2013年9月30日月曜日

国鉄時代の鉄道旅行:第11回目(1985年8月)

受験浪人時代の夏休み、私は小学生時代の友人で同じく浪人生のT君と、息抜きを兼ねた1泊旅行を計画した。名目は東京の大学を下見に行くというものだったが、大阪を早朝に出発しても東京到着は夕刻であり、その後新宿発の夜行列車で小淵沢まで行くというのだから、何も見物できない。そのことはT君は百も承知で、彼もまた久しぶりにのんびりしたい、ということだった。


T君は私の小学5年生の頃からのつきあいで、彼こそ私に鉄道趣味を植えつけた張本人であった。彼は毎日学校へ「交通公社の時刻表」なる雑誌を持込み、赤鉛筆で線をなぞりながら、この列車の表定時速はXXキロなどと、算数のノートの端に筆算をしては私を驚かせた。彼は覚えたての割り算を素早くこなしたが、それはそろばんの成果でもあったようだ。

その後小学校6年生になるまで仲がよく、中学校へ進んでもクラスは違ったが、良く遊んだものだった。高校生になるとハイキング仲間として京都や滋賀方面へ山登りに行くこともあった。だが大学受験を控えて彼は複雑な家庭環境もあり、ナーバスになっていった。大学受験を目指していた頃、両親が離婚。父親は行方しれずとなったようだ。まだ中学生や小学生の弟や妹を抱え、母親だけの収入では足りないからと、アルバイトをするようになった。とても頭が良かったので気の毒だったが、何よりも勉強時間を確保できないことが彼を悩ませた。だが、それよりも彼は現実から逃避するようになった。

国鉄の吹田駅で彼とは待ち合わせをした。ところが私はこういう大事なときに朝寝坊をしてしまい、彼には1時間以上も待ちぼうけを食らわせてしまったのだ。怒る彼は無言のまま、乗るべき列車よりも何本も遅い列車を乗継ぎ、草津、米原、大垣と行く間、ほとんど口を聞いてくれなかった。私はとても後悔し、気を取り直してほしい、と浜松で「うなぎめし」の高い方のお弁当を買って差し出した。その頃から、すこしづつ打ち解けてくれた。

東京では何をしたかあまり覚えていない。8月もほとんど終わりかけの頃だったが、東京は大雨だった。いろいろ歩いてまわろうとしたが、雨に濡れてしまう。まだラッシュアワーの続く新宿の夜10時過ぎには列車が入線し、長い間列車小淵沢行きの出発を待った。中央線快速の最終列車を兼ねるこの列車は、酔っぱらいをのせたまま、豪雨の新宿駅を出発した。八王子を過ぎると夜行列車となり、途中、甲府で一時間以上も停車する。東京発の夜行普通列車はどれも満員だが、この列車もあまり乗り心地は良くなかった。

朝もやの中、中央地溝帯の深い谷の中腹を行くと、小淵沢に到着した。ここはまだ山梨県で、ここからさらに乗り換えて松本まで行く。この区間は風光明媚な区間で、諏訪湖なども見えるが、私たちは熟睡していたのだろうと思う。だが松本駅に着くと、美味しい駅のそばで腹ごしらえし、大糸線に乗り換えた。大糸線は思い出深い路線だが、その途中にある白馬の手前、飯森あたりは、私たちが小学校の修学旅行で訪れたことがあり、彼と共通の目的としてそのあたりを見てみよう、というのが旅行の建前だった。

北アルプスを見上げながら青木湖を過ぎると、列車は日本海に向けて下ってゆく。冬ならスキー場が続くこのあたりは、とりわけ山深い地方であると同時に、なかなか立派なアルペン・リゾートでもある。特に白馬を過ぎ南小谷で本数の少ない鈍行列車に乗り換えると、その風景は一変して、よくもこのようなところに線路を引いたと思わせるようなローカル線となる。この糸魚川までの区間に乗ってみたかったというのが、彼と私の本当の目的であった。アメリカ人の家族が、当時はまだ珍しかった大型のハンディ・カメラを持ち込んで、車窓風景を撮影していたのが印象的だった。

その日はとても暑かった。大雨の後、日本列島は快晴となったが、残暑はきびしく、糸魚川のそれはフェーン現象もあって気温が40度近くあった。乗り換えの時間を利用して海岸近くまで歩いたが、その時は目眩がするような暑さだった。

親不知を通り過ぎ、富山を目指す。列車は北陸本線の快適な冷房車である。倶利伽羅峠を越え、金沢を通り過ぎ、福井での停車時間にアイスクリームなどを食べる。編成の長い列車は非常に空いており、ここからさらに敦賀を過ぎて米原までのんびり進む。外は猛暑でも車内は快適であった。

米原から姫路行きの快速列車の乗り換えると、後方の空調のない車両は蒸しかえるような暑さだった。夕陽が彦根城の向こうの、琵琶湖のほうから容赦なく差し込んでくる。窓を全開にしても、入る風は熱い。だが私たちはゆく夏を惜しむかのように風に打たれる方を好んだ。受験までのあと半年は、今から思い出してもぞっとするような時間との戦いであった。今でも焦る夢を見るこの時期は、不思議と記憶が曖昧である。なので、この列車旅行の記憶だけが詳細に脳裏に刻まれている。

T君はその後再び浪人し、不本意ながら四国のある大学に進んだ。私は彼が徳島で下宿している時に一度会いに行ったことがある。だがその次に彼を見かけたのは、意外にも私の近所でのことで、結局彼は家計を助けるべく大学を中退し、アルバイトに精を出していた。数年後、私の就職が決まって上京する時に、私は連絡先を探しあててコンタクトをとった。だがこの時は待ち合わせ時間に彼が1時間以上遅れた。私はそれでも辛抱強く待ち、とうとう彼は約束通り、待ち合わせ場所に現れた。小一時間喫茶店で話した時に、彼の目からは、小学生時代に時刻表を眺めては私に得意がっていた、あの少年の輝きが失われてしまっていることを発見した。彼に会うのはもう最後かもしれないと、その時思った。その後T君からは音沙汰が無い。

2013年9月22日日曜日

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(The Met Live in HD 2007-2008)

