5楽章の作曲にまつわるエピソードは有名だ。ハンブルクの教会で尊敬する指揮者ハンス・フォン・ビューローの葬儀に出席したマーラーは、オルガンと合唱による詩人クロプシュトックの「復活」の中の「汝、よみがえらん」を聴いた時、作曲中の交響曲の終楽章に使用することを思いついたというくだりである。「それはまるで稲妻のようにわたくしの身体を貫きました。そしてすべてが、はっきりと明らかな姿で現れました。創作する者はこのような『稲妻』を待つこと。まさしく『聖なる受胎』を待つことなのです。」

私がこの曲の全体を初めて知ったのは、エジンバラ音楽祭でレナード・バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮したビデオ映像を見た時だった。教会でのライブ映像は、マーラーにひとかたならぬ情熱を注いだこのユダヤ系指揮者が、まるでマーラーの生き写しではないかとさえ思われたのだ。特に終楽章での圧倒的な感銘は、音楽というものの概念について再考を迫るほどの気迫に満ちている。「私は生きるために死ぬのだ」と歌われる時、カメラは何度も教会の天井を写しだす。天からの稲妻が、教会にいたマーラーに降り注いだように。

何と言っても圧倒的な作品であるこの交響曲は、私がまた最も愛するマーラーの作品でもある。そしてそのように感じている人も多い。指揮者のサイモン・ラトルはこの曲が自分の指揮者人生を決定づけたと言っているのを読んだことがある。彼自身、バーミンガム市交響楽団とベルリン・フィルを指揮して2度も録音している。有名は実業家ギルバート・キャプラン氏が、この曲だけを指揮するアマチュア指揮者として有名であり、私費を投じてロンドン交響楽団を指揮した演奏を録音し、その評価がもとでとうとうウィーン・フィルの指揮台にも立った(ドイツ・グラモフォンからリリースされている)。ここで彼は自らの改訂稿を用い、それが今では一般的なものになっている。言うまでもなくウィーン・フィルというのはマーラー自身が指揮を務めたオーケストラである。

私は「復活」の第2楽章が好きで、新しいCDを入手するとここの演奏をまず聞くのが慣例だが、なかなかいい演奏には出会えない。バーンスタインの演奏など遅すぎて、しかもあまり楽しくない。それに対して小澤征爾のボストン盤は純粋で古典派のセレナーデのようだが、現在私の最も好きな演奏である。第4楽章の「原光」は、ナタリー・シュトゥッツマンの独唱で聞いた時、アルトの歌声の響きがまるで暗闇に差す一条の光にそっくりだと思った。

人間は大きな苦悩に閉ざされている!
私は天国にいたいと思う! 
神はきっと一筋の光を私に授けなさり、
永遠の喜びの生命の中で私を照らしてくださるにちがいない。

一方第1楽章はもともと「葬礼」と呼ばれた。第1交響曲「巨人」で朝に向かって歩き出した若者は、早くも挫折し死に絶える。第2楽章で過去を回想するものの第3楽章で夢から覚め、第4楽章で信仰に目覚めた彼は第5楽章で神の啓示を受ける。魂がよみがえるのだ。「復活」とは死者の復活であり、キリスト教で言うところの復活(Resurrection)である。

生まれ出たものは、必ず滅びる。
滅びたものは、必ずよみがえる!
私は生きるために死のう!

この曲の録音には数多くのものが存在するが、今のところ私にとって何度か聞いた実演を上回ったものはない。少々技術的に平凡な演奏でも実演に勝るものはないとさえ思う。圧倒的な音楽の前に、言葉を失うのだろう(特に第5楽章のホルンが聞こえてくるところなど)。だからこの文章を書くに際していくつかの演奏を聞きなおしたが、部分的にいいとは思えてもそれが記録された、再現可能なものであるという事実そのものが私を冷静にさせ、白けさせてしまう。消え去ってもう二度と再現されない音楽とともに過ごす長大な時間。その中にこそこの曲の真髄があるように思えてならない。マーラーの想定した時間経過をそのまま演奏者とともに過ごす一期一会の瞬間を伴ってこそ、胸に迫るものがあるように思う。

だからCDでは、先に取り上げたアバドや、上記で触れた演奏とは異なる、もう少し客観的な演奏も聞いておきたいと思う。まだ作曲者が生きていた時代に活躍をしていたオットー・クレンペラーは、生涯に幾度となくこの曲を取り上げており、そのうちのいくつかはいまだに録音がリリースされているが、その中でもヒルデ・レッスル=マイダンがメゾ・ソプラノを、エリザベート・シュワルツコップがソプラノを歌ったEMIのステレオ録音に登場してもらうことにしようと思う。冷徹ななかにも情熱が宿っているような演奏。音の広がりと曖昧にしないアクセントはこの指揮者の特徴だ。ただ残念なのは第4楽章である。ここだけはメータの演奏(独唱はクリスタ・ルートヴィヒ)が断然いい。まだマーラーの演奏がポピュラーではなかった時代、1961年の録音。フィルハーモニア管弦楽団、そして合唱団。

2015年5月10日日曜日

ワーグナー:交響曲ハ長調他(ネーメ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団)

ベートーヴェンに心酔していたワーグナーは、結果的にはベートーヴェンがむしろ不得意としていたオペラの分野で新境地を開いたが、そのワーグナーも若い頃に交響曲を作曲していることは興味深い。交響曲ハ長調と未完に終わった交響曲ホ長調である。 このうちハ長調の交響曲は1832年実に19歳の時の作品、未完成のホ長調は21歳の時の作品である。

ドイツのFM放送などを聞いているとこれらの交響曲は割合耳にすることが多い。歌劇「リエンツィ」がドレスデンで成功を収めるのが27歳の時だから、これらの作品はワーグナーのあの毒がまだ少ない。従ってはじめて聞いた時は、一体誰の作品なのだろうと思った。

交響曲ハ長調は、それでも40分ほどの長大な曲である。どうしても作品が大規模化するのはワーグナーの場合仕方ないのだろうか。雰囲気はロマン派前期のものだがシューベルトとはやや違う。そう言えばハ長調という調性は、ベートーヴェンの交響曲第1番と同じだ。ビゼーにしてもウェーバーにしても、またシューベルトもメンデルスゾーンも、若い頃の作品は瑞々しくて私は好きである。

序奏を伴う第1楽章から骨格がはっきりしていている。比較的長く重い序奏が終わると高らかに流れる主題は健康的で、来ていて心地よい。第2楽章のロマンチックな調べも味わいがある。第3楽章はスケルツォで、やはりベートーヴェンを意識したものだろう。第4楽章になるとどことなくシューベルトかウェーバーのような雰囲気で、平凡と言ってしまうには印象的で、何かよくわからないのだが聞き終わった充足感もないわけではない何かがここにある。

ネーメ・ヤルヴィはエストニア出身の指揮者でパーヴォの父である。彼はスコットランドのオーケストラを指揮してChandosレーベルに数多くの管弦楽作品を録音している。これもその一枚だが、他にもスッペやサン=サーンスといった作曲家の序曲集などをリリースして好評だ。ワーグナーの珍しい作品を集めたこのCDも、2つの交響曲を中心にめったに録音されない作品をSACDのフォーマットで収録している。「リエンツィ」序曲のテンポを時に抑えた表現など、若干ケレン見が目立つのも息子と良く似ている。


【収録曲】
・交響曲ハ長調
・交響曲ホ長調(フェリックス・モットル編)
・感謝の行進曲
・歌劇「リエンツィ」序曲
・皇帝行進曲

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...