2016年2月29日月曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K450(P:アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、コード・ガーデン指揮北ドイツ放送交響楽団)

モーツァルトのピアノ協奏曲第15番は1784年の作品である。フランス革命の5年前にあたる。わが国では浅間山が大噴火を起こし、天明の大飢饉が起こった頃。36年しかないモーツァルトの人生で、28歳というともう晩年にさしかかると言ってもいいくらいだが、モーツァルトらしい名曲が数々生まれるのは、もう少しあとだと思う。ピアノ協奏曲でも第20番以降が圧倒的に素晴らしく、そしてそれだけが、数限りないくらいに演奏されている。

ピアノ協奏曲第15番と聞いても旋律が思い浮かぶ人は少ないし、実演で聞いたこともない。ディスクでも全集の中に入っているので持っている、という程度である。わざわざピアノ協奏曲第15番を聞くことも皆無に等しい。私の場合もこのブログを書くために聞いたようなものである。ブログを書くのは、音楽をまんべんなく、かつ注意深く聞くためでもある。私の場合、そのためにブログを利用している、と言っても良い。たとえつたない文章でも書いて公開することで、曲について少しは詳しくなることができる。

そのピアノ協奏曲第15番を、こだわって録音した人がいる。レナード・バーンスタインである。彼はウィーン・フィルを振って60年代にこの曲と「リンツ」交響曲をデッカに録音した。どうしてこの曲を選んだのかわからないが、この録音は大変世評が高かったため、私もかつて小遣いで買った記憶がる。ところがその時、私は「リンツ」を含めちっともいい演奏に聞こえなかった。そしてどこかに行方不明になってしまった。

もう一人、この曲を取り上げてライブ録音したのが、イタリア人のピアニスト、アルトゥーロ・ベネディッディ・ミケランジェリである。彼はグレン・グールドと並び、とても風変わりなピアニストで、完璧主義者のためかレパートリーが非常に少ない。このため実際に上演された演奏のライブ録音が発売されることが多い。例えばウィーンでのベートーヴェンのピアノ協奏曲などは有名だが、この演奏が録音された70年代にはすでに、彼は「伝説のピアニスト」となっていた。

私はミケランジェリが90年代の半ばで生きていたことを知らなかった。ここにもう一つのライブ収録されたCDがあって、それがなんとモーツァルトのピアノ協奏曲第13番と第15番をカップリングした一枚なのだが、これが実は1990年の演奏である。もちろんライヴ。伴奏はコード・ガーデン指揮北ドイツ放送交響楽団。同じ組み合わせで第20番と第25番を組み合わせたCDもある。

この演奏はローカル線の車窓風景に似ている。たとえ保線状況が悪く、よく揺れたとしてもそこに絶景が広がっていると独特の風情を感じる人もいるというものだ。演奏の前後に拍手も収められているが、そのうちの3分の1は戸惑いながらも温かい拍手を送っている。だがもう3分の1は若い頃のミケランジェリの演奏を記憶しており、その落差に失望したかもしれない。残る3分の1は、「伝説のピアニスト」が病気に耐えながらも独自のタッチを続けており、一生懸命にモーツァルトの音を紡ぎだすことに力を注いでいることに驚き、惜しみない拍手を送っている。オーケストラはそのピアノに好意的に寄り添い、新鮮で明るい。

ミケランジェリのピアノのタッチは独特である。そのこだわりのためにこのモーツァルトの演奏では、ルバートがかかる箇所が多くなっている。それが好きになるか嫌いになるかの分かれ目であると思う。私の場合、最初は辟易しながら聞いたが、その後次第に面白くなり、今ではこの曲の演奏のベストのひとつではないかと思い始めている。ライヴではなく繰り返し聞くことのできるCDの強みである。何度かきくうちに、時にバランスを崩しそうになる演奏が、体に馴染んでくるとでも言おうか。

このころのモーツァルトの曲は、幼児っぽくもなければ晩年のとてつもない宇宙を感じさせるわけでもない。そのような曲は、曲としては完璧なのだろうけれども真面目に演奏しすぎると面白くないのだ。例えばペライアやヤンドーの演奏を、こじんまりとした美しい演奏だとは思うが、ミケランジェリの、ちょっと突き抜けた演奏で聞くときの興奮は得られない。

もしかするとバーンスタインも、今聞けば考えが変わるのかもしれない。第一バーンスタインはこの曲が好きなのだろう、ニューヨーク時代にも録音している。バーンスタインを惹きつけた何かがこの曲にはあるのかもしれない。ピアノが常に前面に出て、早くなったり遅くなったり、常に演奏をリードする。これはピアノのための管弦楽曲であることを良く表している、そういう点でそれまでの曲より一歩進んでいる感がある。

第1楽章の、ピアノがそっと入るところは粋だが、そのピアノが次第に饒舌になり、気が付くとピアノだけが聞こえてくるような感じがする。第2楽章にいたっては、つぶやくように静かで落ち着いた中にモーツァルトのロマン性がにじみ出てくる。かといって晩年の寂寥感はまだあまり感じない。バレンボイムの演奏を何度か聞いてきたが、今では中途半端な演奏に思えてならない。第3楽章では、こけそうに遅いながらも春の山道を歩くような喜びがにじみ出る。これはミケランジェリがくれた個人的なプレゼントである。なおこの演奏でもモーツァルト自残したカデンツァが用いられている。

2016年2月28日日曜日

プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」(The MET Live in HD 2015-2016)

旅行好きの私は長年、社会主義国に行くことを避けていた。例外は列車で横断した東ドイツだが、この時は通過ビザ。そして本当に足を踏み入れたのは香港から橋を渡って出かけた日帰りの深圳。でも当時、深圳は経済特区であった。結局私の初めての社会主義国への旅行は、1994年1月の北京ということになった。といってももうすでに中国は、経済成長のはしりの時期であった。初めて中国に出かけたのは、中国の歴史の一端に触れることなく世界を歩きました、などと言うことがどうしてもつまらなく思えたからだった。一度は中国を見てみたい、そう思った。

天安門広場に立った私は、その向こうに広がる紫禁城に目を奪われた。何重にも何重にも城壁が重なり、いつになっても中心に到達しない。そのうち案内してくれた中国青年旅行者の若者が、当時建てられた家の高さが低いのは、この帝の位置を上回ってはならなかったからなのです、と告げた。なるほどそういえば、ホテルへ帰る途中に眺めた周囲の街並みの屋根はみな低い。今のように高層ビルなど少なく、古い家も多かったからその様子はすぐにわかった。

前置きが長くなったが、歌劇「トゥーランドット」の舞台は神話の時代の北京ということになっている。冷酷なトゥーランドット姫に数多くの若者が求婚するが、彼女の出題する3つの謎を解くことが出来たものは一人もおらず、その男たち(26人!)を片っ端から処刑しているというのだ。こういう話は神話でなくてもあり得るような気がしてならない。なぜなら中国の歴史は、不合理な圧制の歴史でもあるからだ。民を従わせることに関する様々なモデルが存在する。文明というものは本来、そういうものであるのかも知れない。

第1幕はその恐ろしい処刑のシーンである。今日もペルシャの王子が謎解きに失敗し、処刑されたのだ。そこに放浪の身である韃靼国の王子カラフ、その父(国王)で盲目のティムール、その召使で奴隷の身であるリューが再会する。リューに会えて喜ぶカラフだったが、処刑の場に現れたトゥーランドットを見て一目ぼれ、自分も求婚すると誓うのだ。

