2013年12月27日金曜日

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番ニ短調作品30(P:ユジャ・ワン、グスタヴォ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル交響楽団)

iPodとiTunesに押されながらも細々と携帯音楽プレーヤーを作り続けたSONYは、ここへ来て一歩前に進んだ感じがする。高音質の音源配信サービスを始めたからだ。詳しく言えばフリーのロスレス圧縮フォーマットflac音源への対応である。実際にはmoraというサイトからダウンロードしたハイレゾ音源は、最新のWalkmanに搭載された高音質アンプで再生可能である。このWalkmanは久しぶりに欲しいと思った。

flacに対応する携帯音楽プレーヤーにはこれまでも韓国のメーカーなどから比較的安く発売されていた。またハイレゾ音源ダウンロードもe-onkyoや英国のLINNなどから可能であった。だが大手音楽レーベルを傘下に持つSONYの本格参入は少し次元が違う。しかもその記者発表には我が国の音楽会社が勢揃いしたというから驚きである。遅れていた日本で、世界でも最高の音楽市場が誕生すれば、音楽の聞き方が大きく変わるだろう。アップルは最近iPodに力を入れていないので、巻き返しに転じて欲しいと思う。

そこで私もmoraの会員となり、さっそくクラシックの音源(まだ非常に少ないが)から良さそうなものをダウンロードした。ただ私の持っているiPod Classicはflacを再生してくれないので、変換ソフトを用いてWAV形式に変換。しかも44.1kHz/16bitにするしかないからCDと同じ音質である。これではハイレゾ音源の意味が無い。しかしPCにはflac形式で保存してあるから、これをfoobar2000などで再生し、アンプにつないで聞くことはできる。嬉しいのは、トラック単位で購入ができること(これもアルバムにより、実際には数は少ない。多くは一括売りである!)。

さて今年リリースされたクラシックの新譜のうち、私が最も感動したものは、そのmoraよりflacでダウンロードしたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番である。丁度ここのところラフマニノフの音楽を聞いてきているので、いいタイミングである。しかしこれまで何度も聞いて驚いてきたこの曲にあって、またひとつ突破口を開いた演奏に出会うということ自体が、感動である。その興奮は未だに覚めることがない。

ラフマニノフがロシアで作曲にとりかかり、やがては移住することになるアメリカで初演されたこの難曲を、そのわずか100年後には中国人のピアニストによって、南米ヴェネズエラで演奏されることになろうとは作曲者は想像だにしなかったに違いない。だがユジャ・ワンがピアノを弾き、グスタヴォ・ドゥダメルが指揮するシモン・ボリバル交響楽団の伴奏は、白熱のライヴを通り越し、もはや神がかり的な熱狂の渦を巻き起こしている。そのライヴを映像で見られるなら見てみたい。だが、音楽の録音だけでもその圧倒的な様子はひしひしと伝わってくる。

演奏はまるでジャズかラテンのロックのようである。第1楽章の冒頭から異様な雰囲気で始まる。この第1楽章の主題は、それだけだと何の変哲もないような単純なメロディーで、初めて聞いた時には肩透かしを食らったような気がしたものだ。けれどもそれが一通り終わると、あれよあれよとピアノがコロコロ転がり出す。上がったり下がったり、めまぐるしく動く様はあっけにとられるほどだ。

従来第1楽章ではそのメロディーも湿りがちで、まだエンジン全開というわけでもなく、なんとなく陰鬱な感じか、さもなくば気合が入りすぎて伴奏と咬み合わないことが多い。けれども今回の演奏はそのどちらでもなく、とてもうまい具合にコラボレーションを形成している。時折最初の主題が切り返されて、そうか、ラフ3を聞いていたのかと思いを新たにする。

けれども第2楽章になると、今度は圧倒的に素晴らしいラフマニノフのロマン性が満開となる。単に美しいだけのメロディーではなく、色彩的にも変化に富み、後半などは特に激情的である。この音楽を簡単に口ずさむことはできないが、何かの映画音楽にでも使いたいようなメロディーである。大恋愛映画の回想シーン、そのクライマックスで鳴っているような曲をイメージする。私はこの第2楽章が気に入っているが、そう何度も気軽に聞けるような気もしない。おそらくこの曲が、ピアノ協奏曲のひとつの到達地点を示しているのではないか、とさえ思えてくる。

第2楽章から続いて演奏される第3楽章は、迫力があって早く、技巧的にも最高レベルなので間違いなく興奮するのだが、それにしても長い。15分以上はあるその間中、ずっと圧倒的なピアノによる乱舞の連続である。ここの音楽をどう形容してよいかわからない。そしてワンの演奏ではオーケストラを含め、乗りに乗っている。クリアにとらえた録音が(特にハイレゾで聞くと)スピーカーを飛び出して迫ってくる。目に見えるかのような演奏である。あっという間の15分が終わると、割れんばかりの拍手と歓声が収録され、そのフィーバーぶりがよくわかる。

この曲はあまりに難易度が高く、余程自身のある演奏家でないといい演奏を残していない。おそらく世界最初の演奏家はウラディミール・ホロヴィッツだったし、その後にはヴァン・クライバーン、ウラディミール・アシュケナージ、マルタ・アルゲリッチ、エフゲニー・キーシンなど錚々たる技巧派の名前が挙がる。これらのピアニストがこの曲をライブ演奏する時には、レコード会社が録音機をセットし、何年かに一度センセーショナルな成功をおさめるとその録音がリリースされてきた。私もその演奏を、何らかの形でできるだけ聞いてきたし、その都度決定的な演奏が登場したと思ったものだった。だが、これらの演奏に並ぶ名演が登場したことで、この曲の演奏史に新たなページが加わった。

若い女性のピアニストによるラフマニノフとなると、どうしてもアルゲリッチの演奏を引き合いに出してしまう。リッカルド・シャイーが指揮するベルリン放送交響楽団による「白熱のライヴ」が、チェイコフスキーとカップリングされてリリースされている。この演奏はまた、この曲の決定的な演奏のひとつとして多くの愛好家により今でも高く賞賛されている。私もキーシンの演奏(小澤征爾指揮ボストン交響楽団)と共に長年親しんできた。ワンの演奏はこの演奏に勝るとも劣らない演奏と言える。しかもこの20年以上も前の演奏は(おそらく)放送録音なので、今回の方がはるかにいい録音である。それを高音質で聞くことができる。

私は同じflacファイルから変換したCD音質のWAVファイル(44.1kHz/16bit)と、ダウンロードしたままのflac(96kHz/24bit)とを、同じfoobar2000で再生して音質を比較してみた。するとその違いは歴然である。ハイレゾで聞くラフマニノフはもう元に戻れないくらいに迫力満点である。この演奏、ピアノだけが独走するわけでもなく、伴奏とそれなりに共同歩調をとりながら丁々発止の名演を繰り広げている。キーシンで聞くとこのような演奏もなるのかと思うくらいに大人しく端正なのに、派手なアルゲリッチ流に決めつつも、気まぐれなアルゲリッチにない協調性を感じることができる。

2013年12月26日木曜日

ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」(パルマ王立歌劇場ライブビュー)

それにしても「ナブッコ」というオペラほど聞いていて胸を熱くするオペラはない。ヴェルディの出世作品は、若々しさとエネルギーに満ちあふれ、これでもかこれでもかと音楽が湧き出す。第1幕の冒頭の合唱を聞くだけで、私は胸が熱くなる。エルサレムの民衆は、迫りくるバビロニア人に怯えつつも、ザッカリーアの主導のもと、結束は固い。

Tutto Verdiシリーズのうち、私が今回見ることのできた最後の作品は、2009年にパルマで上演された舞台のものであった。ここで主題役ナブコドノゾルは、またもやレオ・ヌッチが歌っている。何もナブッコまでと思ったが、一度は見てみたい気もするし、それに何と言っても娘(フェネーナのほう)の可愛さあまり改宗までする父親の役である。バビロン捕囚の物語も、何か身近な家族の愛の物語になってしまうあたりはさておくとして、その音楽の圧倒的な迫力に、今回も酔いしれる結果となった。

指揮はミケーレ・マリオッティという若いイタリア人だが、彼はリッカルド・ムーティのように力強く、しかも音楽を軽やかにドライブする。パルマの劇場のオケがこんな音だったのかと思う。素晴らしい指揮者である。一方、合唱団はエキストラと思われる人も多くいて今回は登場箇所が多い。何せあの「行け我が思いよ」もあるのだから。

第1幕で早くも登場する奴隷の娘アビガイッレは、ドラマチックな太い声と高音から一気に低音に下るヒステリックな歌唱が必要な難役である。その役はディミトラ・テオドッシュというソプラノ歌手によって歌われていた。名前からギリシャ人ではないかと思われるが、彼女は見事な歌いっぷりで、観客を大いに沸かせた。特に全体の白眉、第2幕のアリア「かつて私も」は、この不遇な女性の生い立ちを思うと泣けてくるくらいに見事であった。

アビガイッレはこと自分の出自や、恋敵でもある妹フェネーナの話題になると、心がいきり立つ。その感情の変化が歌に現れるのだが、そのあたりの表現は見事だった。

このシリーズでは幕が開く前に様々なビデオ映像が挿入されるのだが、「ナブッコ」では珍しくオーケストラ・ピットの映像を流していた。序曲はとても素晴らしい作品なので、その伝統的な収録方法は好ましい。ダニエレ・アバドによる演出は、古典的なもので、悪くはなかったが、雷の一撃のシーンと偶像が崩れ落ちるシーンは、もう少し派手でも良かったと思う。特に後者はあまりにわかりにくいのだ。

一方「行け我が思いよ」のコーラスでは、イタリア第二の国歌とも言われる名旋律がとても印象的である。ここで合唱は歌詞が聞こえないくらいに、しかし多人数で、あくまで静かに歌う。そしてこの合唱が終わると、待っていたかのようにViva Verdiの掛け声なども聞かれ、本場の演出である、ここはアンコールかと思ったのだが、それはなかった(もしかしたらビデオでは削除されたのかも知れない)。

全体に大変充実した舞台で、見応え充分であった。もっとも素晴らしかったテオドッシュウのアビガイッレやヌッチのナブコドノゾル、それにジョルジュ・スリアンによるザッカリーアの他に、イズマエーレを歌ったテノールのブルーノ・リベイロ、フェネーナのアンナ・マリア・キウーイも、悪くはなかった。ただ、このビデオを上映した東京都写真美術館のホールは、音響的に十分とはいえない。加えて暖房のスイッチを切っているのか常に寒く、後から入ってくる客を前の席に誘導するなどサービスが悪い。

しかもオペラは通常1回ないし2回の休憩時間を挟んで上演されるので、それを一気に見ることになると集中力を維持するのに一苦労である。休憩時間もない上に、寒いのでトイレにも行きたくなるし、映画だというのにワインを飲みながら、ということもできない。このような状況であるにもかかわらず1作品あたり2800円もするというのはいただけない。私はもうこの企画にはあまり魅力を感じなくなってしまった。

2013年12月18日水曜日

ラフマニノフ:「パガニーニの主題による狂詩曲」作品43(P:ラン・ラン、ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー劇場管弦楽団)

ピアノ協奏曲第2番を取り上げたついでに「パガニーニの主題による狂詩曲」を久しぶりに聞いてみた。この2曲はよくカップリングされてLP1枚に収められていた。私の長年の、そして唯一の愛聴盤は、ウラディミール・アシュケナージのピアノ、アンドレ・プレヴィン指揮ロンドン交響楽団の70年代の演奏である。だが今回はもっと新しい録音で聞いてみることにした。買ってもほとんど聞いていなかったCDがあったからだ。ピアノは中国人のラン・ランで、ワレリー・ゲルギエフが指揮するマリインスキー劇場のオーケストラが伴奏を務めている。

私の高校時代の同級生は、この曲が大好きであった。彼は私が彼の家を訪ねていくと、いつもこの曲をレコードでかけた。そして有名な第18変奏の部分が来ると、決まってこう言った。「ここは映画音楽や。『振り向けば君がいて』の曲だよ。」だが、私はそんな映画を知らなかった(今でも知らない)。けれどもなんとなくその話を信じ、なるほどなと思った。振り向いたところで誰もいない彼の家で、2人はいつもそのカンタービレに聴き惚れていた。なんて美しいメロディーなのだと。

ラフマニノフは一発で人を惹きつけるメロディーを思いつく天才だった。あのパガニーニの独奏曲「カプリース」のメロディーからこの曲は生まれた。この曲は狂詩曲(ラプソディー)というタイトルが付いているが、実際にはピアノ協奏曲風の変奏曲である。変奏曲とは、私が中学校の音楽の時間に習ったところでは、原曲の和音を保ちながら、拍子や強弱をアレンジするもので、確かモーツァルトのピアノ・ソナタか何かの曲をサンプルにした解説を聞いた。それがロマン派の後期ともなると原曲を留めないほどの曲となり、それだけで独特の世界を形成している。

原曲がはっきりとわかるのは序奏から第5変奏あたりまでで、ある時はジャジーな曲に、ある時は勢いのある行進曲風に、ある時は夜想曲のように、次々と姿を変えていく。常にピアノが技巧的なメロディーを絡めるので、聞いていても興奮してくる。このように何度も音形を変えて、盛り上がったり遅くなったりしながら、やがて深く陰鬱なメロディーとなる。アン・ニュイな曲がしばらく続くな、と思ったら突然、きれいな旋律をピアノが始める。第18変奏の突如現れるメロディーは、もはや原曲を想像することもできない。

朝の通勤電車の中でこの曲を聞いていると、丸で映画の一シーンのように眼前の光景がセピア色に変わるから不思議だ。急にこみ上げる若いころの悲しい気分が、朝日を浴びて輝く寒い冬の街にこだまして、丸で時間が止まったかのような錯覚に陥る。その間わずか数分。やがて次の変奏曲になり、そのままコーダを目指して突き進む。

ラン・ランの演奏は実演で聞くととても考えていると思わせる。だが録音された演奏ではそのあたりが伝わりにくい。けれどもこの音楽は、大変華やかで感傷的である。あまりそういう難しいことは考えずに、いい録音で楽しみたい。幸い、ゲルギエフのロシア風な伴奏がとても魅力的だし、それに何と言っても録音に独特の奥行きと残響があって、大変ゴージャスである。決して煽る演奏でもないのにエキサイティングで、この曲の聞かれるべき代表的なディスクのひとつだと思われる。

2013年12月17日火曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(ザルツブルク音楽祭2008)

考えてみればこれまで節目にいつも「オテロ」を見ている。最初はミラノ・スカラ座の来日公演をラジオで聴いた時。クライバーの振り下ろす白熱した音楽が、繊細で独特の緊張感を持って迫ってきたことをおぼろげに覚えている。中学生のときだった。

「オテロ」のCDを初めて聴いたのは、大学生になってフランコ・ゼッフィレッリ監督のオペラ映画「トラヴィアータ(椿姫)」にノックアウトパンチを食らった翌日だった。レンタルショップで借りたカラヤンの3枚組CDは、しかしながらこの曲が「椿姫」のようなわかりやすい音楽ではないことを教えてくれた。ヴェルディの中で最高傑作がこんな曲だったとは、ある意味でショックだった。そのマリオ・デル・モナコが主演するデッカ録音の演奏は、効果音が大変印象的で今でもこの曲の代表的なものである。

ゼッフィレッリの監督するオペラ映画としての「オテロ」が、京都の映画館で公開されていると聞いて、私は友人を誘いわざわざ2時間もかけて見に出かけた。プラシド・ドミンゴのオテロ、カティア・リッチャレッリのデズデモナ、フスティノ・ディアスのイヤーゴらによる演奏は、マゼールの指揮だった。全編息もつかせないほどの凝縮された映画を見終った時、どっと疲れが出た。河原町の居酒屋で興奮しながら夜遅くまで語り合った。映画館を出るとき、一体どうしてこうなってしまうのだろうとこわばった表情で出てゆく女子大生の顔を良く覚えている。

そのゼッフィレッリが主演し、ドミンゴ、リッチャレッリ、ディアスの出演する本当の舞台に偶然にも触れることができたことは、私にとって一生の思い出である。ニューヨーク旅行中にたまたまクライバーの公演がメトであり、その最終公演のチケットを手にすることが出来たのだった。この時の様子はすでにブログに書いた。

メトの「オテロ」はその後、レヴァインが受け継ぎ、演出はエリヤ・モシンスキーに代わった。この公演が今でも続いている。私が次に見た「オテロ」は、デズデモナをルネ・フレミングが歌っていた。オテロは依然、ドミンゴだった。1995-96年のシーズンの幕開けを飾るこの公演は、後にDVDで発売され、私は真っ先に購入した。ただ日本語字幕の付いたDVDが発売されたのは2004年にはいってからだったと思う。最初に「オテロ」に触れてから30年以上が過ぎ、その間約10年おきに「オテロ」を見ている。「たったそれだけか」と言われるかも知れない。だが堀内修も言っている。「オテロは何十年に1回位で良い」と。

そしてヴェルディ生誕200週年の今年、Tutto Verdiシリーズのオペラ映像を映画館で見る機会があり、9年ぶりに「オテロ」を見ることになった。前日には睡眠を十分にとり、満を持して出かけた。

Tutto Verdiシリーズはそのほとんどがパルマのレッジョ劇場での公演を撮影したものである。だがこの「オテロ」だけはどういうわけか異なっていて、2008年のザルツブルク音楽祭での公演を収録したものである。イタリアのローカルな舞台とはひと味もふた味も違うインターナショナルな公演である。もちろんオーケストラはウィーン・フィル、指揮はリッカルド・ムーティである。そうだと知れば、これを見逃す手はない。パルマの公演なら「オテロ」を敬遠したかも知れない。だがムーティとなれば、行かないわけにはいかない。