オペラ史上最高傑作とされるワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、私にとっても最大の関門であった。初めて前奏曲と「愛の死」を聞いた10代の後半から現在に至るまで、聞く機会は作ろうと思えばいくらでもあった。数多くの歴史的名演がCDやDVDとして売られているからだ。ただ、私は古いフルトヴェングラーやベームの演奏の世代ではない。むしろその次の世代である。大学生の時に、丁度カルロス・クライバーとレナード・バーンスタインの録音が相次いでリリースされた。映像ではダニエル・バレンボイムのバイロイト・ライブが評判の頃である。

私もクライバーとバーンスタインによる演奏を少し聞いた。だが、その音楽は今思い返しても、さほど私の心を捉えなかった。結構鳴る曲だなあとは思ったが、何せ他のワーグナーの作品とも違い、メロディーが親しみやすくはなく、バレエや合唱が派手に入るわけでもない。ストーリーは「指環」ほど難解ではないものの、かえってそのことがこの作品をわかりにくくさせていた。あまり現実的な物が登場しないのである。

この経験が私にとっての「トリスタン」の敷居を高くしてしまった。あまりに評論家や愛好家が絶賛するものだから、自分がそれに親しめないことに対する何か劣等感のようなものをも生じさせもした。後になって「リング」や「パルジファル」にさえ感動したにもかかわらずである。それは音楽的には、あの冒頭の半音階で成り立つ動機そのものへの違和感といっても良かったと思う。

ベートーヴェンが「エロイカ」交響曲の冒頭の和音を高らかに鳴り響かせた時から、世界の音楽史は変わったという言い方があるが、そのわずか50年後になってワーグナーは、「トリスタン」の前奏曲で、同じ程度に革新的な方向を踏み出すこととなったと言って良い。

だがこのことは後年になっての体系化であり評価である。私たちはその後、マーラーやシェーンベルクを経て、数々の現代音楽、あるいは映画音楽の類を知っている。そこではあらゆる音楽・・・それはもはや和声が崩壊し無秩序化した、あるいはその後に再度秩序だてられもした・・・すなわち20世紀を通り抜けたところにいて、そこからこのような音楽の起源が、どこで培われたかを考察するのである。その起源が、「トリスタン」の前奏曲ということになっている(このトリスタン和音は、この楽劇全体を支配するモチーフでもある)。

私がこれまで違和感を覚えていた「トリスタン」のとっつきにくさは、この革新性にあったと思う。そしてそれを克服することは、一体いつになったらできるのだろうと長い間「考えて」いた。ちょっとCDを買うか借りるかして聞けばいいのだが、ここで「聞く」とは何度も繰り返し格闘するかの如く聞くことを意味せざるを得ず、私はその時間的ゆとりを持つことができないでいた。もちろん準備はしてきた。ワーグナーの他の作品、ヴェルディやシュトラウスのオペラを見聞きし、オペラ史を俯瞰する本を読んだのも、さらにはより現代的な音楽を聞いたのも、突き詰めれば「トリスタン」を聞くためであったとさえ言える。ここを経ずして、ロマン派以降の音楽を語ることは出来ないのだから。

バレンボイムの映像もダビングしていたし、今回MET Liveで見たレヴァインの映像も、2008年にNHKで放送されたのをHDDに入れてあった。だが、これを見ることはなかった。集中して、体調を整えて、準備万端整ったところで見なければ意味が無いと思ってきた。そしてとうとうその時が来た。映画上映のアンコールで、5時間以上に及ぶこの2008年の上演を見る機会に恵まれたからだ。しかもこれまでにリングのサイクルも、「パルジファル」も、「タンホイザー」や「ワルキューレ」の実演も経験したし、ワーグナーの映画も見た。本も読んで、音楽の基礎を学習し、ヴェーゼンドンク夫人とのいきさつについても「予習」した。あとは時間を作って聞くだけ・・・その日がとうとう来た。

この作品を聞く側の状況は、2種類しかないという。感動に打ち震えながら聞くか、眠り倒すか。そして演奏自体も超名演になるためのハードルがかなり高い(そのことは、インタビューでレヴァイン自身が語っている)という。しかし結論から先に言えば、私はこの日の上映に接して、そのどちらでもなかった。確かに睡魔が襲った時はあったが、それは短い時間だったし、むしろ5時間という長大な時間がさほど長くは感じられなかった。恐れていたほど難解ではなく、映像も綺麗だった。

だが、感動的だったかと問われると、これはもう残念なががらそうではなかったと告白せざるを得ない。第3幕では、トリスタンを歌ったロバート・ディーン・スミスが、前幕までとは比較にならないほど良くなって、この長大な歌唱を知ることとなったし、イゾルデのデボラ・ヴォイトの「愛の死」は感動的だった。だが、不思議とそれ以外のことが胸に迫らない。これは何故なのか。

原因は自分にあると思っていたが、ここでは開き直ってみようと思う。演奏が私を感動させなかったのだと。もしかするとトリスタンもイゾルデも、最高潮というわけではなかった。もとよりワーグナー歌手として、悪くはないが絶対的に良くもないレベル・・・さらにはレヴァインの指揮も自己ベストではない。ビルギット・ニスソンだの、 キルステン・フラグスタートだのを引き合いにするまでもなく、ティーレマンの最新CDを聞くだけでもそのことは明白だ。さらに、ブランゲーネを歌ったミケーレ・デ・ヤングは、悪い歌手ではないと思うが、声がやや高くてイゾルデと違わなさすぎる。トリスタンの第1幕は結構平凡で、むしろクルヴェナールを歌ったアイケ・ウィルム・シュルテの方がワーグナー歌手としての風格に満ちていた。そしてマルケ王のマッティ・サルミネンもしかりである。

録音もライブ収録ということもあるのか、ちょっと不足気味に感じられた。もしかするとそれは、マルチ・スクリーンを多用したビデオ演出のせいかも知れない。私はこのような新鮮な試みは好きな方だが、これがあまりに多用されていたことで、集中力が途切れてしまう結果になったようだ。2008年といえばMET Liveも始まったばかりでいろいろな試みがあったのだろう。これをライブで切り替えるというのも大したものだが、ビデオ演出家にどこを見るべきかを任せておいたほうが、音楽に集中できるという気がするのは私だけだろうか。

第2幕でマルケ王が登場するシーンでは、中央に大きな柱が登場してせり上がり、さらに真ん中が開いて黄色い部屋のなかからマルケ王が登場した。巨大な帆を背後にした第1幕の青を基調としたシーンも大変美しく、 第3幕ではイゾルデの赤い衣装が印象的であった。全体にディーター・ドルンによる演出に不満はない。