今回のMETの舞台は、過去と同じ演出である。それはつまり、もう30年も続くフランコ・ゼッフィレッリによる絢爛豪華な舞台なのだ。METライヴとしても確か2回目で、私も1996年、アンジェラ・ゲオルギューの演じるトゥーランドットを現地で見ている(指揮はネッロ・サンティ)。それはそれは目を見張るような贅沢な舞台で、音楽もストーリーもほとんど初めての身でありながら、感慨ひとしおだった。私はその時の思い出を、一緒に見た今の妻とたまに語り合うが、それでも過去の記憶は薄れていくもので、どのようだったかは次第に思い出せなくなってきた。何せ4階あたりの席からは十分に舞台が見渡せたかも定かでない。だから一度、ライブを追ったカメラの映像でじっくり見てみたいと思ったのだった。

その豪華な舞台の見せ場は第2幕である。まず前半は 宮殿の中。3人の道化師(ピン、パン、ポン)が登場する。彼らの滑稽なやりとりがまたこのオペラの見どころである。続いて出される3つの謎。丸い小さな踊り舞台が中央にしつらえた池の上を、縦横に橋で囲ったその向こうに、中国の宮殿の屋根がそびえている。池の淵を3人の高官や人々が行ったり来たり。でも古いセットだからか、今こうやってみると何か東南アジアのリゾートホテルの玄関のようでもある。

3つの謎にあろうことかすべて正解してしまったカラフにも、トゥーランドットは頑なに結婚しようとはしない。おそらく彼女は男性を拒絶しているのだろう。その恐怖心が防衛反応を起こさせ、まわりの男性をすべて見下す態度に出るのだ。だがカラフは動じない。まわりの忠告をよそに、トゥーランドットに逆質問をするのだ。自分の名を当てたら死んでもいいというのだ。トゥーランドットは北京の街中に彼の名を探させる。「誰も寝てはならぬ」とはそういう意味だ。

第3幕の最初でカラフは、このオペラ随一のアリアを歌う。その歌声の素晴らしいこと!歌手の名はテノールのマルコ・ベルティという人で、私は初めて見たがその声の艶と迫力は、トゥーランドットの技巧的な超ソプラノ音を上回る品の良さが目立つ。アリアは単独で歌われる時と違い、そのまま音楽が流れるので拍手は来ないが、ここは息をのむ歌であった。

カラフの名を知っているティムール(バス・バリトンのアレクサンダー・ツィムバリュック)と召使いで女奴隷のリュー(ソプラノのアニータ・ハーティッグ)が連れてこられ、拷問にかけられる。トゥーランドットはあくまでも結婚を嫌がるのだ。だが隙を見て自害するリューは、カラフへの愛ゆえに平気であると言うのだ。犠牲者となることを厭わぬリューに、トゥーランドットの冷たい心が解け、最後は結局カラフと結ばれる。見ているものにこれほど都合のいい結末はない。池の周りを踊る人々は、扇を頭の上でくるくる回す。大音量の音楽が流れ、大団円となる。見事な舞台だったが、それを見た私と私の妻は何故か共通の感想を述べた。つまりこのシーンがまるでオカマ・バーの踊りのように滑稽だというのである。でもこの振り付けは台湾の演出家C・チャンという女性が手掛けたもののようだ(彼女はインタービューに登場する)。だからいい加減なことを言うのはよそうと思う。

トゥーランドットはスウェーデン人ニーナ・ステンメ。高い声を広いMETの舞台中に張り上げるのは、さぞ大変である。トゥーランドットを歌えるソプラノは非常に少ない。ブリュンヒルデも歌う重量級のワーグナー歌手の出番でもある。彼女は本作品に「トリスタンとイゾルデ」との共通点を見出す、と答えている。指揮はイタリア人、パオロ・カリニャーニ。私は一昨年の「ナブッコ」で新国立劇場で指揮をとる彼を見ている。METライブは今シーズン、このあと「マノン・レスコー」、「蝶々夫人」とプッチーニが3作品も続く。


歌劇「トゥーランドット」はプッチーニ最後の作品である。彼はこのオペラを完成することなく世を去った。現在上演されているのは、フランコ・アルファーノが補完したものである。とはいえそれは第3幕の最後のシーンだけで、ほとんどこのオペラはプッチーニの作品である。プッチーニが書いたのはリューの死までというから、今回私はその部分を注意して見た。初演したトスカニーニが指揮棒を置いたとされるその部分を見ながら、この作品はオペラがオペラらしく製作された音楽史上最後の作品ではないか、と思った。

2016年2月27日土曜日

ハイドン:交響曲第99番変ホ長調(ネヴィル・マリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーチン・イン・ザ・フィールズ)

「ヨーロッパ各駅停車で行くハイドンの旅」(児井正臣・著、幻冬舎ルネッサンス新書、2010年)というけったいな本がある。この本を目にしたとき、ハイドンの2度に亘るロンドン旅行を、つぶさにたどったものかと思った。しかし、必ずしもそうではないのである。第一ハイドンの時代、ヨーロッパにまだ鉄道はなかった。ではこの本は、鉄道旅行の本か、と言えばそうであるのだが、それだけではない。ハイドンゆかりの地を、主にローカル線に乗って訪ねました、というものなのだ。

だが、ハイドンの音楽が好きで、もともとは鉄道ファンでもあった私は、この両方の趣味を一度にまとめたこの本を迷わず買い、そして読んだ。ハイドンの渡英だけでなく、生い立ちから亡くなるまでの人生の中で、主なゆかりの地を辿っていることで、興味深かった。ハイドンにちなむ紀行文なんて他に目にしたことがないのだから、まあこれはアマチュア的ではあるけれども貴重だと言わねばならない。

その本によると、ハイドンがどのような経路をたどってロンドンへ旅したかは、詳細にはわかっていない。ウィーンに戻ったハイドンは、1年余りのインターバルを置いたのち、1994年から95年にかけて再度イギリスを訪れ、何回もの演奏会を成功させている。第1回目の成功があまりに良かったからだ。その時に書かれたのが第2期ザロモン・セット、すなわち交響曲第99番から第104番までの6曲である。

ハイドンの107曲もの交響曲の中で、とりわけ有名でしかも良く演奏される作品が、ほぼすべてこの中に含まれる。すなわち第101番「時計」、第104番「ロンドン」などである。けれどもその中に名前を持たない曲が2曲存在する。第99番と第102番である。私の場合も「ロンドン交響曲」のうち、コレクションに加えた最後の2曲がこの2つである。丁度この2曲がカップリングされたネヴィル・マリナーCDが発売されたのだった。

そして聞き始めてすぐに、私はこの2曲を好きになった。特に第102番がいい曲だと思ったのだが、そのことはあとで書くとして、まずは第99番である。この作品はまだウィーンを経つ前に書かれている。当時まだ本格的にオーケストラに取り入れられていなかったクラリネットが登場する(第4楽章などに聞こえる)。地味でありながら序奏から最終楽章まで、いろいろと飽きることのない名曲だろうと思う。