始まりの映像はそれまでのレッジョ劇場の全景ではなく、ザルツブルクのお城のおきまりの遠景かと思いきやそうではなく、荒れ狂う海の風景である。音声がないままに、字幕で出演者が紹介される。オテロにアレクサンドルス・アントネンコ、デズデモナにマリーナ・ポプラフスカヤ、イヤーゴにカルロス・アルバレス、演出はスティーヴン・ラングリッジである。

海のシーンが消えるといきなり大音量の音楽が始まった。嵐のシーンである。合唱団も実に見事。何と言ってもウィーン・フィルの響きはパルマの管弦楽団とは雲泥の差である。その豊穣な響きと迫力は、瞬く間に我々をキプロスの海辺へと誘う。ザルツブルク祝祭劇場はとても横に広いので、見応え十分。カメラワークも録音も、パルマのものより一段上だ。

オテロのアントネンコは、まだ若々しい歌声で、そういえばドミンゴも若い頃はこういう声だったかな、と思いながら聞いていた。その時点でオテロに最も相応しいかと言われれば、ちょっと疑問も残る。だが、彼は汗を額にみなぎらせ、容貌もムーア人に扮してなかなかの熱演であった。私はその体当たりの姿に大いに好感を持った。バリトンにこだわったヴェルディは、「オテロ」ではその歌をイヤーゴにあて、オテロをテノールの役とした。このことはオテロが人間的に完成された人格ではなく、脆くも崩れ去っていくコンプレックスだらけの若武者だからであろう。そのことがよくわかる。

一方のデズデモナはひたすら可哀想である。可憐で美しく、しかもこのドラマに登場する多くの男性とは一段上の人格でさえある。第4幕で歌う「柳の歌」は一番の聴かせどころだが、彼女はここで自分の宿命を知っているかのようである。誤解が解けぬまま毒殺される運命にあってなお、オテロのことを気にかけ、しかも神の赦しを乞う。その哀れな歌いぶりは、最終幕の最後の瞬間に近づくほど大きな集中を見せ、圧巻であった。

イヤーゴはこれ以上ないくらいの悪役だが、「オテロ」においては非常に重要な役である。このイヤーゴがつまらなければ「オテロ」の公演は失敗である。ここでアルバレスは、最初のシーンから安定した充実を見せた。いやそれどころか、オテロのコンプレックスに対するイヤーゴの嫉妬は、その表現において一頭上を行っていた。舞台中央に斜めに配置された透明な大きい舞台が印象的でその、奥には幕ごとに様々な工夫を凝らした壁があり、上部には民衆が合唱を奏でる。見事な演出はやはり国際級と言わねばならない。

とにかく久方ぶりに見る「オテロ」は私にとって再発見の連続であると同時に、圧倒的な力を持ってその魅力を知らしめた。どうすればこのような音楽が書けるのだろうかと思う。ちょっと口ずさむという音楽ではない。だがこれほど無駄がなく、しかも完成度の高い音楽は他にはないだろうと思う。まあそういうことは無数の音楽評論家やブロブの著者によって語られているから、私がつたない言葉で表現するもの野暮なことである。ヴェルディの真髄がまさにここに極まったというべきであり、この公演は十分にそれを伝えている名演の一つに数えられるだろう。

ムーティの指揮についてはもう何も言う必要がない。今やヴェルデょの第一人者であるムーティは、ローマ歌劇場を率いて来年来日する。私は通常、オペラ・ハウスの引っ越し公演には手を出さないようにしてきたが、とうとうそのこだわりを打ち破る時が来た。私は2014年5月に「シモン・ボッカネグラ」を、6月には「ナブッコ」を見るために、発売日にチケットを購入し、今日手元に届いた所である。ヴェルディ・イヤーは今年で終わるが、私のヴェルディへの旅は、これからもまだ続く。

2013年12月16日月曜日

ヴェルディ:歌劇「マクベス」(パルマ王立歌劇場ライブビュー)

我が国やヨーロッパでも近代化するまでは圧政と恐怖の社会だった。丁度Tutto Verdiシリーズの「マクベス」を見た前の日に、北朝鮮で反革命分子として、領主の側近が粛清されるというショッキングな事件が起こったが、そのことによってオペラも妙に生々しく感じられた。北朝鮮で本当にクーデターの未遂があったのかは不明である。だが11世紀のスコットランドでも、側近を皆殺しにして将軍に上り詰めたマクベスは、気がついてみると全てを敵に回したいた。

「マクベス」における恐るべきクーデターの首謀者は、マクベス夫人である。マクベスとマクベス夫人だけがこのオペラの主人公で、その他の登場人物はテノールのマクダフを含め、少しの歌しか歌わない脇役に過ぎない。この2人の心理的葛藤を描くシェークスピアの戯曲を、ピアーヴェの台本によってオペラ化したヴェルディは、入念なリハーサルのもとそれまでになかった舞台を作り上げた。しかも後年になって大きな改訂を行っており、初期の作品ながら完成度は高い。

始まりの音楽は第4幕でも演奏される夢遊の場のもので、一度聞いたら忘れられない趣がある。そして一気に観客は物語の中に吸い込まれていく。しかも次々に繰り出される音楽と早い物語が、うまく融け合って唐突感がない。このしっくりくる感じが娯楽作品中心だったオペラをシリアスなものにした。

第1幕でマクベスとバンクォーは魔女たちから2つの予言を聞く。その予言を聞きつけたマクベス夫人は夫に国王の殺人を迫り、国王は殺される。この間30分もかからない。さらに続く第2幕でも、今度は夫人も手伝ってバンクォーを暗殺する。だが小心者のマクベスは、良心の呵責にさいなまれる。宴の席で亡霊を見たマクベスは、周りから疑いをかけられる。

さてマクベスは、レオ・ヌッチであった。このバリトンはもはやイタリアのスターである。彼はマクベスの弱い性質を浮き彫りにし、国王として威厳と殺人の恐怖に怯える錯綜した感情を見事に表現する。一方のマクベス夫人はシルヴィー・ヴァレルというソプラノで、彼女は美しいながらも魔性をちらつかせ、見ていて違和感はない。2人の強力な歌手が揃ったので、舞台で大活躍する合唱団とバレエ、それにオーケストラも強力なサポートを惜しまない。指揮はベテランのブルーノ・バルトレッティで手堅い運び。

第3幕ではその合唱とバレエがなかなか良い。この作品がパリで上演されたことをよく物語っているが、決してやり過ぎの感はなく、かといってそれなりに舞台に色を添える。第2場になって再び予言のシーン。そうか、このあと舞台は最後のクライマックスへとつながってゆくのか、と期待が膨らむ。

その第4幕は何と言ってもマクベス夫人の発狂のシーンが、聞き手を集中させる。されにはマクベス自身も、不気味な予言通りマクダフに殺される。スコットランドの民衆はパーナムの木として暗喩されており、ここに国王の地位を得たものの全てを失い、自らも命を失うマクベスの壮絶な物語が幕を下ろす。

舞台は何やらおかしげな空襲のシーンで始まったが、そんなことは最後まで関係が不明であった。いつも舞台上で劇を見ている人が大勢いて、彼らは何一つ言葉を発しない。つまりこれは劇中劇という設定である。だがそのことにどのような意味があるのかもよくわからない。さらには魔女たちが何と洗濯場の女達である。これまた意味不明。つまりリリアーナ・カヴァーニの演出にはよくわからない点が多い。

それを補う歌手の素晴らしさで、見応えはあった。なおバンクォーはバスのエンリコ・イオーリ、マクダフはテノールのロベルト・イウリアーノ、いずれもイタリア人と思われる。2006年のパルマ王立歌劇場でのライヴである。意外に少ないこのオペラの映像作品としては十分合格点だと思うが、それはドラマとして異彩を放つオペラを、ありのままに表現したことによるところ大であると思われる。

2013年12月12日木曜日

ヴェルディ:歌劇「イル・トロヴァトーレ」(パルマ王立歌劇場ライブビュー)

ストーリーの展開があまりに唐突で、ドラマとしての完成度が低いと言わざるを得ないような部分が「トロヴァトーレ」にはあって、そのあらすじを知れば知るほど、舞台を見ている方は白けてくる。オペラではそれを補って余りある歌の魅力が、これを覆い隠すことがあるのだが、「トロヴァトーレ」の場合は少し微妙と言わざるをえない。話が変でも、そこに登場人物の心理的な内面描写があればいいのだが、残念ながらその要素に乏しい。しかしここに付けられているのは、紛れも無くヴェルディの力強い音楽である。

ヴェルディのより完成度の高い作品を知れば、「トロヴァトーレ」の見方は、それらと同じではいけないことに気付く。聞くほうが少し工夫をして、この作品は血沸き肉踊る音楽、歌を聞くものと割り切る必要がある。そうした時、「トロヴァトーレ」は生きた作品となって目の前に現れる。もちろん、それなりの舞台・・・歌手と指揮と合唱が揃って名演を繰り広げれば、の話だが。

さて、このたびはパルマ王立歌劇場のビデオ作品からTutto Verdiの一つを見たことの感想を書くことになるのだが、このビデオはBlu-rayとして字幕付きで売られているUnitel制作のもので、2010年パルマでのヴェルディ・フェスティヴァルでの上演。マンリーコにテノールのマルセロ・アルヴァレス、レオノーラにソプラノのテレーザ・ロマーノ、ルーナ伯爵にバリトンのクラウディオ・スグーラ、アズチェーナにメゾ・ソプラノのムジア・ニオラージェ、ユーリ・テミルカーノフの指揮、ロレンツォ・マリアーニの演出という顔ぶれである。

歌手の中で特に有名なのは、タイトル・ロールを歌ったアルヴァレスである。彼の歌声は艶があり、力も加わってこの若き武将の純粋な一途さと直情径行な愛情表現を、それは見事に歌いあげた。だが、この舞台でまず最初に評価をしたいのは、ルーナ伯爵を歌ったスグーラである。やや痩せていて、若いバリトンはその存在感も抜群で、最初から最後まで息をつかせない集中力と表現力で見るものを圧倒した。ただ残念だったのは、ルーナ伯爵の衣装があまりに高貴さを欠いている点だ。武将たち(合唱団)に交じると存在が浮き立たない。これは演出上の問題点だろうと思う。

一方、ロマーノのレオノーラは力演で、少し荒いところも合ったが、それはこの舞台が彼女にとってピンチ・ヒッターだったからだろうと思う。であればこの歌手の出来は相当褒められるべきだろう。特に終盤に進むに連れて、その体当たり的な熱演は、唯一この物語で純真無垢かつ可哀想な死を遂げる女性の哀しさを表現した。

アズチェーナの二オラージュも代役だそうで、そのことを差し引いても、これはこれで聞ける悪役である。ただジプシーの呪われた女というには、衣装を含めちょっと美しすぎる。第2幕のコーラスでもそのことは言える。舞台に並んだコーラスは、何かお祭りの歌を歌っているように陽気に聞こえる。金槌も印象的には鳴らず、あのおどろおどろしさが乏しいのだ。

全体に演出に対する不満は、少し述べておく必要があるだろう。簡素でしかも滑稽な読み替えをしないことには好感が持てる。だが、舞台中央に掲げられた満月を除けば、いかにも中途半端である。歌に集中させるというなら、それはそれでもう少し工夫の余地があっただろうし、そうでないなら原作に忠実に、ジプシー色を出して欲しかった。

指揮は歌にうまく寄り添い、十分に劇的であると同時に精緻でもあった。総じて言えば、音楽の素晴らしさで満点に近く、このビデオは一度は見ておく価値がある。初心者なら、このビデオを何度も見れば、ヴェルディ中期の傑作を堪能できること請け合いである。CDなら完璧だったかも知れない。けれども演出には今ひとつの傑出した部分が感じられない。ビデオとしてずっととっておくには少し物足りない。購入するとなると、そのことをどう考えるか。一般的な舞台収録と異なり、拍手やカーテンコールは少ない時間に抑えられている。ライブなら、もう少し歌のたびに余韻に浸りたかったという思いが私の場合、どうしても残った。

2013年12月10日火曜日

シューベルト:交響曲第8番ハ長調D944「グレート」(ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

シューベルトの音楽を楽しめるかどうかの、わかりやすい試金石は、この長大な交響曲ではないかと思う。とにかく長い(「天国的に」とかのシューマンは言った)音楽は、単調で極めて退屈、どこがいいのかさっぱりわからない、という次元を通過して、いつからかこんなにいい音楽はない、と思えてくる。私の場合、今から20年位前にその時が訪れて以来、今では丁度いい長さだと思っている。もちろん繰り返しは大歓迎である。

このきっかけとなったのは、サヴァリッシュがNHK交響楽団を指揮したものをライヴで見た時だったと記憶しているが、特に第3楽章で「その時」はやってきた。中間部のトリオでのことである。以来、ここを聞く時はいつもこの時の体験が蘇る。もっといい演奏に出会いたい、という一心から新譜は常にチェック。だが、その録音数とは裏腹に実演で聞くことは意外に少ない。

本年の春にその時はやってきて、ミンコフスキ指揮ルーブル宮音楽隊の忘れがたき演奏が、私を感動させたことは、先のブログにも書いたとおりである。だが、この曲はいつも名演奏になるとは限らない。いやもしかすると本当にただ長いだけの、つまらない演奏に終始する可能性も大きい。その境目はどこにあるのだろうか。なかなか気づくことのできない部分で、その分かれ目は存在する。丁度ブルックナーの音楽が、この傾向に類似している。

第1楽章の冒頭から、いい演奏で聞くとゾクゾクする。これからこの長い曲を楽しむのだと思うと、嬉しくなる。なにせまだ曲は始まったばかりなのいだから。最近の演奏では嬉しいことに主題提示部を繰り返してくれる。たっぷりと歌わせる演奏なら、弦楽器も木管楽器も、乗ってくるのがわかる。ベートーヴェンの「エロイカ」でも同じ感じになる。よく似ているが、シューベルトの方はもっと繊細である。

第2楽章の行進曲風のメロディーがまたいい。ここでも歌う木管楽器に酔いしれよう。散歩しながら聞いていると、この曲に合わせて足を踏み出す。だがそれも後半に差し掛かると、丸でブルックナーを思わせるような音の重なりがクライマックスを迎え、そして休止!が訪れる。この深々とした憂いに持ちた味わいは何と形容したらいいのだろうか。この部分に感動しない人は、何か勿体無い人生を送っているような気がする、というのは言いすぎだろうか。

第3楽章も繰り返すと長い。早い音楽だがいつまでも続く。けれどもその中間部にさしかかると、しびれるような音楽が突如として現れるのだ!この至福の時間は、この音楽がずっと鳴り響いてほしいと願うばかりだ。けれどももう音楽は折り返し地点を過ぎている!ああ、何ということか。

力強い金管の響きと、早いリズムで始まる第4楽章は、リズムに乗っていつまでもいつまでも、体を揺らしたくなる。そして反復!オーケストラが乗ってくると、ここの演奏は愉悦に満ち、心から幸せな気分となる。その爽快さ。ここの音楽にはあの「未完成」とは対照的な、だが紛れも無くシューベルトの音楽だ。天才はこの音楽に全ての力を注いだのではないかと思える。

お気に入りの演奏は、ゲオルク・ショルティの指揮するウィーン・フィルによる名演奏。他に何十種類の演奏を聞いたかわからないが、今でもベストである。何かが足りないように見えて、実は他の演奏にはない何かがある。ウィーン・フィルのふくよかな音色が、ウィーンの音楽に溶け合うのは当然としても、それをショルティはうまくドライブしている。強引さではなく、かと言って放任主義でもない。このような演奏は、演奏家の音楽に対する深い愛情がないと実現できるものではない。

何か特別な力が働いて類稀な名演が誕生した。録音も素晴らしい。聞き終わると、もう一度始めから聞きたくなる。この他ではジュリーニとコリン・デイヴィスの演奏が思い出に残っている。

2013年12月9日月曜日

ヴェルディ:歌劇「椿姫」(パルマ王立歌劇場ライブビュー)

ヴェルディ生誕200年の今年は、ヴェルディ全作品を網羅した映像作品がリリースされた。ヴェルディ音楽祭を開催しているパルマ王立歌劇場(レッジョ劇場)での2006年からの上演を、ブルーレイ・ディスクで楽しむことができる。その中には、最初の作品である「オベルト」や失敗作となった喜劇「王様だけの一日」なども含まれ、その全てには日本語字幕も付けられている(日本版)。

このビデオは由緒あるUnitelが制作しているから、歌劇場は小さいもののそれなりの水準の舞台だろうと想像がつく。そしてそのうちのいくつかを映画館で上映する催しが行われ、私はこれまで「アイーダ」、「仮面舞踏会」、そして「リゴレット」を見てきた。これでおしまいか、と思っていたら、その他の作品を含め、有名な十もの作品を一挙に上映するというチラシが目に留まった。東京都写真美術館で毎日2作品ずつを、12月いっぱい上映するという触れ込みである。

最初は「椿姫」で、10時の会場前には早くも列ができていた。何せ「椿姫」だから人気があるのだろう。配役はヴィオレッタにソプラノのスヴェトラ・ヴァシレヴァ、アルフレードにテノールのマッシモ・ジョルダーノ、ジェルモンにバリトンのウラディーミル・ストヤノフとなっている。指揮はユーリ・テミルカーノフ、演出はカール・エルンストとウルゼン・ヘルマン(夫妻)。収録は2007年である。

上映はMET Liveとは違い、ブルーレイと同じ映像をそのまま流す。よって休憩はない。音声は5.1乃至は7.1chのサラウンドであると期待したが、ここの上映スペースは音響効果が悪いのか、何かモノラル録音のような悪さである。前方の中央席に陣取って観たが、何とも音が悪い。これに慣れるのに結構な時間がかかる。

演出はオーセンティックなもので、今ではあらすじ通りの「椿姫」は貴重である。久しぶりに「椿姫」を見たという思いに浸った。だが、最近では当たり前になったように前奏曲の最初から、幕が開く。中央に大きな食卓が設けられ、ヴィオレッタはその上に乗ったり降りたり。「ああ、そはかの人か」~「花より花へ」では、最近では珍しくハイ音を上げて響かせる。

第2幕の演出は少し特徴的だ。まず季節が冬である。パリ郊外の館の外からドアを開けて登場人物が出たり入ったり。ガラスの窓から外が見える。ここでのジェルモンとヴィオレッタのやりとりは、この作品の聴かせどころが満載である。だがこの作品では、ヴェルディによくある父と娘の関係が、姿を変えて登場する。ヴィオレッタは娘ではなく、息子の恋人なのである。こともあろうに父は、息子と別れてくれるようにと頼みに来る。散々もがいた挙句、ヴィオレッタは別れる決心をするが、その時に発する言葉が「最後に、娘として抱いてください」と言うのだ!