この上演に接したことにより、「トリスタン」の最初の関門は突破したように思う。だが、その先に次の関門が見えてきたようだ。まずは手元にあるティーレマンとベームの演奏をCDで聞いて、再度どこかでチャレンジする、というのが次の目標となった。

2013年9月21日土曜日

ロッシーニ:歌劇「セヴィリャの理髪師」(The Met Live in HD 2006-2007)

ボーンマルシェの戯曲「セヴィリャの理髪師」は、この後に「フィガロの結婚」が続き、そして「罪なる母」へと進む。したがってロッシーニの「セヴィリャの理髪師」はモーツァルトの「フィガロの結婚」の前の話で、伯爵夫人となるロジーナがどのようにして、アルマヴィーヴァ伯爵と結ばれたか、という喜劇である。モーツァルトはロッシーニの前の作曲家だから、当然ロッシーニの「セヴィリャの理髪師」(1812年)を知らない。モーツァルトが知っていた「セヴィリャの理髪師」は、ジョヴァンニ・パイジェッロによりすでに作曲されていた作品(1782年)で、これを受けて「フィガロの結婚」(1785年)を作曲したとされている。

ロッシーニはパイジェッロに作品の許諾を求める手紙を書いたが、初演時には相当な妨害工作に会い、惨憺たる結果に終わった。しかしこの作品はすぐにロッシーニの人気作となり、いまではパイジェッロの方は忘れられている。だが、パイジェッロは、少し調べたところ、92曲もの歌劇を書いた作曲家で、美しい旋律美に溢れているらしい。一度見てみたいものだと思う。

ロッシーニはベートーヴェンの時代に活躍した作曲家でもあるが、その作風は見事なまでに違う。そしてこの「セヴィリャの理髪師」は、丸で吉本新喜劇を思わせるような抱腹絶倒ドラマで、一瞬足りとも気を抜けない楽しいオペラである。しかも優美な旋律美に溢れる音楽が、ロッシーニ・クレッシェンドに乗って駆けまわる様は、よく知っているとは言え、わくわくする。私も今まで見逃していたMET Liveシリーズのアンコール上映に駆けつけることができるということが自分のスケジュール上で決まった時から、ワクワクし通しであった。いつものようにiPodに入れて、アバド、マリナー、それにパターネによる代表的録音を連日聴いていた。

ロッシーニの音楽が人気あるにもかかわらず上演回数が少ないのは、理由がある。歌える歌手を揃えるのが困難だからだろう。だがこのMETで2007年3月に上演されたバートレット・シャー演出、マウリッツィオ・ベニーニ指揮による上演は、映像としては最高の出来栄えではなかったかと思われる。何せアルマヴィーヴァ伯爵にフアン・ディエゴ・フローレスを迎えているのだから。

フローレスの歌が聞きたくてこの公演に駆けつけたファンは数多いだろう。その歌声は、登場する第1幕の有名なカヴァティーナ「ごらん、空が白み」をたっぷりと歌い、ピタリと合わせるベニーニとの見事な呼吸を披露すると、いやがうえにも期待は高まるばかりとなる。そうそう、ここでの登場は画期的なもので、何と客席から舞台に飛び上がったのだ!オーケストラを取り巻くように歌舞伎で言う「花道」が付けられていて、時に歌手たちはこの上で(つまり指揮者の前に来て)歌う。

だがこの日素晴らしかったのは、フローレスだけではない。次に登場する愛すべきキャラクター、フィガロはスウェーデン人のバリトン、ピーター・マッテイによって歌われたが、これが何とも好感の持てる役になりきっていた。おそらくこういう人物が期待されているだろうと感じさせるような、堂々として時にコミカルな役である。この役がテノールではなく、バリトンであることに注目すべきだと思う。屋台の移動車(それが散髪屋)の屋根に乗ったり下りたりして、あのアリア「町の何でも屋」を歌う。

いよいよお待ちかねのロジーナは、登場していきなり「今の歌声は」を歌わなければならない。だが、アメリカ人のソプラノ、ジョイス・ディドナートはこの歌を個性的に歌いきった。コロラトゥーラの魅力を発揮し、あのマリア・カラスの名唱にも引けを取らない歌いぶりは、箱入り娘にしては芯の強い、自己主張型の女性である。

バルトロ。ジョン・デル・カルロ演じる老医師の役こそ、この歌劇の決定的に重要な役で、この人がいなければこの日の成功は半分しかなかったような気もする。それほどこの役は見事だった。もちろんもう一人のバス、音楽教師のバジーリオは、バスの歌手として見事な歌いぶり。登場する箇所は相対的に少ないが、アリア「中傷とはそよ風」を熱唱し、観客からブラボーが乱れ飛んだ。

こうなったら、もう見るしかない。会話の部分でさえいっときの目も離せない集中力で画面を食い入るように見入った結果、第1幕の終盤の抜群に楽しい6重唱以降のフィナーレが終わる頃には、もうヘトヘトであった。15分の休憩をはさみ、興奮を覚ますまもなく、第2幕が始まる。

有名な歌が第1幕に集中しているので、第2幕はCDなどで聞くと地味な印象がある。だがそれは大間違いである。ロジーナの歌のレッスンで、バジリオに変装した伯爵が見事な演技を繰り広げるからだ。舞台に2人のバジリオが居合わせるシーン、鍵を盗むシーンなど、どれも腸がねじれるような笑いだが、その間に挟まれる音楽がまた、楽しい。このようなことをここで文章で書くのも何か限界を感じる。

嵐のシーンが来るともう終わりなのかと思ってしまうが、最後にフローレスはアリア「もう逆らうのをやめよ」で、満場の拍手をさらったのは、ダメ押しの圧巻であった。拍手がなかなか鳴り止まない、という光景を久しぶりに見た気がする。あっという間に幕切れとなったが、最後の最後まで見応え満載の3時間は、瞬く間に過ぎた。お腹いっぱい食べたような充足感で、お昼になっても空腹を感じる事もなく、10時に始まった上映は13時半前に終った。どっと疲れが出て、公園のベンチで子供たちが遊ぶのを眺めながら、うとうととしてしまった3連休の初日であった。