後期のロンドン・セット(第2期ザロモン・セット)はどの作品も、ハイドンの交響曲の集大成ともいうべき完成度で、そのままベートーヴェンの交響曲に至るように大規模、充実したものだ。すべての音楽に無駄はないばかりか、当時としての技巧を凝らしているらしい。その詳細を書くことはたやすいことではない。たとえ書いたとしても、素人にはよくわからないものになってしまう。例えば序奏における斬新な転調の見事さは、文章にするとこういう感じである。
9小節目の最後の音は変ロ音のユニゾンだが、これが10小節目で半音上がって変ハ音になると、変ハ音はハ音の半分下がった音だから、ロ音と同じと見ることが出来る。そうするとロ音は、ホ短調の属7の根音だからホ短調に転調する。そこで今度はロ音をハ短調の属7の第3音と見てハ短調に転調する。さらにハ短調の下属和音を経てゆけば、ハ短調の属和音に入るというわけである。(「ハイドン106の交響曲を聴く」(井上太郎、春秋社)
まあそんな分析よりもこの序奏は素晴らしいし、第1楽章全体も素晴らしい。

第2楽章は珍しくソナタ形式だそうだが、そういうこともまあ知らなくてもいいわけで、むしろ木管楽器が変幻自在に絡み合う様子がとても印象的。私個人の感想としては、これはモーツァルトの「ジュピター」の第2楽章に似ているように思う。音楽の素人だから、こういうことが自由に言えたりする。

第3楽章はスケルツォの走りのような音楽だそうだがメヌエット。この楽章を絶賛する人もいるようだが、私には少し単調に聞こえる。それに比べると第4楽章はまた木管楽器も活躍し、とても素晴らしい。交響曲第82番に「めんどり」というのがあるが、これも何か鳥が鳴くようなかわいらしい部分が多いので「おんどり」とでもすれば良かったのか、などというバカげたことも考える。

第99番の演奏を今回立て続けにいろいろな演奏で聞いてみた。そしてどういうわけかやはりこのマリナー盤に行き着くのだ。モダン楽器による演奏だがきっちりとまとまっており、室内オーケストラの特徴を生かしてさっぱりと仕上がっている。マリナーはあまり日本では人気がないが、90歳を超えても現役で、なんと今年春、この組み合わせで来日する予定である。

2016年2月22日月曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調K449(P:ゲザ・アンダ、ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ)

バルトークを得意としたピアニスト、ゲザ・アンダはハンガリーの出身である。私が中学生のころ、我が家にはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番イ長調K488のLPがあり、「みじかくも美しく燃え」という映画にサウンド・トラックとなった第2楽章を良くい聞いたし、カラヤンと共演したグリーグのピアノ協奏曲イ短調は、学校での音楽の授業で先生がかけてくれた演奏だった。そういうわけでアンダというピアニストは、古くからの思い出でもあった。

そのアンダの名演を集めたCD(ドイツ・グラモフォンのCentenary Collection)が目に留まり、聞いたことがない曲ばかりだったが衝動買いをしてしまった。その中に、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」などとともにモーツァルトのピアノ協奏曲第14番が収められていたのだ。

恥ずかしいことに、この曲を聞くのはほとんど初めてだった。だから誰の演奏で聞いても良かったのだが、このアンダの演奏は私を一気に彼のモーツァルトの世界へ引き込んでいった。揺らぎの多いテンポ、衝動的なフレーズ、音楽がオーケストラと掛け合うという表現がピッタリの個性的なモーツァルトがそこにあったのだ。彼のマジャール人としての気質がモーツァルトにも反映していると思った。そして驚くべきことにオーケストラはまた、彼の指揮で演奏している。よくピアノに絡みついて行っているのである。

大人しい80年代の演奏を経て、その反作用としての90年代の古楽器演奏を聞いた後になっても、この60年代の個性的な演奏は新鮮である。いや音楽というのはある程度の即興性と、感情の自然な発露を表現しているのが自然だとも思える。音楽が常に「正しい」表現に向かうなら、こんなにつまらないことはない。だから揺れ動くのはまた大歓迎である。もちろんテクニックを伴っての話であると思うが。

さてピアノ協奏曲第14番である。この作品はモーツァルトがウィーンに引っ越してから3年目にあたる1784年から1785年にかけて作曲された。第14番から第19番までの一連の6曲のうちのひとつである。ケッヘル400番台の中頃はモーツァルトの絶頂期とも言うべき頃で、あの「フィガロの結婚」が1786年である。ちなみにコンスタンツェとの結婚は1782年である。

第1楽章の冒頭は弦のユニゾンが印象的。3拍子のリズムに乗ってピアノが登場するまでの主題での健康的で厚みのあるフレーズが心地よい。ピアノは落ち着いた演奏で聞くのも良いが、アンダのやや先を急ぐような表現はまた、若いモーツァルトのじっとしてはいられないような勢いを感じさせてもくれるようで、私は好感を持っている。

第2楽章は丸で小さな赤ん坊を愛しむような美しさを持ち合わせている。アンダの演奏は明晰なタッチが生き生きと捉えられており、アナログ録音の味が出ている。そこがかえって古き良き時代を連想させ、懐かしくもある。

第3楽章は何かバロックのような出だしで、独奏部の曲調がピアノというよりはフォルテピアノのイメージである。そのフレーズは何度かの合間に顔を出す。つまりロンド形式である。20分程度の曲ながら退屈することなく十分に聞いた感じを残すのは、モーツァルトの音楽が充実している証拠だろう。

2016年2月21日日曜日

ハイドン:交響曲第98番変ロ長調(ゲオルク・ショルティ指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)

第1回目のロンドン滞在中に作曲された第97番と第98番は、ひとつのグループを形成している。いずれも標題を持たない比較的地味な存在の作品のCDを、コレクションの隙間を埋めるために探し、そしてそれを買い求めた経験は2回ある。最初はLP時代で、この時はジョージ・セルの演奏を買った。この演奏は本当に骨格がしっかりしていて、少し控えめなテンポでありながらきちんと正座をして聞かなければ叱られる、と思わせるような完璧な演奏である。

2度目はCD時代になってからのことで、ゲオルク・ショルティによるものが発売されたときである。ショルティはとても速く、初めて耳にした時には、まるでやっつけ仕事のようにこの2曲を録音しているように感じられたものだが、今携帯プレイヤーにコピーして聞 きなおしてみると、溌剌として爽快である。ここでオーケストラはシカゴ響やウィーン・フィルではなくロンドン・フィルである。ロンドン・フィルのハイドンと言えば、あのオイゲン・ヨッフムの演奏が思い出される。デッカは20年以上が経過したロンドン・フィルのハイドン演奏に、ショルティを起用したということになる。

演奏会ではハイドンは自らフォルテピアノを弾きながら指揮をしたようだ。楽譜にはチェンバロのパートがあり、一連の録音では饒舌なチェンバロの音色を楽 しむことができる。第1楽章アレグロでの出だしからその響きは印象的だが、面白くて画期的なのは第4楽章のコーダで、一時チェンバロがまるでカデンツァのように登場して、主役を務める何小節かがあるのだ。このチェンバロが登場する前には、曲はいつになったら終わるのだろうかというくらい長いコーダが始まり、 ヴァイオリン奏者による独奏が混じったり、急にテンポが落ちてバロック音楽のような感じになったりと、楽しさが尽きない。

第4楽章のメロディーのすがすがしさと、いつまでも終わらない千変万化する長大な終結部の楽しさがこの曲の特徴であり、私の好きなところだ。けれども第2楽章の深々とした祈るようなメロディーもまた、この曲に独特のムードを与えている。このメロディーは、若くして死去したモーツァルトへの追悼の音楽であるという説がある。真偽はわからないが、そのように聞くと確かにそういう気がしてくるのも事実である。おそらくモーツァルトの緩徐楽章を思わせるようなパッセージだからではないかと思う。いずれにせよこの曲は、ハイドンが成功を得た後で自信を持って披露したユニークな交響曲であるとも思う。