ここにヴェルディの隠れた気持ちが投影されている!父はやけくそになってフローラの館に戻る息子の愚行の場にも駆けつけ、そして最後にはヴィオレッタの病床にまで姿を見せる。そこでとうとう「あなたを父として抱擁します」と言うのだ!これは娘を失ったヴェルディの、屈折した愛情物語である。ここで父は息子を許し、ヴィオレッタをも許す。こんな物分かりのいい父親は、他にはいない。

第2幕の後半の、歌また歌のシーンは、この作品がやはり素晴らしい作品であることを再認識するものだ。まずはじめにジプシーの女が踊り、続いてスペインの闘牛団が踊る。私はここのシーンが大好きである。賭けに勝ち続けるアルフレードのシーンは、見ていて心臓がドキドキする。そのドキドキが音楽になっている。札束を叩きつけるアルフレードの前に父が現れるシーンは、もっと印象的に上演して欲しかった。舞台がやや小規模で、ちょっと物足りないように感じるのは、メジャーな上演を見すぎているからだろう。イタリアの地方都市の舞台である。そもそも「椿姫」はこのくらいの規模のオペラだと思う。

第3幕になると「過ぎ去りし日」、そして「パリを離れて」と見どころが続く。形見に肖像画の入ったペンダントを渡すシーンは、すすり泣きも聞こえる。中央に置かれたベッドの上に倒れるヴィオレッタ。全幕とも対称的な配置によって、「語りすぎない演出」の効果が見事に出ている。

歌手は手堅く、超絶的ではないが平均以上の出来栄え。容姿もいい。ジェルモンが少し若く、しかもロシア系の顔だが、まあこれくらいは仕方がない。指揮のテミルカーノフも、カーテンコールでの拍手と歓声からその人気が伺える。

※その後同じ会場で「イル・トロヴァトーレ」も見たが、こちらは結構ヴィヴィッドな録音であった。従って音の悪さは会場の装置にいよるものではなくて、元の録音自体にあるように思われる。

2013年12月8日日曜日

ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番ハ短調作品18(P:レイフ・オーヴェ・アンスネス、アントニオ・パッパーノ指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

晩秋の奥州路をドライブしていたら、めまぐるしく天気が変わった。晴れていたかと思うとそのうち雨が降り出し、しばらくしたら止んで雲の切れ目から美しい虹が出た。遠くの山々も黒い雲の合間から差す日に染まって、幻想的な雰囲気である。こういう天候に合うのではないかと、ラフマニノフを鳴らしてみた。持っていたのはピアノ協奏曲第2番。すると、何ともピッタリなのだ。

この曲はチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と並んで、ロシアの最も有名なピアノ協奏曲である。だが作曲年代はラフマニノフの方が少し後である。チャイコフスキーの、あのピアノ協奏曲のあとでラフマニノフは、やはり極めてロマンチックなピアノ協奏曲を書いた。この作品は多くの映画やドラマ、それにフィギュアスケートの伴奏に使われている。

第1楽章の冒頭でピアノが厳かに、次第に強く鐘の音を響かせると、何とも大げさな曲だなと思う。またこの曲を聞くのか、ちょっとやめておこうかな、などと思う。しかしすぐにオーケストラの弦楽器が、まるで冬の嵐の中を行く大型船のように、主題を奏でると金縛りにあったようにグイグイと引き込まれていく。ここは大いにうねらないといけない。速度はやや速めが好みである。重厚な弦楽器のオーケストラと良い録音で聞く必要があるのだが、さしあたりベルリン・フィルなどは相応しいオーケストラであると言える。

同じ主題は中盤で繰り返されるとき、ピアノがオーケストラに乗って、とてもダイナミックに迫りくる。このあたりまで来ると、もうこの曲は一気に最後まで聞き続けるしかない。だが、静かな部分においてのリリシズムはチャイコフスキーには及ばない。それを補うのがメロディーの忘れがたき美しさであることは言うまでもない。

その美しさ、もう少しうまく言えば、チャイコフスキーの叙情性に対する悲観的とも言うべきロマン性は、第2楽章で満開となる。特にピアノという楽器の持つ表現を、ラフマニノフはまた一歩進めた感がある。憂いを帯びてフルートやヴァイオリンがピアノと融け合う様は、単なる美しさではない。行き場を失った失意の淵にあるような、どうしようもない気持ちは、祖国へ帰ることのなかった亡命ロシア人の気持ちを現しているのだろうか。

つまり単にメロディーの綺麗なだけの作品ではないと思うのだ。だから有名な旋律部分がスケートで使われると何か苦笑したくなる。特に第2楽章の後半を聞くと、この作品の深みを感じる。とにかくこの曲は第2楽章の後半に尽きる。いい演奏で聞くと、むせび泣きたくなるくらいである。

私が北上川を北上しながら聞いていた演奏は、レイフ・オーヴェ・アンスネスがピアノを弾き、アントニオ・パッパーノがベルリン・フィルを振った2006年の録音であった。これはたまたまいくつか持っているうちから最も新しいものを持参したにすぎないのだが、考えてみればまだあまり真剣に聞いていなかったレコードであった。だが、この演奏ほど素晴らしい演奏はないのではないか、とさえ思うほどであった。

第3楽章になると、再びダイナミックにオーケストラとピアノが競演を繰り広げる。リズムがしっかりしていて、しかも歌うところは歌う。明るい響きはラフマニノフの持つ暗さと意外にマッチして、静かな興奮をも呼び起こしながら、コーダへと進む。私は毎日のようにこの曲を聞きながら、家路を急ぐ。聞き古した曲がまた好きになった。演奏が怒涛の如く終わると、はちきれんばかりの拍手が始まった。この演奏がライヴ収録であったことは、それまで気付かなかった。

もう一度、今度は朝早く起きて、雲の切れ目から差す朝日を浴びて輝く町を眺めながら、この曲を聞いてみた。少し大きめのボリュームで鳴らすと、冬の日の静かな室内が何ともノスタルジックな空間に満たされる。こんな美しいメロディーに溢れた曲だったのかと思いを新たにする。チャイコフスキーとは異なる、ラフマニノフにはラフマニノフにしか書けない音楽があったのではないか。

2013年12月6日金曜日

ヴェルディ:歌劇「リゴレット」(パルマ王立歌劇場ライブビュー)

2008年、ヴェルディゆかりの地パルマで上演された「リゴレット」を収めた映像を、中央区にある銀座ブロッサムホールへ見に出かけた(2013年11月30日)。この舞台の素晴らしさをどのように例えればいいのだろうか。少なくとも私の少ない経験では、過去における最高の「リゴレット」であり、これまで見てきたものは一体何だったのかと思うほどだ。あまりに素晴らしくて、何をどう表現していいかわからないし、ともすればその完璧さ故に、記憶にも残りにくい。

ここで表題役は、このたびのスカラ座来日公演でも「リゴレット」を歌ったレオ・ヌッチが歌っている。演技も歌唱も現在望みうる、そして過去に照らしても最高の歌い手が、60代にして歌った記録である。ハンディを負った道化師としての不遇の立場と、それがもたらすコンプレックスや卑屈さ、愛娘を前にした心の弱さなど、千変万化するヴェルディならではの心理描写を、あくまで力強く、心を込めて歌い上げる様子は、見ていて鳥肌が立つ。そのリゴレットを何千回と歌っているので、随分前から数多くの録音や録画が出ている。当たり役である。

そのリゴレットだけであれば、他にも優秀なディスクがあるが、この舞台はそれだけでない。まずジルダを歌ったグルジア出身のソプラノ、ニーノ・マチャイゼは、私は初めて見たのだが、それは何とも美しく、そして素晴らしい。ヌッチと組めば丸で本当の親子のようである。第1幕で可憐さのまま登場する彼女は、第2幕で父親の心情との間に揺れる二重唱を、ほぼ完璧に歌い切る。第2幕最後の「復讐だ」のシーンは、ヌッチのリゴレットと最高のコンビを見せる。沸き立つ拍手に応え、2人は幕の下りた舞台の前に改めて姿を見せる。

ここで2人は満面の笑みを浮かべ、物語そっちのけでアンコールを歌う。すでに歌い終えた歌だから、もう何も恐れることはない。圧巻のアンコールは会場を拍手の渦に巻き込む。抱き合って喜ぶ2人はオーケストラを讃える。パルマ王立歌劇場のオーケストラを指揮するのは、イタリア人の若手、マッシモ・ザネッティである。要所要所を締め、速めに指揮をするかと思えば、歌うところでは歌う。いい指揮者である。

もう一人の主役マントヴァ公爵は、細身の若者フランチェスコ・デムーロである。彼の声は若い時のパヴァロッティのように軽やかで艶があり、しかもルックスがいいと来ているから申し分がない。これでは往年のパヴァロッティの映像も色あせてしまう。やはりマントヴァ公はイケメンである必要がある。そのことによって舞台がより引き立つと同時に、わかりやすくなる。いや、それだけでない。この舞台の成功を支えているのは、演出のステファノ・ヴィジオーリによるところ大である。

舞台はオーセンティックながら、必要以上のものを表現しない。それによって歌手を引き立てる。だが細かいところがよく考えられている。第3幕の四重唱は、少し上部に作られたスパラフチーレの家の前方が開放され、その前にリゴレットとジルダが立つ。両カップルは、本当は壁で遮られているが、そんなことはわかっているので、ホームドラマのような舞台の方がかえって余計なものがなく、好ましい。

その四重唱では、ここ一番の役、マッダレーナ(メゾ・ソプラノのステファノ・イラーニ)と殺し屋スパラフチーレ(バスのマルコ・スポッティ)が加わる。だが彼らは決して脇役の出来栄えにとどまっているわけではない。いや、モンテローネ伯爵や女中ジョヴァンナに至るまで印象に残る。こんなに完成度の高い舞台があるだろうか。

もしかするとそれも演出の効果なのかも知れない。ジルダは第3幕で髪型を変え、容姿が一気に大人びる。ジョヴァンナは女中ながら、まるでジルダの姉のようである。いつも日本語の字幕を追っているにもかかわらず、今回ほどストーリーが頭にすっと入ってくることはなかった。歌心に溢れ、カンタービレは十全に歌い、声は若々しく、オーケストラにも張りがある。熱狂的な拍手でカーテンコールに立ったヌッチは、その動作がまだまだ若々しく、笑うと愛嬌のある素敵なおじいさんである。

陰惨な舞台でも演者はみな明るく、リゴレットがヴェルディの作品でも歌を重視して書かれた作品であることをよくわからせてくれる。この作品は、トロヴァトーレと同様に、歌を味わうオペラである。私のオペラ鑑賞体験において、この舞台は決定的な感銘をもたらした。両手を挙げて推薦するビデオである。

2013年12月5日木曜日

東日本大震災の記録:被災地への旅(5)

釜石といえば言わずと知れた鉄の町で、新日鉄釜石というラグビーチームは私が小学生の頃、毎年のように全国制覇を成し遂げたことで知られている。岩手県のこんなところになぜ製鉄所が作られたか。それは江戸時代にまで遡る我が国最古の製鉄業の歴史があるからだ。私が今回被災地を旅行先に選びながらも、どうしても行きたかった町は釜石であった。ここには花巻から遠野を経由して比較的整備された高速道も部分的に開通している。盛岡から宮古へ出るよりもはるかに便利だが、それでも2時間近くはかかる。

その釜石には釜石観音が大きな姿を太平洋に向けて立っており、深い入江と小高い丘に囲まれたとても風情のある町のように思えた。だが、中心地に向かっていくと実にこじんまりとした町であることに驚いた。事前に想像していたよりもはるかに小さな市には、最大で9万人いた人口も減り続け、今では半分以下の3万人台だという。

釜石には市立博物館があり、それは「鉄の博物館」と呼ばれている。小高い丘に結構な規模の建物が立っていて、私が訪れた時には他に家族連れがわずか一組という状況で、その展示物を私はほとんど一人で見て回った。

博物館からは紺碧の海に向って立つ釜石観音の後ろ姿がよく見えた。敷地内には軽便鉄道で使われたSLも展示されていたが、駐車場の上のスペースには仮設住宅が立ち並んでいる。夕方の4時をまわるとあたりはひっそりとして、よく晴れた穏やかの日でも淋しく寒い。私はかつて旅行した世界のどこに似ているか、などと考えてみたが、よくよく思いつくのは大西洋の孤島マデイラである。もっともその中心のフンシャルは、今では客船も停泊するリゾート地だが、そこから少し隔てた谷間の集落は、どこか三陸地方に似ている。

博物館に立ち寄ったあと、日が暮れるまでの短い間に市の中心部へ降りていった。2008年に完成したばかりの防波堤がいとも簡単に決壊し、釜石もまた壊滅的な被害を被った。かつて鉄を生産した溶鉱炉は今では動いていないが、もし動いていたとしてもかなりの被害を受けたのではないか。今は新日鉄住金となった近代的な工場を見ていると、ここが少し特殊な土地に思われてくる。それまでは漁業の町ばかりを通って来たからだろうか。

ここもまた造成中のニュータウンのようになった市街地を運転していると、いきなり被災当時のままの建物がそのまま残されていたりして驚く。だが、今では町にも自動車が溢れ、私の通った時刻は丁度帰宅のラッシュであった。カーナビの渋滞マークが初めて表示され、私はその釜石街道を遠野市方面へ走らせるうち日が暮れた。三陸は夕陽が山に沈むので、暗くなるのが早い。

釜石の町を抜け、高速道に入るまでは結構長い道のりで、その間、多くの商店などが立ち並んでいた。少し都市風の生活の雰囲気を感じた。途中、中学校の前を通った。クラブ活動でライトをつけ練習中の学生を見ながら、私は釜石の学校で震災と同時に全員が山に駆け上り、ほとんど被害が出なかったというニュースを思い出した。

私の三陸への短い旅は終わったが、被災地としてこの地域を見るのはもう十分だとも思った。今回行けなかった大槌、山田、田野畑、宮古、田老、そして久慈といったところへは、是非観光で訪れたい。三陸海岸のまだ三分の一しか見たことになっていない。今度はできれば夏がいい。コバルトブルーに染まる海へ落ち込む断崖の岬を、自由に巡ってみたいと思った。

遠野市に入ると、それまでなかったショッピングセンターやファーストフードの店が目に入ってきた。「遠野物語」のふるさとは僻村のイメージだが、三陸地方に比べると広く開けているな、と思った。だが、そこから北上市に向かうと、金曜日の夜まだ7時だというのに、何十分も前後に車が走らないような山間部を通る。一桁の気温も日没とともに下がり始め、内陸のせいか雨が降ってきた。私はレンタカーのヒーターを入れ、ライトをハイビームにして慎重に運転を続けた。

2013年12月4日水曜日

東日本大震災の記録:被災地への旅(4)

陸前高田からはまっすぐに大船渡を目指した。ここからはいよいよリアス式海岸の地形が顕著になり、国道からそれて半島に行く誘惑にかられる。だが私は日が暮れないうちに釜石に着かなければならず、今日その後は遠野を通って北上まで行かなければならない。11月も下旬となると4時には日は傾き始め、5時には真っ暗となる。北国ではなおのことだ。だが、今日の三陸海岸は快晴で気温も高く、風景はまったく素晴らしい。もし交通網や生活インフラが整備され、高台に住むことができるならそう悪いところではないな、と正直思った。これは実際旅行してみないとわからない感覚である。

大船渡は、特に深く「のこぎり」の刃が切れ込んだ大船渡湾に面した町である。海から押し寄せた津波は、このような狭い地形に力が集中して、波もより高くなっただろう。そういうことが容易に想像できる。だからといって何百年もそこに住まない、ということなどそう簡単にできることではない。

大船渡の中心も漁港で、周り一面がやはり更地になっていた。JR大船渡線の走る線路は道路となって舗装され、バスとして運行されているようだ。鉄道の復旧の見通しはほぼないように感じられた。気仙沼と同様に、被害を免れた高台の地域と更地となった被災地域が比較的近く、そういう意味で街全体が消失した陸前高田とは雰囲気が異なっている。

私はラジオで地元のFM放送を聞きながら、大船渡の町を通り抜けた。次の目的地、釜石までは、区間的に開通している高速道路を通ることができる。そうでもしなければ山また山の曲がりくねった道を行かなくてはならない。つい最近まではそのような道しかなかったことを思うと、ここから北は相当不便なところだと想像がつく。だが、トンネルを真っ直ぐにくり抜いた高速道路によって、風景の印象もずいぶん異なってくる。この区間は内陸部を走るので、海からは少し離れる。

次に海が見えた時、私は何の計画もなく海沿いの小さな集落を目指してみることにした。被災したのは大きな街だけではないだろう。知られていないところも多くが消失したのではないかと思われたからだ。ところがそこには三陸鉄道南リアス線の駅があって、何人もの観光客がたむろしていた。駅舎に列車は来ても、そこから先はバス(BRT)が運行されており、丁度その接続の時刻だったからだ。ここが開通区間と未開通区間の境目の駅だったのだ。