(追記)このディドナート、フローレスの組合せで、今シーズンは「チェネレントラ」が上演される。今から待ち遠しいが、私は来月に、新国立劇場で「フィガロの結婚」を見るう予定である。「セヴィリャ」「フィガロ」と続くその後には、「ばらの騎士」ではないかと思う。すなわち、伯爵夫人を元帥夫人に、ケルビーノをオクタヴィアンに置き換えてみると、この3つで三部作となる。もちろんボーンマルシェの結末とは違うのだが、シュトラウスは確信犯で「ばらの騎士」を書いたのではと思えてくる。

2013年9月17日火曜日

ヘンデル:歌劇「ジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)」(The Met Live in HD 2012-2013)

東京に暴風雨をもたらす台風がやってきたが、昼過ぎには雨も上がり、夕刻の銀座のビル群上空は高層の雲が下から照らされて、丸で「パルジファル」の一場面のような光景が広がっていた。今日は昨シーズンに見逃したヘンデルの歌劇「ジュリオ・チェーザレ(ジュリアス・シーザー)」のアンコール上映最終回を見に東劇へ。3連休最終日の夜は客の入りもまばらで、三越で買ったサンドイッチを持込んでスタンバイ。

ヘンデルの最高傑作のひとつ、歌劇「ジュリオ・チェーザレ」は、音楽的にも物語的にも見応えのある作品である。METでの今回の上演には、何と3人ものカウンター・テナーが登場した。 主役のジュリオ・チェーザレ(デイヴィッド・ダニエルズ)、クレオパトラの弟でエジプト王のトロメオ(クリストフ・デュモー)、それにクレオパトラの従者レニーノ(ラシード・ベン・アブデスラーム)である。彼らはもともとカストラートのために作曲された歌を歌う。

さらに驚くべきことに、冒頭で暗殺されるポンペイウスの、息子セストはズボン役である(メゾソプラノのアリス・クート)。これにもともと女性(女声)のクレオパトラ(ソプラノのナタリー・デセイ)とポンペイウスの妻コルネリア(メゾ・ソプラノのパトリシア・バートン)を加えると、高音域の歌手が主役7人のうち6人を占める。男声はトロメオに仕える悪役アキッラ(バリトンのグイド・ロコンソロ)だけということになる。アリアはたいてい3回同じ歌詞で繰り返され、その間を叙唱(レチタティーヴォ)で繋ぐ。チェンバロと指揮は、METおなじみのハリー・ビケット。

全3幕のバロック・オペラはとても長く、18時から体力勝負の4時間43分が始まる。演出はデイヴィッド・マクヴィカー。冒頭で案内役のルネ・フレミングが、舞台設定を古代エジプトではなくイギリス植民地時代だと紹介する。

歌劇が始まってすぐに、私は画面に釘付けとなった。序曲の間に左右からすこしづつ登場する側近たち。その対象的な配置と仕草が何ともコミカルである。鳴り響く音楽の響きに聴き惚れながら、歌が続く。カラフルなカーテンを幾重にも配した舞台によって場面が上手に変更される。歌詞がわかりきったような内容で、しかも展開がゆっくりしている。繰り返しも多いので、字幕をことさら追うこともなく、こちらもゆったりと画面に見入ることができる。繰り返しと言っても演技や表情付けが異なるので、見ていて飽きることがない。むしろ3回目にはそれまでの2回以上に確信に満ち、感情が増幅されている。その結果の何と説得力の強いことか。

いよいよ舞台に登場したクレオパトラによって、今回の上演の決定的な成功の理由が判明した。2ヶ月以上もヨガに通い、キビキビとした動きの多いこの演出に備えたという。その演技は、演出家へのインタビュー・ビデオによれば、インド映画をモデルにしているという。まわりの踊り手と合わせて彼女は歌いながら目まぐるしく踊る。同じ向きに手を回したり、横を向いたり、時にはステップを踏み鳴らす。そのリズムはバロックのリズムに合っているので、とても滑稽である。衣装は8回も変わるそうだ。

クレオパトラのいくつかの活発なアリアは、このようなデセイの独壇場であった。だがもちろん彼女の歌声は、静かなアリアにおいても冴え渡り、ある時は鎮痛と哀しみに震え、ある時は喜びに満ちている。この上演はクレオパトラを演じたデセイを除いて語ることはできない。

もちろんこの他の歌手もすこぶる良い。カウンター・テナーの3人の中では、トロメオのデュモーの声に独特の深みがあり、他の歌手を出しぬいていたように思われる。この他ではコルネリアとセストが良かった。2人のメゾソプラノによって歌われる第1幕最後の二重唱などは、バロック・オペラならではの素晴らしさである。

暗殺されたポンペイウスの妻(コルネリア)と息子(セスト)は復習を誓うが、簡単にトロメオによってとらえられてしまう。他にもいろいろあるが以上が第1幕。 一方、トロメオの姉であるクレオパトラは、密かにその侍女リディアになりすまし、チェーザレに近づく。彼女の目的はチェーザレに取り入ってエジプトの王女となることだったのだが、本当にチェーザレを愛してしまい、チェーザレも彼女を愛する。他にもいろいろあるが以上が第2幕。トロメオは野望のあまり、側近のアキッラ、姉のクレオパトラをも敵にまわしてしまう。復讐を再度誓うコルネリアとセストとも合流し、最終的にはチェーザレもかけつけて復讐を遂げる。クレオパトラはチェーザレと結ばれ、見事エジプト王女となる。ややこしいが以上がだいたいの第3幕。

この物語は史実に忠実だともいう。だとすればクレオパトラという女性は、野心的でありながら、苦難の多い女性だったと思う。だがそのような心情豊かな物語として息吹を吹き込んだのは、ヘンデルにほかならない。バロックのオペラと言いながら、その中身は実にドラマチックなのである。そのことが意外であった。そしてこれだけの充実した音楽に、飽きさせない演出を加えると現代でも実に楽しめる作品に仕上がる。この成功が近年のバロック・オペラブームの理由なのだとわかった。

この演出は2005年のグラインドボーン音楽祭と同じプロダクションだそうだ。この模様はDVDでも売られている。ただ一回りも二回りも大きなMETの舞台で上演するにあたって、ミュージカルにも通じるようなエンターテイメント性を加えたのではと思われる。デセイの演技が、象徴的にそれを示している。これで好きになれなかったら最後にしようと思ったヘンデルのオペラだったが、できればもう一度見てみたいとさえ思う結果となった。


2013年9月16日月曜日

ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」(2013年9月15日、神奈川県民ホール)