これで1年余りに及んだ第1回のロンドン旅行は終わった。オックスフォード大学で名誉博士号を与えられたハイドンは、ウィーンへの帰路ボンに立ち寄り21歳のベートーヴェンに会う。ハイドンは彼をウィーンに呼び寄せて弟子とすることに決め、第2回目のロンドン旅行に同行させるつもりだったという。だがそれは実現しなかった。ベートーヴェンは意固地な反逆児であったから師匠の言うことを聞かなかったのだろうか。だがベートーヴェンが師匠の成功を利用するような生き方を選択していたら、彼は音楽史に埋もれた凡百の作曲家に成り下がっていたかもしれない。

最後にもう一度。この曲に関する限りショルティの演奏が最高に素晴らしい。春の嵐が吹き荒れた翌日の朝、私は江戸川の河川敷を歩きながらこの曲を聴いた。第4楽章のすがすがしさは、私をしばし幸せな気分にさせてくれた。

2016年2月19日金曜日

ハイドン:交響曲第97番ハ長調(マルク・ミンコフスキ指揮ルーヴル宮音楽隊)

交響曲がハ長調で書かれるとき、祝祭的で華やかなものとなるようだ。この第97番はハ長調であり、トランペット2本とティンパニーが使われている。だがそれ以前に書かれたハ長調と大きく違うところは、その規模ではないかとおもうかろうか。ロンドンで演奏会を行うハイドンのために結成されたオーケストラは、ウィーンの片田舎にあったオーケストラよりも人数が多く、40~60人はいたそうだ。この違いが作品に影響を与えたのは想像に難くない。

1791年、ハイドンはようやく自由な身となって大都会ロンドンへ招かれ、熱狂的とも言える大成功を収めた。数々の試行錯誤を経てウィーン古典派の交響曲スタイルを確立し、齢60にして大々的にそのお披露目をする時が、ついにやってきたのだ。それまでの集大成として、大規模なオーケストラを前に筆致も確かなものだったのだろうと思う。ゆるぎない自信と安定性が感じられるその作品の中でも、ハ長調の第98番はとりわけハイドンらしいと私は感じている。

マルク・ミンコフスキの演奏で聞く第1楽章では、思ったほど速いテンポではなく、3拍子の第1主題もどちらかというとかっちりとしている。ショルティとセルの演奏も持っているが、敢えてこの二つの演奏と比較すると、第1楽章は春の嵐のショルティ流ではなく、楷書風のセル流と言えばわかりやすいか。序奏などは非常に重厚である。

第2楽章には、ヴァイオリンの珍しい奏法(スル・ポンティチェロ=極端に駒よりの部分を弓で弾く。倍音のみが強調される)が用いられているようだが、素人には区別がよくわからない。一方、繰り返しがないと言われる第3楽章のメヌエットは、メロディーが歌うようで大変親しみやすい。中間部でヴァイオリンのソロがすうっと浮かび上がる。特にこのミンコフスキの演奏では、ここが強調され特に印象的である。

最終楽章のプレスト・アッサイは、今度はショルティ風にミンコフスキの突風が駆け抜ける。アンサンブルがしっかりしているので決して上滑りにならない。ミンコフスキのハイドンは2009年になって華々しく登場し、新風を吹き込んだ。停滞しがちなハイドン演奏の駒をさらに一歩進めたかのようだ。ここでの一連のロンドン交響曲の演奏は、どれをとっても新鮮な驚きと共感に満ちている。

2016年2月17日水曜日

ハイドン:交響曲第96番ニ長調「奇蹟」(クラウディオ・アバド指揮ヨーロッパ室内管弦楽団)

この交響曲の初演中に天井から照明が落下したそうだ。だが幸いにも死傷者いなかったという。何でもあまりのハイドンの人気に観客がかけより、客席に隙間ができた、丁度そのところにというのである。イギリス人が考えそうな、まるで嘘のようなストーリーである。「奇蹟」のニックネームはこのようなエピソードから付けられた。まだ音楽が「芸術」の衣装をまとっていない時代、それはただ楽しむためにあった。幸せな時代である。だが本当は交響曲第102番だったという説がある。どちらにせよこの標題は、音楽そのものとは関係ない。

でもそこが面白いところで、ニックネームが付けられたことによってこの曲は有名になった。とにかくレコード録音では売れ行きの問題から、標題付きの作品が好まれた。私がこの曲を聞いたのも、比較的初期のことである。その時の印象は、どちらかと言えば薄いものであった。この曲はロンドン交響曲の中でも最も最初に作曲されたが(素晴らしいミンコフスキのロンドン・セットでは、この曲が最初に収録されている)、そういう嘘まがいのエピソードは、イギリス人が考えそうなユニークなマーケティング戦略だったのではないか、などと穿った考えも沸いてくる。

井上太郎という人が書いた「ハイドン 106の交響曲を聴く」(春秋社、2009)は、ハイドン没後200周年を記念した年に出版され、私もこのブログで大いに参考にさせてもらっている。その中で井上氏は「もっとも好きな曲をあげよと言われたら、私はこの曲をあげたい」と書いている。私はさほど強い印象を持っていなかったので意外であった。井上氏は作曲の理論まで習得された方なので、おそらくプロの観点から見れば、そういうことになるのだろう。音楽としての斬新さや見事さは、楽譜を読めないものにとって、気付くことも文章にすることも難しい。

だがハイドンはプロの音楽家のために曲を書いたのではない。おそらくロンドンに詰めかけた聴衆の多くは、素人の音楽好きだった。わかる人にはわかるクラシック音楽は、わからない人にとってもそれなりに楽しめるものであるべきだ。

そういう観点で改めて聞いてみると、少なくとも第1楽章の素晴らしさは理解できるように思う。簡潔にして荘重な序奏は見事だが、ひとしきり第1主題が提示され、それが繰り返されて展開部に向かうとき、この音楽の構造の豊かさが感じられるのだ。それは展開部の後半で音程が一気に上がるあたりだ。そして休止があるかと思うと第1主題が現れる。これは本当の再現部ではなく「疑似再現」というらしい。もう一度休止。本来の再現部はここからである。そしてその再現部でもまた、高音域に達する部分があり、この2か所の効果でこの楽章の壮大さが見事に展開されている。

この曲はなぜかオーボエが多く活躍するように感じられる。序奏の最後、第2楽章の最後(カデンツァ)、そして第3楽章の中間部などである。実際には他の楽器もまんべんなく出てきて、第2楽章のコーダ部分などとても趣がある。その第2楽章は当時の編成を考えるととても重厚で、ベートーヴェン的にも感じられる。

クラウディオ・アバドの指揮するヨーロッパ室内管弦楽団は、合計8曲の交響曲録音を残しているが、この「奇蹟」もその一つである。もっともアバドのハイドンはこれだけであり、ロンドン交響曲の一部でしかない。それでもこの「奇蹟」は80年代のアバドの演奏を知るうえでとてもいい演奏である。モダン楽器ながら贅肉を配し、すっきりとした響きの中にもダイナミックでリズム感がある。いまではむしろ真面目すぎるくらいで、大人しい演奏に聞こえるが、まだ重厚な演奏が主流だった時代に新風の如くと登場した演奏である。

ヨーロッパ室内管弦楽団という若手中心のオーケストラが、そのような鋭敏なアバドの指揮に良く応え、技術的にも上質の新鮮な響きがすこぶる魅力的である。


2016年2月16日火曜日

ハイドン:交響曲第95番ハ短調(ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団)

この作品は、めずらしいことにハ短調で書かれている。短調の作品としては、12曲のロンドン交響曲中これだけで、その前ということになると、パリ交響曲の第83番ト短調「めんどり」、第80番ニ短調、第78番ハ短調、第49番へ短調「受難」、第45番嬰へ短調「告別」、第44番ホ短調「悲しみ」、第26番ニ短調「ラメンタチオーネ(嘆き)」などとなる。ネガティブな標題が短調作品の性格を物語っている。でも招待されたロンドンで、どうしてこのような交響曲を書いたのだろうか?