その駅は「吉浜」といい、駅舎の中に役所の出張所が設けられている他に、待合室を利用した展示も行われていた。もちろん地震と津波に関するものであった。その展示では、もとの集落の風景と震災後の様子、それに復興に向けた取り組みなどが紹介されていた。その中で私が驚いたのは、この吉浜では、たった一人の死者も出さなかったという事実である。もちろん集落は壊滅した。しかし先人の知恵が働いた。このようなところもあるのだと、私は何か少しは救われたような気持ちになった。来年には三陸鉄道は全線が開通するそうで、その時にはここの線路を鉄道が走るのだろうと思って写真を撮ったりした。


その「奇跡の集落」吉浜について。私は帰宅後、吉村昭の「三陸海岸大津波」を再び斜め読みしたのだが、そこには明治三陸大津波によって、吉浜村は全滅状態になったと書いてあるのを発見して息を飲んだ。その死者数は「人口1075名中、982名」となっている。生き残った人は100名にも満たなかったことになる。このような犠牲を教訓に活かしたということになる。だが、ここは近くに登れる高台もあり、そして集落もそう大きくはない。これが陸前高田だと、そうはいかない。

三陸海岸は、もともと人口の少ない地域であった。被災人口の最も大きかったのは、石巻や仙台を始めとする宮城県で、ここだけで阪神大震災の規模を上回ったことになる。そして津波は福島県も襲った。福島県の津波は、そのあとに続く原発の被害が重なって、訪れることさえできない。今回の津波の被害の不幸のひとつはまた、原発の問題によってそのことが置き去りにされてしまったことだろう。「みちのく」がさらに遠く感じられるようになってしまった。

2013年12月3日火曜日

東日本大震災の記録:被災地への旅(3)

陸前高田の被災の風景は何と形容していいのかわからない。ここを通りがかるときの心情は、驚き以外の何物でもない。辺り一面何もないのである。もともとここには街があった。しかし初めてここを訪れる者には、その違いさえもわからない。

唐桑半島と広田半島に挟まれた広田湾の小さな平野は、三陸海岸では最大級のものである。広田湾奥には気仙川が流れこんでおり、その運ぶ土砂で形成された砂州には高田松原が東西に続く。高田松原は石川啄木の歌碑などもある景勝地で、ここには松の木が何と7万本も植わっていたらしい。その白砂青松の海岸の歴史は江戸時代前期にまで遡り、国道沿いに「道の駅」もある、いや、あったというべきか。その「かつての」道の駅の建物の前には、慰霊の小屋が建てられていたが、ここは新たな観光地の駐車場にもなっている。それはわずかに一本だけ津波に耐えた「奇跡の一本松」である。

バス停の名称まで「奇跡の一本松」となっていた。しかしここには小さい小屋で営まれるコーヒー・ショップとガソリン・スタンドがあるだけで、他には何もない。かつて戦争で空襲が終わると「あたり一面焼け野原になった」などと私の祖父は語ってくれたものだったが、そのような光景とはこういうものなのだろうか。肝心の一本松は、海水によって腐食が進んだが、現在は復元されて移されている。バス停からは結構歩く距離ながら、どのようにして行けばいいのか案内もなく、私は工事中のエリアを隔てて遠くに見える松の木を写真に収めた。それ意外にもやたらと工事が多く、ダンプカーやトラックが国道をひっきりなしに通り過ぎて行く。

この陸前高田では、市役所や避難所までが被災した。そして病院の4階までもが水に浸かった。陸前高田に入る前に、津波が襲った当時のままの中学校の校舎があって、一瞬ドキッとした。一方、陸前高田から次の大船渡へ向かう途中、これも津波当時のままの鉄筋アパートがむき出しになってさらされており、再びドキッとする。この2つの建物は、丸で象徴的なものとして保存されるのを待っているかのように、不思議とそこだけ手が付けられていない。震災の直後は全てがこのような感じだったのではないかと思うと、恐ろしくなる。

国道を走ると至る所に標識が掲げられている。それは津波で浸水した区間を示すもので、この先は危険ですよ、その前ならまあ安心ですよ、と言っているようなものである。また浸水区間には、避難のためどちらにどの程度逃げればいいのかが示されている。だが、陸前高田のような広い平野では、中心地にいると逃げようにも逃げられない。どうすればいいのか全く頭の痛い問題である。見上げると山の中腹が工事中であった。そこに居住地域を作ればいい、ということだろうか。だが町を復元するには気の遠くなるような時間がかかるだろう。

2013年12月2日月曜日

東日本大震災の記録:被災地への旅(2)

気仙沼は塩釜や石巻と並んで、三陸を主な漁場とする大規模な漁港があることで知られている。このあたりは宮城県で、リアス式海岸の壮大な眺めが続く土地というよりも、むしろ漁業が育んだ都市の雰囲気が濃い。大きな湾に大島があることによって、内海のように穏やかである。インフラが整備され、比較的高い山に阻まれていないから、高台もそれなりに存在する。私は一関から国道を下り、気仙沼に入ったが、町中の郵便局あたりに来ても、そこままだ古い町並みが残り、被災地という感じがしない。

気仙沼漁港に行ってみた。するとそこは一面ニュータウンの造成地のように綺麗に整地され、まるでこれから団地が立ちますよ、とでもいう感じである。だがそれこそが津波によって街ごと流された地域だった。当時を物語る壊れた建物はもう残っていない、と思った矢先、一階が吹き抜けのビルが目に留まった。2階から上はガラスが割れ、鉄骨がむき出しに成っている。どういうわけかそのような、取り壊される機会を失った建物が、時折存在する。漁港の建物は新築されたのか、とても綺麗だったが、その側面に津波の高さを示す標識がかがられていた(写真)。

昼食を取ろうとしていたら、港の入口に「復興商店街」というのがあった。大島へ渡るフェリー乗り場の前には駐車場が設けられ、専ら観光客用のスペースとなっていたが、その日は平日の金曜日で閑散としている。向こうの山の中腹に教会が見え、大島行きのフェリーものどかに止まっている。これだけを見れば、とても被災のことは忘れてしまいそうな、平和な風景である。だが記録によれば、ここは重油タンクがもとで大火災を引き起こしたところである。3月11日の夜、私は歩いて帰宅中の妻を待つ間中テレビのニュースを見ていたが、この為す術のない火事のニュースには胸が傷んだ。阪神大震災の時の長田の火事のことが思い出されたからだと思う。


復興商店街は各地に設けられていて、どこも仮設プレハブの商店が立ち並んでいる。土産物屋や飲食店が多く、そのうちの一つに入って「漁師の海鮮丼」なるものを注文した。鮪を始めとする遠洋漁業の中心地だけあって、値段の割にはボリュームもあり、大いに満足すべきものだった。その店の壁やテーブルには、数多くのメッセージがマジックで書かれていた。中には有名人のものもあるとお店の女性店主は語りかけてきた。

開店して丁度2年目になる明日は、お祭りをするそうである。「どこから来たのですか?」と話しかける彼女は、私に100円安く会計をしてくれた。私はそのお金をフィリピンの台風被害義捐金として寄付することにした。メッセージには、松江や稚内など全国各地の訪問客のものまであって、被災地にも多くの人が足を運んでいるのだと思った。快く観光客を迎え入れてくれた気仙沼を後にして、私は再び岩手県に入った。次の訪問地は陸前高田である。遠くに深い入江が見えた。快晴の空に雲がなびき、終わりかけの紅葉が山々を黄色や赤色に染めていた。

2013年12月1日日曜日

東日本大震災の記録:被災地への旅(1)

一関は「杜の都」仙台の北約100キロにあって、世界遺産の中尊寺がある平泉やくりこま高原への玄関口である。岩手県とは言えここは南の淵にあたり、これから向かう気仙沼は、逆に宮城県が北に少し入り込んだところにある港町である。この2つの都市は、鉄道ならJR大船渡線、国道なら284号線で結ばれている。東日本大震災の被災地を廻るはじめての旅のスタートに、私は気仙沼を選んだ。ここから三陸海岸沿いに、国道45号線を北上する予定である。

三陸復興国立公園(陸中海岸国立公園から変更)というのはとても広く、北は青森県の八戸あたりから、南は松島近くまで、全長600キロにも及ぶ。北へ行けば断崖絶壁のリアス式海岸で、のこぎりの刃のような曲がりくねった地形を、上ったり下ったり、海にへばりつくように形成された漁村を通って行く。それらは近代まで、内陸部との交通は遮断され、冬は寒く、耕作地も極めて限られていた。生活の場といえば漁港がある猫のひたい程の入江と、そこに寄り添うように建てられた家屋で、隣の村へ行くにも峠を越えるよりは舟に乗るほうが容易く、そのようにしてわずかな交易を行うという日本でも有数の僻地であったということは容易に想像できる。

今でも高速道路はなく、南北を貫く鉄道が悲願のもとに開通したのは、構想から80年以上が経過した1984年である。手元に1983年の時刻表があるが、その東北地方の巻頭地図には、この三陸鉄道はまだ掲載されていない。そのような「陸の孤島」に、インフラ整備がようやく整えられてきた矢先、今回の大震災は発生した。

三陸地方を襲った津波は、もちろん今回が初めてではない。明治以降に限定しても、
  • 1896年(明治29年)6月15日:明治三陸地震による津波(明治三陸津波)
  • 1933年(昭和8年)3月3日:昭和三陸地震による津波(昭和三陸津波)
  • 1960年(昭和35年)5月24日:チリ地震による津波(チリ地震津波)
といった、3回もの多数の死者を出す大津波が記録されており、その様子は「三陸海岸大津波」(吉村昭著、新潮文庫)に詳しい。このような経験から、次に来る津波に備える共同体的知恵が存在しなかったわけはないだろう。だが、時を隔てて襲った今回の大津波は、それまでの津波を大きく越える規模で、近代以降に建てられた建造物をもすべて流してしまうほどであった。
 
三陸海岸を旅行する計画を立てたことは、これまでに幾度もある。日本全国を回ってきた経験から、岩手県に行くと次はぜひ、北上山地を越えたいと思っていた。しかし交通の不便さのため、休みが長期間取れないとあっては、断念せざるを得なかった。それを覚悟してまで訪れたい観光地に乏しいというのも、偽らざる理由であった。
 
しかも震災によって、ここの旅行は一層困難なものになってしまった。交通網は寸断され、次にまたいつ来るかわからない地震に怯えながらの旅行となると、かえって復興の足かせにならないかと気が引けた。それでも徐々に訪れる人が多くなっていったようだが、私は長らく躊躇していた。いかんせん、被災地になったからという理由でここを訪問すること自体、不謹慎に思われた。阪神大震災の時は、実家がすぐそばにあって、友人が近辺で働いていたりしたこともあり、わずか1か月後には私は神戸の変わり果てた町を歩いたのだが。
 
加えて、今回の東日本大震災の特徴として触れないわかにはいかないのが、この途方も無い自然災害を、その向こう側に覆い隠してしまうような人的災害、すなわち原子力発電所事故が、より身近な問題としてあり続けたことである。私の住む東京から三陸へ向かうには、福島県を通過する必要が有ることが象徴するように、原発事故が収束しないうちに三陸の復興を願うだけの心理的余裕が、残念がら持てないでいたことを正直に書いておく必要がある。大震災は、いまでも身近にあり、それが一段落したとは思えないのであった。
 
だが原発の問題に隠されて三陸の復興が遅れるとすれば、それはまた大いに不幸なことである。そう考えると以前から・・・それは中学三年の冬以来・・・何度も足を運ぼいうとしてきた三陸地方に、丁度地震から2年半が経過した時点で、その夢を果たすことができるかも知れない・・・そう私が気づいたのは、家族が一人旅の時間をあたえてくれたからである。一人でしか行けないところへ、わずか1日とは言え、でかけることができるなら・・・私は迷わず被災地を選んだ。そして地図を片手に、どこからどこへ行くべきか連日考えた。
 
私が想像していたより三陸海岸は、ずっと広大であった。岩手県を南北に貫く険しい北上山地が大きな障害だった。ここを東西に移動するだけで何時間も必要だった。すべての町を一日で廻るのはとても無理であった。私は松島までは行ったことがあるので、できればより北の方・・・そこはリアス式海岸がもっとも特徴的な姿を見せるところである・・・に行きたかった。しかし東北新幹線の駅から比較的アクセスの良い場所として、岩手県の南部を選ぶしかなかった。
 
2013年11月22日、私は会社を休み東北新幹線「はやて101号」に乗り込んだ。一関で車を借り、気仙沼の市内へ入ったのは、もうお昼頃だった。

2013年11月30日土曜日

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19(P:ピエール=ローラン・エマール、ニクラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)

限りない数の録音が存在するベートーヴェンのピアノ協奏曲でも、この第2番はもっとも人気のない地味な作品である。けれども私はこの第2番が結構好きである。特に第2楽章。ここのロマンチックなメロディーは、映画か何かの映像作品で使いたくなるようなメロディーだ。モーツァルトに似ているとも言われる初期の作品ながら、ここには紛れも無くベートーヴェンが存在している。

ベートーヴェンはこの曲を第1番より先に作曲している。それは1786年から1795年にかけてとされていて、1786年と言えばまだ16歳、ボンにいた頃である。だがベートーヴェンがこの曲を初演するのは1795年のことで、この時25歳。楽聖はウィーンにいて、はじめての演奏会、すなわちデビューを飾ったのがこの曲によってであった。

この後に初演されたピアノ協奏曲第1番ハ長調のほうがもっぱら明るく快活で、若々しさに溢れている。ともすれば第2番はその陰に隠れてしまっている。けれども、第2番は第1番より先に作曲された。ベートーヴェンのボン時代の作品はほとんど知られていないが、この曲はベートーヴェンの音楽がすでに個性を発揮していたことを良く表している。ところがベートーヴェンはこの曲を出来損ないだと考えていた。何度も改訂を重ねた挙句、取るに足らない作品だと決めつけてしまったのだ。

だが、そんな良くない曲に、私には思えない。特に今回、ピエール=ローラン・エマールがピアノ弾き、ニクラウス・アーノンクールの指揮するヨーロッパ室内管弦楽団の演奏で聞いてみると、この曲の素晴らしさがひしひしと伝わってくる。エマールは大変幻想的に、しかも十分な構えをもってこの曲を演奏し、かといって重くならない繊細さを持っている。何かシューマンの曲を聞くような感じである。そこにはすでにロマンチックな解釈が、この作品に適用可能であることが明確に示されている。

何度も何度も聞いているが、そのたびに好きになり、飽きるどころかはまっていく。録音が美しいので、ヘッドフォンで聞くにも相応しい。ヨーロッパ室内管弦楽団の素晴らしいソリストが、アーノンクールの意図を的確に汲みとっていて、ピアノと綺麗に噛み合っている。完成度が高い。

私はこの演奏を、被災地に向かう朝の東北新幹線の中で聞いていた。晩秋の関東地方は雲ひとつない快晴で、遠くに雪を頂く富士山が美しい姿を見せていた。これから向かう三陸海岸は東日本大震災から2年半以上が経過した今でも、復興はままならないと聞く。まだ旅行したことのないリアス式海岸の街を、思い切って訪ねてみようと思った私は、何曲かのクラシック音楽を携帯音楽プレーヤーにコピーした。そのひとつがこの演奏で、それを朝日を浴びる関東平野を過ぎ去る時間に聞いてみたくなった。

その音楽は私の心象風景とよく合っていた。久しぶりに出かける休暇は、私を自由な気分にさせたが、その目的地に被災地を選んだことで、その足取りは明るくはなかった。すこし曇ってきた福島県の中通りを通過するとき、この心理はまだボンにいて音楽家を夢見るベートーヴェンの不安感と、少しは似通っていたのかも知れない、などと浅はかなことを考えた。だが、かつては何日もかかったみちのくへは、たった2時間足らずで到着した。雲の合間から明るい陽射しが差し込むたびに、オーケストラの間に響くピアノの音に、うまく呼応しているように感じられた。軽やかさとほのかな翳りが入り混じった不思議な時間であった。

2013年11月29日金曜日

シューベルト:交響曲第7番ロ短調D759「未完成」(アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

他にも多くの未完成作品があるというのに、なぜシューベルトの交響曲第7番(旧第8番)だけが「未完成」として有名になっているのだろう、と誰もが考えたであろう。私もその一人であるが、今ではこの曲が、若きシューベルトの心の風景を反映しているかのような作品だからだろうと思う。わずか31歳で夭逝したシューベルトの中でも、この曲を聞くときほどその心の気持ちが淋しくなる時はない。

特に第2楽章に入ると、フルートが、オーボエが、あるいはクラリネットが、次々と物憂げなメロディーを奏で、それに聴き込まれていくうちに、何かとても長い時間が経過したかのように感じる。どこか違う風景の中を旅しているような、しばし身近な事を忘れてしまう時間が来るのである。かつては、そういう演奏ばかりだった。

だが最初にこの曲を聞いた時は、ステレオ装置が壊れているのではないかと思ったものだ。なかなか音楽が始まらず、始まってもボリュームが大きくならない。A面の「運命」はいきなり「ジャジャジャジャーン」だし、おおよそ交響曲の出だしというものは、そういうアレグロだと信じていた私は、何故この曲がこんなに静かな曲なのにそれほど有名な作品であるのか、理解できなかった。序奏が終わっても静か、そしてとうとう第2楽章に至っても、緩やかな三拍子の物憂いメロディーが続く。

「未完成」であるために、この曲の演奏は通常、第2楽章で終わる。何か煮え切らない気持ちがしたものだった。だが私はトスカニーニによる演奏を聞いて、少し考えが変わった。それなりに緊張感をはらみ、アクセントを強調すれば、フォルテもクレッシェンドもある曲だったのである。そして演奏によっては、何か例えようもない位に心を揺さぶる。音楽を聞いてこのような経験は初めてだった。確かその時は、ジョゼッペ・シノーポリの演奏(最初のフィルハーモニア管弦楽団とのもの)だったと思う。

いまこの演奏を聞いても、少し風変わりな演奏だと思う。そしてこのブログを書くにあたって数々の演奏を聞いていくうち、やはりこの演奏に行き着く、というのが、アンドレ・クリュイタンスが指揮したベルリン・フィルの演奏だ。録音は59年頃で私も生まれる前、当然ながら少しノイズがある。だがこの演奏は隠れた名演だと思う。ベートーヴェン全集の付け足しのように録音されたようだが。