まだまだ残暑が厳しいというのに、首都圏では「ワルキューレ」が数多く演奏されている。その中でも全曲の上演は、神奈川県民ホールで二日間に亘って開催される二期会、びわ湖ホールなどとの共同開催のものである。暑い中でワーグナーなど聞く気になれないと、私は最初から敬遠していたが、先週渋谷のタワーレコードへ出かけたところ、ヤノフスキの新録音が試聴コーナーにおかれていて、(このSACDはすこぶる高いが)なかなかの名演であると思った。そしてその第1幕冒頭のメロディーが頭から離れなくなってしまった。

台風が近づき大荒れの天気となりそうな一日だったが、Webで見ると当日券があるとのこと。いくらワーグナーの中でも上演回数の多い「ワルキューレ」とは言え、生の上演に接する機会など一生にそう何度もあることではない。日本人を主体に据えた布陣とは言え、我が国を代表する歌手が勢ぞろいということもあり、期待は膨らむ。そうなれば行くしかない。横浜までは我が家から1時間とかからない。13時のチケット売り場に並ぶため、11時過ぎには家を出た。

会場に着いて驚いたことは、みな服装がカジュアルだということである。一般にワーグナー好きはCDやチケットにお金がかかるので、着るものに金銭を回す余裕はない。ワーグナーと経済的困窮はセットである。それにしても、いつものオペラの華やいだ雰囲気がないのはちょっと味気ない。私は雨に濡れることを想定し、サンダル履きで会場へ着き、そこで革靴に履き替えた。蒸し暑いというに上着を着ていったが、そういう客はほとんどいない。

おまけに2階席脇のA席には、ちょっと困った客が多かったのには閉口した。上演中に(それも第2幕の終わりかけだ!)に着席する客、そうかと思えば第3幕の最後のシーンで席を立つ客。トドメは私のとなりで携帯電話を取り出してメールを見てる女性。この人達はワーグナーを聞こうとしているのだろうか。帰り際にアンケートで苦情を書こうかとも思ったが、そんな気力も消え失せた。1階のS席、あるいは3階の天井に近い席ならもっと熱心な客がいたと思う。けれども2階席は一部の客の質が良くなかった。

さて、演奏である。歌手の方々の出来栄えについて、私はそれを云々するほどの経験がないので、以下では率直な感想を書こうと思う。まずジークムント(テノールの望月哲也)とジークリンデ(ソプラノの橋爪ゆか)は、結構良かった。声は客席の隅々にまで到達し、とても充実した歌いぶり。ジークリンデのほうはやや声が大きく張り上げようとし過ぎにも思われたし、何せここ一番という気合である。だがそれを含めて、好感が持てるのは判官贔屓のせいだろうか。日本人の歌手でもいけるなあ、というのが第1幕の感想。ブラボーが飛び交う。

ところが第2幕に登場した二人の外国人、ブリュンヒルデ(ソプラノのエヴァ・ヨハンセン)とヴォータン(バリトンのグリア・グリムズレイ)は、その風格と大きな声量で、やはり違うなあというのが第1印象だった。有名なのはヨハンセンだが、私はむしろグリムズレイの声に聞き入った。長いヴォータンの語りのシーンを、映しだされる歌詞を追いながら、これほど見入ったことはなかった。もしかすると実演に接することの感激が、その出来栄えを客観的に捉えることを邪魔していたのかも知れない。このヴォータン、私が初めていいと思ったバリトンかも知れない。

フリッカ(メゾ・ソプラノの加納悦子)とフンディンク(バスの山下浩司)は、ともに少し小柄で損をしていると思う。だがフリッカはヴォータンを口論において打ち負かす役である。そしてそれは十分に果たせていた。フンディンクの、どこにいるのかわからないような感じは、この悪役としてはやや不足気味に思われたかも知れない。だがこれは私の思い込みでもある。悪役とは言ってもフンディンクはそれほど悪い男ではないだろう。むしろある日突然訪ねてきたジークムントに妻ジークリンデを奪われるのだから、可哀想である。それを聞き入れるのはフリッカで、至極まっとうな話なのに、なぜか悪ものに見えてくるのはワーグナーの仕業である。それほどにまでブリュンヒルデの描く愛の世界は、強調される。

ワーグナーの目指したのはドラマと歌の完全なる融合で、もはや「ワルキューレ」は番号オペラではなく、音楽が途切れなくずっと続く。にもかかわらずジェロル・ローウェルスの演出はこれでもかとばかりに幕を上げ下げし、その幕には時折舞台で語られるテーマをキャプションで映し出す。その是非はともかく、これは分かりやすさを求めた結果であろうし、そのことを悪く言う気はない。なぜならいくつかの場合においては、幕が降りることでむしろ音楽への集中が得られ、場面の主題の転換にメリハリがあったからだ。だがそれは時に行き過ぎるようにも思えた。

まだジークムントがフンディングの家にたどり着いてもいないにもかかわらず、3つものシーンを用意する必要はあっただろうか。それよりももっと残念だったのは、冒頭と同じシーンが最後の幕切れでも再現されたことだった。第3幕の最後の15分はもっとも感動的なシーンである。ローゲの放った炎がブリュンヒルデを包んで赤く燃え上がるシーンこそは、最大の見せどころである。だがそれを中断してしまったのだ。ここは音楽に身を任せていたい。すすり泣いていた観客も、これではちょっと興ざめだ。最初のシーンで使われたドライアイスの効果は、ここでこそ使ってほしかった。子役や歌わない歌手がやたら登場するのも、いかがなものか。

沼尻竜典の指揮は、この多忙なマエストロの充実ぶりを反映している。ことさら構えるわけではなく、かといって押さえるところは押さえ、音楽の流れを保つことに細心の注意が払われていた。金管楽器が音を外しそうになっても、自然に音楽は流れ続けた。木管楽器の上手さが目立ったオーケストラは、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と日本センチュリー交響楽団の合同メンバーで構成されていた。

総合的に見て、客席と演出において、いくつかの集中力を欠く結果となった部分もないわけではないものの、 いい出来栄えであるように思えた。何せ、実演で見ることの出来た「ワルキューレ」はこの上なく新鮮で、あっというまの5時間であった。「騎行」のシーンでは派手さが全くと言っていいほどなく、むしろ音楽的な側面でこの部分を楽しめたことは良かった。だがノートゥンクを抜くシーンはあまりにそっけない。家の中にそびえているはずのトネリコの木が、倒されてベンチのように横たわっているのだから。やはり演出は中途半端だったと思う。左右に広い舞台は、これを活かしきれていない。それはそれでいいが、字幕のディスプレイと離れすぎていて視線を動かすのに苦労する。そして客席の階段脇に設けられた非常用ライトが、観客の姿勢の変化によって見えたり見えなかったりするのも、ワーグナーのオペラを見る上では集中力を欠く結果となったことを付け加えておこうと思う。