それはおそらく、あまり明るい作品ばかりだと面白くないと思ったからではないか。少し違う色合いの曲を混ぜることによって、全体としての総合的なまとまりがよくなり、他の作品が引き立つというものだろう。ハイドンの多彩さを強調する意味で、モーツァルトの第40番などと並び、異色の作品として取り扱われる・・・と思ったかどうかはわからない。だが、どういうわけかこの作品はあまり人気がなく、よく知られていない。

そういう作品だからこそ、一生懸命聞いてみたくもなる。第1楽章の序奏のない冒頭が印象的で、「この曲は短調である」と主張しているようだ。どちらかと言えば劇的な感じがするだけで、曲が悲しいわけではない。第2楽章も暗くはない。第3楽章のメヌエットは、それ自体楽しい。トリオの部分でチェロの独奏が見られ、ここが特に印象的だった。

ジョージ・セルの演奏が、少なからぬ数の古典派作品の演奏において、ある時期まで極め付きの名演を誇ったことは疑いがない。一昔前、 クリーヴランド管弦楽団を指揮して録音された一連の演奏は、録音の硬さから生じる無味乾燥とした響きという見当違いの批判を押しのけてしまうほど、一糸乱れぬパーフェクトな演奏だった。どんな作品でも手を抜くことなく、ブラームスであれモーツァルトであれ、高水準の技術的完成度を誇るその様子は、しばしばアメリカの鉄鋼業とモータリゼーションの恩恵による豊富な経済力を思い起こさせ、その結果として勝ち取られた高い芸術性をも示していた。ボストン、シカゴなどと並び、ここにもヨーロッパに比肩しうるオーケストラがあるという事実は、一時期のアメリカの黄金時代の象徴であった。

セルによるハイドンのディスクは、何度装丁を変えて発売されたかはわからない。発売されるたびに音質は良くなった。モダン楽器によるかくもきびきびとした演奏が、すでにこのころ存在していたことに驚かされる。すなわち、個々の楽器が完全に分離して聞こえ、それが楽譜に忠実な速さで生き生きと演奏されるシーンである。その後オリジナル楽器が流行し、高い技術水準とトレーニングによって可能となった表現が、すでに実現されていると言えば言い過ぎだろうか。

第4楽章フーガは、初めて聞いたときモーツァルトの「ジュピター」の終楽章を思い出した。「ジュピター」は1877年の作品だから、もしかしたらこの曲を聞いたハイドンは、自分でも得意とする大規模なフーガを配した交響曲作品を、この時にも書こうと思い付いたのかもしれない。そういえばハイドンがモーツァルトの死を知ったのは、第1回目のロンドンの滞在中であったという。ハイドンの人生の中にすっぽりと入るモーツァルトの人生は、ハイドンから影響を受け、やがてハイドンを追い越し、そしてついにはハイドンに影響を与えた・・・などと想像してみたくなる。

2016年2月15日月曜日

ハイドン:交響曲第94番ト長調「驚愕」(ジギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンド)

ハイドンの交響曲の中でおそらくもっとも有名なのが、この第94番である。俗に「びっくりしンフォニー」などと呼ばれるその理由は、わざわざここに書き記すまでもない。私がクラシック音楽に興味を持ち始めた70年代、学生向けに様々な音楽を紹介した書籍は、まず交響曲の章から始まることになっていて(私はこの区分が嫌いである)、その最初に登場するのは「交響曲の父」ハイドンの作品から2曲、すなわち「驚愕」と「時計」であった。LPレコードは多くがこの2曲をカップリングしており、それ以外の曲はほとんど知られていないという状況だった(熱心な聞き手のみ「軍隊」とか「太鼓連打」なども知っていただろう)。

「驚愕」という日本語を知ったのもこの時である。クラシック音楽というのは、わざわざ難しい言い方をするものだと思った。そして解説を読むと、必ずといっていいほど第2楽章の音響効果について触れている。曰く居眠りを始めるご婦人方を起こしてやろうと、ハイドンはピアニッシモからいきなり大音量を鳴らすという機知に富んだアイデアを思い付いたというのである。優雅で気品に満ちたメロディーは、最初の数小節をヴァイオリンのみで始める。誰もが一度聞くと忘れることがないようなハ長調のメロディーは、そのあと、わざわざ音量をさらに小さくして繰り返す。その音は徐々に消えていき、もう聞こえなくなったと思えるような静かな旋律が終わるや否や、全楽器がいきなりフォルティッシモで主和音を鳴らすのだ。

実は面白いのはこの後である。オーケストラは何事もなかったかのように、そのまま後半のメロディーをエレガントに奏でる。そして私はそのあとに4回繰り返される変奏に心を奪われた。変奏曲の面白さを味わうのは、この曲がまた適していると思う。そしてリズムがはじける第3楽章。クイケンの古楽器の演奏で聞くと、メヌエットは爽快そのもである。ここはアレグロ・モルトなので速い演奏が正しい。小気味よいリズムに心を揺らしていると最終楽章では流れるように進んでいく。ハープシコードが通奏低音を響かせているのも新鮮である。モダン楽器の厚ぼったい演奏で聞いてきた聞き手は、古楽器によるすっきりした演奏で、またこの曲の魅力を再発見する。

2016年2月10日水曜日

ハイドン:交響曲第93番ニ長調(コリン・デイヴィス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

このブログのハイドン交響曲シリーズは、長い間中断していたが、いよいよ最後の段階に入る。第93番から最後の第104番までを「ロンドン交響曲」という。これらの交響曲にはハイドンの残した交響曲のもっとも素晴らしいものが凝縮されており、充実した味わいと完成度の高さで、それ以前の交響曲よりもずっと人気が高い。したがって録音も多い。

ハイドンがロンドンに招かれたのは幸運だった。それまでエステルハージ公に長く仕えてきたハイドンにとって、ようやく田舎から脱出し自らの才能を公に披露する機会となったからだ。1790年、58歳の時である。この話を持ち掛けたのは、ヨハン・ペーター・ザロモンという人で、彼は2度ハイドンを招いている。よってこの期間につくられた「ロンドン交響曲」を「ザロモン・セット」とも呼ぶ。

ハイドンは1791年から翌92年にかけてと、94年から95年にかけての2度ロンドンを訪れた。交響曲第93番から第98番までの6曲が第1期、第100番から第104番までの6曲が第2期の作品である。私は1792年のロンドンからの帰途、ボンに立ち寄った際にまだ若かったベートーヴェンに出会い、ウィーンでの師弟関係を築く最初のきっかけとなったことに興味を覚える。この出会いがなければベートーヴェンがその後の音楽の突破口を開くことはなかったと思うからだ。

ハイドンは持病を患いながらも1809年まで生きる。ハイドンが没したとき、ベートーヴェンはすでに39歳であり、 もちろんモーツァルトはすでに亡く、シューベルトは12歳であった。古典派からロマン派に移る激動の時代をハイドンは生きたことになる。しかしハイドンは古典派の父であり、その作風はこの晩年の交響曲群でもその域を出ることはなかった。

交響曲第93番は、そのようなハイドン晩年の入り口にふさわしい風格を備えている。そう思ったのは私が、コリン・デイヴィスの演奏を聞いた時だった。第94番「驚愕」や第101番「時計」などの表題付き交響曲とは違い、どちらかというと地味な存在である。そのためどのような音楽かわからなかった。ところが聞き始めてすぐに、この音楽の虜になってしまったのだ。おそらく演奏が素晴らしかったからだろう。デイヴィスの厳格ともいえる指揮に一糸乱れぬアンサンブルで聞かせるコンセルトヘボウ管弦楽団は、黄金のコンビと言ってよいほど完璧なリズムとアクセントに加え、「いぶし銀」の音色と気品を持っていた。フィリップスの芸術的な録音によって、この音楽の魅力が余すことなく収められている。

第1楽章の序奏からその魅力はよく伝わってくる。だが3拍子の主題が勢いよく流れだすと、じっとしてはいられないような気持になるのだ。第2楽章のゆったりとしたメロディーも中間部に至ってはダイナミックで飽きさせず、第3楽章のメヌエットがまた襟を正したくなるような楷書風の演奏である。飾り気なくグイグイと進む。第4楽章の高速感とその間に見え隠れする楽器の重なりは、今日親しんでいる交響曲像に近い。

第2楽章の終わりでファゴットが大きな音を出す。おならではないかと一瞬思う。それはつまり、「驚愕」などにも込められているハイドンのユーモアなのだろうと思う。

2016年2月7日日曜日

NHK交響楽団第1829回定期公演(2016年2月6日、NHKホール)

銀座でMET Liveを見たあと地下鉄に飛び乗り、渋谷のNHKホールに来た。18時から始まる定期公演を聞くためである。N響の演奏会は今年これが早くも3回目である。いつもの3階自由席を買おうと思ったらなんと売り切れである。こういうことは非常にめずらしい。仕方がないからD席を3600円を払って購入し、長い階段を駆け上る。

公演の最初の演目はマーラーの「亡き子をしのぶ歌」、独唱はマティアス・ゲルネ。 ゲルネの声は、その大柄な風貌からは想像できないほど繊細で美しい。私はシューベルトの「冬の旅」を聞いて以来、その表現の深さにCDを衝動買いした。ゲルネは大きな体をゆすりながら、二人の子を相次いで亡くしたマーラーの深い悲しみを表現した。その姿は3階の席からも見て取れた。

休憩をはさんでいよいよブルックナーの交響曲第5番が始まる。今日のコンサートは中高年の男性が多い。自由席には学生の姿も目に付く。そして3階席の最上部と両端だけは、わずかの隙間もなく埋まっている。みなブルックナーを聞くためである。

オーケストラの配置が興味深かった。チェロが本来のヴィオラの位置に座り、その奥にコントラバスがいる。このことで普段は右側から聞こえる低温が、左からの高い音に混じるのだ。つまりこの曲では左右の音の分離が打ち消されている。意図してブルックナーの音が、全部混じったような音になったのだ。ここで上段に並んだ金管楽器が合わさると、オーケストラがまるでひとつの楽器のようになるのだろう。金管セクションはこの長大な曲の間中、ほとんどミスをすることなくきれいなアンサンブルを披露した。いや金管だけでなく木管楽器も、そして中央最上部から打ち下ろすティンパニーも、N響の充実ぶりは最近特に目を見張るものがあるように思うが、今回の演奏もまたその一つと言える。ただ音については上記の配置の影響で、いつもとは少し異なるように感じた。

私はかつてのN響のくすんだ音が蘇ってきたように感じた。ヤルヴィの音楽はもっと風通しが良いにもかかわらず統制が取れている、という印象だったが、果たしてブルックナーとの相性はいいほうなのだろうか。

こういったことを考えるうえで、いつも問題になるのがブルックナーの音楽そのものについての、聞き手の感じ方の違いである。一方でブルックナーを称賛し、神の音楽だと崇める人がいるかと思えば、長年のクラシック・ファンの中にもブルックナーを毛嫌いする人がいる。それほど感じ方が両極端なのだ。ブルックナーの交響曲第5番は、そんな中でも最もブルックナー臭い音楽ということになっており、実際、私の場合はこの曲を生で聞くのは初めてであった。

私は特定の音楽のみを聞くような聞き方を好まないので、これまでできるだけ重複を避けるようにコンサートへ足を運んできた。今回の演奏会もそうで、ブルックナーと言えばこれまで聞いたことがあるのは、第4番「ロマンチック」、第6番、第7番、第8番、第9番、それにミサ曲というところである。ここで第4番、第6番を聞いたときには、私は心の底からブルックナーの音楽が美しいと思った。いずれもN響の演奏である。そしてそれぞれの終楽章に至っては、私は心からこんな綺麗な音楽はほかにない、とさえ思ったものだ。そうそう、第7番、第9番の時も悪くはなかった。

こういうことがあって、私の場合は、 熱狂的なブルックナー・ファンになる最初の入学試験には合格したものの、その後についてはまだまだといったところである。そしてブルックナーのむつかしいのは、演奏を極端にまで選ぶということだ。「いい演奏」で聞くととてもいいのに、そうでない場合は全くもってそうではない。これも多くの人が言っている。そして世評の高い指揮者、有名な売れっ子指揮者の演奏が、後者、つまりつまらない部類に入ることが多い一方で、ほかの曲ではさして見向きもされない指揮者が、突如として頭角を現す・・・これも多くの人が語っていることだ。

では、どういう演奏がいいというのだろうか。Webで検索し、いろいろな人の意見を調べてみる。こういうことが手軽にできるようになったのも、インターネット時代のいいところだ。ところがそこに登場する演奏は・・・ああ、何ということか・・・チェリブダッケだのクナッパーツブッシュだの・・・定評ある録音としても、せいぜいヨッフムとカラヤンが姿を現すだけで・・・カラヤンを取り上げていればまだいいほうで・・・ヨッフムともなれば正規録音でないものまでもが多数登場し・・・そして悲しいことに、それらの演奏は、今では現役で聞くことができきないものばかり・・・つまり、すでに逝去した指揮者の残した録音なのである。

現役の指揮者の録音というものがないのかと言えば、そうではない。事実私が所有して気に入っているティーレマンの演奏は、これを評するブログにあまり出会ったことがない。私はなるべく最近の演奏を聴きたいほうなので、これはとても残念なことである。そして今回聞いたヤルヴィもまた、すでにフランクフルト放送交響楽団を指揮して録音しているではないか。

前置きが長くなってしまったが、そのようにかつての古い録音でしかその魅力を語れないのでは、とても残念な気がする。私は音楽は第1に生のものだと思っているので、そうだとするとブルックナーの素晴らしさに今ではほとんど触れることができないことになる。そうは思いたくないので、私は今回聞いたヤルヴィのブルックナーについて、より肯定的な感想を記したいと思うのだ。だが悲しいことに、私の今の経験と知識では、それを満足になすことができない。正直に言えることは、これまでほかの演奏で味わった、ブルックナーの神髄に少しでも触れるかのような気持ちには、ほとんどなれなかったのである(終楽章の最後で少しは感じたが)。