ベルギー生まれのクリュイタンスは、ベルリン・フィルから明るい音色を引き出している。しかしそれがシューベルトの暗さと奇妙にマッチして、そこはかとない寂寥感を湛えている。今では珍しくなったルバートをかけるが、それがもたれることもなく、むしろ整っている。溺れそうになるような演奏ながら、理性が優っている。何か、大河ドラマのシーンに流れるような感じで、たっぷりと歌っている。

誰にも認めてもらえないような孤独感。若者の諦観。そういったものがこの曲には溢れている、と私は感じている。秋の深まる季節、木々の葉が木枯らしに揺らされて舞い落ちる。夕方、学校から帰ってくると、私はそのまま机に向かい、試験勉強に明け暮れたものだった。だが、その間中、私は音楽を聞いていた。その音楽は、日が暮れていくと共に深く心の底に入ってきて、私の胸を締め付けた。

シューベルトの孤独。それはこのロマン派の音楽を語る上で欠かせない。父親に見放され、今で言うニート生活をしながら、彼は音楽史に残る名曲の数々を作曲していった。シューベルトにも音楽的な野心がなかったとは言い切れない側面がある。だが、多くの素晴らしい作品は、彼のもっともパーソナルな側面に対して装飾的な想像力を掻き立てる。どういう聞き方があってもいい。だから「未完成」は多くの個人にとって青春の音楽になっている。その苦しさは、全く個人的な胸の底にしまわれた、自分にしか理解できないものであればあるほど、そっとしておいて欲しい。その気持をちを、いつもは忘れているが、この曲を聞く時は思い出す。だから、大人になると「未完成」を聞く機会は減るし、その時には覚悟がいる。

2013年11月17日日曜日

ベルリン・フィル3D “音楽の旅”

2年前の2011年末、新宿の映画館で見た「ベルリン・フィル3D “音楽の旅”」が、いつのまにかブルーレイなどでリリースされている。この作品の感想などを書き残していたので、ここに転記しておく。曲目はマーラーの交響曲第1番「巨人」と、ラフマニノフの交響的舞曲、シンガポール」でのライヴである。

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いつもは目にしない夕刊の映画館のお知らせコーナーを、どういうわけか久しぶりに見ていたら「ベルリン・フィル3D “音楽の旅”」という映画?の上演が新宿であるのがわかった。サイモン・ラトルが指揮をしたマーラーの「巨人」とラフマニノフの「交響的舞曲」となっている。ただのコンサートなのか、それともドキュメンタリー風のビデオ作品なのか、それは定かでないが「3D」とあるので、眼鏡をかけた映像の初体験となるだろう。3500円はちょっと高いが、職場の近くだし少し無理をすればなんとかなる・・・。

 年末の予算編成に忙しいこの時期に私はわざわざ午後の休みを取って、雨の中を新宿3丁目まで歩いた。平日とはいえ結構な人出だが、そもそも新宿3丁目にバルト(Wald)などというドイツ語の映画館なんてあったっけ。何でも13階建て、全部で10以上もの会場がある、そんな大規模な映画館のひとつで上映されている。さすが天下のベルリン・フィルである。

ところが、何と400人以上入る館内に客はたったの15人程度。ロビーへ上がる前に1階の端末にクレジットカードをかざせば、席の予約と決済、それに発券までできるので大変便利。その席を取ろうとしたら、20分前というのに3席しか表示がない。何かの間違いではないかと思ったが、そうではなかった。すぐそばのスターバックスなど空席がないというのに、なんという落差。

さて上映が始まると、港の夜景が映し出された。向こうには高層ビル群。ベルリンにこんなところがあったっけ?と思っていたら、そこは何とシンガポールである。その風景に乗って早くも「巨人」の第1楽章が始まる。普通にスクリーンを見ると、二重に重なっているので慌てて眼鏡をかける。するとタイトルの文字が浮かび上がって幻想的。やがて館内の演奏風景へとスイッチすると、サイモン・ラトルが指揮をしている。ずらりと並んだホルンは、後ろにいくほど遠くに感じられるし、そうかこれは最終楽章のコーダで立って吹くな、などと考えていたら目の前をコンサートマスターの梶本大進の姿が通りすぎていく。

そもそもマーラーを聞くのに3Dという映像効果が必要なのかどうかは不明である。だいたい映像で見るクラシック音楽の演奏風景は、カメラがとらえている楽器をどうしても聞いてしまうので、それだけで少しバイアスのかかった聞き方を余儀なくされるのが普通である(オペラでもそうだ)。今はここに注目しなさいよ、とわざわざ教えてくれるのだ。それを煩わしいと感じる作品は、下手なカメラワークの作品で、NHKのテレビ中継などに多いのだが、さすがはEurodiscの作品だけある(もっともNHKは協賛会社のひとつであるようだ)。

というわけで、3Dの映像に付き合っているだけで疲れてしまい、果たしていい演奏だったかどうかはよくわからない。敢えて言えば、この作品はもっと聴かせどころの多い作品だと思うが、どうもラトルの演奏が中途半端である。合わないような気がする。ベルリン・フィルはさすがだし、音響も見事なのだが、かつてCDで聞いた決定的演奏のハイティンク盤、音楽監督就任時に録画された印象的なアバドの映像などに比べるとあまり進歩がない。

だが、もう一つのプログラムであるラフマニノフで、この組み合わせは本領を発揮した。第1楽章の「真昼」。その迫力ある音楽は、3D効果の挿入画像に不思議にマッチして、何とも楽しい。シンガポールの人々の様々な生活シーンが、遠近感のある大画面に演奏と交互に登場する。 第2楽章「黄昏」は、リラックスした音楽が特に素晴らしく、第3楽章「夜中」にいたっても集中力はものすごい。
ラトルとベルリン・フィルの組み合わせに良く合っているが、このロシアの音楽が熱帯雨林気候の映像と組み合わさるのが不思議に面白い。会場につめかけていたのは、多くが若い人々でブラボー満開の拍手喝采の様子に、シンガポールのようなところにも立派なホールがあるものだと感心させられた。

わざわざ買ってまで見る作品でもないが、ラフマニノフは会心の出来栄えで満足度が高い。3Dである必要もないが、3Dのために作成したビデオ作品として、試行的な位置づけのものとしては話のネタにはなるかも知れない。それにしても大画面をほとんど独り占めのような状態で見ることのできる経験は、私にとってとても貴重であった。コンサートもこのようにして見る時代なのだろうか。

2013年11月13日水曜日

ワーグナー:「ニーベルングの指環」(抜粋)(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、他)

もし私が音楽評論家か音楽家、あるいは少なくともドイツ文学の専門家なら、ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」の演奏について、かなり慎重な書き方をするだろう。金字塔ともいうべきショルティ盤よりも、同じセッション録音ならカラヤン盤の方がいい、などというためには、それなりの論理の展開、理由付け、説得性を持つ言い方をしなければならない。だが、私はワーグナー初心者の単なるファンにすぎず、その経験も多くはないので、ここでは簡単に持論を展開できる。ブログのいいところである。

「指環」のセッション録音は、未だに2つしかない。それがウィーン・フィルによるショルティ盤と、ベルリン・フィルによるカラヤン盤である。デジタル録音が主流になる80年より前には、このほかにライヴ盤としてベームによるバイロイト盤があるだけで、この3組が常に議論の的となってきた。最近になって、ショルティより前にカイルベルト盤が正規録音されていたことが発掘されて、ビデオ盤のブーレーズと合わせれば計5種類が、この時代の録音ということになる。

この中で私はベーム盤のみ全集を持っているが、ショルティとカラヤンについても触れておかないわけには行かない。それがたとえ抜粋による「サンプラー」だったとしても、である。そして今回改めて聞き直してみても、私の結論はやはり変わらない。それはショルティ盤に比べ、圧倒的にカラヤン盤がいいのである。ショルティ盤が、どうしても「性に合わない」ということは先に書いたが、同じ音楽を少し聞き比べただけで、カラヤンの音楽づくりが比較にならないほどいいということがわかる。それを一言で言えば、音楽性がある、のである。

デッカがウィーンでの「指環」全曲録音を始めた時に、まだ若手だったショルティを起用したのは、これほどの長い時間を拘束でき、しかもプロデューサーの意向を反映させやすかったからであろう、と想像する。だがこの企画の最大の功績は、このことによってカラヤンが、ベルリン・フィルを使って自らの「指環」の全曲録音に乗り出したことだろう。マーラーの第9交響曲がバーンスタインのライブに触発されたように、このドイツの帝王は自分が常に音楽界の中心にいないことに我慢ができなかった。

カラヤンはイースターの時期にザルツブルク復活音楽祭を始めるのは「指環」を上演、録音するためだったと言っていい。60年代にはこの2つの企画が同時に薦められ、カラヤン盤はドイツ・グラモフォンから発売された。この2つのセットは、長年「指環」の2大横綱だったが、先行したショルティ盤の方が、往年の大歌手を揃えていることに加え、レコード会社の販売戦略も功を奏し、はるかに大きなポジションを占めている。

だが、私はカラヤンによる演奏が好きである。この抜粋版CDはわずか1枚に収められているので、1000円もしなかったが聞きどころ満載、このコンビの絶頂期が満喫できる。ザルツブルク音楽祭に合わせてひとつづつセッション録音されたため、歌手の一部は入れ替わっているが、統一的な音楽づくりによってカラヤン美学が堪能でき、違和感がない。

初めて聞いた時、私はカラヤンのワーグナーがこれほどにまで美しく心を打つことに感激した。他の演奏では感じなかった魅力が、この演奏には溢れている。力強いワーグナーも悪くはないが、心を落ち着けて聞く深い味わいは、上質のワインと料理のように、歌と音楽の見事なブレンドを醸し出す。ショルティ盤と違い、バイロイトを意識してか、少しエコーのかかったビューティフルな音色で統一されている。

ベルリン・フィルの豊穣で、かつ重くなりすぎない音楽が、もしかしたらこの録音の主役かも知れない。それも含めてカラヤン流で固めたワーグナーは、もし北海道の一軒家にでも移り住むことができれば、今日は「ラインの黄金」、明日は「ワルキューレ」などと毎日のように全曲を、朝から一日中鳴らして過ごしたい、などという夢のような思いを掻き立てる。 カラヤンがこの時期に「指環」を完成させていたことを神に感謝すべである。これはカラヤン芸術のひとつの頂点であると思う。


【収録曲】

1. 楽劇「ラインの黄金」より「ラインの黄金」
2. 楽劇「ヴァルキューレ」より「冬の嵐は過ぎ去り」
3. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴァルキューレの騎行」
4. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別」
5. 楽劇「ヴァルキューレ」より「魔の炎の音楽」
6. 楽劇「ジークフリート」より「溶解の歌」
7. 楽劇「ジークフリート」より「ブリュンヒルデの目覚め」
8. 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデ!聖なる花嫁」
9. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートの葬送行進曲」

ヴォータン:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ、トーマス・ステュアート
ジークムント:ジョン・ヴィッカーズ
ジークリンデ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ
ジークフリート:ジェス・トーマス
ブリュンヒルデ:ヘルガ・デルネシュ

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

2013年11月12日火曜日

ワーグナー:「ニーベルングの指環」(抜粋)(ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、他)

ワーグナー・イヤーの今年、持っているワーグナーのCDをできるだけ聞いて書き留めておこうとしている。そしてとうとう「指環」の抜粋盤を取り上げる時が来た。その中に、レコード録音史上最大の遺産であるショルティの演奏を避けて通るわけには行かない。だが、そもそもこの演奏はそんなに素晴らしいのだろうか。これを書くことは大変な勇気がいる。他にも無数の人がコメントを書いているからだ。

以下は私が初めてこの抜粋版のCD(2枚組)を聞いた時に書いた文章だが、この時の感想に今もさほど違いがない。このときはあまり意識しなかった大歌手たちも、なぜか迫力に乏しいと感じているのは私だけかも知れないが。たとえば「ワルキューレ」におけるヴォータン役のハンス・ホッターも、第3幕ではまるでジルダを愛するリゴレットのようだし、相手のブリュンヒルデを歌うビルギット・ニルソンってこんな声だったのか?と思ってしまった。何せオーケストラが、あちこちから事あるごとにでっかく顔を出す。

さらには「ジークフリート」のタイトル・ロールを歌ったヴォルフガング・ヴィントガッセンも録音のせいか、時に弱く感じる。録音が時に音飛びがするような色あせも見えるし、それをものともしないショルティの終始強引な指揮は、それが一貫しているということを良さと考えるべきか、一本調子と考えるべきか悩む。

これはまだ「指環」をきっちり聴きこんでいない私の、現時点での感想である。歌手について、もう少し頑張って聞けば、理解が進むのかも知れない。けれども音楽の陶酔が得られない点はどうしようもない。アルコールの入っていない炭酸飲料のような録音は、隅々にまで明瞭で迫力も十分だが、ラインの川底であれワルハラ城であれ、同じ場所にいるように聞こえる。

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クラシック音楽鑑賞を趣味とする者にとって、一生に一度は手を出さないわけには行かない録音というのがある。その代表例で、おそらく最高峰のひとつがショルティを起用してウィーンで行われた史上初のスタジオ制作の「指環」である(同様の「必聴盤」にはフルトヴェングラーの「第九」、ワルターの「田園」などがあるが、これらはどちらかというと我が国固有の現象である。ショルティの「指環」は世界的規模のそれであって、そういう意味ではカラスの「トスカ」などに相当するが、それらですら及ばない規模の企画であった)。

宇野功芳という音楽評論家がいるが、彼はその著書「宇野功芳のクラシック名曲名盤総集版」の中で、指環のCDを取り上げている。その中で推薦盤として、往年のクナッパーツブッシュやクラウスの演奏、あるいはベーム盤を取り上げるかと思いきや、わき目も振らずこのショルティ盤がいい、というのである(この本の面白さはその意外な推薦盤である。ちなみにこの時点でまだカイルベルトの正規録音は発売されていない)。

だがこの「リング」、批判を恐れずに言えば少し過大評価されているようにも思うのは私だけだろうか。その原因はひとえにショルティの指揮にある。彼は果たしてワーグナーに相応しい指揮者だったのか、ということである。

この演奏を聞くたびに、ワーグナーってこのような音楽だったのかな、と思う。独特の陰影に乏しく、メロディーの流れが自然に聞こえない。細部までクリアに聞こえるのは録音のせいだとして、それが自然に耳に馴染んでいかないのである。もっとも抜粋盤は、その中でも聴きどころを集めた、言ってみれば「プロ野球ニュース」のようなものだから盛り上がるシーンの連続とは言え、やや無理な興奮のしっぱなしかも知れない。これが何時間も続くとき、何かしっくりこないのである。歌手もぎこちなく歌いにくいのではないか。ドイツの深い森に入り込む雰囲気がしないのだ。酔わない、とでも言おうか。

ウィーン・フィルはここでも素敵だが「リング」の演奏がウィーン・フィルである必然性はない。ホルンの美しさなどはさすがだが、いつまでも浸っていたいような音色ではない。なんとなくうるさすぎるので、歌手の声に集中できないことがある。第一級のワーグナー歌手を揃えているし、それがこの録音の魅力であるのだが、それが引き立つかと言えば、私の聴き方が悪いのかもしれないが、カラヤンやベームの録音に軍配が上がる。

カイルベルトによる55年の正規録音は、世界初とされていたこの「指環」のステレオ全曲録音の存在を曇らせるものだった。実際、このカイルベルト盤はほとんど試行段階のステレオ録音ながらその音色は色あせていない。だが発売間もないCDで高価である上、抜粋盤も出ていないようだ。

話をショルティ盤に戻すと、このディスクがやはり世評の高いものであるとするなら、私にとっては「性に合わない」という結論になるのではないかと思う。ショルティの指揮がダイナミックで、特に「神々の黄昏」では物凄い盛り上がりを見せる(このメイキング・ビデオも発売されていた。モノラルのBBCドキュメンタリーで、ショルティはチャンバラ映画を早送りしたような身振りでウィーン・フィルを奮いたたせている)。

歌手、ウィーン・フィル、そして独特の効果音を散りばめた録音芸術の集大成を敢行したプロデューサーのカルショウ、と他の追随を許さない魅力があることは確かだが、ワーグナーに必要な何かが欠如していると思えてならない。ショルティはバイロイトに招かれたが、わずか1年しか指揮台に立たなかったことが思い起こされる。

結論的言えば、デジタル以前に録音された「リング」に関する限り、独自の洗練をみせるカラヤンを別格にすれば、ワーグナーの自然で十分に熱狂的な演奏は、ベームのライヴ盤に勝るものがないのではないだろうか、ということになる。

以上が抜粋盤を聞いた現時点での私の総括である。それぞれにそれぞれ特徴のある「リング」のディスクも、デジタル録音や映像が主流となる80年代以降の分を合わせて考慮すると、状況はより複雑となる。ただ「指輪」ともなるとどの演奏を選んでもきっちりと念入りに作成され、それなりの評価を持っているので飽きるということはない。ショルティの演奏も、それをどう評価するかは、一通り聞いてみた後でないと決められないし、もしかするとより多くの魅力を見逃している可能性もある。

【収録曲】

1. 楽劇「ラインの黄金」より「前奏曲」、「ヴァイア・ヴァーガ」
2. 楽劇「ラインの黄金」より「ヴァルハラ城への神々の入城」
3. 楽劇「ヴァルキューレ」より「冬の嵐は過ぎ去り」
4. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴァルキューレの騎行」
5. 楽劇「ヴァルキューレ」より「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」
6. 楽劇「ジークフリート」より「鍛冶の歌」
7.楽劇「ジークフリート」より「森のささやき」
8. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートのラインへの旅」
9. 楽劇「神々の黄昏」より「ジークフリートの葬送行進曲」
10. 楽劇「神々の黄昏」より「ブリュンヒルデの自己犠牲」

ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ヴォータン:ハンス・ホッター
ミーメ:ゲルハルト・シュトルツ
ジークムント:ジェームズ・キング
ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン

ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

2013年11月9日土曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第12回目(1986年3月)


大学入試が終わり合格発表までの間に、別の大学の入学金の締め切りがやってくる。このため第1志望の学校に合格する可能性があっても、もし不合格だったら入学する可能性のある第2志望の学校に、入学金を納めなくてはならない。この詐欺まがいの習慣のため、私は数十万円をバッグの中にしのばせ、東京の同じW大学に合格した予備校の友人2人と、夜行列車に乗って行く事になった。入学試験の時には新幹線で上京した私たちも、今回は時間が十分にある。しかも他にすることもない。2人は熱心という程でもないが、鉄道旅行が好きだということだったので、私たちは1泊で出かけることになった。

大学の入学手続き会場は9時頃に開くので、私たちは朝4時台に到着する大垣夜行に乗っても、6時間近くを東京近郊で過ごす必要があった。このため私たちは用事もないのに、開通したばかりの京葉線の始発列車に乗って、当時の終点だった千葉みなとまで行き、さらに引き返して南船橋から武蔵野線に乗って、満員の通勤電車を武蔵浦和まで。そこから埼京線に乗りかえて池袋に行くというマニアックな計画を立てた。これで高田馬場にある大学へは、朝ごはんを食べても一番に到着できる。帰りはいくらなんでも新幹線で、この時その後どのようにして時間をつぶしたかは思い出せない。

問題は大垣を出発する夜の10時頃まで、どうやって過ごすかということである。「青春18きっぷ」は日付が変わってから丸一日が有効なので勿体無い、ということになり、誰が決めたか忘れたが、丹後半島をローカル線の旅をしようということになった。大阪駅に集合した私たち4人は、たしかそのまま姫路に向かい、そこから播但線に乗って豊岡へ出た。この区間は結構な混み具合で、春とはいえ肌寒い中をコトコトと走る。窓ガラスが曇り、私も眠っていたと思う。

豊岡からは宮津線の乗り換え、丹後半島を一周する。現在は北近畿タンゴ鉄道というそうだが、当時は国鉄宮津線で、ここも結構混んでいた。峰山という一番大きな駅を通ったのを覚えている。ここは野村克也の生まれたところである。

終点の西舞鶴から舞鶴線で綾部に出て、そこからは京都まで山陰本線。これで夕方になった。どの線も結構な混雑で私はなんでこんなことをしているのだろうと虚しくなった。同行の連中もみなおしだまったまま、東海道本線に乗り換え、列車は夜の大垣に着いた。

大垣発の夜行普通列車は、このあとJRになってからも2回ほど利用している。1回目は大学3年生の春で、自動車運転免許取得のための合宿に向かう1990年の3月だった。私と高校時代の友人のU君は、山形県の赤湯温泉の宿舎に滞在することになり、やはり出費を抑えるべくこの列車を利用した。嬉しい事に朝一番の東北本線に乗ることで、福島から奥羽本線に乗り換えて午後には赤湯駅へ到着した。

その次は同じ1989年の7月であった。このときはインドへの海外旅行の出発時で、私が利用する航空会社の飛行機は成田空港発着だった。私は料金を安くあげる必要と、午前11時には空港へついていなければならないことなどからこの列車を利用したのだった。ただこの時は片道のみの利用だったから、私はグリーン車を利用した。

大垣夜行はこのようにJR時代になっても走っていたが、とうとう2009年には臨時列車となってしまった。愛称も「ながら」というもので、長良川からとった名称だとは思うが私には愛着を感じない。いやそもそも鉄道旅行という変な旅行も、私が大学に入るとあまりしなくなってしまった。高校生の時とは違って、ただ鉄道に乗るだけの旅行は、もはや楽しみではなくなった。加えて全国のローカル線が廃止の憂き目に合うことの寂しさがあ、このことを助長した。大学に入ると私は、かねてから行きたかった北海道へ旅行し、これがほとんど最後の鉄道旅行となった。国鉄最後の日は、私が大学に入学した日には、わずか1年後に控えていたのだった。

2013年11月7日木曜日

ヴェルディ:歌劇「オテロ」(1990年3月19日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)

アレクサンダー・ヴェルナーという人が書いたカルロス・クライバーの伝記「ある天才指揮者の伝記」には、この指揮者のすべての演奏の記録が詳細に記述されている。私はクライバーの演奏会を2度経験しているので、その項を図書館で借りて読んでみた。その一つが1990年3月のニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「オテロ」公演である。

そこには当時の新聞評からの抜粋として、「メトロポリタン歌劇の長い偉大な歴史の中でオーケストラがこれほど緊張と興奮に満ち、感動的な演奏をしたのをだれも聴いたことはなかった」と書いてある。私はその5回に及ぶ公演のうちの最終回を、1階のオーケストラ席後方で見ることができたのだった。だが、これは幸運であった。

当時大学生だった私は卒業旅行と称してアメリカ各地を周り、最後には伯父の住んでいるニューヨークへ向かった。ボストンから乗るはずだったグレイハウンドのバスがストライキで運休となり、あろうことか満員で立つ人までいたアムトラックに5時間近く揺られてマディソン・スクエア・ガーデン近くのペンシルヴェニア駅に着いたのは、もう夕方だった。伯父が迎えにきてくれたが、彼は私をウェストチェスターの家に連れて行ってくれただけでなく、1週間以上にも及ぶ滞在を許してくれたのだった。伯父もクラシック音楽が好きで、単身赴任の間は毎日のようにコンサートに通っていたから、当時の出し物は把握していた。そして丁度その時にクライバーを迎えての、ゼッフィレッリ演出のヴェルディの歌劇「オテロ」を上演中だったのである。

一連の公演のうち最終回の日に、私はマンハッタンに出向き、伯父のはからいでリンカーン・センターに出かけた。もちろん席はすべて売り切れだった。クライバーは前年ロンドンで、やはり「オテロ」を指揮し、圧倒的な成功をおさめていた。この時の演出はモシンスキーであったが、歌手は同じだった。すなわちプラシド・ドミンゴの外題役、カティア・リッチャレッリのデズデモナ、それにフスティノ・ディアスのイアーゴという、豪華三役揃い踏みである。

伯父は劇場の前にたむろしていたダフ屋の一人に声をかけ、120ドルだったかの席を200ドルくらいで買ってくれたのだと思う。伯父はそのまま6番街のオフィスへ戻り、私は8時の開演時間を待った。人生二度目のオペラ体験は、ローマでの「トスカ」に続き何とクライバーの「オテロ」だった。

第1幕の冒頭でいきなり嵐のシーンが鳴り響き、一気にヴェルディの世界に引き込まれるこの歌劇は、ただでさえ迫力満点だが、何せクライバーである。私はストーリーもあまり知らず、当時のメトにはもちろん字幕などないにもかかわらず、ノックアウトされたような興奮に襲われたことを鮮明に覚えている。上記の書物によれば、クライバーが「竜巻の猛威」で「オテロ」を開始した時、ヴァイオリン奏者の女性は、「あおられて立ち上がらんばかりになった」。アンネ・ゾフィー・ムターもこの上演を見て「驚嘆に値します」と興奮気味に語っているという。

メトのオーケストラとクライバーはとても素晴らしい関係にあったことを、この伝記はまた伝えている。そしてクライバーは同じ1990年の秋に再びメトの指揮台に立ち、ジェームズ・レヴァインの計らいで「ばらの騎士」を指揮したことが記されている。だが、これがクライバーのニューヨークでの最後の公演となった。クライバーの「オテロ」は、ソニーが録音を計画しながらも、ドミンゴのスケジュールが合わなくて断念したことも、この伝記によって知った。私がクライバーを見たのもこの時が最後であった。

第3幕が終わったのは11時半を回っていた。ウェストチェスターに向かうメトロ・ノースの最終電車は、グランド・セントラル駅を12時半には出発する。このため私はカーテンコールもそこそこに地下鉄に飛び乗った。治安の悪さで悪名高いニューヨークの地下鉄も、ブロードウェイの劇場が一斉に跳ねる夜半前後だけは安全だと聞かされていた。私はドミンゴ、リッチャレッリとともにカーテンの前に姿を現したクライバーの記憶が鮮明に焼き付いている。だがその音楽は、興奮のあまりか、よく覚えていない。CDもDVDも発売されていないので確かめる術もないと諦めていた。ところが最近、YouTubeに全編がアップされていることを発見した。この映像を私は迷わずダウンロードし、大切にハードディスクとDVDに収録した。

2013年11月4日月曜日

チャイコフスキー:歌劇「エフゲニー・オネーギン」(The MET Live in HD Series 2013-2014)

チャイコフスキーの最も有名な歌劇「エフゲニー・オネーギン」を見る際に留意しなければならないことのひとつは、この作品がまだロシア帝国時代の農村を舞台にした物語であるということだ。プーシキンの原作によれば1820年頃である。当時のロシアの農民は悪名高い農奴制による搾取の中で貧困にあえいでいたが、姉妹の育ったラーリン家は多くの小作人を擁する家庭だった。

姉のタチアーナが読書好きで、夢見がちな少女だったことからは、彼女は字が読めて書ける教養を身につけることができるだけの裕福さがあったことがわかる。しかしタチアーナは16-17歳、妹のオリガは13-14歳頃だろうか。その年老いた乳母が結婚をしたのも、その年頃だった。妹オリガにはもう婚約者がいて、その婚約者の友人オネーギンに一目惚れしたタチアーナは、第1幕第2場の冒頭で乳母に、過去の恋愛体験を訊ねる。だが、「私の時代はそういうものとは無縁だった」と語るシーンがなぜか心に残った。

ロシアでも西欧の自由に目覚める風潮が、徐々に影響を及ぼしてきた時期である。ロシアの農村風景は、このラーリン家の屋敷からは直接見えない。だが、今回のビデオでは各幕の最初に背景となったロシアの風景を映し出す。秋の終わり頃、作業を終えた農民たちの合唱が響く。貧しくともそれなりに平和な風景ということになっている。タチアーナはその夜、夜を徹して恋文をしたためる。ここが有名な「手紙の場」である。タチアーナを歌ったアンナ・ネトレプコは、まだ若い村の娘の揺れ動く心境を、十数分にわたって母国語でたっぷりと歌いあげた。その堂に入った演技はまさに「ネトレプコの歌」であった。

だがオネーギン(バリトンのマリウシュ・クヴィエチェン)は、タチアーナの告白を受け付けない。ここのやりとりなど、実にストレートで見ていてよくわかるストーリーは、常に神話がかるワーグナーや、挿話の多いヴェルディなどにない「良さ」である。加えてチャイコフスキーの叙情的なメロディーが美しく、すぐに口ずさめる歌こそないものの、しみじみと聞き応えがある。

オネーギンはタチアーナを拒否するのだが、ここでの彼の振る舞いは事前に読んだ「あらすじ」よりももっと思慮深いもののように思えた。彼はあくまでタチアーナに対し丁寧であった。オネーギンとて24歳の若者である。彼が自分を結婚に相応しくないと自覚していたからこそ、彼女に対して丁重であったと思う(私は結構オネーギンに同情的である)。

妹のオリガ(メゾソプラノのオクサナ・ヴォルコヴァ)の婚約者レンスキーは、クヴィエチェンと同じポーランド人のテノール、ピョートル・ベチャワによって歌われた。一途な詩人ということになっているが、あまり詩人という感じではなく、むしろ普通の好青年である。だが彼も若すぎた。その自尊心故に、第2幕の「決闘の場」においてオネーギンに鉄砲で打たれるのだ。対角線上に離れ、振り向いて鉄砲を撃ち合うシーンは、戦慄を覚えるような迫力満点で、歌の見事さもさることながら、演技の上手さが光る。おそらく歌の自信が演技にも余裕を与えたのであろう。

指揮者のワレリー・ゲルギエフの指揮ぶりは何も言うことはないが、そのゲルギエフのインタビューは簡潔ながら大変興味深い。ゲルギエフはネトレプコを見出した指揮者だが、彼女ほど熱心に練習をした歌手はいなかったと付け加える。デボラ・ワーナーの演出は、舞台を台本通りの時代設定のままとし、各場面において主張しすぎないものの、十分に歌手を引き立たせる効果的なものだった。

第3幕になると舞台は一転、冬のサンクト・ペテルブルクの社交界である。何本もの宮殿の柱がそびえ、その合間を縫うように有名なポロネーズに乗って舞踏会が開かれる。チャイコフスキーの音楽は、独特の陰影を持ちつつも華やかである。数年間の放浪の旅を終えたオネーギンは、偶然にもタチアーナに出くわす。今やグルーミン公爵の妻となったネトレプコは、ワインレッド色のドレスを身にまとい、貫禄ある夫人として登場する。この変化も見事だが、最後のシーンで再び揺れ動く心境の変化を見事に歌い上げるのは、オネーギンも同じである。再開した2人によるドラマチックな二重唱は聞く者を惹きつける。それでも「過去は呼び戻せない」と、今度はタチアーナがオネーギンの願いを拒絶する。

一瞬、音が途切れ空白の時間が過ぎる。最後の圧巻のシーンは、ここに書くのが惜しい。この幕切れを、オペラとしての充実度に乏しいとする意見に私は反対である。少なくとも今回のワーナーの演出で見たラスト・シーンは、私を硬直させるほどの感動に導いた。

このオペラの主役はタチアーナだという人がいるが、わたしはやはり標題役のオネーギンだと思いたい。彼は自分の立場が不幸だと嘆きながら、より不幸となってしまう宿命を帯びている。自己憐憫の塊のような主人公を、なぜか私は憎めない。思うに次々と変わっていく女性に比べると、男というのはいつまでたっても変われない不器用なものだと改めて思う。彼はそのことが最初から少しわかっていたから、タチアーナを拒絶したのではないか。若いということが、実はこれほどの悲劇を生むという危険性を宿しているという点で、このオペラに「カルメン」と同様なものを感じる。

思えば声が非常にアップで録られ、実際にはこんな風には聞こえないというビデオ収録である。何となく「口パク」の雰囲気もなきにしもあらずだ。だが、そんな心配は最初の30分しか感じなかった。ロシア物を自分の音楽として演じる3人のベテラン歌手たちと、チャイコフスキーの第1人者ゲルギエフの指揮によって、とかく馴染みのなかった「ロシア物」への扉が開かれた。今年のMETライブはこれに続きショスタコーヴィチの「鼻」、ボロディンの「イーゴリ公」、さらにはドヴォルジャークの「ルサルカ」と、スラヴ系オペラの見どころが続く。レヴァインの復帰が予定される「ファルスタッフ」や「コジ・ファン・トゥッテ」と並んで今から待ち遠しい。

2013年10月27日日曜日

モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」(2013年10月26日、新国立劇場)

モーツァルトの「フィガロの結婚」ほどよく語られるオペラはない。オペラに関するあらゆる書物で、初心者向けの「最初に聞くべきオペラ」の筆頭は、ほぼ間違いなく「フィガロ」である。あるいはもう少し本格的な音楽史、オペラの専門的な分野の書物でも、「フィガロ」は重要な作品と位置付けられている。モーツァルトの伝記でもそうだ。そして人気の点でも、また上演される機会の多さにおいても、これほどよく知られた作品はない。

そうであれば聞き手の作品への期待は一気に高まる。音楽は全編にわたって素晴らしく、歌が耳を魅了してやまない。歌手たちの演技やその在り方においても、限りない数の解説がなされている。発売されているCDも多い。古くはエーリヒ・クライバーやカール・ベームの、古き良きウィーンの演奏から、古楽器奏法により一世を風靡したアーノンクールやガーディナーの歴史的録音、アバドやカラヤンの個性的な名演奏まで、いずれも評価が高い。

そのような「フィガロ」を、私はこれまで一度も見ていない。それは不思議な事で、実際、モーツァルトの他のオペラ、すなわち「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」「コジ・ファン・トゥッテ」の実演はすでに経験済みである。一度でいいから「フィガロ」をと思いつつ、これほどよく上演されるオペラもないので、いつでも見られるだろうと、思っていた。だが、そう言っていてはいつまでたっても機会がない。丁度、新国立劇場の新シーズンに、これまで何度も上演されてきたアンドレアス・ホモキのモノクロな舞台が登場する。ここ数年は、新国立劇場で数々の名演奏に接することができているので、これを見逃すこともない。妻はモーツァルトのオペラを見たいと言い出したので、私は迷わずチケットを買った。

今秋何度目かの台風の到来となった土曜日の午後だったが、第1幕の終わる頃には晴れ間ものぞかせた。だが少なくともそれまでの舞台を見た私には、これほど閉塞感のあるオペラは初めてである。いくつかの評価すべき事柄を差し押さえて、この上演は完全なる失敗であったと言わざるを得ない。私にとってのオペラ体験の中で、これほど失望を味わったことはない。その理由を以下に書こうと思うが、これを書くまでに私はなかなかショックから立ち直れなかった。だが、少なくともこれは個人的意見である。私の後に座っていた若い女性グループは、その会話内容からとても感心した様子であった。見る人によっては、名演であった可能性もないわけではない。

失望に終った主な原因は、歌手の力量不足(フィガロ、伯爵、それにケルビーノ)である。声が出ていないことに加えて、表情に乏しい。このことによって好演していたその他の歌手(伯爵夫人、スザンナ)が沈んでしまった。アンサンブルも大きくは乱れていないものの、共鳴し合うところがない。「フィガロ」の命とも言うべき部分が、これで引き立つことがなく、ただ長いだけの結婚式のたわごととなった。