2013年9月6日金曜日

ヴェルディ:歌劇「シモン・ボッカネグラ」(The MET Live in HD 2009-2010)

大概オペラの「あらすじ」というのはわかりにくい。これは一度は理解したストーリーを、思い出すためにあるものだ。ではどうすれば最初は理解できるのか。これは結構大変な問題である。そのわかりにくい「あらすじ」と音楽を重ねあわせるため、格闘せねばならない。ヴェルディ中期の大作「シモン・ボッカネグラ」の場合は特にそうである。なにせこの物語は、25年の時を隔てた2つの話から成っている。話を理解しやすくするため、第1幕の前に25分もの長さに及ぶ「プロローグ」が置かれている。だが、そのストーリーも「あらすじ」で読むとわかりにくくなる。

第1幕で、このオペラの唯一の女性登場人物であるアメーリア(ソプラノのエイドリアン・ピエチョンカ)は、ガブリエーレ(テノールのマルチェッロ・ジョルダーニ)と恋仲である。デル・モナコ演出の豪華な舞台では、この第1場のためだけに、海の見える郊外の一軒家がセットされていた。テノールとソプラノの歌う場面は、しかしこのオペラの見せ場ではない。このカップルも、どちらかと言えば主役ではない。

この家はアメーリアが育った家である。しかし彼女はここの生まれではなかった。彼女はジェノヴァの総督シモン・ボッカネグラ(バリトンのプラシド・ドミンゴ!)の子だったのである。シモンの娘は、幼いころに行方不明になっていた。シモンはそのことをずっと気にかけ、いつか娘と会える日をと望んでいた。だが、彼女は政敵フィエスコ(バリトンのジェイムズ・モリス)の家に匿われていたのだった。

シモンの娘を思う気持ちが強ければ強いほど、アメーリアは父とボーイフレンドとの間で心が揺れる。シモンは自分の娘が、そこの若い貴族であるガブリエーレに嫁ごうとしているのである。この心の動きはまた、彼自身が25年前に味わったものとスクランブルする。シモンは、政敵フィエスコの娘マリアと結婚したがフィエスコに反対され、総督に上り詰めたもののマリアは死に、娘は行方知らずとなってしまっていたのである。

貴族派と庶民派の対立、あるいはもう一人の重要な登場人物パオロに触れずにあらすじを押さえるとこういうことになる。贅肉を落とせば、このオペラは娘と再開する父親の物語である。だが悲劇はシモンの死で終わる。毒を盛られたシモンは、死期を悟ると政敵を赦し、娘の結婚に同意する。ガブリエーレは、ジェノヴァ総督の後継者に指名されるのだ。

二人の重量級バリトンとバスが登場し、このオペラは男声の競演となる。全体に美しいアリアなどはほとんどなく、ヴェルディの初期の作品に親しんだものから見ると、大変取っ付きにくい。このためか、音楽的には玄人好み、上演回数も少ないようだ。そういえば他の作品では名盤を残したカラヤン、ムーティといった指揮者を耳にしない。唯一アバドの歴史的名盤が、今でも大変高評価を得ている。

アバドの「シモン」は、1981年のスカラ座の来日公演でも披露された。この時の舞台は大変なものだったようだが、一緒に来たクライバーの「オテロ」と「ボエーム」の陰に隠れてしまったことをおぼろげに覚えている。それ以来私も「シモン」からは遠ざかっていた。

今回Live Viewingで見ることになった2009年のMETでの公演は、ジェイムズ・レヴァインの定評ある指揮とデル・モナコの絢爛たる演出によって大変評判の高いものだったが、この公演での評判はもっぱら初めてバリトン役として「デビュー」を果たしたプラシド・ドミンゴにあった。ガブリエーレでは登場したことのあるドミンゴも、実はシモンを歌いたかったようだ。そもそも少し低いテノールの彼は、自身が年を重ねたこともあってバリトンとしての役に挑戦することとなった。

バリトンのドミンゴは艶があり、フィエスコ役のモリスの歌声とは異なる。そのドミンゴが父としての役を演じるのは何とも決まっている。ドミンゴとレヴァインには盛大な拍手が送られたが、他の3人の歌も大変素晴らしく、おそらくは「シモン」の代表的上演と記録されるであろう。だが、このオペラをほとんど初めて聞く私にとっては、まだまだ作品を楽しむレベルに達していないことを正直に白状しておこうと思う。今後は「あらすじ」を追うことなくもう一度見てみたいと思う。そしてできればアバドの演奏も聞いてみたい。

ついでながら、このオペラにおいて語られるべき改訂のいきさつと、基礎知識としての当時のイタリアにおける貴族派と庶民派の対立といった社会背景については、このオペラを見る上で必要なことだが、最初はむしろ混乱を招く。情報量が多すぎる、というのが「あらすじ」を難解なものにさせる原因だからだ。

2013年9月5日木曜日

モーツァルト:歌劇「皇帝ティートの慈悲」(The MET Live in HD 2012-2013)

今年の夏はモーツァルトのオペラに明け暮れた。携帯音楽プレーヤーに入れたダ・ポンテ三部作「フィガロの結婚」、「コジ・ファン・トゥッテ」、「ドン・ジョヴァンニ」だけでなく、「イドメネオ」、「後宮からの逃走」、「魔笛」などを立て続けに毎日聞いた。中でも「フィガロ」は全部で5種類の全曲盤を何度も聞き返し、その豊穣なメロディーの洪水をこれでもか、これでもかと聞いた。関西へ向かう新幹線の中で聞く快速の「ドン・ジョヴァンニ」ほどふさわしいものはない。時間もちょうどいい。そして、最後を飾るのが「皇帝ティートの慈悲」だった。