第2楽章と第3楽章は続けて演奏された。その間中もオーケストラは十分鳴っていたし、一糸乱れぬアンサンブルであったと言っておこう。長いコラールのフィナーレもそれは見事であった。だが圧倒的な拍手が沸き起こる一方で、早々に席を立つ人が少なからずいた。 そのことが今回の演奏を端的に示していたように思う。両者を分けたものは一体何だったのだろうか。そして私はどちらかと言えば後者、つまり感動を持たなかったほうに入ると思う。私のブルックナー音楽の進級試験は、また落第だったのか、それとも評価に値しない演奏だったというべきなのだろうか。

2016年2月6日土曜日

ビゼー:歌劇「真珠採り」(The MET Live in HD 2015-2016)

アジアを舞台にした古いオペラ作品というと「トゥーランドット」と「蝶々夫人」くらいだと思っていた。古いといってもプッチーニが活躍したのは明治時代だから、もうそのころにはアジアの情報がヨーロッパに直接伝わっていた。だから中国や日本が物語の舞台になったとしても、もはや違和感はなかっただろう。ところがビゼーのオペラ「真珠採り(Les Pêcheurs de perles)」は、なんとセイロン島が舞台なのである。

ビゼーのオペラと言えば「カルメン」のみが断トツで有名で、その音楽は知らない人など誰もいないくらいに有名であり、しかもそのような親しみやすいメロディーが延々と続くという、オペラ入門にはまさにうってつけの作品である。この作品はスペインのセヴィリャ郊外を舞台にしていて、たばこ工場で働くジプシーの女にストーカーとなってまとわりつく純情な青年の物語ということもあり、とても人気がある。

これに対し「真珠採り」 という作品が存在することくらいは知っていたが、その音楽や歌は聞いたことがなかったし、ましてその物語の舞台が、インド大陸南端の島だとは想像してもいなかったのである。METの舞台で取り上げられるのはなんと100年ぶりであり、前回の公演にはエンリコ・カルーゾーが歌ったというから大変なものである。指揮はイタリア人ジャナンドレア・ノセダ、演出はイギリスの映画監督ペニー・ウールコックである。

指揮者がタクトを振り下ろすと青い海中の情景が舞台一面に広がった。上からダイバーが下りてきて泳ぐ。真珠を採るという作業は、わが国では海女さんの仕事である。私も伊勢賢島でその様子を見た。彼女たちは素のまま潜り、貝を拾い上げては桶の中にそれを入れていく。貝の中で生成される真珠は、他の宝石とは少し異なる。昔は養殖などされていなかったから、真珠を採ることはたやすいことではなかっただろう。そして命がけである。だから真珠採りとして生計を立てる人々の間に深い信仰があった(ということになっている)。対象はインドの神だが、尼僧がいて修道院で暮らすあたりはちょっとおかしい。

短いが圧倒的な印象をもたらす冒頭のシーンは、特注された装置によってつりさげられたアクロバティックな演技によるもので、そのからくりは幕間に詳しく紹介される。そのシーンが終わると舞台は村人の集会の場面である。暗い中に金色に光る灯が適当に配置され、異国情緒を醸し出す。村人の中からズルガ(バリトンのマウリシュ・クヴィエチェン)が領主に推挙される。彼には権力が与えられるが、そこに登場するのは旧友のナディール(テノールのマシュー・ポレンザーニ)である。男同士の二重唱「神殿の奥深く」が美しく魅了し、拍手は早くも最高潮に達する。この二重唱は本当にきれいだった。

やがて巫女を乗せた船が登場。彼女は純潔と信仰を誓うことを宣誓させられるが、ナディールはそのヴェールを被った女性がかつて思いを寄せていたレイラ(ソプラノのディアナ・ダムラウ)であることを発見する。アリア「耳に残るは君の歌声」である。このメロディーは「真珠採りのタンゴ」としても有名だそうで、私もYouTubeなどで聞いてみた(アルフレッド・ハウゼ楽団)。

異国情緒にあふれ、ビゼーの美しい音楽に満たされたこのオペラは、まるで真珠を探すように指揮をした、とノセダは語っている。だが第2幕となると一転、三角関係のもつれは3人の人生を狂わせる。その有様はフランス魂満載の身勝手な自尊心に満ちたものだ。高層ヌーラバット(バス・バリトンのニコラ・テステ)の命で寺院(といっても今回の上演版では第1幕と舞台はさほど変わらない)にこもっているレイラをナディールが訪ねてくる。彼女と駆け落ちするためだ。しかし寺院の見張りに見つかりつかまってしまう。盟友ズルガはナディールを助けようとするが、その相手が自分も恋心を寄せるレイラだと知ると一転、二人を処刑することにしてしまうのだ。ドラマチックな音楽である。

第2幕が終わって第3幕までの間、逆巻く海の画像が流れている。その中から浮かび上がったのは、古い高層アパートである。カルカッタか香港のような街の画像がどうして登場するのだろうか。そしてそのあと始まる第3幕の第1場は、何とズルガのオフィスである。一面に書類を収納した書棚の前にはパソコンもある。ズルガはテレビを見ながらビールを飲んだりするのだ。この時代錯誤的シーンは、意図して挿入されている。そのことで見ているものをまるでヴェリズモ・オペラを見ているような錯覚にとらわれるのだ。音楽はまるでヴェルディのように豊穣である。慈悲を請うため現れたレイラにズルガは告白するが、彼女は今でもナディールを愛しているのだった。

アパートの画像を経て再びセイロンの村。とうとう処刑が行われることになった。鎖につながれたナディールとレイラを、あろうことかズルガは逃がしてやる。村に火を放って村人たちを立ち退かせたその隙に、である。ズルガはかつて自分を救ってくれた恩人が、何とレイラであることに気付いたからだった。レイラの首にかけられた真珠の首飾りがその証だったのだ。息絶えるズルガ。

この作品は丁度2時間程度と苦にならない長さでありながら、美しい音楽に満たされ聴きどころが満載で、あまり上演されないのが不思議である。そう感じさせるのは今回の歌手陣が総じて素晴らしかったことと、それにエキゾチックな演出が見事だったからだろう。

2016年2月5日金曜日

映画「ロイヤルコンセルトヘボウ オーケストラがやって来る」(2014年、オランダ)

ロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団が創立125周年を記念して行った世界各地での演奏旅行を追ったドキュメンタリーという触れ込みで、この映画の上映が始まったのは1月末だった。新聞に広告も掲載され、この手の映画としては評判だと思った。大所帯のオーケストラの世界旅行ともなると興味深い映像も数多く見られるのではないかと思い、丁度会社を休むタイミングがあったので妻と見に行った。渋谷のユーロスペースという映画館である。

映画は日本人向けに撮影されたインタービューから始まるが、英語が拙いうえにありきたりのコメントばかりでしかも長い。早く本編に入ればいいのにと思った。

コンセルトヘボウの舞台で音を合わせる打楽器奏者から始まるこの映画は、私が前もって想像したような映画ではなく、世界各地で虐げられてきた人々と音楽とのかかわりを描いたものだ。その都市とは、南米のブエノスアイレス、南アフリカのジョハネスバーグ(ヨハネスプルク)、それにロシアのサンクト・ペテルブルク(いやソ連のレニングラードと言うべきか)である。それぞれの街で、貧困、差別、圧制に苦しんだ3つのエピソードを軸にドキュメンタリーは展開される。

共通するのは音楽に対する深い思いである。アルゼンチンのタクシー・ドライバーは、クラシック音楽が現実の世界から逃避するためのものだと語る。オーケストラ・メンバーの家族や同僚との会話や移動のシーンなどがふんだんに挿入される。

次に向かったアフリカで、音楽学校を主宰する黒人の老人は、人種隔離政策によって困難を極めたバイオリンの習得について語りだす。私がもっとも心に残ったシーンは、その男性が話すメニューインとの出会い、そしてバイオリン奏者を志したと語るエピソードである。背後に茶色の国土、そこを行きかう女子生徒。彼女は話す。音楽がどれほど生活に潤いを与えているか。そのままオーケストラの公演シーンとなり、「ピーターと狼」やジャニーヌ・ヤンセンを独奏に迎えたチャイコフスキーの作品などが演奏される。

3番目の訪問国ロシアでのエピソードはもっと冷酷だ。コントラバス奏者はショスタコーヴィッチの交響曲について語る。その演奏に重なるように登場した老人は、母親と妻をすでになくしている。話は帝政ロシアが革命によってソ連と名を変える時代にまでさかのぼる。理由もなく秘密警察に父親を連行された彼は、そのまま強制収容所へ送られ、さらにはナチスの侵攻によってドイツでも抑留生活を余儀なくされる。「これが私の人生だった」と涙ぐむシーンは、見ているものをくぎ付けにする。

オーケストラは、ヴェルディのレクイエムやマーラーの交響曲第2番のフィナーレを演奏する。指揮はマリス・ヤンソンス。演奏会場に彼の姿をカメラはとらえる。音楽は人の心に安らぎを与え、救いの手を差し伸べる。そのことがこの映画の主題だ。世界中で音楽によって助けられている人がいる。コンセルトヘボウの世界旅行を追いながら、この映画の主題は音楽の持つ力についてである。それは直接人を助けられないかもしれない。けれども人はまた音楽なしでは生きていけないのだ。

この映画の心地よい裏切りは、オーケストラの楽団員を静かに追いながら、次第にそのような深刻なエピソードを淡々と追うことだろう。世界各地の会場で出会う聴衆の中に、いくつものストーリーが隠れている。そのことを掘り起こそうとしている。だから下手にタイトルをつけないほうがいい。日本語のチラシには、「世界第1位のオーケストラ」などと書かれているが、そのようなことはもはや関係ないし、この映画の言いたいことではない。

カメラの視点は楽団員と聞き手の間を行き来する。その間に関連性を見出すこともできないわけではないか、どちらかといえばつぎはぎの印象を残す。作者の視点が定まらないと思うのは、そのような時だ。挿入される演奏が効果的かと言われれば、そうだともいえるがもっと効果的にすることが可能だったのではとも思う。総じて感じるのは、ちょっと中途半端な構成である。これはテレビのドキュメンタリー・レベルであると思った。日経の金曜夕刊に映画評が掲載されるが、その際の5段階評価に倣って星をつけるとすれば、★3つ程度という感じか。ただこのような映画は珍しい。監督はエディ・ホニグマン。

2016年2月4日木曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第13番ハ長調K415(P:ダニエル・バレンボイム、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

この曲の特徴は、ハ長調のモーツァルトだということである。雄大で飾り気のない出だし。第11番や第12番にはなかったトランペットとティンパニが加えられている。だからというわけではないが、この作品はバレンボイムの指揮とピアノ、ベルリン・フィルの最新版(といっても90年代後半の録音だが)で聞くことにした。さすがに壮大で迫力のある演奏である。ピアノも堂に入っていて、達人の円熟味を感じる。ベルリン・フィルの自発的なアンサンブルに乗って、立派な演奏に仕上がっている。録音もいい。

第2楽章は丸で映画音楽のようだ。情報量の多いバレンボイムの演奏で聞くと、安定感のあるロマンチシズムといったものが感じられる。これに対し第3楽章は、初めて聞いたときハイドンの交響曲のようだと思った。アレグロの音楽が突如中断したかと思うと、そこに静かな部分が展開されるのだ。それは何回か繰り返される。この部分、短調で書かれているようだが、このまま先へ進みたい気分を抑制して静かに語りかける。壮麗に始まるこの曲は、意外にも静かに終わる。

この第3楽章は、ひとつのテーマが繰り返し現れるその間に、違ったメロディーが挟まれる。このような、最終楽章によく使われる形式がロンド形式である。A-B-A-C-A-D...という感じである。この曲の第3楽章もまたロンド形式だが、その挟まれる部分がこの曲の場合、短調となってメランコリックに響く。初めて聞いたとき私は正直なところ、その違和感をぬぐえなかった。第1楽章と第2楽章の風格に対し、何か中途半端な感じがしたのだ。だがそのことも含めて、この曲の特徴であると思う。

2016年2月2日火曜日

モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番イ長調K414(P:ラドゥ・ルプー、ウリ・セガル指揮イギリス室内管弦楽団)

モーツァルトのピアノ協奏曲第12番は、第11番より前に作曲された。このためバレンボイムなどのCDでは、12番が先に収録されている。まあけれども、そんなことはどうでもよい。第11番から第13番まではモーツァルトのウィーン・デビューを飾る作品でもある。予約演奏会を開催し、自ら演奏して曲を披露し、そして楽譜を出版する。資本主義社会では当たり前の音楽の商品化は、おそらくこのころから始まった。モーツァルトは(間違いがなければ)世界最初のフリーランスの作曲家であった。

自信があったのだろうと思う。ザルツブルクの司教と決裂しなければ、私たちは今でも天才の作品をこれほど多く楽しむことはできない。フリーとして組織を飛び出すことは、勇気のいることだ。だが彼はそれをやってのけた。

モーツァルトはこの作品群について 「むずかしすぎずやさしすぎず、音楽通はもちろん、そうでない人もなぜだか満足」できるような作品にしたと手紙に書いている。この頃の彼のマーケティング戦略は、完全に聴衆を意識したものだった。管楽器抜きの弦楽四重奏編成でも演奏できるように作曲されていもいるらしい。当然のことだろうと思う。都会に出てきたばかりの若者なのだから。

第1楽章は自然でのびやかな作品で、ピアノはそうっと入っていく。さわやかな風が吹き抜けていくようだ。これに対して第2楽章は何かとても繊細で、静かな曲だと思った。資料によるとここの主題は、作曲時に亡くなったJ.C.バッハの作品からとられているという。モーツァルトはJ.Sバッハの息子でバロックから古典派への橋渡し的存在となったJ.C.バッハを尊敬していたという。だとすればこの曲は、モーツァルトによるJ.Cバッハへの追悼音楽だったのではないだろうか。

この作品を第21番K467とカップリングしているのが、「1000人にひとりのリリシスト」と言われたラドゥ・ルプーである。1974年の録音だから、まだデビューして間もない頃である。ルプーの演奏で聞くこの曲の演奏は、とても新鮮であるということだ。

なおこのCDで指揮者を務めるのは、イスラエルの指揮者ウリ・セガルである。私は大阪出身だから彼が大阪センチュリー交響楽団の指揮者であることをよく知っていたが、実演を含め一度も演奏を聞いたことがなかった。こんなCDの伴奏をしていたのだと、今更知って驚いている。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...