指揮(ウルフ・シルマー)と東京フィルハーモニーは悪くないどころか、非常に良い。合唱もしかりである。演出はどうか?2003年以来続いている、白と黒の四角形で構成される(だけの)評判の演出について、私は好感を持っている。ダンボール箱とタンスだけの道具は、時折スポットライトの色が変わる以外は、ずっとそのままである。壁が徐々に傾いて、最後は舞台自体が傾く。衣装も徐々に簡素になっていく。このことが「フィガロ」の最も重要なメッセージの核を浮き立たせる。絶対的な価値観の喪失と人間性への賛美。どこでも十分に語られている「フィガロ」のメッセージは、それだけを残した形で舞台で表現される。

このような必要最低限にまで一般化され、贅肉を削ぎ落した演出では、集中力を維持しつつ早いテンポで一気に聞かせる伴奏がふさわしい。問題はそのようなオーケストラと演出に、ついていけていないのである。歌手の実力からすれば、高すぎるレベルの演出であったと思う。

フィガロは代役となったイタリア人のマルコ・ヴィンコ。彼はバスの声である。どちらかというとお調子者のフィガロには不向きである。それを逆転できるほど個性が際立たない。フィガロの人間味が出ないのでは、舞台は白けてくる。これが一番の原因である。一方のスザンナは日本人として抜擢された九嶋香奈枝であった。彼女は最高に素晴らしく、この舞台で一人気を吐いていたが、そのことがかえって気の毒であるように感じられた。

もう一人の成功はマンディ・フレドリヒの歌った伯爵夫人で、この素晴らしいソプラノはスザンナ以上に板についており、第2幕の冒頭のアリア「愛の哀しみ」では唯一のブラーヴァを誘い、第3幕の「楽しい思い出はどこへ」では、眠くなる聴衆を一気に覚醒させるほどだった。しかしアルマヴィーヴァ伯爵のレヴェンテ・モルナールは、この役を演技の上では楽しませたようにも感じられたが、歌唱の点では平均点以上の出来栄えとなったとは思えない。少なくともそのように感じでしまう。

ミス・キャストはケルビーノのレナ・ベルキナにも言える。このおませなズボン役は、もっと大胆に歌を表現して欲しかった。2つの重要なアリアである第1幕の「自分で自分がわからない」と第2幕の「恋とはどんなものかしら」は、まったく共感が感じられる歌い方ではなく、いずれも完全な失望に終わると、いったい何を評価すればいいのだろう。フィガロの「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」と合わせて大きな不満となった前半では、フィナーレで畳み込むような快速の演技も、何か台本を追っているだけのように感じられた。

それに比べると竹本節子のマルツェリーナは悪くなかった。いや3番目に良かった。彼女の相手であるバルトロの松井浩、バジリオを歌った大野光彦、さらにはバルバリーナの吉原圭子はみな好演していた。総じて伯爵夫人を除けば、外国人の出来が悪く、日本人の出来栄えがいい。こういうことならいっそ、オール・ジャパンでやってはどうかと思ってしまう。

指揮者のウルフ・シルマーは私が90年代の前半にNHK交響楽団を指揮したコンサートが大変感動的で、今回非常に期待した。その通り、この演出が救われない大失敗になることを辛うじて防いだ。上演後、短いカーテンコールが終わると、足早に会場を出た。期待が高すぎたのがいけなかったのか、もうしばらくオペラを見る気がしなくなってしまった。こういうこともあるのだろうと、自分に言い聞かせた。

(追記)
しばらくたって、東フィルの演奏はそんなに良かったのか、と思うようになった。序曲の最初から音はやや抑え気味であった。これは歌手の声とのバランスを考慮してのものかと思った。今でもそう思っているが、そのことでモーツァルトの音楽がいつも鳴り響いている感じに浸ることはできなかった。そういう意味で結果的に、満足の行く出来ではなかったとも思う。

2013年10月25日金曜日

ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲ヘ長調「秋」RV293(Vn:ギドン・クレーメル、クラウディオ・アバド指揮ロンドン交響楽団)


村人たちは歌や踊りで、
大いなる収穫の喜びを祝う。
人々はバッカスの酒に紅潮し、
ついには眠りに落ちる。
 
おだやかな空気が心地良く吹くと、
歌と踊りはやがて消えてゆき、
すべての人々を、
心地よい眠りに誘う。
 
夜が明けると狩人たちは、
手に角笛と猟銃を持ち、
犬を連れて狩りに出る。
 
獣たちは逃げ、狩人たちは追いかける。
銃声と犬の鳴き声に驚き、
傷つき怯えて疲れ果て、
追いつめられて息絶える。

いつまでも暑いと思っていたら、いくつもの台風がやってくると、あっという間に寒くなった。秋という風情にはいささか乏しいが、この季節はまた音楽が聞きたくなリ始める季節でもある。

ヴィヴァルディの「四季」ほど何種類もの演奏が録音され、さらにはビデオ作品においても様々な試みがなされる曲はない。それはやはりこの曲の親しみやすさと表現上の多彩さを受け入れる余地、つまり曲が見事なまでに素晴らしいからだろうと思う。こんなバロック音楽はほかにない。

ソビエト生まれのヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルは何とここでアバドと競演をしている。その演奏は極めて個性的だ。こんな演奏は他にはないと思うが、それもまた「四季」だから可能な表現だろう。その中で一番完成度の高い部分は「秋」ではないかと思うに至った。クレーメルは演奏の主導権を握り、時にアバドの指揮さえも挑発している。だが「秋」にはそのいい部分が表れているようだ。

第2楽章の、心地良い眠りにうとうとするような静かな部分を、ロマン派の曲であるかのように演奏する。ロンドン交響楽団はこの時期のアバドのパートナーで、研ぎ澄まされた鋭角的な表現が印象的だったが、それは今の時代を先取りしてた。

秋は私の一番好きな季節で、毎日続く快晴の日々に、すこしづつ紅さを増していく木々のこずえに何とも言えない寂しさを感じたものだった。だがここ数年は、まったくそのような気持ちになれない。異常気象のせいなのか、それとも個人的な心境の変化なのか。あるいはまた、自然のない大都会での暮らしが季節感を奪っているのか。

そういえばアバドの指揮した「四季」にはもう一枚、ヴィクトリア・ムローヴァとの演奏もある。こちらのほうが落ち着いた演奏だが、逆に、真面目すぎて物足りない。やはり「四季」は衝撃的なまでに攻撃的で、センセーショナルなものがいい。

2013年10月22日火曜日

オッフェンバック:歌劇「ホフマン物語」(パリ・オペラ座・ビューイング2012-2013)

昨シーズンに始まったパリ・オペラ座ビューングのうち、オペラに関するもので見落としていた「ホフマン物語」を見ることで、すべて見たことになる。その他は「カルメン」「ジョコンダ」「ヘンゼルとグレーテル」「ファルスタッフ」である。これらは事前の期待とは裏腹に、どれもなかなかの出来で、結構楽しむことができた。この「ホフマン物語」はとりわけ感動的なものであったが、その理由はロバート・カーセンによる天才的な演出によることが大きい。指揮はトマーシュ・ネトピル。

プロローグでは歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の幕間にバーのカウンターができあがる。そこまでの展開にも目を見張るが、横一線に立て付けられたカウンターの上で、ホフマン(テノールのステファノ・セッコ)は「クラインザックの物語」を歌う。舞台には合唱団の他に数多くの登場人物がいるが、あらすじを読んでその人々を理解しようとしないほうがいいかも知れない。

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」に登場する3人の女性、すなわちドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラ、それにマルツェリーナというキャラクターの違いが、この「ホフマン物語」にそっくりコピーされている、とカーセンはインタビューで答えている。彼女たちはすなわち、ジュリエッタ(ソフィ・コッシュ)、アントニア(アンナ・マリア・マルティネス)、それにオランピア(ジェーン・アーチボルト)ということである。もう一人、ホフマンが恋文を奪われてしまう憧れの女性がステラだが、一般的な解釈ではこのステラの3つの側面が、それぞれこの3人の女性の姿であるという。

「ドン・ジョヴァンニ」になぞらえる見方は、私にとって興味深いものであった。ホフマンにはミューズの化身で親友のニクラウス(メゾ・ソプラノのケイト・アルドリッチ、ズボン役)がいて、常にホフマンに付きまとうのだが、彼こそ「ドン・ジョヴァンニ」におけるレポレッロのような感じである。

第1幕ではオランピアの登場で、ここは本作品のもっとも大きな見どころだといつも思う。機械人形に扮したコロラトゥーラの長大なアリア「生け垣に小鳥たちが」は、そのへんてこりんな仕草と相まって見るものを沸き立たせる。ここでのアーチボルトの演技も見事という他はなく、彼女の独壇場であった。機械人形を組み立てたスパランザーニ(テノールのファブリス・ダリス)は、汚れた白衣をまとっていて、これも見応え満点。

今回の上演では、3人の女性の役はそれぞれ別のソプラノによって歌われたが、悪魔の役であるリンドルフ(上院議員)、コッペリウス(人形細工師)、ダペルトゥット(魔術師)、それにミラクル博士(アントニアの医師)はひとりのバリトン歌手、フランク・フェラーリによって演じられた。この4人は各幕でそれぞれ登場し、ホフマンの恋愛の邪魔をする。彼のたくらみはことごとく成功し、そこが数々の女性をものにするドン・ジョヴァンニと決定的に異なる点だ。

第2幕は一転、イタリア・オペラの様相を呈する。それもそのはずで、ここはオペラハウスの舞台である。通常の舞台の位置にオーケストラ・ピットがこしらえられ、その中でアントニアが登場、亡き母から受け継いだ美しい声を出して歌いたいが、これが禁じられている。彼女は歌うと死んでしまうほど病弱になっているのである。だがホフマンが静止するにもかかわらず、医師にそそのかされて歌ってしまった彼女は死に絶えるのである。ここの重唱を含む音楽は、まるでヴェルディのオペラのようだ。そういえばプロローグで、ホフマンが過去の恋を思い出すところのメロディーは、まるでワーグナーの音楽を思わせる和音がだと思った。もしかしたらオッフェンバックはこのオペラで、少しパロディを付け加えたのかも知れない。

1時間もある長大な第2幕は、オペラとしての見どころが多いが、ここで舞台の上に出来上がっていたもう一つ上の舞台の幕が開いて、アントニアの母親が登場するあたりは素晴らしいと思った。そして幕切れではオーケストラが登場し、指揮者がタクトを振り下ろす。その見事な演出は鳥肌が立つくらいだ。

第3幕は幕が開くと、今度はオペラの客席がこちらを向いている。何列もに並べられた座席が交互に揺れると、丸で波が立っている海のようだ。その揺れに合わせてあの舟歌が歌われると、やはりこの演出家は天才だと思った。そこへ入ってくる合唱団扮する観客は、それぞれ男女が抱き合ったりしている。ここが実は娼館なのではないかと思わせる。そしてジュリエッタはホフマンを手球に取る。カーセンの話では、ホフマンの恋の発展段階によって相手の女性が変わっていくという。これは彼の成長物語だというのである。

エピローグで再びバー・カウンターが登場。「ドン・ジョヴァンニ」が終わってホフマンは取り残されるが、ここからがまた美しい。舞台の右上だけが光輝いて、その光に向かってミューズ(ステラ?)とホフマンが歩んでいく。いろいろな改訂版がある「ホフマン物語」だが、この終わり方は見ているものを感動させる。なるほどこんなにおもしろいオペラだったのか、と感じた4時間の上演が終わり、雨の降る渋谷の街を後にした。

2013年10月21日月曜日

映画「椿姫ができるまで」(2012年、フランス)

南仏の夏の音楽祭の一つ、エクサン・プロヴァンス音楽祭で2011年に上演されたヴェルディの歌劇「椿姫」の制作過程を追ったドキュメンタリー映画。見て思ったことは、このような映画を作るにあたり、どのような観客層を中心にしているのだろうか、ということだった。

あらゆるオペラの中で「椿姫」ほどよく知られており、人気のある作品はない。私もその魅力の虜になったことが、オペラの世界に足を踏み入れるきかっけだったことは先にも書いた。どのフレーズも流れてくれば歌えるほどに知ってしまったが、それでも発見は尽きない。そのような患者は世界中に数多くいることだろう。だとすれば、もう何度も「椿姫」を見てよくわかっている人が、新たな発見をするような様々な見どころを散りばめる必要もあり、決して素人向けの安っぽい解説ものになってはならないということ。この映画はその通りの出来だった。

他方でオペラを見たこともなければあらすじもしらない人にとってはどうか?私はそれについてはよくわからない。基礎知識がまったくない、真っ白な気持ちでこの映画を見てみたいと思った。だがそれはできないことだ。想像するしかないが、オペラを知らない人が見ても、これはそれなりに楽しめるのではないか。そしてできれば一度、生でオペラを見てみたいと思わせたのではないか。だから、どちらの層にも見応えのあるものだったのではないだろうか。

主役を演じたのはフランスのナタリー・デセイで、私にとってはそのことがこの映画を「見てみたい」と思わせた理由である。他の歌手なら、残念ながらそうは思わなかったかも知れない。一線級の歌手が、ヴィオレッタをどう演じようとするか、そのことに興味が湧いた。

当日は台風の近づく大雨の天候で、映画館の場所を詳細に把握しないまま出かけた私は、渋谷の宮益坂をさまようことになった。ようやくのことで見つけたその映画館は、小さなビルの1階にこじんまりと存在した。こんな小さなところでやるのか、と思った。平日の午後の上演に客は十名程度。それでも3分の1といった感じ。

映画は、DVDの特典映像などによくあるような「メイキング映像」とは一線を画している。映画としての演出(監督:フィリップ・ベジア)にもすぐれているが、緊張と迫力で舞台に迫るという感じではなく、むしろしっとりとした感じに見せる。最初の振り付けから、やがてはピアノ付きの稽古、さらにはオーケストラとの音合せ、そして本番と、何通りものセッションを撮影し、それを通常のストーリー通りにたどりながら、つなぎ合わせる。ピアノ伴奏の稽古が、オーケストラ伴奏に変わるかと思えばその逆もあり、稽古の出来具合を進めたり遅らせたり。その様子が無理なくわかるので、見ていても違和感がない。

音楽を追いながら、私はやっぱりヴェルディのこの作品はいい曲だなと思った。音楽それ自体に語らせるだけで、物語が目に浮かぶ。だが、この映画では実は大きな見どころがカットされている。例えば第2幕の最後の重唱のシーン。ここは全体のクライマックスである。そして第3幕の「パリを離れて」。ここを見ずして「椿姫」を語るなというシーンである。これらを外したのは意図的であるとしか思えない。これらがなくても十分楽しいし、本番の楽しみをすべて奪う必要もないということだろうか。

デセイほどの大歌手となれば、演出家も遠慮がちに助言をする。後は歌手の自主性と演出家とのコラボレーションである。デセイはただ品がありすぎてジェルモンを歌った若い歌手よりも貫禄があるのは少し変だ。アルフレードは好感の持てる出来栄え。演奏はルイ・ラングレ指揮のロンドン交響楽団。ジャン=フランソワ・シヴァディエの演出は、過剰な読み替えでもなければ古典的な退屈さもない。場面を象徴する絵の垂れ幕が何枚も舞台に吊り下げられ、道具は必要最小限ながら、情景を強調する効果を持つ。

そういえばこの映画では、意図的に音声が消えるところがある。次はこのメロディー、と分かる人には期待をさせておいて、音が出ない。映像は歌手が歌っていたり、演じていたりする。その無音声部分によって、より映像と音楽への集中力が増す。このようなこだわりのある映像と編集は、やはりこれ自体が作品としての主張を持っていることを意味している。だが、それも素晴らしい音楽と歌手がいればのこと。あくまでそれを邪魔しない、というのが好感の持てるところである。後は実際に作品を見てみて欲しい、ということだろう。

2013年10月13日日曜日

ヴェルディ:歌劇「リゴレット」(2013年10月12日、新国立劇場)

「トロヴァトーレ」「椿姫」と並び中期の三大傑作とされる「リゴレット」は、他の二作と比べるといささかとっつきにくい作品ではないかと思う。「トロヴァトーレ」では歌に酔っていればいいし、「椿姫」ではドラマに涙していれば良い(もちろん歌も素晴らしい)。だが「リゴレット」はそう簡単ではない。強いて言えば「リゴレット」にはその両面があり、しかも他の二作品では、他の要素に埋もれてしまっている要素が、厳然と強調されて存在する。「リゴレット」はヴェルディがヴェルディらしさを発揮した最初のステップであると言える。そのことによって、聞き手はヴェルディのオペラが、単に歌やストーリーを追えばいいだけの作品ではないことを知る。

「トロヴァトーレ」ではジプシー女が、「椿姫」では娼婦が、それぞれ身分の低い存在として登場し、その身の哀れさゆに悩み、動き、堕ちていくといったことがあるが、このことを知らなくても(あるいは知ろうとしなくても)、作品は楽しい。だが「リゴレット」ではそうはいかないのである。この作品の主人公は、もやはテノールでもソプラノでもなく、負の運命を背負ったバリトンである。その運命とは、外見的には身体的な不自由さと身分だが、そのことによってさらに負うことになる宿命が加わる。それこそこの作品のテーマでもある「呪い」だが、私にはこれは偶然によってもたらされたものではなく、必然的に彼が背負うことになったものだと感じる。

だとすればこれほど救いようのない作品はない。「トロヴァトーレ」のジプシー女は、最後には復讐を果たし、「椿姫」では心が昇華して、美しさのあまり死んでいくが、「リゴレット」の幕切れに残るのは、最後の心の砦であった最愛の娘を失った道化師の姿であり、その運命の残酷さである。マントヴァ公の脳天気な歌声が響けば響くほど、それは強調される。だがマントヴァ公にはさほど悪意はなく、ジルダはただひたすら可愛らしい。そうであればあるほど、リゴレットの哀れさは強調される。

このような心の内面を深くえぐるような作品では、いかなる装飾的な舞台も主体足り得ない。むしろそれらは無駄でさえある。ウィリー・デッカーの「椿姫」のように、もしかしたら舞台にソファーがひとつだけ・・・というのもありかも知れない(もっとも主人公が老人なので動きは少ないが)。だが、今シーズンの新演出だった新しい新国立劇場の「リゴレット」は、6月に見た「ナブッコ」の時と同様の大胆な読み替え演出(担当はアンドレ アス・クリーゲンブルク)で、しかもその出来栄えは「ナブッコ」には、私にとって遠く及ばないものだった。