アーノンクールの録音で初めて聞く「ティート」は、ストーリーも知らないで聞いてみたが、なかなかいいなと思った。死の2ヶ月前、「魔笛」と並行して作曲されたモーツァルト最後のオペラである。だがその人気は「魔笛」と比べると遥かに低い。確かに「フィガロ」のような溌溂としたところがないとしても、ここには晩年のモーツァルトが書いた充実の音楽があるはずである。そしてよく考えて見れば、モーツァルトのオペラは(全部で22作品もあるが)、オペラ・セリアに始まりオペラ・セリアに終わる。

久しぶりの東劇で、昨シーズンの上演のうちまだ見ていないものを中心に、アンコール上演で見る、というのがここ数年の私の夏の過ごし方である。その最初が昨年12月に上演された「ティート」で、表題役ティートにテノールのジュゼッペ・フィリアノーティ、その友人セストにメゾ・ソプラノのエリーナ・ガランチャ、そして前皇帝の娘ヴィッテリアにソプラノのバルバラ・フリットリという布陣、指揮はバロック・オペラでメトの常連ハリー・ビケットの古楽器風奏法が響き渡る。演出は、今では古典となった感のあるジャン=ピエール・ポネルというから豪華である。

序曲が始まると、これはやはりモーツァルトだなと思う。「あの」モーツァルトのオペラが悪かろうはずがない。 このような作品を聞かずにいたことが残念でならない。それほど素敵なオペラだった。

このオペラの主人公は、表面的にはもちろんティートだが、実はそうではない。それはセストである。複雑なあらずじも、少し見方を変えて書くとわかりやすい。セストは、ティートの親友で、セルヴィリアという妹がいた。さて、ここからがややこしい。セストもセルヴィリアも、その恋人アンニオも女声である。ここで、セルヴィリアのみが女性、ほかは男性、つまり「ズボン役」。さらに、ティートと結婚し王妃となることを密かに企む前皇帝の娘ヴィッテリアも女声。ここでは4人もの女声が活躍する。しかしこれが不思議と気にならないくらいに音楽が美しい。そして聴かせどころを踏まえて物語が進行する抜群の企画力は、・・・これはもうモーツァルトだからこそできる天才的なものと言えるだろう。

さてここで台本についても触れないわけにはいかないのは、これがオペラ・セリアだからであってその作家メタスタジオは、この時期に一世を風靡したオペラ・セリアの大御所であった。彼の台本によって同じ物語に違う作曲家がオペラを書いている。この「ティート」もそうだが、そのメタスタジオのオペラをモーツァルトは子供の時から作曲している。「魔笛」を作曲するモーツァルトは、もやは疲れ果て、寒さに打ち震えながら死の陰に怯えていた。そのようなときに、モーツァルトにはまたひとつのオペラ、しかも十年ぶりかのセリアである。だがかつては「フィガロ」や「ドン・ジョヴァンニ」で作曲家を持て囃したプラハも、「ティート」では失敗に終わる。ウィーンでの人気も凋落し、モーツァルトは「レクイエム」を完成させることなくこの世を去る。1791年12月5日のとであった。

レチタティーヴォでつながるアリアはどれも素晴らしいが、特に第1幕のセストが歌う「私は行く」は、クラリネットの伴奏がとても印象的で、一番の聞きどころである。ところが、ここのところの猛暑と、多忙極まりない仕事のせいで、17時半にオフィスを飛び出した私は、急にサンドイッチなどを頬張ってお腹がいっぱいになったからか、瞬く間に睡魔に襲われたのだった。映画館には十数名しかおらず、私のまわりにも誰もいない。おそらくいびきをかいて私は寝てしまった。

気がつくと第1幕はほとんどが終わっていた。第1幕の終盤の、ローマが炎につつまれるシーンも、あまり印象的な演出とは言えず拍子抜け。音楽が素晴らしいのに、楽しめていない自分が大変残念でならなかった。

インターミッションの間に気を取り直す。そしてセストを歌ったガランチャのインタビューは、スーザン・グラハムの機知に富んだやりとりによって、大変興味深かった。ガランチャのこの上演での素晴らしさは、続く第2幕で存分に発揮された。だが、第2幕のクライマックスは、自分の犯した企てがセストを死刑に追いやることを反省し、改心するヴィッテリアのシーンである。このアリアではバス・クラリネットが活躍し、その音楽的なやりとりはブッファの作品、あるいはシングシュピールの魅力ともまた異なる側面を持っている。このアリアの前に歌われるティートのアリア「皇帝の主権にとって」や、さらにその前のアンニアのアリアなど、聞き所は多く、しかもストーリーはなかなかドラマチックでさえある。

ビケットはヴィッテリアの長いアリアが終わると、会場の盛大な拍手を無視して音楽を続けた。ここから一気に最後のシーンに雪崩れ込むからだ。幕の中の幕が開き、並んだ合唱団とともに盛大なフィナーレが始まる。モーツァルトのオペラの完成度は非常に高い。全員がティートの慈悲を讃えて、セストは開放される。考えてみれば、このような爽快な終わり方のオペラを見たのは久しぶりである。後年のメロドラマのようなオペラにはない魅力が、オペラ・セリアという古びた形式の中に発見できるのは、やや逆説的であろう。だが観客の拍手の熱狂さを見ていると、もしかしたら現代の都会人が求めている、純粋な心の気持ちのようなものが、この中に息づいていることを喜んでいるのではないかと思った。

何事にも形式が優先した18世紀に作られた、モーツァルトのオペラ・セリアは現代でも十分に刺激的である。 それもこれも、「あの」モーツァルトだから、ということなのだろうけれど。

2013年9月1日日曜日

ポンキエッリ:歌劇「ジョコンダ」(パリ・オペラ座ライヴ・ビューイング2012-2013)

ヴィクトル・ユゴーの原作をボーイトが台本化したポンキエッリのオペラ「ジョコンダ」は、リコルディ社から楽譜が売り出され、ミラノ・スカラ座で初演された。これだけを見れば晩年のヴェルディの作品に引けを取らない。だが、あの劇的な心理描写と力強い旋律に満ち溢れたヴェルディの作風には及ばず、かといって甘美で徹頭徹尾流麗なプッチーニのメロディーにも満たない。ポンキエッリという作曲家の作品で唯一演奏される機会に恵まれた「ジョコンダ」は、所詮そのような中途半端な作品であると、思ったのは最初のうちだけで、聴き進むうちに見応えは十分だし、複雑なストーリーも深みを持っているばかりか、合唱やバレエといったエンターテイメント性も持ち合わせている。なるほどこれがヴェルディからヴェリズモ・オペラを経てプッチーニに至る移行期に活躍した作品かと思わせる結果となったのは、歌唱力を必要とする多くの歌手の力量によるところが大きい。

