2023年9月18日月曜日

ワーグナー:歌劇「ローエングリン」(The MET Live in HD Series 2022-2023)

METで今年3月に上演された「ローエングリン」があまりに素晴らしいというので、私はLive in HDシリーズのアンコール上映の機会に見ることにした。大型連休前に上映された際には時間がなく、しぶしぶ断念したから、今回ようやく接することができた次第である。その感想を一言で言うと「圧巻」に尽きる。音楽が終始大音量で鳴り響き、その熱量は物凄い。見ている方は体力を消耗し、5時間後にはへとへとになった。そして「ローエングリン」という作品は、こうも聞き所の多い作品だったかのかということを改めて思い知った。

私は2016年に実演を見ている。この時新国立劇場で表題役を歌ったのは、クラウス・フロリアン・フォークトだった。指揮は先日逝去した飯守泰次郎。現在望みうる最高の舞台のひとつではなかったか、などと興奮に満ちた文章を書いている(https://diaryofjerry.blogspot.com/2016/05/2016523.html)。しかし音楽を精密に聞き込んだかと言えば、実演だとなかなかそうはいかない。初めて実演で接するオペラだったということもある。それに比較して、映画館での上映となると見る側にもゆとりができて、より客観的に見ることができる。字幕も追いやすいし、5.1ch音響効果も抜群である。

特定映像でのインタビューで、ヤニック・ネゼ=セガンが語っているように、この作品はワーグナーの作品の中で、丁度過渡期に位置付けられるだろう。ドレスデン時代の最後を飾る作品として、それ以降の作品は「楽劇」と言われているのに対し「歌劇」と分類されている。古い様式、たとえばアリアのような部分が目立つ一方で、ライトモチーフにも似た要素が垣間見れる。第1幕への前奏曲で奏でられる冒頭のメロディーは、聖杯グラールに触れられる場面で幾度となく登場する。

その第1幕への前奏曲は、静謐なメロディーで始まるのだが、映画館では早くも大音量である。実演だとこうは聞こえないのではないか、などと少々違和感があるのは確かだが、CDやDVDで聞く音楽もそのような傾向が定着しているので、それはそれで良いかとも思う。以降、歌手の音量はしっかりと大きい。この作品には終始合唱団が活躍するが、これと歌手との対比すると、そのイコライザー効果はやや不自然だとも言える。ワーグナーの作品ではとりわけそうだが、舞台下に隠れているはずのオーケストラも、くっきりと収録されている。

合唱団はマントをまとっており、その裏打ちの色が赤だったり、緑だったりと変化する。ローエングリンとエルザは白、テルラムントとオルトルートとは赤で印象付けられる。面白いのは指揮者のジャケットもこれに合わせて、第1幕では黒、第2幕では赤、第3幕では白と変化した。この衣装デザインは、ティム・イップというデザイナーが担当、演出のフランソワ・ジラールとともにカーテンコールにも登場した。

演出がジラールであることもこの舞台に注目した大きな理由だった。というのは彼の演出した「パルジファル」の舞台が、あまりにも素晴らしかったからだ(https://diaryofjerry.blogspot.com/2013/04/the-met-live-in-hd-2012-2013.html)。もう10年以上前の話ではあるが、ここで舞台全体に写しだされた巨大な月が極めて印象的で、今でも鮮烈に記憶に残っている。それはニューヨークでも大いに評判だったようだが、ローエングリンはパルジファルの息子であり、その関係性において衣装も白を基調としたとのことである。

開演前からその月が舞台上部に映し出されていた。この月の満ち欠けが巨大な穴を通して表現される。舞台は終始、その穴の下で展開され、時折月が出てくるのだが、パルジファルに比べると控えめで特筆すべきものはなく、むしろ歌手たちの活躍こそが本公演の主役だったことに尽きるだろう。

まずローエングリンを歌ったのは、ポーランド人のピョートル・ベチャワ(テノール)で、彼はもう十年以上メトの常連だが、そのレパートリーはフランス物、イタリア物と幅が広い。ヴェルディのリリカルなテノールも歌う彼の綺麗な声は、ローエングリンにも相応しいものだったが、衣装が白いシャツということもあってビジネスマンのような感じ。一方、エルザを歌ったのはタマラ・ウィルソン(ソプラノ)で、彼女もアイーダなども歌うメトの常連だが、この役はデビューだそうである。

今回の出演歌手の中で、誰か一人を挙げるとすればオルトルートのクリスティーン・カーギー(ソプラノ)に尽きる。彼女の悪女ぶりは舞台で見ていても吐き気を催すほどの嫌悪感むき出しだが、インタビューに答える彼女ほど既知に富み、自信に満ちたものはないだろう。その相手、すなわちテルラムント伯爵はエフゲニー・ニキティン(バス・バリトン)だった。そのほか、国王ハインリヒを歌ったギュンター・グロイスベック(バス)は貫禄ある重厚な歌声を会場に轟かせた。

作品を何度か見て冷静になると、難しい話が随所にちりばめられてはいるがこのオペラは結局、女性同士の男性を巻き込んだ争いに思えてくる。丁度「ワルキューレ」が父と娘の和解の話に集約されるのと似ている。このあたりがワーグナーの下世話なところで、まあブラームスが嫌っていたのは何となくわかる。エルザに弟殺しの濡れ衣を着せ、騎士に素性を明かすよう気迫迫る部分などは、女性版イヤーゴ(「オテロ」)であるとさえ思った。

オルトルートの夫、テルラムントは殺害される。絶対に問うてはならない問いを発してしまうことでエルザの夫となったローエングリンは去って行く(「夕鶴」を思い出す)。いやそのエルザとオルトルートも最後にはあっけなく命を落とす。つまり主役級の登場人物が全員死亡する(「トスカ」と同じだ)。そういった不気味さを暗示させるように、あの「結婚行進曲」もどこか暗い。騎士が白鳥に乗って王女を助けに来るというのは第1幕の話でしかない。つまり物語に救いがないのである。ただ思いっきりロマンチックな音楽が、この物語を彩っている。時にヴェルディの作品を思わせるようなア・カペラになる部分も多い。

総じて音楽的要素の醍醐味を味わった舞台だった。だが先にも述べたように、いささか音響を大きく押し出した結果、息つく間もないほどの緊張感の連続に少々疲れた。この作品はももっと静かな作品であり、その方が作品の味わいが表現され得るのではないか。朝10時半に始まった上映は、2度の休憩をはさみつつ15時半に終了した。特典映像が多い割に休憩時間が短く、昼食を取る時間がない。5時間もの間、ずっとスクリーンを見続けるのはなかなか大変で、厳しい残暑が続く中、昼間は涼しい映画館で過ごすのも悪くはないと思ったが、最近体調の悪い私は、もうワーグナー作品を観るのはよそうとさえ思った。

それもこのシリーズで毎回述べられるように、「大画面での体験も素晴らしいが、実演に勝るものはありません」ということかも知れない。私よりも年老いた人々が、これだけ長くの時間、大画面を見続けているのも驚異的だが、このあと16時からは10年前の同じジラール演出の「パルジファル」が上演される。この超大作をはしごして観る強者もいるようで、これはもはや超人的と言わざるを得ない。

2023年9月16日土曜日

NHK交響楽団第1990回定期公演(2023年9月15日NHKホール、ファビオ・ルイージ指揮)

2023-2024シーズンの最初となる演奏会に、久しぶりとなるN響C定期を選んだのが大きな誤算だったのではないか、とヤキモキしていた。まさかこんなに早く「あれ」に近づくとは思ってもいなかったからである。ところが9月に入り、チームは負けなしの10連勝。おまけに相手のカープが連敗し、気が付いてみるとマジックが1に!もしコンサートと野球が重なってしまったらどうしよう、短いC定期は9時前には終わっているから、何とかその瞬間には間に合うかも知れない、などと前向きに考えていると何と、前日に悲願達成と相成ってしまったのである!


こうなったらもう何も支障はない。ところが、寝不足のお昼を怠惰に過ごす予定が、思わぬ仕事の展開によって狂ってしまうという悲劇に見舞われた。何とか他人に引き継いだり、来週に回したりしてやりくりし、家を出る18時までには集中豪雨も止み、蒸し暑い中を鈴虫がやかましいくらいに鳴いている代々木公園を急ぐ。翌日のマチネにすればよかったと後悔しかけたが、この時ばかりはいつもより30分遅く始まるC定期で良かった、と胸をなでおろした次第である。

NHK交響楽団の定期公演には3つのシリーズがある。通常のA定期、サントリーホールでのB定期、そして名曲中心のC定期である。このC定期は通常より短いプログラムで、休憩はなく、チケットもその分安い。が、しかし、これは他の定期のチケットがいつのまにか値上がりしている中で、C定期は値段を据え置いてプログラムを減らしたのではないか、と思っている。まあ私も給料が上がらないので、勝手に仕事量を減らしているくらいだから、偉そうなことは言えないのだが。

そのC定期では、開演前に室内楽が演奏される。今シーズン最初の室内楽ではN響メンバー6人が登場し、ベールマン、ブラームスのそれぞれのクラリネット5重奏曲の一部を演奏した。私は今回3階席脇で聞いたのだが、音も良く届きなかなかいい演奏だった。しばらくNHKホールからは遠ざかっていたが、悪くないなとさえ思った。舞台には100名を超える楽団員の椅子が配備されている。チケットは沢山余っていて、4割ほどしか埋まっていない。それでもFM中継とテレビ収録があり、カメラもスタンバイ。指揮は昨シーズンから首席指揮者となったファビオ・ルイージ。プログラムは、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をデ・フリーヘルが短く編集した「オーケストラル・アドベンチャー」のみ。同様の取り組みは、マゼールの「言葉のない指環」などいくつか存在するが、この編曲は初めて聞く。1時間余りに凝縮された「指環」は聞き所が満載、楽しいコンサートになると思いを馳せた。

いつのまにかN響の演奏会でも、楽団員が登場すると拍手が起こるようになっていた。カーテンコールでの撮影もOKとアナウンスが入る。コンサート・マスターはゲストの西山尚也。室内楽にも登場した各ソリストも交じっている。左手にハープが4人。ホルンやトランペットがずらりと並ぶ奥にティンパニが2台。やはり壮観である。今シーズンの幕開きに相応しい。

さて、ルイージという指揮者はイタリア人ではあるもののワーグナーの演奏に定評がある。記憶に新しいのはメトロポリタン歌劇場での「指環」で、この様子はMET Live in HDシリーズでも見た。また私はシュターツカペレ・ドレスデンの来日演奏会で、「ワルキューレ」の第1幕を聞いている。もっとも「聞いた」というだけで印象は特にないのだが、聞いたこと自体を忘れる演奏会も多い中で、ルイージだけはよく印象に残っている。N響との「巨人」は大名演だった。その容姿同様、スタイリッシュで速め。緊張感を保ちつつ一気に聞かせる感じ。それは今回の演奏会でも同様だった。

一筆書きのような「指環」だった。あまりにも次々と有名なメロディーが出てくるので、スポーツニュースを見ているような心境である。本当はそこに至るまでの長い物語があるのに、それをすっ飛ばして要所要所だけをつないでゆく。そうとはわかっていても、ちょっと戸惑う。編曲の腕の見せ所は、こういう時に発揮されるのだろうか、などと思った。というのは同様の曲であるマゼールの方が、優れていると思ったからだ。例えば、有名なモチーフは「指環」に何度も登場するが、長い時間を聞き続けた果てにここぞとばかりに登場するものは、巧妙にこれが前もって登場してしまうのを避け、かつその前にはあえて静かな部分を挿入するなど、工夫が欲しいのである。それが少し甘いような気がした。

N響の音は3階席で聞いても迫力は十分だった。これはあらためて認識した次第なのだが、聞き終わってみると何かが足りない気がしてならない。やはりオーケストラの音に艶がないのである。これは音響効果がおかしいからではないかと思う。反射音がないのか、あっても脆弱なのか、そのあたりはよくわからない。だから直接波が届く割合の多い1階席正面のみでしか、私は心の底から感動した演奏に出会ったことがない。が、それも指揮者次第のような気もする。ルイージは今後、客席における音響について考慮することを心掛けてほしいと思う。ただサントリーホールになると、同じというわけにもいかないわけで、こういうあたりも指揮者の腕の見せ所だと言える。

曲は順番に聞き所がつながっていく。休止はない。ボリュームの大きな部分の連続である。指揮も集中力が強く、緊張感が高い。故にたいそう疲れるのだが、それも「神々の黄昏」になると、どこか急に雰囲気が変わったような気がした。長いホルンのソロが会場にこだまする。「ジークフリートのラインへの旅」に始まる「神々の黄昏」は、マゼールの編曲でもそうなのだが、全体の半分近くを占める。「ジークフリートの死」とそれから最後までの音楽が最大の聞かせ所であることは疑いなく、それが近づくにつれて、知らず知らずのうちに気持ちが高ぶってゆく。このワーグナーならではの高揚感は、例えようがない。だからこそ、「ラインへの旅」と「死」の間にもう少し「溜め」があってもいいと思うのだ。

1時間半以上かけていいから、休憩を挟んでもう少し長い曲に編集しなおしてくれないものかといつも思う。この時、「ラインの黄金」から「ジークフリート」までを前半に配置し、休憩の後に「黄昏」を十分長く取るといいだろう。ルイージは一気に最後までオーケストラを鳴らし、それに見事に応えたN響の技量は、ますます堅調である。

3階席を中心に、大きなブラボーが飛び交った。観客の少なさを感じさせない大きな拍手に、指揮者もオーケストラのメンバーも満足したのだろうと思う。何度も何度もカーテンコールに応え、各パートを順に立たせてゆく間中、ブラボーの嵐は絶えることがなかった。

今シーズンのN響のプログラムは、このルイージが12月にも登場して、2000回記念となる「一千人の交響曲」などが演奏される。来月は96歳のブロムシュテット、1月にはソヒエフなど聞きたい演奏会が多い。長かった今年の夏は今もしつこく残暑が続いているが、10月にもなれば少しは落ち着いて、コンサート・シーズン真っ盛りとなる。私も10月にブロムシュテットのブルックナー、日フィルのマーラーなど大曲のチケットを購入し、今からスケジュールに組み込んでいる。もちろんクライマックス・シリーズと日本シリーズの日程を加味しながら。。

2023年9月6日水曜日

クープラン:クラヴサン作品集「tic tok choc」(P:アレクサンドル・タロー)

お盆の休みに、溜まった古新聞を読んでいたらクープランの作品集を取り上げた記事に出会った(日経新聞8月13日朝刊)。フランス人のピアニスト、アレクサンドル・タローが、フランス・バロックの作曲家クープランのクラヴサンのための作品を扱ったCDである。オンライン配信が当たり前の時代になってCDの紹介記事というのも面白いが、この「tic toc choc」と題されたCDが発売されたのは2008年だから(ハルモニア・ムンディ)、もうかれこれ15年も前のことになる。こんな古いCDを、何をいまさら紹介するのだろうかとも思ったが、よく考えてみると私は、フランスのバロック音楽にほとんど縁がない。リュリやラモーの作品の入ったCDを持っているには持っているが、それは沢山の「バロック音楽集」の一部を構成しているに過ぎない。

真夏のうだるような暑さが続く毎日、クープランも悪くない。そこでSpotifyで検索したところ、一発で結果が表示された。さっそく我が家のネット・チューナーに接続し、朝から大リーグ中継を見たがる息子がテレビをつける前にオーディオ装置を鳴らす。妻はまだ寝ているから、起こさないようにと気をつけながら、熱いミルクティーを入れる。すると、聞いたこともないような音楽が聞こえてくるではないか。

このCDを紹介している音楽評論家の文章は、私が書く素人のブログとは甚だ異なり、人に音楽を聞かせようとする力が備わった、いわばプロの文章だ。200年以上も前に作られた独奏曲について、短くも説得力のある表現が続く。例えば、こんな風だ。

「感傷的な伴奏の上に、やさしげな旋律が繰り返される。神秘的と言われれば、そんな感じがしないでもない。たとえば、男女のあいだを隔てる感情のすれ違い。その見えない壁のような作用とか?」

こんな感想が相応しいのは、この演奏がとてもロマンチックに聞こえるからだろう。例えば収録された最初の曲、「神秘的な防塞(第6組曲)」はシューマンのようだ。バロック音楽が何か意味ありげな顔を見せるのは、その演奏ゆえである。だが具体的にどうすればそうなるのか、そのあたりの秘密を解読することは、私にはできない。音楽を楽しむのにその知識が不可欠というわけではないが、このような従来のイメージを刷新する演奏に出会うには、何らかの助けがいる。上記の文章は、クープランのようなバロック音楽でも、新しい演奏が可能であること、そのような演奏が存在することを具体的に紹介してくれている。だから新聞のCD紹介記事は貴重である。

タロー自身ピアノでの演奏に相応しい曲を選んだそうである。それがどういうことかはわからないが、これまでクープラン、あるいはチェンバロでしか縁のなかったフランス・バロックの新しい魅力をこの演奏で感じることができる。一気に、全20曲を聞きとおすようなことは、他の演奏では望めないだろう。それほどに変化に富み、また時にはいささか過激に、現代人の心を揺さぶろうとする。例えば、第8番目の「居酒屋のミュゼット」は、まるで2台のピアノによって演奏されているように感じる。ずっと通奏低音のようなものが鳴っているからだ。ピアノによるピアノのための通奏低音は、結果的にミニマル音楽にも通じる前衛的なムードを呼び起こす。多重録音と思われる効果は、第14番目の「戦いのどよめき」が極めつけだ。何とここではタンブランが鳴っている!

上記の新聞の紹介記事によれば、タイトルの「tic toc choc」が示すように、このCDには「リズムを前面に出した音楽」が並んでいる。「切れが良くシャープである」。それは「旋律を彩る装飾音」を「音楽の推進力へと変えてしまう」ことによって、ピアノによるバロック演奏にありがち「野暮ったい感じにならずに済んでいる」とのことである。その結果、「バロック音楽であることを忘れそうになる」くらいに「クープランの曲が持つ様々な可能性を自在に引き出」すことに成功している。

具体的にどの曲がどうの、という解説はここではしない(転記もしない)。たまにはこのようなバロックの器楽作品に耳を傾けてみるのも良いものだ、と普段はオペラやオーケストラ曲ばかり聞いている私は思った。今年の夏が例年になく暑かったこともあって、少々夏バテ気味だったからかも知れない。

今年の夏は30年以上も隔てて「青春18きっぷ」を購入し、まだ出かけたことのない関東地方のローカル線の旅を楽しんだ。車窓から見える濃い青空。そこに容赦なく降り注ぐ真夏の日差しに照らされた田畑や家々を眺めながら、このCDに耳を傾けていた。暦はもう9月。いささか日差しにも陰りが感じられる今日この頃。長かった残暑も、あと少しで終わりを告げる。


【収録曲】
F.クープラン:クラヴサン組曲より
1. 神秘的な防塞(第6組曲第5番)
2. ティック・トック・ショック、あるいはオリーブ搾り機(第18組曲第6番)
3. クープラン(第21組曲第3番)
4. 信心女たち(第19組曲第1番)
5. さまよう亡霊たち(第25組曲第5番)
6. 編物をする女たち(第23組曲第2番)
7. キテラ島の鐘(第14組曲第6番)
8. 居酒屋のミュゼット(第15組曲第5番)
9. 葦(第13組曲第2番)
10. アタランテ(第12組曲第8番)
11. パッサカリア(第8組曲第8番)
12. ミューズ・プラティヌ(第19組曲第5番)
13. 奇術(第22組曲第7番)
14. 戦いのどよめき(第10組曲第1番)
15. 子守歌、あるいは揺籠の中のいとし子(第15組曲第2番)
16. 空想にふける女(第25組曲第1番)
17. ラ・ロジヴィエール(アルマンド)(第5組曲第1番)
18. 双生児(第12組曲第1番)
19. かわいい子供たち、あるいは愛らしいラジュール(第20組曲第3番)

デュフリ:クラヴサン組曲より
20. ラ・ポトゥアン(第4巻第5番)


日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同...