舞台は現代のホテルということになっている。前奏曲の間に幕が開き、左右に配置されたバー・カウンターと、中央の4階建てのホテル。その廊下に大勢の客がたむろしている。その中には下着姿の売春婦もいる。高級ホテルということになっているようだが、このような雰囲気はむしろアジアの中級クラスのようでもある。そういえば90年代の終わりの頃にマカオに行ったが、そこの有名な老舗ホテルのロビーやカジノには、それとわかるロシア人の女性が大勢たむろしていた。あの雰囲気にそっくりである。

歌が始まるとその舞台はやおら回転を始め、どこから誰が登場してくるのか目を追うのに忙しく、歌に集中できない。せめてアリアの部分では回転を停止すべきだろう。リゴレット(バリトンのマルコ・ヴラトーニャ)は、背中にコブをもっているが、ここの場面では身分がよくわからない。娘を探してホテルに迷い込んだ老人のようでもある。一方、マントヴァ公(テノールのウーキュン・キム)は成り上がりのアジアの若き小銭持ちで、やはり正体は不明。ホテルとはいわばそのような得体の知れない空間ということだ。

深夜になってバーに残ったリゴレットは、もう片方の端にあるバーでスパラフチーレ(バスの妻屋秀和)に出会う。ここのシーンは舞台が余計な表現を控えているので歌に集中することができた。だが再び舞台は回転し始め、いよいよジルダ(ソプラノのエレナ・ゴルシュノヴァ)の登場となる。低音の響きばかりを聞かされて重々しい気持ちが、ここで一気に明るく快活となる部分が、私はもっとも好きだ。ここはリゴレットの心の様子が観客と同一体験できるヴェルディ音楽の真骨頂である。

歌手について触れておくと、マントヴァ公のウーキュン・キムは、なかなか良い。本公演の中ではもっとも良かったと思う。特に第2幕以降は尻上がりに調子が良くなった。一方、ジルダのエレナ・ゴルシュノヴァは、声の質が美しく可憐である。これはこれでいい。主役のマルコ・ヴラトーニャは、美しかったが力強さにやや欠けるところがあり、音楽に押されてしまう。ピエトロ・リッツォ指揮する東フィルの伴奏は、ヴェルディらしさを強調する必要性から、その力強さを押さえない。それはいいのでが、ジルダが線の細い声であれば、リゴレットはもう少し強くても良かった・・・というのは私の勝手な感想で、ここで見せる父親の弱さは、こういう風に表現してもいいのかも知れないが・・・。

合唱はいつも良い。その合唱は第2幕で活躍する。そしてその第2幕は冒頭から、マントヴァ公の独壇場であった。この第2幕は本公演でもっとも見応えがあったが、その舞台は第1幕と同じ回転ホテルである。指揮とオケ、それに合唱は大変良く、私は大いに評価したい。 私は今回、「リゴレット」の第2幕を見ながら、もしかするとヴァルディは自分の心をリゴレットに重ねあわせていたのではないかと思った。自らも最愛の娘を失ったヴェルディは、この頃はジュゼピーナと内縁関係にあったが、彼女のとの生活は保守的な農村の世間体もあって、困難なものだったようだ。もし娘に先立たれなかったら、どのような関係となっていったかをいろいろ想像したに違いない。

ところが第3幕になると舞台は一変し、そこはホテルの屋上となった。「Spumante Duka!(公爵の発泡ワイン)」の栓抜き看板がデカデカと中央に置かれ、聴衆の大いなる笑いを買うかと思ったが、誰も笑わない。それどころか、あの素晴らしい四重唱も聞かせたが、何とものりが悪い。ここはスパラフチーレの仕事場で、舞台はまあ良かったと思うが、ここまで来て客席は少し戸惑いムードだったようだ。 マッダレーナ(メゾ・ソプラノの山下牧子)の歌も悪くはなく、その他の日本人の脇役はみな素晴らしかったと思う。

主役を含め、みは平均かそれ以上の出来栄えだったと思うのだが、どうしてこんなにしらけたムードだったのか。私はこのブログを書くにあたって、大いに考えた。演出の斬新さ(それは昨シーズンのMETライブで見たマイケル・メイヤーのラス・ヴェガスに舞台を移した演出によく似ている)のせいなのだろうか。確かに美しい歌を聞いている間に、舞台のあちこちで艶かしい姿の女性が絡むシーンは、見るものを混乱させる。だがこれは確信犯である。むしろそれを受け付けない客席のせいなのだろうか。私はどちらもあるように思う。

先日見た「ワルキューレ」でもそうだったのだが、そもそもオペラに、まるで近所の本屋にでも出かけるようないで立ちでやってくる老人とは一体何者なのだろうか。彼らはあのヴェルディの音楽を聞くときの、まるで遠足に出かける子供のような気持ちを持ち合わせているように感じられない。容姿のことを言うわけではないが、お金のない若者ならいざしらず、オペラに出かける時の興奮した気持ちは、服装でも少しは表現してもらいたい。そして、彼らが期待する舞台は、保守的なイタリアの田舎街のサロンなのだろうか?醒めた客に、過剰な演出。このふたつが、そこそこ好演している出演者を押しのけてしまった。それならいっそ、もっと緊縮予算で簡素な舞台にでもしたほうが良かった、ということだろうか。

そういえばロビーで、この舞台を組み立てた舞台製作会社によるビデオ上映もあった。丸3日かけて完成させる4階建てのホテルの組み立てを早送りにした映像は興味深かったが、そこまでして表現すべきものが、十分に饒舌な音楽以上にあるとも思えない。そこまでわかった上でブーイングをする観客に満ちていたわけでもない。全体にやや欲求不満な「リゴレット」だったが、そう簡単に片付けてしまうのも勿体無いとも思う。何せ「リゴレット」なのだから。 

2013年10月10日木曜日

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」(2013年10月6日、三鷹市芸術文化センター)

開演に先立ってマイクを持ち、簡単な挨拶を行った指揮者の沼尻竜典は、今年から引き受けたドイツの歌劇場で、ドイツ・ロマン派オペラの魁となったこの作品を、せっかくだから上演してはどうかと持ちかけたところ、この歌劇は観客の目が厳しく、よほどの名演にしなければいけないとたしなめられた、などと語った。にもかかわらずドイツ以外の国々での「魔弾の射手」は、さほど人気があるわけではなく、我が国でも序曲以外はあまり知られていないようだ。

だがこの作品が大好きな私は、一度その実演に接してみたいと思っていた。その願いはなかなかかなうことがなく、何組ものCD以外ではただ一度、映画になった作品を見ただけである。合唱だけでなく、全編にとても素敵な歌が続くこのオペラは、ベートーヴェンとワーグナーを繋ぐ重要な作品であり、 私のオペラ体験において欠かすことの出来ないものである。第2幕の「猪谷の場」などは、真面目に演奏されればとても充実した満足感が得られる。

そんなことを思っていたところ、同じ沼尻の指揮する「ワルキューレ」を横浜で見た際にもらったチラシに、この公演のものが混じっていた。日本人主体の演奏会形式だが、三鷹市芸術文化センターという中規模のホールが、この作品を間近で見るのには大変好ましいものに思えたし、何と言ってもここは、私が三鷹に住んでいた時によく通ったホールである。そして沼尻は、その三鷹市出身の指揮者として随分前から、ここで定期演奏会を開いている。

久しぶりに出かけた武蔵野の森は、10月だというのに汗ばむ陽気で、駅前は以前のままである。南に向ってまっすぐ伸びる長い商店街をふらふら歩くこと約30分程で会場へ到着した。この日はトウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズの定期演奏会ということになっており、合唱団と歌手たちを合わせると出演者は数多く、字幕も付いている。舞台の上部には様々な色の投影機も用意されていて、一応物語に応じて色が変わった。

主な出演者は以下の通り。

松村恒矢(Br、オットカール)、松中哲平(Bs、クーノー)、立川清子(S、アガーテ)、今野沙知恵(S、エンヒェン)、大塚博章(Br、カスパー ル)、伊藤達人(T、マックス)、清水那由太(Bs、隠者)、小林啓倫(Br、キリアン)他、栗友会合唱団、トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ。指揮は沼尻竜典。

ここの「風のホール」はとても残響が長く、いつも思うのだがオーケストラが違った風に聞こえる。残響は長ければいいというわけではなく、好みの問題もあって一概に言えないが、私には少々違和感がある。とてもいい演奏の時、たとえば今回でも、エンヒェンのアリアに沿うオーボエやフルートの独奏は大変美しいし、第3幕のチェロやヴィオラの独奏も綺麗に聞こえたが、大きなアンサンブルとなると音がかぶりすぎるように思う。そのためオーケストラは小規模で合唱団も40人程度と少ない。

歌手は総じて好ましい歌声であったが、特に良かったのはアガーテとカスパール、それに隠者であった。日本人の歌手が主役を歌う機会に恵まれないのは残念なことだが、それだけにとても練習をしていたと思う。今回は特に、新国立劇場の研修生など若手中心であったが、それは私の期待するところである。それに対しオーケストラはやや不足感があったことは否めない。第1幕の「ワルツ」のシーンでは、単純な3拍子を振る指揮者に対し、元ウィーン・フィルのコンサートマスターで、ゲスト出演のウェルナー・ヒンク氏は、自らの主張(それはウィーン風のそれかも知れない)を込めて、リズムを刻もうとしていた結果、合奏に若干の乱れがあった場面などに象徴的に現れていた。一方、活躍の多い合唱は少数精鋭で素晴らしい。

私にとってはこの歌劇を一度は生で聞いてみたいと思っていたので、その目的が達成されたことが嬉しい。上演では各幕の最初に短いダイアローグがドイツ語で流れ、その訳がスクリーンに投影された他は、台詞を省いた演奏である。そのことが全体を弛緩なく見ることに寄与したかも知れないが、さりとてそのストーリーは、たとえ字幕がついていても聞いてすぐにわかるというものでもない。このオペラの醍醐味は、やはり音楽そのものの純粋な美しさと、溢れるロマン性である。ドイツ的なロマン性は実に表現が難しい。

ここで私はもっとも好きなコリン・デイヴィスの演奏を思い出す。ドレスデンの響きを湛えたデイヴィスの演奏は、ドイツ的かどうかはわからないがとても気合の入ったもので、各シーンが目に浮かぶような迫力がある。総じて演奏は、力強いがゆっくりしている。このズッシリ感は私もやみつきなのだが、クーベリックの軽やかさ、クライバーの駆け抜ける若々しさなどとはまた違ったものである。

今日の演奏は、そのどの演奏に近いか、などと余計なことを考えた。沼尻は音楽そのものに語らせることに力点を置き、自ら強い主張をしない方だと思う。そこが私も好感を持っているところで、実演では歌手を引き立たせているようだ。アンサンブルをうまくまとめることが、やはり重要だと思う。だが、幾分、音楽をなぞっているという感じがしないでもなかった。つまり一言で言えば、音楽に対するこだわりや情熱にやや欠けるのだ。それは客席にも言えた。合唱と、そして何人かの歌手はとても素晴らしかったが、全体に盛り上がりに欠けてしまった。

これは仕方がないのだろうとも思う。休日の昼間に郊外の文化センターへ出かける老人たちは、一体何者だろうかなどとも思ったが、見る方にもわくわくどきどきの熱い視線がないと、このオペラはうまく成立しないように思う。そこがモーツァルトやワーグナーとの違いである。だが一度、その熱い感覚の中に入る状態となれば、音楽の素晴らしさが際立ってくる。そのようにして長く試練に耐えた演奏だけが、今日録音されリリースされていると考えるべきだろう。げに歌劇というものは、その文化的背景に依存する部分が大きければ大きいほど、難しいものだと思う。それがこの作品を、ドイツ以外の地域にまで普遍化して広まることを、やや難しくさせているのではないか。


2013年9月30日月曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第11回目(1985年8月)

受験浪人時代の夏休み、私は小学生時代の友人で同じく浪人生のT君と、息抜きを兼ねた1泊旅行を計画した。名目は東京の大学を下見に行くというものだったが、大阪を早朝に出発しても東京到着は夕刻であり、その後新宿発の夜行列車で小淵沢まで行くというのだから、何も見物できない。そのことはT君は百も承知で、彼もまた久しぶりにのんびりしたい、ということだった。


T君は私の小学5年生の頃からのつきあいで、彼こそ私に鉄道趣味を植えつけた張本人であった。彼は毎日学校へ「交通公社の時刻表」なる雑誌を持込み、赤鉛筆で線をなぞりながら、この列車の表定時速はXXキロなどと、算数のノートの端に筆算をしては私を驚かせた。彼は覚えたての割り算を素早くこなしたが、それはそろばんの成果でもあったようだ。

その後小学校6年生になるまで仲がよく、中学校へ進んでもクラスは違ったが、良く遊んだものだった。高校生になるとハイキング仲間として京都や滋賀方面へ山登りに行くこともあった。だが大学受験を控えて彼は複雑な家庭環境もあり、ナーバスになっていった。大学受験を目指していた頃、両親が離婚。父親は行方しれずとなったようだ。まだ中学生や小学生の弟や妹を抱え、母親だけの収入では足りないからと、アルバイトをするようになった。とても頭が良かったので気の毒だったが、何よりも勉強時間を確保できないことが彼を悩ませた。だが、それよりも彼は現実から逃避するようになった。

国鉄の吹田駅で彼とは待ち合わせをした。ところが私はこういう大事なときに朝寝坊をしてしまい、彼には1時間以上も待ちぼうけを食らわせてしまったのだ。怒る彼は無言のまま、乗るべき列車よりも何本も遅い列車を乗継ぎ、草津、米原、大垣と行く間、ほとんど口を聞いてくれなかった。私はとても後悔し、気を取り直してほしい、と浜松で「うなぎめし」の高い方のお弁当を買って差し出した。その頃から、すこしづつ打ち解けてくれた。

東京では何をしたかあまり覚えていない。8月もほとんど終わりかけの頃だったが、東京は大雨だった。いろいろ歩いてまわろうとしたが、雨に濡れてしまう。まだラッシュアワーの続く新宿の夜10時過ぎには列車が入線し、長い間列車小淵沢行きの出発を待った。中央線快速の最終列車を兼ねるこの列車は、酔っぱらいをのせたまま、豪雨の新宿駅を出発した。八王子を過ぎると夜行列車となり、途中、甲府で一時間以上も停車する。東京発の夜行普通列車はどれも満員だが、この列車もあまり乗り心地は良くなかった。

朝もやの中、中央地溝帯の深い谷の中腹を行くと、小淵沢に到着した。ここはまだ山梨県で、ここからさらに乗り換えて松本まで行く。この区間は風光明媚な区間で、諏訪湖なども見えるが、私たちは熟睡していたのだろうと思う。だが松本駅に着くと、美味しい駅のそばで腹ごしらえし、大糸線に乗り換えた。大糸線は思い出深い路線だが、その途中にある白馬の手前、飯森あたりは、私たちが小学校の修学旅行で訪れたことがあり、彼と共通の目的としてそのあたりを見てみよう、というのが旅行の建前だった。

北アルプスを見上げながら青木湖を過ぎると、列車は日本海に向けて下ってゆく。冬ならスキー場が続くこのあたりは、とりわけ山深い地方であると同時に、なかなか立派なアルペン・リゾートでもある。特に白馬を過ぎ南小谷で本数の少ない鈍行列車に乗り換えると、その風景は一変して、よくもこのようなところに線路を引いたと思わせるようなローカル線となる。この糸魚川までの区間に乗ってみたかったというのが、彼と私の本当の目的であった。アメリカ人の家族が、当時はまだ珍しかった大型のハンディ・カメラを持ち込んで、車窓風景を撮影していたのが印象的だった。

その日はとても暑かった。大雨の後、日本列島は快晴となったが、残暑はきびしく、糸魚川のそれはフェーン現象もあって気温が40度近くあった。乗り換えの時間を利用して海岸近くまで歩いたが、その時は目眩がするような暑さだった。

親不知を通り過ぎ、富山を目指す。列車は北陸本線の快適な冷房車である。倶利伽羅峠を越え、金沢を通り過ぎ、福井での停車時間にアイスクリームなどを食べる。編成の長い列車は非常に空いており、ここからさらに敦賀を過ぎて米原までのんびり進む。外は猛暑でも車内は快適であった。

米原から姫路行きの快速列車の乗り換えると、後方の空調のない車両は蒸しかえるような暑さだった。夕陽が彦根城の向こうの、琵琶湖のほうから容赦なく差し込んでくる。窓を全開にしても、入る風は熱い。だが私たちはゆく夏を惜しむかのように風に打たれる方を好んだ。受験までのあと半年は、今から思い出してもぞっとするような時間との戦いであった。今でも焦る夢を見るこの時期は、不思議と記憶が曖昧である。なので、この列車旅行の記憶だけが詳細に脳裏に刻まれている。

T君はその後再び浪人し、不本意ながら四国のある大学に進んだ。私は彼が徳島で下宿している時に一度会いに行ったことがある。だがその次に彼を見かけたのは、意外にも私の近所でのことで、結局彼は家計を助けるべく大学を中退し、アルバイトに精を出していた。数年後、私の就職が決まって上京する時に、私は連絡先を探しあててコンタクトをとった。だがこの時は待ち合わせ時間に彼が1時間以上遅れた。私はそれでも辛抱強く待ち、とうとう彼は約束通り、待ち合わせ場所に現れた。小一時間喫茶店で話した時に、彼の目からは、小学生時代に時刻表を眺めては私に得意がっていた、あの少年の輝きが失われてしまっていることを発見した。彼に会うのはもう最後かもしれないと、その時思った。その後T君からは音沙汰が無い。

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...