今シーズン最後の「ライブ・ビュー」に、パリ・オペラ座はその輝かしい歴史の中で意外にも初演奏となる「ジョコンダ」を選んだのは、この作品を立派に上演してみせるという意気込みの現れだったのではないか、と思えた。案内役の評論家、アラン・デュオ氏も今回は力が入っているように見えた。バスティーユの新しい歌劇場に詰めかけた観客の前に、指揮者のダニエル・オーレンが姿を現す。前奏曲が厳かに流れると、すぐに幕が開き、そこに赤と黒で象徴的に表現されたベネツィアの運河が現れた。ゴンドラが人を乗せてゆっくりと入ってくる。悲劇を予感するような異様な始まりは、オテロのイアーゴを上回るような悪役、バルナバ(バリトンのセルゲイ・ムルザエフ)の登場で極まる。彼は横恋慕する歌姫ジョコンダ(ソプラノのヴィオレータ・ウルマーナ!)に袖にされた腹いせに、盲目の母チエカに魔女の濡れ衣を着せるのだ。

これだけでも見てはいられないほど嫌なストーリーである。冒頭から響く合唱、カーニバルの華やかな雰囲気は、恐ろしい心理描写をかえって強調する。その可哀想な母チエカ(コントラルトのマリア・ホセ・モンティエル)を助けようと必死のジョコンダの願いを、騒ぎを聞いて駆けつけた司法長官アルヴィーゼに、妻ラウラ(メゾ・ソプラノのルチャーナ・ディンティーノ)が取り次いで許すのだ。だが、これでほっとするのもつかの間、このラウラは別れた恋人エンツォに出会ってしまうのだ。しかしエンツォ(テノールのマルセロ・アルバレス!)こそ、ジョコンダの恋する人だったのだ!ああ、ややこしい。しかも悪の権化、バルナバはこの不倫カップルをも破滅に追いやろうとする。エンツォにラウラとの逢引を手伝いつつ、手下の部下を使って恋仲を密告する手紙を書かせ、ライオンの口に投函させる。

以上が第1幕「ライオンの口」である。ここですべての登場人物が姿を現す。約1時間の長い幕は、筋を負うだけでも苦労する。どうせ気乗りのしないオペラだったし、寝てしまってもいいかと思っていた私は、そのドラマチックな展開に引きこまれてしまった。

だが、これは第2幕「ロザリオ」になってさらに強くなっていく。ここでは登場人物に組み込まれた二重唱やアリアの熱唱が待ちかまえているからだ。まず、少年合唱団を含む冒頭の船乗りたちの歌で、それまでにない新鮮なムードが表現される。舞台は赤い帆の船。 登場するエンツォによる有名なアリア「空と海」である。テノールのマルセロ・アルバレスのつやのある歌声は、登場した時から一頭際立っていた。テノールは彼しかいないのも幸いして、この人物の存在感は明らかだ。だが、エンツォは恋人を捨ててかつての女ラウラに簡単に乗り換えを図る。貴族の身分とそうでないジョコンダの身分には、そこに明らかな線が引かれている。

そのラウラとの愛の二重唱は、なかなかの聴かせどころで、さらにはラウラのアリアと続く。ここでジョコンダが登場すると、舞台は一転ラウラとの憎しみの劇へと変貌する。だが、ラウラのつけるロザリオを見て、それが母のものであると知ると、ジョコンダは恩人であるラウラを許さざるを得ない。ジョコンダの心理は右に左に揺れ動き、歌は上下に乱高下する。マリア・カラスのデビュー作品は、ジョコンダだったと覚えている人も多い、と解説は話す。

第3幕。ここでいよいよあの有名な「時の踊り」が用意されている。その前に司法長官アルヴィーゼ(バスのオルリン・アナスタソフ)による妻への、毒殺を命じるシーンがある。だが、ここでもジョコンダは葛藤しながらも、ラウラを許してしまう。彼女の毒を麻酔薬に取り替えるのだ。横たわるラウラを前に、いよいよバレエが始まる。

パリ・オペラ座のバレエ団は、ディズニー映画で有名になったこの音楽のために、特上の演技を披露した。舞台一列に階段上に姿を表した女性たちは、それまでになかったカラフルな色の衣装をまとい、中央の主役二人はほとんど何も身につけていない!3つの部分からなるバレエに見とれていること十数分。フランス風グランド・オペラの本家の放つ醍醐味を、これほど楽しんだことはない。割れんばかりの拍手とブラボーは、この陰惨なオペラにはちぐはぐでさえある。だが、このバレエを批判する人はいないだろう。

第4幕の聞き所は、なんといってもジョコンダのアリア「自殺」だろう。このアリアは私もどこかで聞いたことがある。そしてウルマーナの驚くべき演技!彼女はただ美しいだけの女性ではない。悲劇の主人公であると同時に、何か凄みのある宿命を負っている。そのことが良く合っている。彼女はエンツォの釈放と引き換えに自らの体をバルナバに売ることを約束してエンツォを助けるばかりか、息を吹き返したラウラとの逃避行を助ける。

これほどの犠牲をしてまで助けようとした彼女の母チエカは、しかしすでにバルナバによって殺されていたのだ!そのことを知ることもなく、ジョコンダは自ら命を断つ。

悪い奴と狡賢い奴が残り、敬虔で愛情の深い親子が共に死ぬ。ジョコンダは恋人と母親を同時に失うのだ。彼女はか弱い悲劇の主人公ではない。むしろ愛憎を表現し、やや屈折した性格ながら盲目の母親を助ける。そうまでしても生きようとし、最後には自害して果てるジョコンダの人生とは何だったのか。オペラを見終わった後数日間、私はそういうことを考え続けた。ヴェリズモの雰囲気、グランド・オペラの色彩、そして合唱。歌手は相当の力が要求される。しかも長い。様々な要素が入り込んだ「ジョコンダ」は、上演の難しさと込み入ったストーリーのせいで、上演回数は少ない。だからこそ、ビデオ上演の機会は嬉しい。同じことを考えた人も多かったのか、会場はそこそこの人の入りであった。満場のブラボーは何回ものカーテンコールを必要とし、あの素敵なバレエ団も再び舞台に上がって、このプロダクション総出演の成功を喜んでいるように見えた。

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラー...